日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の189件中101~150を表示しています
  • 栗下 勝臣, 目代 邦康
    p. 101
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに2004年6月30日,静岡市南部を中心として観測史上最大の日雨量の記録となる集中豪雨が発生し,それにともない特に日本平の南側斜面での崩壊が多発した.長期的な地形変化を考えるためには,このような短期的な地形変化に関するデータの蓄積が必要である.本研究では,数年_から_数10年スケールで起こる流域プロセスが日本平南側斜面の地形変化に及ぼす影響を明らかにする目的で,この集中豪雨により発生した崩壊の状況について調査を行った.この調査は,比較的短い時間での河川流域の地形変化を研究するための一資料となりうる.以下にその結果を報告する._II_.調査地域概要 第四系の礫質デルタ_から_扇状地性の堆積岩からなる日本平(有度山:307.2m)は,静岡県静岡市の南東部にある,半ドーム状を呈した面積22.8km2の山塊である.年降水量は,東海地方の平均より500mmほど多い2,300~2,350mm(静岡・清水)である. 本報告で対象とした南側斜面は,北側斜面との分水界がほぼ直線的に区切られ,半ドームの形に即した三角形を呈している.南側斜面のふもとには縄文海進時に形成された海食崖が残存し,特に東端と西端は海食崖の侵食が進んでいない.また,南側斜面には海食崖を刻む13の明瞭な流域が存在する.西側10河川は,河床幅が狭く下刻が進んでいるのに対し,東側3河川は河床幅が広く下刻があまり進んでいないという差異がある._III_.2004.6.30集中豪雨の特性と土砂災害 小笠原諸島・父島の南約600kmの海上にあった台風8号の影響により,静岡付近を中心に南から暖気が押し寄せた.そのため,天気図では表現されない局地的な前線が形成された.静岡付近にはもともと寒気が残っていたこともあり,静岡市南部を中心とした局地的集中豪雨が発生した.豪雨は,6月30日午前2時から降り始め,午前6時には累積雨量が100mmに達した.午前9時には81.5mm/hを記録し,午前10時には累積雨量が300mmに達した(図).なお,現地の聞き取りから,斜面の崩壊は6月30日の午前10時頃に多発した.斜面の崩壊により,石垣イチゴの石垣が崩れる,またはイチゴ畑に土砂が流入するなどの被害を受けた.また,一部の地域では家屋にも土砂が流入したが,人的な被害はなかった._V_.崩壊の発生形態 崩壊の発生形態は,泥質な基盤岩の表層部が崩壊したタイプ(_I_),基盤が礫岩泥質岩互層からなり泥質岩とその上位に載る礫岩との境界から表層が崩壊したタイプ(_II_)の2タイプに大別された(表)._IV_.崩壊の分布 崩壊箇所は12ヶ所で確認された.内訳は,南側斜面のほぼ中央を南流する柳沢川を介して地域を2分すると,西側で9ヶ所,東側で3ヶ所となった.また,日本平南側斜面の西側から東側に向かって地質は泥質な基盤から礫勝ちとなり,それに対応して上記発生形態は西から東に向かってタイプ(_I_)からタイプ(_II_)へと変化した. 鉛直方向での崩壊発生箇所は,旧海食崖斜面の遷急線付近と旧海食崖斜面の脚にあたる遷緩線付近の2ヶ所に大別された(表).以上の結果から,今回の豪雨による崩壊の発生場は日本平において一様ではなく,地質状況に規制されていることが分かった.
  • 佐藤 浩, 関口 辰夫, 神谷 泉, 本間 信一, 高村 利峰
    p. 102
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    本研究の目的は、斜面崩壊の危険度評価にニューラルネットワークと最尤法分類のどちらが妥当な結果を導くか調べることである。多摩丘陵の1km2について、地形と植生に関する7つの変数を説明変数、崩壊・非崩壊を目的変数として、ニューラルネットワークと最尤法分類を適用して崩壊・非崩壊をマッピングした。教師データとなる崩壊跡地は、空中写真で判読した。
    マッピングされた崩壊・非崩壊、そして実際の崩壊・非崩壊を比較して計算された正解率を考慮すると、ニューラルネットワークのほうが妥当と判断された。
  • 森脇  広, 松島 義章
    p. 103
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    はじめに 南九州,鹿児島湾の湾奥を占める姶良カルデラは海水で満たされているため,周囲の海岸には完新世旧海水準の種々の痕跡が残されている.これまで,北西岸から北岸にかけて分布する完新世海成段丘面の編年と分布高度から,完新世において姶良カルデラの中央部を中心として隆起が生じたとされ,さらにそうした隆起は,鹿児島湾とその周辺域では姶良カルデラに限られることと,最近の桜島の噴火に伴う姶良カルデラの地殻変動様式が完新世の隆起様式と類似していることから,姶良カルデラの火山活動に関わったものであることが示唆されている(森脇,2002).こうした問題を詳しく検討するには,カルデラ全体にわたる資料の蓄積を必要とする.今回,姶良カルデラ北東縁にあたる鹿児島湾奥北東岸と,南西縁にあたる鹿児島湾奥南西岸において,完新世離水貝化石を見出し,その14C年代を得たので,ここに報告する.姶良カルデラ北東縁:試料が採取された若尊鼻の岩石海岸は,姶良カルデラ壁にあたる.このすぐ沖には,入戸火砕流の噴出口とされる若尊カルデラがある.ここには離水した波食棚などはみられないが,長径数メートルの岩塊に付着した貝化石ーカキ,キクザル,オハグロガキ,ヤッコカンザシコカイーが数個見いだされた.それらは,現在の平均海水準上+4.5_から_+4.8mと+2.8m_から_+3.2mの2層準に集中する.そのうちの3個の貝化石について,次のようなC-14年代が得られた.1) 7330_から_7200 cal BP (カキ,海抜高度: +4.5 m).2) 7810_から_7660 cal BP (キクザル,海抜高度:+4.6 m), 3) 7620_から_7490 cal BP (キクザルまたはカキ,海抜高度:+2.8 m). これらの資料から,縄文海進最高頂期の海面の海抜高度は +4.5 m付近にあると考えられる.この地点の西方にある国分平野には完新世海成段丘が分布する.段丘面の海抜高度は西から東_--_若尊鼻方向_--_に+15mから+7mと低くなる.この調査地点のすぐ西の敷根地区にはこのように顕著な段丘地形は認められない.平野西側の完新世段丘構成堆積物中には地表に近い層位にアカホヤ火山灰が介在し,その面の離水年代はここで求められた年代にほぼ一致する.こうしたことは,姶良カルデラ北東から北岸にかけては,完新世において西方に高度を増すような隆起が生じていることを示す.姶良カルデラ南西縁:ここでの完新世旧海水準の高度と年代試料は,甲突川平野南西部の鹿児島大学構内から得られた.ここは姶良カルデラ縁の外側に位置する.ここでは,モクハチアオイを主体とする貝層が見出された.その上限の海抜高度は+0.75mである.海抜高度+0.25mから採取されたモクハチアオイのC-14年代は6640_から_6400 cal BPである.ここの貝層上限の海抜高度は姶良カルデラ北西縁の鹿児島湾奥北西岸や姶良カルデラ内にある桜島北岸での完新世旧海水準の高度よりも低い.その年代が縄文海進最高頂期の年代よりも若干新しいことを考慮しても,この地点での完新世の隆起量は小さい.甲突川平野内にはカルデラにより近い稲荷川周辺で海抜高度+10mに及ぶ完新世海成段丘面がある.これらのことは,姶良カルデラ北西側と同様,姶良カルデラ南西側でも,カルデラ中央部に近づくにつれて,完新世旧海水準の高度が増す傾向を示す.これまでと今回の資料から,完新世旧海水準の高度は姶良カルデラ西半部の沿岸においてより高い.それは姶良カルデラの西寄りに完新世の隆起の中心があることを示唆し,最近の桜島の火山活動に伴う地盤変動と調和しているようにみえる.
  • 一ノ瀬 俊明, 新津 潔, 小野塚 孝, 神野 充輝
    p. 104
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    沖縄県勝連町周辺で豊富に算出する有孔虫石灰岩を素材として、「勝連トラバーチン」という特殊舗装材料が開発・生産されている。コンクリートなどと比較した場合の日射による表面温度上昇に対する抑制効果が指摘されていたが、その効果のメカニズム解明を含め、効果の定量的評価が課題となっていた。都市の暑熱対策として、トラバーチンを都心における歩行空間の舗装材料として実用化するためには、このような調査研究が必要である。国立環境研究所(つくば市小野川16_-_2)敷地南縁の日当たりのよい平地(草地)を整地して、トラバーチン(5m四方)及び対比実験用のコンクリートブロックを敷設し、躯体内温度、躯体底面熱流量、躯体表面の放射特性などを両者で比較するための観測実験を、気象観測とともに実施した。また、表面温度上昇に対する抑制効果のメカニズム解明を目的として、アルベドをトラバーチンに近づけるため、コンクリートの表面に高反射性塗料を塗布しての対比実験を行った。コンクリートとトラバーチンの比較実験は、2003年7月10日0:00_から_2003年9月8日23:00に実施された。日雨量0mm以下、毎時日射量最大値500W/m2以上、毎時日射量日積算値4000W/m2以上という条件で、全61日中18日が晴天日として選択された。さらに、観測場を代表する気象要素を観測するため、DAVIS社製気象計を2種類の躯体の近傍に設置した。躯体内温度の極大・極小値はそれぞれ、コンクリートの1cm深で40.8℃、24.5℃であり、同4cm深では40.1℃、24.8℃であった。一方トラバーチンではそれぞれ、1cm深で34.2℃、21.1℃であり、4cm深では32.6℃、21.4℃であった(図1)。また、トラバーチンでの日変化の振幅はコンクリートに比べ小さい。2深度間の温度差から読み取れる躯体内熱流の向きは、コンクリートが7_から_16時に下向きであるのに対し、トラバーチンでは7_から_17時に下向きとなっていた。図2によれば、躯体底面に向けて日射を受けた躯体表面からの熱が伝わり、8時過ぎより躯体底面から直下の土壌に伝わる熱フラックス(G)は正に転ずる。19時過ぎに躯体底面温度が土壌の温度を下回るまで低下し、熱フラックスは再び負に戻る。一方トラバーチンでは日変化の振幅は非常に小さい。日中も躯体内温度の上昇は小さく、躯体底面から直下の土壌に伝わる熱フラックスは小さい。以上より、コンクリートでは躯体直下の土壌にも大きな蓄熱があり、夜間はその熱が再び躯体に供給されると考えられる。一方、コンクリート表面のアルベドをトラバーチンのそれに近づけた条件での対比実験を、2003年11月1日0:00_から_2003年11月26日23:00に実施した。夏季の事例で確認された両者の関係は、そのオーダーが変わりこそすれ基本的に確認されたことから、トラバーチンの熱的な特性は、その高いアルベドのみに由来するのではなく、比熱などの熱物性値にも大きく関係していることが示唆された。本研究は、株式会社三柱よりの研究奨励寄附金研究「勝連トラバーチン舗装工のヒートアイランド現象抑制効果の定量化研究」(代表・一ノ瀬俊明)の一部である。
  • 山本 真希
    p. 105
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. 鞆の浦のまち並み保存運動 鞆の浦は,広島県福山市の中心部から南へ約12kmの場所に位置している。潮待ちの港として古くから栄えてきた鞆の浦は,交通の要所としてだけではなく,歴史の舞台として,また「日東第一形勝」と呼ばれた美しい景観を持つ場所としてもその名を馳せていた。現在でも江戸時代のまち並みと港湾施設が多く残っており,福山市の観光地として重要な場所となっている。 福山市による鞆の浦のまち並み保存事業が始まったのは,1977年,文化財保護法が改正されて伝統的建造物群が保護対象になった2年後のことであった。しかし,取り掛かりの早さとは裏腹に,事業自体は補助金でまち並みの調査をしただけという主体性のないものであった。 一方,車社会への移行とともに鞆の浦の産業を支えてきた鉄鋼業の衰退に危機感を持った住民らは鞆の浦のまちおこしを目指して動き始めた。その矢先に出てきたのが鞆港埋め立て架橋計画であった。 鞆港埋め立て架橋計画は,福山市の南部バイパス道路として位置づけられた計画であった。当初は漁協との補償問題の争いにより中断されたが,1992年の鞆地区道路港湾計画検討委員会の発足により再開されたのであった。 まち並み保存を願う住民らはいくつかの反対グループを発足させ、署名活動や要望書の提出など,反対するための直接的な運動とともに,もっと自分たちがまちのことを知らなければならないということでまち歩きやシンポジウムなどの勉強会を重ねてきた。反対する住民らは鞆の浦のまち並みと港の景観はセットで守らなければならないと主張した。一方で,同じセットであっても福山市側はまち並み保存事業と埋め立て架橋計画をセットとした。こうした福山市の考え方は,埋め立て架橋計画を正当化するために1950年からすでに都市計画決定されていたまち並み保存予定地区内の関江の浦線を,現在の約4mから7mへ拡幅するという計画の代替案として後付されたことから出てきたものであった。 結局,埋め立ての申請に必要な排水権の同意が得られないということもあり,2003年9月に埋め立て架橋計画は事実上の中止ということになった。と同時に,セットとされたままであるまち並み保存事業においても,伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)への指定へ向けて,あとは都市計画決定をするだけという状態で市の予算が凍結されたのである。2.まち並み保存からまちづくりへ埋め立て架橋計画に反対の者も賛成の者も,まち並み保存については対立をしなかった。ただ両者の考える保存の範囲に違いが生じたため,お互いの歩み寄りがないまま時を過ごすこととなった。その間,まち並み自体は高齢化や少子化,人口流出といった社会一般的な傾向から空き家が増加していった。空き家の増加は全国的にみられ,都市部から離れている場所に多い伝建地区ではよりはっきりとその傾向がみられる。しかし,その現場においては行政のさまざまな対策にも関わらず空き家減少の成果が見られなかったり,またそもそも空き家の増加を問題として捉えられていなかったりする現実がある。まち並み保存に関する研究においても空き家の増加は問題点として触れられている程度である。しかし,空き家は空き地や駐車場になる可能性を含んでおり,特に維持管理が大変な日本家屋が残るまち並みでは,放置しておけばまち並みとしての意味をなさなくなる可能性がある。そうした中、「鞆の浦海の子」というグループは反対運動の時から培ってきた知識をまちづくりという実践の場で生かそうということで「NPO鞆まちづくり工房」を2003年に設立した。彼らがまず重点的に取り組んだのは空き家の利活用であった。空き家の利活用は,まち並みを保存する方法のひとつとしてだけではなく,住民がまちづくりに関わるきっかけともなる。空き家の増加を社会的な傾向であるとして後回しにするのではなく,減らしていくために空き家の持つ利用可能性をどう活かしていくかを考えていかなければならない。それはまち並み保存に関わらず,より広い範囲のまちづくりに対応できるものと考えられる。NPOの取り組みがその先行的な事例として掲げることができるかどうかが今後期待される部分であろう。
  • -京都市バスを例として-
    井上 学
    p. 106
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    I問題の所在と研究目的 2002年2月に施行された「改正道路運送法」によって,路線バスの需給調整規制が撤廃された.不採算路線からの撤退が進むとともに,都市部においては新規事業者の参入がみられる.これに伴い,都市部を中心に運行される公営バス事業者は,事業内容の見直しをおこなっている.その内容は,1.路線規模の拡大による新規参入事業者の排除,2.民間事業者に移管する事業規模の縮小,3.一部業務を民間事業者に委託,の大きく3つに分けられる.しかし,これらはおもに人件費コストの削減を中心とした施策である.ここで事業内容からの検討,すなわちバス利用者とサービスの供給の乖離を分析する視点が必要である.一方,公共サービスの供給と地理学に関して,内外で研究の蓄積が進められている.その中で,領域的公正の議論を推進する上で,ニーズ量の把握の方法と,適切な分析単位の設定の2点が課題である(田原ほか2003).これまで,分析単位は都道府県,自治体などに関して議論されてきた.本研究はさらにミクロな自治体内における領域的公正の検討を試みる.公営バス事業は,自治体の長や議会の統制,道路運送法,地方財政法,地方自治法,地方公営企業法の規制を受ける.このため,公共の福祉(公平性)と経済効率(効率性)を考慮した事業運営をおこなっていると考えられ,本研究の対象として適当である.そこで本研究では,公営バス事業を対象に,サービスの供給とその利用に関する評価を行うことで,自治体内における領域的な公正について検討する.
    II研究対象地域と研究方法 研究対象地域は京都市である.京都市は市内に地下鉄などの鉄道網があるが,公共交通はバスが中心であり,分析対象として適当である.対象とするバス事業者は市内最大規模のバス事業者の京都市交通局である.本研究は京都市交通局のバスダイヤ原簿を中心に,サービスの供給量を把握した.利用者数に関しては,2002年9月から10月にかけて実施された京都市交通局交通調査のデータを利用した.交通調査は全系統ならびに全便で実施され,調査票を車内で配布,回収する方式である.これによって,バス利用者のODや,券種利用の実態が明らかとなる.以上のデータを用いて,バス交通サービスの供給量と利用量を把握し,時間帯別,停留所別,利用券種別などの分析をおこなった.III結果・考察 バス運行本数の供給量を検討した結果,市の中心部(東山通,西大路通,九条通,北大路通の内側)と郊外で大きな差があった.また,市の中心部にもバス運行のない,いわゆる「交通空白地域」が西陣や,七条千本などの地域で目立つ.前者は,市の郊外に路線を展開する民間事業者と競合するため,供給量を抑えていると考えられる.後者は,道路が狭隘なため,バス路線が設定できないなどの理由による.朝夕,昼間の時間帯別に検討しても同様の結果であった.バスの系統は,京都駅と四条河原町に集中している.
     OD調査の結果から利用者は主に,京都駅と四条河原町周辺,ならびに鉄道駅,大きな交差点を発着地としてバスを利用している.バス系統を,観光系統,観光・生活系統,通勤・通学系統,生活系統に類型化すると,生活系統ほど1便当たりの利用者数が低いことが明らかとなった.バス運行本数に対するバス利用者数は,相関係数=0.70と正の相関結果が得られた.このことから,市内にバス供給量の差異はあるものの,バス利用者数にある程度応じた運行本数を確保していると考えられる.
     停留所毎の1便当たりのバス利用者数が多いほど「バスの供給量が不足している」,利用者数が少ないほど「バスの供給量が過剰である」と仮定し,詳細にバス利用者数を検討した.また,利用者の定期券,非定期券,敬老福祉パスといった券種属性や時間帯別,国勢調査による居住者属性や通勤通学手段などの検討を行った.その結果,市内のバス供給量に多きな差異あることが明らかとなった.市の中心部ほどバスの供給量は不足しており,郊外では過剰である.さらに詳細に検討すると,市の中心部(堀川通,千本通,大宮通)などでは供給過剰,郊外の梅津地域などでは供給不足という結果が得られた.以上より,ひとつの自治体内をミクロに検討すると,ここでも領域的公正性が認められた.そして京都市交通局はゆるやかな領域的公正性を持つバス交通サービスを提供しているが,利用者数の少ない地域にやや過剰な供給をおこなっている.こうした公平性への配慮が公営バスの特徴といえる.
  • 沼田 尚也, 橋本 雄一
    p. 107
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 都市の構造の要素としては,住宅立地,工業,商業など様々なものがあげられる.特に住宅の立地に対して大きな影響があるが,そのような諸要素に対して,人口移動は都市間,都市内にかかわらず,大きな変動要因となる.それゆえに人口移動は都市構造の変容を考えるうえで一つの重要な要素となるといえる.人口移動において都市間人口移動は労働力移動,都市内人口移動は居住地選好の意味合いが強い.そのうち,本研究では都市内人口移動を主に扱う.地理学における都市内人口移動研究においては,実際の移動単位である世帯別の詳細な移動データを用いたものは少ない.また,その着地である住宅立地と人口移動を重ね合わせて分析することから都市構造の解明を試みる必要がある.そこで,本研究では,詳細な世帯別,男女別年齢別の人口移動データによる都市内人口移動の傾向と住宅立地とから,都市の構造変容を解明することを目的とする.2.研究方法 本研究は函館市を対象地域とする.研究方法は以下のとおりである.まず,函館市における町丁別の人口増減や転入出人口などの人口特性を概観する.次に,男女別年齢別の都市内人口移動,および実際の移動単位である世帯別の都市内移動パターンを明らかにする.その際,分析方法としては3相因子分析法を適用する.その後,移動の着地であり,人口移動における入れ物としての住宅について,その現在の立地状況,新規の住宅立地傾向,地価といった指標から明らかにする.最後に,それらをあわせ,郊外化や再開発を中心に函館市の都市構造の変容を考察する.使用したデータは,転入出,都市内人口移動については函館市から提供されたもので,主に2001年1月から2002年12月における函館市の転入,転出,転居に関する非集計データを使用した.このデータは世帯を単位とするが,年齢や性別といった詳細な世帯人員のデータが記されており,そこから個人別の移動もわかるデータである.有効ケース数は転入が9,281世帯,転出が10,073世帯,転居が10,582世帯である.なお,移動の発地,着地は市内ならば町丁別に示されている. なお,人口増減や住宅立地を図示する際の資料として,住民基本台帳を基にした函館市の『町丁別年齢別人口表』,『国勢調査報告』,『函館市における新規建築申請』を併用する.3.結果分析の結果,函館市における都市内人口移動と転入出人口,住宅立地の関係について下記のことが明らかになった.まず,転入人口は市の郊外地域と都心地域への転入が多くみられたが,際立った傾向としては大学の立地している町丁への就学によると考えられる転入が多くみられた.なお,転出についても,同じように就学が要因と考えられる転出が多くみられた.既存の住宅立地は郊外において一戸建住宅,都心部において集合住宅が多く,かつての都心部などでは長屋建住宅が多かった.新規の住宅は函館市の政策として,住宅の新規建築を誘導している,都心からみて市北部の郊外地区に一戸建,都心部に集合住宅の立地がみられた.次に,都市内人口移動に関しては,3相因子分析法の結果,個人別の移動分析においては,性別年齢階級については6因子(表1),発地区については14因子が,着地区についても14因子が抽出された.その結果を例示したものが図1になる.そして,これらの結果によると20_から_30代の年齢層および0_から_14歳の年齢層による,新規一戸建住宅の立地する郊外への移動が明らかとなった.しかしながら,その結果と世帯別の移動分析を組み合わせると,同じ年齢層であってもその世帯規模の別,つまり移動契機の別により,その移動パターンに大きな違いがある.例えば,性別年齢階級別の個人別の移動分析のみでは,20代の移動は単身であっても複数の世帯人員の要る移動であっても同じようにみなされてしまう.このため,実際の移動単位である世帯という要素を入れて,さらに分析を進める必要がある.
  • 岩谷 宣行
    p. 108
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに私たちの生活において,「レンタル」という行為は広く認知されている.企業・個人問わず,そのモノを購入する場合と比較して費用節約に及ぼす効果は大きく,またその業態の社会経済における位置づけも上昇してきている.立地とその特性を追求した地理学的研究は,小売業に関するものが大部分を占めている.そしてそれらは都市の地域構造を考察する際に大きな役割を担っている.しかし,レンタル業というものに視点をおいて行われた研究はみられない.レンタル業はその特徴的な業態から,蓄積されてきた同種の研究と同様にこれから検討していくことの意義は大きいものと考える.その中で,地域的な背景が店舗展開に影響を及ぼしていると思われるレンタカー業を研究対象として設定した.                2.研究対象地域と研究方法 「旅客地域流動調査」における交通機関別旅客輸送分担率によると,自家用車分担率が高く,また全国で最もモータリゼーション化が進んでいるといえる群馬県を対象地域とした.そして,全国展開するレンタカー事業者8社48店舗を考察対象とした.協力が得られ,聞き取り調査を行うことができたのは6社40店舗である.2社8店舗については観察で調査の一部として扱った.3.立地特性 群馬県におけるレンタカー店舗の立地は14市町村にみられる.その半数は高崎市と前橋市に立地している.太田市・月夜野町が両市に続くものの,その他の10市町村には1ないしは2店舗の立地がみられるにすぎず,その格差は大きい.各店舗の立地特性から,駅前に近接する店舗を「駅前指向型」,幹線道路に面する店舗を「幹線道路指向型」として立地形態分類をすると,両者の立地がみられるのは高崎市・前橋市・太田市・桐生市である.また,各店舗を利用者のレンタカー利用目的から,「レジャー中心型店舗」・「ビジネス中心型店舗」・「代車中心型店舗」・「複合型店舗」の4パターンに分類した.レジャー中心型店舗は北毛地域と西毛地域に集中しており,そのいずれもが1990年以降開設されたものである.ビジネス中心型店舗はJR高崎駅前とJR前橋駅前に集中している.代車中心型店舗は1988年以降に開設された新しい形態で,県央地域と東毛地域に立地している.複合型店舗は県央地域と東毛地域に立地している.4.地域的展開群馬県内において,県央・北毛・西毛・東毛の各地域によってレンタカー店舗の立地・利用形態には大きな差異が認められた.その差異をもたらした要因は,それらの地域が都市機能をもつ地域か観光機能をもつ地域かにあるといえる. 群馬県内における都市地域は,県央地域と東毛地域に広がっている.これらの地域は人口が多いことから,自動車に対する需要が高い.自動車同士による交通事故の発生を成立条件とし,地元住民が利用者の大部分となる代車中心型店舗は,県央・東毛両地域にのみ立地している.また,主として新幹線が停車することで,交通の結節点となり拠点性を発揮しているJR高崎駅前には,群馬県外からのビジネス需要に応えるビジネス中心型店舗が立地している. 一方,北毛地域や西毛地域は,都市地域的な要素が少なく,観光地域的な色彩が強い.両地域に存在する観光地の多くは,鉄道駅からさらなるアクセス手段を必要としている.そのため,両地域ではレジャー利用が主体となるレンタカー店舗がほとんどを占めている. そのレジャー中心型店舗は,地元住民の需要を主たる成立条件としていない.都市的機能を有しないこれら両地域では,その機能が成立の基本となるビジネス中心型店舗・代車中心型店舗は立地しえないのである.
  • 一ノ瀬 俊明, 大坪 國順, 王 勤学, 張 祖陸, 衣笠 聡史
    p. 109
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    黄河流域における地下水需要の現状把握と将来予測を目的として、当該需要を10kmメッシュで把握すべく、各種の手法開発を行った。米国軍事気象衛星による地上夜間光画像データDMSP/OLSの輝度値は解像度30”で中国全土をカバーしており、あらかじめ地級行政単位別に集計された輝度値で、出版統計に記載されている給水総量等の水資源需要データが説明できるのであれば、地級行政単位別に水資源需要推計のための原単位を作成し、黄河全流域水資源需要推計マップを作成することが可能となる(図1)。解析の結果、給水総量が増加すると輝度値も増す傾向が見られたほか、地域の水資源状況を反映するためか、類似の性格を示すと考えられる地域が似たような場所にプロットされた(図2)。一方、ここでは輝度値と給水総量に直線関係を仮定したものの、系統的な残差も見出せる。また残差をマッピングしたところ、明瞭な地域性の存在が伺われた。これらは水資源の逼迫度や降水量など、自然条件との関係性が深いと思われる。以上より、特定の事例解析都市において水資源需要量と夜間光強度との関係をピクセルベースで見出せれば、原単位を用い、黄河流域についてシームレスに水資源需要分布を与えることが可能となる。そこで、黄河下流の済南市における水資源需要マップの描画作業(解像度250m)を行った(図3)。ここでは、市政府所有の空間情報基盤(済南市政府遥感総合調査)を使用した。また市水利局の供水区別配水量データ(2000年)を利用し、原単位法で描かれた水需要分布とこの配水量が一致するよう調整を行っている。さらにこの高精度のマッピングにあたっては、原単位作成のため、居住者や事業者への広範なヒアリング、アンケートを実施している。その結果、統計では3.504×108m3/年とされている用水量の値が、実際には3.103×108m3/年に過ぎないことも明らかとなった。当該地域の輝度との関係性が一定見出せるのであれば、DMSP/OLSの輝度値を用いる手法の合理性が担保されるであろう。本研究は、文部科学省人・自然・地球共生プロジェクト「アジアモンスーン地域における人工・自然改変に伴う水資源変動予測モデルの開発」(代表・竹内邦良)の一部である。参考文献Ichinose, T., K. Matsumura, T. Nakaya, Y. Nakano, C. Elvidge, M. Imhoff : Estimation on regional intensity of economic activity in Asia: An application of nocturnal light image by DMSP/OLS, 2nd Workshop of the EARSeL Special Interest Group on Remote Sensing for Developing Countries, Bonn, 2002; (Proceedings)一ノ瀬俊明編:夜間光衛星画像データDMSPによるアジアの地域別経済活動強度推定,平成12年度_から_平成13年度科学研究費補助金研究成果報告書,2002
  • 河原 大, 矢野 桂司, 磯田 弦, 中谷 友樹, 宮島 良子
    p. 110
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    Iはじめに 京都では、その歴史と文化を継承し、持続的で活力ある都市の創造を目的に、行政・民間・大学などが、様々な取り組みを行っている。その中で、京町家は京都という都市の骨格を形づくってきた最も基本的な建築様式であり、京都のまちの歴史・文化の象徴として、現在もなお、多くの市民の住まいや仕事場として活用されている。京町家は地域の資源として大切に受け継がれ、その保全・再生を支援する市民活動は、近年ますます活発になっている(財団法人京都市景観・まちづくりセンター、2003)。そうした京町家への関心の高まりの中で、京町家の現状や実態を正確に把握することが急務となっている。
    II既存の京町家調査の概要 京都市は、都心部を対象に京町家の外観調査と住民へのアンケート調査を行った平成7、8年度市民調査「木の文化都市:京都の伝統的都市居住の作法と様式に関する研究」を基礎として、調査地域を拡大して平成10年度京都市「京町家まちづくり調査」を大規模に実施した(これらを第I期調査と呼ぶ)。これら2つの調査結果から、都心4区(上京区・中京区・下京区・東山区)で、明治後期に市街化していた元学区に含まれる範囲には、約28,000軒弱の京町家が残存していることが確認された(京都市,1999)。
     これらの外観調査では、町家類型、保存状態、建物状態などが悉皆調査され、その正確な位置が把握された。具体的な調査項目は、建物類型調査としては、1.総二階、2.中二階、3.三階建、4.平屋建、5.仕舞屋、6.塀付、7.看板建築、8.その他、を判別し、長屋であるか否か、また、1から3に関しては、昭和初期型(腰壁の素材として、石張り壁、タイル壁、人造石研ぎ出し、その他)の区別を行っている。
     そして、1から5の類型に関しては、伝統的意匠の保存状態として、大戸・木格子戸・木枠ガラス戸、虫籠・木枠ガラス窓、土壁、格子が残っているか否かを調べ、A「外観が全てそろっている」、B「いくつか残っている」、C「一つだけ残っている」、D「全く残っていない」、の4つのカテゴリーに分類している。さらに、全ての類型に対して、外観判断による構造上の建物状態として、い「そのまま今後も使えそう」、ろ「今後修理が必要」、は「今すぐ修理が必要」、の3つカテゴリーに判別している。
    III京町家モニタリング・システムの構築と追跡調査 これらのデータは、当時のGIS環境や、個人情報保護の観点から正確に1軒1軒GIS化し、データベースを作成し、それを維持管理していく計画はなかった。立命館大学文学部地理学教室では、21世紀COEプログラム『京都アート・エンタテインメント創成研究』の一環として、4次元GISとVR技術を用いた京都の町並みの景観復原を行う「京都バーチャル時・空間の構築」に関する研究を推し進めており(矢野ほか、2003; 2004a,b; Yano et al.2004)、その中で、京町家1軒1軒に関する詳細なGISデータベースを必要とした。そこで、河原ほか(2004)では、かかる既存の京町家調査のデータをGIS化し、第I期調査のデータベースの不備を可能な限り修正した。そして2003年度から、立命館大学文学部地理学教室は、(特非)京町家再生研究会、京都市都市計画局都市づくり推進課、(財)京都市景観・まちづくりセンターなどと密接な連携をとりながら、第I期京町家調査から約5年を経過した、追跡調査を2003年夏から開始した(第II期調査と呼ぶ)。そこでは、第I期調査の復原GISデータを基礎として、再度、外観調査を行い。京町家の存在の有無、保存状態、建物状態、空家か否か、事業活用、などを再調査し、京町家が消失した場合は、現在の用途をデータベース化した。さらに、第I期調査では確認されなかった京町家(新発見町家と呼ぶ)もあわせて調査した。対象地域は、京都市都心18元学区に関しては、3月に京都市都市計画局都市づくり推進課が約180名の市民ボランティアの協力を得て追跡調査・アンケート調査を実施し、立命館大学はそれ以外の第I期調査範域の追跡調査を行っている。この京町家モニタリング・システムは、第I期調査に、第II期の追跡調査が加わることにより、一軒一軒の京町家の情報とその履歴を記録するものである。ここでGISはデータの管理、調査地図・調査票の作成、そして京町家の分布および変化の分析に用いられている。このシステムの構築は、産官民学の協同事業であり、歴史都市京都の京町家を活用した都市再生に資するものとして、大きく期待される。
  • 渡邊 三津子
    p. 111
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    はじめに
    ユーラシア大陸中央部に東西約3000kmに横たわる天山山脈周辺では,活発な地殻変動が現在も進行中であることが地質学的・測地学的に明らかにされている。しかし,第四紀後期の地殻変動に関する地形面の変位などに基づいた地形学的研究は十分になされているとは言いがたい。
    本研究の目的は,中国新疆ウイグル自治区の天山山脈南麓地域における,河成段丘の分布を明らかにするとともに,その変形から第四紀後期の地殻変動について検討することである。
    地域概要と研究方法
    タリム盆地およびトルファン盆地では,天山山脈南縁に並行して,新第三系_から_第四系を変形させた活構造(活褶曲)が形成されている。天山山脈から流下した河川が,活褶曲の背斜部にあたる山地を開析して先行谷を形成するとともに,その中に複数の河成段丘を発達させている。また,向斜部には小盆地が形成され天山山脈起源の土砂で埋積されている。
    本研究では,最大地上解像度約3mのCORONA衛星写真を用いて河成段丘地形を判読し,地形分類図や活構造分布図を作成する。あわせて,判読結果をもとに,現地において段丘面の現河床からの比高等を調査し,当該地域における地形面の変形を明らかにする。
    結果と若干の考察_-_ディナ河およびクチャ河の扇状地の事例_-_
    CORONA衛星写真の判読によれば,ディナ河西方の背斜構造の縦断面形(図1,a_-_a'_-_a'')は,中央付近(a')が最も高く,a_-_a' 間で,開析扇状地面が上流側に逆傾斜している。また,開析度の違いから形成年代を異にすると考えられる河成段丘も同様の傾向を示し,高位の面ほど顕著な変形が認められる。このことから,ディナ河西方の背斜構造は,少なくとも河成段丘形成期以降も累積的に変位していると考えられる。
    また背斜の北縁b地点では,扇状地を形成した流路に直行する北向きの崖が認められ,開析度の異なる複数の地形面を変位させていることから,活断層と判断される。
    以上のような判読作業の結果,タリム盆地北縁のほぼ中央部に位置するクチャとルンタイの間を南流する,河川(クチャ河・ディナ河ほか)が形成した複合扇状地では,東西約100km,南北幅約5_から_10kmにわたって,河成段丘面を変形させた活構造が認められ,背斜縁辺部には活断層が分布することが明らかになった。
    本報告では,CORONA衛星写真の判読結果に現地調査によるデータも加えて,天山山脈南縁における河成段丘の変形について述べる。
  • 新津 潔, 一ノ瀬 俊明
    p. 112
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに近年重大な都市問題となっているヒートアイランド現象の解決策として、建物の屋上緑化事業に注目が集まっている。セダムを屋上面に植栽したオフィスビル(国立環境研究所地球温暖化研究棟;以降地球棟)の屋上緑化面上において、セダム植栽の有無と灌水が屋上の熱環境に与える影響を把握するために、放射収支、地中熱貫流および地中温度の長期観測を行った。2.観測の概要観測実施場所である屋上面は北側半分の平坦部分と25度の傾斜角度がついた南側半分とにわかれている。これは南風が吹送した際に風下側に発生する負圧を利用して建物内へ導風するためのデザインで、今回の観測は主として平坦部分で実施した。観測期間は2002年9月17日から2004年1月14日までの約17ヶ月間485日で、そのうち晴天日 は230日間となった。なお、2003年5月末まではセダムの養生のために灌水を実施したが、2003年6月以降は灌水を停止したため植生量が全体的に減少した状態で観測した。センサー設置場所への灌水の直接の影響はなく、灌水でセンサーが濡れることはなかった。植栽されているのはアルブム(Sedum Album)、サカサマンネングサ(Sedum Reflexum)、キリンソウ(Sedum Kamtschatium)、メキシコマンネングサ(Sedum Mexicanum)、タイトゴメ(Sedum Orzyiholium Makino)、マルバマンネングサ(Sedum Makinoi)、ツルマンネングサ(Sedum Sarmentosum)の7種類である。夏期には飛来してきたイネ科の一年草(いわゆるエノコロ草等)も自生していた。冬期には常緑のサカサマンネングサ、キリンソウ、マルバマンネングサは残ったが、夏期にもっとも多勢のツルマンネングサは枯死した。使用した観測機器は、短波長・長波長が上下それぞれ個別に計測できる放射収支計、熱電対、熱流板で、設置場所にはセダムの有無、また平坦か斜面かという条件を考慮した(表1)。3.観測結果と考察長期観測の結果から晴天日に関して以下のような成果が得られた。日中の正味放射収支量は暖候期にはおおむね400_から_600W/m2の範囲内にあり、寒候期では300W/m2前後となった。夜間の正味放射収支量は通年でおよそ-100から-30W/m2の範囲内にあるが、地中温度の高い暖候期には-50から-10W/m2の範囲内であった(図1)。正午のアルベドは季節によらずおよそ13から18%の範囲にあり平均して15%であった。地中熱貫流の観測結果(図2)から、植栽地、裸地それぞれで日中は下向きの熱貫流(図中明色)が観測されたが、裸地の方が最大で約5倍大きくなった。日没後は上向き熱貫流(放熱現象:図中暗色)が観測されたが、裸地の方が植栽地より急激で大きく、植栽地は緩やかで小さかった。植生が疎になると、植栽地と裸地との明瞭な差異はなくなった。植栽地の地中温度は日中裸地よりも低く(最大で約12℃)、夜間は逆に高くなった(約4℃)が、植生が疎になると温度差は減少した(図3)。夜間に植栽地と裸地の地中温度が逆転するのは、地中熱貫流の観測結果に見られるように、日没後に裸地で放射冷却現象が発生して地中の熱を急速かつ大量に大気中に放熱し、地中温度が植栽地よりも低下するためと考えられる。一方で植生が疎となった観測期間の後半には、植栽地と裸地の地中温度差は縮小した。地中温度の日較差は裸地よりも植栽地の方が小さく、日変化は緩やかであった。これらの結果から、セダムによる屋上緑化は表面温度を低下させ、且つ日変化が小さくなるため、日没後の放熱現象が緩やかとなり周囲の大気への影響を軽減することが期待できるが、植生量が減少するとその効果も低下する。本研究は環境省地球環境研究総合推進費B-56「環境低負荷型オフィスビルにおける地球・地域環境負荷低減効果の検証」 (代表者:一ノ瀬俊明)の一部として実施された。
  • 遠藤 幸子
    p. 113
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
  • 香川 貴志
    p. 114
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    本研究では、三大都市圏に次ぐ広域中心都市の大都市圏を事例地域として、バブル期前後における分譲マンションの供給地域の変化を解明する。対象地域は1995年国勢調査において設定された、札幌・仙台・広島・福岡(および北九州)をそれぞれ中心都市とする大都市圏である。 研究対象は1983_から_2003年の21年間に販売された民間資本の分譲マンションで、分析のための基礎データは不動産経済研究所が刊行した「全国マンション市場動向」各年版である。分析に際しては3年毎に立地時期を設けたが、その基準となったのが1989_から_1991年のバブル期である。 各大都市圏で観察されるバブル期(PB期)の最大の特徴は、中心都市の都心区(札幌市中央区、仙台市青葉区、広島市中区、福岡市中央区)における供給量の構成比が、大都市圏全体の中で相対的に低下したことである。その一方で、他の時期では供給実績が殆ど無い自治体においても、バブル期にはある程度の供給実績が認められる。 バブル期に中心都市の都心区が構成比を低下させていることは、いうまでもなく都心や都心周辺部の地価が暴騰した状況を反映しているが、バブル後、特に近年において再び都心区の構成比が上昇傾向にあることは、逆に地価下落を映し出した結果であると判断できる。地価下落は不景気の根源のようにマイナス評価を下されがちであるが、居住地の選択幅を広げたという観点に立てば、社会の成熟化を後押ししたとプラス評価することも可能であろう。
  • 清水 大介
    p. 115
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに モータリゼーションの進展により、乗合バスの地位は年々低下している。その結果、地域交通確保のため各自治体は様々なバスサービス(廃止代替、スクール、福祉など)を実施し、最近では自主運行バスも多い。しかし、廃止代替、自主運行バスなどに関する個別の研究は散見されるが、地域交通確保のための各自治体の対応という視点から、バスサービスを都道府県レベルで捉え、運行当初からの変化を時系列的に、また運行にかかわる法的枠組みとの関連から検討した地理学の研究は見られない。そのため、本発表では、地域交通確保のため市町村が運営・企画に関与し利用者が限定されないバスを、運行主体にかかわらずコミュニティバスと定義した上で、コミュニティバスの開設経緯、運行形態、問題点などを明らかにすることを目的とする。2.研究対象地域及び方法 研究対象地域とした埼玉県は、_丸1_旅客輸送に占める乗合バスの分担率が全国平均に近い_丸2_県内に過疎化地域、都市化地域など多様な地域が認められる_丸3_自治体数が90と多いため地域特性に応じた様々な対応が想定される、以上3点の理由から選定した。研究方法としては、県内各自治体ホームページ及び県交通対策課資料などによりコミュニティバスの運行が確認できた61自治体/団体(以下、単に自治体と表記)について、_丸1_開設経緯_丸2_運行形態_丸3_問題点を探るためのアンケート調査(一部自治体にはアンケート内容を含めた聞き取り)を実施した。その結果、56自治体から回答を得た(回答率91.8%)。また、県交通対策課及び国土交通省関東運輸局旅客第一課への聞き取り調査も行なった。本発表では、開設経緯と運行形態に関するアンケート結果を中心に報告する。3.結果と考察 埼玉県におけるコミュニティバスは、1972年の両神村での運行を嚆矢とする。その後、90年代前半までに運行を開始した自治体は、バス事業者が赤字のため撤退した路線を引き継ぐ廃止代替バスが大部分で、県西部の山間地域での運行が多い(道路運送法80・21条該当)。そのような中、80年代前後からは、県東部の平野地域でも、バス運行を行なう自治体が少数だが認められる。これらは、域内の交通空白地域と公共施設とを結ぶ自主運行バスで、主として高齢者など交通弱者の利用を念頭に置いている。そのため、曜日限定の運行形態で、料金も無料の場合が多い(4条貸切)。そして、90年代中葉以降には、県内各地で自主運行バスが急増する。都市化の進展した県南部では、狭隘部の存在などにより交通不便地域となっていた地区と公共施設や駅を結ぶものが多く、受益者負担の点から料金は有料の場合が多い(4条乗合・80・21条)。なかには、運行時間帯や本数の面で、地域交通確保というよりは公共交通として位置付けられるほどに充実している事例もある(4条乗合)。一方、県東部・北部では依然として交通弱者を念頭に置いた運行が多く(4条貸切)、廃止代替バスの運行も見られる(80・21条)。しかし、近年ではニーズに合わせたルート変更などにより、徐々に充実した運行を行なう事例もある(4条乗合・21条)。
  • -大阪府千里ニュータウンを事例にして-
    長谷川 達也
    p. 116
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに バブル崩壊以降、民間企業では様々なかたちで合理化が行われており、従業員の福利厚生施設として供されてきた寮や社宅などの給与住宅もその例外ではない。給与住宅の場合は、従業員の合理化とも密接に関係しており、給与住宅の統合や廃止、さらには売却というかたちで合理化が行われている。大都市圏内に立地する給与住宅は、生産施設として扱われる鉱山社宅などと異なり、都心通勤の住宅困窮者に対処するために建設されたものが多く、比較的アクセスのよい場所に立地する傾向がみられる。たとえば、東京都世田谷区では、1990年代の約10年間に民間企業が保有する給与住宅の36_%_が別の用途へと変更されている。そして、そのなかの半数ちかくはマンション・アパートなど中高層住宅への転用や建て替えであった。建て替えを伴うものについては、都心へのアクセスのよさだけでなく、もともとの給与住宅の敷地面積の広さが中高層住宅への転用を促進している理由であると考えられる。住宅供給の点からみても、民間企業による給与住宅地の放出は、量的に決して無視できるものでなく、近年顕著にみられるようになった都心回帰や都心居住といった諸現象に少なからず寄与しているといえる。そこで、本発表では、給与住宅地の近年の変容について、大阪大都市圏を例にして明らかにしたい。研究対象地域として、計画的住宅地である大阪府の千里ニュータウンを選定した。一般市街地である東京都世田谷区を例にした同様の調査結果と比較も行いたい。 2.千里ニュータウンの概要 1962年にまちびらきが行われた千里ニュータウンは、大阪府吹田・豊中両市にまたがる総面積1,160ha人口150,000人という、日本初の大規模ニュータウンとして計画され、1960年から69年という短期間に建設された。現在、千里ニュータウンは、まちびらきからすでに40年が経過しており、居住者の高齢化、初期に建設された公営・公団などの中層住宅の建て替え、戸建分譲住宅地の細分化など住に関する多くの課題を抱えている。これらの課題については、さまざまな方面からその対策をふくむ調査研究が盛んに行われている。しかしながら、給与住宅地の売却や変容については、課題の一つとして認識されているものの、前述した課題ほど大きく取り上げられていない。3.千里ニュータウンの給与住宅地の変容 千里ニュータウンは全体を12の住区に分割し、それぞれに府営住宅、公社住宅、公団住宅、一般分譲住宅、給与住宅地を配置している。最初の給与住宅地の分譲は、1962年にニュータウン北部の古江台地区から行われた。その後、ほかの地区でも順次給与住宅向けの分譲が行われた。結果、1970年までに約6,400戸、最終的には約7,500戸が建設されている。給与住宅地は、他の住宅同様にほぼニュータウン内全体に立地しており、給与住宅世帯の全世帯に占める割合は、1980年の国勢調査によると9.5_%_であった。2002年の国勢調査の結果では、給与住宅世帯の全世帯に占める割合が5.4_%_とおおきく低下している。各年の住宅地図および現地調査より、企業名および団体名が確認できた給与住宅は計187件であった。このうち公的機関によるものを除き、民間企業によるものを抽出するとその数は113件であった。これらの給与住宅地について、最新の住宅地図を用いて給与住宅以外の用途に変更されたものを抜き出すと、全体の63_%_にあたる計71件を抽出することができた。これらのなかで、中高層住宅以外の用途へと変更されたものはごくわずかで、ほとんどが建て替えを伴うマンション・アパートの中高層住宅への変更であった。これら給与住宅の建て替え時期は、1999年以降が全体の73_%_を占めており、このことからも企業による給与住宅地の放出が2000年前後に急速に進んだといえる。東京都世田谷区と比較すると、千里ニュータウンでは中高層住宅に変更された給与住宅の割合が高くなっている。その理由としては、ニュータウンという住環境のよさから潜在的な住宅需要が高いこと、バブル期の第2次社宅ブームに新たに建設された給与住宅が少なく、多くが建設後相当年数を経た建物であることから建物の更新が促進されたこと、などが考えられる。 4.おわりに 千里ニュータウンでは、都心回帰による住宅需要、企業の合理化が今後も続き、給与住宅の中高層住宅への建て替えが一層進むと予想される。千里ニュータウンでは、中層住宅の建て替えによる高層化が住環境の破壊につながるとの意見があり、住民間の対立が懸念されている。給与住宅地も、高層化を伴う建て替えが多く、同様の問題が顕在化する可能性がある。したがって、千里ニュータウンの場合、給与住宅地の変容については、まちづくりの観点からも考察を深めていく必要があろう。
  • 太田 健一
    p. 117
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに大雪山国立公園では,近年の登山ブームによる登山客の増加により,土壌侵食による登山道の荒廃が問題となっている.これまで,後藤(1993),渡辺・深澤(1998),沖(2001)らの研究によって登山道における土壌侵食のメカニズムや,侵食に影響を与える環境因子との関係が解明されてきた.それにより,登山道のきめ細かな維持管理の必要性が議論されるようになった(沖,2001)が,国立公園内全域に渡る登山道の現状把握調査や適切な侵食対策に関する議論はまだ行われていない.そこで本研究では,大雪山国立公園の中でも多くの登山者が利用すると思われる,旭岳,間宮岳,裾合平,沼の平,愛山渓を結ぶ登山道の侵食状況を明らかにし,適切な侵食対策について考察を行った.2.調査地と方法調査地である大雪山国立公園は,北海道の中央に位置し,総面積226,764 haにおよぶ日本最大の国立公園である.調査は2003年8月_から_9月にかけて行った.調査対象地域は,旭岳ロープウェイの終着駅がある姿見を起点として,姿見_-_旭岳山頂_-_裾合平_-_間宮岳山頂_-_沼の平_-_愛山渓を結ぶ登山道約12 _km_とした.この登山道は標高1230 mから2185 mに位置する.この登山道上のほぼ100 mおきにプロットを設置し,各プロットにおいて登山道の両側にアルミアングルを打ち込み,登山道の形状を測量した,測量は,近年,注目を浴びているデジタル写真測量を行った.これは,写真測量の応用で,_丸1_市販のデジタルカメラを用いて被写体を2方向から写しこみ,_丸2_得られたステレオ写真を三次元計測ソフトに入力し三次元座標計算を行い,_丸3_登山道の三次元モデルを作成して断面図を出力し,断面積を求める,という方法である.この測量法は,_丸1_ある区間の侵食量を体積で示せる,_丸2_高い精度が期待できるという利点がある.本研究では,多くの三次元計測ソフトの中でも最も信頼性が高いといわれている倉敷紡績株式会社製の三次元計測システムKuraves-Kを使用した.次に,現地踏査および地形図を用いて登山道が位置する斜面形を谷形斜面,平滑斜面,尾根形斜面の3タイプに区分し,さらに登山道の横断面形をその形態的特徴から平型,ガリー型,谷型,複合型の4タイプに区分した,3.結果と考察 調査の結果,AからHまでの8コース計108地点についてステレオ写真が得られた.それより,Kuraves-Kを用いて各プロットの侵食量を求めた.侵食量は,登山道の両側にあるアルミアングル同士を結んだ線を中心として,登山道の平面図上にアングル幅×1 mの方形区を想定し(図),方形区内における登山道側面の植生と裸地の境界から下の部分の体積を登山道の侵食量として算出した.その侵食量は最大で3453657.4 _cm_(裾合平,D-10),最小で1248.6 _cm_(沼の平,G-10)であった.B,C,Dコース(裾合平_-_間宮岳)において侵食量が大きく,A,Gコース(旭岳,沼の平)において侵食量が小さい傾向が示された.また,コースごとに登山道幅と侵食度合い(侵食量/断面積)を平均し散布図を作成したところ,F,Hコースは登山道幅が狭いにもかかわらず侵食を受ける強度が強く,B,Cコースは登山道幅が広い上にある程度の侵食を受けやすいことが示唆された.これらの登山道には早急な対応策が必要である.
  • 山根 拓
    p. 118
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ 問題の所在 コペンハーゲンCopenhagenは,9世紀頃に起源を有し,荘園領等を経て16世紀以降はデンマークDenmark王国の首都として発展を遂げた。18世紀中盤まで,市街地は塁壁に囲まれた地区に留まった。数度の大火の後の修復や新築を経て,また1878年以来の都市計画に影響され,旧い歴史的建造物と新しい建造物が街路に連なり現代の都市景観を形成した。その場所を逍遥した時に感じられるのは均整のとれた景観の美しさであり,それは従来,日欧都市の比較論の中で,欧州都市について指摘された特性の一つであった。今報告ではこの特性に注目し,主に建築学的基準からコペンハーゲン中心部の街路景観の構成上の特性を記した上で,デンマークの都市計画とりわけ「ローカルプラン」の内容を検討し,その景観形成との関係を論じたい。_II_ ストロイエの景観構成ストロイエは「主要なショッピングストリート」を意味し,全長約1.2kmの北欧随一の繁華街であり,コペンハーゲンの都心にあるコンゲンスニュトウからロズフスプレイズまでの一連の街路や広場から成る地区である。それは1960年代初期に歩行者用街路として命名され,以後,路面・広場の改修等が進められた。こうした中心市街地の都市景観=街並みの構成上の美観は,沿道建物における,高さやその壁面の位置(壁面線)の統一性,ファサードのデザインコントロール,看板等の二次輪郭線の配置等により評価される(佐々木,1998)。これらの点からストロイエの景観を見ると,まず,建物の高さは,その最上部には瓦,緑青吹き銅板,スレート等による傾斜屋根や尖塔,屋根裏部屋の突出等,様々な形態と高さの相違を示しつつも,全般に4_から_5階建の建築物が連なることで,ほぼ統一されている。また,その壁面線も概ね揃っている。次に,ファサードは,都心商業地区であるために,ショーウィンドウ等を伴う1階部分と2階以上の部分との間にデザインの差異が見られる場合が多い。ファサード全体は,この都市の歴史を反映し,オランダルネッサンス様式やユーゲント様式,それに折衷主義や国際的モダニズム等,様々な手法で構成される。材質的にはレンガ,石,コンクリートあるいはそれらの複合により構成され,色彩的にはレンガや石の材質の地色の他,青や赤等の多様な塗色も見られる。繁華街ゆえに看板やサインの種類も多様であるが,日本の繁華街に比較すれば,全般に抑制的である。ストロイエの景観はこのように評価されるが,全般的に見ると,建物の高さや壁面線の統一を通じて,個性的な個別の建築物が調和的に構成され,一体的な景観を形成していると言える。_III_ 景観形成とローカルプランデンマークの地域計画は,階層的な行政組織(中央政府・カウンティ(アムト)・基礎自治体(コミューン)・各街区)に対応して,国土計画,地域計画,コミューンプラン,ローカルプランに分かれる。上位計画が下位計画を枠付ける中,最小の街区レベルで詳細な景観構成を規定するのはローカルプランである。これは市議会で決定されるが,立案過程には住民が積極的に関わる。ストロイエのローカルプラン計画書“Lokalplan Nr.152”(1990年)で,当該地区の景観構成に関わる規定を見ると,都心的特徴を持つ商業街区の維持が本計画の目的である旨がまず示され,その上で,低層階の用途(顧客向けサービス業への限定)や建物の外観構成基準(資材・造形・色等の地域・近隣特性との一致,街路ファサードの適切な垂直・水平分割への適応,窓等の改変時のファサード表現との調和,複数建物に連なるファサードデザインの禁止,ショーウィンドウ設置の必要性,標識・広告・照明・日よけ・ショーケース等の適切な設置等)について規定されている。これらの規定が,現実景観に反映されていることは現地観察から感得されるが,上述の諸規定は厳密な数値目標ではなく,その効果を「客観的に」示すことには困難を伴う。なお,国がリストアップした歴史的建造物はローカルプランの対象外となる。ローカルプランのもう一つの要点は,ファサード等の改変の際に,建物所有者の意向が尊重される一方,当該計画の内容に関して必ず市当局がチェックを行うことである。実際には市の建築家が景観に対する当該計画の適性を判断するのであるが,その行為を通じて,「専門家」の持つ微妙な暗黙の景観美意識が表出する。
  • 木庭 元晴
    p. 119
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    サヘート・マヘート周辺の氾濫原について,十数カ所で深さ2m程の手掘りによるトレンチ調査を実施した。さらにラプティ川の河岸の自然断面の観察と試料採取を実施した。 採取した試料は粒度分析と構成鉱物の鑑定を実施する予定であるが,「水漬きレス」と考えた堆積物の粒度組成や構成物はフィールドでの観察ではいわゆるレスに酷似している。この堆積物は現在でもレンガの材料として周辺各地で採鉱されている。 トレンチや河岸の露頭でカンカールの層位を認め,離れた3カ所で採取した。この放射性炭素年代測定値も報告する予定である。カンカールの形成期の存否を求める資料となるだろう。このカンカールはヒンドスタン平原で広く知られている。 レンガの原料となる地層はヒンドスタン平原に広く分布しているようであるが,これを「水漬きレス」とした報告を報告者は知らない。世界のレスの分布図には少なくとも掲載されていない。ヒンドスタン平原での「水漬きレス」の分布は当然のことなのかどうか,お教え頂ければ幸いである。なお,このレスの由来は西方のタール砂漠と考えている。 氾濫原での出現形態と考古遺物との関係から明らかにこの「水漬きレス」は完新世の堆積物である。 なお,添付した写真は,ラプティ川岸の露頭である。洪水堆積物と「水漬きレス」層の互層が認められた。洪水堆積物には明瞭な層理が認められる。「水漬きレス」層には層理は認められず,主要構成物の石英はかなり角張っている。
  • 山口県東和町を事例として
    助重 雄久
    p. 120
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    I はじめに
    わが国では1991年4月のオレンジ輸入自由化に向けて「かんきつ園地再編対策事業」が実施され、不適地の淘汰が図られた。また各産地では高糖系温州ミカンや中晩柑への品種・系統更新が進められた。しかし、柑橘類の価格は1990年代以降も低迷し、生産者の柑橘離れは加速した。とりわけ、高齢化が進む瀬戸内海島嶼部では栽培面積・生産量が急減し、市場出荷に必要な量を確保が困難になった産地も多い。
    本研究では瀬戸内海島しょ部でもっとも高齢化が進んだ柑橘産地を事例とし、高齢生産者による柑橘栽培の衰退過程を考察した。また、高齢者が栽培を縮小または中止する契機となる要因についても検討した。
    II 研究対象地域の概要
    研究対象地域に選定した山口県大島郡東和町は2000年国勢調査での高齢化率が50.6%と全国の市町村でもっとも高く、柑橘生産者の平均年齢も70歳前後に達している。同町は西南日本では数少ない普通温州の銘柄産地で、1960-70年代には「マルトウ」ブランドの普通温州が京浜市場を中心に高値で取引されていた。また普通温州の価格暴落後は宮内イヨカンや青島温州への転換を進め、大都市市場主体の出荷体制を維持してきた。
    III 研究方法
     報告者は1992年に15集落96戸が柑橘類を栽培したことのある園地について栽培品種の変化や更新年、位置等を記録した園地履歴データベースを作成した。その後も追跡調査を行い、高齢生産者の生存率が比較的高い4集落の31戸148園地(計2,287a)について履歴データを更新した。本研究では、この履歴データをもとに栽培品種の変化や品種・系統更新の実施時期、廃園の実施時期、廃園の空間的拡大パターンなどを検討し、それらと生産者の年齢、災害等の発生時期、高齢生産者の死別時期等との関係を考察した。
    _IV_ 結果の概要
    1)品種・系統更新の状況
     70歳前後までは品種・系統更新への意欲をもつ生産者が多かった。夫と死別し週末農民などもいない女性生産者が多い小泊集落では1995年以降品種・系統更新がほとんど行われなくなった。いっぽう、内入集落は高齢ながらも夫妻が健在の農家や、定年退職後のUターン者、週末農民が多いことから、1995年以降も他の集落に比べ品種・系統更新が多く行われてきた。
    2)廃園の進行過程
    廃園は1972年の価格暴落直後から拡大したが、当初は不適地淘汰が中心であった。しかし生産者の高齢化が進むにつれ柑橘栽培に適している山腹斜面でも廃園が急増した。1990年代後半以降は木を伐採しないまま耕作放棄したり、廃園地の除草を怠ったりする者も増え、「廃園から雑草が侵入し除草が追いつかない」、「周囲が廃園なので園内で倒れたら誰も気づかない」という理由で栽培をやめるケースも増えた。
    3)栽培の縮小・中止に結びつく要因
    高齢者が栽培を縮小または中止する契機になる要因としては、上述した夫との死別や園地周辺の廃園増加のほか、以下のような点があげられる。
    ・大規模災害…1991年の19号台風で柑橘が大量に枯死。これを契機に栽培を中止した農家も多かった。
    ・光センサー選果機導入による選果基準の厳格化…高齢者の多くは光センサーをクリアできる品質を維持するために必要な防除作業やマルチの敷設などが行えず、生食用として出荷できない果実が大量発生。果実から得られる収入が減少し、柑橘栽培への意欲が低下した。
  • 神田 孝治
    p. 121
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    【1 はしがき】 本発表では,戦前期における沖縄観光の成立とそれに関連した諸問題について,沖縄の心象地理に注目して検討する。特に,権力の問題が深く介在する心象地理に焦点をあてることで,沖縄観光が当時の沖縄を取り巻いていた文化・社会的コンテクストとどのように関係していたかを考察する。【2 沖縄観光の成立と心象地理のアンビバレンス】 1874年にはじまる沖縄の海運交通の近代化は観光客を漸次増加させ,特に1937年に大阪商船が2隻の大型客船を就航して神戸_--_那覇間を2泊3日で接続し,それを記念した「沖縄視察団」が組織されるようになると,沖縄観光が実質的にスタートした。 ただし,第1次大戦後の沖縄は蘇鉄地獄と呼ばれた大困窮時代を迎えており,1930年発行のある紀行文では,沖縄は観光に不向きな貧乏と殺風景の土地として描かれていた。またその貧困の理由が,当時は亜熱帯の悪環境が関係しているという環境決定論によって語られていた。 その一方で,1935年発行の他の紀行文では,その観光地としての可能性が提唱され,大阪商船の大型船が就航した1937年頃には,蘇鉄地獄から多様な観光客が訪れる観光沖縄に変化した事が報じられるようになっていた。この観光地としての沖縄は,南国楽園としての心象がしばしば語られており,大阪商船の当時の観光パンフレットでも南国のエキゾティシズムが宣伝されていた。このように,沖縄には貧困・悪環境と同時に楽園としても考えられたアンビバレントな南国の心象地理があったが,観光の発達によって,その主たるものが前者から後者へと変化したことが認められた。【3 女護が島幻想と辻遊廓の観光空間化】 当時の沖縄への観光客の多くは男性であり,沖縄には与那国島の女護が島幻想に代表される女性的なエロティシズムの心象がしばしば喚起されていた。この幻想は主に那覇市内の沖縄女性へ向けられ,なかでも辻遊廓が女護が島と呼ばれて,そこに頻繁に観光客が訪れるようになっていた。この辻遊廓は,琉球王国時代には,中国からやってくる冊封使及び随行者,そして薩摩藩から派遣された奉行及び役人が,その主たる外客の消費者であったが,それが近代期には観光客に代わっていたのである。 また,沖縄や辻遊廓に投影された女性のエロティシズムの心象地理は,熱帯を悪環境と考え,そこに住む女性を動物的・野蛮・淫らな人種と捉えるなかで生み出されていた場合があることが確認された。これらから,男性観光客のエロティシズムの欲望が投影された沖縄の心象地理は,エキゾチックで楽園的な心象と,低位の他所の野卑な心象が混淆することで,より彼等にとって魅力的なものになる傾向があったことが見出された。【4 沖縄観光と日本民芸協会同人の沖縄団体旅行】 また当時の観光客は,沖縄の文化・芸術にも大きな関心を有しており,それには柳宗悦を中心とする日本民芸協会の活動が大きく影響していた。 沖縄工芸に関心を持つ柳宗悦は,1939年3月末から日本民芸協会会員による約2ヶ月間の沖縄団体旅行を実施した。柳は,差異を求める観光客的なまなざしを有していたが,彼は自身を「気まぐれな旅行者」ではなく,「勤勉な探究者」であると自己形象していた。他の民芸協会同人も,沖縄の芝居に比べたら辻遊廓は末期的であるとし,「観光客」であることを否定していた。彼等のこのような考え・自己認識が,新しい観光客のまなざしを生産し,文化・芸術に憧れる沖縄への観光客誘引の一助になっていた。 さらに,1939年末からの第2回の沖縄団体旅行では,映画関係者,写真家,百貨店の販売関係者,そして観光業関係者などが加えられ,また沖縄観光協会と郷土協会主催の「沖縄観光と文化を語る座談会」にも参加するなど,沖縄の観光振興への協力が明確に企図されていた。ただ,この座談会では,二人の観光業関係者が沖縄県の標準語運動に異議を唱えたために,彼等は沖縄県側と対立することになった。真正な日本を沖縄に求める柳も,沖縄県人はアイデンティティを沖縄に求めるべきだと主張し,本土化を志向する沖縄県側と,アイデンティティを巡るポリティカルな争いを巻き起こし,またその発端となった観光(客)も同じ対立の構造に置かれることになった。 他にも,地名呼称の問題や,亀甲墓の存廃問題について,沖縄人のアイデンティティの問題が観光に密接に絡まり合うなかで,観光客と沖縄県住民では,全く異なる認識・方向性が存在していたことが確認された。
  • 秋本 弘章
    p. 122
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 近年、高度情報社会の進展は著しい。それは単にコンピュータ等の機械が発達したということを意味するのではない.社会のあり方が大きく変わろうとしていることが重要である.教育の情報化政策は、児童・生徒にこうした変化の激しい時代に主体的に対応できる「能力」すなわち「情報活用能力」を身につけさせることを目標としており,そのための具体的な施策が,学校の情報環境の整備と情報設備等を活用した授業をおこなうことのできる教員の養成などとして示され,予算措置等もおこなってきた.教育制度面では,高等学校では必修普通教科として「情報」が設置されるなど情報化への対応が図られている.しかし,「情報活用能力」の育成はそれのみに依存することはできない.各教科・科目の学習内容の中で培われるものであるという認識が示されている.今日では、学校における情報環境の整備はほぼ目標の水準に達しており,約8割の教員は一定レベルの情報機器活用能力を備えている.今後は,積極的に情報環境を活用した授業を構築することが期待されている.そのための方策が試みられている.2.地理教育の教育方法、内容の変化と情報化 高度情報化社会の進展は,すべての教科・科目についてその内容や方法に大きな変化をもたらそうとしている.すなわち,高度情報社会においては,必要とされる「情報」はますます増大する.しかし,学校教育の中で必要な「情報」のすべてを扱うことは不可能であるし,「情報」の陳腐化も早い.こうした社会では,普遍的・基礎的な「情報」を「知識」として定着させることと必要に応じて「知識」を獲得ししていく方法を学ばせることに教育上の力点が置かれることはある意味で当然であろう.こうした方向性が,「自ら学ぶ力」と「基礎基本の定着」・「見方・考え方の重視」と表現されるのである.近年の学習指導要領における「地理教育」の改変は,基礎基本の内容や学習構成上の疑問があるにしても,こうした流れに沿っているということはできる.地理の授業においては,特定の地域を写真や地図、統計などを用いながら具体的に読み解いていく活動とともに,生徒の興味関心等をひきだすことが求められている.そして,授業以外の場を活用して広範な知識を身につけさせる学習活動をさせる必要がある.身のまわりの地域であれば,野外観察など体験的な学習が効果的であることは言うまでもないし,従来の地理学習においても重視されてきた.一方,直接体験できない地域の学習では,「情報」と「情報取得手段」が限られていたこともあって,すでに整理された情報を「知識」として伝える学習が主体であった.しかし,今日では,インターネット等を通じて入手できる「情報」も少なくないうえ,それらは教員も生徒も等しく利用できるのである.授業においては,直接体験地域の学習と同様に,「情報の入手」「分析」「理解」「表現」「知識化」といった一連の流れを構成することが可能になる.また,「情報獲得手段」の改善と「情報」の増加は,授業以外の学習機会の増加にもつながっている.地理教育において,「授業」と「授業以外での学習」を振り分け,それらを効果的に結び付けるために,「IT機器」と「情報」の活用が欠かせないのである.3.GISの役割と教育上の意義 地理教育の「基礎・基本」と「見方・考え方」の双方にかかわる内容に「地図」があることは異論がないであろう.しかし,従来地理教育のなかで,「地図」が十分扱われてきたとは言いがたい.GISの出現で,一般社会において「地図」の意義が再認識されている今日,学校教育においてもGISの利用によって,その改善が期待されている.とはいえ,GISを単にコンピュータが扱う「地図」としてとらえるならば教育上の意義は限られる.むしろ,GISの機能に着目し教育上の位置づけをすることで,教育現場で有効に活用できるであろう.GISにはいくつもの機能がある.GISの情報伝達・共有機能は,地理以外の教科・科目等の学習活動でもさまざまな利用が可能である.一方,GISの「場所」と「情報」を関連付けて整理する機能は,情報」を「知識」に変化させるために不可欠なプロセスとして,地理教育の上で重要な概念を含んでいる.また、GISの空間解析機能は「地理的見方・考え方」と密接な関係を持っている.これらのGISの機能には従来地理教育でおろそかにされがちであった「態度」の育成への手がかりがあることが重要である.すなわち、地理教育において「GIS」は、教育全体の方向性との関連で位置づけをおこなった上で,具体的な活用方法を考えていくことが大切であると思われる.
  • -山口県周南市三丘地区を事例として-
    増山 雄士
    p. 123
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    環境の変化や開発などにより多くの生物がその生息環境を追われ,時には絶滅さえしてしまうものも近年では稀ではない。特別天然記念物指定されている山口県の「八代のツルおよびその渡来地」(以降八代地区)は最高羽数300羽以上を誇った本州唯一のナベヅル越冬地である。当地域では,住民の手厚い保護のもと越冬環境が長い間維持されてきたが,近年ではナベヅル越冬数が減少し続け昨シーズンはついに11羽となった。
    本発表で取り上げる山口県周南市三丘(以降三丘地区)は,ツル越冬数が100羽を超えていた時期に八代地区以外のツルの餌場としてよく利用されていた地域である。当地域では天保年間に編纂された『防長風土注進案』にも見られるように古くからツルがいたことがわかっているが,90年代前半にツルの越冬利用が見られなくなって以来利用されていない。
    2.研究目的
    ナベヅルの減少理由として現在,環境の変化(悪化)・ねぐらの減少・他地域(鹿児島県阿久根地方)への吸収・各個体の縄張り強化による離脱などの理由があげられている。本研究では越冬数が減少し続ける八代地区に対し,越冬数減少が始まった初期段階で大きな影響を与えたと考えられる環境の変化,特に越冬期に遊動域として利用される水田環境の変化を三丘地区を中心に主に戦後から時系列的に考察し,どのような原因でツル越冬数が減少したのかを明らかにすること,さらには現在進められているナベヅル越冬地分散計画に際し,環境変化を考察した結果を踏まえ現在の環境をいかにツルが越冬しやすい環境へ改善するかを導き出す基礎データを作成することを最終目的する。
    3.研究方法
    詳しい水田環境を検証するために,耕地整理等で変化した水田区画を復元し,それぞれの区画ごとにどのように変化していったかその推移を検証する。具体的な研究手順は,1980年作成の熊毛町管内図(1/2500)をベースに基本となる水田区画を作成,さらに1962年撮影の空中写真を使用し,古い水田区画を復元する(図1)。そこで復元した水田区画に対し,聞き取りによりそれぞれの水田区画ごとの状態(湿田・乾田,二毛作地域など)を再現,面積比率を算出し,ナベヅル関係の報告書等から実際にツルが越冬利用した範囲とあわせ検証する。
  • 香川 雄一, 除本 理史, 山内 昌和
    p. 124
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに 前回の発表(日本地理学会2003年度秋季学術大会「川崎臨海部における漁業者の合理的選択」岡山大学)において、川崎臨海部の地域環境問題における漁業者の役割とその変化を報告した。今回は漁業者による漁業権放棄への意思決定に注目し、資料等からいかにして川崎の臨海部が漁場から工場用地へと変化したかを解明する。とくに漁業権の放棄過程において川崎漁業協同組合内部でどのような動きがあったかを明らかにすることが研究課題となる。当時の事情を詳しく知る人物は少なくなっているなかで、資料調査によって漁業権放棄の参考となるものを発見できた。まず川崎市市民ミュージアム所蔵「川崎漁業協同組合資料」が挙げられる。昭和20_から_30年代を中心に漁業組合の重要資料が収録されている。川崎の漁業は海苔養殖が中心であったため、業界紙である昭和23年創刊の「海苔タイムス」から関係記事を収集した。さらに漁業権放棄の政治過程を追認するために地方新聞から事実関係を確かめた。_II_.昭和30年代の埋立事業 川崎の臨海部はすでに戦前において埋立事業が実施されていた。ところが第二次世界大戦の影響によって事業が中止されてしまった。戦後復興のなかで臨海部の工業地帯造成が再開されることになり、新たな漁場の喪失が問題となった。そもそも浅海漁場に適した遠浅の海面は、臨海工業地帯としても好適な埋立の立地条件を備えていた。埋立事業の実施にあたって漁業へ及ぼす影響は避けられない。工場操業後の公害問題も影響のひとつであるが、まずは埋立工事による漁場の喪失が直接的に漁業者への打撃となる。戦後復興期において漁業も生産を拡大しつつあっただけに、漁家収入の減少は漁業補償という形で補填されることになった。_III_.漁業補償交渉 漁場の一部はすでに戦前の埋立において補償されているので、漁業から転換するときのための漁民の生活補償が中心的な課題となった。事業主の神奈川県は転業までの数年程度の補償を考えていたのに対して、漁業協同組合は後の生活費までを補償基準と考え、金額差は大きく開いた。県、川崎市、組合間の会談は数度にわたって開催され、県議会議員や市議会議員も補償問題に介入した。漁業組合側は生活補償として要求した金額が高過ぎたと判断し、歩み寄りの末、昭和31年10月9日に交渉は妥結した。この時期、海苔養殖のシーズンは始まっており、漁業補償の問題は解決したとはいえ、同じ漁場で海苔養殖を続けた業業者もいた。こうして川崎臨海部の戦後における埋立事業は漁業者の補償問題を終え、本格的な埋立地造成へと進んだ。_IV_.漁業権放棄をめぐる意思決定 「川崎漁業組合協同資料」から組合内の意思決定の一端が理解できる。定款や名簿、幹部構成といった組織体系をあらわす資料は漁業権放棄をめぐる意思決定を読み解く上で参考となる。漁業者のうちでも漁業を継続する意思があるかどうか、後継者がいるかどうかによって漁業権放棄への態度も異なることが予想される。川崎においては戦前において埋立事業が始まり漁業補償も受けていた。戦後漁業は隆盛へと向かうが、高度経済成長期に突入すると工業化の波は避け難く、残った漁業者も昭和40年代の漁業権放棄によって転業を余儀なくされた。そのなかで漁業補償交渉を優位に進めることが唯一の抵抗手段であった。
  • 地理学評論とアメリカ地理学者協会年報の分析
    矢ケ崎 典隆
    p. 125
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     日本の地理学研究者は何歳ころに論文生産性が高いのだろうか。この疑問に答えるために、『地理学評論』について検討を行った。分析の対象としたのは1984年から2003年までの20年間で、この間に掲載された論文について執筆者の年齢を学会名簿に基づいて判断した。連名論文の場合には筆頭著者で代表させた。論説、短報、総説、展望、特集号論文として掲載された日本語論文および英文誌の英語論文は合計983であり、学会名簿から年齢の把握が困難であった37論文を除いて、946論文(和文は725論文、英文は221論文)を分析対象とした。また、日米を比較するために、『アメリカ地理学者協会年報(Annals of the Association of American Geographers)』について同様の検討を行った。Articleとして掲載された554論文のうち、学会名簿から執筆者の年齢を把握することが困難であった89論文を除いて、465論文を分析対象とした。 地理学評論では、20年間における論文執筆者の平均年齢は37.9歳であり、年毎の平均年齢は34.0歳と44.0歳の間で推移する。執筆者の年齢は24歳から77歳までの範囲にあるが、最も多かったのは29歳の執筆者である。20代の執筆者は995論文の27.2%を占める。30代の執筆者は34.8%、40代の執筆者は17.5%、50代の執筆者は9.5%、60代の執筆者は4.6%である。すなわち、日本の地理学研究者は20代後半から30代前半にかけて高い論文生産性を示す。論文の種類別に分析すると、論説の執筆者は非常に若い。27歳が論説執筆者のピークであり、25歳から33歳までの執筆者によって書かれた論説は285で、これは論説全体の64.0%を占める。短報の執筆者のピークは29歳であるが、論説に比べると20代から30代に分散している。特集号論文の執筆者は、30代から60代にかけて分散傾向を示し、展望の場合も同様である。英語論文では、20代の比率は7.7%と低く、30代が38.0%、40代が29.0%を占める。和文の論説を書いた60代の執筆者は5人であったが、英語論文の著者は16人を数えた。すなわち、20代後半から30代前半の若手地理学研究者は論説の執筆に大きく寄与し、一方、40代以上は特集号論文や英語論文の生産に寄与している。 アメリカ地理学者協会年報の場合には、20年間における論文執筆者の平均年齢は42.6歳であり、年毎の平均年齢は39.0歳と45.7歳の間で推移する。年齢別にみると、最も多くの論文を書いたのは35歳の執筆者である。20代の執筆者の比率は2.2%と低く、30代が41.7%を占める。地理学評論と比べると、40代および50代の貢献が大きく、これらの年齢集団が総論文数に占める比率はそれぞれ34.4%と16.8%である。 アメリカ合衆国と比べると、日本の地理学研究者の論文生産年齢は若い。とくに論説というオリジナル研究の生産において、日本地理学会は若手研究者に依存しすぎである。40代から50・60代にかけてのベテランの地理学研究者が、オリジナルな研究と成果の公表にもっと積極的に取り組む必要があると感じられる。それが地理学のバイタリティを生み出し、社会における地理学の認知度を高めることにつながるのではないだろうか。
  • 増田 聡, 村山 良之
    p. 126
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     企業のリスク管理についてJISQ2001規格が公表され、リスク管理体制の一貫として地震防災計画を策定(改訂)している先進的企業も認められる。しかし、経営資源の制約やリスク評価の甘さなど、様々な問題が指摘されている。2003年5月及び7月の地震災害は、今後の地震対策に対して幾つかの教訓を提示しているが、本論では、電気機械を中心とする宮城県内の製造業事業所への調査から、地震対策やリスク管理体制の実態を、上記の地震経験の影響を踏まえて検討する。 宮城県産業振興センターの企業リストをもとに、県内で操業する精密機械器具、電気機械器具、一般機械器具の3製造業種から、発注/受注企業の別と資本金規模をもとに、調査対象を選択した(計307社)。2004年2月に調査票の配布回収を郵送で行い、65社から回答を得た(回収率21.2%)。調査項目は、_丸1_5月の被害・復旧状況、_丸2_7月の被害・復旧状況、_丸3_5・7月の地震以前の地震対策、_丸4_その後の地震対策、_丸5_リスク管理体制、_丸6_将来の宮城県沖地震への対応 である。 被害総額12億円というケースがあったものの、昨年の地震被害はさほど大きなものはなく、被害なしの事業所は、5月で65%、7月で85%に上る。被災事業所の主な被害は、建物の天井の落下、壁・床の亀裂や損壊、機械の転倒・移動、設備備品の破損などであった。復旧のために休業あるいは操業短縮を余儀なくされた工場もあり、間接損失も発生した。半数以上の事業所は、地震後に何らかの防災対策を追加・改訂し、その対象は、被災した建物・生産ラインや人的被害対策が中心である。また内容では、地震前から多かった防災訓練や連絡体制に加え、耐震診断・補強が増加した一方、保険の新規契約は少ない。地震後にも対策を見直さない理由に、「現状で十分、多大な費用」などが指摘されている。 JISQ2001のようなリスク管理概念を3/4以上の担当者が知らず、全社的なリスク管理システムを構築済が2社、検討中が6社に留まる。また想定宮城県沖地震の定量的リスク・アセスメントは全社未実施であり、予定も3社に過ぎない。その理由は、「分工場であり本社と検討中、スタッフ不足」などである。 今回の地震経験は、個別分野での地震防災対策をある程度進展させたが、企業経営に関わるリスク全体を総合的に管理する視点は乏しく、地震災害をその中に位置づけるには至っていない。零細事業所等へのリスク管理支援が求められよう。
  • 長澤 良太, 今里 悟之, 渡辺 理絵
    p. 127
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    外邦図研究グループでは2002年9月,合衆国における外邦図の所蔵状況を行った。その際,合衆国議会図書館(Washington D.C.)に旧日本軍が撮影したとされる,中国の空中写真が多数所蔵されていることが判明した。そこで,翌2003年9月再度議会図書館を訪問し,これらの空中写真に焦点を絞った調査を実施するとともに,資料的に価値の高いと判断した空中写真についてスキャニング作業を行い,ディジタル情報として取得,日本に持ち帰った。
    流出経路と保存状態
    空中写真は議会図書館Adams館の屋根裏倉庫にあり,ここには終戦時に米国が満鉄から接収した資料が6_から_7万点も保管されている。これらの資料は,空中写真を含め1996年にワシントン文書センター(WDC)から移管されたもので,それ以前の流出経路の詳細は不明であるという。
     空中写真は撮影コース毎に数十枚から百数十枚ごとに簡易包装され,包装紙には地区名・撮影年月日・コース及び写真番号などが記入されている。撮影年は昭和17もしくは18年と記入されており,字体等から判断して満鉄関係者,接収に関わった日本人担当者が記したものと推察される。
    撮影地域,枚数,撮影諸元など
    空中写真の撮影地域は,現在の省名では江蘇省・安徽省で,五河,安准,界首鎮,阜寧,宝應などの地区で,総数723枚を今回スキャニングした。これらの写真は画角が30×30cmの密着焼で,その後の調査からツァイス社製RMLP20(焦点距離200.13mm)を用い,縮尺約2万分の1で撮影されたものであることが分かった。後処理と空中写真の利用手法の検討
    日本国内に持ち帰った空中写真(ディジタルデータ)をモザイク処理し,現在の衛星画像と対比させて標定作業を行った。その結果,現在までに五河地区について撮影地点が確定され,ETMの座標(UTM,WGS84)をもとに幾何補正処理を施した。これによって,約60年前の中国の土地利用,土地区画が判読可能となり,現在の高分解能衛星画像とあわせて用いることで,その後の景観変遷を復元する貴重な資料を作成することができた。
     戦前の空中写真に関して,長岡正利氏より多くの貴重なご助言をいただいた。記して感謝の意を表します。
  • 金田 平太郎
    p. 128
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    ■ はじめに ■ 岐阜県西部の根尾谷沿いには,1891年濃尾地震(M=8.0)の際に活動し,最大左横ずれ変位7.4 mにもおよぶ地表地震断層を出現させた根尾谷断層の存在が知られる.この断層については,数多くのトレンチ調査が実施されているほか(粟田ほか 1999,など),部分的には詳しい変位地形の記載が行われている(岡田・松田 1992).しかし,根尾谷全域にわたる河成段丘の対比・編年に基づいた詳細な変位地形の記載はこれまで行われておらず,10万年オーダーの長期間における変位速度についても明らかになっていなかった.そこで本研究では,根尾谷全域(根尾川-根尾西谷川)についての詳細な空中写真判読,現地地形・地質調査,測量調査等を実施し,河成段丘の対比・編年および変位地形の記載を行った.また,その結果に基づき,根尾谷断層の変位速度,活動間隔について考察を行う.■ 河成段丘の対比と編年 ■ 本研究では,現河床からの比高,面の分布形態,開析度,構成層・被覆層の層相などに基づき,根尾谷沿いの河成段丘をH面,M1-2面,L1-3面の計6面に大きく区分した.いずれも本流性礫層の一般的な層厚は1-3 mと薄く,ストラス段丘の様相を呈する.図1にこのうちH,M1,L1面の縦断面図を示す.また,面の分布形態,赤色化土壌の有無,14C年代値などに基づき,各面の離水年代を以下のように推定した.H面(140-160 ka:MIS 6;赤色化土壌,分布形態),M1面(50-60 ka:MIS 4-3;本流性礫層直上から48000±660 y.B.P.および48560±690 y.B.P.(約50000 cal. y.B.P.)の木片年代),M2面(20-50 ka:MIS 3-2;M1とL1の間),L1面(17-20 ka:MIS 2;分布形態=下流域で沖積面下に埋没,本流性礫層直上から14470±200 y.B.P. (16674-18026 cal. y.B.P.)の木片年代(岡田・松田 1992)),L2面(10-17 ka:MIS 2;分布形態=L1面を浅く削る),L3面(-10 ka:沖積段丘面;分布形態).■ 断層変位地形 ■ 空中写真判読,現地調査により断層変位地形の抽出を行った.また,上下変位のある部分については断面測量を行い,上下変位量を見積もった.明瞭な開析谷の横ずれについては,大縮尺地形図(1:2000-1:5000)を用いて横ずれ量を見積もった.■ 考察 ■ 濃尾地震時の最大横ずれ変位区間(門脇-神所,6.0-7.4 m)において,H,M1,L1面を開析する谷の横ずれ量と各面の推定離水年代を基に,根尾谷断層の変位速度を推定した(図2).その結果から,根尾谷断層は,少なくとも最近約15万年間については,1.4±0.2 mm/yrのほぼ等速度で活動してきたことが推定される.characteristicな挙動を仮定すれば,活動間隔は約4800年(約3700-6200年)と求められる.一方,上下方向の変位速度は,0-0.82 mm/yrで,変位センスは走向に沿って複雑に変化する.能郷および水鳥における地震時の上下変位量とL1面の上下変位量から,L1面離水以降(17-20 ka以降)のイベント数を上記と同様に推定すると,いずれも3-4回の値が得られ,これは上記の活動間隔と矛盾しない.これに対し,粟田ほか(1999)が門脇におけるトレンチ調査から推定した完新世後期における活動間隔は約2700年であり,地形から求められる活動間隔より有意に短い.この相違の原因については,今後検討の必要がある.謝辞 本調査に際して,京都大学大学院理学研究科の岡田篤正教授および井上 勉氏には大変お世話になりました.また,本研究は,文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)の援助を受けました.引用文献 粟田ほか 1999,地質調査所速報 EQ/99/3:115-130;岡田・松田 1992,地学雑誌 101:19-37.
  • 海津 正倫
    p. 129
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    <問題の所在> これまで地形判読は空中写真の実体視によって行うことが一般的であった.とくに,自然堤防や浜堤列などの低地の微地形に関しては,実体視による方法は地表の起伏を直接把握して判読するため,きわめて有効である.しかしながら,空中写真が自由に手に入らない国や地域における調査では,写真の入手に非常に多くの労力や時間を使ったりすることも多く,たとえ,写真が入手できたとしても調査地域が広域の場合には写真判読に多大な時間がかかる.また,空中写真が容易に手に入る地域においても空中写真判読の職人芸的な部分をもう少し解消できないかという声もある. このような問題があるため,途上国などの比較的広域の調査で地形分類図を作成する場合にはしばしば衛星画像を利用することが行われてきた.それらの多くは,画像処理によって地表の被覆を区分し,その結果から微地形を類推して地形区分を行っているが,この分類法はあくまでも間接的な地形分類であって地形そのものを見ての判読ではない.その結果,実際の地形とは異なる判読結果を導いていることも多い.近年,CORONAの画像やオーバーラップした画像の得られる衛星画像を利用して実体視をおこない,地形分類図を作成することも試みられているが,画像のゆがみの存在や,わずかな起伏の読みとりが困難であるなど数多くの問題を残している.また,失明などのハンディキャップをもった人の場合,実体視による地形分類を行うこと自体が不可能である. 本報告では,このような従来の実体鏡や衛星画像を用いた地形分類の問題点を解消し,GISおよびSRTMデータを用いて比較的容易に微地形分類を行う方法を開発したので報告する.<SRTMデータ>STRM(Shuttle Radar Topographic Mission)はスペースシャトルSTS-99のミッションによる干渉合成開口レーダ(SIRC/X-SAR)によって地表の3次元計測と詳細な立体地形図作成を目的として取得された標高データである.標高値は干渉法で取得され,SARが雲などの天候にほとんど影響を受けないため,従来光学センサでは撮影が困難であった熱帯湿潤地域などでのデータ取得も問題なく行われている. このデータは北緯60度から南緯54度までの間の全ての陸域をカバーしており,NASAのサイトから無料で入手できるため,発展途上国など地形図等の整備が十分でない地域の地形調査に活用することができる.<GISによる3D画像の作成> 本報告では,衛星画像(MOS-1画像,ASTER画像)を使用し,SRTM-3標高データによって3次元化を行った.ツールとしてはArcGIS8.2のArcMapおよびArcSceneを使用した.使用した衛星画像は,バンドの統合を行い,さらに,画像をWGS84測地系, UTM投影法に変換して,ArcMapに取り込み,すでに位置情報を与えてある地形図への重ね合わせを行って位置情報を持たせた.この画像をArcSceneに取り込み,同じくWGS84測地系, UTM投影法に変換したSETM-3データを用いて立体表現した.<地形判読と地形分類図の作成> ArcSceneで表示した3次元画像を使って地形の起伏をとらえ,地形界を認定して地形分類図を作成する.地形分類図作成にあたっては,デュアルモニタを用い,別モニタに表示した衛星画像にレイヤをかぶせて,ArcSceneの3D画像にみられる傾斜変換線を書き入れた.とくに,微地形を分類する場合には,高さ強調によって地形の起伏を誇張させて容易に地形界を認定できるようにした.また,ナビゲートコマンドを使って3D画像を回転させたり俯瞰の状態を変化させたりしてさまざまな角度から地形をとらえ,より正確な地形界を引くことを試みた.<問題点>  SRTMの干渉SARによって取得される標高値は,地表被覆物の起伏を示していること,また,SRTM-3は,標高値はSRTM-1による9個のセルの平均値となっているため,細かい起伏を持つ地形が平滑化されているなどいくつかの問題点がある.
  • 橘 美由紀
    p. 130
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに北海道北部に位置する礼文島では, 標高200 mから300 m に丘陵が連なる.こうした低い標高に広がる丘陵は風衝地となっており,そこには高山性の植生が分布している. 日本の高山帯では地形的な要因による卓越風や積雪の影響で, 山頂現象や風衝地植生の分布が報告されている. しかし, 礼文島風衝地の特異な高山植生分布の成立条件は未だ明らかにされていない. 本研究では, 風衝地におけるガンコウラン分布に着目し, 地形と気象から高山植生の成立条件を考察する.2.調査地と方法調査地は, 礼文島の礼文林道付近, 北緯45°19’, 東経141°02’に位置する標高221.5 m a.s.l. の丘陵である. ササの分布域から頂上部にかけて東西南北のそれぞれの斜面で,2003年5月から2004年5月に, 野外観測および現地調査を行った.まず, 測量により等高線間隔1m の地形図を作成した.この地形図を基に, 夏期には方形区ごとに植生および裸地, 礫の分布を記載し, 冬期には積雪分布調査を行った. 次に, ガンコウランのフェノロジーおよび生育形について形態調査を行い, 通年の気温および冬期間の群落内温度(地上5 cm)と地温 (地下5 cm) を, 頂上と東西南北, 各5地点で測定した. 3.結果と考察調査地の植生は, 斜面方位によって異なることが明らかとなった. 現地で作成した植生分布図を基に, 植被階状土を形成するガンコウラン(Empetrum nigrum), 裸地, ガンコウランと草本群落, 草本類, ハイマツ (Pinus pumila), ササ(Sasa spp.)の6つの植生区分に分類した. 頂上と北斜面には, 裸地化したTreadとガンコウランに覆われたRiserから成る, 植被階状土が広がる. 南斜面は条線土が大部分を占め, ガンコウランやスゲなどが点在する. 急な西斜面は, 上部に露出した基盤岩を伴う砂礫地で, ガンコウラン植生が部分的に存在する. 緩やかな東斜面では, ガンコウランやウスユキソウ(Leontopodium discolor)からなる草本群落とススキ(Miscanthus sinensis)などの草本類の分布が明らかとなった. また, 通年の気温変化に着目すると,植物生育期間は以下の3つの期間に分けられる. 気温分布0℃以上の「生育期」, 春と秋に気温0℃を境に変動する「凍結融解期」, そしてほぼ0℃以下での変動を繰り返す「厳冬期」である. なお, 冬期間の6か月間(11月_-_5月)の群落内温度と地温を比較し, 各地点のガンコウランの生長量と気温、群落内温度および地温との関係, および夏期の生育期における環境条件も考察する.本研究では, 斜面方位ごとの植生分布を方形区調査と植生被度の割合により定量的に評価した. その結果, 北側斜面と頂上の周辺に分布するガンコウランからなる植被階状土と積雪分布との関係が明らかになった. さらに, ガンコウラン分布の特性を踏まえ, 植被階状土を形成するガンコウランと草本群落とともにマット状に分布するガンコウランの形態的差異に着目し, ガンコウランの環境適応形態を考察する.
  • 2000年農業センサスの市町村別データから
    河本 大地
    p. 131
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    研究の目的と背景本研究の目的は、日本における有機農産物産地の分布の特徴を解明することである。化学合成農薬や化学肥料を使わず自然の物質循環系・生態系を活用する有機農業に対し、取り組みと関心が世界的な広がりを見せている。日本の農水省は1992年以降、減農薬・減化学肥料など有機農業よりも基準を緩めた「環境保全型農業」を推進しており、その中に有機農業を位置づけている。このような状況下、日本の有機農業は3段階のブームを通じ徐々に展開してきた。それに伴い、地理学等では有機農産物産地の形成過程や現状の事例研究が盛んに行われてきた。しかし未だ、有機農産物産地の空間的分布は十分整理されていない。第1次有機農業ブームは、1970年代後半、食や農のあり方に問題意識を抱いた生産者と消費者が「産消提携」の運動を開始した時期であり、有機農産物生産者は少数で、その空間的分布は点的であったと考えられる。1980年代後半以降の第2次有機農業ブームは、専門流通事業体の事業拡大や一部生協の有機農産物の取り扱い開始、有機関係表示の氾濫などに特徴づけられる。この時期の空間的な展開状況は、水嶋(1996)に詳しい。農水省および全国農業協同組合連合会が実施した2つの調査結果(各1991年、93年)を利用し、環境保全型農業の農業形態別実践事例農家・グループの地理的分布を検討した。しかし、全国各地に多種多様な実践事例があり分布の特徴はあまり明確でないとする結果となった。第3次有機農業ブームは、1999年の改正JAS法(有機JAS認証制度)および農業環境3法の成立を契機としている。認証制度発足を機に、経営重視の有機農家・事業体が増加し、有機農産物市場もさらなる拡大を見せている。分布については藤栄(2003)が、2000年の農業センサスに初めて掲載された「環境保全型農業への取組み」項目を用いて全国レベルで同農業の展開を検討した。ここでは南九州、南関東など地域ブロックごとの違いがよく整理されているものの、より小スケールでの検討は十分なされていない。また、有機農業については無農薬・無化学肥料・堆肥使用の3類型について、各取り組み農家率上位50市町村を抽出し全体と比較するにとどまっている。環境保全型農業と有機農業における分布の違いまず、2000年農業センサスの「環境保全型農業への取組み」関係項目を用いて、環境保全型農業全体と無農薬・減農薬・無化肥・減化肥・堆肥使用の取り組み類型別に、市区町村単位で実践農家の率を算出し、それぞれの相関関係を調べた。その結果、無農薬・無化肥には強い相関が見出された。一方、残る4項目相互にも強い相関が見られた。したがって、無農薬・無化肥を有機農業に近い取り組みとみなすと、その実践農家の多い地域、すなわち有機農産物産地の分布は、環境保全型農業全体の分布とは異なった様式を示すと考えられた。次に、これらを地図化し分布を確認した。環境保全型農業全体では、北海道(根室・釧路等を除く)、北上川流域の稲作地域、群馬県・長野県の高原野菜産地、甲府盆地東部の果樹産地、九州山地中央部、霧島周辺の畜産地域、東京・横浜をはじめとする大都市の近接地域などに、分布が比較的集中している。一方、有機農業の場合はより山がちな地域(熊本県阿蘇地域、四国山地、静岡県北遠地域など)や一部の島嶼部(沖縄島、屋久島、伊豆大島など)を中心に、非常に分散した点的分布を示している。大都市近接地域での分布も限定的である。有機農産物産地における取り組みの状況有機農産物産地として、農家数50戸以上の市区町村を対象に、無農薬・無化肥の取り組み農家率がともに7.5%以上の31市町村を抽出した。農業地域類型別に見ると、山間農業地域11町村(島根県柿木村、三重県度会町、静岡県佐久間町など)では茶や米、中間農業地域9町村(宮崎県綾町、兵庫県市島町、愛知県音羽町など)では野菜や米、都市的地域6市町(那覇市を除き、柏市・武蔵野市など東京近接地域)では野菜が、主に有機栽培されている。これら産地の多くには、農協・町村・生産者グループなど、集団的な有機農業への取り組みを推進する主体が確認された。【引用文献】藤栄 剛(2003):環境保全型農業の展開と実践農家の特徴.『2000年センサスの分析と日本農業』農山漁村文化協会,pp.271-301.水嶋一雄(1996):わが国における環境保全型農業の現状と課題(第1報)_-_環境保全型農業の実践事例農家・グループの地理的分布_-_.日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要、31、pp.57-67.
  • 大阪府下A社を事例に
    矢寺 太一
    p. 132
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    近年,これまで福祉国家体制を支えてきた公的福祉サービスの問題点が顕在化している。昨今少子高齢化が進んでいる状況において,国家,自治体の財政的問題により公的部門によるサービス供給の増大は難しい状況となっている。またサービスに対するニーズの質的変化,多様化も指摘されており,これに対応することも求められているが,公的部門のサービスの硬直性が大きな障害となっている。近年,こうした状況をビジネスチャンスととらえサービスに参入する営利企業もみられる。こうした企業によるサービス供給は,これまで公的部門による再分配メカニズムに基づく供給が主であった社会福祉サービスに,市場原理による供給システムを適用しようとする試みととらえることができる。近年,市場による供給を従来の供給システムの一部を代替するものとして見る向きが強いため,営利企業による社会福祉サービス供給に着目することは重要であると考える。本研究では社会福祉サービスのうち,待機児童が増加しているという量的問題,より高度な教育や長時間の保育へのニーズの増加などへの対応不足といった質的問題が出現している保育サービスを対象とする。現在のところ,企業などの営利部門が児童福祉法に認められた認可保育所の運営に参入している事例は限られている。そのため,ここでは認可外保育サービスに着目し,全国最大の認可外保育施設フランチャイズ(FC)を展開するA社と,そのFC園について,施設の立地動向や存立形態を調査することにより,市場原理に基づく社会福祉サービス供給の実態を明らかにする。A社は,全国で認可外保育施設のFCを展開しており,2003年6月現在,保育施設数491,入所児童数約24,000人の,業界最大手の企業である。総施設数は,2000年前後で特に伸びており,1999年では50を数えたのみであったが,翌2000年には200に達し,2001年には500を超えた。しかし,最近1,2年は伸び悩んでいる模様で,2002年度中に183施設を開設させているにも関わらず,総施設数は500を割り込むことになった。地域別に立地状況を見ると,福岡市35ヶ所,大阪市19ヶ所,横浜市19ヶ所,神戸市15ヶ所,名古屋市12ヶ所といった需要が見込める大都市圏が中心なっており,郡部での立地は,福岡市周辺部,熊本市周辺部,大阪大都市圏に限られる。A社は,全国を 4つブロックに分け,それぞれ独立してFCシステムの運営にあたっている。各ブロックは,主だった都市に支部を置き常時職員を配置して,FC園のサポート,管理を行い,保育士や園長の勉強会や新規開設者のための説明会を開催している。また,支部の他に,より小さな地域をカバーする事務局を置くところもある。事務局は常時専門の職員を配置されているわけではなく,多くの場合は保育施設に併設されており,勉強会の開催などの支部の業務の一部を担っている。より地域を絞り,大阪府下の園の立地状況および存立形態について述べる。大阪大都市圏はA社の本社があり,古くからA社がFC園を展開してきた地域である。大阪府における民間保育施設の立地について, A社FC園は,府北部および南部の郊外地域に分布し,都心部にはそれほど立地していない。これは,FC園を設置する際に,A社が設定する周辺環境基準を満たす物件が少ないこと,また物件の権利金,賃貸料が高額になり新規開設園のオーナーから敬遠されることなどがその理由となっている。また,人のデイリーパスのハブとなる鉄道駅周辺に立地する園が多い。A社は,1995年からFC園を展開しているが,現在も存在する園は,1998年以降に設立したものである。これはFC展開を開始した当初の園がFC離脱,もしくは廃園していることによる。これは,FC園のみならず認可外保育施設自体の経営の困難性によるところが大きい。ただし他の認可外保育施設が女性がオーナーとなっている園が多いことに比べて,FC園のオーナーは男性が多く,その妻も保育施設に携わるものが多い。これはFC園が,世帯収入の大部分を園の売上に依存していることを示している。そのため,他の認可外保育施設が園の経営が多少赤字でも,子育て支援としてボランティア精神で園を継続することができるのに比べて,FC園は継続性で劣るという結果になると考えられる。
  • 早乙女 尊宣, 栗下 勝臣, 門村 浩, 石田 武, 高村 弘毅
    p. 133
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    概要 立正大学大学院地球環境科学研究科ORC (オープンリサーチセンター)プロジェクト3 「環境共生型手法による地下水再生に関する研究」の一環として,荒川扇状地とその周辺低地を対象に,1)雨水_-_地下水インターフェイスとしての地形・表層物質の性状と空間分布の解析・表示(詳細地形学図作成),2)地下水のメディアとしての地盤構造のデータベース化と解析・図化,という2つのサブテーマで作業を進めてきた.これらサブテーマの作業を進めるには,詳細な地盤情報を得ることが重要である.我々は,ボーリングデータを収集し,以下のような検討をおこなってきた.データの収集と電子化ボーリングデータは,3階建て以上の建築物・道路・橋梁・立体交差・上下水道・河川改修工事・鉄道・高圧電線鉄塔・ガス管などの設置工事に伴って調査が行われる.限られた時間で,能率よくボーリングデータを収集するために,我々は荒川扇状地内で公共構造物を取り扱う国・県・市町村の情報公開制度等を利用し収集することにした.2004年6月30日現在,集めたデータは約1,000本で,GISソフト「総合地盤情報管理システム G-Cube for Windows」(中央開発KK製)に入力を行っている.入力したデータは,荒川扇状地のどの位置にボーリングデータが存在するのかを容易に知ることができる.ソフトの機能を利用すれば,瞬時に必要な地点のデータをプリントアウトすることも可能である.また,ボーリングデータを複数選択して,簡易的な地質断面図を描くことができるため,多くの断面図を作成し研究・調査に活用することができる.データ入力後も,原本はファイルにまとめ保存する予定である.また,このデータベースから得られた結果は,インターネット上に公開する予定であるので,荒川扇状地及び周辺地域で地形・地質・水文の研究・調査などに大いに活用してもらえれば幸いである.地盤構造解析とその意義 荒川扇状地を主に構成する砂礫層は,N値や色調などから砂礫_I_(N≦50)と砂礫_II_(N>50)に区分できる.現河床で確認された砂礫_II_と考えられる露頭は,押切橋下流側まで確認でき,以後現河床に埋没する.固結状態で花崗岩の風化が著しい.これから,扇状地内の現在の荒川は,砂礫_II_上面の勾配より,明戸_から_押切橋までの下刻区間,押切橋_から_旧久下橋が堆積区間に分けられる.砂礫_I_と考えられる露頭は,砂礫_II_と比較して未固結状態にある.層厚は薄いが,明戸から下流側に向かうに従って徐々に厚さを増す. ボーリングデータを多数得ることで,データベースは地形形成過程・地下水・地盤沈下・地震災害・液状化現象等を検討するための重要な資料となり,その需要が見込まれる. その成果として,現成の扇状地面に確認できた旧期面と新期面の砂礫層の色調は,前者が後者よりも黄褐色系統が目立つ.主体となる礫径は,前者より後者が分散している.これらは,旧期面及び新期面の形成された時代,洪水形態,運搬力が異なる事を示している.また,堆積物の種類,粒径,マトリクスを詳細に記載し,地盤構造の3次元表示及び地盤型区分図の作成を行うことにより,地下水の流動状況を高い精度で検討することが可能であり,扇状地の形成過程を明らかにするための重要な手がかりともなる.
  • 石田 武, 門村 浩
    p. 134
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに わが国における現在の山地斜面については,斜面崩壊や土石流などの土砂移動現象が地形変化をもたらす主な要因であると考えられている.広島県西部の沿岸地域においても,侵食平坦面を取り巻く急斜面では,斜面崩壊が頻発し,風化物質の除去が盛んに行われている(門村,1972).調査地域の広島県大野町周辺では,1945年9月17日の枕崎台風の襲来によって,多くの斜面崩壊が発生し,これを起因とする大規模な土石流が多発した.そこで,1945年に斜面崩壊や土石流が発生した流域について,いくつかの地形計測を試み,流域ごとの地形特性と土砂移動現象との関係を検討する.2.広島県西部の地形特性(1)広島県西部の地形広島県西部の沿岸地域には,断片的に侵食平坦面が残存し,それらを取り巻いて急斜面が発達している.また,急斜面の下方には山麓緩斜面が広がっている.これらの地形面は,明瞭な遷急線および遷緩線によって境されており,地形的なコントラストがはっきりとみられる.調査地域の大部分は,広島型花崗岩によって占められている.侵食平坦面,山麓の緩傾斜地および丘陵性の起伏部では,風化帯が厚く形成されているが,侵食平坦面縁辺部では,一般に風化帯は薄い.(2)水系特性 調査地域には,NNE_-_SSWからNE_-_SWおよびN_-_Sの断層系が走っている(門村,1956).水系にもこの傾向が明瞭にあらわれている.これらの断層系を反映する谷は主に5_から_6次の谷で,調査地域内ではもっとも高次な谷にあたる.4次程度の流域については,水系のパターンに大きな違いはみられず,いずれも樹枝状のパターンを示している.また,ホートンの第1法則もおおむね成り立っているといえる.(3)面積高度比曲線 流域間の地形特性を比較するため,作成した水系図に基づいて,4次流域を解析単位とし,面積高度比曲線を描いた.調査地域内には,39の4次流域が存在する.面積高度比曲線は形態から3つのパターン(Type-a_から_c)に分類できる.39流域の比積分は0.37_から_0.67の間にあり,Type-aは0.5_から_0.7,Type-bは0.4_から_0.6,Type-cは0.4_から_0.5程度となる.Type-aは侵食平坦面が残存している地域,Type-bは沿岸の丘陵地,Type-cは侵食平坦面に乏しく,開析の進んだ地域に多くみられる.3.斜面崩壊および土石流の発生域 1947年米軍撮影の1/40,000空中写真を用いて,斜面崩壊および土石流の発生位置を抽出した.崩壊地の発生位置は作成した水系図の1次谷上流端(谷頭付近)にほぼ対応している.土石流のほとんどは,これらの崩壊を引き金として発生している.4.水系および面積高度比曲線と土砂移動現象の関係 侵食平坦面を取り巻く急斜面には1次谷が発達している.とくに侵食平坦面と急斜面とのコントラストが顕著に見られる,経小屋山周辺で著しい.この地域では,斜面崩壊が多発しており,大規模な土石流も発生している.土石流の多くは,3次谷から4次谷内で発生しており,それより高次の谷に流出することは少ない. 高度帯ごとの斜面崩壊発生数と面積高度比曲線を比較すると,曲線の上に凸の部分にあたる高度帯で崩壊が多発している.これらの部位で地形変化が進み,流域の地形特性がType-aからType-b,そしてType-cへと変化すると考えられる.文献門村 浩(1956):安芸西南部山地の地形.広島大学文学部卒業論文,未発表.門村 浩(1972):花崗岩山地における浸食と崩壊の一般特性.森林保全に関する基礎調査報告書,17-34.
  • 正当化されるライフストーリー
    谷川 典大
    p. 135
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    はじめに 1990年代以降急増したフリーターが社会問題化し,新規学卒者の非正規雇用の増加や早期離職傾向の高まりについて,多くの関心が向けられることとなった。しかし,このフリーターへの関心のほとんどは大都市圏やその郊外地域を対象にしたものであった。 地方圏出身若年者の就業行動については,高度経済成長期の集団就職などには関心が持たれてきたが,現代的な課題であるフリーターについては,ほとんど取り上げられていない。 そこで本研究では,近年,地方圏出身若年者が地元に留まる傾向が強まっていることに着目し,直接若年者を対象にしたインタビュー調査を行い,そこで語られた言葉を分析の対象として,彼らが自分の選択をどのように説明しているかを示し,その背景にある問題を明らかにする。
  • 森山 昭雄, 江口 亜希
    p. 136
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    この春の地理学会で,中道 (2004)は,瀬戸市海上の森で,地形地質の立場から花崗岩地域と土岐砂礫層地域において森林植生の違いを定量的に調査した結果,花崗岩地域はコナラ・アベマキが優位な生長の良い森林,砂礫層地域はアカマツが優位な生長の良くない森林にはっきりと分かれ,花崗岩地域は砂礫層地域の3倍もの生長量(材積)の差があることを明らかにした.地質(地形)の違いが明瞭に森林植生に表れることは,他の地質でも起こっているのではないかと考え,今回は中・古生層の上に土岐砂礫層を乗せる濃尾平野北東縁丘陵地において,地質(地形)と二次林植生との関係を明らかにするために調査を行なった. 調査地点は,標標高の増大に伴う気温の低下など気候的影響を少なくするため高300m以下の地域で,斜面の方位により地表面での水や熱の配分が変わるその違いをなくすため,地形的位置は南向きの斜面とした.地質としては,土岐砂礫層地域,中・古生層の主としてチャート地域および中・古生層の主として砂岩地域の3地域とした. さらに,1947年撮影の米軍航空写真を判読し,樹木が一様に伐採されて丸刈り状態になっている場所で,それ以降人為的な手入れが行なわれていない森林とした.これは,遷移のスタートが同じ時期である二次林の,その後の生長を比較するためである.また,現地調査により,新しい崩壊がない二次林で,広い範囲を代表する植生地点とする.本研究では斜面の一連の変化と植生との関係を見るため,上部斜面,中間斜面,下部斜面を選定した. 毎木調査は,方形区内の樹高が1.4m以上のすべての木本について,樹木の種類を同定し,個体数,胸高直径,樹高を測定する.高木層・亜高木層・低木層に分類し,樹冠投影図を作成した. 土壌に関しては,土壌断面形態を調べ,A層厚,貫入深,土壌水分量,土壌pHを計測した.調査地点のA層とB層の土壌を持ち帰り土壌中の養分を蒸留水に溶出させこの土壌水をイオンクロマト法(日本ダイオネクス社製)によりイオン分析を行った. 毎木調査を基に森林植生を定量的に分析した結果,地質別に見ると,土岐砂礫層地域がコナラ・アベマキなどの落葉広葉樹の生長が最もよく,チャート地域ではアカマツ・クリが優勢で生長が悪いこと,砂岩地域ではヤマザクラ・アラカシが優勢である.地形別に見ると,下部斜面が最も生長がよく,上部斜面が悪い.生長量の違いは材積の違いからも明らかである.遷移のスタートが同じであるにもかかわらず,植生に違いが生じるのは土壌の影響が大きいと考えられる.土壌は,岩石の風化によって生成されるため,地質によって土壌の養分量が異なる.また,土壌の粒度の違いにより孔隙量,透水性,水分量が異なる.そのため,その土壌条件に耐えられる根を持つ植物が優先的に生長する.その結果,高木層の樹種が異なり,これが低木・亜高木の植生に影響を与え,全体的な樹種の違い,生長量の違いとなったと考えられる.つまり,地質による植生の違いは,土壌養分量の違いだけではなく,土壌の透水性など性質の違い,樹木の根の性質の違いなどによる影響も受けていると考えられる.地形による植生の違いは地質の影響より小さいが,上部斜面と中間・下部斜面では明らかな植生の違いがみられ,斜面位置の違いにより生長量(材積)も異なっている.上部斜面は排水が盛んであるため,水分量が中間・下部斜面に比べて明らかに少ない.そのため,乾燥に強いアカマツが優先的に生長し,上部斜面では中間・下部斜面とは異なった植生になったと考えられる.また,中間・下部斜面は,A層厚,土壌養分量の違いが生じている.砂礫層地域では根を深く張るコナラの生長が良い.根を深く張るため,土壌が厚く,地上部の生長を促進する窒素やマグネシウムが多く含まれる下部斜面で生長がよい.一方,チャート地域では,根を浅く張るリョウブの生長が良いため,土壌養分量が多く, A層が厚い下部斜面の生長がよい.以上のように,地形による植生の違いも,土壌養分量の違いだけでなく,土壌の厚さや根の性質の違いによる影響を受けていると考えられる.
  • _-_島根県羽須美村の事例_-_
    作野 広和
    p. 137
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 中山間地域においては農産物価格の低迷に加え,耕作者の高齢化により急速に耕作放棄が進んでいる。中山間地域における耕作放棄地の増加は単に農地面積の減少による農業生産力の低下にとどまらず,周辺農地への連鎖的耕作放棄を促し,集落単位で営農意欲を低下させる傾向にある。また,中山間地域における耕作放棄地の増加は農業の持つ多面的機能を低下させる要因となり,その影響は中山間地域外にも波及することとなる。このような状況に対して,農林水産省では2000年度より中山間地域等直接支払制度を導入し,耕作放棄地の発生をくい止める努力をしている。同制度の期限は2004年度であり,同制度の評価と次期対策のあるべき姿をさぐる上でも中山間地域における耕作放棄地に関する研究は必要不可欠である。 これまで,耕作放棄地に関する研究は農業経済学や地理学の分野でもある程度行われてきた。特に,農業経済学では地域農業経営を評価する枠組みの中で,小規模農家による労働力不足から耕作放棄に至る過程を描き出した研究などがみられる(長濱,2003)。また,地理学では土地利用の動態的把握の一環として捉えようとする傾向が強く,耕作放棄地そのものを対象にした研究は必ずしも多くない。その背景には農地の分布を示す地図自体が少なく,耕作放棄地の分布を面的に把握することが困難であったことがあげられる。 しかし,近年では中山間地域においても地図のデジタル化が進むとともにGISの普及により,農地地図もデジタル管理がはじまりつつある。それにともない耕作放棄地の分布も正確に把握できるようになった。 そこで,本研究では耕作放棄地の分布を把握するとともに,その発生要因を属地的側面と属人的側面から解明することを目的とする。2.研究対象地域と研究方法 研究対象地域として過疎化の進行が著しい島根県邑智郡羽須美村をとりあげた。同村では2000年度より地籍図のデジタル化事業を進めており,本研究を行うための条件が整っていると考えた。 研究の方法は_丸1_デジタル地籍図の解析,_丸2_属地調査(農地の土地利用調査),_丸3_属人調査(農家への訪問聞き取り調査)の3つに分類される。なお,現地調査については同村の雪田地区(3集落),宇都井地区(2集落)で63世帯に対して聞き取り調査を実施した。3.研究の結果(1)耕作放棄地の分布: デジタル地籍図を解析した結果,耕作放棄地は居住地背後にある谷奥や尾根部分に多く広がっていることが明らかになった。これらには,戦後の増産時期に開墾した土地も多く含まれている。それらの土地は既に耕作放棄してから20_から_30年程度経過しており,既に現地調査や空中写真によっては確認できず,デジタル地籍図の利用意義が確認された。(2)耕作放棄地の発生時期: 研究対象地域における耕作放棄は挙家離村が進んだ1960年代後半から1970年代前半にかけてと,1990年代以降の2段階に分かれていることが明らかになった。これはデジタル地籍図に地籍所有者名等の若干の属性データが含まれていることから明らかになったものである。それによれば,地籍上の耕作放棄地所有者はかつて転出した者である例が多くみられた。また,近年の耕作放棄は高齢化による耕作の限界や世帯の自然減少により発生したものが多かった。(3)耕作放棄地発生の属地的要因: 耕作放棄地が多く発生している地点は急傾斜地や細長い谷奥など地形条件の悪い地点で散見された。これは日照時間等耕作条件の悪さや,農道・農地の未整備によるものと推測される。また,既存の耕作放棄地が周囲の農家や農地に影響を与え,連鎖的に耕作放棄を誘発させた地点もみられた。(4)耕作放棄地発生の属人的要因: 大きく3点が要因としてあげられる。第1は農業従事者の兼業化や転出者の帰省等による耕作援助の有無など,農家世帯の世帯経済や世帯構成によるものである。第2に,農業を継続する目的意識の無さや営農意欲の低下といった農家の農業に対する意識による点である。第3は耕作放棄そのものに対する危機意識の低さがあげられた。<文献>長濱健一郎(2003):『地域資源管理の主体形成』日本経済評論社.
  • ザイドン パイズラ, 高村 弘毅
    p. 138
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    <B>_I_ はじめに</B>土壌劣化とは物理的,化学的,生物的過程によって生じる土壌の生産性の低下または不毛化現象である。タクリマカン沙漠の南縁地域は,現在飛沙と塩による土壌劣化が深刻化している地域の一つである。本稿は,オアシス土壌とその周辺土壌の特性を解析・比較することにより、土壌劣化の実態とメカニズムを明らかにすることを試みたものである。<B>_II_ 研究地域および方法</B>研究地域は,タクリマカン沙漠南縁地域のチラオアシス,およびその周辺地域に設定した。<BR>研究方法としては,土壌試料を採取し,有機物の成分と含量, C/N値,陽イオン交換容量,土壌の粒度組成、粘土鉱物, CaCO<SUB>3</SUB>,塩分含量,透水性,保水性,温度拡散率などを分析した。同時に,地表水と地下水および雨水試料を採取し,イオン濃度とECなどを分析した。また,長期間にわたって現地調査を実施し,気温,地温,地下水位および土壌水分の長期変化を観測した。<B>_III_ 結果および考察</B>タクリマカン砂漠南縁地域では,飛砂による土壌劣化(砂の沙漠化)が深刻であるとされる例が多い(相馬1996)。本研究では,衛星写真と土地利用図および統計データに基づいて現地調査を行い,1949年以来、チラオアシスとその周辺部における飛砂による沙漠化面積は4,913haに達していることを推定できた。これは,ホータン地区全域における沙漠化面積の約4分の1を占める。チラオアシスの卓越風向はWN方向であるため、飛沙災害によって生産性が低下した土壌のほとんどが地下水位の深い西部と北西部に集中している。オアシス西部のトーパ村の数十箇所で砂丘が畑に侵入している。これは,大量の地下水が灌漑に使われてきたため,地下水位の低下が進み,植生の衰退と飛砂災害が拡大したことによるものである。この結果から,オアシス外縁土壌の安定性が脅威を受けていると断定できる。また,オアシス東部の比較的平坦な固定砂丘地では砂に埋められた暗色の腐植物質層を持つ複合土壌断面が生成している。<BR>しかし,この地域における土壌劣化は飛沙によるものだけではない。表層土壌の環境変化の典型的な例である塩類集積化はこの地域においてもう一つの重大な問題となっている。本研究で実施した分析の結果から,チラオアシスにおける17基の灌漑用井戸水のSAR値は 2.0<SAR<6.5の範囲に,EC値は1.0mS/cm<EC<2.25mS/cmの範囲に集中することが判明した。また,河川水と雨水の分析結果も多量の可溶性塩分が含まれていることを示した。このような塩分濃度の高い水を灌漑水として使われてきたため,1949年以来,塩類化した土壌の面積は4,581haにも上っていた。チラオアシスの東部と東北部は比較的低く,地下水位が浅いため(2m以内)、砂質な土性でも表層へ塩類が集積している。これは,オアシス近辺の平地に作られたダムや旧式の不適切な灌漑行為によって地下水位が上昇したためである。これに伴い,土壌の塩類化と湿地化が進み,オアシス内部土壌の安定性が崩れている。<BR>植物の吸収機能と落枝落葉の分解も塩類化を促進するもう一つの要因である。チラオアシスにおける表層土壌の塩による劣化は,胡楊などの栽培植物と野生植物の体内に含んでいる塩分が落枝、落葉の形で土壌に入り,これらの有機物の分解、無機化によって生起していることを明らかにした。<B>参考文献</B>相馬秀廣(1996):タクリマカン沙漠における沙漠化,「砂漠研究」5:117_-_129.
  • 高橋 日出男
    p. 139
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    ◆はじめに:梅雨前線帯は初夏に現れる準定常的な前線帯であるが,それに対応する雲帯や降水帯は常に存在するわけでなく,活動が活発な時期と不活発な時期が認められる.高橋(1989)では,中国大陸上の梅雨前線降水域が,チベット高原東側下層に現れるメソαスケール低温域に対応してしばしば形成されていることを示した.低温域の出現には高原北-東方における中高緯度循環系との関連が示唆され(高橋 1991),Takahashi(2003)では高原北側を移動性のトラフが接近・通過する際に,高原東側に出現する低温域の構造や非地衡風的な風系に伴うシアラインなどを事例解析から提示した.しかし,これらの解析を通して高原東側下層に出現する低温域の具体的な形成過程については明確にできていない. 本解析では,高原東側における低温域の形成過程を明らかにすることを目的とし,低温域(平均場に対する気温負偏差域)の出現位置により抽出・分類した事例について,大気の熱・水蒸気収支に関するapparent heat source(Q1)とapparent moisture sink(Q2)を算出し,空気の加熱・冷却過程を解析した.◆資料と方法:対象期間は1990-1995年の6年間であり,低温域出現の季節性を把握するために5-8月を通して解析を行った.高層資料については1.875゜グリッドの気象庁全球客観解析データを用い,降水量については観測報デコードデータを用いた(いずれも気象業務支援センターより提供).なお,解析には00UTCおよび12UTCの1日2回のデータを用いている. 高原北-東側の大陸上における850hPa面気温偏差(11日間移動平均値からの偏差)分布に因子分析を施し,バリマックス回転後の因子負荷量の分布と因子得点時系列間のラグ相関によって気温負偏差域の移動を類型化した.高原東_から_北東側(110゜E付近)の40゜N以南に因子負荷量の極大が現れる第5因子と第10因子について,因子得点が-2以下の場合を取り上げて合成図を作成すると,前者(Type A:61事例)は35゜N付近に,後者(Type B:48事例)は40゜N付近に気温負偏差の中心がある.事例の当該日時(00または12UTC)を基準(0day)として,1日ないし0.5日間隔の合成図解析によって温度場・高度場などの時間変化を解析した.低温域(気温負偏差域)の形成ついては,キーエリアを設定しQ1とQ2の解析(式1,2)を行った.なお,Q1は,正値が熱源,負値が冷源であることを示す.Q2は,正値がその領域で水蒸気が消費(凝結)されていること,負値は水蒸気の供給源(蒸発)となっていることを表す. Q1      (式1) Q2      (式2)◆結果:図1と図2は,それぞれType AとType Bについて平均したQ1(実線),Q2(破線)および鉛直流ωの鉛直分布であり,0day (下)と-1day(上)について示してある.ここで,AreaIとIII(左)は低温域,AreaIIと_IV_(右)は低温域の南側(Type A)あるいは東南東側(Type B)の多降水域にあたる.0dayにおいては,両タイプとも多降水域(AreaII,IV)ではQ1<0,Q2<0であり,上昇流(ω<0)に伴う水蒸気の凝結による加熱が認められる.低温域(AreaI,III)では,対流圏中下層に下降流(ω>0)が存在し,そこではQ1<0,Q2<0となっており,蒸発に伴って大気が冷却されている.このような状態は,Type Aでは-2dayから認められるが,Type Bでは -1dayにAreaIII(0dayの低温域)において上昇流に伴う水蒸気の凝結による大きい加熱が認められる.Type AとType Bの低温域の形成は,いずれも下降流に伴う雲粒・雨滴からの蒸発が関与している点で共通するが,それに至るプロセスには差異がある.高度場や鉛直流分布の時間推移によれば,Type Bについてはトラフの通過後(トラフ後面)の下降流が関与していると考えられる.Type Aについては,高原東側における大気中層の西風強化に対応した二次的な南北循環として,低温域に関与する下降流およびその南側における降水域の上昇流が発生している可能性がある.なお,Type Aにおける擾乱の空間スケールは,東進しつつ総観規模擾乱に発達するType Bの擾乱と比べて小さい.これは,擾乱や低温域(気温負偏差域)の出現位置が,高原北縁に沿う平均場の傾圧帯(Type B)か,その南側(Type A)かに関係していると考えられる.
  • 異なる空間単位での比較分析
    川熊 悟
    p. 140
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. 研究目的消費者による購買地選択は、任意の地域を選択した上で特定の店舗を選択するという階層的な構造をなす。この消費者の購買地選択行動に関して、アンケートデータを利用して分析する場合、消費者購買行動データの集計空間単位が問題となる。そこで本研究では、消費者の選択対象店舗を任意の空間単位で集計した場合の最適な空間単位を検討する。その結果を踏まえ、本研究は、階層的な店舗選択問題を検討する際に、_丸1_選択対象店舗が立地する県・市といった空間単位で集計した「都市レベルでの階層の場合」と、_丸2_空間単位で集計せず、具体的な店舗自体を分析対象とした「店舗レベルでの階層の場合」とで、消費者の購買地選択行動の規定要因がどのように異なるかを検証することを目的とする。2. 研究方法研究対象地域は、滋賀県草津市である。アンケートデータは、「地理情報システムを用いた地域計画立案支援システム」(研究代表者:矢野桂司、課題番号:11791009)と、「GeoComputationによる施設配置計画の支援システムの構築」(研究代表者:矢野桂司、課題番号:13558005)によるデータを用いる。アンケート回収方法は、2000・2002年3月の2年次において、タウンメール(全戸配達サービスシステム)を用いたものである。2000年のアンケート回収数は、総世帯数40,620世帯(住民基本台帳)中、7,644(回収率:18.8%)である。2002年は、同様に総世帯数42,410世帯中、4,696(同:11.1%)である。分析ではそのうち、女性のみ、かつ婦人服の購入店舗について回答しているサンプルを用いた。その結果、サンプル数は2000年で5,681、2002年で3,057となった。階層構造を示す消費者の婦人服購買地選択行動の規定要因を、「都市レベル」と「店舗レベル」の異なる階層から分析する。分析では、二項ロジスティック回帰モデルを適用した。分析過程は、以下の三段階である。_丸1_「都市レベル」の空間単位で集計する際の最適な空間単位について検討する。空間単位の基準として、一つは草津市を、もう一つは日常生活圏として滋賀県を適用する。_丸2_「都市レベル」集計時のアンケートデータの利用方法について検討する。本研究で用いるアンケート項目の形式は複数の店舗を選択できる形式である。しかし、分析時には選択店舗を一つに限定する必要がある。そこで、次の二つの方法を比較検討した。(a)消費者の最もよく利用する店舗が、草津市と滋賀県という設定した空間単位の域内か域外で判断する方法、(b)最もよく利用する店舗以外の店舗も用いて判断する方法である。(b)では、域外店舗の利用者を厳密化することが可能である。次に、域内店舗と域外店舗の二つを用いて、二項ロジスティック回帰分析を行なった。_丸3_「店舗レベル」での分析では、具体的な店舗自体を分析対象として分析する。分析対象店舗には、草津市内居住者の婦人服購買の利用頻度が顕著である、アルプラザ草津(Aスクエア)と草津近鉄百貨店の2店舗を用いる。そして「都市レベル」と同様に、二項ロジスティック回帰分析を行なう。3. 結果と考察_丸1_「都市レベル」で店舗を集計する空間単位は、データの収集範囲と同等レベルの行政単位で行なうと、実際の生活圏が行政界で分断され、機能的な統一性が無視されることがわかった。したがって、「都市レベル」といった空間単位で購買地選択行動を分析する際には、日常生活圏を覆うことのできる範囲で空間単位を設定するのが適切である。_丸2_「都市レベル」で集計した場合の店舗選択要因は、2000年と2002年では多少の差異はあるものの、主に店舗に対する満足度である。一方、「店舗レベル」での選択要因は、両店舗までの距離差、年齢である。結果として、「都市レベル」での分析と「店舗レベル」での分析とで、規定要因が異なることがわかった。このように空間単位の階層により規定要因が異なるため、どのような階層で分析をするのかを決定することは重要である。_丸3_アンケートデータの利用方法に関して、域外店舗の利用者を厳密化することは、モデル適合度が低下し、望ましくない。どのようにアンケートデータを利用するのかは今後の課題である。
  • 花粉分析学的研究からみた里山の景観
    吉田 明弘, 西城 潔
    p. 141
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに
    現在の日本の丘陵地には,植林されたスギ林やコナラ・ミズナラなどを主とする二次林の植生景観が分布する。このような植生景観の成立過程には,過去の人間活動が大きな影響を与えている。とくに,近世以降の林野利用や1940年代以降のスギの植林事業は,丘陵地の景観を大きく変化させた。
    演者らは,奥羽脊梁山脈東縁の丘陵地に位置する,地すべり起源の閉塞凹地である宮城県花山村大沼湿原において,湿原堆積物の層相と花粉組成,14C年代を明らかにした。その結果,過去1,500年間の植生を復元するとともに,人間活動の植生景観への影響について検討した。
    _II_.湿原堆積物と14C年代
    試料は,Hiller型ピートサンプラーを用いて,湿原内の7地点から採取した。本湿原堆積物は,地表から_-_290cmまでが泥炭または泥炭質シルト,_-_290_から__-_430cmでは凝灰岩質の細礫を含む粘土層となる。また,_-_185_から__-_198cmにはガラス質の白色テフラが挟在し,14C年代および火山ガラス屈折率からみて,AD915年に降下した十和田aテフラと考えられる。
    本湿原堆積物における14C年代測定の結果,_-_95_から__-_105cmの泥炭層で360±30 yrs BP(TH-2048),_-_200_から__-_220cmの泥炭質シルト層(白色テフラ層直下)では,910±30 yrs BP(TH-2049)の年代値を得た。したがって,本湿原堆積物における泥炭および泥炭質シルト層最下部の年代は,約1,500年前と見積もられる。
    _III_.花粉分析
     花粉分析は,KOH-HF-アセトリシス法によった。その結果,木本花粉の消長にもとづき,下位よりHO-1帯, HO-2帯, HO-3帯, HO-4帯の4つの局地花粉帯(以下,「花粉帯」または「帯」と略す)に区分した。
    HO-1帯では,Fagusが高率で出現し、Quercusがこれに次ぐ。HO-2帯ではQuerucusが高率で出現し,Fagusの出現率が減少する。HO-3帯は,PinusCryptomeriaの出現率の増加で特徴づけられる。HO-4帯ではCryptomeriaが50%以上の高率を示し,最大で80%以上の出現率になる。
    したがって,各花粉帯期から復元される植生は,HO-1帯期(約1,500_から_400年前)は,ブナを主とする冷温帯性落葉広葉樹林,HO-2帯期(約400_から_150年前)はコナラ・ミズナラの二次林である。HO-3帯期(約150年_から_近年)はアカマツの二次林と小規模なスギの植林,HO-4帯期(近年)では大規模なスギの植林地の拡大が示される。
    _IV_.結論と今後の課題
     宮城県花山村周辺の丘陵地における人間活動に伴う過去約1,500年間の植生景観の変遷は,以下のようになる。約400年前以前には,ブナ林(極相林)が保たれ,人間活動の影響は小規模であった。約400年前頃に,二次林化が進みコナラ・ミズナラ林が拡大した。約150年前以降には小規模なスギの植林が行われ,近年では大規模なスギの植林が行われた。今後は,本研究結果と歴史資料などとの整合性から、本研究地における丘陵地の森林と人間活動との関わりについて明らかにしたい。
  • 松本  太, 石井 康一郎, 山口 隆子, 安藤 晴夫, 三上 岳彦, 福岡 義隆
    p. 142
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 近年,地球温暖化とヒートアイランドによる温暖化に呼応して都市域では開花が早くなったり,紅葉が遅くなったりするなど,植物季節に変化が見られるようになったといわれている.そこで,松本・福岡(2003)は,埼玉県熊谷市を例として,2001年春に,都市の気温分布とソメイヨシノ(Prunus yedoensis)の開花日の局地差との関係を調査した.その結果,ソメイヨシノの開花日の分布に関しては都心部の高温域で早く,都市郊外の低温域で遅い傾向がみられ,ヒートアイランドが開花日に影響を与えていることが明らかになった.しかし,ヒートアイランドの調査は移動観測によって行われたために,開花日に影響を与えると考えられる積算気温と開花日との関係を詳細に検討するまでには至っていない.したがって,常時気象観測データが得られるような条件下でそれらの関係を検討する必要がある. 東京都環境科学研究所および東京都立大学(三上研究室)では東京都区内100カ所の小学校で百葉箱に自記録式の温湿度計を設置し,毎時10分間間隔で観測を行っている(METROS100).そこで,本研究では2004年春,それらの小学校のうち都心部から郊外部にかけての数地点を選定し,小学校内あるいは近辺におけるソメイヨシノの開花日の調査を行った.そして積算気温に着目しつつ,東京都区部におけるソメイヨシノの開花日に及ぼすヒートアイランドの影響について評価することを試みた.2. 調査方法ソメイヨシノの開花日の観察は2月下旬_から_3月下旬まで東京都区内,中央区,千代田区などを都心部,練馬区付近を郊外部として,当該地域の小学校や小学校付近の公園などを巡回し,調査を行った(図1).開花日の基準については気象庁の生物季節観測指針に従って判断した.すなわち1本の観察木で5,6輪以上の開花がみられた期日をもって開花日とした.なお,本研究では一つの地点で2本以上の木がある場合には,50%の木が開花したの基準に達した日を開花日とした. 3. 結果2004年は2月から3月にかけて,平年よりかなり気温が高く推移したために,気象庁発表では東京(靖国神社)はソメイヨシノ開花日の観測史上2番目に早い3月18日の開花となった.本研究で調査した地点では開花日は都心部の高温域で早く,郊外部の低温域で遅い傾向が見られ,都心部の早いところで開花日が3月18日であり,郊外部との開花日の局地差は最大で6日であった.よって,東京都区部においてもヒートアイランド現象が開花日に影響を与えていると考えられる.また,都心部と郊外部における開花日は各々におけるある起算日からの積算気温の変化傾向に相対的に対応している.以上のことから,ヒートアイランド現象によって都心部,郊外部におけるソメイヨシノの開花過程に影響を与える積算気温の推移に局地差が生じ,結果的に都市内外における開花日の局地差につながっていると考察された.謝辞2002年のMETROS100のシステム立ち上げ以来,東京都環境科学研究所の横山仁氏,市野美夏氏,秋山祐佳里氏,小島茂喜氏,現東京都水道局金町浄水場の塩田 勉氏,江戸川大学の森島 済氏,東京都立大学の泉 岳樹氏には,気象データの処理などに関して,多大なご尽力をいただきました.ここに記して深くお礼申し上げます.
  • 西城 潔, 吉田 明弘
    p. 143
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに
    宮城県北西部の花山村は奥羽脊梁山脈に隣接する丘陵地帯に位置する。丘陵斜面の植生は、大部分がミズナラを主とする二次林および戦後に植栽されたスギの造林地からなる。演者らは、同村沼山地区の地すべり地内にみられる大沼湿原および周辺丘陵地の地形・表層堆積物をもとに、過去約千数百年間の丘陵地の植生および景観の変遷について調査を行っている。本発表では、この丘陵地で数百年前に起こったとみられる二次林化とその要因について、主に人間活動との関わりという観点から検討する。
    2.沼山の堆積物と微地形
    (1)花粉分析結果
     花山村沼山地区に位置する大沼湿原の堆積物についてその層序や堆積構造を明らかにし、堆積物について年代測定と花粉分析を行った。その結果、約400年前頃にブナの優占する冷温帯落葉広葉樹林からミズナラ・コナラを主とする二次林へと周辺丘陵地の植生が変化したことがわかった。
    (2)表層堆積物中の炭化木片
     地すべり地形からなる沼山地区には多数の小凹地が分布している。そのいくつかにおいて凹地を埋める堆積物を観察した結果、地表面下数10cmの層準にしばしば多数の炭化木片が含まれることがわかった。こうした炭化木片を採取し14C年代測定を行ったところ、もっとも古いもので約600年前を示す年代値が得られた。
    (3)炭焼き窯跡
     花山村の丘陵地では、かつて木炭生産が盛んに行われていた。統計資料によれば、明治30_から_40年代に1万俵前後だった年間の製炭高が昭和10年代には10万俵を突破、昭和20年代には20万俵を超えた年もあった。昭和30年代以降、急速に木炭生産は衰退するが、丘陵地内には、過去に利用されていた炭焼き窯の跡が現在でも多数認められる。この地域で使用されていた炭焼き窯は楕円形状の平面形(長径約4m、短径3m弱)を有するドーム状の構造をなしていたとされる。現在では、こうした炭焼き窯跡は、楕円形状に窪んだ微地形(以下、窯跡)として残っている。窯跡の周囲、とくに炊き口と呼ばれる窯の入口付近の表土中には、多数の炭化木片が含まれる。大沼湿原の周囲にも、使用されていた時代は不詳ながら、同様の特徴をもつ窯跡が複数確認された。
    3.考察
    花粉分析の結果から、花山村沼山地区の丘陵地で400年前頃に二次林化が進んだことは明らかである。また自然的要因による山火事の可能性を別にすると、表層堆積物中に含まれる多量の炭化木片は、火入れまたは木炭と関係した過去の人間活動を示唆するものであろう。そのような人間活動により丘陵植生の二次林化が促されたものと考えられる。また丘陵斜面内に多数の窯跡がみられることや、上記のような木炭生産が少なくとも藩政時代には始まっていたとする見解(花山村史編纂委員会, 1978)をも考慮すると、その人間活動とは丘陵地の森林を利用した木炭生産であった可能性が高い。
  • 川久保 篤志
    p. 144
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 本研究の目的は,1980年代後半以降のアメリカ・カリフォルニア州のオレンジ産地の変動を,わが国のオレンジ輸入の動向と絡めて考察することである。 わが国はアメリカ産の生鮮オレンジの極めて重要な輸出相手国であるが,その輸入量は1980年代の輸入枠拡大と1991年以降の自由化を通じて急増してきたものの,1995年以降は一転して急減してきた。このような変化は,アメリカの日本向け生鮮オレンジのほぼすべてを産出しているカリフォルニア州の生産現場にどのような影響を及ぼしているのであろうか。本報告では,アメリカ農務省の統計をもとにその変化の概要を説明する。2.1985年以降のカリフォルニア州でのオレンジ生産 図1は,1985年以降のカリフォルニア州のオレンジ栽培面積と日本への輸出量を示したものである。これによると,オレンジ栽培は1990年代半ばまでは大きく伸びたがその後は停滞し,1999年以降はバレンシア種を中心に減少が顕著になっている。 この動きは,日本への輸出が1990年代半ばにかけて増加し,その後減少していることと相関関係があるように思われる。しかし,図2で輸出量全体の推移についてみた場合,近年の日本への輸出減は韓国・中国への輸出増である程度埋められており,生鮮オレンジの輸出依存度も1996年以降は30%台前半を維持しており,大きな変化はみられない。したがって,日本向け輸出の動向はその拡大局面においてはカリフォルニア産地の拡大に寄与したものの,減少局面においては産地の縮小にそれほど深刻な影響を及ぼしているとは考えられない。 近年のオレンジ,特にバレンシア種の減産の要因としては,アメリカでのシトラスの消費嗜好の変化の影響が大きい。アメリカでは,1990年代後半以降オレンジの消費が減退する一方で,より甘く皮が剥きやすいタンジェリン系シトラスの消費が伸びており,その販売単価はネーブルの1.5倍,バレンシアの1.9倍と高い水準を維持している。カリフォルニアではこのような動きに合わせて,オレンジではネーブルの,他のシトラスではサツマやクレメンタインの作付を増加させているのである。 しかし,タンジェリン系のシトラスはもっぱらアメリカ国内向けに販売されており,日本をはじめとする輸出先の開拓は大きくは進んでいない。また,南アメリカからの輸入増によるアメリカ国内での競合も懸念されている。したがって,これらのシトラスがオレンジ・グレープフルーツに次ぐ第3のシトラスに成長するかは不透明であり,今後もオレンジの輸出拡大に対する期待は大きいものと思われる。
  • 河角 龍典
    p. 145
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに 本研究の目的は,地理情報システムを用いることによって,平安時代を示す層位の深度情報のデータベースから,平安京の地形を定量的に示すDEM(Digital Elevation Model)を作成することにある. 平安京跡が位置する京都盆地北部は,わが国において最も発掘調査密度が高い地域のひとつである.これらの発掘調査は,考古学的情報に加えて多くの地質情報をもたらす.そのため,平安京跡には発掘調査から得られた地質情報が発掘調査報告書として蓄積されている.しかしながら,このような発掘調査から得られる地質情報は,自然科学的記載が不十分であることや二次資料であることを理由にこれまで自然地理学,地質学の研究資料として扱われることは少なかった.本研究では,発掘調査から得られる地質情報の中でも,比較的高い頻度で正確に記載されている考古学的層位(遺構,遺物包含層)の地表面からの深度に注目し,その解析方法と応用事例を示した._II_.資料と分析方法 平安時代を示す層位の深度およびその位置情報は,(財)京都市埋蔵文化財研究所編集の『京都市内遺跡立会調査概報』に記載された情報を使用した.一方,現在のデジタル標高データは,国土地理院の数値地図50mメッシュおよびレザープロファイラによって作成された2.5mメッシュのデジタル標高データ(パスコ社製)を用いた. DEMに関する各種分析には,ESRI社のArcGISを利用した.平安時代を示す層位深度のデータは,層位深度の判明している地点をGISにポイントデータとして入力し,そのポイントデータをクリキング法で内挿することによりラスタ化した.平安時代の標高を示すDEMの作成は,現在の標高を示すDEMから平安時代の層位深度のラスタデータを差分することによって算出した._III_.結果・考察_丸1_平安時代の層位深度の空間的分布には地域性がある.平安京域では,左京の堀川以東の地域において層位深度が大きくなる.とくに左京の五条以北に,層位深度が1.5m以上に達する地域が分布する.こうした地域は,15世紀_から_江戸時代の鴨川の洪水氾濫に伴う堆積物が多く供給されている地域である._丸2_平安時代の標高を示すDEMから1m等高線図を作成した結果,現在のDEMと異なる地形起伏を検出することができた.さらに,地形面の境界が明瞭になり,平安時代以前に形成された地形面の区分が容易になった._V_.展望_丸1_平安時代以降にも地形景観は著しく変化しており,現在の環境や景観を示す等高線図や地形分類図の過去への適用は誤った解釈を導く可能性がある.過去の地形景観を直接的に示すDEMは,遺跡立地や土地利用,土地開発と地形環境との関係について,より正確な考察を可能にする._丸2_遺構埋没深度の空間的分布は,一定期間における堆積量の空間的分布を示しており,過去の河川の洪水氾濫区域を復原するための指標になる.また,これは工学的知見から作成された現在の浸水区域想定図ともよく一致していることから,洪水ハザードマップの作成に活用できる可能性がある.
  • 堤 純
    p. 146
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    本報告は,オーストラリア・メルボルン市の都心部を対象に,建築物の高層化の過程にみられる地域的な特徴を分析することを目的とする。なお,本研究の対象地域であるメルボルン都心部とは,東をSpring 通り,西をSpencer 通り,南をFlinders 通り,北をLa Trobe 通りで区切られる東西約2km,南北約1kmの範囲であり,通称”city loop”の範囲とした。 メルボルン市はオーストラリア南部,ビクトリア州の州都である。2001年の国勢調査によれば人口は313万2900人を数え,シドニーに次ぐオーストラリア第2の大都市である。オーストラリアは統計データの整備および公開という点では先進国の1つである。Australian Bureau of Statistics(オーストラリア統計局,以下ABSと略記)のホームページには国勢調査に関わる多様なデータが公開されている(http://www.abs.gov.au/)。ABSではGISの導入も顕著である。最小の統計区単位CDレベル(collection district level)の境界ポリゴンデータは,"Digital Boundaries data"として販売されている。データの形式はGISソフトウェア「MapInfo」用の.mif/.midである。提供されるデータの座標系はオーストラリアの標準座標系であるGDA1994である。本報告では,これらのデータをESRI社の提供する変換ソフトを用いて.shp形式に変換して分析を進めた。また,メルボルン市は都心部の建物利用および業務機能の集積状況に関する"CLUE"データベース(土地利用と雇用に関する国勢調査Census of Land Use and Employment)を整備・公開している。このデータベースは大都市圏に関わる研究,教育,ビジネス意思決定支援など多様なニーズに応えるべく都心部に関する基礎的なデータの公開・利用促進を意図したものである。メルボルン市の都心および都心周辺部(概ね都心から5km)を12の地区に細分して詳細なデータが公開されており,オフィス床面積,事業所数,従業者数等がホームページ上にて無料でダウンロード可能である。これらの基礎的なデータに加え,メルボルン市役所から個別の建築物に関する階数,建築年,延床面積などのデータをCLUEデータベースから得た。これら提供されたGISデータをベースマップとして,現地において建物物高層化の過程に関する現地調査を実施した。メルボルン市都心部における建築物の高層化において特徴的なことは,特に1980年代以降に50階建てを超えるような大規模なオフィスビルが複数供給されたことである。加えて,1990年以降は30階建てを超えるような高層アパートも数多く立地した。メルボルン市における建築物の高層化の典型例は,1900年代前半(あるいはそれ以前)に建てられた低層のレンガ造りの店舗を取り壊し,周辺の区画を寄せ集めて一つの大きなビル建設用地を作り出し,その場所が超高層のオフィスビルへと変貌することである。高層のオフィスビルの供給地点は,1980年代まではCollins 通りの周辺に極端に集中する傾向がみてとれる。初期はCollins通りの東方から年代を追う毎に同通り西方にかけて進展した。しかし,1991年にBourke Place(55階建てオフィスビル,King通りとBourke通り交差点)の登場を契機に,オフィスビルはcity loop内に分散する傾向を示すようになった。また,メルボルン市中心部の繁華街に相当するSwanston 通りの両側は40mの高さ制限があるため,建築物の高層化は進展せず,建築年代の古い建物が比較的多く残ることが明かとなった。
  • ヴァイヒッセルガートナー ユルゲン
    p. 147
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    (注)英語のみでのプレゼンとなります。
  • 矢崎 真澄, 後藤 真太郎, 濱田 誠一, 沢野 伸浩
    p. 148
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに
    近年、日本国内における災害危険度を想定したハザードマップの整備は、各種自然災害で国家プロジェクトとして急速に進められている。しかし1997年1月2日未明のロシア船ナホトカ号による油流出事故以降、油流出事故を想定したハザードマップの使用方法等についての十分な検討は行われていない。米国(NOAA HAZMAT)では油流出に対する沿岸の脆弱性を評価したESIマップが早期から作成され、油防除活動の支援手段の一つとして効果をあげている。米国のNOAAが作成したESIマップには、海岸形態情報、生物資源情報および社会施設情報の各種情報が、記号および色分けにより示されている。いずれの情報も油防除の活動方針を検討するための判断材料とされる。ESIマップは地震災害の場合の地震危険度マップに相当し、防災マニュアルおよび地域防災計画とともに、油防除作業の意志決定に寄与するものであるが、日本でESIマップの使用方法に関する検討はほとんどなされていない。日本の沿岸域は、都市的機能や産業活動が集積しており、上記ESIマップの自然環境を指標とした脆弱性評価は、日本の社会事情に常に適合するとは言い難い。そのため、漁業者による沿岸域の利用実態をESIマップに重ねて表示することは、社会的影響の脆弱性を検討することにつながる。現在、北海道の北方、サハリン島北東部オホーツク海沿岸で本格的な原油生産を開始している。本研究では、油防除活動の支援手段の一つであるESIマップの使用方法について検討することを目的とする。
    2.漁場情報を加えたESIマップの試作
    北海道網走漁業協同組合の総漁獲量は52,085t、総生産額は約86億1,700万円である(網走市2002)。ホタテ貝、スケトウダラ、サケの漁獲量が全体の64.8%を占める。網走沿岸域は、ホタテ貝の養殖を中心とした沿岸漁業の重要な海域である。沿岸域における漁場名の存在は、当該海域に漁業者の生活様式が長年培われてきたことの証左である。網走漁協の漁業形態は、沿岸、機船、および沖合に大別される。沿岸および機船による操業海域には、定置網、ホタテ地撒きの他、漁業者により「6マイル」および「8マイル」と呼称される漁場がある。この漁場名は、能取岬を起点とした離岸距離に由来する。ESIマップ上に漁業者の沿岸域利用の実態を重ね合わせ作図した結果、以下のことが明らかになった。第一にESIマップで使用される「断崖・防波堤」、「波食台・傾斜護岸」、「細・中砂海岸」、「粗砂海岸」などの脆弱性の低い海岸性状は、能取岬周辺、網走港周辺、藻琴湖以東に確認した。第二に網走沖ではケガニ、ホッケ、カレイ、タコを対象とする漁場利用、網走沿岸ではサケ、ホタテの他、ウニ、シマエビ、ホッキガイを対象とする漁場利用をそれぞれ確認した。ウニは能取岬および網走港周辺の岩礁、ホッキガイは藻琴湖以東の砂地で漁獲されている。上記の漁場では、各魚種の主漁期にあたる期間中、漁業生産が見込まれる。漁業者の季節別・魚種別の沿岸域利用に関する漁場情報をESI マップにプロットすることで、従来の油防除の評価に漁場情報が加味され、油流出時のリスク・コミュニケーションを支援する情報図になることを確認した。
    3.まとめ
    ESIマップは、油流出事故による被害を最小限に抑えることを目的に作成され、油防除活動の支援手段として活用されることが望まれる。今後、油流出事故時のステークホルダーの「心」を表す漁場情報を防災マニュアルに生かしていく工夫が必要である。このことは、科学的な知見を踏まえた防災業務の効率的運用につながることであり、社会技術的に検討しなければならない問題であると考える。このため、本研究では、網走漁港周辺の沿岸海域をフィールドとし、統計資料およびヒアリングにより漁業者の漁場利用の実態について把握した。その結果、一例ではあるが、漁業者の季節別・魚種別の沿岸域利用の漁場情報をESI マップにプロットすることで、従来の油防除の評価ランクが補正され、沿岸の利用実態に即した情報図になることを確認した。効率的で合理的な油防除の活動計画を検討する場合、ESIマップによる沿岸の脆弱性指標の評価とともに漁場情報を考慮する必要がある。漁場情報を付加することによる沿岸域の評価ランクの変動は、とくに、ESIマップのコンセンサスを得る際の重要な要素になると考えられる。また、操業時以外の時期の事故を想定した流氷下の油防除対策の意思決定は、更に複雑になると考えられ、今後の検討課題としたい。
  • 竹井 務, 小野寺 真一, 峯 孝樹, 齋藤 光代
    p. 149
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    近年、水収支や物質循環の観点から沿岸域における海洋への地下水流出の重要性が指摘されている。しかし、取り扱いの困難さから定量化に関する過去の研究例にも大きなばらつきがみられる。また、海洋へ流出する地下水には正味の淡水の地下水流出だけでなく海水の再循環水が含まれており、その評価は不可欠である。つまり、再循環水を含め、海洋へ流出する地下水に関して、その実態は未だ良く分かっておらず、個々の地点における詳細な検討の積み重ねが必要であるといえる。そこで本研究では、降水量の異なる地域での潮汐が引き起こす海水の再循環に注目し、実際の観測によってその詳細をとらえることを目的とした。
    2.研究地域及び方法
    研究地域は瀬戸内海に位置する広島県豊田郡瀬戸田町(生口島)と広島県佐伯郡宮島町室浜(宮島)の沿岸部とした。背後の流域の年降水量はそれぞれ約1100mmと1600mm、起伏比は0.24と0.26となっており宮島のほうが背後の地下水ポテンシャルが高いことが予想される。海岸部は大潮の干潮時には沖に向かって100mほど地表が露出する遠浅の地形となっている。また、瀬戸内海は日本でも有数の潮位変動幅が大きい地域で、大潮の時には干満の差が4m近くにまで達する。
    方法は潮間帯にいくつか設置したピエゾメーターによって地下水流動を推定し、同時に採水を行うことで地下水中の海水寄与率を求めた。この観測を2時間間隔で行うことで潮汐に伴う再循環水の挙動をとらえた。
  • ウサンバラ・ルショト地区を事例として
    藤稿 亜矢子
    p. 150
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    本研究の目的は、自然環境の概要を把握した上で社会問題を考察することによって、コミュニティーベースの森林管理における問題点を明らかにすることにある。衛星写真、地形図、GPS、GIS、などを用いて自然環境を把握し、更に文献による歴史的、社会的背景の分析を行った。また現地調査でインタビュー、ヒアリングを行い、社会的問題の現状を考察した。
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