キイロショウジョウバエの求愛行動は,複数の定型的な行動要素から構成される複合的な行動である。雄は交尾を達成するため,同種の雌を選んで求愛を開始し,一旦求愛を開始した後は複数の行動要素を一定の秩序の下に順次発現させて雌と相互作用する必要がある。雄特異的介在ニューロン群であるP1ニューロン群は,性決定遺伝子fruitlessを発現するニューロン群を構成するサブクラスの1つで,求愛行動発現の引き金を引く「トリガーニューロン」として同定された。P1ニューロン群は雄の求愛行動を活性化する雌フェロモン刺激下で活動し,その結果,目の前を移動する雌に対する視覚誘導性の定位行動と求愛歌の生成が活性化される。他方,求愛中の雄を用いたin vivo機能イメージング実験からはP1ニューロン群が定位行動と同期したCa2+応答を示すことがわかっており,このニューロン群が複数種の感覚性入力に依存しつつ,求愛行動制御の複数の側面に関わることが示唆される。本稿では筆者らの研究から明らかになった,感覚性因子やP1ニューロン群の活動と行動出力との間の関係をまとめつつ,現時点における求愛行動発現の制御機序についての知見の一端を紹介する。
脊椎動物の網膜には桿体と錐体の2種類の視細胞が存在する。いずれも光を検出して神経情報に変換する働きをしている細胞であり,互いによく似ている細胞である。その一方,光に対する応答の仕方には2つの点で大きな違いがある。一つめの違いは光に対する感度の違いである。光に対する感度は錐体よりも桿体のほうが著しく高い。このため,我々は暗いところで桿体を使って物を見ることが出来る。もう一つの違いは応答の持続時間の違いである。同じ光刺激に対して,錐体は桿体より短く応答する。このため,錐体が働く明るい光環境下では,より高い時間分解能で光刺激の変化を見ることが出来る。応答の異なる2種類の視細胞を使い分けることにより,我々は様々な光環境で物を見ている。ところが,桿体と錐体の応答の違いがどのような分子メカニズムで決まっているのかについては長らく不明であった。著者らは魚類のコイの網膜から精製した桿体と錐体を材料として,その違いの生じる分子メカニズムを研究している。本稿では著者らの成果を中心に,これまでにわかってきたことを紹介したい。
変温動物である昆虫にとって,周囲の温度変化は,個体の生命活動に大きな影響を与える重要な環境因子である。例えば,低温下では活動が低下し,それが長期に続けば死に至る。高温は,さらに危険であり,短時間で死に至ってしまうこともある。昆虫が生息する多くの環境では,周囲の温度は一日の中で変化する。そこで昆虫は,一日の時間を測る時計“概日時計”を使って,24時間周期の温度変化をあらかじめ予測することで,環境にうまく適応している。動物の概日時計の研究は,1990年代以降,特にキイロショウジョウバエとマウスを用いた遺伝学的・分子生物学的な研究により急激に発展し,時間を測る分子機構の中心的部分がすでに解明されている。特にショウジョウバエでは,概日時計を構成する神経細胞(時計細胞)の同定,またその時計細胞を遺伝学的に操作する技術も発達しており,様々な研究手法を用いることが可能になっている。そのような背景を基に,著者らを含むいくつかの研究グループは,キイロショウジョウバエを用いて概日時計と温度適応について研究を進めてきた。本総説では,概日時計が周期的な温度変化に同調するということ,概日時計の制御によって温度選択性に概日リズムが生まれること,の2点についてこれまでの研究を概説する。