人類學雜誌
Online ISSN : 1884-765X
Print ISSN : 0003-5505
ISSN-L : 0003-5505
90 巻, 3 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 大槻 文夫, Debabrata MUKHERJEE, Arthur B. LEWIS
    1982 年90 巻3 号 p. 239-257
    発行日: 1982/07/15
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    Fels の縦断的発育研究の参加者(0-18才の男子220名,女子177名)を対象とした頭部側面X線フィルム(男子1861,女子1401)を用いて,頭蓋底と頭蓋冠の諸測度を計測した。
    この研究に用いた頭蓋底の測度は次の通りである: cranial base (nasion-basion); anterior Cranial base (nasion-sella), fronto-ethmoidal segment (nasion-sphenoethmoidale), presphenoid segment (sphenoethmoidale-sella); posterior cranial base (sella-basion), basisphenoid segment (sella-sphenooccipital), basioccipital segment (sphenooccipital-basion).頭蓋冠については全て内頭蓋点を 用い,頭蓋最大高(sella-vertex)と頭蓋最大長(anterior-posterior)を計測した。その他頭蓋底の発育の 相対的な方向を知るために,次の角度を測定した: nasion-sella-basion, sella-nasion-point A, nasion-sella-posterior nasal spine. 各測度について,平均値の年齢的変化を性別に記述した。統計学的な有意性の検定には,全資料を3つの年齢群(0-3,4-6,7-18才)に分けた後,それぞれの群内で性別に回帰分析を行った。なお,この年齢区分は頭蓋底の軟骨結合部のおよその癒合ないしは閉鎖時期等に照し合わせて行ったものである(OHTSUKI, MUKHERJEE, LEWIS and ROCHE, 1981),従来の結果と相違するものとしては,男女とも斜台 clivus の発育にさいし, basisphenoid と basioc-cipital の両部分がともに寄与していることである。また,∠SNA は男子において10才,女子においては9才まで減少するが,その後ともに増加の傾向を示す。その他, nasion, sella および basion 三者の相対的な位置関係の加齢にともなう変化については,従来,必ずしも一致した見解を得ていないが, nasion は発育の過程において,前上方に位置を移し clivus の傾斜はより険しくなることがわかった。
  • 塩野 幸一, 伊藤 学而, 犬塚 勝昭, 埴原 和郎
    1982 年90 巻3 号 p. 259-268
    発行日: 1982/07/15
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    多くの歯科疾患に共通する病因として,歯と顎骨の大きさの不調和(discrepancy)の問題があることが INOUE(1980)によって指摘されている。この discrepancy の頻度は,HANIHARAetal.(1980)によれば,後期縄文時代人では8.9%こ過ぎなかったが,中世時代人で32.0%と増加し,現代人にいたっては63.1%の高率を示すという。ITO(1980)は日本人古人骨を対象として個体における discrepancy の大きさを計測し,その平均値が後期縄文時代人では+7.7mm であったものが,現代人においては-2.6mm となっていることを示し,また(+)側から(-)側へうつった時期は鎌倉時代以前であるとしている。
    Discrepancy はヒトの咬合の小進化の表現と考えられ,具体的には顎骨の退化が歯のそれよりも先行することによると考えられている。そのため顎顔面形態の変化の経過を明らかにすることが,discrepancy の成立と増大の過程を知るためには特に重要である。
    このような観点から KAMEGAI(1980)は,中世時代人の顎顔面形態の計測を行い,この時代の上下顎骨が現代人におけるよりも大きかったことを報告している。本研究は,discrepancy の増大してきた過程を知るために,顎顔面の時代的な推移を調査したものの一部であって,とくに後期縄文時代に関するものである。
    資料は,東京大学総合研究資料館所蔵の後期縄文時代人頭骨327体のうち,比較的保存状態がよく,生前の咬合状態の再現が可能な16体を使用した。これを歯科矯正学領域で用いられている側貌頭部X線規格写真計測法により分析し,KAMEGAI etal.(1980)による鎌倉および室町時代人と,SEINo et al.(1980)による現代人についての結果と比較した。
    顔面頭蓋の大きさ,上顎骨の前後径,上下顎骨の前後的位置には後期縄文時代人と現代人との間にほとんど差がなかった。しかし,顎骨骨体部の変化が著しくないにもかかわらず,現代人においては歯槽基底部の長径の短縮が認められた。後期縄文時代人の下顎骨は現代人に比較すると非常によく発達していて,とくに下顎枝,下顎体は現代人より大きく,また顎角も現代人より小さかった。このことは,後期縄文時代では咀嚼筋の機能が大であったことを示唆するものと考えられ,逆に,現代人における下顎骨の縮小は,食生態の変化に伴う咀嚼機能の低下によるものと思われる。
    上下顎前歯については後期縄文時代人では鎌倉時代人や現代人と比べて著しく直立しており,一方,現代人では著明な唇側傾斜が認められた。このことは上下顎歯槽基底部の前後的な縮小と関連するものと思われる。
    結論的には後期縄文時代の,まだあまり退化の進んでいない顎顔面形態は,頻度8.9%,平均値+7.7mm という discrepancy の小さかったことを表す値とよく一致するものと思われる。
  • 片山 一道
    1982 年90 巻3 号 p. 269-289
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    前報では,3集落(勝浦,中村,法木)から成る,山形県飛島の人口構造ならびに婚姻構造,さらにそれから抽出される集団としての遺伝的特性を明らかにすることによって,飛島住民の身体形質に地域的分化の存在する可能性が指摘された。本報では,飛島住民の指掌皮膚紋理を詳細に分析するとともに,日本人の一般集団での成績と比較することによって,3集落間で見られる形質分化の大きさ,パターン,およびその要因についての検討を行った。本研究で用いた資料は,3集落を併せて,男性328名,女性369名の指掌紋プリントで,その大部分は,新潟大学解剖学教室によって,1956年に採取されたものである。
    主な成績は次のように要約できる。
    1. 男性では,指紋と小指球紋の紋型出現頻度と指間紋 a-b 三叉間隆線数の分布で,また女性では,これらに加えて,拇球紋の紋型と遠位軸三叉の出現頻度,さらに指紋総隆線の分布で,3集落間に有意な差異が認められた。分析された全質的形質を総合的に検討したところ,男女性ともに,有意な集落間差異が認められたが,掌紋形質のみを総合したものでは,女性のみに,有意差が認められた。これらのことから,皮膚紋理における,飛島の集落間の分化は注目すべき大きさのもので,分化の程度は,掌紋よりも指紋で,男性よりも女性の間で大きい傾向にあることが明らかにされた。
    2. 3集落間の分化のパターンを検討するために,比較資料があり,しかも形質相互の相間関係が比較的弱い6コの質的形質の11紋型について,紋型ごとに,各集落での出現頻度と日本人一般集団での出現頻度の間の偏差を標準化した後,集落ごとの変異パターンを図示して比較したところ,各集落は互に異った変異パターンを有することが認められた。
    3. 小指球渦状紋(二重蹄状紋も含めて),小指球橈側弓状紋,副軸三叉などの比較的稀な紋型の出現は,特定の集落に偏在してみられた。
    4. 日本人一般集団と比較して,飛島住民の皮膚紋理には,有意に異った出現頻度をもつ形質が認められた。飛島住民の皮膚紋理の特徴として,c 三叉欠如と指間副三叉の頻度減少,拇指球の痕跡紋や蹄状紋の増加,サル線の増加などが挙げられる。
    5. 結論として,飛島住民の皮膚紋理には,主として遺伝的浮動やファウンダー効果などの機会的要因に起因すると推測できる,地域的な形質分化が存在することが判明した。このことは,前報で予測された可能性を証拠として裏付けるものである。また,日本の小地域集団において,血液の多型性形質などの単遺伝子形質のみならず,皮膚紋理などの多遺伝子形質でも,地域的形質分化が生成していることの実例を与えるものである。
  • 高橋 秀雄
    1982 年90 巻3 号 p. 291-302
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    大腿骨骨体上半部の横断面の輪郭形状について,断面示数(section index)と主軸の方向(major principal direction)を計算し,小転子下部から骨体中央部にかけてその変化の様子を調べた。断面示数は扁平の強さ,主軸方向は扁平の方向を表わす。ネアンデルタールを含む種々のヒト大腿骨を用い,骨体に沿って変化するこれらの数値によって,骨体の捻転および扁平性の部位による相違を定量化した。
    この結果,小転子下部5%レベルで,断面示数および主軸方向のバラツキが最小となった。このような形態学的な方向性は,何らかの力学的要求に対応するものかも知れない。
  • 亀谷 哲也, 九良 賀野進, 埴原 和郎
    1982 年90 巻3 号 p. 303-313
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    日本人の顎顔面形態は,新石器時代以降,歴史時代を通じて,いくたびかの変動を経て現代人のもつ型へと変ってきたと考えられる。そし•その流れは,過去2000年の間に認められる discrepancy のほゞ単調な増大の経過から考えると,一貫して退化の方向に向うものであったと解釈される。歯と顎骨の大きさの不調和としてとらえられる discrepancy は,従来,不正咬合の病因の1つとして考えられていたが,最近,さらに多くの歯科疾患と直接あるいは間接の病因的関連性をもつことが指摘されている(井上,1980),人類における文化の発達が総合咀嚼器官の形態的な変化をひき起し,これにともなう discrepancy の増大が歯科疾患の増加をもたらしているということになる。
    この一連の問題を解くために,著者らは,咬合系に現われた変動を顎顔面形態の小進化という立場から把握しようとし,咬合の変化が最も急速に進んだと思われる歴史時代以降の日本人顎顔面形態の時代的推移について検討を行ってきた。本報告は,とくにその全般的な概観についてのものである。
    資料のうち,歴史時代のものとしては,東京大学総合研究資料館人類先史部門所蔵の日本人古人骨1379体から選んだ,咬合状態の確認が可能な,後期縄文時代から江戸時代までの標本95体を用いた。これらについ•は,頭部X線規格写真の撮影を行い,歯科矯正学領域における診断法を応用して分析を行った。現代人に関しては,岩手県衣川地区における地域医療活動(高木,1978)に際して得られた288名の頭部X線規格写真をい,古人骨におけるのと同じ分析を行った。
    結果として,日本人の顔面頭蓋が,後期縄文時代から現代までの間に,顔の高さでわずかに増大し,顔の深さでは,とくに下顔面部において縮小の傾向を示していることが知られた。ま•それぞれの計測項目における変化は,増大,縮小,あるいは不変のいずれかであったが,中世にはほとんどすべての項目において増大あるいは縮小方向への一時的,かつ明確な変動がみられた。この点については中世日本人が元来形質的な特異性を持っていたことによるものであるか,気候的あるいは社会的変動などによる好ましくない食環境が存在したためであるのかは明らかではないが,今後の問題として興味深いもののように思われた。
    上顎骨は,中世において一時その前後径を増し,突顎の傾向を示すが,現代までに再び縮小する。この変•は骨体部よりもとくに歯槽基底部において著しい。下顎は最も大きい変化が認められた部分であって,とくに下顎枝の短縮が著しく,この結果顎角は開大する。歯槽基底部の前後径の短縮は下顎においても著明であった。上下顎の切歯軸傾斜は,後期縄文時代におけるかなり直立した状態から,鎌倉時代の強い前傾を経て,再び直立の傾向を示すが,全期間を通じてみると,なお前傾が強まっているように思われる。このこと•上下顎骨の歯槽基底部の短縮の直接的な影響によるものと考えられ,歯と顎骨の不調和の成立と進行に深いかかわりがあると思われる。
  • 大塚 柳太郎, 稲岡 司, 鈴木 継美
    1982 年90 巻3 号 p. 315-323
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    沖縄県石垣市の男子潜水漁民84名を対象として,13項目の生体計測と生理機能検査,および作業歴等に関するインタビュー調査を,3名の著者が1980年1~2月に10日間行なった。本論文では,彼らの身体的特徴を2つの方法で分析した。第1は,著者らが得たデータと,活動量の多い他の職業集団で原則として年齢グループ別に身体的特徴がわかる既存データとの比較であり,第2は石垣の潜水漁民間での作業歴による身体的特徴の相異に関する検討である。第1の方法では,6集団のデータを取り上げたが,それらのデータの制約から上腕周径,握力,肺活量だけが比較可能であった。その結果,石垣の潜水漁民は周径が太く,握力が弱い傾向が顕著にみられた。
    第2の分析方法では,石垣の潜水漁民を,素潜りだけ行なってきたグループ(グループ B),素潜りから機器潜りに転向したグループ(グループBD),素潜りから1本釣漁(潜水を伴なわない)に転向したグループ(グループ BH)に分け,40歳未満,40歳-49歳,50-59歳の年齢ごとに比較した。その結果,身体的特徴に有意差がみられたのは50-59歳の場合だけであった。すなわち,グループ B がグループ BH よりも体重/身長比が大きく,上腕周径が太く,握力が弱く,心拍数が少なかった。これらの差は作業歴と関連していると考えられるが,40歳未満と40-49歳ではグループ間に有意差がなかったことからも,作業による身体的特徴への影響が現われるまでには長時間かかると判断される。
  • 岡田 守彦, 近藤 四郎
    1982 年90 巻3 号 p. 325-330
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    アジルテナガザル(Hylobates agilis)の若年個体1頭の平らな床面上での二足歩行を,筋電図と16ミリ映画により分析した。テナガザルの歩容は,上体の前傾,立脚相における股関節と膝関節の屈曲等,他のサル類と共通の特徴のほか,特有の弾むようなストライドをみせる。その際,しばしば推進脚のキックにより重複遊脚相が生じ,これに股関節の過伸展が加わることにより,恰もヒトの走行に似た歩幅の大きいストライドが観察された。しかしこの場合の股関節過伸展は,骨盤の水平回転及び股関節の外転による見かけのものであり,またこのようなストライドが2歩以上連続することもないことがわかった。
    各ストライドにおいて,固有背筋(腰椎レベル),股関節•膝関節の伸筋,及び足の底屈筋が着地の直前から中期立脚相の終りまで,持続的かつ殆ど同期的に活動する。固有背筋をのぞくこれらの筋では,二足歩行の立脚相における活動レベルが二足立位保持におけるそれを上まわる。遊脚相には前脛骨筋が軽度に活動するほか,固有背筋,大殿筋(pars proprius),大腿直筋が再度活動する。その活動は立脚相の場合にくらべ,固有背筋では強く他の2つの筋では弱いものであった。上記のテナガザル特有の歩容に関連すると思われる特徴ある筋電図が,外側広筋と腓腹筋に見いだされた。とくに腓腹筋によるけり出しが,歩行速度を高めるために役立っていることが推察された。
  • 安部 国雄
    1982 年90 巻3 号 p. 331-332
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    著者は1980年12月アンダマン諸島の Port Blair において原住民ニグリート(男5人,女2人)の生体計測,生体観察,写真撮影を行なった。その結果を MOLESWORTH (1893) EICKSTEDT (1934),GUHA (1954) の資料と比較しながら,アンダマンのニグリートの形質の特徴を示した。
  • 平本 嘉助, 本田 克代, 豊原 煕司
    1982 年90 巻3 号 p. 339-345
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    1976年,東北海道において縄文時代晩期に属する比較的保存の良い人骨が2個体分出土した。この2個体の頭蓋について計測可能な項目および頭蓋形態小変異について示す。これらの頭蓋の形質につき,同じ東北海道のほぼ同時期に属する緑ケ岡遺跡出土人骨との類似性が強く示唆される。
  • 赤堀 英三, 埴原 和郎
    1982 年90 巻3 号 p. 347-350
    発行日: 1982年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    ここに示す資料は,著者の1人赤堀が計測した畿内日本人頭骨に関する基礎統計量である。赤堀は1930-32年にこの計測を行なったが,その後この資料は公表されることなく,1980年になってプロトコルが埴原に提供された。
    この計測資料の価値は,その個体数が多いことにある。畿内日本人頭骨については,かって宮本(1924)が詳細な報告を行なったが,その研究に用いられた標本はわずかに男性30個体,女性20個体にすぎなかった。赤堀資料の計測項目数は少ないが,とくに重要な項目が選ばれているので,今後の研究のために貴重なものであり,ここにその統計量を公表し,将来の研究に役立てたい。
    統計計算は東京大学大型計算機センターにおいて埴原が行なった。ここで使用した個体は成人で,全計測値の揃っているものであり,男性149個体,女性150個体である。また年齢は男性が18-55歳,女性が17-59歳である。
    赤堀資料にはこのほか,計測値の一部が欠損しているもの,および子供が含まれているが,これらの資料は今回は使われていない。
    なおこの資料は京都大学理学部自然人類学研究室•池田次郎教授の了承をえて公表するものである。同教授に著者らの謝意を表する。
feedback
Top