打撃を加えると石は割れる(剥離;Fig.1).石器製作はこの単純な物理現象のくり返しによって行われる.従って,石器を構成している剥離面を観察すること,および実験を通して剥離現象の因果関係を知ることによって,我々は石器の素材とハンマー.ストン(Fig.3)を操作した旧石器時代人の手の動きや,彼らの行った石器製作の工程を復元することができる.
また,同様に,石器やハンマー•ストンに残された使用痕の分析によって,その道具の運動形態,つまりその道具を用いた旧石器時代人の手や腕の動きを知ることができる.
従って,以上の作業を積み重ねていけば,ヒトの手•腕の進化,利き手の出現,そして脳(思考)の発展の様相を明らかにすることができるはずである.
しかし,今日までこのような問題意識の下に行われた石器の分析,あるいは資料の提示は皆無である.
本稿は以上の諸問題を先史•考古学の俎上にのぼすため,そして諸関連学問からの教示を仰ぐための作業仮説として提出するものである.
本稿の概要は次のとおりである.
1.ハンマー•ストンの形状•使用痕の観察によれば,ハンマー•ストンの握り方,動かし方に変化があったことが推察される.つまり,手の運動能力において時代的な大きな差異が存在したと考えられる(Fig.3;1.オルドヴァイ Bed 1(180万年前)わしづかみ,垂直運動.2.テラ=アマタ遺跡(38万年前)親指と他の4指とによる把握,垂直運動.3.国分台遺跡(2万年前)向こうから手前への手首の回転による振り下ろし).
2.利き手の存在有無は,理論的にはハンマー•ストンの使用痕と単式削器(Fig.5)の刃の位置の分析によって明らかにしうる.しかしハンマー•ストンに関しては,前期旧石器時代には専ら垂直に運動していたと考えられることから,それが左右いずれの手で握られていたかは判断し難い.現段階では,右利きの存在は後期旧石器時代までしか遡ることはできない.
一方,単式削器の場合,刃の位置が規定される前提として,その素材となる剥片の表と裏,基部と末端(Fig.4)が製作者に認識されていたか否かが問題となる.この両者が認識され,あらかじめ右利きにとって用い易い位置に刃が付せられ始あるのは13万年前(ル•ラザレ遺跡)である.それ以前の段階では剥片の表裏は区別されてはいるが基部•末端が区別されていなかったり(テラ=アマタ遺跡,アラゴ洞穴),あるいはその両者とも区別されていない(オルドヴァイ Bed 1).つまり,刃の位置の規定は利き手の有無以上に製作技術や思考の発展段階と関係している.
3.そこで次に,石器を製作するのに必要な素材,ハンマー•ストンの動き,っまり左右の手の動きを残された石器から実験によって推定すると,完全な両面加工石器(少なくとも30万年前に完成)の製作には非常に複雑な左右の手の分業•協調,従って利き手が必要とされると判断される(Fig.8;剥離作業の基本的身ぶり,Fig.9•10;素材(左手にもたれた)の動き,Fig.11•12;両面加工技術).つまり,この段階には左右の手による作業と対応して左右の脳も十分に特殊化していたことが推定される.そしてそれは,ヒトが石器を製作し始めた数百万年前から行われ続けた,右手でハンマー•ストンを操作し,左手で素材を持っという作業分担が脳を発達させるとともに,その左右差を拡大させぞいった結果であろうと判断される.
4.石器製作によってなされた手,脳の発達は石器製作作業自体に反映され,石器の形は次第に明確となり(Fig.7,15),何種類かに分類され,そして製作工程は複雑化,体系化していった(Fig.13;製作工程の複雑化,Fig.14; 剥片剥離技法の諸工程,Fig.16; 製作工程の体系化, Fig.17; 製作作業の分類と石質の分類との対応(ル•ラザレ遺跡)).そして,その発展に伴うイメージの操作,作業の計画等の諸作業の複雑化が今度は左右の脳とその協調性を発達させた.従って,ここに,脳,手,石器という3つの要素間の関係によるヒトの進化という図式を仮定することができる.っまり,ヒトの生物学的進化と文化的発展とは相互不可分の関係にあり,そしてここにヒトという生物の特殊性がある.
こうして,ホモ•サピエンスの段階に,我々の脳と手は完成し,複雑な形態を持つ道具(Fig.18•19; 組み合わせ石器)や,イメージと言語の総合による神話世界の出現を示す彫刻や洞窟壁画(Fig.20)が出現した(竹岡,1991参照).
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