コンピューターの発達に伴う人工知能研究・認知科学の発展は、改めてゲーデルの不完全性定理の証明への関心を呼び起こしている。(ゲーデルの証明がコンピューターの誕生とその限界に深く関わっているからである。)一方、人文・社会科学分野においても同様の関心が徐々にではあるが、浸透し始めているようにみえる。
日本において広く知識界のゲーデルへの関心を掻き立てたのは、やはり文芸批評家柄谷行人のエッセイ「隠喩としての建築」(およびそのリライト「形式化の諸問題」)であろう。そこで彼は近代の諸学問・芸術に現われる“形式主義”を取り上げ、その本質と限界をゲーデルの証明を武器としながら鮮やかに切ってみせている。
本論考では彼のゲーデルの証明の把握を吟味する形をとりながら、私の把握を紹介し、さらにゲーデルの証明が近代の社会事象における形式化にいかなる眺望をもたらすかについて言及する。
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