日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の189件中51~100を表示しています
  • 金 幸隆
    p. 51
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに 日本列島には,逆断層が繰り返し活動して形成された変位地形が数多く発達する.走向方向における地表変形の特徴,変位量分布,ふるまい,断層長については十分に検討されていない.断層長は地震規模のパラメータであり,変動地形学では断層のマッピングに帰する問題である.断層はその活動の累積によって地表の変形領域を成長させることもあれば,既に成熟してしまった断層もある.信濃川活褶曲逆断層系を事例に河成段丘・丘陵地質の縦断面形,変位量,変位速度の時間・空間の変化について調べた.
    セッティング 越後平野西縁や十日町盆地西縁では,複数の段丘面の変形状態から左雁行配列する活褶曲の存在が明らかにされており,新第三系・第四系からなる北北東走向の鳥越背斜と片貝真人背斜が形成されている.地下には西へ高角度に傾斜する断層が存在する.背斜の東縁部には顕著な撓曲帯が認められ,それらは北からの鳥越断層および片貝断層・真人断層・片貝断層と呼ばれる.
    成熟断層の事例
    鳥越断層に沿って発達する段丘面と背斜山稜の縦断面形は,中央部から南北両方向に傾き下がる対称形を呈しており,相似関係にある.形成時代の古い変位基準の縦断面形ほど分布範囲が広く,それぞれ波状の変形を示している.つまり,背斜山稜が鳥越断層の活動の累積によって現在も成長している.最大変位量は,中期更新世,後期更新世,完新世を通して,地表断層の中央付近の同じ位置に認められた.最大変位速度は,1.0 m/千年であり,長期間を通して等速である.
    つまり,断層活動を伴った背斜丘陵の隆起と成長が,第四紀中後期を通して規則的に進行した.従来,鳥越断層の長さは,変位・変形した段丘の分布から11kmと見積もられていたが,約100万年間の累積変位により形成された背斜山稜の分布範囲から,35kmであると推定した.松田(1975)の断層長と地震規模との関係式に従って,地震の規模を計算するとM7.5になる.これらの値は,最新活動期の最大変位量2.0 m(渡辺ほか,2000)に基づいて計算してもほぼ調和する.従って,本研究方法により見積もられた断層長は妥当である.
    成長断層の事例 一連の構造として認識されていた片貝-真人背斜は,間に鮮新-更新統の構造的な不連続が認められる.片貝背斜と真人背斜は北に緩くプランジしており,段丘面の縦断面形とも調和している.南には松之山背斜が認められる.片貝背斜と真人背斜の表層地質は,軟質岩(魚沼層と呼ばれる鮮新-更新世の厚い海成層)からなる.松之山背斜では,硬質岩(中新世の固結した凝灰岩)が背斜軸上にあらわれており,片貝背斜と松之山背斜は構造的に区分される.
    片貝断層沿いに発達する段丘面は,背斜の北端域において新期の段丘面ほど広く発達し,基盤である魚沼層の地質構造に調和して北方へ急傾斜する.最大変位量と最大変位速度は北端域に認められ,第四紀後期において速度は速くなっている.北側への延伸速度は,約150 m/千年と見積もられる.この原因は,断層の北端に応力集中があり歪みエネルギーが蓄積されているからである.
    霜条断層沿いに発達する段丘面の縦断面形は背斜の南部で逆傾斜し,中北部では北に緩傾斜の非対称形を呈している.最大変位量の位置は,第四紀中後期を通して常に南部に偏在し,その最大変位速度は0.9-1.2 m/千年である.形成時期の古い段丘面ほど南端域に広く発達し,最大変位の位置も古期の段丘ほど南部に認められので,霜条断層は北方方向へ見かけ上収縮している.しかし,最大変位速度を時代別に整理すると,新期の段丘面ほど変位速度が大きく,霜条断層は第四紀中後期を通して南方へ累進している.この原因は,断層の進展メカニズムに関係しているにちがいない.真人背斜の南方への累進による変形は,南の固結した凝灰岩によってブリッジングされて,軟質岩と硬質岩の界面に沿って変位が累積する.従って変位量が背斜の南端付近で大きくなる.
    段丘面と背斜山稜の縦断面形,活断層の変位量分布や変位速度分布の時間・空間の変化から,背斜丘陵は片貝断層と霜条断層に特有な運動によって累積的に隆起している.片貝断層と霜条断層は背斜山稜の発達範囲から,それぞれ9kmと26kmと見積もられる.津南断層の長さは10km以上である.これらの長さは,段丘面の分布範囲から求められていた断層長の2 倍に達する.
    まとめ 信濃川西岸地域における変動地形の縦断面形,変位量,変位速度の時間・空間の変化に基づいて,それらの特徴を比較検討した結果,断層活動の累積性と断層の長さが解明された.断層の長さや地震規模は,かなり過小評価されていた.
  • 飯田 貞夫, 志村 聡, 大島 徹
    p. 52
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    2003年夏季における阿武隈川の水質特性について、第1報として報告する。阿武隈川では、狭窄部の存在、及び支流の流入が河川水質に大きな影響を及ぼしている。イオン濃度の高い水が支流から流入しても、地形的狭窄部を通過することで、改善される傾向にある。
  • 田上 善夫
    p. 53
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_ はじめに 中世以降,近世を中心に開創された地方霊場の多くは現在も存続するとともに,さらに新たな開創が続いている。こうした地方霊場の種類,開創年代,範囲,巡拝路の形態,さらに霊場数あるいは霊場密度などには,全国的に差異がみられる。地方の三十三観音霊場などでは,観音像は本堂でも脇侍とされたり,境内の観音堂にまつられたりする。さらに堂庵や神社,石塔などのことも多い。そもそも霊場はその起源においても仏教のみならず修験との深いかかわりが認められ,神仏習合のもとでは観音を本地とする神社も多いため,札所は神社の内や隣接することも多く,さらに背景に民間信仰が認められるものも多い。_II_ 霊場と寺社の調査 北海道から北陸に至る北日本において,主要な地方霊場について施設や景観などを調べるとともに,それらの分布と関連する寺社などの分布との比較をとおして,霊場の開創の要因や経緯などについて明らかにする。まず,歴史が古く代表的な霊場を選び,霊場および札所寺院の位置や景観,宗派などの特色を,現地調査にもとづいて明らかにする。次に,現在の宗教法人の寺院の主要宗派別の分布を明らかにし,それとともに著名神社を選んでその分布も明らかにする。さらに主要仏教宗派の分布が成立した経緯や,著名神社の成立の経緯などにもとづいて,霊場開創地域の宗教的基盤の特色を明らかにする。さらに,それらを通して明らかにされた地方霊場開創にかかわる要因の中から,とくにかかわりが深い山岳信仰について分析を加え,霊場の開創とその地域的差異の検討を試みる。_III_ 地方霊場と寺社分布 各県ほどの規模の霊場では,札所はおよそ平野や盆地の縁である山麓にみられ,札所は岩や沢の傍らなどに設けられている。札所として,真言系寺院をはじめ,天台系や禅系の寺院が多く選ばれているが,修験の寺院もあり,神社境内にある観音堂のこともある。寺院は当該地域の南西部では浄土系,北東部では禅系などが多く,平野では浄土系,山地側では禅系,天台系,真言系が多い。この天台系・真言系寺院は古くから進出し,霊場と深くかかわり,禅系寺院も霊場とのかかわりを保つ。一方神社は,当該地域には八幡社が広く分布し,稲荷社は北部に多く,神明社は南部に,熊野社は内陸部に多い。_IV_ 山岳信仰の影響 とくに熊野社は,熊野三山や天台系と結びつき,霊場とかかわりが深い。もともと巡礼では札所のほかに多くの霊山が参詣されており,巡礼には山地での修行が含まれる。 廻国巡礼は富山では立山に至り,西国・坂東・秩父巡礼は出羽三山参詣と類似のものとみなされていた。東北地方北部でも,地方霊場は山岳霊地に連なり,お山参詣は修験の影響を受けて,山岳信仰の要素を含んでいる。霊場と結びつく,天台系・真言系や熊野社などが深く結びついており,これらは開創年代が古く,周辺に位置し,とくに観音とかかわっている。さらに修験や山岳信仰と結びついており,それらは霊場の基本的性格を形成したと考えられる。
  • 野上 道男
    p. 54
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    この研究の目的は、海面変化・地殻運動、気候変化など変化する外部条件のもとで、地形がどのように発達するかをシミュレートすることである. 地形発達モデルの数学方程式は以下のようである.
    Q = d(∂u/∂x)   -------------- (1)
    Q=a exp(rx)(∂u/∂x)  -------------- (2)
    ここで、点xにおける高度をuとし、Qは土砂流量、dは気候と岩石の浸食に対する抵抗的硬さによって決まる拡散係数、rは河川縦断形の凹形度で河床土砂の径の下流への減少に対応しているパラメータであり、aは比例定数である.
    気候変化と海面変化は酸素同位体5eステージ以降の期間と同じように将来の10万年間について繰り返されると仮定した.過去に断続的にしかし等間隔に起こってきた地殻変動は将来も継続するであろう.火山灰の降下は断続的に起こる.これによって段丘面や安定化した斜面の時代を示すことができる.
  • 門村  浩
    p. 55
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.追想と調査 第二次大戦終戦から1ヶ月後の1945年9月17日,豊後水道を北上してきた超大型台風・枕崎台風は,広島県西部_-_山口県東部の瀬戸内沿岸域を直撃した.沿岸では高潮災害が起こり(山口県柳井町新開作で被災),臨海の花崗岩山地では大雨により崩壊・土石流が多発した.崩壊・土石流は,広島湾岸の呉市,宮島とその対岸の経小屋山山塊の2地域に集中して発生した.約2週間後,土石流のため不通となった宮島対岸の山陽本線区間を,点々と転がる生々しい岩塊と法面から湧き出す滲出水を眺めながら歩いて渡った.1947年5月中旬頃,沢抜けで岩盤が露わになった宮島・紅葉谷川の渓床を,アカマツ大木の倒木を跨ぎ,転石に飛び乗り、滝をよじ登りながら溯った記憶とともに,忘れがたいイメージである.その後,1)「安芸西南部山地の地形」と題する卒業研究(1955-56),2)森林保全(1972),3)自動車道土石流対策(1974)の委託調査で,現地調査を行う機会があった.2), 3)では,1947年米軍撮影空中写真などの判読により詳細な崩壊・土石流分布図を作成した.1999年6月29日梅雨前線豪雨による広島周辺土砂災害の後,比較調査のため再度現場を訪れ,枕崎台風災害時の資料収集とヒアリングを行ってきた.  こうして集積してきた一連のイメージとデータが散逸しないうちに,そのいくつかを提示して,イベントの実態復元にまつわる疑問点を検討し、今後の研究の進展に資したい.2.地形の特徴 対象地域には,岩壁とトアを伴う上部の急斜面と深層風化断面ないし新旧土石流堆積物からなる山麓の緩傾斜地との明瞭な対立をはじめ,花崗岩の岩質とその風化特性に起因する典型的な地形の配列が見られる.3.崩壊・土石流の概要 宮島(530.4m):全島で239ヶ所の崩壊が生じたが,土石流につながる崩壊はその50%までが標高200m以上の山稜直下の谷型斜面に発している.厳島神社に被害を与えた紅葉谷川の土石流をはじめ,二十数の渓流を土石流が流下した.標高100m以下の深層風化断面からなる低起伏地での崩壊は少ない.崩壊は天然のアカマツ壮齢林や広葉樹の密林の中にも生じた.経小屋山(596.0m):宮島に対峙するこの山塊とその周辺では,南東向き斜面を中心に1,000ヶ所を超える崩壊が生じた.土石流は,経小屋山南東斜面を流域とする渓流145のうち52の渓流で生じた.このうち丸石川に発生した土石流が,原爆被爆者を収容していた陸軍病院を破壊し,150以上の人命を奪ったことはよく知られている.丸石川の例が示すように,流域内に数ヶ所以上の崩壊があった場合,例外なく大規模な土石流が発生している.一方,1ヶ所だけの崩壊から生じた土石流は,流下距離が短く,渓口まで達したものは少ない.標高の高い急斜面の上部に発生した崩壊が,大規模土石流の発生に直結した割合が高かった.宮島の場合同様,マサ土が卓越する山麓の深層風化地帯での崩壊・土石流の発生はまれであった.4.疑問と課題 1)崩壊・土石流の発生に関わった降雨状態についは,域内に観測所がなかったので,広島気象台の観測記録,9月17日21時までの先行累加雨量150mm,引き金時雨量21-22時の50mmが用いられてきた.しかし,これらの数値は, この時の崩壊・土石流の発生率と,1999年イベント時の降雨強度(最大141mm/h)に照らして,小さすぎる.崩壊・土石流の分布密度が示唆する強雨域発現の空間集中性とともに、対流セルのモデル化などによる再検討を要する課題である.2)多数の崩壊・土石流が発生した原因として,大戦中における森林の乱伐と管理不足が挙げられてきた.しかし,宮島では厳重に保護されてきた弥山原生林の中でも崩壊・土石流が発生している.林相はマツ枯れの著しい現在の方が荒廃している.今の経小屋山南東斜面は,マツ枯れに加えて,度重なる山火事のため著しく荒廃し,トアが佇立し岩塊が累々とする,“疑似半乾燥景観”を呈している.植生の役割についての,慎重な水文地形学的検討を必要とする所以である. 3)長期的視点からは,山麓の緩傾斜地や扇状地状地形の形成に土石流が果たしてきた役割を重視した,編年学的研究の進展を期待したい.短期的視点からは,半世紀も前に起きた土砂災害イベントとその要因を詳細に復元することが,ハザードマップの精緻化とその適切かつタイムリーな運用の基礎となることを強調しておきたい.経小屋山とその山麓域は,花崗岩地域における地形発達研究とともに,応用地形学的研究を行うための好個のフィールドであると思っている.
  • 鈴木 康弘
    p. 56
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 1995年以降、活断層調査が急速に進められ、トレンチ調査や反射法地震探査の数は飛躍的に増加した。しかしそれらのデータは「点」の情報に過ぎず、一向に個々の活断層の動的なモデルは見えてこない。2004年度末に地震動予測地図が完成し、基盤的活断層調査が一区切りを迎えるにあたり、個々の断層の「地震時挙動の全体像を把握するために本質的に重要な調査手法」を改めて考え直す時期に至っている。 この場合、(1)どこから破壊が始まって、(2)どのような変位量分布が断層上に現れ、(3)どの範囲が「活動区間」となるか、の3つが重要となる。しかし、これまではトレンチ調査を優先させすぎたせいもあり、(1)_から_(3)を考えるために十分なデータが不足した。これら(少なくとも(3))を確定しないままに「地震発生時期」だけを予測しようとしても、次に起こる事象如何によって発生時期の推定論理も異なるのだから、現状の評価には問題がある。また、以下に述べるように発生確率の過小評価を招き、防災上の問題も大きい。この問題を改善するため、そもそも最初にやるべき基礎的調査を充実させた上で、再評価する必要がある。 (1)については中田ほか(1998)の手法が現状では唯一の推定方法であり、その適用限界の検討が課題となる。(2)と(3)はセットで、地震時の強震動推定の重要なデータを提示すると考えられている。(1)_から_(3)が完全に理解できれば、活断層研究が地震防災に大きく貢献できることになるが、現状では楽観的な見通しを述べることには慎重になるべきであり、現状評価を少しずつ改善させるという位置づけが適当である。 藤原(2004)によれば、現状の活断層評価の結果として提示された今後の地震発生確率では過去200年間の地震発生数を説明できず、確率は大幅に過小評価になっている。この指摘を重く受け止めて改善策を検討しないといけない。本稿では、その改善策として、地点ごとで累積変位量と平均変位速度を精査し、その分布を明らかにすることの重要性を述べる。
  • 澤井 祐紀, 佐竹 健治, 那須 浩郎, 鎌滝 孝信, 宍倉 正展
    p. 57
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. はじめに 北海道東部太平洋沿岸地域には顕著な更新世海成段丘面が見られ、この段丘高度が示す長期的(10万年スケール)な地殻変動傾向は緩やかな隆起である(Okumura 1996、小池・町田2001)。これに対して、過去100年間の検潮記録は、同地域が急激に沈降していることを示している。この明らかな矛盾傾向は、将来起こりえる巨大地震によって「つじつまあわせ」が起き、解消されると考えられている(池田1996)。仮に、そのような地震が過去に繰り返されていたならば、海岸地域には何らかの記録が残されているはずである。演者らはこのことに注目し、北海道東部の塩性湿地群において海水準変動の復元を行い、そこから過去の地震性隆起・沈降履歴を推定してきた。2. 研究方法 研究調査は、厚岸町周辺湿地、浜中町藻散布沼および火散布沼、根室市温根沼で行った。対象地域では、ピートサンプラーを用いて連続堆積物試料を採取し、あわせて地形測量を行った。採取した試料は研究室に持ち帰り、珪藻分析用試料(5mm_から_5cm間隔)、大型植物用試料(2cm間隔)に分割した。珪藻化石は次亜塩素酸ナトリウムによって抽出し(Sawai 2001)、大型植物化石は0.25mmメッシュの篩を用いて水洗・拾い出しを行った。炭素年代測定用の試料は、大型植物化石を用いて行った。火山灰は、EPMAによって含有元素を測定して起源を推定した。 3. 堆積物の層相変化と化石群集の変化 対象地域の地下堆積物は、泥炭層中に含まれる連続した無機質泥層および有機質泥層によって特徴付けられる。これらは、テフラKo-c2(西暦1694年)とTa-c2(約2500年前)の間に3層見られるという点で地域間の共通性が見られる。層相の変化の大きい層準において珪藻分析、大型植物化石分析を行った結果、これらの泥層には汽水_から_海水生珪藻(Pseudopodosira kosugii, Tryblionella granulata, Paralia sulcata, Diploneis smithiiなど)や、塩生植物であるヒメウシオスゲ、チシマドジョウツナギの種子が多く含まれていることが分かった。また、泥炭層中には多くの淡水生珪藻やミズゴケ類が含まれていた。以上の分析結果を参考に、環境変動の激しい層準の炭素年代を測定した結果、3層の泥層はそれぞれ北海道東部太平洋沿岸において発生した同時期の相対的海水準変動を反映しているものと考えられた。4. 相対的海水準変動をもたらす要因 本調査で明らかにされた相対的海水準変化をもたらす原因として、陸域の隆起、海水面の上昇、湖口部の開閉などが考えられたが、これまでに明らかにされている北海道東部の環境変遷史や津波堆積物の年代、珪藻類の特徴的な変化、層序境界の急激な変化、炭素年代の同時性から判断して、千島海溝の巨大地震イベントによる陸域の隆起が最も適切であると推定された.5. 古地震イベントによる海岸隆起量の推定 明らかにされた古地震イベントの個々の特徴を把握するために、珪藻類を用いた隆起量の定量復元を行った。海岸地域に生育する珪藻類は、冠水率(平均潮位からの相対的な高さ)、底質、塩分濃度に支配されて分布している。演者らはこの点に注目し、現生珪藻群集の観察結果から群集_---_高度の変換関数(Transfer Function)を作成し、それを化石群集に応用することによって海岸隆起量を推定した。その結果、テフラKo-c2直下の古地震イベントに伴った海岸隆起量は少なくとも0.5_から_1mであることが分かった。
  • 山本 佳世子
    p. 58
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究の視点と目的田園地域においては,地場産業の衰退だけではなく,過疎化と高齢化が同時に進行することにより,経済的,社会的な活気が喪失される地域が多い。このような状況に対応するように,全国各地で様々な地域活性化,地域振興のための事業が展開されている。また近年では,インターネットを利用した地域の情報発信も活発に行われるようになり,紙メディアのみの時代よりも,他地域の地域情報を容易に入手することができるようになった。そして地域情報の発信を契機として,異なる特性を持つ地域の住民同士が交流するケースもみられるようになった。このような事例のうち本研究では,都市・農村交流事業により地域振興に取り組んでいる滋賀県高島町を事例として,文献調査及びヒアリング調査を行い,その特性について把握することを目的とする。2.高島町のまちづくり事業の特性高島町では,2001年3月に,まちづくりのテーマを「人と自然がふれあうパートナーシップのまち_から_未来チャレンジタウン高島」とした第4次総合計画(チャレンジ未来(ゆめ)プラン2010)が策定された。このことを契機として,特に地域に密着した自治会・区などの既存コミュニティ組織を対象とした様々な補助事業が推進されている。そして各種事業の概要は,「草の根まちづくり資料集」としてまとめられ,広く公布されている。 したがって高島町のまちづくり事業の大きな特徴は,都市地域とは異なり,地縁的,血縁的な既存のコミュニティ組織を基盤とした,「草の根」のまちづくりを目指す点にあるといえる。高島町における特に代表的な地域振興事業として,中心部の勝野地区の旧市街地で行われているアイルランドとの交流及び中心市街地活性化をテーマとしたものと,中山間部の畑地区及び鵜川地区の棚田地域での農業振興をテーマとしたものの2つが挙げられる。これらの2つの地域振興事業は,都市的要素やまちのにぎわいを演出したまちづくりと,農村的要素や農産物による村おこしであり,たいへん対照的な性格を持つものである。3.都市的要素と農村的要素の複合による地域振興さらに高島町では,棚田を舞台とした村おこしだけではなく,前章でも紹介した特色ある中心市街地及び商業地の活性化によるまちづくりも同時に行われている。そのため高島町のもつ都市的要素と農村的要素を最大限に生かし,2つの異なる要素を複合化した地域振興が展開されているといえる。たとえば,棚田地域を訪問した来訪者が農業体験に従事したり,農産物を購入したりした後に,中心地のアイリッシュビレッジに移動する。そして今度は,アイリッシュビレッジ内で食事をしたり,土産物を購入したり,城下町の風情が残るまちなみを散策することができる。このように都市と農村という2つの相反する要素を同時に生かし,既存のコミュニティ施設を基盤とした草の根的な地域振興の事例として,高島町での取り組みはたいへん貴重であるといえる。4.結論 _から_琵琶湖・淀川水系の上下流域の住民の交流の可能性を探る_から_前章で紹介した高島町を舞台としたまちづくりや都市・農村交流は,琵琶湖・淀川水系という地域においては,上流域及び中流域と下流域との交流という別の意味も同時に持っている。琵琶湖は近畿1,400万人の水源として,滋賀県内だけではなく,大阪府,京都府,兵庫県などの琵琶湖・淀川水系の中流域や下流域に水を供給し,生活や産業を支えている。しかしこれらの中流域から下流域にかけての地域の住民は,水源地である上流域がどのような地域であるのか実情をあまり認識していない人々の割合も多いのが現状である。そのため上流域から始まった都市・農村の交流事業により,上流域及び中流域の住民が上流域を訪問することから生じる二次的な効果として,琵琶湖・淀川水系の上下流域の各住民間の交流が実現し,相互の地域の実情を知り合うことが期待できる。今後は都市・農村の交流だけではなく,流域の農村,山村,漁村間の交流の可能性もあるのではないだろうか。
  • 千田 昇, 松山 尚典, 竹村 恵二, 松田 時彦, 水野 清秀, 池田 安隆, 島崎 邦彦, 岡村 眞
    p. 59
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    「別府一万年山断層帯」(松田,1990)は、文部科学省地震調査研究推進本部により、98の主要起震断層のひとつとされ、同本部の交付金による活断層調査が、大分県により進められてきた。本報告では、断層帯の西部にあたる崩平山地域(大分県九重町付近)での調査結果を述べる。 本地域には、更新世中期に形成された野稲岳、崩平山等の火山体が分布しており、火山体を地溝状に変形させている長さ数kmオーダーの短い正断層性の断層崖が多数発達している。一方、1975年には、マグニチュード6.4の「大分県中部地震」が発生しており、新しい時代の断層活動も示唆される地域である。以下、代表的な断層での調査結果を示す。1 高柳断層・須久保撓曲 調査地域南部には、九重火山と崩平山火山の間に前者から噴出した飯田火砕流堆積物(FT年代で4.8万年前;本調査のデータ)で閉塞された低地(千町無田)が広がる。この低地の南縁で、沖積面を変形させている撓曲(須久保撓曲)を新たに見出した。さらに、その近傍で、九重火山の新しい火山灰(1,500年前)を変位させている断層をトレンチ調査で確認した(高柳断層;図-1)。いずれも北落ちであり、地溝南縁を限る断層の最新活動と考えられる。2 熊の墓断層 この断層は、崩平山火山の山体に比高50mに達する南落ちの断層崖を形成している崩平山地溝の北縁を成す断層のひとつである。火山麓扇状地上の低断層崖でトレンチ調査を行い、1,500年前に九重火山から噴出した火山灰を変位させている断層活動を確認した(図-2)。3 扇山断層 この断層は、崩平山地溝北縁の断層の延長部にあたる。大分県中部地震の震源域に位置し、断層の延長部では、同地震の際に、民家等に数cmの変位を伴う亀裂が生じたことが報告されている。今回の調査では、この亀裂の位置で表土剥ぎを行い、耕作土直下に、この地震の際に形成されたとみられる雁行状に配列する亀裂群を見出した。 本地域では、従来、古い火山体の変形によってのみ断層が認定されていたが、今回の調査により、完新世にも繰り返し断層活動が生じたことが確認された。これは、本地域の地震防災を考える上で、きわめて重要な知見である。
  • 後藤 秀昭
    p. 60
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. はじめに 中央構造線活断層帯は,日本の代表的な活断層帯であり,先進的な調査対象となってきた。1960年代と早くから断層分布の概要や変位速度が論じられ,1980年代からは過去の断層活動を明らかにするためのトレンチ調査が実施されてきた。また,1990年代には長大な断層系のセグメンテーションが検討されるなど,活断層研究の最先端の課題を解くフィールドとなってきた。このように研究が積み重ねられてきた中央構造線活断層帯にあって,最近の研究の成果をまとめることは,日本の活断層研究の進展の一側面を示すことになると考え,成果の概略を展望する。2. 詳細な断層分布の解明 中央構造線活断層帯は,1990年代中頃までは,断層線に数多くの不連続が存在していた。大縮尺の空中写真を用い,詳細に地形判読を行うことによって,それらの不連続部を埋めるような断層線の分布が見いだされてきた。例えば,最大の断層線不連続部(約10km)であった松山平野では,沖積面を変位させる低断層崖(重信断層)が見いだされた(後藤ほか,1999)。後藤・中田(1997)は,伊予三島付近の池田断層がさらに西に延びることを指摘し,寒川断層との間の凹地をプルアパート盆地と考えた。 また,活断層判読にあたって,横ずれ断層の縦ずれ分布パターンに着目した新たな視点を導入し,成果を上げてきた。岡村断層では,従来指摘されてきた北落ちを示す中萩の低断層崖よりも東に南落ちを示す低断層崖が見いだされた。この断層はさらに東の関川丘陵の東半部の南縁を限る直線状の山麓に連続していると考えられ,岡村断層の長さは,それまで考えられてきたよりも約2倍のおよそ30kmに達することが明らかとなった(後藤・中田,1998)。また,川上断層では,それまでの西端と考えられていた小松町付近よりも東側の西条平野において,これを横切るように延びる南側低下の低断層崖を見いだした(後藤・中田,1998)。石鎚断層,岡村断層の西端は,それぞれ岡村断層,川上断層の縦ずれ変位が入れ替わる場所付近にあたるようになり,十数kmにわたって断層が並走していることがわかった。3. 歴史時代の断層活動と変位量分布 兵庫県南部地震以降,トレンチ調査の数が急激に増え,最新活動時期が各地で明らかにされてきた。吉野川北岸では,神田断層で12_から_13世紀以降(Tsutsumi and Okada, 1996),父尾断層で16世紀に(岡田・堤,1997),板野断層や三野断層で16世紀以降に活動したことが明らかにされた(森野ほか,2001)。石鎚山地北麓では,池田断層で15世紀以降(愛媛県,2000),岡村断層で16世紀以降(後藤ほか,2001),川上断層で7世紀以降(堤ほか,2000)の活動が認められた。後藤ほか(2003)は,畑野断層の最新活動を16世紀を挟む140_から_190年とし,狭い期間に限定できるとしている。松山平野周辺では,重信断層で11世紀以降(愛媛県,1999),伊予断層で13世紀以降の活動が明らかにされた(後藤ほか,2001)。調査を実施したいずれの断層でも歴史時代の活動が認められているが,歴史史料との対応はよくわかっていない。 一方,最新活動時の横ずれ変位量について,田の畦や道路,旧河道などの微小変位地形の検討や埋没チャネルから,その分布を明らかにしようとする研究が行われた。父尾断層で6_から_7mの右ずれ(Tsutsumi and Okada, 1996),伊予断層で約2mの右ずれ(後藤ほか,2001)が指摘された。また,堤・後藤(2002)は,主に人工指標のずれをもとに断層帯全体を系統的に調査し,変位量分布を明らかにした。これらによると,吉野川北岸_から_岡村断層で6m前後と大きく,川上断層以西で3m前後と小さいことが明らかとなった。平均変位速度の地域的な差異と同様の傾向を示している。両地域では,活動回数に大きな差がないようであり, 単位変位量の差が変位速度の差を生じさせた可能性が高い。4. おわりに 数多くのトレンチ調査が実施された結果,十数世紀に四国全体の断層帯が活動し,次の地震活動が差し迫っていない可能性が高いことが明らかとなってきた。断層帯の長さから考えれば,いくつかに分かれて活動したはずであるが,最新活動が短い期間に集中して認められるため(後藤ほか,2001),最新活動の時期をもとに活動区間に分けることは困難であることがわかった。断層の活動特性を明らかにするためには,活動履歴を高精度に求める調査や堤ほか(2003)のような地下浅部の構造解析とともに,変位地形から得られる断層の分布形や変位様式,平均変位速度などの情報を系統的に収集し,断層ごとに,あるいは,断層に沿って比較・検討することが重要と考える。
  • 久武 哲也, 今里 悟之
    p. 61
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1 はじめに第2次世界大戦前に、日本の陸地測量部を中心に作成された「外邦図」は、日本の敗戦と同時に焼却され、また接収されたりして、散逸したものが多い。しかし、こうした戦後の混乱にもかかわらず、多くの外邦図が日本の大学や研究機関だけでなく、海外における大学および公的機関にも数多く所蔵されている状況が、次第に明らかになってきた。本発表は、こうした内外の諸機関に所蔵されている外邦図の所蔵にいたるまでの過程を検討するとともに、その系譜関係を明らかにすることを目的としている。2 日本における外邦図の系譜関係現在の段階で、国内における大学や公的機関の外邦図の所蔵状況を調査した結果、東北大学、東京大学、京都大学、広島大学、立教大学、大阪大学、筑波大学、熊本大学などの諸大学のみならず、国会図書館や岐阜県立図書館世界分布図センターなどの公的機関も、数多くの外邦図を所蔵していることが明らかになった。また、敗戦の直後に参謀本部から持ち出された外邦図のいくつかの流出経路も、関係者の証言や史料から明らかになった。本発表では、旧資源科学研究所所蔵の外邦図が、日本や海外の各大学あるいは公的機関に分配された状況を、浅井文書(元・お茶の水女子大教授浅井辰郎氏の所蔵文書)を基礎に分析した結果を紹介したい。そしてさらに、こうして分配された後、日本の国内の諸機関で、相互に外邦図の2次的分配や交換が行われ、現在の所蔵に至った過程もあわせて検討したい。3海外における公的機関の外邦図戦後における日本の敗戦処理過程あるいは占領体制のもとで接収され、海外に流出していった外邦図の数は膨大な規模に達すると思われるが、その所蔵機関をすべてに亘って特定していくことは不可能に近い。しかし、1万数千枚以上に達する外邦図をセットとして所蔵する機関は、海外においても、そう多くはない。大英博物館やオランダの機関、さらにアメリカのクラーク大学などの大学や公的機関での所蔵が確認されているし、現地で確認されたもの以外に、その所蔵が情報として得られたものも含めて考えると、まだ多くの機関が所蔵しているようである。本報告では、アメリカ議会図書館およびアメリ地理学協会地図コレクション(ウイスコンシン大学ミルウォーキー校、ゴルダ・メアー図書館)において実施した外邦図調査の結果を紹介する。日本の公的機関においては、その所蔵がほとんど確認されていない、戦前に撮影された中国大陸の空中写真、あるいは戦後、占領期に原版から再度印刷に付されてアメリカに送られた外邦図、さらにまた、こうした外邦図が、米軍によって、朝鮮戦争における重要な戦略地図として使用された状況、なども明らかになった。こうした外邦図の接収の過程、所蔵の状況、さらに戦後の利用過程などについては、まだ不明の点も多いが、現段階において明らかになった事実を報告したい。4外邦図の所在確認と目録作成の必要性外邦図の持つ意義に関してみると、明治期以降における日本の植民地形成、あるいは戦争や占領統治の状況などを具体的に知るための重要な資料であると同時に、情報としても日本で大きく欠落している近代地図史と軍事との関わりを、測量から地図作成に至る技術的側面だけでなく、地理的情報の収集と組織化あるいは軍事的利用の過程、さらにそうした地理的情報の公開と利用の制限など、地図のもつ社会的、政治的、軍事的要素とのさまざまな結びつき方を知り得る貴重な史料でもある。戦後も外邦図は、海外調査や環境変化をめぐる比較資料としてさまざまな形で利用されてきた。しかしながら、現在、日本だけでなく海外の多くの所蔵機関においても、外邦図の多くは紙面の劣化が急速に進み、その対策を考えなければならない状況にある。こうした状況の中で、外邦図の所蔵機関の確認とその目録の整備に関しては、日本だけでなく海外の諸機関についても、原図の調査が可能なうちに、早急に、しかも組織的に推し進めていく必要があろうと思われる。
  • 千田 昇, 竹村 恵二, 松田 時彦, 池田 安隆, 島崎 邦彦, 岡村 眞, 水野 清秀, 松山 尚典
    p. 62
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    別府湾南岸部の大分平野には,海成完新統中のK-Ah火山灰層を変位させる断層が存在し,それらは大分平野西部では府内断層,東部では志村断層,三佐断層とよばれている。これらは大分平野の沖積面下に伏在する活断層で,変位そのものは地表では認められない。大分平野下に伏在するこれらの活断層について,反射法地震探査,ボーリング調査,ジオスライサー調査,試料の14C年代測定,火山灰分析,花粉分析,貝化石による古生物学的分析などの方法によりそれぞれの活動性を明らかにした。1 府内断層 府内断層は,大分港から春日神社付近,府内城址北部,大分川左岸の舞鶴橋南方まで,ほぼ西北西一東南東に延びる。それ以東は大分川を横切り,東北東一西南西方向に大分県芸術会館を通り,鶴崎台地北縁まで延びるとされている(岡田ほか,2000)。 反射法地震探査によると,府内断層の断層全体としての変位の向きは,北落ちであるが,北傾斜で北落ちの主断層とそれとアンティセティックな関係にある南傾斜で南落ちの副断層からなり,全体に地溝状の形態をなしているようで,変形を受けている部分は,主断層位置を挟んで100-200m幅の部分と考えられる。また,北傾斜の主断層は,地下深部で傾斜が緩くなり,リストリック断層の形態を示している。 ボーリング調査で確認された,主断層でのK-Ah火山灰層の高度差は,府内城址測線で16mであるが,既存のボーリング資料によると,府内城址西方での北落ち18mが最大である。大分市街地中心部一帯が最大の変位量を示し,それより東方へも西方へも変位量は小さくなる。K-Ah火山灰以後の上下方向の平均変位速度は, 2.2-2.5m /1000年で,このことから府内断層はA級の活断層となる。 群列ボーリング調査と反射法地震探査,ジオスライサー調査によって府内断層の最新活動時期は,変位を示す最上位の地層である上部砂礫層中の泥炭層最上部の2,350yBP以後で,その上位の変位を示さない最上部泥層最下部の1,540yBP以前の時期と考えられる。その1つ前の活動は5,600年前,さらに古い活動は6,700-7,300年前で,活動間隔は1,100-3,300年である。2 三佐断層 反射法地震探査の大野川測線で三佐断層と名づけた大分平野東部の北側の断層は,旧海岸線付近を通る。三佐断層より北側では,晩氷期の堆積物が,南側よりかなり厚くなっている。三佐断層による変位量等については以下のとおりである。ステージ5e(12万年前)の堆積物上限の比高は,約50mで,平均変位速度は,およそ0.42m/1000年である。完新世の海成層下面(1万年前)の比高は,断層位置を挟むボーリングで比較すると約48mで,平均変位速度は約4.8m/1000年である。K-Ah火山灰層は,断層位置を挟むボーリングで比較すると,比高は26.5-30mで,平均変位速度は,およそ4.2-4.8m/1000年である。表層の砂礫層下面(2-3,000年前)は,断層を挟むボーリングで比較すると,比高は10-12mで,平均変位速度は,およそ3-6m/1000年である。これらのことから,後期更新世以降という長い期間についてみると,活動度はB級であるが,少なくとも完新世になってからの活動度はA級と判断される。 三佐断層は大野川河口付近での検討結果から,確実と思われる活動履歴は,少なくとも3,500年前以降,1,500年ないしそれ以下の間隔で活動しており,1回の上下方向変位量は,4.5-12mと考えられる。3 志村断層 志村断層は,反射法地震探査の大野川測線で三佐断層の南方に認められる。断層の南側で,完新統が直接大分層群相当層を覆い,北側では,完新統の下位に晩氷期一最終間氷期の堆積物が厚く分布し,その下位に最終間氷期の海成堆積物が分布する。 ステージ5eの海成層上限の比高は,丹生台地北端の露頭と大野川測線のボーリング孔間で約70m,平均変位速度は約0.6m/1000年である。完新世の海成層下面は,比高約3-4.5mで,平均変位速度は,0.3-0.45m/1000年程度である。K-Ah 火山灰層の変位量は,反射断面から2m程度で,平均変位速度は0.3m/1000年となる。最上部の対比層である河成砂礫層下面は,断層位置を挟むボーリング結果からみて,変位していないと判断される。 志村断層の断層活動履歴については,詳細な検討は実施していないが,最新活動時期は,河成砂礫層の堆積開始時期より前と推定される。これは,海成試料の年代に換算して約1,500年前より前,暦年代として示すと約1,000年前より前となる。
  • 新藤 博之
    p. 63
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに過疎化が続き、人口減少社会を迎える中で地方では交流人口拡大によって地域活性化を図る取り組みが盛んである。道の駅や農産物直売所は、農産物の流通体系変化、交通変革による都市農村交流の拡大等の要因から全国各地で進められており、近年は、行政や農協の関与や支援によって数が増加するとともに規模も拡大している。これらに関する研究は、とくに全国的な直売所ブームを受けて農業振興、農村振興策の例として多数紹介されている。本研究の目的は、愛媛県内の道の駅や直売所の基礎的資料の収集により、地域別・経営主体別の施設の特徴や地域へのインパクトについて明らかにすることである。2.調査方法 愛媛県内の道の駅および、冊子『えひめの農林水産物直売所』(愛媛県農政課発行)掲載の主な直売所にアンケート調査を実施し、集計・分析を行うとともに、関係自治体や施設へのヒアリング調査を行った。3.愛媛県の道の駅・直売所の現状愛媛県における道の駅・直売所の開設は1980年代後半以降、計画・開設が相次ぎ、とくに本四連絡橋「しまなみ海道」が開通した1999年には急増した。計画・整備・運営の特徴として、東予地域でJAや民間会社が関与した商業型の施設が多いのに対し、南予地域では行政主体による観光型の施設が多いことがいえる。ほとんどの施設で市町村財源等補助金の投入がみられ、運営のために3セク会社を設立するケースも多い。 施設の形態は農産物直売所、飲食施設を核に、公園や美術館、温泉等、主に観光関連のものからなっている。利用者数・売上とも愛媛県全体で増加傾向にあるが、東予地域はしまなみ海道沿線地域で橋の開通年度の反動が大きく、各施設の利用者数・売上高は減少傾向にある。南予地域では。施設の新設が相次ぎ、増加傾向が続いている。東予地域の都市周辺では日常的に地元住民が買い物に訪れる施設が多く、地元スーパー等との競合がみられる。南予地域は、地元以外の県内客の割合が高く、とくに松山市からの来訪者が多かった。利用交通手段は自家用車が中心である。また、利益を確保している施設が多いものの、その額は少なかった。一部の農産物直売所は松山市に直営のアンテナショップを出店したり、スーパーや生協と提携したインショップの展開等、販売チャンネルの拡大を行う事例がみられる。従業員は施設の新設が相次いだため、増加傾向にあるが、ほとんどが「パート・アルバイト」の職員である。性年齢別では、40歳代以上の女性の割合が高く、地元出身者の割合が90%以上ときわめて高く、地域に新たな雇用の場が創出されている。4.考察・今後の課題政策効果としては、_丸1_中山間地域の農家などに対し地域活性化のインセンティブを与えること_丸2_都市_-_農村連携を促進すること_丸3_雇用機会を創出することが認められる。しかし、物販以外の機能が弱く、施設間の格差がみられる。施設間の競合も激しくなっており、今後もその効果を維持し、持続的に発展するためには、経営の自立や運営方法の検討が必要である。また、地域資源の活用のための取り組みや、地域事情をふまえた新たな機能を考える必要もあろう。
  • 熊原 康博
    p. 64
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに インドプレートとユーラシアプレートとの正面衝突によって生じたヒマラヤは,東西にわたってほぼ同質な帯状の地質・地形構造を成していると考えられてきた.ヒマラヤ前縁帯では,第三系のモラッセからなる褶曲山地(シワリク丘陵)と,この南縁にヒマラヤ前縁帯スラスト(HFT),北縁に主境界スラスト(MBT)がヒマラヤ全域を通じて発達するとされる. しかし,ヒマラヤ前縁帯を詳細にみると,ネパール東部を境としてシワリク丘陵の発達程度には違いが認められる.すなわちネパール東部より西側では,シワリク丘陵や縦谷性盆地が明瞭に発達するのに対し,ネパール東部から東側では,シワリク丘陵は欠落するか,明瞭な丘陵を呈しないシワリク相当層が認められるのみである. この地形・地質構造の相違に対応して,活断層の発達様式も異なることが,演者らの調査研究によって明らかになりつつある.本発表では,地形・地質構造や断層発達の地域的差異が生じた原因を,ネパール東部を境にプレートの衝突様式が異なるためと考え,その根拠を提示したい. 2. ヒマラヤ前縁における活断層の発達様式 2-1 インド北東部・ブータン(ブラマプトラ川北縁) HFTに沿う活断層は,長さ約300kmにわたって地表に変形を与えており,北側隆起の低角な逆断層センスをもつ.MBTに沿う活断層も同様に北側隆起の低角な逆断層センスであり,HFTと近接してインブリケート構造をなす. 2-2 ネパール・インド北西部 HFTに沿う活断層は北側隆起の低角な逆断層センスを持ち,地表に変位が生じている地域とそうでない地域が交互に認められる.MBTに沿う活断層は,長さ約30_から_180kmの顕著な空白域を挟んで発達し,北落ち変位が卓越する高角の正断層的性格を有する.HFTとMBTはシワリク丘陵を介して10_から_60km程度離れている. 2-3 ヒマラヤ-ベンガル断層(HBF) ネパール東部のティマイ川周辺では,右横ずれ断層のHBFがMBTから派生して南東走向に長さ100km以上延びる.トレンチ掘削調査では,過去2000年で2回活動が確認され,比較的活動度が高い活断層といえる.HBFを境として,その東西で地形・地質構造が異なっている. 3.ヒマラヤ前縁の断層構造の差異の原因 3-1 ヒマラヤ-ベンガル断層の性格 HBFの走向延長上にはシロン台地の西縁が位置する.シロン台地南縁にはダウキ断層(DF)と呼ばれる北傾斜の逆断層が発達しており(Chen and Molnar, 1977),シロン台地はDFによって傾動隆起したとされる.現在までの衛星写真判読ではHBFがDFの西縁に連続することは明らかではないが,ブラマプトラ川の激しい侵食・堆積作用によってHBFの断層地形が消滅・埋没したとみなすと,HBFはシロン台地西縁に連続し,MBTとDFをつなぐトランスフォーム断層とみなせる. 3-2 堆積盆の層厚の地域的差異 ヒマラヤの前弧堆積盆であるガンジス平原下堆積層の層厚をみると,ブラマプトラ川流域では,ヒマラヤ前縁帯から20km南で基盤岩が地表に露出し,堆積層は基盤岩を極めて薄く被覆するのみである(Metiveier et al., 1999).一方,ネパール東部から西側では堆積層が層厚1,000_から_8,000mと極めて厚く堆積する.このような堆積盆の層厚の違いの境は,おおよそHBFの断層トレースと一致する. 3-3 ヒマラヤ前縁の断層構造の差異の原因 ブラマプトラ川流域はHFTの下盤側にあたるにもかかわらず,前弧盆の堆積層が薄いことは,この地域がDFの上盤側にあたるためと考えられる.つまり,MBTとHFTが近接してインブリケート構造をなすのは下盤側に堆積層が欠けているため.前弧盆側へ断層面が移動できず,同じ範囲で地殻の歪みを解放し続けているとみられる. 逆に,ネパールやインド北西部では,前弧盆の堆積層が厚いために,堆積層の層理面に沿って断層面が前進するピギーバック型の断層構造が発達し,シワリク丘陵と縦谷性盆地が形成されたと考えられる. 3-4 断層の活動時期 シロン台地頂部には河成の中部中新統が堆積しているので(Gupta, 1977),DFは10Ma頃から活動を開始したとされ(Rao and Kumar, 1997),MBTの活動時期と符合する.おそらく,HBFもその頃から活動を開始したと考えられ,長期にわたるプレート衝突の違いが,ヒマラヤ前縁の地形・地質構造や断層発達に地域的な差異をもたらしたと考えられる.
  • 前杢 英明, 前田 安信, 井龍 康文, 山田 努
    p. 65
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに西南日本外帯南部の海岸地域で,少なくとも完新世において最も隆起速度が速い四国南東部の室戸岬近辺には,海棲付着生物の石灰質殻よりなる石灰岩が海抜0_から_9m前後にわたって多量に岩礁に付着している.石灰岩の主構成物はカンザシゴカイの棲管,石灰藻,コケムシ,軟体動物,サンゴである.これらの石灰岩は放射性炭素年代測定が可能であること,石灰岩を構成する生物の鉛直分布を現生種の帯状分布パターンと比較することによって,過去のある時点における相対的海水準を決定できることという二つの利点があるため,旧海水準の時間的変化を解明する示標として利用できる.これによって,単一の生物化石を用いた場合よりも,はるかに信頼性の高い海水準変化を求めることができる.このようにして石灰岩から相対的海水準変化を読み取ることができれば,本地域の詳細な地殻変動史が復元される.2.海棲生物の鉛直帯状分布現生種のローカルな鉛直方向の帯状分布を明らかにするために適した場所が室戸岬付近では見つからなかったことから,その代用として隆起石灰岩を利用した.隆起石灰岩のうち,14C年代がほぼ同時代を示す,もしくは同時代と推定される隆起石灰岩ごとに,それらを構成して「付着生物の量をポイントカウンティングで決定し,その結果を従来の現生生物の帯状分布データと比較した.このとき,石灰岩の組成の鉛直変化を正確に把握するため,できるだけ多くの隆起石灰岩から試料を採取し,平均的組成を求めるようにした.3.帯状分布石灰岩の主な構成要素は,フジツボ,貝形虫,軟体動物,カンザシゴカイの棲管,ウニの棘,被覆性コケムシ,サンゴ,被覆性底生有孔虫,底生有孔虫,サンゴモ,イワノカワ,セメント,非石灰質砕屑物であった.完新世石灰岩中には陸域セメントは認められない.これは,本地域の石灰岩は小規模で多孔質であるため,陸水が岩体中に滞留することがなかったことに起因すると推定される.ポイントカウンティングの結果から,石灰岩を6つの岩型に区分した.それらは,サンゴとサンゴモが卓越する石灰岩(タイプI),サンゴモが卓越する石灰岩(タイプII),サンゴモとカンザシゴカイとフジツボが卓越する石灰岩(タイプIII),サンゴモとカンザシゴカイが卓越する石灰岩(タイプIV),被覆性コケムシと被覆性底生有孔虫が卓越する石灰岩(タイプV),軟体動物(カキ)が卓越する石灰岩(タイプVI)である.エボシ岩付近の岩型の垂直方向の分布は,下から順に,タイプIの石灰岩,タイプIIの石灰岩, タイプIII, もしくはタイプIVの石灰岩の順で分布している.この石灰岩の垂直分布は古水深指標として利用可能である(タイプIの上限が,古平均低潮位に一致する).4.地震性地殻変動の推定明らかになった石灰岩の岩型タイプを厚く付着した石灰岩から採取したコアサンプルの岩相分布に当てはめて分析すれば,その地点での古水深変動が明らかになり,室戸岬の地盤の昇降運動に影響を与えてきた地震の履歴が明らかになる.エボシ岩付近から得られたコアに当てはめて予察的に分析してみると,タイプIとタイプIIの岩型がリズミックに繰り返すものや,タイプIIとタイプIVが繰り返すものがあることがわかった.これらから,潮間帯と潮下帯の環境が100年_から_200年の周期で繰り返されるような地盤変動が少なくとも1000年間くらいは続いたことがわかった.
  • 池永 正人
    p. 66
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     わが国を訪れる外国人旅行者数は577万人(2002年)であり、そのうちの7.6%に相当する44万人が九州を訪れている。 本報告は、九州の主な観光地を取り上げ、外国人旅行者の観光特性や誘客の取り組み、問題点などについて述べるものである。 
  • 山口 正秋, 須貝 俊彦, 藤原 治, 大上 隆史
    p. 67
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに木曽川デルタは約6kyrBP以降,内湾性の中部泥層(MM)を覆って上部砂層(US)がプログラデーションしてきた[1].ボーリングコアに多数の14C年代値を入れた最近の研究によってプログラデーション速度が変化してきたことが明らかにされている[2].本発表では,既存ボーリング柱状図を整理し,ボーリングコアの分析結果と総合してデルタ堆積物の3次元的な構造を明らかにし,デルタのプログラデーションと河川フラックスの各々の時空間変動を明らかにするための基礎資料とする.2.方法平野全体を1kmメッシュに区切り,各メッシュから1本ずつ,最も高い精度で記載されている既存ボーリング柱状図を選択し,堆積ユニットの境界面高度を識別してGISソフトTNTmipsに入力し,堆積ユニットの層厚や境界面の深度の分布図を作成した.一例を図1に示す.3.結果および考察上部砂層(US)の層厚の分布(図1)から以下のことがいえる.1.上部砂層の厚さには,ばらつきがあり(約6_から_17m),厚い部分が帯状に分布する(図中に矢印で示す).この帯状の部分は主に上部砂層の下面高度の低い谷部に対応する.この谷に沿って,粗流物質の運搬・堆積が卓越するデルタの前進軸が形成されていたと判断される.2.平野の北部ではこの上部砂層の厚い帯状部分が主に木曽川の扇状地から放射状に広がる方向に伸びている.現在の自然堤防の分布も同様のパターンを示すことや,本デルタが閉塞性の高い内湾に面していることを考えると,当時砂質堆積物のフラックスの大きい木曽川を中心に鳥趾状の三角州が形成されていた可能性がある.3.南部ではこの帯状の部分は収束しつつ南に向かっている.このことは西側を養老山地に,東側を更新世の段丘や埋没段丘に限られて,デルタの主軸が東西方向に大きく振れる余地にとぼしかったことを示唆する.発表ではボーリング柱状図の数を増やして上部砂層の体積についても報告する予定である.引用文献[1] 海津正倫(1992):堆積学研究.36,47-56 [2] 山口正秋・須貝俊彦・藤原 治・鎌滝孝信・大森博雄・杉山雄一(2003):第四紀研究.42,335-346 [3] 大上隆史・須貝俊彦・藤原 治(2004):日本地理学会要旨集,65,85
  • 水上 崇, 内田 和子
    p. 68
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    本報告では、吉井川下流に位置する岡山県邑久町に広がる千町平野をフィールドに過去の顕著な洪水事例を取り上げ、変化する浸水域の特徴を明らかにする。千町平野に被害をもたらした洪水のうち、被害の大きかった1945年、1976年及び最近の事例として1990年の3例を取り上げ、浸水域の画定と洪水流の動きについて作図を行った。その結果、1945年の洪水では吉井川本川が決壊したため、洪水流は町を北から南に流れ、湛水深も3mと深かった。それに対して、1976年の洪水では、吉井川から支流に洪水流が逆流し、それが支流の随所で溢流して浸水するようになった。このため、1945年と比較して湛水深は0.6mと改善したものの、浸水域は狭まらず、洪水流の流れも複雑になった。これは、千町平野全体としての洪水流の動きが捉えにくくなったことを意味しており、町として新たな水害対策の構築が求められていると言えよう。
  • 渡辺 満久
    p. 69
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに: 我々は,空中写真判読や現地調査に基づき活断層を認定し,それらの活動性・断層変位地形の形成過程・過去の活動履歴などを検討している.その具体的な手法等については,ここで改めて述べる必要を感じない.ただし,その手法が他分野の研究者に正しく理解されていないのではないか,もしかしたら活断層研究はいまだにリニアメント解析の域を脱していないのではないか,といった疑問を感ずることがある. 活断層研究は線的な構造解析学ではない.活断層トレースの分布も含めて,面的な変動地形(活構造)の特徴に基づいて,どのような断層活動によって,どのように起伏が形成されるかをイメージしているはずである.変動地形の研究論文においては,このようなことは当たり前のこととして,活断層トレースのみならず関係する諸現象がマッピングされている.しかし,実際には,このような情報は「活断層トレースの付属品」という扱いになっていることがあるのではないだろうか.近年の活断層・古地震研究の進展は目を見張るものがあるが,もっと積極的に提言すべき場面が多く,最新の観測結果などを生かしきっていないように感ずることがある.ある意味で「原点に立ち返り」,変動地形学の進展を考える必要性を感じている.2.活構造のマッピングと反射法地震探査結果: 面的にマッピングされた変動地形情報には,その空間範囲に応じた深さまでの断層構造や変位量分布が反映されているはずである.もちろん,地表で得られるデータがすべてでないことは言うまでもないが,地表の活構造から地下構造の推定も可能であり,地表の活構造を満足しない地下構造はありえないははずである. 最近,地下構造のイメージングが進んでおり,変動地形研究においても重要な情報が得られつつある.しかし,変動地形との調和性を考えずに地下構造が検討されていることも少なくない.その理由は定かではないが,探査を実施する研究者に変動地形学への誤解があるように思われるだけではなく,変動地形研究者自身も,地形情報よりも探査結果を重視しているように見えることもある.地表変位が認められる部分において地下構造に異常があるかどうかを見るとしても,それらが本当に調和的なものであるかどうかについては,慎重な配慮を欠くことがあるように見受けられる.これでは,何のために活構造をマッピングしているのか理解できなくなる.面的な活構造を「活断層トレースの付属品」として扱うのであれば,変動地形学における活断層研究は,リニアメントなどの線的構造を扱う学問であると言ってよい.リニアメントを掘って偶然に断層を見出している,と誤解されても仕方ない.3.古地震の解析: トレンチ調査やジオスライサ調査によって,その活断層の最近の活動履歴を解明することが盛んに実施されている.断層活動イベントを読み取る根拠の明確さはともかくとして,復元された活動履歴によって将来予測が試みられる場面において,大きな不安を感じている. たとえば,解読された断層活動が重要であることは言うまでもないが,それだけで活断層の活動履歴のすべてを復元したかのように結論すること可能であろうか? 限られた活断層トレースから得られた限られた資料が,周辺の変動地形の特徴と調和しているかどうかが気になるのである.闇雲に別の断層活動を想定しようということではない.周辺の変動地形から推定可能な断層活動については,検討に値すると考える.また,評価対象となっている複数の活断層が近接している場合,それぞれを別々に評価することにも大きな疑問を感じている.地下構造のイメージングがなされていなくても,近接する活断層の関係について言及できる分野の1つが変動地形学であるから,活断層の相互関係を吟味することは可能であろう.今以上に,個々の活断層の活動履歴を総合して長期予測を立てる必要性があると考えている.トレンチ調査から見出せない断層活動や,証明されていない地下構造をもとに,活断層の活動履歴や長期予知を検討することに違和感を感ずる研究者がいることは理解できる.しかし,それらを考慮しないでよいということも,証明されてはいない.4.おわりに: 変動地形学においては,詳細な活断層トレースの特徴やその周辺の活構造が注目されてきたはずである.これらの情報は,地質構造学や古地震学にとって有益な情報であるが,変動地形学の知見によって関連分野の研究成果を見直すことは,変動地形学のこれからの進展にとっても重要なことではないだろうか.
  • 小原 利文, 瀬戸 真之, 島津 弘
    p. 70
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1 はじめに 南西諸島には強い雨の後に陸域から土壌が海へ流出して海水が赤濁する現象,いわゆる赤土流出がみられる.赤土流出は,マングローブ林やサンゴ礁の生態系へ深刻な影響を及ぼし,大きな問題となっている.赤土流出を防止するため,沖縄県では1976年に「沖縄県公害防止条例」を改正し,赤土の流出防止を義務づけた.1995年には「赤土等流出防止条例」を施行した.また,土木的対策や農地管理対策がとられているが,依然として農地からの土壌流出は続いている.そこで本報告では,サンゴ礁への赤土流出が現在でも大きな問題となっている石垣島の轟川流域において,土地利用と設置構造物,赤土流出の痕跡を調査し,赤土流出の経路を明らかにした.なお,本発表は2001年6月29日_から_7月3日にかけて石垣島で実施した立正大学地球環境科学部地理学科「セミナーおよびフィールドワークH(担当:島津 弘)」の一環として実施した現地調査に基づいて,その後の調査結果を加えたものである.  2 調査地の概要 調査を行った石垣島は沖縄本島の那覇から南西におよそ410kmに位置する.本報告では石垣島南東部の轟川河口から1_から_3.5km上流を調査地とした.轟川流域は台地と低地からなり,調査範囲は,その大半が低地である.土壌は国頭マージ,島尻マージが分布する.これらの土壌は赤色を呈し,一般に赤土と呼ばれている.轟川の河口に面する白保海域は全長約40kmの「石東リーフ」と呼ばれるサンゴ礁海域である.石垣島の年降水量は約2000mmである. 3 調査地域の土地利用と赤土流出の現状 本報告では耕作地からの赤土流出の経路を把握するため,調査地域内の土地利用,設置構造物の位置,土壌が道路へ流出した痕跡や道路を流下した痕跡を調査した.土地利用はサトウキビとその刈り取り後の裸地が大きな面積を占めるが,低地には水田もみられる.畑には側溝とマスが設置されている.マスには沈砂機能を持つものと持たないものがあり,内部には轟川へ接続された排水用パイプが埋め込まれている.調査時には,沈砂機能の有無にかかわらず,排水パイプの高さまで流出土壌が堆積していた.また,排水用パイプの内部にも土壌が流出した痕跡が認められた.また,側溝にも流出した土壌が堆積していた.畑から土壌が流出した痕跡は舗装された道路の路面に多く認められた.特にサトウキビ畑や刈り取り後の裸地に沿う道路では,畑から道路に土壌が直接流出した痕跡が認められた.一方,水田に沿う道路の路面にも流出跡は認められるものの,水田から土壌が道路に直接流出した痕跡は認められなかった.また,轟川にかかる橋の上にも流出した土壌が堆積していた.特に橋の取り付け部分には多く土壌が堆積しており,この部分から土壌が川へ流入した痕跡が認められた.橋には溜まった水を排水するための穴が開けられていることがあり,この部分から流出した土壌が川へ流れ込んでいる痕跡が認められた.5 赤土流出の現状とその経路  轟川流域における赤土流出の実態を明らかにするため,土地利用と赤土の流出経路を調査した.その結果,次のことが明らかになった.側溝や沈砂機能を持つマスは赤土流出の防止に効果が認められるもののメンテナンスが不十分なために,土壌流出を防ぐ機能が失われている.このため,一度側溝へ入った土壌が道路へ流出し,橋の取り付け部や橋に設置された排水用の穴から轟川へ流出する.橋は道路へ流出した土壌が最終的に河川へ流出する地点となっている. 以上から轟川流域における赤土流出防止対策としては,現在ある側溝やマスの堆積物を頻繁に除去すること,側溝やマスの大きさを拡張・増設すること,道路に流出した土壌をトラップすること,橋に土壌流出対策の施設を設置することが挙げられる.
  • 小元 久仁夫
    p. 71
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. 研究目的 更新世後期における地形形成年代や地形発達史を明らかにする研究や、気候および植生変化などの古環境を復元する研究において、多くの放射性炭素14C)年代が使用されてきた。
     Stuiver and Polach (1977)は、正確な14C年代を得るために安定同位体比(δ13C)にもとづく同位体分別補正(以後同位体補正とよぶ)や、Reservoir effect の補正が必要なことを提唱した。とりわけ海洋生物を試料とした場合、これらの補正は必須である。それ以来、多くの海外の14C年代測定機関では、同位体補正年代が公表されてきた。しかしながらわが国では、西暦2000年以前に同位体補正年代を使用した研究例はまれであった。
     小元は南西諸島からビーチロック試料を採取し、14C年代測定を行い、それらの形成年代や海水準変動を逐次報告してきた(小元,1992_から_Omoto, 2004a, 2004bほか多数)。ビーチロックは、化石サンゴや貝化石を含み14C年代測定に適している。またこれらの試料の安定同位体比の分析結果から、それぞれの同位体補正年代が得られる。
     これまでに分析した329件のデータを島別および試料別に整理すれば、南西諸島から採取され14C年代測定された未補正データを補正する上で、貴重な指標が得られる。ここに統計処理の結果を報告する。
    2. 研究方法(1)14C年代測定を行った試料の安定同位体比(δ13C)を測定する。
    (2)安定同位体比から島ごと、試料の種類別の同位体補正年代をもとめる。
    (3)島ごと、および試料の種別ごとの同位体補正年代(最大値、最低値、平均値)の特長を検討する。
    3. 研究成果 奄美大島から与那国島に至る16島から329試料を採取し、安定同位体比を分析した。その結果、次のような知見が得られた。
    (1)329試料の同位体補正年代の平均値は、420年から480年(全島平均値は453年)までの範囲にあり、平均値は島により異なる。
    (2)同位体補正年代の最大値および最低値は、573年から312年までの範囲にあり、島により異なる。
    (3)化石サンゴ試料90個の同位体補正年代は、532年_から_312年(平均430年)である。
    (4)貝化石試料117個の同位体補正年代は、573年_から_325年(平均463年)である。
    (5)石灰質砂岩122個の同位体補正年代は、573年_から_357年(平均461年)である。
    (6)試料を採取した16島中、補正年代差が最大の島は、沖縄島と伊江島であり、その値は196年に達している。
  • 黒田 賢一
    p. 72
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1969年2月に西大寺市を合併した岡山市は、続いて一宮町、津高町、高松町(以上は1971年1月)、吉備町、妹尾町、福田村(以上は1971年3月)を合併した。さらに足守町、興除村、上道町(以上は1971年5月)を1975年2月に藤田村を合併した。本発表では旧藤田村地区を取り上げる。1.藤田村の歴史 旧藤田村は児島湾の干拓によって生まれた農村であった。1988年に大阪の実業家藤田伝三郎氏が児島湾7,000ヘクタールの内5,500ヘクタールを独力で干拓することを決意し、同年5月干拓の許可を得、1900年5月起工、1906年466ヘクタールを竣工しこれを灘崎町および荘内村の2町村に分割編入した。 次いで明治1913年4月第2区1,298ヘクタールを竣工、一部を興除村に編入し、その全部をもって藤田村とし、村制を施行、大曲、都、錦の3部落とした。竣工した農地の大部分は合名会社藤田組藤田農場によって経営された。 戦後の農地改革に藤田組の直営地、小作地が全面的に開放され900ヘクタールが自作地に変った。 1955年には当時未完成のままになっていた六区の干拓事業が完成し、藤田村に編入され、面積21.95平方キロメートル、耕地面積1,600ヘクタールを機械化農村として発展を続けてきた。2.岡山市との合併の必要性と目的 岡山市と合併の必要性と目的として次のことが上げられる。国道30号線開通により、岡山市との時間的距離は大幅に短縮され、新たな日常生活圏が形成された。とくに通勤、通学、買物等の岡山市への依存度は極めて高く、一体化が進んでいた。 一方、広域行政の進展による行政的な結びつき、社会的、経済的な交流関係も急速に緊密化し、外観的にも内容的にも一つの都市としての 様相を呈していた。このような現状と将来の発展動向に対応して健全で住みよい、理想的な都市づくりを進めていくためには大幅な都市機能の充実と生活環境の向上をはかる必要があり、そのためには、発展方向を一つにする岡山市と藤田村が統一した計画のもとに広域的視点にたった都市づくりを一体的に進める必要があった。 とりわけ、増加人口に対応した学校、上下水道、道路、清掃施設等の生活環境施設の整備に膨大な投資が必要であり、村独自の行財政力では解決できない面が多かった。3.現在の支所機能 岡山市の11ある支所のうち西大寺支所のみ地域振興や中小企業相談の部署があるが残りの10支所は住民の窓口業務が中心である。よって藤田支所では住民サービスが行き届いているかどうか検証する。藤田支所での住民に対するアンケートの結果は大会当日発表する。
  • 小林 岳人
    p. 73
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめにIT機器の活用は、地理学習において科目の特性上、極めて有効であり、特に学習に不可欠な地図はGIS等の進展によって自在に扱えるようになってきた。しかし、これらに関する地理学習への提言の多くは、大学の研究者や開発企業からのものが多い。そこで、高等学校の現場からの発想、視点で話をしていきたい。2. GIS利活用の際の問題点 1990年代には高等学校地理教科書にもGISという言葉がよくみられるようになってきた。しかし、GISソフトや地図データは極めて高価であり、またハード面への要求スペックも高いため、普及しつつあったPC程度での利用困難であった。そこで、筆者は汎用表計算ソフトウエアを利用したGIS的な学習教材を開発し授業実践(小林、2003a)した。公教育の場面では汎用的な表計算ソフトウエアの操作方法にならったほうが、情報リテラシーという面を含めて教育的である。近年は、PCのスペックも上がり、また低価格のGISソフトウエアも登場してきているが、これとは別にPC室が環境復元・アカウント管理等の導入によりシステム化がされソフトの追加インストールが困難となっているが表計算ソフト利用であればこの問題もクリアできる。3. GIS普及のための方策GIS教育といっても特別なことをするわけではなく、現状の地理教育の中での置き換えという感覚で進めていけばよい。この過程でもGISの持つ付加価値(地図の精緻化・見易さ・カスタマイズ、大量データの扱い、印刷・投影・Web等多方面への利用)が十分に生み出される。例えば、従来から行われている白地図作業もより進展し、コンピュータを使わないGIS教育としてとらえることもできよう(小林,2003b)。また、前述のように汎用表計算ソフト利用によって、情報の授業でも実践可能である。地図が備えている極めて優れた情報の処理分析能力が地理教育以外の面も発揮できる。地理と情報のクロスカリキュラムとしての効果も期待できよう(小林,2004)。4. おわりに「地図を自在に扱って地理の授業を行う」これは、地理教育に携わる者なら誰でも夢見たことだろう。そしてこの夢を実現した道具はまた地理教育の有用性を他科目、他教科、社会全体へアピールするための大きな力となるはずだ。【文献】小林岳人(2003a)地理教育における表計算ソフトを利用したGIS的学習教材の開発と実践,「地理情報システム学会講演論文集」,12,pp189-192.小林岳人(2003b):授業をわかりやすくするためにはどうしたらよいか _-_地理的技能を身につけるための地図教材_-_,千葉県高等学校教育研究会秋季研究大会発表要旨小林岳人(2004)表計算ソフトを使った地図作成 _から_教育における利用_から_,日本国際地図学会定期大会発表要旨詳細は以下のサイトにあります。ご覧ください。http://homepage2.nifty.com/taketo-kobayashi/
  • 目代 邦康, 池田 宏, 飯島 英夫
    p. 74
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    陸上からの砂礫が供給されない浜では,緩勾配の,しかし凹凸に富む海蝕台が生じて,波のエネルギーを消耗させる.一方砂礫の供給量が増すほどに,波のエネルギーは,その砂礫を動かすことによって消費されるようになり,海底は急勾配になって海蝕台は発達しなくなる.
  • 各氷期の基底礫層の礫種分析を中心に
    松島 紘子, 須貝 俊彦, 八戸 昭一, 水野 清秀, 杉山 雄一
    p. 75
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに関東平野では,海洋酸素同位体層序(Marine oxygen Isotope Stage; MIS)5以降の古地理や古環境について,多くの研究が蓄積されてきた.しかし,中期更新世に繰り返し生じた海進・海退が関東平野内陸部の平野環境へ与えた影響はよく解っていない(図1).本地域の海進期の古地理については,これまで松島ほか(2004)より,MIS9と11の大規模な海進により埼玉県吹上町付近まで海水準が上昇したことが示唆されている.また海退期には河川勾配が急になり,上流から砂礫が供給され,運搬・堆積した環境が堆積物にも反映されていると考えられる.本研究では,関東平野内陸部の吹上・行田地域において,産業技術総合研究所や埼玉県によって掘削された複数の大深度ボーリングコアを解析し,同地域における中期更新世以降の古地理変遷を明らかにするとともに,氷期―間氷期の海水準変動がローカルな堆積平野の形成に与えてきた影響を復元することを目的とする.2.方法  2-1 1982年に埼玉県の地盤沈下観測所地質調査によって掘削された行田コア(SA-GD-1; 深度610.70m)を,深度250mまで1/25スケールで岩相記載を行った.  2-2 氷河性海水準変動に準拠したSA-GD-1とGS-FK-1(吹上コア)の層序対比を行った.  2-3 SA-GD-1とGS-FK-1の各礫層に含まれる礫径・礫種を測定し,両コア間の礫種分析結果を比較した.3.結果と考察3-1  SA-GD-1の岩相記載 SA-GD-1コアは細粒層と礫層の互層で構成され,深度150_から_200mのシルト層からは貝化石やアカガシ亜属の花粉が産出されることから,大阪平野やGS-FK-1の例と比較してMIS11に対比される.最上位の細粒層にはローム層の上に沖積層が不整合に覆っているため,最終氷期の基底礫層が存在しない.細粒層と礫層の組み合わせから海進―海退サイクルと対応した堆積ユニットに区分できる.またMIS11に対比した層準とその上位のMIS9に対比した貝化石が産出する層準は海成層と判断でき,MIS11と9がそれ以降の海進と比較して大規模であるということを裏付ける証拠となった.3-2 氷河性海水準変動に準拠したSA-GD-1とGS-FK-1の層序対比 GS-FK-1コアの解析から,氷河性海水準変動に準拠したMISとコアの岩相層序とを対比し,礫層の基底をシーケンス境界とする5つの堆積ユニット(U1_から_U5)に区分した.その結果,沖積層からMIS11までわたると推定でき,過去50万年間における関東平野中央部の標準地下層序を確立することに概ね成功した(松島ほか,2004).その標準層序を基準として,SA-GD-1コアとの層序対比を試みた.両コアともU5のMIS11とU4の海成層(MIS9)に対比される海成層が鍵になり,上位の層準もU1とU2の境界となる礫層がSA-GD-1で見られない以外は,MISに基づく対比が可能である(図2).MIS9と11の大規模な海進は吹上・行田両地域にまで及んだことが初めて明らかになった.3-3 SA-GD-1とGS-FK-1間の礫種分析結果の比較GS-FK-1とSA-GD-1の各基底礫層における礫種組成を比較・考察した(図2).GS-FK-1の礫層は,ラハール堆積物を除いてほとんどが関東山地起源の砂岩とチャートで構成される.GS-FK-1ではU1基底礫層にのみ安山岩が含まれ,SA-GD-1は深度48m以深においてほとんどの礫層に安山岩が含まれているが,これは礫の供給源が赤城・榛名山を上流にもつ利根川流域であった可能性が考えられる.これまで本地域において礫種による流域の考察を行った研究は少ないが,礫種の違いが荒川・利根川の河川争奪等の流路変遷や上流域の赤城山等の火山からの礫供給量の大小を示唆すると考えられる.
  • 目代 邦康, 池田 宏, 飯島 英夫, 柚洞 一央, 河野 伸裕, 大原 剛
    p. 76
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    落石による侵食作用の実態の解明を目的として,水路長6mの勾配可変砂礫循環水路を作成し,模擬岩盤上に角礫を落下させる侵食実験を行った.その結果,粒径の増大に対する侵食量の増加は,対数関数となる.
  • 奥村 晃史
    p. 77
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに特定の震源断層から将来発生する地震を予測し,長期的な地震危険度評価と災害軽減に資するために必要なパラメータのうち,震源断層に関しては,地震発生率,破壊領域,スリップ分布が最も重要である.このうち地震発生率を決定するための地形・地質情報として,古地震学的な地震発生時期のデータ,最新の地質時代における平均変位速度が用いられる.この発表では,主にトレンチ発掘調査による地震発生時期の決定にかかわる成果と問題点を検討する.2. トレンチ調査の限界と年代決定の問題点1996年の震防災対策特別措置法成立以降,日本の活断層を震源とする地震の長期評価のために,数多くのトレンチ発掘調査が行われ,イベントの認定と年代測定が無数に行われている.しかし,複数の再来間隔と最新イベントの発生時期が求められ,信頼度の高い地震発生時期予測が可能な断層はごく限られている.その原因のひとつは,最終氷期(25_から_10 ka)の堆積物の欠如である.この時期は全般に細粒堆積物が少ないうえ,後氷期初期の河川作用による浸食の影響を多く受けている.平均的な再来間隔が数千年の活断層の再来間隔を検討するうえで,この時期のイベント発生時期の情報欠如は致命的である.トレンチ壁面でのイベント年代の決定は,変形を受けた地層と,その地層を覆う地層に含まれる年代資料を用いざるを得ず,直接イベントと関連した年代資料を得ることは不可能である.断層運動の度に必ず沈降と埋積が起こり,それ以外堆積は起こらないという理想的な状況以外では,イベントの年代決定は必ず不確かさを伴う.連続的に堆積傾向にある場所では,多数点・高密度の年代測定により,再堆積試料を排除し(図左)この不確かさを小さくすることができる.歴史時代のイベントの年代決定には,土器などの考古遺物の年代を用いることが多い.イベント前後の地層に含まれる考古遺物の年代からイベント発生時期を推定する手続きは放射性炭層同位体年代測定と同様であるが,考古遺物編年の時間分解能は放射性炭素同位体年代測定に較べて著しく低い.このため,考古遺物による年代は補助的な手段としてしか用いることができない.発掘地点の層序や,包含される年代測定資料にはトレンチ壁面ごとに明確な限界が存在する.限界の低い,つまり,年代情報に乏しいに壁面に限られた調査のリソースを浪費することは避けなければならない.そして,そのリソースを限界の高い壁面の発掘と高精度年代決定に振り向ける戦略が必要である.そして,戦略を立てるためには,年代測定と測定値の改良に関する技術の理解が必要である.3. 古地震年代決定の戦略樹木年輪補正によって得られる暦年は不規則な確率分布として表現される.複数年代資料の確率分布に層序や既知の年代値を加えベイズ理論を用いて確率分布を再計算する方法はBiasi and Weldon (1994)により提案されていた.OxCal 3.5 (Ramsay, 2000)を用いてイベント年代の確率分布を求め,さらにイベント間隔の確率分布を求めることが容易となった(図右).これにより,イベント年代と間隔の精度を直接検討することが可能となった.層序と矛盾しない多数の年代測定値と,いくつかの高精度な年代値の存在が重要なポイントとなる.
  • 柚洞 一央
    p. 78
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    近代化に伴う産業の発展は、多くの自然環境を破壊し生態系のバランスを損なわせてきた。人間社会が自然から遠ざかっている中で、養蜂業は自然を謙虚に利用している数少ない産業であるといえる。そこで本研究では、戦後の我が国の養蜂業がどのように変遷し、今日どのような地域差を持っているのかを明らかにすることを目的とし、養蜂業の地域的展開をもたらした背景にある自然環境の変化を考察する。研究方法としては、マクロスケールな事象を対象とした地理学的研究において現地調査が十分に行われてこなかったという問題意識から、全国での聞き取り調査を行うことに重点をおいた。我が国における養蜂業の特性は、_丸1_徒弟制度を背景とした主要蜜源地域での「なわばり」争いの問題があること、_丸2_越冬・越夏のための移動が必要であること、_丸3_ハチミツ生産を主として小群数で移動する世界的に独自の形態を持つことである。しかし、この花のジプシーとしての全国転飼養蜂も、蜜源の減少と、社会の新しい養蜂需要(昭和30年代前半からのローヤルゼリー需要、昭和40年頃からのポリネーション需要)によって衰退しており、結果として東北地方でのハチミツ生産、関東地方・福岡県でのイチゴのポリネーション、温暖地域での種蜂生産と経営スタイルの多様化,分業化をもたらしている。地域的展開の要因として_丸1_蜜源の減少の地域差、_丸2_ポリネーション需要の地域差が指摘できるが,その背景には外来種による食害や,農薬散布による花粉媒介昆虫の減少など自然環境の悪化問題が大きく起因している.
  • 福田 浩之, 須貝 俊彦
    p. 79
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     典型的な島弧である東北日本弧は、太平洋プレートの沈み込みによる東西圧縮場にあり、活構造や地質構造など多くの地学現象の分布に島弧内での地域差が見られる。本研究では、東北日本弧を対象として、国土地理院が設置した電子基準点(GEONET)のGPS連続観測データを用いて東西短縮速度を計算し、速度分布の空間特性を明らかにするとともに、活断層分布との比較を行った。
    研究方法
     国土地理院提供の元データ(1996年_から_2003年)を、測地系変換プログラムtrns97(国土地理院 飛田幹夫氏作成)を用いてITRF97のXYZ表示からWGS87の度分表示に変換し、その後水平変動を見るため地心直交座標系をローカルな平面直交座標系に変換した。観測点の変位速度は、最小2乗法を用いて座標値の時間変化を時間の1次関数で近似し、その傾きを推定して求めた。求められた各観測点の水平変動速度はGISソフトTNT-mips6.8を用いてGIS上に表示し、解析を行った。
    考察
     新潟県大潟(GEONET:950241)を基準とした相対水平速度分布図(Fig.1)を見ると、ベクトルの向きは全体的に西向きで且つ日本海溝から遠ざかるにつれて小さくなっている。これは太平洋プレートの沈み込みによるプレート間カップリングによって生じる内部変形を表していると考えられる【諏訪ほか(2004)】。
     相対水平変動速度から東西成分のみを抜き出し、その値を最小曲率法を用いて2.5km×2.5kmのメッシュに補間して等値線を作成し、さらにその東西方向の差分(東西短縮速度)をラスターマップにして重ねて表示した(Fig.2)。東西短縮速度が大きい、変動の集中帯が日本海溝に平行して3列存在することが明らかとなり、さらに西側および中央の変動帯上には活断層が多く分布していることが分かった。このうち、西側の変動帯は日本海東縁変動帯と呼ばれ、この短縮変動の原動力は小林(1983)、中村(1984)によれば日本海側のユーラシアプレートの北米プレート下への沈み込みによって生じたと考えられる。また、中央の変動帯では、活断層の近くで短縮が顕著で、そのため短縮速度に南北のコントラストが見られる。他方、東側の変動帯はブーゲー異常の急変線と調和的なことから、地質構造の違いによって生じたものであると考えられる。
     中央の変動帯に着目し、水平速度の東西成分の東西断面を見ると(Fig.3)、活断層のある側線:A-A'では、活断層の上盤側にあたる奥羽山脈で速度が急減し横手盆地では減少しないという東西のコントラストが存在するのに対し、活断層のない側線:B-B'では変動速度は一様に減少している。これは、活断層の存在する地域では活断層に歪みが蓄積し、非弾性変動=内陸直下型地震によって歪みが解消されることを示唆する。さらに、分解能をあげればGPSデータから地震サイクルにおける歪みの蓄積過程と蓄積領域の検出が可能であることが分かった。
  • 須田 芳彦
    p. 80
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    【はじめに】 降雨強度曲線とは,ある再現期間に対して,任意継続時間に対応する降雨量または降雨強度を一つの曲線に表したものである.この曲線に2つの降雨強度式(Sherman式とTalbot式)をあてはめ,これら2つの降雨強度式のパラメータ間の関係とその適合度の高低が地点と時間範囲によってどう異なるのかを調べた.【資料】 日本においては,降雨量極値のほとんどが暖候期(5ー10月)に記録されているので,本研究では暖候期のみを対象とした.用いたデータは,1980ー1989年の10年間にわたるAMeDASデータである.対象地点数は,欠測時間数が対象期間の1%未満である998地点である.【方法】  降雨量データにあてはめる分布モデルとしてガンマ分布,その母数推定には最大エントロピー法を用いた.こうして1ー72時間の17の集計時間に対する10年確率降水量を求めた. 1ー24時間の時間範囲から一つずつずらして10ー72時間の時間範囲までの7つの時間範囲について,2つの降雨強度式を非線形回帰によってあてはめた.【結果】1) Sherman式の n とTalbot式の b が一対一の対応関係にあることは解析的に証明されている(須田 1999)が,この一対一の対応関係は時間範囲によって変化する.さらに,これら2つの変数が時間範囲によってどう変化するかは地点によって異なる.例えば,大津のようにTalbot式の b がほとんど変化しない地点や与那国島のようにSherman式の n がほとんど変化しない地点がある.2) 7つの時間範囲すべてについてSherman式の適合度がより高い地点では,時間範囲によるSherman式の n の変化は小さく,7つの時間範囲すべてについてTalbot式の適合度がより高い地点では,時間範囲によるTalbot式の b の変化は小さい.3) 選択される降雨強度式の地域特性については,南日本でSherman式が,北日本でTalbot式が選択される傾向がある.また,Talbot式が選択される地点では大雨の継続時間がより明瞭であるといえる.【文献】 須田芳彦:水文・水資源学会1999年研究発表会要旨集,16-17(1999)
  • 宮岡 邦任
    p. 81
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     地域の地下水循環形態を明らかにするために,流動の場の内部構造を把握することは極めて重要である.帯水層を乗せている基盤上面の形状の解明は,過去における河川流路の分布など水循環の状況を把握できるとともに,地下水流動形態の実態解明や帯水層の層厚から地下水の賦存量の推定への重要な手掛かりとなる.本発表では,電気探査を用いて推定した基盤地形分布をはじめとした内部構造と地下水流動系との関係について検討した結果を示す. 研究対象地域は,三重県鈴鹿郡関町内に位置する鈴鹿川と加太川の合流点下流付近の鈴鹿川左岸に広がる小地形である.鈴鹿山脈の谷口部に位置しており,地形は従来河岸段丘地形であるといわれている.基盤地質は,上流部山地は主に二畳紀新期_から_白亜紀の花崗質岩類と花崗閃緑岩からなるのに対し,中流部は鮮新世奄芸層群で形成されている.古くは東海道の宿場の一つである関宿が置かれており,地域内には湧水や古井戸も複数箇所で確認できることから,以前は生活用水として地下水を利用した時代があったことが分かる.周辺では,近年大規模工業団地の開発が行われており,水源に鈴鹿川河川敷に掘削した井戸を使用していることから,今後の計画的な水資源利用を策定するためにも,地下水循環の実態解明が必要な地域である. まず地下水流動の場である地形および内部構造を明らかにするために,4極ウェンナー法による電気探査を27地点において実施した.基盤到達時の比抵抗値を確実に把握するために,既存の地質柱状図や電気探査の結果とのデータの比較を行うとともに,地域内において岩盤の露頭が確認できる地点でも電気探査を実施し,沖積堆積物から岩盤までの比抵抗値の変化について測定を行った. 測水調査は,民家井戸28地点,湧水6地点,温泉1地点について,電気伝導度,水温,pH,気温,地下水面までの深さ,井戸底までの深さを測定するとともに化学分析用に150mlの採水を行った.河川流量観測は,鈴鹿川・加太川および鈴鹿川に合流する支流を対象に計15地点において実施した.これらの河川流量観測点において,民家井戸と同様の測水調査をあわせて実施した.これらの測水および河川流量調査は地表水の地下水への涵養の影響が最も小さいと考えられる非灌漑期(2003年2月)に実施した.  電気探査の結果,基盤上面にはいくつかの谷が形成されていることが推定された.基盤深度は1_から_30mであり,それらの谷の分布傾向や,地表面の地形等高線の分布,地下水の流動形態などから,本研究地域の地形は鈴鹿川によって形成された小規模な扇状地であり,扇端部の一部にみられる比高10m程度の急崖は,鈴鹿川によって浸食された段丘崖あることが考えられた.この小規模扇状地において基盤の尾根が広く分布する地域では,地下水面も尾根状の分布を呈しており,本地域の地下水面の分布が地表面の形状よりは基盤上面の形状の影響を受けていることが考えられた. 湧水は基盤の谷に沿って分布しており,主要溶存イオン濃度からみた水質組成では,湧水や井戸の分布する標高によって,組成が異なることが分かった.これらのことは,本地域の地下水が基盤の谷を水みちとして流動していること,起源の異なる地下水流動系が存在していることをしていることを示すものである. 以上のことから,本地域における地下水流動系は基盤上面の形状に強く規制されていることが明らかとなった.
  • 和歌山市を事例として
    難波田 隆雄
    p. 82
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに
     地方都市において、中心市街地の空洞化が問題となって久しい。近年、それらが深刻化しその対応が迫られるようになっているのは、中心市街地を構成する重要な要素である商業機能の衰退が顕在化し、商店街の空き店舗の発生や大型店の撤退等が後を絶たないからである。そこで、本研究では大都市近郊の地方中核市である和歌山市を事例に、中心商業地の空洞化の進展状況を明確化するとともに、 中心商業地の活性化に向けた対策や推進体制のあり方を検討する。
    2.中心商業地地の状況
     和歌山市の商業は、南海和歌山市駅とJR和歌山駅のほぼ中間に位置するぶらくり丁周辺を中心に発展してきた。ここでは、3つの大型店と6つの商店街が一体化し、買回り品を中心に県下随一の広域商業エリアを誇っていた。しかし、鉄道駅から離れていること、モータリゼーションへの対応の遅れ等によって消費者の需要を充たすことができず、駅周辺の大型店や郊外・ロードサイドのショッピングセンター・専門店への顧客の流出を余儀なくされた。来街者も往時の半分程度に減少し、空き店舗の増加や大型店の撤退が顕著となっている。また、大阪市との近接性により、顧客の流出のみならず、支店・営業所が統廃合され、支店経済が弱まりやすく昼間人口は減少傾向にある。以上のような要因により、かつての賑わいが薄れ、空洞化や商業等低迷傾向が著しく、1998年に和歌山市は「中心市街地活性化基本計画」を策定するに至った。
    3.中心商業地の内部構造・機能の変容
     ここでは、2時点間の土地利用を比較し、さらにその間の各経営者の行動を整理し、内部構造の変容とその要因を明らかにする。また、そうした構造の変容が及ぼす影響を検討する。
     全体的に買回り品の商店が後退し、最寄品の商店・サービス店が進出している。こうした店舗交替は、商圏の縮小化を示しており、より高次な商業地域である大阪市との競合関係、核店舗不在によるところが大きい。高級品を主とする高次な商店街であるぶらくり丁商店街は、その格を大きく後退させ、ゲームセンターやディスカウントスーパー等に変化している事例もみられる。また、立地条件の悪い商店街(東ぶらくり丁、北ぶらくり丁)では、大規模な多店舗展開を行う衣料品店・スーパーマーケットが立地している。立地条件の悪さが、こうした対応を選択させている。また、東ぶらくり丁商店街では、大型店の撤退・倒産の影響も小さく、地域住民に対応した最寄品中心の店舗構成が、商店街の基盤を支えている。一方、北ぶらくり丁商店街は、衰退化の進展が深刻であるが、近年は家賃の低下と市の出店支援制度により、空き店舗への若年層の新規出店がみられ、世代交代の過渡期とも捉えられる。しかし、市の出店支援制度は組合への補助であるため、組合間で制度利用数は大きく異なる。さらに、「ただ埋めればよい」という発想が根底にあるため、店舗間のバランスは崩れている。テナントミックスという観点に立った空き店舗対策の方法、運営主体が問われている。
    4.中心市街地活性化基本計画とTMOの取り組み
     和歌山市における中心商業地の活性化の取り組みは、商店街の枠を超えて青年部のメンバーが集結し、まちづくりの議論を始めたことに端を発する。それらは、商店街全体を動かし、さらに市の中心市街地活性化基本計画やTMO構想に大きな役割を果たした。しかし、計画策定後、大型店がさらに撤退・倒産し、さらなる衰退化が進んだこともあり、計画は大きく見直されている。そのため、ハード・ソフト両面ともに実行に移されたものは少ない。
     また、TMO((株)ぶらくり、第3セクターの特定会社)にも、設立後多くの課題が残されている。まず、積極的にまちづくりの議論をしていた一部の店主が中心となって、TMOを設立したが、設立後全商店のコンセンサスを得られず、活動の足かせになっている。また、離脱する店主の存在により、組織基盤が弱体化しているとともに、TMO=中心商店街では、商店街の振興と捉えられやすく、市民の参加を阻害している。さらに、収益性の上がる事業が少なく、市や商店街からの受託事業が収益の大半を占め、主体的に活動できていない。
    5.おわりに
     しかし、現在和歌山市の状況は大きく変わり,最悪の状況もようやく底を打とうとしている。民間の投資が、中心市街地にも活発化してきている。これらとうまく融合した形での中心商業地の活性化が期待される。そのためには、商店街やTMOの役割を明確化するとともに、さらなる議論が必要である。
  • 今泉 俊文
    p. 83
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 1988年9月27日,日本地理学会秋季大会(愛知教育大学)において,シンポジウム「変動地形_---_成果と課題_---_」が開かれた.その時の成果が,『変動地形とテクトニクス』(米倉ほか編,1990)として出版されている.オーガナイザーの一人,(故)米倉伸之先生は,展望(11章)のなかで,変動地形研究の課題として次の3点を指摘されている.1)「地形」の形成過程について,広い視点から研究を深めること.2)変動地形の分析方法の多様化と定量化が必要であること(とくに地形編年と地形発達史には,各種の年代測定法の導入と地形層序学の改良に基づいた詳細さが求められる).3)日本列島の変動地形とテクトニクスの理解には,太平洋からアジア大陸にわたる広域テクトニクスについての知識を増やすこと,そしてそれぞれの地域を相互比較することが重要であること(とくに地球科学的な視点に立って大地形の理解が必要である) この16年間,変動地形に関する研究には,いったいどのような進歩(変化)があったのだろうか?(私は,何を目指してきたのだろうか.オーガナイザーから今回のシンポジウムの題目を与えられたとき,上記3点のどれからもはずれた私は,お断りすべきであったと後悔している).以下は,この16年間の出来事からみた雑感である.2. この16年間の出来事1)1991年3月,『日本の活断層』(活断層研究会,1980)を改訂した『新編日本の活断層』が出版され,旧版以降の活断層研究の成果が加えられた.とくにトレンチ調査は,実例こそ多くはないが,活断層の新しい調査方法として頁がさかれた(活断層の活動時期や間隔,1回のずれの量から,地震の長期的な予測研究にとっては不可欠な手法であると言う確固たる地位を確立した).2)1995年1月17日兵庫県南部地震が起こり,「活断層が地震を起こす」と言うことが,誰の目にも明らかになった.この地震を契機に,変動地形研究は,活断層研究と言い換えられる程,多くの(変動)地形研究者が活断層研究(特にトレンチ調査)に没頭した(現在も継続中).そして,多くの地球科学者の視点も活断層に集中した.国にも活断層の研究を推進する組織が作られ,予算も増えた.活断層に対する新しい研究手法(反射法地震探査に代表されよう)が試され,GPS観測体制も強化されてきた.活断層を取り巻く様々なデータが蓄積されると同時に,その評価も行われてきた.活断層と地震に関する新たなモデル・アイデア・シミュレーション研究が次々に登場してきた.そして,活断層の地震発生の確率や,地震動予測が試みられるようになった(16年前には予想すらできなかった事であろう). 3)2001年6月『日本の海成段丘アトラス』(小池・町田編)と2002年5月『活断層詳細デジタルマップ』(中田・今泉編)の出版にみられるように,変動地形や活断層に関するデータが,様々な媒体を利用しながらも次々と公表されるようになった(そしてデータの公開については,質・量・速さが増した).前者は,第四紀地殻変動グループ(1969)以来の,変動地形に関する詳細かつ高精度のデータ集で,これまでに蓄積され,かつ磨かれてきた,年代決定の新しい手法(高精度の火山灰編年と対比術や放射性年代測定法)の賜である.海岸段丘の旧汀線高度の他にも,河岸段丘を利用して内陸の地殻変動量の試算も加えられた.3. 雑感1)この16年の間に,地表・地下を問わず,変動地形のデータは,質・量とも急増した.特に活断層の地下を少しずつ深めて見ることが出来るようになったことは,活断層がテクトニクス研究の柱として位置づけられることをさらに強くするのではないだろうか(池田ほか編,2002).例えば,東北地方では,主要な活断層を,新第三紀の断列帯(地質断層)の反転運動として理解できたとき,何故,そこに活断層が分布(存在)するかという最も基本的な問題に触れることができよう.そして地形起伏がどのように形成されてきたかとする問いには,地表から求められる活断層の性質(属性データ)が詳しく示してくれるだろう.2)16年前に指摘された3点は,今後も変動地形研究の重要な課題として継続されよう.加えて,変動地形研究によって得られた様々なデータが,他の研究分野からの成果(データ,モデル,シミュレーション)と,相互に比較検証されるようになってはじめて変動地形研究は,地球科学としての重要な使命を持つであろう.
  • 中村 洋介, 岡田 篤正
    p. 84
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに北陸地方は,第四紀における地殻変動が我が国でも有数とされる飛騨山脈(標高3000m以上)と富山湾(深度_-_2000m以下)とに囲まれた地域である.北陸地方には北東_-_南西走向の逆断層群が南北約100km,東西約150kmの範囲にわたって発達する(活断層研究会,1991;池田ほか,2002).北陸地方の第四紀後期における活断層の変位速度を算出するうえで,その良好な変位基準である河成段丘面はその重要な指標の1つである.本地域では,火山灰層が段丘面構成層中や被覆土壌層(ローム層)中に肉眼で認められず,自然露頭に乏しいことから,河成段丘面の形成時期は大部分において未解明であり,活断層の第四紀後期における平均変位速度は求められていない.我が国には上述のような理由から河成段丘面の形成時期が不明であるために,第四紀後期における変位速度が精密に求められていない活断層が数多く残されている.このような地域における河成段丘面の編年データの蓄積は,活断層の変位速度を精密に解明するうえで非常に重要なことである。また,迫り来る巨大地震への対応のみならず,我が国における第四紀後期における地殻変動の特性を理解し,将来の大地震の予測を行う上でも非常に重要なことである.そこで本研究では,北陸地方の中でも特に活断層が密に発達し,河成段丘面の発達も良い富山平野_から_金沢平野(以下,北陸地方東部と呼ぶ)の河成段丘面を,これらの構成層や被覆層の中に含まれる広域火山灰の対比によって編年を行った.こうした河成段丘面の編年をもとに,河成段丘面の分布形態,ならびに活断層の変位速度等を詳細に究明し,北陸地方の第四紀後期における活構造の特徴について解明を試みた._II_.結果とまとめ 本研究では,富山平野_から_金沢平野間に分布する河成段丘面を被覆土壌層や段丘構成層に挟在する火山灰層の層位,段丘面の分布形態,開析程度,傾斜,現河床からの比高,礫層の風化程度等を参考にして,高位より_I_面_から__X__II_面の12面に区分した.これらの段丘面のうち,_IX_面構成層上位にはATが,_VII_面構成層上位にはDKPが,_IV_面を覆う被覆土壌層下位にはK_-_Tzがそれぞれ挟在する.また,一部の地域では,_IV_面構成層上位に立山D(富山平野西縁)ならびにSK(金沢平野東縁)が認められる.本研究地域内の後期更新世における活断層の上下変位速度は,魚津断層(富山平野東縁)で約0.2_から_0.9mm/yr,呉羽山断層(同西縁)では約0.1_から_0.4mm/yr,高清水断層(砺波平野東縁)では約0.1_から_0.3mm/yr,法林寺断層(同西縁) 約0.1_から_0.4mm/yr,ならびに森本_-_富樫断層(金沢平野東縁)では約0.5_から_0.8mm/yrとなり地域毎に異なる.各地域の最大上下変位速度を比較すると,魚津断層(富山平野東縁)ならびに森本_-_富樫断層(金沢平野東縁)はB級(0.1_から_1.0mm/yr)上位の変位速度を示す.一方,呉羽山断層(富山平野西縁),高清水断層(砺波平野東縁),ならびに法林寺断層(同西縁)はB級下位の値を示す.魚津断層の上下変位速度が呉羽山断層や砺波平野両縁の活断層と比較して大きい理由としては,飛騨山脈の隆起が考えられる.一方で,森本_-_富樫断層の上下変位速度が呉羽山断層等と比較して大きい理由としては,森本_-_富樫断層が同断層の北方に位置する石動山断層に連続し,全長約70kmにおよぶ金沢_-_七尾断層を形成している可能性が挙げられる. 富山平野_から_金沢平野では,後期更新世以降の河成段丘面に累積的な変位が認められることから,本研究地域内の活断層群は少なくとも後期更新世以降には現在の位置で繰り返し活動している.また,完新世においても活動的である.地形面に大きな撓曲変形を伴い,断層線は湾曲・屈曲し,常に南東側が相対的に隆起していることなどから,これらの断層は山地側から平野側へ向かって衝き上げる逆断層成分が卓越していると考えられる.本研究によって,北陸地方のような火山灰稀産地域においても,河成段丘面の編年・対比は十分に可能であり,活断層の上下変位速度を精密に算出できることが確認された.
  • 中田 高
    p. 85
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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  • 小荒井 衛, 宇根 寛
    p. 86
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     政府においては、1995年に「地理情報システム(GIS)関係省庁連絡会議」を設置し、GISの利用を支える地理情報の整備と相互利用の環境作り等に計画的に取り組んでいる。2000年のGIS関係省庁連絡会議の申し合わせでは、政府が保有する地理情報については、インターネットで無償提供することを基本としている。政府のGISに関する行動計画である「GISアクションプログラム2002-2005」においても、「この方針に則り、2005年までにほとんどの空間データ基盤に該当する項目がインターネットにより提供されるようにする。」と書かれている。国土地理院においても、アクションプログラムに基づいて様々な地理情報の電子化・提供の施策を推進しているところである。 国土地理院では、GIS構築に不可欠な基盤情報として、数値地図データ(骨格的地図情報)の整備・提供を行っている。数値地図25000(空間データ基盤)は、2万5千分1地形図に相当する精度を持つ、道路中心線、鉄道中心線、河川中心線、水涯線、海岸線、行政界、基準点、地名、公共施設、標高の10項目のデータである。数値地図2500(空間データ基盤)は、全国の都市計画区域(約96,000平方キロメートル)を対象に、道路、河川、行政区域界等の骨格的地図項目を数値化したデータである。これらのデータは、国土地理院のHPから自由に閲覧できる。骨格的な地図情報は、アクションプログラムにおいて、定期的な更新を重点的に実施することとされている。特に2万5千分1地形図の情報については、全データがベクトル化されたことにあわせて、リアルタイムでの情報更新(1ヶ月以内の更新)を目指した取り組みが行われている。また、全国の2万5千分1地図情報を試験公開している地図閲覧サービス「ウォッちず」も新たにスタートした。地図を閲覧するためには、索引図による検索、地名および公共施設名による検索、経緯度による検索、市町村名による検索と、様々な方法での検索が可能である。また、空中写真のインターネットによる閲覧サービスも、東京・大阪・名古屋に限定して実施されている。このように、様々な地理情報が国土地理院のHPから閲覧できるようになってきており、地理教育におけるGISの活用を、様々な面からサポートしている。 電子国土とは国土地理院が提唱している概念で、様々な国土に関する情報をコンピューター上に再現した仮想的な国土のことである。国土地理院では、電子国土を実現する施策の1つとして、電子国土Webシステムを2003年7月に公開した。国土地理院は、電子国土の参加団体の1つとして、全国をカバーする2万5千分1地形図をはじめとする国土地理院が所有する地図情報を背景地図として提供するとともに、電子国土に参加するために必要な技術情報や枠組みを提供している。地理情報の発信者は、電子国土を利用することにより、国土地理院の地図を背景にして、自らの持つ地理情報を上乗せしてHPから発信することができる。電子国土の利用者は、特別なGISソフトや地図情報を用意することなく、地理情報の発信や利用ができる。電子国土の技術情報は、現時点では公的機関や教育機関、NPO等に限定して提供しており、2004年7月時点で42のサイトが立ち上がっている。教育機関が参加している電子国土サイトを紹介すると、光華女子学園の『はーとふるまっぷ』は、光華女子学園の学生・生徒と教職員らが協力して手作りで作成した京都の福祉情報地図である。実際に現地を(車いす等を用いて)歩いて、写真等を活用してHPを作り、京都を少しでもたくさんの足の不自由な方が散策して頂けることを目指して発信している。また、(株)パスコでは、つくば市教育委員会と協力して、つくば市内の全小学校が参加しそれぞれの学校のプールに居るヤゴの生息について調べた結果を電子国土を利用した地図に載せて、「ヤゴの救出大作戦」として提供している。今後、技術情報を一般公開することにより、個人が自分の旅行記などを電子国土を使ってHPから発信するなど、飛躍的に地理情報の発信が進んでいくものと考えられる。また、電子国土の活用により、双方向での地理情報の発信・受信が可能となり、教育現場でのGISの活用が様々な視点で広がっていくことが期待される。http://cyberjapan.jp/
  • 小林 茂
    p. 87
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    2002年4月に「『外邦図』の基礎的研究: その集成と地域環境資料としての評価をめざして」と題する科研費(基盤A)が採択され、第2次大戦終結までに日本軍が作製したアジア太平洋地域の地図の本格的研究が開始されて、すでに2年半が経過しようとしている。当初、(1)外邦図の所在確認と主要コレクションの目録作製、(2)残存する外邦図の来歴の究明、(3)外邦図の作製過程へのアプローチ、(4)外邦図の今後の研究への活用、という4つの研究課題を設定した。以下では、これらの達成状況を点検しつつ、今後の課題を考えてみたい。なお、文中の”NL”は上記研究の中間報告書『外邦図研究ニューズレター』を示す。1.所在確認と目録作成 まず、国内の主要コレクションの所在および系統関係の概要をあきらかにすることができた。これには、浅井辰郎先生作製の克明な記録が大きな意義をもった(久武,NL1)。他方国外については、アメリカとイギリスで所在確認をおこない、概要を把握した(今里・久武、長谷川,NL1)。またこの作業の際、米議会図書館で日本軍撮影と考えられる空中写真を発見し、その画像をスキャンしてもちかえった(今里・長澤・久武,NL2)。なお、外邦図は米・英のほか、カナダの大学についても所蔵情報があり、旧ソ連の関係機関にも確実にあると考えられる。 他方目録作製は、作業が進んでいた東北大(渡辺信,NL1)について刊行がおわり(『東北大学所蔵外邦図目録』2003年3月)、京都大総合博物館所蔵分も目録が完成し(山村,NL2)、解説・凡例をつけくわえて刊行する予定である。また国土地理院所蔵の『国外地図目録』・『国外地図一覧図』(長岡,NL2)のPDFファイル化・画像ファイル化を終了している。今後は、作業中のお茶水女子大所蔵分の目録の刊行が期待される。2.来歴の究明 今日国内各大学に所蔵されている外邦図は、終戦直後に参謀本部より持ちだされたもので、その作業に従事した中野尊正都立大名誉教授・三井嘉都夫法政大名誉教授の証言をうかがった(NL2)。渡辺正元参謀によって組織された「兵要地理調査研究会」を契機にできた、地理学者と軍人の関係がこの持ち出しの大きな契機となった(金窪,NL2)。現在、渡辺元参謀の所蔵資料の刊行にむけて編集作業をはじめている。今後は海外所在外邦図の来歴の検討が要請される。3.作製過程 終戦とともに多くの資料が焼却され、困難を極めると予想されたが、海図について概要が判明した (坂戸,NL2) ほか、本シンポジウムの谷屋報告(朝鮮半島)、牛越報告(秘密測量)、田中報告(第2次大戦中の現地部隊の地図作製)によって、他の地図についてもアプローチできる可能性があることが明確となった。また、旧日本軍による中国(民國)製地図の複製に関連して、日本_-_中国間の地図作製技術の移転(渡辺理・小林,NL2)も注目される。4.外邦図の活用 すでに石原(NL1)、田村(NL1)によって利用例が示されているが、米議会図書館所蔵空中写真の標定が一部成功し、衛星写真との比較対照作業に着手できたこと(長澤・今里・渡辺報告)は、この地域の土地利用・土地被覆の変化(Land Use/Cover Changes)研究への貢献の可能性を示唆している。外邦図のなかには、空中写真によって作製された図もすくなからずみとめられ、今後その探索がもとめられている。また外邦図の保存(源,NL2)にくわえ、内外の研究者による閲覧・利用についても検討が必要で、岐阜県立図書館世界分布図センターの役割が大きい。文献外邦図研究グループ(2003)『外邦図研究ニュースレター』1, 大阪大学人文地理学教室, 52p.外邦図研究グループ(2004)『外邦図研究ニューズレター』2, 大阪大学人文地理学教室, 85p.
  • 加藤 茂弘, 半田 久美子, 八木 剛, 兵頭 政幸, 佐藤 裕司, 中村 俊夫
    p. 88
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    兵庫県北部の鉢北高原に位置する大沼湿原は県内最大の高層湿原であり,湿原を含む高原地域は多様な動植物相に恵まれている.大沼湿原地下には層厚6m以上に達する堆積物が存在し,最下部の年代は2万年前以前に遡るとされる.本研究では,湿原内で電気探査を実施して堆積物が最も厚く堆積する地点(大沼湿原のほぼ中央部)を推定し,そこにおいて掘削深度65mに達するオールコアボーリングを行った。湿原地下の堆積物は,深度17m以浅が泥炭と粘土を主とする細粒層からなり,それ以深の深度約65mまでは礫を主とする礫・砂・礫混じり粘土の互層からなる.得られたコア試料について,層相の記載と年代指標となるテフラの識別と同定,含まれる泥炭や植物遺体(木片・球果・種子など)を用いたAMS-14C年代測定を行った.深度17m以浅の堆積物については,環境変動の指標として,色指数(彩度や,明度を示すLb*値)を約2cm間隔で,帯磁率を約2.5cm間隔で測定した.深度17m以浅の堆積物は,深度3mまでが泥炭,深度3_から_17mまでは,3層のテフラと1層の泥炭を挟み,植物片が散在し葉理の発達する粘土からなる.層相やヒシの種子が含まれることから,この粘土は池沼で堆積したと推定される.3層のテフラは深度約2.7m,6.8m,7.4mに挟まれ,それぞれ広域テフラであるアカホヤ火山灰(K-Ah),大山弥山軽石(DMs),姶良Tn火山灰(AT)に対比された.AMS-14C年代測定は深度12.5m以浅の12層準で実施した.深度12.5mで3.2_から_3.5万年前,AT下位の深度8_から_8.8mの泥炭で2.7_から_2.75万年前,DMs直上で2.4万年前,深度3.4mで1.15万年前の,14C年代値が得られた.以上の結果から,大沼湿原がいわゆる湿原状態を呈するようになったのは深度約17m以浅であり,4_から_5万年前以降であると推定される.最上部の泥炭の堆積開始期は約1万年前,下位の泥炭の堆積期は約2.7_から_2.8万年前であり,約2.8_から_5万年前と約1_から_2.7万年前には,大沼湿原は通年水を蓄えた池沼であったと考えられる.深度17m以浅の細粒堆積物のLb*値は,後氷期の温暖期で小さく(暗く),氷期の寒冷期で大きい(明るい).約1万年前のLb*値の変動は急激であり,最終氷期から後氷期への気候の急変期と一致している.また1.15万年前_から_1万年前の時代にはLb*値が急激に大きくなり,年代的にヤンガードリアス期の環境変動を表している可能性が高い.一方,最終氷期中ではLb*値の変動幅は一般に小さく,のこ派状の小規模な変動を示した.これらは100年_から_1000年オーダーの環境変動に対応している可能性が考えられる.堆積物の帯磁率も,Lb*値と類似した垂直変動を示した.帯磁率はATの下位や最上部の泥炭で小さく,テフラ降灰層準で高いことから,周辺からの磁性粒子の供給量の変動を表していると推定される.テフラ降灰層準以外では,上記のヤンガードリアス期に相当する層準で大きなピークを示し,この時期に湿原周辺で特異な環境変動が生じたことを表している.このように大沼湿原の堆積物には,約5万年前以降の時代における100_から_1000年オーダーの環境変動が記録されている可能性が高いことが明らかになった.
  • 澤 祥, 山形県 活断層調査委員会, 津村 建四朗, 山野井 徹, 阿子島 功, 長谷見 晶子, 八木 浩司, 小松原 琢
    p. 89
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに ジオスライサーは、未固結の第四紀層浅層部の垂直断面を不擾乱状態で面的に抜き取ることができる調査法で, 中田・島崎(1997)によって開発された。 庄内平野東縁断層の観音寺断層では、2,500年前以降のイベントとそれ以前の2回(4,300_から_5,500年前、6,000_から_6,300年前)の計3回の断層活動が、トレンチ調査(鈴木・他,1989)とボーリング調査(鈴木ほか,1994)によって推定されていた。山形県(2000)はここでのイベント発生時期をより確実にするため、鈴木ほか(1989)のトレンチ断面のさらに下部を直接観察することを検討したが、シルトと砂からなる軟弱層のため大深度のトレンチ掘削は困難であると判断された。そこで、断層を横切る長さ約50m、深度約8m、幅約40cm、厚さ約10cmのジオスライサー21本と深度10_から_40mの試錐5本を実施して地下構造を明らかにしようとした。 ジオスライサーは間隔が最小1_から_2mで打たれ、試料の幅も約40cmのため層相の水平方向への追跡が試錐に比べ容易で、幅広い変形を伴う橈曲主体の活断層での有効性が示された。2.浅部地下構造と観音寺断層の活動性 ジオスライサーによって推定された地質断面は、層相と放射性炭素年代をもとにして上位より_(特)__から_?の8層に分類された。最下部の?層は砂礫層であるが、?層以上は所々に礫を混じえる粘土・シルト・砂からなる細粒物質によって構成される。放射性炭素年代に基づき、?層以下は約35,000年前以前の後期更新統に、?層以上は完新統にそれぞれ対比される。各層の傾斜は下位ほど西傾斜が大きくなり、後期更新世以降の変位の累積をうかがわせる。 層相と傾斜の解析から不整合層準を断層活動期とみなし、3回のイベントが推定された。すなわち、_(特)_層と_(企)_層の間(約3,000年前以降)、_(企)_層と_(協)_層の間(約4,000_から_5,000年前)、_(協)_層と_(労)_層の間(約6,000年前)である。これは、鈴木ほか(1994)とほぼ同様の結果である。 _(協)_層上面(約5,000年前)は、約7m程東上がりに撓み上がるようにみえる。_(協)_層は粘土・砂の細粒物質から構成され、層相から考えてほぼ水平な状態で堆積したものと推測される。_(協)_層上面の高度差を変位量とみなすと、垂直変位の平均速度は1.4m/1,000年と推定される。しかし、地形面の変位から推測された観音寺断層での後期更新世_から_完新世における平均変位速度(上下成分)は、0.5m/1,000年前後と見積もられており(池田ほか、2002)、本研究の結果よりも小さい。
  • テレメトリー調査から
    高橋 春成
    p. 90
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
  • 吾妻 崇, 杉戸 信彦, 水野 清秀, 堤 浩之, 下川 浩一
    p. 91
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    (独)産業技術総合研究所では,邑知潟断層帯の活動性を評価するため,平成13年度より調査を継続しており,平成15年度には邑知平野南縁に位置する石動山断層の活動履歴調査を,京都大学と共同で実施した. 邑知平野は石川県北部,能登半島の頸部に位置している北東-南西方向に延びる平野で,両側の山地・丘陵との境界を断層によって限られている.これらの活断層は邑知潟断層帯(松田,1990)と呼ばれており,全体として平野を低下させるセンスを持つ逆断層で構成されている.今回,調査を実施した石動山断層は,平野南東縁に位置する南東側隆起の逆断層であり,中位段丘,低位段丘を変位させている(太田ほか,1976).同断層の活動性については,堤ほか(2000)が宇土野地区(羽咋市)においてジオスライサーによる調査により,約6000年以降2回の断層活動があることを指摘している.また発表者らは,2003年7月に水白地区(鹿島町)でトレンチ調査を実施し,AT火山灰降下(約2.9万年前)以降,複数回の活動があり,最新活動時期が約3000年前頃であることを指摘した(杉戸ほか,2003).なお,本江地区においては平成14年度に産総研と北陸電力との共同研究としてS波浅層地震探査が実施されており,南東約30度傾斜の断層が存在することが確認されている(水野ほか,2003).今回は,本江地区において断層活動を明らかにすることを目的とし,トレンチ調査を実施した. 調査対象とした本江地区には,後期更新世_から_完新世にかけて形成された段丘が分布する.平成14年度の反射法地震探査では,南東側に約30°傾斜する逆断層が存在し,その上盤で地層が背斜状に変形していることが確認されている.M1面は基盤の第三紀層シルト岩の構造と調和的に山地側(南東)へ逆傾斜し(太田ほか,1976),M1面を開析する沢沿いに分布するL2面上には低断層崖が認められる.低断層崖の走向はN30°_から_40°Eで崖の比高は約2mである.この崖を横切って,長さ約10m,幅約6m,深さ約3mのトレンチを掘削した.トレンチ孔の一部では深さ約6mまで増し掘りを行ない,後述するV層の傾斜の観察及び年代測定試料の採取を行なった.平成15年11月5日に掘削して観察作業及び試料採取作業を行なった後,11月18日にトレンチ孔を埋め戻した. 法面で観察された地層をI層からV層に区分した.I層は人工的な影響を受けたと思われる黒色表土層であり,歴史時代(約1000年前以降)の地層である.II層は120AD-1020ADの年代を示すほぼ水平な堆積構造を持つ砂礫層である.III層は崩壊堆積物と思われるブロック状の腐植混じりシルトで,2470BC-2340BCの年代が得られている.IV層はほぼ均質で無層理なシルト質細砂層で,4900BC-4400BCの年代を示す植物遺体を含む.V層は分解の進んだ黒色腐植質粘土を主体としており,一部に砂礫層が挟在する.V層は約3mの厚さがあり,各部分から得られた試料からは11860BC-6230BCの年代が得られている. 断層は,IV層の上にV層が衝上する構造として,明瞭に確認することができた.断層面の南西へ約20°傾斜する.法面で確認できるV層上限の上下変位量は約1.2mである.V層最上部から採取された年代がほぼ同じ値を示し,その下位の砂層が断層の両側で対比できること,断層面の構造が比較的単純であることなどから,V層の上下変位は1回の断層活動によるものと考えられる.断層構造はII層によって不整合に覆われていることから,最新活動時期はIV層堆積以降,II層堆積以前である.これらの地層の間に堆積したIII層は,断層崖形成後の崩壊堆積物であると考えられ,断層崖形成前の年代を示す可能性が高い.その場合には,断層活動時期をIII層堆積後,II層堆積前に狭めることができるが,III層の堆積過程および年代については不確実な点が多い.各層準の試料から得られた14C年代に基づくと,最新活動が発生した時期は4400BCから120ADの間であり,III層の年代から2340BC以降の可能性がある.最新活動以前の断層運動については,V層に1回の断層変位しか認められないことから,少なくともV層堆積以前である. 本江地区は,完新世において2回の断層活動があったことが指摘されている宇土野,水白の両地区の間に位置しているにもかかわらず,今回のトレンチ調査では完新世に1回のみの活動があったことを示す結果となった.各調査地区の間隔は5-7km程度で地形的にはそれらの間に大きなギャップが認められないことから,本江地区において断層活動を見落としている可能性がある.今回の調査で確認された断層活動が,他地区で確認されている最新活動とその前の断層活動のどちらにあたるのかは特定できず.掘削地点周辺の地形地質の証拠等から検討を進める必要がある.
  • 北村 修二, 佐伯 祐二
    p. 92
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     環境問題への取り組みは、近年企業や地方自治体にとってクリアしないと新たな地平が開けない一つのハードルになろうとしている。もはや従来の形での生産方式、採算やコスト方式、また経営での合理化等では充分対処し得ず、企業活動また行政に、さらに組織や個人そのものにも、その処分や対処方式に変革、つまり環境という視点や流れに見合った対応、環境の管理の実施、またそのための体系や組織付けを迫ろうとしている。そこでは、例えば環境マニフェストシステムの縛りがあり、管理票による産業廃棄物の物流管理には、文書作成等でも、手間や煩わしさが、また費用やコストもかかるが、その対処いかんによっては社会的責任さえ問われる。したがって、環境問題や環境ビジネス産業に関われる、また産廃問題や産業廃棄物処理税に対処できる企業、また部門や業種や地域と、それができない企業や部門や業種また地域とにふるい分けられようとしている。それは新たな要求であり、それへの対応の如何によっては一つのチャンスでもある。
     本研究では、岡山県下で展開されている企業や地方自治体の環境問題への取り組みと課題を、ISO14001への取り組みや産業廃棄物問題や産業廃棄物処理税への取り組みを中心に、規模や業種、本社・本店や支店・分工場、ISO14001の認証取得企業とそうでない企業等組織や団体の特性、また企業の特性、さらに地域的特性を意識しつつ、その展開のあり方とそこでの課題という形で検討する。
     実際岡山県下における環境問題への対処には、企業、例えば、優良な、また特に環境問題に対しては、それを企業戦略として積極的にとらえる、ISO14001認証取得企業と、多くの場合必ずしもそうでない企業、例えばISO14001を認証し得しない消極的・前向きでない、しかも零細経営をも含む産業廃棄物業者とでは、その取り組みや意向に大きな違いがみられる。もちろん行政の末端としての県下の市町村も、政治的には保守的な政治基盤からも、環境問題や環境政策への取り組みもあまり積極的でない等の対応を示し、産業廃棄物処理税や環境税についても前向きにとらえつつも、それは県税であるとの部外者として意識や姿勢もみられる。そこには、状況が状況であるだけにそれなりの対応をせざるを得ない状況にあるが、産廃処理税や環境税も開始されたばかりの状況で方向性も定かではなく評価できる状況にない、またその立場にない等の縄張り意識的なものをも感じさせるのである。
     しかし、環境問題にどう対応しどのように適切に処理すべきかは、地域的・社会的、また国際的・地球的にも重要な課題であり、ここで検討するISO14001、また産業廃棄物処理税、さらには環境税への対応や取り組みは、企業や行政そのものの動向と評価に、さらには新たな時代や社会への評価や方向付けにもつながるものである。
     日本は今、組織や組織構成員自体が古い体質のなかで、改変よりは温存に明け暮れ、次の時代や社会への展開をなし得ず大きな課題を抱えるが、環境問題やそれへの取り組みは、個人、住民や市民、企業、行政を担当する市町村等の地方自治体や国、また地域にとって、さらに国際的また地球的にも、また学問的にも極めて重要な課題であり、時代的社会的状況を踏まえた、新たな段階の対応を求められている。それはまさに大きなチャンスでもある。環境問題の緩和・解消化への取り組みが一層深まることを期待して止まない。

    参考文献
    北村修二(1999):『開発か環境かー地域開発と環境題ー』大明堂、pp.1-192.
    北村修二(2001):『破滅か再生かー環境と地域の再生問題ー』大明堂、pp.1-219.
    北村修二(2003):『開発から環境そして再生へ』大明堂、pp.1-224.
  • 「双三・三次きん菜館」を事例に
    佐伯 祐二, 北村 修二
    p. 93
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     近年,農産物直売所(以下,直売所)は飛躍的に増加し,その新たな取り組みとして,都市出張販売型の直売所が展開されている。そこで本研究では,常設の都市出張販売型直売所といえる,アンテナショップ「双三・三次きん菜館」(以下,「きん菜館」)を事例に,生産者と消費者の聞き取り調査を行い,それぞれに及ぼす影響と課題を、主に消費者の意識を中心に明らかにする。
    2.「きん菜館」の概要
     広島市郊外に位置する「きん菜館」は,2001年にオープンし,広島県双三郡旧6町村および旧三次市(平成16年4月合併)で収穫された農産物を消費者に直接販売する店舗である。「きん菜館」は他の直売所同様,市場を通さないため,農産物の小売価格は一般に安価であるが,農家の手取りは高く,かつ新鮮な野菜を消費者に提供している。
    3.「きん菜館」の影響と課題
     消費者への聞き取り調査の結果,全体の18.4%を占める週2回以上の利用者は「きん菜館」を中心としておよそ半径4km圏内の居住者であるということ,そして,「きん菜館」を「近い」と判断する人もまた,半径4km圏内の居住者であることが判り,出店時に考慮された商圏設定の妥当性が示された。また,「こだわり品が出来た」や「食に関する会話が増えた」などの項目において利用回数が増すほど選択率が増加する傾向が見られ,利用回数が利用者意識の向上に寄与していることが明らかになった(第1図)。
     さらに,買い物行動の始発点として「きん菜館」を利用する消費者(28.0%)を始発点利用者とした場合,同様に消費者意識の向上が確認された。
     また,故郷を懐かしむ声,さらには,友人同士で作ったグループで生産者個人との契約購入を始める消費者のような,発展的な交流もみられた。しかし一方で,産品の安全性や生産者の商売人化を問題とする消費者も存在した。
     生産者への聞き取り調査からは,運営主体のJA三次から毎日送られるFAXが生産者の生きがいに大きな役割を果たしていることがわかった。一方で,売れ残りの産品を直接確認できないため,売れ残り理由がわからないなどアンテナショップゆえの欠点や,消費者意識の高まりによる産品の高品質化を余儀なくされている点も指摘された。
    4.おわりに
     アンテナショップが,消費者および生産者にもたらした影響は,食に関する意識の変化であり,価格や品質および安全管理面において要求水準が今後一層高まる傾向にあると言える。消費者に対しては,アンテナショップ独自の確固たるコンセプトの提示とその理解を求め,生産者に対しては,情報格差の改善とより充実した情報の提供をしていく必要があるといえる。

    文献:飯坂正弘(2001a):農産物直売所の現状と課題(1),農業および園芸,76(6),pp.641-647.
    飯坂正弘(2001b):農産物直売所の現状と課題(2),農業および園芸,76(7),pp.749-755.
  • 佐藤 裕哉
    p. 94
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究の背景と目的
     経済活動のグローバル化は医薬品産業においても例外なく進展している。1980年代以降,欧米大手製薬企業の日本への進出が進み,日本の医薬品企業はグローバルな研究開発競争にさらされることとなった。グローバルな研究開発競争は過当競争を引き起こし,その結果,研究開発費の売上高比率は1980年の5.5%から2001年には8.5%(科学技術調査)となった。各企業は高騰する研究開発費を抑えるため,様々な対応をとっている。その一例として,1990年以降,新薬開発をベンチャー企業が担い,マーケティング力を持つ大手製薬企業がその成果を活用するという分業体制がみられるようになった。なぜならば,医薬品産業は研究開発を経て上市に至る期間が長期かつコストが膨大であり,大企業が多くの製品分野において自社で研究開発を行うのは不可能に近いためである。しかしながら,これまでバイオベンチャー企業の所在地が把握可能なダイレクトリーが存在しなかったため,その分布状況すら分かっていないのが現状である。
     そこで本研究では,バイオベンチャー企業の立地とその要因を把握することを第1の目的とする。合わせて,バイオベンチャー企業は「人材の確保」と「資金調達」が課題とされているため(後藤・小田切編,2003),関連諸機関とどのようなネットワークが形成されているかを捉える。ここでは大手医薬品企業や大学との共同研究や取引関係,ベンチャーキャピタルからの出資などに注目して分析を進める。
    2.資料と研究の方法
     本研究では(財)バイオインダストリー協会発行「平成14年度 バイオ産業基盤形成事業報告書」を用いる。このデータは,2003年2月末時点のバイオベンチャー企業484社が掲載されている。しかし,空間データに関しては,都道府県レベルであるためインターネットを用いて補足した。その結果,全企業の86.2_%_にあたる417企業の立地データを得ることができた。
     立地を把握した上で,主たる集積地に立地する企業への聞き取り調査と,集積地以外の企業へのアンケート調査を実施し,関連諸機関とのネットワークの実態の把握を行った。
    3.バイオベンチャー企業の立地とネットワーク
     バイオベンチャー企業の分布を都道府県別にみると,東京都が169社で全体の34.9_%_,次いで北海道が49社(10.1_%_),大阪府が31社(6.4_%_)となっている。アニメ産業のような80_%_という高い数値は示さないが,東京への一極集中傾向がみられる。東京都内の市区部別では,東京都の全169企業中番地レベルでは131企業,区レベルでは145企業のデータが捕捉できたが,港区に24社,中央区に20社,新宿区に18社,千代田区に16社が立地する。これに渋谷区を加えた都心5区では87社となり,東京都全体の51.5_%_の企業が立地し,都心区部への集積傾向が読み取れる。八王子などの市部にも立地するが都心に比べると少ない。都心5区の内部に焦点をあてると,千代田区神田地区(神田司町,神田錦町,岩本町など),中央区日本橋地区(日本橋浜町,日本橋本町,日本橋人形町など)に集積していることが明らかとなった。アニメ産業における三鷹・武蔵野地区やインターネット関連産業における渋谷地区への集積とは異なる地域に集積している。
     関連諸機関とのネットワークに関して,東京都心区部に限定して関連諸機関の分布をみると,大手医薬品企業は中央区日本橋本町に,大学は皇居の北側に,そしてベンチャーキャピタルは日本橋兜町に集積している。分布の上からはバイオベンチャー企業と空間的近接を示している。
     しかしながら,上記の分布状況からは関連諸機関とのネットワークの実態は不明である。今回の発表は,分布の状況に加えて,個別バイオベンチャー企業への聞き取り調査とアンケート調査の結果を示し,関連諸機関とのネットワークの実態について報告したい。
    文献
    後藤 晃・小田切宏之編 2003.『日本の産業システム3 サイエンス型産業』NTT出版:302-351.
  • 高岡 貞夫, Swanson Frederick J.
    p. 95
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに 1900年代半ばにアメリカ西部の山地上部にある草原が樹木の侵入によって縮小したという報告が数多くある。その要因として気候変化、山火事の発生頻度の変化、羊の放牧による草原利用の変化などがあげられているが、これらは同時的に草原の維持に関わってきたので、従来の研究のように一つまたは数個の草原を扱った研究ではどの要因が重要であるのかを論ずることは容易でなかった。また個々の草原はそれぞれ異なった地形・土壌条件や小気候条件をもつために、上述の要因の影響の現れ方が必ずしも同一ではなく、このことも要因の解明を難しくしている。 本研究では、オレゴン州カスケード山脈にある約500個の草原を研究対象として、草原縮小の要因を特に林野火災と放牧の影響に着目して検討を行った。従来の研究が各要因の変化と草原変化の年代的な重なり具合を検討することが中心であったのに対して、本研究では多数の草原を対象にすることによって、要因変化と草原変化の空間的関連性の検討を行った。調査地域 調査はカスケード山脈ブルーリバー流域で行った。2000mm以上になる降水量の約70%は11月_から_3月の期間に集中し、夏季には乾燥して山火事が多発する。流域の標高は420_から_1620mであるが、およそ1000mを境に温帯針葉樹林と亜寒帯針葉樹林とに分かれる。この地域の主たる森林攪乱は山火事であるが、1911年以降の防火政策により火災は減少し、1946年以降にはこの流域内に0.1haを超える火災はほとんど起きていない。羊はオレゴン州に1843年にもたらされた。夏季には本調査地域を含む山地上部の草原や林内に放牧されていたが、この放牧は1948年までに終了した。方法 1946年の空中写真を用いて0.2ha以上の非森林植生(草原と低木林)を判読し分布図を作成した。これらの中に樹木が単木的に存在する場合でも30%以下の植被率の場合は草原・低木林とみなした。これらは、湿性草原、乾性草原、広葉樹低木林、針葉樹低木林の4つに区分された。これを2000年撮影の空中写真と比較することにより、1946年以降の拡大・縮小の有無を判定した。 調査地域に分布する山火事再生林と考えられる一斉林の林齢を年輪データから推定し、これらに湿性・乾性草原が隣接する場合は、その林齢をその草原が過去に被災した年代とした。この被災年代のほかに、区域ごとの羊放牧の終了年代を示す資料、および10mDEMから生成した地形条件(標高、方位、傾斜、尾根からの距離)を考慮して、草原・低木林の拡大・縮小の要因を検討した。結果と考察 1946年の空中写真には521個の草原・低木林が判読された。このうち伐採の影響のない423個の草原・低木林の変化を検討したところ、2000年までに88個(20.8%)が樹木侵入によって縮小していた。植被タイプによって変化傾向は異なり、湿性草原の46.8%、乾性草原の83.5%、針葉樹低木林の100%が縮小したのに対し、広葉樹低木林の98.6%が変化していなかった。針葉樹低木林は1900年代始め以降に火災によって森林が破壊された後に再生途上にある群落であり、広葉樹低木林は積雪の影響を強く受けて森林が成立できない場所に形成されたものであると考えられる。 41個の湿性草原および91個の乾性草原について、縮小の有無を目的変数、標高や斜面方位などの地形条件、1946年以前の火災の歴史、1948年以前の放牧の歴史を説明変数としてロジスティック回帰分析を行った結果、湿性・乾性草原のどちらも火災の履歴のあるところでより多く縮小が起きていた(ただし湿性草原の場合のみ有意 P<0.01)。また放牧が1920年代に終了したか、1940年代に終了したかの違いは、1946年以降の草原の変化に大きな影響を持つとはいえなかった。 1946年以前に火災の攪乱を受けたと考えられる草原の中には、1800年代あるいはそれ以前に被災したと推定される草原が含まれる。地表火など一斉林分布からは推定できない強度の小さな火災がより最近に発生していた可能性も否定できないが、山地上部の高標高域においては植生の回復が遅く、そのために過去の火災の影響が100年以上におよぶことがあるとも考えられる。
  • _-_愛知県名古屋市北区及び岐阜県土岐市を事例としたアンケート調査から_-_
    &#32735; 国方, 吉田 謙太郎, 佐藤 照子, 福囿 輝旗, 池田 三郎
    p. 96
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに
    日本は,長年の大規模の治水投資により,水害による人的損失の面で見ると,大幅に減少し,人的損失のリスク管理の当面の目標に達している.しかし、水害による経済的被害の絶対値は減っていないし、しかも,70年代以後の治水投資は効率性については、多くの課題が残されている(Zhai et al 2003).一方では,長引く不況で,中央政府・地方自治体の財政が厳しくなるとともに,環境保護意識が高まるにつれ,従来のように増えつづける水害防災への投資方針を見直す動きも始まっている.そこで,総合的に水害リスク軽減の視点及び地域の持続可能な発展の視点から,Quality of Lifeや環境保全の確保の新しい水害防止戦略を探る時期が来ている.本研究は,その一環として,住民が水害対策にどういう要求(ニーズ)があり、その要求の達成のためにはどの程度負担する用意(支払い意思)があるのかをアンケート調査を用いて探ることを目的とする.
    2.アンケート調査概要と結果
    2.1 調査概要
    2000年に東海豪雨が起き,広範囲に甚大な被害をもたらした.このような水害常襲地域では,ハード的な対策が実施されても,将来計画規模を超える大水害は必ずまた起きる.そこで,住民が水害リスクをどう認知しているか,どのぐらい受容しているか,水害対策をどう考えているかは,水害リスクマネジメントに最も重要でかつ基本的であるため,「水害対策に関するアンケート調査」が実施された.本調査は,防災科学技術研究所「災害に強い社会システムに関する実証的研究」プロジェクトによって,平成16年3月21日から4月26日にかけて行われた.電話帳データベースから愛知県名古屋市北区及び岐阜県土岐市の住民それぞれ500名ずつを無作為に抽出し,郵送配布・郵送回収という方法をとり,実施した.回収率は428/962=44.5%であった.アンケート用紙は,回答者属性,リスク認知とランキング,河川までの距離,河川・湖とのかかわりとその利用,水害認知,水害経験,水害対策へのニーズ,外水氾濫対策・内水氾濫対策・早期警報システムなどといったソフト対策への支払い意思額及び自由記述などの質問項目から構成され、計26問、14ページとなる.本報告は今回のアンケート調査結果の一部である水害対策への住民のニーズを中心にして行われる.
    2.2 主な調査結果
    (1)ほとんどの住民が水害対策を何とか取らなければならないと思っている.(2)外水対策より内水対策・ソフト対策のほうが求められている.(3)地域的には,土岐市では外水対策やソフト対策が,名古屋市北区では内水対策が強く求められている.(4)河川から離れるほど,外水対策への要求は弱くなり,内水対策への要求は強くなる.(5)外水対策への要求の高い住民は,その対策のための支払い意思額(WTP)も高い.(6)河川氾濫の受容度のある住民は,氾濫を絶対許せないと考える住民より、洪水早期警報システムやハザードマップなどというソフト対策を多く求めている.(7)年齢層が高いほど,水害対策を強く求めている.(8)女性は内水対策を,男性はソフト対策をより多く求めている.
    3.おわりに
    本調査は,アンケート調査を通じて,住民の水害対策への認知,要求などの現状を明らかにし,今後の統合的水害リスクマネジメントに基礎的なデータを提供することができた.しかし,様々なリスクに取り込まれる住民が,多種多様なリスクのひとつに過ぎない水害リスクに対して,どう認知しているか,水害リスクと他のリスク(たとえば,環境リスク)との間にどういうトレードオフを有しているか,水害リスクを軽減するための支払い意思がどのくらいあるか,それらの空間的分布がどうなっているか、等々が,課題としてまだ残されている.
  • 朝日 克彦, 渡辺 悌二, 白岩 孝行
    p. 97
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに地球温暖化との関わりから近年の氷河変動について高い関心が寄せられている.特にネパール・ヒマラヤの氷河は,氷河涵養の多くが気温の高い夏に生じていることから,ごく僅かな気温上昇に対して敏感に応答し易い.そのため地球温暖化の影響を具現化する現象として注目されている.朝日(2001)は空中写真判読によってネパール・ヒマラヤ東部の氷河変動を明らかにし,この地域の氷河は概ね後退傾向にあることを示した.しかし,ネパール・ヒマラヤの氷河は,最終氷期以降の氷河変動の一連の流れの中では小氷期の氷河拡大が比較的大きく,小氷期以降リバウンドによる氷河の後退が生じたものと考えられる.つまり現在の氷河が定常状態にあるのかは議論の余地があり,したがって現在見られる氷河後退が地球温暖化による影響とは断定できず,単なる小氷期に拡大した氷河の縮退の可能性も残っている.そこで地球温暖化の影響を評価するためには,氷河だけではないヒマラヤの雪氷圏全体の変動がどのような傾向にあるのか明らかにする必要がある.そこで本研究はネパール・ヒマラヤの岩石氷河の観測を行い,永久凍土の変動を明らかにする.2.研究対象地域と方法研究対象とする岩石氷河は,ネパール東部,クーンブ・ヒマールのポカルデ山塊では最大規模のヌプツェ岩石氷河である(27 56' 30"N, 86 51' 10"E).岩石氷河の末端標高はおよそ5200 m,面積は0.31 km2である(Asahi, 2004).他のネパール・ヒマラヤ東部の岩石氷河同様,岩石氷河表面には圧縮流動により生じる畝溝状の地形の発達が見られない.一方,岩石氷河の縁を取り囲む前縁斜面は新鮮な礫からなる白いシャープな形態が特徴的で,地衣類に覆われて黒い表面上の礫とは対照的である.1989年に岩石氷河上に表面流動観測用の測線を2本,末端の前縁斜面直上(測線A)と流動方向中央部付近(測線B)に設定し,それぞれ6カ所と7カ所,測線上のボルダーにアンカーボルトを埋め込みこれを測点とした.再測は98年と2000年に行い,この間11年間の測点移動を観測した.観測には光波式測距儀とセオドライトを併用した.3.結果測点を設置したボルダー上に積んだケルンは,1カ所を除きいずれも崩壊することなく残置されていたことから転石による流動はなく,純粋な塑性変形で生じた永久凍土クリープによる流動の結果を観測できた.この結果,最近11年間でA測線の7測点では6m程度(約0.6m a-1),B測線の6点では4.5m程度(約0.4m a-1)の表面流動が観測された.いずれの測点でも最近3年の流速はそれ以前7年に比べ速くなっている.また鉛直方向での岩石氷河の表面レベルの全体的な低下も認められた.流動による効果を差し引いても,概ね0.2 m a-1程度の低下が生じており,表面流動同様最近になって低下の速度も速くなっている.全体的な表面レベルの低下,及び加速する表面流動速度は永久凍土の融解を意味するネパール・ヒマラヤ東部においては,雪氷圏全体が加速度的に縮退している可能性がある.
  • 朝日 克彦
    p. 98
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに中緯度から低緯度の地域に高い標高が広がるヒマラヤ・チベット山塊は,大気循環に強い影響を及ぼしている.ヒマラヤ・チベットの古環境,古気候の復元は,アジアのモンスーン変動を解明するうえで重要な課題であり,この観点から近年では堆積物を用いた高精度の解析が進められるようになった.しかし,堆積物に残された環境指標の記録と地域の気候とは必ずしも直接的な関係にあるわけではなく,その変動記録の解釈には議論の余地が残されているものと考えられる.一方,ヒマラヤ・チベット山塊の雪氷圏の変動は気候変動そのものであることから,氷河変動から気候復元を行うことは今日においてもなお重要である.様々な指標を用いた高分解能の古気候復元がなされている現状を踏まえれば,むしろ氷河地形を指標に最終氷期以降の気候変動の枠組みを提示することは急務の課題といえる.2.研究対象地域と研究方法本研究ではネパール・ヒマラヤのうち東部の2山域(カンチェンジュンガ,クーンブ),西部3山域(シスネ,チャンディ,アピ)を対象とし(図1),東西各山域での氷河平衡線高度の変化からネパール・ヒマラヤの最終氷期の古気候のフレームワークを提示することを目的とする.各山域の空中写真判読から現成氷河の目録を作成し,氷河の表面形態から現在の氷河の平衡線高度(ELA)を推定した.空中写真判読により各研究対象地域内の現在の氷河目録を整備し,各氷河の表面形態の特徴からELAを読みとった.LGM期のELAの復元は次の方法によった.1)空中写真判読により研究対象地域内に分布するモレーンを詳細に明らかにし,2)地形層序,相対年代,絶対年代にもとづいてLGM期にステージ区分されるモレーンだけをえらび,3)各山域で分布するラテラルモレーンの上端高度のうち特に高いものを選び,これを当時の平衡線高度とした.現在の氷河形成気候を踏まえ,氷河平衡線高度の現在とLGM期との比較から,LGM期における古気候復元を試みた.3.結果と考察ネパール・ヒマラヤでは東部山域,西部山域共にELAの緯度断面は南下がりにあることがわかった(図2).これは,1)南西モンスーンが氷河形成の規定要因になっていること,2)急峻な山地の障壁効果により山域南縁部ほどより多くの降水がもたらされ,逆に北部では降水量が減り著しく乾燥するため氷河が形成されにくくなり,緯度方向でのELAは南に傾く.特に1)については,氷河の涵養が夏に生じることから雪と雨との境界が氷河形成を規定するため,涵養期(夏季)の気温に依存する.LGM期についても復元した平衡線はいずれの山域においても南下がりの傾向が維持されていた(図2).このことからLGM期も現在と同様,氷河を涵養する降水の多くを夏季の降水が占める強い夏季南西モンスーンの影響下にあったことを示している.このことからLGM期も現在と同様,氷河を涵養する降水の多くを夏季の降水が占める強い夏季南西モンスーンの影響下にあったことを示している.既存の古気候研究の多くはLGM期に南西モンスーンが衰退していたことを示しているが,氷河を涵養する降水は持続していたものと考えられる.また東部山域では,緯度方向での氷河平衡線の傾きが,LGM期には現在と比べ強化されていた.北方ほど著しく乾燥が進み,南北方向での乾湿差が強化されていたことを示しており,全般的なモンスーンの衰退と調和的である.一方西部山域では氷河平衡線の傾きはLGM期も現在とほぼ変わっていない.東部とは異なるこの傾向は,冬季の偏西風擾乱による降水がもたらされていたことを示唆するものであり,夏季に減少した降水を冬季の降水が補って効率的に氷河を形成,維持していたものと考えられる.
  • 沼尻 治樹, 野上 道男
    p. 99
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究の概要
     前報(2004年日本地理学会春季学術大会)では,1km×1kmのグリッドにひとつのタンクを置くグリッドタンクモデル(分散型タンクモデル)を採用し,グリッドごとに気候値メッシュデータ(気象庁)から算出される流出量を対象流域単位で集計して,月単位で河川流量データと照らし合わせを行い,その差異が最小になるようにモデルの実行を繰り返しながら、グリッドタンクモデルのパラメータの最適値を求めた.また,そのパラメータを用いて流域水収支の推定を行った.結果として,おおむね精度良く月流出量をシミュレートすることができ、水収支の推定も妥当と考えられた.
     前報では,流出に関わるタンクのパラメータは対象流域ごとに設定したが,サブモデルの積雪・融雪にかかわるパラメータは流域共通とした.本研究では,このパラメータを対象流域ごとに最適値として設定することで、流域水収支モデルの精度の向上を試みた.
    2.流域水収支モデルについて
     前報で報告したグリッドタンクモデルと,そのサブモデルである積雪・融雪モデルを引き続き使用した.このグリッドタンクモデルには,飽和,中間,基底の3つの流出口を有しており,そのうち,中間,基底流出口には流出率が設定されている.さらに,タンクの上限から底までを第1容量,中間流出口から底までを第2容量と区別した.この流出量に関わるパラメータは,第1,第2容量と中間,基底流出率の4つである.
     サブモデルの積雪・融雪モデルは,気温によってのみ影響されるという単純なもので,パラメータは月値としての融雪係数と降雨・降雪判別気温である.
    3.流域水収支モデルのパラメータ推定法
     パラメータの推定方法は,前報での手順と同じである.すなわちグリッドタンクモデルのパラメータの最適値探索に加えて、融雪係数と降雪・融雪判別気温の探索を組み合わせて行った.
    4.まとめ
     全てのパラメータについて流域ごとに異なる最適値を設定したことによって,前報よりも流域水収支の精度が向上した.前報で年単位,融雪期(3_から_6月)の実測流量値とモデル出力値の差を比較すると,実測流量値の方がモデル出力値より多いことが判明していた.この原因として降雪の補足率が過小であることによることを報告したが,さらに全てのパラメータを流域ごとに設定したことにより,その傾向はより顕著に表れた.
     1km解像度のDEMを用いて流域の平均標高を集計し,実測流量値とモデル出力値の差との関係をみてみると(fig.1),平均標高が高いほど融雪期における水収支の差が大きくなった.比較的標高の高い地域においては(たぶん風が強いので)雪としての降水量の補足率が低いことに加え,気候値メッシュデータそのものの降水量についての高度補正が不十分であることも予想される.
  • 伊藤 栄介
    p. 100
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. 研究の背景と目的調査対象地である鹿児島県屋久島は,1993年に世界自然遺産に登録された.この登録理由のなかに,通称ヤクスギと呼ばれる高齢な天然スギ(Cryptomeria japonica)の巨木林が挙げられている.一方で,ヤクスギは従来から木材資源として利用されており,現在も利用が継続している.
    そこで本研究は,ヤクスギの利用主体である加工業者に焦点をあて,保護の対象となっている資源の利用現状について分析することを目的とする.調査内容として,各業者における材の購入量と入手経路・経営内容・来歴などの聞き取り,加工組合におけるデータ収集を行った.2. ヤクスギ利用の現状現在利用されているヤクスギは,江戸時代に伐採された木の根株や倒木部分であり,通称「土埋木」と呼ばれている.ヤクスギ立木の伐採が禁止された1983年以降は,土埋木のみが利用可能であり,主に家具や工芸品に加工されている.土埋木の搬出から販売までは,基本的には屋久島森林管理署の管轄下におかれている.販売方法は,随意契約方式と,一般入札の2つがある.随意契約は,地場産業の育成が目的であり,業者が形成している加工組合にのみ販売される.3. 加工業者の分析   屋久島において土埋木を購入する業者数は1979年の42社をピークに減少を続けている.1979年と2002年における立地の比較より,宮之浦地区の減少と島の東部の安房・春牧地区への集中が分かる.この変化は,土埋木生産量の減少,宮之浦貯木場の閉鎖,観光ルートの確立が要因であると考える.2002年現在の業者数は32社である.そのうち全体の80%にあたる25社が組合へ加盟しており,平均30年加工業に従事していた.代表者の80%は島内出身であった.これは,組合加盟の業者が土埋木の本格的な利用開始時に創業し,随意契約により毎年一定量の材を確保していることを示唆する.次に,組合加盟の業者を店舗の有無と材の購入量から4つに細分化し,それぞれのグループの特徴分析を行った.その結果,店舗を持つ業者は観光客を主な販売対象とするため,必ず県道沿いに立地していた.また,材の購入量に応じて観光客の属性を個人_-_団体で棲み分ける傾向があった.店舗を持たない業者のうち,材の購入量が少ない業者は小物中心に製作し,卸しを専門にしていた.購入量が多い業者は良材を入札で購入し,テーブルのような大物家具やツボといった高価な商品を主に製作し,島外を中心に顧客を抱えていた.一方,組合へ加盟していない業者は,1990年代より見られ始めた.1社を除いて島外からの移住者であり,組合加盟の業者が立地していない,集落の外縁部などに位置していた.また,入札材や流木を用いたり,土埋木以外の材料も用いたりして個性的な商品を作っていた.これらは,既存の業者との差別化を図るためである.4. まとめ土埋木の加工業は,その素材の良さと屋久島・ヤクスギという付加価値を活かし,観光とも関連して成立している産業である.また,材の入手・販売対象・製品の製造において工夫をすることで,土埋木の加工業を継続していた.加工の技術や人とのつながりが,これらの背景にはあると考えられる.
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