日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の330件中201~250を表示しています
発表要旨
  • 杜 国慶
    セッションID: 923
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    近年、日本のインバウンド観光者数が急増し、外国人の訪日旅行に関する研究も重要視されている(杜 2017)。国際都市の東京は多種多様な機能と観光資源、観光施設を有するため、多くの観光者が訪れ利用するが、都市の局部はそれぞれ異なる機能に特化したことであり、時間帯によっては訪問者数の増減が現れる。本研究は、近年注目されるビッグデータを用いて、訪日外国人旅行者が東京23区における時空間分布(いつ?どこ?)を分析する。
    ここで使用するデータは株式会社ナビタイムジャパンの日本観光APPにより、利用者の同意のもと取得したGPSデータ(2015年4月1日~30日)を利用する。調査協力者数は5,868人であるものの,第3次メッシュが空白のものを除けば有効回答者数は5,325人にのぼる.うち、東京23区を訪れた回答者数は3,813人で、回答者数の71.6%を占める。換言すれば、本アプリを利用した訪日外国人旅行者の約7割は東京を訪問している。
  • 久木元 美琴
    セッションID: S407
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1 地域福祉の推進と低未利用不動産

     少子高齢化を背景とした福祉需要の増大と多様化によって,1990年代以降,日本における福祉政策の多くの領域で,規制緩和と広義の「地域福祉」化が進展してきた.施設設置基準の緩和を含む福祉分野におけるこうした変化の一方で,地方都市の未利用不動産(事業用ストック)の一つである中心市街地の空き店舗は,地方都市において長らく問題として指摘されてきた.コンパクトシティ政策や地方都市でも生じてきた局地的な福祉施設の不足を背景に,「福祉」は地方都市の未利用不動産を活用する新たなアクターとして登場してきたといえる.

     なかでも,子ども・子育て系福祉施設への転用は,中心市街地に子育て世帯の来訪を促し賑わいや消費を創出し,ひいては当該地域の若年人口の増加につながることから,地域活性化やコミュニティ施策の一環として期待されている.他方で,子ども・子育て系施設を含まない利活用もみられるほか,こうした福祉施設への転用には,制度的・経済的・社会的なハードルがあることが予想される.

     以上を踏まえ,本報告では,子ども・子育て系福祉施設および高齢者系施設への転用が行われた事例を取り上げ,行政・運営者への聞き取り調査から,未利用不動産(特に中心市街地の空き店舗)を福祉へ利活用する際の課題を整理する.

    2 福祉拠点の設置にかかる規制緩和の概況

     福祉分野では個々の領域ごとに転換に至る経緯や政策内容の細部は異なるものの,総じて1990年代以降,従来の政策枠組みからの転換が進められてきた.転換の軸の一つが,対象による事業の「タテワリ」を排し,地域の多様な主体の連携によるケアの提供と利用者の生活地域との合致を実現しようとする,広義の「地域福祉」化である.高齢者介護を中心とする「地域包括ケアシステム」や多世代・多様なニーズの利用者を想定する「小規模多機能型拠点」等の推進は,こうした「地域福祉」化が端的にあらわれた政策といえる.

     地域福祉の推進と同時に,大都市での施設不足や中山間地域での人口減少ともあいまって,運営主体や施設基準の変更や規制緩和が進められてきている.たとえば保育施設では,空き店舗,ビルやマンションの一室等での設置が可能になったほか,多機能型拠点も同様のストックを利活用した実践が注目されている.子ども・子育て系福祉施設では,2015年の保育新制度の導入によって定員・面積ともに小規模な施設が公的補助の対象となった.

    3 空き店舗等の福祉への利活用実態

     空き店舗等の福祉への利活用において障壁となるのは,賃料負担(ボランタリーな主体が中心に活動を担っている小規模な福祉事業では,中心市街地の賃料を負担できるのは一部の「強いリーダー」を持つ団体に限定される),まちづくり関連部署や商店街側の意向(「やはりまちの『顔』なので,福祉施設というよりは商業系に入ってもらいたい」「空き店舗対策として子育て支援施設への活用などの制度はあるが,やはり商店街というからには商業やイベントで賑わいを取り戻していきたい」)といった点が挙げられる.また,子ども・子育て系でも空き店舗等を利用して実施されるのは,現在のところ運営主体や設置場所の制約が小さい「ひろば型支援」のなかでも出張型の割合が高い.

     他方,「中心市街地だからこそこの場所を選んだ」という積極的な意味付けを行う事業者によって利活用やにぎわい創出への取り組みにつながった事例もみられた.高齢者訪問介護事業所とカフェを併設するこの事例では,利用者の生活地域に合致したケアに関心を持っていた運営者が,かつてのにぎわいの記憶を持つ人々にとっての「街」(中心市街地)へ集うことの精神的な効果に意味を見出した.行政や周辺の店舗からの意見をもとに,閉鎖的な雰囲気にならないよう内部がみえるガラス張りや入り口の看板も工夫して社会的なハードルを軽減したほか,近隣商店と連携した「夜市」などを積極的に行い,「にぎわい」の創出につながる取り組みを行っている.

     以上のように,商店街空き店舗等を利用した福祉(子ども・子育て系および高齢者系)においては,介護や保育のなかでもケアの中核的な部分が担われるというよりは,地域に接続していくような,よりコミュニティ事業に近接した事業において可能性が大きいことが示唆される.
    ※本研究は,JSPS科研費基盤B(16H03526),同若手研究B(16K16957)の成果の一部である.
  • 遠藤 尚
    セッションID: 938
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     1980年代以降,多様な分野において,発展途上諸国農村におけるグローバリゼーションや市場主義経済化による影響に関する研究が蓄積されてきた。しかし,発展の先発地域では,非農業部門における開発と経済成長が数10年間継続し,農業経営や自然資源の利用状況についても発展当初とは変化しているものと推察される。このような地域における農業と自然資源利用状況との関係を解明することは,今後の発展途上国における経済開発と環境保全との関係を検討するためにも不可欠である。インドネシア,ジャワ島では,近年都市部を中心に食の多様化が進み,生鮮野菜の需要も拡大している。ジャワ島西部の中南部に位置するプリアンガン高地は,ジャカルタやバンドゥンなどの大都市に近く,比較的冷涼な気候のため,大都市向けの生鮮野菜の生産地となっている。しかし,西ジャワ高地地域の野菜栽培については,藤本・三浦(1997)など経済成長前半の1990年代に行われた研究以降,実証的な研究がほとんど行われていない。そこで,本研究では,都市向け温帯野菜産地の一つであるレンバン郡の一農村を事例として,近年の西ジャワ高地地域における野菜生産の現状とそれによる自然資源への影響について明らかにすることを目的とした。

    2.対象地域の概要と研究方法
    本研究の調査対象地域は,西バンドゥン県レンバン郡スンテンジャヤ村である。当村は,州都バンドゥン市中心部の北約8kmに位置している。また,当村を含むレンバン郡は,標高1,000m以上の高地に位置し,都市向けの野菜生産や酪農が盛んな地域となっている。しかし,当村を含むチタルム川上流部では,1990年以降,畑地面積と年間土砂流出量の増大が指摘されている(Noda et al. 2014)。
     スンテンジャヤ村においては,2013年9月に,120世帯を対象とした調査票を用いた聞き取り調査を実施した。調査項目は,世帯構成員の属性,就業状況,世帯の動産・不動産所有状況,農地経営状況等である。また,2017年9月に,60世帯の農家を対象とした農業経営状況および自然資源利用状況に関する調査票用いた聞き取り調査を行った。加えて,同時期に,農民グループ長に対する村周辺の土地利用に関する聞き取り調査を実施した。

    3.スンテンジャヤ村における野菜生産と自然資源への影響
     2013年の調査において,スンテンジャヤ村では,2000年代以降,野菜作が拡大したことが明らかとなっている。また,西ジャワ州の水稲生産地域と比較して,比較的若い世代が農業に就業していた。2017年現在の主な作物はブロッコリー,キャベツ,トマトなどであり,これらの野菜が資本的にも労働的にもかなり集約的に生産されていた。これらの野菜作では,水源として主に湧水が利用されているが,一部の農家では湧水の減少による水不足がみられた。また,当村には,野菜生産に関する農業技術指導がほとんど実施されておらず,傾斜地における適切な野菜栽培が必ずしも行われていなかった。例えば,畑地の畝が,斜面の傾斜と平行に作られている場合も多く,多くの農地で土壌浸食が発生していた。このような状況は農家自身も認識しており,2009年には,一部の農家により水資源保護と収入確保の両立を目指したグループが結成され,2017年現在までこのグループによる活動は継続していた。

    <付記>本研究は,JSPS科研費(15K21207)による成果の一部である。
    参考文献
    藤本彰三・三浦理恵 1997.西部ジャワ高地におけるトゥンパンサリ野菜栽培の経営評価-チパナス地域における1年間の農家継続調査結果-.東京農業大学農学集報 41(4):211-228.
    Noda, D., Shirakawa, H., Yoshida, K. and Oki, K. 2014. Evaluation of ecosystem services regarding soil conservation in Citarum River Basin. International Symposium on Agricultural Meteorology 2014, 18 March 2014, Hokkaido University, Sapporo, Japan.
  • 宝蔵 蓮也, 高橋 尚志, 須貝 俊彦
    セッションID: P203
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1)はじめに
     平成 29年 7月に九州北部豪雨では,福岡県朝倉市の筑後川右岸支流域において,多くの土石流・土砂流や斜面崩壊による大規模な地形変化が引き起こされた.本災害により出現した露頭からは,過去の土石流・土砂流イベントの痕跡が見出されており,今回のイベントと同様のイベントが過去にも繰り返し生じてきたことが示唆されている(矢野ほか,2017).今回のようなイベントが過去にも生じてきたのか,生じたならばどのようなイベントだったのか,という観点に立った地形発達史的研究を進めることは,地形学が独自に防災・減災に貢献する点において重要である.また,イベントが流域の地形発達においてどのように寄与してきたかを明らかにすることは,山地河川の土砂移動・地形発達プロセスを理解する上で重要である.本地域周辺における地形発達史は黒田・黒木(2004)の研究があるが,テフラによる年代指標に乏しいほか,段丘面の本-支流性についての言及はなされていない.本発表では,筑後川支流域における現地調査で見出した,過去のイベントの痕跡と考えられる地形および露頭について報告し,本地域の地形発達史について議論する.

    2)研究手法
     豪雨による地形改変が顕著だった筑後川支流5河川(奈良ヶ谷川,北川,寒水川,白木谷川,赤谷川)において2017年8月以降に現地調査を行い,露頭観察,新旧イベント堆積物や火山灰等の年代試料の採取を行なった.火山灰はSEM-EDSにより火山ガラスの主成分化学組成を測定し対比した.

    3)結果および考察
     北川の中流では,2017年豪雨イベントにより形成された段丘Ⅰを含めて4段の段丘地形が発達する(Fig.1).これらの段丘は,花崗閃緑岩の基盤の上に淘汰の悪い礫層が載り,表層部は土壌化している.このことから,2017年よりも古い時代に少なくとも3回,2017年と同様の地形変化イベントが繰り返されてきたことが示唆される.なお,各段丘面間の比高は1~2 m程度であり,段丘Ⅲ,Ⅳ上には住居が立地していた.今後,木片や火山灰を用いて各段丘面の形成年代を明らかにし,イベントの発生間隔を考察していく予定である.
     白木谷川の下流では,甘木Ⅰ面を切る侵食段丘面を構成する地層が観察された(Fig.2).標高47 mの高さまで厚さ2 m以上の安山岩礫主体の円礫層が見出され,その上部には厚さ20 cmの火山灰混じりの砂層が挟在し,火山灰層の上には,花崗閃緑岩・片岩・凝灰岩の角礫~亜円礫により構成される砂礫層が載る.火山灰はbw型火山ガラスを多く含み,この火山ガラスはATが主体であるが,一部はAso-4に対比された.Aso-4は筑後川上流の火砕流台地が起源であると考えられ,ATの降下とほぼ同時期にAso-4が混入し,フラッドロームとして堆積したと推測される.本・支流域の地質および礫の円磨度を踏まえると,AT層より下位の円礫層は筑後川本流が運搬し,上位の角礫層は支流が運搬したと推定される.したがって,ATの降下期以降に,白木谷川下流域では,本流の段丘を掘り込んで支流の段丘面が発達したと考えられる.今後,段丘面や段丘構成層の本-支流性の識別と編年を進め,本地域の地形発達を詳細に議論する予定である.

    引用文献
    黒田圭介・黒木貴一(2004)日本地理学会発表要旨集,65,81.
    矢野健二・矢田純・山本茂雄・細矢卓志(2017)日本応用地質学会九州支部HP,2017.7.31掲載,2018.1.15最終閲覧.
  • 山口 隆子, 鈴木 敦, 片岡 大地, 富田 龍
    セッションID: P125
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    北関東内陸域では、北西側に脊梁山脈が位置するため、強い北西風が脊梁山脈を越えるときに昇温現象が発生することが知られている。本研究では、北関東内陸域での春季の強風による昇温現象発生時の特徴を、北関東の代表3地点について、統計的に解析した。その結果、昇温現象発生日数は対象期間全920日中、前橋では30日、宇都宮では11日、熊谷では21日であった。月別の昇温現象発生頻度は、前橋、宇都宮は3月に最頻、熊谷は4月に最頻であった。最頻出の気圧配置型は、3地点とも、気圧の谷であるII型であった。特に、前橋ではII a型、宇都宮、熊谷ではII b型であった。強風による昇温現象発生時の気圧配置は、日本海低気圧や、低気圧が東北北部、北海道、樺太付近にあり、西日本~東日本に移動性高気圧が位置する場合が多く、低気圧からのびる寒冷前線の通過に伴った風向の変化が、フェーン開始のきっかけになることが推察された。
  • 水口 遥
    セッションID: 925
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    高度経済成長期以降,都市部へと流入する人口の受け皿として,郊外における大規模住宅地開発が盛んに行われた.しかし1990年以降は,大都市圏の都心部や周辺部での人口増加が見られる一方で,郊外住宅地では高齢化や空き家の増加が問題となるようになった.特に地方都市では,人口減少・少子高齢化が進む中,財政面で持続可能な都市を形成するために,「コンパクトシティ」政策に取り組む自治体も出てきている.しかしながら,現在も地方都市において住宅地開発は行われているのが現状である.
     これまでの民間企業による住宅地開発では,地価の上昇・大量の住宅需要という背景の中で,いかに経費を圧縮して最大利益を確保するかという行動原理が存在した.しかし,地理学では地価下落・需要減少という近年の社会環境の中における民間企業の行動原理は明らかになっていない.また,住宅地開発を行った主体に関する研究の多くは,大都市圏において大規模開発を行った大手デベロッパーを対象にしたものが多く,小規模な開発を行った業者に関しては明らかになっていない.
    そこで本研究では,既に人口減少期に突入した地方都市を対象に,住宅地開発を行った業者に着目して,近年の住宅地開発における行動原理を明らかにする.
     松山都市圏では1950年代後半から大規模開発が行われ,1970~1990年代は民間企業による大規模開発が盛んに行われていた.しかし,1973年以降の民間企業による総開発面積のうち70.8%が1ha未満の開発であり,松山都市圏の住宅地は主に小規模な開発によって形成されてきたと言える.また,1ha未満の小規模な開発のおよそ98%が地元企業によって開発されており,小規模な開発は非常にローカルな市場が形成されていた.しかし,1990年代後半から大規模開発の件数が減少し,2000年代以降に入ると大規模開発がほとんど行われなくなり,小規模な開発や中心市街地における分譲マンション開発が主流となった.
     松山都市圏で小規模な住宅地開発を行った業者は,大手ハウスメーカーと,地元木材業者・不動産業者・住宅建築業者・建設業者だった.大手ハウスメーカーは,1960年代に松山都市圏で分譲事業を開始し,現在も分譲事業を継続している.彼らは,宅地開発から販売まで自社で行う業者と,完成した宅地を購入して分譲事業を行う業者の2つのタイプに分かれた.宅地開発から全て行う業者は,地元の土地市場に入り込むために社員を長く愛媛支店に配属するなどの工夫を行い,土地の仕入れに力を入れている.また,建築数目標の達成のために,建売住宅を値引き販売するというメーカーらしい戦略が見られた.今後は住宅建築目標を達成するために,県内各地にいる社員を松山に呼び集め,集中的に営業を行っていくようだ.
     地元木材業者は,自社の保有地・木材を活用するために1960年代から分譲事業を行っていた.木材業者は木材や分譲事業以外にもホテル業・スーパーのフランチャイズなど,事業範囲を拡大していったが,1990年代の不況と木材業界の低迷により,2000年ごろに大幅な事業縮小を余儀なくされた.そのため,現在は分譲事業をほとんど行っていない.木材業者による分譲は,住宅需要の多かった一時期にだけのみ行われた特殊なものであった.
     松山都市圏で分譲事業を行った業者の多くが不動産業者・住宅建築業者で,1970年代に数名で起業した零細な業者が多かった.彼らは,1970年代~1980年代の旺盛な宅地需要を受け,資金に目処が付き次第,分譲事業に参入した.しかし1990年代以降,好景気時に宅地を造成しすぎた業者や,世代交代に失敗した業者が相次いで倒産した.現在,分譲業者が取っている戦略は,①創業当時からの事業を継続する,②建売分譲をやめ,宅地分譲に特化する,③建築条件付き宅地分譲に特化する,という3つのパターンである.また,近年は郊外部の地価の下落が継続していることから,既に市街化した地域の農地や,老朽化したアパートの跡地を開発するケースが増加している.しかし,土地を保有している事をリスクに感じる業者が多く,建売住宅を建てて値引き販売をしたり,建築条件を外したりといった戦略をとる業者も出てきている.
     松山都市圏で開発を行う業者は,需要減少・地価下落の中で様々な戦略を取理,生き残理を測っている.現在の分譲住宅市場を取り巻く環境は芳しくない.しかし,松山都市圏で長く分譲事業を続けてきた業者は,小規模ながらもうまく時代に対応しながら不況期を生き残ってきている.今後も柔軟な対応を取れる業者が生き残っていくだろう.
  • 赤坂 郁美, 財城 真寿美, 松本 淳
    セッションID: P113
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに

     東南アジアでは、気候変化の要因を検討するために必要な長期の気象観測データを充分に得ることが難しい場合が多い。そこで著者らはフィリピンを対象に、スペインのイエズス会士によって行われた19世紀後半の気象観測資料(紙資料)を収集し、電子化を進めてきた(赤坂,2014)。また収集したデータの品質チェックも兼ねて、19世紀後半以降のフィリピンにおける降水特性を明らかにすることを目的に研究を行っている(たとえば赤坂ほか2017)。これまでは降水量のみを対象に解析を行ってきたが、降水の変化要因を明らかにするためには、その他の気候要素に関する解析も行う必要がある。そこで本稿ではマニラを対象に、降水量の変化と関連が深い風向に着目し、19世紀後半の風向の日変化特性を調査した。


    2. 使用データ及び解析方法
     マニラは、フィリピンで最初に観測が開始された地点であるため、長期にデータを得ることができ、また他の地点よりも観測要素が多く、要素によっては時間単位のデータを得ることができる。本研究では、日本の気象庁図書室やイギリス気象局等で収集したマニラの気象観測資料のうち、1868年1月~1883年6月における風向・風力の3時間ごとのデータを使用した(ただし24時、3時の観測値は収録されていなかったため欠損)。観測時刻は現地時刻である。1890年代の資料も収集したが、1884年に観測場所の移転があったため(Udias, 2003)、まずは1883年までを対象とした。データ欠損期間は1869年6月、1870年10-12月、1875年、1877年である。1881-1882年の雲量の3時間ごとデータ(夜間はデータなし)も使用した。
     まず風向の季節変化特性を把握するために、風向の日変化ダイアグラムを作成した。その結果、5-10月、11-1月、2-4月で異なる日変化特性がみられたため、これらの期間ごとに時刻別の風向頻度割合を算出し、季節別の風向の日変化特性を考察した。

    3. 結果と考察
     季節ごとの時刻別風向頻度割合を図1に示す。どの季節も6時に静穏の割合が高く、30%近くを占めている。次いで9時、18時、21時に静穏の割合が高いことから、1年を通して夜間から早朝にかけて風は弱い傾向にある。また12時に西風の頻度が最も高くなる点も共通している。

     季節ごとにみると、5-10月は12時に西よりの風、15時には西から南西よりの風、18時には南西の風が約20%を占めており、夕刻に向かうにつれて南西よりの風へと変化している(図1a)。マニラでは雲量は12~15時に多くなる傾向にあるが、5-10月には18時に最も多くなる(図略)。そのため、12時の西よりの風は海風、18時の南西の風は夏季モンスーンの影響によるものと考えられる。一方、6時には静穏と北東風の頻度が高く、それ以外の風は10%に満たない。南西モンスーン期であっても朝方には凪もしくは陸風の影響が表われていると考えられる。11-1月には、夜間(18時と21時)に東~南東の風の頻度が5-10月と比較して5~10%高くなり、2-4月にはこの傾向がより顕著になる(図1b-c)。2-4月の15~21時にみられる東よりの風は貿易風と陸風によるものと考えられる。また明瞭な乾季である2-4月には西南西~南の風は観測されていない。
     本稿では19世紀後半の風向の解析結果のみを示したが、今後は20世紀後半の風向の日変化特性も併せて解析し、19世紀後半の風向データの特性について議論したい。
  • 川添 航, 坂本 優紀, 喜馬 佳也乃, 佐藤 壮太, 松井 圭介
    セッションID: P310
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    近年,アニメーションや映画,漫画などを資源とした観光現象であるコンテンツ・ツーリズムの隆盛が指摘されている.本研究は,コンテンツ・ツーリズムの成立による来訪者の変容に伴い,観光現象や観光地における施設や関連団体,行政などの各アクターにどのような変化が生じたかという点に着目する.研究対象地域とした茨城県大洗町は県中央部に位置しており,大洗サンビーチ海水浴場やアクアワールド茨城県大洗水族館などを有する県内でも有数の海浜観光地である(第1 図).また2012 年以降はアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として商店街を中心に町内に多くのファンが訪れるなど,新たな観光現象が生じている地域でもある(石坂ほか 2016).本研究においては,大洗におけるコンテンツ・ツーリズムの成立が各アクターにどのように影響したかについて整理し,観光地域がどのように変化してきたか考察することを目的とする.

    2.対象地域
    調査対象地域である大洗町は,江戸時代より多くの人々が潮湯治に訪れる観光地であった.その観光地としての機能は明治期以降も存続しており,戦前期においてすでに海水浴場が開設されるなど, 豊かな自然環境を活かした海浜観光地として栄えてきた.戦後・高度経済成長期以降も当地域における観光業は,各観光施設の整備や常磐道,北関東道,鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の開通などを通じ強化されていった.しかし,2011 年に発生した東日本大震災は当地にも大きな被害をもたらし,基幹産業である観光業や漁業,住民の生活にも深刻な影響を与えた.大洗町における観光収入は震災以前の4 割程度まで落ち込む事になり,商工会などを中心に地域住民による観光業の立て直しが模索されることになった.

    3.大洗町における観光空間の変容
    2012 年放映のアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として地域が取り上げられたことにより,大洗町には多くのファンが観光者として訪れるようになった.当初は各アクターにおける対応はまちまちであったが,多くの訪問客が訪れるにつれて様々な方策がとられている.大洗町商工会は当初からキャラクターパネルの設置や町内でのスタンプラリーの実施など,積極的にコンテンツを地域の資源として取り入れれ,商店街などに多くのファンを来訪者として呼び込むことに成功した.また,海楽フェスタや大洗あんこう祭りなどそれまで町内で行われていたイベントにおいてもコンテンツが取り入れられるようになり,同様に多くの来訪者が訪れるようになった.これらコンテンツを取り入れたことにより,以前は観光地として認識され
    ていなかった商店街や大洗鹿島線大洗駅などにも多くの観光者が訪問するようになった.宿泊業においても,アニメ放映以前までは家族連れや団体客が宿泊者の中心であったが,放映以降は1人客の割合が大きく増加するなどの変化が生じた.
  • 重慶大学城を事例として
    潘 瑞雪
    セッションID: 638
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    2000年代以降の中国では、都市化と教育産業の発展とが並行して推進され、都市近郊に「大学城」(中国における大学都市)が出現した。これにより、都市近郊では学生人口が急激に増加して、空間の変容を見ている。

     Smith(2002)は学生人口が特定地区へ集中することによってもたらされる都市の社会的、経済的、文化的及び空間的な変容を“studentification”と定義した。中国における大学城の出現もまた、一つのstudentificationを伴っていると考えられるが、それに関する研究はまだ不十分である。

     また、大学城に関する研究の多くは概観的な視点での研究にとどまり、大学城で生活している学生の視点からの研究が不足している。本稿では、学生の行動と都市空間の動態と結びつけて検討すべきとする中澤(2007)の示唆に基づき、大学城における大学生の生活行動の特性を明らかにすることによって、中国におけるstudentificationの特徴を検討する。
  • 早乙女 真穂
    セッションID: P214
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    近年の地球温暖化による氷河縮小に伴い現在の氷河湖は拡大傾向にある.特にヒマラヤ山脈東部地域において,氷河湖は1960年代以降に急速に拡大しており(Ageta et al., 2000),1980年代以降に氷河湖決壊洪水(GLOF)による被害が報告されている(Yamada and Sharma, 1993; Komori et al., 2012).これまでは過去に生じた災害の規模や巨大な氷河湖の分布から,ヒマラヤ山脈東部地域の氷河湖が世界的に注目されてきた.しかしヒマラヤ山脈全域をみると,氷河湖の大きさ,出現時期,拡大速度,決壊の要因,GLOFの被害状況は地域によって異なる.本調査地であるヒマラヤ山脈西部地域のインド北西部のラダック山脈では小規模な氷河湖が分布しており,2003年7月にドムカル谷で発生したGLOFにより水車や橋で被害が出ており(奈良間ほか,2012),2011年7月にはラダック山脈の北側に位置するタリス村でGLOFにより約130の家屋破壊が破壊され,農作物にも被害が生じている(OCHA, 2011).この地域では,氷河湖の規模や拡大速度は小さいが,氷河湖と人々の居住地の距離は非常に近く,土地利用も河川沿いに集中するため,小規模な氷河湖でも大きな被害につながるケースがある(奈良間ほか,2011;Ikeda et al., 2016).本研究では,インド北西部のラダック山脈,アチナータン村において2017年8月4日に生じた氷河湖決壊洪水の詳細を報告する.
  • 山本 峻平, 髙橋 彰, 佐藤 弘隆, 河角 直美, 矢野 桂司, 井上 学, 北本 朝展
    セッションID: 213
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    デジタル技術とオープンデータ化の進展によりデータベースの活用が注目されている。近年では、インターネット環境の充実により画像や写真に関するデータベースの制作が多くなってきている。例えば、横浜市図書館や長崎大学図書館における古写真データベースなどがあげられる。これらの写真は明治・大正頃の写真や絵ハガキを中心に構成されるが、当時の都市景観がわかるデータベースとして貴重である。発表者らも立命館大学において戦後の京都市電を主な題材とした『京都の鉄道・バス写真データベース(以下京都市電DB)』を公開している(http://www.dh-jac.net/db1/photodb/search_shiden.php)。京都市電DBの活用策としては市電車両を被写体としながらも当時の都市景観が背景として写りこんでいることから、景観研究や都市研究に活用できること、また、年代が戦後から廃線の1978年までの時代であり、記憶の呼び起こし、まちあるきや観光への応用が期待できる。
    近年、まちあるきが人気を集め、テレビや雑誌などで特集が組まれ、関連する書籍が多く出版されている。その中で、景観の変化や復原、相違点を探すことが行われているが、過去の景観を示す資料は探しだすことは容易ではない。そのような資料の一つとして京都市電DBを活用することが期待される。
    写真データベースに収蔵されている写真を現地に赴き照合することで、当時の景観との差異が発見でき、まちあるきのアクティビティとして楽しむことができる。また、まちあるきの利用だけではなく、当時の景観との比較から眠っていた当時の記憶が呼び起こされ、記憶のアーカイブなどの研究へも活用できる。
    本研究は、写真データベースのまちあるきツールとしての有用性の検証を行うとともに、記憶を呼び起こすツールとしての有効性についても検証を行なう。
    本研究では、国立情報学研究所の北本氏を中心とした研究グループが開発を行っている、アンドロイド・スマートフォン用アプリ、「メモリーグラフ」をアレンジし、「KYOTOメモリーグラフ」アプリを作成し、使用する。アプリには当時の写真が位置情報を持った形で収蔵されおり、それを基に撮影された場所に赴く。次に、スマートフォンの画面に当時の写真を半透明で表示することが出来るので、今昔の写真を重ね合わせ、当時と現在の同アングルの撮影が可能となる。また、撮影された写真には位置情報が付加され、撮影場所の地図による表示やGISと連動することができる。さらに、撮影した写真にはタグが入力でき、コメントや思い出などを入力することができる。これらのデータはスマートフォン内部だけでなく、サーバーに保存することができ、撮影された今昔の写真データや付加されたコメントなどのメタデータをアーカイブし蓄積することができるようになっている。また、当時の写真を現在の風景と重ねる行為は撮影位置や傾きなど撮影時の条件に近づけなくてはならず、当時の撮影者の追体験が得られる。現在、実証実験と位置づけ、プロジェクトメンバー及び近接の関係者数人を被験者として「KYOTOメモリーグラフ」を利用したまちあるきを数回実施する予定である。被験者にはこちらで用意したスマートフォンを貸与するほか、各自のスマートフォンを用いる。今回の実験は、グループで実施し、機器やアプリへの習熟度、安全性、行動観察などを検証する。
  • 瀧本 家康
    セッションID: 528
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    神戸市の臨海市街地はその南北を山と海に挟まれているため,晴天静穏日には熱的局地循環が発達し,顕著な海陸風や山谷風が見られることがわかっている(瀧本 2014など).六甲山地の山風や冷気流については,竹林ほか(2001)が山地の谷において冷気が集積し,それが流出することによって市街地の気温低下効果が山際から1km程度までの範囲において期待できることを示唆している.そして,竹林・森山(2002)は,冷気流が最大で2℃程度低温であることを示している.また,瀧本・重田(2017)や瀧本(2017)は,独自に気温や風向風速観測を実施し,晴天静穏日には六甲山地山麓において,15~16時以降に4~5℃程度の気温の急激な低下がみられ,北寄りの風向への変化と対応していることを示している.しかし,竹林ほか(1998,2001)や瀧本・重田(2017)は,典型的な1日を対象とした解析にとどまっており,晴天静穏日の平均的な山風や冷気流の様態は十分に明らかになっていない.一方,瀧本(2017)は,晴天静穏日11日間の平均値を用いた解析を行っているが,観測地点が1地点にとどまっており山風や冷気流の山地から平野部への発達の様子などは捉えられていない.特に平野部における山風の風向・風速の時間変化についての知見は十分に得られていない.そこで,本研究では瀧本(2017)において設置した六甲山地中腹の観測点のデータとともに,神戸市環境局所管の常時監視測定局(以下,常時局)のデータも用いることで,神戸市東部における六甲山地からの山風や冷気流の実態を明らかにすることを目的とした.
     六甲山地からの山風を捉えるために,2017年9月から六甲山地中腹に位置する神戸大学附属中等教育学校(神戸市東灘区住吉山手5-11-1,標高158m,以下KS)校舎屋上(地上15m)に気象観測ステーション(オンセット社製温度センサーS-TMB-M002,風向風速センサーS-WCF-M003,ソーラーラジエーションシールド RS3-B)を設置した.測定間隔は風,気温ともに1分である.また,神戸市環境局所管の常時監視測定局の中から4地点の風向風速データを用いた.測定間隔は1時間である.
     本研究では,2017年9月~11月を調査対象期間に設定し,調査対象期間の中で熱的局地循環が生じやすい晴天日を抽出した.解析対象日は24日間(各月の対象日数は,9月:3日間,10月:7日間,11月:14日間)であった.
     KSにおける対象日平均の風と気温の日変化の解析から,六甲山地中腹においては,山風が16:40~07:30ころにかけて定常的に吹送していること,その風速は概ね1.5m/sであることがわかった.また,山風の吹送開始時間帯に対応して気温の急激な低下が生じており,瀧本(2017)と整合的である.
  • 上海市祟明区前衛村を事例として
    呂 帥
    セッションID: 935
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    1980年代後半以降、中国においては観光需要の拡大と農村開発が結びつくことで、農村観光が飛躍的に発達してきた。一方、農村地域においても、農村観光の発展により、都市的土地利用が拡大されている(呂、2016)。景観や生活環境は変化し、農業の衰退で生じた隙間には多様な産業が現れた。さらに離農の進展によって、社会関係も変容しつつある。これらを受け、農村観光の核になっているルーラリティが再編されている。
    本研究は、Lane(1994)の指摘するルーラリティに関する指標に基づいて、農村観光地として著名な上海市祟明区前衛村を事例に、生産空間と生活空間、社会関係の3つの側面から、農村におけるルーラリティの再編とそのメカニズムについて明らかにする。分析に当たっては、2014年3月および2015年3~4月に行った現地調査から得たデータを使用した。

    2.生産空間の観光化とルーラリティ再編
    1993年に前衛村においては、生態農業の発展に伴い、農産物とその生産風景が観光対象と認識されたことで、都市部から観光者が流入した。これはルーラリティの観光化を意味し、前衛村における農村観光の萌芽となった。
    農村観光の発展に伴って、農的な観光施設のほかに、都市的な観光施設も建設された。これによって、農的な土地利用は1990年の176.2haから2015年には152.4haまで減少し、従来なかった人工的な観光施設用地は20.5haへと増加するなど、土地利用の指標において、ルーラリティの低下がみられる。
    生産空間における観光対象は、当初、従来から栽培されていた野菜のもぎとりが中心となった。その後、栽培が行われていなかったイチゴやブドウ、景観作物であるハーブが導入されたことで、ルーラリティが維持できたが、生産物の特徴が変化した。しかし、観光利用と景観保全のために残された水稲とアブラナの栽培によって、ルーラリティは一定程度維持されている。
    また、施設面では都市的な観光施設と現代的な宿泊施設の建造により、ルーラリティの低下がみられる。しかし伝統的な生産・生活文化を踏まえた観光施設も建造されており、これは伝統文化の再現という観点から、ルーラリティを維持していると考えられる。ただし活用された伝統文化には前衛村に存在したものに限らず、祟明島や中国全体に関するものもみられた。

    3.生活空間の観光化とルーラリティ再編
    生産空間における観光活動の拡大により、宿泊需要が高まった。1999年の前衛村では、農家を利用して、宿泊と飲食を提供する農家楽の経営が開始され、2015年の営業件数は117軒である。これによって、村民の生活の場である住宅や集落景観が変化しつつある。特に独立したトイレの設置や間取りの変化、客室設備のホテル化、道路・並木修景の都市化などは、ルーラリティを低下させているが、これらは農村地域が持っていたネガティブな特徴を変化させたものでもある。この意味で、それらは農村生活と農村の魅力を向上させる効果を持つともいえる。また、経済状況の向上によって、村内には「別荘」式と呼ばれる現代的住宅が建てられた。これは集合住宅に居住する都市部の住民にとって、魅力的な観光施設となり、農村の住宅の新たな特徴となっている。
    一方、増築による庭園の消失や、広告看板の商業化などもみられる。これらはルーラリティを低下させ、農村観光の阻害要因となっている。

    4.社会関係にみるルーラリティ再編
    前衛村における収入・就職構成は、農村観光の発展に伴い、観光業への依存が高まっている。農家楽の経営者間では、競争によって社会関係に軋轢が生じているものの、親族や友人間において、農家楽への観光客を「紹介」しあうという利益の調整行為が行われている。
    農村にみられる、伝統的な道徳や習俗に従って形成された親密な人間関係は、観光者にとって、重要なアトラクションとなっている。しかし観光客の増加に伴って、特に大規模な農家楽経営者においては、観光者と交流を取る機会が減少している。
    住民生活については、従来、農業スケジュールに合わせていたものが、観光に転換したことによって、自由度が低くなった。
    以上のように、社会関係におけるルーラリティは低下する側面はあるものの、新しい特徴によって一定程度維持されている。

    5.おわりに
    前衛村では、生産空間と生活空間、社会関係における各要素が相互に影響し合いながら農村観光を発展させてきた。この間、ルーラリティに配慮しながらも多様な要素が付加されたことで、ルーラリティが再編されている。
  • 北西 諒介
    セッションID: 613
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    本発表は,わが国で地名標準化(田邊 2017)が検討されていることを踏まえ,地域社会における地名の使用の実態を解明することを目的としている。本発表では,千里ニュータウン(以下,千里NT)における吹田市・豊中市(行政)によるまちづくりと,千里市民フォーラム(市民活動団体:以下,市民フォーラム)による活動に焦点を当て,「千里」という地名の使用について検討する。千里NTは日本初の大規模NTとして知られているが,「千里」は現行の行政区画名としては存在しない。一方で,上述のような主体による「千里」や「千里NT」を冠した取り組みが多く展開されている(例えば,『千里ニュータウン再生指針』)。まちづくりや市民活動という文脈において,「千里」及び「千里NT」の使用はいかなる意味を見いだされているのか。2つの地名が適用される範域とその使い分けに着目して検討する。

    2. 吹田市と豊中市
    市による千里NTのまちづくりへの積極的な関与は,開発・管理主体であった大阪府千里センターの解散とNT内施設の更新を契機として始まっている。吹田・豊中両市の千里NTの都市計画を担当する部署への聞き取りによれば,「千里」と「千里NT」の使い分けは特に定められておらず,NTの範域を指すものとして理解されている。これは部署の中心的な業務が実質的に及ぶ範囲とも一致する。両者はNTに対する施策の協議・調整を目的に「吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議」を設置しているが,その施策を千里NTを核とした学術・文化的な圏域としての「グレーター千里」という枠組みの中に位置づけることには消極的な意向を見せている。これを市の立場で実践することは,自分たち吹田・豊中市域内の千里NTを中心,隣の箕面市などの他市域を周辺として定義してしまうためである。すなわち,吹田市と豊中市という行政の文脈において,「千里」はNTに対する2つの市の相互連携の実践を示す一方で,それをNTの境界と市境を越えて使用することは避けられていると言える。

    3. 千里市民フォーラム
    市民フォーラムは吹田市・豊中市の呼びかけがもとになって2003年に組織された。現在も市との結びつきは深く,他の団体と比べてやや特殊な位置づけにあるが,千里NTで活動する代表的な市民活動団体の1つである。その活動理念は参加者の交流によって人や活動を「つなぐ」ことであり,その成果を還元する先としてはNT全体が志向されている。ただ,市民フォーラムにはNT外や市外からも多くが参加しており,彼らの共通項の1つとして挙げられるのが「千里NTへの関心」であるという。参加者への聞き取りによると,「千里」と「千里NT」と言ったときの違いはその意味の抽象度の違いとして認識されている。後者がNTというハード面としての建造物群が立地する範囲を想起させるのに対して,前者は空間的な広がりとしての曖昧さを持ち,さらにはそこでの暮らしや文化といったソフト面にまで拡張された理解がなされている。そして,市民フォーラムが「千里NT」ではなく「千里」を名乗ることは,外部のNT周辺住民などとも関わりをつくり,NT住民だけでは限界のある活動を維持・発展させていく上で重要なものとして評価されている。つまり,市民フォーラムにおける「千里」には,それにしか表現できない意味の広がりによって,活動のネットワークを拡大する効果が見いだされていると言える。

    4. おわりに
    このように,地名の理解には主体によっても違いが見られ,地域に関わる者全員が同じ地名を同じ範域・同じ意味として捉えた上で使用しているとは言い難い。標準化はこのような多様な解釈を制限することには繋がらないのか,あるいはこうした差異をどのように扱うのか,その与える影響などについての検討も求められるだろう。

    参考文献
    田邊 裕 2017. 地名行政の確立に向けて. 地理62(4), 8-13.
  • 国東半島芸術祭の事例から
    大平 晃久
    セッションID: 612
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    近年,日本で増加している地域おこし型のアート・プロジェクトにおいては,サイト・スペシフィック・アートが中心となっている.サイト・スペシフィックとは「美術作品が特定の場所に帰属する性質」(暮沢 2009: 176)を意味するが,その詳細な検討は管見の限り少ない.サイト・スペシフィック・アートについて詳細な検討を行ったKwon(2002)は,1990年代以降にサイト・スペシフィックからコミュニティ・スペシフィックへと中心が移行したと論じている.

     本発表は,モニュメントを場所との関係から考察するために,サイト・スペシフィック・アートを取り上げる.そして,①従来のサイト・スペシフィック性の二分法(文化・歴史と空間)の議論は不十分であることを指摘する.すなわち,国東半島芸術祭の作品を事例に,②サイト・スペシフィック・アートの一部はモニュメントに該当し,モニュメントはサイト・スペシフィック・アートの一種であること,③サイト・スペシフィック・アート(その一種としてのモニュメント)は意味論的に2種類に分けられることを論じる.

     なお,国東半島芸術祭は2014年に大分県豊後高田市・国東市内を会場に県の主導で開催されたアート・プロジェクトである.サイト・スペシフィックを標榜する6つの造形作品群(他にメディア・アート1点)が展示され,2017年末現在も設置されたままになっている.

     さて,従来のサイト・スペシフィック性に関する議論では,それぞれの場所の文化・歴史的要素か,空間的要素が作品に表現されていることが指摘されている(南條 1995,村上 2012).これは誤りではないし,アーティストの側からこうした実用的な二分法が出てくることはわかるが,次の2点から不十分な議論であるといえる.

     その一つはモニュメントの位置づけである.国東半島の事例のうち,「説教壇」(川俣正)は,近世初期のカトリック司祭であるペトロ岐部を記念・顕彰するもので,明らかにモニュメントといえる.モニュメントを竹田(1997: 6)は「社会的メッセージ」を発するものとして広く定義しており,これに従うなら,様々な造形や看板などの一部がモニュメントであるといえる.また逆に,モニュメントは(アートの定義を広げた場合)サイト・スペシフィック・アートの一種ということもできよう.

     もう一つは,サイト・スペシフィック・アート,そしてその一種としてのモニュメントは,意味論的に2種類―メトニミーのみに基づくもの,メトニミー+メタファーに基づくもの―に分けられるということである.上記の二分法で対立するものとされた文化・歴史的要素と空間的要素は,その場所に関わる事象であるという点では同じであって,これらを表現したアートは,ある場所に何かを結び付けてとらえるメトニミーに基づく.これに加えて,ある場所を他の場所に見立てるメタファーも作用したアートがある.すなわち,「Hundred Life Houses」(宮島達男)は国東半島に数多い摩崖仏との類似が容易に見て取れる作品である.ただし,「社会的メッセージ」を読み取ることは難しく,モニュメントではない.一方,上述の「説教壇」は,(成功しているかどうかは疑問であるが)ペトロ岐部のローマまでの行程が表現され体感できる作品とされ,それに従うなら,他の場所への見立て,すなわちメタファーに基づくものといえる.
     以上の2点から国東半島芸術祭のサイト・スペシフィック・アート作品を分類した.モニュメントはサイト・スペシフィック・アートと連続しており,その一種としてさらに考察が重ねられる必要がある.
  • 米国大統領の地球儀:大統領による地球儀への視点の違い
    宇都宮 陽二朗
    セッションID: 722
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    米国歴代大頭領のポートレートや報道映像を見ると、各自の地球儀に対する視点の違いが見られる。単なるstage props、ステータスシンボル(インテリア)、自己顕示の地球儀、政策表明手段としての地球儀、或いは地点認識の為の地球儀などである。Oval Office設置の地球儀は実体のある地球儀で変わらないであろうが、彼らの政策表明手段としての地球(儀)は実体のある地球儀から壁面や球面投影や電子表示画像へと表示媒体も変化し、地球儀の存在は薄くなっている。大型地球儀には、球儀の椅子型の地球儀は少なく、地平環支持枠を備える中央支柱型地球儀が多い。唯一であるが、クレードル型(Cradle type)地球儀もある。なお、初期の球儀の椅子型地球儀では架台が低く描かれている。地球儀の設置場所が示すように、大統領の中ではCaterのみが、主に地球儀本来の機能である地理認識のために活用していたようである。
  • 伊藤 修一
    セッションID: P331
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに 1990年代以降の先進諸国では自動車保有率の上昇が鈍化,低下に転じているなど(奥井 2004,橋本 1999),モータリゼーションは成熟・停滞期とみられる.モータリゼーションが進む地域において,一般に女性は自家用車の利用可能性が低い「交通弱者」と位置付けられ,就業機会とのアクセスが制限されやすく,家事や育児を担う役割も重なる場合には専業主婦や低所得者となりやすいとされてきた(Hanson and Pratt 1988).
     総務省『労働力調査』によれば,日本の年齢別女性就業率に表れる「M字型カーブ」の谷底は1991年には50%を上回り,2007年以降は60%を超え,全体の女性就業率も2010年代に入ってからは上昇している.よって,自家用車の普及と女性就業の促進との関係を検証する必要がある.既に,岡本(1996)はパーソントリップ調査の結果に基づいて,就業女性の自動車利用率が専業主婦よりも高く,世帯の自動車保有率が高くなれば利用率が高まることを指摘している.日本の乗用車保有率の要因を分析した奥井(2008)も女性就業が自動車普及の一因であることを示唆している.
     なかでも,近年の軽乗用車の普及は女性就業に大きな影響を及ぼしたと考えられる.自動車検査登録協力会編『自動車保有車両数』によれば,普通・小型乗用車台数は1990年代中期以降停滞するなか,軽自動車は年1~3%の増加が続く.また日本自動車工業会『軽自動車の使用実態調査報告書』によると,男性が過半数だった主たる運転者が1995年以降には既婚女性のみで過半数を占めるようになったからである.
     本研究では軽乗用車保有台数の増加と女性就業率の高まりの時期が重複する1990年代中期以降に注目して,軽乗用車の保有状況の地域的傾向を把握したうえで,軽乗用車の普及と既婚女性の就業者の増加との空間的な関係を,統計的な裏付けに基づいて検討する.
    Ⅱ.分析対象とデータ 軽乗用車の地域的な普及状況を把握するために,全国軽自動車協会連合会『市区町村別軽自動車車両数』(1996年3月末版,2016年3月末版)により台数データを入手した.ここでは普及状況を測る指標として,軽自動車台数を総務省『国勢調査』(1995年,2015年)による一般世帯数で除した保有率を用いる.既婚女性の就業に関するデータも『国勢調査』による.就業状態は就業者総数のほか,年齢別,「主に仕事」と「家事のほか仕事」との別に分けて分析した.
     分析対象は国内全ての市区町村であり,1995~2015年度間の市町村合併や福島第一原発事故の影響を受ける自治体などを考慮して,1833の部分地域に整理された.
    Ⅲ.軽乗用車保有率の分布 2015年度の全国保有率は39.8%で,空間的偏りがみられる(モランI統計量1.52,p<0.01).ローカルモランI統計量による検定結果に基づくと,三大都市圏や北海道に10%未満の市区町村が集中する統計的に有意なクラスターが認められ,仙台市と熊本市のほか広島市と福岡市の中心地区といった政令指定都市にも低率のクラスターや局所的に低い地域が形成されている.対照的に山形,宮城両県を中心とした東北地方南部や,中国山地や讃岐山地付近,九州地方は70%以上の高いクラスターがみられる.これは奥井(2008)が指摘する,北海道で高値,東北地方や西日本に低値の地域が広がるという乗用車全般の傾向と異なる.
     2015年度の全国保有率は1995年度の13.6%の約3倍にもなる.両年の分布パターンはよく類似しており(r=0.89,p<0.01),高保有率だった地域で保有率が上昇している(r=0.74,p<0.01).保有率が減少したのは低普及率の有意なクラスターに属する東京都千代田区と中央区のみである.
    Ⅳ.軽乗用車保有率と既婚女性就業率との関係 2015年度の保有率と就業率の相関係数は0.52(p<0.01)で,1995年度よりも上昇している.「主に仕事」とし,年齢の高い者ほど大幅に上昇している.全国的には軽自動車の普及が,フルタイム労働者のような既婚女性の(再)就業の促進により関わっており,その関係が深まっていると解釈される.
     また,保有率の上昇幅と就業率の上昇幅との関係は大都市圏内において統計的有意差が認められる.保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅が小さい地域は東京都荒川区を中心とした都区部北東側や,天王寺区を除く大阪都心5区に有意なクラスターが形成されており,大都市圏中心部の公共交通の利便性の高さが影響したものとみられる.
     一方,保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅の大きい地域は,東京圏においては三鷹市周辺や横浜市神奈川区周辺に,大阪圏では神戸市に有意なクラスターが現れる.こうした傾向からは大都市圏内では,軽乗用車の取得可能性などの経済面の影響も示唆される.
  • 森下 秀城, 加藤 内藏進, 阿部 加奈
    セッションID: 522
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    西高東低の冬型の気圧配置の出現頻度は11月頃から急速に増大することが知られており(吉野・甲斐, 1977 大和田, 1992),またより広域的な場でも,シベリア高気圧やチベット高原の南周りジェットが10月から11月頃にかけて強まる(ex. Matsumoto, 1988;垪和他, 2015地域地理科学会大会)。しかし,そのような広域場での季節進行と日々で見た日本付近の冬型の出現頻度の増大とが実際にどのように関係しているのか,詳細な季節遷移過程については必ずしも明らかではない。加藤・阿部(2001気象学会春季全国大会)は,1997/98年の顕著なエルニーニョ年には,日本付近での上述のような11月頃からの季節的移行がどのように阻害されたかを,冬への移行が比較的スムーズに起きた1995/96年と比較することで考察した。そこで今回,その結果の一部について解析をやり直し,さらに解釈を加えつつ11月頃からの冬型出現頻度の増大に関わる広域場の季節進行の背景について,考察を行った。なお,解析にはNCEP/NCAR再解析データを用いた。
     11月にはシベリア高気圧のみでなく,平均場のアリューシャン低気圧も強まる。ただし,日々で見ると,日本付近で強い南風の日も現れているものの,北風も数日~1週間程度の間隔で交互に現れるようになる。これは11月頃から冬型の気圧配置が,短周期の変動の一環として現れることに対応している。
     11月上中旬にはモンゴル付近から北日本へ向かって低気圧が発達・東進を繰り返し,その後面で寒冷前線が本州はるか南方(20~25N付近)まで南下するようになった。11月頃における日本海北部付近の海面気圧(SLP)や500hPa高度(Z500)他の日々の時系列の極小時を中心に,その前後2日間程度の時間経過について合成した場によると,東進する低気圧は傾圧不安定波の発達に対応したものと考えられ,北海道を過ぎた付近で最盛期を迎えていた。通過後はその後面での強い北風に伴う寒気移流域も本州南方付近まで広がっていた。つまり,10月上中旬と異なり,11月上中旬においては,モンゴル付近から北日本の緯度帯を東進・発達する低気圧の後面で,西方のシベリア高気圧との間の気圧傾度が強化されることに伴って冬型が強まる,というサイクルが繰り返されることが示唆される。
     11月上中旬にはモンゴル北部付近から北日本にかけて水平温度傾度が大きいゾーンが東進している。また,その傾圧ゾーンは日本付近では南方まで広がる大きな環境場を持っていた。11月上中旬の北日本を東進・通過する低気圧は,すでに発達しながら東進し,それが日本付近のより南方まで広がる傾圧帯に達することで,本州南方まで北風成分域が広がる低気圧としての発達が可能になったものと考えられる。また,11月に見られたこのような傾圧帯は,シベリア北東部が9月から11月にかけて急速に降温することで,10月には50~60Nを中心とする傾圧帯が本州南岸付近のものと合体して,日本付近で南北に幅の広いものとなる,という季節進行の背景にも注目する必要がある。
  • 愛知県東加茂郡賀茂村『寄留届綴』の分析から
    鈴木 允
    セッションID: 928
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    大正期の日本では,人口転換の萌芽が見られるとともに,産業化を背景とした都市化が急速に進行していた.本研究の目的は,この時期の日本の地域間人口移動の実態とそれが人口変動に与えた影響を検討することであり,中でも大正期から昭和初期にかけて,山村地域から都市部への出寄留の動向がどのように変化したのかを明らかにすることである.
     前稿(鈴木2018)において筆者は,愛知県東加茂郡賀茂村(現豊田市の一部)の大正期の『寄留届綴』に纏められた寄留届書類の個票を集計したデータベースを作成し,出寄留者の属性や寄留地などの傾向を分析した.その結果,当時の山村地域からの出寄留者は,愛知県内の他市町村への寄留が圧倒的に多いことや,①近隣都市の工場へ住み込みで働きに行く多数の10代の居所寄留者,②岡崎市・名古屋市などの都市部への住所寄留者の2パターンが多数を占めていたことが明らかにされた.①は女工が多数を占め,数年後に帰村する場合が多い一方,②では世帯単位での随伴寄留者も多く,寄留先の都市内部で転寄留をすることはあっても帰村することは少なかった.①・②は,都市部への明確な人口流出と世帯単位での定住化傾向を示唆するとともに,人口転換との関係では,①が女性の結婚年齢の上昇や出生率の低下に影響を与えた可能性,②が都市人口比率の上昇をもたらし,このことが低出生率の人口の増加を意味したことが考えられた.
     本研究は鈴木(2018)の成果を土台とし,検討が及んでいない対象期間内の寄留動向の動態的な変化を明らかにするものである.対象期間を大正期から1930(昭和5)年まで延長し,鈴木(2018)で検討した各種の指標について(1)1916~20年,(2)1921~25年,(3)1926~30年の3つの期間ごとに算出し,その比較から動態的な変化を把握することを試みた.前稿同様に1916(大正5)~1930(昭和5)年の賀茂村『寄留届綴』から,賀茂村本籍者の寄留情報をデータベース化する手法から,のべ2,888人分の有効な寄留情報を得た.なお,検討対象期間における賀茂村は出寄留超過傾向を示していたが,1930年にかけて本籍人口が大きく増加した一方,現住人口は微増にとどまっていた.この間に多くの出寄留者を出したことが窺える.
     具体的な分析結果として,期間(1)から(3)にかけて住所寄留者・住所転寄留者が大幅に増加した一方,居所の各種届出者数及び本籍への復帰者数はやや減少傾向であった.なお,住所寄留先は岡崎,名古屋などの県内の都市部が中心で,転寄留者のほとんどは同一都市内での転寄留であった.期間(1)~(3)を通じて,出寄留先に大きな変化は見られなかった.
     また,期間(1)から(3)にかけて随伴での住所寄留者が主に増加しており,戸主との続柄別では戸主本人や妻・婦の住所寄留が増加していた.本籍に戻る寄留者の少なさも踏まえると,生活の拠点を都市部に移す世帯が,期間(3)にかけて大幅に増加していったことが考えられる.
     こうした動向の変化が,どのような社会・経済的背景のもとに生じたのかを検討していくことが課題である.
  • ―担い手の視点から―
    加藤 周人
    セッションID: 624
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    目的と方法
     福島第一原子力発電所の事故をきっかけに福島県沿岸での操業は自粛された.いわき地区では2013年10月より試験操業が開始され,本格操業にむけて少しずつ水揚げ量が増加しているものの,水産物の風評被害も依然残っており,流通への影響も大きい.また水産物の出荷が止まることによる影響について勝川(2011)は,被災地の水産業が元の状態に戻ったとしても,取引先が入荷先を変更してしまうために,結果として水産物の出荷先を失う可能性を指摘している.
     原子力災害をきっかけとした福島県の水産物流通の変化は他県とは異なる.そこで本研究では震災前後の変化を示すだけでなく,仲買人の多様な流通が原子力災害の影響によってどのような影響を受けたのか,そしてどのような対応をしてきたのかを仲買人の経済活動というミクロな視点から明らかにしていく.
     調査期間は2017年2月から10月にかけて断続的に調査を行い,夏季期間は2017年8月24日から9月15日まで現地滞在し,聞き取り調査を行った.また原子力災害後の水産物流通についてはいわき市漁協の期間別,魚種別出荷先別のデータも用い分析を行った.

    仲買人の経済活動と出荷状況
     聞き取り調査から,産地仲買人は1度に多くの鮮魚を仕入れ,主に消費地市場へ出荷する大口仲買人と,数キロ程度の鮮魚を仕入れ,鮮魚店などを営む小口仲買人に分けられた.
     大口仲買人B-11は主に活魚を仕入れそれを消費地市場に出荷していた.災害後は取引先との関係を維持させるため,他地域の産地卸売市場まで赴き,水産物を買付し出荷を継続させていた(表1).大口仲買人の多くは長期的な利益を見据え,経済活動を行っていた.一方小口仲買人は災害後,産地卸売市場で鮮魚を購入できず,入荷先をいわき市中央卸売市場や他県の鮮魚店などに変更し,対応してきた.
     また災害後の水揚げ量は徐々に増加傾向にあるが,常磐ものブランドであったメヒカリ(アオメエソ)の販路は依然として縮小傾向にあり,魚種によって出荷傾向が異なっていた.

    参考文献

    勝川俊雄2011.『日本の魚は大丈夫か―漁業は三陸から生まれ変わる―』NHK出版新書.
  • 渡邊 三津子, 遠藤 仁, 小磯 学
    セッションID: P344
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

     インド北東部とミャンマー北部に跨る峻険な山岳地帯(ナガ丘陵)に、ナガと総称される民族集団がいる。焼畑や棚田による農耕、狩猟・採集活動、家禽や家畜(おもにブタ)の飼育などが、生業におけるナガの特徴とされる。しかし、ナガ丘陵全域において、これらの生業が一様に営まれているというわけではなく、個々の生業活動の組み合わせや活動全体に占める個々の活動の割合などは、集落の立地条件によって異なっている。たとえば、比較的傾斜が緩やかなナガ丘陵西部においては、棚田における水稲作(常畑)が中心的に営まれる一方で、比較的地形が急峻な中~東部地域では、耕作と休閑のサイクルをともなう焼畑農業での陸稲作が中心となる。また場所によっては、陸稲よりもタロイモや雑穀などの栽培が中心になることもある。
     本発表では、焼畑における陸稲作が中心的な生業であるインド北東部ナガランド州モコクチュン県を対象として、インタビューや衛星画像(1960年代撮影のCorona衛星写真、2015年、2017年観測のSPOT衛星画像)の比較判読に基づき、現代における焼畑農業の実践方法や、近年の人口増加や社会の変化の中でみられる変化について紹介する。なお、モコクチュン県にはAoナガの人々が多く居住しており、本発表で紹介する農具名称などは彼らの言葉による。

    2.ナガ丘陵における焼畑農業(Jhum cultivation)の実践
    2.1. 焼畑農業のサイクルと農暦
     モコクチュン県で行われている焼畑農業は2年栽培+8年休閑の10年周期で営まれ、特にサイクルの短縮などに関する言及は得られていない。
     1年目の作業内容としては、10月ごろから樹木を伐採し、2月から3月にかけて火入れを行う。火入れから1週間後(だいたい4月)に播種を行う。6月から8月にかけて(モンスーンの最盛期)は雑草を刈り、9月ごろに収穫を行う。播種後と収穫前には祭りを行う。それぞれの時期は、集落や畑の立地する標高などによって時期がずれる。同じ畑での耕作は2年間行われ、1年目は陸稲を中心としつつナス、ウリ、ニラ・ネギ、タロイモ、トウガラシ、マメ類、ショウガや自然に生えてくる葉物、バナナなどが栽培される。2年目は、土壌の関係で栽培作物が変化し、陸稲以外の作物が中心となる。2年目の収穫が終わると休閑に入り、10月までに次のエリアでの伐採・火入れの準備を行う。
     従来は、休閑中の植生回復は自然状態にまかせていたが、近年は、政府の指導を受け、作物の栽培と同時進行で「植林」も行っている。「植林」といっても、付近に生育している木の種を採ってきて作物と一緒に撒く、という程度のことであるが、生育速度がとても速い木を利用するので2年目の収穫が終わった畑には、1m前後のサイズに育った木が確認できた。
    2.2. 道具
     伐木や根の掘り起こしに使われる鉈刀(nok, nok chu)、畑を耕したり、播種用の穴をあけたり、畝立をしたりするための鍬(akubo, merjung)、除草具(alulem)、収穫のための鎌(nenok)、熊手(kiya)、など用途に応じて数種類の農具が使われる。ここ数十年の間に、道具の刃の部分が木製・竹製から鉄製のものに変化した他には、顕著な変化は見られない。
    2.3. 焼畑用地と保護林
     モコクチュン県ロンサ村の例では、集落を中心として5km四方ぐらいの領域が集落の人々に利用される。尾根が境界となることもあるが、基本的には川が隣集落の用地との境界となる。領域内の全域が焼畑のサイクルに組み込まれるわけではなく、集落のルールにより保護林が定められている。保護林は、薪材の確保や家の建材としてのみ利用し、焼畑として利用してはならないという。
    3. 土地利用に変化をもたらす新たな要素
     注視すべき点として、コーヒーやライチなどの商品作物の農地の増加が挙げられる。焼き畑農業が、現在でも2年栽培+8年休閑の10年周期で行われるのに対して、これらの商品作物は常畑として営まれ、焼畑のサイクルには組み込まれていない。
    4. 今後の課題
     対象地域の焼畑農業の実践状況を見ると、そのサイクルや利用される道具、栽培作物などに関しては、ここ数十年の間での顕著な変化はみられないことが分かった。ただし、1950年代以降の人口増加により、集落数が増加したことが、保護林も含めた焼畑用地の利用にどのように影響を与えているかという点については、今後の検討課題である。

     本研究は、H27~29年度科研費(基盤B)「南アジアの紅玉髄製工芸品の流通と価値観-「伝統」と社会システムの変容の考察」(課題番号:15H05147、研究代表者:小磯学)による研究成果の一部である。
  • -灌漑による水文環境の変化が周辺植生に与える影響-
    吉田 圭一郎, 宮岡 邦任, 山下 亜紀郎, 羽田 司, Olinda Marcelo, Shinohara Armando, Nunes ...
    セッションID: P105
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
    植生への人間活動の影響を明らかにすることは,自然環境の保全だけでなく,社会の持続的な発展を考える上で必要な情報であり,植生地理学の重要な研究課題の一つである.人間活動は,森林伐採などだけでなく,立地環境の改変により間接的にも影響する.特に,資源が限られた場所では,間接的な影響が相対的に大きくなる.
    本研究で調査対象としたカーチンガは,ブラジル北東部に分布する熱帯季節乾燥林である.不確実性の高い降水に素早く応答して構成樹種が一斉に展葉するなど,厳しい乾燥環境下でカーチンガは独自の生態系を形成してきた.生物群系としてのカーチンガが占める面積はブラジル国土の約10%におよぶが,ヨーロッパ人が入植して以降の人間活動の結果,カーチンガの占める面積は50~70%程度に縮小し,保全が必要である.
    サンフランシスコ川の中流域では,1970年代以降に灌漑農地の大規模造成が行われた.灌漑農地の拡大に伴い,周辺のカーチンガでは乾季でも落葉しない樹木がみられ,これは灌漑により農地周辺で樹木の利用できる水資源量(water availability)が増加したことに起因すると考えられる.また,この構成樹種の生活史の変化は,カーチンガの植生構造の変化も引き起こすことが予想される.
    そこで本研究では,立地環境の改変を通じた人間活動の植生への影響を明らかにすることを目的として,カーチンガを調査対象に,灌漑農地周辺における水文環境と植生との関連性について検討する.
    II 調査地と方法
    本研究の調査地は,ブラジル北東部に位置するペルナンブコ州のペトロリーナ周辺域で,マンゴやブドウなどの灌漑農場に隣接してカーチンガが分布する.
    植生と水文環境との関連性を明らかにするため,二つの農場(DAN農場,NIAGRO農場)で植生調査を実施した.DAN農場では,マンゴ農場との境界から500mの測線を設定し,10×10mの方形区を計6カ所設置した.また,NIAGRO農場ではブドウ農場との境界に3カ所,境界から約1km離れた場所に4カ所の計7カ所に方形区を設置した.方形区では,胸高直径が1cm以上の樹木を対象に毎木調査を行い,樹種,胸高直径,樹高などを記載した.
    III 結果と考察
    植生調査の結果,DAN農場では13種,NIAGRO農場では11種が出現した.どちらの農場においても,Caesalpinia microphyllaAnadenanthera colubrinaMimosa verrucosaなどのマメ科の樹種により主に構成されていた.
    DAN農場では,測線に沿ってマンゴ農場からの距離にしたがい植生構造が変化した.個体密度は30個体/100m2程度から10個体/100m2に減少し,胸高断面積合計や樹高も同様にマンゴ農場から離れるほど低下した.DAN農場の測線に沿った乾季の土壌水分量は,マンゴ農場から離れるほど低下しており,カーチンガの植生構造の変化は土壌水分条件と対応していた.
    NIAGRO農場においても,灌漑が行われているブドウ農場に隣接する場所とそれ以外の場所とで植生構造が異なっていた.農場に隣接する場所のカーチンガでは,樹木の個体密度が50~70個体/100m2で,樹高は5~6mであったのに対し,離れた場所の樹木の個体密度は10~20個体/100m2と少なく,樹高は2~3mと低下した.
    どちらの調査地においても,灌漑が行われている農場に近い場所では,構成する樹木のほとんどが乾季でも落葉せず葉をつけたままであった.これまでの調査から,カーチンガの構成樹種は,水文環境の変化に対する感受性が極めて高く,わずかな土壌水分量の変化でも一斉に展葉することが知られる.一年の大半が厳しい乾燥環境に晒されるカーチンガの構成樹種にとって,葉をつけて活動する期間が長いほど,一次生産量が多くなると推察でき,結果として樹高や胸高断面積合計など植生構造に差異が生じたものと考えられた.
    本研究の結果から,灌漑により農場周辺のカーチンガにおいて樹木が利用できる水資源量が増加し,その結果,カーチンガの植生構造が変化したことが明らかになった.これは,調査地域では水資源が著しく制限されていることで,人間活動の植生に対する影響が相対的に大きくなり,顕在化したものと考えられた.
    本研究は,科学研究費補助金基盤研究(B)海外学術「ブラジル・セルトンの急激なバイオ燃料原料の生産増加と水文環境からみた旱魃耐性評価」(研究代表者:宮岡邦任,課題番号:26300006)による研究成果の一部である.
  • 須崎 成二
    セッションID: 634
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    日本の都市空間における同性愛の表象は,一般的にゲイバーの立地が集中する商業空間でなされ,セクシュアリティに関する研究では,主にそれらを利用するゲイ男性に焦点があてられてきた.しかし,セクシュアリティと空間との関連を議論するうえで,対象とする空間の詳細な記述は今までにされてこなかった.

     そこで,本報告では,東京都新宿区新宿二丁目における土地利用とゲイバーの立地を踏まえ,ゲイバーの集積地としていかに存続・再生産されているかを明らかにすることを目的とした.
     上記を明らかにするため,対象地域の土地利用を把握し,新宿二丁目振興会」が発行する「2丁目瓦版」およびゲイバーの住所が掲載されているゲイ男性向けホームページと,実地調査からゲイバーの立地するビルを把握した。ゲイバー集積地区の再生産構造に関しては,新宿二丁目における物件供給に着目し、不動産関連企業及び物件の所有者への聞き取り調査を行った.
     その結果,ゲイバーを異性愛者利用可能店舗(「ミックス・観光バー」)と利用不可店舗(「ゲイメンズバー」)に分類すると,それらの立地傾向には平面的・垂直的な差異がみられた.また,新宿二丁目におけるゲイバーの出店は,物件供給側のキーパーソンの存在,「リース店舗」が圧倒的割合を占めていること,ゲイ男性のカミングアウトの問題を克服することで,再生産が容易になっている.
     新宿二丁目は今後もゲイバー集積地区として持続可能な構造が存在しているが,ゲイバーの集積は均質ではなく,形態によって空間的に分化している.
  • 佐藤 浩, 宇根 寛, 中埜 貴元
    セッションID: P228
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    SAR干渉画像の2.5次元解析による2016年熊本地震の上下成分の変動量を,3つの測線上で検討した。その結果,各測線で上下変動に不連続な箇所が見られたが,その個所は先行研究で示されている不連続線にほぼ載っていることが分かった。不連続な上下変動量や分布を,より詳細に調べる必要がある。
  • 灌漑による塩類集積の検討
    宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, 山下 亜紀郎, 羽田 司, マルセイロ オリンダ, シノハラ ヒデキ, フレデリコ ヌーネス, 大野 文子
    セッションID: P106
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに

    ブラジル北東部(ノルデステ)の熱帯半乾燥地域(セルトン)では,1970年代後半の大規模ダムの建設による灌漑施設の拡大により、農地面積の増加や住民の定住がすすんでいる。農地のセルトン奥地への拡大に伴い、カーチンガの分布域が減少しており、地表面環境(土地利用形態)は最近40年ほどで大きく変化している。灌漑施設の拡大と地表面環境の変化は、干魃頻発地域であったこの地域の水文環境に大きな影響を及ぼしていることが考えられる。本発表では、サンフランシスコ川近傍の灌漑による開発地域からカーチンガが広く残存するセルトン奥地にかけて、河川、灌漑用水、貯水池、地下水の水質の特徴から、灌漑による農地開発と塩類集積の関係について検討を行った結果を示す。

    Ⅱ 灌漑の状況と土地利用

     本研究対象地域は、ペルナンブコ州西部に位置するペトロリーナおよびサンフランシスコ川を挟んだ対岸のバイア州ジュアゼイロから、それぞれ100~150km奥地のカーチンガが残存する範囲である。ペトロリーナ側の農地では、マンゴーやブドウなど果樹の栽培が主であるのに対し、ジュアゼイロ側ではマンゴーやブドウに加えて広域にわたってサトウキビの栽培が行われている。多くのマンゴー畑とブドウ畑では点滴灌漑が主となっているが、サトウキビ畑や一部の農地ではスルコとよばれる農地へ直接水を流す灌漑方式がとられている。また、サンフランシスコ川からの灌漑水路が整備されていない地域では、バハージェンとよばれる河川流路に堰堤を設けて河川水を貯める施設や、天水を貯めるアスーデとよばれる貯水池が造られている。

    Ⅲ 水質からみた灌漑による塩類集積の検討

    これまでの調査で、灌漑用水からの導水がないアスーデの電気伝導度は、サンフランシスコ川から灌漑用水を介して導水されたアスーデと比較して値が非常に高く、この傾向は2017年8月~9月に実施した今回の調査でも認められた。今回の調査で、カーチンガに分布する旧来の周辺から地表水や地下水を集水しているアスーデでは,水質濃度に大きな差が認められ,周辺に農地への変更がされていない地域では電気伝導度は低く、過去に農地として利用されていたところがあったり、カーチンガが伐採され裸地が広がっている地域では相対的に電気伝導度が高いことがわかった。

    溶存イオン濃度で、濃度に大きな地域的差異が認められたのはCl-であった。サンフランシスコ川の灌漑水が導水されているアスーデや地表面の改変が行われていないカーチンガ地域のアスーデではCl-濃度が低いのに対し、農場内を流れる小河川ではCl-濃度は非常に高く、小河川が流れる谷筋に沿って掘削した観測井では、河川水ほどの濃度ではないものの深度が浅いほどCl-濃度は高い傾向にあった。施肥の影響と考えられるNO3-は農地の近傍で特に顕著に検出されており、地表面の改変が行われていない地域では検出されていない。

    これらのことから、カーチンガの伐採と農地開発により、農地や裸地を中心に塩類集積が起こっている可能性が高いことが考えられた。
  • 奈良間 千之, ダイウロフ ミルラン, 山之口 勤, 田殿 武雄
    セッションID: 424
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     キルギスタン北東部に位置するイシク・クル湖流域では,2006年~2014年にかけて4回の氷河湖からの大規模出水が生じた.これら出水した氷河湖は,数か月~1年の間に出現・出水する短命氷河湖と呼ばれるタイプである.2008年7月には,西ズンダン氷河湖がわずか2か月半で出現・出水し,この出水による洪水で3名の犠牲者や家畜の被害がでた(Narama et al., 2010a).2013年8月にはジェル・ウイ氷河湖,2014年7月にはカラ・テケ氷河湖で出水が生じ,灌漑用水路や農地が破壊された(Narama et al., 2018).短命氷河湖の出水は,ネパール東部の氷河湖決壊洪水にみられるようなモレーンが決壊するタイプでなく(Yamada, 1998),氷河前面のデブリ地形内部に発達するアイストンネルの閉鎖によって,凹地に一時的に融氷水が貯水され,トンネルの開放によって出水するタイプである.この出水路の開閉は,氷河湖の面積変動に大きく影響するが,その実態はよくわかってない.そこで本研究では,衛星画像解析から2013年~2016年の氷河湖の面積変動を調べ,その変動特性と地形環境について検討した.
    2.地域概要
     キルギスタン北東部に位置するイシク・クル湖流域は,北岸沿いにクンゴイ山脈,南岸沿いにテスケイ山脈が東西に連なる.クンゴイ山脈南側のチョルポン・アタ測候所(1645mm)の年降水量は307㎜,年平均気温は8.1℃で,テスケイ山脈北側のチョング・クズルスウ測候所(3614m)の年降水量は594㎜,年平均気温は0.2℃である.クンゴイ山脈とテスケイ山脈における1970年~2000年の氷河面積は,8~12%減少している(Narama et al., 2010b).
    3.研究手法
     2013年~2016年の6月~10月に取得された128枚の衛星画像(Landsat8/OLI)を用いて,339コの氷河湖(>0.0005 km2)の各年の季節変動から,stable(停滞),increasing(拡大),decreasing(縮小),appearing(出現),vanishing(消失),short-lived(短命氷河湖)の6タイプに分類した.面積変動の要因を検討するため,氷河前面のデブリ地形から,ALOS-2/PALSAR-2の差分干渉SAR(DInSAR)解析により,内部に氷を持つデブリ地形を抽出した.さらにUAVによる空撮画像から作成したDSMや空中写真のDSMを用いて,短命氷河湖が出現する地形場について検討した.
    4.結果
     2013年~2016年の衛星画像解析から339コの氷河湖を6つのタイプに分類した結果,appearing,vanishing,short-livedの3つのタイプの湖を多く確認した.氷河前面のデブリ地形はテスケイ山脈で930コ,クンゴイ山脈で180コあり,そのうちDInSAR解析によって選別された埋没氷を含むデブリ地形はテスケイ山脈で413コ,クンゴイ山脈で71コであった.1971年~2010年にかけて出現した凹地はテスケイ山脈で196コ,クンゴイ山脈で22コあり,最近の氷河縮小で氷河湖が出現できる多くの凹地が形成された.
    5.考察
     ヒマラヤ東部地域ではincreasingやdecreasingが主要な氷河湖変動であり(Nagai et al., 2017),これらは気候環境や氷河縮小に大きく影響している.一方,研究地域で多く確認されたappearing,vanishing,short-livedのタイプは,単純な氷河縮小によるものではない.これらは,氷河前面に発達する埋没氷を含むデブリ地形とアイストンネルの発達,凹地の存在,凹地からの表面流路がないこと,凹地への氷河からの融氷水の供給があること,さらにはアイストンネルの開閉という地域的な地形環境が特異な変動を引き起こし,短命氷河湖のような大規模出水による洪水が生じていると考えられる.
  • シンポジウム趣旨説明
    箸本 健二
    セッションID: S401
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    問題の所在

    中心市街地における空洞化の進行は,今日,日本の地方都市が共通して直面する課題の一つである.地方都市の中心市街地で顕在化している事業用不動産の遊休化(未利用不動産化)と,その跡地・後施設をめぐる利活用の停滞は,こうした課題を象徴する事象といえる.2013年6月に,経済産業省産業構造審議会中心市街地活性化部会は「中心市街地の再活性化に向けて」という提言を取りまとめ,全国の地方都市の多くが中心市街地問題に直面していること, 問題の背景に人口減少と高齢化の悪循環が存在することを指摘した上で,地方都市の中心市街地が居住と経済の両面にわたる「まち」としての機能を今後も維持するためには喫緊の対応が必要であると指摘している.

    コンパクトシティ政策が内包する課題

    日本の地方都市では,高度経済成長以降,商業・サービス業や全国企業の支店に代表されるオフィス機能が中心市街地における経済活動の中核を担ってきた.しかし1990年代以降,これらの事業所は地方都市の中心市街地から着実に減少し続けている.一方で,この問題に対する国や地方自治体の政策は必ずしも奏功していない.コンパクトシティを政策理念に掲げ,中心市街地への都市機能の再集中を試みた改正まちづくり3法(2006年制定)や改正都市再生特措法に基づく立地適正化計画(2014年)も,高止まりする中心市街地の地価,郊外住民の反発,根強い大手商業資本の郊外志向,自治体間での利害相反など,ローカルな政治・経済の文脈に起因する阻害要因の前に足踏みを重ねることが多い.そもそも,現在のコンパクトシティ政策は,総じて国・地方自治体の財政難や人口減を前提とする機能の再配置論に留まっており,中心市街地にどのような社会や経済活動を構築するかというマネジメントの視点が欠落している場合が多い.このことが,とりわけ地方都市におけるコンパクトシティ政策の大きな停滞要因となっていると考えられる.

    地方都市の新たな中心市街地マネジメントの方向性

     中心市街地における商業やオフィスの減少は,関連する事業所サービス業や飲食サービス業などの事業機会を縮小させ,事業用不動産の遊休化を加速させてきた.中心市街地で増加する未利用不動産は,地方都市の厳しい経済状況を表象していることは疑いない.その一方で,中心市街地に存在するまとまった規模の未利用不動産は,地方都市の新たなマネジメントを進める上で潜在的な資源とも評価できる.その理由の1つは,PPP/PFIあるいは不動産証券化を通じた介護施設,商業施設などの開発事例が示すように,中心市街地は,適切な投資スキームさえ選択できれば,立地特性を活かした収益事業を再生する余地が残されているからである.残る1つは,地価最高点に近い古い物件を利用することで,賑わいや新しい社会関係の構築など中心市街地が持つ潜在的資源の利用と,地代負担力の低い新規参入者の経営持続性との両立を図れるからである.

    本シンポジウムの構成

    以上の問題意識をふまえて,本シンポジウムでは,まず全国調査を通じて未利用不動産の現状分析を行い,その再事業化へ向けたスキームを,大きく①市場原理を導入した再生手法や政策対応(不動産証券化,PPPなど),②ボトムアップ型の再生手法(リノベーションなど)に大別する.その上で,おのおののスキームに関して具体的事例の紹介と評価を行い,各々の可能性と課題を議論したい.

    付記.本研究は,科研費基盤B(課題番号16H03526,代表者:箸本健二)の助成を受けたものである.
  • 五艘 みどり
    セッションID: 834
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    研究の背景と目的
     
    イタリア北部の南チロル(ボルツァーノ自治県)では、1990年代以降アグリツーリズモを中心とした農村観光が発展した。イタリアのアグリツーリズモ経営者のうち約35%は女性であり(ISTAT, 2013)、今や農村観光の発展に農村女性の関与は不可欠とされるが、南チロルの農村観光においても女性の積極的な関わりが見られる。南チロルはその歴史的経緯から自治意識が強く、地域の産業とその人材育成に力を注いできた。結果として、主要産業である農業の強化と、農業を支える農村女性の地位向上が図られた。南チロルでアグリツーリズモが農業を補完する産業として推進された際、農村女性はアグリツーリズモ経営に多いに関与するに至ったのである。本研究は、こうした南チロルのアグリツーリズモ経営における農村女性の関わりのあり方を明確にすることを目的としている。

    研究の内容と結果
     
    本研究の調査方法として、南チロルの農村女性へのインタビュー調査を、中心部ボルツァーノに近いサン・ジェネジオ地域を対象に、2017年9月に10日間を要して実施した。当該地域で営業されている18のアグリツーリズモのうち13がインタビューに応じ、その内容は農業およびアグリツーリズモの状況、農村女性の経営への関与と役割に亘る40項目とした。調査の結果をまとめると次の通りである。
     農業およびアグリツーリズモの状況だが、地域の主要農産物は牛乳、ブドウ、肉牛(豚)などで農家の約半数が混合農業を営み、9割がジャム、ワイン、生ハムなどの農産加工品を家族・知人と観光客向けに生産している。アグリツーリズモは所有施設を改修し1981年から2015年の間に開始された。総収入のうち観光収入が30%を超える農家が7割に上り、観光が農家の安定的経済基盤の一助になっている
     アグリツーリズモにおける農村女性の経営への関与と役割についてだが、農村女性の91%は南チロル出身で親の職業も農家という保守性が認められた。しかしながらアグリツーリズモ開業の主張が女性主導であった農家が69%、アグリツーリズモを支援する南チロル農民連合主催の経営等のセミナー参加も女性が67%、農村らしさを観光客向けに演出する施設の装飾も女性の実施が85%と、女性が積極的に経営に関与する実態が見られた。観光客への食事提供は家族全体で行うと回答した農家が多数だが、メニュー考案や調理は女性主導の傾向であった。またアグリツーリズモ開業前後の農村女性の役割の変化については、育児や家事といった家庭の仕事量に大きな変化はないものの、男性の参加の拡大が認められる傾向にあった。一方で意識の変化としては、農村女性の経営参画が推進された、経済力が向上した、自立の機会が拡大した、という点が挙げられ、社会的立場における意識の変化が見られた、

    結論
     南チロルにおける著しい農村観光の発展は、開業から経営および実務に至るまで農村女性が積極的に関わったことが大きく影響したと言える。また一方で、農村観光が発展し農村女性がそこで活躍の機会を得ることで、家庭での役割の変化や、社会的における意識の変化も起こったとも考えられ、農村観光の発展と農村女性の社会的な地位向上は相互に深く影響し合っていると考えられるのである。

    謝辞
     
    本研究はJSPS科研費17K02128(農村の観光産業化における住民幸福度の日伊比較研究)を受け実施した。
  • 全国553自治体に対する調査から
    箸本 健二
    セッションID: S402
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    調査目的と課題設定

    中心市街地における未利用不動産の増加は,主に中心市街地における事業用不動産の供給過多と,個人商店の住居化とが輻輳する形で引き起こされる都市問題であり,地方都市における都市再生の阻害要因となっている.その一方で,地方都市中心市街地の未利用不動産を定量的に把握できる公的資料は存在しない.そこで本シンポジウムのメンバーは,中心市街地における未利用不動産の現状と各自治体の政策的対応を把握するため,全国846市町(東京都区部,政令指定都市を除く1995年時点で人口2万人以上の都市,あるいはその合併市町)を対象とするアンケート調査を2014年に実施した.主な調査内容は,中心市街地における低利用不動産の概況と自治体の対応,ダウンサイジング政策の導入状況,まちづくり会社の有無と機能であり,最終的に553自治体(65.3%)から有効回答を得た.なお,本調査結果の一部は,日本地理学会2015年春季大会および経済地理学会金沢地方大会で報告している.

    地方都市における未利用不動産の増加

    中心市街地を代表する,事業用不動産,個人商店,公共施設という3タイプの不動産に関して,未利用不動産化の進行状況を10年前(2004年)との比較で質問した結果,「増加している」「やや増加している」と回答した自治体の比率は,個人商店(空き店舗)で80.8%,事業用不動産(大規模商業施設,オフィスビル,ホテル,病院等)で47.3%,公共施設(公的セクタが所有し,利活用が進んでいない施設)で22.1%に達した.一方で「(未利用不動産が)もともと存在しない」と回答した自治体の構成比は,事業用不動産で4.3%,公共施設でも14.6%に過ぎず,多くの自治体が中心市街地に未利用不動産を抱え,その増加に直面している現状が把握できる.またこの結果を人口規模別に見ると,人口規模が小さな自治体ほど個人商店(空き店舗)と公共施設に関して増加傾向を回答する比率が高まる.

    滞る政策的対応

    これに対して,地方自治体の多くが有効な対応策を採れてはいない.まず,民間の未利用不動産(空きビル・空き店舗)の利活用に向けた経済的支援に関しては,「特に支援していない」と回答した自治体が最も多く(37.7%),次いで「家賃補助や家賃減免」が36.8%で続いている.逆に,経済的負担や事業リスクが大きい「自治体による建物・底地の買い上げ」は1.3%に留まり,予算規模の限界から自治体が独自で取り得る対応には限界があることを示唆している.その一方で,中心市街地のダウンサイジングを政策目標に掲げた自治体は極めて少ない.中心市街地のダウンサイジングを「実施した」あるいは「具体的な計画を策定中」とする自治体は全体の6.1%にすぎず,80%近い自治体が「検討したことはない」と回答するなど,撤退戦略を政策目標とすることの難しさを示唆している.補助金を含む公的資金の調達が厳しい状況下において,事業の遂行に不可欠となるのがREITなど不動産投資主体による民間ベースの資金調達チャネルである.しかし,不動産投資主体による不動産取引を支援する部署・相談窓口を持つ自治体は1.3%に過ぎず,87.7%の自治体は民間ベースでの資金調達を支援する手段や情報収集を講じていない.

    結論と展望

    以上の結果は,日本の地方都市において,オフィスや小売商業を中心とする旧来型の経済活動が縮退し,事業用不動産や空き店舗の増加が未利用不動産を増加させる現状を示している.こうした状況の下で,経済拡大期の典型的な「活性化」手法であった再開発事業や公共事業を導入可能な中心市街地は事業採算性の点でおのずと限定される.地方都市がその持続を図るためには,無秩序な郊外開発に歯止めをかける一方で,中心市街地の未利用不動産を再利用する資金調達手段,中期的な採算性を確保できる事業計画,そして都市計画を含めた地方自治体の支援スキームが重要となる.

    【参考文献】

    箸本健二,2016.地方都市における中心市街地空洞化と低利用不動産問題,経済地理学年報62-2, 121-129.

    追記.本研究は,科研費基盤B(課題番号25284170, 代表者:箸本健二)の成果の一部である.
  • 北村 繁
    セッションID: 431
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    中米・エルサルバドル東部パカヤル火山周辺に堆積する軽石層について、弘前大学理工学部・柴研究室の波長分散型X線マイクロアナライザー(WDS)を用いて、火山ガラスの主成分化学組成分析を行った結果、本地域の多数のテフラは概ね4つのグループに分類でき、また、エルサルバドル西部のコアテペケカルデラ起源とするテフラや中部のイロパンゴカルデラを起源のテフラとは、主成分組成が異なっており、明瞭に判別できる。
  • 植木 岳雪
    セッションID: 438
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    四国南東部,高知県室戸半島の安田川については,下流の平野ではMIS4から3に形成されたと考えられる2面の段丘が分布し,中流から上流の渓谷では4段の連続性の悪い段丘が分布する.上流の馬路村馬路において,現河床から約25 mの比高を持つ段丘上で掘削されたボーリングコアの深度129~135 cmのシルトと深度180~187 cmの砂のAMS 14C年代は完新世初頭であった.そのことから,安田川の上流では完新世初頭からの平均下刻速度は約4 mm/年であり,最終氷期の河床縦断面は現在よりも急勾配であったが,上流では侵食段丘が形成されていたことがわかった.
  • 柴辻 優樹
    セッションID: 615
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

     本研究では東京都区部を対象に、ひとり親世帯の地理的分布および集積地を明らかにすることを目的とする。Winchester(1990)は、「ひとり親世帯は先進諸国の中で急速に増え続けている家族類型であるが、地理学者の間ではその地理的分布や社会経済的な特徴については未だ研究が不充分である」(p70)と指摘している。日本では母子世帯の住居問題を軸に東京都区部の分布を示した研究(由井・矢野、2000)や、沖縄の母子世帯が直面している就業・保育・住居問題を総合的に分析した研究(久保・由井、2011)があるが、研究蓄積が限られている。厚生労働省の調査(2015)によれば、ひとり親世帯は絶対数・割合共に年々増加を続けており、以前にも増して大きな問題となっている。本研究では、東京都区部に居住するひとり親世帯の地理的分布および集積地の状況を明らかにする。なお、本研究では先行研究で触れられることの少ない父子世帯についても対象とする。

    2.分析手法

    統計データと地理情報システム(GIS)を組み合わせ、ひとり親世帯の地理的分布を示す。統計データは東京都が公開している平成12、17、22年の国勢調査小地域統計データを用いる。当該データは小地域毎の父子・母子世帯数が記されており、それぞれを核家族世帯数で割ることで「父子世帯率」と「母子世帯率」を求め、その値を分析で使用する。GISを用いた分析では、父子・母子世帯率を用いてコロプレスマップを作成し、分布状況を概観する。それに加え、Global Moran's I統計量とGetis-Ord Gi*統計量を求め、ひとり親世帯のホット/コールドスポットの特定を行う。

    3.分析と解釈

     分析結果の例として、図1に平成22年の父子・母子世帯率のGetis-Ord Gi*統計量に基づくホット/コールドスポットを示す。ホット/コールドスポットは信頼区間の設定(90,95,99%)により三段階に分かれており、赤はホットスポット、青はコールドスポットを表す。父子世帯の集積としては、足立区や中央区の一部でホットスポットの存在が確認できる。一方、母子世帯は足立区の広範な地域を初めとし、中央区、港区、新宿区、大田区、江東区、墨田区、板橋区、江戸川区の広い範囲でホットスポットが確認でき、父子世帯とはホットスポットの領域が大きく異なる。また、コールドスポットは父子世帯では世田谷区で小さく認められる程度であるが、母子世帯は世田谷区~杉並区や大田区の一部でコールドスポットが認められ、母子世帯と同様領域が大きく異なる。これは、父子世帯数が最大の地区でも15世帯と、その数が母子世帯の140世帯と比較すると少ないため、差異が生まれにくいことが理由の1つと考えられる。集積の傾向としては、平成12年、17年、22年間で大きな変化は見られないが、ホット/コールドスポットの領域に変化が生じていた。

    4.おわりに

     本研究では、複数年時の統計データおよびGISと空間統計手法を用いることで、ひとり親世帯の地理的分布およびその時系列変化を把握することが出来た、今後は、ひとり親世帯の集積地及びその変化の地理的要因や、父子・母子世帯の地理的分布の差の要因等について明らかにしたい。

    ・主要参考文献

    厚生労働省 2015.ひとり親家庭等の現状について

    (http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-1190000

    Koyoukintoujidoukateikyoku/0000083324.pdf)

    久保倫子・由井義通・久木元美琴・若林芳樹 2011. 沖縄県

    におけるひとり親世帯の就業・保育・住宅問題 地理空間

    4-2 81-95

    由井義通・矢野桂司 2000.東京都におけるひとり親世帯の

    住宅問題 地理科学 Vol.55 no.2 pp77-98

    Winchester H.P.M. 1990. Women and children last: the

    poverty and marginalization of one-parent families

    Transaction of the Institute of British Geographers,

    New Series, 15: 70-86
  • -移住者の居住地選択および教育経験を事例に-
    申 知燕
    セッションID: 718
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

     グローバル化の進展による世界経済の統合と,通信・交通技術の発展によるモビリティの増加は,より多くの人々の国際移動を可能とさせた.過去の国際移住は先進国での経済的安定とホスト社会への同化を追求する永住型移民が多かったが,近年は移住の目的や様相が多様化し,中でも多方向的な移動や母国との強い結びつきを特徴とするトランスナショナルな移住が見られるようになった.

     世界政治・経済の中心地となってきた先進国の大都市は,かつても多くの移民を受け入れてきたが,グローバルシティとしての機能を持つようになった一部の都市では1980年代以降,国際移住者を急激に吸収した.トランスナショナルな移住者集団は主にグローバルシティに流入し,独自の生活空間やネットワーク,文化を築き上げ,都市のあり方を変化させている.

     そこで,本研究では,グローバルシティとしての大都市に集まる新たな移住者は,従来の移民とは異なり,移住のあらゆる面においてトランスナショナルな性格が色濃く現れていることを確認したい.具体的には,韓国系移住者(以下韓人)を事例に,移住の目的や移住歴,居住地,ロンドンでの生活状況を分析し,新たな移住者の移住戦略と行動を把握しようとした.本研究にあたっては,2015年8月,2017年3月および6月に現地調査を行い,移住者個人および教育機関関係者から得たヒアリング資料を収集・分析した.



    2.事例地域の概要

     本研究では,イギリス・ロンドン市を選び,特に韓人の集住地であるニューモルデン地区,ならびに分散的な居住が見られる市内中心部に注目した.ロンドンにおいては,かつて旧植民地や英連邦出身者が移住者の多くを占めていたが,グローバル化やEU結成とともに他地域からの移住者も増加した.韓人の移住は1980年代から本格化しており,ロンドンにおける韓人人口は市内全体で約2万人,そのうちニューモルデン居住者は約1万人に上る.ニューモルデン地区には韓人商業施設も集積しており,コリアタウンとして認識されている.



    3.知見

     本研究から得た結論は以下の3点である.

     1点目は,1980年代以降ロンドンに移住した韓人は高学歴・高所得の専門職従事者が多く,一般的に想定される永住目的の労働移民とは区別される点である.このような韓人移住者集団の存在から,ロンドンのグローバルシティ化が既存の移民以外にもトランスナショナルな移住を新たに引き起こしてきたこと,ならびにロンドンが経済的,社会的,文化的資本が集中したグローバルシティであるからこそ移住者が発生していることがわかる.

     2点目は,ロンドンにおける韓人の居住地分布は,新たな移住者の性格から,既存の移住理論で想定されていた立地とは異なる様相を見せる点である.韓人はエスニック・エンクレイブでの集住とホスト社会への同化という過程を経ないで,ロンドンにおいて就職・転勤・留学している.そのようなキャリアパスに合わせて,駐在員や家族連れの移住者は,ニューモルデン地区でゆるやかな集住を行っており,集住地の性格もエスニック・エンクレイブよりは民族郊外に近い.また,若年層や単身者層は郊外より都心の良質な居住地を好むため,市内中心部に分散し居住している.

     3点目は,韓人の居住地選択とコリアタウンの立地からは,教育面においてトランスナショナルな側面が著しく見られる点である.韓人移住者は,今後のさらなる国際移住の可能性を考慮しながら自分や子供の教育を行う.そのため,成人の場合はロンドン市内の名門大学,子供の場合は現地の小中高等学校への進学を志向しており,居住地選択にも影響を与えている.ニューモルデン地区の立地も評価の高い学区と関連があり,より良い教育を求める様子が伺える.また,ニューモルデンのコリアタウン内にある名門校入学のための韓国人向け学習塾においては,韓国本土でみられる塾文化が移植されるなど,移住母国との強いつながりもみられる.本発表では,留学生・保護者・教育機関関係者とのインタビューデータを用い,トランスナショナルな国際移住を考慮したキャリアパスの設計が移住先の居住地選択と集住地の教育文化に及ぼす影響を論じる.
  • 「d47」と現代の地域文化消費
    濱田 琢司
    セッションID: 739
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.地域文化と「デザイン」

     2000年前後より,地域の「伝統的」な物産やもろもろの行事などに,「デザイン」が付加されている状況が良くみられるようになってきている。日本酒や物産のパッケージ,手工芸などのパッケージや商品それ自体,地域の文化イベントなど,様々な対象において,そうした「デザイン化」が行われている。一方で,こうした状況のなかにあって,まったく「デザイン」されていない物産もまた注目されることがあり,一部のセレクトショップなどにおいて,そうしたものが扱われてもいる。前者では「デザイン」が,後者では「非デザイン」が,それを価値づける要素となっており,地域文化の現在的な消費を考えるうえで,「デザイン」という要素は,重要なものの一つとなっているといえる。本報告では,こうした地域文化と「デザイン」との関わりの一側面を D & DEPARTMENT PROJECTという企業と,ここが手がける「d47 MUSEUM」というギャラリーおよびその企画から検討する。



    2.D & DEPARTMENT PROJECTとナガオカケンメイ

     D & DEPARTMENT PROJECT(以下,「D.」とする)は,2000年に,デザイナー・デザイン活動家のナガオカケンメイ(1965-)を代表に,インテリアなどのリサイクル・販売を手がける会社として設立された。「D & DEPARTMENT」というショップもオープンさせ,廃盤商品のデットストックなどを多く取り扱っていく。その際に,「息の長く続いている,いいデザイン」と定義される「ロングライフデザイン」をキーとして,そうしたものの再評価や,廃盤となったかつての「ロングライフデザイン」の復刻事業などを展開することとなる。

     ナガオカケンメイが,D.において,地域の文化に関連する事業を展開していくことになる契機の一つは,2008年に銀座松屋において開催された「デザイン物産展ニッポン」において,その企画のコーディネートをナガオカが務めたことであった。同展は,「デザインにも,ふるさとがある」という発想から,「ふるさとにあるデザインが何を考え,どう活躍しているか」(ナガオカケンメイ「デザインのふるさと」,同展図録)を,47の都道府県ごとにピックアップし,紹介した企画展であった。この企画を主導するなかで,ナガオカは,47都道府県それぞれにある「デザイン」を発見し,紹介するという事業を,D.における重要なものとして位置付けていくようになる。



    3.「d47」という取り組み

     こうした流れを受けてD.では,47都道府県を基軸とした二つの事業を立ち上げる。一つは,『d design travel』という観光ガイドブックで,「土地の個性を生かしたデザインを巡る旅」としての「デザイン観光」を紹介しようとするものである。都道府県を単位として順次発行され,2009年の『d design travel HOKKAIDO』を皮切りに,2018年1月現在22号まで刊行されている。

     そしてもう一つが,2012年に開業した渋谷ヒカリエ8階の「クリエイティブフロア 8/」に展開される「d47 MUSEUM」「d47 design travel store」「d47食堂」である。このうち,「d47 MUSEUM」は,1m四方ほどの展示台が47台常設され,企画のテーマにもとづいて,47都道府県の物産や事物を展示するギャラリー施設である。また,『d design travel』が新たに刊行されると,その内容にあわせた当該都道府県の企画展も開催される。『d design travel』関連展をのぞくと,これまでに,「ニッポン47ブルワリー─47都道府県のクラフトビール展─」「47 accessories─47都道府県のアクセサリー展」「みんなのスーパーマーケット─47都道府県のご当地スーパー展」「47 GIFT 2013─お中元─」「47麺 MARKET─47都道府県のローカルな麺集めました─」などといった企画展が開催されている。企画のなかには,必ずしも「都道府県」ではないものも含まれるが(それでも47という数字には拘る形で企画されている),「d47 MUSEUM」は,基本的には,「47都道府県」を展示する場としてある。報告では,この「d47 MUSEUM」の企画において,「47都道府県」がどのように表象されているのかを検討しつつ,地域文化の現在的消費の一端を考察する。
  • 浅川 俊夫
    セッションID: S309
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    自然災害や防災に関わる学習の重要性が高まり、中等地理教育でも充実が図られている。しかし、ハザードマップはすべての教科書で扱われているが、ハザードマップを読んだり、自然災害の背景を考えたりする手がかりとなる地形分類図は中等地理教育でほとんど取り扱われていない。
    学習指導要領が示す指導内容では、発表者がかつて小地形学習の導入として地形分類図を使った授業を実践したように自然環境や地域調査などで取り扱うことが可能と考えられるが、教科書での地形分類図掲載数は極めて少ない。地形分類図の活用にあたっては、中等地理教育に携わる教員に、その存在そのものが知られていないこと、内容が難しいことなどの課題がある。
  • 高玉 秀之, 奈良間 千之, 山之口 勤, 田殿 武雄
    セッションID: P210
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    近年の著しい気候環境の変化において,半乾燥地域の中央アジアにおいて,水資源である山岳氷河や山岳永久凍土の現状を把握することは重要な課題である.山岳永久凍土の空間分布の把握に関しては,その存在指標である岩石氷河を用いた研究が世界の山岳地域でおこなわれている(Wang et al., 2017).これまで岩石氷河は氷と岩屑の供給源の違いから,氷河起源型と崖錐起源型の二つに大別される(松岡,1998).氷河起源型の内部氷には氷河氷と永久凍土が混在するため,気候環境からみた山岳永久凍土の空間分布を調べる際に,氷河起源型岩石氷河を直接用いるには注意が必要である.調査地域である天山山脈北部地域では,氷河起源型岩石氷河の割合は崖錐起源型よりも大きく,水資源としても大きな体積を占めるが,氷河起源型岩石氷河の成因や発達過程はよくわかっていない.そこで本研究では,天山山脈北部地域において,差分干渉SAR解析,イメージマッチング,現地調査から,氷河起源型岩石氷河の詳細な地表面変動解析をおこなった.
  • 高橋 尚志, 須貝 俊彦
    セッションID: P205
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    長期的な山地からの土砂流出過程を解明するためには,河川上流域における様々な地形形成プロセスの相互作用,およびこれらの気候変動に対する応答性を評価する必要がある.本―支流合流点付近の地形発達過程を復元することで,支流から本流への土砂供給様式とその時間的変化を議論することが可能である.Takahashi and Sugai (in press)は,多摩川上流域の本―支流合流点付近の地形発達史を復元し,最終氷期の本流の河床上昇によって,合流点の高度が上昇したことで,一部の支流が土石流渓流から掃流支流(島津, 1990)へと変化したことを指摘した.これは,間氷期と比較して氷期には山地流域全体で土石流による本流への土砂供給が相対的に不活発になった可能性を示唆する.今後,気候変動に伴う本流の河床上昇・低下に対して,様々な勾配をもつ支流がどのように応答して河床勾配や土砂供給様式を変化させたのかを検討し,山地からの土砂流出過程を一般化する必要がある.本報告では,堆積段丘の発達する関東地方,荒川上流域(秩父盆地とそれより上流域)を対象に,河成段丘面の地形計測,支流の集水域の地形解析,ならびに段丘堆積物の露頭観察を行い,最終氷期以降の支流の河床勾配変化および荒川本流への土砂供給様式の変化について議論する.
    荒川は関東山地に端を発し,秩父盆地,狭窄部を経て,関東平野へと流出する.本報告では,荒川上流域のうち,三峰口より上流を「源流域」,三峰口~皆野区間を「秩父盆地」と定義する.源流域は秩父帯・四万十帯の付加体堆積岩類が,秩父盆地は第三紀の堆積岩類が基盤を構成する.荒川流域には,後期更新世の河成段丘面群が顕著に発達し,特に秩父盆地には,最終氷期の堆積段丘面である影森面と,晩氷期頃の侵食段丘面の大野原面が発達する(吉永・宮寺,1986).影森面は,支流性堆積物と一部指交する20~30 mの厚い砂礫層から構成される.秩父盆地最上流部の三峰口付近で影森面は大野原面へ収斂し,源流域には大野原面のみが分布する.
    秩父盆地では,集水域起伏比600~50‰程度,現河床勾配500~10‰程度の支流が合流する.秩父盆地最上流部の三峰口付近では,厚さ30 m以上の影森面構成層が観察される.三峰口左岸では,小支流が約120‰程度で合流する.この小支流の合流点付近の影森面は支流流下方向に約50‰で傾下する.影森面構成層最上部7 mは,最大礫径15 cm程度の支流性角礫層から構成される.
    源流域では,集水域起伏比960~200‰,河床勾配800~20‰程度の支流が合流する.大野原面の背後は,緩斜面となっている.ただし,緩斜面の末端は大野原面形成時の河川の側方侵食によって小崖を成しており,大野原面にスムーズに連続してはいない.これらの緩斜面は支流性または斜面の角礫層から構成され,基質は明褐色ローム質土壌から成ることから,最終氷期の支流・斜面性の堆積地形であると考えられる.これらの緩斜面のうち,支流性と考えられる地形面は,現在の支流によって開析され,支流流下方向に300~100‰程度で傾下する.この勾配は最終氷期の支流の河床勾配を示すと考えられ,それぞれの支流現河床の勾配よりも概ね緩い.
    秩父盆地最上流部の影森面構成層上部および源流域の緩斜面は,最終氷期に支流・斜面が形成したものと考えられる.最終氷期の荒川本流の河床上昇後,本流河谷内の支流合流点付近には支流・斜面の土砂が滞留し,これらの堆積地形が発達したと考えられる.また,これらの地形は晩氷期頃の本流の側方侵食によって段丘化し,滞留していた支流・斜面の土砂が再移動した.支流・斜面の堆積物が,最終氷期に滞留し,晩氷期に再移動したことで,それぞれの時期の本流の流量に見合った量の土砂が本流に取り込まれ,本流の平衡状態が継続し,影森面および大野原面が形成されたものと推測される.
    荒川源流域および秩父盆地最上流域における,最終氷期の支流河床勾配は現在のそれよりも小さい.このことは,現在と比較して最終氷期には,支流合流点の高度がより高い位置にあり,支流の河床勾配が小さかったことを示す.最終間氷期に現在と同様の深い河谷が形成されていたとするならば,最終氷期の本流の河床上昇によって,支流合流点高度が上昇し,支流の河床勾配が減少したと推測される.源流域の支流は,最終氷期中も土石流停止勾配以上の勾配を保ったことにより,本流へと土石流によって土砂を運搬することが可能であった.一方で,秩父盆地の一部の支流は,最終氷期に土石流停止勾配を下回り,間氷期と比較して土石流による本流への土砂供給が不活発であったと考えられる.これは,秩父盆地の支流の多くが,源流域の支流と比較して集水域起伏比が小さいこと,ならびに集水域の基盤が第三紀層によって構成されることによるものと考えられる.
  • 山崎 康熙, 堀内 雅生, 小寺 浩二
    セッションID: P110
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    河川環境は我々の生活に密接にかかわっており、洪水、さらには洪水時に限らない水質の悪化は我々の生活に大きな打撃を与える。そこで河川ごとに継続的な調査を行い、その流域の特徴を把握することは非常に重要である。北海道東部十勝川流域では2016年8月に台風が連続して接近し、浸水・橋の流失など大きな被害が生じた。今回はこれら被害の把握や水質調査結果をもとに十勝川水系の総合的な水環境についてまとめる。
    Ⅱ 研究方法
     既存資料のレビューを行い、現地調査を行った。調査日は2016年11月、2017年2月、6月、10月で、現地ではAT,WT,pH,RpH,ECの測定を行い、採水したサンプルは後日、実験室で主要溶存成分とTOCの分析を行った。
    Ⅲ 結果・考察
    1.洪水被害
    洪水による被害は家屋・農地の浸水、橋台背面の洗掘などによる橋梁の流失、鉄道・道路被災による交通網途絶などである。橋梁の流失被害に関しては、2017年10月調査時点でも復旧工事が完了していないものも存在している。また被害の特徴として支流・上流域で多く氾濫が発生した事が挙げられる
    2.河川のEC
    十勝川本流の上流では100μS/cm前後の値が観測されたが、流下するにつれて値が上昇し、最下流部では170μS/cm前後の値がみられる。各支流の上流部は値が100μS/cm未満が多いものの、下流付近では200μS/cm近くまで上昇している。また、隣り合う沢同士で値が異なる地点が存在し、土地利用の違いなどの要因が考えられる。利別川支流の足寄川では高いECが観測されており、温泉水等の流入が考えられる。
    3.河川のpH
    全体的に7前後の地点が多い。ただし、音更川下流や利別川とその支流の足寄川で値が高い。また、音更川上流の支流であるユウウンベツ川で高い値がみられた。一方、雌阿寒温泉付近の沢では6.6を観測した。雌阿寒温泉のpHは6.1で温泉水が河川に流入していることが考えられる。また、RpHとpHの差がこの地点では大きい。
    4.主要溶存成分
    十勝川では陽イオンにCa,Naが多く、陰イオンはHCO3が多い。また、流下するにつれてNO3が増加している。各支流の水質組成は様々で、Ca-HCO3型を示すもの、Ca-SO4型を示すものなどが存在する。また、多くの支流でNO3が見られている点も特徴的で、農業などの影響が考えられる。足寄川やその支流では陽イオンのMg、陰イオンのCl比率が高まることなどほかの河川には見られない特徴がある。この組成は雌阿寒温泉のものと近い。音更川上流部の支流ユウウンベツ川ではNa-HCO3型がみられた。
    Ⅳ おわりに
     台風による洪水被害は人的被害にとどまらず、農業・交通など甚大なものであった。河川水質に関しては平野部の多くでNO3が溶存しており、農地の影響が考えられる。今後は、支流ごとに土地利用や農地利用を整理し、水質の考察を進めていきたい。
  • 坂田 晴香, 立花 義裕
    セッションID: 533
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    気候が寒冷な氷期から温暖な間氷期へ遷移するとき,高緯度域に拡がっていた氷床は融解・後退し,海水面は約120m以上上昇した.それにより,かつての陸域は海域に塗り替えられた.過去約2万年にわたる大規模な気候の相転移は,人類の住まいのみならず,文明水準の変容を強いたかも知れないが,古気候学的な観点からの詳細な時空間分析はなされていない.そこで本研究では,全世界における最新の遺跡資料を統合し,古環境の変遷にともなう先史時代の居住域や文明水準の時空間的特徴を捉えていく.
  • 東日本大震災の被災地(宮城県)を事例として
    観山 恵理子
    セッションID: P136
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     近年,気候変動などにより,世界的に大規模な自然災害のリスクが高まる中で,災害に起因する地域農業の長期的な変化と適応に関する研究の重要性が高まっている.とりわけ,地域における人々の紐帯や信頼関係といった社会関係資本が災害後の被害状況や復興に及ぼす影響が注目されている.しかし,大規模な自然災害を契機とした社会関係資本の変容と地域農業の復興については,事例数が少ないこともあり,特に先進国を対象とした研究が少ない.
     本研究では,2011年3月に発生した東日本大震災の津波被災地である宮城県の沿岸部におけるアンケート調査を通して,地域における社会関係資本の変容と農業経営回復の傾向を分析する.

    2.アンケート調査の概要
     アンケートの内容は,(1)震災前後の営農状況と今後の営農に対する意向(2)被災の程度とその対応(3)ご近所づきあい等を含む人と人とのつながりや信頼感の変化(4)世帯属性に関する設問である.アンケート用紙は郵便局によるタウンプラスを利用して対象地域のすべての世帯に宛名無しで投函し,郵送によって回収した(表1).

    3.アンケート調査の結果
     有効回答件数513件のうち,農家世帯176世帯については,震災前と比較して個別経営が減少し,集落営農や農業生産法人の経営に参画するか,農業をやめるケースが多かった.また,農業従事者数は「変化なし」が61%と最も多いが,減少した世帯も22%あった.農業をやめた,あるいは経営耕地面積を縮小した世帯については,他人あるいは法人に耕作を委託したという回答が最も多かった.農業を縮小した理由としては震災で失った設備・機械などを用意できないからという回答が最も多く,個別の世帯では津波で失った設備への再投資が難しかったことがうかがえる.以上より,個別の農家世帯は経営規模を縮小させ,地域としては農業経営を共同化する傾向がみられることが確認された.一方,震災後も個別での農業経営を継続している世帯では,今後10年間は現在と同じ規模で個別の農業経営を維持したいと考える農家が最も多かった.
     人と人とのつながりに関する設問では,概して震災前後でボランティア活動や趣味の活動の平均的な時間は変化しなかったか,あるいはやや増加傾向にあることが読み取れた.この結果は,震災をきっかけにボランティアや地域活動への参加の機会が増えたり,関心が高まったりした可能性を示唆している.
     しかし,一方で,震災後に玄関の鍵をかけずに外出する人が減少し,被災直後に空き巣等の犯罪の被害にあったと答えた人の割合や,「基本的に人は自分の利益のためだけに行動すると思う」と答えた人の割合が高くなっており,概して他人への信頼感が低下しているという結果が出た.

    4.おわりに
     震災後は個別経営から集落営農や法人経営に移行し,農業経営を共同化する傾向がみられる.震災後も個別経営を維持している農家は今後も同規模での農業経営を希望する割合が高かった.また,ボランティアや地域活動への参加の機会が増加した世帯が多い一方で,震災後に一時的に治安が悪化した,見知らぬ土地へ移住したなどの原因により,他人への信頼感が低下する傾向が認められた.
     今後は,人と人とのつながりや信頼感の変容が個別の農業経営に及ぼした影響を分析し,社会関係資本と農業の復興との関係を明らかにすることが課題である.
  • 堀内 雅生, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛, 浅見 和希
    セッションID: 511
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
     火山地域では水資源が豊富で、保全、利用のためには水環境問題の把握が重要である。噴火による水環境汚染は火山噴出物から溶出した成分により広範囲な汚染が発生すると考えられる。これを踏まえ、2015年6月29日に箱根山の大涌谷で発生した噴火が周辺水環境へどのような影響を与えているか研究を始めた。これまでの調査で、大涌沢では噴火から時間が経つにつれてECが低下する傾向がみられた。
    Ⅱ 研究方法
     調査は毎月1回の間隔で実施しており、河川・沢・雨水を中心に、現地でAT,WT,pH,RpH,ECなどを測定した。さらに採水したサンプルを持ち帰り、研究室にて主要溶存成分等の分析を行っている。
    Ⅲ 結果・考察
     1.河川の濁り
     噴火後は大涌谷から流れる大涌沢が強く白濁し、早川と合流後も濁りがみられ、下流まで続いていた。長期的に濁りは薄くなる傾向がみられているが、降雨などによって河床に堆積している物質が押し流され、濁りが強くなる時がある。
     2.河川のEC・pH
     早川ではEC、pHが200~400μS/cm、7~8で変動し、噴火後の調査では目立った値の変化は見られなかった。大涌沢では噴火直後の調査で6,780μS/cm、pH2.4の高EC・低pHを観測した。長期的には大涌沢のECは低下する傾向がみられ、1608以降では3,000μS/cm前後で安定している。pHに関しては噴火直後と比較して高い値が観測されている。その他、箱根には温泉排水の流入が考えられる変動が大きい地点も存在する。
     3.主要溶存成分
     早川では上流域でCa-SO4型がみられているが、中流域よりNa-Caの割合が増す。大涌沢では噴火から時間が経つにつれ、Cl-が低下する傾向がみられている。一方でSo42-は目立った減少はみられていない。Cl/SO4の比率で見ると、1507は1.1であったものが、1707では0.2に低下している。主要な陽イオン比に関しては陰イオンと比較して変化は少ない。
     4.雨水
     雨水は9地点でサンプリングしているが、大涌谷に近い地点で高EC(最大230μS/cm)、低pH(最低3)が観測されている。1604~1608では採取した雨水に含まれる成分量が多くなった地点があり、火山ガス濃度との関連が考えられる。
    Ⅳ おわりに
     大涌沢の陰イオン成分比が噴火から時間が経つにつれて変化していることが分かった。今後は流出を考慮し、定量的な解析を行っていく。
  • 李 小妹
    セッションID: 813
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    中国では1992年以降、国家旅遊局による国内観光事業の促進と共に、全国各地で遺産文化や民族文化などを対象とした文化の商品化が顕著に見られるようになった。文化の商品化の産物として生産されるのはテーマパークや民族園などの観光空間だけではない。同時に、文化に対する考え方や物へのまなざしも生産され、また都市的ライフスタイルとして消費されるのである。本発表では、テーマパーク観光で知られる深圳華僑城エリアを事例に、1985年から2017年現在まで、観光空間・都市空間の開発において、何が文化として、どのように商品化されてきたかについて検討し、生産される都市空間のスペクタクルの背後にどのような政治的社会的背景と意味があるかに迫りたい。
     中国の観光事業と文化の商品化を牽引しているのは、観光開発と不動産開発を中心事業とする大手国有企業(国務院国資委管理下の中央企業)の華僑城グループ(Overseas Chinese Town Group, 以下OCTと略す)である。OCTは、1985年に設立されて以来、深圳中心部にある華僑城エリアにおいて中国初のテーマパークを建設し、「文化観光+不動産開発」という開発モデルを成功させ、上海や西安や成都など全国各地に開発事業を展開してきた。
     早期に開発されたテーマパークの錦繍中華微縮景観(1989年9月開園)と中国民俗文化村(1991年10月開園)では、中国の歴史と文化が商品化されている。具体的には、錦繍中華では(黒竜江省と吉林省を除いた)31の一級行政区から80点ほどの遺跡建造物や自然景観のレプリカが展示されている。レプリカの空間的配置は現在の中国の地理に従わせたもので、国家領土の可視的ランドスケープを作り出している。民俗文化村では、選ばれた24の民族の実物大のパヴィリオンで、文字・宗教・手工芸品・民族衣装・舞踊など「伝統的」とされる民族文化が展示されている。1994年に開園した世界之窓は、改革開放の窓口という深圳の位置づけを物語っている。
     1998年の歓楽谷(ディズニーランドに似たアトラクション中心の遊園地)の開園によって、国家や民族や世界という大きな物語に特徴付けられる文化の商品化から、娯楽性や余暇消費などといったより日常的で物質的な消費文化が売り物にされるようになった。2000年以降、錦繍中華・民俗文化村(2003年より合併)では中国の伝統祝祭イベント、世界之窓では外国の祝祭イベントが定期的に開催されるようになった。深圳を国内随一の祝祭都市と変貌させた。さらに、2000年代半ばから、湿地・海浜などエコツーリズム開発(自然の保護や復原)や、無形文化財の保護と開発など、都市開発における文化の商品化が多様化しながら広まっている。
     2006年に開業した華僑城文化創意園(LOFT)を皮切りに、中国各地において華僑城をモデルに文化創意園区や文化創意空間が作られるようになった。開発事業を直接OCTに任せるケースも多い。甘坑客家小鎮(深圳市龍岡区)はOCTが2016年末に深圳市政府から受け継がれた開発事業である。ここでは、2011年に市の無形文化財に指定された「客家涼帽」という客家文化を切り売りする商業空間が現在進行形で作られている。開発途中であるにもかかわらず、すでに「8個国家級文旅特色小鎮」(2017年7月中共中央文化部)のトップに選定され、表彰された。
     1988年12月より中央テレビCCTVによる華僑城開発に関するドキュメンタリーが放送され始めた。それ以来、CCTVや地方テレビによる華僑城の開発事業やOCTの経営発展などに関する特集報道が頻繁に行われている。メディアによる報道の開始は華僑城のスペクタクル化の始まりを意味する。華僑城は加工業開発の傍にテーマパーク開発を始め、「国家」と「民族」を観光資源として領土(国家)と民族(国民)の可視化する「戦術」で成功した。錦繍中華・民俗村という国家と民族のスペクタクル空間が華僑城のいかなる観光+不動産開発も正当化してくれる。商品と消費のスペクタクルは政治的経済的イデオロギーの消費によって支えられている。スペクタクル空間の生産において、中央政府や中央企業(もしくは)による表象が独占的な位地を占めている。都市住民、しいて国民が受動的な消費生活を送る従順な「観客」として育てられている。
  • -観光ひな祭りを事例として-
    古河 佳子
    セッションID: P312
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

    近年,日本における地域振興の手法の一つとして,観光産業が注目されている.そうした観光による地域振興手法は,今日,多くの地域で試みられる傾向にある.

    1970年代から,観光キャンペーンや文化財保護法の施行を背景に,国内観光は日本らしさや伝統文化を新たな素材とするようになってきた.この結果,都市化の波から取り残された地域で,自地域の資源を活用して観光を誘致する取り組みがなされるようになった.

    観光による地域振興については,住民意識や活動の影響など,地域内での展開に着目した研究が数多くあるが,本稿では,個別地域内での展開ではなく,実施地域間の関係に着目する.この関係を解明することは,類似の地域振興手法が広がっていく現象を理解し,その趨勢を把握する一つの糸口になると考える.本稿では,全国的に活用されている観光素材として,観光ひな祭りを取り上げ,地域同士の情報の伝播や広域的な関係が全国的展開をもたらした過程と,全国的展開へ向かう動きが収束した後における広域的な関係に焦点を当てる.

    ここでは,観光ひな祭りの概要と地域間の関係を広く把握するために,全国的展開の核となった徳島県勝浦町,大分県日田市を中心とした12か所のひな祭り関係者に対する聞き取り調査(2017年3月~11月実施)に加え,69か所のひな祭り関係者に対するアンケート調査(同年10月実施,回収数40,回収率58.0%)を行った.



    2.観光ひな祭りの概要

    観光ひな祭りとは,家庭の習俗であったひな祭り・ひな人形を素材として,2~3月の特定の時期に,町内の軒先や公共施設に飾りつけをする観光イベントのことである.観光ひな祭りは,1990年代から2000年代にかけて全国的に広まり,筆者が把握しているだけでも130以上の地域で実施されている.特徴としては,2月の観光オフシーズンに合わせて開催される傾向にあるほか,ひな人形が地域内で調達可能であるため,必要な資金が少額で済むことや,住民を巻き込み,なかばボランティア的に開催できることが挙げられる.これらの特徴が,各地で類似のイベントが急速に広まることを後押ししたと考えられる.また,直接的には採算性に乏しいこともあり,観光振興だけでなく,地域内のコミュニティや住民のアイデンティティに対する効果も含めた目的をもって実施されている.



    3.観光ひな祭りの全国的展開と交流形成

    観光ひな祭りの広域的展開には,①形式の伝播,②開催手法の伝承,の二種類の過程が存在する.①形式の伝播は,他地域から「ひな人形を町に飾る」というアイデアを取り入れるが,自地域で開催する過程は手探りで行うというものである.②開催手法の伝承は,開催地域が先進地域とのネットワークやイベント成功への強い意識を持っている場合に,先進地域からイベントや組織の運営に関する助言を得た上で観光ひな祭りを始めるというものである.

    これに加えて,送り手による働きかけが,観光ひな祭りの全国的展開に大きな役割を果たしたという面も見られる.九州のひなまつり広域振興協議会では,九州各地で,貴重なひな人形の一般公開を呼びかけるとともに,人形の鑑定やコーディネートを行っている.徳島県勝浦町では,ひな人形里親制度を通じて他地域にひな人形を提供することで,ひな祭りと強く結びついた背景を持たない地域での観光ひな祭りを実現させている.

    全国的展開に向かう動きは,2010年以降飽和状態に達しており,その結果,地域間に競争が見られるようになっているが,観光ひな祭りを実施する各地域は,他地域を競合相手とは捉えておらず,ひな祭りサミットを開く等の手段を通じて,広域的な情報交換を行い,自らの独自性を出そうとしている.しかし,観光客のルートに即して連携しようとする動きはほとんどなく,年間のうちの同じ時期に行われている利点を活かしきれていないのが現状である.また,ひな祭りが同じ時期に行われることは,広域的連携の一つの障害となっており,これらの連携が持続的に深まっているとは言えない.

     こうした結果を踏まえると,地域振興手法の全国的展開には,形式の伝播によるアイデアの入手と,開催手法の伝承があり,加えて送り手の働きかけが大きな役割を果たしていると言える.また,全国的展開が収束した後も,地域間関係は友好的であり,地域の独自性を出すために,さらなる情報交換が行われることになる.各イベントが地域の手探りで行われ,地域の特徴と深く結びついているために,他地域の模倣と認識されにくいことや,情報の送り手となる地域が,先進地域として認識されることを肯定的に捉える傾向にあることが背景にある.
  • アクティブ・ラーニング型授業の批判的検討に向けて
    木場 篤
    セッションID: 334
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     今日の中等教育における地理教育において,新学習指導要領をにらみ,アクティブ・ラーニング型授業の実践に関する研究や報告が多く見受けられるようになった。新学習指導要領では,告示後に「アクティブ・ラーニング」を「主体的・対話的で深い学び」と表記しているが,地理教育にとっての「深い学び」に関する検討は不十分である。本発表は,日本の地理教育において重点が置かれている地誌学習を対象としている。地誌学習にとっての「深い学び」の実現のためには,理論的な欠陥が伴う地誌学の問題点を認めながらも,系統地理的な理論的枠組みも踏まえた,バランスのよい地誌学習を行うことが地理教育の場に求められる(木場,2016)。
     そこで本発表では,生徒にとって政治的視点での地理的な見方や考え方をはたらかせることの難しさに着目して,「地理的スケール」を援用した地誌学習の「深い学び」の実践,さらには「地理的スケール」を地誌学習で扱う際に有効な「主体的・対話的な学び」の方法を提案する。

    2.地誌学習に「地理的スケール」を援用した協同学習導入の意義
     Marston et al.(2009)や山﨑(2010: 111-123)によると,「地理的スケール」の特徴は以下の3点にまとめることができる。①対象とする地域をミクロに見るかマクロに見るかということではなく,特定の社会的プロセスを通して形成される空間の単位を意味する,②グローバル化が進む現代社会において,世界というコンテクストの中にローカルな現象の位置づけが必要である,③利害の調整や権力の行使としての政治は,異なったスケールとの間での相互作用として展開する(スケールの政治)。
     そこで,「地理的スケール」を効果的に地誌学習に援用するために,協同学習の導入を試みた。協同学習とは小集団を活用した教育方法であるが,個々の責任が伴わない旧来の伝統的なグループ学習とは異なり,小集団内での互恵的な相互依存関係がある。具体的方法としては,ジグソー法を参考にしながら,個人をローカルあるいはナショナルなスケール,小集団をリージョナルなスケールに見立てて,個人による資料の考察や小集団による話し合いを行いながら,設定された授業テーマに取り組む。最後にクラス全体でグローバルなスケールとの関係をふまえた考察も行う。このように地理的スケールを重層的にとらえることで,地誌学習に協同学習を導入する意義を見出すことができる。

    3.授業実践の概要
     中学校第2学年を対象に,ヨーロッパ地誌の単元で「なぜトルコはEUに加盟できないのか?」というテーマ設定のもとで授業実践を行った。EU加盟国のうち,フランス,イギリス,ドイツ,スペインの4か国を取り上げて,各国が抱えている状況からトルコがEUに加盟できない理由を探った上で,EUが抱えている問題点を考察すること,さらには現代世界との関係にまで考察することを授業目標とした。

    4.地誌学習にとっての「深い学び」とは?
     地誌学習が特定の地域を一つの単元として扱う以上,その地域の範囲に対する認識が必要である。また,グローバル化に伴う地理的不平等発展が生じている中で,地誌学習は地域問題や地域格差に着目し,さらには問題解決能力を養う使命感がある。「地理的スケール」を援用した協同学習は,マルチスケールを個人や小集団に投影することになるため,地誌学習を通じて,扱う地域の範囲に対する意識づけができる。そして,重層的なスケールを関連づけながら主体的,対話的に考察することで,多角的な想像力や思考力を用いながら問題解決能力を養うことができる。

    文献
    木場 篤 2016.帰納的アプローチを意識した地誌学習の試み──南アジアの農業を事例に.地理教育研究 21: 1-6.
    山﨑孝史 2011.『政治・空間・場所――「政治の地理学」に向けて』111-123.ナカニシヤ出版.
    Marston, S. A., Woodward, K. and Jones, J. P, III. 2009. Scale. In The dictionary of human geography, 5th ed., eds. D. Gregory, R. Johnston, G. Pratt, M. J. Watts and S. Whatmore, 664-666. Oxford: Blackwell.
  • 金森 正郎
    セッションID: 335
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    高校地理ではポピュラーな教材のひとつである屯田兵村の集落形態は,大学受験参考書において「北米のタウンシップを模範にして碁盤目状の区画に散村」と説明されていることが多いが,屯田兵村区画と殖民地区画が混同されているのではないか。「碁盤目状の区画に散村」という表現について注目し屯田兵村の集落形態がどのように表現されてきたのかということを整理したところ以下のことがわかった。「碁盤目状の区画」は,300間四方の区画である殖民地区画の中区画と短冊状の地割りから構成される屯田兵村の集落の双方を表現している。「散村」は,殖民地区画における入植地と,屯田兵村における「粗居制度」あるいは「計画的散居村」との双方を表現している。異なるスケールで観察される2種類の集落形態が,同じ「碁盤目状の区画で散村」という表現になってしまっている。「散村」は屯田兵村解体後の変化のようすでもある。「碁盤目状の区画に散村」という表現は,屯田兵村の集落と殖民地区画の集落のいずれにも該当する表現として用いられてきたようであり,このことが大学受験参考書における屯田兵村の扱いの混乱の原因のひとつであろう。
  • 小寺 浩二, 浅見 和希, 齋藤 圭, 乙幡 正喜
    セッションID: 515
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    日本は高度成長期に全国で水質汚濁が問題となったが、法整備や社会全体での環境意識の高揚などもあり、急速に水質は改善されていった。しかし、現在も郊外地域へと都市化が進み、自然環境を破壊し続けている。それに従い、かつての点源汚染は面源汚染となって広がっている。新河岸川流域においても、高度成長期に水質汚濁が進み、その後改善されているが、現在でもなお水質に問題のある河川が存在する。そこで、新河岸川流域の水環境を明らかにし、水環境の地域特性を把握することを試みた。

    Ⅱ 研究方法
    2013年から2017年にかけて、新河岸川流域の市民団体と連携し、「身近な水環境全国一斉調査」で得られたサンプルを提供していただいて、研究室にて pH, RpH, ECの再測定を行なうとともに、TOC、主要溶存成分の分析を行ない流域の水環境特性について考察した。

    Ⅲ 結果と考察
    1.pH
    2013 年は、pH は7.0 前後の値がほとんどで、東川の一部地点で8.5以上のアルカリ性を示した。2014 年はバラツキが少なく、7.0 前後の値が中心である。2015 年は7.4 以上の地点は多いが、2013 年と比べて7.8 以上の地点は少なくその分布域も異なっていた。2016 年も7.0 前後の地点が多いものの、不老川、砂川堀、東川などの一部地点では9.0 を超える値が測定された。高pH の地点のRpH 値を見ると、そのほとんどが8.0 前後まで値が下がっており、このことから、植物プランクトン等の光合成による炭酸同化作用が働いていたものと考えられる。ただし、同じく天気のよかった2015年はその傾向があまり見られず、直前の降雨が影響しているものと考えられる。
    2.EC
    2013年は200~400μS/cm を示す地点がほとんどだったが、砂川堀、六ッ家川、黒目川の一部地点ではEC値が大きく、1,000μS/cm を超える地点もあった。また、当研究室が不老川で採水した水では1,670μS/cm という値が得られた。2014 年は流域全体で200μS/cm 以下の地点が多く、300μS/cm を超える地点は黒目川の一部のみであった。これは調査日前後に降水があり、流量増加に伴う希釈効果が働いた結果と考えられる。2015 年は、2013 年同様200~400μS/cmが中心だったものの、値の小さい地点と大きい地点がそれぞれ増加し、ばらつきが大きい。2016 は、さらに全体的に値が大きく地点ごとのばらつきも顕著で、800μS/cm を超えた地点が多いほか、空堀川の地点では2,000μS/cm を超えていた。
    3.主要溶存成分
    2013 年の主要溶存成分分布を見ると、様々なイオン組成が分布しているが、特に砂川堀や野火止用水、黒目川の下流部でNa+とCl-の濃度が高い。また東川と黒目川では、ある地点を境にNa+とCl-の濃度が急激に増加しており、生活排水の流入が考えられる。2014 年は降雨の影響により流域全体で低濃度かつ似通った組成を示しており、新河岸川流域の河川は降雨の影響を受けやすいことが示唆された。2015 年は、2013 年同様ばらつきのある水質分布であり、濃度の高い地点が多く、そうした地点では特にNa+とCl-の濃度が高い。2016 年もばらつきのある水質分布で、例年と同様に上流部では重炭酸カルシウム型である一方で、下流部では塩化ナトリウム型になるという傾向が見られた。またEC 値の大きい地点のほとんどで塩化ナトリウム型であることから、新河岸川流域の河川の汚染には生活排水や下水処理水が大きく影響していることが改めて示された。さらに、流域全体でNO32-も測定されていることから、農業の施肥の影響が水質に表れていることが示唆された。

    Ⅳ おわりに
    身近な水環境の全国一斉調査と連携して新河岸川流域の水質分析を行ない、流域全体の水環境特性を示した。今後は、繰り返し異常値を示した地点を中心に詳細な調査を行い、原因を探る必要がある。また、一斉調査は年に1回だけのため、新河岸川流域で水質の季節変動についても調査している市民団体と連携したり、独自に観測するなどして、一斉調査の意義を高めて継続調査をしていく必要がある。

    参 考 文 献
    丹野忠弘(2007):新河岸川水系における水質一斉調査活動, 陸水學雜誌, 68(2), 330-334.
    三井嘉都夫,松島誠司,森本亮,大杉芳明,石川裕芳,出口俊弘(1989):白子川流域における地下水・湧水の親水的役割,水利科学,32(6),1-15.
  • 浅見 和希, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛, 堀内 雅生
    セッションID: 513
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
     2014年に発生した御嶽山の水蒸気爆発噴火は、火山噴出物を放出し、飲み水として利用されている山頂域の湖沼水や周辺の河川水に影響を与えた。そこで、噴火後の湖沼や河川の水質と、噴火前あるいは1979年の噴火時の水質を比較し、今回の噴火により水質がどう変化したか把握するとともに、水質の測定を継続して時間の経過に伴う水質の変化を追うことを試みた。2017年春季大会では2017年2月までの結果を報告したが、今回は、2014年10月~2017年10月のデータを中心に、2018年2月までの結果について報告する。

    Ⅱ 研究方法
     調査はこれまでに32回実施し、現地調査項目はAT, WT, pH, RpH, EC等である。河川・湖沼の調査のほか雨水の採取も行なっている。現地で採水したサンプルは研究室にて処理したのち、TOC、主要溶存成分の分析を行なった。

    Ⅲ 結果と考察
     1.噴火後1年経過まで
     
    火山噴出物の影響を強く受けた濁川と濁川合流後の王滝川は白濁し、pHは低く電気伝導度(EC)の値が高かった。その後、pHは上昇、EC値は低下し、2015年1月末には値が安定した。その間、王滝川中の御岳湖では全循環により湖水全体に濁水が広がり、放水により最下流部では時間差でpHが低下しECが上昇する現象が観測された。融雪の影響は2月から現れ始め、4月末にピークに達した。当初の仮説に反し、pHの低下とともにECの値も低下したため、山体に堆積した火山噴出物の影響は水質には現れず、低pHの融雪水によりECは希釈されたものと考えられる。6月以降は、梅雨あるいは台風による降雨の後に、pHの低下とEC値の上昇が測定されたことから、堆積していた火山噴出物が流入して改めて水質が変化したものと考えられる。
     2.噴火後2年経過まで
     台風の時期が過ぎ、10月末になると水質は安定した。11月以降は、河川水の水質への地下水の性質の影響が観測された。2016年2月には、pHとともにEC値が低下し、改めて融雪期には希釈効果が卓越することが示されたが、1年目ほどEC値が低下しなかった。1年前の同時期と比較すると積雪量が圧倒的に少なく、積雪量の差が希釈効果の大きさにも現れたと考えられる。6月以降は梅雨や台風により火山噴出物の影響が水質に現れ、特に濁川を中心にpHやEC値が変動した。
     3.噴火後3年経過まで
     2015年時と同様、10月末には水質が安定し、11月以降は地下水の性質が河川水質に現れた。2017年に入っても降雨後には濁川を中心にpHの低下とECの上昇が測定され、火山噴出物の影響はしばらく続くものと推定される。
     4.1979年噴火との比較
     噴火から約一月後の水質組成は、1979年時と今回とで非常に似通っており、その分布も一致していた。しかし、噴火直後の濁川の水質組成を比較すると、1979年時は硫酸カルシウム型なのに対し、今回は塩化ナトリウム型で差異があり、各成分の濃度も異なっていた。

    Ⅳ おわりに
     御嶽山周辺地域の水環境に対する今回の噴火の影響とその経過が把握できた。今後も調査を継続して、引き続き水質がどう推移していくのかを追っていきたい。

    参 考 文 献
    浅見和希・小寺浩二・猪狩彬寛・堀内雅生(2017):御嶽山噴火(140927)後の周辺水環境に関する研究(5), 日本地理学会2017年度春季学術大会講演要旨集.
  • 伊藤 直之
    セッションID: P320
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の目的

    シビックプライド(Civic Pride)とは,市民が都市や地域に対して持つ自負と愛着である。筆者らは,平成26年度より,科研費基盤研究(C)一般「異学問・学校・地域との協働によるシビックプライドを育む小学校社会科地域学習の開発」にもとづき,子どもから大人までが,市民として自らの故郷にプライドが持てるような教育を考えるプロジェクトを発足した。

     本研究では,教科教育学研究者(伊藤直之)と工学(田中尚人・熊本大)・経済学(戸田順一郎・佐賀大)の各研究者が連携し,子どもたちや地域住民との協働を通して,地域社会をよりよい場所にするために関わろうとするシビックプライドの涵養という観点から,とくに小学校社会科を例にして,新しいあり方について検討してきた。



    2.シビックプライド教育のあり方

    このプロジェクトでは,各自の所属や問題関心によって意見が少し食い違うことがあるものの,次の①~③についてはおよそ共通理解が得られている。それは,①より良いまちづくりの仕方やあり方については参会者が自ら「考えてみる」ことに意義があるのであり,企画側(教える側)があらかじめ望ましい答えを用意すべきではないこと,②自分たちがより良いまちづくりに関与しているという「当事者意識」をくすぐること,③一人で考えることも大事だが,さまざまな人々との交流を「きっかけ」にすることがさらに大事であること,などである。

    そして,従来の社会科教育や地理歴史教育における性急な態度形成に対する批判に学べば,愛着や愛情の育成は,急いではならないし,目に見えるような成果を期待してはならないということかもしれない。だからこそ,筆者らはシビックプライドを「育成」ではなく「醸成」すると表現するのである。

     そして,そもそもシビックプライドは,一つの教科に過ぎない社会科だけで担い得る教育目標だろうか。その答えは,当然,否である。社会科に限らず,教科の教育だけで育まれるものでもない。学校教育だけで完結するものでもない。ここに,実社会との連携であったり,教育関係者に限らず,さまざまな分野の人々と協働する可能性が生まれてくる。

     筆者らは,教育目標としてのシビックプライドを,「市民が地域社会や環境に対して持つ自負や愛着,そして,それらをより良くする能動的な参加の精神」と定め,それを先述のような押しつけや誘導に陥ることなく,開かれた形で学んでいくスタイルの教育を「シビックプライド教育」と定義し,その起点を小学校に設定し,徳島県や熊本県,佐賀県において,さまざまな地域学習の構想と実践を試みている。



    3.シビックプライドを醸成する学習

     筆者らがこれまでに取り組んできたシビックプライドを醸成する学習は,おおむね次のように整理することができる。①フットパスコースの提案,②未来予想マップづくり,③地域の諸課題についての価値判断の3つである。
     本発表(ポスター)では,上述の学習について,具体的な様子を示しながら,その成果と課題について考察することにしたい。
  • -マルチレベル・ガバナンス論の観点から-
    飯嶋 曜子
    セッションID: 119
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代の改革以降、EUの共通農業政策(CAP)は農業構造政策から農村開発政策に比重が移っていった。こうしたなか、農村開発の手法として地域の多様な主体のパートナーシップによるボトムアップ型の開発が重視され、LEADER事業として制度化されてきた。ボトムアップ型開発手法は他の政策分野にも波及し、例えば構造政策(地域政策)では国境地域開発(INTERREG)、都市開発(URBACT)等で用いられている。
    本報告は、ドイツとオーストリアのLEADER事業を事例として取り上げ、その具体的な取り組みや課題を明らかにするとともに、こうしたボトムアップ型開発手法がEUのガバナンスにおいていかなる意味を持つのかを考える際の視点について検討する。
  • 宇根 寛, 中埜 貴元, 佐藤 浩, 八木 浩司
    セッションID: P230
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    ALOS-2データを用いたSAR干渉解析により,平成28年熊本地震に伴い生じた地表変動が詳細に明らかにされた(国土地理院,2016)。この中には,地表地震断層が出現した布田川断層や日奈久断層付近での位相の不連続や断層変位に伴う広域的な弾性変形のほか,小さな地表変位を示す線状の位相不連続が多数確認された(Fujiwara et al. 2016)。これらのうち,阿蘇外輪山北西部の断層群について,位相不連続が現れている地点の現地調査を行ったところ,多数の不連続線上で地表の変位を確認した。すべて位置,走向,変位の向きはSAR干渉解析による分析ときわめてよく整合するものであった(宇根ほか2017)。これらは直下に余震が観測されておらず,地震に伴う応力の変化や地震動により誘発された受動的な地震断層,いわば「お付き合い断層」と考えられる。このうち,変位地形が明瞭でSARで明瞭な位相不連続が現れ,現地でも地表変位が現れた的石牧場Ⅰ断層上において,掘削調査及び地中レーダ調査を実施し,活動の累積性について調査している。的石牧場Ⅰ断層は,扇状地性の平坦面を切る逆向き断層崖状の地形を呈しており,調査地点には比高1m~3m程度の低断層崖とみられる地形が連続し,SAR干渉解析で今回の地震に伴い10㎝程度の垂直変位があったことが推定されている。本稿執筆時点ではピット壁面の詳細な観察を行っていないが,変位の累積を示す堆積物の変形が見られているようであり,地中レーダ調査結果とともに大会時に観察結果を報告する。
    SAR干渉解析により,地震時に震源地周辺で地表に現れる「地震断層」が,主要な震源断層の変位が地表に達したものだけでなく,地震に関連するさまざまな性質や成因で発生しうることが明らかになった。このような「地震断層」の多様性を適切に表現する用語の新たな定義を検討すべきである。また,このような「お付き合い地殻変動」が累積することによっても活断層地形が形成される可能性があることが示された。活断層の活動にも多様性があることを踏まえて,活断層の活動性の評価方法を再検討すべきである。
feedback
Top