われわれはさきに日本人集団において,退化型の上顎側切歯をもつ歯列では,正常なものより一般に歯の大きさが小さくなることを指摘した(埴原•増田•田中,1965).
よく知られるように,上顎側切歯にはしばしば退化型が現われるが,またこの歯は時として異常に強く発達することもある.その多くは舌側の基底結節(歯帯)がきわめて強くなり,同時に舌側中心隆線や歯冠全体の形も大きくなる(図1).このような歯はとくに Pima Indian にしばしばみられる.
私は1967年,シカゴ大学人類学教室で Pima Indian の永久歯を観察する機会をえたので,この点に注目し,上顎側切歯の退化•異常型と他の歯の大きさとの関係についての資料を蒐集した.
この研究では Pima Indian を次の3グループにわけてとりあつかった. Group N は正常な上顎側切歯をもつもの, Group R は退化型側切歯をもつもの(I2の欠如は含まれない), Group M は異常に発達した側切歯をもつものである.これら3群を比較すると,上顎側切歯はもちろんであるが,他の歯の歯冠近遠心径に多少の差がみられた.結果を要約すれば次の通りである.
1.上下の第3大臼歯を除き,この研究には14本の永久歯の歯冠近遠心径が用いられた.
2.3群を比較すると,上顎側切歯以外の歯でも歯冠近遠心径に多少の差がみられ,一般に Group N に比して Group R は小さく, Group M は大きい(表2,3).
3.各歯ごとにt-検定を行なうと, Group R および Group M において, Group N との間に有意差のみられる歯はすべて上記の原則にしたがっていることがわかる(図2,3).
4.女性では Group N と Group R との間に有意差はみられないが(I
2を除く), Group M ではすべての歯が Group N より有意の差をもって大きい.
5.上顎側切歯および上下の第3大臼歯を除いた他の13本の歯について,多変量解析法(MAHALANOBIS のD2法および PENROSE の size and shape distance 法)によって以上の関係を分析すると,男性では Group R, Group M ともに全体として Group N どは有意にことなる.また女性における Group M と Group Nとの差はとくに大きい.しかし shape distance の値からみると,各グループ間で shape,すなわち各歯の大きさの比率にあまり大きな差はみられない(表4,5).なおこれらの計算は北海道大学大型計算センターのFACOM 230-60型の電子計算機によって行なわれた(使用プログラム: HANICB, HANIGB, HANILB).
6.以上のことから, Group R は一般に Group N より小さい歯をもつか,または少なくともそれをこえることがないことが明らかとなった.一方, Group M は Group N に比して,全体として明らかに大きな歯をもっていることがわかる.
7.このような結果は,日本人集団における傾向とまったく一致しており.程度の差はあるが,多くの人種集団に共通して存在する現象と思われる.
8.上顎側切歯の退化は,人類の歯の進化と密接に関係しているが.この研究の結果,それが単にこの歯の変異のみに止まるものではないことが明らかとなった.むしろ,上顎側切歯における退化型や異常型の出現は,歯全体の大きさの決定に関与するものと考えられ,人類における歯の進化学的研究に際しては,この点を考慮に入れる必要があると考えられる.
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