理論と方法
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3 巻, 1 号
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特集 社会理論と社会的ジレンマ
  • ─近代社会における形式化の探求のために─
    国崎 敬一
    1988 年 3 巻 1 号 p. 1-25
    発行日: 1988/05/01
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     コンピューターの発達に伴う人工知能研究・認知科学の発展は、改めてゲーデルの不完全性定理の証明への関心を呼び起こしている。(ゲーデルの証明がコンピューターの誕生とその限界に深く関わっているからである。)一方、人文・社会科学分野においても同様の関心が徐々にではあるが、浸透し始めているようにみえる。
     日本において広く知識界のゲーデルへの関心を掻き立てたのは、やはり文芸批評家柄谷行人のエッセイ「隠喩としての建築」(およびそのリライト「形式化の諸問題」)であろう。そこで彼は近代の諸学問・芸術に現われる“形式主義”を取り上げ、その本質と限界をゲーデルの証明を武器としながら鮮やかに切ってみせている。
     本論考では彼のゲーデルの証明の把握を吟味する形をとりながら、私の把握を紹介し、さらにゲーデルの証明が近代の社会事象における形式化にいかなる眺望をもたらすかについて言及する。
  • ─ゲーム理論的考察─
    木村 邦博
    1988 年 3 巻 1 号 p. 27-41
    発行日: 1988/05/01
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     Blauは、上司が部下に対する権力行使を当面差し控えることで「究極的権力」を獲得する、という「パラドックス」を発見した。この論文では、Blauの「リーダーシップのジレンマ」に関する議論を、「交渉ゲーム」の理論を用いて定式化し、この「パラドックス」を説明するためのモデルを構築する。このモデルによれば、Blauの観察した「パラドックス」は、リーダー(上司)がフォロワー(部下)との交渉を通して「報酬としての権力」を減少させるが、他方でフォロワーに対して「交渉力」を得る事態として説明可能である。
  • ─社会的ディレンマ研究の問題点─
    永田 えり子
    1988 年 3 巻 1 号 p. 43-56
    発行日: 1988/05/01
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     社会的ディレンマは原理的に解消可能だろうか。本稿はこの問題設定のもとで次の3点を主張する。(1)経験的に協力的社会状態を達成するのに役立つような要因を抽出することによって、社会的ディレンマを解消することはできない。経験的状況においては、社会的ディレンマの論理構造以外の要素を排除できないからである。社会的ディレンマを解消するには、社会的ディレンマを解消するような一般理論を発見しなくてはならない。(2)個人の選好を操作することによって社会的ディレンマを解消しようとすることは、社会的ディレンマの問題設定そのものを捨ててしまうことにほかならない。(3)社会的ディレンマとは、自由な個人による均衡社会状態よりもパレート効率的な社会状態が存在するような事態を指す。したがって、最終的な社会的ディレンマの解決とは、任意の初期条件からパレート的に劣っていないような社会状態を導出できるようなアルゴリズムを発見することであるといえよう。ところで、社会的ディレンマはセンのリベラル・パラドックスの下位類型としての位置を占める。センによれば自由とパレート効率性とは矛盾するものであり、両者を両立させるようなアルゴリズムは存在しない。このことから社会的ディレンマを解消するような一般理論は存在しない、と主張できる。
  • ─理解社会学の理論仮説と方法─
    盛山 和夫
    1988 年 3 巻 1 号 p. 57-76
    発行日: 1988/05/01
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     理解社会学の基本的な理論仮説は、(1)社会的行為者は彼らを取り巻く自然的および社会的世界に関する彼ら自身の理論的知識を有しており、社会現象はこうした理解を媒介とする社会的行為によって形成されている、(2)社会科学的探求の対象は、このような行為者の理解およびそれによって形成される社会現象である、というものである。ギデンズ(1976)は、これを二重の解釈学と呼んだ。この理論仮説は社会学的探求の反照的性格を表現しているが、理解社会学者たちはこれに基づいて、いくつかの方法論的主張を行った。シュッツは主観的視点をとるべきことを主張したし、ウィンチは社会科学は所与の生活様式のもとにおけるルールを理解しなければならないと主張した。しかし、理解社会学者たちの理論仮説は妥当なものであるけれども、彼らの方法論的主張はそれから論理的に導かれるものではなく、不合理なものである。社会学的探求は、その反照的性格にもかかわらず、行為者の世界理解とそれがもたらす社会現象に関する「正しい」理解をめざしたものとして、自律した認識活動をなしている。
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