日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の258件中51~100を表示しています
  • 山本 健太
    セッションID: 413
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     本発表の目的は,日本を中心としたアニメーション産業の国際分業の構造的特徴から,地域内に形成されるアニメーション制作企業の取引関係の構造を考察することである。
     日本アニメーション産業は生産の過程で国際分業をしている。主要な分業先として,韓国ソウル,中国上海および無錫が挙げられる。東京に立地するアニメーション制作企業に対するアンケート調査によると,韓国制作企業との取引は1980年代から,中国制作企業との取引は1990年代後半から見られる。日本制作企業と分業先企業との資本関係をみると,韓国制作企業は資本関係のないものが多い。一方で,中国制作企業の中には日本制作企業の生産部門として出資を受け設立したものが見られる。また,日本制作企業が分業先制作企業との取引において重視する項目については,いずれの分業先制作企業に対しても,短時間での生産を重視している。また,韓国の分業先制作企業に対しては短時間での質の高い製品を生産することである。一方で,中国の分業先制作企業に対しては短時間での安価かつ大量の製品生産が可能なことである。
     分業先との短時間の取引を達成するためのひとつのシステムが,「協会便」といわれる共同輸送である。「協会便」による製品の共同輸送では,製品は日本の当番企業に集荷され,当番企業担当者が一般旅客便によって,直接韓国,中国の制作企業まで持参する(行き便)。着空港には,荷受当番の韓国,中国企業担当者が待ち受け,日本側企業の担当者と製品を自社に輸送する。「協会便」輸送に参加している企業は自社宛ての製品を当番企業まで取りに来る。韓国,中国の制作企業は日本へと戻る便(戻り便)に仕上がった製品を随時引き渡す。戻り便運行の際には,韓国,中国荷出し当番企業に集荷され,日本当番企業担当者が日本に持ち帰る。日本に到着した製品は当番企業に運ばれ,他の参加企業が引き取りに来る。生産現場では,このような取引がほぼ毎日なされている。
     また,取引の際に韓国制作企業および中国制作企業に対し重視する項目が異なる点については,それぞれの国の制作企業の受注する工程の違いが要因のひとつと考えられる。韓国制作企業が受注する工程をみると「原画」,「動画」,「仕上げ」といった生産部門のほか,「コンテ」や「レイアウト」といった創造部門の一部を担う。一方で,中国制作企業の場合は「動画」,「仕上げ」を中心として,労働集約的な生産部門の末端工程に特化している。
     韓国制作企業,中国制作企業はともに日本制作企業の要求に応えるための努力をしている。韓国制作企業の場合,近隣の同業他社との間に,技術補完,労働力補完を目的とした取引関係がある。それは,ひとつには,日本制作企業の発注量が不安定であり,柔軟な対応が求められるためである。また資本関係にない日本制作企業との信頼関係を築き,取引を継続するためには,多少無理のある仕事であっても受注しなければならない。そこで,近隣の同業他社との相互補完的な取引関係を結び,対応可能な取引量,取引内容に幅を持たせている。一方で中国制作企業においては,日本制作企業の出資や資本提携によって経営される企業が多い。それらの企業においては,日本制作企業との信頼関係よりもむしろ,地方都市政府の優遇措置,安価かつ大量の労働力の囲い込み,労働規制の緩さを利用して,労働集約的な工程の生産量を確保することが重視されている。
     このような分業構造から,制作企業の取引関係が形成されている。
  • 原 真志
    セッションID: 414
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに  文化と経済の双方向での融合が進行し(Scott, 2000),高コストの大都市に集積するコンテンツ産業に対する関心が高まり、わが国でもコンテンツ産業政策支援の議論が活発になって来ている.知識ベース集積論では,イノベーションに重要な暗黙知の共有のために対面接触に有利な近接立地が促進される側面が強調されているが(Maskel and Malmberg, 1999),間接的実証のみで,対面接触の直接的実証が欠如している(Malmberg and Power, 2005).コンテンツ産業の特徴としては,都市空間においてプロジェクトベースで多数の主体が相互作用して離合集散するプロジェクトエコロジーを形成している面が重要であり(Grabher, 2002),単に主体間のネットワークのパターンを静態的に特定するだけでは不十分である.本研究は,コンテンツ産業クラスターにおいて,プロジェクトベースでどんな主体のいかなる相互作用によって,どのようにして多様な主体が時限組織の中に編みこまれて,プロジェクトが開発され,実行されるのかのダイナミズムを明らかにすることを目的とする. 2.方法  地理学においては,主体間のコミュニケーション分析として,コンタクトアナリシスがあるが(Törnqvist, 1970;荒井・中村,1996),定常的コンタクトの分析が中心であった.報告者は,これまでサーベイ・対面調査・参与観察等の手法により,ハリウッド映画や日本のアニメ・実写のコンテンツプロジェクトにおける主要な主体間のコミュニケーションの実証を行ってきたが(原,2002a;原,2002b;原,2007),プロジェクト期間中の,確定された参加者を対象としたものであった.産業クラスターあるいはプロジェクトエコロジーの核心部分は,プロジェクトがいかに立ち上がるのかという開発段階あるいはそれ以前の試行錯誤を含む相互作用ではないかと考えられる.その検証にはプロジェクトの正式な開始以前の長期のデータ収集が必要となるが,コミュニケーションの対象範囲の特定の困難さ,膨大な量,心理的抵抗,守秘義務などの障壁から,そうした段階の長期のデータ入手は困難であった.  本研究は,調査協力者を得て,こうした問題を克服するために「半リアルタイム定期調査法」という方法を考案してデータ収集を行った.「半リアルタイム定期調査法」では,調査協力者に,日常的にコミュニケーション日誌にすべてのミーティングスケジュールを記録してもらい,それを基に1~2カ月に一度の定期的ヒアリングを実施し,各ミーティングに関する詳細な内容を聞き取るというものである.この手法により,シングルケースであるが,1年間を越える長期の大量のコミュニケーションデータの収集が可能となった.聞き取る項目としては,いつ・どこで・誰と何のために会ったかという基本事項に加え,会う契機,定例-非定例,プロジェクトベースか否か,相談・依頼の有無と方向,金銭の授受の有無,情報の送受信量と相対量,コミュニケーションの結果としての認識の変化や意思決定の有無などの項目が含まれている. 3.対象  本研究で具体的な調査対象とする松野美茂氏(現在ミディアルタ社取締役)は映画・テレビのVFXスーパーバイザー・VFXプロデューサー等として活躍しており,代表作に平成ガメラシリーズ,ウルトラマンシリーズ,SDガンダムフォース,生物彗星WoO等がある.企業に所属している時期も,企業を超えた形で次世代技術をいち早く活用するプロジェクトを起こすフリーランス的な仕事を行ってきており,またCG関連のソフト・ハード製品についての先見性が業界で伝説になっている.本研究では,松野氏に対して半リアルタイム調査法によりデータ収集を行い,分析を加えた.データ収集は2005年11月から開始し,2008年度日本地理学会春季学術大会において,2006年末までのデータの分析結果を報告した.今回は,2007年度分のデータを加えて,合計六百件強の約2ヶ年のデータの分析結果を報告するが,2006年には従来のフリーランス的な行動が反映されたものであったのに対し,2007年は松野氏が新規起業に関与していった時期であることに起因する興味深い違いが現われている.
  • 古川 智史
    セッションID: 415
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1. はじめに
     本研究は、ソフト系IT、映像、デザイン、広告、出版などのクリエイティブ産業の担い手であるクリエイターを対象として、その取引ネットワークの地理的分布及び形成過程を検討するとともに、非取引ネットワークの機能を「産業クラスター」の視点から評価することを目的とする。
     地理学では、中小企業のネットワークを対象とする研究成果が蓄積されてきた。しかし、既存研究の多くは従来型の製造業を対象としており、近年、都市型産業として注目されているクリエイティブ産業を扱った事例は少ない。またクリエイティブ産業は、専門分野の異なる企業同士がネットワークを構築し、イノベーションを実現すると考えられているが、このことに関する実証研究はまだ少ない。これら2点を、本研究の問題意識としたい。
     本研究は、大阪市北区扇町地域を対象地域とし、クリエイター及び関連企業32社を対象として、2008年8月から11月にかけて、聞き取り調査及びアンケート調査を実施した。

    2. 対象地域におけるクリエイター集積の推移と現状
     対象地域である扇町周辺のクリエイターの集積は、1970年代に形成された。受注先である広告代理店や印刷会社への近接性、大阪市内としては相対的に賃料が安かったことから、この地域にクリエイターが集中した。しかし、1990年代以降、業務のデジタル化、バブル崩壊後の不況、本社機能の東京移転などが重なり、クリエイターの事業所数はピーク時に比べて半減した。また業務のデジタル化は、クリエイター同士の人的な紐帯を弱める要因ともなった。こうした中で、大阪市の外郭団体である扇町インキュベーションプラザは、クリエイターの創業支援を行うだけでなく、クリエイター間のネットワーク再生を目的とする「扇町クリエイティブクラスター」構想を掲げ、人的な紐帯の強化を進めている。
     2008年現在、扇町周辺にクリエイティブ関連企業は計1,831社立地している。また従業員規模別にみると、10人未満の事業所が68.5%にのぼるなど小規模企業が多い。

    3. 取引ネットワークの地理的分布と形成過程
    (1)取引ネットワークの地理的分布
     まず、取引関係に基づくネットワークについては、垂直的ネットワーク(クライアントとのつながり)と、分業ネットワーク(クリエイター間の受発注関係)に大別できる。両者とも関西圏を中心としつつ、広域に及んでいる。取引ネットワークの広域化は、情報通信技術の発達に負うところが大きいと考えられる。しかし、分業ネットワークについては、相対的に北区内の比率が高くなっており、外注先との近接性が重視されていることを示している。
    (2)取引ネットワークの形成過程
     クリエイターは、既存の人的関係を通じて、新たな取引ネットワークを形成する比率が高い。このように人的なネットワークは、取引先の選定に際してリスク回避の役割を果たしている。また、人的なネットワークの形成要因を地理的に見ると、地域内(大阪市内)ではMebic・交流会・個人的ネットワークなどが、また地域外(大阪府以遠)では非仲介(営業や情報媒体)・現職のネットワークなどが、それぞれ上位を占めた。このように、ネットワークの形成過程には地理的な差異が存在している。

    4. 非取引ネットワークの特性
     クリエイター間の水平的ネットワークは、face-to-faceを前提とする近接性を重視する。こうした地理的集中は、取引関係のみならず、取引以外のコミュニケーションを深める役割を果たす。その第1は、クリエイター間での協業(コラボレーション)の促進である。こうした関係の中から製品の自主開発が進み、高い粗利益をもたらす契機となっている。第2は、クリエイター間での暗黙知の共有である。この点については、公的な場だけでなく、私的な会合も重要な役割を果たしており、他者との会話から仕事のヒントを得る、あるいは相互に触発されるなどの効果も指摘された。第3は、クリエイター間のクチコミ効果である。各クリエイターは、ネットワークの中で肯定的評価を受ければビジネスチャンスが得られる反面、否定的な評価は淘汰に直結する。こうしたスクリーニング効果は、優れた事業所を選択的に残す点で、集積そのもののブランド化に寄与していると考えられる。
     以上のように、分析対象とした扇町地域では、専門分野を違えるクリエイターが高密度に集積し、face-to-faceのコミュニケーションを維持するとともに、取引関係だけでなく、協業を通じたイノベーション、暗黙知や刺激の共有を実現している。このことから、いわゆる「扇町クリエイティブクラスター」は、産業クラスターとして機能していると評価できる。また、こうしたネットワーク構築に対する公的セクタ(Mebic)の役割の重要性についても確認できた。
  • 濱田 博之
    セッションID: 416
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.研究の視点
     閉鎖は工場の立地動向を探る上で基礎的な情報であるにもかかわらず、これまで積極的には扱われてこなかった。特にマクロな視点からはその傾向が顕著である。その理由としては、検討するにあたって必要となるデータの入手が困難だという点があげられる。全国的な工場閉鎖の動向ですら廃業率などの推計値に頼らざるをえず、統一した基準をもとに閉鎖工場を取り上げたリストも存在しない。さらに閉鎖工場に対してはアンケート調査を行うことも難しく、閉鎖要因や跡地利用についての検討もこれまで充分になされきたとはいえない。
     そこで本発表では、日経新聞記事データベース(日経DB)を用いることで、日本における工場閉鎖の動向について明らかにしていく。

    2.分析対象
     日経DB(DVD版)を用いて1975年から2000年までの26年間を対象に「工場」と「閉鎖」の両語を含む記事を検索したところ、1,876件の記事をが抽出された。これについて海外の工場に関する記事や工場閉鎖とは無関係の記事を除き、重複する記事を整理したところ、574社823件の閉鎖が確認できた。新聞記事という特性上、すべての工場閉鎖を網羅したデータではないが、動向を捉えるには充分な数と考えられる。

    3.閉鎖工場の概要
     件数については日経DBの特性から、件数の増減を絶対的なものとして捉えることはできず、相対的な変化をみるほかない。閉鎖年が明らかな669件についてみると、円高不況の1987年に31件と最初のピークがあり、バブル好況にともなって件数は減っていくが、1993年頃から再び増加して、1996年には70件と2度目のピーク、2000年には91件と3度目のピークを迎えている。基本的には好不況の波に合わせ、閉鎖件数は増減を繰り返している。
     所在地について823件については、もっとも多いのが神奈川県の80件(9.7%)で、東京都68件(8.3%)、大阪府63件(7.7%)、静岡県43件(5.2%)と続く。工場数の多い地域で閉鎖件数が多い傾向はあるものの、静岡県での閉鎖が多いことなどそれだけでは説明できない点もある。
     大阪府の工場閉鎖が全国に占める割合は、1990年代まで6%程度だったものが、2000年代には16.6%を占めるまでになっており急増している。特に2000年には19件と全国91件の20.9%を占めており、なかでも金属関係の工場閉鎖が目立った。

    4.閉鎖工場の類型化
     工場の閉鎖要因を_丸1_移転、_丸2_集約、_丸3_廃業、_丸4_撤退、_丸5_外部化に分類したところ、687件について類型化することができた。そのうち468件(68.1%)を集約による閉鎖が占めており、次いで移転によるものが118件(17.2%)、撤退によるものが34件(4.9%)などとなっている。対象期間における工場閉鎖は、閉鎖した工場の生産能力を他の既存工場に移管し、既存工場の稼働率を上げることで収益性の改善を見込む「集約による閉鎖」がほとんどだった。また最近になるにつれ集約による閉鎖の占める割合が大きくなっている。生産能力の移管先は国内が多く、なかでも閉鎖した工場の近隣に移管するものが目立つ。

    5.閉鎖工場の跡地利用
     工場の閉鎖にあたっては、生産能力の集約による収益性の改善が多くの場合に目指されていることから、用地は売却するものが54.2%、引き続き自社で保有するものが32.7%と、跡地は売却し借入金の返済など経営内容の改善にあてる事例が多い。
     跡地所有-利用主体の関係でみると、自社-自社が50件、自社-他社が40件、売却-他社が26件となっており、それぞれに用途が異なっている。自社-自社は倉庫や配送センターなどの物流施設(40.0%)やオフィス(24.0%)、自社-他社は商業施設(45.0%)や工場(20.0%)、売却-他社は工場(34.6%)や学校などの公共施設(30.8%)が目立つ。
     また東京都や神奈川県などの大都市部や地方都市の中心部では住宅や商業施設が多いなど、地域による違いもみられる。
  • シュルンツェ ロルフ
    セッションID: 417
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    Jones (2002)は、Sassenが企業のパワーとコントロールは多国籍企業本社が持っているという単純化しすぎたイメージを作ってしまったことを批判している。Jonesは、企業のコントロールは、多国籍企業ネットワークの中に広がる社会的主体のネットワークを通して広がっているという見方をしている。しかし、地理学においては、その主体の仕事や生活についてほとんど研究されていない。単なる労働者だけではなく、Peck(1996)がいうとおり、エグゼクティブマネジャーの配置も地理学的である。
    ここで紹介する分析方法は個人的パフォーマンスと経営的パフォーマンスの量的分析を使った主体中心アプローチである。経営的行動、活動空間、立地決定の相互関係のモデルに基づき、アンケート調査票を作成した。アンケートは在日ドイツ商工会議所の会員名簿にリストされている外資系企業の外国人マネジャーに送付した。回答数は81、回答率は57%であった。
    回答をもとに、a)外国人マネジャーの個人的パフォーマンス、b)ビジネス環境、における重要な要素を見つけだすため判別分析を行った。その結果、a)海外出向マネジャーとハイブリッドマネジャー、b)グローバル化の影響の程度の異なる2つのビジネス環境、との間の違いを明らかにすることができた。さらに、1)海外出向マネジャーとハイブリッドマネジャー、2)東京・横浜と大阪・神戸、の相違点を検討するために経営的行動に関する要素を予測変数として判別分析を行った。
    1)マネジャーのタイプごとの特徴
    判別分析から、海外出向マネジャーとハイブリッドマネジャーを区別する最も重要な要素は、1)言語能力、2)協力的な日本人パートナー、3)意思決定プロセスへの関与、の3つであることが明らかになった。自己評価は控えめであることも考えても、日本でビジネスをするにあたり、言語は非常に重要な要素であることは明らかである。第2に、文化変容のプロセスにおいて、即座のフィードバックというのは日本文化を持つ非常に近くにいる人間からしか期待できないため、日本人パートナーの協力が重要であるといえる。第3に、意思決定のプロセスへの関与がより多いのは出向マネジャーであることが分かった。
    2)地域ごとの特徴
    判別分析から、東京・横浜地域と大阪・神戸地域を区別する重要な要素は、1)企業成長目標、2)経験、3)意思決定であることがわかった。大阪・神戸ではハイブリッドマネジャー、つまり、文化変容のプロセスが進んでいる人が多い。そのため、文化的経験が最も重要で、東京・横浜のマネジャーより滞日期間が長い。現地市場での成功に焦点を当てた意思決定は立地によって異なる。大阪・神戸では外国人マネジャーは市場拡大、新製品、新サービス、新規市場開拓に関する決定を行い、東京・横浜では出向マネジャーが現地市場での成長目標を掲げる。
    ハイブリッドマネジャーの文化的知識と現地の顧客や価値観に対するセンシティビティは言語能力とプライベートでのパートナーの協力によって獲得することができ、現地子会社の意思決定に積極的にかかわろうという強い意志が異文化の職場でのパフォーマンスを向上させる、と考えられる。ハイブリッドマネジャーの権限が強化されれば、本国本社から取り込むものは少なくなり、現地の職場で調達するものが多くなることになる。 アンケート調査の分析から、文化変容の程度が普通の出向マネジャーとハイブリッドマネジャーを区別する第一の要因であることがわかった。また、戦略的意図は立地によって異なることもわかった。第一のグローバル都市の外国人マネジャーの戦略的意図はグローバル化の努力と相関関係があると考えられる。一方、大阪・神戸のような第2のグローバル都市のマネジャーの戦略的意図は現地化活動で特徴づけることができる。
    最後に、企業のためだけでなく、地域開発のためにもハイブリッドマネジャーの役割について、関東と関西の自治体に対するインプリケーションについて議論したい。
  • プラトナー ミヒャエル
    セッションID: 418
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    多国籍企業のビジネスは、より一層 異なった文化的環境の中で行われるようになっている。ビジネスネットワークは、海外駐在マネジャー中心のものから、フレキシブルな関係で協調している現地スタッフ、新しく中間に位置するハイブリットマネジャー間のものへと移り変わっている。一番重要な問題は、ハイブリットマネジャーはトランスアクション コストを削減する一方、どの程度まで知識のトランスレーターとして機能するか、ということである。この疑問に答えるために ソーシャルネットワークの分析を適用し、多岐に渡る文化的規範を伴うネットワークに関連する主体間でのホモフィリー、類似性を測定した。ビジネスネットワークの構造の変化を1983年と2005年の間で検証した。この分析には現実のビジネス社会を元に描かれた「マンガ島耕作シリーズ」を用い、267ノードを検証した。ハイブリッドマネジャーは文化的隔たりの壁を取り除くこと等が分かった。彼らはローカルおよびグローバルレベルのビジネス間での知識の仲介者となり、その結果トランスアクション コストを削減する。
  • 立岡 裕士
    セッションID: 419
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     「日本総国風土記」(以下「総国風土記」)は、近世初頭に古風土記を模造して作られた偽書とされる。しかし「総国風土記」は単一の文献と見なすことが困難なほどに多様な形式・内容の写本群として残存している(「総国風土記」という名称を冠した一群の文献が伝えられる一方、それと類似した内容をもちながら「(某国)風土記残篇」といった名称をもつものがあり、また外題的に「総国風土記」として一括されながら内題的には「総国風土記」という名称をもたない文献もある。報告者は当面、「総国風土記」を一群の文献に対する総称として最広義に用いることにする。すなわち、和銅~延長に撰進された古風土記、近世以降に古風土記とは異なるものであることを明示しながら編纂された「新風土記」、のいずれにも属さない「風土記」を「総国風土記」と呼ぶ)。
     「総国風土記」の検討は早川(1987)の提起にもかかわらずほとんど進んでいない。「総国風土記」について検討することは、それが受容されたことを通して近世初頭の地誌的知識希求の風潮について考えるための基礎作業である。さらに「総国風土記」作成の原資料について検討することにより、存在が推定される「失われた中世日本地誌」について考えるよすがとなろう。本報告はその端緒として「総国風土記」の分類を試みる。
     現存する「総国風土記」は『日本古典籍総合目録』(国文学研究資料館)に収録されただけでも44機関に164部の写本が存在する。近世に地方史誌類などに翻刻収録されたものもある。年代の確実な写本のなかで古いのは18C初頭のもののようである。しかし山崎闇斎の『会津風土記』序文からは17C半ばにはすでに幾つかが流通していたことが考えられる。
    「総国風土記」は風土記の残篇として、「虫喰」「落丁」などが織り込まれた形で伝えられている。一つの国の全郡の記事がそろっているのは駿河のみとされる。しかし何らかの記事がある国は45に及ぶ。同一国・同一郡について内容の全く異なるものが存在する場合があり、しかもそれが(異本という形で)同じ写本のなかに併存していることもある。
     報告者は当面、下記の観点から「総国風土記」を分類することができるのではないかと考える:
    ・構成の形式:国単位で巻をなすものと郡単位で巻をなすものとがある。
    ・空間的単位:郷・荘(庄)・里・村などが明記されたものと、そうした単位名がついていないものとがある(後者の場合、『和名抄』郷名と一致するものも多いが、そうでないものも多い)。
    ・内容:大きくは貢租・物産・説話に分けられる。貢租記事は「公(土)穀○○仮粟○○貢○○」、物産記事は「土地○○民用○○出○○」という形式をとる。説話は地名・寺社の由来などである。特に前2者が混在することは少ない。
    ・表記:和風諡号と漢風諡号との違い
    ・書写奥書:鎌倉~南北朝期(元亨・文和・嘉慶)・戦国末~近世初(大永・弘治・天正・寛永・寛文)のものが多く共通に見られる。
  • 渡邉 英明
    セッションID: 420
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     江戸時代の武蔵国では,定期市が広範に展開し,市場網が形成されていた.先行研究では,幾つかの定期市について詳細な検討が行われているが,実態があまり知られていない定期市も少なくない.本研究で取り上げる武州所沢の定期市も,町場関係の史料の不足からこれまで十分な検討が行われてこなかった.しかし,所沢のような中心性の高い定期市では,周辺地域の史料から間接的にアプローチすることで,直接の町方文書の不足を補い得る.本研究では,周辺地域の村明細帳に特に注目し,江戸時代の所沢六斎市と周辺地域との関係を検討したい.
     所沢町は東西に走る往還沿いに町並が形成され,北側町並の背面は東川で区切られた.往還は町並の南東端で田無道と府中道に分岐し,また,東川を越える道は川越に通じた.  江戸時代の所沢の市に関する最初の記録は,1639年の市祭文である.だが,定期市の内実にアプローチできるような史料は,17世紀には確認できない.3・8の市日を記録する史料は,管見において1702年の「河越御領分明細記」が最初である.
     18世紀中期の所沢町は,6つの市立街区に分かれ,市日を巡回させていた.これは,上州桐生など,規模の大きな市町にみられる形態であり,所沢六斎市の発展を窺わせる.当該期の六斎市では,四十物や古着,古道具などが取引されたことが記録される.市場商人はそれらを川越城下で仕入れ,所沢六斎市で販売した(仲家旧蔵文書,1770年「所沢村御請証文之事」).
     周辺地域の村明細帳を分析したところ,所沢六斎市を近隣市場としてあげる村は,南方の武蔵野台地に多く確認でき,現在の国立,小金井,府中市域にまで及ぶ.当時の武蔵野台地では,農業用水の確保が難しく,人々は穀物や日用品を購入する定期市を必要としていた.しかし,江戸時代の武蔵野台地は,人口密度も低く,町場は発達しなかった.18世紀中期には,小川新田・鈴木新田に定期市が設立されたが,周辺村々の記録にそれらはほとんど表れず,また,度々中絶して再興願が出されている.そのため,武蔵野台地の人々は,より遠方の定期市まで出向いたと考えられるが,所沢六斎市は,なかでも特に重要であった.一方で,北方の村々では,所沢六斎市との結びつきを示す史料は現時点でほとんど確認できていない.より中心性の高い川越城下町との競合関係がその背景として考えられる.
     町場の発展とともに,幕末期の所沢町では風紀の乱れが顕在化した.1845年には,市日の度に「所々悪もの共」が集まり博奕を始める状況になり,組合村々から取締りの嘆願書が地方役所に提出されている(伊藤1967:92).このとき,歎願を行った村々は所沢組・府中組・拝島組の村々であり,所沢六斎市と武蔵野台地の村々との関係の深さを窺わせる.このような治安の乱れも,所沢六斎市が多くの人々で賑わったことの反映といえる.

    文献
    伊藤好一1967『近世在方市の構造』隣人社.
  • 宇都宮 陽二朗
    セッションID: 421
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    妙元寺の住職が旧蔵し、現在は萩博物館に所蔵されている地球儀について報告した。英文要旨参照のこと。
  • 清水 克志
    セッションID: 422
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    _I_.はじめに  江戸時代における都市の発達は,都市近郊に野菜生産地域を成立させたばかりでなく,野菜の種子を専門に取り扱う種苗商の成立をも促したことが指摘されつつある。江戸近郊においても,五街道とその脇往還の沿道などに多くの種苗商の存在が確認できる。その中でも中山道沿道の滝野川地区(現,東京都北区)を中心とする地域は,種苗商が集中し,さながら野菜種子の問屋街のような様相を呈していた。また1885(明治18)年に板橋駅が開設されると,滝野川地区の野菜種子の流通範囲は,一層広域化したとされている。 一方,明治前期に殖産興業のスローガンの下,明治政府が強力に推進した外来野菜の導入政策は,明治中期以降,日本在来の農業や食文化との乖離,政府の財政難などにより継続されることはなかったが,種苗商の中には,外国の種苗商から,野菜種子を直接取り寄せる者も少なくなかったという。 しかしながら当該地域における種子流通の実態は,史料が未発掘であったこともあり,明らかにされていないのが現状である。  そこで本報告では,滝野川地区の種苗商に残る明治後期から大正期の取引記録の翻刻・分析を通して,まず取引品目(野菜の種類・品種)や取引量,種子の入手経路や出荷先などを具体的に把握する。その上で,とくに各種の西洋野菜や中国原産のハクサイといった外来野菜種子の取引に焦点をあて,その取引内容や出荷先の属性などから,種苗商が外来野菜の普及に果たした役割の一端を明らかにすることを目的とする。なお分析に使用した帳簿は,_丸1_滝野川村榎本家文書,(東京都北区指定有形文化財)のうち,_丸1_「大福帳」(明治36~41年),_丸2_「(東京桝屋本店仕切帳)」(大正4~10年)および,_丸3_滝野川村岩田家文書「当座帳」(明治38~大正11年)の3点である。 _II_.種子の入手経路と出荷先  種子の入荷先については,両家とも記載を欠く場合が多かった。しかしながら,榎本家・岩田家とも,外来野菜に「舶来」と付記されている場合が多いことから,海外の種苗商から入手していることが確認された。また,江戸時代以来,滝野川地区の名産品の一つであったゴボウ(滝野川牛蒡)の種子の産地として,千葉県八街およびその周辺の地名が確認されたことから,種子の需要の増加や,滝野川周辺の農地の減少などによって,当時すでに他所での委託採種が行われていたことが確認できる。 出荷先に着目すると,榎本家では,明治後期には東海(神奈川・静岡・愛知・岐阜・三重)や信越(長野・新潟)を中心に,北海道,中四国(広島・山口・愛媛),九州(宮崎・鹿児島)など非常に広範囲の種苗商との取引があり,大正期には明治後期以上に多くの道府県に出荷先を広げていったことが確認された。一方の岩田家は,北関東(埼玉・栃木・茨城)や山梨,東京府多摩地区など,東京周辺の種苗商との取引が主流であった。このことから,滝野川地区内の種苗業者は,個々に得意とする商圏をもち,互いに棲み分けをしつつ存立していたことがわかる。 _III_.取引品目にみられる特徴  榎本家・岩田家とも,明治後期には,練馬大根・美濃早生大根・滝野川牛蒡・滝野川人参・三河島菜・千住葱・砂村葱・山茄子(山手茄子)・鳴子瓜など,滝野川周辺をはじめとする東京近郊の在来野菜が主要な出荷品目であった。しかしながら,大正期にかけて出荷される外来野菜の種類や量,頻度の増加が確認された。そのなかでも以下の2点が特に注目された。まず一点目は,榎本家の取引先に,役場や農事試験場,学校(とくに農学校),軍事施設などが多く含まれ,これらの取引先へ,アスパラガスやレタス,カリフラワーなどの西洋野菜の種子の出荷が目立っている点である。このような傾向は,明治後期以降,国立や各府県立の農事試験場が設立され,外来野菜を含む蔬菜園芸事業の奨励再興と対応しているものとみられる。また二点目としては,岩田家の北関東の取引先への出荷品目において,中国原産の漬菜類の種子の取引量が増加し,逆に在来の漬菜である三河島菜の種子の取引量が減少している点であり,これは日露戦争以降,中国大陸からの外来野菜の導入が活発化したことを示唆しているものとみられる。  以上のように,国内外との情報の送受信地である帝都東京の近郊に位置し,関東平野の広大な畑作地帯を後背地にもつ滝野川地区の種苗商は,明治後期から大正期における外来野菜の普及において,確固たる役割を果たしたことが指摘できる。
  • 古関 大樹
    セッションID: 423
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    明治22年(1889)の大日本帝国憲法・衆議院選挙法公布に伴い、市制町村制や土地台帳法などが施行され近代的な地方行政制度が成立した。その過渡期にあたる明治前期には、試行錯誤されるかのように数度にわたって地籍図関連事業が実施された。20年弱という短期間のうちに全国的に(1)壬申地券地引絵図(2)地租改正地引絵図(3)地押調査更正地図(4)地籍編製地籍地図が作製されたことが佐藤甚次郎によって明らかにされている。 現在これらは景観復原の基本的な資料として盛んに利用されている。しかし、それぞれの作製過程は明治の地方行政制度の成立過程と平行し、作製時期や地図の性格は、府県や郡など地域ごとの偏差がきわめて大きい。従来水準とされてきた佐藤の基礎的研究においてもこの点に関しては十分ではなく、その本質的な性格を理解するためには多くの課題が残されている。 (1)~(3)は大蔵省の地租改正事業の流れで、(4)は内務省の地籍編製事業で作製された。異なる省から相次いで督促を受ける中、府県が事業をどう履行したのかを解明しなければ、地方で4種類の地籍図が作製された全体像が明らかとならない。滋賀県では県庁文書の現存が大変良好であり、明治前期の県政の様子を詳細に追うことができる。本発表では滋賀県を事例に検討したい。 各地籍図は、壬申地券地引絵図→地租改正地引絵図→地籍編製地籍地図→地押調査→更正地図の順で段階的に作製された。県組織は7度職制改定されたが、各地籍図の画期と相当する時期に(A)地券専務(B)地租改正事務掛(C)地理課地籍部(D)収税課が新設・廃止されている。各事業の実施時期は、実地調査や地籍図の作製など事業が本格化する時期になってはじめて(B)が課相当に、(C)が独立課に昇格している。人員や予算に対する措置と思われるが、県組織の改変を伴いながら各事業が集中的に実施されたのであろう。近代的行政制度が成立する過渡期に地方で各地籍図が作製された具体像を把握することは、地籍図の基礎的研究における本質的な課題と思われる。 注 1) 佐藤甚次郎『明治期作成の地籍図』,古今書院,1986
  • 山下 昭洋
    セッションID: 424
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    1、はじめに 日本統治下台湾における内地人の居住地に対する内部構造や復原を取り扱った研究はほとんどなされていないのが現状である。 報告者は、本研究を始めるに当たり、日本統治下台湾における内地人の居住地を特定するため、先ずは日本統治下台湾で台湾総督府が実施した戸口調査の実態を把握することを試みた。その結果は、2008年7月に「日本統治下台湾の「戸口調査」と「内地人」人口」で、統治期全期を通した戸口調査(センサスも含む)を調査した上、内地人人口の推移(1896~1945)を明らかにすることできた。 次に、上記の研究を基にしてセンサスが行われた年を中心に台湾全島内のどの場所に内地人が集中していたのかを明らかにするため、2008年11月に「日本統治下台湾における「内地人」集中地の分布」において、内地人の集中地を調査発表した。その結果、台湾における内地人の集中地にはインフラが整備されていることが判明したことと、内地人の約7割は当時市に昇格した11市に集中していることが調査により判明した。そして、その中でも台北に約3割の内地人が居住していたことも明らかになった。これらの結果を踏まえた上で、日本統治下台湾における内地人居住地研究の端緒とすべく、台北における内地人居住地の研究を行うこととする。 2、研究対象の時期と地域 本研究に関した現存する当時の資料の調査を行った結果、最も初期の資料は、1900年ごろに集中して存在していることが判明した。そのため、領台初期の1900~1902年を調査の対象時期とする。主たる対象地域は、台湾北部の台湾総督府が所在した大加蚋堡内の台北三市街(城内・艋舺・大稲埕)と呼ばれていた地域である。また、内地人の居住地を復原・分析するに当たり大加蚋堡全域の人口も調査する。 3、研究目的 日本統治下台湾における都市計画及び都市発展は、後藤新平民生長官(1898~1906)時代に大きく躍進したとされている。黄蘭翔(1992)の「日本植民初期における台湾の市区改 正に関する考察―台北を事例として―」によると、台湾で最初となる台北城内の市区改正公布されたのは、1900年8月であることから、本研究で取り扱う資料は、まだこの市区改正の影響をあまり受けていない時代の台北の復原となるであろう。これらのことを踏まえた上で、先ずはこの時期の台北三市街内の内地人居住地を文献や地図を用い特定すし、内地人居住地の復原を行う。その上で、内地人居住地内の社会空間を分析する。最後に三市街の相違性や特徴を見出すことにより台北の内地人居住地の形成及び変化の過程を知るモデルとしたい。 4、研究方法 平面的に内地人居住地を捉えるために地図を使用するが、台湾日日新報社(1903)出版の『最近實測臺北全圖附圓山附近』を主に基図として使用することとする。 内地人居住地の調査では、『明治三十五年末街庄別調査臺灣現住戸口統計』(1903)を使用する。この資料は、台湾総督府総督官房文書課が編纂したもので、地方区画の最小単位である「街・庄・郷・社」で種族別人口が表記されているため、これを用い、台北の内地人居住地を見出す。 内地人居住地の社会空間の調査では、上田元胤・湊靈雄共編(1900)『臺灣士商名鑑』を使用する。この資料は1900年11月末日現在の、主に台北の内地人の「名士」を網羅したもので、総督府官吏の職位、及び城内559、艋舺487、大稲埕527の民間人の「業種、住所、商号、氏名」が記載されたものであり、これを基に内地人居住地の社会空間を研究する。 5、結果の概要  内地人居住地の調査では、当初、台北城内とその周辺にのみ内地人が集中すると予想していたが、実際には艋舺の最も古い地区や、大稲埕の清朝時代の外国人居住地にも内地人が多く居住していたなどの新たな発見があった。  また、内地人の社会空間調査では、城内・艋舺・大稲埕の内地人を職業別に分類したことにより、内台人の居住空間の相違や、内地人居住地の社会空間の特性を見出した。
  • 塚本 章宏, 赤石 直美, 渡邉 泰崇, 朝田 健太, 片岡 秀太, 吉越 昭久, 片平 博文
    セッションID: 425
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
    本研究では,火災データを統合するためのツールとしてGISを用いつつ,これまで手作業では不可能であった被災地域の視覚化を実施する.火災が発生する地域や延焼する地域は,「燃えるもの」すなわち建造物などが存在した場所であり,幾度も被災する地域は,再建・復興がなされた場所でもある.こうした地域は,都市的活動が活発な場所とみなすことができる.また13世紀は,武家社会へと大きく変容する過渡期であり,それに伴い民衆の活動も活発になる時代でもある.本研究は,こうした平安京の都市空間構造を火災の痕跡から検討することを目的とする.
    II 研究方法 
    分析に用いた火災データは,「東京大学史料編纂所データベース SHIPS for インターネット検索ページ」1)において,「火」とそれに関連する検索ワードによって収集された項目を抽出して作成した.13世紀の平安京とその周辺で発生した記録上の火災は292件であった.そのうち地図化が可能な火災は,全体の約8割にあたる231件であった.復原した火災の分布をGIS上で分析を行うための基盤地図には,都市計画基本図に平安京当時の条坊を重ね合わせた『平安京条坊復元図』2)を用いた.
    III 経年的にみる被災の変遷
    平安京において被災した地域をGIS上で復原し,10年ごとに発生数・規模から地域的な特徴を検討した.発生数が最も多かったのは,1201~1210年の間である.この時期の火災は,35回の記録があるものの,被災面積は中規模以下の火災が多く,三条大路より南側で発生している.最大規模の被災面積がみられたのは,1241~1250年の間であり,この時期には特に大きな火災が2度も記録されている.一方で,被災面積が最小となるのは,1291~1300年であり,回数も2番目に少なく全体的に小規模の火災である.13世紀を通してみると,被災規模は,大規模火災と中規模・小規模火災が交互に起こり,次第に小規模火災へと収束していった.また小規模火災は貴族の邸宅などが密集する北側に多く,中規模・大規模の火災は中部から南側で発生している様子も読み取れた.
    IV 被災地域の特徴
    被災した地域の空間的な特徴を検討するために,まず被災回数をより正確に把握する目的から,1町の区画を1/4に分割するポリゴンを作成し,被災回数を条坊単位よりも細かな空間単位で集計した.図は,被災地域を1/4町区画で集計した結果を被災回数の等値線で表したものである.西洞院大路から東洞院大路の間,三条大路から四条大路を経て五条大路までの地域で被災回数が特に高いことがわかる.左京全体に被災範囲が広がる一方で,神泉苑の付近などは全く被災していないことが注目される.
    V まとめ
    この分析結果から,火災の多発地域は貴族の邸宅が多い北部よりも民家が多い中央部にあり,そこでは規模も比較的大きなものが見られることがわかった.このことは,民衆の都市生活が活発になってきた様子をとらえているとみなすことができ,史料からは明らかにされ得ない場所においても,人間の営みを検討することができる視点を示したと考える.
    付記
     本研究は,文部科学省GCOEプログラム「歴史都市を守る「文化遺産防災学」推進拠点」(2008年度~,拠点リーダー:大窪健之)の成果の一部である.
    脚注
    1) 東京大学史料編纂所データベース
    URL: http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ 2009年1月15日参照.
    2) 古代学協会,古代学研究所編:平安京提要,角川書店,1059p,1994.
  • 村中 亮夫, 中谷 友樹
    セッションID: 426
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     災害に対する危機管理の取り組みには,避難経路の確保や避難訓練などの防災対策,災害発生時における災害復旧,そして災害発生時点から長期的な視点での復興を図る災害復興がある.とりわけ,災害復興においては,被災者の住宅や生活の再建,地域経済や地域コミュニティの復興を支える復興システムの構築が求められる.
     一方で,災害危機管理における文化財防災の取り組みに対しても関心が高まっている.身近に存在する有形・無形の文化財は,文化財保護の法制度によって保護の対象とされているかどうかに関わらず,地域独特の景観の創出などを通して,地域の活性化・まちづくりに貢献している.
     これまで,災害発生時における必須の課題となる危機管理の内容として,人命救助や財産保護の取り組みが議論されてきた.しかし,災害発生時における文化財の保護については十分に議論が尽くされていない.特に,市場での価格を付けることが極めて困難な文化財については,それを復興・修復する妥当性を裏付ける材料が極めて乏しい.
     そこで本研究では,環境経済評価法の一種である仮想市場評価法(CVM)を用いて,京都市を事例に災害後に歴史的景観の復興により生まれる便益を計測し,文化財防災の意義を経済的な観点から議論することを目的とする.

    II 調査の概要
     本研究では,郵送調査とWeb調査を併用し,京都市内に在住する20歳以上の個人データを収集した.各調査の実施期間は,郵送調査が2007年3月30日~5月11日,Web調査が2007年2月8~13日である.
     郵送調査では標本台帳として住民基本台帳を利用し,系統抽出法により1,500名の計画標本を抽出した.これらの計画標本から未達分を除く1,485通の有効配布数のうちWTP(支払意思額)や正常回答の判別に関する質問に記入漏れのなかった536通が有効回答である(有効回答回収率=36.1%).
     一方で,Web調査ではYahoo!リサーチ登録モニターから標本を抽出した. Web調査ではしばしば標本バイアスが発生するとされる.そこで,本研究では標本抽出の際に性別と年齢階級を考慮した層化抽出法により698名の計画標本を抽出した.これらの標本に対する未達数は0であり、698通の有効配信数のうち329通が有効回答として得られた(有効回答回収率=47.1%).

    III 結果・考察
     本研究では,歴史的景観整備に対するWTPを従属変数,被験者の社会経済属性やデータの収集方法に関わる変数を独立変数とし,グループデータ回帰モデルを用いてWTP関数の推定を行った.本研究で得られた成果は,以下のようにまとめられる.
    (1)本研究で推定されたWTP関数からは,災害発生後における歴史的景観の復興に対するWTPは,所得(Income),ブルーカラー(職業)(Bluecollor),データの収集方法と年齢階級との交互作用項(Age30×WebAge40×Web)によって規定されていることが分かった.つまり,a. 所得水準によって異なる家計の支払能力や,b. 職業に反映されるような歴史的景観に対する関心の度合い,c. データ収集方法別の回答者集団の生活スタイルや価値観の相違が,WTP表明に影響を与えているものと考えられる.
    (2)本研究で推定されたWTP関数に基づき,災害復興計画における歴史的景観整備の経済評価を行ったところ,WTP中央値を用いると歴史的景観の整備からは年間約28億円~30億円,10年間で約233億円~255億円(現在価値化)の便益が生まれると推定された.
    (3)現在,京都市が2004年度より推進している文化財防災に関する施策では,5億3740万円が2008年度までに執行される見込みである.そこには,(a)自動火災通報体制の整備,(b)文化財市民レスキュー体制の確立,(c)地域の文化財を守る水利整備モデル事業の実施が含まれている.今後,個別事業にかかる費用と本研究で推定された便益を対比しながら,個別事業の評価に取り組む必要がある.
  • 相馬 秀廣, 田  然, 魏  堅, 伊藤 敏雄, 森谷 一樹, 井黒  忍, 小方  登
    セッションID: 427
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに  発表者らは,高解像度衛星画像などを利用して,中国乾燥地域における古灌漑水路・耕地跡の復元に取り組んでいる.内モンゴル西部の黒河下流域では, QuickBird衛星画像の判読により,Bj2008囲郭,蜂の巣パターン遺跡(仮称)などが抽出された.Bj2008囲郭については,本学会の2008年春季学術大会で相馬他によりその存在を指摘したものの,詳細は不明であった.発表では,2008年12月実施の現地調査結果を含めて,両遺跡について判明したことおよびそれらの意義について報告する. 2.Bj2008囲郭 この囲郭は,相馬他(2008)が最初の報告である.一辺の長さが約120~140mの方形に近い形状で,それらは漢代のK688囲郭およびK710囲郭とほぼ共通し.黒河下流域で最大級の遺跡である.K710囲郭と同様に,南門の痕跡が明瞭である.現地では,500mほど離れた付近に西夏・元代の陶片が存在するものの,囲郭付近には前漢代の陶片が散在する.これらの点から,Bj2008囲郭は前漢代のものと判断される.その存在が明らかになったことにより,以下のような新知見などが得られた.  Bj2008囲郭周辺には,断片化した盛土型灌漑水路跡およびヤルダン化した農地跡が分布する.同様の農地跡はK710囲郭周辺でも確認されており,漢代に,Bj2008囲郭周辺で農耕が実施されていたことが判明する.QuickBird衛星画像では,ヤルダン化した農地跡は,水路沿いなどに比高3-4mの紅柳包などが発達することが多い西夏・元代の農地跡とは,明瞭に区別される.このような農地跡の現況の相違は,それぞれ放棄された時代の指標として有効であることが示唆される.  黒河下流域には,従来,3つの候官(A1遺跡:殄北候官,A8遺跡:甲渠候官,卅井遺跡:卅井候官)が知られている.それらの平面的配置は,大まかにはA1遺跡と卅井遺跡を結ぶ線を斜辺とする直角二等辺三角形を呈し,漢代の黒河はA8遺跡付近を経て北東の古居延澤へ注いでいた.Bj2008囲郭はほぼこの斜辺 上,卅井遺跡から25kmほどに位置し,漢代の黒河を挟んで反対側のK688囲郭はA1遺跡南方約27kmにある.これらの点から,Bj2008囲郭は,3つの候官やK688囲郭などとともに.前漢代の屯田に際して基準点の一つであったことが判明する.Bj2008囲郭抜きに行われてきた従来の居延オアシスに関する諸解釈は,再検討を迫られることになる.  Bj2008囲郭の北西角と南東角を結ぶ対角線は,ヤルダンや囲壁破損などから示される,卓越する強風方向にほぼ並行する.これは,囲郭建設に際して,強風から囲壁の破壊を防ぐことが意識されていたことを示唆する.同様の状況はK710囲郭でも明瞭であり,著しく囲壁の破壊が進行したK688囲郭でも確認される.これらのことから,漢代の黒河下流域では,一辺が120m前後の方形に近い囲郭建設に際して,強風方向が配慮された可能性が強く示唆される.  漢代の120m前後の方形囲郭建設で,強風方向が配慮されたとすれば,同じ乾燥地域であるタリム盆地楼蘭地区のLE遺跡も漢代の建設である可能性が浮上する.このことは,LE遺跡が文書にある「伊循城」である可能性を否定するものではない. 3.蜂の巣パターン遺跡 緑城南方約1km付近の泥質の平坦地には,水路跡を挟み50mほど隔たった2件の西夏住居址東側に,東西約85m,南北約40mの範囲に蜂の巣状土地パターン(蜂の巣パターン遺跡)が認められる.そのパターンは,元代に積極的に推奨された王禎『農書』区田図の坎種法(井黒,2007)に類似し,区田法施行地の可能性が示唆される.しかし,「目」の規模が1-5mとやや大きく,凹凸が逆の部分も存在することから,この遺跡を「擬似区田法」施行地とする.「擬似区田法」であれ,「区田法」に関連する遺跡の報告は初めてである.また,当地では,元代に先立ち,既に西夏で区田法が実施されたことなども判明した.  本研究は,平成20年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)(海外)(19251009)「高解像度衛星データによる古灌漑水路・耕地跡の復元とその系譜の類型化」(代表:相馬秀廣)による研究成果の一部である.
  • 朴 秀京
    セッションID: 501
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    Telemedicine is the use of telecommunications to support professional advice to low-level health facilities and share the patient’s medical records among medical institutions for stable regional health care. K-MIX (Kagawa Medical Internet eXchange) is one of the representative telemedicine methods in Japan and has been skillfully devised in Kagawa prefecture since 2003. To date, there has been minimal research regarding Japanese telemedicine (Takano, 1995; Mihara, 2004; Park, 2008) from geographical and research on geographical characteristics of telemedicine is still in its early stage. Therefore, the purpose of this discussion is to describe how telemedicine is carried on by telemedicine suppliers and demanders and how telemedicine mechanism influences geographical characteristics through a case of Kagawa prefecture. K-MIX is organized by telemedicine suppliers, telemedicine demanders, Kagawa prefecture government, Kagawa medical association and data center (refer to figure 1), and its characters and conducts are influenced by each objective’s role and complementary cooperation. For this discussion, my attention is directed to 1) K-MIX’s formation process and its networks 2) influence to users 3) ripple effects using GIS, survey and interview. By and large, general hospitals in Kagawa prefecture take a role for telemedicine suppliers and other subordinate medical facilities as telemedicine demanders refer high-dimensional diagnosis or medical treatment to telemedicine suppliers through K-MIX. In addition, Kagawa prefecture government and Kagawa medical association are functioning as mediators for stable telemedicine management, and especially data center performs the administration and control of patients’ data securely. Above all things, their relations are closely connected with each other and some major innovators are leading the development of K-MIX for regional medical service. Fundamentally, telemedicine suppliers and demanders of K-MIX are distributed within Kagawa prefecture. On the whole, telemedicine suppliers are agglomerated in major cities in Kagawa prefecture, e.g., Takamatsu city, and telemedicine demanders are scattered widely through all regions as compared with telemedicine suppliers (refer to figure 2). Excepting for a case of Kagawa university hospital, each telemedicine network is based on each unit of city or town. Each network is influenced by existing diagnostic relations between suppliers and demanders, accessibility and utilization for patients and stable regional health care, and necessities of medical staffs. Some outlying medical institutions are related with telemedicine suppliers in Kagawa prefecture through K-MIX and new venture capitals associated with medical service come out in Kagawa prefecture nowadays. Even though telemedicine is operated on cyberspace, telemedicine in Japan is influenced by off-line circumstances and backgrounds for stable health care.
  • 岩間 信之, 田中 耕市, 佐々木 緑, 駒木 伸比古, 斎藤 幸生
    セッションID: 502
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の背景
    本研究の目的は,過疎化の著しい中山間集落における高齢者世帯の生活環境の実態と,問題解決に向けた取り組みを検討することにある.2008年4月時点において,過疎地域に指定される市町村数は,全国で732にのぼる(国土交通省).過疎地域では,低密度・無住化区域の急速な拡大に伴う社会的サービスの減少や,地域資源の衰退など,様々な問題が顕在化している.また,高齢化の著しい過疎地域では,農業の完全放棄や集落の消滅も現実問題となっている.
    報告者グループはこれまで,日本の地方都市で顕在化しているフードデザート(Food Deserts : FDs)問題を調査してきた.FDsとは,生鮮食料品の入手が困難な地域を意味する.具体的には,自家用車や公共交通機関を利用できないいわゆる社会的弱者が集住し,かつ生鮮食料品へのアクセスが極端に悪い地域が該当する.スーパーストアの郊外進出が顕在化したイギリスでは,1970-90年代半ばに,inner-city / suburban estateに立地する中小食料品店やショッピングセンターの倒産が相次いだ.その結果,郊外のスーパーストアに通えないダウンタウンの貧困層は,都心に残存する,値段が高く,かつ野菜やフルーツなどの生鮮品の品揃えが極端に悪い雑貨店での買い物を強いられている.彼らの貧しい食糧事情が,ガンなどの疾患の発生率増加の主要因であると指摘する研究報告も多い. FDsは,社会的排除(Social exclusion)議論も含めて,大きな社会問題である.
    FDs問題は,人口高齢化と中心商店街の空洞化の進む日本でも顕著である.一方,近年では過疎化の進む中山間地域の農村集落でも,FDsに類似する問題の発生が確認される.農村は元来食糧生産地であるため,市街地と比べて生鮮食料品店が極端に少ない.そのため,農家が食料生産を断念して消費者に転じた場合,極端な食糧不足に陥りやすい.なかでも交通アクセスが悪く,かつ人口の過疎化と高齢化の進む中山間集落では,食糧不足問題は深刻な状況にある.

    2. 研究対象地域の概要
    研究対象地域は,茨城県日立市中里地区である.中里地区は,市街地から車で1時間ほどの距離に位置する阿武隈山系内の中山間集落である.山間部に広がる中里地区には小集落が点在し,入四間,中深萩,下深萩,東河内という4つの行政区を形成している.入四間は日立製作所の親会社であった日立鉱山(現ジャパンエナジー)発祥の地としても知られる.2008年9月現在,中里地区の人口は569戸1,378人,65歳以上高齢化率は38.2%である.入四間や中深萩,下深萩では高齢化率が50%近くに達しており,高齢化が著しい.中里地区は,稲作と観光農園を中心とした農村地域であるが,過疎化・高齢化の進む近年では農業生産高の減少が顕著である.また,店舗や公共施設の撤退も目立つ.現在,当該地域内に位置する生活関連施設は,生鮮品店1店,診療所1件,農協1件,郵便局1件,市役所支所1件のみである.バス路線も減少しており,日立市街地および隣接する常陸太田市へ向う2路線が1日数本運行される程度である.

    3. 中山間地域における高齢者の生活環境
    中里地区では現在,単身・夫婦高齢者世帯が急増している.住民の大半は自給自足を中心とした食生活を送ってきたが,近年では高齢化により離農する農家も目立つ.自家用車を利用できない高齢者世帯は,市街地に住む子供世帯が週末毎に送ってくる生鮮食料品や,週に1回集落を訪れる移動式スーパーに食料品の大半を依存せざるを得ない状態にある.高齢者世帯数軒のみで構成される山間部の小集落も多く,こうした集落の生活環境はより深刻である.今回の報告では,2008年11~1月にかけて実施したアンケートおよび聞き取り調査の結果を中心に,過疎化の進む中山間集落の現状を検討する.

    主要文献

    岩間信之.2008.日英の地方都市における中心商店街の景観とフードデザート問題-孤立するインナーエリアの高齢者たち-.地理月報,503,1-4 .
    国土交通省.2008.国土形成計画における過疎地域・集落問題等の位置づけ http://www.soumu.go.jp/c-gyousei/2001/kaso/pdf/kasokon20_03_02_s2.pdf
    田中耕市.2001.個人属性別にみたアクセシビリティに基づく生活利便性評価.地理学評論,74: 264-286.
  • 尾方 隆幸
    セッションID: 503
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    1. 目的と方法
     京都盆地北部に現存する164の日本庭園をリストアップし,それぞれの庭園について,位置情報(緯度・経度・標高)と属性情報(成立年代・庭園様式)を付与した.位置情報はGIS(Arc GIS ver. 9.2)を用いてポイント属性を持つシェイプファイルに変換し,属性情報ごとに地図化した.本発表ではこれらの地図データを提示し,庭園の時代的な分布の変遷と,それに関わる自然地理的な条件を考察する.

    2. 対象地域
     京都盆地北部は,主に鴨川水系が形成した複合扇状地と桂川が形成した氾濫原によって構成される.盆地の基盤は丹波層群で,その上位に河成の砂礫層と海成の粘土層の互層からなる第四紀更新世の大阪層群が堆積し,表層は沖積堆積物によって覆われている.扇状地の堆積物は豊富な地下水を滞留させているが,旧河道と自然堤防からなる氾濫原には低湿地が広がる.
     明治期に完成した琵琶湖疏水は,京都盆地の水環境を大きく変えた.琵琶湖から引かれた疏水は山科盆地の北縁を経由し,蹴上で京都盆地に入る.蹴上からは西に向かって鴨川に合流する.蹴上で分岐する疏水分線は,北方に迂回して堀川に合流し,やがて鴨川に合流する.

    3. 結果
     リストアップされた164の庭園のうち,地表水のある庭園(主に池泉庭園:以下「池泉型」)が82,地表水のない庭園(主に枯山水庭園・露地:以下「枯山水型」)が82であった.築造された時代別にみると,桃山時代以前が45,江戸時代が78,明治・大正時代が18,昭和時代以後が23であった.時代ごとに,盛んに造られた庭園様式や庭園周辺の立地環境(特に水環境)に特徴が認められる.
     桃山期以前の45の庭園のうち,「池泉型」は20,「枯山水型」は25であった.平安~鎌倉期に築造された16の庭園のうち13が「池泉型」であったのに対し,室町~桃山期に築造された29の庭園では22が「枯山水型」であった.これは,寝殿造庭園が主体であった平安~鎌倉期と,禅宗寺院で枯山水が流行した室町~桃山期の時代背景を反映したものであろう.
     江戸期の78の庭園のうち,「池泉型」は35,「枯山水型」は43であった.「池泉型」のうち23は東山丘陵の山麓に分布している.この時代の「池泉型」は宮廷や離宮に作られたものも少なくない.「枯山水型」は,室町~桃山期に引き続いて寺院の塔頭に造られたものが多い.
     明治・大正期の18の庭園では「池泉型」が17に及び,このうち14が琵琶湖疏水沿い(特に蹴上付近)に集中している.疏水は庭園への導水のみではなく,庭石の搬入の点でも大きな役割を果たすことになった.一方,昭和期以後の23の庭園では,「池泉型」が10,「枯山水型」が13であった.この時代には塔頭での枯山水の築造が再び盛んになったことがわかる.
     庭園の立地環境,特に水環境について整理すると以下のようになる.桂川の氾濫原には庭園は少なく,庭園のほとんどは鴨川水系の扇状地面に分布する.扇状地面には扇頂・扇央・扇端を問わず広範囲に庭園が分布しているが,庭園様式ごとにみると,地下水面の深いところに「枯山水型」が多く,地下水面の浅いところに「池泉型」が多い.また,東山丘陵の山麓の湧水帯には「池泉型」が集中的に分布する.それらのうち,江戸時代以前に造られた庭園は自然に湧出する水を利用したものが多く,明治時代以後に造られた庭園のほとんどは琵琶湖疏水を利用したものである.京都盆地北部の庭園分布は,自然的にも人為的にも,水文条件の影響を強く受けている.
  • 中山 絵美子
    セッションID: 504
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     本稿では、長野県飯山市において積雪を解消するために使用されている融雪池「タネ」の利用実態を明らかにし、環境への適応様式として形づくられてきた過程を、気候景観の観点から考察する。それとともに、飯山市で「タネ」を利用してきた住民のライフ・ヒストリーから、多雪という場所性をもつ土地で、人々がいかにして生活を営んできたかをとらえ、その生活に内包された気候的要因を考察することを目的とした。「タネ」は飯山市において、水が豊富な山麓部に多く分布し、家屋周囲の融雪に使用されているが、家庭用除雪機の普及によってその数は、戦前に比べて減少している。しかし現在でも「タネ」は、屋根から雪が落下する位置や玄関周りなどに設けられ、限られた空間で効率よく積雪を解消できるように屋敷地が形成されている。また、農作業の開始時期を遅らせないよう、立春を過ぎた頃から田畑の除雪作業に取りかかるために、降雪のたびに家屋周囲の雪を消しておくなど、「タネ」には消雪の時期を調節する機能がみられた。雪へのこれらの対応からは、住民の、自然を知ろうと努め、人間活動に役立てようという姿勢がうかがえる。降雪という気象現象が、毎年同じ時期に同様にもたらされ、人間活動に影響のある「気候」であるために、住民の対応によって家屋形態や、「タネ」を設けた屋敷地の構造などの「気候景観」として、顕在化していた。ライフ・ヒストリーの分析からは、多雪という困難を乗り越えながら生をつむいできた住民の姿が浮かび上がってきた。住民は、自分たちの暮らす地域が「多雪」であるという場所の特性を認知しており、そこで生きてきたことが彼らの自負になっている。冬支度として「タネ」を整備し、除雪をするという、多雪に対処する姿勢や日々の営みが、その場所で生きる人びとのアイデンティティーの源泉となっていた。
  • 工藤 邦史, 杉村 政徳
    セッションID: 505
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    島畑は一筆の水田の内部に島状に畑地としている様から、そう呼ばれる農業景観である。「刎畑」(はねばた)の別名や、「掘下田」あるいは「半田」とも呼ばれる。いずれにしても、水田と畑地の並存景観という点が特筆される。従来の、柳田国男の稲作指向や、対する坪井洋文の畑作指向の議論では説明することの出来ない形態である。島畑の最も古い成立時期の可能性として、金田(1974)では鎌倉期に遡ることを指摘している。また、江戸期の様々な絵図に描かれ、当時の人々に広く認知されるものとして存在していたことが示されている。かつて竹内(1967)によって、島畑の全国各地の分布が考察された。ところが以降長年にわたり、島畑の現状を捉えた研究はない。また、島畑そのものへのアプローチも、成立経緯の研究事例がわずかにあるだけである。さらに、「景観」に対する観光や文化、歴史的価値を強調するような流れとは無縁であり、同じ農業景観でありながら研究の盛んな、棚田とは状況を異にする。しかし前述のように、島畑の景観および歴史的価値は非常に高く、現状について調査・検討する必要がある。そこで現代においてなお、島畑景観を残す愛知県一宮市三ツ井での調査結果を報告する。島畑は、かつては対象地域のみならず、広く尾張平野に分布していたことが溝口(2002)によって指摘されている。広範に存在していた島畑が消滅していった原因として、第一に灌漑・圃場整備がある。元来島畑の形成は、水利不利条件の克服ためであり、灌漑・圃場整備が進むにつれ島畑は必要がなくなったのである。次の原因として、農耕の機械化がある。農耕を機械化する際、島畑のように水田と畑地が複雑に入り組んだ耕作地形状より、水田・畑地がそれぞれまとまった面積をもつほうが生産効率的に有利である。一方、対象地域に島畑が残っているのは、市街化調整区域に属し、圃場整備や宅地化から免れたこと、また土地所有が小口であり、農地以外への転用の意思決定の足並みが揃わないことに原因がある。現地の聞き取りから、多くの農家が自給目的で多品種少量生産を行なっていることが明らかになった。このような生産形態から、作物には農薬をほとんど使用していない。これは食の安全性の観点のみならず、生態系保全の場としても、島畑の重要性は極めて高い。加えて名古屋という大消費地に近接している点においても、歴史的な農業景観の側面のみに留まらず、農産物供給の場としての価値が潜在的にある。しかし米や一部の野菜は出荷している事例がある一方、現状では既に放棄されて荒地化した島畑も存在する。耕作者の減少や、対象地域では道路整備の予定もあり、島畑の存続は危うい状況に置かれている。島畑は、近年の棚田オーナー制度やアグリツーリズムのような動きとは無縁の状況下で、その形態を長年に亘って継承してきた稀有な農業景観である。しかしながら、とりまく状況は安泰とは程遠く、今後いつ消滅してもおかしくはない。島畑の現況をきちんと把握し、記録に残すことも、農業史・農業景観の観点から極めて重要である。
  • 岡橋 秀典
    セッションID: 506
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    _I_.はじめに  近年の農村、特に中山間地域では、地域振興に新たな動きがみられる(岡橋、2008)。一つは自然や文化を含む多様な地域資源を活用し、産業融合的に地域経済の振興を図る動き、二つは、行政主導ではなく、民間の多様なアクターのネットワークが主導する動きである。本研究では、このような特徴を示す事例として、田園空間博物館による地域づくりを取り上げ、その地域振興上の特徴と意義を検討する。対象とするのは、NPOによる住民主導の運営で成果をあげる兵庫県の北はりま田園空間博物館であり、ルーラル・ガバナンス(農村協治)の意義を示す好例と言える。 _II_.田園空間博物館の展開  田園空間博物館は、農林水産省の補助事業である田園空間整備事業によって整備されてきた。平成10年度に着手され、平成20年度までに全国57地区で事業が実施された。未だ点的ではあるものの全国的な広がりをみせている。同事業における田園空間博物館とは、農村にある景観、自然、伝統、文化などの様々な魅力ある事物を博物館の展示物に見立て、農村地域を一つの「屋根のない博物館」として保全活用する取り組みである。これは、1960年代末にフランスで発案され、その後世界的に知られるようになったエコミュージアムの考え方に近い。確かに、導入・案内を担当する「コア施設」、地域資源を活用した「展示施設」(サテライト)、そしてそれらを結ぶ「散策道」という構成には、明らかにその影響が認められる。そして、このような整備のコンセプトは、上述した今日の農村地域振興の動きにも合致している。 _III_.北はりま田園空間博物館による地域づくり  北はりま田園空間博物館は、平成10年度に上記事業に採択され、平成15年度までに総額13億円の投資が行われた。他地域と同様、用水路、集落道などの諸施設が整備された。このようにハードウェア事業が重要な位置を占めるが、それが地域振興に資するかどうかは、その後の運営のあり方にかかっている。  北はりま田園空間博物館では、「コア施設」は道の駅の一角に設けられている。そこでは、案内機能とともに、特産品の開発・販売にも力が入れられている。さらに206に及ぶ多数の「サテライト」があり、これにより地域全体に効果が波及するように工夫されている。このような形で地域経済の振興を図り、博物館も事業収入を確保することで、行政依存でない運営が可能となっている。もちろん、このような活動内容は本来のエコミュージアムにはほど遠いが、地域振興という点では大きな成功を収めている。それを可能としたのは、運営を担うNPO法人の設立であった。 _IV_.北はりま田園空間博物館にみるルーラル・ガバナンス  全国的にみると田園空間博物館の設置・運営は行政主導で行われているものが多い。そうした中で本事例が住民主導を実現したのは、まず、事業主体の兵庫県(特に北播磨県民局)が初期から住民への啓蒙普及に注力し、充職(あてしょく)による住民の動員ではなく、自主的な住民参加を呼びかけたことが大きい。その結果、地元のボランティアグループの参加が得られ、住民が博物館づくりのテーマや視点を自分で考えるようになり、そこから北はりま型というべき独自の活動が生まれた。このような活動に持続的な基盤を与えたのが平成14年のNPO法人設立であった。このNPOは人材面でも恵まれているが、それにはこの地域の中心都市である西脇市の存在も大きいように思われる。 _V_.結び  田園空間博物館は地域の自然や文化など多様な資源を発掘し活用する点で、農村地域振興に資する可能性をもつ。しかし、その成果の如何は、事業終了後の運営のあり方にかかっている。多くの他の事例が行政主導の性格を有する中で、本事例はNPOが運営の核となり多くの成果をあげてきた。今後の農村地域振興においては、従来型の行政主導であるルーラル・ガバメント(農村統治)から、公民パートナーシップによるルーラル・ガバナンス(農村協治)への移行が重要なポイントとなるように思われる。 文献  岡橋秀典(2008)知識経済化時代における中山間地域の新展開-東広島市福富町竹仁地区の事例を中心として-、地理科学63、194-204.
  • 神田 竜也
    セッションID: 507
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     本研究では、島根県邑南町須摩谷を事例として、農林地の集落型放牧利用(放牧組合と集落営農組織)の存在意義と可能性を明らかにすることを目的とした。  須摩谷集落では、集落営農による水田耕作と農林地での放牧利用(粗放管理)によって、農林地の一体的な管理がなされている。補助飼料としての青刈り稲の導入は、転作対策、収穫期の労働配分、稲作と作業工程が類似している点が効果的であった。放牧を開始するための設備投資・維持には、その資金を集落協定や他の補助事業でまかなうことができる。したがって、当集落では助成の受け皿を当初は放牧組合が果たし、これを組織内で運用することにつなげた。須摩谷の集落型放牧では、放牧開始の4年後ぐらいから子牛の収益をのぞむことができる水準となっている。今後は、設備投資等のコスト削減を図りながら、飼養管理にも利益の一部を配分できるような経営を追求していくことが求められる。増頭を見込む場合、放牧牛を放牧環境と放牧密度の点から2ヶ所以上に分けて実施する、または隣接集落との提携において放牧地を拡大し、放牧管理の一部を代行してもらうことなどが考えられる。  本事例における農林地の放牧導入は、獣害対策にもつながる農業継続環境の整備、農林地管理の性格が強いといえる。「集落を守る」、「農地維持」としての性格を有する集落営農では、放牧利用が耕作放棄地も含めた農林地管理に有効であろう。
  • 松尾 忠直
    セッションID: 508
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1. はじめに
     生シイタケの栽培方法は、長らく原木栽培が主流であったが、1990年代以降、80年代に確立された菌床栽培が急速に普及した。国内生産量のうち、1993年には原木栽培が74%、菌床栽培が26%であったが、2000年には菌床栽培が原木栽培を上回るようになり、2007年には原木栽培が24%、菌床栽培が76%となっている。
     国内の産地を栽培方法で類型化すると、2007年に菌床栽培の割合が50%を超えた道県は29である。原木栽培が50%を超えた都府県は18であるが、その数は年々減少し続けている。原木栽培は、零細経営の農家が多く、特に農山村における貴重な現金収入源としての性格が強かった。しかし、近年は大規模化や企業化が容易な菌床栽培の普及によって生シイタケ栽培の生産構造が変化し、原木栽培で生産を続けることは難しくなっている。しかし、里山の保全や森林資源の有効活用の面からみても、原木栽培の果たす意義は大きい。
     そこで本発表では、現在でも原木栽培が盛んな産地における生産者の取り組みを明らかにし、原木栽培による産地がどのように生産構造の変化に対応しているのかを考察する。対象地域は原木栽培が盛んな茨城県つくば市とする。茨城県の生シイタケ栽培については、森本・仁平ほか(1998)によって常陸太田市の産地事例が報告されているが、原木栽培が県内で選択され続けている要因などについては明らかにされていない。
     
    2. 栽培動向
     茨城県は国内の産地動向とは異なり、原木栽培から菌床栽培への移行があまり進んでいない地域である。茨城県の2007年の生シイタケ生産量は2,449t(原木栽培73%、菌床栽培27%)で全国第10位である。一般的に原木栽培は、菌床栽培に比べて労働投下時間や生産規模の面から不利といわれているが、茨城県では原木栽培が続けられている。
     市町村別の生シイタケ生産量をみると、1970年に生シイタケの生産量が多かったのは、八郷町(190t)、玉里村(135t)であった。県全体では1970年から1980年にかけて、産地の規模拡大が進んだ。その結果、北浦村(304t)、七会村(275.7t)、真壁町(249.5t)、八郷町(245.8t)、鉾田町(178t)などで生産量が増加し、県内でも有数の産地となった。1980年から1990年にかけては、八郷町(425t)の生産量が急増した。また、市町村合併を伴ってはいるが、つくば市(283.2t)の生産量は県内第2位の規模である。1990年から2000年にかけては、つくば市(445.63t)と鉾田町(313.6t)の生産量が著しく増加した。一方、八郷町(188.53t)などでは生産量が減少し、生産量が増加した産地と減少した産地が明確に分かれた。
     
    3. 原木栽培による生産者の大規模化
     生産量の増加が著しいつくば市の中でも、特に谷田部地区には、大規模生産者が4名おり、いずれもJAつくば市谷田部の産直部会に所属している。その部会では、P生協との直接取引を行っている。同生協は店舗での販売はせずに、首都圏の顧客へ商品を個別配送している。部会と同生協との取引は、生シイタケの栽培で中心的な人物であるA氏の尽力によって始まった。同生協との取引量が増加する中で、生シイタケの生産者は従業員を雇用することによって原木栽培の規模拡大を図っている。例えば企業化しているA氏の生産量は120t(2006年)で、年植ホダ木数は20万本(2008年)に達している。
     
    4. まとめ
     産直部会に参加する生産者が生産量を増加させ、さらには原木栽培を維持し続けることができるのは、P生協との直接取引を重視し、その要求に応えるために経営資源を注いできたからである。さらに、同生協とのつながりが維持され、取引量が増加している背景には、社会的な話題となっている「食の安心・安全問題」がある。同生協の販売システムは、生産から流通までの過程が明確で、必要な量を必要な時に個別配送してくれるため、一部の消費者にとって非常に魅力的である。このような社会的な背景が同生協の利用者を増加させ、それが原木栽培による生産者の経営を安定化させる要因となっている。原木栽培は、無農薬、無化学肥料である上、自然に近い栽培方法のため、安心・安全な商品を提供したい同生協にとって、その点を消費者へアピールすることが可能であった。こうした食の安心・安全問題が産地を存続させる結果となっている。
     
    参考文献
    森本健弘・仁平尊明・松本至巨・有馬昌英・小松直子・山下琢巳1998. 常陸太田市の近郊山村における生活形態とその変容―上大門地区を例としてー.地域調査報告 20: 165-206.
  • 植村 円香
    セッションID: 509
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     前回の日本地理学会秋季学術大会において,東京都利島村の椿生産を事例に,生産者が世代ごとに異なる経営形態を示すことを明らかにしたが,その理由を説明するには至らなかった.今回の発表では,椿生産者を71歳以上,61歳から70歳,51歳から60歳に類型化し,世代ごとに椿生産が世帯内の他の産業や他の農産物の中でいかに維持されてきたのかを明らかにする.さらに椿生産と都府県の稲作の労働時間や収益などを比較し,縁辺地域における農業の可能性を検討する.
     高齢者の中でも,年齢によって経営形態は異なり,より高齢となるほど椿生産が拡大し,粗収入も高い傾向が見られる.世代によって経営形態が異なる理由として,地域内の他の椿生産者の撤退のタイミングが挙げられる.2000年前後の多くの椿生産者の撤退が,71歳以上の椿生産者の生産拡大を可能にしたものの,61歳から70歳の世代では,離島という土地制約条件から,椿山を拡大できず,農業の多角化へ進んだ.また,他地域の稲作との比較から,椿生産は高齢者の生きがいとしての可能性だけでなく,労働時間が少なく,より収益を上げることができることから,地域の経済を支える一産業として位置づけることができよう.
     以上より,縁辺地域などアクセスに不利な地域において,産業としての農業の可能性を見出せることが明らかになった.高齢者が年金と組み合わせながら,ある程度高齢になっても作業が可能で,腐りにくい作物を模索することが今後の縁辺地域の農業において必要であると考えられる.
  • 亀田 周
    セッションID: 510
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.研究の目的
     本稿はグローバル化の中で急速に変容する大豆加工メーカーの原料調達システムについて,納豆メーカーの原料調達を事例として,特に交付金対象大豆の取引形態の変化に着目し考察した.
     大豆は,加工食品の原料農産物として小麦と並んで重要な品目であり,また営農上も稲,麦と並ぶ土地利用型作物として水田営農や畑輪作体系の確立を図る上で欠くことのできない作物となっている.しかしながら1960年頃より輸入大豆が増大したこと,1970年代よりコメの減反政策の影響を受け,国内生産量は減少を続け,自給率は2005年時点でわずか5%である.その結果,大豆加工メーカーは外国産大豆を使用している割合が高い.
     1960年代より急速に進んだ大豆加工メーカーの国産大豆離れの要因としては,輸入大豆価格の安さもさることながら,国産大豆生産の不安定さによる,質,量ともに実需者ニーズに合致した大豆生産ができていないという点によるものが大きい.この生産者が実需者ニーズを把握しづらい要因としては,大豆が生産者から実需者に渡るまでの複雑な流通経路によるところが大きい.
     この大豆の流通経路を,納豆メーカーの事例から細かく検証していき,川上の生産者から川下の実需者である納豆メーカーまでの一連の流れの中で,原料調達システムの現状の問題点を中心に考察する.さらに,流通経路上の各アクターの役割を調査し,この流通構造全体の問題点を明らかにする.
    2. 大豆の流通システム
     現在の国産大豆の流通システムは大きく分けて,「丸1」交付金対象外の地場流通,自己消費が主なものと,「丸2」交付金対象となり市場に流通するものの2通りがある.現状では,後者の交付金対象大豆が,国産大豆原料調達システムの本筋である.交付金対象大豆の流通ルートは1999年産まで入札取引のみだったものが,2000年産よりあらたに相対取引,契約栽培が付け加えられた.なお,交付金対象大豆として流通しているものが2007年産の場合全数量の4分の3となっている.
    3. 結果の概要
     2000年産より大豆加工メーカーの原料調達方法が多様化した結果,多少高い値段でも高品質な大豆を必要量確保しようという動きから,全体的に契約栽培による販売数量が増加基調にある.
     調査した納豆メーカーも,主力商品である北海道産スズマル大豆の場合,3分の2を契約栽培により確保している.この契約栽培での安定的な原料調達のために,問屋とともに生産地へ行き,農協,産地問屋とネットワークを構築し,情報を交換・共有し合い良質な大豆の確保に努めていた.問屋は産地,加工メーカー双方に顔が広く産地とメーカーを結ぶ調整役となり,需給のミスマッチの解消機能を果たしていた.
     ただし大豆における契約栽培は,播種前契約が前提で,契約条項は作付面積のみで,価格は入札取引の結果と連動し,数量は収穫時の実績を基準とする.そのため契約時に数量も価格も確定されず,契約栽培のメリットはそれほど大きくないのが現状である.
  • 大石 貴之
    セッションID: 511
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに
     現在,日本国内においては産地偽装や輸入食材の安全性など農産物に対する様々な問題が顕在化している.これらの諸問題は農産物流通の不透明性に起因するところが大きく,生産者から消費者に至るまでの農産物流通を再検討する必要性が生じている.しかしながら,食品流通全体の把握を一度に行うことは難しく,生産者と消費者,生産者と加工業者など2者間の関係について焦点が当てられてきた.特に後者については,加工農産物の生産者と食品加工企業を例に挙げ,企業の農家に対する垂直的関係が指摘されている.
     生産者と加工業者の関係性に関する研究は,加工業者である企業の側から進められることが多く,生産者側からの考察が不足している.また,両者をつなぐ「取引」関係そのものに焦点を当てられた研究は少なく,生産者が加工業者に原料を供給する際,両者の間にみられる取引関係を明らかにすることは,農産物流通を考察する上で重要な視点であると考えられる.
     そこで本研究では,茶を取り上げ,特に一次加工品である荒茶の流通構造を通じて,生産者と企業間の取引関係がいかに構築され,それが荒茶の供給構造にどのような影響を与えているのかを明らかにすることを目的とする.

    2.研究対象地域と荒茶生産の特性
     研究対象地域である静岡県牧之原市東萩間地区は,静岡県における茶生産の中心地である,牧之原台地のほぼ中央に位置し,2008年現在で18の荒茶生産者が存在する.荒茶生産者は,その経営形態,特に荒茶の原料となる生葉の収集形態から,複数の生葉生産者が共同でひとつの荒茶工場を経営する「共同製茶工場」,自家で所有する茶園にて生葉生産を行い,それを原料として荒茶製造を個人で行う「自園自製農家」,自園で生産される生葉に加えて他の生葉生産農家から原料を購入して荒茶製造を行う「自園買葉農家」の3つに分類される.
     これら3類型は,それぞれに以下のような取引形態を有していた.共同製茶工場では荒茶生産量が多いために,取引関係にある茶商も多く,中でも取引関係が長時間にわたって続いている茶商や,荒茶生産者が重要な販売先とみている茶商とは,直接的な取引を行うことが多い.その一方で,残りの数多くの茶商に対しては,生産者に代わって茶商と荒茶の取引量や金額を交渉する「斡旋業者」を介しての出荷が主に行われ,一部では農協共販を利用した出荷もあった.自園自製農家では,生産量が少なく,農家の多くが1社の茶商と直接的な取引を行っていた.自園買葉農家では,荒茶生産量の半分を買葉によってまかなうなど荒茶生産量が比較的多い.直接的な取引はみられず,斡旋業者や農協共販を介した取引のみであった.なお農協共販を利用した取引とは,農協が斡旋業者と同じく荒茶生産者に代わって荒茶取引を代行する他,農協が経営する工場にて仕上げ茶の加工を行って小売店にて販売するという形態を指す.

    3.取引関係からみた荒茶供給構造
     直接的な取引では,茶商との取引関係構築にあたって,荒茶生産者の親戚や知人の紹介を契機としている場合が多かった.親戚や知人の紹介によって構築された関係では,荒茶生産者と茶商の交渉や情報交換が頻繁に行われ,両者の信頼関係が構築されるとともに,荒茶生産者は質のよい荒茶を生産しようとする強い意識がみられた.また,生産者との交渉や情報交換を密に行うために,両者が空間的に近接していることが重要であることがわかった. 一方で,斡旋業者や農協共販を介した取引は,関係構築の契機として斡旋業者から紹介される場合が多かった.この第三者を介した取引関係では,両者の信頼関係を構築することが難しく,斡旋業等を介した取引では,荒茶生産者は質よりも量を重視している傾向がみられた.すなわち,斡旋業者は多量の荒茶を茶商に売り分ける調整役として存在していることが明らかとなった.また,斡旋業者等を介した取引は,遠距離の茶商との交渉や情報交換を可能にし,共同製茶工場や自園買葉農家では遠距離の茶商との取引関係を主としていることも明らかとなった.
     荒茶生産者の経営形態別に荒茶の供給構造を整理すると,共同製茶工場は様々な取引形態を有し,空間的に近接した茶商と,質を重視した直接的な取引を行っていた.その一方で,空間的に遠隔地にある茶商も多く,量を重視し,斡旋業者などの第三者を介した取引を行っていた.自園買葉農家は直接的な取引を行わず,質よりも量を重視した荒茶生産を行っていた.自園自製農家は空間的に近接した茶商と質を重視した直接的な取引を行っていた.以上のように茶業地域では,取引関係を構築する過程の違いから異なる取引関係が形成され,荒茶生産の質や取引関係にある茶商との空間的な関係にも違いが生じていることが明らかとなった.
  • 今野 絵奈
    セッションID: 512
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに
     家畜排せつ物処理は地域住民の苦情対策が主目的で,堆肥を生産して循環させるという意図は副次的であった.環境三法の施行後,副産物は物々交換から金銭取引へ移行しつつあり,静脈部門として発展してきた.農業における静脈部門には,第1に畜産農家の経済的負担,第2に排せつ物処理施設の運営の継続性,第3に原料収集地と副産物還元地の空間的範囲バランスの問題がある.本研究では,畜産業における静脈部門の形成と3つの課題を明らかにし,地域資源循環をするための経済システムを考察する.研究対象地域は,宮城県内で米生産及び畜産業が盛んな仙北地域とした.農家が個別あるいは複数の農家で排せつ物処理の対応を図っている宮城県大崎地域と,自治体,農協,農家,地域住民が一丸となって,環境保全型農業に取り組み,1つの市域に有機センターを7施設設置し,行政主体で静脈産業の形成を図っている宮城県登米市を取り上げ,両者の静脈部門の経済システムを比較する.
    2.家畜排せつ物処理における農家の経済的負担
     個別処理施設は,堆肥舎や堆肥盤といった簡易的なもので,設置には200~4,500万円の初期投資がかかる.農家主体の共同処理施設や行政主体の共同処理施設は,自動撹拌する機械を備えた施設であり,初期投資額は,前者が8,000万~1億4,500万円,後者が5.5~10億円となっている.初期投資に占める公的補助金額の割合は,個別処理は0~60%,農家主体の共同処理は90%,行政主体の共同処理は100%となっている.
    3.家畜排せつ物処理施設の運営の継続性
     農家主体で排せつ物処理を行っている場合,個別,共同処理ともに施設使用料金は300~1,000円,堆肥販売価格は1,000~1,500円となっている.個別処理では,自家施設で排せつ物を処理するため,施設使用料金は発生しない.個別処理の場合,支出の50%以上を水道・光熱費,資材費が占めているが,共同処理の場合,支出の60%以上を減価償却費が占めている.
     行政主体で施設運営行っている場合,市域内で価格差が生じると,農家は少しでも価格の低い施設を利用するようになり,施設利用の偏りが発生すると考えられるため,施設使用料金は600円,堆肥販売価格は3,150円と一律の価格になっている.両価格は,農家主体の処理施設より高額になっており,支出の60%以上を減価償却費が占めている.
     静脈部門での支出を同部門の収入で相殺するならば,施設使用料金と堆肥の販売価格を現在の価格より高額にする必要があるが,そうすると化学肥料よりも高額となり,堆肥の需要が低下し,堆肥の在庫余剰が懸念される.その結果,静脈部門において支出より収入を高額にする方策を見つけることが難しい.
    4.原料収集地と副産物還元地の空間的範囲
     農家主体の場合,原料を自家,及び近隣農家から収集しているため,数m~8km圏内と狭域であるが,堆肥は地域外まで流通しているため,20~30km圏内と広域となっている.一方,行政主体の場合,原料を地域内で収集,また地域内で堆肥を消費する仕組みを作っており,原料収集地と堆肥の流通範囲はほぼ同範囲となっている.施設によっては,地域外に流通しているところもあり,20km圏内と広域に流通しているところもあるが,地域外へ販売している量を含めると,農家主体の方が広域な範囲で堆肥の流通が行われている.さらに,原料と副産物を地域内で流通・消費させるためには,自治体や農協の協力が不可欠だと考えられる.
    5.まとめ
     JAみやぎ登米(津山地区を除く)管内では,1997年から「売れる米づくり」を開始し,1998年から環境保全米を本格的に導入し,現在の作付は登米市の水田の80%ほどである.その結果,堆肥の需要が高まり,有機センターで生産される堆肥の販売先が確保された.また,堆肥利用を促すために「登米ブランド」を設立した.
     一方,大崎地域も登米市と同様に穀倉地帯であるが,環境保全米の栽培導入は遅れている.JAみどりの管内では,農家を中心とした組織を作り,田尻地区で1988年から取り組まれているが,田尻地区と古川地区と地域の一部に限られ,環境保全米の作付割合は16%(2007年度)にとどまっている.このように両地域での取り組みの差異は,地域の耕種農業のあり方が家畜排せつ物処理の形態に大きな影響を与えている.
     農家の個別対応ではなく,自治体や農協を主体とすることで,新たな堆肥の販売先の確保が容易であり,農家への負担も少ない.また,高品質で均一な品質の堆肥を生産でき,耕種農家が堆肥を購入しやすい状況になっている.したがって,静脈部門において輸送コストを低減し,堆肥の生産余剰を作らないようにするためには,農家の個別対応ではなく,自治体や農協を主体とした登米市の事例が望ましいと考えられる.
  • 伊藤 貴啓
    セッションID: 513
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    本研究は高知県安芸郡芸西村におけるIPM栽培の普及を農業地域の自立的発展過程としてとらえ,それに関わる地域的諸条件の解明を試みるものである。
  • 助重 雄久
    セッションID: 514
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    _I_ はじめに
     ハウスミカンは、慢性的な価格低迷に陥った露地温州ミカンに代わる収入獲得手段として露地温州の後発産地を中心に栽培が拡大した。ハウスミカンの販売価格は1990年代半ばまで高値で安定していたが、全国生産量の増加とともに下落しはじめた。さらに2000年以降は原油価格の上昇に伴って、燃料用A重油やビニール等の資材価格が上昇し続けた。とりわけ2008年の原油価格急騰は生産者の経営に大きな打撃を与えることとなった。
     一方、多くのハウスミカン産地では栽培拡大期から20~30年を経て生産者の高齢化、ハウスの老朽化、老木の樹勢低下や枯死が問題となってきた。さらに近年では、石油由来製品を大量に使用する農業への批判の声が高まり、ハウスの更新や規模拡大も難しくなってきた。
     上記のように、ハウスミカン産地をとりまく環境は年々厳しくなっている。本報告では、1990年代から継続的調査をしてきた大分県杵築市奈狩江地区の生産農家17戸の動向を中心に、厳しい生産環境下におかれている産地の変容を考察していく。
    _II_ 杵築市農協管内での生産動向
    杵築市農協全体のハウスミカン生産者数は1992年の172戸をピークとして減少に転じ、2001年には132名となった。一方、栽培面積や選果場の荷受数量も1990年代半ばから減少に転じたが、規模拡大を図る生産者もいたため2001年まで40ha台、2,000t台を維持してきた。
    2002年には杵築市農協と杵築開拓柑橘生産組合が合併した。また、同年には専門農協「おおいた中央柑橘園芸農業協同組合連合会」も設立され、柑橘生産・出荷の広域化が図られた。この時点で杵築市農協管内の生産者数は161名、栽培面積は56.2ha、荷受数量は2,493tとなったが、2006年には生産者数が139名、栽培面積が37.5ha、荷受数量が1,552tまで減少した。
    _III_ 高齢生産者の離脱
    ハウスミカン栽培の衰退要因としては、生産者の高齢化があげられる。杵築市では「柑橘興市」をスローガンとして1960年代後半に露地ミカン栽培の拡大を図ったが、新植園の初収穫以前に露地ミカンの価格が暴落した。このため、当時30~40歳代であった生産者の多くは、緊急的な収入獲得手段として露地園のハウス化を図った。初期にハウス栽培に着手した生産者は1990~2000年代にかけて世代交代の時期を迎えたが、初期に建設したハウスの老朽化や老木化が進み、これらの更新も必要となった。しかし初期のハウスの多くは傾斜地の露地ミカン園をハウス化したものであったため、建て替えや改植を行う場合は造成工事などに莫大な費用を必要とした。このため、栽培規模が小さく後継者が他産業に就業している農家の多くは、高齢生産者の引退を機にハウスミカン栽培から離脱した。
    _IV_ 原油価格上昇による生産の変化
     燃料用A重油の価格は1999年には1リットル30円前後であったが、2002年には40円、2008年には90円となった。また2008年には資材費や肥料代も約50%上昇した。多くの生産者によれば、重油が1リットル90円、10aあたりの重油使用量が20キロリットル、平均販売金額が前年並みとして計算すると、2008年の収益はほぼゼロになり経営努力による改善の余地もないという。ハウスミカン栽培を続けてきた生産者の対応は、このような厳しい経営環境のもとで大きく3つに分かれた。
    1)スナップエンドウへの部分転換
    生産者の一部はスナップエンドウ栽培に着手し、当面の収益確保を図った。スナップエンドウは嗜好品であるミカンに比べて経費上昇分を価格に転嫁しやすい。しかし_丸1_消費者への知名度が低い、_丸2_柑橘に比べ手間がかかる、_丸3_栽培に関するノウハウが十分蓄積されていない、_丸4_家族労働力が少ない場合は収穫時に雇用が必要となる、といったデメリットもある。このため、家族労働力が多い生産者がハウスミカンの一部を転換するにとどまっている。
    2)露地栽培への部分回帰
     杵築市では環境問題への関心が高まるとともに、ハウスミカン栽培への批判も生じた。このため、パイロット事業で造成しながら短期間で廃園となっていた露地園地を2002~2004年に遊休農地解消総合対策事業等で再造成し、10.8haに露地温州ミカンを植栽した。この事業に参入した生産者にとっては、露地の価格低迷時とは逆に、露地温州ミカンが緊急的な収入獲得手段となっている。
    3)ハウスミカン栽培の継続
    大部分の生産者は、一部のハウスを無加温や加温期間の短い中晩柑に転換しつつも、現状維持の姿勢を貫いている。これらの生産者は_丸1_重油価格が1リットル82円となった時期を乗り切った経験があること、_丸2_原油価格がこのまま高値で推移するとは考えていないこと、_丸3_永年性作物であり一旦伐採すれば回復が困難なこと等を現状維持の根拠としてあげている。
  • 宮地 忠幸
    セッションID: 515
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    _I_.問題の所在と研究目的  1960年代後半からの消費者運動の台頭にともない再評価されるようになっ た日本の有機農業は,1980年代後半以降の第二次有機農産物ブームを背景に拡大し,90年代以降になると従来の産消提携運動に支えられたものから「ビジネス化」の様相を呈しながら展開してきた.産消提携運動における「顔の見える関係」では,生産者と消費者の「交流」活動の実践が農産物の安心を確保するために重要視されてきたが,近年では,有機農産物認証制度に代表される基準づくりが,安全を確保するための手段として重要視されている.「ポスト生産主義」の担い手として位置づけられることの多い有機農業ではあるが,以上のような多様化する市場環境の下,有機農業に取り組む生産者や産地は,生産と商品化のあり方を「市場競争」の下で検討せざるを得ない状況にある.  本報告は,環境保全型農業への取り組みが比較的活発な北海道南空知地方を事例にその導入効果を分析し,環境保全型農業を通した産地振興上の課題について考察することを目的とする. _II_.南空知地方における環境保全型農業の取り組みの経緯と実態  北海道では,1990年代以降,消費者や実需者への対応とともに,生産コストの縮減をも視野に入れたクリーン農業を推進してきた(2000年には「北のクリーン農産物(Yes!clean)表示制度」を創設).Yes!clean農産物栽培農家を含め,環境保全型農業に取り組む農家は,とくに旭川市周辺地域や南空知地方に多い.札幌市近郊に位置する南空知地方では,1987年ころから外食チェーンとの契約栽培を契機に,たまねぎの減農薬・減化学肥料栽培の試みが始まった.北海道のなかで,経営規模が大規模とはいえない南空知地方では,輸入たまねぎや府県産はもとより,道内での産地間競争への対応として,減農薬・減化学肥料栽培の導入が図られた.その後,適正施肥量の試験等が実施されながら,1998年以降,本格的に産地としてクリーン農業の推進がなされてきた.こうした取り組みを先導してきたのが南空知玉葱振興会であり,とりわけ栗山町玉葱振興会に加入する生産者が組織的に積極的な取り組みを行ってきた.2007年現在,栗山町玉葱振興会(76戸)をはじめ,南空知地方の14集団が「Yes!clean農産物」の登録団体となっている. _III_.環境保全型農業の導入効果とその条件  北海道立中央農業試験場(2004)の調査結果によれば,栗山町におけるクリーン農業の導入は,慣行栽培と比較して10aあたり約30%のコスト上昇につながるとしている.この背景には,肥料費,資材費,農機具費,労働費の上昇が関わっている.このようなコスト上昇を補うためには,_丸1_選果費用の削減,運賃の生産者負担の軽減などによる集出荷以降の流通経費の削減,_丸2_5~10%の販売単価の上昇効果の実現,_丸3_収量の維持が条件とされている.JAくりやまでは,コンテナ出荷を取り入れ,生産者の選果作業の軽減,出荷経費の削減に取り組んでいる.しかし,ホクレンを経由した販売は,契約取引とはいえ,ホクレンの出荷計画に応じざるを得ず,プール精算でもある.また,北海道の独自認証制度のブランドとしての認知度が問われてもいる.さらに,収量低減のリスクも少なくない. _IV_.環境保全型農業を通した産地振興上の課題  以上のような経営リスクがあるため,主なたまねぎ農家の減農薬・減化学肥料栽培は,拡大傾向とはいえ慣行栽培との平行栽培のなかで行われている.また,出荷先も大規模農家ほど,系統出荷以外に業者や生協等など,独自の出荷形態を重視しつつある.経営方針の異なる農家が産地として組織的に環境保全型農業に取り組んでいくためには,上記の経営リスクの低減へ向けた各主体の取り組みの強化と集団的な経営農地の利用,調整が必要であろう.  参考文献 北海道立中央農業試験場生産システム部経営科 2004.『たまねぎYes!clean産地の育成・定着手法』報告書.
  • 高柳 長直, 今野 絵奈, 小川 英之, 磯野 貴志
    セッションID: 516
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに  都市化に伴い,農村は身近な存在ではなくなりつつある.現在の子どもたちや若者にとって,2世代遡っても,非農家であることが少なくない.都市住民にとって,「ふるさと=いなか=農村」という構図がくずれ,農村は非日常的空間となった.その結果,農村はそれ自体で価値を有することになった.こうした価値は,本来,外部経済として把握され,また,空間的に非排除性と非競合性を有するため,農村景観は公共財的性格をもつとされる.しかしながら,都市住民にとって,農村にアクセスしなければ農村景観から得られる価値を享受することは直接的にはできない.したがって,都市住民にとって農村景観の公共性は低く,市場で交換される商品としての性格が強い.  都市住民にとって,農村であればどこでも同一な価値を有するのではない.眺望性や歴史性をもっていたり,癒しの効果が期待されるような一部の空間が都市住民にとって価値を有し,ツーリズムの対象となる.したがって,そのような特異性をもたない農村で,商品として農村景観を都市住民に販売するとすれば,差別化するためにルーラリティの創造を図る必要がある.そこで,本研究では,商品化した農村景観がどのように創造されるのかということを,兵庫県佐用町南光地区(旧南光町)を事例として考察する.南光地区は合併以前から景観形成作物としてひまわりを導入し,観光客を誘致するとともに,ひまわり加工品を特産品として販売している. 2.景観形成作物導入の背景  旧南光町は,米の生産調整が行われ米価が低迷している現在においても,米が基幹作物である.生産農業所得も半分近くが米によるものである.南光地区の一部は,中山間地域に位置づけられ,農業従事者の大半は65歳以上の高齢者で,しかも零細経営である.景観的にも農地の大部分で水田が広がり,旅情を誘うような牧歌的な農村でもない.旧南光町は,日本農村の縮図とも言えるような地域である.  旧南光町で水田にひまわりが最初に植えられたのは1990年のことであった.当初は,ひまわりを利用して地域振興を図るという明確な意図はなく,圃場整備事業に伴うつなぎ作物という位置づけであった.ひまわりは,日本人にとって夏の風物詩として馴染み深いが,団地で一斉に開花している景観は希少性を生み,マスメディアで取り上げられた.その後,観光客が多数訪れ,景観形成作物として,水田の転作奨励金等の交付が得られ,旧南光町が栽培を支援することで,ひまわり栽培が拡大した.2008年現在,7集落(8地区)の水田で29.7haが栽培されている. 3.ひまわり栽培の現状と収益性  ひまわりは,米の転作作物として集落内でブロックローテションにより栽培されている.旧南光町の転作面積は48.9%にも達し,個別の調整が困難である.ひまわりの収益性を聞き取り調査からモデル的に試算すると,10a当たり70,280円の収入に対し,支出は21,770円となり,5万円近くの所得が得られ,収益性は極めて高い.しかしながら,粗放的な栽培で,収入の大半は交付金・助成金に依存し,観光客から直接得る収入は少なくなっている.また,集落によって条件が異なるため,収益構造の地域差も大きい. 4.まとめ  元来,ひまわりは水田にあまり適合しない作物であり,国際的にみて単収は極めて低い水準にある.しかし,多様な加工品を販売することで,約4,000万円の売り上げは,農村の特産品販売としては決して少ない水準ではない.年によって変動があるが,約10万人の観光客も集めている.旧南光町のひまわり栽培は,地域振興としては一定の成果をおさめている.ひまわり景観は,高齢者による零細経営という地域特性,低投入で栽培することが可能であるという作物特性,さらに米の生産調整という政策特性によって形成された.
  • 呉羽 正昭
    セッションID: 517
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに  日本の農村空間はさまざまなかたちで商品化されてきた。なかでも人びとの観光行動は,この商品化に関する重要な媒介のひとつである。人びとが観光行動のために農村空間を訪れるという行為は,農村空間を消費しているとみることができる。さらに,農村空間における観光開発は,観光者の訪問を見込んだ商品化のプロセスである。  日本における農村観光は,1990年代初頭以降,「グリーンツーリズム」概念の導入とともに大きく発展してきた。しかし,農村における観光活動はそれ以前からも存在していた。農村観光に関する研究では,近年の傾向に関するものが多いものの,農村における観光形態がどのように変化してきたのかについては未解明の部分が多い。そこで本研究では,日本における農村観光の展開にみられる諸特徴を明らかにする。とくに,明治期以降の農村観光の時間的展開について分析するが,さらに可能な限りその地域的展開についても触れることとする。 2.農村観光の展開  人びとは観光目的でいつから農村空間に滞在するようになったのであろうか。最古のものとして考えられるのは,山梨県勝沼町の観光ぶどう園で,1890年代に成立した。ただし,当初は「遊覧園」としての性格のもので,ブドウを鑑賞する形態にすぎなかった。ただし多摩川沿岸地域のような一部の地域では,昭和初期に果実の「もぎとり」を行う観光体験形態がみられた。このほか,第二次世界大戦以前には,房総半島沿岸地域や長野県白馬村,菅平高原において今日の民宿の原型が存在した。  1950・1960年代になると,観光農業の普及が顕著にみられた。大都市や地方都市の近郊に位置する果樹産地では,訪問客自身による果実の「もぎとり」が流行した。とくに甲府盆地,長野盆地などの果樹産地では,主要な道路沿いに観光果樹園が林立する景観が出現した。また,果樹ではないものの,イチゴにも同様の形態がみられた。さらに,農山漁村では民宿が著しく増加した。民宿は,スキーや海水浴の大衆化とともに廉価な宿泊施設として注目され,多くの宿泊客が訪れた。長野県白馬村などでは,スキー場開発の進行とともに民宿が大規模化し,冬季以外にも営業されるようになった。多くの場合スポーツ合宿が顧客となったが,そのために農業的土地利用がスポーツ施設へと転用された。また,同時期,大都市近郊に大規模なレクリエーション施設としての観光牧場が立地した。  1970年代以降,公的な観光事業によって農村観光は推進されることになる。たとえば,農林水産省は農業構造改善事業の一環として1971年から自然休養村事業を開始した。このほか複数の省庁によって類似の事業が農村空間で実施されている。さらに,1980年頃以降は,産地直売施設や市民農園など,農村観光には多様な形態が出現するようになった。その後もグリーンツーリズム振興とともにさまざまな形態・施設・サービスの展開がみられる。 3.考察とまとめ  1960年代までの日本の農村観光は,観光農園,民宿,観光牧場などの施設を中心に展開していた。ただし,これらの施設はいずれも農村空間自体を目的としての利用されたわけではない。つまり,農村空間に特異なルーラリティを消費するといった形態ではなかった。観光農園への主要な訪問目的は果樹のもぎ取り体験であり,またそこは広域周遊観光ルート上の立ち寄り地とされた。民宿は,海水浴やスキーのために滞在する宿泊施設がその地域に存在しなかったために代替施設として,また観光大量化とともに安価な宿泊施設が必要となり整備されたものであり,農村空間での滞在を目指した人びとは少数であったと思われる。観光牧場も遊園地的な性格が強い施設であり,必ずしも農村空間に存在する必要はなかった。いずれの施設も積極的理由ではなく,付随的・消極的理由によって農村空間に滞在するために利用されたと考えられる。  しかし,1970年代以降になると純粋な都市住民の増加などを背景として,国民の田園景観や農村文化への興味が徐々に増大し,積極的な理由で農村空間を訪れる人びとが増加していった。グリーンツーリズムの登場は,ルーラリティ消費の増大を助長する側面も有している。今日,農村空間における公的な観光事業などの政策的な後押しもあって,農村空間を商品化しようとする動きが活発である。しかし,農村空間には1960年代以前の農村観光の形態も依然として存在している。つまり,今日の農村空間には,こうした異なる農村観光形態が共存しているのである。
  • 藤永 豪
    セッションID: 518
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.「教育ファーム」について  近年、わが国では、食育の重要性が叫ばれ、2005年には食育基本法が成立し、2006年には食育推進基本計画が策定された。この食育の推進にあたり、近年、取り組まれているのが「教育ファーム」と呼ばれる農林漁業の体験学習活動である。教育ファームとは、「自然の恩恵や食にかかわる人々の様々な活動への理解を深めることを目的として、農林漁業者などが一連の農作業等の体験の機会を提供する取り組み(平成18年4月12日農林水産省消費・安全局長通知)」で、「農林漁業者など実際に業を営んでいる者の指導を受けて、同一人物が同一作物について2つ以上の作業を年間2日以上の期間行う」取り組み(農林水産省教育ファーム推進研究会)とされている。  教育ファームの先進国であるフランスで調査を行った大島(1999)は、「フランスの学校教育では、農業さらには自然や環境問題に親しませるために、農場を訪れる授業が行われ、このような授業を行うことができる農場(ファーム)が「教育ファーム」である。」と述べている。さらに、教育ファームでは、農場の訪問自体を楽しみながら、食物の生産状況を学習し、高学年の生徒は、教育ファームをとおして国語、算数、社会、理科、図工、音楽、体育、道徳などあらゆる教科の学習が可能となり、現地におけるインパクトある教育効果が期待できるとしている。このほか、農作業や家畜との触れ合いによるセラピー効果や都市・農村交流の実践の場としての意義についても言及している。  日本では、食育推進基本計画にもとづき、教育ファームに自ら取り組む主体が存在する市区町村の割合を2006年から2010年までの5年間に42%から60%に引き上げることを目標としている。 2.研究目的  本報告では、こうした状況を受け、わが国における教育ファームへの取り組み状況と、その具体的な事例として、佐賀市内の小学校において取り組まれている教育ファーム活動やこれに準じる農林漁業体験学習活動についての報告を行う。
  • 田中 耕市
    セッションID: 519
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    I. 研究目的
    本研究は,国際線を就航しているLow Cost Carriers(低コスト航空会社; 以下LCCs)を事例として,アジアにおけるLCCの航空ネットワークの拡大とその特性を考察する.特に,既存の大手航空会社の航空ネットワークと比較する.

    _II_. LCCsの発展過程
    LCCsとは,サービスを単純化させてコストを抑制することによって,低価格運賃を提供する航空会社である.そのモデルはSouthwest Airlinesによって確立され,1978年の合衆国航空規制緩和を追い風に,多くのLCCsが市場参入した(Dobruszkes, 2006).ヨーロッパにおいては,1997年のEU域内の航空自由化を契機にLCCsが増加した(Fan, 2006).ヨーロッパにおけるLCCsの普及は急速で,乗客占有率は20%に至ると推定されている(ELFAA, 2004).運賃の低廉さという魅力のほかに,FSC(Full Service Carrier)にはみられない,中小都市間を直行できる利便性が顧客から支持された結果である(Swan, 2001).

    _III_.アジアにおけるLCCの発展
    アジアでは2000年以降,東南アジアを中心にLCCsが急速に普及してきた.国際線を運航する代表的なLCCsは,Air Asia(Malaysia),Jetstar Airways (Australia),Lion Air(Indonesia),Tiger Airways (Singapore)であり,いずれも就航都市は30を超える.特に,クアラルンプールに本拠を置くAir Asiaはアジア最大のLCCsであり,乗客数,航空路線数,機材数ともに急増傾向にある(図1).同社の国際便ネットワークは,マレーシア近隣諸国から始まり,2008年以降に英国,オーストラリアへの長距離路線を就航するに至った(図2).大陸間を跨ぐ長距離路線への就航は,LCCsにとって画期的な挑戦であり,既存大手航空会社との競合が激しくなる.
  • 遠藤 幸子
    セッションID: 520
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    ブレーメンによる外港の建設とそこでの港湾経営について、ブレーマーハーフェンとヴィルヘルムスハーフェンの2つの都市における事例を比較した。港湾建設・土地の所有・港湾の経営形態などに違いはみられるものの、市営企業であるBLGの活躍の場を確保することを第1に考えたブレーメンの港湾行政をいずれの場合においても確認することができた。
  • 山下 博樹, 伊藤 悟
    セッションID: 521
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに  モータリゼーションの進展によって破壊された旧来型の都市構造の再生や公共交通の復権は、わが国のみならず欧米諸国でも取り組まれている都市の重要な課題となっている。報告者らは、バンクーバー、メルボルン、ノリッジ、佐倉市ユーカリが丘など各地の先進的な取り組みについて報告してきた。
     他方で報告者らが関心を持つ「Livable City(住みよい都市)」の概念は、多様な価値基準によって評価されるため、文化的な背景の異なる都市についても比較・検討する必要がある。そこで本研究ではこれまで主に報告してきた英国系(英国内および英国の旧植民地)以外の都市としてフランスのグルノーブル都市圏を対象に、トラムの再生を中心とした公共交通網の再構築とそれと結びつく中心地の土地利用や景観について調査・分析を行い、そのリバビリティを検討した。

    2.グルノーブル都市圏の概要
    グルノーブルは広大なフランス国土の南東部、パリからは南南東約400kmに位置する。グルノーブルはイゼール県の県庁所在地であると同時に、ローヌ=アルプ広域圏の首府でもある。イタリア、スイスの国境からは100km程度と程近い。グルノーブルの都市人口は約15.8万人(2005年)であるが、都市圏人口は約56万人を数える。
    3世紀にはすでに小さな街が形成されていたというグルノーブルの中心部には古くからの広場や市場のほか、多くの商店やデパート、カフェ、レストランなどが建ち並んでいる。市街地の北に位置するバスティーユの丘から一望する街は、一面の赤茶色の屋根をもつ中心部の街並みと、アパートなどの高層建築物が多い郊外の街並みのコントラストが明瞭で、グルノーブルの市街地の発達の様子を伺い知ることが出来る。

    3.公共交通ネットワークの整備と中心地の土地利用
    かつてグルノーブルでは1894年から1952年にかけてトラムが利用されていたが、モータリゼーションの進展などにより一時廃止されていた。ヨーロッパでは地球環境問題への関心から、近年多くの都市でLRTの整備が盛んに進められている。現在のグルノーブルのトラムも1987年に再整備が始まり、2008年現在では4路線65駅のネットワークが形成され、その総延長は33.8kmである。トラムの路線網はさらに今後も郊外への拡張計画がある。トラム沿線の400m圏には沿線の26コミューンの居住人口39.9万人の44%、就業人口の50%が集積している。さらに主要なトラム駅はバスターミナルとも接続しており、グルノーブル市内を中心に利便性の高い公共交通網が整備されている。2007年の1日当たりの乗降客数はトラムが約18.0万人、バスは13.1万人である。また郊外のトラム駅13ヵ所にはパーク&ライドのための2,034台分の駐車スペースが整備されている。2007年のパーク&ライドの延べ利用台数は22.8万台で、2006年比では34.5%増加しており、マイカー利用の低減化が図られている。
       中心部の土地利用は、前述したように歴史ある中層建築物からなる街並みに、多くの商業施設や飲食店と住居の混合利用が卓越している。他方、郊外でも住居は中高層建築物が多く見られ、比較的高密度の人口密度地域が形成されている。またトラムなどの公共交通のターミナルには商店街やショッピングセンターなどの商業集積がみられるほか、企業や公的機関のオフィスなども立地しており、利便性の高い郊外核の存在が確認された。こうした土地利用の動向から、郊外を含む市街地全体で高密度な土地利用が行われており、また沿線の26コミューン全体の居住人口密度は1,299人/㎢と相対的に高い。

    4.グルノーブル都市圏のリバビリティ-むすびに代えて-
     本報告では公共交通ネットワークの整備状況とそれに関連した中心地の土地利用などからフランスの地方都市のリバビリティを検討した。その結果、グルノーブルのような比較的規模の小さい都市圏においても公共交通ネットワークの維持・拡大が可能であり、持続可能で住みよい都市空間の形成を実現している。その背景には中心部をはじめとした高密度の居住人口の存在のほか、県と沿線のコミューンによる公共交通管理会社SMTCの設立、その運営会社Semitagへのパートナー企業の支援があることなどが分かった。また、9人以上の労働者を雇用する企業に課される交通税の仕組みなど、地方都市圏などで公共交通網の衰退の深刻な日本がこうした先進地域の事例から学ぶべき事柄は極めて多い。

     本研究を行うにあたり、鳥取大学の門田眞知子教授、グルノーブル第3大学のPhilippe WALTER教授には多くの便宜を図って頂いた。ここに厚く御礼申し上げる。また平成20年度科学研究費補助金基盤研究(C)「我が国におけるリバブル・シティ形成のための市街地整備に関する地理学的研究」(研究代表者 山下博樹)の一部を使用した。
  • 山下 潤
    セッションID: 522
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     1.はじめに
     自動車利用の拡大に伴い,運輸部門での温室効果ガス(GHG)の排出増加が世界各国で大きな社会的問題となっているが,当該部門でのGHG排出抑制の一手段として渋滞税・課金の導入が世界各国で検討されている.他方,都市構造をよりコンパクトな形態へ変えることで自動車からのGHG排出を削減しようとする施策もある.都市部におけるGHG排出抑制政策に関するこのような状況に鑑み,本稿では,課金・課税制度が環境負荷の軽減をもたらしたか,さらに,都市の構造変化がGHG排出へ影響を与えたかを検討することを目的とした.
     2.研究方法
     まずオスロ都市圏の徴収ゲートを通過した車両のデータと,運輸部門のGHG排出量のデータを用いて,道路課金・課税による交通量への影響を明らかにした.ついで都市構造の変化に関して,2000年と2005年の16歳以上の通勤流動データをもとに,居住地で集計された人口(夜間人口)と就業地で集計された人口(昼間人口)を算出し,これらを各コミューンの面積で除することで夜間人口密度と昼間人口密度を求め,クラークモデルに代入することでオスロ都市圏の人口分布状況を把握した.さらに各コミューン間の通勤流動データに道路距離を乗ずることで算出される総輸送費を独立変数とし,運輸部門のCO2排出量を従属変数とする回帰分析を行い,都市構造と環境負荷との関係を定量的に検討した.道路課金制度を1990年に導入したノルウェーのオスロ都市圏下の41市町村を研究対象地域とした.
     3.研究結果
     1日平均の徴収ゲート通過台数をみると,通勤流動への道路課金の影響がほとんどないことがわかる(表1).また夜間・昼間人口密度をクラークモデルに適用した結果,2000-2005年間で夜間人口が郊外化している一方で,昼間人口が中心都市であるオスロ市に集中し,両者の分布の差が拡大していることがわかった(図1). 2000年,2005年ともに単回帰式の説明率は高く,輸送費の増加がCO2排出量の増加をもたらすことを示した.輸送費と昼間人口の変化をみると,2000-2005年間の輸送費の伸びが昼間人口の伸びを上回っており,このことは,上述したオスロ市への一極集中の強化と,夜間人口の郊外化に関係していると推測された.
     4.おわりに
     本研究では,オスロ都市圏を事例として,道路課金・税制度や都市構造の変化がCO2排出で代表される環境負荷の軽減に寄与するかを検討したが,当該地域の道路課金制度に関しては,環境負荷軽減への影響がほとんどないことを明らかにした.つぎに都市構造の変化と環境負荷の軽減の関係に関しては,2000-2005年間で総輸送費が増加することにより,CO2排出量が増加していることが観察され,このような増加は,中心市であるオスロ市への従業者数の増加と,郊外化にともなう周辺コミューンでの夜間人口の増大によるオスロ市への都市構造の一極集中化に起因すると考えられた.
     謝辞
    本研究を進めるにあたり,平成20年度科学研究費助成金(課題番号:19520680,研究代表者:山下 潤)の一部を使用した.
  • 小林 岳人
    セッションID: 523
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに
     高等学校地理学習における地理的技能の重要性は平成20年12月23日に示された高等学校学習指導要領の改訂案でも強調されている。特に地図に関する技能は地理的技能の中核である。地図を扱う学習形態として地図作業学習があり、これは学習者の興味関心を惹き、能動性を引き出す優れた学習形態である。こうした地図作業学習について評価に関する研究はそれほど多くはない(小林 2007a)。高等学校現場での評価の中心はペーパーテストであり、大学進学についても大学入試センター試験は多枝選択式のペーパーテストである。地図作業学習の成果がペーパーテストで適切に評価されれば地図作業学習はより一層促進されるであろう。ここでは地図作業学習とペーパーテストとの関係を分析し、地図作業学習による知識のペーパーテストでの評価の可能性について示す。
    2.分析対象となる授業
     分析対象は2006年4月~2009年3月に千葉県立沼南高柳高等学校第一学年生徒について行った地理Aの授業である。地図作業学習教材を開発し、この教材を授業1時間に1枚程度扱った(小林 2008)。開発した教材は教育現場の実状(地域、生徒)に応じ、身近な地域から世界へと地理Aの内容全体にわたるようにした。教材は難解なもの、詳細な説明が必要なもの、作成に長時間かかるものは避け、自学自習も可能なものとした。「点を打つ」「線をなぞる」「面を塗る」の3種類の作図作業で可能な教材である。定期考査は年5回(第一学期中間、第一学期期末、第二学期中間、第二学期期末、第三学期期末)であり、各考査問題は7つの大問とそれぞれ5つの小問からなり、解答形式はいずれも選択枝が4~6程度の記号選択の択一式である(図1)。
    3.分析と考察
     各定期考査の出題範囲に該当する地図作業学習教材と各定期考査の大問との関係について分析をした。地図作業学習教材ごとに完成者と未完成者に分け、それぞれの集団の定期考査の大問ごとの小問正答数の平均点を比較し、t検定によって有意差を検討した。各定期考査の出題範囲に該当する地図作業学習教材は6~9程度、各定期考査は7大問で、42~63ぐらいの組み合わせとなり、年間5回分のおよそ200~300程度の組み合わせについて値を算出した。実際には内容的に各地図作業学習教材と各定期考査の大問との間で関連があまり見られない組み合わせも含んでいるので、まず、内容的な関係の有無で分類した。分析の結果の集約は表1の通りである。各年度とも内容的な関係がある組み合わせのほうが完成者群と未完成者群の平均点の差の平均が大きく、この差についてt検定を行ったところ2006年度、2007年度では有意水準1%で有意、2008年度でも有意水準5%で有意と判断された。よって、内容的に関係がある組み合わせほうが平均点の差が大きいと判断できる。内容的に関係がある組み合わせの中での完成者群と未完成者群の考査大問平均点の差については、およそ半分の組み合わせが5%で有意、さらにおよそ3分の1の組み合わせが1%で有意という結果となった。各地図作業学習を完成させることが内容的に関係ある定期考査大問に対して効果があることが示された。
    4.まとめと課題
     地図作業学習を完成させたか、未完成のままかは学習者の興味・関心のほか態度や作業能力も関係している。地図作業学習の成果をペーパーテストで適切に評価することが可能であれば、学習者に対して地図作業学習教材完成に仕向けることが地理の学習指導の一つの重点であることが一層明確になろう。地理的技能の学習の促進のためには効果的な学習教材の開発は勿論、地理的技能を適切に評価できるような客観的な評価問題の開発も必要である。なお、地図作業学習教材の開発や関係する定期考査の評価問題の作成にはGISの利用が不可欠でもあり(小林2007b)、教材の内容や考え方にもGISの考え方を多分に援用している(小林 2004)。地図作業学習においてGISとの関わりは密接である。
    【文献】
    小林岳人 2004.紙上での地図作業学習におけるGISの役割 ~学習者がコンピュータを操作しないGIS教育~地理情報システム学会講演論文集13:219-222.
    小林岳人 2007a.GISを導入した高等学校地理学習の評価に関する研究.日本地理学会2007年度春季学術大会発表要旨集.101.
    小林岳人 2007b.地図作業学習とGIS ~GISソフトウエアを活用した教材及び評価問題の作成~.教育GISフォーラム研究紀要4:27-35.
    小林岳人 2008.高等学校地理学習における地図作業学習教材の開発・実践・評価.日本国際地図学会平成20(2008)年定期大会発表要旨 50-51.
  • 滝沢 由美子, 秋本 弘章, 石塚 耕治, 平澤 香, 揚村 洋一郎, 小宮 正実
    セッションID: 524
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    小中学校新規採用教員を対象に、大学における地理教育の内容、今まで受けた研修会等における地理的内容、研修会で期待する内容についてアンケート調査を行った。学習指導要領等で地図や地図帳の活用、情報通信ネットワークの活用が求められているが、大学の授業でも十分触れられていないし、従来の研修会でも扱われていない。学会等でも、教員のニーズに合った研修会を実施する必要があろう。
  • 逸見 優一
    セッションID: 525
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    _丸1_はじめに  高校で学ぶ高校生1人1が、世界各地に生起している地球的課題に関する諸事象をグローカルに把握・分析し、自己の生存する時代的地域のみならず、地球的スケールの視座から、この時代的現代的課題を設定し、課題の解決の道程を展望すること。さらに課題の解決に向け歩み始めるスキル(技能)をつくりあげ1歩を始めること。その1つのスキル力に妥当と考えられる方法、育成等について報告者はこの間、「地域調査」的学習がどのような位置をしめすべきなのかについて考察してきた。 _丸2_地球的課題をグローカルに把握するスキル  現行学習指導要領地歴科の「地理A・B」中では「地理的見方」・「考え方」が重視される。活き活きと学習者が主体的に学び取り活きる学力を自ら獲得してゆく上で重要なものとなると考えられるものはなにが最重要項目なのか。この課題には、「地域学習」の学習のあり方づくり論が深化されることを意識したい。現行高校「地理A・B」用の各教科書を見ても「地域調査」項目の構成設計中にはこの課題は常に重要視されて位置づけられてきた。  以前あまり実施されてはいないといわれた「地域調査」を主体とした「地域学習」は、ここ数年は各都道府県の高等学校ごとにシラバスが作製され授業展開の中でも、教科書の配列にもとづき「地域学習」が学ばれているといえる。このことは「地域調査」は毎年の「大学入試センター試験」では必須の出題分野であることもあり効果的には、高校「地理A・B」学習への影響点は大きいと言える。 _丸3_グローカル気候変動を掘り起こす題材の1例微化石分析  学習者である高校生は自らの現実生活を、どう把握・認識し、イメージ化・モデル化を展開しているか。2009年現在における最新の時代的課題を試行錯誤する中で、高校生自らが展望する過程を、どうねずかせ得るのか等が課題である。また作業課程を通じて、珪藻等微化石採取を実施・分析処理等をなして見つけ出し同定することにいたる途は文献調査。研究文献記述資料等から引用するにとどまると思われる。高校生に深い感動を与え、科学の世界へと導いてくれるものとなると、学習者である高校生自身が試料採取と試料分析とをうまく結びつけることで面白い「地域調査」報告書を創造できよう。近年高大連携授業が伸展してきていることと、学習指導要領の内容の取り扱いの弾力化が学習の進化を深めてゆくだろう。 _丸4_まとめにかえて:グローカルフィールドとしてみた瀬戸  内海中央部付近地域の古環境復元の意義  報告者はこの間瀬戸内海地域の北岸中央部付近の兵庫・岡山県境域東西の地域の資料採取と先学の方々の先行研究を総合的な観点より検討してゆく方法を採用しグローカルな観点から地球規模の課題の一端を高校生とみてゆく学習プランを模索してきた。今後も、研究を積み重ねてゆきさらに地域からの補完的な研究方法を確立してゆきたい。  以下、作業分析で得られた成果と課題を展望する。 (1)各地のボーリングコアの珪藻分析によって沖積層と上部更新統の地層が下記のように区分できるとわかった。 (2)地点・深度によってリス氷期に対比される砂礫層から完新世の沖積層までの堆積層が確認された。これに対しある地点では沖積層基底礫層と沖積層とをみる。また他の地点では沖積層上部の堆積層が確認される等がつかめた。  各地点のボーリングコア珪藻分析で、リス氷期から完新世までの古環境の変化過程を明らかにできるとつかめた。 (3)平野部における最終氷期の沖積層基底礫層からなる埋没地形は、最深部でー12_m_等の深度が確認できた。河道に沿って扇状地が形成された場所も確認できることがわかった。 完新世に入ると、平野に海水が侵入するまで、河川によって砂礫が供給され、なお扇状地が形成され続けた。したがって、この砂礫層中には淡水の珪藻に加えて、海生の珪藻が含まれている等もわかった。 (4)最終氷期以前のあたりから、前の氷期あたりにわたっての微化石分析にもとづく視点に立ち人類文明史的観点からの地形発達史に一歩踏み込んだ地域から今の時代を見つめる「地域調査」の拡充を高校生とさらに積み上げてゆき現在を見つめたい。
  • 二村 太郎
    セッションID: 526
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    I. はじめに
     戦後日本の地理学がアメリカ合衆国の地理学界(以下「アメリカ地理学」と略)の影響を受けて発展してきたことは論をまたない。第二次大戦後のアメリカ地理学がどのように発展したかについては、キーパーソンの活躍と関連させて検討した杉浦(2001)や、地域研究の視点からアメリカ地理学の変遷と将来の可能性を論じた矢ヶ崎(2000)などがある。一方で、近年のアメリカ地理学について全国組織や地域支部の変化から分析したものは少ない。
     発表者は2001年から合衆国の大学院地理学科に6年半留学し、文献知識では得られなかったアメリカ地理学の諸相について学ぶ機会を得た。本報告ではこれまでの知見をふまえ、近年のアメリカ地理学で見られる変化について報告する。中でもアメリカ地理学でもっとも重要な組織であるアメリカ地理学会(AAG)の役割に着目し、近年のAAGの活動や問題点とそれに対応する動向について言及する。

    II. AAGの全国組織と地域支部
     1904年に設立されたAAGは2004年に創立100周年を迎え、近年その規模は拡大傾向にある。AAGは現在2つの学術雑誌(Annals of the Association of American GeographersProfessional Geographer)を年4回ずつ刊行しており、前者は英語圏地理学で最も評価の高い雑誌の一つである。また、全国規模のAAG年次大会(以下「AAG大会」と略)が毎年3月か4月に開催され、ここには毎年数千人の参加者が国内外から集まる。大会開催地は毎年全米各地の大都市で持ち回りとなっており、特別講演や委員会会合から一般発表やレセプションまで約5日間に渡る予定が組まれている。
     また、全国組織であるAAGの下には現在9つの地域支部があり、毎年秋に各支部で各々の地域大会が行われている。地域大会の活況の度合いは地区によって差が大きい。活動が縮小傾向の地区が多い一方で、南東支部は支部大会を60年以上開催している歴史を持つ。後者においては、予算が少なく学部教育が中心である小規模大学の地理学教室の場合、AAG大会より支部大会を重視する傾向がある。

    III. AAGの肥大化に対する批判と新たな動き
     急速なAAGの拡大には批判もあり、中でもAAG大会は肥大化に伴う弊害が指摘されている。大会は通常大都市中心部の大手ホテルで開催されるが、大会参加者の増加とともに口頭発表やパネルセッション数も増え、大会を通して研究発表が施設内に分散する部屋十数室で行われるようになった。そのため、現在の大会では次なる発表を聴講するためにセッションの途中で部屋を退出して別会場へ移動せざるを得ない状況が頻発することが問題視されている(Kurtz and de Leeuw 2008)。McCarthy (2008) はこの現状を鑑みて「もはやAAG大会は機能が収拾のつかない大会となっている」と断言し、出席者の過密なスケジュールを軽減するために、パネル討論・口頭発表・座長などに参加登録できる回数を一人当たり2セッションまで限定することを提案している。
     一方、AAG大会に対する不満や、隣接分野との交流の活発化などを背景に、AAGや地域支部とは異なる小規模な地理学研究集会の開催が増えている。この一例として、1994年にオハイオ州立大・シンシナティ大・ケンタッキー大の地理学者が集まって始め現在も続いている「批判地理学小集会」(The Mini-Conference on Critical Geography)が挙げられる(Dept. of Geography, Univ. of Kentucky 2007)。ここではAAG大会のような過密日程を避け、個々の発表に全員が参加し自由に議論することに重きをおいている。社会理論を援用した批判的人文地理学の研究が盛んになるにつれて、活発な議論や人的交流が期待できる同集会は地理学内外の大学院生や若手教官に注目されるようになり、次第に当該地域外からも参加者が集まるようになっている。

    IV. おわりに
     学問の細分化と学際分野交流が進む昨今、AAG大会はアメリカ地理学の研究を先導する学術大会の限界を露呈しはじめている。一方、経済や学問のグローバル化が進む現在、会員数が増加してAAGが肥大化することは不可避な流れともいえる。このような文脈のもと、今後日本の地理学がどのようにアメリカ地理学と関わっていくか積極的に検討し、かつ交流していくことが求められる。

  • 野上 道男
    セッションID: 601
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    日本における第二次大戦後の地形研究を、その研究課題(対象)から概観すると、1)現在の地形は(地質学的時間の中で)どのように形成されてきたか、2)現在の地形は(観察・観測できる時間の中で)どのように形成されつつあるか、3)地形の成因・特性は他の事象(土壌・植生・土地利用・災害・環境など)とどのように関係しているか(応用的)、という3つに大きく分類できる。 貝塚(1998、発達史地形学、東大出版会)の用語法に従って、1)を発達史地形学、2)をプロセス地形学と呼ぶことにする。発達史地形学は、主として更新世以降に形成された丘陵・台地・低地など堆積物を持つ地形を研究対象としてきた。第二次大戦後、地質学の層位学・編年学の原理が地形学に取り入れられたことによって発展した分野である。特に火山噴出物を年代指標として用いることで進歩を遂げた。これらの地形および地形を作る地層は、その形成時代に対応した気候変化、海面変化、地殻運動、火山活動などを記録しているので、「地形発達史」の研究は、単に地形の編年的研究にとどまらず、気候変化、海面変化、地殻変動、火山活動などを地史的に復元する研究へと進展した。  いっぽう、プロセス地形学は、個々の地形形成作用ないし地形形成過程(プロセス)の原理・原則の解明に重点をおき、地形を変化させる諸作用(風化、斜面重力、風、川・海の水の運動など)を対象として、それら作用に関連する事項の測定によって地形現象を捉えようとする分野である。発達史地形学が歴史科学的側面を持っているのに対して、プロセス地形学は、機器による測定、測定値に基づく定量的推論など、他の「現在」科学(特に土木学、砂防学、河川・海岸工学など)と共通する手法を用いているため、これらの分野と親和性があり、地形学の成果をそれらの分野に提供することができた。  しかしながら、この2つの地形学の流れは現在まで50年近い年月の経過があったにもかかわらず、合流することはなかった。(以後の引用は前出貝塚による、原文ののまま)「地形形成作用の研究は発達史研究にとって必要であり、発達史研究は作用研究の成果を包含することにより、より総合的・歴史的なものとなる。逆に、その性格から作用研究(営力論)は発達史研究を包含することはできない。」 この貝塚の言説には重要な指摘がある。すなわち現在(の作用)を調べても過去(の歴史)はわからない、しかし過去を知るためには現在を知る必要がある、ということである。それでは、発達史研究はなぜ作用研究の成果を包含することができなかったのか、その理由は抽象化されたレベルでの地形発達モデル論が欠如していたからである。それは Davis・Penck の時代、すなわち近代地形学の揺籃期には存在していたものである。  発達史的地形観に依って、気候変化・海面変化・地殻運動・火山活動がなければ、地形変化はないかのような説明がなされることがある。いうまでもなくこれらは、地形とはほとんど無関係な原因による現象であるので、地形形成において(独立)外部条件と呼ぶことができる。外部条件は地形図に表現されるような地形の形成にかかわる時間(第四紀あるいは最後の氷期・間氷期サイクル程度)において大きく変化してきたことが知られている。しかしこれは外部条件についてのことであって、地形はどのように変化するかという課題は依然として、地形学の基本命題であることに変わりはない。  ここではプロセス地形学の最終目的であるべき、地形はどのように変化しているかを時間微分を含む基本方程式で表し、気候変化・海面変化・地殻運動・火山活動を外部条件の時間的変化として取り込み、発達史地形学のスキームの中でシミュレーションが行えることを示し、ひいては発達史地形学・プロセス地形学の位置づけが可能となることを主張する
  • 田中 靖
    セッションID: 602
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    はじめに
     降雨に伴う表層崩壊や土石流が,いつ,どこで発生しているのかを定量的に評価することは,防災の観点のみならず,流域レベルの地形発達や地域性を考える上で重要である。その基礎となる斜面プロセスの力学を扱う研究は,主に一つの単位斜面を対象として行われることが多かった。しかし近年,GISや高解像度DEMの普及により,斜面プロセスの研究成果を流域全体に当てはめることによって,観測データや現在の地形から,そのモデルやモデル内の各種パラメータの妥当性を検証できるようになりつつある。このような研究が進めば,いわゆる「地形シミュレーションモデル」(以後,LEMs)に地すべり・崩壊の項を組み込むことができ,地形発達史的観点から地すべり・崩壊の地域性を評価するような研究につなげていくことが可能になる。
     斜面プロセスのモデルを流域全体に当てはめる際に問題となるのは,検討に必要な各種パラメータの空間的分布を,DEMと同じ解像度で得ることは難しいことである。具体的には,降雨に伴う地下水位の変化,土層の厚さ,間隙水圧,基盤岩石の風化度といった斜面プロセスを検討する上で必要不可欠な項目について,DEMと合わせて解析を行うのに十分な解像度のデータを得ることは現実的でない。また,これらのデータを未来について得ることは基本的に不可能である。したがって,崩壊や地すべりといった現象をLEMsに組み込んで流域の地形発達を検討するためには,これらの点を考慮した上で,できるだけシンプルなモデルが必要であり,理想的にはDEMによる地形情報だけを用いて崩壊発生に関する情報を抽出できるモデルが要求される。
     そこで本研究では,山梨県・早川支流の雨畑川流域に対して,DEMから降雨に伴う斜面安定度の評価を行うことができるSHALSTAB (Dietrich et al.2001)というモデルを適用し,その結果について検討してみた。

    方法と結果
     SHALSTABは,モール-クーロンの破壊則をベースにした斜面安定解析の考え方と,ダルシー則による地下水の流量について示した二つの式の組み合わせから,斜面上の土層の不安定性を評価するモデルである。降雨時の任意の地点の土層の厚さ(z)内における地下水位(h)の比(h/z)を斜面の不安定度の指標とし,二つの式をそれぞれh/zについて解いて二つの式をつなぐことで,下の式が得られる。
      q/T=(ρsw )(1-tanθ/tanφ)(b/a) sinθ
    ここでqは有効降水量[L/T],Tは透水量係数[L2/T],ρsとρwは土砂と水の密度,θは斜面勾配,φは内部摩擦角,bは流出境界幅,aは流域面積である。すなわちq/Tは,斜面が不安定になるのに必要な最小有効降水量とTの比であり,値が小さくなるほど不安定な斜面とみることができる。また,Tの値が得られれば,表層崩壊が発生しやすくなる時の降水量を知ることができる。
     この式にもとづいて,雨畑川流域の表層崩壊危険度を国土地理院の50m-DEMによって評価した例を下の図に示す。この例では,ρs/ρwは1.6,φは45°,bはセルの幅(50m)とし,DEMから計算されるθは傾向面法で,aはD∞法 (Tarboton, 1997) によって求めた。
     この結果を空中写真判読により作成した崩壊地分布データと重ね合わせてみると,良い一致を示している。また,経験的に表層崩壊の発生確率が高いと考えられている場所(傾斜が急で,斜面の横断面が強い収束の場となっていて,相対的に土層が厚いと予想される場所)を的確に抽出できている。

    文献
    Dietrich et al., 2001. In: Wigmosta and Burges (Eds.), Land Use and Watersheds: Human influence on hydrology and geomorphology in urban and forest areas, Water Science and Application 2, AGU, 195-227.
    Tarboton 1997. Water Resource Research, 33, 309-319.
  • 吉田 英嗣, 須貝 俊彦
    セッションID: 603
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    はじめに
    「流れ山」は長く地形学の研究対象となってきたが、それらの長軸方向に規則性があるか否かについては未だ統一的見解が得られていない。筆者らは、大規模崩壊した山体の伸張過程を反映した地形として流れ山を位置づけ、その配列の規則性を客観的に評価する試みが少ないことにその理由があると考え、GISを用いて定量的な記載を行った。

    研究対象と方法
    本研究では、有珠火山・善光寺岩屑なだれの流れ山地形を対象とする。善光寺岩屑なだれは、給源から土砂が扇状に広がって移動し、堆積した山麓拡散型岩屑なだれの典型例であり、約7000~8000年前における成層火山体の崩壊により、南西麓に明瞭な流れ山地形が形成された。
    データソースとして、国土地理院が2000年に発行している火山土地条件図「有珠山」を用いた。まず、GIS(TNTmips, MicroImages, Inc.)上で流れ山の輪郭をデジタイズし、ポリゴンデータに変換した。また、流れ山ポリゴンの対角線のなかで最長のものを流れ山の長軸と定め、ポリゴンの重心と山体崩壊直前の推定山頂位置とを両端点とする線分の方向を流れ山の流向とみなした。そして、この線分と長軸とがなす交角のうち鋭角(0°≦θ<90°)をもって、流れ山の長軸方向の流下方向からの「ずれ」を表現した。

    長軸方向の測定誤差
    陸上における208個の流れ山の長軸方向の測定誤差は、ランダムサンプリングした10個の流れ山について、10回繰り返してポリゴンデータを取得した際の標準偏差によって評価した。その結果、本研究における長軸方向の標準偏差は、流れ山の面積および円形度が小さいほど大きな傾向にあることが示唆された。しかし、最大でも5°内外におさまると判断されるので、ずれの角度を15°刻みに6等分し、流れ山の長軸方向の配列と岩屑なだれの伸長方向との関係を検討した。

    結果および考察
    全ての流れ山を一括してみた場合、数においては45°~60°、75°~90°のものが多く、15°~30°のものが相対的に少ない。大きなサイズの流れ山を重視する観点から、累積面積のヒストグラムとしてあらわすと、75°~90°のものが突出するようになる。しかし、いずれも有意とまでは言い難い。 そこで、山体が大規模に崩壊する際には滑動から始まると考えられることから、残存する有珠火山の馬蹄形カルデラの開口方向とその幅を考慮し、北から東に42°傾いた幅2 kmの帯状のエリアを設け、その内側を流れの主部、外側を流れの縁辺部と定めた。このとき、流れ山のずれの角度の頻度分布は主部と縁辺部とで反対の傾向を示した。
    さらに、上記のずれの角度が流走距離に応じてどのように配列しているのかを検討したところ、主部において流れ山は、給源に近いところ(3 kmまで)では直交する傾向にあり、3~5 km付近までは斜交、およそ5 km以遠では次第に平行に配列していく傾向が認められた。他方、縁辺部では、給源から3 km程度離れると斜交する流れ山が現れはじめ、4 km以遠で増加し、全体としてランダムさを増していく傾向が認められた。このように、有珠火山・善光寺岩屑なだれについては、全ての流れ山を一括して解析した場合には不明瞭であった流れ山の配列の仕方が、流れの主部と縁辺部とで明瞭に異なっていた。主部における流走距離に応じたずれの角度変化は、岩屑なだれが全体として引き伸ばされる状態にあったことを反映していると推測され、少なくとも善光寺岩屑なだれに関しては、流れ山の長軸方向を岩屑なだれの流動と関連づけられるという点で、流れ山の長軸方向に規則性があるといえることが明らかとなった。
  • 大丸 裕武, 村上 亘
    セッションID: 604
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに
     2008年6月の岩手・宮城内陸地震では、受け盤側斜面においても重力性の山体変形を伴う崩壊の発生がみられた。以下では、一迫川上流部の温湯と磐井川中流部の市野々原の事例から崩壊の発生機構について考察する。

    2.温湯地区の斜面にみられる崩壊と地盤変動
     温湯の上流山地では、一迫川左岸沿いの西向き斜面において多くの崩壊が発生した(図1)。その多くは凝灰質堆積岩上に堆積した節理の発達した溶結凝灰岩のトップリング状崩壊であるが、一部にはすべり面が下位の凝灰質堆積岩を深く切り込んだと思われる深層崩壊もみられた。下位の凝灰岩質堆積岩は東落ちの受け盤構造となっているにも関わらず、上盤側がせり出す層理面すべりが数多く観察された。また、崩壊地の背後の尾根斜面上の古い線状凹地では、亀裂や小崩壊の発生が見られた。これらのことから、今回の地震動によって山体全体が変形するとともに、谷壁の急斜面において崩壊が発生したと考えられる。
    3.市野々原地区にみられる地すべり前縁部の崩壊
     市野々原では地質的に流れ盤となる磐井川右岸斜面において大規模な地すべり活動が見られたが、受け盤側の左岸斜面でも小規模な崩壊発生が見られた。防災科学技術研究所の地すべり分布図では、地すべり地形が認定されており、小崩壊は古い地すべりブロックの前縁部において発生したことになる(図2)。今回の地震によって、古い地すべり滑落崖に沿って新たな亀裂の発生が見られたことから、変位量は小さいものの地盤変動が起きたと考えられる。この斜面では中新世の堆積岩の上に安山岩溶岩が載る地質構造となっており、地盤変動によって押し出されたような形で上盤側の安山岩溶岩と古い地すべり性の砂礫層が崩落したと考えられる。

    4.考察
     いずれの事例も、下位の堆積岩と上位の火山岩という二層構造を有した斜面で、背後斜面の線状凹地や地すべり滑落崖に沿って新たな亀裂が発生するとともに斜面前縁部で崩壊が発生する、という共通した特徴を持っている。とくに温湯では地震動によって密度の高い上盤側の地層が、密度の低い下盤側に沈下するような変形が発生した結果、谷側斜面がはらみ出し、斜面脚部の崩壊や層理面すべりが発生した可能性がある(図3)。このような受け盤側斜面の地盤変動は流れ盤斜面ほど顕著な地形変化を伴わないため、その危険性が見逃されやすいが、流れ盤斜面と比べて急傾斜であることが多く、地震後の降雨によって崩壊する可能性もあることから注意が必要と思われる。なお、本研究の一部には岩手県と(株)国土防災の資料を使用させて頂いた。ここに記して感謝いたします。
  • 佐藤 浩, 中埜 貴元, 宇根 寛
    セッションID: 605
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    2007年3月25日、能登半島西岸付近の深さ約10kmで能登半島地震(M-6.9)が発生した。先行研究は、合成開口レーダ(synthetic aperture radar)干渉画像(以下、SAR干渉画像)を用いて、石川県七尾市中島町古江において馬蹄形状の地表変位を見出し、それが地殻変動や地すべり地形分布図(防災科学技術研究所)の地すべり地形とは無関係に生じた初生地すべりの可能性を指摘した。本研究では、航空レーザ測量等高線図から微地形分類図を作成し、地表変位と微地形の関係をより詳細に調べた。その結果、地表変位の南西部に地すべり地形が見出されたが滑落崖の向きが地表変位の向きと一致せず、また、地表変位の内部には地すべり地形が見出されなかった。このことから、初生地すべりの可能性を裏付けたが、その素因を探るには、風化層の厚さと帯水層、そして地表変位が分布する地層に挟在する凝灰岩など、地すべりの素因の三次元的な分布を把握する必要があり、今後、ボーリング調査や物理探査を実施することが望ましい。
  • 小荒井 衛, 天野 一男
    セッションID: 606
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに 日本の土地条件図は、2006年度から国土地理院よりベクトルデータとして刊行されており、容易に他のGISデータと組み合わせて解析することが可能である。例えば小荒井ほか(2007)は、土地条件図の地形分類ポリゴンデータを過去の地震災害の建物被害のポリゴンデータとオーバーレイし、建物被害の高い地形と低い地形を抽出した。また、地形分類の結果を地震時における地盤応答特性という視点でまとめ直し、一種のハザードマップである「揺れやすさマップ」あるいは「液状化しやすさマップ」を作成することも容易である。本研究では、地形分類データを活用した災害脆弱性評価手法について検討する。本研究は科学研究費補助金「空間地理情報の最適利用に基づくリアリティのあるハザードマップの開発」(研究代表者:鈴木康弘名古屋大学教授)の費用を使っている。 2.地形分類と災害脆弱性の関連性解析 濃尾地震による濃尾平野の被害と安政東海地震・東南海地震による遠州灘の被害を対象に、地形分類と建物被害との関連性のGIS解析を行ったところ、段丘や扇状地では建物被害が相対的に小さいが、谷底平野・氾濫平野、海岸平野・三角州で建物被害が大きく、自然堤防でも建物被害が大きな箇所があり注意を要するという結果であった(小荒井ほか:2007)。この建物被害の傾向は、地形条件の他に、一般的には地盤条件が良いとされている自然堤防上でのより局所的な地盤の良否が反映されている可能性が大きい。建物被害の高い遠州灘沿岸の菊川と太田川流域を対象に、静岡県ボーリングDBをGIS上に展開し、N値の小さな泥層の厚さと建物被害との関連性についてGIS解析した。住家全壊率が60%以上の地域は、N値が10以下の泥層が厚い(5m以上)地域と対応が良い。土地条件図の地形分類を単純にハザードリスクに読み替えるだけでなく、浅層の地質地盤条件等も考慮する必要がある。 中越沖地震の災害調査結果では、砂丘の縁の部分で地盤の側方流動等が発生して建物被害が集中する箇所が認められた。柏崎平野は河口が砂州の発達で閉塞気味となって後背湿地のような環境で堆積しており、その上に砂丘の砂が堆積している。砂丘が隣接する地形によって、砂丘の縁の災害脆弱性が変わってくる。また大規模造成宅地では、盛土の部分で地盤変状が顕著に現れていた。単に地形分類結果だけで災害脆弱性を評価するだけでなく、地形形成過程をふまえたより詳細な地形分類の検討が必要性である。 3.地盤脆弱性に関する地形分類の読み換え表の提案 本研究では、地形分類の災害脆弱性への読み替え表を提案する。災害に比較的強いと考えられてきた砂丘は、砂丘の境界部が後背低地的な環境だと災害脆弱性が高くなる。谷底平野・氾濫平野と海岸平野・三角州とでは災害脆弱性に大きな差はなく、軟弱泥層の厚さなど浅層の地質地盤条件の違いが災害脆弱性に効いてくる。人工改変地は盛土部で災害脆弱性が高く、特に谷埋め盛土では地滑り的な斜面変動が生じうることから、人工改変前の地形情報も重要である。 以上の観点から次のように地震による災害脆弱性を整理した(表1)。砂丘に対しては、古砂丘については災害脆弱性がやや小さいとしても、完新世に形成された新砂丘は砂州・砂堆と災害脆弱性は変わらないものと考え、災害脆弱性は中程度とした。また、砂丘の縁辺部については接する地形が後背低地的な環境の場合に、災害脆弱性がやや大きいとした。谷底平野・氾濫平野に関しては、海岸平野・三角州と同様に災害脆弱性はやや大きいとし、その中でも平野の出口が砂丘や砂州・砂堆等で閉塞されて軟弱泥層が厚く堆積している可能性が高い地形の場合、災害脆弱性をより高く判断することとした。これらの地形分類の判断は、ボーリングデータ等の浅層地質の情報を判断材料に加えた方が有効であるが、そのようなデータが必ずしも入手できるとは限らないので、地形分類情報のみで判断することを前提とした提案としている。また、人工改変地についても、切土であれば災害脆弱性は中程度、盛土の場合はやや大きいとし、特に規模の大きな谷埋め盛土(新旧地形の比較により、盛土幅、盛土厚、谷の傾斜等から判断)の場合に災害脆弱性を大とした。
  • 楮原 京子, 黒澤 英樹, 小坂 英輝, 石丸 恒存
    セッションID: 607
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    1.はじめに
     今回報告する断層露頭は,岐阜県飛騨市古川町杉崎で行われたバイパス工事に伴う斜面の開削によって出現したものである.杉崎は跡津川断層帯と高山・大原断層帯の中間に位置する(図1).跡津川断層帯は,主に中・古生代の飛騨変成岩類・船津花崗岩類,後期中生代~前期白亜紀の手取層群を切る,延長60km以上の長大な活断層である.跡津川断層沿いでは,断層を横断して北流する小鳥川,宮川,高原川の流路が系統的に右横ずれし,最大変位量は約3kmにおよぶ.跡津川断層の北西には,断層の走向と平行な定高性を持つの山地が広がり,前述の河川は,この山地を峡谷をなして流下する.
     一方,高山・大原断層帯は,北東-南西方向に延長20km程の数多くの断層によって構成される.その分布範囲は約40km四方におよび,それぞれの断層に沿って直線状の谷を形成するほか,支谷の屈曲が認められる.また,宮川,高原川の河谷は広く,高山盆地をはじめとする山間盆地が発達するため,跡津川断層帯地域との地形的特徴(起伏や開析程度の違い)の違いが明瞭である.
     露頭で出現した断層は,「新編日本の活断層」(活断層研究会,1991)で確実度IIIとされた断層(以下,太江断層と呼ぶ)にほぼ一致する.また,地質図上では,中・古生代の飛騨変成岩類・船津花崗岩類と後期中生代~前期白亜紀の手取層群を境する断層と解釈されている(野沢ほか,1975).一方で,近年に発行された活断層図では,活断層と見なされておらず(中田・今泉,2002),この断層の性状に関しては不明である.そこで演者らは,本断層の性状とその活動性を明らかにするために,空中写真判読と露頭周辺の地表踏査,および断層露頭の観察を行った.ここでは,太江断層の地形的特徴について報告する.

    2.太江断層の地形的特徴
     空中写真判読と地表踏査の結果,太江川流域の段丘面は大きく2つに区分された.低位の段丘面(II面)は谷底平野に広く分布し,太江川の側刻と移動によって多段化している.また,高位の段丘面(I面)は下太江から杉崎にかけて北側の山地から張り出す扇状地性の段丘面である.II面との比高は約20mである.また,この河谷北側の山麓には三角末端面が発達し,太江川と山田川は,神原峠を谷中分水界とする対頂谷をなすなど,活断層の存在を示唆する地形が多く認められる.さらに,地点数は僅かであるが,数m程の谷の屈曲(右横ずれ)や扇状地面上(I面)に南側への撓みが認められる.
     以上のことから,太江川の河谷は断層谷であり,太江断層は北側隆起を伴う右横ずれ断層であると判断される.また,その断層トレースは杉崎から東北東-西南西方向に太江川の谷底平野北縁に沿って神原峠を越え,神岡町柏原まで追跡できる.

    3.考察とまとめ
     跡津川断層帯を構成する断層は,北西隆起を伴うことが知られている.一方,大原-高山断層帯を構成する断層は,跡津川断層ほど明瞭ではなく,隆起の向きにばらつきがあるものの,大局的には南東隆起を示す.こうした変位様式の違いは,本地域の地形に表現されており,本地域の活断層のグルーピングを検討する際の1つの指標になりうると考えられる.そうした場合,太江断層は,跡津川断層帯に属し,その南縁を限る活断層と推察される.
     本断層のグルーピングに関しては,地質調査や物理探査を行うなど,本地域の地下構造とあわせて吟味する必要があるが,飛騨高原など山間部に発達する活構造の連続性を検討する上で,本断層の構造を理解することは重要である.今後,本断層ならびに周辺地域における積極的な調査研究を進めていきたい.
  • 中村 有吾, 西村 裕一, 中川 光弘, カイストレンコ ヴィクトル, イリエフ アレクサンドル
    セッションID: 608
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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     演者らは2007年5月および11月におこなわれた日本とロシアの共同調査により,国後島中部および色丹島の海岸付近の泥炭地においてテフラおよび津波堆積物の層序を記載した.調査したのは,国後島中央部・古釜布村の7地点,国後島南西部・泊村の8地点,色丹島太平洋岸の1地点で,全58試料のテフラを採取した.脱水処理した火山ガラスの屈折率(RIMS86による)および主成分化学組成(EDSによる)にもとづいて広域対比した.
     火山ガラス屈折率測定値と,北海道における完新世テフラの岩石学的特徴を検討したところ,本研究で扱ったテフラの中には,樽前aテフラ(Ta-a),駒ヶ岳c2テフラ(Ko-c2),摩周bテフラ(Ma-b),摩周d1テフラ(Ma-d1),樽前cテフラ(Ta-c)が存在することが明らかとなった.噴出年代はそれぞれ,Ta-a:AD1739年,Ko-c2:AD1694年,Ma-b:774-976 cal BP,Ta-c:2500-2800 cal BP,Ma-d1:3267-3368 cal BPである.これら広域テフラの同定については,北海道の模式露頭でそれぞれ試料を採取し,火山ガラスの主成分化学組成を比較することで,確実となった。
     以上のように,国後島・色丹島で得た58試料のうち,34試料が北海道起源の広域テフラに同定できた.残りの24試料については,現在のところ岩石学的特徴の類似するテフラが北海道で見つかっていないので,その多くは国後島(または択捉島)起源と思われる.この24試料を,岩石学的特徴および広域テフラとの関係により整理すると,少なくとも12層のテフラの存在が明らかとなる.このうち6層のテフラは,火山ガラス屈折率がn=1.480-1.490と他より低く,SiO2含有量がやや高い(78-80%前後)のが特徴である.
     国後島起源と考えられるテフラは,火山ガラスのTiO2-K2O組成にもとづき,6タイプに分類できる.TiO2-K2O組成の違いは給源火口の違いを示唆する.ただし,6タイプのうち4タイプは組成が類似しており,同一の火山起源の可能性を否定できない.よって,テフラを供給した火山は少なくとも3座あった可能性が高い.低TiO2・低K2Oのテフラを供給した火山は,過去3000年以上にわたって活動を継続したことが明らかである.
     国後島のテフラについては既にいくつかの報告がある.しかし,本研究で扱った試料と特徴が合致するテフラは見つかっていないようである.国後・択捉島の火山については,今のところ利用できるデータが少なく,給源推定は今後の課題としたい.
     本研究で同定したテフラは,いずれも海岸に近い低地で得たものであり,津波堆積物の編年に利用できる.これらのテフラを用いれば,国後島における約3000年前から17世紀末にかけての津波堆積物を,北海道とほぼ同様の精度で編年できる.詳しい議論は別の機会に譲るが,約3000年前から17世紀末の津波堆積物編年について若干の考察をしておく.北海道東部の太平洋岸では,Ko-c2とTa-cの間に6ないし9層の津波堆積物が見つかっている.国後島中部・南部では2-3層で,明らかに北海道より少ない.色丹島で津波砂層が6層ある(ただし,Ko-c2がみられないため,それ以降のものを含む可能性もある)ことを考慮すると,千島海溝と色丹島,国後島の位置関係が,津波堆積物の枚数に影響したと考えられる.この件に関しては,今後の詳しい現地調査が望まれる.
  • 近藤 玲介, 植木 岳雪, 塚本 すみ子
    セッションID: 609
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
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    利尻火山の火山麓扇状地の概要と研究目的
    北海道北部の日本海上に位置する利尻島は,約20万年前以降から数千年前までの間に活動した利尻火山からなる(石塚,1999).利尻火山は,中央部の利尻山(1721 m)を最高峰とする成層火山体と多数の側火山から成り,侵食谷と山麓緩斜面が取り囲む.山麓緩斜面の大部分は火山麓扇状地であり,利尻島の約60%の面積を占める地形面である(守屋,1975).火山麓扇状地は,段丘化している古期火山麓扇状地と,侵食谷底から海岸線まで堆積面がスムーズに連続する新期火山麓扇状地に区分される(三浦,2003).古期火山麓扇状地は主に利尻島の西部と北部に発達している.利尻島西部の古期火山麓扇状地は海岸部において層厚10~15 m程度の砂礫層から構成され,約2万年前前後に主要部が堆積し,完新世初頭に離水したことが報告されている(近藤・塚本,2007).一方で,利尻島北部の古期火山麓扇状地堆積物は厚い堆積物で構成され,野塚溶岩流の周囲や上に堆積している.三浦・高岡(1993)は,野塚溶岩流の直下より約28 kaという14C年代を報告している.本研究の目的は,利尻火山北麓の火山麓扇状地の堆積物を記載とOSL年代測定法に基づき離水年代を推定し,火山活動や古環境の影響を明らかにすることである.
    利尻火山北麓の火山麓扇状地を構成する堆積物の記載
    利尻火山北麓で厚い古期火山麓扇状地堆積物が露出する利尻富士町湾内付近では,層厚50 m以上の扇状地構成物質が利尻火山の基盤をなす第三紀系を不整合に覆う.野塚溶岩流の周囲において観察される古期火山麓扇状地を構成する主な堆積物は,上位より層厚数mの細粒物質に富み葉理が発達する砂礫層(ユニット_I_),玄武岩質スコリアおよび野塚溶岩起源礫を多量に含む層厚約6 mの水成砂礫層と層厚約6 mの降下火砕物層(ユニット_II_),層厚20 m以上の基質が細粒で不淘汰な礫層(ユニット_III_)である.ユニット_I_やユニット_II_上部ではクリオタベーションが観察される.また,ユニット_I_は,厚さ10 cm以内の風成堆積物を挟む場合がある.ユニット_III_には,灰色を呈する玄武岩質溶岩礫が多く含まれ,人頭大以上の礫の多くは自破砕している.ユニット_I_は層厚数10 cm~約1 mの風成堆積物に覆われる.ユニット_II_とユニット_III_の境界部には葉理が発達し植物生痕を含む層厚約30 cmのシルト層が存在する.
    利尻富士町野塚においては,上位から腐植質土壌,風成堆積物,不淘汰な砂礫層,細粒物質に富み葉理が見られる砂礫層(ユニット_I_),玄武岩質スコリア層(ユニット_II_)が野塚溶岩流を覆う.ここでは,ユニット_I_,_II_を断ち割る化石凍結割れ目が存在する.
    OSL年代測定法
    OSL年代測定法では,堆積物中の石英の最終露光年代を求めることが可能である.利尻火山の噴出物中には石英を含まないが,利尻島の水成・風成堆積物中の微粒子(4~11μm)には石英のOSL信号が確認されているので,微細石英が島外からもたらされた可能性があり,OSL年代測定が適用可能である(近藤・塚本,2007).本研究では,ユニット_II_と_III_の境界に存在するシルト層および風成堆積物から試料を採取しOSL年代測定をおこなった.
    利尻火山北麓の火山麓扇状地の離水年代と発達の成因
    野塚溶岩流上の風成堆積物は約14 kaというOSL年代値を示した.このことは,ユニット_I_,_II_が約28 ka~14 kaの間に堆積したこと,化石凍結割れ目が最終氷期極相期に形成されたことを示す.また,ユニット_III_は自破砕礫を大量に含むことや,残留磁化測定の結果が高温での定置を示したので(植木・近藤,2009),噴火に伴い急速に堆積したホットラハールであると考えられる.以上の結果より,利尻火山北麓の古期火山麓扇状地は野塚溶岩流の噴出前後の山頂部の火山活動によって主構成物質が堆積したこと,およそ14 kaまでに離水したことが明らかになった.また,最終氷期極相期に形成された化石凍結割れ目の存在は,ユニット_I_の堆積要因に寒冷な気候環境が寄与していたことを示唆する.以上のように,利尻火山北麓の火山麓扇状地は,山頂部での火山活動と古環境の両方が影響して形成されたと考えられる.
    引用文献
      石塚(1999)火山,44,23-40;植木・近藤(2009)日本地理学会発表要旨集(本大会).;近藤(2007)日本地質学会講演要旨,325;三浦(2003)日本の地形(2)北海道,東京大学出版会,225-232;三浦・高岡(1993)第四紀研究,32,107-114.守屋(1975)北海道駒澤大学研究紀要, 9/10,107-126.
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