日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の226件中101~150を表示しています
  • 吉田 和義
    セッションID: S402
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    社会科及び地理歴史科の地理教育にけるフィールドワークは,小中高それぞれに位置付けられる。現在までフィールドワークの重要性が指摘されてきた。野外におけるフィールドワークは,知識及び技能の習得のみならず,学習方法を身に付けるとともに,相互の交流の機会となり得るという意義がある。協働的な学びを推進する観点からも重要な教育活動だと考えられる。

     小学校社会科では,第3学年の身近な地域の学習において野外におけるフィールドワークが位置付けられる。中学校社会科地理的分野では,地域調査の手法の学習において,高等学校では地理総合の生活圏の調査においてフィールドワークが取り入れられる。フィールドワークを実践し,段階的,系統的に地域への理解を深めるとともに,調査及び地図活用の技能の習得を促すことが求められる。小学校では,野外における場所体験が重要であり,中高では,地域の課題を発見,追究,解決する過程が重視される。幼小中高一貫カリキュラムの開発研究の充実が期待される。

     小学校では,第3学年に学区を対象とした「身近な地域の学習」が位置づけられ,観察・調査し,地図を活用して調べ,まとめる学習が展開する。地球的課題を解決する持続可能な社会の担い手を育てるためには,自身の住む地域を基に諸地域を捉え,世界像を形成することが望まれる。また,フィールドワークに防災の視点を導入し,減災のための行動をとる人材を育てることも急務である。教育課程に明確に位置づけ確実に実施することが求められる。

  • 岩佐 佳哉
    セッションID: 416
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに 平成16年新潟県中越地震以降,内閣府(2005)をはじめとして,国や都道府県によって孤立集落の発生可能性調査が行われている.一連の調査では,集落の孤立の有無を判断する根拠として土砂災害警戒区域・特別警戒区域と土砂災害危険箇所といったハザード情報を用いている.工学の分野では,道路寸断リスクの量的な検討(吉田ほか 2007など)や想定される災害に対する孤立への対応に関する研究(奥村・五艘 2014など)が蓄積されている.地理学では,救援物資の輸送や救援活動拠点の配置の観点から道路の寸断や道路網の脆弱性が扱われている(荒木ほか 2016; 荒木 2022).一方で,平成16年新潟県中越地震以降に生じた多数の孤立集落について,寸断箇所の地理的条件に対する検討はほとんどなされていない.

     本発表では,中山間地域で多数の孤立集落が生じた,平成16年新潟県中越地震,広島県における平成30年7月豪雨災害,熊本県における令和2年7月豪雨災害,石川県における2024年能登半島地震を対象として,孤立集落の特徴と道路寸断箇所の地理的条件を明らかにする.

    2.研究方法 各県が公開している災害対策本部会議や被害報告に基づいて,孤立集落の位置や継続期間を把握した.また,国の機関や自治体が作成する災害の記録誌や状況説明資料に基づき,集落に最も近い道路寸断箇所を特定し,寸断箇所のハザード情報や傾斜量との関係を検討した.

    3.孤立集落の特徴 孤立集落は,平成16年新潟県中越地震で59件,平成30年7月豪雨で21件,令和2年7月豪雨で177件,令和6年能登半島地震で46件発生した(図1).孤立集落の8割が解消されるまでの期間をみると,平成30年7月豪雨と令和2年7月豪雨では5日程度である一方で,平成16年新潟県中越地震や令和6年能登半島地震では10日以上を要した.地震災害では道路寸断の要因となる斜面崩壊や地すべりが豪雨災害と比較して大規模であるためと考えられる.

    4.道路寸断箇所の特徴 道路寸断箇所がハザード情報と重なる割合は32~69%であり,ハザード情報がなくても道路寸断が発生している.ハザード情報は居住地が対象であるため当然ではあるが,国や県が行う孤立集落の発生可能性調査ではハザード情報が用いられており,孤立集落の発生可能性を過小評価している可能性がある.実際に,道路寸断箇所の上方の傾斜量を集計すると,ハザード情報がない箇所であっても傾斜30度以上の斜面が多く存在する.ハザード情報だけでなく,地形条件の情報も加味した孤立集落の発生可能性評価が必要と考えられる.

    文献:内閣府(2005)中山間地等の集落散在地域における孤立集落発生の可能性に関する状況調査.吉田ほか(2007)農業農村工学会誌 75.奥村・五艘(2014)土木学会論文集F4 70.荒木ほか(2016)E-journal GEO 11.荒木(2022)E-journal GEO 17.

  • 内藤 了二
    セッションID: 544
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    港湾域の堆積物は,沿岸背後の人為活動の影響を受けている場であるが,堆積物の実態を視覚的に示した研究は少ない.標本には,堆積特性を視覚的に把握できるという利点があり,展示物としての活用や歴史的な人為活動の基礎情報となる.本研究では,剥ぎ取り標本,樹脂標本を用いた視覚化に伴う鉛直方向の堆積特性について考察を行なった.

  • 杜 国慶
    セッションID: 338
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    中国では,改革開放政策の実施により,経済力が向上し,非日常的な体験を求める観光が重要な社会現象として現れた。本研究は,国レベルで1979年以降の社会経済変容を把握したうえで,省・直轄市・自治区レベルで観光の発展と地域区分を考察する。

  • 羽田 麻美, 青木 久
    セッションID: P008
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    Ⅰ.研究目的

    沖縄島本部半島山里の円錐カルストが分布する地域において,溶食凹地であるコックピット内に4種の石灰岩試料を設置し,野外風化実験を行った。984日間にわたる実験では,すべての岩種において,地上に設置した試料よりも土層中の試料の方が,約4~15倍の速度で溶けており,その違いは岩種や埋設地点の土壌水分の影響を受けることが示唆された(羽田,2025)。本研究では,風化実験に使用した石灰岩試料を対象に,実験開始前と実験後の反発強度と表面形状の変化を計測し,それらの変化と溶食速度の関係を考察することにより,岩種ごとの風化特性を明らかにすることを目的とする。

    Ⅱ.実験方法

    1.風化実験

     本実験は,沖縄島本部半島山里のコックピットにおいて,2021年10月20日から2024年11月4日までの984日間にわたり,実施した。実験では,コックピット内の3地点(地上と2ヶ所の土層内)に4種の石灰岩を設置した。設置場所は,コックピット中央部(地上+150 cmと土層-100 cm)とコックピット縁辺部(土層-50 cm)の計3地点である。岩種は,本部半島の本部層石灰岩(ペルム紀),石垣島星野の宮良層石灰岩(第三紀),石灰藻球を主体とする琉球層群石灰岩(第四紀),粟石と呼ばれる有孔虫を主体とする琉球層群石灰岩(第四紀)の計4種を用いた。試料は,直径38 mm,厚さ10 mmのタブレット型とした。実験開始前と終了時には,試料を2分ほど超音波洗浄した後,110℃で24時間乾燥させ重量を計測した。実験前後の重量差を溶食量とし,溶食量の初期重量に対する比率を求め,これを365日換算し,溶食速度(%/yr)を年率で表した。

    2.反発強度の計測

     設置時の試料上面を対象に,エコーチップ硬さ試験機(バンビーノ2,D型)を用いて実験前後の反発強度を計測した。Aoki and Matsukura (2007) によれば,本試験機はシュミットロックハンマーに比べて,風化した表層の強度把握に有用であり,同一地点を連続で打撃する連打法では内部の強度を,異なる地点を打撃する単打法では風化した表層の強度を把握できると報告されている。本研究においても連打法(1箇所の計測回数:10回)と単打法(計測数:10点)を用いて計測を行った。計測の際は試料表面を4分割し,実験前後で異なる場所を打撃するよう計測範囲を定めた。

    3.表面形状の計測

     実験に用いた試料は,設置前に全て#800の研磨紙で研磨し,表面を平滑化させた。実験後は再度超音波洗浄を行った後に,デジタルマイクロスコープ(キーエンス,VHX-7000)と3Dレーザ顕微鏡(キーエンス,VKX3000/3050)を用いて,試料の観察と表面粗さの計測を行った。

    Ⅲ.結果および考察

     地上設置試料の溶食速度は,いずれの岩種も0.5 %/yr以下であり,土層内設置試料に比べて1桁小さな値を示す(羽田,2025)。また,土層内では,基盤岩までの深度が浅いコックピット縁辺部での溶食速度が,コックピット中央部よりも速かった。これら既報の結果を踏まえ,反発強度と表面粗さに関して,本研究で得られた結果は以下の通りである。

     実験に用いた試料のうち,比較的緻密な岩質である本部層石灰岩・宮良層石灰岩では,風化の進行とともに単打法による反発値(10点の平均値)は低下した。その低下量は,地上<中央部(土層)<縁辺部(土層)の順で大きく,溶食速度と調和的であった。また,連打法による反発値(連打を続け収束する値)をみると,地上設置試料では実験前後でほとんど変化がなかったのに対し,土層設置試料では実験後に明らかに低下しており,表層のみならず,内部にも風化が及んでいることが示唆された。実験後に行った表面粗さの計測では,地上<中央部(土層)<縁辺部(土層)の順で表面粗さ増加した。

     一方,琉球層群の2岩種(石灰藻球石灰岩と粟石)は空隙や化石の多さにより不均質で,実験前後ともに本部層・宮良層石灰岩に比べて,反発強度の測定値に大きなばらつきがみられた。単打法による反発値(10点の平均値)は実験後に低下する傾向を示したが,個体差が大きく,特に粟石で顕著な強度低下がみられた。また表面粗さは本部層・宮良層よりも琉球層群石灰岩で大きく,粟石において最も著しい起伏をもつことがわかった。実験後には,粟石の表面で複数の化石粒子の剥離が観察され,これが反発強度の低下に寄与したと考えられる。

  • 上高地の公衆トイレを事例として
    湯澤 規子, 有馬 貴之, 宇根 義己, 高野 誠二, 目代 邦康, 渡邊 達也, 中島 舜
    セッションID: P034
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    本研究は,日本における山岳観光地の一つである上高地を事例として,観光行動と公衆トイレの設置・利用状況の関係を分析し,地理学におけるトイレと循環型社会に関する総合的研究の構築を試みることを目的とする.山岳観光地において屎尿処理は重要な課題である.そこでまず,現在,上高地の環境整備を所管する松本市アルプスリゾート整備本部へのヒアリングを実施,次に現地調査によって上高地に立地する11か所の公衆トイレの設置状況,規模,屎尿処理方法,利用等のデータを収集した.観光行動と屎尿の関係に関しては人流データと上高地浄化センターの汚水処理量(2014年~2024年)等を用いて計測,分析し,トイレに関するデータとの照合を試みた.

     上高地までの道路の整備が進み観光客が増加したことに伴って,屎尿処理が問題になると,水域の保全と公衆衛生,環境保全を目的として1985年に特定環境保全公共下水道事業が竣工した.下水道整備は観光客が集中する「集団施設地区」が中心であり,明神,徳沢,横尾および山小屋等は対象外となっていた.2025年現在は下水道未整備地域からの汲取りあるいは自家浄化槽からの汚泥処理を上高地浄化センターが請負うシステムが確立され,環境省と松本市の予算により,公衆トイレの整備・刷新が進められている.上高地バスターミナルから河童橋に至る「集団施設地区」は登山客よりも行楽地として上高地を楽しむ一般観光客が多く,これまでもオーバーユース(過剰利用)の問題が指摘されてきた.11か所の公衆トイレを調査した結果,公衆トイレも同地区に集積し,便器数,処理量が多く,大正池から横尾に至る上高地全域のトイレの立地と規模は,山岳観光地としてのゾーニング計画とも連動していることが明らかになった.2025年現在導入されているチップ制度には観光客の環境への関心を高めるねらいが含まれており,集中や滞留などの観光行動がトイレを規定する一方,トイレを通した観光行動の変容が期待されていることがうかがわれた.

  • 伊藤 直之
    セッションID: S405
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.地理教育・教員養成を取り巻くギャップ

    本発表では,地球的課題の解決を見据えた地理授業をつくることに関して,大学における教員養成の側面から考察したい。

    教育職員免許法施行規則の定める「教科に関する科目」において,高等学校の地理歴史科教諭の免許を取得するためには,「自然地理」「人文地理」と「地誌」に関する科目の単位取得が要件となり,教員養成課程ではそれを満たす教科専門科目が設置される。地理教育の背景となる親学問としての地理学が自然地理,人文地理,地誌を主たる構成としていることに拠るのであろうが(ちなみに,日本地理学会2025年春季学術大会プログラムにおける多数の一般発表のうち「地誌」に分類される時間帯はなかった),初等~中等教育段階における地理教育の実践的形態(特に,「地理総合」の構成)を,自然地理,人文地理,地誌の3つで説明することは難しい。地理学の構成と,初等・中等地理教育の構成にはギャップがある。

    さらに,地球的課題の解決という地理教育の目標と照らしてみた場合,従前の自然地理,人文地理,地誌という構成に基づく教科専門科目を通して,先述の目標を掲げる地理授業を実践できる教師を輩出できるかどうかは疑わしい。特に,隠れた「地誌のもつ教育力」によって,意図せずとも,国民教化や態度の内面化に加担するリスクに注意する必要がある(草原,2001)。しかし,学習指導要領が一国の教育政策である限り,国民育成の役割を放棄することはない。人間形成と教育政策の点でギャップがある。

    本発表の目的は,大学の教員養成課程において,最新の地理学の動向を取り入れていくことで,そのギャップの「一部」を解消していくべきであるという提案である。

    2.地球的課題の解決を見据えた地理教育の体験

     今回,縁あって,シンガポールの地理教師を日本に招く機会を得た。そこで,大学の教員養成課程において,教員志望の学生に,シンガポールの地理授業を疑似体験させることにした。シンガポールの中等地理教育は,日本よりも明確な形で,地球的課題の解決を視野に,地理のカリキュラムを構成している。例えば,中等後期(ジュニアカレッジレベル)の地理シラバス(H2)は,「1.発展,経済,環境」「2.熱帯の環境」「3.持続可能な未来と気候変動」「4.野外調査」という4つのクラスターから成り立っている。

    3.ジェンダーの視点で都市のあり方を考える地理授業 

    当該教師には,筆者の担当する講義内でH2シラバスのうち,第3クラスターにおけるトピック「3.1 持続可能な未来における都市」で,模擬授業を実施してもらった。簡易な指導内容を示すと以下のようになる。

    目標:住みやすい都市の実現に向けたジェンダー平等の重要性を理解する。都市に住む女性が直面する問題に対処するための戦略の有効性は,状況によって異なることを理解する。

    主要な発問:女性は住みやすい都市に何を求めているか?

    主要な活動:ロールプレイ(アフガニスタンのビジネスウーマン,日本の母親,インドの若い美しい女性)を通して,女性が住みやすい都市を実現するために,直面する課題と,その課題を解決するための方法を考える。

    4.おわりに

     模擬授業を受けてもらった学生からは,「どちらかというと日本の公民分野の授業に近い感じかなと思った」や,「地理だけでなく公民や歴史分野の学びや要素もふまえながら分野領域を越えた」授業のようだ等々の意見が寄せられた。ここに,ある種の新しい地理教育に対する期待が内在している。地球的課題を見据えた地理教育の実装は,地理学に加えて,社会学や心理学等の広範な社会諸科学との学際研究を基軸にする(吉田・影山,2024)。学ぶ意味のある地理教育を生み出す源泉は,世界における異なる場所を「事例」にした地域研究,社会研究であろう。それを大学の教員養成で支えるのは,最新の地理学の動向を踏まえた教科専門科目の更新であり,教科教育と教科専門の架橋である。

    文献

    草原和博(2001):地誌教授による態度形成の論理―P. E. ジェームスの地理教育論を手がかりにして―,新地理,48-4,pp.1-17.

    吉田容子・影山穂波編著(2024):『ジェンダーの視点でよむ都市空間』古今書院

  • ―逃げ地図ワークショップを事例として―
    井上 雅子, 小松原 康弘
    セッションID: P018
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    近年,全国各地でさまざまな災害が発生しており,認定NPO法人日本都市計画家協会 逃げ地図研究会では,逃げ地図の活用促進に取り組んでいる.より多くの人が手軽に逃げ地図を実施するには,ベースマップの用意が課題になっている.本発表では,地理院地図Vectorを活用したベースマップ作成過程と課題を整理し,ベースマップをもとに埼玉県所沢市で実施した逃げ地図ワークショップの結果を報告する.地理院地図Vectorは,地域の情報を簡単に追加でき,対象としたい場所を地図の中心に配置することができた.また,GISの専門知識がなくても,ブラウザだけで地図を出力することが優れている.一方,縮尺をあわせてA1サイズの地図を出力するには工夫が必要だった.

  • 村山 良之, 桜井 愛子, 佐藤 健, 北浦 早苗, 熊谷 誠, 小田 隆史
    セッションID: 421
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1 学区の災害特性把握の必要性

     2019年に確定した大川小学校津波訴訟判決のとおり,東日本大震災後の学校では,ハザードマップの想定外まで含めた防災の取組が求められている。そのための具体的方策として,発表者らは「地形を踏まえたハザードマップ3段階読図法」を提唱してきた(村山ほか,2019;2024)。

    図 地形を踏まえたハザードマップ3段階読図法(改定版)

     文部科学省「学校の危機管理マニュアル等の評価見直しガイドライン」(2021)やこれを基に改訂された宮城県教育委員会「学校防災マニュアル作成ガイド」(2022)には,学校周辺の災害特性を把握する表が例示されているがそこに地形への言及はない。一方,鶴岡市教育委員会の「学校防災マニュアル作成ハンドブック」には,地形とハザードを踏まえた「本校と学区の現状」の頁が設定されている(村山,2015)。

     発表者らは,「3段階読図法」を基にした学校と学区の災害特性把握や緊急避難場所設定について,石巻市教育委員会の防災主任研修で取り組んできた。そして,それらをまとめた「表」を各校の防災マニュアルの冒頭に置くことを,同市学校防災推進会議とともに提示した。

     本発表は,宮城県教育委員会,鶴岡市教育委員会等の先行事例および「3段階読図法」を基に,学区の災害特性を把握整理する表を提案するものであり,学校の防災管理や防災教育等の基盤として役立つことが期待される。以下はその「表」の項目群である。

    2 「3段階読図法」を基にした災害特性を把握整理する表

    ◎過去の災害履歴

    ◎本校の基本情報

    ・校舎ごとの階数,屋上有無,建築年と耐震改修年,床の高さ等

    ◎地形:重ねるハザードマップ等による

    ・校地の標高

    ・校地の地形 低地の場合は微地形も

    ・学区の地形

    ◎ハザードと避難に関する情報

    ○洪水(河川の氾濫):洪水ハザードマップと地形による

    ・想定対象河川と雨量,河川から学校までの距離,水位観測所

    ・校地 想定浸水深,想定外,地形との関係

    ・学区 想定浸水深,履歴,注意箇所,想定外,地形との関係

    ・緊急避難場所(児童生徒在校時) 校舎,指定緊急避難場所等

    ○浸水害(内水氾濫):地形や履歴による

    ・校地 浸水可能性

    ・学区 注意箇所

    ・緊急避難場所(児童生徒在校時) 校舎,指定緊急避難場所等

    ○土砂災害:土砂災害ハザードマップと地形による

    ・校地 警戒区域と種類

    ・学区 警戒区域と種類,履歴,注意箇所,想定外,地形との関係

    ・緊急避難場所(児童生徒在校時) 校舎,指定緊急避難場所等

    ○津波:津波ハザードマップと地形による

    ・海や河川からの距離

    ・校地 想定浸水深,津波到達予想時間,想定外,地形との関係

    ・学区 想定浸水深,履歴,注意箇所,想定外,地形との関係

    ・緊急避難場所(児童生徒在校時) 校舎,指定緊急避難場所等

    3 災害特性を把握整理する表の今後

     ここで提案した「表」は,学校防災にかぎらず,地域防災にも有益であると考えられる。また,たとえば大雨時には,洪水(外水氾濫),浸水害(内水氾濫),土砂災害の発生を見据える必要があり,それにも対応できる表への進化を検討中である。

  • 松宮 邑子
    セッションID: 608
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.問題の設定 本報告の目的は,「留学生」に含意される多様性・複雑性を念頭に,留学生の国籍ごとの特性を描き出すことである.JASSOの外国人留学生在籍状況調査によると,最新の2024年5月1日時点で日本の留学生は約33万人を数える(表).日本の留学生受入れ政策は,1954年の文部省国費留学制度創設,1983年の留学生10万人計画,2003年の同30万人計画策定に象徴されるように,国際貢献や相手国との友好促進の手段,国内の教育機関の定員充足や財源確保,さらには労働力確保の手段へと,目的を変化させつつも一貫して受入れ拡大の方針を示してきた.それを受けたこの間の留学生の増加は,私費生のシェア拡大(1983年72%→2024年97%),対象の拡大(2011年に在留資格就学生(≒日本語学校生)が留学生へ一本化),出身国の多様化(主流であった中国・韓国・台湾から東南アジア各国からの需要拡大),就労を目的とする学生の増加等に特徴づけられ,数の拡大は中身の多様化を伴って進んだ.このように「留学生」の範疇が複雑化する一方で,政策や研究において課題や期待が議論される際には,そうした点が看過され一括りに扱われがちであることを否定できない.むろん近年では,留学行動の多様化への関心から“生きられた経験”として個人の軌跡を追うような研究も見られるものの,そうした個人レベルの話を越えて,より体系的な意味での検討が求められる. そこで本報告では,2019年度私費外国人留学生生活実態調査の個票を用いて,留学生の大多数を占める私費留学生について国籍ベースで分析し,「留学生」の受入れ拡大が目指すものとその現実,日本の思惑と留学生の思惑(日本留学に求めるもの)を見出すことを目指す.とりわけ,30万人計画に盛り込まれた「将来的な高度人材としての活用」を焦点に,留学のその後に対する双方の期待を議論したい.  

    2.資料の情報 隔年で実施される私費外国人留学生生活実態調査(1989年に日本国際教育協会が開始,2004年以降JASSOが継続)は,対象を私費生に限定するものの日本で最も大規模に実施される留学生を対象とした調査であり,同時期に留学する学生の国籍や在籍課程ごとの比較が可能である.本報告ではCOVID-19による影響を排除するため,2019年度調査(2020年2月実施)の結果を用いた.2019年度調査は,私費留学生1万人(無作為抽出)にアンケートが送付され,7025人より有効回答を得ている(回答率70.3%).調査の回答者と同年度の留学生の国籍シェアは概ね合致する(表).分析では双方の上位国かつ私費外国人留学生生活実態調査の回答者数が100を超す11か国を対象とした.個票では,各調査項目を国籍別に参照できる.それを踏まえ,留学に至るまで(目的や在籍課程),留学中の生活(経済状況,住まいやアルバイトの選択),留学後の展望(日本での進学や就職,帰国の意向)について整理し,国籍ごとの特性を見出す.

  • 佐々木 リディア, ラナウィーラゲ エランガ
    セッションID: 635
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    日本の離島地域は、人口減少や高齢化、若年層の都市部への流出といった深刻な課題を抱えている。こうした背景のもと、さまざまな地域活性化策が試みられてきたが、効果は限定的であることが多い。そのような中、東京都に属する小笠原諸島では、明確な移住促進政策がないにもかかわらず、観光を中心に活動する新たな移住者(以下「新島民」)が一定数定着し、地域活性化に寄与している点で注目されている。本研究は、小笠原諸島における新島民の移住動機、定着の過程、そして観光を通じた地域社会への貢献について明らかにすることを目的とする。結果では、新島民の移住は経済的な理由よりも、自然豊かな環境での暮らしや都市的な働き方・価値観から距離を置くことを望むライフスタイル志向に基づいていることが明らかになった。多くの新島民は移住前に島との直接的な関わりを持っておらず、地元住民との関係構築が社会的な定着の鍵を握っている。また、医療や教育、物資流通といった生活インフラの制限は、ライフステージによって異なる形で移住者の生活に影響を与えている。若年層にとっては住宅や土地の確保が課題となる一方、子育て世代や高齢者にとっては医療や教育の不十分さが深刻な問題となっている。観光分野においては、新島民が多様な専門性や経験を活かして、ネイチャーガイド、宿泊業、飲食業、さらには環境教育や保全活動を含む多角的な取り組みを展開している。こうした活動は、観光の質的向上と持続可能性に貢献するだけでなく、来訪者との交流を通じて地域の魅力を発信し、新たな移住希望者との接点を生み出すなど、多面的な波及効果をもたらしている。本研究は、新島民の主体的な活動が小笠原諸島における観光と地域社会の持続的な発展を支えていることを示しており、ライフスタイル移住が離島地域の再生に果たしうる意義を再評価する視座を提供するものである。

  • 丁 煒, 赤坂 郁美
    セッションID: P010
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     地球温暖化の進行に伴い、陸域と海洋域の間の温度差が拡大し、東アジア夏季モンスーンの特徴にも変化が生じている可能性がある。例えば、Ding et al.(2018)は、1948~2017年の東アジア夏季モンスーン指数を分析した結果、1970年以後の東アジア夏季モンスーンの強度は、著しく減衰傾向にあることを指摘した。さらに、その強度は十年規模で変動していることを示した。一方、Wang et al.(2024)は、中国では1951~2000年にかけて、夏季の降水量は顕著な増加傾向があることを示した。その要因を調査するために、各月の東アジアモンスーン指数(モンスーンの強弱を示す指数)を分析した結果、4月と10月の指数はそれぞれ、夏季モンスーンの開始と終了に関連することを明らかにし、それらの変動が夏季の降水量の増加傾向と結びついていることを示唆した。さらに、これらの指数の変動には、ENSOが強く影響している可能性も示した。そこで本研究は、中国の中でも夏季モンスーンによる影響を大きく受ける南東部に着目し、雨季の特徴とその年々変動を明らかにした上で、これらとENSOとの関係性を考察することを目的とする。

    2.使用データと調査方法

     本研究では、中国における年間降水量の空間分布、季節変化パターンの特徴を分析するために、APHRODITE's Water Resourcesプロジェクトによる緯度・経度0.25°のAPHRODITE モンスーンアジア域降水データセット(Yatagai et al. 2012)から1998~2015年の日降水量データを使用し、Wang and Ding(2008)を参考に、以下の式を用いて各半旬の降水量を標準化した。

     yi=2(xi−xmin)/(xmax−xmin)−1

     yiは標準化した降水量の値、xiは第i半旬の降水量、xmaxとxminはそれぞれ年間の半旬降水量の最大値と最小値である。標準化した降水量の値は[-1,1]の範囲内に収まる。本研究は中国南東部の各グリッドにおいて、この値が初めて0.5に達した半旬を雨季の開始半旬として定義した。値が0.5を下回った場合、次の半旬を雨季の終了半旬とした。さらに雨季の特性を詳細に把握するために、雨季のピーク半旬、継続期間、年降水量に占める雨季降水量の割合も算出し、その地理的分布の特徴を考察した。

    3.結果と考察

     中国南東部の雨季の開始半旬の地理的分布を図1に示す。雨季の開始は南東部沿岸で早く、内陸の北西に向かって遅くなる。雨季の開始は、長江中下流と南東部沿岸では24半旬前後(4月下旬)で、北の内陸部の北西では42半旬(7月下旬)である。さらに、図1から南東部の沿岸(115~125°E、22.5~30°N)では等値線が密になっているため、この地域では雨季の開始時期に大きな差があることが分かる。この傾向は雨季の終了半旬、継続期間、ピーク時期の空間分布にも同様に見られた。

     雨季のピーク時期は、南部では32~38半旬(6月頃)で、内陸の北西では44~48半旬(8月頃)である。雨季の終了は、長江中下流と南東部沿岸では38~40半旬(7月上旬~中旬)で、北の内陸部の北西では50~52半旬(9月上旬~中旬)である。雨季の開始と終了はそれぞれ夏季モンスーンの北上と南下を反映していると考えられる。雨季のピーク時期は夏季モンスーンの活発時期に対応すると考えられる。

     雨季の継続期間は南から北へ向かうにつれて短縮し、南部では12~18半旬(約2~3カ月)、北部では6~10半旬(約1~1.5カ月)である。また、雨季の降水量は年降水量の30%~45%を占める。これは夏季モンスーンが中国南東部で長く停滞するためであると考えられる。

     発表では中国南東部の雨季の年々変動の特徴についても示す。

  • ヤン ジャヨン
    セッションID: S303
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    現在,シンガポールの学校地理では,教育課程にあたる「Syllabus」が前期中等教育(2021年度),後期中等教育(2023年度),大学前課程(2024年度)を対象として実施されている。本発表は,シンガポールの後期中等教育(Upper Secondary)と大学前課程(Pre-University)の地理授業実践における「Geographical Concepts」の役割について事例研究を通して明らかにすることを目的とする。研究目的を達成するために,第一に,「Syllabus」を分析する。第二に,A後期中等学校のB教師とC大学前課程学校のD教師の実践に対して参与観察調査を行うとともに,実践者B, Dへの半構造化インタビュー調査を行う。第三に,分析した「Syllabus」と授業実践をもとに,シンガポール学校地理の実践における地理的概念の役割を明らかにする。

  • 山野 博哉, 岡川 梓, 阿部 博哉, 包 薩日娜
    セッションID: 314
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

    気候変動にともなう生物分布変化により、生態系サービスが変化すると考えられる。これらの変化は広範囲で起こるため、従来の生態系の維持を目指した適応策を行うとともに、変化する生態系の利活用を行う社会的な適応の両方が必要となる。また、生態系サービスは社会との関係において発生するもので、社会的な適応における生態系の利活用においては、そこに新たな生物が分布し生態系を構成していることを認識することが必要である。認識されていなければ、社会からの需要も発生せず、新たに成立した生態系は未利用資源となる。そのため、実際の分布と認識のギャップを埋め、保全と利活用を促進することが必要である。特に、海中の変化は人の目に触れにくいため、生態系変化に関する科学的な証拠を地域社会に提示して保全や利活用の検討を行うことが必要とされる。 日本は南北に長いため、水温上昇による生物の分布シフトを観察するのに適しており、気候変動により変化する生態系への社会的な適応を世界に先駆けて検討することができる。本発表においては、過去100年から現在、将来にかけての温暖化にともなう日本沿岸の海の生物の変化に関して、過去からのデータの収集とモニタリングによる変化の実証、そしてその変化に対する人間社会の対応をつかむ試みについて紹介する。

    生物分布変化の検出

    日本においては1930年代から全国規模でサンゴの分布調査が行われており、博物館に所蔵された標本や報告書、図鑑などの記録から、過去80年にわたるサンゴの分布の変遷を追うことができる。集積した情報を精査すると、南に生息している4種のサンゴが九州や本州へと分布を拡大しており、その速度は最大で年平均14kmであることが明らかとなった(Yamano et al., 2011)。さらに、サンゴに加えて大型藻類とそれを食害する魚類のデータを集積して解析したところ、温帯域では、水温上昇にともなって魚類によって大型藻類が食害されて衰退し、その空き地にサンゴが定着して藻場からサンゴ群集へのシフトが起こっていると推測された(Kumagai et al., 2018)。

    生物分布変化に対する社会の適応に向けて

    こうした生物分布変化に対する社会の適応を検討するためには、まず、実際の生物分布とその変化を社会が認識しているかを明らかにする必要がある。四国西岸の足摺宇和海海域において自治体や漁協関係者にヒアリングを行ったところ、サンゴが分布しているにもかかわらず北の方の自治体ではサンゴの存在が認識されておらず(Abe et al., 2021)、したがって観光などの文化的サービスも発生していないと考えられた。このような認識のギャップは業種や年代などによって異なる可能性があり、全国アンケート調査を展開している。また、ギャップは供給サービスにおいてもあらわれると考えられ、多面的な生態系サービスの変化の解析を行っている。 地域での生物分布の認識と、それに基づく保全や利活用の状況は、行政文書にもあらわれる。サンゴに関して行政文書のテキストマイニングを行ったところ、生物分布と認識にギャップのある地方自治体が検出された(Abe et al., 2022)。こうした解析を他の生物についても進めている。当日はこれらに関して得られた成果を報告したい。

    引用文献

    Abe, H., Kitano, Y.F., Fujita, T., and Yamano, H. (2022) Marine Policy, 141, 105090.Abe, H., Suzuki, H., Kitano, Y.F., Kumagai, N.H., Mitsui, S., and Yamano, H. (2021) Ocean & Coastal Management, 210, 105744.Kumagai, N.H., García Molinos, J., Yamano, H., Takao, S., Fujii, M., and Yamanaka, Y. (2018) Proceedings of the National Academy of Sciences, USA, 115, 8990-8995.Yamano, H., Sugihara, K., and Nomura, K. (2011) Geophysical Research Letters, 38, L04601.

  • 新掘 雄介
    セッションID: 633
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    抄録:地域との対話を通じた教育旅行の再構築と変容的学習評価モデルの提案  

     本研究は,総合的な探究の時間の深化と教育旅行の再定義を目的とし、地域人材との対話を中核に据えた探究型修学旅行の新たな枠組みとして「修学旅行4.2」の概念を提案するものである. 従来の修学旅行は、体験活動や交流の機会にとどまり、生徒の主体的な学びや内面的変容に十分に寄与していないという課題があった。これに対し本プログラムでは、生徒が事前に地域研究を行い,地域課題やそれに取り組む地域人材への理解を出発点として,個別の探究テーマを設定する.そして,現地でのフィールドワークやインタビュー,対話を通じて学びを深めるとともに地域人材および地域への共感を深める,テーマベースの分散型・探究型教育旅行への転換を図るものである. 

     学習プロセスは,「エリアウォーク」「地域人材の現場体験」「地域人材インタビュー」「共有と再構成」「夜のリフレクションと再質問設計」「地域人材とのダイアローグ」の6つのセッションで構成されている.これらの各セッションは,Kolbの経験学習理論,Deweyの経験と省察の理論,Polkinghorneのナラティブ・アプローチ,Mezirowの変容的学習理論,Brookfieldの批判的省察モデルと接続し,学習者の内面的な価値観の揺さぶりと行動変容を促進するよう設計されている点に特徴がある.生徒が地域との関わりのなかで自己を再定義し,未来に向けた行動の構想へと至る過程は,単なる「知識の習得」ではなく,変容的学びとして位置づけられる. 

     さらに,本研究ではその学習成果の可視化と評価にも焦点を当て,「変容的学習ステージ(Transformative Learning Stages)」と「認知的深度(Bloomのタキソノミー)」を掛け合わせた2軸の評価マトリクスを提案した.これは,学習者のリフレクション内容やアクションプランを分析することで,価値観の変容の度合いや思考の深まりを体系的に捉えるための枠組みであり,生徒自身の自己評価と教員による形成的評価の両面において活用可能である. 

     今後の課題としては,実践事例に基づいたアンケート調査の設計・実施を通じて,このマトリクスを活用した変容的学習の効果を実証的に検証することが挙げられる.また,地域人材や地域社会側にも焦点を当て,学習者との対話を通じて地域側にどのような内省や変化が生じるかを明らかにする,双方向的かつ参与型の評価枠組みの導入が求められる.加えて,評価ツールの現場での運用可能性や,教員の評価リテラシーを考慮した活用支援,多様な地域・学校文脈における展開可能性の検証も重要な論点である. 「修学旅行4.2」は,学校・地域・旅行事業者の三者が協働し,新たな学びの場を共創することを前提とする教育モデルである.

     本プログラムは,教育旅行を一過性の体験から脱却させ,探究・共創・変容を統合する21世紀型の学びのプラットフォームとして再定義するものである.地域のリアルな語りや当事者との対話を通じて,生徒一人ひとりが自己の価値観を省察し,社会との関わりのなかで新たな行動を構想するこのプロセスは,学校教育における新たな公共空間の創出にもつながると考えられる.

  • 伊賀 聖屋
    セッションID: 619
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.研究の背景と目的

     食の世界におけるグローバル化は,工業化と強い関わりをもちながら展開してきた.食料は「自然的なものと人工的なものの混淆物」(Goodman 1999)としての性格が強く,機械や化学製品よりも,自然物(生産・流通を取り巻く自然環境や動植物そのものが有する生物的特性)によって影響を受ける度合いが強い.そのため人間は、世界規模での食料の安定的供給の実現に向け,食料生産過程の一部を工業的要素で置き換えたり,食料そのものを工業的存在へと改変したりしてきた.

     一方,食の工業化・グローバル化の進展は,環境負荷や食の安全などに関わる様々な課題を人間社会へともたらしてきた.そのような中,エビやコーヒーなどのグローバル商品の分野では,従来の食料供給に対するオルタナティブな性格の強い食料供給体系(Alternative Food System, AFS)が出現している.そこでは,グローバル化の足枷とされてきた自然物がオルタナティブ性を構成する要素として重視される.具体的には,本研究で取り上げる環境保全型養殖のように,生産地域の自然環境や動植物の生物学的特性と強く結びついた生産様式がみられる.そのため,AFSに関わる生産者らの行為は,従来型のそれに比して自然物から作用を受ける度合いが強く,不確実な状況におかれることとなる.

     ここで注目したいのは,自然物との関係に埋め込まれる度合いが強い食料生産の実践において,不確実な状況を安定させることはいかに可能かという点である.とりわけ,食料生産に対する気候変動の影響が指摘される今日において,自然物との関わりの中で,どのような仕組みによりオルタナティブな食料生産が成り立っているのだろうか.本研究では,インドネシアの環境保全型のエビ養殖に焦点を当て,そこでの気候変動が及ぼす具体的影響と状況の変化に対する生産者らの適応を考察する.

    2.インドネシアにおけるエビ養殖業の展開

     インドネシアのエビ養殖の起源については様々な説があるが,遅くとも1800年には粗放的な方法を用いた養殖池が操業していたとされる(Ilman et al. 2016).その後,長らく粗放的な生産形態がとられてきたが,1970年代に海外のエビ需要の高まりを背景として,海域でのトロール漁が盛んとなった.ところが1970年代後半にトロール漁による資源枯渇が問題視されるようになり,1980年の大統領令により同漁は禁止された.そのような中,政府は輸出向けのエビを確保するため,エビ養殖業の強化・生産地域の拡大を目的とした国家プログラムINTAMを展開した.その結果,1980年代末までに各地で集約型のエビ養殖業が展開するようになった(Kusumawati and Bush 2010).

     2000年代以降,インドネシアではブラックタイガー(BT)の病気の流行を背景として,バナメイ(VN)への転換が政策的に推進されてきた(Hanafi and Ahmad 1996; Andi and Iqbal 2009).VNの生産にはより集約的な様式が向いており,そのような品種の転換も同国における集約型養殖池の開発を後押した.近年は,2020年の大統領令に基づいて,2024年までに養殖エビの輸出量を250%増加する政府目標が設定され,とくに西ヌサトゥンガラ州,ランプン州,ジャワ島北岸,南スラウェシ州での集約型養殖池の開発が進展している.

    3.研究の対象

     インドネシアでは,一部のエビ養殖池においてマングローブ林の伐採が社会的な問題となってきた.そのため政府は,2016年の海洋水産大臣令によりマングローブ林の主な分布域での新たな養殖池の造成を規制するとともに,シルボフィッシャリーを軸とした環境保全型養殖の実施も奨励してきた.シルボフィッシャリーは,マングローブの植栽・管理とエビ・魚の養殖とを同時に行う手法である.マングローブ林の保全に加え,水・土壌の浄化,プランクトンの増殖促進といった機能を果たすことから,低投入の環境保全型養殖として評価されている(Perwitasari et al. 2020).

     本研究は,東ジャワ州シドアルジョ県における環境保全型のエビ養殖(Eco-Shrimp Production System,ESPS)を事例として取り上げる.シドアルジョ県では,ブランタス川のデルタ地帯という地理的特性をいかす形で古くからBTの養殖が盛んに行われてきた(Fitrianto 2014).とりわけ,粗放型を軸にしたシルボフィッシャリーが広く展開している点に大きな特徴がある.ESPSは,1990年代以降,有機養殖や公正貿易のプロジェクトを通じてAFSと結びつき,従来型のエビ養殖に対するオルタナティブとしての価値を帯びてきた.

  • ―多文化共生推進地域,岐阜県可茂地域におけるキリスト教会を事例に―
    川添 航
    セッションID: P042
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    Ⅰ はじめに

    欧米諸国の郊外地域において,宗教施設が在留外国人のアイデンティティ形成や異なる信仰・エスニシティを背景にもつ人々との交流の起点となる事例が報告されており(Dwyer et.al. 2013),在留外国人は宗教を日常生活上の資本として活用している.日本国内においても,両者の相互関係を考察することが郊外地域の変容をとらえていく際に重要である.大都市圏郊外においても,在留外国人を対象とした宗教施設の数は着実に増加している.一方で,日本国内の地方自治体が推進する一連の多文化共生推進事業ではさまざまなアクターが想定されているが,それらの具体的な施策のなかに宗教という要素は含まれていない.以上の背景を踏まえ,本研究では日本の郊外地域における宗教施設の設立と維持に着目し,そのプロセスが郊外地域における在留外国人社会の社会階層の多様化(多層化)や多世代化の進展とどのように関連しているのか,多文化共生に関わる取り組みと比較してどのような特徴があるのかについて明らかにする.調査においては,日本国内で在留外国人人口が増加・集中する地域として,岐阜県可茂地域の中心である可児市,美濃加茂市を選定した.現地調査は2024年7月から2025年6月までの間に実施し,在留外国人の多層化・多世代化が地域に与えた影響や在留外国人のコミュニティ活動・宗教活動の実態について,地方自治体および在留外国人支援団体,宗教施設の運営者(宗教指導者)と信者への聞き取り調査,宗教施設で実施される活動の参与観察からデータを取得した.

    Ⅱ 岐阜県可茂地域における在留外国人社会の変化

    岐阜県南東部に所在する可児市,美濃加茂市では,1990年の出入国管理法改正以降,主に工業労働者として日系ブラジル人移住者の流入が進んだ.また,2010年代以降はフィリピン人移住者が増加している.以上の経緯で流入した在留外国人は,現在では戸建住宅の取得や家族の呼び寄せを進めるなど,長期定住・永住を指向する傾向にある.在留外国人の多層化・多世代化は,地域の労働市場や教育環境にも大きな影響を及ぼしている.こうした変化に対応するため,両市では多文化共生社会の構築を目的とした施策が積極的に実施されてきた.具体的な取り組みとして,多言語行政サービスや医療通訳,子ども向けの教育支援プログラムなどが行われている.いずれの多文化共生推進事業の取り組みにおいても,在留外国人を既存の地域社会へと統合していくことが念頭のひとつに置かれていた.

    Ⅲ 在留外国人向けキリスト教会の活動

    可児市,美濃加茂市には,ポルトガル語および英語で活動を行うキリスト教会が20軒程度所在している.本研究では,うち16件の教会(ポルトガル語11軒,英語5軒)に聞き取り調査を実施した.多くの教会は,かつて「出稼ぎ」を目的に移住した在留外国人自身によって設立されており,移住後の信仰の深化や,居場所づくりの必要性を感じたことが動機となっている.教会の設立・維持は,在留外国人が置かれた経済的・社会的状況と密接に関係している.具体的には,不動産取得時の困難や運営資金の問題,会員数の急な増減に伴う頻繁な移転の負担などがあった.しかしながら,信者は積極的な寄付やボランティアを行い,コミュニティの活動拠点として宗教施設を整備してきた.可茂地域における在留外国人社会が抱える社会的課題は,分節化や核家族化の進展に伴ってより細分化している.特に,離婚や非行といった家族離散に関する問題や青少年世代の将来不安,中高年世代も含めた言語・文化の壁による喪失感・孤立感の増大への対応といった課題が顕在化している.以上の課題に対応して,キリスト教的な価値観を宗教施設内外での活動に反映させ家族の一体感や青少年世代のネットワークの強化を促すなど,個別のキリスト教会は信仰の場を超えた信者の精神的・倫理的な支柱となることで在留外国人社会の安定に寄与しようと指向している.

    Ⅳ 小括

    欧米諸国の郊外地域では宗教施設を媒介としコミュニティ間での対話が進展しているが,日本国内ではそのような状況は少数である.本研究の事例から,在留外国人の日常生活上の課題に対しては「多文化共生」に関連する一連の取り組みがカバーする領域と,宗教活動がカバーする領域の間には明確な分立が確認された.なかでも,宗教施設では,教義に基づいた活動を起点として世帯やコミュニティの一体性を強化する点が重視されているなど,独自の役割が企図されている点を読み取ることができた.

  • 森田 匡俊, 大呂 興平, 小池 則満, 橋本 操, 服部 亜由未, 岡本 耕平
    セッションID: P028
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     本研究では,宿泊施設からの津波避難行動実験を通じ,当該地域についての十分な地理的情報を持たない観光客が,避難行動中に利用する地理的情報とその個人差を検討する.

     観光客による津波避難に関する既存研究について概観すると,沿岸観光地を訪れる観光客の津波リスク認知は高い一方で,避難経路などの具体的な避難行動内容については十分に認知されていないことが指摘されている(照本2020,馬場ほか2019).また,避難経路や避難場所の認知が不十分であることが,避難行動の初動の遅れにつながること(森田ほか2014),都市空間における来街者の避難経路選択には情報表示の内容や分かりやすさが影響すること(齋藤ほか 2025)などが報告されている.

     こうした研究蓄積を踏まえ,本研究ではまず,土地勘のない観光客が津波避難時に,具体的にどのような地理的情報を利用するのかを把握する.次に,方向感覚といった個人属性が利用する地理的情報に違いをもたらすのかを検討する.従来研究においては,居住者と土地勘のない観光客の津波避難行動を比較することはあったものの,観光客の個人属性の違いについては十分な検討がなされていない.一方で,空間認知研究においては,方向感覚と目的地までの移動行動との関係について多くの研究蓄積があり(例えば,村越 2013など),津波避難行動においても,個人属性の違いが重要な要因となる可能性が高い.

     そこで本研究では,避難場所までの経路の選択肢や利用する地理的情報が,都市空間や大規模観光地に比べると限定的で,個人差の検討をしやすい,小規模な宿泊施設が点在する三重県度会郡南伊勢町の一漁港を対象地域として,宿泊施設からの観光客に模した被験者による津波避難行動実験を実施することとした.

    2.調査対象地域

     南伊勢町では,南海トラフ巨大地震による甚大な津波被害が想定されている.最大津波高22m,平均津波高12m,津波到達時間が最短で8分と予測されている(内閣府2012).南伊勢町には海上釣堀や釣り場まで釣り客を運ぶ遊漁船業者が多く,陸域の地理的情報にまで十分精通しているとは言えない外来の釣り客が多く訪れる.宿泊施設からの津波避難行動実験を実施したのは,南伊勢町の西部に位置する神前浦である.神前浦には主に釣り客を対象とする小規模な宿泊施設が複数あり,このうちの1施設からの津波避難を想定して実験を実施した.

    3.津波避難行動実験の概要

     2024年9月と12月に,当該地域への訪問経験のない合計32名の被験者による津波避難行動実験を実施した.実験前に,被験者には方向感覚質問紙(村越 2013)に回答してもらった.実験では,携帯電話等を利用した当該地域の津波避難に関する情報収集を行わないよう伝えた上で,宿泊施設において巨大地震とそれに伴う津波発生に遭遇したと想定し,被験者が安全と判断できる場所までの津波避難行動を実施してもらった.各被験者の避難行動は,被験者に持たせたGPSと調査員が被験者を追跡し映像を録画することで記録した.また,避難行動完了後,録画映像を被験者と調査員とで閲覧しながら,各地点で避難行動に利用した地理的情報についてなどを聞き取り調査した.

    4.実験結果

     津波避難行動に大きく影響した地理的情報をまとめると「海」と「山」であった.ほとんどの被験者は,「堤防」の存在から宿泊施設の正面が海であることを認知しており,海から離れる方向,特に視界に入る最寄りの山の方向に向かって避難を開始していた.また「誘導看板」の影響も大きく,手助けとなる一方,表示内容に固執し安全な場所から引き返す要因にもなることがわかった.より詳細な結果や個人差の検討内容について発表にて報告する.

  • “くらし唄”から世界をひもとく
    野中 健一, 湯澤 規子, 望月 敬子, ズワンダ ネタバ二
    セッションID: 532
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに〜「そこにリズムがあったから」

     私たちは,2025年5月に南アフリカ共和国リンポポ州北部にあるハマクヤ地区を訪ねて調査を行った.

     フィールドワークでは,いかにして現地およびそこに暮らす人たちと良好な関係を築くかは,常に課題となってきた.私たちは,演奏をきっかけに,村人たちと打ち解け,それが呼び水となって,暮らしのさまざまな様相を発展的に聞いていき,経験することができた.本研究は,2021年以降の望月・野中の演奏経験と2025年5月の上記の南アフリカで湯澤も加わった村落調査での経験をもとに,フィールドワークにおける音楽の活用と,そこからみえてくる課題を検討する.

    2.地理学からアプローチ〜くらしと音楽をつなげる

     ここでいう「くらし唄」は,日常生活・生業活動にちなんで歌われている楽曲をいう.地理学における音楽研究の嚆矢である江波戸昭は,世界と人間の理解を目指して地理学の立場から民族音楽学を提唱し各地を探訪した.人びとが生活の中で作り,歌い演奏を継いできた音楽を「くらしのうた」と称した(江波戸 1981).そして「アフリカの音楽は…いわば文化そのものである.」とも記し,メッセージ,伝達,生業に結びつくリズムなど,近代ヨーロッパがその合理性のなかで生み出してきたような芸能や芸術とは別の観念での民衆の音楽を論じた(江波戸 1992).音楽を,行為,状況,環境なども含めたミュージッキングとして,音楽が実践される場の「活動」や「出来事」と捉えることや音楽と身体のあいだの深い関係などに関心が向けられ,日本の地理学でも音楽の研究が蓄積されてきた(山口 2002,山田 2003,森 2008,成瀬 2012,神谷ほか 2017,坂本 2022など).演奏と文化史を結びつけた授業実践例もある(野中・江成・中川 2002).地理学的アプローチによるくらしと音楽を結びつけて理解を深めることができよう.

    3.他者との距離感、緊張の緩和〜恥ずかしいを越えて

     望月(アイリッシュフルート,ホイッスル)と野中(バンジョー)のアイリッシュ・アメリカンデュオ「月ノ中」は,外で奏でる音楽の可能性を考えるべく、2021年8月から各所を訪ね,そこの景観や歴史,文化に想起される曲を演奏してきた.私たちはこれを「はいかい演奏<wander musicking>」と称し, 演奏により景色や土地に入り込み、地理学的理解を深めること,地理学的発想で音楽を楽しむことを探究・実践してきた(Nonaka & Mochizuki 2024). 2024年8月にアイルランドで,ストリート,景勝地,公園,民家,宿,店,博物館,バス停,タクシー内,IGC巡検,パブセッションなどで演奏した.いずれも好意的に受け入れられ,友好的な交流が生まれた.2025年5月に南アフリカ・リンポポ州の調査村では,湯澤が演奏に参加し、周りの人たちも歌やダンスで加わり,ライブならではの楽しさを共有する場が生みだされた.演奏が呼び水となって人を巻き込み,緊張をほぐし,記憶を呼び覚まし,鍬ふるい,機織り,洗濯,イモムシ採集,バッタ採集の曲などから話が広がった.歌詞からは,行動の内容や状況を,身振りやリズムからは,それぞれの行動の感情的意味がわかり,さらに聞き取りを深めていくことができた.

    4.今後の課題〜スプーンから世界の理解へ

     奏でる・奏であうことは,音楽に収斂するのではなく,交流を促進し,話題を広げ,その共感からさらに深い話を引き出して場面の展開を促す.スプーンも能動的なコミュニケーションツールとして,さらに歌詞に込められた生活・歴史・文化やその背後の価値観を引き出すことができるものとなろう.音楽のリズム・テンポや歌詞は,その場面の見方を彩り,土地とそこに暮らす人のリズムを汲み取り,立体的に捉えることに寄与する.そして奏であって共感,共鳴することにより,場や暮らしの価値観をうかがい,暮らしの論理が多面的にみえてくる.地理学の大切な課題である「人間理解」を具体的かつ現地に寄り添って追究する一方法となろう.これが普遍的にできるかどうか、追究を深めたい。

  • ―地理総合のまとめにおける生徒の姿から見えた成果と課題―
    首藤 慧真
    セッションID: 451
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに 高等学校「地理総合」では大項目C持続可能な地域づくりと私たち(2)生活圏の調査と地域の展望が,この科目のまとめとして位置付けられ,1年間の学習成果を踏まえ,生徒が主題を設定して地域調査を実施し,生徒が適切にその方法を身に付けることが求められている(文部科学省,2018)。近年の地域調査に関する研究は,学習方法としてフィールドワークの在り方に焦点をあてた池(2022)や松岡ほか(2012),GISの活用に焦点をあてた橋本(2023),田部・郭(2021),教師教育としてフィールドワークを実施できる教員養成の手立てに焦点をあてた國原(2024),深谷(2023)などがみられる。新科目「地理総合」の在り方に関する議論や実践報告が進んだ一方で,「地理総合」履修後の生徒の姿(“ディプロマ・ポリシー”)については,学習指導要領の目標として示されているとはいえ,1年間の学習を終えた生徒たちに身に付いた資質・能力の視点から,その実態がどうなっているのかについての研究蓄積は極めて少ない状況にあるといえる。 首藤(2025)は,地理教育におけるシステム思考力を「地理システムコンピテンシー」として,「空間を自然環境と人間(社会)環境それぞれが持つ様々な要素の複雑な相互作用の結果(システム)としてとらえ,それらを記述・図化することで,空間の持つ構造と挙動を理解し,よりよい空間の在り方を論理的に議論したり,多面的・多角的に提案したりすることのできる能力」と定義した。この地理システムコンピテンシーを育むために,システム思考を年間計画の柱に据えた「地理総合」におけるカリキュラム開発とその評価を行っている(首藤,2025)。 本報告は,首藤(2025)で示されたカリキュラムを基に実践した1年間の学習のまとめに位置づく,「生活圏の調査と地域の展望」において,生徒たちが実施した地域調査の成果物から,1年間の学習の成果とそこから見えた課題について整理を試みる。2.地理システムコンピテンシーを働かせる「生活圏の調査と地域の展望」「生活圏の調査と地域の展望」を具体化するにあたり,単元「〇〇の街,◇◇」を開発し,実施した。第一次では,前勤務校の所在地周辺を事例として,学校周辺地域に関するイメージを表出させるとともに,各生徒がイメージする内容の違いから,まとまりをもつ「地域」の広がりには各個人の認知的な差異があることに気付かせ,地域調査における調査対象地域を定義することの重要性を確認した。第二次では,高校入試期間における1週間程度の休業期間を利用し,各生徒が家庭学習課題として,調査対象地域を選定し,地域調査を実施することとした。それぞれの発表タイトルは「〇〇の街,◇◇」の形式とし,調査対象地域の地域的特色を一言で表現させた。調査を進めるにあたり,①自然条件と社会条件のかかわり(人間-環境システム),②他地域との比較(地理的な見方・考え方としての「地域」),③他地域との結びつき(「空間的相互依存作用」),④歴史的背景や変容,⑤持続可能性の5つの視点を意識するよう指示した。調査方法は,主にインターネットによる情報収集であり,地理院地図等のWEB GISも活用しながら,調べた内容はスライドにまとめさせるとともに,地域構造図を作成させた。この地域構造図を基に,現在あるいは今後生じうる課題を挙げ,その課題の解決あるいは緩和に有効だと考えるアプローチを1つ以上示し,作図した地域構造図に書き込んで,システム的に考察させた。各自がまとめた結果はグループで共有するとともに,優れた成果物については教室全体で共有を行った。3.成果と課題生徒の成果物では,必要な地理情報をjSTAT MAPを用いて地図化したり,様々な統計資料を収集したりして地域分析を行うとともに,地理システムコンピテンシーを働かせながら地域構造図にまとめ,地域的特色とその背景,地域が抱える課題と解決の方向性を論理的に考察することができているものが多く見られた。これは,1年間の「地理総合」の学習を終えて身に付けた資質・能力が具現化した生徒の姿そのものである。一方,調査対象地域という空間を,調査者である生徒自身(一人称としての「私」)から見た空間分析に終始したものが大半で,多様なステークホルダーからの視点に立った分析は十分とは言えず,解決アプローチの提案が説得力に欠けるものも見られた点は,課題である。このマルチパースペクティブからの考察の弱さという課題は空間認識だけでなく,空間形成のためのシステム思考の重要性を示唆するものでもあると考える。

  • 小林 夕莉
    セッションID: 332
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    医療従事者の不足や不定愁訴の改善などの観点から,伝統医療に対する注目が国際的に高まっている.WHOは1970年代から,2000年までにすべての人々が健康を実現できる水準を達成することを目標に掲げ,この目標を達成させるためにプライマリー・ヘルスケアの推進を重要視してきた.とくに医療に関わる人材や物資が不足する発展途上国では,在地の伝統医療のシステムや担い手を巻き込むことが推奨されている.一方で,富裕層や中間層を中心に伝統医療や代替医療への需要が高まり,インドではメディカル・ツーリズムが盛んになるなど,医療の多様性はますますグローバルな広がりを見せている.

     一方で,バングラデシュは「援助の実験場」とも称されるように,主に近代医療の普及に注力された地域である.東南アジアや南アジアをフィールドとした伝統医療/代替医療に関する研究は日本でも盛んにおこなわれているが,バングラデシュではこうした研究が不足してきた.そのため本研究では,バングラデシュタンガイル県の農村における世帯調査と参与観察にもとづき,伝統医療や代替医療を含めた医療の選択の多元性を考察する.

    バングラデシュはにおける近代医療は,パキスタンからの独立(1971年)以降,世界的な援助やNGOの支援により急速に発展した.現在は,約6000人に1軒の割合で設けられるコミュニティ・クリニックをはじめとした,6つのレベルに分けられた公的医療機関が存在するほか,都市部には専門病院や総合病院が開院している.農村レベルで主要となるのはであり,調査地では彼らが市場で経営する薬店が拠点となっている.村医者らは医師ほどの知識はないものの,不足する人的資源を補完する重要な役割を持っている.

     また,バングラデシュでは代替医療の制度が整備されており,ホメオパシーのほかに,アーユルヴェーダとユナニを含む伝統医療が実践される.これらは医師と同様に,それぞれの専門分野における学位の取得が求められる.

     民間療法を実践する治療師(kobiraj)はこうした制度の外側にある存在である.かれらは祈祷や民間薬,呪符などを用いて治療をする非制度的医療の担い手であり,公的医療機関のヘルスワーカーや近代医療の担い手からは否定的に捉えられている.

     タンガイル県に位置するK村とB村は,Bangshi川支流を挟んで向かい合っている.K村はコミュニティ・クリニックを有するムスリムの集落であり,B村はヒンドゥーの集落である.かつては両村の近辺に橋が架けられていたが,2015年に崩壊してからは船で往来する.渡船には料金がかかることもあり,橋の崩壊以降,川を越えて市場や保健所を移動することは減少したという.両村の住民は互いに交流は少ないが,顔見知りや噂を聞く等の関係性は有していた.

     いずれの村の住民も,40代以上では子供時代に「村医者」が最も用いられる医療機関であると回答した.現在はアクセス性が向上したことから,病気の重篤さや目的に従って薬店と病院を使い分けている世帯が多かった.

     公的医療機関での診断は無料であり,解熱剤やかゆみ止めなどの頻繁に使われる薬は常備し,無料で提供している.公立病院やコミュニティ・クリニックの利用者の中には所得の低い層も含まれ,公的制度が効率的に機能していた.一方で,待ち時間の長さや院内の清潔さなどのサービスは私立病院が優れていると考えられ,治療費がかかっても私立病院を好む傾向が見られた.コミュニティ・クリニックに関しても,開院時間が午前中のみであることや市場(バザール)から遠いことを理由に,市場に5軒~10軒が集まる薬店を選択する患者が多数みられた.

     市場にはホメオパシーの薬店があり,子供の治療や眼科・耳鼻科・皮膚科系の疾患では,副作用の少ないホメオパシーがよいと考えられていた.ホメオパシーの薬店は近代医療との区別を重視していた.伝統医療の薬店は農村部にはなく,村医者の経営する薬店で10種類程度の解熱薬や血圧低下を目的とした薬が販売されていたが,これらの薬については大まかな知識を把握している程度であった.民間療法は村落内で個人的に実践され,屋敷地林の樹木や国内外で入手する伝統薬等が使われていた.人々は体調不良に際してほとんどの場合はまず近代医療にアクセスするが,不妊症や精神疾患など長期化する病気は「病院では良くならない」と判断され,民間療法やホメオパシーなどの代替医療が模索されていた.このほかに,民間治療師は精霊が原因とされる病気や夫婦関係の改善に長けていると考えられ,症状や課題に応じて治療体系の使い分けがなされていた.

  • 木口 雅司, 江口 奈穂, 村田 文絵, 林 泰一
    セッションID: P011
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    インド亜大陸における約100年間の降水量データから北半球夏季インドモンスーンに伴う降水システムの変化がFukushima et al.(2019)によって報告されている。一方で、ここ30年間で、北半球夏季(7-9月)のアフリカ大陸からアジアモンスーン域の対流活発域が北進していることが明らかとなっている(Kodera et al., 2019; Kodera, et al., 2021)。本研究対象とするインド亜大陸東北部とインドシナ半島は、インドモンスーンの下流にあたり、かつ準2週間周期変動(QBO)やBSISOなどの季節内変動の始点にあたる。またこの地域は特異な地形による地形性の降水システムが顕著にみられる地域であり、長期的な気候変動による循環場の変化がこの地域の降水システムをどう変化させているか、またその影響が高緯度側の気象場や気候場にどのような影響をもたらしているのか明らかにしたい。一方で、熱帯域の長期変動であるインドダイポールやENSOの影響も強く受けているので、熱帯域の経年変化との関連の調査も目指す。本研究では、東南アジア域における降水量データの収集および検証作業を実施し、データ公開のための作業を実施した。それと並行して、検証を終了した科学的に有効なデータを用いて季節サイクルの長期トレンド解析を推進した。その中で、本報告ではタイにおける季節内変動の長期トレンドについて報告する。タイは、乾季と雨季がはっきり分かれているインド亜大陸西部とは異なり、アジアモンスーン域においてプレモンスーン降水が存在する地域の一つである。この地域では、雨季には10~20日周期と30~60日周期が卓越すると言われている(例えばYokoi and Satomura, 2005)。そのような季節内変動の長期トレンドについての解析は、バングラデシュの約20年程度の年々変動の事例(Fujinami et al., 2011)が報告されている程度である。またプレモンスーン期とモンスーン期の季節を分けた解析は行われていない。そこで、本研究では、過去50年のバンコクにおける1951~2000年の日降水量データを、プレモンスーン期(3月12日~5月14日)とモンスーン期(5月15日~9月15日)に分けて、降水特性の異なる期間を分けた長期トレンド解析を可能とした。季節内変動の周期を導出する手法は高速フーリエ変換によるパワースペクトルである。プレモンスーン期の季節内変動の長期トレンドでは、年々による変動が大きいが、一方でパワースペクトルの強度が1980年代以降、短周期側で大きくなっている。一方、モンスーン期は、主に30~60日周期が卓越しており、10~20日周期も見られる。過去に見られていた5~7日周期は弱くなっている。これらはまだ初期結果に過ぎないが、再解析データを用いた総観気象場からの考察によって、長期の気候トレンドを明らかにすることが可能である。本研究で実施された季節内変動の長期トレンド解析は、長期降水データを用いることで気候場の変化を明らかにする可能性を示し、他地域でのこのような解析が推進されることが期待される。

  • 村山 朝子
    セッションID: S403
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    2017年改訂学習指導要領において,小学校社会科の内容は,地理的環境と人々の生活,歴史と人々の生活,現代社会の仕組みや働きと人々の生活,の三つに区分された.中学校への接続・発展を視野に入れた区分整理とされるこの妥当性には議論の余地があるものの,小・中の「社会科における地理教育」の接続はこれまで十分とはいえず,系統性,段階性等を踏まえた改善は,喫緊の課題である.例えば,世界の学習の問題が存在する.また,小・中間で,地理に関連する用語の用いられ方が一貫していないことも問題である.さらに,地域の諸事象を多角的・空間的・総合的に捉える「地誌」学習の位置づけが曖昧であり,社会科においても十分に生かされているとはいえない.こうした現状を踏まえ,小・中社会科地理の接続という観点から改めて世界の学習に焦点を当て,そのあり方を検討するとともに,その過程で地誌の意味や意義を再考した.

     世界の学習は小・中の系統性という観点から構成されているとはいいがたい.小学校では,国土理解や「現代社会」の国際社会との関わりの中で世界の内容の一部が扱われるに留まる一方で,小・中間で内容の重複が見られる箇所がある.例えば,第5学年の「世界の大陸と海洋,主な国」は国土理解のための扱いで,中学校にもほぼ同様の内容が位置づけられる.重要事項の反復は必要であるものの,中学校で一部逆転的な学習活動が見られたり,学習内容の深まりが不十分であったりする.特に,小学校で世界の学習に先行して領土問題等が入るのは,その適性が問われる.また,小学校第6学年の「日本とつながりが深い国の人々の生活」は「現代社会」単元の一部として経済・文化とのつながりに限定され,地誌的な扱いではない.学習指導要領では「他国を尊重する」という文言が繰り返されるが,教科書に登場するのは国旗ばかりである.一方,中学校の「世界の諸地域」は,主題学習による州別地誌といえる.その中で主題に関連して個別の国に着目することはあるが,小・中を通して国を単位とした地誌学習は実質的に欠落している.小学校における世界の学習では,社会科と他教科との連携不足と内容のずれも問題である.他教科では外国に関する様々な事柄が低学年から登場するが,社会科では扱われない.他教科で取り上げる世界の生活や文化を地域の自然環境との関わりで捉える場は,社会科地理では中学校の「世界各地の人々の生活と環境」まで待たねばならず,知的好奇心が強い児童期に自然と人間との関わりという地理的視点や,地球的視野,さらにはESDの観点から多角的・空間的に世界を捉える機会を逸しているといえる.

     地球的課題の解決に資する資質・能力を育成するためには,社会科地理において世界の学習を小・中一貫の観点から再構築することが重要である.小学校段階において世界の学習を段階的に導入していく.低学年では,他教科で登場する諸事象の場所や分布を世界地図や地球儀(地勢図)で確認するなど,具体的な自然・生活・文化を通して世界に触れる機会を増やし,地球全体の広がりを感覚的に捉える地球的視野と空間認識の基礎を育成する.この活動を少なくとも中学年まで継続的に行い,高学年での世界の学習につなげることが肝要である.社会科が始まる中学年では,身近な地域・市町村学習と同じスケールの外国を地誌的に取り上げ,世界地図や地球儀(行政図),衛星画像等も活用しながら段階的に視野を拡大する.さらに,高学年では「我が国」の学習と合わせ,並行して国単位で地誌的に取り上げ,他国との比較による自国理解と相対的視点を育成する.取り上げる国は中学校との重複を避ける.これらの改善は,社会科の他領域の内容削減などせず,地理の内容の組み替えで実現可能である.また,中学校社会科地理の再構成と小・中連携の強化も進めることが必要である.現行の「世界の地域構成」や「世界各地の生活と環境」の内容は,小学校とのすみ分けを明確にし,単なる反復ではなく発展的な学習となるよう再構成するとともに,州別学習に十分な時間を確保することが求められる.

     小・中社会科地理のあり方を検討した結果,地理教育の一貫カリキュラムを構築する上でも地誌学習についての再考の必要性は明らかである.地理教育の中核に地誌を置き,「子どもたちに自らの世界像を形成させること」(齋藤,1985)を目的とすることは,ESDが掲げる地球的課題解決に向けた能力を育む上でも有効なアプローチである.比較を通じた自国理解,多角的・空間的・総合的な地域理解,地理的見方・考え方の基礎育成は,児童・生徒が地球的課題を共感と主体性をもって捉える土台となる.地理的知識に裏打ちされた深い理解は,根拠に基づいた思考・判断の基盤となり,真の地球市民としての資質を育むことに繋がるだろう.

  • 鹿児島市中心部の八幡校区からの避難に注目して
    岩船 昌起
    セッションID: 415
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    【はじめに】本発表では,住民の「自助」「共助」で中心的な役割が期待されている自主防災組織に注目し,鹿児島市の市街地中心部の八幡校区における桜島大噴火時の広域避難への備えについて考察する。

    【桜島大噴火で市街地降灰時の避難計画】鹿児島市は,「地域防災計画 火山災害対策大量軽石火山灰対応計画」を平成31年作成,令和3年一部改訂した。鹿児島市街地への降灰は,7・8月の可能性が高く,最大100cm以上の堆積が見込まれる。気象庁噴火警戒レベル5発表時に,鹿児島市は,降灰の恐れがある5ゾーンに,風向きに応じて「高齢者等避難」「避難指示」を発令し,該当ゾーン住民の迅速な「立退き避難」を噴火直前までに完了させるという。避難先は,薩摩半島等自治体であり,国道等の活用での車避難等を想定している。

    この計画には,課題が多々ある。㋐そもそも被災が想定されるゾーンの全住民が「立退き避難」すべきなのか。重篤な患者を擁する鹿児島大学病院では,屋内安全確保での対応を模索しており,避難主体の住民の健康状態,移動手段,家族構成等の多様性への配慮が不足している。

     ㋑「立退き避難」時に車両で「立ち往生」せずに,避難先に到着できるのか。「立退き避難」での経路が,災害想定時の風向きとほぼ平行であることから,数mm~数cm 程度の降灰の影響で車両が動かなくなり,多数の車両が立ち往生する可能性がある。停車した車両内に閉じ込められた場合,自宅での屋内安全確保より過酷な生活環境が予想され,「エコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)」の発症等で,生命の危機に直面する可能性がある。

     ㋒「立退き避難先」での避難所等,万人単位の避難者が避難生活を送ることができる宿泊所を「分散避難」でしっかりと確保できるのか。避難先の枕崎市の全避難所の定員は,最大受入9,800 人であるが,鹿児島市「大量軽石火山灰対応計画」での枕崎市他3 市での受け入れ人数が69,000~79,000 人であり,2万人弱を受け入れる枕崎市では,一般避難所以外の宿泊所等を1万人強確保する必要がある。

    【八幡校区での備え】八幡校区は,最も近い場所で,桜島南岳火口から約8.4kmに位置する。市中心地域の一部であり,中・高層建築物の分譲・賃貸共同住宅が多く。八幡校区コミュニティ協議会は,31町内会(3,001世帯4,881人登録[校区人口28%],2024年10 月1 日時点)を中心に,130団体が参画している。

    八幡校区コミュニティ協議会の活動について,「自主防災組織の手引(総務省消防庁2023a)」の4つの観点から検討する。

    ①火山災害に関する知識の普及(噴火警戒レベルと避難行動の対応など)②火山防災マップの周知について,平時の活動である。八幡校区31 町内会で回覧板等が配布される人数が約4,881 人であり,八幡校区総人口17,222 人の約28% に当たる。ただし,このような配布物を積極的に読む方は,一般的なアンケート回収率20~30%に仮に基づけば,1,000~1,500 人程度が算定され,八幡校区総人口の10% にも満たない。

    ③迅速な情報伝達,避難誘導(避難行動要支援者の避難誘導を含む)に関しては,桜島WS 報告会参加者が約130 人であること(八幡校区・京都大学2024),「実際の噴火時には,31 町内会のリーダー,民生委員,消防団等と共に,概ね200 人程度なら,避難誘導に当たることができる」との会長の証言が参考になる。ただし,八幡校区コミュニティ協議会等では,避難訓練を行っているが,住民誘導の方法や手順等が具体的に決められて地区防災計画等に明記されている訳ではない等から,個人の避難開始の遅れにつながる業務を推奨し難い状況にある。

    ④避難所の開設・運営等については,大規模噴火時の広域避難では避難先の自治体の避難所で過ごすことから,八幡校区コミュニティ協議会関係者ができることは,公的にはない。前述の通り,避難先の自治体での避難所定員が避難者の居住空間に個人占有区画と通路をレイアウトして決めているものでないようで,また,どの避難所に行けばよいかも決められていないことから,何とか避難先にたどり着いても,大混乱が発生する可能性が高い。

    【おわりに】鹿児島市で最も先進的な八幡校区コミュニティ協議会に注目して分析を進めたが,桜島大噴火時の広域避難は,そもそも1地区1自治体を越えての避難行動であり,1つの校区コミュニティ協議会のみの努力で解決できるものではないことが明らかとなった。行政による避難計画類の作成・改善が重ねられるべき現状であり,早急な実行が求められている。

    《文献》岩船昌起(2025)自主防災組織と火山防災-鹿児島市における桜島大噴火への備え.『都市問題』2025年8月号,印刷中.

  • 末永 芽久, ジョン ジラ, 湯澤 規子, 野中 健一, ネタバ二 ズワンダ
    セッションID: P065
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1. はじめに

     リンポポ州農村部では,農耕を行いながらも野生資源利用が盛んであることが指摘されており(Rasethe et al. 2013),地域の住民にとって馴染みのある食料獲得の手段として位置付けられる.人と野生資源の様々な関係性の中で,野生資源の獲得と食用化という行為は,最も直接的かつ基本的な関わり方である.地理学においては,その獲得場所の空間性や利用をめぐる人びとの社会的関係性から注目されてきた(野中 2009).

     そこで本報告では,ハマクヤ地区において2025年の3月と5月に,地域住民を対象に行った馴染みのある野生資源利用に関する聞き取り調査および参与観察調査から,当該地域における野生資源の利用慣行を概観する.

    2. 対象地域の概要

     ハマクヤ地区は南アフリカの北東端,ジンバブエとの国境にあるリンポポ州の北東部に位置する(図1).かつてアパルトヘイト制度によって設置されたホームランドの一つであり,ベンダが居住している.人口は1,868人であり,世帯数は425世帯である.集落は標高550m〜600mに分布し,周囲には標高620m〜750mの緩やかな起伏のある丘陵が広がっている.また,雨季と乾季で水量が大きく変化する川が流れている.

    3.ハマクヤ地区における野生資源利用

     調査で明らかになった利用種は,植物53種,昆虫15種,キノコ4種,魚3種であった.利用方法は,食用のほか,燃料,シロアリ捕獲のための道具,調理道具,農耕具の素材などであるが,食用が特に多い.栽培品種よりも数多くの種類の野生資源を利用していた.なお,本調査では薬用は除いている.

    4.採集場所

     聞き取りによれば,採集は集落内部や周辺にあるbush, forest, mountainなどで行われる.さらに,特定の種類のイモムシの採集は,8〜10人の男女によって,ハマクヤ地区から20kmほど離れた自然保護区で採集が行われる.

    5.考察

     人びとは農作物を栽培しながらも,現在でも多様な種類の野生資源を利用していることが明らかになった.他地域から嫁いできた女性たちは,「たくさん食べ物があるからハマクヤが好き」だと述べる.今回の調査で明らかになった種類のほとんどは,日常の生活行動の中で得られる空間的側面と,特別な技術や技能を必要としないで得られるという近接性を持ったものである.生活の範囲内に見られる多種多様な食用資源は,食べ物が豊富にあるという安心感を得る背景の一つであると考えられる.また,イモムシ採集のための遠征では,採集作業の合間に様々な話題が飛び交うという.さらに,採集に関連する歌も観察できた.採集活動は,今村(1992)が述べるように社会的な活動としても機能していることがうかがわれる.そして,食べ物が豊かであるという実感を得るという意味では,集団でおしゃべりをし,歌や踊りで捕れた喜びを共有する場の重要性も指摘できる.

    5.今後の課題

     ハマクヤ地区を含むベンダ族の居住地では,近年,人口増加や農業と産業の拡大により自然環境が変化しつつあることが指摘されている(Mabogo 1990).調査においても,草葺き屋根に用いる植物が採集できなくなっているという発言があった.本調査は野生資源の利用の概観にとどまるが,採集遠征の実態や住民の野生資源に対する認識などに関してより実証的な調査を行い,さらに利用慣行の時代的な変遷を明らかにする必要がある.

  • ―呉市中心市街地を事例に―
    平塚 凜
    セッションID: P035
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    近年,地域食文化を観光振興の手段として活用するフードツーリズムが注目を集め,地域経済の振興や観光資源の多様化に寄与している.地域固有の食文化を観光資源に転換する試みは,観光業の持続可能な発展を目指すうえで重要なアプローチとなっており,今後の観光地開発における新たな方向性を示している.

    本研究では,軍港都市としての歴史的背景を持つ広島県呉市における「呉海自カレー」事業に着目し,呉市中心市街地での導入意義と地域アイデンティティへの影響を明らかにすることを目的とする.

    呉市は,1886年に旧海軍の鎮守府が設置され,その後,戦後の工業発展を経て都市基盤を再構築してきた.2005年に開館した大和ミュージアムを契機として,呉市は軍港都市としての歴史や近代遺産を観光資源として積極的に活用し,観光まちづくりを推進している.特に中心市街地は観光の拠点として機能しており,観光客の回遊促進や地域消費の促進に重要な役割を果たしている.こうした背景の中で,「呉海自カレー」は観光資源として導入され,市内の飲食店で海上自衛隊艦艇のカレーを再現・提供する取り組みが行われている.この事業は,厳格なレシピ管理と提供システムによって観光資源として整備され,観光客を誘致するためのシールラリーやイベントが開催されている.

    本研究では,「呉海自カレー」提供店舗および関連機関に対して聞き取り調査を実施し,事業導入の背景や地域アイデンティティへの効果を検討した.その結果,「呉海自カレー」の提供が観光業の発展に寄与するとともに,地域住民の誇りやアイデンティティの再確認にもつながっていることが確認された.

    本事業は単なる食の提供にとどまらず,観光客には軍港都市の歴史や近代遺産を体験する機会を,地域住民には「海軍のまち」「海自のまち」としてのアイデンティティを再確認する場を提供している.これにより,内発的で持続可能な観光の発展が進んでおり,地域社会の観光資源としての活用が期待される.

    今後の課題としては,地域住民の意識変容や地域アイデンティティの再構築の実態に注目した調査が求められる.本研究は,観光資源の導入が地域社会にもたらす内発的意義を明らかにし,持続可能な観光まちづくりに向けた基礎的な知見を提供するものである.

  • 小倉 拓郎, 遠藤 未来, 山内 啓之, 小池 紗也香, 𠮷水 裕也
    セッションID: 448
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    2019年12月に文部科学省が発表したGIGAスクール構想によって,全国の初等中等教育の現場に,1人1台のタブレット端末やノートPCが配布された.これにより,ICT活用の可能性が広がり,学校教育においてもデジタル教材へのアクセスが容易となってきている.学校現場で使用されている検定教科書についても,デジタル端末を通して動画や音声,ウェブサイトへのアクセスが容易になった.地理学習においても,デジタル端末を利用することで,映像や写真へのアクセスや, Webブラウザを使用した地理院地図をはじめとするWebGISの閲覧が容易となっており,ICT教育やSTEAM教育との親和性が高い.一方,ICT活用を苦手としている教員は依然として多い.教材を試しに使ってみる経験ができていない教員も多く,地理学習においてどのような教材を使用すればよいのか十分な教材研究ができておらず,教員研修の場が必要である.

     そこで演者らは,2024年7月31日に,兵庫県内の教員12名(小学校教諭7名,中学校教諭3名,高等学校教諭2名)を対象として,「3Dで地形を見る・動かす・つくる:Blenderと地理院地図を用いた授業デザイン」と題し,2Dおよび3Dのデジタル地図活用に関する教員研修を実施した.教員の専門教科は,社会科に限らず,美術,理科,国語,家庭,情報など多様であった.本教員研修の企画にあたり,インテル株式会社のSTEAM教育支援の取り組みである、インテル® Skills for Innovationをベースとして,どのように教育現場の地理教育の研修へ導入することができるかについて,教員研修教材を開発した.

     受講生は,事前課題としてテクノロジーを利用してアップデートしたい授業のテーマやスキル,活動などの素案を記録したアクティビティデザインシートを作成した.その上で,STEAM教育の概念をベースとしたマインドセットやデザイン思考に関する解説,テクノロジーを地理教育に導入した事例として,GISの概念の基礎,地理院地図を用いた2Dおよび3Dの地図表現の実習,3Dモデルの編集ソフトであるBlenderを用いた3D地図の編集に関する実習を受講した.最後に,グループに分かれて事前課題のアクティビティデザインシートを改善する実習を行い,当日の実習で身につけた地図表現の技能を用いて授業案の改善とデジタル地図教材の作成を行った.

     受講生が提出したアクティビティデザインシートの改善プロセスを時系列で比較し,本研修で身につけたマインドセットや地理的技能をどのように授業デザインに導入した傾向がみられたかについて検証した.その結果,12名中10名の教員が,当日に身につけた技能を用いて,表現したい自作の地図を作成することができた.また,地図によってスケール感や表現できる解像度の違いなどを理解した上で,もともと想定していたツールの取捨選択を行っていた例もあり,地図リテラシーの向上がみられた.受講後アンケートでは,テクノロジーにまず触れてみることの重要性や,ツールやソフトを目的や対象にあわせて使い分けることの必要性を挙げる意見がみられた.また,異校種や他教科の教員とのコミュニケーションや共同作業を通して,自身の専門教科や校種で学習する内容を,新たな視点で改善することができたという意見もみられ,STEAM教育の概念を活用した教科等横断的な学習を実践することができた.

  • 平野 勇二郎, 岡 和孝, 浜田 崇, 西廣 淳, 大橋 唯太
    セッションID: P053
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    都市部において生活環境の向上と気候変動対策を両立する方策としてグリーンインフラの活用が注目されている。本研究はその効果を評価する研究の一環として、緩和策と適応策の両面から植生の気候変動対策としての効果を評価することを目的とした。具体的には、緩和策として気温低下による冷房削減効果と光合成によるCO2吸収効果を対象とした。適応策としては気温低下に伴う暑熱リスク軽減効果を代表する指標として熱中症救急搬送数を推定した。ただし、本研究の計算結果は一事例であり、実際には気象条件や季節による変動があるため、一般的な知見を得るためにはより詳細な評価が必要である。また緑化可能性を考慮した現実的な緑化シナリオの設定も今後の課題である。しかしながら、想定した緑被率において各種の効果を定量化する手法を確立したことには意義があり、これにより具体的な自治体による緑化計画の評価が可能になる。

  • 河野 光浩
    セッションID: 444
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    発表者の一貫した問題意識は、地理学は裾野が広い学問であるにも拘わらず、地理学者は自らの専門領域を飛び出して周辺学問の研究者や地理実務者(後述)との接点を持つことに消極的である結果、教育機関における地理教育が実社会のニーズと乖離した、もしくは社会実装性に乏しい内容となっていることである。発表者は業務を中心に世界の約140か国を訪問し、7つの外国に通算17年間居住してきている。その過程で、日本の若者の内向き志向の増大や国際派人材の減少を懸念するに至った。原因の全てが地理学にあろうはずはないが、地理教育における世界地誌の比重低下が国際的人材の発掘・育成の阻害要因の1つではないかと推測する。もともと、日本を本拠とする大学や高校等の地理教員(以下「伝統的地理教員」)はその職務の形態上、世界地誌を学ぶ上で決定的に重要な現地への訪問や長期滞在に限界があり、情報源の大半は学術論文等の文字情報やインターネットだと推測されるが、それだけでは不十分なのは論を俟たない。そこで発表者は、伝統的地理教員は講義・授業への地理実務者の招聘を強めたり、地理実務者との交流の場を広げたりすることにより、その視座を多角化し研究・教育の内容を補正すべしと二度にわたり指摘してきた。 今次発表では、大学入試共通テストの2025年度地理総合・地理探求の問題(以下「本件問題」)を取上げ、「地理の問題」と「知能テスト・一般常識問題の類」の分水嶺や、伝統的地理教員に見られがちな作問傾向について解明を試みる。 その結果として仮に何らかの傾向が認められても、それが伝統的地理教員に特有の視点に起因するのか否かは証明できないし、作問者は退任時に官報告示されるが、伝統的地理教員だけなのかは検証困難である。学士以上の地理の学位を有するが教職に就いていない官公庁ないしその関係機関等に勤務する「地理系社会人」も作問者たり得るが、いずれにせよ、一定以上の地理の知識や経験を有するが教員でも地理関係の職務にも就いていない「地理実務者」の視点で分析や批判を加えることは、今後の学界の発展ひいては地理教育の建設的な改革に無意味なことはないと考える。 具体的には、まずは本件問題を発表者自身が解き、全30問を良問、判別困難、悪問の3つに分類し、その幾つかについては判断根拠とともに説明する。 結果的には、良問が19、判別困難が8であり、両者の合計で27問(90%)を占めることから、発表者が当初イメージしていたよりは遥かに高い比率で問題が練り上げられていることが確認できた。良問としなかった問題についてはその理由も併記するが、出題ミスというよりは、地理学の知識を前提とせず、一般常識で正解できる「地理風味の知能テスト」であるというものが最も多い。 もっとも、どこまでが地理学でどこからが一般常識なのかは容易には判定できず、これが受験地理の学習の難しさと敬遠理由の一因ともなっている。 他には、問題の日本語が若干不親切で、20歳前後の若者には分かりにくいだろうと解されるものなどがあった。 しかし、発表者がある程度自信をもって判断できる世界地誌の問題自体がそもそも少なく、また、判別困難に分類した8問全てが全く問題ないわけではない。更に、本件問題はあくまでも、旧共通一次、旧センター試験から40年以上に亘って連綿と受け継がれてきた大学入試の地理問題という流れの中のごく一部に過ぎず、本来であれば、その時々での学習指導要綱の違いはあっても全ての問題を対象に分析せねばならない。 さて、発表者1人だけが本件問題を解いた上での言わば感想に近いものでは説得力に欠ける。そこで、本稿には間に合わなかったが、発表者の人脈を辿って依頼した数名の社会人にも同様に本件問題を解いてもらい、その結果を踏まえた解答者たちへのインタビュー結果も踏まえた考察を当日に追加することとしたい。解答者たちの背景は、大学入試で地理を選択した者・しなかった者、文系・理系、学部卒・院卒がある程度含まれる形を取ることになる。 今般の制度改正で導入された「歴史総合」が日本史と世界史の混合科目となっているため、二次試験対策も兼ねられる文系では受験生の多くがこの2科目を選択し、特に文科系トップ層が地理を選択しない傾向が加速化するおそれなしとしない。また、今次改正で地理総合に地学的要素が多く入ってきたことにより、地誌特に世界地誌のマージナライズ傾向が進むことを懸念している。

  • 森 泰三
    セッションID: 506
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    大規模住宅団地は、インフラや公共施設が充実し、開発当時としては良好な住環境を提供していた。これらの住宅団地の多くは開発から数十年が経過し、現在では住民の高齢化や住宅の老朽化といった課題が顕在化している。しかし、住宅団地の一部には、多様な世代で構成されたものもある。2020年国勢調査の小地域別年齢別人口を用いて、分析すると人口高齢化の進展していない33カ所の多様な世代構成の団地があり、本研究ではその分析を用いて、多様な世代で構成される住宅団地の形成要因と世代循環の実態を考察する。

    2010年および2020年の国勢調査を用いて各住宅団地の世帯数の変化を見ると、30カ所が増加している。また、世帯増加率と人口増加率を比較すると30カ所で世帯増加率の方が高く、単身者の共同住宅への入居が要因の一つと考えられる。さらに、居住期間が10年未満の割合を見ると、宇都宮市の南ニュータウン28.8%、東松山市の東部29.0%を除き、それ以外は30%以上であり、人口流動が活発でこのことが多様な世代構成に起因していると考えられる。

    研究対象の33カ所の住宅団地では居住期間が10年未満の割合が高いことからも転入・転出が繰り返されていることが考えられる。首都圏やそのほかの大都市圏では、共同住宅が多数立地しており、そこへの転出入による世代循環がうかがえる。盛岡市の都南中央第一や宇都宮市の南ニュータウンでは、比較的新しい共同住宅が多数立地している。さらに入居開始当時からの古い戸建て住宅が多数ある一方で、新築物件も散見される。このようなことからも世代循環の様子がわかる。

    一般に住宅団地では、人口高齢化や住宅の老朽化が課題となるが、質の高い住環境、比較的安価な地価・家賃、生活・交通利便性などの特徴から居住の需要がある住宅団地では、共同住宅を中心に、戸建て住宅においても世代循環が確認できた。

  • 桑林 賢治
    セッションID: S505
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.背景と目的 地名は場所の記憶と密接に関わる.場所の記憶を反映した地名が新たに創出されたり,地名を基に地域の歴史が検討されたりする.こうした動きは場所をめぐる人々のアイデンティティのあり方を反映したものであり,それゆえにしばしば政治的な性格を帯びることとなる.これは先住民と地名の関係性を考える上でも重要な論点である.アイヌ民族の場合,アイヌやその先祖にあたる人々が命名したと考えられるアイヌ語地名が,北海道以北では日本の植民地支配の中で改変または消去されてきた.こうした状況に対して,北海道のアイヌ語地名を復興する活動も一部で進められている.これは地名を通じてアイヌをめぐる場所の記憶に光を当てようとする動きにほかならない.一方,報告者は現代のアイヌが北海道内外で建碑や先祖供養といったコメモレイション(=記念行為)を通じて場所の記憶を記念してきたことを議論してきた(桑林 2021, 2024, 2025).これらのコメモレイションのうち,特に東北地方の事例にはアイヌ語地名が関係しているものが見られる.そこで本報告では東北地方におけるアイヌ語地名とアイヌによるコメモレイションの関係性を検討する.

    2.東北地方のアイヌ語地名 東北地方はアイヌ語地名が多く見られる地域として知られる.それらはアイヌの先祖にあたる人々によって命名されたと考えられており,東北地方に刻まれたアイヌの足跡の一つとして理解されてきた.今日でも東北地方のアイヌ語地名を探求する動きは続いており,それを目的としたローカルな研究会なども存在する.

    3.アイヌ語地名とコメモレイション 東北地方の一部の地域で遅くとも1990年代以降,北海道や首都圏に住むアイヌによっていくつかのコメモレイションが散発的に行われてきた.このうち,2011年に岩手県大槌町吉里吉里で東日本大震災の犠牲者を悼むために実施されたアイヌによる儀式には,その中心となった人物がアイヌ語に由来するともされる吉里吉里という地名に先祖の足跡を見出したことが関わっていた.1995年には岩手県旧松尾村のさくら公園で縄文人をアイヌの先祖として供養する儀式がアイヌによって行われている.これには公園の付近で縄文時代のものとされる釜石環状列石が発見されていたことに加えて,同地の旧地名をアイヌ語で解釈できるとする見方も影響していた.翌1996年には松尾村での儀式の中心となった人物らによって,同県北上市のカムイ・ヘチリコという広場で蝦夷(エミシ)を供養する儀式が2度実施されている.これには広場の隣接地にエミシのものとされる江釣子古墳群があることに加えて,広場の名称がアイヌ語地名に基づいて命名されたものであることも関わっていたとみられる.これらの事例が示すように,東北地方でのアイヌによるコメモレイションの前提として,アイヌ語地名の存在が一定の役割を果たす場合があった.とりわけ,縄文人やエミシをアイヌの先祖とする説を補強する機能をアイヌ語地名は担っていたように思われる.こうした関係性は,東北地方のアイヌの足跡がしばしば曖昧な記憶に基づいて見出されてきたがゆえに生じたものであると考えられる.

    本研究は令和6年度山形県立米沢女子短期大学戦略的研究推進費「東北地方におけるアイヌのコメモレイションに関する地理学的研究」を使用した.【文献】桑林賢治 2021.先住民アイヌによる「記憶の場所」の構築――北海道・真歌山におけるシャクシャインの顕彰を事例に.人文地理 73: 5-30.桑林賢治 2024.北海道外におけるアイヌの「記憶の場所」と先住民性.地理学評論 97A: 343-367.桑林賢治 2025.東北地方におけるアイヌのコメモレイション.歴史地理学 67(1): 40-54.

  • 久保 哲成
    セッションID: 449
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    今回の研究では、前学習指導要領完全実施の2015(平成27)年度から、「地理総合」が必修化された現学習指導要領完全実施の2024(平成6)年度までの10年間の兵庫県の全日制公立高校における地理授業担当教員の数的変化の分析を試みた。分析データ出所は、兵庫県高等学校教育研究会社会(地理歴史・公民)部会編集・発行の『兵庫県高等学校地理歴史・公民科教員名簿』である。同名簿は毎年9月に発行される。  この名簿には、兵庫県下の公立・私立高等学校各校に所属する地理歴史・公民科教員の氏名、専攻学科、各年度の担当科目が記載されている。2015(平成27)年度発行から2024(令和6)年度発行の10年間の同名簿の記載事項から専攻学科、各年度担当科目を抽出、データ化した。地理歴史科各専攻別教員数とその割合の推移の分析では、以下のことがわかった。日本史専攻教員が毎年最も多く、ほぼ25%以上で30%近く占めている。世界史専攻教員が次いで多く、毎年20~25%未満で推移している。地理専攻の教員数は、毎年50人台、7~9%未満と、3専攻のうちで最も少ない。地理歴史科・公民科各教科担当別教員数の推移の分析では、以下のことがわかった。地理関係の科目担当の教員数は、現学習指導要領実施初年度の2022(令和4)年度までは、150~160人台であったが、「地理総合」必修化にともない、2023(令和5)年度には201人に増えた。現学習指導要領完全実施年度の2024(令和6)年度になると252人まで増加した。2015(平成27)年度から2022(令和4)年度の毎年の地理担当教員数から100人近い増加となり、「地理総合」必修化にともない、地理担当教員の数は大幅に増えた。各専攻別の地理担当教員数とその割合の推移の分析では、以下のことがわかった。「地理総合」必修化で、地理専攻以外の教員が地理授業を担当する機会が増加している。表3をみてみると、その増加への対応は、地理専攻以外の各専攻教員が万遍なく対応しているが、特に日本史専攻教員の対応が増加している。日本史専攻で地理を担当した教員数は、2022(令和4)年度21人、2023(令和5)年度38人、2024(令和6)年度53人と大きく増加している。必修科目「歴史総合」の担当を世界史専攻と日本史専攻が分け合うなかで、専攻教員数の多い日本史専攻の教員が、より多く「地理総合」を担当するようになったと想定される。日本史専攻者が地理科目を担当するケースが増加していることはその割合からもわかる。現学習指導要領完全実施の2024(令和6)年度では21.0%と20%を超えている。対して、もともと教員数の少ない地理専攻教員が地理科目を担当する割合は低下してきている。2024(令和6)年度では17.9%となり、「地理総合」必修化前の27~35%台から大きく数値を落としてきている。地理専攻教員へ他専攻地理担当教員からの指導・助言を求める単元についての貴重な報告が、2024(令和6)年12月実施の兵庫地理学協会特別例会の「地理総合」に関するパネルデスカッションのパネリストの3名の地理専攻教員からなされた。 他専攻教員が地理授業を担当した際、地理専攻教員へ指導・助言を求める単元は、自然地理単元、つまり、地形と気候の分野が多い、との報告があった。

  • 中村 周作
    セッションID: 539
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    日本の各地に展開する地域で好まれる酒の消費嗜好は,地域に長年根付いてきた飲食文化の影響を強く受けて形成されてきた.一方で,酒類の消費は,マスコミなどによって喧伝される,いわゆるブームなどの影響を受けて敏感に変動を繰り返してきた.本報告は,そのような日本各地に展開する伝統的に好まれてきた酒の分布とそれらの地域での消費動向の変化について明らかにし,変化の要因について考察を加えることを目的とする.

     研究の結果,地域ごとの酒類消費の特徴とそれらの変化について明らかにすることができた.

  • 時間および空間構造に基づく解釈
    鄭 軼璇, 高安 秀樹, 高安 美佐子
    セッションID: 504
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    都市圏における通勤流動は都市空間構造を理解する上で重要な指標であるが、従来の移動モデルでは複雑で異質な地域内パターンを十分に捉えることができなかった。本研究では、都市分類と重力ベースの流動予測を統合した新しいアプローチである空間分離都市重力(SSUG)モデルを提案し、この課題に取り組む。

    (Zheng et al. PLOS ONE査読中)

    SSUGモデルの主要な革新点は以下の通りである:(1)大都市圏における異なるスケーリング法則の存在の実証、(2)にぎやかな居住地と職場と人口が少ない地域の通勤行動を明確に区別するデータ駆動型分岐点の特定、(3)空間分離を明らかにするスケーリング指数の活用、(4)高解像度GPS データを用いた精密な抑制因子測定の実現。この多面的アプローチにより、流動予測精度の向上と堅牢な都市機能分類を同時に実現する。

    東京、大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌の6つの多様な日本の大都市圏での実証的検証により、SSUGモデルが従来の重力モデルと比較して優れた予測力を持つことが実証された。本研究の結果は、従来の重力モデルで検出できなかった空間構造と機能分離のパターンを明らかにし、特に居住地と職場に基づいて、単に人口密度で分類した人口集中地区(DID)ではなく、実際の通勤人流の特性から地域を分類することができた。

    本研究の主要な発見として、従来の人口密度による人口集中地区分類では捉えきれない新たな都市空間パターンが明らかとなった。具体的には、高人口密度の居住区から高人口密度の商業区への大規模な通勤流動と、低人口密度地域間での平均的でバラバラな移動パターンという二つの明確に異なる通勤行動が確認された。

    この手法は、都市計画者と政策決定者にとって、より効率的で持続可能な大都市圏の発展に貢献する、より詳細で正確なツールを提供する。特に本研究では、高人口密度の居住区と低人口密度の職場間で強い相互引力が働く一方で、広範囲にわたって疎らな通勤パターンが存在することが明らかとなった。この数理モデルによる検証結果は、日本の都市における都市スプロール現象の存在を実証しており、都市構造理解において重要な知見を提供している。GPSデータを活用した高精度な通勤時間測定により、プライバシー懸念を軽減しながらデータ収集の簡素化を実現し、実用的な都市計画への応用可能性を高めている。

  • 菅 浩伸, 木村 淳, 森先 一貴, 田中 謙, 三納 正美
    セッションID: 350
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに 

     瀬戸内海の芸予諸島東部では、今治市が位置する高縄半島としまなみ街道沿い(今治-三原・尾道間)の多島海が瀬戸内海西部の狭窄部をつくる。三原―高根島間の青木瀬戸、大三島―伯方島間の鼻栗瀬戸、大島-伯方島間は両島間の鵜島・能島・鯛崎島が船折瀬戸・荒神瀬戸をつくる。四国・松縄半島―大島間の来島海峡の潮流は最大で9ノットを超える[1]。海峡部の海底には多数の海釜が発達する[2]

     伯方島東部の金ヶ崎と津波島の間の伯方瀬戸周辺では、海底から旧石器時代相当のナウマンゾウ臼歯など動物遺存体が多数引き揚げられる「化石多産海域」と称される海域である[3]。本研究では、伯方瀬戸周辺の海底地形測量と底質の観察および過去の地層探査記録から、この海域の現地形の成り立ちを推定し、ゾウ化石を含む氷期の遺物が出現する状況について考察する。

    2.マルチビーム測深とROV調査 

     我々は2022年12月に西瀬戸内海・伯方島の北東から南東にいたる海域で、マルチビーム測深機R2Sonic2022を用いた海底地形測量を実施しした。7日間で345.8 km航行し、30.3 km2の範囲を測深し、1mグリッドのDEMを作成した。潮位は国土交通省港湾局リアルタイムナウファス・来島航路験潮所(基準面の標高:C.D.L.=T.P.-203.0cm)を基準とした。

     2023年8月に測深海域でROV(遠隔操作型無人潜水機)による潜水調査を実施した。目的地を定めたポイントへ潜行するROV調査には、高解像度マルチビーム測深データは必須である。音響測位装置USBLを装備したROV(Blue Robotics)を使用し、マルチビーム海底地形図上で潜行地点の位置を示しながら、海底の底質および付着生物等の観察を行った。

    3.伯方瀬戸周辺の海底地形とその成り立ち 

     伯方瀬戸で最も深い海釜は伯方島金崎と津波島の間にある最大水深104mの海釜である。海釜底は亜円~亜角礫(多くは径約10cm以下)よりなり、礫の表面に生物付着は認められない。海底に細粒の堆積物もみられない。この海底の堆積物が常に攪拌されていることを示している。海釜側面の斜面にみられる礫の表面には藻類の成長が認められることから、礫が常に動いているのは海釜底のみであると推定できる。津波島の南には、この海釜に続くやや広い海釜が存在する。この海釜底も水深100mを超えるが,礫の表面には細粒の堆積物(砂・シルト)が堆積していた。伯方島と岩城島の間にも最大水深80mを超える海釜が存在するが、この海釜底も礫の表面に細粒の堆積物が認められた。以上のように海釜底あるいはその側面には礫が露出しており、現在、侵食営力が卓越しているとみることができる。特に最深の海釜では、研磨作用が顕著に進行中であると推定できる。この海釜北西の首頭島~ワンワン瀬にかけては海底に広く基盤岩である花崗岩が露出する[4]。海釜とともに海峡部の浅瀬にも、潮流による削剥の場が広がっているとみられる。

     一方、同海域では大規模な砂堆列も可視化された。伯方島東方のワカ洲は現在、水深10~35mで起伏に富む砂堆をつくるが、後氷期堆積物の基底深度は水深43~45mにあり比較的平坦である[4]。約10~30mの厚さの砂が海面上昇後(完新世)に堆積したことが判る。伯方島北東・古江沖では測深域端部で水深18~26mの起伏に富む砂堆列を可視化したが、この直下の後氷期堆積物基底深度は水深37~40mにあるため、約10~20mの厚さの砂が後氷期に堆積したとみられる。

     旧石器時代相当の動物遺存体が存在する後氷期堆積物の基底面(氷期の地形面)は水深40~50m程度に広がる緩起伏面であり、完新世の高海面下で海底の削剥や堆積が進み、現在の海底にみられる起伏に富む地形が形成されたと考えられる。動物遺存体は氷期の地形面が掘り込まれた海域で引き揚げられているとみられる。金ケ崎東~南東に延びる舟底状の凹地(長さ約4km、幅約1km、底部の水深80~100m)は、この海域で最大の侵食凹地であり、氷期の地形面から洗い出された化石が海底に堆積しているものと考えられる。

    本研究はR4~7年度科研費 挑戦的研究(開拓)JP22K18251(代表者:森先一貴)および R3~6年度科研費 基盤研究(A)  JP21H04379(代表者:菅 浩伸)を用いて実施した。

    [1] 海上保安庁 潮汐表. [2] 八島邦夫 (1994) 瀬戸内海の海釜地形に関する研究. 水路部研究報告 30, 237-327. [3]今治市村上水軍博物館編 (2013) 『瀬戸内海・中世沈没船の謎』 今治市教育委員会 16pp. [4] 国土地理院 (1979) 『沿岸海域基礎調査報告書(土生地区)』 72pp.

  • 張 皓文, 森島 済
    セッションID: P009
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     東アフリカ赤道域では,3~5月の長い雨季と10~11月の短い雨季があり,年々変動においてそれぞれの雨季で異なるトレンドを持つことが知られている。長い雨季の降水量は1980年代以降減少しているのに対し,短い雨季の降水量はわずかな増加傾向にある (Williams and Funk 2011; Lyon and DeWitt 2012; Nicholson et al. 2018など)。

     長い雨季の降水量減少の原因として,インド洋中南部における急速な海面水温上昇によるウォーカー循環の西進とそれに伴う東アフリカでの下降気流の強化(Funk et al. 2008; Williams and Funk 2011)や1999年以降の熱帯太平洋西部の海面水温上昇(Lyon and DeWitt 2012; Lyon, 2014)が指摘されている。

     一方,短い雨季の降水量変動はエルニーニョ・南方振動やインド洋ダイポール現象の影響を強く受けるとされており,エルニーニョ期間中のアフリカ東部の降水量の増加と減少の極値はそれぞれエルニーニョ発生年と前年の短い雨季に現れる (Nicholson and Kim, 1997)。また,熱帯インド洋西部で海面水温が高くなる正のインド洋ダイポール現象が夏から秋にかけて発生すると,西インド洋での対流活動が活発になり,大雨をもたらす(Saji et al. 1999; Abram et al. 2008)。

     本研究では,東アフリカの降水量の変動要因をインド洋からの東風の流入の観点から明らかにする目的で,前回の発表では,先ず近年における降水量変動の特徴を明らかにした。本発表では,降水量変動と風系場との関連についての解析結果を報告する。

    2. データと解析方法

     解析には,CHIRPSによる1981~2023年の降水量データとJRA55による1981~2023年の700hPa面高度場の風のデータを使用した。降水量変動を確認するために,それぞれの雨季の合計降水量に対してEOF解析を行った。大気循環場の変動を明らかにするために,雨季ごとの第1モードに対して,降水量が増加する上位3年と減少する下位3年における風のコンポジット解析を行った。

    3. 結果と考察

    ① 長い雨季と短い雨季における降水量の年々変動の特徴

     長い雨季のEOF第1モードの寄与率は35%で,検出される空間パターンは領域全体が同符号を持ち,とくにエチオピア高原からケニア山付近にかけて強いシグナルを持つ。時係数のトレンドは2010年を境に減少から増加傾向に転じ,域内の降水量の減少傾向から増加傾向への変化に一致する。短い雨季の降水量の第1モードの寄与率は60%を超え,空間パターンは長い雨季における第1モードと同様に,領域全体が同符号を持ち,全体で強いシグナルを持つ。時係数のトレンドは増加傾向にあり,域内の降水量の増加傾向とも一致する。また,降水量の増加が最も顕著となる年がエルニーニョ現象に対応する。

    ②降水量の増減に伴う大気循環場の変化

     季節ごとにみると,短い雨季の降水量が多い年には,通常西インド洋上に卓越する西風は東風に変わり,西インド洋から東アフリカにかけて東風が吹走する。この風系の変化は水蒸気を海洋上から陸地へ輸送し,降水量の増加をもたらしていると考えられる。一方,長い雨季の降水量が多い年には,西インド洋に東風偏差が現れるものの,平均的には西風が卓越する。

  • 鈴木 勇人
    セッションID: 512
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    Ⅰ 背景と目的

    東京大都市圏における死亡数の増加は著しく,日本の総死亡の3割以上が東京大都市圏に集中する.戦後,地方圏から流入し続けた墓を持たない人々は現在,郊外において高齢期を迎えており,今後も死亡増が見込まれている.必要な葬送は,核家族化や墓の承継の困難から,1990年代以降,新たに樹木葬や合葬墓,納骨堂などが出現し人々に受容されつつある(槇村 2013).新たな葬送の多くは墓地で行われるため,墓地の必要は今後も継続する.

    死亡増や墓地の必要の継続に対して,公営墓地の新設は近年ほとんど見られない.民間の霊園や墓地についても,新たな墓地供給は規制の強化に伴って減少傾向にあり,今後の墓地供給は困難であると考えられる. ここで,公営墓地は行政域内の住民のみが利用可能であり,民間墓地の場合も居住地との近接性が求められる傾向があることから,墓地供給の地域差が重要な問題となる.人口分布や高齢化の進行度,財政状況についても東京大都市圏内で地域差がみられる.しかし,これまでの墓地研究では,墓地供給と墓地行政の大都市圏内での地域差への注目は十分に行われてこなかった.

    そこで本報告では,公営墓地と民間墓地の両方に着目して墓地供給が乏しい地域を検出する.さらに,墓地供給の地域差を踏まえた行政の墓地政策等の対応状況と課題を明らかにする.

    Ⅱ 分析の対象地域と研究方法

    本報告では,埼玉県,千葉県,東京都,神奈川県の島嶼部を除く地域を対象とする.研究方法は,都県及び各都県の基礎自治体の公営墓地の区画数および近年の応募と供給区画の状況,民間墓地設置や経営の規制を含む墓地行政,墓地行政の基礎となる需給データの集計,推計状況について,行政文書,議会議事録などの渉猟や墓地行政に関する調査を行った.民間墓地については,雑誌資料に基づく立地と,先行研究や行政の需要予測において墓地需要に関連する重要な指標として利用されてきた世帯数や人口の分布,墓地の利用範囲に関する調査結果を用いて墓地供給の地域差を分析した.

    Ⅲ 結果

    東京大都市圏内の公営墓地設置は,東京都と,基礎自治体41,2つの一部事務組合(4市)に限られる.特に千葉県北西部,埼玉県東部,南東部には公営墓地設置がない自治体が集中する.多くの公営墓地で区画の種別を問わず応募数が募集数を上回っている.近年増加する返還区画や無縁区画の再利用は応募に対して十分ではない.民間墓地と人口・世帯の関係では,東京23区と多摩地域東部,埼玉,千葉,神奈川の都県境付近などで相対的に墓地供給が乏しい地域が検出された.

    政策的対応については,公営墓地設置自治体でも新設はほぼ見られず,拡張事業を行う場合がほとんどである.公営墓地の新設が難しい理由として,未設置自治体を中心に多くの自治体で厳しい財政状況が挙げられた.また,埼玉県南部や東京都,千葉県北西部では,行政域内に墓地設置に適した土地を確保できないことから墓地設置を検討しない自治体もみられ,民間墓地供給が相対的に少ない地域における課題が明らかになった.

    参考文献

    槇村久子 2013.『お墓の社会学―社会が変わるとお墓も変わる』晃洋書房.

  • 植村 円香
    セッションID: P057
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    Ⅰ はじめに

    気候変動による気温上昇や異常気象は,世界のコーヒー生産に深刻な影響を与えている. 近年はカビが原因の葉さび病が拡大し,生産地での被害が深刻化している.かつてはスリランカやブラジルなど標高の低い地域での被害が中心であったが,温暖化の影響により,中米の高地など良質な生産地にも広がっている.ハワイ諸島でも,長年にわたり葉さび病の被害を免れてきたが,2020年10月にマウイ島で,同年11月にはハワイ島西部のコナで発生が確認された.その後,降雨量の増加により,標高の高い農園でも感染が報告されている.良質なコーヒーの生産地として知られるコナは,この葉さび病の蔓延以降,大きな転換期を迎えている.そこで本研究では,葉さび病蔓延後のコナコーヒー生産への影響と生産者の対応策を分析し,コナコーヒー生産地にどのような変化がもたらされているかを明らかにすることを目的とする.

    Ⅱ コナコーヒーの概要 

    コナは,火山性土壌で水はけがよく,適度な降水量と温暖な気候に恵まれていることから,コーヒー生産に適した地域とされてきた.このコナで栽培・精製され,ハワイ州農務省が定める基準を満たすコーヒーは,コナコーヒーとして認証される.2024年の調査時点で,コナには約580農園が存在し,経営規模や工程の違いにより,3つのタイプに分類できる.タイプ1は,4ha以上の大規模農園(約40農園)で,生産・精製・焙煎・販売の全工程を担っている.タイプ2は,3ha以下の中小規模農園(約140農園)で,生産および精製・焙煎の一部を行い,焙煎豆を販売している.タイプ3は,チェリー生産のみを行う3~5a程度の小規模農園(約400農園)で,チェリーをタイプ1に販売している.

    Ⅲ 葉さび病蔓延後のコナコーヒー生産者の対応策 

    2023年と2024年に,タイプ1とタイプ2の19農園に葉さび病の罹患状況と対応策について聞き取り調査を実施した.その結果,1農園を除くすべてで葉さび病の発生が確認された.葉さび病への対応策としては,銅剤などの農薬散布,木を根本から切り倒すスタンピング,病葉・病枝の除去,さらには耐病性品種などへの植え替えが,農園主の判断により実施されていた.

    Ⅳ 葉さび病蔓延後のコナコーヒー生産地の変化 

    葉さび病の影響により,コナコーヒー生産地では,農園数・生産量・価格の変化と栽培品種の転換という2つの大きな変化がみられた.前者に関しては,タイプ1とタイプ2では農園数に大きな変化はないものの,生産量や品質の低下がみられた.一方,チェリーのみを生産するタイプ3では生産者の高齢化もあり,葉さび病の罹患を機に撤退する例が相次ぎ,農園数の大幅な減少がみられた.その結果,コナでは慢性的なチェリー不足が生じ,タイプ1ではタイプ3からのチェリーの仕入れ価格を引き上げざるを得ず,収益性が圧迫されていた.後者に関しては,葉さび病の拡大後,伝統的に栽培されてきたティピカから,ゲイシャなど多様な品種への転換が進んでいる.これは,ティピカが葉さび病に弱いことに加え,風味がマイルドであるためカッピングコンテストで高評価を得にくいという社会的背景や,コナコーヒーの表示基準に品種の制限がないという制度的背景が要因として挙げられる.

    Ⅴ おわりに

    葉さび病の蔓延以降,コナコーヒーは,生産量や品質の低下や価格の上昇だけでなく,品種転換により「コナコーヒー」そのものの風味も変化していることが明らかになった.これにより,伝統的な風味の喪失や、ブランドイメージの曖昧化といった課題が生じる可能性がある.今後,コナコーヒー生産地の持続性を考えるうえでは,個々の生産者による対応にとどまらず,風味の維持と病害対策を両立させる生産体制の構築が求められるだろう.

    付記 本研究は,JSPS科研費23K18728の助成を受けて実施した.

  • 遠藤 尚, ハンダルト
    セッションID: 334
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    2000年代以降,インドネシアでは,ジャカルタなどの大都市とその周辺にスーパーやモールの出店が増加し,イオンを含めた外資系スーパーの出店は特に注目されてきた。しかし,そのような小売店舗の増加によるフードチェーンの変化と農村への影響についてはほとんど明らかにされてこなかった。そこで,本報告では国内での商品調達が不可欠である生鮮野菜に注目して,外資系スーパーに至るフードチェーンの実態を捉え,それによる農家への影響を明らかにすることを目的とした。本報告は,科学研究費補助金・基盤研究C課題番号20K01161「インドネシアにおけるフードチェーンの変化による農村世帯生計と農村社会の変動」(研究代表者:遠藤 尚)の成果の一部である。

     西ジャワ州,レンバン郡は,バンドン市の北に位置し,標高1,000m以上の冷涼な気候を生かした大都市向けの温帯野菜の生産が盛んな地域である。本研究では,レンバン市内に立地し,複数のスーパーに野菜を出荷する中間業者PT.Bimandiriを対象に聞き取り調査を行った。また,PT.Bimandiriに野菜を出荷している農家等7世帯,および,同郡スンテンジャヤ村の野菜作農家20世帯に対して調査票を用いた聞き取り調査を実施した。調査内容は,農業経営状況,生産物の出荷状況など,調査時期は2024年3月および2025年2月である。

     PT.Bimandiriに対する調査の結果,外資系スーパーに至る生鮮野菜のフードチェーンが明らかとなった。産地農家で生産された生鮮野菜は,農家もしくは現地でBandarと呼ばれる仲買人によってPT.Bimandiriのような卸売・加工業者に集められ,選別,洗浄,包装などが行われる。その後,それらの野菜は,翌朝の開店に間に合うよう取り引き先の各店舗に納品される。また,卸売・加工業者への納品の大部分は仲買人であるBandarによることが確かめられた。Bandarは,卸売・加工業者の注文に応じて,一定の規格と量の野菜を取引関係にある農家やローカル・マーケットなどから確保して出荷していた。また,Bandarはそれぞれいくつかの取引先を持っており,農家から出荷された生産物を品質などに応じて出荷していることが確かめられた。そして,スンテンジャヤ村における調査対象農家の20世帯中15世帯がBandarに出荷していた。

     以上のように,外資系スーパーに至るフードチェーンにおいて,生鮮野菜の卸売・加工業者とBandarと呼ばれる仲買人が大きな役割を果たしていることが明らかとなった。そして,最上流の農家からみた場合,出荷先(Bandar)は従来から変化しておらず,このため,現時点では外資系スーパーの増加による農家への影響は限定されていることが分かった。

  • 永迫 俊郎
    セッションID: P051
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    はじめに  今年(2025)度サバティカル研修中の演者は,目の前の仕事に追われる日常からほぼ解放され,より引いた立ち位置から世の中や自身の研究・教育について定位しうる好機にある.日本地理学会にはM1の冬に入会し,修論では流域の地形発達史という対象化された自然を研究し,自然と人間の関係を主軸にした博論とて地理学の大きな裾野からすると一角だった.所属先のCOC事業や卒論指導を機に現場に通うようになり,地域のあり様の興味深さに気付き,併せて祭事に込められた想いを地面との関わりから読み解く中で,地理学ならではの貢献について若干の着想を得てきた.カリキュラム上世界地誌概説と地誌学概説も担当するが,ローカルどっぷりの演者にとって自分なりの姿勢を求める試行錯誤の場であった.本発表では地理転学から30年を経た現段階での世界像(構造/概念図を含む)をまとめ,課題を考えてみたい.ポスターでの議論をお願いいたします.

    世の中ダメになる一方と感じるのはなぜか  自分が年をとったためとよく説明されるが,次の指摘を読んで合点がいった.そもそも「礼」というのは「法」の概念が出現する以前の社会規範であり,人間が堕落して「礼」がすたれたから「法」が必要になった(浅田次郎,2024).なるほど法令遵守の嵐が吹き荒れており,構成員の良心を信頼し話し合いの結果方針を決めることは悪しき慣習として拒絶され,法規(条例や内規等)を制定することに躍起になっている.こうして自ら管理(監視)型社会を強化し,あそび・ゆとりの無さが生きづらさを増していると言える.人間がつくる法はどうしても人間中心の枠組みから逃れられない.Society5.0は「……人間中心の社会」と謳う始末である.対する礼は,演者の知見にもとづけば,長年の叡智を反映したもので自然の摂理に沿った循環思想であって,己/人間ばかり優遇する価値観ではなかった点が対照的である.本来は奥行きのある世界を,単純に表面だけで(軽薄に)判断するような現代の風潮が世の中ダメになっていると感じさせるのだろう.

     労働力を提供する対価として金銭を得る貨幣経済が一般化した近代ゆえに,土地・地面に根ざして顔と人となりが分かる共同体(≒ダンバー数)の中で生活してきた頃の価値観を見失ってしまった.NHK BSの番組「新日本風土記」の祭をめぐるナレーションに「彼らの宝物は私達の忘れ物」との言い得て妙な表現があった.時代が違うのだから懐古主義に浸っても何も生まれないと批判されそうだが,現代文明の立ち位置を把握しようとせずVUCAブーカなどの的確かどうか分からない単に流行っているだけの現状認識に甘んじている方こそ問題である.月だ火星だと叫んだとしても,人類の生活の場はまだ当分の間地球表面(地表)であり続ける.旧来のフロー依存型からストック依存型に資源・エネルギー循環が変貌した以上,現代の生き方を未来永劫続けられないことは自明である.どう転換をはかるか,即ち世直しの局面で,地球に根ざした「適度」が鍵を握ると考えられる.

    世界認識を歪める流行と囲い込み  経済的思考や自由競争が重視されるあまり,数値や効率は高いに越したことはないという「the bigger, the better」が世の中に蔓延している.子ども向けの昔話で貪欲さが推奨されることは皆無ながら,世界の超富裕層は尊敬されても軽蔑されることはまずない.不定冠詞aの普遍性を帯びた話が固有名詞の成功譚・伝記に置き換わると,天井知らずの数値至上主義が急拡大し,ほどよい線で妥協するお互い様が消滅していく.地球を無限大と捉えられるほど人間活動が限定的だった往時ならともかく,日本の人口にしても我々の研究費にしても減少を続けるパイの取り合いをしても仕方がない.「the bigger, the better」から「適度」に改める時で,その方策の一つとして風水思想の羅盤に相当する‘適度羅盤’を作り出したいと考えている.

     世界地誌の授業で受講生に尋ねると,発展途上国ではなく先進国に住みたいと全員が答える.地理教育はこのままで大丈夫かと不安になる.多様性の尊重こそ地理の本質に違いないが,データや統計値を扱う宿命で時代の趨勢・流行に巻き込まれてしまう.国家も暗黙の前提となっている.科学や宗教といった信奉の対象や民族については引いた・客観的な見方ができたとしても,国家さらに深淵の言語となると所与の枠組みとして疑問視されない.紙幅上ここには図示しないが,人間をドメスティケートする囲い込みの5重層(根底から順に地球,言語・文化,国家・信奉,帰属組織,日常生活)を想定している.「地球」とそこに息づく全ての生物の「いのち」は確かな存在で,マクロとミクロはひと繋がりである.その間の囲い込み群をいかに論評するかが学問の役割である.

  • 古市 剛久, 柳井 清治, 大丸 裕武, 小山内 信智
    セッションID: 344
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

    2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震(M6.7)は厚真川流域を中心とした東西約 20 km,南北約 20 kmに亘る地域に斜面崩壊を発生させた.この斜面崩壊による侵食と斜面から移動した大量の崩壊土砂による斜面脚部や谷底面の埋積は流域の地形を大きく変化させ,斜面は広範囲に亘って裸地化した.裸地化した斜面では,夏季の降雨流出によってガリー侵食が発生し,初冬及び初春の霜柱クリープによって面的な侵食(土砂移動)が起こっていることが観察された.ガリーは水系の先端であり斜面と水系を繋げる(connect) 一つの特異的な地形であるため,斜面上での両侵食プロセスの関係を理解することは意味深い.また,霜柱クリープは裸地斜面での植生回復が数年経ってもあまり進まない主要な要因である可能性が高く,その実態把握は北海道など寒冷地において斜面崩壊で荒廃した斜面を復旧する際の中核的な課題と言えるであろう.本報告では,北海道胆振東部地震による斜面崩壊で裸地化した斜面での霜柱クリープに関するモニタリング結果を示し,ガリー侵食に関するモニタリングについても予察データを併せて紹介する.そしてそれらの知見を基に北海道の環境下での斜面から水系への一つの土砂流出プロセスについて議論する.

    2.調査対象地及び調査方法

    調査対象地とした厚真川水系東和川は,比高 209 m,流域面積 4.88 km2,平均傾斜 21.3⁰(標準偏差 11.2⁰)の流域で,その基盤は新第三系の堆積岩である.この東和川流域の南斜面と北斜面(共に傾斜約25度)に 2 m x 2 m のコドラートを設定して,地温と土壌水分を観測し,トレイルカメラを用いて地表面を時系列に撮影した.また,土層クリープについて調べるためコドラート下端に鉛直穴を掘り珪砂を流し込んだ.ガリーに関しては南斜面中部に設けた簡易な土砂トラップに溜まった土砂量を現地調査時に計測し,その土砂流入の状況をトレイルカメラで撮影した.

    3.結果

    (1) 霜柱クリープ

    2024年11月~2025年3月における南斜面コドラートのトレイルカメラ画像分析の結果,霜柱凍上による移動 (frost creep) と霜柱融解による移動 (gelifluction) によって,土砂粒子が一晩で斜面下方へ 12 cm 移動した例があることが分かった.また,地面に差し込んだ木杭や塩ビ管が凍結凍上で地面へ抜け,霜柱クリープによってそれぞれ81日間,77日間に斜面下方へ共に 200 cm 移動した.南斜面コドラート下端の珪砂穴を掘り返して観察したところ,霜柱クリープの深度は2~3 cm 程度であると見られた.地温は深度方向に漸増し,地下 5 cm の温度は厳冬期でも 0˚C 以上であって氷点下にはならず,この地温データは霜柱が発生する土層は地下5 cm 以浅であったことを支持する.気温と地温のデータ及びトレイルカメラ画像を総合すると,霜柱クリープは南斜面では初冬から初春にかけて2.5ヶ月~3ヶ月間断続的に発生するが,より冷涼な環境にあり初春季に積雪が残る北斜面では初冬季の3~4週間のみ発生すると見られる.

    (2) ガリー侵食

    2024年8月から11月にかけて3期間のトラップへの土砂流入量が計測された.8月27日の豪雨では大規模なガリー侵食が起こって土砂がトラップから溢れたが,他の2期間はトラップ容量範囲内であり,そのうち1期間は水位がトラップ上面に達しておらず流出土砂捕捉率は低くないと考えられる.

    4.考察

    裸地斜面での霜柱クリープによる移動土砂は,斜面上に凹地があればその凹地を埋積する.裸地斜面に形成されている無数のガリーは初春季までに霜柱クリープで移動した細粒土砂で埋められ,ガリーを埋めた細粒土砂は初春季以降の降雨流出でガリー内に発生する流水によって侵食され,水系へ運搬される.この一連のプロセスは東和川流域において斜面と水系を結ぶ土砂移動ルートとして重要であると考えられる.また,霜柱クリープが裸地における植生回復(幼樹の活着)を阻害していることが強く示唆された.

  • 吉田 瑠那
    セッションID: P029
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     地理学における災害史の研究は,被災地を取り巻く人びとの多様な対応を明らかにしてきた.近代以降の自然災害対応における要素の一つに,鉄道の復旧がある.先行研究では,被害状況の把握や,運転再開に向けた取り組みが明らかにされてきた.しかし,鉄道不通時に限ってみられた現象については,いまだ検討が不十分である.

     そこで本研究では,地すべりを契機とした鉄道不通に注目し,臨時の徒歩連絡路において生まれたにぎわいの実態と,発生要因を明らかにすることを目的とする.

    2.亀の瀬地すべり地域

     奈良県から大阪府を流れる大和川が,金剛山地と生駒山地を分ける峡谷部の中央,右岸の斜面一帯を「亀の瀬」と呼ぶ.この地は古来より地すべりの常襲地である.中でも本研究では,1931年から1932年にかけて発生した地すべりを取り上げる.

     1931年11月,大阪府中河内郡堅上村大字峠の夫婦塚付近で見つかった亀裂は,1932年にかけて大規模な地すべりに発展した.発災当時,住民の多くが果樹栽培に従事する小規模な農村であった峠地区では,民家の倒壊や田畑の陥没が,上流の奈良県王寺町などでは浸水被害が発生した.

     また,峠地区の山裾を走っていた関西本線は,亀の瀬トンネルの崩落によってトンネル入口での折返し運転を開始し,不通区間を徒歩で移動するための約1.3㎞の徒歩連絡路が生まれた.

    3.徒歩連絡路におけるにぎわいの発生

     徒歩連絡路の使用は,トンネルを封鎖した1932年2月1日から,対岸の迂回新線の運行が開始された同年12月31日までの11カ月という,短期間の出来事であった.その間,利用者の多くを占めたのが,地すべりを見にやってくる見物人であった.見物人の増加とともに,徒歩連絡路には彼らを相手とする露店が登場した.1932年2月の地方紙からは,露店の担い手には,峠地区の女性たちや,周辺地域から出張してきたカフェーの女給がいたことが分かる.   

     露店の商品については,「徒歩連絡路や亀裂見物道の左右に目白押しにおし並ぶ関東煮,天ぷら,南京豆,みかん,甘酒などの露店は相変らずの地辷り景気に懐を唸らしているが,それが日増しに都会風に馴染んでサンドウィッチ,ソーダ水,ココア,ミルク,亀裂絵葉書,ステッキなどの売店が幅を利かし」(『奈良新聞』1932.2.25)という報道が詳細を示している.

     露店の担い手や商品からは,徒歩連絡路を用いた見物人の往来によって,農業中心であった峠地区に,近代都市の文化が流入していったことが分かる.見物人や露店の登場によって生まれたにぎやかな奇景は,「地辷りが生む『峠の銀座』」(『奈良新聞』1932.2.25)と称された.

     1931年に発生した地すべりによって鉄道が不通になると,人びとの移動は急激に抑制されることとなった.一方で,不通区間を除いて鉄道は運行を続けており,新聞などのメディアを通じて情報の拡散が行われたことが,外部の人びとの移動を促したと考えられる.さらに,再発性があり,原形を保ったまま地面が動くという地すべりの特性は,被災地の人びとの人的被害の回避や生業の継続を助けた.これらの要因が,徒歩連絡路のにぎわいを生み,被災以前は通過点だった村落が,経由地に,さらには目的地になるという変化がみられた.その後,このにぎわいは,迂回新線開通による徒歩連絡路廃止とともに消滅していった.

    4.おわりに

     先行研究においては,鉄道復旧が,被災以前の日常や,またはそれ以上のにぎわいを創出すると捉えられてきた.対して本研究では,鉄道不通前・復旧後以上に,不通時ににぎわいが生まれるという現象が明らかになった.

     また,「峠の銀座」と称されたこの実態は,これまで大都市を中心に語られてきた華やかな近代都市文化が,交通やメディアの発達とともに,村落にも伝播していたことを示している.昭和初期の生業や娯楽,社会情勢などを踏まえたさらなる検討を,今後の課題としたい.

  • 訪日外国人観光客と渋谷区デザイン公衆トイレの文化的経験と行動
    有馬 貴之
    セッションID: S702
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    観光における体験は,名所旧跡や景観といった視覚的資源だけでなく,休憩,そして排泄といった身体的実践によっても形成される.なかでも,公共トイレは観光客にとって必要不可欠な基盤でありながら,その体験や行動は学術的には充分に検討されてきたとは言いがたい.たとえば,これまでにトイレと観光に関する研究では,自然観光地のトイレについての課題や(青木 2015),観光振興に効果的であると捉える自治体政策(白倉 2024,芹沢 1986),観光客の訪問地イメージにも影響を及ぼすという調査結果などは存在するものの(Toto 2019),それらについても未だ学術的検証は乏しい状況にある.

    その一方,近年急増する訪日外国人観光客の間で「清潔で安心」「無料で使える」といった日本のトイレ文化に対する高評価がみられている.そこで,本研究では「トイレは観光資源となりうるか?」という問いを立て,訪日外国人観光客の語りや行動,移動の実態から公共トイレの文化的・空間的意味を再考したい.特に,本発表では渋谷区におけるデザイン公衆トイレに注目し,その役割を議論することとした.訪日外国人観光客にとって,日本の公共トイレは「予期せぬ異文化体験」の代表例の一つである.多機能でハイテクな便座,清掃の徹底,無料で誰でも利用できることなど,日本独自のトイレ文化はしばしば驚きや感動,あるいは戸惑いを伴って語られている.本研究では訪日外国人のトイレに関する言説に注目し,具体的には日本のトイレ,そして渋谷区のデザイン公衆トイレに言及した外国人のSNS投稿や動画レビューをデータとし,その語りに含まれる感情表現や文化的意味づけを分析,考察した.

    その結果,たとえばウォシュレットの機能に対する驚き,トイレ空間の静寂性への称賛,案内表示の難解さへの困惑などが彼らの言説に確認され,外国人にとって単なる衛生施設以上の体験が含まれていることが明らかとなった.また,いくつかの投稿をみると,トイレを日本の観光空間として認識する層が一定度存在した.つまり,日本観光という非日常的な空間における排泄という日常的な行動が,その当事者(訪日外国人観光客)にとって,日本の社会や文化,価値観を経験するものとして機能していると考えられる.他方,言説として着目はされるものの,それが実際の観光,すなわち移動や行動に反映されているのかは別問題である.つまり,日本の衛生施設以上の意味を持つトイレが,具体的な観光者の移動や行動に,どの程度影響を与えるものであるのかを検討する必要があろう.本研究では渋谷区のTHE TOKYO TOILETプロジェクトを対象に,それぞれのデザイン公衆トイレとその周辺における観光者の滞在,回遊パターンに着目し,観光行動に対するトイレの影響を検討した.

    具体的には,人流データを用いたヒートマップや,滞在時間帯の変化,トイレ前後の立ち寄り地点などを可視化し,考察した.その結果,いくつかのデザイントイレは「写真撮影の目的地」として認識されているものの,相対的に人流への大きな影響はみられなかった.つまり,公衆デザイントイレの整備は,マクロな空間においては観光客の都市内移動や回遊行動に大きな影響を与えるものではない.ただし,これは公共トイレが密集する渋谷区を対象としたためでもあり,地域性が反映された結果とも捉えられる.したがって,公共トイレの分布が疎であるような自然地や農村では,異なる結果となることが考えられる.また,今回用いた人流データはミクロな観光移動を捉えることに適しておらず,異なるデータを用いた分析結果も今後検討する必要があろう.発表当日には,訪日外国人観光客にとっての公共トイレ体験を,主要な観光流動への影響は微々たるものの,単なる衛生的施設の利用という枠組みにとどまらず,文化的驚きと空間的記憶の形成に深く関わるものだということを議論したい.特に,渋谷区のデザイン公衆トイレは清潔さや利便性だけではなく,予期せぬデザイン性といった身体感覚を通じて異文化としての日本を象徴的に体験させている.こうした経験は,観光客の心象に少なからず記憶されるものであり,観光行動の調整点として個人の観光空間の中に埋め込まれていく.

    つまり,トイレは観光空間において縁に位置づけられる存在とみられがちであるが,むしろ日本の観光においては,観光経験の実質を支える基盤としての意味を持つ可能性がある.したがって,視覚だけではなく,身体性まで拡張される観光資源という意味において,今後こうした「見えにくい観光経験」や「見えにくい観光空間」にも着目し,観光空間における観光経験の再定義を試みていく必要があることを日本のトイレは示してくれている.なお,トイレの設置や情報提供のあり方などが観光客の行動に与える影響についても.より詳細で体系的な検討が今後も求められる.

  • 能津 和雄
    セッションID: 509
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    筆者は現在,神奈川県平塚市に所在する大学に所属しているが,当該施設は「湘南キャンパス」を名乗っている。しかし,知人である他大学の研究者から「あの場所で湘南を名乗るのはどう考えてもおかしい」という意見を寄せられた。このため「平塚市は湘南地域に含まれるのか」という問いを授業において学生に尋ねたところ,含まれないという意見が一定数存在するということが判明した。その一方で,平塚市当局は何かにつけて「湘南ひらつか」という名称を強調しており,イベント名のみならず,住民票の写しなどの公的書類の偽造防止印刷にまでこの名前を表記しているほどである。この他にも,湘南地域に属する市町村については,その範囲がステークホルダー間で大きく異なるという問題を抱えている。

     このため,本研究ではなぜ湘南地域の定義が曖昧なのかについて,行政区域や法人の事業区域など中心に考察することにより、その要因を探ることを目的とする。

  • ―日本海溝・千島海溝沿いの巨⼤地震を事例として―
    川村 壮, 杉本 匠, 竹内 慎一, ⽯井 旭, 福井 淳⼀
    セッションID: 412
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     発生が切迫しているとされる日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震では,北海道太平洋沿岸に地震動および津波浸水による被害が生じることが想定される。北海道が公表している地震被害想定(北海道 2022)では,人的被害や物的被害が定量的に示されているのに対し,産業の被害については定性的な提示となっているが,北海道の基幹産業である農業の被害に関して,被害軽減対策の効果を明確化するためには定量的な被害想定が必要である。そこで本研究では,日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震による北海道の農業被害額を明らかにすることを目的とする。

    2.使用データと研究方法

     農業関連資産の分布状況の推計には,国土数値情報の土地利用細分メッシュデータや基盤地図情報の建物データ,農林業センサスの小地域ごと経営体数,営農類型別経営統計を用いる。ハザード情報として震度は北方建築総合研究所で作成したメッシュデータを,津波は北海道総務部危機対策局危機対策課がホームページで公表している津波浸水メッシュデータを用いる。停電・断水は北方建築総合研究所が推計した市町村別の停電率・断水率のデータを用いる。これらのデータから,土地や生産物,動物等への直接被害額と,農業生産の減少や他産業への波及といった間接被害額の推計を行う。

    3.分析結果

     杉本ほか(2025)を基に分析結果を述べる。農業被害額の推計結果は表1のとおりであり,数千億円規模になることが確認できた。特に災害の影響が大きいと考えられる酪農の被害額の推計結果は図1のとおりであり,地震津波による物的被害よりも停電や断水といったインフラ停止の被害額が大きいことや,生産物の廃棄よりも家畜の斃死による被害額が大きいことが確認できた。

     また,酪農に対して停電・断水対策を行った場合の防災投資効果についても検討を行った。その結果,対策費用は151億円,乳牛斃死の被害額(千島海溝モデル・発生確率40%・2年で回復する場合)は372億円と推計され,あくまで一例ではあるが十分な防災投資効果が期待できることが示唆された。

  • ひらめき☆ときめきサイエンスでのアウトリーチ実践例
    早川 裕弌, 小倉 拓郎
    セッションID: P070
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    無人航空機や地上型の写真測量やレーザ測量等により、地形解析や時系列変化抽出といった研究目的で、比較的小規模(~1 km2)の地形を対象とした高精細地形情報が各所で得られるようになってきている。こうした3次元(3D)地形情報は、デジタル標高モデルや点群データ、メッシュ(ポリゴン)データといった形で利用されるが、これらを用いて対象とする地形の立体模型を作成することも可能となる。

     本研究では、地形学的な研究目的で取得された比較的小規模な地形の高精細3D地形情報や、オープンデータとして利用可能な広範囲低解像度の地形情報を用いて、スケールの異なる地形の理解を促すために、3D地形模型を作成するこども向けのワークショップの実践とその効果を検討する。

     小学校高学年および中学1・2学年を対象として、地形模型を工作する一日ワークショップを、日本学術振興会による公募型アウトリーチプログラムであるひらめき☆ときめきサイエンスの一環として、2023年から2025年の8月(夏休み期間中)にそれぞれ実施した。ワークショップの呼びかけとして、『一見、変わらずにずっとそこにあるように思われる「雄大な自然」としての景観も、実際には少しずつ、時には急激に、変化をし続けています。レーザ測量や無人航空機による高精細3D地形情報を用いて、自然景観のミニチュア模型を作ります。色を塗ったりして想像を膨らませつつ、「見た感じ」「触った感じ」から、変わりゆく地形景観を体感してください。』といったことを強調した。すなわち、デジタルによる仮想的な3D可視化だけでなく、実体模型を用いることにより、視覚や触覚も活用した地形の観察が可能となり、模型にあらわされる地形の成り立ちや将来的な変化について、より深い理解を誘導することができると考えられる。ここで、3Dプリンタで出力した表面を反転させた地形模型を複数用意し、それを紙粘土に押し付けることで、紙粘土による地形模型を複数作成することができる。これに着色や、あるいは改変を加えることで、参加者の自由な発想による地形景観の作品を制作してもらった。さらに、グループごとに代表的な作品の解説を行ってもらい、現実の自然景観やその将来的な変化について全員で議論した。一方、工作に先立ち、補足的な要素として、講義のほか小型無人航空機の操縦体験や、ヘッドマウントディスプレイによるヴァーチャル地形景観のVR体験等も行った。

     実質的な時間としては一日内の短いワークショップではあるが、理科、社会、美術(図画工作)といった科目の要素が入り混じり、夏休みの課外学習としての効果があったと観察された。一方、こうした手を動かす室内ワークショップを持続的な枠組み、とくに学校教育の中に組み込むには、その教科的な位置付けや時間的・費用的な制約といった課題が残される。

  • 佐藤 善輝, 小野 映介, 小岩 直人, 樋泉 岳二, 工藤 司, 斉藤 慶吏
    セッションID: P003
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    はじめに

     小川原湖は青森県東部に位置する汽水湖沼である。周辺には縄文時代全体をとおして人々が居住し,数多くの考古遺跡が残されている。二ツ森貝塚など,それらの一部は世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素になっており,国内でも有数の古い貝塚遺跡を含む。これらの貝塚では,現在,湖に生息していないハマグリなどの貝類も多数産出する。完新世における小川原湖の環境変遷は石塚・鹿島(1986)や山田ほか(2010)による研究があるものの,湖全体の成立過程や古地理変遷は明らかにされていない。本研究では湖岸の沖積低地の3地点(HNコア,WSコア,ANコア)でボーリング調査を行い,珪藻化石,貝化石,14C年代測定値に基づいて堆積環境を復元する。さらに,既存研究の成果とも対比し,湖周辺の人為活動との関連性を議論する。

    コア試料から推定される古環境変遷

    1)HNコア

     湖北東岸に位置する仏沼の東側で掘削した掘削長15.0 mのコアで,全体が沖積層から構成される。最下部の約0.9 mは円磨された砂礫を多く含み,潮汐チャネル堆積物と推定される。それよりも上位は主に砂質堆積物から成る。8.5 ka頃にはアサリなどが多産する内湾沿岸の砂質干潟環境になり,7.8 ka頃には閉鎖的な内湾環境が成立した。その後,6.5 ka頃に再度,内湾域の砂質干潟が形成された後,2.8 ka頃に淡水湿地あるいは淡水池沼への環境変化が生じた。

    2)WSコア

     湖北東岸,仏沼と小川原湖の間に位置する小規模な浜堤上に位置するコアで,掘削長15.0 mのコア試料である。深度12.8 m以深は半固結~固結し,更新統である。その上位は,HNコアと同様に砂質堆積物を主体とする沖積層が認められる。8.2ka頃に砂質干潟が成立し,その後7.8 ka頃に内湾環境へと移行した。流水性の珪藻が多産するようになることから,6.5 ka頃に小規模な砂堤あるいは砂堤間を流れるチャネルが形成されたと推定される。その後,淡水湿地が成立した。

    3)ANコア

     湖南岸に位置する姉沼の南で掘削された掘削長24.98 mのコア試料である。深度14.42 m以深は更新統で,その上位に泥質堆積物を主体とする沖積層が分布する。8.7 ka頃に海水が及ぶようになり,内湾環境が成立した.内湾堆積物中には,上方細粒化を示す砂から成る洪水堆積物がたびたび挟在する。その後,4.1 ka頃に塩分が低下し,淡水湖沼~池沼の環境が成立した.その上位には河川由来の砂質堆積物が分布し,1.8~2.0 ka頃にデルタフロント堆積物が堆積したと推定される。1.8 ka頃以降には淡水湿地が成立し,徐々に乾燥した陸域へと移行した。

    考古遺跡と古環境変遷との関連

     小川原湖周辺では,古高瀬川の開析谷軸部で遅くとも10 ka頃に湖内まで海域が広がった(山田ほか,2010)。他方,HN・WSコアで沖積層が堆積し始める9 ka頃までは,海成段丘面あるいはそれを起源とする波蝕棚が現在の湖口部周辺に存在しており,現在よりも幅の狭い潮流口が形成されていたと推定される。その後,9 kaから8 kaにかけて,湖口部では上げ潮三角州を構成する砂質堆積物が多量に供給され,海水準上昇によって生じた堆積空間がすみやかに埋積された。同様の急速な堆積は野口貝塚周辺でも認められ(髙橋ほか,2018),湖東岸~北東岸では水深の浅い内湾砂底の環境が維持された。内湾砂底はハマグリやシオフキの生息に適しており,食糧資源を求めた人々が居住した結果,貝塚が形成されたと推定される。その後,7 ka頃以降,海水準上昇が鈍化~海水準が低下に転じると,湖東岸~北東岸では水深や塩分低下が生じ,内湾砂底の環境が減少した。同時期に考古遺跡の主要な分布域が湖東岸~北東岸から南岸~南西岸へと移行する要因のひとつとして,海水準変動に伴う地形環境の変化が考えられる。7 ka以降も湖南岸~南西岸では内湾砂底が分布していたが,6~4 ka以降になると水深や塩分の減少が生じた(石塚・鹿島,1986).これはデルタの前進や湖岸の浜堤の発達によって引き起こされたと推定される.その要因として,海水準低下だけでなく,上流域で発生した十和田中掫の噴火イベント(約5.9 ka)に伴う堆積物供給量の増加も影響を与えた可能性がある。

    引用文献

    石塚利孝・鹿島 薫(1986)地理学評論 59A: 205–212.山田和芳ほか(2010)日本地質学会学術大会講演要旨第117年学術大会,O-39.髙橋未央ほか(2018)季刊地理学 70: 117–126.

  • ―知床半島オホーツク海側に焦点を当てて―
    伊原 希望, 白岩 孝行
    セッションID: P068
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    本研究は,北海道沿岸域に分布する漁業建築「番屋」に着目し,その空間的変容過程と現況を明らかにするとともに,漁業文化資源としての価値を再評価することを目的とする.番屋は,北海道沿岸域において漁期中の漁業従事者が生活・作業・漁具保管などを行うために建設された建築物であるが,その役割は単なる施設にとどまらず,地域の生業の拠点であり,沿岸部の文化景観や生活空間の重要な構成要素と位置付けられる.しかし近年では,漁業形態の変化や漁業従事者の減少,生態系変化の影響等により,多くの番屋は急速に減少しており,その変容過程や現況は十分に記録されていない.特にオホーツク海沿岸域では,厳しい自然環境や戦後の漁業再編により,番屋の衰退が顕著に進行している.本研究は,こうした背景のもと,北海道沿岸域全体における番屋の分布と変遷を明らかにするとともに,現存する番屋が漁業用途で活用され続けている知床半島オホーツク海側沿岸域に焦点を当て,その実態と価値を検討した. 

     調査方法として,北海道全沿岸域を対象に,国土地理院が提供する空中写真(1974年~2019年)を用いて番屋の位置を判読し,広域的な分布状況と空間的変遷傾向を把握した.空中写真から番屋と判断できる建物をプロットし,各年代の分布変化を可視化した.さらに,空中写真解析では把握できない詳細な変容過程や利用実態を明らかにするため,知床半島オホーツク海側先端部(ウトロ~知床岬)を対象とした現地踏査および漁業関係者への聞き取り調査を2022年から2024年にかけて実施した.現地では番屋の現存状況・規模・建築形態・用途等を調査するとともに,漁業者等への聞き取りにより,番屋の利活用状況や変容の背景要因,維持管理の課題等について情報収集した. 

     調査の結果,1974年時点では北海道沿岸域に多数の番屋が存在していたが,2019年までの間にその多くが撤去・消失していることが明らかとなった.現存する番屋も漁業活動拠点としての機能は縮小し,倉庫や観光施設等への用途転換が進んでいる事例が多かった.一方,知床半島オホーツク海側沿岸域では,2024年時点においても漁業用途として利活用される番屋が複数確認された.これらは流氷や潮流,背後の急峻な地形といった厳しい自然条件下での漁業活動を支える空間として維持されており,単なる建築物ではなく地域漁業を支える不可欠な空間資源となっている.また2005年の世界自然遺産登録以降,景観資源として番屋が再評価される事例も生じており,番屋外観を維持しつつ内部をレジャー等として活用する動きや,景観規制の影響で改築などの開発行為が困難となる中,既存ストックとして価値が見直される事例も確認された.さらに聞き取り調査では,番屋が単なる漁業施設ではなく,地域の自然環境と密接に関わる空間として活用されてきた実態が明らかとなった.番屋は漁業活動のための拠点であると同時に,地域の生業や文化景観,さらには沿岸生態系サービスとの相互作用の中で維持される社会–生態システムの一要素と捉えられることが示唆された.

     本発表では,知床半島に現存する番屋の利活用事例を紹介するとともに,番屋が沿岸域の漁業文化資源としてどのように保全・活用されうるかについて検討する.また北海道内他地域との比較を通じて,番屋の空間的変容過程にみられる地域特性を明らかにし,番屋減少の背景要因と今後の課題について考察する.以上の知見は,番屋が文化資源であると同時に地域の生態系サービスと関わる空間資源であることを示すものであり,知床半島の事例はその価値を再評価する上で重要な示唆を提供する.沿岸地域の環境保全と地域振興の両立に向け,番屋の多面的な存在意義を踏まえた持続的な活用方策の検討が求められる.

  • ―西淀川公害のオーラル・ヒストリーを事例として―
    渡邉 洋心
    セッションID: 535
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

     現代社会では,地域の歴史や文化を保存・活用する取り組みが各地で盛んに行われている。日本における近年の人文学・社会科学の領域では,こうした実践を「パブリック・ヒストリー」あるいは「パブリック・(当該学問分野)」として位置づけ,地域の歴史や記憶がいかに創られ,継承されてきたのかを分析する研究が進められてきた(菅・北條編, 2019;菊池編, 2025など)。

     しかし一方で,パブリック・ヒストリーをめぐる議論は個別の実践事例に焦点が当てられる傾向があり,地域の歴史や文化が「誰によって」「どのような意図で」語られ,何が保存・活用されるのかといった実践の背景にある政治性については十分に検討されているとは言い難い。本稿では,歴史の継承という営みの中で政治性が顕著に現れる領域である「困難な過去」をめぐる実践に着目する。「困難な過去」とは,公害をはじめとした,複雑な加害・被害関係を含み,歴史解釈が分裂しやすい過去の出来事を指し,これに向き合うことは地域社会の分断修復や「地域の価値」の再構築にもつながるとされている(除本, 2025)。

     本稿では,この「困難な過去」が地域でどのように語られ,あるいは語られないのかを明らかにすることを通じて,パブリック・ヒストリーの実践に潜む政治性を検討することを目的とする。

    2.対象地域と研究手法

     本研究の対象地域である大阪市西淀川区は,大気汚染を中心とする複合的な公害が深刻化した地域であり,その被害を背景に住民運動や公害訴訟が展開されてきた。これらの取り組みを契機に,地域では環境共生に向けたさまざまな活動が長年にわたり継続されてきた。しかし近年では,関係者の高齢化や新たな住民の流入などにより,公害とそれに関連する歴史が十分に継承されなくなりつつあることが課題となっている。

     1996年に設立された「あおぞら財団」は,西淀川区における公害の記憶継承を担う中心的な主体であり,現在に至るまで地域づくり,環境保健,公害経験の伝承,環境学習,国際交流の5つの分野を軸に多様な活動を行っている(清水, 2025)。その活動の一環として,あおぞら財団は公害患者,弁護士,加害企業の関係者など,公害に関連するさまざまな立場の人々からオーラル・ヒストリーの収集を進めてきた。

     本研究では,あおぞら財団のホームページで公開されているオーラル・ヒストリーを基礎資料として活用し,語り手の属性や語られる状況を分析するとともに,テキストマイニングを用いた内容分析を加えることで,語りの特徴や傾向を明らかにすることを目指す。内尾(2025)によれば,テキストマイニングはパブリック・ヒストリー研究において単なるデータ解釈の手段にとどまらず,社会的な記憶や意識の形成過程を理解するための重要な方法論であると指摘されており,本稿でもこの手法を用いた。

    3.結果と考察

     分析の結果,公害患者や弁護士,加害企業関係者らによる語りには,それぞれの立場(ポジショナリティ)や語られる状況による差異が認められた。これらの語りは,困難な過去を記憶として継承するだけでなく,地域社会の歴史像を構想する実践としても機能していることが示唆される。一方で,オーラル・ヒストリーとして収集される語りには一定の偏りが存在しており,語りの選択や省略といった過程に潜む政治性を検討することは,パブリック・ヒストリーの実践を問い直すうえで重要な視点となる。

    参考文献

    内尾太一(2025):東日本大震災の災害伝承施設とパブリック・ヒストリー―Google Maps レビューデータから紡がれる声.笠井賢紀・田島英一編『パブリック・ヒストリーの実践 オルタナティブで多声的な歴史を紡ぐ』,85-129.慶応義塾大学出版会.

    菊池信彦編(2025):『人文学を社会にひらくには。パブリック・ヒューマニティから考え・行動する』.文学通信.

    清水万由子(2025):『「公害地域再生」とは何か 大阪・西淀川「あおぞら財団」の軌跡と未来』.藤原書店.

    菅豊・北條勝貫編(2019):『パブリック・ヒストリー入門 開かれた歴史学への挑戦』.勉誠出版.

    除本理史(2025):「地域の価値」が今なぜ注目されるのか―現代資本主義における価値生産の変容をふまえて.除本理史・立見淳哉編『「地域の価値」とは何か 理論・事例・政策』,3-17.中央経済社.

  • 渡邊 達也
    セッションID: S704
    発行日: 2025年
    公開日: 2025/09/30
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    1.はじめに

    本報告は,寒冷地における定住化の進展がもたらすサニテーション上の課題を,グリーンランドとモンゴルという二つの異なる地域事例を通じて比較検討するものである.両地域は,厳しい自然環境,インフラ整備の難しさ,狩猟・遊牧から定住への移行となった共通の背景を持つ一方で,地理的・政治的背景や経済状況が大きく異なる.

    2.グリーンランド:イヌイット定住化のトイレ事情

    グリーンランドの人口は1980年代に約5万人,1990年代には約5.6万人,近年ではほぼ横ばいで推移している.国土の大部分は氷床に覆われ,人口は南西沿岸のわずかな非氷床地域に集中している.先住民イヌイットは伝統的に狩猟を主体とする移動生活を営み,排泄物は自然環境中で拡散・分散されるかたちで処理されてきた.しかし20世紀後半以降の近代化・福祉政策の影響で定住化が進むと,局所に人と廃棄物が集中するようになり,自然処理から管理型の廃棄物処理へと転換を迫られた.

    首都ヌークでは断熱パイプを用いたパイプ式水洗トイレが普及し,一部で粗大ごみのスクリーン除去など簡易処理が導入されているが,高度な下水処理は行われておらず,排水は未処理または簡易処理のまま海洋に放流されている.一方,人口数十~数百人規模の小集落では,家庭内のバッグトイレ(honey bucket)が主流で,使用済みのし尿は自宅外の集積箱を通じて自治体が回収し,中身を海に排出するか,廃棄場に袋ごと投棄されるのが一般的であり,海洋汚染や廃棄場からの漏出といった問題がある(Hendriksen & Hoffmann, 2018).最北集落シオラパルクでは,2016年夏の豪雨により生じた土石流が廃棄場を飲み込み,大量のトイレバッグが海洋に流出するという事象が生じた.デンマーク王国の自治領として自治政府が設置されているが,地方自治体には限られた財源と技術人材しかなく,近代的な上下水道の整備には手が回らない状況にある.こうした背景に加え,集落の人口規模,集落間の地理的距離,永久凍土や岩盤による埋設配管の困難さ,冬季の厳しい気象条件が,下水道や浄化槽の普及を阻む要因となっている.

    3.モンゴル:遊牧民の都市移住とトイレ問題

    モンゴルの人口は1980年代の約170万人から,1990年代には約210万人,近年では340万人超へと着実に増加してきた.この人口成長は急速な都市化を伴い,現在では全国人口の約半数が首都ウランバートルに集中している.特に1990年代以降,社会主義体制崩壊と市場経済化を契機に,遊牧・半遊牧民の定住化や農村から都市への移住が進み,都市部の交通やサニテーションインフラに深刻な課題を引き起こしている.

    ウランバートル市は,都市中心部の近代的な集合住宅地域と,郊外に広がる貧困層の非公式居住地(ゲル地区)という二重構造を抱えており,両者間には居住環境や衛生状態に著しい格差が存在する.市内の下水道普及率は約35%にとどまる.ゲル地区では多くの世帯が屋外の簡易ピットトイレを使用し,その数は約14万5000基に及び,都市環境と住民の健康にリスクをもたらしている(Oyunbat et al., 2022).また,ウランバートル市周辺の低地帯では,冬季にアイシングと呼ばれる層状氷が形成され,本来居住には適さないが,そのような場所にも居住地が拡大している.住居からの暖房熱やピットトイレは局所的に地盤凍結を妨げ,地下水の染み上がりを促進し,結果としてアイシングの成長を助長する(Ganbold et al., 2025).さらに,生活排水やし尿の混入により春先の融解時には衛生環境が著しく悪化し,周辺住民の健康リスクを高めている.しかしながら,冬季の地盤凍結深が約3メートルに達するため下水道整備には高コストを要すること,住民側の低所得や土地登記・住民登録に不備があるといった要因が,下水道延伸や改良型トイレの普及を阻んでいる.

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