日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の337件中301~337を表示しています
発表要旨
  • 渡来 靖, 水野 弘毅
    セッションID: 516
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1. はじめに

     日本において夏季の高温が年々顕著となっていることは、様々な研究で指摘されている。関東平野においても、内陸部での著しい高温日が近年大幅に増加し、その要因として総観場や都市化の影響が指摘されている(藤部1998)。しかし、温暖化などによる昇温傾向は極値の増加だけでなく、高温期間の増加や季節変化にも影響すると思われる。そこで本研究では、関東地方平野部における近年の暖候期の気温トレンドについて月別に調査し、その地域性や季節性について明らかにすることを目的とする。

    2. データおよび解析手法

     研究対象期間は1989年〜2018年の30年間の暖候期(5月〜10月)とした。使用したデータは気象庁地上気象観測所・アメダス観測所における地上気温観測値である。本稿では、月平均気温および真夏日日数の統計値を用いた。対象領域は関東地方の平野部とし、宇都宮(標高119.4m)より標高が低くかつ島嶼部を除き、調査期間中に欠測のな計43地点について調査した。

     経年変化率については、月ごとに対象期間30年分の値に最小二乗法による線形回帰を適用し、その回帰係数として求めた。また、Mann-Kendall検定により有意検定を行った。

    3. 結果および考察

     月平均気温の経年変化率をみると、どの月もおおよそ全ての調査地点において正の変化率を示しており、全地点で単純平均した月別の経年変化率は、5月が0.673℃/10年、6月が0.411℃/10年、7月が0.712℃/10年、8月が0.404℃/10年、9月が0.185℃/10年、10月が0.378℃/10年となり、関東平野においては5月と7月の昇温傾向が特に大きいことが示された。7月の顕著な昇温傾向は、日最高気温についての西森ほか(2009)の調査でも指摘されている。5月の地点ごとの分布をみると、昇温傾向は特に関東平野北部内陸域で顕著であり、群馬や栃木の平野部では0.8〜1.0℃/10年に達している。同様の傾向は7月にも見られるが、内陸部と沿岸部の経年変化率のコントラストは7月より5月のほうがやや大きい。

     真夏日日数については、7月の経年変化率が最も大きく、全地点の平均で2.771日/10年を示した。月平均気温の特徴と同様、内陸部で大きくなる傾向も見られるが、鉾田、茂原、小田原など沿岸部でも3.4日/10年を超えるような大きな経年変化率を示す地点もあり、月平均気温に比べて局地的な特徴が見られる。

     今回示された5がつにおける顕著な昇温傾向は、近年の温暖化傾向に伴って季節進行の変化が生じていることを示唆する。今回調査した地点には、佐野や船橋のようにどの月でも周辺地点に比べてやや高い傾向を示す地点もあり、その要因について今後精査する必要がある。

  • 小岩 直人
    セッションID: 137
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    水谷(2002)は,自然の猛威に対する最も効果的な防災は「人が,災害の可能性が小さい土地を選んで居住し,危険の程度に応じた利用を行うこと」であることを述べている.しかし,日本の人口集中地区(DID)は,面積比で約60%以上が低地に分布していることが示すように(村山・梅山,2010),自然災害の影響を相対的に受けやすい場所にすでに多くの人々が生活しており,危険な土地利用が進んでいることは明らかである.このような現状をふまえると,日本の防災教育は,地域が危険である事実のみを強調し,いわゆる「脅し」の防災教育となりがちであることも指摘されている.人口が集中する都市部はもちろんであるが,とくに人口流出が激しい地方の市町村において,地域の危険性を的確に把握させながら,地域への愛着を育みことは,防災教育を行うための重要な課題の一つであるといえるであろう.

    「脅し」防災教育とならないためには,人間の自然との関わり方(自然からの恩恵)や,地形が形成される際に生じる災害を空間的・時間的に客観的にとらえる視点を育むことが重要であると思われる.発表者は教員養成学部に在籍し,自然地理学を担当,教科専門の立場から教員養成に携わっていが,地域の自然の恩恵をきちんと説明できる学生(地理学を専攻する学生においてもさえも)は極めて少ない.

    弘前大学教育学部自然地理学教室では,日本海に面する青森県西津軽郡鰺ヶ沢町をはじめ,各地域の小中学校等で防災教室・ワークショップ・講演会を実施し,これらの事業において教員養成学部の学生の関与を積極的に促してきた.とくに青森県での防災教室の際には,以下の内容(一部ではあるが)を学生に伝え,児童・生徒の指導を行う基礎知識としている.

    「青森県では,豊かな景色に取り囲まれながら,おいしい魚や貝,りんご,米,野菜などの農産物を食べることができます.これらの風景や食べ物は,自然によりもたらされたものでもあり,私たちは自然の恵みをたくさん受けて生活しているといえるでしょう.青森県の緑豊かで景色のすばらしい山々は,土地が盛り上がったり,火山が噴火したりしてできたものです.また,多くの農産物は火山の噴火によってもたらされた火山灰をもとにした土を利用していますし,水田は河川の洪水によってたまった土が必要となっています.これらの自然現象が起こるときに,人がその場所にいた場合には災害が起こってしまいます.私たちがたくさんの恵みをもらっている自然は,このように時に暴れて人に被害を与えることがあることも決して忘れてはいけません.しかし,その時間は,恩恵を受ける時間に比べるととても短いものです.この自然が大暴れする時間は,私たちは安全な場所に逃げて過ごすべきであり,不幸にも被害をうけてしまったところでは,ともに助けていくことが大事だと思われます.」

    具体的な防災教室での指導事例として,日本海沿岸部に位置する鰺ヶ沢町における防災教室の内容を紹介する.本教室では,教員養成学部の学生が,児童とともに現地調査を行いながら,①町に広く分布する海成段丘は,津波の際の避難場所として重要であること,②その形成には地盤の隆起が必要であり,地形が変化する際には地震が生じる可能性があること,③避難路の多くは段丘崖であり,地震時や豪雨時には,土砂災害が生じる可能性があること,④町の自然の恵みは長い期間にわたる受けることができるけれど,地形変化が生じるような自然現象は比較的短期間であること,などについて指導している.

    また,人間が自然を利用してきた事実と災害とのタイムスケールを考慮した教材についても,学生主体で授業開発を試みている.津軽平野では,明治時代以降に自然堤防を利用したリンゴ栽培が行われているが,この自然堤防は十和田カルデラから噴出した火砕流のラハールに関係して形成された可能性が指摘されている(小野ほか,2012).ラハールがもたらす人的な災害は,おそらく数ヶ月〜数年間であると推定すると,100年以上にわたって活用し続けてきた恵みと,災害を被る時間を把握した上で防災を検討することが可能となる.

    このように,災害が生じる地形上に多くの人々がすでに生活の場を求めている現在において,タイムスケールときちんとふまえた自然地理学的,人と自然の関係をより深く検討する統合自然地理学的な知識を学ぶことにより,災害について「正しく恐れる」ことが可能になるのではないだろうか.

  • 奥山 駿, 奈良間 千之, 高玉 秀之, 山村 祥子
    セッションID: 634
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     岩石氷河は,岩屑と内部氷の供給源の違いから「崖錐起源型」と「氷河起源型」に分類される(松岡, 1998).「崖錐起源型」は背後の岩盤から供給された礫で形成された崖錐に残雪や地下水が永久凍土の供給源となり発達するタイプである.「氷河起源型」は岩石氷河の上流部に氷河が存在し,氷河氷や氷河からの融解水が供給源となり発達するタイプである.「崖錐起源型」の岩石氷河は世界的に見られ研究事例も多いが,「氷河起源型」の岩石氷河は分布地域も限られ,その発達過程は明らかでない.本研究では,天山山脈北部地域のキルギス山脈において,衛星画像解析から「氷河起源型」岩石氷河の空間分布を明らかにすることを試みた.また,抽出した「氷河起源型」の岩石氷河において差分干渉SAR解析とイメージマッチング解析を用いて表面流動の水平成分を分離し,「氷河起源型」の表面流動の特徴を考察した.

    2.研究地域

     本研究地域は,キルギス共和国の天山山脈の一部を構成するキルギス山脈である.山脈は,東西に長さ300kmほどあり,高度3500〜5000mほどの稜線沿いに小規模な山岳氷河が発達する.現地調査をおこなったアドギネ氷河(標高3749m)は,アラ・アルチャ谷の支谷の上流部に位置する.アドギネ氷河の下流部には「氷河起源型」岩石氷河が発達する.2015年〜2017年に測定した岩石氷河上の年平均気温と地温はそれぞれ−5.1℃と−2.6℃であり,山岳永久凍土が存在しうる環境である.

    3研究手法

     キルギス山脈の岩石氷河の空間分布を調べるため,空中写真,Landsat8,Sentinel-2の可視画像を用いて地表面の特徴から岩石氷河を選定した.次にALOS-2/PALSAR-2を用いて差分干渉SAR(DInSAR)解析をおこない,変動縞がみられる岩石氷河を現在も氷を含むintact(現成と停滞)岩石氷河として分類した.アドギネ氷河においては,2014,2015,2016,2019年の夏季に現地調査をおこなった.DInSAR解析では岩石氷河の地表面の変動領域と変動量を調べ,さらにUAV(Phantom4;DJI)とセスナの空撮画像から詳細なオルソモザイク画像を作成し,2時期の画像を用いたピクセル・イメージマッチング解析によって水平成分の表面流動量を求めた.これらの結果を2014年〜2019年に実施したGNSS測量の結果を用いて検証した.また,1968年,1977年,1988年の航空写真と2019年の空撮画像を用いてアドギネ氷河の末端位置の変化と長期の流動を調べた.

    4.空間分布と地表面流動

     DInSAR解析より地表面に変動縞が検出されたintact岩石氷河を集計した結果,キルギス山脈の調査範囲に分布する岩石氷河は450ほどあり,氷河起源型が6割,崖錐起源型が4割であった.南北で高度分布に違いがみられ,この高度帯の違いは,気象環境の違いのほか,氷河起源型が多いことから氷河末端部の高度帯に依存しているためである.

     アドギネ氷河の「氷河起源型」岩石氷河のDInSAR解析の結果,地表面には変動縞がみられたことから,水平流動あるいは地表面低下が生じている(図1).次に,2016年8月26日と2019年8月1日の2時期の画像のイメージマッチング解析で得られた変動量は,DInSAR解析の変動量と一致したため,岩石氷河の地表面は融解による低下でなく,水平流動が顕著であることがわかった(図2).さらに,2016年8月26日と2019年8月1日のGNSS測量の結果,年間0.88mの水平移動が確認された.同地点のイメージマッチング解析は1.08mであり,流動方向も一致することから,この「氷河起源型」岩石氷河は現在水平流動しているといえる.

    5.氷河後退後の状態

     1968年,1977年,1988年の航空写真と2019年の空撮画像を比較した結果,アドギネ氷河の末端位置は最大640mほど後退し,氷河前面にはいくつかの氷河湖が形成されていた.アドギネ氷河前面では電気探査がおこなわれており,左岸側で厚さ20m以上の氷河氷が存在し,右岸側で氷河氷は存在しない(Falatkova et al, 2019).この結果は,本研究のDInSAR解析で得られた地表面変動量の分布と一致しており,内部構造が地表面変動の大きさに影響しているといえる.

     加えて,DInSAR解析とイメージマッチング解析により得られた岩石氷河の表面流動速度は一様ではないことから,氷河から連続している左岸側では氷の供給が現在も行われている可能性がある.また,完全に氷河と分離した岩石氷河中央部の流動はわずかであったため,氷河による氷の供給は少なく流動量が小さいと考えられる.

  • 浦川 邦夫
    セッションID: S303
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    本研究では、⽇本の地域別最低賃⾦が様々な職業で働く労働者の賃⾦⽔準にどのような影響を与えてきたかについて、都道府県レベルのパネルデータを1995~2015 年の期間で構築し、実証的な検証を⾏う。特に、就学前の⼦どもの保育に専⾨的に携わる保育士の賃⾦が他職種と⽐して低賃⾦である傾向が続いている点を踏まえ、保育⼠の賃⾦⽔準と最低賃⾦との関わりに注⽬している。

    景気、物価変動、家計⽀出、労使関係などの諸要因を制御した賃⾦関数の推定結果によると、就業している地域のランクがA からD までの全てのサブサンプルで、地域別最低賃⾦はパートタイム労働者(男・⼥)の賃⾦⽔準だけでなく、⼀般労働者(男・⼥)の賃⾦⽔準に対して、有意に正の相関が確認された。また、差分変数(t 期-t-2 期の変数)を用いて都道府県の固定効果を除去した分析では、一般労働者のケースで最低賃金との間に有意な関係は確認されなかったが、ランクB の地域区分で働くパートタイム労働者(男性)ならびに、ランクA、ランクB、ランクD のパートタイム労働者(女性)の賃金水準に対して地域別最低賃金が有意に正の相関を持った。すなわち、最低賃金の引き上げ幅は、特にパートタイム労働者(女性)の賃金水準の変化に対し、実際に一定の効果を持つ点が示された。

    同様に、就学前児童の保育・教育に関連する職業(保育士、幼稚園教諭)ならびに平均賃金が最低賃金に近い他の職業(ビル清掃員など)の賃金について、パネルデータをもとに賃金関数を測定した。差分変数を用いた計量分析では、ランクD の地域区分に属する地方部の保育士(女性)や幼稚園教諭(女性)に関しては、平均賃金が低い他の職業と同様に、最低賃金がそれらの職業の賃金水準に有意に正の効果を持った。ただし、都市部の地域区分では、最低賃金の引き上げが保育士の賃金水準に与える効果は確認できなかった。保育士は、有効求人倍率が長期間にわたり非常に高い水準であるにもかかわらず、様々な制度の存在により労働需給の調整メカニズムが十分に働かず、賃金水準が他の職業と比べて低い水準にある。地方では最低賃金の引き上げとこれらの職業の賃金水準の変化との間には一部正の相関がみられており、今後は都市部においても最低賃金の役割をさらに高めていくことが期待される。

  • 町田 知未
    セッションID: 316
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     高度経済成長期における国主導の画一的な大型施設の整備やリゾート開発は地域の不均衡発展をもたらした。産業振興を優先させたことが居住環境の悪化や生活の質の低下を招いた側面もあった。結果として,多くの自治体が基幹産業の衰退,少子高齢化に伴う過疎化に見舞われた。都市部から離れた遠隔地においてその傾向は顕著であった。現在こうした地域においては,それまでの地域振興策を見直し,地域独自の自然・人文環境などの地域資源を保全し,地域の魅力を高めこれを活用することによって,地域外から人を呼び込み内外の交流を促進して,地域経済を活性化させる地域づくりが目指されている。しかしながら,自然・人文環境や産業構造といった地域特性は地域それぞれで異なるため,地域づくりのあり方にも違いが生じるはずである。それゆえに,さらなる事例研究の蓄積が必要である。

     本研究の目的は,北海道中川町を事例として,地域資源を活かした地域づくりに対する地域住民の意識と,地域外からの来訪者の行動と地域資源に対する意識を併せて分析することによって過疎地域における地域資源を活かした地域づくりの意義と課題を明らかにすることである。

    2.データと方法

     地域住民の意識を把握するために,中川町の地域づくりに携わる主要組織である役場,教育委員会,商工会,観光協会において聞き取り調査を実施した。また,中川町への来訪者の意識を把握するために,2019年の6月から9月まで中川町内の主要施設(温泉施設,キャンプ場,中川町エコミュージアムセンター,道の駅,飲食店)においてアンケート調査を実施し,256のサンプルが得られた。

    3.調査結果

     中川町は明治期より化石産地として名高い地域である。1990年代後半に国内最大級のクビナガリュウ化石が2度発見され,「化石の町」として脚光を浴びた。化石の町として注目されたことが,町内に存在する地域資源を活かした地域づくりを行う契機となった。1997年に町全体を博物館とみなした地域づくりを目指した「エコミュージアム構想」が提唱されて以後,化石を中心とした地域資源を活かした地域づくりが中川町エコミュージアムセンターを中核施設として行われている。

     聞き取り調査によると,中川町では化石以外の地域資源を活かした取り組みも様々な組織によって行われていた。たとえば,役場による林業の町のイメージを活かした取り組み,商工会による地場産業のブランド化,観光協会によるエコモビリティの推進である。化石に係る取り組みは教育委員会を中心として行われているが,教育委員会以外の主要組織の化石に係る取り組みへのかかわり方はいずれも消極的であった。

     来訪者の意識をみると,化石の見学を目的とした来訪者が最も多い。来訪者の行動からは,休憩施設である道の駅を除くとエコミュージアムセンターを訪れた者の割合が最も高かった。しかしながら,来訪者の目的と町内での行動を中川町への来訪回数別に分析すると,化石を目的として訪れる者は来訪回数の少ないものには多いが,来訪回数が増えると減少する傾向があった。対照的に,温泉施設やキャンプ場を目的とした来訪者は来訪回数の少ない者には少ないが,来訪回数が増えると増加する傾向があった。これらのことから,化石という地域資源の価値を再認識し,来訪回数による来訪者の特性の違いを考慮した誘致策を練るために組織間の協力体制を見直し,住民がより主体的に継続して地域づくりを行う必要があると考えられる。

  • 河村 光
    セッションID: 932
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ はじめに

     近年、都市の水環境に対する関心が高まっており、その親水機能が注目され、とりわけ大都市において水環境の活用されている。一方で、生活を通して地域で利用されてきた水環境を保全、活用し地域の活性化を図ることが地方都市においても注目されている。

     本研究では湧水地が多く分布し、生活の中でその利用がされてきた福井県大野市を事例に、住民の生活に密接にかかわっていた湧水が戦後から現在にかけて、その利用形態の変化と住民による維持管理、その必要性を明らかにし、さらに、湧水の利用減少に影響したと考えられる各家庭における井戸の形態の変化について明らかにすることを目的とする。

     本研究では2019年11月19日から21日にかけてポスティング形式で住民にアンケート用紙を配布し、回答を郵送で回収した。アンケートは湧水が密集する大野市市街地中心部の一部の地域と、市街地から外れ生活用水だけでなく農業用水としての利用が考えられる中野清水を中心とした半径250mに配布した。湧水のこれまでの利用については『大野の湧き水「おしょうず」』や現地での聞き取り調査を参考にした。

    Ⅱ 湧水の利用と井戸の形態の関係

     各地区の湧水の利用は図1、図2のようになっている。市街地では炊事や洗濯といった生活の中での利用は1970年以降減少している。その一方で、散策と飲用水での利用が増加している。中野清水地区でも同様の傾向がみられ、現在の利用は散策が64.3%を占めている。中野清水は農業用水としての利用が予測されたが、その利用はみられなかった。炊事や洗濯といった湧水の利用の減少には、各家庭が水道として利用する井戸の利便性の向上が影響している。井戸の利用形態は、1950年までは未だ手押し式井戸が主流であったが、1951年以降、電力により水をくみ上げるホームポンプ式井戸へと転換された。市街地で1951年から1970年にかけて、急激にホームポンプ式井戸が普及した。中野清水地区でも1951年から1970年にかけて普及し、1971年以降は手押し式井戸の利用はなくなっている。井戸の利便性向上により水を得ることが容易になり、湧水を利用せずとも各家庭内で炊事や洗濯が完結し、湧水の利用が減少した。

    Ⅲ 湧水の維持管理に対する住民のおもい

     湧水の維持管理はその近隣に住む住民によって慣習的になされてきた。清掃活動を行った経験があると答えた住民は、居住年数50年以上のものが多く、特に市街地では長く湧水に親しんできた住民が町会等だけでなく、個人的にも清掃を行っていた。また、住民による湧水の維持管理が必要だと考える住民は、市街地と中野清水地区の両地域で多くいる。その理由は、市街地では観光資源であるからという理由が最も多く、次いで景観の維持、地域または市の宝であるといったものがみられた。しかし、高齢化にともない湧水を維持していくことを負担に感じている住民もあり、住民の中には湧水の近隣に住む住民が行えばよいと考えるものもいる。中野清水地区では景観の維持のためという理由が最も多く、次いで生物環境の維持、地域で守るものであるからといったものがみられた。

    Ⅳ まとめ

     大野市における湧水の利用は飲用水と散策での利用が多く、炊事や洗濯といった生活の中での利用は減少しており、これには井戸の利便性の向上によるホームポンプ式井戸の普及が影響している。また、農業用水としての利用慣習的に湧水の維持管理を行ってきたこともあり、住民の湧水を維持管理に対する意識も高い。

     しかし、高齢化にともない住民だけで湧水を維持管理していくには厳しい状況である。湧水の利用が低下し、住民の生活から切り離されていく中で、湧水を今後も維持管理していくために地域ぐるみで対応が求められている。

    文献

    大野市1988.『大野の湧き水「おしょうず」』

  • 壇 綾女, 小岩 直人, 伊藤 晶文, サッパシー アナワット
    セッションID: P204
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

     マイクロアトールは,浅海域に分布する小型の環礁を連想させるサンゴの群集のことである.低潮位面より上に成長できないというマイクロアトールの性質は,形成時の相対的海水準を復元するための優れた指標のひとつであることを示す.マイクロアトールを扱った従来の研究では,複数の個体を対象とした測量,年代測定に相対的海水準の復元は行われているものの,群集として広がるマイクロアトールの分布を検討した研究は少ないと思われる.今回,2004年インド洋大津波によりマイクロアトールが破壊され,多数の津波石がもたらされたタイ南西部パカラン岬周辺において,小型UAV(小型無人航空機)を用いて撮影をおこない,その画像を処理・解析することで地形モデルを作成した.本発表ではマイクロアトールや津波石の空間分布を明らかにするとともに,年代測定を実施し,マイクロアトールの形成時期における海水準や津波時の津波石の挙動に関して検討した内容を発表する.

    調査地点および調査方法

     パカラン岬は,タイ南西部パンガー県のカオラックの市街から北に約12km,アンダマン海に面する岬である.北東に向かってサンゴ礫や砂による砂州・砂嘴が形成されている.撮影地点は,パカラン岬西部の南北約1.5km,東西約0.6kmである.本調査において,小型UAVを用いた垂直写真の撮影とともに,地上基準点(GCP)を設置しその地点を,高精度GPS測量機器を用いてGPS測量を行った.撮影した画像はAgisoft社のMetashapeで処理し,点群データを作成した.得られた数値表層モデル(DSM)データから地理情報システム(ArcGIS)でマイクロアトールや津波石の分布や長径の分析を行うとともに,不規則三角形網(TIN)を作成した.さらに現地調査においてマイクロアトールからサンプルを採取し,(株)加速器分析研究所においてAMS年代測定をおこなった.

    結果

     調査地域のマイクロアトールは,礁原の外側に①長径が大きく海底との比高が大きいものが分布②内陸側に長径が小さく海底との比高が小さいものが分布③周辺の土砂にほぼ埋没しているものが分布している.年代測定の結果,①の礁原の縁辺部のマイクロアトールは約5000calBP(IAAA-190636)の形成,②の長径の小さい内陸側のものは約820calBP (IAAA-1906635)の年代値が得られた.また,津波石が多く分布する部分の礁原の縁辺には破壊されたマイクロアトールが数多く分布している.  

     礁原には,サンゴ礫が多く堆積した高まりがみられるが,この周辺には津波石がとくに多く,形態もマイクロアトールを上下に反転させたような円錐形のものが多く分布している.津波石の年代測定の結果,約5000calBP(IAAA-182429)が得られている.

     以上の分析結果から,マイクロアトールの分布には長径が大きく比高が大きいものは礁原の縁辺,長径が小さく比高が小さいものは礁原の内側に位置するという傾向があり,それらは約5000年前と約820年頃の2つの時期に形成されたということがいえる.さらに,約5000年前は現在よりおよそ1.3m,820年頃は0.7m程度に相対的海水準が高かったと判断される.

     本研究の実施には,科学研究費補助金(基盤(A):代表 今村文彦「巨大津波後の長期的地形変化を考慮した沿岸防災機能強化」を使用した.

    参考文献

    Kazuhisa G. et al(2007)Distribution, origin and transport process of boulders deposited by the 2004 Indian Ocean tsunami at Pakarang Cape, Thailand.Sedimentary Geology,202,821–837.

  • 大内 俊二
    セッションID: 608
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    断片的証拠しか残されていないことが多い地形発達を理解するためには、経過を詳しく観察・計測できる地形発達実験がよい手掛かりとなると考え、降雨侵食と隆起による地形発達実験を長年にわたって続けてきた。地形発達実験を実際の地形発達の解釈に利用するためには、いろいろな条件下での実験を重ね、その全体像を理解することが必要であるが、実験の遂行には膨大な時間が必要なだけでなく解決すべき技術的問題も多く、これまでに失敗も含めて40回の実験を行ったに過ぎない。しかしながら、本年度ですべての実験を終了するにあたり、得られた知見を整理しておく必要を感じている。今回改めて,これまでの実験結果から、実験地形の発達、特に前回の発表時(2019年春)には明らかとは言えなかった砂山の透水性と降水量の複雑な影響、について解説を加えたい。

  • 新名 阿津子
    セッションID: S108
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

    ジオパークは「地球遺産をたたえ,持続可能な地域社会をつくろう」というスローガンの下,自然環境と地域文化を持続可能な開発の手法を用いて守り,活用するプログラムである.日本にジオパークが導入されて約10年が経過し,2020年1月時点で日本ジオパーク44地域(うちユネスコ世界ジオパーク9地域)へと成長した.

    2015年にジオパークがユネスコの正式事業となり,ユネスコにおいてジオパークの認定基準が明確になった.日本のジオパークでもジオパークの品質保持のため,このユネスコ基準を援用した新規審査/再認定審査が行われるようになり,審査も変化した.この変化について日本ジオパーク委員会の現地審査報告書の分析をしたYamada and Sugimoto(2017)では,現地審査報告書に用いられる言葉の種類や組み合わせが時間とともに変化したことを明らかにした.伊豆半島ジオパークが2012年に受けた認定審査の審査結果報告書では,地球科学的な説明の拡充を求めるものが多くを占めた.

    ユネスコ基準を援用したことによって日本のジオパークではユネスコ世界ジオパークに準じた活動が展開されるようになり,日本のジオパークが地質公園からジオパークへと転換しはじめた.そこで本報告ではこの転換期の日本のジオパークにおける課題とその解決に向けた方向性について議論する.

    2.日本におけるジオパークの課題

     日本のジオパークは導入期においては地域にあるジオサイトの地球科学的価値を整理する段階にあったため,地質公園的な性格を持ったものになっていた.先述の通り,日本ジオパーク委員会からの勧告文も地球科学的な説明の拡充を求めるものであったことにも示されている.

    地球科学的価値の整理が進んでいくのと同時に,日本のジオパークでは地域コミュニティとの協働や防災・減災教育の推進などの分野で成果をあげてきた.その一方で,ジオパークに関する用語の定義分類に対する誤解,脆弱な管理運営体制,場当たり的な観光振興,経済成長への期待と現実,ネットワーク活動の機能不全,社会とのコミュニケーション不足など様々な課題が生じてきている.

    これらの課題が生じる要因として考えられるのは,金太郎飴的な地域開発に慣れていた日本社会がジオパークのような自然環境の保全保護や地域文化の尊重といったコミュニケーションと学習に基づく地域開発プログラムに直面したことが挙げられよう.定義分類に対する誤解を見ると,ジオパークを導入した初期段階において,ジオサイトという言葉が日本において馴染みがなく,ジオポイントやジオスポットという言葉の濫用が見られた.この言葉の濫用を是正すべくジオサイトの定義分類の見直しが行われ,遺産に関する定義分類も世界ジオパーク基準に合わせたものへと変更された.しかしながら,この変更を全てのジオパークが理解して導入しているわけでは必ずしもなく,混乱をきたしているケースも見られる.また,観光振興の起爆剤としてジオパークを導入した地域においては「難解な地質学では観光客を呼ぶことができない」と誤解するところもある.管理運営に至っては不透明な意思決定と責任の所在なさが露呈しているケースも見られ,審査制度への批判も出てきている.

     これらは日本社会の慣習や規範の問題であり,改善していくためには「やり方を変える覚悟」が必要となる.これについては十年の活動の蓄積の中で徐々に改善されてきているところである.

    3.日本におけるジオパークのこれから

    ジオパーク関係者がよく使う言葉に「ジオパークは人である」というものがある.世界的な価値を持つ地形地質遺産があるだけではジオパークとなることはできない.そこに地域社会が存在することが必要不可欠である.そして,ジオパークでは知識と経験を対話によって共有することで活動を推進してきた.これがネットワーク活動の根幹となっている. ゆえに,ネットワーク活動や審査制度を利用しながら,コミュニケーションをとり,学習し続けるジオパークおよびジオパークネットワークの再構築が現在の日本のジオパークに求められる.実際にジオパークの再構築は審査基準の再設定もあり,ユネスコ基準による新規審査/再認定審査を全ジオパークで実施された後に質的変化を迎えるであろう.その成果について注視する必要があると同時に,学術面ではジオパークにおける地域変容を明らかにするための方法論を検討する必要がある。

  • 田嶋 玲
    セッションID: 921
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     福島県の檜枝岐村で江戸時代より伝承されている「檜枝岐歌舞伎」は,祭日に上演される「地芝居」と呼ばれるジャンルの芸能である.今日ではその伝統性・真正性が高く評価されており,福島県を代表する「民俗芸能」「伝統芸能」として多数の観光客を集めている.

     これまで,ある地域で伝承されている芸能を対象とした研究では,「担い手」を演者のみに限定する研究が多かった.しかし現代においては,芸能の上演は行政や観光関係者,そして観客などの多様な主体が絡み合うことで初めて成立している.本報告では,近代以降における社会変化の中で,檜枝岐歌舞伎の上演が成立する空間がどのように変化してきたか,そして,その上演の存立基盤を形成する主体がどのように多様化してきたかを明らかにする.

    2.観光化以降における上演空間の変容

     歌舞伎は江戸時代に檜枝岐村へ伝来して以降,「大衆芸能」として村民の手で上演されており,村の紐帯ともなっていた.その在り方が大きく変化したのは戦後のことである.

     昭和20年代以降,研究者によって「檜枝岐歌舞伎」が見出され,県内の芸能大会に出場しメディアに取り上げられることで「貴重な民俗芸能」となっていった.しかし,テレビをはじめとする新しい娯楽の登場と,経済成長に伴う若者の流出によって,昭和40年代には上演が困難になった.

     一方その頃,檜枝岐村は奥只見ダム建設に伴う電源収入を元手に,全村を挙げて尾瀬を中心とした観光化を推し進めていた.その中で檜枝岐歌舞伎も観光資源として見出され,村内の鎮守神で上演される歌舞伎に外部から多数の観光客が集まるようになった.すると,これに対応するように上演空間も大きく変容していった.

     観光客が収容しきれないほどまで増えると,境内は階段状の観客席へと造り替えられ,照明や音響設備も整えられていった.物的な面だけでなく質的な面も大きく変化した.畑作から民宿などの観光業に転換した村民は,上演日には観光客の対応に追われるようになり,上演を見るのが難しくなってしまった.その結果,歌舞伎の上演は村の紐帯という役割を失い,観客は外部からの観光客で占められるようになったのである.

    3.存立基盤を構成する主体の多様化

     檜枝岐歌舞伎と檜枝岐村を取り巻く戦後の変化は,観客以外にも多数の主体を上演の存立基盤に加えていった.

     檜枝岐村とその周辺地域では,江戸時代から各村落に地芝居が点在し,それらの上演を演技指導者や道具貸し出し業者が支えていた.戦後,その存立基盤はより複雑化していく.ミクロスケール(村内)では,観光化に伴って村民が演者・行政・民宿などの主体に細分化されていき,上演を共に支えつつも,「伝承」と「利用」のバランスを巡るせめぎ合いが発生するようになった.メソスケール(周辺地域〜県内)では,特に檜枝岐村と直接関わる地域の企業が多数の寄付を出すようになり,重要な資金源となっている.観客の多くはマクロスケール(全国)に位置する主体だが,彼らは客席を埋め尽くし,多数の拍手やカメラのフラッシュを浴びせることで,演者たちの「原動力」を湧き立たせる重要な役割を担っているのである.

     戦後における社会の変化は,一度は檜枝岐歌舞伎の伝承を危うくした.しかし結果的にその変化は,上演の存立基盤に多様なスケールからの主体を招き入れることにも繋がった.現在の檜枝岐歌舞伎の上演は,こうした存立基盤の上に初めて成立しているのである.

  • 河本 大地
    セッションID: 320
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ.目的と背景

    本研究の目的は,日本の農村地域(多自然地域,中山間地域,農山漁村地域)における学校教育の在り方を,ESD(持続可能な開発のための教育)の視点から整理して示すことである。

    地域に人の暮らしの営みが存在し続けるために必要なもののひとつに,学校教育がある。ところが,日本の多くの農村地域では(市街地の一部でもそうであるが),児童・生徒数の減少に伴う統廃合によって新たな学校を設けても,また児童・生徒数が減少して次なる統廃合が実施される事態を経験してきた。学校の統廃合は加速化している。文部科学省は2015年に「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」を策定し,各教育委員会に通知した。繰り返される学校統廃合の先にあるのは,地域の周縁化であり,究極的には人が暮らし続ける空間としての地域の「死」である。そしてそれは,日本における地域多様性の喪失でもある。未来を拓く方途を描き出したい。

    Ⅱ.方法

    本研究では,農村地域における学校教育の在り方について,島しょ・山間地域を中心に長年にわたる組織的な動きが存在している「へき地教育」を中心に検討する。

    まず,1954年に制定されたへき地教育振興法制定の直後と近年とで,へき地教育をめぐる状況が大きく変化していることを示す。そのうえで,学校教育においてESDを実践展開する拠点とされるユネスコスクールとへき地学校との関係を確認する。さらに,近年のへき地教育を対象とした,全へき連の「第8次長期5か年研究推進計画」(2014〜2018年度)におけるESD関連記述とESDとの関わりを把握する。

    続いて,ESD の視点からへき地教育を捉えなおすことによって社会にどんな可能性が開かれうるのか,そのためには何が必要かを議論する。その手段としてまず,全へき連が2018年に出した「第9次長期5か年研究推進計画」(2019〜2023年度)におけるESD関連記述を把握する。その後,ESDに関するグローバル・アクション・プログラム(GAP)および「ESD for 2030」における5つの優先行動分野とへき地教育との関係を検討する。学校訪問等によって得られた事例も参照する。

    Ⅲ.結果と考察

    結果の概要は図1のとおりである。詳細は当日報告する。

    河本大地(2020):ESDでみるへき地教育の在り方.日本教育大学協会研究年報,38(印刷中).

    付記

    本研究の一部には,公益財団法人国土地理協会の2018年度学術研究助成を用いました。

  • 高木 仁
    セッションID: P142
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    背景

    本発表は、先日、地理学評論上の書評でいただいたご批評を受けてのものである。

    本発表では、その批評を受け、私どもがどのようにして、その「原石らしき物」を見つけ、そして、それを私がどのようにして石ころへと変貌させたのかを説明する。

    方法

    本発表のための研究期間は、平成24年4月から、令和2年3月に至るまでの8年間である。研究方法は、その間に行ってきた池谷さん(国立民族学博物館)との長い対話の分析になるだろうか。

    結果

    詳しい指導の方針は、池谷さんに聞いてみないとわからないが、8年間を振り返ってみると研究当初より、私には人類学的な視座より、人間の作り出す環境について論ぜよという課題を与えられていた。池谷さんは、それを自身の地理学的な学識をもって批判し、対話を深めていくという一風変わった指導の形であった気がする。

    こうした奇妙な形の指導方法のためかはわからないが、私たちの主張は、真逆になる事が実に多かったように思える。私たちは、いかなる場所においても、互いの弱点を突くような攻撃的なコメントを選んだ。

    私は、池谷さんはなぜ、こちらの言うことを理解してくれないのかと悩んだことがあった。そして、それは数え切れない数に上った。それは池谷さんも全く同じであったと思う。そして、こうした互いを傷つけあうような状態がとても長く続いた気がする。

    池谷さんの指導は、モスキート海岸をはじめ、アマゾン川やアドリア海など、場所を選ばなかった。私たちはそうした場所で長年、対話を積み重ねていった。

    いつの頃だったか忘れたが、そうして会話し、共に歩みを重ねるなかで、私と池谷さんとの対話には、リズムのような物が生まれていった気がした。違う楽器を一緒に鳴らして刻むような感じで、軽快なものである気がする。

    そのようにして、私どもはそのリズムにのって、評者の言う「原石らしき物」を発見した。

    私どもは、こうして実に長きにわたる歩みを経た。しかし、私は書籍化の最終段階で、自らのエゴイズムを過度に表現することを選んだ。

    評者が言うように、石の磨き方を間違えたような分析をしているとするならば、その部分であろう。そのような裏切りにも似た行為によって、「原石らしき物」は、ただの石ころになった。

    だから、このように言うこともできる。「原石らしき物」は、池谷さんが見つけたのである。原石や鉱脈は、極めて優秀な地理学者にしか発見できない物である。それが出来たのは、私ではない。

    結論

    書評でのご批判は全て正しい。評者が指摘するように、書籍には間違いが多く、過大評価しすぎである。

    しかし一方で、私たちにはその書評によって、対話らしきものが生まれた。評者は、先日の合評会で、その対話を地理学と人類学をつなぐ架け橋のようなものだと表現した。評者は書評を用いて、その重要性を遠まわしに示唆してくれているのだと思っている。その点に私は賛同したい。

    長くなってしまった。このような書評への返答でご容赦いただけるかどうかはわからないが、随分ともったいないものをいただいてきた8年であった。心より感謝を申し上げたい。

  • ー四条大橋を中心にー
    飯塚 隆藤, 谷端 郷, 大邑 潤三, 佐藤 弘隆, 島本 多敬
    セッションID: P128
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ 研究背景および研究目的

     京都・鴨川の河川環境は,明治中期の鴨川運河開削や明治末期の同運河の拡張,三大事業に伴う橋脚工事,京阪電気鉄道の開通,昭和10年大水害後の大規模な河川改修などを経て,江戸時代の様相から大きく変貌した.こうした近世・近代における鴨川の河川環境の変遷に関する研究は,水文学/歴史地理学の吉越(2004)や文献史学の白木(2004・2015),土木史の林(2015)など様々な分野で取り組まれてきた.これらの研究では,工事関係文書・図面や地図,古写真などから検討されているものの,河川の状態や護岸,構造物などの地物の変化については不十分であり,複数年次にわたる古写真を用いることで,精度の高い河川環境の変遷分析ができるものと考える.

     本発表では,鴨川のなかでも古写真が多く残存する四条大橋周辺を主たる対象に,鴨川の河川環境の変遷を読み解くために構築したデータ基盤「鴨川古写真GISデータベース」の分析から明らかになった河川環境の変遷について紹介する.

    Ⅱ 研究資料および研究方法

     「鴨川古写真GISデータベース」の構築にあたり,まず,立命館大学アート・リサーチセンターの古写真デジタル・アーカイブプロジェクトによって作成された古写真データベースの中から,鴨川に関わる写真を抽出した.これらの写真の撮影地点を同定してGISデータ化した.次に,京都府京都学・歴彩館が「京の記憶のアーカイブ」において公開している写真についても同様に,鴨川の写るものを抽出した.また,京都市歴史資料館蔵の『京都市臨時事業部写真帖』と,立命館大学歴史都市防災研究所蔵の歴史災害関係資料(『水害写真:昭和十年六月二十九日』,『水禍と京都』,『暴風水害写真』など)をデジタル撮影し,古写真データベースに取り込んだ.そして,収集した古写真データベースの中から地点(橋)ごとに河川景観を把握できる写真を選定し,時系列に並べ,古地図や空中写真なども使いながら,撮影時期や季節,河川の状態,橋梁(デザイン等),護岸,護岸の高さ,樹木,構造物の有無,人物などの要素を読み解いた.

    Ⅲ 四条大橋周辺における河川環境の変遷

     四条大橋周辺は,鴨川運河建設(明治27(1895)年)以前では,河床に土砂が多く,それらの上で納涼床が営まれるなど近世的な河川利用がみられる.東岸(左岸)でも岸から高床式の床が張り出すなど河原との距離が近かったが,鴨川運河の建設後は,河原へのアクセス性が低下して鴨川と隔絶された感がある.また,大正2(1913)年に架設された四条大橋は当初,橋から運河堤防に設置された階段から河原に降りることができ,子どもが遊んでいる様子もみられたが,大正4(1915)年に運河堤防の上に京阪電気鉄道が開通すると,運河堤防上の階段が取り払われ,東岸から鴨川の河原に降りる手段がなくなる.

     一方,西岸(右岸)では,河岸の環境が激変しつつも,近世的な中小規模店舗による高床式納涼床も根強く残り,さらに近代建築による大規模化・常設化された納涼床も現れた.

    参考文献

    白木正俊2004.近代における鴨川の景観についての一考察—四条大橋と車道橋を中心に—.新しい歴史学のために257:1-17.

    白木正俊2015.日本近代都市における河川改修の史的考察—京都市の鴨川水系を事例に—.二十世紀研究16:91-122.

    林倫子2015.近代の都市河川—「山紫水明」の風致と鴨川の整備—.田路貴浩・斎藤潮・山口敬太編『日本風景史—ヴィジョンをめぐる技法—』279-309.昭和堂.

    吉越昭久2004.『歴史時代の環境復原に関する古水文学的研究—京都・鴨川の河川景観の変遷を中心に—』 2002年度・2003年度立命館大学学術研究助成報告書

    【付記】本研究は,立命館大学アート・リサーチセンター日本文化資源デジタル・アーカイブ研究拠点の2018年度・2019年度共同研究助成を受けたものである.

  • 宮町 良広
    セッションID: 202
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     Journal of Economic Geography 誌は,2019年7月発行の19巻4号において「グローバル生産ネットワーク論:新たな理論発展に向けて」というタイトルの特集を組み,9本の論文を掲載した.同誌は,クルーグマン流の地理的経済学と伝統的な経済地理学の統合的発展を目指して2001年に創刊された学術雑誌であり,英語圏の社会科学のトップ雑誌の一つとして知られる(経済学分野16位/347誌;地理学分野5位/79誌,2016年).これは経済学・地理学の両分野において,グローバル生産ネットワーク論(以下GPNと略す)が注目の的となっている証しであろう.特集号の著者は総勢20名に及ぶが,それらの専門領域は地理学・経済学のみならず,社会学,政治学,経営学など社会科学全般にわたる.しかしわが国の社会科学にGPNが浸透しているとはいえない.地理学分野に限ってみると,拙稿(宮町,2014)を除けば、水野(2013)が英語圏の経済地理学におけるネットワーク的視点の研究の一つとして言及した程度である.小田ほか(2014)が翻訳した『経済地理学 キーコンセプト』において,グローバル経済地理の近年の新しい展開として若干触られているにすぎない.また荒木(2007)はGPN論の源流の一つである商品連鎖論を論じたが,GPNには言及していない.そこで本報告では,英語圏で注目されているが日本ではなじみのないGPN論の内容を理解・紹介することから始めたい.

    2.GPN論の登場

     GPN論は1990年代末〜2000年代初めに英国マンチェスター大学の地理学科に在籍した研究者によって開始された.その中心はピーター・ディッケンであるが,その教え子でシンガポール大学勤務のヘンリー・ヤン,マンチェスターに赴任してきたニール・コー,マーティン・ヘス,さらに同大ビジネススクール教授だったジェフ・ヘンダーソンがコアメンバーである.ディッケンはその主著であるGlobal Shift の改訂を進める中でGPN論を発展させてきた.GPNとは「モノやサービスが作られ,流通し,消費される生産循環をベースとして,経済諸関係やガバナンス,制度,ルールなどをめぐって諸主体間で国境を超えて展開する経済・政治的現象の総体」と定義される(宮町,2014).ここでいうネットワークとは階層性に対置される概念で,要素間のフラットな関係を意味する.GPNアプローチの特徴は,多様な主体(企業,国家,労働者,消費者,社会的市民組織)の行動を重視すること,グローバルからロカリティまで幅広い地理的スケールを包含すること,地域経済発展に研究の焦点をあてることなどである.

    3.GPN2.0 とその概念図式

     ディッケンが2000年代半ばに研究の第一線から退くと,その後の牽引役となったのがコーとヤンである.2人は共著で多数の論文を発表してきたが,その集大成と言うべき著書がCoe and Yeung (2015) である.以下では同書に依拠してGPN論を紹介する.同書は,2000年代に作り出された初期のGPN論をGPN 1.0 と命名した上で,それをアップグレードした理論をGPN 2.0 と呼んだ.2人によれは,GPN 1.0 の弱点は,価値,権力,埋め込みというGPNの3つの基本カテゴリーとそのダイナミクスを結びつける因果関係が解明できなかった点にある.そこでGPN 2.0 では,資本主義のダイナミクスが企業をはじめとする各種主体の戦略を規定するという観点を追加し,その戦略の決定が企業の価値獲得の軌道に影響を与え,最終的には特定の地域での経済発展や格差をもたらすという図式を提示した.当日の報告ではGPN 2.0 の特徴や地域経済発展のとらえ方について紹介したい.

    ※本研究はJSPS科研費17H02429の助成を受けている.とりわけ分担者である藤川昇悟氏(西南学院大学)・大呂興平氏(大分大学)による翻訳を利用させていただいた.

    主要文献

    Coe, N. M and Yeung, H. W-c. 2015. Global Production Networks: Theorizing Economic Development in an Interconnected World. Oxford: Oxford University Press.

  • 阿部 志朗
    セッションID: 802
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    島根県西部の石見地方では,19世紀後半から石見焼と石州瓦という2つの陶器製品の生産が盛んになり,国内外各地におもに船で運ばれた。これまで日本海沿岸地域の北前船寄港地を中心にそれらの分布を確認し,近代日本海海運による物流の指標となり得ることを報告してきた。

     本報告は,従来の日本海沿岸地域から対象地域を内陸,とくに近世〜近代にかけて河川舟運が発達していた国内の河川流域に広げ,現地調査をもとに石見焼製品の分布を把握し,近代における北前船に象徴される日本海海運と河川舟運との日用品の流通の連結について考察することを目的とする。

     近代までの石見焼は,製品を大きな甕の中に小さな壺やすり鉢などを 入れ子状 にして梱包する「菰包み」に特徴がある。甕の底面に中身が分かるような墨字や刻印を印した場合があり,江戸末期から明治期にかけての甕の底面には窯印と甕のサイズ,梱包の中身が墨字で列挙されている。また1903(明治36)年から昭和初期にかけての石見焼製品は底面に「石見焼」の刻印がある。これらの特徴から大まかな生産年代をつかむことができる。

    石見焼は工場(窯)の興亡・譲渡による資本移転が激しく,現在の石見焼窯元のうち明治期から存続している窯はない。そのため資料に乏しく,窯印が見つかってもその窯がどこに存在していたのか不明な場合も多い。窯の所在,時期が明確な製品を中心に考察する。

     調査は,石見焼産地の島根県を除く日本海に河口を持つ石狩川、岩木川,米代川,雄物川,最上川、信濃川(千曲川),阿賀野川,庄川,手取川、円山川、千代川、遠賀川などの河川の流域市町村の資料館や文化財指定の古民家などを中心に行った。

     上述の調査対象とした地域の多くで,近代初期の石見焼を確認した。1885(明治18)年に現在の島根県江津市の江の川河口の左岸で創業。多くの職人を雇い石見焼技術の指導的役割を果たした泉窯は,鉄道敷設による用地買収をきっかけに1916(大正5)年に廃業した。まさに北前船の時代の石見焼を象徴する窯である。今回の調査でこの窯の製品が雄物川中流の秋田県大仙市,信濃川(千曲川)流域の長野県中野市、長野市,手取川上流の白山市などで確認できた。いずれも,聞き取りで明治期から使われていたものであることが確認でき,北前船による海上輸送と河川舟運が盛んであった河川の川船とが連結した物流の実態の一端を確認することができた。ほかにも窯,時期が未確定であるが,墨字あるいは刻印がありあきらかに近代の石見焼と分かる製品を,河川流域の内陸地域で多く確認できた。

    北海道〜本州にかけて近代までに河川舟運が盛んであったとされる大きな河川流域の内陸地域に,島根県西部で鉄道が敷設する以前からの石見焼が流通している。石見焼は,北前船と川船との連結による物流が内陸地域に及んでいたことの物証となりうる。

     調査では石見焼だけでなく肥前産の甕,尾道の酢徳利,鳥取の酒徳利,数は少ないが常滑焼の甕などの一般家庭で使われる他の陶器も散見された。これらの陶器類も合わせ近代日本海海運による物流の実態把握を今後の課題としたい。また鉄道輸送との関係も考察していきたい。

  • 洪 明真
    セッションID: P126
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.明治初期における銀座地域の変化

    明治政府は,明治2(1869)年4月29日に近代東京の最初の町界・町名整理,および身分別の武家屋敷と一般の町の土地域分を整理した.ここで銀座地域に大きな景観の変化をもたらす契機になったのが,明治2(1869)年12月28日の「京橋大火」と明治5(1872)年1月14日の「京橋日吉町火事」,および明治5(1872)年2月26日の「銀座の火事」,さらに明治6(1873)年2月21日「南佐柄木町火事」であった.明治政府は日本が西洋列強国のように近代国家になるため,都市建設の政策として西洋文明を入れることが急務であったと考えた.すなわち,明治政府は,都市の外観を変えることができる地域を必要としていた.明治5(1872)年,東京府知事であった由利公正は,封建的都市からヨーロッパ風の都市,とりわけ不燃都市の改造計画を立案し,新しい都市を建設する計画および政策を地域全体で実現できる最適な場所として銀座が選定された.

    2.明治後期の銀座地域における土地所有者の動向

    東京市区調査会が発行した明治45年の『東京市及接続郡部地籍台帳』は,地番や土地の等級,坪敷,地価,所有者の氏名と所有者の住所が分かる.東京銀座の土地所有の動向については,各町名別の一筆ごとの土地等級と土地所有者を調べた(図1).その結果,明治45(1912)年の銀座全体の平均土地等級は96.8等級で,銀座のなかで等級が最も高くなっているのは尾張町2丁目で,その等級は113.6であった.次に尾張町1丁目の112.5等級であり,一番低いものが西紺屋町の85.3等級であった.次に地籍台帳に記載されている土地所有者の居住地が銀座出身か,それとも他の地域の出身か,会社となっているかを調べ示したものが図1である.これによれば,銀座地域の土地は672筆となっており,銀座地域に居住している土地所有者は672筆のうちに340筆(50.6%)を,居住地が銀座地域ではない土地所有者は287筆(42.7%)を,会社は45筆の土地(6.7%)をもっていた.

  • 南雲 直子, 原田 大輔, 江頭 進治
    セッションID: 717
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    2019年10月の台風19号の通過に伴う豪雨により、宮城県丸森町では死者10名、行方不明者1名の人的被害を含む甚大な被害が発生した(2020年1月7日時点)。このうち、町の南部を流れる阿武隈川水系内川の流域では、上流部で崩壊・土石流が各所で発生するとともに、内川や五福谷川を通じて輸送された土砂が洪水や流木とともに下流部で大きく氾濫した。2017年の九州北部豪雨などに代表される近年の豪雨災害では、洪水だけでなく大量の土砂や流木を含んだ氾濫による被害が顕在化している。本研究ではこれを念頭に、中小河川の洪水ハザード情報の収集に向けて地形学の視点から内川流域における土砂・洪水氾濫現象の地形的特性を明らかにし、中小河川の川づくりに向けて有益な洪水ハザード情報を収集しようとするものである。発表では、災害直後に撮影された空中写真や衛星写真、2万5千分の1地形図を用いた解析と、土木研究所ICHARMが2019年11月、及び12月に実施した現地調査によってこれまでに得られた成果の一部を紹介する。

  • 佐々木 夏来, 須貝 俊彦
    セッションID: P165
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    仙岩火山地域には,緩傾斜な火山原面上や地すべり地に湿地が多数分布している.火山原面上の湿地は,噴火口のほかに,南北に延びる稜線の東側にできた雪の吹き溜まりや,稜線沿いの鞍部などの斜面から涵養水が供給されるような平坦地に形成されている.このことは,湿地の立地によって涵養源が異なることを示唆し,湿地の湿潤状態の季節変動にも影響していると考えられる.本研究では,火山原面上の雪の吹き溜まりに形成された湿地(雪田型湿地),稜線沿いの平坦な鞍部に形成された湿地(平坦地型湿地).巨大地すべり地内に形成された湿地(地すべり性湿地)を対象として,湿地の土壌水分特性の季節変化とその要因を明らかにすることを目的とした.それぞれの湿地の深さ5 cmの位置に,METER社製5TEセンサーを埋設して,地温,土壌水分,電気伝導度を1時間毎に観測し,積雪および融雪状況をPlanetscope衛星の3 m解像度の衛星画像で確認した.観測の結果,地すべり性および平坦地型湿地では,5月中旬から6月上旬頃の融雪時期に土壌水分は急上昇して1週間程度高値が続いたのち,降雨量に応答して大きく変動した.また,電気伝導度は,積雪時期に少しずつ上昇を続けた後,融雪期に急低下する特徴が共通して認められた.一方,雪田型湿地では,観測地点で地温が上昇し始めた5月下旬以降も7月下旬まで土壌水分の高い状態が継続し,積雪期から融雪期にかけての電気伝導度の変化は小さかった.雪田型湿地において融雪後の長期にわたって土壌水分値が高かったのは,5月下旬に地温が上昇し始めて観測地点では積雪から解放されたものの,周辺斜面には7月上旬まで積雪が残り,そこからの水の供給が梅雨前線による多雨期まで継続したためと考えられる.湿地の土壌水分特性が積雪量と融雪時期に大きく影響を受けていることから,さらに長期的観測が必要である.

  • ―大阪市堂山町を事例として―
    陳 效娥
    セッションID: P125
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     大阪の玄関口であるJR大阪駅と地下鉄、私鉄の各梅田駅の周辺には商業施設や業務施設などが密集している。そのため日中は通勤・通学客や買い物客で賑わい、夜はJR大阪駅の東側にある阪急東通り商店街の飲食店を利用する客で活況を呈している。大阪を代表する盛り場の一つである阪急東通り商店街では深夜遅くまで営業する店が多く、若年層を取り込んだ、まさに多様な人々が混じり合う場となっている。その中でも、阪急東通り商店街の「パークアベニュー堂山」界隈には、特殊で多様な性的指向/嗜好、ジェンダー・アイデンティティを持つ人々向けの店が立ち並んでいる。

    2.研究の目的

     「パークアベニュー堂山」界隈に立地しているセクシュアル・マイノリティ関連の店の大半は、ゲイ・バーである。その数は160軒を超える。しかし、ゲイ男性向け以外にもレズビアン、トランスジェンダー、異性装者向けの店が混在しており、多様性が受け入れられている場であるといえる。そもそもなぜ、この地域に異性愛規範から「逸脱している」とされる人々が受け入れられたのか。

     本発表では、「パークアベニュー堂山」が位置している大阪市堂山町に焦点をあて、この地域がどのような歴史的過程を経て異性愛規範から「逸脱している」人々を受容する場となったのか、地理的文脈から解明することを目的とする。

     研究の対象時期は、堂山町にとって大きな転換期の一つであった戦後に着目し、現在に至るまでとする。地域の変遷をみるため、住宅地図や行政の資料を用いて土地利用、主要業態の変化を追跡する。終戦直後から1950年代までは資料が少ないため、商業雑誌などを含む多様な文献を検討する。

    3.小括

     堂山町に位置する東通り商店街界隈の大部分は戦前まで太融寺の寺域で、そこは住宅地に利用されていたが、戦争中の空襲で大半が焼失された。終戦直後、ここは住宅地から商店街へと次第に変わっていった(サントリー不易流行研究所1999)。『北区誌』(1955)によれば、1950年代後半になると、太融寺界隈には連れ込み旅館、ラブホテル、性風俗関連の店が増加し、堂山町界隈は盛り場として賑わうようになった。1960年代〜1970年代には、高級料亭やジャズハウスなども開業し、多様な文化が流れ込んできた(サントリー不易流行研究所1999)。しかし経済成長期の終焉とともに、比較的安価なバー、スナックなどに入れ替えが生じた。戦後の堂山町は、多様な文化が混じり合う場であった。このような背景が今日セクシュアル・マイノリティ向けの店舗立地の誘因に関係しているのではないか。現在阪急東通り商店街は異性愛者向けの店と多様な性的指向/嗜好、ジェンダー・アイデンティティを持つ人々向けの店が共存する遊興空間となっている。

    参考文献

    サントリー不易流行研究所1999.『変わる盛り場—「私」がつくり遊ぶ街』30-35.学芸出版社

    大阪市北区役所1955.『北区誌』381-384.

  • 西村 雄一郎, 瀬戸 寿一
    セッションID: 909
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     2019年7月に開催された第29回国際地図学会議(ICC2019)東京大会では,キーノートセッション(https://www.icc2019.org/keynote_presentations.html)において,4名の講演者が登壇した.講演者の顔ぶれは,大阪市立大学教授のVenkatesh Raghavan,ヨーロッパで主にカーナビ開発を行う企業TomTomの地図部門副社長であるSteve Coast,国連の地理情報担当官の加川文子,ウェブ地図サービスを提供する企業であるMapboxのCEOであるEric Gundersenであり,1日1名ずつが講演を行った.

    本発表では,これらのキーノートセッションでの共通項であるクラウドソース型ウェブ地図について取り上げ,ICC2019で行われた関連の研究発表もあわせて,地理・地図学分野で浸透しつつあるクラウドソース型ウェブ地図の意義について考察したい.

    2.クラウドソース型ウェブ地図とは

     クラウドソース型ウェブ地図とは,近年さまざまな分野でその利用が活発化しているクラウドソーシング(crowdsourcing)と呼ばれる一般市民からの情報によって,インターネット上の地図を編集するプロジェクトによって作成されたインターネット上のデジタル地図のことを指す.クラウドソーシングとは,一般的には,インターネットなどの通信技術を用いて,業務の公募や受発注を不特定多数の者の間で行うなどの新たな労働形態のことを指すが,広義には必ずしもそのような雇用関係を前提とせず,不特定多数の者の間で行われる,主にインターネット上で進められるプロジェクトを意味する.そのようなプロジェクトのひとつの分野としてクラウドソース型ウェブ地図が,近年その勢力を拡大してきた(瀬戸, 2017).

    3.キーノートにおけるクラウドソース型ウェブ地図

     キーノートでは,Steve CoastとEric Gundersenが,クラウドソース型ウェブ地図の中核的なプロジェクトのひとつであるOpenStreetMap(OSM)に深く関わる内容の講演を行った.Steve Coastは2004年8月に始まった同プロジェクトの創始者であることから,これまでのOSMに関する歴史的経緯と功績について振り返り,オープンな地図の重要性やプロジェクトにおけるマッピング・コミュニティの形成,さらにそのベースにあるマッピングの楽しさが現在のOSMでも重要であることを示した.また,Eric Gundersenは民間企業の立場から、自社で開発したOSMデータをベースとしたウェブ地図の営利・非営利それぞれのセクターへの提供や高度にカスタマイズ可能なウェブ地図について,今後の展望として、特に日本における事業展開や日本のマッピング・コミュニティとの連携について述べた.

    また,加川文子は,グローバルなウェブ地図プラットホームとしてのOSMの可能性,とりわけ災害や疾病などに関する国際援助に関わる地図としての重要性を改めて示した.一方で,Venkatesh Raghavanは,オープンな地理情報システムに関わる国際的なプロジェクトとして,OSGeo財団の活動,特に世界中のだれもが,自由に地理情報を取り扱うことのできる世界を目指した活動である「Geo for All」を取り上げ,オープンな地理情報ソフトウェアであるFOSS4G,ならびにオープンな地理情報(データ)の代表としてOSMという,ソフトウェアとデータの両輪が基盤となることを示した.

    4.おわりに

    以上のキーノートセッションから示されるクラウドソース型ウェブ地図の意義として,以下の点が挙げられる.

    唯一のグローバルなクラウドソース型ウェブ地図プラットホーム商用含め,だれもが自由に利用可能なライセンス形態ウェブ地図のない地域でのマッピング・コミュニティによる地図作成の可能性・国際援助における重要性世界中のだれもが自由に地理情報を取り扱うことのできる世界に向けた,オープンな地理情報システムとオープンな地理情報データベースの重要性「楽しさ」をモチベーションとしたマッピング・コミュニティのグローバルな拡大

     ICC2019で行われたクラウドソース型ウェブ地図に関する研究発表もあわせて,地理学・地図学に与えているインパクトや意義について,当日報告を行う.

    文献

    瀬戸寿一 2017.地理空間情報のクラウドソーシング化.若林芳樹・今井修・瀬戸寿一・西村雄一郎編『参加型GISの理論と応用』34-37,古今書院.

  • 小森 次郎
    セッションID: 714
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    2019年10月12日,台風19号の接近により南関東を東京湾へ流れる多摩川(全長138 km)周辺でも豪雨となり,流域内6か所のアメダス観測点ではいずれも24時間降雨量の観測史上最多を記録した.国土交通省の石原水位観測所(河口から27.6 km)と田園調布水位観測所(同13.4 k)では約90年の観測史上最高の水位となり河川の計画高水位を超えた.これにより下流の右岸では東京都調布市・狛江市・世田谷区・大田区が,左岸では神奈川県川崎市多摩区・高津区・中原区・川崎区の15地域で住宅等の浸水被害が発生した(図1).本発表ではこれら地域の現地調査で明らかになった被害の特徴と,そこから考えられる課題について報告する.なお,この調査では発災翌日の10月13日に撮影された国土地理院の航空写真が大いに役立った(2020年1月22日現在,電子国土Webサイトで閲覧可能).

    【浸水被害の特徴】

    ・浸水の原因は①多摩川につながる樋管からの逆流,②多摩川から支流河川へのバックウォーター現象,③堤防より低い水門を越えた多摩川からの越水,の三つに分類される.

    ・多摩区布田と高津区二子以外の主な浸水域は江戸期の瀬替えを経た多摩川の旧河道の地形に相当する.

    ・多摩川は溝の口の下流側を境に上流は網状流河川,下流は蛇行河川を呈するが(門村(1961)地理科学,1, 16-26),浸水域の広がりかたもこの違いを反映している.

    【課題】

    ・①の多摩川につながる樋管からの逆流については,記録的な増水の中で水門を開放していた川崎市や調布・狛江境界での河川管理について特に検証が必要である.

    ・現状のハザードマップは,広域の内水氾濫や河川の氾濫による建物被害を示したものであり,今回のような樋管や用水路周辺の局地的な浸水の危険性を理解することはできない.

    ・1974年の多摩川水害以降,目立った洪水がなかったことで住民の川への防災意識や土地の成り立ちに関する知識が薄まっていた可能性がある.

  • 藤塚 吉浩
    セッションID: 404
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    東京都中央区のCBD近くには、漸移地帯の特徴である卸売業の店舗や軽工業の工場が集積していた。1980年代後半から1990年代初めにかけての地価高騰期には、住宅を兼ねていたものの多くは投機的に買収されて、立ち退きとなった。1990年代半ば以降、急激に地価が下落すると、立ち退きされたところの多くは、空閑地や空き家や駐車場となった。これらの低・未利用地を再利用させるために、2002年に公布された都市再生特別措置法のもとで都市再生緊急整備地域が導入され、規制緩和の実施により、超高層共同住宅が多数建てられた。これらを起因として、2000年代前半には中央区においてジェントリフィケーションが発現した。

     CBDから離れた港区白金では、古川沿いに低廉な地価を立地条件とした小工場が集積していた。地価高騰期をすぎた1990年代半ばまでは、多くの小工場が残っていた。2000年代になると、これらの住宅を兼ねた工場の多くが立ち退きとなり、超高層共同住宅を含む多くの民間共同住宅が建てられて、ジェントリフィケーションが起こった。建設された超高層共同住宅の高価な住戸には、外国人の来住もあり、グローバリゼーションの影響が看取された。

     20階建以上の超高層共同住宅は、東京では湾岸地域と都心・副都心を含む中央区、港区、江東区、新宿区に多い。本研究においてジェントリフィケーションの指標とする、専門・技術,管理職就業者数の2010年から2015年までの90人以上の増加は、中央区、港区、新宿区ではなく、CBDから離れた文京区や豊島区、荒川区、墨田区に多い。これらの区には木造住宅密集地域が含まれ、ブルーカラーの割合が高く、インナーシティとしての特徴がある。

     2000年代には工場を兼ねた住宅の跡地である低・未利用地の存在が、ジェントリフィケーションの起因となったが、この傾向は2010年代以降の都心周辺部においても続くのであろうか。本研究では、都心周辺部のどのような地域において起こったのか、またその起因は何なのか、さらに地域には影響がみられるのかについて、現地調査の結果をもとに明らかにする。

  • 崎田 誠志郎, 松井 歩
    セッションID: P105
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.背景

     近年,中国における乾燥ナマコ需要の増大を背景としたナマコ価格の高騰は,産地である沿岸漁業地域にバブル的活況をもたらしている.既存漁業の低迷に悩まされてきた北海道西部地域では,この経済効果を一過性のものとせず,漁業と地域社会の持続的発展につなげるべく,各地でさまざまな試みがなされている.その一事例として,本発表では,ナマコ資源の持続的利用と地域振興を目指した北海道岩宇地域1)における取り組みについて報告する.手法は各関係主体への聞取り調査および資料収集を中心とし,2019年8月・11月に現地調査をおこなった.

    2.地域商社事業を介したナマコの生産・販売体制

     当該地域では,2016年度から5カ年計画で採択された地方創生加速化交付金および地方創生推進交付金を原資とするナマコの生産・販売事業2)が展開されている.本事業は町村連携による地域商社事業を核としており,域内の3町村(神恵内村,泊村,岩内町)と2漁協(古宇郡漁協・岩内漁協)から構成される「積丹半島地域活性化協議会」が中心となって進められてきた.地方創生への採択を受けて,2017年に3町村の共同出資により地域商社(株式会社キットブルー)が設立され,漁協が生産・増養殖を,地域商社が販売を担い,町村が財政支援をおこなう体制が構築された.

     協議会にはオブザーバーとして北海道行政,金融機関,およびキットブルーが参加するほか,ナマコの製品加工は地域内外の加工業者に,資源調査は民間企業に委託されており,幅広い主体を巻き込んだ事業展開がなされている.また,原料となるナマコは地元の仲買業者から仕入れることで,資源を独占することなく,地域の既存ナマコ産業と共存していくことも図られている.

    3.考察

     本事例は,ナマコ価格の高騰を受けて各地で生じているさまざまな動きの中でも,特に地域の行政主体が補助事業を活用して主導的に対応を講じた例として位置づけられる.事業計画が立案された当初の目的は,ナマコ漁獲量が徐々に減少していく中で(図1),行政が資源の増養殖事業を支援するための資本を確保することにあったとされる.そのうえで,共通の課題を抱える地域の町村が地方創生の事業枠のもとで連携し,地域商社を核とする現在の事業体制が構想された.構想から実現までの過程では,コモンズ研究などで資源管理の成功要件として指摘される強いリーダーシップが原動力として存在していたことが示唆された.

     一方で,外需の動向に大きく左右されるナマコ事業は長期的な展望が描きにくく,増養殖事業の効果や,販売事業の安定的な収益化,地域への利益還元方法などには未だ不確定な部分もある.また,増養殖事業は町村ごとに,ナマコ漁の操業管理や荷捌き・出荷は本事業と関係なく地区(旧漁協)ごとにおこなわれている.そのため,販売事業と比べ,資源利用の面では依然として地区間での差異が存在することもうかがわれた.

    1) 岩宇地域とは,北海道岩内郡(岩内町・共和町)および古宇郡(神恵内村・泊村)の総称である.

    2) ナマコのほかにウニの生産・販売も事業対象となっているが,ナマコに比べて小規模であるため本発表では割愛する.

  • 飯沼 健悟
    セッションID: 832
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

    拡幅により創設された道路境界の復原,近世における道路景観の復原には,これらの謎解きが必須であることから,拡幅当時の都市計画,土地台帳及び明治期に作製された地引絵図から公図への連続性を紐解き,本研究において検証してみたい。

    岐阜市街地における都市計画

    明治から大正時代において,市街地が近代都市へと発展するために『市区改正』と称して各地で街区整備が行われている。岐阜市は明治22年(1889)に成立しているが,明治20年(1887)に開業された東海道線から岐阜公園までの道路(現在の国道256号線)を八間道路として拡幅し,それに併せた加納停車場(現在の岐阜駅)の西方への移設が市制前より議論されていた。

    明治35年(1902)に八間道路が実現することとなるが,明治44年(1911)には八間道路に路面電車が開通することで,再拡幅が行われた。

    太平洋戦争中の岐阜市空襲被災による戦災復興土地区画整理では,矢島町二丁目が被災区域境となり,この幹線道路の被災地側の道路は更に拡幅されて区画整理が行われた。これは復興都市計画事業による拡幅とされている。

    区域以北の道路拡幅は,都市計画法による計画道路として昭和50年代に行われ,現在の道路景観となった。

    まとめにかえて

    本地区の登記所備え付け公図は,複数の事業による拡幅が集約されたものであり,特異な記載はそれが原因であることが明らかとなった。

    本研究で,明治期から道路拡幅が行われた区域で,土地境界等の復原を行うためには,明治期作成の地籍図を基に,土地の分割時期,土地台帳規則から不動産登記法へ変遷した手続き方法,そして地籍図の再製,これら特色を考察する有用性が確認できた。

    権利関係が複雑となっている市街地において,これら考察を纏めることは,道路境界だけでなく民有地間の境界を復原する際にも効果的な作業であろう。今後は,地区を拡大し研究を深め,検証していくことを課題としたい。

  • 小林 峻, 日下 博幸
    セッションID: 519
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    2017年6月3日、ベトナム北部の都市ハノイで過去40年間で最高となる41.5℃を観測した。このような都市の記録的高温の原因として、地球温暖化や大規模スケールの異常気象といったグローバルスケールの現象だけでなく、フェーン現象や都市ヒートアイランド(UHI)といったローカルスケールの現象が指摘されている。しかしこれら先行研究は、都市の記録的高温に対するグローバルスケールおよびローカルスケールの現象の寄与をまとめて議論していない。そこで本研究は、2017年6月にハノイを襲った記録的高温に対して寄与していた異なる時空間スケール現象を、データ解析および数値シミュレーションにより調査し寄与を定量的に評価するものである。

     まずWRFによる数値シミュレーションが2017年6月の記録的高温を再現できているか、NOAAの運営するClimate Data Onlineより得られる観測データと比較して評価する。気温や相対湿度、風向については観測値と変化傾向がおおむね一致した。次に観測データを用いて、ベトナム北部の気温の40年(1971-2010)変化傾向を調査した。その結果、1971年から2010年の40年間で0.908℃の気温上昇傾向が認められた。さらに数値シミュレーションを用いてUHIの寄与を定量的に評価したところ、6月2〜5日のハノイでは昼間では0〜+1.0℃、夜間では+2.0〜+4.0℃であった。一方、再解析データのNCEP-FNLを20年(2000-2019)分用いたデータ解析により、大規模スケールの異常気象の寄与を定量的に評価した。その結果、6月2〜5日は20年平均値を+4.0〜+8.0℃上回る暖気が西風によりハノイ上空に移流されていることがわかった。さらに、この気温の正偏差および西風がともに強かった場合にハノイで気温が上昇しやすいことも示唆される。最後に数値シミュレーションにより、6月2〜5日にはハノイの風上側でフェーン現象が継続的に発生し、昼間にはハノイ上空およびその風上側で混合層が顕著に発達していたことがわかった。なお地形の昇温効果は最大+3.0℃、平均+0.33℃であった。

     以上より、2017年6月にハノイを襲った記録的高温には、地球温暖化や暖気移流といった大規模スケールの現象から、フェーン現象やUHIといったローカルスケールの現象まで寄与していたと結論付けられる。

  • 森田 喬
    セッションID: 906
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    国際地図学協会は1959年に発足し、2年ごとに世界各地で国際地図学会議を開催してきた。1980年には東京において同会議を開催し2019年には2度目の開催が行われた。この協会には、発足時から産官学の多方面のメンバーが参加し、その後の地図分野のデジタル化の流れに対応してきた。そこで、GISと地図学の観点からその流れを追い考察を加える。

  • 井上 穣, 奈良間 千之, 王 純祥, 瀧田 栄次
    セッションID: P189
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     地すべり地形の表層に見られる様々な微地形は,内部構造や滑動形態を反映した結果である(小原ら,2006).地すべり地形にみられる微地形を類型化して,それぞれの発達過程を考察した報告もある(木全,2003).この報告では過去に動いた地すべり地形を対象としており,現在流動している地すべり地形の表層の時系列変化を高時間分解能で調査した研究は少ない.そこで,本研究では,新潟県高田平野の東方の東頸城丘陵縁辺部に位置する雁平地すべり地形を対象に,定期的なUAV空撮および現地踏査をおこない,表層の地形変化と地すべりの関係を考察した.

    2.調査地概要

     新潟県上越市の雁平地すべり地区は,滑動が確認された順序よりⅠ,Ⅱ,Ⅲの区域に分けられ,いくつかの地すべりの集合体からなる.1961年に地すべり指定地として管理されて以来,調査と地すべり防止工事がおこなわれてきた.本研究では,Ⅲ区域の中でこれまでに防止工事がおこなわれていない地区の地すべり地形を対象とした.この地区の地すべりは2015年以降の流動が確認されており,株式会社キタックの移動観測杭の調査によると,年間最大で約38m水平移動している.

    3.研究方法

     2019年8月19日,9月13日,10月28日,12月10日,12月24日,2020年1月17日に現地調査をおこなった.地すべり地形の地表面流動を観測するため,GEM-3(イネーブラー)を用いて移動杭と地表面マーカーのGNSS測量を実施した.立体的な地形の変動を測るため,UAV空撮による連続画像からSfMソフトを用いて3次元点群データを作成した.

     また,地すべり地形の地表変動を抽出するため,差分干渉SAR解析をおこなった.解析はALOS-2/PALSAR-2データのうちアセンディング軌道の2015年6月7日,7月5日,11月8日,2019年5月19日,11月3日の5画像3ペア,ALOS/PALSARデータのうちアセンディング軌道の2010年4月8日,5月24日,7月9日,8月24日の4画像の2ペアの解析をおこなった.

    4.地表面流動

     2015年の約1か月間ペアの差分干渉SAR解析の結果,雁平地区内に地表面変動を示す変動縞を確認した.2015年の約4カ月間ペア,約5カ月間ペア,2019年約6カ月間ペアでは,同区域内で干渉しない範囲が存在し,この区域では位相の範囲に収まらないほど地表面変動があったと推定される.これらの結果から,現在滑動する地すべり地形は,標高150m〜280m,長さ800m,幅170mであることを確認した.2010年の約4カ月間ペアの差分干渉SAR解析の結果,同範囲でわずかに地表面変動が確認され,この特定された地すべり地形の地表変動は2010年よりも増大しているといえる.特定した地すべり地形周辺に4本の移動杭と19個のマーカーを設置し,GNSS測量で表面の流動量を計測した.その結果,9月13日〜1月17日の127日間で最大4.5mの水平移動が確認され,現在もこの地すべり地形は活発に滑動していることがわかった.

    5.表層の微地形

     現地での地形観察と作成した地形表層モデルより地すべり地形を微地形群に分類した.移動地塊のブロックは,地すべり地形の頭部(標高270m以上)にみられ,高さ1m程度の副次滑落崖によって分割されている.ブロック上に設置した移動杭は8月19日〜1月17日の152日間で計測したが変動を確認できなかった.

     地すべり地形上の木本は点在する程度だが,地すべり地形の周辺は森林が発達している.地すべり地形内は,倒木や傾いた樹木がまばらに分布する程度で,ほとんどの植生は草本であり,裸地も点在する.地すべり地形の上部からガリーが数本形成されており,土石流による小規模な沖積錘も見られた.過去の衛星画像や空中写真を比較すると,2014年までは地すべり地形内は樹木に覆われているが,2015年以降から地すべり地形内で大幅に樹木数が減少することを確認した.

    6表層の時系列変化

     菊池(2002)によると,直立する幹が森林群落を形成する場合,少なくとも幹が成長する過程で幹が破壊されるような地表の撹乱はなかったとされる.調査地では,2014年まで地すべり地形は樹木に覆われていたことから,表層を破砕するほどの激しい流動は生じていなかったと考えられる.調査地は,樹木がなくなることで裸地化が進み,ガリーが発達することで土砂流出が増大している.今後,流動が継続されれば樹木はなくなり,ガリーが発達し,裸地化と土砂流出により地表面の凹凸がさらに増加すると考えられる.以上のことより,樹木の減少を示す地域は地すべりによる崩壊が進んでいる可能性がある.今後,空中写真および差分干渉SAR解析により評価していく必要がある.

  • 元木 理寿, 佐々木 達
    セッションID: 318
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに  

     世界農業遺産(GIAHS:Globally Important Agricultural Heritage Systems)とは,武内(2013)は「変わりゆく遺産であり,進化する遺産であり,それゆえに,持続可能な農業を体現した遺産として認められています。GIAHSが認定するのは,表向きは伝統的な農法であったり,農業構築物であったりしますが,大切なのはあくまでも,それを維持・管理する人たちと一体となったシステムです。」と評している。世界農業遺産に認定された地域は,世界で21ヶ国58地域、日本では11地域(2019年11月現在)となっている。本研究では,日本における世界農業遺産に認定された地域の中で宮城県大崎地域,特に大崎土地改良区を対象として,土地改良事業からみた水管理とそれにかかる農業従事者の現状を明らかにし,今後の水管理に伴う課題を検討するものである。

    2.「大崎耕土」と世界農業遺産

     本研究で対象とする世界農業遺産の範囲とされるのは,宮城県大崎市に加え,色麻町,加美町,涌谷町,美里町の1市4町となっている。また,本地域は,江合川,鳴瀬川の流域の範囲位置し,かつてより「大崎耕土」(大崎地域)と称されてきた。この地域の農業システムが未来に残すべく「生きた遺産」として,2017年(平成29)12月に世界農業遺産として認定された。大崎地域が世界農業遺産の認定に際し,注目されたのは「巧みな水管理」である。大崎地域は,江合川と鳴瀬川の流域を背景として現在でも東北地方を代表とする水田地帯として位置づけられている。本地域は,季節風である「やませ」による冷害や,地形的要因による洪水・渇水の影響を受けやすかったが,水田農業を安定化させるための水管理とその組織が重要な役割を果たしてきた。この水管理を象徴的に示しているのが,中世以降,流域全体に散りばめられた取水堰,ため池などの水利施設である。そして,その水管理を運営してきたのは「契約講」と呼ばれる相互扶助組織であり,水資源の配分調整,渇水時の「番水」や用水の「反復水利用」など可能とする農家主体の配水調整する組織である。しかし,本地域の「巧みな水管理」も現状では担い手不足や高齢化によって個別管理は難しくなってきており,合理的な灌漑排水システムと圃場規模の拡大により広域的な管理体制が求められている。

    3.大崎土地改良区における土地改良事業と水管理 

     世界農業遺産に認定された大崎耕土の水管理は,主として15の土地改良区が事業の運営を担っている。今回事例とする大崎土地改良区(4,756ha)は,江合川水系に位置する。土地改良区では,安定した水源の確保,用水路の管理・整備,稲作の効率性を高める圃場整備事業の推進を主たる業務としてきたが,近年では施設管理,排水管理,安全管理などにも及んでおり,求められる役割が大きくなっている。それに対して,米価低迷に伴う収支悪化による稲作経営からの撤退,土地持ち非農家の増加など,土地改良にかかる組合費(賦課金)の増加が見込めておらず,設備の近代化や効率性を企図した圃場整備事業の推進は土地改良区の運営見通しを厳しいものにさせつつある。とりわけ,稲作経営農家の減少,さらには農地の担い手の集積という構造再編の方向性は,土地改良事業による農地基盤の整備の成果に負うところが大きいものの,担い手の減少による水管理の費用負担問題や水管理の形骸化を生み出している。つまり,土地改良事業は,水田農業の合理化,省力化,そして効率化に大きく貢献してきた一方で,水田から農業従事者の存在を希薄化させることによって,土地改良区自身の業務を拡大させるという皮肉な結果をもたらしている。農地と同様に水資源は水田利用を維持,継続していくための農業インフラとして極めて公共性を帯びた存在である。世界農業遺産の認定によって,にわかに水田利用と管理に注目が集まっているが,足元では構造再編が着実に進むことによって新たな矛盾が発生している。

    文献

    武内和彦 2013『世界農業遺産-注目される日本の里地里山』祥伝社新書.

  • 小本 修司, 熊谷 美香, 水内 俊雄
    セッションID: P127
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    【研究の内容】

     本研究は,総務省統計局が政府統計の総合窓口(e-Stat)にてオープンデータとして提供している小地域(町丁・字等)単位の集計データを1950年時点の市町村単位に再集計する手法を和歌山県の国勢調査を事例に提案するものである.また具体的な統計処理について,RやGISなどのソフトウェアの使用例と共に紹介する.

    【研究の意義】

    〇統計処理上の意義−時系列比較を可能に

     現在e-Statでは,平成7年から平成27年までの小地域(町字・字等)単位の集計データが提供されている.この小地域統計は,これまでの自治体の合併により,市区町村単位の集計データでは地域の状況把握が困難な場合に一定の役割を果たしてきたと言える.

     しかし,実際に定量分析する際に問題点があるのも事実である.特に人口減少が著しい中山間地域においては,平成7年から平成27年までのデータを時系列比較するのは困難な場合が多い.

     この原因として挙げられるのが,対象の小地域に関して,①秘匿地域となる調査年がある,②合算先の地域が調査年によって異なる,③小地域の境界線が変更される場合がある,という3点である.

     こうした現状を踏まえて,冒頭で紹介した手法を用いれば,多くの場合,先に述べた3つの問題が回避できることがわかった.

     処理フローとしては,各調査年の小地域統計の地域コードと1950年の市町村との対応関係がわかる表を作成し,それに基づき再集計作業を行う.ただ,平成7年から平成27年の間にも市町村合併が起きており,その度に地域コードが変更となっていることや,小地域と言っても集計単位が大字・小字が統一されていないなどの個別に確認が必要な地域も少なくない.

    〇地理学的な意義—明治行政村単位での集計

     寺床(2017)では,地理学においては,行政地域に代表されるような外部的必要から設けられている形式地域と地域における住民の生活や,地域的な共同生活などの地的内容を持つ実質地域の両者が一致していない場合が多いことが指摘されている.

     しかしながら,実質地域である「広域集落圏(地域振興の行事や,広域な地域営農などが実施され,その範囲の中心集落には,福祉や商業サービスの拠点が存在し,それがネットワーク的に供給される集落類型)」と形式地域に当たる明治行政村は,多くの場合一致すると述べている.

     そこで本研究では,小地域データを再集計する単位を明治行政村とする.具体的には,いわゆる昭和の大合併が始まる直前の1950年時点での市町村単位に設定した.詳細はソフトウェアの使用例も含めた事例と共に当日報告する.

     なお本研究は,平成 29 年度和歌山県データを利活用した公募型研究事業で採択された「小地域人口推計に基づく人口縮減地域での集落再編と賦活力ある地域拠点摘出」(代表 水内俊雄)に基づいた研究事業の一環として進めてきた.この事業の紹介は,水内(2017)を参照のこと.

    【参考文献】

    小西 純 2010. 現状把握のための小地域統計データの利用と共有--情報共有媒体としての地方公共団体統計ホームページ (地方統計の現状と課題). 日本統計研究所報 40:33-48.

    寺床 幸雄 2017. 中山間地域における新しい集落類型の検討と地域支援への応用に関する地理学的研究. 平成28年度国土政策関係研究支援事業 研究成果報告書

    水内 俊雄. 2017.「和歌山県データを利活用した公募型研究」に参画して. 日本地理学会発表要旨集 2018a(0), 159

  • 福留 邦洋
    セッションID: 712
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    2019年には警戒レベルを5段階として避難情報と防災気象情報の関係を整理するなどの取り組みが行われ、早期の避難行動を促すようにしているものの、依然として災害発生前に指定避難所等へ避難する住民は限られていることがうかがわれる。本報告では、岩手県久慈市を対象として、2019年の台風19号が接近してから通過するまでの間、避難者がいつごろ避難所へ避難するのか、また避難者はどのような属性の住民なのか分析することとした。

    久慈市内の観測所においては、2019年10月12日〜13日にかけて総雨量約400mm、最大1時間雨量70mmを記録した。これにより市内の中小河川である小屋畑川、宇部川、夏井川などで越水氾濫が発生した。

    小屋畑川の下流に位置する避難所への避難者について調査したところ、10月13日朝までに約70人が避難していた。対象地区では10月12日23:00頃から降雨が強くなり、13日0:00〜3:00は30mm以上/時の豪雨となっている。避難準備情報の発令とともに避難所が開設(10月12日10:00)されたが、災害発生情報(大雨特別警報)が発表された午前2時までに避難した人は48人であった。このうち17時までに避難した人が27人となっている。この27人の90%以上が70歳以上であり、少なくとも半数は、家族や民生委員が避難所まで車による送迎を行っているとのことであった。一方、23時以降〜13日明け方までに避難所へ来た避難者は37人、70歳以上は5人にとどまる。さらに、全体を通して避難者は女性が男性の約2倍と大幅に上回っていた。

    早期避難は単身の高齢者が多く、60歳未満や家族単位のまとまった避難は避難指示など状況が切迫してから行動する傾向がうかがわれた。1時間雨量30mm以上の状況において、指定避難所へ自主的に避難する住民は限られると考えられる。また、土曜日から日曜日の夜半にかけての避難だったにも関わらず、女性に比べて男性の避難が少なかった原因についてはさらに調査、分析する必要があると思われる。

  • 山田 晴通
    セッションID: 838
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    福島県石川郡と東白川郡、中通り南部とも称される、JR水郡線沿線を中心とした地域には、小規模ながら週に5日以上刊行される「日刊」の地域紙が集中的に存在している。具体的には、石川郡石川町に『町民ニュース』(1946年創刊:1949年に現在の紙名に改題)と『夕刊いしかわ』(194***年創刊)、古殿町に『北部日報』(1960年)、東白川郡棚倉町に『夕刊たなぐら』(1953年)と『東白日報』(1972年)、塙町に『夕刊はなわ』(1958年)と無料のPR紙ながら「日刊」である『塙タイムス』(1999年)、矢祭町に『夕刊矢祭』(1973年)が存在している。これら5町は、合計しても人口は5万人あまり、世帯数は1.7万世帯足らずであるが、そこに7紙ないし8紙が競争的に共存していることになる。これらの新聞は、公称部数すらない場合もあるが、概ね1〜3千部程度の部数で発行されているものと思われる。

     発表者は、山田(1985)において、東北地方における日刊地域紙の立地について検討し、当時の東北地方における日刊地域紙の網羅的な把握を試みたが、その時点のリストには、石川郡の3紙と『夕刊たなぐら』はデータを収録したものの、残る東白川郡の3紙は存在自体を把握できておらず、表から漏れている(p.102, 第9表)。その上で、発行地として把握されていた石川町、古殿町、棚倉町について、県都からの距離という観点では、日刊地域紙の発行に有利と考えられる条件があることや(p.103, 第6図)、石川郡、東白川郡が、主読紙の配布状況の特徴から見ても同じような性格の位置付けになる(主読紙の世帯普及率、全国紙の配布構成比とも、やや低めである)ことを示した(p.104, 第10表)。

     山田(1985)を踏まえれば、その時点で考慮されていなかった塙町、矢祭町を含め、日刊紙が存在する5町は、県都からの距離は日刊地域紙の発行に有利だが、人口や世帯数は小さく、市場規模が限られた不安定発行地と見なせる。そこで発行されている地域紙には、不安定発行地にしばしば見られる特徴として指摘した、「a 小規模形態(判型・建頁など)、b 小規模経営(部数・従業員数・経営形態など)、c 系列紙、d 同一発行地での複数の日刊地域紙の競合」のうち、aとbは全ての地域紙に当てはまり、dも石川町、棚倉町、また無代紙を含めれば塙町にも該当する(p.106)。

     現在、5町で発行されている日刊地域紙は、いずれもB4判2ページ(増頁される場合もB4判の用紙が追加されるだけで綴じられない)を原則とし、簡易印刷機で印刷されている。従業員は実質3−5人程度(配達要員は別)取材にあたる記者は1-2名という例がほとんどである。

     そのほか、地域紙に関して5町に共通する特徴として、戦前期には日刊紙発行の取り組みがなかったことと、戦後長く、活版印刷ではなく、手書き文字の謄写版印刷で日刊紙が発行されていたことが挙げられる。これらは報告者が従来から日刊地域紙の歴史的背景を検討してきた各地の事例、例えば、石巻市(山田, 1985)、佐賀市(山田, 2009)、八幡浜市(山田, 2018)、上越市(山田, 2020=印刷中)などとは、大きく事情が異なっている。

     市場規模が限られ、条件不利地域と考えられるこの地域で、他の地域では見受けられない似通った形態や性格を共有する地域紙が数多く発行されている現状は、特殊な地域的状況の中で成立した小規模日刊地域紙の経営ノウハウが、局地的に、もっぱら直接の接触による近接効果を通して普及した結果と考えられる。

    (文献)

    山田晴通(1984):宮城県石巻市における地域紙興亡略史−地域紙の役割変化を中心に−.新聞学評論(日本新聞学会),33,pp.215-229.

    山田晴通(1985):東北地方における日刊地域紙の立地.東北地理,37,pp.95-111.

    山田晴通(2009):佐賀県唐津市における地域紙興亡略史 —明治後期(1890年代)から『唐津新聞』廃刊(2008年)まで—.コミュニケーション科学,29,pp.143-169.

    山田晴通(2018):愛媛県八幡浜市における日刊地域紙の生業的経営. コミュニケーション科学,48,pp.3-20.

    山田晴通(2020=印刷中):新潟県上越市における地域メディアの競合・共生関係.東京経大学会誌(経営学),306,.

  • 堀 信行
    セッションID: 537
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    本発表に至る演者の研究の経緯とその視座

    サンゴ礁研究は、チャールズ・ダーウィンがビーグル号による航海中に得た仮説、すなわち裾礁→堡礁→環礁へと基盤の沈降説に伴い礁地形が移行することを、帰国後に多くの資料と海図を駆使して、それぞれのタイプの分布を世界地図に明示し、結果として海洋底の沈降が証明されたとした(1842)。これを契機にそれを検証する試錐が行われ、礁形成論が活発化した。ここでは詳述する紙幅もないが、デイリーの氷河制約説以降、第四紀の海水準変動と礁形成の関係の研究が盛んになった。こうした流れを受けてHori,N.(1977)は、礁 を6タイプに分け、それらが氷期/間氷期の海水準変化に伴って規則的な地理的分布を示すという作業仮設に基づいて、海図による地形計測を行い、その結果を氷期と間氷期の礁形成海域とともに明示した。この研究によってサンゴ礁研究の関心が、礁縁付近から礁湖内だけでなく、礁斜面に及び、三次元的な礁地形形成論の展開につながる一つのきっかけとなった。その後、演者は海図の計測から得た結果を、さらに実測値で検証すべく、礁斜面の測深調査を奄美・沖縄地域だけでなく、南太平洋やインド洋・紅海と調査地域を広げ、実証を続けている。

    なお、現在は礁斜面だけでなく、礁斜面の沖方も含めた浅海底の詳細な地形研究が菅浩伸らによって精力的に行われている。

    一方、サンゴ礁は、人間の生活空間、とくに漁労活動を中心とした環境利用の空間でもある。この点に注目して、与論島を中心に、島民、とくに漁民がサンゴ礁の微地形について、いかなる方言名称が与えているか、詳細な調査を行った(堀、1980)。この研究を通して、人間がサンゴ礁とどのように関わっているかがあぶりだされた。さらに、この研究を踏まえて、サンゴ礁と島の民俗との関係に関心を広げ、南の島々の自然観や世界観との関係も模索している(例えば、堀、2012)。

    現在、渡久地健は、これをさらに深めて、生業との密接な関係を解き明かしつつある。

    サンゴ礁の地理学的研究の更なる展開にむけて

     サンゴ礁、とくに現成礁に注目すると、海図のデータの粗密に象徴されるように、浅海底の部分の情報量の欠落が顕著である。しかし、礁地域の人間にとっては、そここそ生活空間の主要な空間である。礁地形研究だけでなく、生活空間としてのサンゴ礁研究に目を向けることにより、地理学研究に海域と陸域を結びつけ、両者がいかに不可分の関係にあるかという大切な視座を与えることになる。換言すれば、地理学的な空間単位の再認識につながるといえよう。

     発表時には、こうした視座の重要さを堀(1997) の「風土の三角形」の世界観も意識した視座と、地理学的スケールとしての時空間スケールを意識した視座との関係を論じたいと思う。

  • 鳴海 邦匡, 小林 茂
    セッションID: 835
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    鎖国後の日本に海外から地図や地理情報が導入されていたことは、これまでの研究によりよく知られている。これに対して日本で作製された絵図の海外への流出については、ケンペルやシーボルトの場合を除いてほとんど研究されていない。その背景には、日本人の地理的知識を重視する従来の研究視角のほか、流出した絵図やその引用文献が国内になく、研究が容易でなかったという事情がある。しかし今日では、海外の機関所蔵の日本近世絵図のカタログ化やデジタル化がすすみ、流出絵図の詳細な画像が検討できる場合も少なくない。また海外でそれらを直接調査することも容易になった。昨年の国際地図学会に際し茨城県の古河歴史博物館で行った「鎖国時代 海を渡った日本図」展ではそうした便宜を活用し、近世日本図に国際的な観点からアプローチした(小林ほか編2019)。これをベースに日本図以外の絵図も探索してみたところ、予想外に多くの例が発見でき、本発表ではその特色と発展過程を追跡する。

  • 近藤 玲介, 横地 穣, 井上 京, 宮入 陽介, 冨士田 裕子, 横山 祐典
    セッションID: 612
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    .はじめに北海道東部では,根釧台地沿岸部や根室半島における海成段丘上に比較的大規模な湿原が複数分布している.これらの湿原は,段丘上の谷底低地内に成立している氾濫原性の湿原や,縄文海進と関連する沿岸低地性の湿原とは規模や形態を異にするものが含まれる.根室半島東部の歯舞湿原は,主要部が標高約20〜40 mの複数面の海成段丘上に位置し,一部は丘陵地であり傾斜している.湿原内に河川は認められず,湿原辺縁部には侵食谷が分布する.侵食谷の谷頭部は湿原に埋没している形態を呈する.歯舞湿原では,泥炭層が傾斜地に分布することが知られ,古植生が明らかにされている(百原ほか,2009;五十嵐ほか,2001).しかし,段丘面上の泥炭による地形面の被覆の特徴や地形発達史との関連は不明な点が多い.さらに根室半島周辺では,本研究で対象とする湿原群の基盤地形で湿原海成段丘の堆積物から鍵層を見出すことが困難であるため,離水年代も明らかではない.そこで本研究では,歯舞湿原を主対象とし,地形発達史的手法により基盤地形を含む湿原の形成史を明らかにすることを目的とする.

    .研究方法空中写真判読によって,根室半島における海成段丘面を区分した.根室半島周辺の海成段丘では広域で露頭調査をおこなった.歯舞湿原においては,異なる段丘面を横断する測線(長さ数100 m〜約1.4 km)を複数設定し,地形断面測量をおこない,検土杖によって堆積物を記載した.あわせて,歯舞湿原周辺をはじめとした根釧地域の複数地点において段丘構成層・被覆層の記載をおこなった.湿原堆積物や段丘構成層の年代の推定にあたっては,テフロクロノロジー,14C年代測定,pIRIR年代測定を適用した.

    .野外調査結果歯舞湿原における検土杖調査の結果,泥炭層は緩傾斜な段丘面を覆うだけではなく,局所的な埋没凹地や一部の段丘崖も被覆していることが確認された.また,段丘面上では,中期完新世の摩周火山起源テフラ降下前後を境界に水成堆積物から泥炭層へ堆積環境が変化している場合が多いこと,埋没凹地が存在する地点や段丘崖周辺では中期完新世の摩周火山起源テフラより上位の泥炭層が相対的に厚く,下位にも断続的に埋没泥炭層が堆積していることが確認された.歯舞湿原周辺の海成段丘露頭では,基盤岩を下位から海成の砂礫層ないし周氷河性斜面堆積物,レス,クロボクが被覆していることが確認された.海成砂礫層上部には,化石凍結割れ目が認められた.

    .結果とまとめ:歯舞湿原は,泥炭層が傾斜した段丘面だけではなく段丘崖をも被覆していることから,ブランケットマイヤーであると考えられる.14C年代測定の結果,埋没凹地および段丘崖などの一部の地点では,最終氷期極相期またはそれ以前から泥炭の堆積が開始され,その後は間欠的に泥炭湿原環境となっていることが明らかとなった.湿原周辺の段丘露頭では,pIRIR年代測定の結果から,歯舞湿原の主要部は中期更新世に離水した海成段丘面を基盤地形とすること,最終氷期極相期〜晩氷期に強力な周氷河作用が寄与していたことが明らかとなった.したがって,最終氷期極相期や以前の寒冷期にソリフラクションによって段丘面が緩斜面化するとともに,段丘崖基部や埋没凹地(谷頭部の周氷河性皿状地など)では,局所的に相対的に古くから泥炭が堆積を開始した.その後,凹地から平坦部へ泥炭の這い上がりが生じ,現在のブランケットマイヤーの様相を呈するようになったことが明らかとなった.

    引用文献:小池・町田(2001)『日本の海成段丘アトラス』東京大学出版会,105p.; 百原 新・守田益宗・太田 謙・沖津 進・小林真生子・尾方隆幸(2009)北海道根釧台地湿原群保全のための湿原植生と発達史の研究.プロ・ナトゥーラ・ファンド第18期 助成成果報告書,p.11-20.; 五十嵐八枝子・五十嵐恒夫・遠藤邦彦・山田 治・中川光弘・隅田まり(2001)北海道東部根室半島・歯舞湿原と落石岬湿原における晩氷期以降の植生変遷史.植生史研究,10,p.67-80.

  • 小室 譲
    セッションID: 214
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    研究背景と目的

    国際山岳リゾートは,労働力需要の繁閑リズムが著しく変動する季節性の生じる観光目的地の一形態である.その反面,訪問者数が増加する一部の著名な国際山岳リゾートでは,必要な労働力を地域内部で調達できず,どのように外部労働力を吸引して地域労働市場が存立しているのかが不透明である(Ooi et al., 2016; Terry, 2016).

    本発表で対象とするブリティッシュコロンビア州ウィスラーは,自治体主導の強力なガバナンスのもとで,訪問客増加とリゾート産業の通年化が進み,それに付随して労働力需要が拡大している国際山岳リゾートである.他方,土地開発により地価の上昇が生じたことで,家賃や生活費が高騰しており,労働力需要過多な地域労働市場が形成されている.本報告では,労働力需要の増加する国際山岳リゾートにおいて,地域労働市場存立のために外国人労働者が果たす役割を,ウィスラーの事例により検討する。

    結果と考察

    非都市圏で通勤圏の限られたウィスラーでは,市民権労働者(地域住民)に加えて,外国人労働者が労働力供給源として重要である。彼らの滞在パターンは,定住,定住志向,季節滞在の3種類存在する.また,それぞれの労働者は,労働市場におけるさまざまな職階級や雇用形態に対応することで,労働力の需給関係が成立している.

    その一方で,外国人労働者のビザの保有状態や出身国などの属性,国際移動目的に注目すると,異なる生活形態やキャリア経歴,将来の意向を有する複数タイプの外国人労働者が存在することが明らかになった.それらは,「キャリア構築」「レクリエーション重視」「賃金・永住権獲得」に分けられた.これまで,国際山岳リゾートにおける外国人労働者は,経済移民を除いて,レクリエーションを重視し,移住先で新たな事業サービスの創出や地価の上昇といった地域社会の経済的価値の向上に寄与する一面をもつこと(Ooi et al.,2016)が指摘されてきた.それに対して,キャリア構築型では,一部の大都市同様に,キャリア構築を第一義的な目的に国際移動するという一面がみられた.

    加えて,本研究では外国人労働者の移動・定住の過程に注目して定量・定性的に分析した.その結果,ウィスラーでは,労働力需要の拡大する局面において十分な内部労働力が供給できず,外国人労働者を取り込んだ地域労働市場が存立している.彼らは,語学や職業スキルを磨き,昇進や転職,起業を通じて永住権を獲得して定住する過程,およびワーキングホリデー・ビザをもち,またレクリエーション目的の実現指向をもつ季節労働者として発地国や次の移動先との間を循環する過程という,2つの過程をともない,地域労働市場の繁閑リズムや労働力需要に対応していることが明らかとなった。

    参考文献 

    Terry, W. 2016. Solving seasonality in Tourism? Labor shortages and guest worker programmes in the USA. Area 48: 111–118.

    Ooi, N., Mair, J. and Laing, J. 2016. The transition from seasonal worker to permanent resident: Social barriers faced within a mountain resort community. Journal of Travel research 55: 246-260.

    謝辞 本研究を進めるにあたって,公益社団法人日本地理学会「2017年度 斎藤 功研究助成」の一部を使用した。

  • 高橋 昂輝
    セッションID: P119
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    周防大島とハワイとの関係史は,1885年の第1回官約移民に遡る。アメリカ合衆国で南北戦争が勃発して以降,ハワイにおいてサトウキビ生産の需要が増加した。サトウキビ産業における労働者の不足を補うため,ハワイ政府は日本政府に移民の送り出しを求めた。この結果,日布渡航条約が締結され,1885〜1894年までの10年間に合計26回の移民の送り出しが行われ,29,084人が日本からハワイに渡った。山口県からは,広島県に次いで2番目に多い10,424人が渡航し,このうちの約4割に相当する3,913人を周防大島出身者が占めた。このことから,明治期以降,周防大島は送り出し地域としての「移民の島」と捉えられた。

     第二次大戦以降,周防大島の人口は減少し,少子高齢化が進行した。1976年の大島大橋の架橋,1996年における同橋の通行無料化は,若年者の島外流出を促進したとも考えられる。2015年において,周防大島町の高齢化率は51.9%に達した。こうした地域的課題に直面するなか,今日,周防大島では,U・Iターン者の積極的な受け入れ,都市部の小中学生・高校生を対象とした体験型教育旅行の実施にくわえ,ハワイとのつながりを活用した観光・地域振興策が実施されている。本報告は,移民の送出地として,ハワイ諸島との歴史的つながりを有する周防大島において,近年,観光・地域振興の手段として「ハワイ」が用いられる様態を明らかにする。

     2004年以前,周防大島の島内には,大島町,久賀町,橘町,東和町の4町が存在し,合わせて大島郡を形成していた。2004年の合併により,これら4町は周防大島町となった。1963年6月22日,大島郡は,移民の送出・受入という互いの歴史的関係性から,ハワイ州のカウアイ郡と姉妹島縁組を締結した。その後,現在まで両島の間では文化交流が継続している。姉妹島縁組が結ばれたこの年以降,周防大島では,ALOHA Biz(以下,アロハビズ)が導入されてきた。アロハビズは,自治体による取り組みであり,毎年6月22日から8月31日の間,役場,郵便局,観光施設などの職員はアロハシャツを着用して勤務する。これにより,島外者のみならず,地域住民に対しても周防大島とハワイとの関係を意識付け,再確認させる。

     1988年に島内西部で着手されたリゾート開発計画「長浦開発構想」は,周防大島に“ハワイらしい”景観を醸成する嚆矢となった。同計画は,旧4町と民間の開発業者などの共同出資による第3セクター方式での開発であった。開発用地は,主にスポーツ施設と宿泊施設の2つに分けられ,宿泊施設の計画は主に民間業者に委ねられていた。しかし,バブル経済の崩壊に伴い,業者が倒産すると,計画の形成主体は町側へと移った。民間業者は,イギリス風の宿泊施設の建設を予定していたが,町は地域の歴史を踏まえ,ハワイ風の宿泊施設を建造する方針に転換した。方針が決まると,自治体職員一行は,姉妹島関係にあるカウアイ島を訪れ,建物や植生についての視察を行った。この視察をもとに,1997年,グリーンステイながうら(以下,GN)が竣工した。GNのテーマは「カウアイ島の風が吹く瀬戸内アロハリゾート」である。敷地内には,南洋であるハワイを想起させる樹木が植えられるとともに,ハワイの民家を基に設計されたコテージ,カウアイ島の庁舎を模したビジターセンターなど,ハワイらしい景観が表現される。

     2008年,周防大島観光協会が発足すると,「瀬戸内のハワイ」のキャッチコピーが考案され,その後,ハワイの舞踊であるフラのイベントが企画された。このイベントは「サタデーフラ」と命名され,2008年以降,毎年7〜8月の土曜日に島内各地で開催されている。瀬戸内のハワイというフレーズは,移住行動が必然的に内包する2つの空間性を同時に表すとともに,周防大島が有する移民送出地としての歴史性・時間性をも含みもつ。観光協会は,周防大島が有する諸要素のうち,瀬戸内海とハワイという2つの要素を選び取り,つなぎ合わせて,ハワイとのつながりを活用した観光振興に取り組んでいる。

  • 木口 雅司, 江口 菜穂, 村田 文絵, 林 泰一
    セッションID: P178
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    アジアモンスーン域の一角であるインド亜大陸東北部は、世界最多降水量の記録を持つインド・メガラヤ州チェラプンジがあるシロン高地や、そのシロン高地からの雨が一気に流下するメグナ川流域、チベット高原から下るガンジス川、ブラマプトラ川という巨大河川の河口域に当たるバングラデシュ、そしてチベット高原から流下するブラマプトラ川の中流域にあたりアジアモンスーン域で最も早くから降水現象のあるインド・アッサム州を含み、多量の降水、世界的大河川の集まる、地球水循環をにおいて重要な地域である。また、対流活動が活発であり、竜巻を引き起こす小規模な積雲対流活動などの擾乱が成層圏に流入する水蒸気量に影響を与えている。本研究では、高層ゾンデ観測や高高度の水蒸気測定が精度よく観測できるSnow White、全球雷データなどの観測データと総観気象場とを組み合わせたマルチスケール解析を実施し、大気鉛直構造の解明を目指す。

    官署の雨量観測データ、レーダ観測データなど地上観測データを用いて擾乱現象を捉え、積乱雲の存在の有無が分かる全球雷データ(WWLL、http://webflash.ess.washington.edu/)を用いて、その要因を検討する。集中高層気象観測による6時間データや上層の湿度測定が可能であるSnow Whiteを用いて取得された水蒸気データ、衛星データ(EOS MLS, AIRS等)を用いて、擾乱現象の有無による大気鉛直構造の差を調べる。さらにNCEP/NCARやERA40、JRA55を用いて総観気象場における擾乱現象の有無の差を示し、大気鉛直構造がどのように形成されるのかを解明する。

    2005〜2013年の全球雷データ、降水強度、対流不安定を用いて、本研究対象領域を中心に解析した。降水強度の指標としてTRMM 3B42を、対流不安定の指標としてERA Interimの500hPa面の飽和相当温位と925hPa面の相当温位の差を用いた。5月初旬までは大気が不安定になると降水が見られ、雷も発生しているが、モンスーン期になるとそのような関係がまったく見られなくなる。このことは擾乱の特性の違いが関係していると考えられる。

    雷発生数、降水活動、大気の安定度の関係(図)からは、大気が不安定のときに事例は多いが、降水強度との関係は明瞭でない。このことからモンスーン期の不安定度が小さいときの擾乱による降水強度との関係が不明瞭であることが推察される。

    複数年における対流不安定性と物質輸送の観点に基づく解析を実施した。プレモンスーン期の大気が不安定な時期に間欠的に雷回数が増加し、その結果、降水強度も増加している関係が明瞭に見られた一方、モンスーン期がプレモンスーン期に比べて大気が安定しているにもかかわらず雷の回数が多かった。日周期の解析結果からは、年を通じて同じ高さの大気の状態の差を対流不安定の指標としていることが、明瞭な関係を示すことを妨げていることが考えられ、実際の鉛直構造をより詳細に解析する必要があることが分かった。

    今後は、これらの季節内変動や経年変動を、ERA-interim、JRA55といった再解析データによる環境場や地上気象観測データやレーダデータによる発生機構を明らかにし、その積雲対流の発生する場の鉛直構造を総合的に解析する。

feedback
Top