日本地理学会発表要旨集
2012年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の175件中151~175を表示しています
発表要旨
  • -岡山平野を対象とした気温の鉛直プロファイル観測-
    重田 祥範, 大橋 唯太
    セッションID: P023
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    本研究では晴天弱風時の夜間に,等温線が同心円状に広がる明瞭なヒートアイランド現象の出現が報告されている岡山平野を対象として,係留気球を用いた気温の鉛直プロファイル観測をおこなった.そのうえで,都市ヒートアイランドの形成メカニズムを考えるうえで重要なクロスオーバー現象の存在について明らかにし,岡山平野で発生するヒートアイランド現象の立体構造を把握することを目的とした. 観測の結果,明瞭なヒートアイランドが出現した2010年5月2日午前0時の地上気温偏差では,都市部と郊外の気温差は5℃以上となっており,典型的なヒートアイランドが出現している.また,気温の鉛直プロファイルに着目すると,郊外では上空約100mまで温位が急激に上昇(3.0K/100m)しており,接地逆転層が形成されている.一方,都市部や沿岸部の気温鉛直分布は等温に近い状態となっている.さらに,興味深い特徴として,高度90m付近で都市部と郊外の温位が等しくなる「coincident point」が認められ,それよりも高い高度では都市部の温位が郊外よりも1K以上高いことが明らかとなった.つまり,この結果はクロスオーバー現象の存在を示唆するものとなった.
  • 田上 善夫
    セッションID: P020
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     東アジアのモンスーン気候地域においても,地球環境の変化の影響に地域差があり,それは顕著な気候状態時に明瞭に現れると考えられる。高温時には海風の出現を伴い,沿岸は昇温が抑制される一方,内陸で著しく昇温するため,地域差が増大する。日本列島周辺の環境変動の基本となる気候状態について,その広域的・局地的な相異および出現の要因について解明を試みる。 日本列島と朝鮮半島では,冬・春季事例では,暖気がおよそ北側あるいは西側から,南側あるいは東側へ移動し,秋季事例には暖気が南側あるいは東側から,北側あるいは西側に移動する傾向がみられた。高温出現の前後では,冬季事例ではシベリア高気圧の寒気,春季事例ではオホーツク海・日本海北部・黄海の高気圧の冷気,夏季事例では熱帯低気圧の暖気,秋季事例では帯状高気圧の暖気が明瞭である。 日本海側とは対照的に,太平洋側では海風時にも南から暖気がもたらされ,内陸での高温は顕著となる。また冬・春季に海陸風循環は日本海側で明瞭でないが,これは暖気が日本海側から太平洋側への移動に影響する。朝鮮半島南部も含めると高温域は,春季事例では日本海から太平洋あるいは西から東へ移動し,夏季の事例では太平洋から日本海あるいは東から西へ移動する傾向がみられる。
  • 全 志英
    セッションID: P040
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    飯田市龍江地区は1930年からリンゴ栽培を始め,天龍峡からの観光客が立ち寄ることから,観光農園が始まった.また,1975年の中央道の開通によって観光農園が増加し,天龍峡リンゴ狩り組合が発足した.しかし,バブル期以後からリンゴ狩りの訪問客が減少し始め,現在は固定客に対して贈答用のリンゴを販売することを中心に収益を得ている.主なリンゴの品種はふじであり,リンゴ以外にぶどう,もも,柿なども栽培している.
  • 濱田 浩美, 中村 圭三, 駒井 武, 大岡 健三, 谷口 智雅, 谷地 隆, 松本 太, 戸田 真夏, 松尾 宏
    セッションID: P032
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    ネパールのテライ低地では、1999年に地層中に含まれる自然堆積物による地下水ヒ素汚染が明らかになり、その実態および健康被害に関する調査が進んでいる。演者は2007年9月のテライ低地のNawalparasi郡Parasiにおける調査において、高濃度のヒ素が局所的に検出された。WHOによる飲料水のヒ素濃度基準は10ppb以下であるのに対し、この地域では1800ppbに達する井戸が確認され、汚染の深刻さが明らかになった。今回は2012年3月の調査結果を報告する。
  • 北島 晴美, 太田 節子
    セッションID: 211
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.はじめに
     1990年代以降の粗死亡率の上昇,死亡数の増加は,高齢人口の増加に対応している。高齢者死亡数が総死亡数の85%を超え(2010年),高齢者死亡が総死亡の動向を左右しているといっても過言ではない。
     筆者らは,高齢者死亡の地域差に関する研究を行っており,人口上位都道府県では,前期高齢者比率が高いため,65歳以上死亡率が低下する(北島・太田 2011,2012)。本研究では,高齢者のうち,死亡数が多い年齢階級(75~84歳,85~94歳)について,都道府県別の特徴を把握した。

    2.研究方法
     都道府県別の,平均余命,年齢調整死亡率,SMRは,厚生労働省が5年毎に公表しており,都道府県単位の死亡の地域差は,これらの指標から把握することが可能である。しかし,平均余命以外の指標は,高齢者に限定した死亡状況を把握するためには,必ずしも適切ではない。そこで,都道府県別年齢階級別(75~84歳,85~94歳)死亡率を用いた分析を行った。死亡率は,両年齢階級の,総数,男,女について算出した。
     使用した死亡数データは,平成22年(2010)人口動態統計(確定数)(厚生労働省)である。北島・太田(2012)と同様に,2010年死亡率,各月死亡率は,1日当り,人口10万人対として算出した。人口データは,2010年国勢調査人口(日本人人口)(総務省統計局)を使用した。

    3.都道府県別75~84歳,85~94歳死亡率
     75~84歳死亡率(総数)の都道府県別分布図を図1に示す。75~84歳死亡率(総数)上位(高)3県は,栃木県,青森県,和歌山県,下位(低)3県は,沖縄県,熊本県,島根県である。85~94歳死亡率(総数)上位3県は,三重県,青森県,秋田県,下位3県は,沖縄県,熊本県,広島県である。
     2010年都道府県別75~84歳,85~94歳死亡率には,人口との関連はみられない。75~84歳,85~94歳の両年齢階級とも,男・女の死亡率には相関がある(相関係数0.59,0.56)。

    4.都道府県別75~84歳,85~94歳死亡率の季節変化
     75~84歳死亡率(総数)上位3県,下位3県の季節変化を図2に示す。75~84歳,85~94歳年齢階級の,死亡率(総数),死亡率(男),死亡率(女)の全国値の季節変化は,いずれも,冬季に高く夏季に低い。各都道府県もほぼ同様の変化傾向であり,年死亡率の高低に応じて,季節推移も月別全国値を中心に,その上下で推移する傾向が確認された。ただし,死亡数が少ないと変動が大きくなる。特に,75~84歳死亡数(女),85~94歳死亡数(男)は,人口規模が小さな県では,月別値が100人未満となるため,死亡率の変動が大きい。
  • 南雲 直子, 久保 純子, 須貝 俊彦
    セッションID: 117
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1. はじめに
    インドシナ半島ではモンスーンの影響を受けて1年が雨季と乾季に大別される.2011年6月~9月にかけて平年より雨の多い状況が続き,メコン川中・下流域でも集中的な降雨がみられたことから,通常の雨季を越える規模の洪水となり,多くの被害をもたらした.この水害は,メコン川下流域で2000年に発生した,いわゆる2000年水害(たとえば,海津ほか, 2004;久保, 2006)以来の規模となった.10月28日付カンボジア国家防災委員会による発表では,1)24州のうち18州で洪水被害がみられ,2)約35万世帯(160万人以上)が被害を受け,約5万1千世帯が避難した,3)死者247名,負傷者23名に達した,4)約24万ha(10.7 %)の水田に被害があった,等が主な被害状況として報告されている(United Nations in Cambodia, 2011).本発表では,現地調査および資料分析結果をもとにして2011年水害の実態を明らかにし,それと関係する微地形(たとえば,Kubo, 2008)について議論する.

    2. 洪水痕跡調査および資料収集
    洪水による湛水深と微地形との関係を把握するため,2012年3月14日および15日に,プノンペン周辺の主要国道沿いに洪水の痕跡調査を実施した(南雲・久保).国道5号線(トンレサップ川),6号線(メコン川上流側),1号線(メコン川下流側)等に沿って多数の洪水痕跡が確認され,レーザー測距計(Tru Pulse360)を用いて,国道等の道路面と水面や水田面・洪水痕跡の比高を測定した.また,洪水時の衛星画像や水文データ等も収集した.

    3. プノンペン周辺の浸水範囲,浸水深と微地形
    2011年洪水と2000年洪水の最大浸水域を比較すると,支川であるトンレサップ川~トンレサップ湖沿いの浸水は2011年の方が広く,下流のメコンデルタ域(ベトナム)では2000年の浸水域が広くなるという傾向が認められた.また,プノンペン周辺における洪水痕跡調査の結果,平野の微地形と浸水状況・浸水深には一定の対応がみられ,久保(2006),Kubo(2008)の結果と一致した.すなわち,緩扇状地の縁辺部に位置するプノンペン中心部はメコン川・トンレサップ川合流部に接しているものの,2000年洪水時と同様に,溢流はみられなかった.また,メコン川沿いの自然堤防の部分もほとんど冠水しなかった.これに対し,後背湿地ではトンレサップ川沿いで4 m以上,メコン川沿いで2 m以上の浸水深となった.久保(2006)およびKubo(2008)で区分した高位沖積面(higher alluvial surface)は通常の年には浸水しないが,2000年および2011年洪水では広く冠水した.一方,トンレサップ川とメコン川にはさまれた地域では,高位沖積面の浸水深は最大2 m以上になった.以上のように,2000年や2011年のような通常の雨季を超える規模の洪水の時には,洪水はメコン川の氾濫原を利用して流下するとともに,トンレサップ川沿いの後背湿地に深く湛水することが改めて示された.

    4. 内陸部の支川における水害
    トンレサップ湖に流入する最大の支流,セン川下流域でも,近年最大規模となる洪水になった.コンポントム市で観測された水位データでは10月初旬に13.85 mに達し(MRCによる),平年の雨季(2002年~2006年平均最高水位; 13.15 m)よりも高水位の状態となった.衛星写真の判読からは浮流物質を含む洪水流が氾濫原上を流下する様子が認められ,現地での聞き取りでは通常の雨季には越流しないような蛇行流路の屈曲部分でも,洪水流の氾濫原への進入があったことが確認できた.また,メコン川・トンレサップ川の氾濫原と同様に,微地形区分(Nagumo et al., 2011)と浸水域に対応がみられている(南雲ほか2012).
  • 日本ハムを事例として
    北 仁美
    セッションID: 410
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    Ⅰ.はじめに
     日本の大手食品製造業の事業所の海外展開が進行している。その背景には、日本国内の市場の成熟化や消費の縮小、農産物の自由化などがある。食品関連産業は生産・調達された農産物を処理・加工する。そのため、農産物の生産から消費までの輸送距離と時間がより一層拡大した。日本の大手食品関連産業が積極的に関与してきた農産物の国際的な流動が、加工・調理された食品を含む食料の国際的な流動へと拡大した。
     本研究は、日本の大手食肉加工企業である日本ハム株式会社(以降、日本ハムと略記)を事例に、企業戦略によってグローバルスケールでの食料の国際的な流動がどのように変化してきたのかについて検討する。その際、海外におけるグループ企業の配置と日本国内向け製品の原料の原産国に着目する。
     本研究の意義は、「食料の地理学」において食肉とそれに関連する加工品を事例に、日本企業の多国籍化のインパクトを示し、大企業を対象とすることの重要性を強調することにある。
    Ⅱ.分析方法
     分析にあたってまず、日本の食品製造業における海外進出の動向を把握する。続いて、一定の期間ごとに日本ハムの海外における事業所の配置と各事業所の機能を明らかにする。さらに企業のホームページ等から日本国内に流通している製品の原料の原産国の情報を加える。以上により畜産物の生産・調達から販売にいたる国際的な供給システムを把握することを試みた。本研究において流動とは、A国から日本への輸出のみならず、A国とB国の現地法人間の輸出入も含む。
    Ⅲ.結果および考察
     日本ハムは、グループ企業以外の企業からの食肉の輸入、海外の事業所間での企業内貿易、特に三国間貿易によって国際的な食料の流動に関与してきた。1980年代以降、日本ハムは相次いで海外の大企業を買収し、グループ企業間で行う三国間貿易の海外拠点の構築に向けて現地法人を設立した。その目的は、日本国内への食肉の供給のみならず、世界各国への食肉供給にある。三国間貿易とは、豚肉の場合、商社に類似した機能をもつイギリスの英国日本ハムが、欧州各国(主にデンマーク)で生産された豚肉を日本や韓国、中国へ輸出することを指す。その他のケースとして牛肉の場合には、オーストラリア産の牛肉をオーストラリアの現地法人から英国日本ハムを経由して、イギリスを含む欧州各国に販売している。
     以上のように、日本ハムは事業所の多国籍化を推進してきた。しかし、日本ハムによる食料の国際的な流動の焦点になっているのは、依然として食料を大量に輸入する日本である。また、日本ハムの海外事業における売上高は依然として1割強しかない。
     上記で述べた日本ハムによる食料の国際的な流動は、世界全体からみればごく一部に過ぎない。しかし、食料の国際的な流動を解明することにより、大企業による食料の生産から販売に至る系列的なシステムの形成が加速していることが明らかになった。企業買収等による資本蓄積の拡大や多国籍化は、食料供給においてさらなる優位性を発揮する。一部の大企業が中心となった食料の供給体制が今後も進展していくことが予想される。
  • 藤田 要
    セッションID: 403
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    日本全国における工業中心都市は,各地で環境都市へと変わりつつある.川崎市では,長年にわたって公害問題を引き起こしてきた反省から,行政を挙げて環境政策,地球温暖化政策を進めている.また,東京都に隣接した都心へのアクセスの良い都市であることから,高度経済成長期以降,人口増加が著しく,良好な住宅都市として発展している.川崎市は,現在,社会資本の充実とともに環境整備が欠かせない時期にあるため,暮らし環境の整備された暮らしやすい都市を目指したまちづくりが進められている.本研究では,現在川崎市が推進している環境都市化の政策の現状とその特性を明らかにすることを目的とする.1976年,川崎市は全国初となる環境アセスメント条例を公布し,本格的な環境整備を始めた.臨海部では,1970年代後半以降,国の産業分散政策や公害問題の激化等をきっかけに,事業所の移転が進んだ.1997年,市の臨海部全体(約2,800ha)が,通商産業省(現在の経済産業省)から全国で第1号となるエコタウン地域の承認を受けた.川崎市におけるモデル事業として,2002年から川崎区水江町の「川崎ゼロ・エミッション工業団地」をモデル地域とした環境事業が全面的に稼動し始めた.さらに,2002年10月には,新産業,新分野の創出や支援,共同研究を目的としたサイエンスパーク「テクノハブイノベーション川崎(THINK)」が開設され,環境負荷の少ない産業が立地した.2005年8月現在の入居企業数は57社である.同様な施策として,「知識・イノベーション都市」の推進も行っている.内陸部では,1981年にマイコンシティの開発計画が発表され,エレクトロニクス・情報・通信関連産業等の集積のため,多摩区(現在の麻生区)の栗木地区と南黒川地区に国際的な研究開発拠点が設けられることになった.1985年には,高津区で操業していた池貝鉄工㈱溝口工場が茨城県へ移転すると,その跡地の利用法として,民間から「かながわサイエンスパーク構想」が持ち上げられ,翌年には事業主体の㈱ケーエスピーが設立された.1989年に開所し,2010年3月現在,132社が事業展開している.さまざまな環境負荷軽減は,川崎市環境基本計画や川崎再生フロンティアプランなどによって実践されてきた.産業公害都市からの脱皮のために,多くの工場跡地は研究開発施設や大規模な商業施設,太陽光発電所,風力発電所などへ転換され,暮らし環境の整備された都市づくりを推し進めている.
  • 山内 昌和
    セッションID: P037
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     本報告の目的は、1990年以降の日本における市区町村別TFRに対する外国人の影響を整理し、地域的な特徴を把握することである。 日本における外国人のTFRを市区町村別に計測することは資料上の制約から困難であるため、本報告では日本人と外国人を含む総人口のTFRと、日本人のTFRをそれぞれ市区町村別に算出し、両者の差を外国人の影響として評価することにした。利用したデータは、出生数については人口動態統計、年齢別人口については国勢調査である。国勢調査の結果については、年齢および国籍不詳を按分した値とした。TFRは5歳階級別のデータから算出した。集計対象としたのは2010年10月1日時点の1,750市区町村である(政令市の区は除き、東京23区は含む)。ただし、旧上九一色村を含む甲府市と富士河口湖町のTFRは両市町を合算して算出した値とした。分析対象の時期は、1990年から5年おきに2010年までの5時点である。 主な結果は以下の4点である。①総人口の出生数に占める外国人の出生数の割合は、約半数の市区町村で0%であったが、一部の市区町村で5%を超えていた。1990年以降、外国人の出生数の割合が上昇する市区町村は増えていた。②総人口のTFRと日本人のTFRを比較したところ、両者の差は最近ほど拡大する傾向にあり、大多数の市区町村で日本人のTFRの方が高かった。③日本人のTFRの方が総人口のTFRよりも高い市区町村のうち、とくに両者の差が大きいのは外国人女性を研修生等の形で受け入れていると考えられる地域であり、外国人の出生数の割合はほぼ0%となっていた。④総人口のTFRの方が日本人のTFRよりも高い市区町村はいずれも外国人の出生数の割合が高いが、その数は限られており、外国人の出生数の割合が高い市区町村であっても日本人のTFR方が日本人のTFRよりも高いケースは少なくなかった。 なお、本稿での外国人あるいは日本人の出生とは、母親の国籍を基準としたものである。したがって、外国人の出生とは外国人女性の出生のことである。
  • 大上 隆史
    セッションID: 114
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    三陸海岸北部において3つの河川において遷急点を認めた.これらの遷急点について,海成段丘面群の形成年代から遷急点の形成時期を推定し,中期更新世以降の平均後退速度を求めた.中生代堆積岩地域を流れる夏井川で求めた遷急点の後退速度は,中生代花崗岩地域を流れる有家川・高家川で求めた後退速度の2.5―3.5倍の値を示す.これは基盤岩石の物性が遷急点の移動速度に大きく影響することを示唆する.遷急点の形成と成長については,広域的な隆起に伴う基準面低下が関係していることが推定される.遷急点が形成された時期は,三崎面形成期(MIS15)以降,麦生面形成期(MIS11)ころまでと推定される.なぜこの時期に遷急点が形成されたか,第四紀の三陸海岸の地殻変動論の枠組みで考察するとともに,遷急点の形成・成長に関係する水文条件や原地形について検討することが今後の課題として挙げられる.
  • 坂上 伸生, 渡邊 眞紀子
    セッションID: 621
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     冷温帯から亜寒帯を中心とする森林土壌からは,直径数mm程度の菌核が多量に検出されることがある。これらの菌核は,形態的特徴から外生菌根菌などが形成したものと考えられる(Trappe 1969)。菌核の存在量は土壌の交換性AlやC/N比など,いくつかの理化学性と関係を持つことが報告されている(Sakagami 2009など)。本研究では,ブナ林下表層土壌でミクロスケールでの調査を実施し,菌核分布と土壌性状との対応を検討した。
     本研究では,菌核の存在が確認されている秋田県田沢湖高原のブナ林において,10×10mのコドラートを設置した。2m毎の格子を設け,各交点で計36点の表層土壌を採取し,リター層の厚さを記録した。ハンドレベルと樹高棒を用いて簡易測量を行い,調査地の微地形を把握した。また,ブナの位置および胸高直径,そして下草の種類と位置を全て記録した。採取した土壌試料は風乾後,菌核の検出および土壌pH,全炭素・窒素含量,水溶性元素,選択溶解等の化学分析に供試した。
     図1に調査地の地形と植生を示す。表層土壌からは0.1~1.2 mg/gの菌核が検出された。コドラート周辺には17本のブナが存在し,胸高直径は10~50cm程度であった。林木の立地と菌核密度とは関係が見られなかった。また,ブナが生育していない領域を中心に,草丈20~140cm程度のササが多数存在していたが,菌核分布とは明確な対応は見られなかった。図2にO層の厚さ,菌核含量および化学分析結果の一部を示す。O層の堆積厚さは微高地で薄く,凹地で厚い傾向がみられた。O層の堆積が薄い地点において,より多くの菌核が検出された。腐植複合体アルミニウムAlp含量が多い地点で見られたことから,菌核形成を含む菌類の活動と土壌性状との間に強い関連があることが示唆された。調査地はpH(KCl)が2.8~3.6と強い酸性を示しており,このような極強酸性条件下では,比較的pHが高い地点に菌核が多く分布していた。これは,堆積腐植層の分解が良好な比較的高燥な条件下で,リターから土壌へ供給されるアルカリ金属・アルカリ土類金属含量が多いために土壌pHが比較的高くなるためと考えられた。また,外生菌根菌を始めとする土壌中の菌類の一部は,シデロフォアなどの有機化合物を生成して土壌から無機養分を得るため,土壌の化学的風化(Fungal weathering)に寄与することが知られている(Watteau & Berthelin 1994など)。化学的風化が一次鉱物からの塩基類の溶出量を増やす結果,pHの上昇がみられるとも考えられた。
  • 赤沢 正晃
    セッションID: 306
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    地理学の基礎資料となる地形図等に関わる「地理空間情報活用推進基本法」が2007年8月施行され、日本で公的に発行されるすべての地図がデジタル化されて供給されることになった。これにともない、GIS・GPSの利用推進が積極的に行われている。しかし地図のデジタル化は国家事業として1996(平成8)年の測量作業規程から同じような施策において進められたが、その時は地方公共団体が動かず、大縮尺の地図のデジタル化は進まなかった。今回の法改正にともなう地図のデジタル化は、測量・地図作製企業の技術業務を大幅に変化させる事柄であり、一企業の存続に大きく関わる問題である。本研究の目的は、小規模企業の経営にプラスの効果を及ぼすであろう簡易GPSの精度と活用の有効性についても検証した。簡易GPSはMSASSを受信することにより、DGPSで移動計測の精度が向上し、計測時刻と同じ電子基準点の成果による後処理解析により信頼性の高いデータが得られるまでに進化している。準天頂衛星が運用されると各メーカーがそれに対応し、さらなる精度の向上が期待される。また当初の構想の通り地上衛星が整備されると、ビルの谷間や地下空間においても使用可能なため利用範囲に隙間のない機器になり得ると考えられる。 これまでの検証で1/2,500地図に使用可能と考えられるデータを取得しているが、安定性に不安があった。そこで計測器本体を改良する必要があるかを検討する。次に観測環境として天空に障害物がない河川敷公園と障害物がある樹林内の公園を選び、更に数値的な差を求めるために街区基準点のある道路上において繰り返し検証を行った。その結果観測方法を注意するとともにパラメータを調節した結果,縮尺1/1,000に迫る精度と安定した線形を取得することができた。
  • 八木 浩司
    セッションID: 119
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    2012年5月5日午前9時頃,ネパール・ヒマラヤ中部のアンナプルナⅣ峰西壁が,幅約500m,比高1200m以上の規模で岩盤崩落し,岩屑なだれ・土石流となって下流側30km以上にわたって時速50km程度の高速で流下し70名以上の犠牲者をもたらした.ここでは,旧氷河湖堆積物を侵食しながら,ゴルジュ区間に突入した岩屑なだれが,土石流に変化し下流側に大きな被害をもたらした状況について,2012年6月に行った発生域から下流域にわたる上空および地上での調査結果を報告する.
  • 赤坂 郁美, ビリャフーテ マーセリーノ, 久保田 尚之, 松本 淳
    セッションID: P021
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    東南アジア地域では、利用できるデータ期間の制約上、20世紀後半以降の降水量変動について研究されることが多く、それよりも解析期間を長くとる場合には、月単位のデータを用いた解析が多い。しかし、フィリピンでは19世紀後半~20世紀前半にかけて日単位で記録された気象観測データが紙資料の状態で存在し、これらのデータの一部が近年ディジタル化されている。そこで本研究では、20世紀前半の日降水量データと、フィリピン宇宙気象局(PAGASA)による20世紀後半以降の観測データを併せて用いることで、月単位のデータからは解明できない100年スケールでの降水季節進行の長期変動を明らかにすることを目的とする。結果として、夏季雨季入り時期は1911-1939年平均では27半旬(5/11-15)、1952-2008年平均では28半旬(5/16-20)であった。特に1950年代後半~1970年代前半は相対的に雨季入りが早い時期が多く、1970年代後半~1990年代後半にかけては雨季入りが遅い時期が多いことが分かった。また20半旬以前に雨季入りするような年は20世紀前半にはみられない。今後はこれらの雨季入りの長期変動要因を明らかにしたい。
  • その建築史からの検討
    増井 正哉
    セッションID: S1105
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    幕末、北海道各地に設けられた蝦夷陣屋については、ながく建築史研究の対象になってこなかった。一部の史跡で行われた復原検討も整備のための個別的検討で、蝦夷陣屋全体を俯瞰的に見渡した体系的な研究は見当たらない。研究を困難にしてきたのは、そのほとんどが明治初年まで破却されていて現存遺構がないこと、研究の材料となる史料の収集・整理が進んでいなかったことによる。本科研の調査は、蝦夷陣屋に関する史料、とくに絵図資料について、全国各地に資料を収集・整理し分析を試みており、建築史の領域においても、体系的な研究が可能となってきている。ここでは、現時点は資料収集段階にあり、予備的報告にはなるが、蝦夷陣屋の建築史的研究の可能性と課題をまとめておきたい。 施設類型においては、元陣屋、出張陣屋、台場、狼煙場、奉行所、場所会所などの類型別の検討が可能であった。配置は囲郭の形態に影響されるが、基本的に一重あるいは二重のロノ字型/並行型などに分類された。そのさい、純軍事的な配慮によるレイアウトとともに、板塀を併用しながらオモテ動線とウラ動線(生活関連)の分離を試みている。建造物や工作物の類型は本陣、関連の役宅、宿舎、各種倉庫、練兵施設関連の小建造物等に分けられ、切妻の式台玄関付の本陣、中廊下型と片側縁型の棟割長屋など、類型ごとの特徴がみられた。また、何件かの標準設計があり、現場の敷地形状や材料供給の状況に会わせて設計変更が行われた可能性もあった。
  • ―新たな発展のパラダイムを求めて
    岡橋 秀典
    セッションID: S1208
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.はじめに 本報告は、日本の山村の持続的発展について、西野・藤田の分析による非限界性を示す山村の事例に依りながら、自然・文化資源を軸に今後の新たな方向性を見出そうとするものである。 現代日本の山村は、グローバル化や知識経済化の中で、分工場や建設業に支えられた「周辺型経済」が解体し、他方、平成の大合併により自治体としての政治的自律性を失うなど、大きな転機に直面している。今日の日本が経済成長の時代から定常型社会の時代に移行しつつある中で、山村の今後をどのように展望すべきであろうか。2.非限界山村・広島県旧福富町における地域振興の展開 事例地域の福富町は1955年に竹仁村と久芳村の合併により誕生し、2005年にはさらに東広島市に編入合併した。東広島市の中心部まで30分程度で到達可能で近郊山村的な性格をもっている。1985-2000年の人口減少率が9.7%で、若年層の比率が16.6%と、非限界的な性格を示す。この町のうち、旧竹仁村については、地域振興の新たな方向を示す事例として既に検討したが(岡橋、2008)。この事例には、知識経済化時代における山村振興の方向性がある程度示されているといえよう。3.自然資源・文化資源からみた福富町の現状と課題 自然資源、文化資源の活用という点から福富町の現状を見直すと、また別の特徴が浮かび上がってくる。前者については洪水調節と水道用水の供給を主たる目的とした県営福富ダムの開発(2009年竣工)がもっとも重要である。文化資源の活用となると見るべきものがなく、今後の地域振興の大きな課題と言えよう。3.山村の自然・文化資源と地域振興の創造性 知識経済化時代の山村の持続的発展にとっては、地域の自然資源・文化資源を地域で独自に組み合わせ創造的に活用していくことが求められる。中四国地方の非限界性を示す山村には、そのような事例が少なくない、例えば、岡山県西粟倉村や高知県檮原村では、注目すべき取り組みを行っている。4おわりに 非限界性を示す山村の事例から自然・文化資源に注目して今後の持続的発展のあり方を検討した。この点をさらに深める上で、コミュニティの創造活動、文化と産業における創造性などを掲げる「創造農村」論には学ぶべき点が多々あると思われる。報告当日にはこの点にもふれたいと考える。
  • 板垣 武尊
    セッションID: 707
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    Ⅰ はじめにバックパッカーは観光地発見の先駆者である(オッパーマン・チョン 1999:201-203).中国雲南省では,バックパッカーが先駆的に観光開発に貢献し,その後マスツーリストが流入すると,外部資本による観光産業が卓越するようになる.雲南省南部の棚田地帯にある元陽(Yuanyang)でも同様に,2004年以降から観光客が増加し,観光客の主体がバックパッカーからマスツーリストへと移行した.本研究の目的は,観光客の主体がバックパッカーからマスツーリストへと移行した中国雲南省元陽における観光特性とその形成要因について明らかにすることである. Ⅱ 元陽の地理的概観と観光の概要元陽は雲南省の南部に位置し,ベトナム・ラオスの国境線と近接している.元陽県の土地被覆は,森林と棚田が中心である.棚田は,標高約800-1,800mに分布し,その中でも,元陽県中心部の棚田は世界遺産登録に向けて保護されている.元陽の住民の大多数がハニ族・イ族などを中心とした少数民族で,農業に従事している.元陽は長い間棚田があるだけの辺境の農村であったが,1992年に外国人に開放され,1990年代後半にわずかなカメラマンとバックパッカーが訪れはじめた.2001年に棚田が世界遺産登録暫定リストに登載された事によって,2004年以降にマスツーリストを主体とした観光客が増加している.そして,現在(2012年)の元陽を訪れる観光客は,バックパッカーとマスツーリストが併存している. Ⅲ 元陽の観光特性1.観光時期の差異バックパッカーは,西ヨーロッパ,アジア(中国も含む),北米などの多くの地域から訪れるが,マスツーリストは,中国人と日本人が大多数を占める.マスツーリストの観光時期のピークは,棚田に水が張られて景観が最も美しくなる2月から4月に集中する. それに対し,バックパッカーの観光時期は来客の居住地ごとに異なり,多様化している.アジアから訪れるバックパッカーの観光時期のピークは,マスツーリストと同様に2―4月にある.一方で,西ヨーロッパから訪れるバックパッカーの観光時期の変動は比較的少なく,8月と11月にわずかなピークがある.西ヨーロッパからのバックパッカーの観光時期に変動が少ない要因は,西ヨーロッパのバックパッカーは長期旅行で元陽以外にも旅行しており,旅行中に元陽を知り,ベトナム・ラオスとの国境越えの拠点として訪問していたことによる.また,西ヨーロッパからのバックパッカーの観光時期のピークが8月にある要因は,夏休みの利用が多いことによる. 2.宿泊施設立地の差異と要因 1990年以降,新街鎮のバスターミナル周辺に,棚田を保有しない漢族が経営するバックパッカー向けの宿泊施設が誕生した.2004年以降は,新街鎮の外縁部や棚田周辺の農村に,棚田を保有する少数民族が営むマスツーリスト向けの宿泊施設が誕生した. 宿泊施設の立地がバックパッカー向けとマスツーリスト向けで異なる要因は,観光客ごとに宿泊施設の選択理由が異なることによる.マスツーリストは,棚田の撮影場所に近い宿泊施設か大型宿泊施設であることを重視していた.一方でバックパッカーは,宿泊料金の安さ,みつけやすさ,ガイドブックの情報,などを重視していたためである. 3.地域住民の参与 元陽における大部分の宿泊施設は,雲南省のその他の観光地と異なり,地元住民によって経営されていることに特徴がある.増加したマスツーリスト向けの宿泊施設の経営に地元住民が参与できた要因について,以下の2点から考察する. 1)資金面の克服 第1に,元陽における多くの宿泊施設の経営者が,もともと土地を所有し,自宅を宿泊施設用に改造していたため設備投資が少額ですんだこと.第2に,前職に農業従事者が少なく,出稼ぎなどで資金を貯蓄できた経営者が多かったこと.第3に,棚田周辺の宿泊施設では政府による一部援助があったこと.である. 2)宿泊業と農業経営の共生 元陽では,棚田が世界遺産登録に向けて厳しく保護され,農業従事者はイネの耕作が放棄できない.宿泊業が農業経営を阻害しない要因は,第1に,マスツーリストの観光時期である2-4月は,稲作の農閑期にあたること.第2に,稲作の農耕期にも観光時期があるバックパッカー向けの宿泊施設は,棚田を保有していない漢族によって経営されていること.第3に,少数民族が経営する宿泊施設では,家族・親族や知り合いなどが農作業の補助を行っていること,である.  Ⅳ 結論 上述の第1から第3の観光特性は,バックパッカーとマスツーリストの属性や行動などの違いと,観光客に対応する観光産業の違いによって形成された. したがって,観光開発が急速に行われた雲南省のような途上国における観光を研究する場合には,観光主体の違いと変化の実態を把握しないといけない.
  • 小林 直樹, 山川 修治
    セッションID: P007
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに タイは、洪水の多い国であるが、2011年の夏は異常であった。7月初めから10月まで大雨が降り続き、大規模な洪水が発生した。その洪水では、タイの工業地帯やバンコクにまで大きな被害を与えた。 このタイの大洪水の発生原因を知ることは、今後のタイにおける防災にとって必要不可欠である。そこで、本研究では2011年におけるタイの大洪水の発生要因を気象学的見地で探ることを目的としている。2.データ・方法SSECの赤外画像および水蒸気画像(http://www.ssec.wisc.edu/data/comp/ir/)NOAAの衛星データ(SST、SLP、東西風、南北風)(http://www.esrl.noaa.gov/psd/data/composites/day/) 衛星画像の赤外画像をタイの緯度経度に合わせて、東西および南北の短冊状に編集する。その短冊を日付順に並べる。この図を雲系ダイアグラムとし、タイの大雨を降らした雲の挙動およびタイにかかっていた時期を調べる。 NOAAの衛星データの平年偏差一週間平均を各緯度で経度15°間隔ずつ30°E~60°Wまでの数値データを読み取り、それらのデータを日付順に並べて、アイソプレスを作成する。3.解析結果 雲系ダイアグラムの図より、6月ごろからタイに雲がかかり始め、7月辺りから発達した雲が断続的に9月終わり辺りまでかかり続けていることが読み取れる。雲は、東からタイに進入していることが多い。 東西風偏差のアイソプレスの図より、平年と比べモンスーンの強化が見られる。また、西太平洋で平年偏差が正負交互に発生している。4. 最後に会場では、SST、SLP、東西風の解析結果と雲系ならびに大雨との関係を中心に発表予定である。
  • 加藤 幸真
    セッションID: P034
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに2012年3月、霧島屋久国立公園から独立する形で、屋久島国立が誕生した。屋久島国立公園は2005年の尾瀬国立公園以来、7年ぶりの新国立公園であり、30か所目の国立公園である。日本で初めて国立公園が指定されたのは1934年3月であり、雲仙、霧島、瀬戸内海の3公園が指定された。その後も指定は進み、現在の30か所まで数を増やしてきた。初期に指定されたのは日光や富士箱根など伝統的風景観に基づく名勝地や大雪山や阿蘇などに代表される原始性の高い山岳地域であった。その後は、火山地形など特色のある自然的景観が指定されるようになり、1970年以降には海中や湿原にも指定が拡大するなど国立公園の種類に多様性がみられるようになった。また、1957年には国立公園法が改定され現在の自然公園法が施行された。国立公園、国定公園、都道府県立自然公園からなる自然公園が指定され、自然環境の保護が推進されている。このように、時代の変化に対応してきた国立公園制度も1931年の国立公園法制定から約90年の年月が立ち、2010年に閣議決定された新生物多様性国家戦略2010で国立公園が取り上げられ、2011年の東日本大震災後、環境省が陸中海岸国立公園を中心に、被災地の自然公園を三陸復興国立公園(仮称)に再編する構想を明らかにするなど、国立公園が改めて注目され、再考する時期にきていると考える。そこで、本研究では日本の国立公園の現状を土地所有者別面積割合、ビジターセンターの状況などを踏まえ明らかにすることを目的とする。本研究では環境省が定める国立公園すべてを対象とし、考察を行う。2.国立公園の現状 日本の国立公園は知床国立公園に代表される国有地が大半を占めるものと、日光国立公園に代表される古くからの観光地で、なおかつ私有地が多いものとに分類することができる。また世界遺産にも指定されているものもあり、多種多様な国立公園が指定されている。そのため、全ての国立公園をアメリカ型の管理体制で管理することは容易でなく、イギリス型など他の管理方法も参考にしていく必要があるだろう。また、ビジターセンターに関しては全て環境省が管理運営するものだけでなく、県が運営しているものもあり、こちらも外国人の来館が多いところや地元に住む幼児、児童が親と一緒に訪れる割合が高いセンターがあるなど多種多様であることが分かる。
  • 佐藤 英人, 清水 千弘
    セッションID: 205
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    本発表の目的は、東京大都市圏に中古集合住宅を取得した世帯の属性と住宅取得時に実施された住居移動の特性を分析することである。 住宅取得と住居移動との関係を分析した既存研究では、主に新築住宅の取得をもって居住経歴の終着点とみなす傾向にある。しかし大都市圏には膨大な住宅ストックが存在しており、近年では新築集合住宅のみならず、中古集合住宅の市場規模が拡大している(図)。元来、日本の住宅市場は新築住宅を中心に構成されてきたが、人口減少社会を目前に控え、新たな住宅を建設するよりも既存の住宅を再利用した方が経済学的かつ環境学的に優位であるとの見解が示されている。欧米などに見られるリノベーション住宅の開発などは、その典型例であり、空室の目立つ中古集合住宅をいかに再利用していくのか、緊要の課題と言えよう。 ただし、中古集合住宅の再利用を議論する際、具体的にどのような世帯がどの地域に取得しているのかといった、中古集合住宅再生の糸口を模索するための基本的な知見が十分に得られているとは言い難い。 そこで本発表では、大規模なアンケート調査の結果を用いて、新築/中古集合住宅取得者の差異を中心に分析する。
  • 後藤 寛
    セッションID: 406
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    喫茶店も他の多くの飲食店業と同様に,時代の変化に対応しつつ変化し生き残りを図っている.近年ではフランチャイズチェーンの台頭によりどこの街でも同じ看板の店である割合が高まっており,またファーストフード等の隣接他業態との垣根が低くなっている感があるが,人々の日々の休息に役立っている存在と考えられる.このような喫茶店がどこにどのように立地しているのか,本報告では大都市圏とその都心部分として,首都圏全域,東京23区内,山手線内エリアの3スケールで比較しながら,喫茶店・カフェ業態の立地分布と密度,そしてとくにチェーン店間の競合の現状についての分析を行う.
  • 目代 邦康, 渡壁 卓磨, 祖田 亮次, 柚洞 一央, 池田 宏
    セッションID: 118
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    マレーシアのボルネオ島を流れるラジャン川では,近年河岸侵食が進み,河川沿いの住民の生活環境が悪化している.この原因を河岸侵食の地形学的検討をもとに推定した.
  • -ナイジェリアのビーズ細工の事例-
    池谷 和信
    セッションID: 310
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    これまでの地理学では、日本を対象にして地場産業の研究が蓄積されてきた(板倉1981)。しかしながら、アフリカに地場産業が存在するのか否かを含めて、ほとんどアフリカを対象にした研究がなされてはいない。一方で、報告者は、17-19世紀の世界のビーズ産業の中心地は、素材がガラスの場合、イタリアのヴェネチやチェコのボヘミア地方であって、アフリカは歴史的にはそれらの世界最大の消費地として注目してきた(池谷2001)。 本報告では、アフリカの地場産業のなかでナイジェリアの南西部に位置する、ヨルバランドにおけるビーズ細工の現状を把握することを目的とする。報告者は、2012年5月に約2週間にわたる現地調査を実施した。具体的には、「ヨルバのビーズ職人」の総数や居住地などに関する統計資料は皆無であるので、現地をまわって基本情報の収集に努めた。対象は、①オタ、②アベオクタ、③オショボ、④イバダンの4都市である2 調査結果 各都市のビーズ職人の現状を把握する。①オタでは、王宮の近くでビーズ細工づくりに地道に励む親子に出会った。ここでのビーズ職人の数は多くはなく、むしろ衰退しつつある伝統的な地場産業のようにみえた。②アベオクタでは、仮面などの木彫り職人の家の隣にビーズ職人が暮らしていた。彼は、自らの写真や連絡先の入ったカレンダーをつくるなど、自分の仕事を積極的に宣伝する。③オショボは、市内にアートギャラリーもあり、ジモ・ブライモ(Jimoh Buraimoh)氏のような著名なビーズペインター(アーティスト)が暮らす町でもある(Buraimoh 1993)。かつて、オーストリア出身の彫刻家の女性スーザン嬢が長期にわたり住んでいて現地在住のアーティストの卵に与えた影響も大きく、現在でも彼女の家は存続している(Saunders and Merzeder-Taylor eds. 2006)。この町には、数名のビーズ職人が暮らしており、市内のギャラリーなどを通して王冠などのビーズ作品を訪問する白人観光客に販売もしている。 ④イバダンは人口が100万人を超える大都市であるが、国内では最大多数の1000名以上のビーズ職人がいるという情報が得られた。実際、これら職人の一部を訪問したにすぎないが、イスラーム教徒の多い都市中心部で10名以上が働くというビーズ職人のグループに出会った点は意外である。彼らは男性の担い手であり、親族を中心として世襲制で職人に従事している。彼らは、古い建物の2階のベランダなどを仕事場にしている。ここでは、ビーズ製品が王様や首長の注文に応じてつくられるというよりは、国内外の観光客、美術収集家、博物館関係者などが対象であった。近くには、ガンビア出身のイスラーム商人が、10個以上の王冠ほか多量のビーズ製品を保管する倉庫を持っていた。その商人の話によると、ロスアンゼルスに兄弟が滞在していて、お互いの連携によって米国などにビーズ製品の輸出をしているのだという。3 考察 これらヨルバランドでの4ヵ所の都市での調査の結果、すべての都市でビーズ職人が暮らしていることが把握できたほかに、イバダンのビーズ職人たちが、国立民族学博物館所蔵の「ビーズ人像」をつくっていたという可能性が高くなった。筆者はまだ十分な証拠を集めたわけではないが、ビーズ製品が国外へ流通しており、報告者が南アフリカで収集したヨルバの「ビーズ人像」とは密接な関係を持っていたものと考えている。なお、これらの研究成果を反映した、「ビーズインアフリカ」という展示会が、2012年8-10月の間、神奈川県立近代美術館にて開催されている。
  • 島崎 邦彦
    セッションID: S1701
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災が「想定外」と評された背景にどのようなことがあったか。そこから今後の防災上の教訓を探る。
  • 鈴木 康弘
    セッションID: S1703
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1995年におきた阪神淡路大震災もまた「低頻度巨大災害」であり、社会の災害想定力の弱さから甚大な被害を引きおこし、安全神話の崩壊を招いた。この点において東日本大震災と共通点が多い。今一度、今日的な視点から1995年の震災を見直して、教訓を整理したい。ここでは、①震災を招いた地震の長期予測(今後同様の地震が繰り返す可能性)、②「震災の帯」の成因(伏在断層との関係)、および、③活断層を考慮した都市計画の必要性について考える。
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