日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
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発表要旨
  • 新潟県小千谷市における地域復興支援員の活動を事例に
    渡邉 敬逸
    セッションID: 405
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.条件不利地域に対する人的支援制度の展開 戦後日本の条件不利地域に対する地域振興策は、過疎法に見られるように、地方自治体への施設整備を中心とする財政的支援を中心としてきた。一方、平成20年度から開始された総務省の集落支援員制度を嚆矢に、地方自治体がその地域振興を目的として登用する人材に係る各種経費に対して、国が財政的支援を行う人的支援制度が行われるようになっている。地域に対する見守り、地域活性化、地域復興、人材育成など、登用する人材の活動目標は制度によって多少の差異はあるものの、こうした人的支援制度による人材登用は平成24年度現在で全国約1400人を数える。また、国の支援によらず、地方自治体や民間団体が独自に行う局地的な人的支援制度も少なくない。人的支援制度を通じて登用された人材は、当該地域の住民と協働して地域に何かしらの変化をもたらす役割を期待されている。その点で,登用された人材の実践は地域変化において重要な役割を担っており,地域変化における人的関与という点から地理学の研究課題に位置づけられよう。

    一方、これらの人的支援制度については、過疎法と同様に、その恒久性が担保されているわけではない。また、同一人材の登用は時限的であることが多い。一般的に条件不利地域は慢性的な人材不足に悩まされており、変化に対する順応力と回復力が脆弱である。そのため、人的支援制度が終了したり、登用人材が変わったりした後も、地域に生じた変化のダイナミズムが持続するか否かは不明瞭である。

    2.研究目的と方法 こうした課題を踏まえ、本研究では人的支援制度の一つである新潟県中越地方における地域復興支援員制度を取り上げる。具体的な事例として新潟県小千谷市における地域復興支援員(以下、支援員)の活動プロセスを関係者に対する聞き取りと関係資料の分析から明らかにし、人材の登用による地域変化とその持続可能性について検討する。 平成20年度に始まった地域復興支援員制度は、平成16年10月に発生した新潟県中越地震からの復興支援を目的に、新潟県が出資する新潟県中越大震災復興基金により設立された人的支援制度である。平成24年度現在で中越地方5市に42名の支援員が配置されている。当初、同制度は平成24年度までの5年時限であったものの、平成24年度に制度の恒久化を視野に入れながら2年の時限延長が行われている。ただし、平成25年現在で恒久化についての具体的な見通しは立っておらず、いまだ状況は流動的である。また、平成24年度の時限延長時に多数の支援員の離職や配置転換が発生しているため、先に上げた人的支援制度の課題を検討する上で、適当な事例である。

    3.小千谷市における支援員の活動とその課題 小千谷市における支援員の活動はコミュニティ支援グループと特産物販売グループに分かれ、前者に6名、後者に2名がそれぞれ所属している。さらにコミュニティ支援グループは中山間地支援担当とネットワーク支援担当に分かれて各3名が担当している。なお、コミュニティ支援グループにおいては平成25年度に4人が入れ替わっている。本研究では主にコミュニティ支援グループを分析対象とした。

    平成20年から平成25年現在までコミュニティ支援グループの活動の大半を占めるのは地域運営支援に関わる事務作業であった。小千谷市は平成11年から平成20年まで、地域振興策として市内中山間地に市職員を配置し、地域運営に関わる庶務を担当していた。支援員導入の際にも地域側が同事業の継続を望んでいたため、コミュニティ支援グループは事務作業を中心とする地域運営に関わる庶務の大半を引き継いで、現在に至っている。地域に変化を起こしうる新しい活動としては、新潟県中越大震災復興基金に基づくコミュニティ支援メニューを活用し、各種イベント開催、直売所や農家レストランの運営、集落組織の改編、首都圏からの学生インターンの受入などが行われている。ただし、こうした新規事業の庶務もまた支援員の主な業務となっている。 このように、いずれの事業においても実施主体は地域住民であるものの、その事務処理を中心とする庶務を支援員が担っている。地域運営に関わる庶務は非常に多種多様であり、一朝一夕に引き継げる業務ではない。つまり、地域復興支援員制度が廃止された場合、小千谷市においては各種事業の停止による地域の停滞を招きかねない状況にあり、支援員の登用により生じつつある地域変化も持続的に継続するとは言い難い状況にあり、その対応策を早急に検討する必要があろう。

    [付記]本研究はJSPS研究費25884097の助成による成果である。
  • 群馬県桐生市桐生地区を事例として
    呉 鎮宏
    セッションID: 524
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    近年、まちづくりの資源として産業遺産が注目されている。産業構造の変化によって、地域の基幹産業が打撃を受け、それによって地域の景観が大きく変化したことを背景に、産業遺産によって代表される地域の歴史や景観を守っていきたいという意識が生じ、産業遺産保存の動きが出てきたのである。加えて石見銀山の世界遺産登録をきっかけに、産業遺産の観光資源としての役割も脚光を浴びている。<BR>それに連動し、産業遺産に関する研究も近年増えてきている。しかし、従来の研究が取り上げた地域は中核企業を有した鉱工業地域であり、中小工場が集積した地域における産業遺産とまちづくりとの関わりを論じた研究は管見の限りまだ多くはない。そこで本研究では中小工場が集積した地域における産業遺産によるまちづくり活動の展開と課題点について考察する。対象地域は、1992年に産業遺産を活かしたまちづくりを進めようと「近代化遺産拠点都市」を宣言した群馬県桐生市桐生地区である。<BR> 群馬県桐生市桐生地区は江戸時代以来、後背地の養蚕業を背景とした織物の町として発展してきた。特に、輸出用織物の大量生産によって活況を呈した明治から昭和年代に建築された織物産業関連の建築物や鋸屋根工場が現在も残っている。<BR> 近年、それらの建築物が織物産業で反映した町の歴史を伝える遺産として認識されるようになり、地域資源として見直されるようになった。そのきっかけは群馬県教育委員会が1990年度・1991年度に実施した群馬県近代化遺産総合調査で、桐生地区における織物生産現場としての鋸屋根工場とその関連建築物が文化財として価値づけられた点にあり、1992年には市議会が「近代化遺産拠点都市宣言」を採択している。<BR> これらを受けた市は市内に残る歴史的建築物の詳細な調査を行い、織物に関わる商家の町並みが残る本町地区の伝建地区指定を目指したほか、特に歴史的価値の高い建築物について市が譲り受けて保存活用をし、また鋸屋根工場の利活用などを進めている。<BR> 商家の町並み保存に関しては、すでに伝建群保存地区という枠組みがあったため、行政が関わりやすく、市は地域の合意形成のため主導的な役割を担っていくことができた。更に2012年に重伝建指定を達成した。<BR> 一方、商工会議所は1996年のファッションタウン構想の中に産業遺産を組み入れ、まちづくりの資源と位置付け、更にファッションタウン桐生推進協議会(以下FT桐生)を設立し構想を推進していく中で鋸屋根工場の保存活用についての活動も行ったが、工場の消滅が絶えない。調査によると、桐生地区で1989年に312棟あった鋸屋根工場は、2004年には237棟とり、その後も減少している。<BR> この鋸屋根工場の消滅に歯止めをかけ、まちづくりに組み入れていくには、工場の利活用が必須である。桐生地区では、工場をベーカリーカフェに生まれ変わらせた例や、飲食店、美容室、ワインセラー、アーティスト工房などの活用事例がある。ただしそれ以外の残存する鋸屋根工場の利用実態は駐車場や倉庫がほとんどであり、所有者が活用を希望する場合でも、賃貸希望者とのマッチングが順調に成立しているとは言い難い。<BR> これら課題を解決していくため、桐生で現在期待されているのが産業観光である。2008年に、保存された産業遺産をつなぎながら桐生地区の歴史を観光コースとして提示する方向性が模索され、桐生市出身の定年退職者を中心に「桐生再生」というNPO法人が設立された。桐生再生は、主に市内のボランティアガイドツアーを行っている。観光コースは桐生地区の重伝建地区や周辺の鋸屋根工場を巡るもので、設立年度のツアー参加者は89人で、2012年度には789人となった。<BR> 以上を踏まえて考察すると、桐生市の産業遺産によるまちづくりについて以下が指摘できる。<BR> ①産業遺産はもともと生産の場であり、その役割を終えると存在価値を失ってしまう。桐生地区では、市の調査活動と文化財登録制度の活用によって、桐生地区における織物産業遺産のコンテンツとなる建造物が地域資源として市民に認識されるに至った。更にFT桐生の活動によって、残った工場が転用されることで保存に至る事例も出た。これは市とFT桐生が努力した成果といえよう。一方で、これは工場単体の保存活用事例であり、直接的な経済的支援策が欠けていたこともあって、全体として工場の減少には依然歯止めがかかっていない。<BR> ②桐生地区のまちづくりが個別の保存活動に終始し横断的な取り組みへ繋がってこない点が課題であったが、近年、桐生再生が残された産業遺産を観光ルートとして結ぶことによる産業観光事業に取り組んでおり、この取り組みはまちづくりの課題を補うことのできる活動であるといえる。
  • 熊本・白川を事例に
    本岡 拓哉
    セッションID: 319
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    第二次世界大戦の終戦直後からおよそ1970年代終わりまでの間、都市部の河川敷の中には居住の場として存在していたところも多かった。すなわち、戦災都市の河川敷にはセルフビルドのバラックが建ち並び、「不法占用/不法占拠」「スラム」というレッテルを受けながらも、河川敷は居住の場としての機能を有していたのである。とりわけ住宅差別を受けた在日コリアンなどの社会的周縁層、経済的社会的弱者たちもそうした河川敷に留まることとなったが、その一方で、都市部の河川敷は養豚業や廃品回収業などにも適した環境であったため、かれらはこうしたインフォーマルな労働によって賃金を獲得することも可能であった。しかし、戦災復興による都市化、さらには1964年の「新河川法」制定を契機に、河川敷の整備は進み、その景観は大きく変容し、河川敷居住は消滅していくことになった。本報告では、戦後期に最も大規模な形で河川敷居住が見られた熊本・白川(一級河川、流域面積480km²)を事例に取り上げ、戦後の「河川敷」居住に対する行政(熊本市、熊本県、建設省)の対応を辿り、1970年代までそれが存続した要因について明らかにする。
  • 小川 滋之
    セッションID: 904
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     ヤエガワカンバBetula davurica Pall.は,北東アジアに広く分布するカバノキ科カバノキ属の落葉高木である.極東ロシアから中国東北部の大陸部では,モンゴリナラ(ミズナラと近縁)とともに落葉広葉樹林の代表的な構成種として広く分布する.しかし日本列島では,本州中部や北海道の一部に小林分や単木としてのみ分布する.これらの分布地の成因について,地すべり地形に形成された林分では,斜面崩壊により大規模な林冠ギャップが出現することが重要であると報告されている.しかし,地すべり地形以外でもヤエガワカンバ林の成因として斜面崩壊が関与するかは不明である.そこで本報告では,非地すべり地形におけるヤエガワカンバ林の成因について,外秩父山地南部にみられる小林分を取り上げて検討する.
     調査地は,外秩父山地南部の中でも蕨山北側斜面(標高1020 m-1044 m)を選定した.外秩父山地南部は,ヤエガワカンバの分布密度は低いが,蕨山北側斜面では比較的まとまってみられる.ここは,秩父中・古生層チャートが基盤となる山頂平坦面に,ヤエガワカンバの小林分が分布する.調査は,樹木個体の分布調査と表層土壌の調査を行った.
     蕨山北斜面におけるヤエガワカンバの分布は,ミズナラやクリなどの高木性樹種が少ない林冠ギャップに集中した.林冠ギャップには,リョウブやアオハダ,ウリハダカエデなどが多くみられた.表層土壌は,林冠ギャップ内の調査地点では腐植層と粘土層が互層になる構造がみられたが,林冠ギャップ外の調査地点では上層に腐植層,下層に粘土層という安定した構造であった.このことから蕨山北斜面でも,林冠ギャップの出現がヤエガワカンバ林の成因になるといえる.林冠ギャップの形成には,互層になる土層の構造から斜面崩壊が関与している可能性がある.しかし,地すべり地形と比較して斜面崩壊が小規模なため,林分自体の規模も小さくなっていると結論した.
  • 半澤 誠司
    セッションID: P059
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     公開されている公的統計からは十分に把握されていない日本のコンテンツ産業の実態を,平成21年度経済センサスの個票データによって明らかにする. 具体的には,「ゲームソフトウェア業」「映画・ビデオ制作業(テレビジョン番組制作業,アニメーション制作業を除く)」「アニメーション制作業」「映画・ビデオ・テレビジョン番組配給業」「レコード制作業」「ラジオ番組制作業」の7産業細分類における事業所数・従業者数・立地である.
  • マラウイ一村一品運動の事例
    吉田 栄一
    セッションID: 519
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
     発展途上国の農村開発には主体となる生産者や生産者組織に加えて、農業普及員や村落開発普及員など行政のアクター、投入財を売り産品を買いつける商人、そして開発資源を提供する各国の政府開発援助機関やNGOなど多様なアクターが関わっている。南部アフリカ・マラウイにおいては地方分権化の進展によって農村開発に関わるアクターが再編され、同時に開発資源を提供するアクターと生産者のかかわり方も変容している。本研究では発展途上国の農村空間において開発資源へのアクセスをめぐり様々なスケールのアクターが構築する開発の領域に注目している。特にアクターがネットワーク構築によって資源へのアクセスを確保し生産地域を拡大する過程に注目し、開発に関与する側のアクターの描く「開発されるべき領域」と実際に生産者組織によって「開発される領域」に生じる相違を、アクターネットワークによる開発の領域化を通して説明することを目的としている。
    2.研究対象
     マラウイの農村においてはプランテーション農業をモデルとするエステート農業が独立後も長らく政策の中心にあった。一方の就労人口的に圧倒的多数を占める小農については組織化による組合形成を政策の中心においてきた。特に2003年よりマラウイ農村各地では日本の援助を得て農業組合政策と地方分権化政策を包摂した地域振興プログラムとして一村一品運動(OVOP)が展開している。OVOPについては開発資源が政治的に利用されること、省庁間や地方行政による開発資源の主導権争いによってプログラムの趣旨が変容すること、地域社会運動の一部にすぎない産 品開発が主目的と変わり、概念の移転の難しさが指摘されてきた。その一方でプログラム自体は農村開発に導入後10年が過ぎ、中には参加者生産規模も拡大し地域に定着している組織もうまれている。
    3.研究方法
     本研究ではプログラムに参加している組合法人を対象に面談調査を実施し、組合組織の形成や参加の意思決定、資源へのアクセス、参加後の意思決定変容におけるネットワーク形成とその変化の領域的意味を明らかにする。特に参加者の拡大縮小、生産の変容の中でのリーダーシップや、イニシアチブの形成、グループからの分離、離脱、融合によって参加する生産者のネットワークがどのような変化を遂げてきたか調査した。具体的には3組合(K籐竹工芸組合、N醸造組合、M農商組合)について原料買付の範囲や、販売促進の空間拡大、技術導入とその普及などを通して地域内外に展開した「開発される空間」を、生産者や周辺アクターを含めてデータ収集しその領域変容を検討した。あわせて周辺の生産者や、類似の活動、周辺での政府や開発援助機関の関与、普及員などとの関係がこの領域化形成に与える影響を検討した。
    4.調査結果 
     開発に関与する側の影響力の強い組合はネットワークがシンプルで、かつ開発資源へのアクセスも容易で想定される開発の領域に近い領域が開発されるのだが活動の展開が弱く、一方地域の有力生産者の組合はネットワークの展開が多角的で開発の領域は可変的かつ想定されたものとは異なっているが活動は継続的で地域との強い関わりが確認された。  
  • 和田 崇
    セッションID: 420
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    映画制作業は文化・コンテンツ産業あるいは創造産業の一つであり,都市への集積が顕著にみられる。その一方で近年,芸術的および経済的な理由から撮影工程がハリウッドから離れた国内外の他都市で行われるケースが増加しており,映画産業の空洞化をもたらす「逃げる生産問題(Runaway production)」として認識されている。撮影工程の空間的分離は,撮影隊の滞在に伴う経済的効果に加え,映画公開を通じた知名度および地域イメージの向上,住民らによる地域魅力の再発見とまちづくり機運の高まり,撮影地を訪れる観光客数の増加など,撮影地に多面的な効果をもたらす可能性がある。そのため近年,自治体や経済団体はフィルム・コミッションを組織し,映画撮影の誘致および支援,映画公開に乗じた観光振興に積極的に取り組むようになっている(Beeton 2005ほか)。 以上を踏まえ本報告は,映画制作業にみられる撮影工程の空間的分離とそれへの地域的対応の実態を報告することを目的とする。具体的に,制作本数(2010年)が世界最多で,近年は「バージン・ロケーション」を求めて海外での撮影が急増しているといわれるインド映画をとりあげ,2013年から新たな撮影地の一つとして注目されつつある日本における撮影実態を日本のフィルム・コミッションによる誘致・支援活動とあわせて報告する。
    富山県では2013年4月,タミル語映画の撮影が行われた。富山で撮影が行われることになったきっかけは,2012年9月に駐日インド大使が富山県知事を表敬訪問した際に,同大使が知事にインド映画の富山ロケ誘致を提案したことにある。知事がその提案に関心を示すと,インド大使館は東京でICT関連事業と日印交流事業などを営むMJ社を富山ロケーション・オフィスに紹介した。MJ社がインド人社員N氏の知人であるチェンナイ在住の映画監督を通じてタミル映画界に富山ロケを働きかけたところ,U社が上記映画のダンスシーンを富山で撮影することを決定した。2013年3月に事前調整のために監督などが富山に滞在したのに続き,同年4月に27名の撮影チームが富山を訪問し,9日間にわたり富山市内のほか立山や五箇山合掌造り集落などで撮影を行った。この映画は2014年6月からタミル・ナードゥ州はもとより隣接3州,海外の映画館でも2か月以上にわたって上映され,公開後3週間はタミル語映画売上ランキング1位を記録するなど,興行的に成功した。一方,富山ロケによる地域波及効果は,撮影チームの滞在に伴う経済効果として約360万円が推計されるほか,日本とインドのメディアによる紹介,俳優らによるFacebook記事,映画および宣伝映像を通じた風景の露出などを通じて,相当のPR効果があったとみられている。映画鑑賞を動機とした観光行動については,インド本国からの観光客は確認できないものの,在日インド人による富山訪問件数が若干増加しているという。
    大阪府では2013年8月にタミル語映画,同年11月にヒンディー語映画の撮影が行われた。大阪とインド映画の関わりは,大阪府と大阪市などが共同で運営する大阪フィルム・カウンシルがインドの市場規模と映画が娯楽の中心であることに着目し,2012年度からインド映画の撮影誘致活動を展開するようになったのが始まりである。具体的には2013年2月にムンバイを訪問し,映画関係者に大阪ロケを働きかけたが,そこでは十分な成果を挙げることができなかった。一方で同じ頃,神戸で日印交流事業などを営むJI社のインド人経営者S氏が大阪フィルム・カウンシルにインド映画の撮影受入の可能性を打診しており,2013年5月にはいよいよタミル語映画の撮影受入を提案した。大阪フィルム・カウンシルはこの提案を受け入れ,撮影チームとの調整業務についてJI社と契約を締結した。2013年8月に25名の撮影チームが大阪と神戸を訪れ,水族館や高層ビル,植物園などで撮影を行った。その後,JI社からヒンディー語映画の撮影受入が提案され,同年11月に約40名の撮影チームが大阪城公園などで撮影を行った。
    大阪ロケによる地域波及効果については,富山ロケと同様に,撮影チームの滞在に伴う経済効果と各種メディアを通じたPR効果があったとみられるが,映画鑑賞を動機としたインド人観光客数の増加は確認されていない。
    2つの事例に共通する点として,①フィルム・コミッションがインドからの観光客増加を目指して撮影受入・支援に取り組んでいること,②実際の撮影受入・支援には在日インド人が重要な役割を果たしていること,③現段階ではインド人観光客数の増加は確認できないこと,が挙げられる。この他,両フィルム・コミッションとも撮影支援を通じて日本とインドのビジネス慣行や文化の違いが浮き彫りになったと指摘している。 
  • 西山 弘泰
    セッションID: 812
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに 
     人口減少に伴い,空き家の増加による住環境の悪化が懸念されている.国土交通省の試算では,2040年における全国の空き家数は1,335万戸,全戸数に占める割合が22.7%になるとしており,空き家の問題はむしろ今後10年から20年後に深刻な状況を迎えることが予想される.そのため,今後増加が予想される空き家にどう対応していくかということを議論し,適切な対応をとっていくことが求められる.2010年ごろから空き家問題がマスメディア等でも大きく取り上げられるようになったことから,社会的関心事として注目を集めている.昨今の風潮を鑑みると,空き家の問題が実態以上にクローズアップされていることは否めないが,それに比例して国や自治体も空き家の実態調査や条例・法制度の整備に積極的に取り組み始めている.ところが,多くの研究では空間的な視点や地域性な視点が欠落し,それがあたかも全国一律で生じているかのように論じられているものも散見される.空き家の発生は,都市規模の大小,都市化の時期,就業地との関係など,地域性から考察を行い,その発生メカニズムを解明していく必要がある.そこで本研究では,栃木県宇都宮市を事例に全市域の空き家を対象とした空き家調査の結果から,空き家発生の空間的特徴を明らかにする. 
    2.調査地域の概要と研究方法
     宇都宮市は栃木県のほぼ中央に位置し,50万人の人口を有する北関東最大の都市である.加えて北関東屈指の工業団地が市東部に立地し,2010年の製造品出荷額は18,068億円(全国9位)と,工業都市としての側面も強い.道路交通が充実していることから,郊外には大規模住宅地や大型店舗が多数立地している.東京へのアクセスも良好なことから東京や埼玉への通勤者も多い.本研究の資料である「空き家実態調査」は,宇都宮市が2014年度の制定を目指している「(仮称)空き家等に関する条例」に先駆けて実施されたもので,宇都宮市市民まちづくり部生活安心課が中心となって実施したものである. まず,宇都宮市全体の空き家の位置を把握するため,上下水道局の水道栓データと,資産税課の家屋課税台帳のデータをGIS上でマッチングさせ,閉栓している専用住宅を暫定的な空き家(8,628戸)とした.なお,今回は専用住宅以外の空き家は対象に含めていない. 続いて暫定的な空き家すべてについて現地調査を行い,「空き家等判別基準」(宇都宮市作成)を設けた上で4,635戸を空き家とした.現地調査では,上記の判別基準に基づいて,建物の腐朽破損度(建物全体,外壁,屋根,窓ガラス,出入り口の状況),対象物の構造(表札,木造,非木造,階数),敷地の状況(雑草・樹木,塀,郵便ポストの状況等),その他周辺環境(接道状況,売却・賃貸募集看板の有無等)について外観目視により調査を行った.建物の腐朽破損度については状態の良いものからA判定,B判定,C判定,D判定,判定不能の5つに分類した. 最後に,空き家と判定されたものの中から,登記簿等で所有者の住所を特定し,住所が判明した1,511世帯に郵送によるアンケート調査を行い,62.4%の回答を得た. 
    3.空き家の空間的特徴 
     宇都宮市の空き家は1970-79年築が1,616戸と最も多く,1970年以前を含めると半数以上が築30年を超えていた.とはいえ,約7割の空き家は目立った腐朽破損が認められず,対応に緊急性を要するD判定は247件と少ない.空き家の分布をみてみると,市街化区域全体にほぼ均一に広がっているようにみえる。しかし,分布の傾向を詳しくみると,空き家の分布には一定の規則性を見出すことができる.それは①75歳以上の人口が多い地域で空き家が多いこと,②急激な郊外化以前に市街地だった地域(1970年DID)内において比較的空き家の密度が高いこと,②近年区画整理事業が完了し,築年数の浅い住宅が多い地域で空き家が少ないことがわかった.このように,空き家は市街地全体において分布が認められるものの,諸地域の都市化時期や居住者の属性などの地域性がその分布と一定の相関を有していることが明らかとなった.以上のように空き家の発生メカニズムは,核家族化の進展や人口減少などといった社会的要因がある中で,都市化の時期や居住者の年齢などといった地域性が強く働き,それが空き家分布の地域的差異を生じさせていることが指摘できる。今後は地価や住宅需要といった市場性,生活利便性などとも絡めながら考察することが求められる。
  • 水嶋 一雄
    セッションID: 513
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    研究対象地域のパキスタン北部地域ゴジャール地区フセイニ村は、1980年代半ばまで麦類や豆類などの穀物を輪作する栽培と移牧を基本とした伝統的農牧業で自給自足生活を維持してきた。ところが、1987年にこのゴジャール地区を貫通するカラコラム・ハイウエーの開通は、村に商品・貨幣経済の市場経済化を浸透させ、村の自給自足生活は大きく変化した。村は新たな生活に対応するため、貨幣収入の糧を、これまでの穀物栽培から換金作物のジャガイモ栽培へと農業形態を大きく変化させたが、この栽培には安定した灌漑用水が求められたが、フセイニ村はこの面積の拡大で灌漑用水不足問題に直面した。
  • 目代 邦康
    セッションID: S0204
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    日本のジオパークは,世界ジオパークとなっている6箇所を含め,2014年1月現在33箇所である.新たにジオパークになった地域では,地元の新聞などに,まれではあるが「ジオパークに登録」といった記事が出ることがある.この表現は誤りである.ジオパーク認定と書かれることもあるが,これは誤りではないが正確でもない.正しくは世界(あるいは日本)ジオパークネットワーク加盟認定ということである.これは,それぞれのジオパークが主体性を持った組織体であり,ジオパークになるということは,その組織体の連合(ネットワーク)に加盟し,ジオパークであるということを名乗ることができるということである.個別のジオパークの活動が重要であり,その活動そのものがジオパークの実体である.たとえば,国際連合に新たな国が加わったとき,国連に登録,あるいは国連に認定とは言わず,国連に加盟ということと同じである.  特定の地域が,地域の自然資源を保全し,それを地域振興に役立てようとする活動は,ジオパークの枠組みを用いずとも様々な方法がある.様々な方法がある中で,地域に存在する資源を評価し,地域に適した方法論を考えた上で,ジオパークが適しているとその地域が判断すれば,その地域は,ジオパークに向けての活動を開始したことになる. ジオパークになる利点は,それが各地のジオパークの連携を大事にするネットワークの機能があることである.一方,ネットワーク側は,ジオパークとしてブランドの価値を維持していくため,新たにジオパークになろうとしている地域に対して,そこがジオパークの目的を実現するための,資源を有しているか,また準備ができているか,客観的な評価をすることとなる.その評価の対象となるのは,地(質)遺産(geoheritage)を評価し,その保全が図られているか,あるいは持続可能な発展(sustainable development)を実現するための組織,計画は整っているかなどである.ジオパークとしての評価すなわち審査を経ることにより,ジオパークになった地域は,ジオパークという価値づけ(valuing)がなされ,その地域においては保全に対しての意識を高まり,外部に対しては他地域との差異が生まれ,ジオツーリズムの対象として認識されるようになる.研究者がツーリストといった外部から評価をうけ,それがジオツーリズムなどの地域振興につながることにより,地域の自然環境や文化の保全に対してのインセンティブが働くようになる.審査制度による価値付けは,このような自律性をもった地域の持続可能な発展を促す役割を持つ.
  • 山川 修治, 高 優大, 井上 誠
    セッションID: P026
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    モンスーンの中心であるモンスーン低気圧の上部には低気圧を覆うようにチベット高気圧が存在し、その要因はチベット高原からの顕熱放出、またモンスーントラフに伴う降水による潜熱放出であるためモンスーンとチベット高気圧には正の相関がある。 本研究ではモンスーンの強い年(以下 SMY))の月別変動・季節内変動を詳しく追った。 結果はZhang,Wu(2002)、 井上(2004)で記述しているTM(チベットモード)、IM(イランモード)の高気圧偏差が、4月既に明瞭であり、夏季モンスーンへの応答が示唆された。 また季節内変動では4月2ndでTMにおいて明瞭な正偏差が見られ、予測に活用出来る可能性がある。  
  • 磯 望, 宗 建郎, 黒木 貴一, 黒田 圭介, 後藤 健介
    セッションID: P043
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     この研究は、土砂災害の集中的に発生した地域の出現範囲の経年的変化について、GISソフトを用いて解析し、最近の土砂災害の時空分布の特徴を明らかにすることを目的とする。調査は1988~2010年までの22年間の福岡県の土砂災害のうち, 福岡県県土整備局砂防課による土砂災害年次報告により行った.土砂災害の種類は、崩壊・地すべり・土石流である。また被災地区の面積など、災害規模の大小についてはここでは無視し、発生地点数のみに着目して整理した。<BR> 作業はArcGISを用いて、県内の土砂災害発生地点を5年間まとめてプロットした。5年間の土砂発生地点の密度が比較的高い地域を抽出し、土砂災害発生地点密度は、検索半径10kmとしたカーネル密度で、1km2あたりの土砂災害発生地点数の値を1㎞メッシュごとに求めた。その結果、5年間累計の災害発生地点数密度が0.1箇所/km2未満、0.1~0.5箇所/km2、0.5~1.0箇所/km2、1.0箇所/km2以上となる地域に区分して示した。<BR>
     土砂災害発生地点の分布図を描くと、1年間では県内の災害発生地点位置の分布は県内では局地的にしか出現せず、そのほかは全く土砂災害が生じない。しかし、特別な集中豪雨が発生しない限り、この傾向がほぼ毎年繰り返すことが確認された。しかし、土砂災害発生地点を5年間分累積させて作成した分布図では、平地を除けば、県内の一部ではなく、疎密は別として、ほぼすべての地域で土砂災害が分布しているように見えることが明らかになった(磯ほか, 2012)。このことから、筆者らは福岡県では5年間の土砂災害発生地点分布の集計期間を1年毎に移動させる方法で土砂災害分布密度の傾向を検討し、土砂災害発生の時空分布の特徴の一部を示すことができるものと判断した。<BR> 福岡県の1988~1992年以降2006~2010年までの5年間災害発生地点数密度分布図を作成すると、県内ではその値が0.5箇所/km2以上に達する集中した土砂災害発生は、2003年のみでこの22年間では災害密度では特徴がある。 一方、災害発生地点数密度が0.1 箇所 /km2以上となる地区の面積は、この期間では1993~1997年が最大となり県全体の面積の30.0%に達した。この期間は、1993年と1997年に生じた梅雨末期豪雨と台風との双方の災害を含み、広域にわたってやや低密度で土砂災害を発生させた。 
  • 小泉 武栄
    セッションID: S0206
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    日本ジオパーク委員会委員11名のうち地理学者は2人しかいないが、審査を担当した場合、その役割は大きい。ジオパーク候補地の説明者は地質関係者がでてくることが多いが、彼らの頭の中には、地形はともかく、植生や文化財、土地利用などは入っていない。そうした部分について逆に説明し、ジオパークの魅力を増すように働きかけるのが、地理学者の役割である。
  • タイ王国パカラン岬における2004年インド洋大津波後の事例
    小岩 直人, 大高 明史, 葛西 未央, 伊藤 晶文
    セッションID: 627
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ. はじめに2004年インド洋大津波、2011年東北地方太平洋沖地震津波では、津波で侵食された海岸部の地形が、比較的短期間で回復する事例が報告されている。これらの回復過程を検討することは、地形形成プロセスを解明する上で貴重な資料になることは明らかである。発表者らは、タイ南西部Khao Lak周辺において、2004年のインド洋大津波時に消失した海浜地形の再生過程について、2006年以降に継続的な調査を実施している。調査地域では津波時に消失した砂嘴が再生されつつあるが、砂嘴はサンゴ礫を主体としており、堆積時の微地形が保存されていることから、初期状態からの砂嘴の発達過程を微地形の変化から詳細に検討することが可能である。Ⅱ. 調査地域および調査方法調査地域周辺は、高さは7m以上の津波が襲来し、Pakarang岬から北北西に砂嘴が伸びていた砂嘴(先端部)が侵食されている。2006年11月~2013年11月に計9回実施した。津波後の現地調査(GPS、オートレベル、TruPulse)による測量を現地調査では砂嘴の外縁、砂嘴上の微地形の分布、高度を把握し、データをGIS上で重ね合わせることにより、津波襲来時以降の地形変化を明らかにするとともに、植生の遷移についても検討を行った。 GPS測量は、GarminのGPSの他に、マゼラン社製のProMark3を用いたキネマティク測量を実施した。キネマッティック測量では、基準局と移動局の2台の受信機ユニットを使用し、測位インターバルを1~2秒に設定、移動局はアンテナ高2.11mとしてポールの下先端が地表面にほぼ接するように保持しながら移動した。測定誤差は垂直で数㎝程度である。Ⅲ. 調査結果調査地域の砂嘴は、中~粗粒砂からなる砂層の上に中礫~大礫サイズのサンゴ礫が被覆するという構造となっている。砂嘴の下部はサンゴ礫からなるウォッシュオーバーファンが発達している。また、サンゴ礫からなる細長いリッジ(幅数m、長さ約10~200m:以後リッジとする)が数列形成されている。リッジは、砂嘴の骨格をなしているウォッシュオーバーファンを被覆して発達している。砂嘴上の砂礫は、藻類が付着しており、陸上に打ち上げられて時間が経過すると黒みを帯び、その色調は古い部分ほど黒色の度合いを増す。これを利用して微地形の新旧の区別が可能である。さらに、調査地域ではリッジの切り合い関係が読み取ることができ、地形の発達方向が検討できる。  これらをもとにPakarang岬の砂嘴の発達過程を検討した結果は以下のようにまとめられる。 初期の段階では海底の浅い凸部を基にしてサンゴ礫からなるウォッシュオーバーファンが堆積する。その上に大潮時の海岸線を示すリッジが形成され、海側へ前進しながら複数のリッジ列をなす。これらが繰り返して砂嘴が成長する。リッジ形成後、リッジの低い部分から細粒堆積物のウォッシュオーバーがみられ、砂嘴上の凹凸を減少させ、厚みのある砂嘴が形成される。標高が高くなると、ウォッシュオーバーが生じにくくなり、地表面は安定し植生が進入する。植生の侵入は2010年頃から顕著になってきており、初期の段階では、ヒルガオのグンバイヒルガオが砂嘴の表面に分布する。このほか、モモタマナ(シクンシ科)、ヤエヤマオキ(アカネ科)、モクマオウ(モクマオウ科)などが侵入するが、これらと微地形との関係は発表時に述べる予定である。
  • 谷地田 遼介
    セッションID: P055
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
    新潟県は信濃川流域に広大な穀倉地帯を有している。一方で新潟市南区旧白根市を中心とした信濃川下流域においては、梨やぶどうや桃を中心とした果樹栽培が盛んに行われている。そしてこの一帯は、洋ナシ「ル・レクチェ」の発祥の地であり、全国一の生産量を誇ることが特色である。日本では、山梨県や山形県、長野県、岡山県など、各地に果樹栽培を盛んに行う地域がみられるが、新潟県のように稲作の盛んな地域の中で果樹栽培が行われるものとは対照的である。また、新潟県のような穀倉地帯における果樹栽培の特徴を分析した研究は少ない。そこで本研究では、全国的にみられやすい果樹栽培地域とは立地条件の異なる条件下において、どのような果樹栽培が展開されているのか、その特徴を分析する。
    2.研究方法 
    本研究では、まず信濃川下流域にあたる市区町村の中から、2010年において土地利用に占める果樹園の面積の割合が高い所を抽出する。そのため、各市町村において、果樹園・田・畑それぞれの耕地面積をみる。次に、抽出した市区町村の中から、昭和の大合併当時の旧市町村単位で、同じように果樹園の割合が高い地区を抽出する。それによって得られた地区を果樹栽培の盛んな所と定義する。また、それらについて、現在果樹栽培が盛んに行われるまでにどのような経緯をたどってきたのか、過去のデータを基にして、傾向を分析する。果樹園・田・畑の各土地利用の他、それぞれの土地で労働する経営体の数についても併せて検証する。ところで、本研究には1970年から政府によって行われた減反政策の影響により、土地利用の変化があったのではないかという予察がある。そのため、1970年より10年毎、2010年に至るまでの土地利用の変遷を追う。データについては、農林水産省で実施されている「世界農林業センサス」のデータを使用した。
    3.果樹栽培の盛んな地域の範囲
    ①果樹栽培の盛んな市区町村は新潟市江南区・新潟市南区・新潟市西蒲区・加茂市・三条市・田上町が抽出された。②抽出された6市区町村について、さらに果樹栽培の盛んな地区を抽出したところ、新潟市南区大郷・新飯田・茨曽根・月潟、新潟市西蒲区子吉、加茂市加茂・須田、三条市大島の8地区に絞られた。③これら8地区は、信濃川河口より30~50kmの範囲に集中し、特に信濃川の西側に注ぐ支流の中ノ口川に沿う所が多い。
    4.土地利用・経営体の経年変化
    ①1970年から果樹園の面積が増加し、その一方で田の面積が減少する傾向にある。このことから、減反政策に伴う転作が推進されたことが明らかになった。②だが、2000年をピークにそれまで増加傾向にあった果樹園の面積が減少に転じた地区が多い。③2010年に至るまで増加し続けているのは加茂市加茂と三条市大島の2地区のみである。特に大島地区では2010年において117.44haと、対象地区の中で最大の果樹園の面積を有する。④経営体は1970年からいずれの土地利用においても減少傾向にある。
    参考文献
    中野耕栄・平野信之 2001. 水田単作地帯における果樹産地の展開と今後の方向 –新潟県白根市の果樹産地事例から-. 農業普及研究 6(1):1-9
  • 遠藤 涼, 須貝 俊彦, 江連 靖英, 松四 雄騎, 松崎 浩之
    セッションID: 614
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1)はじめに 日本の高山地域には多重山稜と呼ばれる地形が多くみられ、形成メカニズムとして、周氷河作用説や、広域的な応力による断層説、重力性断層説などが提唱されている。だが先行研究では、多重山稜の形状や堆積物を元に議論されているものが多く、その形成過程の推定には、さらなるデータが必要である。本発表では、木曽駒ヶ岳東部の三重山稜において、地形データだけでなく、年代を考慮することによって、多重山稜の形成プロセスを推定することを目的とする。
    2)手法 航空写真によって、木曽山脈北部の地形分類を行った。三重山稜の横断面の測量をレーザー測距計により行った。稜線部(3+1か所)、凹地部(2か所)の計6か所から、最も古くかつ基盤岩と考えられる岩石を探し、その表面(厚さ<4cm)部分を採取した。採取した試料中に含まれる宇宙線生成各種 を用いて年代測定を行った。東京大学タンデム加速器研究施設において、Kohl and Nishiizumi(1992)の手法によって前処理を行い、加速器での測定後、Stone(2000)の方法により年代値に変換した。
    3)結果・考察 三重山稜の断面図を図1、各試料の年代値を図2にそれぞれ示す。
    ・形状 北向き斜面を比較すると傾斜は①>②≒③であった。また、主稜線を挟む斜面Ⅰ・①の傾斜は、Ⅰ<①であった。・周氷河斜面の形成 3地点で木曽山脈では氷河・周氷河作用の影響が強かった後期更新世(青木、1994)の年代を示し、周氷平滑斜面がこれらの時期に形成されたといえる。
    ・線状凹地の形成 線状凹地1は稜線を横断しており、山体全体が断層によりずれ動いたと考えられる。断層の変位速度は、始点を副稜線1(KSK-2R)、終点を線状凹地1(KSK-1T)として、水平方向:1.0mm/yr、垂直方向:0.83mm/yrとなる。これは、飛騨山脈の二重山稜において、西井・松四(2012)が推定した断層変位速度である、0.1~1mm/yrと近い値を示す。また、回転運動を伴ったと考える。回転中心を、斜面①を主稜線の上空方向に伸ばした延長線上にとると、地表面付近の傾斜が急になるような、時計まわりの回転成分を伴うすべり面を導くことができる。
     線状凹地2は北向き斜面②・③の傾斜がほぼ等しく、回転運動の伴わない断層運動、または亀裂により形成されたと考えられる。前者の場合、変位量はわずかで、KSK-1TとKSK-3Rに年代の差がそれほどないことから、線状凹地1が形成されてすぐに形成されたと考えられる。後者の場合、線状凹地2の形状が椀状である点を考慮すると、線状凹地1が前述の通り回転運動を伴う断層のずれにより形成されたとすれば、副稜線1が主稜線方向に引っ張られ、亀裂が形成されたと考えられる。あるいは副稜線2より北側の斜面の勾配が急であり、引張場となって形成されたと考えられる。
  • 北野 寛人, 豊田 哲也
    セッションID: P061
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    わが国の公共投資は1995年以降大幅な削減傾向にあり,土木建設業に依存する地域では経済に大きな打撃を受けた。また、地方分権と行財政改革を目的に市町村合併が推進され、財政力の弱い自治体の多くが合併に踏み切った。これにより本庁機能が置かれた地域は中心性が高まるが、行政機能を失う地域は衰退し、自治体内で地域格差が拡大することが懸念される。一方、合併後の自治体が合併特例債等の支援や規模拡大によるメリットを活かし、機動的・効率的な予算運用で重点的な基盤投資を行えば、むしろ地域格差が縮小することも期待しうる。ところが、市町村合併という行政組織の改革が地域経済に与える影響については未だ検討が進んでいない。本発表では、国土周辺地域の過疎山村である徳島県旧東祖谷山村(合併後は三好市東祖谷地区)を事例に、合併前後における公共事業の地域配分の変化を分析するとともに、地域の土木建設業の経営や雇用にいかなる影響を与えたか検証を行った. 東祖谷地区は旧村域の96%を急峻な四国山地が占める条件不利地域であり、全就業者数に占める建設業の構成比は31.3%と非常に高い。三好市の工事入札結果をもとに公共投資の地域別動向を分析すると、東祖谷の構成比は合併後に大幅な増加傾向を示す。これは、新市の政策決定において、社会基盤整備が遅れた東祖谷に重点的な配分を行うという、政治的配慮がはたらいたためと考えられる。また、東祖谷で実施される工事の大部分を合併後同地区に置かれた総合支所が発注しており、その件数の9割以上を地元の業者が落札・施工している。このように、地域の土木建設業者は「受注圏」の棲み分け慣行を維持し、安定的な受注を確保してきたと言える。しかしながら、全体的な公共事業の削減による影響は合併による効果を上回り、土木建設業者は厳しい経営状況に立たされている。同地区の完成工事高は2000年度の約58億円から、2012年度は約22億円に激減し、建設業者は21社から13社へ減少した。総従業員数は225人から139人へと減少し、高齢化が進んでいる。経営者の意識調査によると、新規分野への転換などには消極的で現状維持的な経営を行っている者が多い。公共事業の縮小や市町村合併というドラスティックな状況変化下でも、事例地域では地元建設業者に大きな再編は生じておらず、公共事業に依存する構造は続いていると言える。
  • 谷川  徹, 磯田 弦, 関根 良平, 花岡 和聖
    セッションID: 106
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    岩手県陸前高田市の、東日本大震災後の買い物行動についてのアンケート調査を実施した。その結果の速報を報告する。
  • 西村 雄一郎, 森田 匡俊, 大西 宏治, 廣内 大助
    セッションID: P042
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    東日本大震災以降、携帯電話やカーナビゲーションシステムのGPSログ、ソーシャルネットワークサービスなどにおける位置情報がついた書き込み、災害情報報道などを含むいわゆる「震災ビッグデータ」の分析が進んでおり、特にそれらに含まれる位置情報を活用したGISによるビジュアライゼーション・空間分析が行われている(渡邉 2012)。これらは、「マスメディア・カバレッジ・マップ」「報道カバレッジマップ」と名付けられており、音声の書き起こしテキストから地名を抽出し、地域区分に基づいて集計されたデータを地図化することによって、報道の地域的な偏りや報道空白地域を明らかにするものであった。
    一方、これらの分析で権利処理の関係などから利用されなかったのが震災発生時の放送映像である(村上 2013)。しかし、放送映像には、多くの地理的な情報が含まれており、被災地域のフィールドワークと組み合わせることによって、被災当時の状況や変化を復元することの可能な資料として、また報道と実際の被災状況のギャップを相互に検証することの可能なデータとして利用することが可能である。そこで、本発表では、2012年度に実施された「NHKアーカイブス学術利用トライアル研究Ⅱ」において、2000年9月東海豪雨のニュース映像の閲覧に基づくデータ化・地図化を行うとともに、ニュース映像に基づくデータと被災地域における地理学的なフィールドワークの結果をオーバーレイすることで比較を行い、こうした災害映像の被災状況復元のための利用可能性や限界、また報道内容と実際の被災状況の間にどのようなギャップや齟齬が発生したのかについて検討した。

    2.NHKアーカイブス災害映像からの地理的情報の抽出
    今回東海豪雨を対象として取り上げた主な理由としては、映像が数多く存在し、また報告者らがこれまでに複数回調査を行うなど、被災地域の地理的な環境や詳細な地理的情報を熟知しているためことによる。東海豪雨に関する映像資料の検索・閲覧は、NHKアーカイブズ(川口)で報告者自身が行った。ここでは、全国放送のニュース映像・並びに取材VTR素材の閲覧が可能であり、保存VTRの検索を行うことが可能なデータベースを利用して、東海豪雨に関連する映像の検索を行った。データベース・放送された映像のほとんどには、映像の撮影地点を特定する情報が入っていなかったため、検索された映像にみられるさまざまな地理的要素(交差点名の標識・店舗名を示す看板や広告、また道路・鉄道・街路樹等の形状や起伏、空撮の場合は道路網の形状、建物や堤防等の形状、被害状況など)を既存の地図情報や被災地域でフィールドワークによる景観的な特徴と照合し、撮影地点の特定を行った。
    3.報道マッピングとフィールドワークによるデータの比較分析
    このようにして作成した位置つきの撮影地点情報についてGISを用いてマッピングを行った。当日の発表では、特に名古屋市や周辺地域を含むマッピングの結果ならびに、フィールドワークや実際の被災状況と比較した結果を報告する。

    文献
    渡邉英徳:散在データ間の地理的・時間的関連性を提示するマッシュアップコンテンツの Web アクティビティによる制作,2012.https://sites.google.com/site/prj311/event/presentation-session/presentation-session3#TOC-Web-
    村上圭子「震災ビッグデータ」をどう生かすか−災害情報の今後を展望する−,放送研究と調査,pp. 2-25,2012.
  • 山縣 耕太郎, 長谷川 裕彦
    セッションID: 602
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     本研究では,ボリビアアンデス,チャルキニ峰において,完新世以降の温暖化に伴い縮小した氷河前面における土壌の生成過程を検討する.氷河前面では,氷河から解放された時点から土壌の生成が開始する.このため異なる時代に解放された地点の土壌を比較することによって,土壌の発達過程を検討することができる.また,土壌は,その生成過程において,気候ばかりではなく,地形や地質,植生,水分条件など,様々な環境因子の影響を受ける.こうした地表面環境と土壌発達過程の関係について検討する.
     チャルキニ峰(5392m)は,東コルディレラ山系レアル山脈の南部に位置し,山頂周辺には5つの小規模な氷河とカール地形が確認される.このうち,西カールを調査対象地とした.調査地域の年降水量は800~1000mmで,植生は,高山草原から高山荒原となっている.  西カールは,長さ約5㎞,幅約3㎞の広がりを持ち,カール底には,複数列のモレーン群が発達している.これらのモレーンは,完新世初頭のモレーン(OM),小氷期のモレーン(M1~M10)および,1980年代初頭に形成されたモレーン(M11)に区分される(Rabatel et.al.2005;長谷川ほか,2013). 
     チャルキニ峰西氷河の前面において,地形単位ごとにピットを作成して,土壌断面の観察を行った.モレーン間の平坦部分は,地表面の形態と構成物から,さらに氷河底ティル堆積面,氷河上ティル堆積面,氷河底流路,氷河前面アウトウォッシュに区分し,各地形単位毎に断面を観察した. 
    その結果,ほぼ同じ時代に形成されたと考えられる隣接した地形単位間でも土壌発達の違いが認められた.特に,凸状の部分に比べて,凹状の部分で土壌の発達が良い.その要因として,凸状地においては,より物質移動が活発で浸食が生じていることが考えられる.浸食作用としては,霜柱の影響が大きいようである.また,リャマおよびアルパカの放牧も影響していると予想される.一方で凹部では,物質移動で細粒物が集積して土壌の成長が進んでいるものと思われる.
     各地形単位について,異なる時代に形成された地点の土壌断面を比較すると,完新世初頭に形成された地点と小氷期の地点の間では明瞭な土壌層厚の違いが認められる.小氷期モレーンの中でも,モレーン間の平坦部では,時代とともに土壌層厚が厚くなる傾向が認められた.一方で,ターミナルモレーンの頂部ではこうした傾向が認められない.これは,先述したように凸部では侵食の影響が大きいからであろう.
  • 川瀬 晴久, 豊田 哲也
    セッションID: P057
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    日本では今日キノコ類の多くが専用設備で工業的に生産されている。中でも1990年代急速に普及したシイタケの菌床栽培は、原木栽培に比べてはるかに効率的な生産が可能であり、大規模生産を行う企業も登場した。一般的な農特物の産地形成には気候や土地など自然条件が重視されるが、工場生産型農産物の場合、産地形成にいかなるメカニズムが作用しているか未解明な部分が多い。また、農産物流通の視点からは、小売価格競争の激化や農産物輸入の自由化が問題となっている。成熟した市場で産地の競争力を高めるためには、優位性を持った食料産業クラスターを形成することが課題であり、地域ブランドの訴求によって価格競争力を強め、消費者の信頼を獲得することが必要とされる。本研究では、技術革新にともない工場型生産に移行したシイタケの産地形成過程について、その実態と要因を明らかにするとともに、企業間関係や農産物地域ブランドの意義と課題を検討する。 徳島県では1980年代末から徳島市、阿南市、神山町などで原木栽培から菌床栽培への移行が始まり、その後は小松島市や勝浦郡でも新規に菌床栽培に乗り出す農家が増加した結果、全国最大の生シイタケ産地に成長した。この間、技術研究や設備投資での行政支援、木材会社による菌床原料の供給、大規模な出荷体制の構築などにより、特色ある産地の確立に至った。また、市場が成熟する中で商品のブランド化や食品加工への展開が取り組まれている。ただし、生産者が共同で高い地域ブランドを創出し、知名度の向上を図りつつ安定的な収益を確保するにはなお課題が残ることが明らかとなった。
  • -北京市を事例として-
    王 天天
    セッションID: 804
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    1949年新中国設立の後,「職住近接」という都市計画の方針の下で,新興工場の建設と従業員の住宅や福祉サービス等を一体的に整備する「単位」が生まれた(柴 1996).この時代に,住宅は福利厚生の一部として,所属する「単位」から分配されていた.1988年,中国の改革開放の一環として,『土地管理法』が導入され,中国都市部における土地の使用権は,市政府にが譲渡できるようになった.この変化によって,1990年代初期,福利厚生目的の単位住宅とは異なり,民間デベロッパーが開発した商品住宅が市場で販売され始めた.1998年,「単位」の住宅分配制度が中止され, 都市住民の居住地は,もはや所属単位によって決定されるものではなく,個人意思によってに自由に選択できるようになり,都市住民の居住ニーズがにわかに顕在化した.そのニーズに応じて,商品居住区が大規模に開発され始め,「単位住宅」に代わって,中国都市の主要な住宅類型となってきている.
    一方,家族の世代間関係が,都市住民がこのような制度の改革や都市空間の変化に対応するにあたっては,重要な役割を果たしている(柴, 陳 2009).本発表では,北京市を事例として,家族のライフコースを分析し,制度改革や都市空間の劇的な変化がどのように住民のライフコースに影響を与えるのか,また中国大都市住民の居住地選択において,欧米や日本とは異なる独特な要因があるのかといった点を明らかにしたい.
    Ⅱ 調査方法
    2011年3月から5月にかけて,北京市で単位住宅地と商品住宅地それぞれ一箇所を取り(図1A,B),まず,事前調査として,其処の高齢者住民と接触し,居住移動に関する簡単な聞き取り調査を行い,4つの高齢者世帯を事例としてを選定した.それから,彼ら自身(高齢者夫婦)とその子世代家族のライフコースに関する詳細なインタビュー調査を実行た.
    Ⅲ 結論と考察
    欧米の理論における居住移動の要因は,家庭需要,及び住宅への期待と実際の住環境とのミスマッチから生み出された圧力であると認識されている。中国の市場経済転換期においては,核家族の住宅需要だけでなく,親世代や子世代の家族の住宅需要と,制度的要因も重要な役割を果たしている. 世代間関係が都市住民のライフコースに与える影響としては,まず,「単位制度」の改革による福祉レベルの低下に対応する際に,高齢期に入った親世代の援助が,重要な役割を果たしている.親世代は,子世代の家族と同居,あるいは近居し,子育てや家事を分担するだけではなく,「単位」福祉住宅分配制度から獲得した経済的利益を,住宅の頭金を払う等の形でその子世代へ移転する.第二に,親世代が後期高齢者になると子世代との同居や近居を通じて看護を求めるのも,彼らの居住移動の要因の一つである.
  • 山下 翔
    セッションID: 831
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに 本研究は,近代日本最大の民衆運動とよばれる,1918年の米騒動に,人々の行動に着目して,再検討を試みるものである.米騒動とは,1918年に富山県から始まった,米の安売りを求める民衆運動である.当初は,警察の説得で解散するほどの小さなものだったが,これが都市部へと波及すると,全国を巻き込んだ大規模な暴動へ発展した.これまで,主にその原因や結果の解明に焦点が置かれていた米騒動に対し,その展開過程,特に群集行動に着目して,1日ごとの時間スケールで,詳細な復元を行った.

    Ⅱ.名古屋の米騒動
     名古屋の米騒動は,1918年8月9日に,人々が鶴舞公園に集まったことに始まる.9日の騒動は,大きな暴動には発展しなかったが,10日以降,鶴舞公園では,連日にわたって,飛び入りの弁士たちによる演説が行われ,演説が終わると,人々は公園を出発し,市役所や米屋へ向かった.米屋だけでなく,交番や商店,民家も多くの被害を受けた.

    Ⅲ.集合場所
     鶴舞公園は,米騒動だけでなく,1914年の電車焼打事件の際にも,人々の集合場所となっていた.しかし,3日間続いた電車焼打事件では,演説が1日目に行われたのみで,2日目以降の暴動の際には,人々は,襲撃目標である家の付近に直接集合していた.米騒動で群集の主な目的地となったのは,米穀仲買人の密集地である米屋町だった.鶴舞公園は米屋町から4km以上離れた場所で,暴動のために集まるには,集まりにくい場所といえる. では,なぜ人々は連日にわたって,鶴舞公園に集まったのだろうか.電車焼打事件,米騒動の双方において,人々は,演説がなければ,公園を出発して暴動に出ることなく解散している.このことから,米騒動において,人々が鶴舞公園に集まったのは,暴動のためというよりも,演説の聴衆として集まった意味合いが強いと考えられる.すなわち,鶴舞公園は,米騒動において,演説の場所として利用されていた.

    Ⅳ.移動経路と襲撃地
     公園を出発した後の行動について,新聞記事,裁判記録より移動経路と襲撃地を抜き出して図化し,群集の目的性を検討した.さらに,演説文の主張を併せて考察すると,演説に表れた米屋批判,警察批判が,そのまま群集行動となってあらわれていた.すなわち,群集の大きな目的地は演説の影響を強く受けて決定されていたといえる.しかし,演説では,米屋や警察の批判が行われる一方で,「むやみな暴動は起こすべきではない」という主張も多かった.それにも関わらず,街路での暴動が数多く行われていることには疑問が残る. これに関して,本研究では,これまでほとんど検討されてこなかった『予審終結決定』の後半部分を分析した.この史料には,被起訴者178名がどこから集団に加わり,どのように行動したかが記載されている.この史料を整理すると,名古屋の米騒動の被起訴者は,鶴舞公園から米騒動に参加した者よりも,群集が米屋町に向かう中で,途中の街路から加わってきた者が多い. その行動をみると,鶴舞公園から集団に加わった者は,演説の通りに,暴動を起こすことなく米屋町まで移動している者が多い.街路での暴動を起こしたのは,途中から集団に加わってきた者が中心だった.すなわち,演説を聞いていなかった者が暴動の主体だったと考えることができる.

    Ⅴ.おわりに
     本研究では,米騒動における群集行動を詳細に復元することによって,「名古屋の米騒動は,鶴舞公園に集まった集団が街路で暴動を起こしながら米屋町に向かった」という通説に対し,実際には米屋町に向かう途中で騒動に加わってきた者が主体となって騒動を起こしていたことを指摘できた.
  • 長谷川 奨悟
    セッションID: 829
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では,近世における名所案内記の嚆矢の1つと目される山本泰順『洛陽名所集』を分析対象とし,17世紀中葉の京において注目すべき知識人であった彼の名所観について検証する。より具体的には,泰順の名所案内記に叙述される場所や景物と,その名所観をとりあげ,近世初期の名所観の形成に関する議論の俎上に乗せることができればと考えている。 〈BR〉 山本泰順の生涯とその作品の特徴については,安田冨喜子(1975),古市夏生(1993)の論考にその詳細がみえる。泰順は,近江国東浅井郡(現:滋賀県東北部)山本の出身で,名を尚勝,字は泰順・三径,通称は内蔵助を用いた漢学者である。彼は,1636年(寛永13)に山本友我の息子として生まれ,泰順父子の起こした事件によって,1669年(寛文9)に,儒者としてあるまじき振舞いとして,父と共に洛東粟田口で磔に処され,罪人として享年34歳でその生涯を終えた。 彼の作品群については,泰順が20歳であった,1656年(明暦2)に,『古今軍林一徳鈔』(18巻20冊)を刊行し,翌1657年冬自序刊で節序をテーマとして中国の漢詩を集めた『節序詩集』(12巻12冊)を刊行している。23歳であった1657年(万治元)には,『洛陽名所集』(12巻12冊) を刊行しているほか,『武傭志』に訓点を施していることが知られている。そして,1668年(寛文8)頃に最後の作品となる『四家絶句』を刊行した。このように,彼の執筆は軍学関係と漢詩関係の著述が主たるものであり,漢学者として生活していたことがわかる。しかし,現在において漢学者としての業績を見いだせないのは,不名誉な死を遂げ,世間から抹消されたことに関係していようことは容易に推されよう。〈BR〉『洛陽名所集』は,全12巻12冊を体裁で著されたものであり,1657(万治元)年に版司仁兵衛(版木屋田原仁兵衛)によって刊行されたものが初版とされている。野間光辰(1969)は,本書の諸版について,その典拠を和田萬吉(1916)に依るものとしながらも,①板屋仁兵衛版(初版),②無刊記版,③村上次郎右衛門版,④永楽屋七郎兵衛版,という4版の存在を明らかにしている。 本書が編纂された時期は,1657年(明暦4)前半から7月より8月までの時期に限定されるという。古市(1993)によれば,刊行経緯としては,中川喜雲が『京童』を著していることを知り,それを上回る規模で名所案内記の編纂を企画,出版を前提として自らが資金を提供し作った可能性が高く,その出版をめぐっては,鹿苑寺住職の鳳林承章との関係により生じた付き合いから,京の書肆田原仁兵衛が出版を請負うことになったようである。 泰順は自序において,「(前略)山城のうち,都のはしばし名にたてる所凡三百有余をあげ,或いは宮寺のもとつかた,人の由来伝ふるを考へ,しかもその所にながめおける代々の歌まで,たづねもとめ,しるし待りて,洛陽名所集となづけて,十二巻とせり(後略)」と述べるように,都を中心として山城国全域に点在する300箇所余の京名所が収録されていることがわかる。 〈BR〉  山本泰順の名所観には,まず1つに,漢学者を志し,また冷泉為景らに師事して和歌やその教養を培ったこと,同氏の資料から得られた,「知識としての歌枕」という概念的な名所観がみいだせるだろう。そして2つ目に,時には旧記を引用しつつ熱心な叙述がみられるなど,自己に由緒をもつ古蹟も含めて,名所の場所性を「過去」に求めている見方があろう。彼の名所案内記に現在の様子などはほとんどみられず,過去によって名所が規定されていることがわかる。しいていえば,泰順の名所案内記には,そういった知識的な,あるいは概念的な「場所の過去」をめぐる,名所としての場所イメージの実践がみてとれるだろう。
  • 鈴木 毅彦, 笠原 天生, 八木 浩司, 今泉 俊文, 吉田 明弘
    セッションID: 622
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    東北日本弧南部に位置する山形盆地は,奥羽脊梁山脈西方に多数発達する内陸盆地群の一つであり,他の盆地同様に南北方向の活断層を境に周辺の丘陵・山地列と接する.山形盆地では西縁に活断層が集中するが,北部では南部に比べて多数の活断層が認定されており,西側の丘陵・山地を接する単純な断層のみが発達するのではない.とくに盆地北部の村山市周辺では,盆地中央部に存在する地形的な高まり(川島山)の東側においても,北北東−南南西方向の活断層の存在が指摘されている(都市圏活断層図;八木ほか 2001など).この様な盆地における地形発達史や断層帯の活動史を明らかにするには,盆地地下の堆積物に対する編年学的研究や堆積環境の復元は必要不可欠である.しかしこれまでこうした研究は充分に行われていない. 本研究では山形盆地北部において盆地地下堆積物と第四紀後期テフラの層序関係を明らかにするため, 2013年10~11月に村山市浮沼(河島山東方付近)の沖積低地(標高81.40 m地点)において,深度101.00 mのオールコアボーリング(MR-13-1)を実施した.本講演では,本コアの概要を述べるとともに,検出されたテフラを予察的に報告する. [層序] 本地点の深度約100 m以浅は細粒堆積物が卓越する.表層から深度37.65 mまではシルト層からり,ところにより有機質である.深度38.75~40.45 mは砂礫からなるが,その下位は,層厚60 cm以下の2枚の砂礫薄層を除き,深度64.60 mまでシルト~有機質シルト層が卓越する.深度64.60 m以深はシルト層以外に,砂礫層,砂層が出現し,層厚なものとして,深度64.60~70.75,85.50~89.80,93.96~96.95 mに砂礫層が認められた. 現段階では,深度3.34~3.47 m,35.34 m, 75.86~76.24 mにそれぞれテフラが検出されている. [テフラの記載] 深度3.34~3.47 mには,厚さ13 cmの灰色~白色降下火山灰が挟在する.深度3.42~3.47 mから得たサンプルには,ホルンブレンド,斜方輝石が認められる.ホルンブレンドと斜方輝石の屈折率はそれぞれ,n2=1.670~1.673,γ=1.709~1.714であり,火山ガラスの屈折率はn=1.499~1.500を示す.こうした特徴は,山形県中北部の肘折カルデラを起源とする肘折尾花沢テフラ(Hj-O,11~12 ka;町田・新井 2003)の特徴に一致し,同テフラと対比される可能性がある. 深度35.34 mには,最大層厚 4 mm のレンズ状の白色ガラス質火山灰層が挟在する.バブル型と平行型の火山ガラスを主とし,火山ガラスの屈折率はn=1.496~1.500と低い.また火山ガラスはごくまれに石英を包含する.こうした特徴から,本テフラは南九州の鬼界カルデラを給源とする鬼界葛原テフラ(K-Tz,95 ka;町田・新井 2003)と対比される可能性がある. 深度75.86~76.24 mには厚さ38 cm の降下火山灰層が検出された.有色鉱物として斜方輝石を含むほか,石英,スポンジ型,繊維状軽石型の火山ガラスを特徴的に含む.斜方輝石の屈折率はγ=1.724~1.730であり,火山ガラスの屈折率はn=1.498~1.502であった.本テフラは周辺火山を給源とするテフラに対比される可能性がある. 上記テフラに関して今後火山ガラスの主成分化学組成を測定し,対比・同定の確度を高め,同時に放射性炭素年代測定を実施する予定である.     引用文献 八木ほか 2001.都市圏活断層図「山形」.町田・新井 2003.火山灰アトラス.東京大学出版会
  • 阿部 朋弥, 海津 正倫
    セッションID: 115
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.背景・目的
    津波堆積物は,古津波の発生年代や規模を推定する上で有効である(Atwater 1987).しかし,津波堆積物の認定基準は確立しておらず,その堆積学的な特徴は十分に理解されていない(Shanmugam 2012).津波発生直後の堆積物の分布特徴を明らかにすることは,それらの課題の解決に有用であるため(Weiss and Bourgeois 2012),1990年代前半から,津波発生直後には多くの現地調査が行われてきた(例えば,Shi et al. 1995).結果として,大局的には,津波砂層の層厚・粒度は,内陸に向かって,薄層化・細粒化の傾向を持つことなどが指摘されてきた(Jaffe and Gelfenbaum 2003).しかし,堆積物分布(層厚や粒度,構成物,堆積構造)の空間パターンがどのような水理条件(浸水深,流速,流向)により形成されるものなのか定量的には分かっていない(後藤・藤野 2008).特に,流向が異なった流れが干渉し合う場合には通常とは異なった堆積プロセスとなる可能性が指摘されており(Jaffe et al. 2012),流れの干渉は,堆積物分布に影響を与えると思われる.2011年東北地方太平洋沖地震津波では,津波発生直後に撮影された高解像度の空中写真を利用可能であり,それを用いることで空間的な津波の流向を詳細に明らかにすることができる(海津ほか 2012).そのため,本研究では,2011年東北地方太平洋沖地震津波を対象として,仙台平野と石巻平野において,流向が堆積物分布に与える影響を明らかにすることを目的とする.

    2.研究手法
    本研究では,津波による堆積物分布のデータは,仙台平野において,海岸線から浸水限界まで設定された長さ0.6~4.1 kmの11測線上の288地点,および石巻平野西部から中部にかけて,海岸線と平行に設定された長さ1.3~1.9 kmの4測線上の31地点での堆積物分布の調査結果(阿部ほか 2013; Abe and Sugawara 2013)を用いる.また,津波の流向のデータは,海津ほか(2012)による津波発生直後の空中写真の画像判読結果を用いる.

    3.仙台平野と石巻平野における流向
    津波発生直後の空中写真の判読を行った結果,仙台平野と石巻平野における津波遡上流の流向について,次のような傾向が明らかになった.1)遡上流は全体としては海岸から内陸に向けてほぼ海岸線に直交方向に流れた.しかし,2)遡上流は面的に一様に流れたのではなく,放射状に拡散したり,幾筋かに分かれたり,重なり合ったりする所も見られた.3)遡上流の重なりは,沿岸部の自然地形(浜堤列,河川,沼地など)や人工地形(海岸施設,盛土,住宅地など)に大きく支配されていた.

    4.仙台平野と石巻平野における堆積物分布
    仙台平野の11測線上,および石巻平野の4測線上での堆積物調査の結果,津波砂層の層厚について,次のような傾向が明らかになった.1)津波砂層は,内陸方向への奥行きが広い(2.5 km以上の)平野部では,大局的には海岸線から内陸に向かって薄層化する.しかし,2)砂層の層厚は,内陸方向に一様に小さくなるのではなく,局所的な変動が見られた.一方で,3)内陸方向への奥行きが狭い(2.5 km以下の)平野部では,津波砂層の明瞭な内陸薄層化は観察されなく,局所的な層厚の変動が見られた.

    5.仙台平野と石巻平野における堆積物分布と流向との関係
    津波砂層の層厚分布と津波遡上流の流向との比較を行った結果,砂層の層厚は,遡上流が重なる場所で増大する傾向が見られた.これは,遡上流が重なることで,砂の集積が起きたためであると考えられる.この砂の集積は,次の3つのタイプの場所で観察された.1)海岸部の微高地を回り込んだ遡上流と海岸線と直交方向に侵入した遡上流とが重なる場所,2)無堤区間から海岸線に対して斜め方向に侵入した遡上流と,海岸施設を越えて海岸線と直交方向に侵入した遡上流とが重なる場所,3)河川脇から破堤によって侵入した遡上流と海岸線と直交方向に侵入した遡上流とが重なる場所である.本結果は,津波遡上流の重なりが津波砂層の層厚を増大させる可能性があることを明らかにした.
  • ―南城市玉城・前川集落などを事例に―
    山元 貴継, 鎌田 誠史, 浦山 隆一, 澁谷 鎮明
    セッションID: 832
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    報告の背景と目的
      沖縄本島南部および宮古・八重山諸島を含む広い範囲で,「格子状集落」と呼ばれる,長方形状の街区群によって構成された集落がみられる.この「格子状集落」は,琉球王朝下で18世紀以降,既存集落の再構成や,集落移転などを伴う新規集落造成の中で,各地にみられるようになったとされる.そして,「格子状集落」の成立は,琉球王朝が実施した,土地はあくまで集落共有のものとして私有を認めず,住民には耕作権などのみを与えるとする土地旧慣「地割制度」が背景となっていることが指摘されてきた.土地を計画的に配分し,一定期間後にはその再配分を行う「地割制度」の前提のもと,四角形かつほぼ同面積の屋敷地を整然と配列させた街区群で構成された「格子状集落」が,琉球王朝下で広くみられるようなったという解釈となる.
     ただし「格子状集落」も,土地整理事業(1899年~)に伴い「地割制度」が撤廃されて土地の私有が進み,土地集積や細分化も進展して,さらには沖縄戦の被害も受けた.その沖縄戦の中で,土地整理事業以降使われてきた地籍図の多くが失われ,住民も大きく入れ替わっており,「格子状集落」の原型的な構造がどのようなものであったのかについて明らかにしにくくなっている.そこで本報告では,かろうじて土地調査事業当時のものとみられる地籍図面の写しを残す南城市玉城(旧玉城村)の前川集落などを事例とし,それらの図面をもとに,「格子状集落」に映る集落について,原型的な空間構造の復元を試みる.同時に,聞き取り調査および現地確認の成果をもとに,周囲の農耕地を含めたそれらの構成がいかなる条件のもとで形づくられた可能性があるのかを検討する.
    研究対象集落の空間構成
      前川集落は,『球陽』などによれば,1736年に現位置に移すことを認められた.かつて住民の多くは,ここから1km以上離れた通称「古島(旧集落)」に居住していたが,以降段階的な住民の移住と,後の人口増加により,前川集落は現在のような規模に発達した.現在集落は,南向き緩斜面の標高45~90mにわたって長方形状の街区が整然と並び,そこに住宅が建ち並んで,まさしく「格子状集落」となっている.
     土地調査事業に基づく地籍図面などを確認すると,宅地の増加や細分化以前の,同集落の原型的な空間構造を把握できる.そこでは,「格子状集落」とはいえ同集落内の街路は大きく曲線を描き,各街区が弓なりな形態をみせていたことがより明確となる.また,全体的には南北方向1筆×東西方向3~7筆で構成された「横一列型」街区が卓越するものの,とくに集落中央部などにおいて,南北方向が2筆となるといった不定型な街区もみられる.ほかに各宅地(屋敷地)は,地筆により約2倍の面積差があったことが明らかとなった.面積が大きく不定型な宅地は相対的に集落の中央部にあり,そこから上方・下方に向かうに従って,それぞれ正方形に近く定形で,比較的面積の小さい宅地群がみられるようになる.そして,これらの宅地群の周囲には同心円的に,集落の宅地部の幅の約2倍長さを半径とする範囲まで,農地が展開していた.その範囲の周囲を取り囲むように,第二次世界大戦の前後までは,「抱護」と呼ばれた松並木群があったとされ,その存在を示す山林地筆が環状に分布していた.
     こうした傾向を,国土基本図および航空写真の判読で明らかになる地形条件と重ね合わせてみると,集落のうち宅地は,緩斜面の中でも舌状になっている部分に発達していることが示される.そして,面積の大きい宅地は傾斜約1/10の斜面部分を中心に存在しており,比較的面積の小さい宅地群は,そこからより急斜面となる上方と,ほぼ平坦地となる下方へと展開していた.同様の構成は,八重瀬町具志頭(旧具志頭村)の安里集落などでも確認できる.また,宅地-農耕地の外側を囲む形になる山林地筆は,集落周囲の急崖や,わずかな高まりを丁寧にたどって分布していた.
     「格子状集落」拡大のプロセス
     
    以上の分析の過程においては,住民の多くがかつて居住していた「古島」の平坦地を離れて,この舌状の緩斜面に「格子状集落」を展開させた形となることが明らかとなる.そして,集落中央の面積が大きく不定型な宅地は,集落内でも最も早期に移住者の子孫が居住してきた屋敷地に該当する.そこを軸に当初は上方に,後に下方に街区を拡大させて現在の集落構成となったとする住民の認識をもとにすれば,集落の拡大はより急斜面での街区の造成を伴っていた.その過程において,東西方向の等高線に沿うような曲線街路が設定されることになり,かつ,各屋敷地内にあまり高低差をつくらないようにする,南北方向の幅を狭くした宅地群-「格子状集落」を形づくる「横一列型」街区が前提となったのではないかと想定された.
  • 崎田 誠志郎
    セッションID: 402
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 漁業および漁業資源の管理と持続性をめぐる議論が活発化する中で,日本の沿岸漁業における漁場管理の特殊性とその意義が指摘されるようになって久しい.しかし,近年では漁業者の減少・高齢化によって,特に沿岸域における漁場の利用頻度・利用圧の低下が進行しており,これに伴い沿岸域利用をめぐる権利内実の空洞化(緒方 2012)への懸念が表明されている.そこで本報告では,沿岸漁業の中でも特に地先漁業を対象として,地区間スケールにおける漁業実態の比較考察から,漁場の利用と管理における共通の課題を探ることを目的とする.なお,本研究では,漁業法において第一種共同漁業権漁業に分類されている漁業種を以て地先漁業とみなした. 2.対象地域 本研究では,紀伊半島の南端に位置する和歌山県東牟婁郡串本町を事例地域とした.当該地域で営まれる主な地先漁業としては,イセエビ刺網漁,素潜り漁(海士入り),および磯での採貝・採藻活動が挙げられる.調査を行うにあたっては,紀伊大島を除く串本町内の沿岸部を,旧漁協の立地等に即して11地区に区分した.これらの地区について,漁協資料等の集計により地区単位での漁業構造を析出するとともに,地先漁場利用・管理の実態について調査を行った. 串本町の沿岸域は,潮岬を境として東西に湾形を成しており,主として黒潮の影響下にあって,西側には亜熱帯性生態系が,東側には暖温帯性生態系が形成される特徴的な海洋環境を有する.しかし近年,海水温の上昇を主要因として,貝類・海藻類が大きく減少する磯焼け現象が当該沿岸域で深刻化している.特に西側沿岸域ではこの傾向が顕著であり,のみならずイセエビ刺網漁においては,サンゴ群集の拡大による操業の阻害や,商品価値の低い熱帯性魚類の混獲率の増大などが併せて問題となっている.当該地域では,こうした漁場環境との関連のもと,沖合でのひきなわ釣,通称ケンケン釣に大きく依存する地区から,地先漁業に特化している地区まで,多様な漁業構造が展開されている. 3.結果と考察 本研究の結果として得られた知見は,大別すると以下の3項にまとめられる.まず,イセエビ刺網漁の場合,地先漁場環境の劣化が進行する地区では,地先漁場の外へと漁場を求める傾向がみられた.その際,地先漁場外では入会操業を基本としながらも,地区による所有の観念が緩やかながら及んでいる例もみられた.また,地先漁場の劣位性を,他所の地先漁場への入漁・入会操業により克服している例もみられたが,こうした対応は地区間の歴史的・社会的関係性を背景として初めて可能となるものであった.  地先漁場の管理をめぐっては,地区間だけでなく,漁業種ごとにもいくつかの傾向や特徴が認められた.イセエビ刺網漁においては,漁業者間の操業調整や利益の分配が管理の主眼に置かれていた.他方,海士入りや磯での採集活動にかかわる管理においては,漁場利用における空間的な統制はほとんど行われず,代わりに採用されている規制としては,操業時間や漁具の規制といった資源管理にかかわるものであった.また,全体としては管理意識が弱まりつつある磯での採集活動に対しては,採集物の経済的重要性が地区内で高まることによって,管理の強化,ないし新たな導入が行われる例がみられた. 当該地域では,1965年と2008年の二度にわたって漁協の広域合併が実施されている.とはいえ,既存研究でもたびたび確認されているように,漁場の利用と管理に関しては,合併後も地区単位による従前の形態が維持されていた.ただし,こうした地区による主体的管理は,地区の自律的営力のみによって継続されているとは限らない.当該地域の地先漁場をめぐっては,共同漁業権による制度的裏付けを得て,それを根拠とした秩序形成が行われている側面が確認された.  地域を通してみると,全体としては基本的に共通の管理方式を採用しつつ,その強度や運用のあり方には地区ごとに多様性がみられた.本報告では,こうした地先漁業の利用と管理にみられる諸形態について,関連する自然生態的・社会経済的諸要素との関連から検討を行っていく. 文献 緒方賢一 2012.沿岸海域の「共」的利用・管理と法.新保輝幸・松本充郎編『変容するコモンズ フィールドと理論のはざまから』43-66.ナカニシヤ出版.
  • ラインラント=プファルツ州を事例に
    阪上 弘彬
    セッションID: 711
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    2000年のPISA(国際学力調査)ショック以降、ドイツ国内では学力、学校教育の質的向上のもと、様々な教育改革に関する取り組みがなされてきた。KMK(各州文部大臣会議)や各教科の関連学会が作成に携わった国家レベルの教育スタンダード(Bildungsstandard)は、取り組みの一部である。この取り組みとともに、ドイツの学校教育改革において注目したい点が、ESD(持続可能な開発のための教育、ドイツ語:Bildung für nachhaltige Entwicklung ;BNE)である。ドイツの学校教育におけるESDは、PISAショック等外的要因等によって露呈した教育の地域間・経済間格差にアプローチする手段として位置づけられており(高雄、2010)、ドイツの教育改革における重要なテーマであることがわかる。  地理教育においてもESDは重要なテーマの一つであり、DGfG(ドイツ地理学会、2012;初版は2006年)が公表した「ドイツ地理教育スタンダード」(Bildungsstandards im Fach Geographie für den Mittleren Schulabschluss)においても、ESDの概念やそれを意識したカリキュラム構成、コンピテンシー(Kompetenz)みることができた(阪上、2013)。一方で、「ドイツ地理教育スタンダード」は、法的拘束力がないスタンダードであり、あくまで各州の地理カリキュラムに対して大枠を示したものである。これらの内容に取り組むかは、依然として各州の文科省が作成する各州学習指導要領(Lehrplan)によるところが大きい。  「ドイツ地理教育スタンダード」と州レベルの対応を分析した研究として、大髙(2010)がある。大高はバーデン=ヴュルテンベルク州(Baden-Württemberg)の地理カリキュラムを事例に、両者の差異を明らかにした。しかしながら、分析した地理カリキュラムが「ドイツ地理教育スタンダード」以前に作成された点やESDの観点が含まれていないことから、ドイツ全体と州のESDにおける取り組みの対応は明らかになっていない。 本研究ではラインラント=プファルツ州(Rheinland-Pfalz)が、来年度改訂する地理カリキュラム案におけるESDの観点と、「ドイツ地理教育スタンダード」との対応関係について、作成者の一人であるDr. Annegret Schwarz先生から聞き取り(2013年11月28日)を実施した。本発表では、その内容を中心に、ドイツ地理教育におけるESDの取り組みについて報告するものである。
  • 室戸ジオパークにおける地理学の役割
    柚洞 一央
    セッションID: S0202
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.日本のジオパークの現状と地質公園的ジオパーク
     ジオパークが流行っている。しかし、ジオパークとはなにか、きちんとした理解が進んでいるかと言えば疑念がある。日本認定や世界認定を受けると、その地域の地形地質価値が認められたと一般的に認識される傾向がある。 ジオパークは地質公園ではない。地質を中心として、生態や歴史、文化要素まで取り込んだものにならないといけない。こういったジオパークの思想から日本ジオパークネットワーク(JGN)と日本ジオパーク委員会(JGC)はジオパークを「大地の公園」と説明している。また、ジオパークではモノの価値よりもヒトの活動を重視している。しかし、このような考え方は地域社会ではなかなか理解されない。ジオパークの認定を受けようとする地域は、取り組みの初期段階で、日本認定や世界認定というブランド取得に価値を置く傾向がある。ジオパークになりたいのではなく、世界認定を受けているというブランドを欲する。ジオパークの認定作業のプロセスでは、地質学系の専門知識が必要である。申請書では、該当地域の地質的特徴や学術的な価値を記載する必要があるためである。その結果、地質学者の思想を大きく反映したジオパーク、いわゆる地質公園的ジオパークが形成される。認定後の4年ごとの再審査では、持続的な活動状況を中心として審査される。再審査を重ねながら、地質学者のみならず、他分野の研究者を巻き込むこと、多様な地域住民を巻き込むことが必要となる。日本認定/世界認定といったブランド獲得という安易な目的から、地質公園的ジオパーク、そして地域性の多重構造を描き出し、多様なアクターによって運営される大地の公園としてのジオパークへと、段階的に展開しているのが日本のジオパークの現状である。 

    2
    .「大地の公園」としてのジオパークへ
    2-1地質公園的ジオパークの現状
    ・地質学コンテンツのみが強調される(地質専門用語の多用)
    ・ジオサイト(見どころ)の羅列(サイトごとの関連性の欠如)
    ・研究者―行政―地域住民の互助関係欠如 等

    2-2室戸ジオパークの取組み
    室戸ジオパークは地質公園的ジオパークから、大地の公園としてのジオパークへと展開の途中である。
    ・事務局体制の強化(地質学・地理学・地域学の専門員の採用)
    ・地理学的視点による「ジオストーリー」の拡充
    ・地域住民が企画運営する「ジオツーリズム」の展開 等

     3.おわりに
    ジオパーク活動の目的の一つは、持続可能な社会の実現である。そのためには、大地の特徴を知ること、そしてその大地の特徴によって、その土地ならではの文化、歴史が育まれていることを理解することが必要である。「ある現象がどうしてそこにあるのか」に応えるのは地理学の神髄である。環境決定論に陥ることは避けなければならないが、一つの見方を提示することは地理学の役割ではないか。学問として細分化が進み、本来の総合学問としての地理学の魅力が失われつつあるなか、自然地理、人文地理の枠を超えた本来の総合学問としての地理学の本領が求められている。
  • 一ノ瀬 俊明
    セッションID: S0305
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    中国の地理学は実学である。特定の問題について、人と自然との関係をいかに総合化できるかが売りである。彼ら自身も自らの政治的位置づけを高めるため、たとえば「地理」から「防災」へあるいは「観光」へというように、看板の掛け替えを行った経緯も少なくない。地理学者に限らず、中国の学術界は日本地理学会の弱みをきちんと認識している。彼らにいわせると、それは政治力の欠如、卑近な表現をすれば、研究資金獲得への努力やロビー活動の不足である。日本の地理学者は定量化に不慣れであり、思想での勝負に傾倒しているとの印象を持たれている。中国における「日本地理学」のプレゼンスは非常に高いのであるが、その「日本地理学」の少なからぬ部分は、土木工学など、関連する周辺諸学(彼らが地理学と認識している範疇)において行われている成果であり、決して日本地理学会のプレゼンスが高いというわけではない。
  • 村上 格
    セッションID: 416
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    序論 日本における酪農は第2次世界大戦後に近代的な生産体系に移行し,各地で大きな発達を遂げた.酪農に関する地理学の研究では,菊地(1993)が関東地方における自立酪農経営の成立基盤を明らかにするなど,主に大都市周辺を対象とした研究が蓄積されてきた.日本最大の生乳生産量を誇る北海道では,乳牛の飼養頭数と飼料作物の栽培面積をもとに安田(1964)が地域区分を試みたが,近年の実態は未報告である。日本の食料と生乳の生産を支える北海道を事例として,今日の酪農地域の維持基盤を捉える意義は大きい.本研究では,北海道の酪農地域がいかにして維持されるか,そのメカニズムを,酪農地域の維持基盤に着目することで明らかにする.その際,「土・草・牛」を扱う酪農の多様性を把握できるように,酪農経営の概要,集乳システム,酪農支援組織,農業政策,JAなど,経営に関わる複数の要素に着目する.現地調査は,豊富町,天塩町,別海町,浜中町,広尾町,および士幌町において2011年から2013年にかけて実施した.
    結果の概要 今日における北海道の酪農地域は,乳牛頭数や飼養戸数の変化,耕種作目と酪農の関係,気候条件や土壌条件等によって,7つの酪農地域に区分することができる.このうち,乳牛頭数が多く近年も飼養戸数を維持している酪農地域が,天北・紋別酪農地域,根釧酪農地域,十勝中部酪農地域,および十勝北部・南部酪農地域である.天北・紋別酪農地域と根釧酪農地域は,冷涼であり,泥炭が分布することから,耕種作目の導入が困難である.そのため牧草地が卓越し,酪農の専業地帯が形成されている.一戸あたりの農地面積が広く,各農家の飼料基盤が豊富である.これを生かして,根釧酪農地域の浜中町では放牧を活用した酪農経営が展開されている.また,飼養戸数を維持するために,JA・行政・地域住民が一体となって新規就農者の受け入れに力を入れている.一方,十勝北部・南部酪農地域は,耕種作目の導入が可能な恵まれた自然条件である.ゆえに,畑作農家も多く,酪農家一戸あたりの農地面積が少ない.この地域では,限られた農地の中で多くの乳牛を飼養するために,濃厚飼料となるデントコーンを作付している.一方で牧草地は少ないため,放牧はあまり実施されない.十勝北部・南部酪農地域にある士幌町は,畑作農家の輪作にデントコーンを組み込むことで,酪農家の土地不足に対応している.また士幌町は,積極的なJAの事業展開と農業政策の活用によって最新鋭の施設装備を導入し,多頭育化を進めてきた経緯がある.近年では,家畜排せつ物による環境汚染への対応と,自然エネルギーへの期待から,バイオガスプラントを導入した.これらの酪農地域においては,自然条件を生かしながら,多様な経営が成立している.酪農家の経営は,農家,乳牛,土地,施設装備,および酪農支援組織に着目すると,3つに区分することができる.中でも,乳牛頭数150頭以上,うち経産牛頭数100頭以上を飼養する大規模経営は,頭数規模拡大に有利な施設設備を導入し,労働力を増加させることで,多くの乳牛を飼養している.生乳販売額が増加するものの,作業負担も増大するため,採草作業を請け負う酪農支援組織を活用している.一方で,乳牛頭数100頭以下,うち経産牛頭数50頭以下である小規模経営は,放牧を活用し,購入飼料費を削減することで,生産コストを抑えている.中規模経営は,両者の中間的性格を有し,多様な方針の農家がある.
    考察 北海道の酪農地域は,大小様々な酪農経営が混在している.しかし自然条件の違いから,経営の傾向は地域的に異なる.この違いは主に土地利用に反映されており,十勝北部・南部酪農地域ではデントコーンが,天北・紋別酪農地域と根釧酪農地域では牧草が栽培される.またいずれの地域においても,集乳や生産基盤整備などの農業政策と,地域に根差した事業を展開するJAは,重要な基盤の一つである.農業政策は,泥炭地の排水整備や,家畜排せつ物への対応など,地域に応じた事業が展開されている.JAは,酪農地域の軸となり,各農家の経営をサポートしながらも,施設装備の建設補助や新規就農支援等を通して酪農地域全体の維持に寄与している.
  • 南宮 智娜
    セッションID: 312
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    旅行案内書を用いた最近の地理学的研究の中で,鈴木・若林(2008)は,日本と英語圏の旅行案内書を比較した.その結果,観光名所の種類別の分布からみると,英語圏の旅行案内書は,美術館,洋劇場,博物館といった文化的・教養的要素を重視する同時に,酒場のような夜型の名所にも関心を持つ傾向がある. 一方,日本の旅行案内書は買物と娯楽施設を指向する.しかし,この研究の対象地は東京の故,英語圏に対しては海外旅行になるが,日本側に対しては国内旅行になる.また,日本政府観光局の統計によれば,2012年の訪日外国人のうち76%がアジアからの旅行者であるので,アジア諸国の旅行案内書についての考察が必要である.そこで,本研究では,韓国(2013年訪日外国人1位),中国(同3位)で発行されている東京の旅行案内書を対象とする.観光庁の訪日外国人消費動向調査(2013年夏実施)によれば,韓国からの旅行者の76%,中国からの旅行者の64%が個人旅行であり,今後もこれらの国からの個人旅行が増え,旅行案内書の役割は高まると考えられる.  表1は,韓国と中国の旅行案内書各1冊をとりあげ,掲載されている観光名所の種類を比較したものであるが,中国の旅行案内書では飲食店の掲載数が多いなどの特徴がみられる.本研究では,韓国と中国とそれぞれ複数の旅行案内書を対象に,記述内容,地図・写真を比較することによって、観光名所のとらえ方,観光案内書が想定している旅行者の行動や意識について考察する.
  • 佐々木 夏来, 須貝 俊彦
    セッションID: 613
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに 日本の山岳地域には,広く湿地が分布しており,景観の美しさや生物相の特異性から保護・保全の対象となることが多い.湿地の環境応答性や発達過程などを知るには,周囲の気候・水文環境だけでなく地形を含んだ総合的な理解が必要であり,環境保全の立場からも地形学的な湿地の理解が求められている.日本のような湿潤変動帯では地すべりが山地解体の主要な要素となっている.近年では,地すべり地が創り出す景観および生物の多様性にも注目が集まっている(e.g. Geertsema.2007).地すべり地の景観を特徴づける代表的な要素の一つとして湿地が挙げられる. 本研究では,様々な成因の湿地が混在し,多様な規模の地すべりによって山地が解体されつつある八幡平火山群を研究対象地として,地すべり地内の湿地の特徴と発達過程を明らかにすることを目的とする.「湿地」は水分が豊富な様々な地表状態を指す言葉である.本研究では,湿地の中でも特に,湿性の草原を指す場合には「湿原」を用いる.   2.研究方法  リモートセンシング画像および数値標高モデル(DEM)を用いて,八幡平火山群内の湿地すべてを対象に分布および湿地の特徴(面積,湿地タイプ)を調査し,地形との関係を明らかにした.さらに,代表的な大規模地すべり地の微地形分類をおこない,地すべり土塊の発達と湿地発達についても検討した.   3.八幡平における湿地の分布と特徴  八幡平火山群内の599の湿地のうち,地すべり地(土塊+滑落崖)に存在するものは185(個数割合33.2%)で,全湿地面積に対する割合は63.7 %であった.地すべり地外の湿地は,主に,奥羽山脈の主稜線沿いの火山原面に集中して立地する雪田であった.一方で,地すべり地内の湿地は地すべり地内全体に分布し,地すべり地の上部では滑落崖の下方に滑落崖と平行な大規模な凹地が,下部の堆積域では小規模な凹地が豊富な湧水で涵養されて池沼が形成される傾向にあった.   4.大規模地すべり地内の湿地の多様性


    代表的な3つの大規模地すべり地「菰ノ森地すべり地」「八幡沼南地すべり地」「茶臼岳南地すべり地」に立地する湿地の分布と特徴を検討した.すべての地すべりの微地形構成はYagi(1996)の複合型で特徴付けられる.土塊の分化が進むほど湿地は小規模となる傾向があり,副次的な地すべり土塊にも湿地は形成されている.また,土塊の開析が進み,閉塞凹地に排水路が形成されると,池沼から湿原へと発達段階が前進すると推測できる.地すべり活動による地形改変は様々な形成年代の湿地を生み出し,その後の土塊の侵食で多様な発達段階の湿地が地すべり地内には共存していると予測できる.   引用文献 Geertsema et al. (2007) : Geomorphology 89, 55-69. Yagi, R. (1996): The science reports of the Tohoku University. 7th series, Geography 46, 49-89. 
  • ブリストル市の近隣委員会を事例に
    前田 洋介
    セッションID: 501
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    I はじめに  これまで政府が中心となって担ってきた公共サービスや公的課題を,ボランタリー・セクターをはじめとする多様な主体で担うようになる,いわゆる「ガバメントからガバナンスへ」という変化が指摘されるようになって久しい.本報告が対象とするイギリスは,こうした変化の指摘される代表的な国の一つといえ,とりわけ1997年にブレア党首率いる労働党政権が成立すると,「第三の道」を掲げた同政権のもと,政府とボランタリー・セクターとのパートナーシップや市民参加が促進され,「ガバメントからガバナンスへ」という流れは大きく進展した.  公的課題の担い方の変化をめぐっては豊富な研究が蓄積されているが,なかでも本報告が着目するのは,こうした変化にともない,公的課題に関して,意思決定の行われる地理的スケールの変化が指摘されている点である(Somerville 2011).具体的には,政府のリスケーリングや,地域コミュニティの関与を重視した政策の展開などを挙げることができ(Somerville 2011),本報告は後者に焦点をあてる.
    II 目的  イギリスにおいても上記の変化は認められ,「ガバメントからガバナンスへ」という流れが進展するなか,福祉や貧困をはじめ,様々な政策分野において,地域コミュニティの役割を重視しながら政策が遂行されるようになってきている(Lepine et al. 2008).近年では,「中央政府から地方政府へ」と「地方政府から住民や地域コミュニティへ」の「二重の権限委譲Double Devolution」という言葉に象徴されるように,地域コミュニティレベルでの意思決定機能の強化,すなわち自治体内分権そのものを目指す動きもみられるようになってきている.本報告では,イギリスのブリストル市で実施されている近隣委員会Neighbourhood Partnershipsを事例に,こうした自治体内分権がどのように実践され,また,どのような課題を有しているのか検討する.
    III 事例と調査の概要 ブリストル市は,イングランド南西部に位置する人口約43万人の都市である.同市では,2008年より,上述の近隣委員会を実施している.同制度は,市議会の選挙区をベースに市内を14の地区に分割し,それぞれの地区において,住民参加のもと,道路や環境分野を中心に,当該地区に関係する数百万円規模の予算の使途を決定する仕組みである.近隣委員会の委員には,市議会議員や住民を含めることが決められているが,選び方や人数等については地区ごとに多様な形態となっている.ブリストル市では,2012年から公選市長制度が導入されているが,初代市長のファーガソン氏は,近隣委員会に対し積極的な姿勢を示しており,同委員会の充実が推進されている. 本報告で使用する主なデータは,2012年11月~2013年1月及び2013年9月に現地で実施した,関係者に対するインタビュー調査(19名)と近隣委員会等への参与観察により収集したもの及び行政等の資料や報告書である.
    IV 結果  ブリストル市の近隣委員会は,地区内の公平性を重視する代表制民主主義と,労働党政権期(1997年~2010年)のコミュニティ政策を通じて普及のみられる参加型民主主義との双方の特徴を有しながら実践されている.一方で,形式地域である選挙区をもとに,明確な境界線をもった地区が設定されることにより,地区内の分断や疎外される地域コミュニティが生じるといった課題もみられる. なお,当日は,インタビュー調査等の結果を具体的に提示しながら検討していくとともに,近隣委員会のような自治体内分権の動きが,「ガバメントからガバナンスへ」という流れのなかで理論的にどのように位置づけられるのかについても検討する.  
    <文献> Lepine, E., Smith, I., Sullivan, H. and Taylor, M. 2007. Introduction: of neighbourhood and governance. In Disadvantaged by Where You Live?: Neighbourhood Governance in Contemporary Urban Policy, ed. I. Smith, E. Lepine and M. Taylor, 1-20. Bristol: The Polity Press. Somerville, P. 2011. Multiscalarity and neighbourhood governance. Public Policy and Administration 26: 81-105.
  • 森島 済, 吉澤 浩樹, 水野 一晴
    セッションID: 201
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1 はじめに  全球的に氷河の縮小が顕在化する中で,熱帯に位置するボリビアの山岳氷河もその例外ではなく,氷河縮小の報告がされている(Vuille et al, 2008)。地球温暖化が主要な原因とされてはいるが,氷河縮小プロセスには,気温上昇に伴う融解量や昇華の増加や降雪量の減少,降雨量の相対的増加など考慮すべき観点は多く存在している。さらにこのような観点は,氷河周辺域の植生,土壌といった他の自然環境や社会環境に与える影響を考える上でも重要と考えられる。そこで本研究では,チェルキニ峰(標高5392m)の西側カールおよび南カールに温湿度計(2012年8月設置,測定間隔1時間),簡易雨量計(2013年8月設置)を設置し,氷河近辺の気候環境を把握すると共に,近隣の気象観測点のデータを用いて長期的観点から近年における気候環境の特徴を明らかにすることを目的としている。近隣の気象観測点として使用するデータは,Global Surface Summary of Day (GSOD)にコンパイルされているエル・アルト(ラパス)の日データであり,この観測点は対象氷河の南方約20kmの直線距離にある。解析期間は1973年~2013年の41年間である。 2 ラパスにおける近年の気候  ラパスの月平均気温は,5℃から9℃の間にあり,気温の高い12月から3月に年降水量の60%以上の降水がもたらされる。解析期間における年降水量は,増加傾向を示しており,特に12月から3月おける増加傾向が大きいことから,これらの月の合計降水量が年降水量に占める割合も大きくなる傾向を持っている。年平均気温は,上昇傾向を示すものの顕著ではなく,冬期,夏季において傾向が異なり,夏期に上昇傾向,冬期に低下傾向を示すことが特徴となっている(図1)。月平均最高気温は,全ての月において上昇傾向にあり,特に9月は上昇傾向が顕著である。一方,月平均最低気温は冬期を中心に低下傾向が顕著である。したがって,冬期における月平均気温低下は,最低気温の低下と最高気温の上昇を伴って生じていることが分かる。  
    3 ラパスとチェルキニ峰での気温の差違  2012年8月から2013年7月におけるチェルキニ峰カール内(標高4660m)の気温と同期間のラパス(標高4061m)の気温を季節変化の観点から比較した。解析期間において,いずれの地点も不明瞭ではあるがダブルピーク型の季節変化を示し,3月と11月に最大を示す。しかしながら,それらのピークの現れ方には違いが生じており,ラパスでは11月ピーク前後に高い気温が持続する一方,チェルキニ峰では3月,4月に高温が持続する傾向が認められた。また,ラパスでは年較差が5℃以上に達しているのに対し,チェルキニ峰では4℃に達していない。 
  • 柚洞 一央
    セッションID: S0705
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.養蜂業の産業としての柔軟性

    ◆養蜂業におけるヒト‐植物関係
    <多様な植物利用>
    一時的自然:トチノキやシナ,ヤマザクラなど
    二次的自然:アカシアやセイタカアワダチソウ,クローバー,トチノキなど
    栽培蜜源:ナタネやリンゴ,ナタネ,ソバなど
    <植物への貢献>花粉交配としての役割(背景には施設園芸の増加や農薬使用による花粉媒介昆虫の減少)

    ◆時代変化と養蜂業近代化に利用され,近代社会の変化の中で,柔軟にその存在意義を変化させてきた産業
    明治期:農村の生活水準向上 女性の社会的自立(投機的なミツバチ需要の高まり) 未開地の利用(北海道)~土地利用のフロンティア性
    戦時中:軍事物質としてのミツロウ需要 甘味料としてのハチミツ需要
    戦後:甘味料としてのハチミツ特需
    昭和中期~:花粉交配用昆虫としての需要(ミツバチそのものに商品価値が生まれる)

     2.花蜜資源利用をめぐるヒトの動き~なわばり(蜂場権)形成
    ・花蜜資源:無主物
    ・ミツバチ(家畜):飛行性(半径2~4km) 養蜂=「空中農業」?
    →養蜂業の不確実性⇒ミツバチを置く場所を巡る争い問題(「蜂場権」問題)

    ◆北海道の事例
    ・蜂場権は人間関係で決まる 養蜂業界の徒弟制・互助意識の影響
    ・養蜂家―養蜂家の関係を重視 

    ◆アルゼンチンの事例
    ・蜂場権は金で買う
    ・養蜂家―土地所有者の関係を重視

     3.おわりに
    養蜂業は社会環境の変化に大きく左右される.一方で養蜂業の持つ柔軟性によって社会変化に適応してきたという側面もある.また,養蜂業の持つ不確実性ゆえに,ミツバチを設置する場所の問題を抱えてきた.日本の場合,近代国家としての土地所有制の上に,独自のなわばりを張り巡らしてきた.なわばりを「蜂場権」という概念で近代社会の中に位置付けようとした歴史を持つ(昭和30年の「養ほう振興法」制定).養蜂は,人類史の中でその位置づけを変化させながら,人と共に存在するのでないか.
  • 乙幡 康之, 羽田 麻美
    セッションID: P019
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    Ⅰ 研究目的
    蘚苔類は,様々な基物に生育するが,土壌が未発達で高等植物の生育が困難な岩石や樹幹にも生育できる特徴を持っている。また,植物体が小さく空気中の水分に依存する蘚苔類は,高等植物よりも生育基物の化学成分や微環境の影響を受けやすいことが知られている。岩石上に生育する蘚苔類には岩石に直接生育するものと,腐植土を伴うものが知られ,腐植土は基物の影響を和らげていると考えられている。石灰岩地域に生育する蘚苔類は,特に岩石の影響を受けやすいが,同時にカルスト地形の影響も受けていると考えられる。本研究はドリーネにおける石灰岩上の蘚苔類群落の分布特性を明らかにし,ドリーネ地形との関係を考察する。

    Ⅱ 地域概要と調査方法
    秋吉台の真名ヶ岳(標高350m)の東斜面中腹に位置するドリーネ(標高250m)で調査をおこなった。このドリーネは樹齢約50年のスギ植林地となっており,林床に露出する石灰岩ピナクルの表面には蘚苔類群落が比較的良く発達している。また、ピナクル表面に形成するリレンカレンを蘚苔類群落が覆っていることから,かつてこの地域は現在台地上に見られるような草地であったと考えられる。近年このドリーネでは植林の伐採が行われ,ドリーネ底ではクサギ(Clerodendrum trichotomum)が侵入し,環境が変わりつつある。  このドリーネにおいて南北の地形断面を計測し,ドリーネ底からの比高により南向き斜面・北向き斜面をそれぞれドリーネ上部・中部・下部に区分した。これらの6地点において,露出する高さ1m以上のピナクルの南向き・北向きに20×20cmの方形区(高さ0-20cm,40-60cm,80-100cmを1セット)を2セットずつ設けた。方形区では蘚苔類の被度及び群度,方位,傾斜,腐植土の有無,ピナクルの大きさ,ピナクル全体の植被率をそれぞれ計測した。また,採取した蘚苔類は全て持ち帰り,種の同定は岩月(2001)に従って顕微鏡を用いておこなった。
     
    Ⅲ 調査結果
    出現した17種の蘚苔類を岩月(2001)による環境別に区分した結果,南向き斜面のピナクル中部~上部に分布する蘚苔類は,明るく比較的乾燥した環境を好むアツブサゴケ(Homalothecium laevisetum)などが腐植土を伴って出現した。さらにこれらの地点では,石灰岩地域に限って出現するギボウシゴケ(Schistidium apocarpum)などの石灰岩性の蘚苔類が多く出現し,南向き斜面全体で5種類確認された。また,石灰岩性の種は腐植土を伴わず,ピナクルに直接根(仮根)を伸ばし生育する傾向があった。一方,北向き斜面では,石灰岩性の蘚苔類の出現は2種で少なかったが,全体的に蘚苔類の植被率が高く,トヤマシノブゴケ(Thuidium kanedae)など日陰~やや湿潤な環境に分布する種が見られた。ドリーネ下部では,より湿潤な環境に分布するキダチヒダゴケ(Thamnobryum plicatulum)が腐植土を伴って出現した。  

    Ⅳ ドリーネ地形と蘚苔類の分布環境
    蘚苔類の分布は深さ約10mのドリーネにおいて,斜面の向きやドリーネ底からの比高によって違いが見られた。ドリーネ地形はすり鉢状の形態から,斜面の向きの違いや垂直方向の高度差を形成する。これらの違いが日射や気温,湿度などの異なる環境をドリーネ内にもたらすと考えられ,この違いによって蘚苔類の種の分布が既定されていると考えられる。ドリーネ中部~上部の日当たりが良く乾燥したピナクル上には,石灰岩性の蘚苔類が多く出現し,また腐植土も見られない。したがってこのような環境下では蘚苔類の遷移が保たれやすいが,ドリーネ底や北向き斜面のような日陰で湿潤な環境下においては,腐植土が発達しやすく,蘚苔類の遷移も進みやすいと考えられる。

    参考文献:岩月善之助編(2001)日本の野生植物 コケ.平凡社,355p.
    謝辞:本研究は,平成25年度東京地学協会研究・調査助成金の支援を受けた。
  • - 「微地形と地理学」グループ発表⑤
    竹内 裕希子
    セッションID: 629
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.   はじめに 公立小中学校は,児童・生徒の教育の場として子供達の命を守るだけでなく,地域において重要な公共施設として存在し,災害時には避難場所等の役割を果たし,災害が発生した場合には,地域住民の生活の場となる。そのため,学校施設の安全性は防災対策を行う上で重要な課題であり,強い建物としての学校だけでなく,安全性を確保された立地条件において建設を進めることが重要である。  東日本大震災では,6,244の公立学校(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・特別支援学校,文部科学省調べ2011)が被害を受け,そのうち202の学校が「被害状況Ⅰ」に分類されている。この「被害状況Ⅰ」は,建物の被害が大きく,建替え又は大規模な復旧工事が必要とされるものである。建替えを必要とする被害は,学校施設の立地に大きく影響を受けている。  本報告では,岩手県釜石市南部に位置する唐丹地区住民を対象とした学校施設に関するアンケート調査結果から,地区内に立地する学校施設に対する地域住民の要望とその背景に存在する地形条件を考察する。 2.   岩手県釜石市唐丹地区 岩手県釜石市唐丹地区は唐丹湾に面しており,東日本大震災では15haが津波により浸水した。この津波により唐丹湾を有する唐丹地区では32名の死者・行方不明者,343戸の住宅被害が発生した。  唐丹地区には,唐丹小学校ならびに唐丹中学校が立地している。唐丹小学校は明治9年(1873年)の開校当時は,現在の唐丹中学校の位置に立地していた。その後の児童増加と中学校開設にともない,昭和22年に図1中の唐丹小学校跡へ移転した。東日本大震災では鉄筋校舎3階の天井まで浸水し,校舎は使用不能となった。震災後は釜石市内の平田小学校に間借りをしていたが,2012年に仮設校舎が現在の唐丹中学校敷地内に建設されたことに伴い,現在は唐丹中学校内に併設されている。唐丹中学校は,津波被害は受けなかったが,地震動により校舎が破損被害を受けた。 3.   アンケート調査概要 岩手県釜石市唐丹町住民を対象として,2011年10月8日~10月24日に実施した。対象数(配布数)は746世帯で,回収数(率)は308世帯(41.2%)であった。配布方法は,地区内居住者は自治会を通じて各戸へ配布し,震災による地区外居住者は郵送した。回収は全て郵便で行った。 4.   学校施設への要望と地形条件 回答者の50%が,学校施設から高台(国道45号線)へ直結する道路の設置を要望した。これは,東日本大震災時に地域住民が避難をした国道45号線と唐丹中学校の高低差が31.8m存在していること,国道45号線と学校をつなぐ現在の道路は東日本大震災時の浸水ライン上に位置していることが理由として考えられる。平常時の学校運営と学校用地として確保できる敷地面積を考慮した場合の立地場所と,災害時を考慮した場合の立地要因・地形要因を検討する必要がある。
  • 宮城県岩沼市を対象に
    泉 岳樹
    セッションID: P040
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに
     東日本大震災の復興過程のアーカイブについては,NHKの「東日本大震災アーカイブス」の中での復興の軌跡や(独)防災科学技術研究所を事務局とする「東日本大震災・災害復興まるごとデジタルアーカイブス」(略称:311まるごとアーカイブス)をはじめとして,様々な取組がなされてきた. 本研究では,近年,技術革新が進むUAV (無人航空機)を用いた空撮によって復興過程のアーカイブを行い,その有効性について検討する.また,発災時におけるUAVの活用可能性や地域への実装可能性についても検討を行う.本研究の直接のきっかけは,2012年5月に津波被害を受けた海岸林のデータ取得のために小型のUAVを用いた調査を行っていた際,地元のNPOの方から「被災時にこのような無人ヘリがあれば,被災状況の把握や生存者の発見に役立ったかもしれない」,「まちが復興していく様子を空撮し発信したい」といった意見や要望を受けたことである.

    2
     現地調査の概要
     使用するUAVは,(株)情報科学テクノシステムのGrassHOPPERという6枚ローターの小型無人ヘリコプターである.対象地域は宮城県岩沼市沿岸域の玉浦地区とする.この地区では,6つの集落が津波により壊滅的な被害を受け,現在,内陸側の1ヶ所に移転する防災集団移転事業が進行している.空撮は,玉浦小学校の運動会や地元NPOによる復興イベントなどを対象に行った.また,防災集団移転地の変化についての定点観測も行った.撮影には,デジタルカメラ(RICOH GX200)とGoPro HERO2を使用した.

    3
     結果
     図1にUAVにより空撮した画像を示す.左上の写真は,地元NPOが主催して2012年5月13日に行われたお田植え祭の様子である.この場所は津波を被っておりその影響が心配されたが秋には無事に収穫を行うことができた.左下,中上,中下の写真は,2012年5月20日に被災後初めて行われた玉浦小学校の運動会の様子である.この際には,お昼にUAVを紹介する時間が設定されており地域の方にUAVを身近に感じて頂くきっかけとなった.空撮によって取得した画像や動画は,小学校や地元NPOに提供し,広報等に活用して頂いている.右上,右下の写真は,防災集団移転事業の対象地である玉浦西地区の事業前と嵩上げ工事中の様子である.鳥瞰写真により工事前後の変化をはっきり捉えることができる.空撮画像は,単なる記録という意味だけでなく,撮影時のUAVの飛行自体がアミューズメント的効果を持っており,復興関係のイベントの支援にも有効であることが分かった.今後は,地元の要望に合わせた空撮を続けると共に,発災時に消防団の火の見櫓のように役立つ防災対応のUAVの開発や精密農業への応用可能性などについて,地域の方々との対話を通して検討する予定である.
  • 中村 祐輔, 重田 祥範
    セッションID: 211
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    ヒートアイランド現象は,都市構造のほかその周辺における土地被覆や,海陸風循環などの影響を強く受ける.そのため,これまでに様々なヒートアイランド分布が各都市で報告されている.ヒートアイランドの発生頻度や強さを定量的に評価する指標として,ヒートアイランド強度がよく用いられている.しかしながら郊外の選定方法で,その値は大きく異なるとの指摘もある.そこで本研究では,50年ほど前からヒートアイランド現象の存在が報告されている埼玉県熊谷市を対象に,定点型の気温観測をおこなった.そのうえで,郊外の選定方法の違いがHIIに与える影響について検討した.
    観測は2013年8月から実施しており,本研究では8月に得られたデータを解析に使用する.その結果,日最高気温時では観測領域北東部に明瞭な低温域が認められ,周囲よりも1.0℃以上低い値が示された.一方,日最低気温時には北東部の低温域が不明瞭となるが,観測領域南部に明瞭な低温域が認められ,周囲よりも1.5℃以上低い値が示された.低温域が発生した北東部と南部では,土地被覆が大きく異なっており,それが原因となって低温域発生の時刻に差が生じたものと考えられる.
    そこで,低温域が認められた北東部,南部を郊外とした場合のヒートアイランド強度について検討をおこなった.その結果,北東部を郊外とした場合のヒートアイランド強度は日中に最大値が示されるが,南部を郊外とした場合では夜間に最大値が示された.このように,郊外の選定方法によって,ヒートアイランド強度の時間変化に大きな差が生じることが明らかとなった.
  • 木庭 元晴
    セッションID: 109
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    福島第一原発事故以来3年を経た現在も,福島経済の中軸部である中通り地方の空間線量は5mSv/yをはるかに越えている。人の動線沿いの除染活動は比較的進んではいるが,動線から少し離れると高い空間線量を記録している。中通り地方の多くが5mSv/y,つまり放射線管理区域を脱するのは,広域のホットスポットを除いても,20年後である。  これは,航空機モニタリングと現地調査によって得られた土壌中のセシウム-134,-137濃度分布(Bq/m2)(文科省測定,農林水産省2012.12.28現在)から初期値を逆算し,原発事故から60年間についての自然減衰を計算した結果である。2013年終わりの四半期の測定は現在終了しておりこの3月には新たな測定結果がマスコミに発表される筈で,できれば再計算したい。  JA福島は,国・県・市に圃場単位の線量測定を依頼したが受け入れられず,全国生協の協力を得て,どじょスクと呼ばれる何万筆もの土壌汚染計測を実施してきた。どじょスクでは,筆毎に3点で測定器を接地して計測している。これでは農家の外部被曝量を評価できず,農家毎への適正な助言もすることはできない。つまり,疫学的な評価の基礎資料にならない。  この問題点をクリアするのは空間線量の利用である。耕地をカバーしうる地点(1点あたり半径50mの範囲)で,地上高1mの空間線量を計測することで,各耕地のいわば平均的なガンマ線線量率を得ることができる。地上高1mは3次元的な情報を得ることができるし,農家の被曝量μSv/hも求めることができる。なお,当然のことながら,農家の被曝は農作業対象の耕地だけでなくその周辺からの放射線からも被曝しており,耕地の土壌汚染よりも空間線量が農家の被曝評価には有効である。サーベイメータはPM1703MO-1(Polimaster製 高感度, CsI放射線測定器, 積算線量,探索メーター)を使用する。この調査では耕地内外のホットスポットの探索も重要である。  現地での空間線量測定値は天候に左右される可能性があり,空間線量値として地上高1mとともに地上高25cmでも計測する。無風の場合,理論的には後者は前者の1.3倍値となる。なお,中通りには多数の定点観測所が設置されている。このうち連続観測データのある7方部の測定値(2分毎の計測で1時間平均値)と風の関係をみると,0.01μSv/hほどである。
  • 高木 彰彦, 殷  冠文, 長井 彩
    セッションID: 324
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.研究の目的 報告者が兼務する「学術システム研究センター」の学術動向調査の一環として,『地理学評論』『人文地理』に掲載された論文と著者の属性の一端を明らかにしようと試みた.具体的には,『地理学評論』及び『人文地理』に記載された論文の属性(研究分野)と著者の属性(性・年齢・出身地)の特徴と10年ごとの変化を明らかにすることを研究目的とする.2.研究の方法 『地理学評論』『人文地理』に掲載された論文(論説・展望・短報・研究ノート等)のうち,1990-92年,2000-02年,2010-12年に掲載された論文とその著者のデータベースを作成し,論文の分野・著者の性・年齢・身分・所属地域の特徴とその10年ごとの変化を比較検討した.3.研究結果主な結果を以下に示す.まず,両誌の論文の掲載本数をみると,いずれも減少傾向にあることを指摘できる.次に研究分野では両誌の性格が異なるため比較はできないが,人文地理学分野についていえば,伝統的に多かった集落地理や産業関係が相対的に低下し,社会地理・文化地理の割合が高まっている.次に執筆者の属性をみると,性別では,1990-2年には女性の割合がわずか数%と極めて少なかったのが,2000-2年には20%近くに増えたものの2010-2年には若干減少気味である.年齢別にみると,1990-2年には30歳代が最も多かったのが,2000-2年以降は20代の割合が最も高くなる.これに対して40代以降は全体的に減少傾向にある.身分では,1990-2年には教員の割合が6割以上を占めていたのが,2000-2年には5割以下となり院生を下回ってしまう.しかし,2010-2年には回復している.所属地域では,『地理学評論』の場合,関東地方の割合が2000-2年にいったん低下するものの2010-2年には回復している.近畿・中国地方は2000-2年に増えたものの,その後低下している.一方,『人文地理』はこれとは対照的な傾向を示す.   図1 『地理学評論』に掲載された論文の著者の属性4.考察 論文執筆者の属性について考察すると,院生・20代の割合が2000-2年に高まったのは大学院重点化の影響であろう.この時期に大学院の定員が増えたことにより,女性の割合も高まり,結果的に院生による論文投稿数も増えたと考えられる.この結果,両誌とも伝統的なコア地域のみならず,広く全国各地から投稿者が増え,コア地域の割合が低下したのであろう.矢ケ崎(2005)は地理学評論が20代の研究者によって支えられていることは健全な姿とはいえず,年配の地理学者の奮起を促している.報告者も同感だが,いったん増加した院生の投稿数が低下していることも問題だと思われる.学会として若手研究者育成に取り組む必要のあることを結論として指摘しておきたい.
  • ―00年代韓国における「ウトロ地区」支援運動を事例に―
    全 ウンフィ
    セッションID: 318
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本報告では在日の元不法占拠地区ウトロ(以下ウトロ地区)をとりまく社会運動の流れのなかで、00年代韓国におけるネット上の支援運動をそのブロゴスフィアの構造と支援者たちが示した場所感覚に焦点を当てて分析する。    

    ウトロ地区と地区をとりまく社会運動
    ウトロ地区の社会運動は80年代後半、住民の立ち退きを要求する民事訴訟に対して始まった。日本人支援者から提起された運動は、住民の居住権を掲げた当事者運動であると同時に、90年代には日本の戦後を問う市民社会運動として展開された。土地問題の転機は07年11月韓国政府による土地購入支援金の決定で、これは05年から韓国で展開された運動の成果であった。Yu(2009、韓国語)はその過程における日韓の市民団体の連帯に注目したが、本報告はその流れのなかで、07年8月から約半年間ブロガーたちによって自発的に展開されたウトロ支援運動に注目する。  

    ジャーナリズムとしてのブロゴスフィアと政治参加
    ネットを通じた政治参加は大きく①ネットをツールにした反/グローバルな社会運動と、②ネットコミュニケーションに由来する公共圏に対する2つの研究視座がある。本研究で対象となるブログ(blog)、そしてその集合体を称する「ブロゴスフィア(blogosphere)」はとりわけ00年代初の米国でその影響力が強かったユーザー・ネットワークである。ブログの言説作用を通じた情報発信機能とその政治的役割が注目され、マスメディアに対抗するパブリック・ジャーナリズムの可能性が取り上げられた(Gillmor 2004=2005)。すなわち運動家主導の①から大衆が担い手となる②の観点への移行においてブログは主要な題材となったと考えられる。しかし00年代半ば以後はその伝達の仕組みが少数の供給者による一方向的発信になっていく限界が指摘され(Haas, T., 2005)、パブリック的機能はツウィッターやフェースブックなどのSNSに委ねられることになる。  

    韓国で作り上げられたウトロ支援のブロゴスフィア
    韓国におけるブログはその構造上個人単位のコミュニケーション媒体として普及された(Kim, Y., 2006; Yoon, M., 2007、全て韓国語)。しかし00年代半以後いわゆるパワーブロガーの経済的影響力やジャーナリズム的性格が注目されるなか(Park and Yoon, 2008、韓国語)、ウトロ地区の支援運動はブロガーたちの自主的社会運動として始まった。その運動は上記の情報発信の仕組みを孕み、日本・在日に対する既存のステレオタイプが垣間見える限界はあるものの、その言説内容がブロガーという我々を掲げている点、その共同性を呼び起こすに「国民・民族」の言説に頼らざるを得ない点、そして情報発信と大衆における中間的仕組みを作り上げている点にその意義があると考えられる。とりわけ最後の点は、韓国のブログが一元化された構造に基礎していることが活かされた結果であった。
    発表当日は、その詳細に注目して報告を行う。
  • 杉本 興運
    セッションID: 307
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    研究の背景と目的 
    宿泊施設の分布や立地特性については,都市あるいは観光地の機能や形態を把握するための重要な指標の一つとしてみなされてきた.実際,いくつかの先行研究において,宿泊施設の種類や分布特性の変化の分析を通して,都市や観光地の機能や形態の変遷が論じられてきた.しかし,多くは定性的分析が中心で,宿泊施設の分布や立地特性を数理モデルによって説明しようとした試みは少ない.近年では,国土の計画や政策に対する地理空間的志向の重要性が周知され,国の政策としての地理空間情報基盤の整備を通し,国土の人工•自然環境に関する様々な空間データが数値情報として提供されている.また,民間企業などが独自に作成した多様な空間データも入手可能であり,研究目的に応じたデータの柔軟な組み合わせによって,様々な用途やスケールでの地域分析が可能な環境が整っている.本研究ではこうした空間データを利活用し,都市や観光地の交流・宿泊機能を有し,かつ観光客の行動拠点として重要な宿泊施設を対象に,その分布や立地特性を広域的かつ定量的に把握することを目的とする.
    研究方法
    宿泊施設の立地にどのような地理的変数が関係するのかを,広域関東圏(関東1都6県に長野県,山梨県,新潟県,静岡県を加えた圏域)で,かつ統計的に検証した.具体的には,宿泊施設の立地を目的変数,それらの周辺の人文・自然環境の特性や特定の政策区域・地物との空間的関係(距離など)を説明変数とした線形モデルを構築し,各説明変数の寄与度を調べた.目的変数となる宿泊施設のデータは国土交通省国土政策局から国土数値情報として一般公開されている宿泊容量3次メッシュを使用した.このデータは1km×1kmのグリッドポリゴンが縦横に並んだ空間データで,各グリッドに宿泊施設タイプ別(ホテル,旅館など10種類)の施設数,宿泊施設総数,宿泊容量,部屋数の属性情報が格納されている.説明変数には,周辺の観光資源や温泉資源などの数量,鉄道駅や河川など人工・自然の地物までの距離,気候や地形などの自然条件,建物や道路などの土地利用条件,海岸や河川など水系への距離,リゾート地域や人口集中地区への近接度などの指標をGISの演算機能で数値化したものを使用した.分析には,一般化線形モデル(GLM)と,変数の空間的な従属性や異質性を考慮した地理的加重一般化線形モデル(GWGLM)を使用した.
    結果
    施設数の圧倒的に多いホテルと旅館の分析結果を述べる.まず,ホテルの立地に大きく正方向に寄与していた変数は,周辺の観光資源とレジャー施設数,道路密度,周辺の温泉資源湧出量,DID人口集中地区への内包,平均標高であり,負に寄与していた変数は,鉄道駅からの距離,農業用地面積,森林面積,平均傾斜角度であった.旅館の立地に大きく正方向に寄与していた変数は,空港からの距離,高速道路インターチェンジからの距離,建物面積,周辺の温泉資源湧出量,平均傾斜角度,DID人口集中地区からの距離,負に寄与していた変数は,農業用地面積,森林面積,道路密度,平均日照時間,DID人口集中地区への内包と,ホテルの分析結果と類似する部分と大きく異なる部分(道路密度,傾斜,DID人口集中地区への内包)が存在する.また,特徴的な点として,周辺の温泉資源湧出量の影響力が非常に高かったことが挙げられる.しかし,GLMではモデル精度が高くなかったため,GWGLMを用いてモデル精度の向上を試み,同時に各変数における係数の空間的特徴を調べた.その結果,それぞれの宿泊施設に対する変数の影響の地域的差異 が明らかとなった.例えば,GLMで旅館の立地に最も大きく寄与していた周辺の温泉資源湧出量のGWGLMにおける係数は,東京都の大都市付近では負であったが,静岡県や長野県等では正となった.
  • 乾 睦子
    セッションID: 422
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    瀬戸内海周辺には多くの花崗岩体が知られ、江戸時代以前から各地で石垣等に利用されてきた。明治期に西洋建築が導入されると、それらが継続的に採掘・加工・出荷されるようになり、近代産業として成立した。花崗岩は岩石の中でも固く耐久性が高いため、建造物の外装を中心に内装にも用いられた。第二次世界大戦後には戦没者慰霊碑や一般に墓石が普及し始め、建築石材に加えて墓石が石材産業の大きな柱になり、1960年代には機械化も進み日本の加工産業の一角をなす存在となった。しかし、その後資源の枯渇や環境規制、輸入品との価格競争があり現在は産地が減っている。明治期以降に産業として成立し、隆盛してから現状に至るまでの石材産業の経緯は、日本の一加工産業の歴史としても貴重な記録である。ところが、この石材産業に関しては資料等がほとんどなく、輸出入量推移など外側から全体像をつかむことしかできなかった。そこで本研究では、瀬戸内海を囲む各地に点在する稼働中の花崗岩石材産地のいくつかを訪問調査し、産地毎の生産活動の多様性を知ることによって、近代石材産業の歴史と現状の一端を明らかにしようとした。  本研究で訪問した主な花崗岩石材産地は、香川県小豆島町(小豆島石または小海石)、同高松市(庵治石)、岡山県岡山市(万成石)、笠岡市北木島(北木石)、愛媛県今治市大島(大島石)、広島県呉市倉橋島(議院石)、山口県周南市黒髪島(徳山石)である。これらの産地はまず、石質と用途の点から大きく二つの傾向に分けることができた。庵治石と大島石は当初から墓石材や工芸品として用いられてきた石の産地である。この二つの産地の花崗岩は中~細粒で肌理が細かく彫文字が映える質感で、現在は高級墓石材とされている。資源としてはキズが多く大材が取れないという特徴もあり、このために建築材料には向かなかったものと思われる。上記以外の産地は、当初は建築材料向けを比較的多く産出していた。いずれも結晶の粒径が比較的粗く、大材が採掘できる、あるいは同じ色目の材を大量に揃えられるという特徴が共通していた。現在は墓石を主としている産地と、そうでない産地とが見られた。  産地の多様性を作り出していた主な要因としては、(1)土地・権利の形態、(2)採掘と加工の関係、そして(3)立地の問題があった。(1)土地所有の形態としては、各事業者がそれぞれの権利の範囲を採掘する場合が大半であり、その場合は土地に制限された狭く深い採石場が並ぶ(大島・北木島)。しかし、大採石場に複数の事業者が入る事例(庵治石)もあり、その場合はより緊密な地域のコミュニティが成立しているようであった。(2)採掘と加工の関係では、加工事業者が多く定着しているかどうかが産地によって様々であった。加工業が定着している産地では、輸入石材の加工も取り扱いながら産地全体のブランド化を図る方策が見られた。一方の採掘を主とする産地では、国内企業が加工拠点を海外に移行する動きとともに出荷先の変更、小売への参入、多角化を図るケースがいくつか見られた。(3)立地の問題としては、瀬戸内海沿岸の産地はもともと海運を利用できることで発展してきたが、現在はほとんどがトラック輸送であるため、島という立地が不利に働き、本土に拠点を移すケースが見られた。反対に、市街地に近すぎる立地は、環境騒音問題のため採掘手段が制限されたり植樹等の努力が必要とされていた。  瀬戸内海沿岸地域に近接して立地する多くの花崗岩石材産地には、それぞれ特有の事情によって多様な産業形態が成立してきたことが分かった。本研究は、公益財団法人福武財団より瀬戸内海文化・研究活動支援助成を受けて実施することができた。
  • 滝澤 滝澤みちる, 須貝 俊彦, 松本 良
    セッションID: P016
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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  • 内モンゴル自治区・シリンホト市周辺を事例として
    さち ら
    セッションID: 506
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    Ⅰ 研究の課題内モンゴル自治区は,中国の中でモンゴル人による家畜経営が盛んに行われてきた伝統的乳文化が昔から根付いた地域であり,牧畜民の家畜経営方式変動により今では様々な変化が起きている.遊牧から定住化,そして放牧を禁止するなどといった政策による経営方法の急変が牧畜民たちにはこれまでにない試練を与えたといっても過言ではない.近年都市や牧畜地域に乳製品の消費が増えることによって乳製品加工者が大量に生産,流通できるようになる一方で,大手乳製品企業と競争していることは否めない. Ⅱ 目的本稿では定住化が進んでいる内モンゴル自治区の都市,シリンホト市とその周辺生産地を対象に,乳製品流通と小規模生産者の位置づけを明らかにする.この地域は,「生態移民」政策が実施されている地域の1つであり,生態移民として乳製品生産をおこなう彼らの経営,および流通における位置づけにとくに注目する.この結果から都市化が進む内モンゴル自治区において,元牧畜民である小売店や小規模生産者がいかなる社会関係を利用して乳製品を流通しているかを考察し,大企業による乳製品加工では生産されない乳製品があり,その生産の担い手として小規模な家族生産を位置づけることが可能なのではないか,という問題で牧畜地域の乳製品の持続的な発展における都市周辺の生産者や牧畜民の役割を明らかにすることを目的とする. Ⅲ 研究方法今回調査を実施したのは,シリンホト市の乳製品小売店と生産地であるシリンホト市の周囲の生態移民村および乳製品の主要な産地であるショロンホフ旗の乳製品生産者を調査対象とした.2013年8月15日から9月28日まで,シリンホト市の乳製品小売店と生産地であるショロンホフ旗の家庭経営生産者とシリンホト市の生態移民村の生産者や牧畜民でアンケート調査とインタビューと観察調査を行った(図1).シリンホト市周辺の地域を選んだ理由は人口が集中している市中心であり,乳製品の種類や流通量からもシリンゴル盟はほかの都市に比べて多く,この地域において乳製品の流通動向の全体像を把握することが重要であると考えられるからである.Ⅳ 考察シリンホト市周辺で乳製品が流通できるようになったのは生態移民政策による都市化が進む背景であり,都市に流入する牧畜民が増えて乳製品の生産や販売も増加するようになった.彼らは牧畜社会関係を利用して乳製品消費が伸びている社会に競争しながら伝統文化を持続していると思う.乳製品を大量に消費できるようになったのは,都市の乳製品消費者が増えることによって小規模生産者が大量に生産できるようになった.また,小規模生産者は個別経営となっているが,販売などには地域の消費者の存在も発展存続には極めて重要な役割をもつと考えられる. Ⅴ おわりに現在新たに形成されている乳製品の流通の中で牧畜民はこれまでに自家消費をしてきた乳製品が商品化されていることが本研究の調査から明らかとなった.集中型大規模生産者と比べて,設備やインフラなどによる遅れはあるものの,独自の市場を形成している点がこれからも乳製品による安定的な収入が期待される.本研究では流通形態を探ることに注目し,乳製品生産者の乳製品生産にかかるコストと収益については詳細に明らかにすることができなかった.安定的で持続的乳製品の市場を構築するためにこれから検討すべきことは生産技術と流通手段を更新することであると考えている.Ⅵ 結果小売業のほとんどは市内の観光地と住宅街に集中している.シリンホト市においては常設小売店販売と露天販売の大きく二つの業態によって乳製品が販売されている.2000年以後市内に乳製品小売が増加し,経営者は牧畜民から転業したものが多く,全体の70%を占めていた.それは,近年の生態移民などの政策により,牧畜民の生業が変化していることが一つの要因であると考えられる.また,乳製品小売店の設立年は2000年以降設立された店が多く,それは21世紀に入って内モンゴル自治区で政府政策による生態移民や都市化が顕著になっていることが背景にあると考えられる.その仕入れ先はシリンホト市周辺の移民村の小規模生産者とショロンホフの町にいる家族経営の生産家と牧畜民であった.小売業のほとんどは市内の観光地と住宅街に集中している.また,生産者と小売業者たちの乳製品流通は地縁関係と血縁関係を利用しているのが多かった.乳製品の小規模生産者の経営規模・形態についてシリンホト市とショロンホフの両地域において調査を行った.
  • 二村 太郎
    セッションID: S0303
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は人文地理学分野を中心に、日本とアメリカの地理学界の接点について検討する。アメリカの地理学における学術査読誌では中国語とスペイン語の論文要旨が掲載されているが、日本の地理学のプレゼンスは総じて弱い。他方で、日本ではアメリカを研究する地理学者が少ないばかりでなく、アメリカの地理学者と広い交友がある日本の地理学者も限られている。本報告では両国の地理学がより多く接点をもつ上で、英語による研究成果の発表はもちろんのこと、積極的な人的交流を通じて、世界各地で人的ネットワークを拡大していくことの必要性を指摘する。
  • ESDの視点を取り入れることを通して
    池下 誠
    セッションID: 710
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    平成20年に改訂された中学校の学習指導要領には、基礎・基本の徹底、言語力育成の観点から、「習得」「活用」「探究」が重視されるようになった。さらに、平成22年には指導要録が改訂され、「習得」(基礎的・基本的な知識・技能の習得)は、観点「知識・理解」と「技能」に、「活用」(知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力)は「思考・判断・表現」に、「学習意欲」は観点「関心・意欲・態度」に対応することになった。 卒業後に高校受験を控えた中学校では、観点別学習状況の評価観が受験の際の重要な資料として使われるため、学期ごとに観点別学習状況の評価観に基づいて評価を行うことは当然のこととされている。しかし、個々の生徒の学習状況をどう評価したらよいか、といったことやそれを学力の向上にどう結びつけるか、といったことについては十分に理解されているとはいえない。その上、平成22年度に、「資料活用の技能・表現」が「資料活用の技能」に、「思考・判断」が「思考・判断・表現」に変更された。学校現場では、それがどういったいきさつで変わったのか、またそれをどう評価したらよいか、といったことが十分に理解されないまま、実際の評価が行われているのが現状である。 筆者は、2013年日本社会科教育学会で、「観点別学習状況の評価観に基づき生徒の学力を高める学習指導の在り方-目標・指導・評価の一体化を図ることを通して-」という主題で、ワークシートを活用した個に応じた指導と形成的評価の一体化を図る指導を継続的に行うことによって、生徒の学力が高められることを述べた。しかし、思考力・判断力・表現力をどう育成するのか、ということについては明らかにすることはできなかった。 平成20年に中学校社会科地理的分野の学習指導要領が改訂され、ESD(持続可能な開発のための教育)の視点が初めて明記された。ESDは、地域を学習対象とし、よりよい地域を構築するために人々の価値観や行動を変革することを目指した教育である。地理的分野の学習指導にESDの視点を入れると、地域的特色をとらえるだけでなく、地域の課題やその解決策を考えることが必要になる。しかし、地域に対する考え方や地域の課題を解決する方策は、千差万別である。したがって、よりよい地域を構築しようと考えたとき、多様な意見や考えを出し合い、それらを調整することが必要になる。このように、多様な意見や考えを出し合い、話し合いを通して、意見や考えを調整し、合意形成を図ることによって、より一層、生徒の思考力や判断力が高められると考えた。
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