日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の353件中101~150を表示しています
発表要旨
  • 青山 雅史
    セッションID: 114
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    地盤の液状化は,埋立地や旧河道等の特定の微地形や,若齢地盤において生じやすいことが知られている.本研究では,Google Earth画像の判読と詳細な現地調査(目視観察)で得られた液状化被害のデータ(青山 2013,青山 印刷中)に基づいてGIS上で液状化発生域の面(ポリゴン)データを作成し,利根川下流低地と宮城県北部大崎平野における地形区分ごとの液状化発生率を求めた.また,多くの領域で埋立の経緯が判明している利根川下流域の旧河道・旧湖沼における液状化発生域とその埋立年代(地盤形成年代)との関係を検討した.
    2.調査方法と使用したデータ
    Google Earth画像の判読から液状化発生の指標となる噴砂を抽出し,Google Earth画像の判読では噴砂の抽出が困難な市街地に関しては現地調査から得られた青山ほか(印刷中)等の液状化被害のデータを用い,GIS上で液状化発生域のポリゴンデータを作成した.液状化発生域は,約30m四方以上の領域を取得した.マンホールの浮き上がりやアスファルト路面の線状沈下に関しては,マンホールや下水道管渠等の埋め戻し土のみに生じた局所的な液状化に起因すると推定され,GIS上で面データとしての取得が困難であるため,本研究の液状化発生域には含んでいない.旧河道・旧湖沼の埋立年代は,迅速測図,旧版地形図,米軍・国土地理院撮影の空中写真や文献資料等に基づいて判断した.
    3.結果と考察
    利根川下流低地における液状化発生域の面積は,旧河道・旧湖沼で最も大きく,それに次いで後背湿地,旧湿地,自然堤防の順であった.しかし,各地形区分の面積比率はばらつきが大きく,地形区分ごとの液状化発生率を求めると,旧河道・旧湖沼において液状化が生じやすいのに対し,他の地形よりも面積比率の大きい後背湿地ではむしろ液状化が生じにくかったことが示された(図1).液状化が集中的に生じた旧河道・旧湖沼の埋立年代ごとの液状化発生率をみると,戦後の食糧増産政策や宅地造成に伴い陸化された領域では45.8%であったのに対し,明治後期の利根川改修工事以前に陸域化されていた領域では1%未満であり,液状化の生じやすさには明瞭な差異がみられた(図2).大崎平野における地形区分ごとの液状化発生率は利根川下流低地と同様の傾向がみられたが,利根川下流低地に比べて旧川微高地を除くすべての地形で液状化発生率が小さかった(図1).大崎平野では利根川下流低地と比べて旧河道・旧湖沼の面積比率が小さく,さらにその中でも明治後期以降に陸域化された領域は少ない.しかし,JR古川駅周辺などの粘性土地盤(泥炭地盤)からなる地域では,マンホールの浮き上がりやアスファルト路面の沈下,建物周辺地盤の沈下(抜け上がり)など,GIS上で面データとして取得困難な局所的な(埋め戻し土の)液状化が多数生じていた.利根川下流低地では,明治後期の利根川改修工事以降陸域化された領域の多くは,利根川浚渫土を用いた埋立で陸域化された.それに対し,それ以前に陸域化された旧河道・旧湖沼や大崎平野の旧河道・旧湖沼に関しては,陸域化の経緯が不明である領域が多い.利根川下流低地における液状化発生率の高さは,本震の 分後に発生した最大余震の影響なども指摘されているが,それに加えて,液状化が生じやすい砂質土で埋積された地盤(旧河道・旧湖沼)が相対的に広く分布していることの影響も考えられる.以上のことから,液状化の生じやすさの面的分布を推定するうえで,河道変遷,旧河道・旧湖沼の陸域化の経緯(地形・地盤の形成史)やその埋立材料,埋立造成年代等に関する情報の取得は重要である.また,砂質土地盤では「面的」な液状化が生じやすいのに対し,泥炭地盤では埋め戻し土の液状化に起因する局所的被害(マンホールの浮き上がり等)が顕著な場合があり,地形区分(表層地盤)による液状化被害形態の差異についても考慮する必要がある.
  • 伊藤 修一
    セッションID: P060
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    Ⅰ.はじめに 破産は債務者の財産状態が悪化して,債権者への債務完済が不可能となることを指し,日本では破産法に基づく裁判手続きによって認められる(斎藤 1998).法制度の違いはあるが,アメリカ,イギリス,カナダ,オーストラリアなどの先進国では近年個人の破産が増えており,日本も破産事件の8割以上が個人(自然人)によるものであって例外ではない.
     破産事件総数の推移は,法務省『司法統計調査年報』に基づいて,山本(2012)などが定量的に説明している.1980年までは3,000未満だった件数は,1983年の貸金業規制法施行と出資法改正の直前の駆け込み的な取立行為が多かったことや,非事業者の破産に破産宣告(破産手続開始決定)と同時に手続を終了させる同時廃止型破産を積極的に適用されはじめたことによって,同年には2.64万件と,それまでの8倍も増加した(第1のピーク).その後バブル景気に伴って1万件台まで減少したが,バブル経済の崩壊のほか,消費者信用の与信枠が拡大されて,「カード破産」が増加したことで1993年には4.62万件まで急増した(第2のピーク).さらに長引く平成不況は1990年代後半から件数の増勢を促して,2003年には過去最悪の25.2万件に達した(第3のピーク).しかし,翌年の貸金業規制法改正や2006年の貸金業法施行で過払金請求が増加したことなどで減少傾向となり,2012年は第3のピーク時の36.8%にあたる9.26万件に至る.
     このような破産傾向に地域差があることは,晝間(2003)が指摘している.これによると,各県を1985~1998年の破産率の順位の平均と変動の大きさの組み合わせから9分類した結果,変動が最小のグループのうち,高位は九州・中国地方,中位は四国・近畿地方,低位は中部・関東地方の諸県が占める.一方,変動が最大のグループでは高位に九州地方,中低位には東京圏や中京圏の諸県が含まれている.これは,基本的な分布パターンがいわゆる「西高東低」であって,大都市はパターンの変化に重要な役割を果たしていることを示唆している.
     この分布は第1と第2のピークの間にみられる特徴であり,全国推移の傾向からは1985~1998年の前後で分布が異なることは容易に推察される.そこで,破産率の全国推移が前述のピークに従って,統計的にも4期に区分されるかどうかを確認したうえで,各年の破産率の分布パターンを空間的自己相関統計量を用いて検討する.
    Ⅱ.分析データ 本研究で用いる破産事件数は『司法統計調査年報』における破産の新受事件数である.この件数は,原則として債務者の住所地を管轄する地方裁判所ごとに集計される.地方裁判所は50か所に立地するが,分析の都合上,県ごとに件数を再集計して用いる.これを住民基本台帳に基づく人口1万で除した値を破産率とする.対象とする期間は全県の統計がそろう1972~2012年とする.
    Ⅲ.破産率の全国推移 推移の特徴から4期に区分されることを仮定して,クラスター分析によって,傾向をとらえた(図1).第1期は1972~1991年で,破産率が平均0.72‱と全期間中で最低である.続く1992~1997年が第2期で,平均4.25件で第1期の6倍程度増加した期間である.第3期は1998~2001年と2008~2012年に分かれているが,2002~2007年は平均16.1‱と,第3期の10.3‱よりも高く,特異な期間と判別された.
    Ⅳ.破産率分布パターンの変化 第1期は,モランI統計量が平均0.3程度で推移し,弱い集中傾向がみられる(図1).1972年から第1のピーク直前の1981年までは中京圏と大阪圏の府県で,ローカルモランI統計量により有意な高率の空間クラスターが認められた.ただし,九州地方や東北地方で破産率が急上昇したこともあって,このクラスターは1983年には完全に解消した.同時廃止型破産の積極導入は,分布パターンを激変させた一因であることがうかがえる.
     一方で,1980年代前半から第4期の2000年代半ばまでのおよそ20年間にわたって,九州地方では高率の空間クラスターが,北関東や甲信越地方に低率の空間クラスターがそれぞれ形成された.この間のモランI統計量は増加傾向で,1996年からの8年間で7年も0.4を超えており(図1),前述の「西高東低」パターンが強まったといえる.
     しかし,2003年以降はモランI統計量は急低下して,第3期後半の2009・2010年には有意な負の値を示すように,「西高東低」パターンを形成するクラスターは解消している.特に2007年以降の東京都は全国一破産率が高く,2004年からは平均20.7‱と近隣県よりも有意に高率であり,貸金業への規制が強まる第4期以降に,他県とは異なる例外的な特徴を示している.
  • 大月 義徳
    セッションID: S0509
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    本報告は、乾燥-半乾燥地域およびその周辺地域における地形変化の実態とともに、当該地域の農業的土地利用事例を2例紹介する。これらは、上田元(東北大)、佐々木明彦(信州大)、関根良平(東北大)、佐々木達(札幌学院大)、蘇徳斯琴(内蒙古大)、西城潔(宮城教育大)各氏らと実施した共同研究の一部である。 東アフリカ、ケニア中央高地における半乾燥-亜湿潤地域Laikipia平原と、これに隣接する熱帯高地域Aberdare (Nyandarua) 山地の地形変化とその時間スケールは、14C年代測定結果等にも基づき、下記の表のようにまとめられる。 Laikipia平原は標高1,850~2,000 m、年降水量が700 mm 前後であり、調査地域においては熱帯高地から流下する(唯一の)恒常河川沿岸の河成段丘面 (1.4~1.6 ka, δ13C補正)、および隣接する基盤岩緩斜面が農地利用されている。基盤岩緩斜面では2.0~2.5 ka以降、シートウォッシュが卓越したとみられるが、多くの場合、ウォッシュ収束に伴い発生するチャネルにおいても斜面削剥量が小さいため、農家は畑の縁辺・境界にチャネルを沿わせるように耕地を配置している。ただし、ところによりチャネルまたはガリーによる線的浸食が比較的顕著に発現している箇所もあり、そこでの浸食総量は1~2 mである。 隣接するAberdare山地農業地域(標高2,300~2,800 m、年降水量1,000 mm以上)では相対的に地形変化速度が大きく、むしろ日本などの湿潤温帯と近い頻度での斜面更新がみられる。谷壁斜面上の浅層斜面崩壊については、発生後の農地利用などにより崩壊地形が不明瞭化する場合が少なくない。多重スランプ・ブロックスライド(~表層崩壊)などの先駆的斜面変位を示す階段状斜面等においても、比高1.5 m程度以下の滑落崖・小崖は、農地拡大等で極めて容易に消滅する。よって、やや広域にわたり崩壊跡地、崩壊初期変位地形が人為等により消失している際の農地の土地条件評価は、合わせて表層地質、土壌層位に関わる情報もより注意深く収集する必要があり、また今後の課題となろう。 中国内モンゴル自治区西部、烏蘭布和沙漠東縁の阿拉善左旗巴彦喜桂集落付近では、過去数十年の時間スケールにおいて見かけ上1~10 m/yr程度の、また完新世前期以降というやや長期的な時間スケールにおいても、10-1 m/yrオーダーかそれを上回る平均的速度での沙漠の移動・前進が生じている。そのため、黄河河床と比高14 m程度の左岸河成段丘面 (7.2~8.7 ka) は、広い範囲にわたりほぼ全面的に砂丘下に埋没している。上記集落は段丘崖下の氾濫原上に立地し、住民は集落近傍から黄河河道にかけての氾濫原上に展開する農地において、近年はヒマワリの集中的作付など、環境負荷の大きい土地利用を行っている(大月ほか, 2010; 関根ほか, 2010)。 本地域の年間160 mm 程度の降水条件下において、地下水位の極めて浅い氾濫原は地表からの地中水蒸発が活発であり、元来、黄河河道に隣接する農地は、土壌表層に塩類が集積し塩性化しやすい。本地域では土壌塩性化への対応のひとつとして、河川水の導入による堤間農地等の冬季湛水が実施されている。これは、黄河特有の懸濁物質に富んだ河川水を農閑期に農地に引き込むことにより、塩類集積を含む農地の地力低下を、ある程度抑制・緩和することを意図するものである。こうした河川水による冬季湛水は、黄河河道沿いの多くの農地で確認されるが、とくにここでの事例のように1箇所の水門で取排水を行うには、河川本流の冬季凍結が必要条件となる。すなわち、河川凍結開始から完全凍結に至るまで本流の水位が約1 m上昇し、完全凍結直前に水門を開門し、農地に河川水を引き込み、その後閉門する。一方、春季の解氷時には黄河の水位が低下し、再び水門を開けることにより農地に湛水されていた河川水は、黄河本流に排水される。 以上のように、冬季から春季にかけての農地維持期を介在させることにより、黄河沿岸の農業的土地利用は、ある程度長期にわたり成立してきたと捉えることができる。しかしながら今後、本地域における近年の状況がより進行し、過重な連作、化学肥料の多用等により、地力や作物収量の低下が慢性化するようであれば、本来の土地環境の受容度を超えた環境負荷が顕在化すると言わざるを得ないであろう。現時点においても耕作放棄地が目立ち始めており、今後の環境利用のあり方や、その持続性が注目される。
  • 福岡県糸島市の海岸林保全運動を事例として
    近藤 祐磨
    セッションID: 322
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    Ⅰ 問題の所在と研究目的
    昨今の環境保全運動の高まりとともに,環境保全運動を対象とした研究もさまざまな学問領域で蓄積されつつある.しかし,社会化された自然という観点からの研究は少ない.環境保全研究における地理学の独自性は,英語圏で展開されていて社会化された自然を主題とする「自然の地理学」研究から示唆を得ることができる.そこで,本研究は,福岡県糸島市における2つの海岸林保全運動を事例として,海岸林がいかにして「保全すべきもの」として見出されたのか,保全運動がいかなる主体間関係の構築によって展開されたのかを明らかにする.
    Ⅱ 深江の浜における海岸林保全運動
    糸島市二丈深江地区では,「深江の浜」を保全対象とする「深江の自然と環境を守る会」が2011年4月に発足し,地域住民を主体とした保全運動が実践されている.
    保全運動は,行政が始めた地域活動への人的・財政的支援制度が契機で始まった.2012年5月には,市民・企業・行政が連携した大規模な環境美化活動の一環として,市との共催で活動が実施され,校区内の小中学校や事業所が活動に積極的に参加するようになったり,活動内容も増えたりと,運動が拡大した.校区内のさまざまな主体が次々と加わって,地域的な社会運動に発展しているといえる.
    同団体は海岸林を郷土の誇りであり,防風・防砂機能を果たすものだと意味づけており,校区住民の世代間交流を図りながら保全運動を行うことを目指している.
    Ⅲ 幣の浜における海岸林保全運動
    糸島市志摩芥屋地区では,市を象徴する海岸林「幣の浜」を保全対象とする「里浜つなぎ隊」が2013年2月に結成され,移住者や外部者を主体とした保全運動が実践されている.
    保全運動は,福島第一原発事故で東京から移住した元新聞記者の女性が,2012年秋のマツ枯れ被害に衝撃を受けたことが契機で始まった.女性は,相談相手であった近隣の移住者(大学教員)の仲介と,公私にわたる交友関係を生かして,研究者や専門家,政治家・市職員との人的ネットワークを急速に拡大させ,大規模な運動を展開している.
    活動には,計画中も含めて,①市民参加型のイベントを主催して広く参加を募るものと,②既存の海岸林保全策とは異なる方法を提示するものがある.①は,マツ枯れの拡大を防ぐための枝拾い活動,②は,環境系NPO法人から影響を受けて,マツ枯れの主たる原因をめぐる論争(森林病害虫説と大気汚染説)のうち大気汚染説に立脚した,土壌の酸性化を中和させるための炭撒き活動である.
    同団体は,国によるマツ枯れ防止の薬剤散布を絶対視する地元住民の風潮と,薬剤の子どもに対する健康上の影響に疑念を抱いている.同団体は空間一帯を新しいコモンズのモデルを創出する場と意味づけており,薬剤散布によらない市民主導の海岸林保全と,マツ林にこだわらない新たな海岸の創成を目指している.しかし,市を象徴する白砂青松の復活を目指すメディアや民間企業から,マツ林復活に取り組む団体と誤解されている節がある.
    Ⅳ 主体による認識と実践の多様性
    本研究から,海岸林保全運動において,対象となる環境への社会的な意味づけが,同じ環境を共有する地域内でも主体によって多様であることが判明した.また,保全運動が起きている複数の事例間でも内部の様相は異なるため,特定地域内部における意味づけの多様性と地域ごとの特殊性が,環境保全運動をめぐる状況をきわめて複雑なものにしている.海岸林保全運動の契機・主体・意味づけのいずれもが多様で複雑である.
    しかし,本研究ですべての主体の意味づけが具体的に明らかになったわけではない.とくに保全運動の中核を担っていない一般住民による意味づけの量的な研究や,玄界灘地域全体での海岸林保全運動がリージョナルにどのような影響を与えているのかについての研究が今後の課題である.
  • 福岡市を事例として
    佐藤 彩子
    セッションID: 423
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.問題の所在<BR> 本研究の目的は、福岡市の介護企業経営者の職業キャリアを、その地域間移動を含めて明らかにすることにある。少子高齢社会において、利用者にサービスを提供し労働者に貴重な雇用機会を提供する介護企業経営者が起業時に抱えている課題を検討することは重要である。介護事業所は、提供されるサービスやその運営主体において事業所間で格差があるものの、都市部から山間部の小規模町村まで幅広い地域に立地している(宮澤、2003:59)。一方、日本の地方圏には労働集約的な製造業の誘致により就業機会の確保を行ってきた地域が多く存在するが、中国やアジア諸国等へ安価な労働力を求めて工場が移転されるという状況が起きている。これらの点を考慮すると、介護企業が生み出す雇用はローカルスケールの地域にとって貴重な就業機会であるが、それを生み出す経営者の実態についてはほとんど解明されていない。経営者の経歴の違いは起業時の経営のあり方の違いにつながると予想されるので、ローカルスケールの地域経済とそこでの雇用問題を考える上で、介護企業経営者の職業キャリアを研究することは意義あることである。<BR>2.調査の方法<BR> 2013年9月から12月にかけて福岡市内の介護企業経営者20人に聞き取り調査を行った。その際、独立行政法人福祉医療機構が提供する介護サービス提供機関の情報(WAMNET)を利用し、経営主体が有限会社か株式会社で、提供サービスが居宅介護支援、訪問介護、通所介護事業のいずれかを提供している企業を選定した。実際の調査については手紙で依頼を行い、聞き取りが可能な企業に対して聞き取りを実施した。<BR>3.調査の結果と考察<BR> 中澤・荒井(2004)を参考に、出身地と現在企業を経営している都道府県との関係を軸に介護企業経営者を①地元定着型、②Uターン型、③その他に類型化した。次にこれらの類型と起業において利用した各種経営資源との関係を考察した。この類型にかかわらず福岡市を起業場所として選定したのは、福岡市の市場規模が九州地方において最も大きいためであるということが聞き取り調査から判明した。起業仲間について①②に関しては家族の影響力が強い。資金調達の方法について①は地銀からの融資、②③は自己資金、政府系金融機関からの借入を主に活用している。経営相談できる人物については①は家族を中心とした身近な人が多く、②③は起業後に知り得た人物が中心である。起業時の課題については①は顧客確保、②は介護保険制度の理解、起業手続きの理解、③は従業者確保である。現在の経営課題について①は顧客確保、②③は従業者確保である。<BR> 以上から、起業時の各種経営資源として①は知人や近隣の人等身近なものを幅広く利用していることから、それらの資源を本研究では「土着に基づく社会関係資本」と名づける。一方②③については、①と比べると、家族を除いて互酬や信頼といった概念で特徴づけられる人物や集団を経営資源として用いていないものの、②に関してはUターン者である以上、地元において「社会関係資本」を全く保有・活用していないということは考えにくい。この点については今後調査を継続的に進め明らかにしていく必要があるが、本研究から、介護企業経営者は彼らの移動経歴により「社会関係資本」を積極的に活用する経営者と、それほど活用していない経営者に区分できると予想できる。<BR> 一般に起業に必要なのは、生産要素としての資本と労働力、そして起業のためのノウハウ(知識)であり、②Uターン型の経営者の「社会関係資本」の活用実態を調べきれていないという点、及び個々の経営者ごとに「社会関係資本」の具体的な内容等について詳細に明らかにされていない点を考慮すれば、活用程度という点において経営者の移動経歴と起業時の「社会関係資本」との間に何らかの関係が存在しているという本研究の結論は、あくまで仮説の領域に留まる。介護企業を起業する上で重要な資源は何か、介護企業を起業する上で移動経歴はいかなる意味をもつのかという点を念頭におきながら、今後、介護企業経営者へのさらなる調査を通じて、介護企業起業において「社会関係資本」という概念を組み込むことの有効性と限界を検討することを今後の課題とする。
  • 吉田 国光, 形田 夏実, 島 英浩, 山本 祐大, 鎧塚 典子
    セッションID: 828
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    本研究の目的は,熊本県天草市崎津地区を事例に,漁業を中心とした生業形態,および景観保全をめぐる諸実践がいかに展開してきたのかを分析し,重要文化的景観の「漁村景観」として保全の対象となっている景観がどのように形成・維持されてきたのかを明らかにすることとする。  研究方法としては,まず重要文化的景観に選定された「カケ」と「トウヤ」と呼ばれる構造物に特徴づけられる漁村景観の様相を提示し,重要文化的景観に選定されるまでの取り組みについて整理する。次に漁業形態の変化について,主に昭和戦前期以降の歴史的変遷および個別漁家の経営形態を分析する。そして「地域にあったもの」が取捨選択されるなかで,いかにして重要文化的景観となりえたのかを明らかにする。  研究対象地域として熊本県天草市崎津地区崎津を選定した。崎津地区は羊角湾浦内浦の西部に位置している。1896(明治29)年に崎津村と今富村が合併して富津村崎津,1954年からは崎津と今富が河浦町の大字となり,天草市への合併以降には天草市河浦町崎津地区となっている。現在の崎津港は第2種漁港となり,1955年までは長崎方面への定期航路も就航していた。また崎津地区の中心部にはカトリック教会が立地しており,「隠れキリシタンの里」として観光客の来訪もみられる。  崎津地区における景観保全の取り組みは,「長崎の教会群」が世界遺産国内暫定リストに記載され,それが周辺県に拡大されたことを契機としている。しかし,崎津地区は各種保護法の対象となっていなかった。こうした動きのなかで国内法の保護対象になるために住民の合意形成が図られていったものの,カトリック教会が保護対象となることで従来からの宗教的機能の減退が危惧された。このことからカトリック教会を含めた形態で保護法の対象となることは難しくなり,文化財の対象となりうるものが探索されるなかで,崎津地区特有の漁業関連構造物であるカケとトウヤが注目された。そして2011年2月にカケとトウヤを主な構成要素とする「天草市崎津の漁村景観」として崎津地区中町町会と下町町会および船津町会の一部が重要文化的景観に選定され(以下,重要文化的景観に選定された範囲を崎津と表記する),世界遺産登録へ向けた基礎が整えられつつある。  漁業形態については,1960年代までは地先の漁場での地曳網漁と三重県の真珠養殖会社が経営する真珠養殖への従事,巻網の一種である巾着網漁が中心で,その他小型の刺網漁や潜水漁などが行われていた。それが羊角湾干拓事業計画により,地曳網漁は中止され,底引網漁や一本釣り漁,真珠および緋扇貝養殖,小型刺網漁などを中心とした現在のような漁業形態へと移行した。  現在の主な漁場は底引網漁で五島列島東沖となり,一本釣り漁では羊角湾口一帯,真珠および緋扇貝養殖では主に崎津地区東部に立地する小島集落の沿岸部に養殖イカダが設置されている。主な漁獲魚種は底引網漁では10~5月にかけてヒラメやカレイ,アカムツなど底魚を,一本釣り漁では主にアジを対象として漁協を通じて熊本田崎や福岡市中央,北九州市中央,筑後中部,下関唐戸,京都市中央,大阪市中央など各市場へ契約出荷を行っている。とくにアジは「あまくさアジ」としてブランド化が図られ,高値時には7,000~8,000円/2kgで出荷されている。真珠は,全国真珠養殖漁業協同組合連合会が開催する入札会を通じて出荷されている。緋扇貝については,崎津地区にて緋扇貝養殖を営む3戸が共同して漁協を通じたイオンやゆうパック,市内の加工食品会社へ契約出荷を行うほか贈答品を中心とした個人販売も行われている。現在,崎津に居住する漁家は底引網漁で4戸,一本釣り漁で3戸,イセエビ刺網漁で1戸,緋扇貝養殖業で1戸,このうち一本釣り漁では潜水漁も行われている。船の大きさは最大でも7.99tとなり,比較的小型の漁船が中心となっている。漁船はコンクリート製の桟橋や防波堤に係留されている。また崎津地区の漁家数に比べて地区内に係留される船舶数は多く,非漁家・離漁家の多くがレジャー用の船舶を所有している。なおカケに係留される船舶については後者を目的としたものが多い。従来のカケは船舶の係留のほかに漁網の補修など「丘作業」の場であったが,崎津地区の漁家8戸のうち,カケで漁網補修などを行う漁家はおらず,自給用干物を干すなどに限られている。さらにカケの所有は漁家よりも非漁家・離漁家の方が多く,洗濯物干しなどに利用される方が多い。  以上のことからカケの利用は非漁業的なものが中心に継続されており,必ずしも生業活動が継続されるなかで存立してきたわけではないといえる。重要文化的景観としての価値を与えられた現在の漁村景観は生業活動から切り離されており,重要文化的景観の「動態保全」を考えていくうえで示唆を与える事例と考えられる
  • 東京西新宿・表参道・渋谷の事例
    谷口 智雅, 元木 理寿, 戸田 真夏, 横山 俊一, 山下 琢巳, 大八木 英夫, 宮岡 邦任, 長谷川 直子, 早川 裕弌
    セッションID: P067
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    筆者らは2013年春から「水と人の地誌の研究グループ」を立ち上げて、旅行ガイドブックのコンテンツに地理的視点を盛り込んだ書籍、義務教育の教材、水に関するトピックを中心とした巡検ガイドについての研究、検討を行っている。旅行ガイドブックのコンテンツに地理的視点を盛り込んだ書籍について、2013年秋季学術大会(福島大学)で旅行情報誌との比較検討をし、地方観光地の諏訪・浜松・四日市を事例にポスター発表を行った(長谷川ほか、2013)。また、2014年春季学術大会(国士舘大学)において、水に関するトピックを中心とした巡検ガイドおよび地理教材として、渋谷川・目黒川周辺における巡検を実施する(谷口ほか、2014)。グルメやショッピングなどのファッションの中心でもある東京は、地方観光地とは異なる観光資源も有していると言える。このため、本報告では、巡検コースと関連させて、地誌的視点を盛り込んだガイドの事例地域として発表を行うことを目的とする。
    西新宿・表参道・渋谷などのファッションタウンの観光ガイドは人気のショップや店員、グルメ情報が中心で、地域の歴史や地域固有の地理的事象の案内も限られてきている。一部、前述の地域概要に示した由来や歴史が書かれている場合もあるが、他の事象との関連性や、各通りやお店と絡めた記載は見られない。このため、人気のショップや店員、グルメ情報と地理的事象と関連性を示すことは容易ではないが、地理的景観から地誌的な記載について検討を行った。
  • チェンマイ在住日本人ロングステイ・ツーリズムに着目して
    カウクルアムアン アムナー
    セッションID: 302
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、タイ・チェンマイ県、メーカンポン村における日本人向けロングステイ・ツーリズムのプロモーション戦略を事例として、農村コミュニティにおけるルーラリティの商品化の概念モデルを確立することを目的としている。それに際して、本研究では現地観察や関係者に対する聞き取り、および日本人ロングステイ観光客の期待や村民の受け入れ意識に対するアンケートを行い、それらのデータからメーカンポン村におけるルーラリティの商品化の様相を捉えた。
  • -ベトナム中部の秋季降水特性変動に着目して-
    遠藤 伸彦, 松本 淳
    セッションID: 214
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    アジア域における20世紀全体の降水量変動を明らかにするためには特に20世紀前半の降水量データを観測原簿やデータブック等の歴史的気候資料からデジタル化する必要がある.旧フランス領インドシナの気象観測結果は,気象年報・気象月報・雨量年報の形で公刊されていた.われわれは気象庁・フランス気象局に保存されていた気象年報・気象月報・雨量年報を複写または写真撮影した.<br>
    ベトナム中部の雨季の降水特性がどのように変動してきたのかをみるために,ベトナム中部沿岸の8地点の9月から12月の雨量データをデジタル化した.Hue(フエ)における,もっとも早い観測は1897年であり,欠測も含むが116年間の降水量変動を概観することができる.ただし1920年頃までHueの観測所はしばしば移転しており,データは必ずしも均質とはいえないかもしれない点に注意が必要である.秋季の総降水量に明瞭なトレンドは認められないが,一方で季節最大日降水量は20世紀前半より後半により大きな値が観測されている.旧仏印では日降水量が0.1 mm以上である日数を「降水日数」と定義していた.降水日数は20世紀前半に相対的に少ない年が多い.近年のベトナム中部の日降水量データによると,ベトナム中部では日降水量が50 mm以上である日を「豪雨日」と定義できる.日降水量が50 mm以上であった日数は,1917年が116年間で最大であり,「豪雨日」が2ヶ月間に21日と著しく多かった.残念ながら1930年代と1940年代にR50をしることができない年が多い. 今後,月降水量・日降水量データのデジタル化を実施する予定である.
  • 日韓中地理学会議の経験から
    駒木 伸比古, 佐竹 泰和, 上村 博昭, 小泉 諒
    セッションID: P076
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    2013年8月31日から9月4日にかけて九州大学で開催された第8回日韓中地理学会議(以下,第8回会議)は,参加者数144名,発表数87件を数えた。本会議が日本において開催される際の運営システムの特徴に,会議の運営に携わる実行委員の年齢層が大学院生やポスト・ドクターを含むなど比較的若いこと,日本全国および韓国,中国に分散しているという地理的制約があることを指摘できる。こうした特性や制約を活用,克服した過程を,駒木ほか(2011)では,クラウドサービスの利用に視点をおいて示すとともに,その有効性と諸課題について整理した。本発表では,第8回会議で新たに導入したシステムや得られた見地も踏まえながら,国際学会運営における情報共有方法に関する成果と課題について整理,検討する。

    2.実行委員の構成と情報共有の方法
    第8回会議の実行委員は,第5回会議への参加者が中心となり,個人的なネットワークなどを通じて構成された。この分布を示したものが図1である。会議の規模拡大に応じて,担当部門別に作業することが多くなり,部門内および部門間での実行委員同士の円滑な調整や情報共有の必要性が高まった。しかしながら,実行委員数が第5回会議時の27名から44名と増加するとともに,その空間分布も北海道から九州と広範囲に渡った。そのため状況把握やアイデアなどを議論するために定期的に対面接触を図ることは困難な状況となっていた。
    こうした状況を踏まえ,第5回会議に引き続き,第8回会議でもメーリングリストの設置やクラウド上でのドキュメント共有や作成,インターネット会議システムの活用,メッセンジャーの利用,独自ドメインのWebページ設置などを行った。さらに,会議への参加登録やアブストラクトやプロシーディングスの提出についてもWebサイトから受け付けるなど,新たなサービスも利用した。

    3.案件による利用サービスの違いとその整理
    情報共有においては様々なサービスが利用されたが,扱う内容を踏まえると,次の3種類に整理できよう。すなわち,(1)事案にあわせて構成された部門内での情報共有,(2)実行委員全員の間での情報共有,(3)実行委員会と他の組織,学会参加者との情報共有である。
    (1)については,発表登録者の管理や学会賞の選考,学会グッズ作成,アブストラクト集の作成,ポスターやWebページ作成,開催校におけるロジスティクスなどの部門が挙げられる。これらにおいても,比較的少人数で行える部門,情報漏洩に注意すべき部門,常に実行委員全員に情報が行き渡るべき部門などがあり,それぞれに応じて適切な情報共有方法をとる必要があった。
    (2)に相当するのは部門における実施状況の報告や実行委員全員の合意形成が必要な場合であり,メーリングリストやクラウド上でのドキュメント共有・作成機能が活用された。また,ポスターやロゴのデザイン作成時のように,実行委員全員に広く意見を募集する際にも活用された。さらに,各部門で作成されたファイルや状況報告については,クラウド上に保存して実行委員が常時確認できるようにするとともに,定期的な報告を行った。
    (3)には,Webページ(http://8thcon.geographers.asia/)が相当する。すなわち,第8回会議の公式な情報は,インターネット上のサイトを通じて行った。また,参加者のメールアドレスは把握しているため,必要に応じて学会の窓口となるメールアドレスから情報を提供することもあった。

    4.今後の会議運営に向けて
    第2回,第5回,第8回と日本での開催回を重ねるにしたがって,課題を解決するべく,新しいサービスなどを利用して情報共有の円滑化に努めてきた。さらに,近年のICTの発達は目覚ましく,今後はソーシャルメディアサービスやスマートフォンのインスタントメッセンジャーなど,新たな情報交換ツールも利用することになると考えられる。次回(第11回)に向けて,案件に応じて適切な情報共有方法を選択できるよう,整理・検討する必要があろう。

    本発表の内容を取りまとめるにあたり,実行委員の皆様からは,各部門における情報共有の状況や課題などについて情報をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。

    参考文献
    駒木伸比古・山本健太・吉田国光2011.学術大会運営におけるクラウドサービスの有効性と課題―第5回日韓中地理学会議での経験から.地理空間4: 149-155.
  • 野中 健一
    セッションID: S0702
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.問題の所在
     人類は古くから世界各地でハチ類を食用・薬用をはじめさまざまに利用してきた。おもにスズメバチ類およびハナバチ類の社会性ハチであるが、なかでもスズメバチ類の食用とミツバチの利用は多岐にわたっている。その直接的生産物として蜂の子・はちみつ・花粉・プロポリス・蜜蝋が、食品、化粧品、芳香剤、薬、治療、防腐剤、など日常生活のみならず儀礼でも重宝されてきた。間接的には農作物の花粉交配用に農業で使われてきた。こうした世界各地で野生ミツバチの巣の採集・養蜂・食用のさまざまな技術や文化が形成されてきた。
    生物的には、社会性昆虫でありコロニーを作り、人体を刺害する危険生物であるものも多い。とくにスズメバチ類の攻撃性は強いため、危害はしばしば問題となる。ハチ類とヒトとの関わり合いの原初形態から都市養蜂にいたるまでさまざまであるが、野生種と家畜種の存在、環境およびその変化の影響があり、利用の観点からは、営巣地、飼育場所、蜜源・エサ源の分布との関連に注目でき、自然と社会の相互関連のなかにあるハチ利用は興味深い。
    ミツバチ養蜂や利用文化、製品の活用に関する研究は数多く、ハチミツ採集は資源利用とともに集団の存立にも重要な役割を果たしていることから人類学でも注目されてきた。しかし、地理学においてはハチ類の利用はあまり注目されていない。  本発表では、とくに野生ハチの利用から飼育(半養殖・養殖)への展開とその広がりを諸文献・資料および報告者の現地調査をもとに概観し、ハチ類利用文化の分布と伝播・拡散・変容の歴史を、空間性(自然および社会)、変化、人のネットワーク形成に注目し、地理学的な観点でどのような論点を提示することが可能かを検討することを目的とする。
     2.野生ハチ採集から家畜化にいたる程度と社会空間性
     野生ミツバチやスズメバチの巣の採集は刺害や営巣場所が高所や山奥では苦労や危険を伴うこともあるが、それでも生産物を求めて獲得をめざす。この野生に対する「挑み」といえる感覚が、生産物の価値だけでなく、採集者の社会的な関係形成にも関連する。
    いっぽうヨーロッパでは都市養蜂が古くから行われており、日本でも都市養蜂が各地に広がりつつある。危険とみなされがちな生物のこのような人々の許容がどのようにして成り立つのか。
    飼育においてはハチ群がいかに逃げないように飼育するか、より多くの生産物が得られるように蜂群を造成するにために、蜂群の個体数・勢力の管理、飼育群間のバランスをいかにとるか等のハチへの対応と、まわりの環境をいかにして整えるか等の対処が必要である。現代のセイヨウミツバチ養蜂でも完全な家畜化はなされておらず、みつ・えさ源を外部環境に依存し、ハチの生育はコントロールしきれていない。ハチを生育する空間は自己所有地でいことが多いので、他者・社会との関係が重要であり、また、環境変化にも受動的となることが多い。こうした相互関連は、社会の調整機能の重要性をあぶり出す。
     3.ハチ飼育・生産物の複合と地域資源化
     ミツバチ養蜂は直接的には利用できない花蜜などを生産物として形にすることにより、新たな地域資源をうみだす。さらに、はちみつは原料として食品をはじめその他の生産物も加工によりさらに製品化される。この過程でさまざまな産業連関・人のネットワークができ、地域資源として成り立つ。  
    3.課題
     以上の注目点が、地域、民族集団でどのように行われているのか、また、それらが固定的なのか。家畜化の段階、バリエーションといった人類史的な技術発達の課題のなかで、飼い育てる契機がどのようなものであり、担い手も含め、技術の発達・普及はいかなるものかといった論点で地理学的に研究対象とすることが可能となると考えられる。たとえば、技術の発達や巧緻化に関しては、増殖・養殖を行い得る技術知識(文化)、経済的意味(食料源として有利になる、金になる、贈与物)、社会的可能性(場所、近隣社会関係)などさまざまな相互関係で成り立っている。
    これらの飼育にみられる対処を、生き物の活動に即して、その自然状態を生かして飼育する「いなし」としてとらえることを提案したい。それによって、ミクロなハチ個体から周辺の自然・社会環境にいたるまでの自然と人間の関係を空間的な広がりとしてとらえることができる。
  • 田林 明, 大石 貴之
    セッションID: 407
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    研究課題 これまで基本的に農業生産の場としてみなされてきた農村が、農業生産のみならず、レクリエーションや癒し、居住、文化的・教育的価値、環境保全など、その他の機能をもつ場として捉えられることが多くなった。現代の農村空間は、生産空間という性格が相対的に弱くなり、消費空間という性格が強くなってきており、このような現象は「農村空間の商品化」とみなすことができる。農村空間の商品化には様々な形態があるが、最も視覚に訴えるものがレクリエーションや観光による農村空間の消費である。この報告は、農村空間の振興による観光振興が、実際にどのように進められており、地域によってどのような特徴があるかを整理しようとする。対象としたのは、首都圏とそれを取り巻く東海・甲信越・南東北の15都県である。
    調査・研究方法 研究対象地域の15の都県の観光および農政の担当者から、それぞれの都県の観光振興政策とその中での農村空間の商品化にかかわる観光の種類や特徴、そしてそれらの分布状況を聞き取った。さらに、既存の研究や各都県の観光振興計画書、各種パンフレット、統計などを入手し、それらを比較検討した。次に、農村空間の商品化にかかわる様々な観光の種類が、それぞれ各都県内のどの地域で盛んであるかを分析した。現実には同じ地域のなかで多様な観光が行われているので、1つの観光によって地域を明確に特徴づけるのは極めて困難であるが、観光発展の潜在的可能性も含めて大まかに整理し、それぞれの地域を象徴する観光の種類を抽出することにした。
    観光振興の地域差
    結果として、散策と市民農園、農産物直売所、観光農園、ハイキング、農林業体験・農山村生活体験、避暑、スキー、登山、マリーン・レジャーの10種類を取り上げることにした。一般的に、散策はいずれの地域でもみられるが、特に大都市域の公園や緑地での活動を象徴するものであった。同様に、市民農園は都市郊外、農産物直売所は平坦農業地域、果樹農園は主として盆地の果樹地域に、ハイキングは丘陵や低山性山地、農林業体験・農山村生活体験は山間の盆地、避暑は高原リゾート地、スキーは積雪山岳地域、登山は標高の高い山岳、そしてマリーン・レジャーは沿岸部や島嶼を特徴づけるものであった(図1)。こうしてみると、10の観光活動に基づく地域区分は、基本的には東京都心部を中心とした同心円状のパターンをしていることがわかった。また、地形や積雪、水辺といった自然環境、農林水産業の種類、既存の著名な観光地の存在、そして都市からの近接性や交通利便性といった要因が、この地域差に大きくかかわっていた。
  • (3) 崩壊地の植生と土壌
    渡邊 眞紀子, 白井 正明, 首都大学東京 2013年台風26号伊豆大島災害調査グループ
    セッションID: P032
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本調査は、首都大学東京伊豆大島災害調査グループの活動として実施したものである。2013年12月6日~9日に第二次調査団として、表層崩壊が発生した西側斜面上部を中心に植生および土壌の調査を実施し、御神火スカイラインに沿ってみられろ表層崩壊の発生について検討したのでその結果を報告する。
  • 瀧本 家康, 三戸口 誉之, 黒澤 翔, 松原 紘生, 重田 祥範
    セッションID: P027
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに
    都市域でみられる特徴的な気象として,都市部の大気が郊外に比べて高温になるヒートアイランド現象が挙げられる.植木(2004)は,兵庫県神戸市において,最近100年間における神戸の温度上昇が1.2℃であることを示している.
    宮崎(2005)は,2004年夏季に神戸市内31の小学校の百葉箱に温度計を設置し,真夏日の条件である30℃を超えた述べ時間数は中央区以東臨海部市街地で高い分布を示すことを指摘している.これについて宮崎(2005)は,当該地域の日中の卓越風向は西であり,これにより日中には高温部が東に移動する傾向があることを示唆している.
    神戸市は,北側の六甲山地と南側の大阪湾に挟まれた東西に細長い地勢が特徴的である。そのため、静穏日には熱的局地循環である海陸風や山谷風が発達すると考えられる。しかし,神戸市における熱的局地循環についての調査は十分に行われていない。そこで,本研究では神戸市周辺の熱的局地循環について統計的な解析を行い日変化について検討した。

    2.  方法
    神戸市所管の大気測定局及びアメダス(神戸,神戸空港)の風データを用いて,海陸風や山谷風の統計的解析を行った.解析に使ったデータの観測期間は全て2011年度,1年間分である.土田・吉門(1995)を参考に,熱的局地循環が発達すると考えられる日積算日照時間が 6.0時間以上の日を晴天日と定義し,該当した176日について解析を行った.

    3.  結果
    大きな特徴としては,15時では全体として山地に沿うように南西方向の海風が卓越している.一方,3時では山地に近い観測点では北よりの風が卓越しているが,海岸に近い地点では異なる風向の地点もある.また,島上では東風が卓越している.

    4.  考察
    神戸における15時の海風は,海岸方向に直角ではなく,ほぼ海岸線と平行に吹いている.このような風向を示しているのは,海風の駆動要因として局地的な神戸周辺の海と陸の分布だけでなく,さらに大きな大阪湾・大阪平野スケールでの熱的分布が関係していると考えられる.また,夜間は主として六甲山地から吹き降りる風向を示しており,これは山地からの山風が発達していることによると考えられる.
  • シンポジウムへのコメント
    田村 俊和
    セッションID: S0511
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    微地形という語を日本でおそらく初めて論文・著書のタイトルに用いた東木(1927,1929など)は,微地形(microtopography)を,サイズが小さく,原型地形(prototopography)(形成当初の状態を窺わせる地形という意味か)を保持しているもの ととらえている.そして,微地形の多くの要素は平野に分布していると述べている.東木が微地形として取り上げた実例の大半は,一つの段丘面など,現在の一般的用法での小地形に近いものであるが,いずれにせよ1920年代の後半に,Davis の Geographical cycleでふつうに論じられる対象より一段と微細な地形に注目して,ある空間的範囲に同時に存在する一連の地形の中から成因や形成時期を異にする地形面を識別することが,日本の地形学の一部で始められたのである.その背景の一つに,5万分の1地形図が1925年にほぼ全国で完成し,要塞地帯を除き利用可能になったことも見逃せない.なお,東木は,微地形の種類の違いが土地利用を考えるのに重要であることを再三示唆しているが,具体例への言及はほとんどない.その後,敗戦のころまでに,沖積低地の微地形についての一般的知見は,地形学関係者の間で共有されるようになっていたようである.1947年のカスリーン台風による関東平野中央部での氾濫状況の調査(地理調査所 1947)では,自然堤防,後背湿地等の概念が十分に活用されている.それにかかわる氾濫時の水・土砂の移動・停滞(すなわちこれら微地形の形成過程)が,この調査を通してより具体的に認識された.この調査経験が,折から可能になった空中写真の判読と相まって,その後の水害地形分類図等(現行の土地条件図に連なる)の作成,およびその基礎としての沖積低地の微地形の種類,性状,形成過程についての知見の体系化に寄与したことは疑いない.また,登呂遺跡の発掘(1947~)をはじめとする沖積低地での考古学的調査に地形学者が参加することで,人間の居住における微地形資源の利用についての合理的説明が進むと同時に,微地形の形成年代についての情報を得る一つの道が開かれた.沖積低地の微地形分類は,洪水氾濫の影響の受け方だけでなく,表層堆積物の種類・性状を介して地震動被害の受けかたの空間的差異をみることにも応用されていった(たとえば門村 1965).こうして,1960年代には,日本の地形学における大方の認識では,微地形と言えば低地の微地形を指すという状況になっていた.1960年代末から70年代の前半に私が「丘陵地の微地形」と言い出したころ,「微地形というのは沖積低地にあるものではないのか」と,今は亡きある地形学者に面と向かって言われたことがある.山地斜面の微地形スケールの特徴は,斜面崩壊発生位置との関係で,1970年代になってから認識されるようになった.守屋(1972)の指摘を発展させて羽田野(1979)が提唱した侵食前線など傾斜変換線の意義を重視して,大石(1985)は,空中写真から判読できる地表形態の微細な差異に,それが形成されてきた過程に関する地形発達史的考察を重ねることで,土砂災害の発生にかかわる微地形要素が指摘できることを強調した.私は,1960年代の末に,丘陵地で植生の立地の差を見せつけられたことを一つの契機として(田村 2012),微地形スケールの地形単位を認識するようになった(Tamura 1969,田村 1974).そして,土壌の分布,斜面崩壊の発生,それらの基となる浸透水の集中と表流水への転化の起こり方,さらにはそれらの影響を複合的に受けた植生の立地が,微地形を介してよく理解できることを指摘してきた(田村 1987, 1996,田村ほか 2002,古田ほか 2007,Tamura 2008など).このように微地形は,そのサイズから,野外での直接的観察になじみやすく,地形と一緒に地表で発現している諸現象(人間行動を含む)との関係をつかみやすい.これはCatena(Milne 1935)の考え方にも通じるものであろう.そこで武内は,微地形単位を軸に丘陵地の自然環境の空間的展開状況のパターン化を試みた(松井ほか 1990).しかし,これら微地形と地形以外の地表環境構成要素との空間的対応関係の議論は,形態や構成物質および配置の特徴から認定されたさまざまな微地形単位について,その形成過程および現在の機能(たとえば田村 1996, 2001,Tamura et al. 2002)がたしかめられて,はじめて実証されるものである.今回のシンポジウムが,それら微地形をめぐる諸現象の空間的・機能的関係についての知見を広げ,その知見を環境管理に生かす方策を探る機会に,そして同時に,微地形自体の性状や形成過程の研究を進展させる契機になることを期待する.
  • 藤塚 吉浩
    セッションID: S0605
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    グラスによって、ロンドンの伝統的な住宅を再生する事例としてジェントリフィケーションが報告されたのは、50年前である。現代では伝統的な住宅の再生だけではなく、最先端の居住として都市景観の変化が注目されている。
    テムズ川沿岸のドックランズと、内陸部の運河付近には産業が集積するとともに、多くの移民労働者が来住した。第二次世界大戦後には、縫製工場や印刷工場、靴製造工場などがシティの北東部に集積した。水運がすたれると、これらの産業の多くも衰退した。  1980年代よりドックランズはエンタープライズゾーンに指定されて、規制緩和とともに、税の優遇措置が設けられ、民間の投資による開発が進められた。その後、2000年代の空間開発戦略として『ロンドンプラン』が策定された。そのなかで複合開発予定地域が示され、新しく雇用と住宅を提供できる地域として、大規模で、放棄された土地が含まれている。特に、テムズ川をはじめとした運河や小河川を含めた水路を、ブルーリボンネットワークとして、建造物のデザインに配慮した、持続可能な開発を行うことを謳っている。
    テムズ川沿いの工場跡地や放棄された土地、建物が取り壊されたところでは新築のジェントリフィケーションが発現し、再投資と高所得者による地域の社会的上向化、景観の変化、低所得の周辺住民の間接的な立ち退きが起こっている。
    本研究ではジェントリフィケーションの指標として、専門・技術,管理職就業者数の変化を使用する。2001年から2011年の増加率をバラ別にみると、北東部のタワーハムレッツとハクニーでは50%を超えている。テムズ川や運河沿いには、複合開発予定地域として大規模な住宅供給が進められてきたところもあり、専門・技術,管理職就業者の増加率が高い。図1は、タワーハムレッツとハクニーにおける専門・技術、管理職就業者数の変化を示したものである。キャナリーワーフ近くのミルウォールで増加しているほか、ライムハウスなどのテムズ川沿いと、内陸部のショーディッチやホクストンにおいて大きく増加した。
    キャナリーワーフは、1980年代より超高層ビルを中心としたオフィスビル開発が進められ、金融や情報関連の企業が進出して、ロンドンの新たな都心となった。ミルウォールは掘り込み港に面しており、その水面は残されている。こうしたウォーターフロントが、2000年代の住宅開発の中心となっている。新たな都心の形成がジェントリフィケーションの進行に大きな影響を与えた。新築のジェントリフィケーションの進行により周辺住民との所得格差は拡大し、アフォーダブルな住宅が相対的に少なくなっていることが問題である。 
  • -静岡県口坂本地すべり上部・大日峠稜線での掘削調査-
    八木 浩司, 佐藤 剛, 今泉 文寿, 林 一成
    セッションID: P003
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    南アルプスの周縁山地南東部,山伏峠付近から口坂本・富士見峠周辺に至る海抜2000m前後の稜線には等高線方向に連続する逆向き小崖や線状凹地などの重力性山体変形地形が数列発達している.それらの発達過程を明らかにするために大日峠南西で線状凹地や地すべり移動域内で1~1.5m程度の掘削調査を3箇所で行った.調査では凹地を埋める堆積物の堆積構造や堆積異常を観察した.さらに,凹地を埋積する堆積物に含まれる有機物・木炭などの年代試料を採取するとともに,堆積物中に包含されるテフラを抽出し,その屈折率や主成分組成からその起源を同定した.高起伏山地山稜部の逆向き小急崖・線状凹地は,重力性山体変形の進行を示しているが,AT降下以前から発生していることからその発達時間スケールは数万年に及ぶ.また,大日峠周辺では,AT降下以降アカホヤ火山灰降下前に新たに変形が発生した.また,15~16世紀に凹地内堆積物が陥没するような動きが認められた.その原因としては明応あるいは天正地震による地震性変動が考えられる.
  • 徳島県上勝町の事例
    田中 健作
    セッションID: S0808
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 日本の山村では2000年代に入り,モビリティを幅広く確保するために,住民ボランティアによる有償運送事業(過疎地有償運送事業)が制度的に可能となった。この新しい交通システムの持続可能性を探るためには,その実態を検証する必要があろう。そこで本報告では,徳島県上勝町を例に,山村におけるボランティア有償輸送と住民生活とのかかわりについて検討し,当事業の存続条件を見出したい。研究対象地域である徳島県上勝町は,徳島市の南西約40kmに位置し,町域面積109.68㎢の約9割は山林が占めている。2010年の国勢調査人口は1,784人である。上勝町はいろどり事業等で全国的に知名度が高く,過疎地有償運送についても全国有数の事業規模を誇っている。2.住民による過疎地有償運送の利用 上勝町では,町内主要道をカバーし隣接する勝浦町にて民間バスに接続する町営バスと,輸送範囲の制約されない(但し,町内発着)過疎地有償運送とが,互いに輸送サービス範囲を補い合って展開してきた。当地の過疎地有償運送は国の構造改革特区の指定を受け,2003年度に開始されたものである。ボランティア運転登録した住民は,自らの車両と運転サービスを提供し,送迎にかかる実費(約100円/㎞)がその対価とされる。2012年度の過疎地有償運送の利用者数は,町内が運行範囲のデマンド型交通の開設(2013年秋に廃止)により,前年比4割減の延べ596人であった。高齢女性の利用が7割を超え,全体的に通院利用が多い。このため,町内や隣接する勝浦町との利用が減少する中で,医療機関が充実する対徳島市や対小松島市の利用状況は安定して推移している。過疎地有償運送は,交通サービスの空白地域を補い,高齢者の広域的な日常生活を支えてきた。3.住民によるボランティア輸送基盤の構築 上勝町の過疎地有償運送は,NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー(ZWA)によって運営されている。2005年に町当局が主導して発足させたZWAは,多くの住民協力も得つつ,ゴミの回収・再資源化活動など,町内における住民生活サービス事業を運営してきた。2006年には,その活動基盤をより活かすために,社会福祉協議会から事務や予約といった過疎地有償運送の業務を引き継いだ。運転登録者数は2013年12月時点で25人である。70歳の定年制であるが,5年未満登録者は13人在籍しており,継続的に運転登録者が確保されてきたことや住民支援者層の厚さがうかがえる。運転登録者は,主に各自居住する地区の運転を集落横断的に担当し,住民生活に役立つこと,住民との交流を増やしたりすること,収入を得られること等に充実感を得ており,ほとんどが登録を継続したいと考えている。また,地域運営上のメリットも産み出されており,登録者は,交通サービスの重要性を認識したり,地域の問題点を知る機会や集落内外住民との交流を増やしたりしている。このように上勝町では,厚みのある住民活動支援者層が集落横断的に機能するようなボランティア輸送基盤が構築されてきた。4.おわりに 以上を踏まえると,徳島県上勝町のボランティア有償運送において,高齢者の生活とサービス内容との合致や競合交通サービスの少なさといった交通に関する条件に加え,地域的に厚みを持って形成された地域活動支援者層を集落横断的に機能させる運営システムが存続上重要になっている。その下で,様々な住民の生活の充足や地域運営上のメリットの創出がなされてきたと考えられる。
  • 富山市のクラスター型コンパクトシティ政策
    秋元 菜摘
    セッションID: S0806
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1 公共交通を利用したまちづくり
    公共交通の衰退とその再建はモータリゼーション以降の課題として認識され続けてきた.近年,高齢化が進展する中で,自動車を運転できなくなる高齢者のモビリティの問題が現実味を帯びてくると,まちづくりの中における公共交通の積極的な利用を模索する動きにも注目が集まっている.その一つとして,富山市のクラスター型コンパクトシティ政策を挙げることができる.本研究では,富山市の都市政策を取り上げ,主に鉄道交通の運行頻度や運行経路についての経年変化を元に,公共交通の衰退と政策実施による変化を提示する.その上で,まちづくりにおける公共交通の利用について地理学的視点から考える素材を提供したい.
    現在,単純に高齢者人口が増加しているだけでなく,単身高齢世帯や高齢夫婦世帯が増加していることを鑑みれば,高齢者が自立して生活できるための環境を整えることは現在の社会の重要課題である.特に地方都市では自動車利用を前提とした環境が構築されているため,生活関連施設の配置が広域的であったり,公共交通サービス水準は低い状態であったりする.平均寿命が延びると共に健康寿命も延びているが,高齢者による車両事故の増加や高齢者自身の運転に対する不安などを考慮すれば,日常生活における移動の問題は身近なものであり,地域レベルで改善する必要がある.

    2 富山市のクラスター型コンパクトシティ政策
    富山市のコンパクトシティ政策は,2008年の都市マスタープランにまとめられているが,そのタイトルには「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」と添えられている.富山市のまちづくりは特に路面電車に関する施策で注目されることが多いが,マスタープランで述べられているように,都心部だけでなく市域全体について公共交通の活用を目指している.
    鉄道交通に関する主な施策には,路面電車の都心環状線化(2009年)とJR高山本線における社会実験(2009年)などがあり,それ以前にも富山ライトレールの運行開始(2006年)を挙げることができる.全体的としてみると,運行水準は2005年にかけて低下してきたが,その後,上昇している.
    国勢調査1/2地域メッシュの中心点を基準として,最寄駅まで歩き,鉄道を利用して都心(富山駅)まで到達することを想定した場合,一定の所要時間で都心にアクセスできる65歳以上人口割合も2005年にかけて低下していたが,2010年には向上していた.国勢調査を用いて65歳以上人口の分布を確認すると,2010年にかけて郊外における高齢者人口割合が高くなっており,高齢化が市域全体で生じていることが分かる.それにもかかわらず,鉄道を利用した場合のモビリティが上昇傾向にあることは,富山市の政策が一定程度,奏功しているといえる.ただし,都心周辺の郊外より離れた地域では,所要時間が非現実的に長くなるなど,改善のメリットを得られていない地域がある点には注意すべきである.

    3 おわりに:地理学的視点による研究アプローチ
    本発表で示す研究方法や分析手法は単純なものであるが,市域レベルでの高齢者の人口分布や公共交通のサービス水準を組み合わせたものである.持続可能な交通システムを地理学的視点から検討する際に,複数の空間的指標の統合による分析や,広域エリア内の差異を検討することは重要である.特に,都市政策レベルでのまちづくりを対象とする場合,地域間のバランスや地域的な差異のあり方を改めて検討する必要があり,地理学的研究アプローチが貢献できると考えられる.
  • 田宮 兵衞
    セッションID: 208
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    天気図を用いた日本の季節区分を2001年から2010年について行った。
    前世紀末10年との比較結果などを示す。
  • モンゴル西部アルタイ系カザフ鷹狩文化の伝統知とその持続性の現場から
    相馬 拓也
    セッションID: 505
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    モンゴル西部バヤン・ウルギー県の少数民族アルタイ系カザフ人の牧畜社会では、イヌワシを用いた鷹狩技法がいまも存続し、同県内には150名程度の鷹匠(鷲使い)が現存すると考えられる。発表者は2006年9月より同地域で調査研究を断続的に行っており、2011~2011年度の2カ年は、財団法人髙梨学術奨励基金「調査研究助成」(平成23年度および24年度)の資金的サポートにより長期滞在型の民族誌記録、生態人類学、民族鳥類学フィールドワークを行った。本発表は2011年7月より実施している、アルタイ地域に根づく特殊な鷹狩技法と鷹匠の民族誌記録と文化保存活動についての成果報告である。
    【現状】 現地カザフ人の鷹匠たちは、鷹狩全般で用いられるハヤブサやタカなどは用いず、メスのイヌワシのみを馴化・訓練して狩猟に用いる。鷹狩は冬季のみに行われ、キツネがおもな捕獲対象とされている。また出猟は必ず騎馬によって行われる騎馬猟である。アルタイ地域の鷹狩文化は、毛皮材の獲得と、それらを用いた民族衣装の製作を目的とした「生業実猟」「民族表象」として牧畜社会に定着してきた背景がある。この「騎馬鷹狩猟」の伝統知と技法は現在、同地域のみで伝承・継続されている。その独自性や希少性は2010年11月、UNESCOの「世界無形文化遺産」に正式に登記され、近年国内外の注目を集めるようにもなっている。しかし、数世紀にわたる伝統技法や特殊な文化形態を育んだにもかかわらず、同地域とテーマの先行研究は寡少であり、鷹匠と鷹狩についての基本的な知見もほとんど把握されていない現状がある。 【目的】 そのため本研究では、無形文化遺産でもある同地の鷹狩技法に科学的知見を確立するとともに、その文化持続性・継承性に向けて生態人類学の立場から以下の貢献を試みるものである。①考古学的・歴史的情報を用いた広域アジアの鷹狩技法の文化的深度の特定、②民族誌記録活動、鷹匠たちの現状、生活実態、イヌワシ飼養方法の網羅的・民族学的把握、③文化遺産として持続可能な文化保護計画の学術的定義、施策の方向性、マスタープラン策定の提言、の現地社会でも特に要請度の高い3つの調査対象に設定した。
    【方法】 本調査は2011年7月29日から2013年1月10日の期間でおよそ310日間、モンゴル国内およびバヤン・ウルギー県サグサイ村の鷹匠家庭への住み込み滞在により実施した。情報収集はアンケートによらず、近隣に生活する鷹匠との生活参与観察、日常の会話、半構成インタビューにより行った。縦断調査として、滞在先の鷹匠の生活誌全般を把握した。また横断調査として県内各村へ巡検し、鷹匠の現存数・生活実態の把握、イヌワシの飼養技術と鷹狩技法の地域性を網羅的に把握し、民族資料の収集も合わせて実施した。
    【結果・考察】 集中的な民族誌調査により、(1)アルタイ、サグサイ、トルボ、ウランフス各村域内の鷹匠の実数、サグサイ村周辺の鷹匠たちの具体的な生活形態(定住型/移牧型)、イヌワシの飼養方法が明らかとなった。また冬季の狩猟技術(キツネ狩り)の手法および実猟活動の実践者の減少が明らかとなった。(2)生態面として、鷹狩(冬季)と牧畜活動(夏季)が相互の活動を補助しあう相業依存の成立基盤が明らかとなった。また、一度馴化したイヌワシを4~5歳で再び野生へと帰す文化的慣例により、人的介入がもたらすイヌワシ個体数維持への貢献が推察された。(3)文化保護面の課題としては、イヌワシを飼養・馴化する伝統が維持されている反面、その伝統知と出猟活動は失われつつあり、イヌワシ死亡率の増加、観光客相手のデモンストレーションへの特化など、脱文脈化の著しい傾向が判明した。
    【結論】 以上の知見から、カザフ鷹狩文化は(1)天然資源の保全、(2)牧畜経済の生産活動、(3)伝統知の継承、に依存的に成立しており、これらの持続的発展が文化遺産としての本質的な存続につながると定義される。(1)天然資源の保全:捕獲対象獣であるキツネおよびイヌワシの生息数など、天然資源の保全はその前提条件である。(2)季節移動型牧畜の持続的開発:鷹狩文化の生態学的基盤を概観すると、単純な金銭・資源供与型の文化保護ではその文脈の維持・継承は難しく、貧困世帯の経済状況の底上げに通ずる、牧畜社会への間接的開発支援が求められる。(3)鷹狩の伝統知と技法の保護:狩猟活動の継続にともなう「伝統的知と技法」の継承が、鷹狩文化の継承を安定化する直接的保護と考えられる。こうした文化保護や生態基盤の解明は、「鷹狩文化」全般の持続可能性にとって普遍的価値が見いだされる。アルタイ系カザフ人の騎馬鷹狩猟とは、鷹匠とイヌワシが数世紀にわたり共生に根ざして行われてきた、「ヒトと動物の調和遺産」と定義することも可能である。
  • -交通地理学からのアプローチ-
    今井 理雄, 井上 学
    セッションID: S0809
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    モビリティ・マネジメント(以下,MM)とは,土木工学系を中心として,展開が試みられてきた,ひとつのパッケージ・プログラムである.従来の交通システムにおける,需要誘導のマネジメント手法としては,道路を建設したり,鉄道を開業させたりする,いわば供給側の調整を行うことによるものが中心であるが,MMにおいては,需要側,すなわち利用者や住民といったヒトの移動行動を変容させることで,適切な需給バランスを保とうとするものである.とくに,クルマ中心のライフスタイルを取る人々に対し,公共交通利用へとシフトさせるための,様々な動機づけ,情報提供を行い,場合によっては直接的なコミュニケーションを通して,意識の変容を促すことを目指す(藤井・谷口,2008).このなかで,公共交通サービスについての適切な情報提供を行うことは,非常に重要な意味を持つ(井上,2013).MMが主眼とする対象は,日常的にクルマ中心のライフスタイルを送る人々であり,公共交通に接する機会が限られる層である.つまり,公共交通についての情報を持たないことが前提であり,その利便性はさることながら,運行ルートや運賃の支払い方法などをはじめとした乗り方の情報を手厚く提供することも重要である.さらに,MMを実証的に行う地域の多くは,バス交通が公共交通の中心となっていることが少なくないため,鉄軌道などのわかりやすいモードと異なり,路線,運賃,時刻,乗り方などの細かな情報が,必要となる.乗合バスは,それらの情報が,大変わかりにくく,日常的に利用しない人々にとっては,バスを活用することが難しい.一方で,日本のこれまでの乗合バス事業における情報提供の現状について見てみると,必ずしも,これが十分に行われてきたとは言い難い.日本の公共交通サービスは,独立採算の営利事業として展開されてきており,社会の共通資本,あるいは街の装置として認識され,公共交通が公的資本によって維持される欧州などの例とは大きく異なる.つまり,日本の公共交通サービスは,商店で販売される商品と同じような扱いであり,路線図や時刻表などの情報提供ツールは,スーパーマーケットの広告やチラシをほぼ同義のものであると考えられる(今井,2013).そのような認識もあって,日本におけるこれらの情報は,事業者が作成,配布するもの,という慣習が根強かったが,これには大きな地域差や,方法の差異が見られ,なかには旅客向けの情報提供をほとんど行ってこなかった例も散見される. MMの展開,とくにバス交通についての情報提供を行ううえで,どこに行くのか,どこを通っているのかを明示した路線図,すなわちバスマップの存在は不可欠であり,バスマップの作成,配布にあたっては,事業者の枠組みを超えたうごきが見られている.近年,バスサービスを提供する事業者や行政などではなく,利用者としての市民が中心となって,バスマップを作成する例が,全国的に起こっている.事業者が運行のプロとして,供給側の視点で作成されたものではなく,利用者の視点で,使い勝手の良いものを意識して作成されるため,情報提供ツールとしての評価は高い(鈴木,2013).乗合バスは,利用の初心者と使い慣れた人の差が激しく,事業者や頻繁にバスを利用する人々にとって,あたりまえのことであっても,初めてバスを利用する人にとっては,全くわからないことと成り得る.そのギャップを埋め,利用促進を図るためにも,適切な情報を得ることができるバスマップの存在は必須である.バスマップは,MMにおける情報提供ツールとして注目されるが,より広範かつ目に付きやすい情報提供として,バス停に掲示される路線図や時刻表,あるいはターミナルにおける乗場表示や路線一覧の表示方法なども,広義のMMと考えることもできる.これらは,地域や事業者によって,あるいはターミナルの設置者,管理者などの違いによって,十分な情報が提供されないことが生じる.利用しやすい情報にカスタマイズすることも,また求められている.また,バスマップを作成する市民や市民団体が中心となって,全国的な活動のネットワークが形成されており,バスマップサミットとして,情報共有や発信を行っている(全国バスマップサミット実行委員会編,2010).一方で,地域と地域を結び付ける,交通という極めて地理的な現象でありながら,実体的な交通現象についての研究が全般的に限られ,さらに,地理学が重視する地図というツールに,それを示したものがバスマップでありながら,この分野に対する地理学の興味関心は,これまで,あまりにも低かったと言わざるを得ない.情報の示し方など様々な面で,地理学からのアプローチが可能であり,より充実した検討が望まれる.
  • 石川 義孝
    セッションID: S0302
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1 京都国際地理学会議2013年8月4~9日に、国立京都国際会館を会場に、国際地理学連合(IGU)の2013年京都国際地理学会議(以下、KRC)が開催された。参加者数は、当初予定を大きく上回り、国内688人、海外743人(61ヶ国・地域)、合計1,431人に達し、IGUの地域会議(Regional Conference、RC)としては異例の多さとなった。ちなみに、1980年の東京大会の参加者数は1,542人(国内750名、63ヶ国・地域)であり、KRCの参加者数はこれにわずかに及ばないものの、ほぼ匹敵している。なお、KRCに対する参加者の一般的評価は、幸い、たいへん高かった。8月5日午前に秋篠宮同妃両殿下をお迎えして開会式が行われたが、同日午後から8日にかけて、各種セッションが開催された。プレナリー・セッション9件、コミッション・セッション780件、一般セッション254件、ジョイント・セッション76件、特別セッション8件、ポスター128件、その他1件、合計1,256件の活発な発表が行われた。なお、IGUの国際会議の中心をなすのはコミッション・セッションであるが、KRCではIGUの40あるコミッション(委員会)すべてがセッションを開催した。2 世界の地理学に対する日本の試み世界の地理学における日本の貢献は、様々な角度から考えられよう。大規模な国際会議の誘致・開催が、重要な貢献の一方法であることは間違いない。とはいえ、KRCをなんとか成功裡に終えた今思うのは、これをきっかけとして、英語による業績の発表によっても、世界における日本の地理学のプレゼンスを高めることができないか、ということである。業績にも様々な種別があるが、筆者は英語の雑誌に査読付き論文を日本から多数発表することが最も望ましいと考えている。この観点から、筆者の経験を紹介させていただたい。3 「グローバル化と人口流動」委員会の事例筆者は、2000~2012年までの12年間、IGUの「Global Change and Human Mobility(グローバル化と人口流動)」委員会(委員長はイタリアのArmando Montanari教授)のセクレタリーを務めた。この間、IGCやRCの中でのセッション開催も含め、1年に1~2回の頻度で研究集会を開催した。集会終了後の筆者の重要な仕事の一つは、集会での発表者に、発表内容の刊行に関する意向調査を行うことであった。一部の発表者は成果の刊行の場所を求めているうえ、委員会としては、IGU役員会に活動報告をするさい、口頭での研究発表を踏まえた業績が多数あることが望ましいからである。 こうした意向調査の結果、特に非英語圏諸国からの参加者の間では、成果を、当委員会による編著の所収論文、あるいは特定の雑誌に査読付き論文として刊行したい、という希望(とりわけ後者)が強いことがわかった。そのため、かかる意向を踏まえ、「グローバル化と人口流動」委員会では、Ishikawa and Montanari (2003)を刊行したし、Geographical Review of Japan Series B (2009)やBelgian Journal of Geography (2011)での特集号、などを出した。なお、民間の出版社からの編著の刊行は、経費や刊行までに要する時間の制約のため、実現しなかった。4 査読付き論文のすすめ IGCやRC、あるいはIGUのコミッションが組織する独立の集会の後に、発表論文を所収する特集号が特定の雑誌で企画される場合、これは、そこでの発表者にとって、査読付き論文を刊行するいいチャンスとなる。また、IGUの特定のコミッションのSteering Committee(運営委員会)のメンバーに入っている方は、雑誌の特集号の企画や刊行に積極的に関わっていただくと、日本の地理学の地位向上に貢献することになろう。一般的に、IGU関連の大きな国際会議の直後は、こうした特集号を組みやすい。もちろん、特集号ではなく、通常の号への査読付き論文としての掲載にも、おおいに価値があろう。文献Ishikawa, Y. and Montanari, A. eds. 2003. The new geography of human mobility: Inequality trends?  Società Geografica Italiana(IGU/Home of Geography Publication Series Ⅳ).
  • :(2)表層崩壊の発生と素因としての地形・地質
    鈴木 毅彦
    セッションID: P031
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    2013年10月16日未明に発生した斜面崩壊はその分布から地形・地質との対応,とくに14世紀(西暦1338年?)に流下した溶岩流の分布域と崩壊域がよく一致することが指摘されている(国土交通省ホームページなど).すなわち崩壊の発生と地形・地質の間に因果関係が成り立つことを示唆する.理由として,比較的新しい時代の溶岩流の存在により,周辺域に比べて地表直下の透水層となる降下火山灰層が数m以下と薄く,表層部が多量の降水により飽和状態になりやすかったと考えられる.このような表層崩壊の発生と素因としての地形・地質の関係を確認するため,12月7・8日,1月4~6日に崩壊が集中した先カルデラ火山新期山体(地質調査所 1998)西側斜面を御神火スカイライン沿いに,順次上から崩壊と周辺の地形・地質の調査観察を実施した. 1)崩壊開始地点は多くが御神火スカイライン道路下側に接した斜面であるが,数カ所ではスカイラインの道路上側からも崩壊が発生している.標高440~450 m付近では道路山側法面の上方から表層崩壊が発生している.遠方からの崩壊地上端の断面観察によれば,崩壊部分は樹木の根が発達する表層土壌のみであり,崩壊が元の斜面を薄く削ぐように発生していることが分かる. 2)つづら折りになるスカイラインに挟まれた標高450~330 m斜面では,標高440~450 m付近同様に,崩壊が元の斜面を薄く削ぐように発生している.このため,深部の地質は分かりにくい. 3)標高330 m付近の道路沿いでは斜面構成物を確かめることができ,表層は1 m以上の火山灰層と土壌層の互層,その下位は高温酸化したスパター集積層が存在する.スパターは部分的に堆積後の溶融によりアグルチネート化しており,直ぐ近傍に火口があったことを示唆する.その火口は14世紀溶岩流の可能性があり,その場合上を覆う火山灰層・土壌層互層は最近700年間に形成されたもので,今回の崩壊の主体をなすものと考えられる.330 m付近はスカイラインが分断を受けた唯一の地点である.分断地点は谷筋に相当し,火山灰層だけでなくスパター集積層を含めて削り込まれ,下位の溶岩流上面が露出している. 4)標高330 m付近の分断地点から谷沿いに下った付近でも火山灰層・スパター集積層が削り込まれた谷が認められ,細長く溶岩流が露出した侵食谷が伸びる.このよう侵食谷は標高250 m付近では複数認められ,崩壊土砂通過域における地形的な特徴を示す.なお侵食谷間の微高地では,火山灰層・土壌層互層が残存しており,単純に溶岩流上位の未固結層が面的に全て削剥されたのではない. 5)今回,崩壊地域に周囲を囲まれながら崩壊から免れた地域が東西方向に複数認められ,尾根部に非崩壊域が存在するようにみえる.現地で確かめたところ標高320 m付近は14世紀とみられる溶岩流が分布しないか,分布してもその側方縁辺部である.とくに溶岩流が分布しない断面では,道路法面に少なくとも3枚の厚い降下スコリア層(西暦838年以前に噴出年代をもつ可能性がある)が露出しており,崩壊箇所と明らかに地質が異なる.崩壊発生域が溶岩流分布域であり,上位の降下火山灰層が数m以内の薄い地域で崩壊が選択的に発生した,という考えを裏づける事例になると思われる.  まとめ 今回の調査で「崩壊域が溶岩流分布域であり,上位の降下火山灰層が数m以内の薄い地域で選択的に発生した」という考えを概ね支持する成果が得られた.一方で予想以上に表層浅い部分のみが崩壊しており,溶岩流上の火山灰層・土壌層互層が残されている場所が崩壊土砂通過域において面的に広がる.今後は上記の噴出物の累重関係や分布を把握し,それが崩壊とどの様な関係であったことをより精密に把握する必要がある.その結果が将来の類似した斜面崩壊の予測・予防に繋がると考えられる. 本調査は,首都大学東京伊豆大島災害調査グループの活動として実施したものである. 引用文献: 地質調査所 1998.伊豆大島火山地質図.国土交通省ホームページ 2014年1月15日閲覧.http://www.mlit.go.jp/ river/sabo/h25_typhoon26/izuooshimagaiyou131112.pdf
  • ─変位地形を撮影した1970年代の空中写真およびポールカメラの写真を用いた検討─
    後藤 秀昭
    セッションID: P037
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1. はじめに  国土地理院の基盤地図情報など,詳細な地形標高モデル(DEM)が整備・公開されつつあり,地形研究での利用が進んでいる。DEMからステレオ画像など,空中写真とは異なる地形表現や活断層地形の判読素材が提供できるようになっている(後藤・杉戸,2012)。 一方で,対象としている地形と比べてDEMの解像度が荒いため分析できなかったり,人工改変によって対象としている地形が消失しているために,地形調査をあきらめることや,DEMの作成を専門の業者に依頼することがある(後藤,2013)。解像度の高い地形モデルを手軽に作成できることや,通常の活断層地形の判読に用いているような古い撮影年代の空中写真から地形モデルが作成できることは,活断層研究や地形研究の発展に重要と考えられる。 そこで,本研究では,撮影年代の古い空中写真および,ポールの先端に取り付けたカメラ(Hi-View:中田ほか,2009)で撮影した写真と,SfM(Structure from Motion)ソフトウェアを用いて数値表層モデル(DSM:Digital Surface Model)の作成を試みた。地形モデル作成のためにマルチローターヘリによる上空からの撮影が試みられている(中田ほか,2013;内山ほか,2014)。本研究ではそれらと同じSfMソフトウェア(Agisoft社PhotoScan)を用いた。その結果,写真測量に不慣れな研究者でも,地形研究に利用可能な詳細なモデルを容易に作成できることがわかった。その方法や手順,結果や問題点を報告する。2.1970年代撮影の空中写真を用いた検討 四国東部の中央構造線活断層帯父尾断層(上喜来地区)を対象に,1970年代に撮影された空中写真を用いて地形モデルを生成した。この付近には段丘面を変位させる明瞭な断層地形が発達している(岡田,1973など)が,徳島自動車道が建設され,断層地形は大きく改変されている(左図)。 国土地理院が1974年に撮影した空中写真のネガフィルムを20μm(1,270dip)の解像度でスキャンした画像2枚をPhotoscanに読み込み,簡易な方法でモデルを生成した後,地理院地図のオルソ写真から位置を評定して取得した11点の地理情報(緯度,経度,標高)をGCPに設定した。一方の写真にGCPを配置すると,ペアになる画像には自動的にGCPが配置されるが,精度をあげるために,一部は手動で微修正を行った。その後,設定したGCPをステレオペア作成の基準として,高密度なモデルを生成させた。その結果,基盤地図情報の5mメッシュ間隔のDEMとほぼ同等の測量が可能なモデルを作成することができた(右図)。3.ポールカメラ写真を用いた検討 数mのポールの先端にカメラを取り付けて地形を撮影する方法は,超低空とはいえ,地上撮影よりも俯瞰した写真の撮影が可能である(Hi-View:中田ほか,2009)。本研究では,SfMソフトウェアで地形モデルを作成するために,ポールの先端にGPSユニットを取り付けたカメラを設置し,地上写真を撮影した。カメラにはAPS-Cサイズのセンサがついた18.5mmの単焦点コンパクトカメラNikon Coolpix Aと同社のGPSユニット(GP-1A)を使用した。 和泉山脈南麓の中央構造線活断層帯根来断層(岩出市原地区)の横ずれ地形が見られる谷を対象に谷底を取り囲むように歩いて,10秒間隔に約80枚の写真を撮影した。これらの写真をPhotoscanに取り込み,写真のExifに記録されたGPSデータと地理院地図にあるオルソ写真から位置を評定して取得した4点の地理情報を使用して,地形モデルを作成した。その結果,東西約80m,南北約60mの範囲の地形モデルが生成され,約5cm間隔のDSMとオルソ地図が出力できた。なお,写真のExifに記録されたGPSデータを削除すると,同様の手順では良好な結果が得られなかった。※科研究費(25350428)の一部を使用。低空空撮技術活用研究会の方々から有益な助言を受けた。【文献】内山ほか2014防災科研研究報告;岡田1973地理学評論;後藤・杉戸2013E-journalGEO;後藤2013春予稿集;中田ほか2008, 2009活断層研究
  • 小口 高
    セッションID: S0306
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    研究の成果を世界に発信するための重要なメディアは、英語で出版され、世界で広く流通している英語の学術誌(国際学術誌もしくは国際誌)である。日本の地理学研究を世界に発信するためには、日本の研究者が国際誌に論文を出版することが重要である。本発表では国際誌と日本地理学に関する私見を述べ、日本の地理学の国際化の一助としたい。
    研究の成果を世界に発信する方法は国際誌に限定はされず、個人のウェブサイトに英語の記事を置くような方法もある。しかし学術誌への公表がなければ、科学的な成果と認められない可能性がある。その主な理由は査読を経たか否かである。国際誌は良質の査読で質を維持しているといえる。 さらに査読の厳しい国際誌に論文を発表することも重視されている。国際誌の中には、投稿論文の大半をリジェクトするものがある。このような国際誌に論文を出版すると、難関を突破したとして高く評価される。ただし学術誌の評価に通常使われる指標は論文の採択率ではなく、トムソン・ロイター社が公表しているインパクト・ファクター(IF)である。IFは、ある学術誌に特定の2年間に出版された論文が、次の1年間に諸学術誌に引用された数を、2年間に出版された論文の数で割ったものである。新しい論文が高速に引用される程度を示す指標であり、値が高いほど優れた学術誌とみなされる。IFは毎年夏に前3年間のデータを用いて更新される。 IFはトムソン・ロイター社のリストにある特定の学術誌のみを対象に計算され、リストにない学術誌は引用の調査の対象にもならない。したがって、まずはリストに入っていることが学術誌のステータスになる。リストには自然科学系と人文社会科学系の二つがあり、それぞれSCI(Science Citation Index)、SSCI(Social SCI)と略されている。SCIとSSCIには学術誌の分野による分類が含まれ、前者には「自然地理学」、後者には「地理学」の項目がある。最新のリストでは前者に45、後者に72の学術誌が登録されている。これらの学術誌には「地理」を冠するものとともに、第四紀学や景観研究といった関連分野の雑誌が含まれる。「自然地理学」と「地理学」の項目には、BritishやAmericanを冠し、かつ高いIFを持つ学術誌が含まれる。しかし他の国や地域の名前を冠したものは少なく、日本発の学術誌は全く含まれていない。
    日本の地理学の研究成果の過半は日本語で出版される。ただし自然地理学では地球科学を含む理系全般の状況を反映し、英語による公表が相対的に多い。かつては地理の学科や教室が独自に運営される場合が多かったが、最近は他分野と統合されたり、人事等の際に他分野の研究者から評価される機会が増えている。このような状況で国際誌への出版が低調だと、地理学が低く評価され、研究者がポストを得られないといった問題が生じる。これが深刻か否かは機関や部局により差があり、文系の部局では日本語の単著の書籍の有無を問われても、国際誌は無関係という場合もあるようだ。しかし教育や研究の国際化が、文理を問わず国策等で重視されている。また、学科等の再編は今後も続くだろう。したがって、もし国際誌への出版に日本の地理学が対応できなければ、他分野に徐々に押され、縮小を余儀なくされると思われる。 同様の問題は留学生に関しても生じる。たとえば中国や台湾では、SCIやSSCIに登録されている国際誌にどれだけ論文を出版したかが研究職を得る際に問われる傾向が強まっている。日本に留学して学位を得ても、国際誌に論文を出していないと、本国に戻ってから活躍できない可能性がある。 国際誌に論文を出版するためには、英語による執筆の力とともに、いかに導入部や考察で研究を国際的な視野で位置づけるかといったノウハウを要する。これが上手くできれば、研究の対象地域が日本であっても国際誌に出版される可能性が高まる。この種の技量は一朝一夕に得られるものではない。日本人研究者が国際舞台を目指す際には、まずは英語で口頭・ポスター発表をこなせるようになり、次に国際誌に論文を書けるようになるという段階を経るが、それぞれにハードルがある。これらのハードルを超えた研究者を増やし、得られたノウハウを若手に伝えていくことが、長期的な日本の地理学の発展のために非常に重要と考える。 また、SCIやSSCIに含まれる日本発の学術誌を発行することも、日本の地理学を世界に認知させる一つの方法である。このためには、既にSCIやSSCIに含まれる雑誌に頻繁に引用されるような魅力的な英文論文を含む学術誌を編集していく必要がある。
  • 長崎県小値賀町の実践を事例として
    中條 曉仁
    セッションID: 308
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     近年の離島をはじめとする農山漁村ではコミュニティの小規模高齢化や地域経済の空洞化が進み,それらをいかに維持あるいは補完するかが喫緊の課題となっている。観光まちづくりは,こうした地域の状況に対する有効な取り組みとして注目されている。また,都市農村交流という点でも重視されている。本報告では,条件不利地域であり隔絶性の強い離島における観光まちづくりの実践を取り上げ,それが進められてきたプロセスとそれを可能にする地域的条件,および課題を検討する。
     対象地域として取り上げるのは,長崎県五島列島北部に位置する小値賀町である。同町は佐世保市から西に90kmの航路距離にあり,人口2,780人,高齢人口比率は45%(2012年)に達している。主な産業は漁業であるが,近年は魚価の低迷と担い手不足に直面するなど,地域問題がさまざまな面で顕在化している。
     小値賀町で観光開発が始まったのは,1988年代に策定された「ワイルドパーク構想」であった。同町を構成する野﨑島において宿泊施設と野生シカを飼育する牧場が整備されたが,集客施設というハードを整備しただけの観光開発は来訪者の増加にはつながらず失敗に終わる。
     1990年代の観光開発の失敗経験を受けて,2000年以降ソフト面を重視した事業が展開される。すなわち,町内に広がる西海国立公園と野﨑島の宿泊施設を活用した「ながさき島の自然学校」を開設(2000年~;自然体験活動事業)したり,欧州の音楽家を招いてコンサートや音楽講習会を開催する「おぢか国際音楽祭」が開催(2001年~)されたりしていることが挙げられる。こうした事業展開は,地域資源の魅力発揮と域外交流人口を拡大する基盤整備として位置づけられる。
     こうした中で,小値賀町は「平成の大合併」という地域再編に直面する。人口減少と高齢化に伴う財政の悪化に対して,2002~2008年にかけて佐世保市や隣接する宇久町との合併が繰り返し模索され,町を二分する議論に発展し住民投票に至った。最終的に周辺市町とは合併せずに単独町政を維持することを選択したが,合併問題を契機に住民の多くが町の将来を考え,それが観光まちづくりへの意識を醸成させることになったといわれている。
     観光まちづくりの主体となる組織として,NPO法人「おぢかアイランドツーリズム協会」が町内の既存の観光組合等を統合して2006年に設立され,観光窓口の一元化が図られた。さらに,2009年にはそれを母体としてさらなる事業拡大を目指して「小値賀観光まちづくり公社」が発足している。同組織はIターン者を担い手としてまき込みながら,NPOから引き継いだ民泊や修学旅行の受け入れ事業を拡大することに加え,町内の古民家を買収・改装して高付加価値の宿泊施設やレストランの経営事業を展開し,小値賀町における観光まちづくりの主体となっている。こうした事業展開は来訪宿泊客と観光収入の増加をもたらし,民泊参加世帯の増加や新たな雇用の創出など一定の地域的効果をもたらしている。小値賀町における観光まちづくりのねらいの一つは,観光を基幹産業となってきた漁業を補完する産業に育成することにあるといえる。
     小値賀町の観光まちづくりは,域外交流人口の拡大から地域経済を維持・拡大するための展開にその性格を変化させ,地域経済に対して一定の効果が認められる。また,女性や高齢者が主要な担い手として関与しているという点でも重要である。しかし,観光まちづくりが経済的手段としてのみ担い手にとらえられているかどうかについてはさらなる検討が必要である。また,現状では集落が担い手となっているわけではなく,高齢社会化に直面するコミュニティの維持にいかに対応していくかが課題である。
  • アンケート調査との整合性
    桐村 喬, 峪口 有香子, 岸江 信介
    セッションID: 703
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
    ツイッター(Twitter)は,140文字までの短文をウェブに投稿し,情報を発信・共有できる,代表的なマイクロブログサービスである.日本で投稿される1日7千万件以上(2013年12月)の投稿データの一部は,ツイッターのユーザーに対して無料で公開されている.投稿データには位置情報も含まれ,様々な空間分析も試みられている.
    ところでツイッターは,ユーザー同士のコミュニケーションにも用いられる.そのため,投稿データには様々な文体で記述された文章が含まれ,方言もそこに含まれているはずであり,投稿データに付与された位置情報を利用して,特定の方言の使用/不使用の状況を地図化できる.すなわち,ツイッターの投稿データは,方言の地理的な分布を分析するための研究資源として活用できるものと考えられる.
    そこで,本研究では,代表的なマイクロブログサービスであるツイッターの投稿データを,方言の地理的分析のための資料として活用することを目指す.まず,その予備的分析として,方言に関するアンケート調査の結果と,方言を含むツイッターの投稿データの地理的分布との整合性を検証することを目的とする.
    II 分析資料と方言の選定
    方言に関するアンケート調査の結果データとして,2007年に岸江が実施した「新方言調査」(以下,方言アンケートと呼ぶ)の結果データを利用する.この調査は,大学生を中心とする全国の1,847名の回答者を対象として行なわれたものであり,回答者の出身地は関東以西の地域に多いものの,全国に散らばっている.ライフメディアによる2013年の調査によれば,若年層ほどツイッターの利用者が多く,方言アンケート回答者の主要な年齢層と一致しており,比較に適している.一方,ツイッターの投稿データについては,2012年2月から2013年11月に投稿された,日本国内の位置情報をもつ約8,700万件を分析対象にする.
    方言アンケートの調査票は67項目からなり,地域差が表れやすいと思われるものについて,くつろいだ場面で親しい友人と話す際の言い方を回答させている.ここでは,利用頻度が比較的高いと考えられる,「だから」に注目し,方言アンケートの結果データとツイッターの投稿データを比較する.
    III 方言アンケートとツイッター投稿データの整合性
    方言アンケートからは,「だから」についての各方言形式(表1)を使用する回答者を都道府県単位で集計し,都道府県ごとの回答者数に占める割合を求めた.都道府県を比較の空間単位として用いるのは,方言アンケートの回答数が少ないためである.一方,ツイッター投稿データからは,それぞれの形式を含む投稿を抽出し,その位置に基づいて都道府県単位に集計し,都道府県ごとに1,000投稿あたりの投稿数を求めた.
    各形式についての方言アンケート回答者の割合と1,000投稿あたりの投稿数との相関係数は1%水準で有意であり,正の相関を示していることから,都道府県単位でみた場合には,方言アンケートの結果とツイッターの投稿データとの整合性はおおむね高いと考えられる.ただし,「だで」の相関係数は,他の形式と比較して小さく,方言アンケートの回答が愛知県に集中しているのに対し,ツイッターの投稿データの場合は愛知県だけでなく,鳥取県でも投稿が多くなっている.国立国語研究所の『方言文法全国地図』(1989)によれば,「だで」は,主に岐阜・愛知県を中心とした地域と,兵庫県北部から鳥取県にかけての地域で使用されており,方言アンケートよりもツイッターの投稿データのほうが伝統方言(高齢者が使用する方言)によく一致している.
    IV まとめと今後の課題
    マイクロブログの一種であるツイッターの投稿データと,方言アンケートの結果データとの相関関係は正に強く,大規模な方言の調査に一般的に用いられてきたアンケートによって得られる結果と,ツイッターの投稿データから方言を抽出した結果との整合性は十分に高いと考えられる.ツイッターのユーザーに関する詳細な属性を得ることはできないが,22か月分のデータからユーザーの主な生活圏や,会話の相手を知ることができる.これらの情報を総合しながら,方言のアクセサリー化などの方言を取り巻く現代の状況を,広範囲で解明していくこともできよう.
    方言の分析資料としての今後の積極的な活用を図るためには,どのような表現がツイッターをはじめとするマイクロブログにおいて使用されやすいのかを,明らかにしていく必要がある.多くは話し言葉主体であるものと思われるが,親しい相手や仕事上の相手,あるいは不特定多数を相手とするのかによって,その文体は異なると考えられ,使用する方言の語彙や頻度も変化してくると予想される.
  • 吉次 翼, 大江 守之, 矢ケ崎 太洋
    セッションID: 103
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     平成三陸津波からの住まいの復興にあたっては,全ての市町村において「高台への集団移転」を前提とした復興構想が描かれている。これらは津波対策としての有用性や集落単位での移転によってコミュニティを維持するという含意によって広く支持されている一方,その持続可能性や運用実態については,これまでほとんど検証がなされていない。
     そこで本研究は,三陸沿岸16市町村で計画されている全ての集団移転事業を対象として,移転団地の立地特性・形態の観点から,事業の運用実態を実証的に明らかにした。具体的には,集団移転を図るための基幹的な事業手法である防災集団移転促進事業(以下,防集)をはじめ,漁業集落防災機能強化事業(以下,漁集),土地区画整理事業(以下,区画整理)の3事業により移転を予定している218地区のうち,これまでに移転位置が確定した209地区の位置情報をGISに入力し, 空間分析によって整理・類型化を行う方法をとった。

    2.集団移転事業の運用実態
     分析結果として,主に以下の知見が得られた.
     1)津波による全半壊戸数のうち,集団移転事業をはじめとした復興事業による住宅再建戸数は,全体の50%未満に留まり,自己資本による自主再建・現地復旧世帯が復興事業を上回る規模でみられる。今後の復興事業の長期化や自主再建への補助拡充によって,こうした動きに一層拍車がかかることが予想される。
     2)復興事業による住宅再建戸数の内訳としては,災害公営住宅(以下,災公)の供給割合が増加傾向にあり,戸建住宅割合と拮抗するに至っている。災公供給戸数のうち約70%は集団移転事業とは関係なく,市町村の中心部等に集約的に整備されることから,災公への入居希望世帯の増加は,従前集落の分離・再編を促す恐れがある。
     3)集団移転事業による移転団地については,いわゆる「高台移転型」の移転形態が主流であるものの,現地再建を可能とさせる漁集・区画整理と防集を併用することにより,被災集落内において移転団地を整備する「現地再建型」や既成市街地内の空閑地・遊休地に小規模分散的に移転団地を整備する「差込型(インフィル型)」等,地域ごとに多様な運用がみられる。
     4)移転団地の立地形態に着目すると,地形的制約や事業を迅速に進める観点から,全体の65%の地区において,分散的な立地形態がみられる。また,本来制度的には想定されていない5戸未満の移転団地が全体の約10%存在しており,「集団移転」という方向性そのものが不明瞭になりつつある。加えて,集落単位による移転事業と併行して,市町村中心部等において行政直轄による集約的な移転事業が行われている地域もみられる。こうした柔軟な事業運用と再建選択肢の存在も,集落の分離・再編を促す恐れがある。

    3.今後の展望・課題
     このように,三陸沿岸地域における集団移転事業は地域ごとに多様な運用がなされているといえる一方,従前の集落・コミュニティ単位を基本とした住宅再建という当初の復興構想は,次第に不鮮明になりつつあることが示唆された。こうした事業の運用実態は,表面的な地域人口のコンパクト化に寄与する可能性がある一方で,移転集落の小規模分散化や社会資本ストックの残余化を後押ししている可能性もある。
     今後の復興政策の展開にあたっては,居住世帯がシャッフルされることを前提としたコミュニティ形成の取組を進めていくことが必要になると考えられる。また,人口推移・住宅再建意向等に基づいた事業計画の縮小・見直しを適切に図るとともに,小規模移転団地に住まう移転住民に対する行政サービスの提供のあり方,大量の宅地・住宅ストックの維持管理方策について,総合的に検討を進めていくことが求められる。口頭発表当日は,こうした政策課題・展望について,具体の集落における事例等を交えながら報告する。 



    本稿で用いる集団移転地区数・団地数・戸数等の情報は,2013年9月末日時点における各府省・各県・各市町村公開情報に基づいている。また,同一地区内において複数の事業手法が併用実施される場合は,事業手法ごとの整備戸数を算出した上で,重複等が生じないように計上している。
    漁集・区画整理については,主に現地再建型の事業手法として知られているが,実際には防集のような集団移転事業として運用されている場合も少なくないことから,分析対象に含めている。
    詳しくは,口頭発表当日に詳述する。
  • 福島県浪江町における住民との地生態学的調査を例として
    廣瀬 俊介
    セッションID: 821
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    ランドスケイプデザインは、近代都市の環境劣化への対処であった1858年からのニューヨーク市セントラルパーク整備を起源とする環境形成技術である。土地と資源の自然・社会科学、人文学的評価を重ねて持続可能な利用方法を探求する上に、人間活動の場を設えて運用・管理を行う総合的計画・設計が、その内容となる。
    しかし、わが国でこの技術は造園と翻訳され、既成の庭園設計技術との混同が生じると共に、土地利用の技術として地域・都市計画、土木、建築等のように社会的に認知されずにきた。
    それゆえ、改めてランドスケイプデザインの本義を地理学を生かして追求し、東日本大震災被災地再生に活用すべきことを、2013年秋季学術大会に続いて提案する。
    今回発表は、2004年から2007年にかけて行った福島県浪江町における道路景観設計に関連した住民との地生態学的調査「浪江の風景を読む会」の報告を主に行う。景観観察を中心において既往研究を総括しつつ、住民と土地の風土性について学び合いながら将来を構想する方法は、地理的合理性からの逸脱なく持続可能な土地と資源の利用について計画するために有効であったと評価できる。   その経過の考察を通して、震災から3年を経て生活再建の他に地域再生を考える心的余裕を持つことのできた人々を中心に、防潮堤建設等にかかわる議論が各地で起こってきている状況に対し、地生態学的地域調査に基づく土地と資源の条件把握を復興構想の基本に置くことの必要を示す説を立てる。function DOMContentLoaded(browserID, tabId, isTop, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) { object.DOMContentLoaded(browserID, tabId, isTop, url);} }; function Nav(BrowserID, TabID, isTop, isBool, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.Nav(BrowserID, TabID, isTop, isBool, url); }; function NavigateComplete(BrowserID, TabID, isTop, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.NavigateComplete(BrowserID, TabID, isTop, url); } function Submit(browserID, tabID, target, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.Submit(browserID, tabID, target, url); };function DOMContentLoaded(browserID, tabId, isTop, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) { object.DOMContentLoaded(browserID, tabId, isTop, url);} }; function Nav(BrowserID, TabID, isTop, isBool, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.Nav(BrowserID, TabID, isTop, isBool, url); }; function NavigateComplete(BrowserID, TabID, isTop, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.NavigateComplete(BrowserID, TabID, isTop, url); } function Submit(browserID, tabID, target, url) { var object = document.getElementById("cosymantecnisbfw"); if(null != object) object.Submit(browserID, tabID, target, url); };
  • 東郷 正美, 長谷川 均, 後藤 智哉, 石山 達也, 牛木 久雄, Al-Yazeen Tawfiq, Al-Qaryouti Mahmo ...
    セッションID: 640
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    ヨルダン西部のカラーマ地区において、死海トランスフォーム断層の中央区間、ヨルダン・ヴァレー断層帯(JVF)を対象にトレンチ調査を実施した。その結果、この地区においても、JVFは完新世に活動を繰り返しており、ここ5000年間に少なくとも3回活動した形跡が認められる。このような事実は、2010年にJVFの北部、シェイク・フセイン地区で実施したトレンチ調査の結果とよく調和する。
  • -木炭生産を例に-
    西城 潔
    セッションID: S0508
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    かつて日本の多くの丘陵地において行われていた木炭生産を例に、人間による里山利用を理解する上で、微地形的空間認識がどのような意義をもつかについて考察する。宮城県内のいくつかの丘陵地・山地、長崎県対馬市の事例地域において、木炭生産の特徴を微地形の観点から検討した結果、次のことが指摘できた。①炭窯は、微地形的に一定の条件を備えた場所(とくに遷緩線上)に作られる。これは製炭施業の利便性を考慮した結果である。微地形は木炭生産の制約要因になっていたとみなすこともできるし、製炭業従事者が微地形を認識し、それを合理的に利用していたと理解することもできる。②炭窯(炭窯跡)上方の斜面には、伐採の影響を受けた植生景観が成立している。過去に木炭生産に利用されたことがわかっている丘陵地・山地の植生景観の特徴を捉える場合、上記の炭窯と微地形との関係、伐採が及んでいた範囲を念頭に置いた解釈が必要となるであろう。
  • 降水の時間推移
    高橋 日出男, 首都大学東京 2013年台風26号伊豆大島災害調査グループ
    セッションID: P030
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    ◆はじめに
    2013年台風第26号の接近に伴い,伊豆大島では10月15日から16日未明にかけて未曾有の豪雨に見舞われ,大規模な斜面崩壊による災害が発生した。気象庁の大島特別地域気象観測所(便宜的に大島アメダスという)では,16日07時までの24時間降水量が824 mmに達し,同地点における従来の極値(1982年9月12日の712 mm)を更新した。本報告では,このような極端な集中豪雨の発現に関する予察的解析として,10月15~16日の伊豆大島における降水の時間推移を中心に概観する。参照した気象資料は,大島アメダス,大島北ノ山および伊豆大島周辺のアメダス(気象庁)と,大島,津倍付,御神火茶屋(16日02時30分過ぎから欠測),野増,および波浮(東京都)の10分間隔観測値,ならびにレーダーアメダス解析雨量と台風のBest Track Dataなどである。なお,本研究は,首都大学東京2013年台風26号伊豆大島災害調査グループの活動として実施した。
    ◆過去の大雨の要因
    伊豆大島の大雨事例として,1971年以降に大島アメダスで24時間降水量が200 mm以上を記録した33事例(今回を含む)を抽出し,各事例の大雨発生要因を天気図等から判別した。梅雨前線もしくは秋雨前線と台風がともに存在する場合には,台風位置と降水の時間経過から,主たる強雨期間に台風が伊豆大島に接近しており,強雨期間終了後には台風が遠ざかりつつある場合を,台風が主要因の事例と判断した。この結果,33事例のうち,夏季から秋季の台風による場合が18事例(他に熱帯低気圧2事例)と最も多いが,春季と秋季の南岸低気圧による場合が9事例あり,降水量の上位1/3以上が両者のいずれかであった。また,該当する台風経路はよくまとまっており,ほとんどが東海地方から関東地方の南岸を北東~東進している。
    ◆今回の大雨の時間推移
    数時間~日の集中豪雨は,一般的に数十kmスケールの範囲に組織化された積乱雲が次々に通過することによってもたらされ,積乱雲の通過に対応して1時間程度の周期的な降水の強弱変動が認められる。今回の豪雨では,降水期間後半に間断ない激しい強雨が連続し,降水量の時間変化が約6時間に及ぶ大きな一山型を成していた(付図)。7項(70分)移動平均によって平滑化した降水量時系列によれば,伊豆大島北部(大島北ノ山,津倍付)では00時前後から降水量の増大が鈍化するが,西側中央部の大島アメダスやその南~南東側(野増,御神火茶屋)では,04時頃まで降水量が直線的に増大し,南部(波浮)では降水量の増大が小さく早期に極大を迎えた。結果的に累積降水量は大島アメダスを中心とする中央部で多く,北部や南部で相対的に少ない顕著な地域差が現れた。
    移動平均値からの残差として求めた降水量の短時間変動成分には,北部や中央部の複数観測点間に有意な同時正相関が認められる。短時間変動成分に対してバリマックス回転を用いた因子分析を施し,第1因子(北部で多)と第2因子(中央部で多)の因子得点について,連続する11項(110分)による相関係数を1項(10分)ずつずらしながら求めた。相関係数の正負は時間帯によって変化し,15日23時頃以降の降水量の急増(下層風の収束に伴う線状降水域(気象研究所 2013)の出現)に対応して短時間の降水量増減の地域性に変化のあったことが示唆される。この時以降,大島北ノ山では風速が増加し,大島アメダスでは風速が減少して,地点間(ともに北~北東風)の風速差が急に拡大している。この状況は風下方向への下層風速の減少(収束)によって落下雨滴が集中し,大島アメダスの降水量が大きくなったとする気象研究所(2013)と整合する。しかし両地点の風速の強弱は,風速差の緩やかな増大があるものの15日23時頃まではよく並行していた(同様に北~北東風)。地表面摩擦による風速減少だけでこの変化は説明できず,23時頃に現れた各種の変化を検討する必要がある。また,気象研究所(2013)では,収束帯の形成に関与した北~北東風を,房総半島や関東平野からの冷気外出流としている。一方で他の台風や南岸低気圧による大雨事例においても,相模湾や伊豆半島付近には北寄りの風系が認められ,伊豆大島や三宅島では東寄りの風となっている。大雨時の台風経路が揃っていることからも,伊豆大島付近の収束帯は,顕著な低気圧性擾乱が特定経路をとる場合に現れやすい現象とも考えられ,中部山岳域などの影響を含めた検討の必要があろう。
    文献:気象研究所 2013. 平成25年台風第26号にともなう伊豆大島の大雨の発生要因.気象研究所ホームページ.http://www.mri-jma.go.jp/Topics/ press/20131202/press20131202_T1326heavyrainfall.pdf(2014年1月13日閲覧)
  • 気圧配置と地形に関連して
    濱島 優大
    セッションID: 207
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに  
    本研究の目的は,上空の気圧配置と地形とを関連付けながら,濃尾平野における冬の地上風系を明らかにすることである.
    これまで地上風については,上空の気象的側面に関する視点と,地上の地形的側面に関する視点の2つから議論されてきた。過去に,冬の地上風系を対象とした研究は,(河村1966)により中部日本を対象地域として既に行われているが,範囲は東は福島県,西は滋賀県と広範囲に及んでおり,本研究の対象地域である濃尾平野のスケールでは詳しく述べられてはいない.また、そこで用いられたデータは,甲種区内観測を行っている気象観測所の結果が使用されている.このため,風向は8方位であり,ほとんどの地点では目視による観測によっている.またAMeDAS(アメダス)のデータは用いられていないなどの課題がある.これに対してAMeDASをはじめとした現在の風速観測地点のデータの風向は16方位であり,機械的に観測されており,より精密なデータとなっている.一方,地形との関連性については,かなり規模の大きい地形の影響が強い(河村1966)ことが指摘されているが,地形についての具体的なスケールについて触れられていない.そこで本研究では,濃尾平野において気圧配置と地形を関連させて冬の地上風系を明らかにする.
    Ⅱ 研究方法
    研究対象日は、冬季3ヶ月(1月・2月・12月)× 3年分 の計9ヶ月(2008年12月,2009年1月,2月,12月,2010年1月,2月,12月,2011年1月,2月)のうちから大気の擾乱が無く,西高東低の気圧配置の日に該当する100日を選択した.上空の総観規模での気圧配置をもとにⅠ型(前期)・(後期)からⅣ型まで5種類に分類し,風速観測地点(気象台・測候所・AMeDAS)で観測されたデータを用い,卓越風向から地上風系を求める.また,Ⅰ型(前期)・(後期)からⅣ型まで5種類の全ての型において,求めた卓越風向がすべて同じ風向であった地点は,気圧配置より地形との関係がある可能性がある.その上で,風速観測地点を中心とした直径21km圏内において,国土交通省政策局が公開している国土数値情報の標高・傾斜度3次メッシュデータによる地形データ使用し,谷の卓越方向を求める公式「T(φ)=Σh|cos(θ—22.5)| / Σ|cos(θ—22.5)|」を用いて,谷の方向(須田1990)を求める.そして最終的に卓越風向について,気圧配置だけでなく地形との関連性についても考察する.
     Ⅲ 結果・考察
    本研究における分析の結果は、以下の通りである.
    ①気圧配置との関連について,I型(前期)・(後期)では,季節風 の吹き出しであり,他型と比較して風系も少なく風力も弱い地点が多い.また,前期より後期の方が風系も多く風力が強い地点が多い.Ⅱ型では,低気圧に覆われるため風が強く,風系も風力が強い地点が多い.また,多くの風系が存在する.Ⅲ型では,高気圧に覆われるため風は吹くが,風力は弱い地点が多い.Ⅳ型は,中部日本のスケールでは,「風は一般的に弱く」(河村1966)とあるが、本研究の濃尾平野でのスケールでは、他の風系と比較すると逆に強く,スケールにより結果は異なっている.
    ②地形に関しては,谷の卓越方向を求める公式を用いた結果,関 ヶ原で卓越風向の反対方位と完全に一致した.また,亀山においても谷の卓越方向は卓越風向の反対方位の前後1方位分の誤差は生じるが,中心は一致する.卓越風向が観測されたスケールと同じ直径21kmにおいて,谷の方向は卓越風向とリンクする.卓越風向と同じ地形スケールでは,卓越風向は地形と関連し,風系を形成する要因となる.しかし,対象範囲内に山地以外の海や平野が存在する小俣や紀伊長島では,海や平野といった水平部分が存在する為、正確な方位を特定する事ができない.谷の卓越方向を求める公式は,山間部での使用を見込んだ公式であり、平野や海を含んだ地点では明確な卓越方向を考察するのは難しく,今後の課題である.
     ③地上風系では,濃尾平野には主に4つの地上風系が存在すること が判明した.伊吹おろしと言われる関ヶ原から愛知県東部に及ぶ風系.愛知県中部から東部にかけて存在する三河山地や設楽山地の山麓に沿う風系.知多半島西部(伊勢湾沿岸)から渥美半島先端に至る風系.鈴鹿おろし言われる鈴鹿山脈から三重県北中部に及ぶ西からの風系である.
    上空の気圧配置から,地上風系を5つの類型に分類し,それぞれの地点における卓越風向を決定して地上風系を求めた結果,当該地域の地上風系には,主に4つの地上風系が存在することが判明した.また,すべての型で同じ卓越風向を示した地点では,地上における谷の方向とも一致しており,地上風系は上空の気圧配置と地形と関連していることが判明した.
  • 丹羽 雄一, 遠田 晋次, 須貝 俊彦, 山市 剛
    セッションID: P010
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに <BR>
      三陸海岸中~南部は山地が海に迫り,海岸線が著しい屈曲をなすリアス式海岸である.岬と岬に挟まれた湾には中小の河川が流入し,小規模な沖積平野が形成されている.陸前高田平野(図1)は,三陸海岸の中でも沖積平野の面積が比較的広く,ボーリングデータの解析から平野の発達過程および完新世の海水準変動について議論されている(千田ほか,1984; 千田・小原,1988).しかし,これまでの研究はボーリング資料の解析に基づいて地下層序を検討したものであり,年代測定値の個数も少数であるため,平野の発達過程が精度良く議論されているとは言い難い. <BR>
      発表者らは,超巨大地震の繰り返しサイクル解明を目的として三陸海岸地域の地形・地質調査を実施している.この調査研究の一環として陸前高田平野でオールコアボーリングを掘削した.本研究では,予察的ではあるが,コア試料の解析と14C年代測定値に基づいて,完新統の堆積過程を検討する.<BR>

    2.  調査地域概要<BR>
      陸前高田平野は広田湾の湾奥に位置し,南北2 km,東西2.5 kmの三角州平野である.平野の大部分は海抜5 m以下と極めて低平である. 海岸線沿いには浜堤としての砂堆,その内陸側には潟湖としての古川沼が認められ,旧河道が平野の全域に分布している(千田ほか,1984).<BR>

    3.  試料と方法<BR>
      コア試料は,気仙川の左岸側,現海岸線から約500 m内陸側の陸前高田市気仙町で掘削された.コア掘削長は42.50 mで,深度40.60 m以深は基盤の花崗岩である.コア掘削地点は千田ほか(1984)の微地形分類図によると後背湿地にあたる.<BR>
      コア解析内容は,岩相記載,粒度分析,電気伝導度(EC)測定,14C年代測定である.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD – 3000S; SHIMADZU)を用いた.EC測定は横山・佐藤(1987)を参考にECメータ(ES – 51; HORIBA)を用い,現在測定中である.14C年代は木片や貝殻を合計22試料に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼し,現在測定中である.<BR>

    4.  結果・考察<BR>
      コア深度40.60 m以浅を,岩相・粒度の特徴から,5つの堆積ユニットに区分した.以下,それらの特徴を述べる.なお,発表時には,ECや14C年代測定値に基づいたより詳細な考察を行う予定である.<BR>
    4.1 ユニット1 <BR>
      本ユニットは,基質支持の細~中礫から構成されている.基質は中~極粗粒砂である.礫は亜角~亜円礫からなり,最大礫径20 cmである.基質支持かつ,粗粒な砂礫層から構成されることから,網状河川の環境が推定される.<BR>
    4.2 ユニット2 <BR>
      本ユニットは,主にシルト~極細粒砂層と中粒~極粗粒砂層の互層からなる.本ユニットを通じて植物片や有機物,貝殻,生物擾乱が認められる.深度29.20 m付近にはマガキの密集層が見られる.河川から供給されたと考えられる植物片・有機物の存在や,海の影響を示唆する貝殻・生物擾乱の存在から,河川作用と波浪・潮汐作用がせめぎ合う河口~潮間帯の環境が推定される.<BR>
    4.3 ユニット3<BR>
      本ユニットは,貝殻や生物擾乱の認められるシルト層と,貝殻混じりで上方細粒化を示す中粒~粗粒砂層の互層からなる.粒度分析結果から,シルト層は上方粗粒化傾向を示す.シルト層中には木片が見られる.河川からの供給を示す木片の存在や,上方粗粒化を示すシルト層という特徴からプロデルタの環境が推定される.シルト層中に挟まれる中~粗粒砂層は,貝殻を含むことから海起源であると考えられ,後述のユニッ4(デルタフロント堆積物) の深度8.00~6.00 m付近の砂層と粒径が近いことから,デルタ前置斜面からの崩壊堆積物と推定される.<BR>
    4.4 ユニット4<BR>
      本ユニットは,上方粗粒化を示す砂質シルト層~極粗粒砂層からなる.本ユニット上部には細礫も認められる.本ユニット下部の砂質シルト層中には上方細粒化を示す中粒~粗粒砂層が認められる.本ユニットを通じて植物片や貝殻が認められる.上方粗粒化する特徴から,デルタフロントの環境が推定される.本ユニット下部に挟まれる中~粗粒砂層もユニット3と同様に,前置斜面上部からの崩壊堆積物と考えられる.<BR>
    4.5 ユニット5 <BR>
       本ユニットは主にシルト層から構成され,ごく一部中~粗粒砂層を挟む.泥質堆積物を主体とし,盛土直下の堆積物であること,現在の微地形が後背湿地であることから,後背湿地堆積物と推定される.<BR>


  • ―ジオパーク秩父を事例にして―
    坂口 豪
    セッションID: 314
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     本研究はジオパーク秩父を事例にして、ジオパークの発展により形成された地域観光の特徴と課題を明らかにする。その際、ジオパーク認定前の秩父での地域観光の特徴と問題点を踏まえ、ジオパークの発展にともなう地域観光の変化をジオツアーに焦点をあてて導く。なお、地域観光とは一定の地理的な範囲で、自然環境や文化遺産などの地域資源を、行政やNPOなどの地域組織によって管理・運営される観光とする。研究手法は、自然環境と地域の人々の関わりを総合的に議論する地理学的な方法論を用いた。具体的には、地域の人々が地域観光の素材となる地域資源をどのように活用しているのかという関係性を探るために、秩父市観光課職員への聞き取り、ジオツアーへの参与調査、ジオパークに関係する文書類の取集を行い、それらのデータを基に地域観光の特徴や問題点、持続性を議論した。
     ジオパークはジオサイトといわれる地球科学的な資源を保全しつつ、教育や観光などに活用する地理的範囲とされる。ジオパークでは、地域住民や子どもたちに地球科学を普及する活動と、観光客に複数のジオサイトを案内するジオツアーの実施といった活動が行われる。事例とする、ジオパーク秩父は埼玉県の西部に位置する秩父市、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町の1市4町で構成される秩父地域全域がその範囲である。
     従来までの秩父の地域観光の特徴は、市や町ごとに特性をいかして、独自に観光に関する活動を展開していた。例えば、秩父市では札所巡りや秩父夜祭、芝桜を、また長瀞町ではライン下りや宝登山を観光の目玉としてパンフレットの作成やPRを行っていた。市や町ごとの特色や伝統が反映されやすい面がある一方で、秩父地域をまるごと楽しむには不向きな実態となっていた。また秩父地域は秩父谷という荒川の低位段丘面に沿って町が広がり、交通が整備されてきたので、観光行動も行政界をまたいで、その範囲で広く行われるべきである。さらに、秩父の地域観光は、札所巡り、秩父夜祭、長瀞ライン下り、花見・紅葉、ハイキングで長い間、一定の観光客を誘致してきたが、単一の観光対象にしか関心が向かないという課題があった。つまり、地域全体で観光をPRできる大きなテーマが必要であり、また、異なる観光資源を結びつける仕組みが必要であった。こうした背景から秩父地域は明治時代より多くの地質学者や学生たちが調査・研究に訪れ、日本地質学発祥の地と称されていることに着目し、地形や地質を切り口とした大地の遺産を巡る観光を一般の人にも楽しめるようにジオパークを目指した。
     秩父まるごとジオパーク推進協議会(事務局:秩父市観光課)が2010年2月に設置された。協議会には環境保全、伝統・文化の継承に取り組んできたNPO団体や商工会が加盟している。それらの団体は、従来までの活動を踏まえて、ジオツアーの運営に参画するなどの新たな取り組みを開始した。NPO団体が運営したジオウォーク「一味(ジオ味)違った札所巡り」は、従来までの地域観光の札所巡りにジオツアーを合わせた新たな試みであった。そして、秩父地域は2011年9月に日本ジオパークに認定された。その後も芝桜の丘として有名な羊山公園では開花期間中、NPO団体が羊山公園から秩父市街地まで案内して、河岸段丘とそこでの人々の生活を感じてもらうジオウォークを、また従来から観光地であった三峰神社に宿泊するジオツアーも開催された。このように、ジオツアーは、大地という新たな切り口を足して地域観光を再編させた。
     ジオツアーは運営体制の視点では、NPO団体が主催するジオウォーク、商工会が主催し事務局が全面協力をするバイクジオツアー、協議会事務局が主催・運営を行なうバスツアーの3つに分けられた。ジオツアーの中では地形や地質的な資源のみならず産業遺構や文化施設も大地との関わりの文脈で説明され、ジオサイトとして解釈されていた。つまり異なる場所にあるジオサイトがジオツアーによって結びつけられていた。このことは、地域全体で一貫性がなく、市や町ごとに区切られていた従来の地域観光の課題に応える仕組みである。このように、ジオパーク秩父は、さまざまな地域内の組織が協働し、大地という切り口からさまざまな地域資源を包括した地域観光を形成した。その一方で、現時点では事務局が主な牽引役となっている視点は外せない。ジオパークでは活動を持続的なものとするため住民が主体となった運営が望ましい。今後は、NPO団体などの住民主体の組織がお互いに協力し、ジオパーク推進の前面に出ることが求められる。
  • 森嶋 俊行
    セッションID: 523
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
     本発表においては文化庁の近代化遺産総合調査を研究対象とし、近代化遺産とみなされる建造物群が全国的にどのような建造物から構成されているか明らかにしたい。そのために、これまでに行われてきた近代化遺産総合調査のうち、全数調査結果の入手が可能な都道府県の調査内容を対象とし、これらの近代化遺産がどのような産業、保存形態、活用形態、所有管理者属性を持っているかを数え上げ集計し、全国的な分布と類型を明らかにしたい。
    2.近代化遺産総合調査の概要
     近代化遺産総合調査は各都道府県の教育委員会を実施主体としつつ、総事業費の半分が文化庁より支出される補助事業である。事業は1990年に始まり、年度ごとに2~3都道府県で2~3年かけて行われ、2013年度までに43道府県で報告書が発行されている。 多くの都道府県においては、近代化遺産は形態と産業で分類されている。具体的な分類内容は道府県間で共通する部分と異なる部分があり、実際の分類方を見ると、先行して調査が行われた道府県を後発の道府県が参考にしつつ、地域の歴史的な産業の状況を加味し、独自の分類方法により調査を行ったことが推察される。そこで、本発表においては、分類方法を発表者の手により統一的に整理した上で、全国的な分布傾向、地域的な偏在の傾向を明らかにし、分布の仕方を決定づける要素を分析していきたい。
    3. 近代化遺産の分布
     近代化遺産がその他の文化財に比べ分布において特徴的な点は、近代日本の地域的な産業構造の変化が分布に影響しているという点である。しかし、それは単に昔その産業が盛んであった地域に多くの関連近代化遺産が残るというだけの関係ではない。一つの地域で長期間にわたって一つの産業が継続発展した場合、連続的に同じ場所で設備投資がなされ、その過程で、残っていれば近代化遺産となるであろう建造物は取り壊されてしまうので、多くの近代化遺産が残る地域は、産業の発展過程において立地条件が大きく変わったり、基盤産業自体が大きく変わったりした地域であるということとなる。
     例として、図に、北関東における第二次産業に関連する近代化遺産について、広域市町村圏別の立地分布を示した。図を見ると、常磐や足尾の鉱業、そして両毛や信州の繊維業といった、もともと偏在して立地する産業に関連する近代化遺産は、やはり偏在して立地していることが読み取れる一方で、これらの産業が盛んであったにも関わらずあまり近代化遺産が残存していない地域もいくつかあることもわかる。対照的に醸造業は、歴史的に各地域にそれぞれある程度の産業基盤が成立していた産業であり、これに関連する近代化遺産もまた各地域にまんべんなく分布しているように見える。本発表においては、全国的な近代化産業遺産の分布傾向と日本産業の地域的な構造の変化について、さらなる考察を試みたい。

    図 北関東における第二次産業関連近代化遺産の分布
  • ―高度経済成長期以降の埼玉県・神奈川県を事例として―
    山田 彩未
    セッションID: 815
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     水道は,高度経済成長期の人口増加と都市化の進展による水需要増加に対応して整備が進んだ.特に水需要増加が激しかった大都市圏の水道事業運営主体は水源確保のために河川開発へ参入するが,基本的に水道整備の主体とされた市町村には水源開発費の負担に耐え切れないものも多く,国は水源確保の広域化によって問題を解決する制度を整備した.
     水源確保の広域化に関しては,開発した水を利用する水道事業の視点の研究は乏しい.そこで本研究では,高度経済成長期以降特に人口集中が進んだ首都圏の埼玉県と神奈川県における水道事業広域化を取り上げて地域間の差異を考察することで,高度経済成長期以後に進展した水道事業広域化について検討する.
     埼玉県では高度経済成長期には都心部に近接した県東南部を中心に人口が増加し,利根川・荒川の開発によって水源を確保した.両河川には管理主体である国や先行して開発に参入した東京都など様々な関係主体が存在した.埼玉県で水道整備が本格化したのは戦後であり,運営基盤確立の途上であった水道事業は,多くの関係主体が存在する河川水利に単独で参入することは難しく,市町村では果たせない役割を補うために,県が両河川を水源に用水供給事業(利用者への配水をおこなわない水道事業)を運営することで対処した.
     神奈川県では,横浜市,川崎市,横須賀市,神奈川県営水道によって戦前から大規模に水道が整備され,国が広域化による水源確保の制度を整備する以前に相模川の大規模開発を実施した.その後,神奈川県内広域水道企業団が設立され,酒匂川からの取水は企業団が取りまとることとなった.
     また,神奈川県営水道は全国でも珍しい県営の末端給水事業(利用者への配水をおこなう水道事業)である.神奈川県営水道は戦前に平塚市,藤沢市など湘南地域の水不足解消のために設立され,その後軍関連施設が立地した相模原市でも給水を開始した.戦後に実施した第4次拡張事業で人口急増が開始しつつあった県中部を給水域に編入し,その後も小規模拡大を重ね,現在は県人口の30.7%に給水している.
     両県の事業展開の差異について整理すると,埼玉県では河川からの取水が埼玉県営水道にほぼ一元化される一方で,神奈川県では個別の市町村を含む複数主体が河川での取水に参入する.また,埼玉県は基本的に市町村が末端給水事業を運営するが,神奈川県では神奈川県営水道が市町村を超える領域で水道事業を運営してきた.このように,水源確保に関わる主体数と,末端給水事業の広域化の進展に差異がある.
     水源確保に関わる主体数については,戦前の水道整備と水源の環境の2つの面から考察する.神奈川県では戦前から産業の発展や軍事的事情によって,河川の大規模開発が可能な運営基盤を確立していた.一方,埼玉県内の水道事業は高度経済成長期には河川開発参入が可能な運営基盤を得ていなかったと推察される.水源の環境については,神奈川県は県内の相模川・酒匂川から需要を満たす水源を確保できたため,横浜市などの県内の各主体は,県内で調整をおこなうのみで用水を確保することができるため,個々の水道事業が河川の大規模開発に参入できたと考えられる.一方,埼玉県においては,国などの関係主体が存在する利根川・荒川からの取水にあたっては国や他都県と対峙する必要があり,これは市町村には困難であったため,河川取水が埼玉県営水道へ一元化されたと考えられる.
     末端給水事業の広域化については,全国的に見ても特殊な神奈川県のみ考察する.県中部地域は,高度経済成長期以降に人口が急増し,それに対応した水道整備は困難であった.ここで湘南地域が類似の困難を県営水道による水道事業運営で解決した前例が存在したため,前例に則って県営水道への編入が解決策として提示されたと推察できる.
     水道水源として河川の水資源を大規模に開発,運用する仕組みを構築する過程では,高度経済成長期の問題を市町村が処理する限界が明らかになった.その後も両県の人口増加は続くが,高度経済成長期に構築した仕組みによって対応可能であった.市町村の限界を広域化で補う仕組みは上手く機能したと言え,本研究で明らかにした広域化進展の経緯は,他種の公共サービスにも示唆を与えるだろう.しかし,今後は人口減少が予想され,水需要はすでに微減傾向である.そのため,水需要増加への対応に主眼におく現在のあり方は,今後見直しが必要である.
  • 平野 淳平, 大羽 辰矢, 森島 済, 財城 真寿美, 三上 岳彦
    セッションID: 217
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では東北地方南部に位置する山形県川西町において
    1830年から1980年まで代々記録されていた古日記の天候記録
    を用いて1830年代以降の盛夏期の気温変動を復元すること
    を目的として研究を行った。天候記録から気温変動を
    復元するために,まず,天候記録と山形地方気象台の気温
    観測データがともに得られる1889年~1980年の期間について
    盛夏期(7月中旬~8月下旬)における晴天日数 と期間平均
    日最高気温との相関関係を検討した。その結果,7月15日~
    8月22日までの39日間において晴天日数と期間平均日最高気温
    の間に強い正相関が認められた。そこで,両者の間に成り立つ
    回帰式にもとづいて晴天日数を説明変数,期間平均日最高気温を
    目的変数として1830年代以降の盛夏期の気温変動を復元した。
    本研究の結果,19世紀後半の1870年代後半を中心として盛夏期
    の気温が現在よりも高い状態が出現していた可能性があること
    が推定された。


     
  • 池上 文香, 小寺 浩二
    セッションID: P025
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    手賀沼と印旛沼は汚い沼として全国的に有名な千葉県の北西部に位置する沼である。高度経済成長期の都市化に伴う両沼周辺地域の住宅地開発などによって流れ込んだ生活雑排水や、それによる沼の水の富栄養化にともなう植物プランクトンの異常増殖、農業排水によって汚濁がすすんだとされる。また、手賀沼と印旛沼の両沼は利根川が氾濫すると水が逆流し、周辺地域に洪水をもたらしていたため、江戸時代から干拓事業がすすめられてきた。本研究は、手賀沼と印旛沼の概要をつかむとともにその周辺の土地利用の変遷や水質汚濁問題について調査し考察することを目的とする。
  • 大和田 美香
    セッションID: 518
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
       ルワンダ共和国では、1994年のジェノサイド(紛争による大虐殺)から今年で20年、首都キガリをはじめ地方でも経済成長や市民の生活の変化が見られる。日本の地域おこしの運動である一村一品運動が対象地域で取り入れられている。本研究の目的は、①一村一品運動のどんな要素がルワンダでも活用されているのか、②参加するコーヒー生産者の生計の現状を明らかにすることである。

    2.ルワンダにおける一村一品運動
       一村一品運動は、1970年代に大分県で提唱され始まった運動である。地域の資源を活用したものづくりに磨きをかけることで、人づくり、ひいては地域経済の活性化を目指した。その結果、多くの特産品が生まれ、人を呼び込む観光の分野でも、グリーンツーリズムを含め新たな動きを生んだ。
       アフリカではマラウィ、ケニア、ウガンダ、エチオピア、セネガル、モザンビーク、ナイジェリアなどでも導入されている。(各国政府からの要請を受け、日本の独立行政法人 国際協力機構(JICA)が実施のための協力を行っている(または行った)場合がほとんどである。おおむね2008年~2010年から開始。)
       ルワンダでは2010年から中小零細企業・協同組合のビジネス振興の一環として、一村一品運動が取り入れられている。関係機関は、ル国経済産業省、ル国経済団体連合会および対象地域の地方自治体である。東西南北各県(ル国の行政区は東西南北各県と首都の5つに分れる)で62の団体が参加した(食品加工、農業、手工芸、サービス業など)。内容としては、ビジネスの基礎の研修やスタディツアー、展示会などが実施された。筆者は、調査対象地域である南部県フイエ郡の団体に聞き取り調査を行った。その結果、「マーケティングや商品開発の点で一村一品の要素を取り入れ、成功した(業種:食品加工)」「『ものづくりは人づくり』という研修をきっかけとして、地域の若者の雇用を始めた(業種:鉄製品加工)」との事例があった。また、フイエ郡において一村一品が機能している要因としては、以下の三点が挙げられる。①民間の機関(商工会議所のような機関)が自主性を持ち、地方自治体の協力が得られていること、②リーダーシップが有効に機能し、情報共有が頻繁に行われていること、③外部のパートナー機関の存在である。

    3.南部県のコーヒー生産者の現状
       ルワンダの主要輸出農作物がコーヒーということもあり、一村一品運動に参加するコーヒー企業および協同組合の生産者50件に聞き取りをした。結果、3つのことが分った。①ほとんどの生産者がA)コーヒー、B)その他の作物(野菜、果物など)、C)家畜の3つから収入を得て生計を維持しおり、平均的な年収は262,006RWF(ルワンダフラン)=約391米ドル。なかでもコーヒーは主な現金収入源として貴重な役割を果たしている。②コーヒーによる収入は前年度(2012年収穫分)に比べ減少しているが、この5年単位でみると生産者自身は自分の生活は向上したと評価している。③コーヒー栽培に掛かる意見として、「生産者価格(kg当たり単価)の安定と向上」、「研修の機会の増加」、「肥料の適切な時期の供給」が主に挙げられた。一村一品運動の一環として行った研修に対しては、「品質向上のための意識づけができた」「ただ作るのではなくおいしいコーヒーを栽培することが市場拡大に必須だと学んだ」といった意見がでた。

    4.おわりに
       これらの調査から、ルワンダの一村一品運動がどのように展開され、現地で実践されていったのかについて一定程度は観察と考察が可能であった。しかし、一村一品運動を他の地域でも実践する際に成功をもたらす条件については、今後も更なる考察を要する。また、コーヒー生産者をとりまく環境や制度についても十分な検討を要するため、他日を期したい。

    図 フイエ郡における一村一品運動の商品
  • 齋藤 圭, 小寺 浩二
    セッションID: 534
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    中央アジアはユーラシア大陸の中央部に位置し、大陸の水環境の根幹を担っている。中でも、キルギスのイシククル湖は植生が繁茂し、水資源が近隣諸国と比べ恵まれている一方、灌漑による塩害、農薬、工場・観光地からの排水による汚染が将来的に懸念されている。そこで、本研究ではイシククル湖とその集水域を研究対象とし、地域の河川や湖における水環境の現状を明らかにし、問題の明確化を行った。現地水文観測はキルギス東部において河川・地下水・湖を中心に2012年9月1日-10日、2013年8月23日-31日と2回行った。観測項目は、気温、水温、EC、pHであり、持ち帰ったサンプルから、TOCの測定、イオンクロマトグラフィーを使用した主要溶存成分分析を行なった。調査結果から、河川では地域によってSO₄+NO₃の含有量に多少の違いが見られることが分かった。また、イシククル湖は沿岸地域では集水域河川の影響を受け、イオン濃度が下がる。湖心の鉛直分布では、水深30-35mのところで濁度の上昇が確認された。これによって、湖に流入した河川水は水深35-40mの層にあり、湖心部まで到達していることが示唆された。
  • 若松 伸彦
    セッションID: S0502
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.植生研究における微地形
    植物は地表の上に生育しているため、地形地質環境との関係は密接であることから,これまで様々な研究成果が示されている.特に「地表面の起伏形態」である地形は,風,気温,積雪分布といった微気候,斜面物質の移動による攪乱などが総合的に作用して植生分布に強く影響している.そのため,地形因子の一部である斜面傾斜や標高だけをもって地形的要因と解釈し,植生-地形の関係を示したとしても,実際には植生-地形の因果関係が判然としない恐れもある.したがって,ある地域の植生の成り立ちを理解するためには,扱っている「地形」が何かを慎重に検討した上で,その成り立ちや形成メカニズムまで把握することが必要である.しかし,実際には斜面傾斜やラプラシアンなど一部の地形因子のみを取り上げての地形と植生および植物種の分布との関係性を述べている研究は後を絶たない.
    ある一定の範囲で植物種の出現傾向が一様であるとされる植物群落は植生の基本単位と言える.この植物群落の分布範囲は,「微地形」単位との相関がよいとされる.植物群落と微地形については,Tamura(1969)によって記載された微地形単位,いわゆる「田村の微地形分類」を引用し,適用されることが多い.菊池(2001)は「田村の微地形分類」は,植生の分布を説明する上で有効な地形分類であるとしている。特に,上部谷壁斜面と下部谷壁斜面の間に存在する遷急線の後氷期解析前線の上下では,植物群落の組成が劇的に変化することを述べている.後氷期解析前線の上下では,土砂移動の多少が大きく変化するため,生理的な要因以外にも直接的に植物の分布を規定する要因となっているためである.
    しかし,実際に植生研究では,斜面上の位置関係だけをみて,「田村の微地形分類」をそのまま使用しているケースが多い.一方で,単純に植物群落-微地形の関係は重ね合わせを行うだけでは,その場に生育している植物の生活史や生理的な知識が無ければ,その対応関係のメカニズムを明らかにしているとは言えないという側面もある.

    2.木本種の分布を微地形で議論する困難さ

    実際に微地形-植物群落のメカニズムを明らかにするためには,様々な要因を同時に検討する必要があるため難しい.特に,個体サイズが大きく寿命の長い木本種の分布を考える場合,様々な問題に直面する.木本植物は,発芽直後の実生や稚樹の段階では,その生育は微細なものから大きなものまで様々な現象の影響を受けるが,成長するに従って,より低頻度で空間スケールの大きな現象に影響されるようになる.生活史のどの段階かによって,その生育規制要因が異なるため,ある樹木種の分布要因を理解するためには,その立地がもつ環境要因をスケールごとに整理して理解しなければならない.更に,対象種の種子散布や受粉制限など,植物の空間分布そのものが種の分布の規定要因となっているケースもあり,問題を複雑にしている.

    3.草本種の分布と微地形の関係
    一方,草本種の分布と地形の関係を議論する場合は,時空間スケールはよりコンパクトになる.生活環の短い草本種は,木本種のような成長段階の違いによる時空間スケールの変化を考える必要が無いため,一見すると単純化して議論できるように見えるが,その草本種でさえ,同一の場所に生育している種の分布規定要因は全て同じであるとは限らない.しかし微地形区分はある特定の要因だけでなく,様々な環境要因を包括的に議論した結果であるとすれば,草本種の分布を説明するツールとしての微地形区分は有効なアプローチとも言える.

    4.植生-地形を理解するためには?
    植生は木本種と草本種の集合体であるため,植生-地形の関係をメカニズムも含めて明らかにするのは気が遠くなるような作業と言える.しかし,少なくともその場の微地形区分を行うことは植物群落の分布を説明する上では有効な方法であることは間違いない.そのため,地形を正しく評価することができる地形学者と,植物の生態を研究する植物生態学者がお互いの分野を理解した上で,取り組む必要がある.今後,このような研究が進むことで,今までに明らかに出来なかったより立体的な,メカニズムを含めた植生-地形の関係がより明らかになることが期待される.
  • 南埜 猛
    セッションID: 512
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに モンスーンアジアの稲作地域では,降水の総量や季節的・経年的な偏在性を補うために,さまざまな灌漑手段が用いられてきた。そのなかで溜池は古くから用いられてきた手段であり, 1000年以上の歴史を有するものもある。20世紀においては,ダムを用いた大規模な水利開発が展開し,灌漑面積の増加ならびに食糧生産の安定と増産に大きく寄与してきた。1980年代後半以降,ダムならびに大規模な水利開発への批判がなされ,持続的な発展を視野に入れた水利開発や水利用のあり方が求められるようになっている。本研究は,インドの溜池について,日本の溜池との比較ならびに技術や文化の伝播を視野に入れて検討するものである。発表では,2013年9月にインドのタミル・ナードゥ州で実施した現地調査ならびに現地で収集した文献・資料と関連研究者との意見交換の成果を報告する。
     2.インドとタミル・ナードゥ州における溜池の位置 インドにおいては,人口増加や食糧需要の増加などを背景に,今後もさらに水需要の増加が予測されている。水需要の増加への対応の一つとして,ヒマラヤ水系などの水資源の余裕がある河川の水を半島部の河川に送る河川連結(流域変更)構想が検討されている。また流域内の水資源を適切に管理することで有効水資源の創出と無駄な水使用の排除を図る流域水管理を推進するなどの方策も模索されている。その議論のなかで,溜池についても注目がなされている。灌漑ならびに溜池の現状を統計からみると,インドにおける灌漑面積は独立後の1950/51年度の2085万haから2010/11年度には3倍以上の6360万haへと増加している。灌漑手段別にみると,井戸灌漑が61.4%(2010/11年度)を占め,中心的な役割を果たしている。用水路灌漑は1990 /01年度までは増加してきたが,その後は減少し,その割合は24.6%(2010/11年度)である。溜池灌漑は面積でみると,1950/51年度から1960/61年度までは増加したが,その後は一貫して減少しつづけており,2010/11年度には200万haと1950/51年度の2/3以下となっている。灌漑全体に占める割合も17.3%(1950/51年度)から3.2%(2010/11年度)となっている。地域別にみると,南インドに溜池灌漑の割合の高い州がある。その中で,タミル・ナードゥ州は溜池灌漑の占める割合が最も高い。そのタミル・ナードゥ州では,かつて溜池灌漑は灌漑全体の38.0%(1960/61年度)であり第一の灌漑手段であった。しかし2010/11年度には井戸灌漑が55.7%を占め,溜池灌漑は18.3%にまで低下している。数でみると,インド全国には約20万の溜池があり,南インドのアーンドラ・プラデーシュ州,タミル・ナードゥ州,カルナータカ州の3州で全体の6割を占めている。タミル・ナードゥ州では,溜池の灌漑面積は減少しているものの,溜池の数は,独立後1960年代前半までは急激に増加し,その後も緩やかに増加を続けている。 
    3.インドの溜池の特徴と管理 インドの溜池の歴史は古く,4,5世紀に築造されたとされる溜池もある。1880年代にイギリスにより溜池台帳が作成され,そこには溜池が多く存在していることが記録されている。タミル・ナードゥ州の溜池は,日本の溜池と比べて,堤高が低く,堤長が長いのが特徴である。集水形式でみると,単独の集水域のみの溜池と河川や上流の溜池とつながった溜池(システムタンクと呼ばれる)がある。溜池と受益地の関係は,1村1池が基本となっている。イギリス統治時代以前は,村や地主による溜池の管理がなされてきた。イギリスによる新しい徴税制度の導入にともなって,溜池管理に政府の機関(PWD=Public Work Departmentなど)がかかわるようになった。独立後もその制度が引き継がれている。タミル・ナードゥ州では,システムタンクならびに受益面積が40ha以上の溜池は政府管理であり,受益面積が40ha未満のものは地元自治組織の管理が原則となっている。 
    4.インドの溜池をめぐる今日的課題と対応 緑の革命の進展と溜池灌漑面積の低下は軌を一にしており,緑の革命は,結果として溜池ならびに灌漑手段に大きなインパクトを与えた。井戸灌漑への移行,溜池管理体制の弱体化,堆砂問題,溜池貯水量の減少,溜池底地の不法占拠などが一連の悪循環となって,溜池灌漑面積の低下を招いている。そのような現状に対して,タミル・ナードゥ州政府やEC(現EU)などの外国支援による改善プログラムの実施がみられる。また溜池の灌漑機能だけではなく,溜池の地下水涵養機能や生活環境としての溜池を評価する動きもある。
     (本研究は,平成25年度文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(C)「溜池を軸とする持続的な地域づくりと溜池学の創造」(研究代表者:南埜 猛,課題番号24520889)による研究成果の一部である)
  • 石井 祐次, 堀 和明
    セッションID: 618
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    はじめに 近年,同位体科学などの進歩とともに古環境研究が大きく進展し,世界各地で完新世の古気候復元がおこなわれ,太陽変動などに起因する大気・海洋循環の変化と気候変化との関係が明らかにされてきた.日本の降水量変化は主に東アジア夏季モンスーン(East Asian summer monsoon: EASM)に支配されており,その強度はエルニーニョ・南方振動(El Niño-Southern Oscillation: ENSO)の影響を強く受ける.しかし,日本における完新世,とくに過去数百年の詳細な古環境変動を復元し,同じEASM地域である中国などの古環境プロキシと対比して古気候変化について議論した例は少ない.本研究では三日月湖の堆積物と実際に観測された降水量との対比をおこない,その妥当性について検討する.さらに,観測記録のない過去数百年の古洪水を復元し,広域的な気候変化との関係について議論する. 
    方法 石狩低地にみられる三日月湖(菱沼および月沼)においてHS(掘削長13.5 m)コアとTK(掘削長11.8 m)コアを採取した.両コアについて,乾燥・湿潤重量計測(2 cm間隔),粒度分析(2 cm間隔),強熱減量測定(LOI:Loss On Ignition,2 cm間隔),放射性炭素年代値測定,137Cs測定(4 cm間隔),テフラの同定をおこなった.三日月湖底堆積物の粒度は洪水流の強さに依存すると予測される.強い洪水流は高強度の降水が長時間持続することでもたらされる.長期的な記録が得られている札幌と旭川における各年の日降水量の最大値と粒度とを比較することで,上記の解釈について検討し,洪水規模の変化を復元する.さらに,HSコア,TKコアの粒度の中央値について,中国の石筍のδ18O(降水量の指標,Zhang et al. 2008: WX42B)との比較をおこない,アジアモンスーン域における過去数百年の気候変化について議論する. 
    コアの特徴 HS,TKコアの最下部(HS: 13.5-10.0 m: TK: 11.8-10.8 m)はともに旧河床の砂礫から構成される.HSコアの深度10.0-9.2 mは下位から有機質層,極細粒~細粒砂層から構成され,これよりも上位ではシルトおよび粘土層となる.TKコアは深度10.8-5.0 mは主に砂泥互層から構成され,深度10.1-10.0 mに有機質層を挟在する.深度5.0 mより上位は粘土層となる.TKコアからは深度10.3 m,10.0 m,5.2 m,4.2 m,3.3 m,2.4 m,1.6 mの7点,HSコアからは深度9.0 m,8.6 m,6.6 m,3.5 m,2.5 m,1.3 mから6点の年代値が得られた.HSコアの深度80 cm,TKコアの深度93 cmにおいてそれぞれ137Csのピークがみられ,この深度が1963年に相当すると考えられる,また,TKコアの深度1.8 mにみられるテフラは,Ta-a火山灰(1739年)に対比される可能性が高い.年代値が逆転するために再堆積であると解釈されるものを除き,各年代の1σの中央値,137Csのピーク,Ta-a火山灰を用いて堆積速度を求めた.両コアともに,粒度の粗粒化にともないLOIが低下するという関係が全体的にみられる.ただし,HSコアにおけるLOIと粒度はともに1920年頃以降に増加傾向を示し,上記のLOIと粒度との関係が変化する.また,TKは1960年代頃に粒度変化はあまりない一方で,LOIには急激なピークが認められる.このようなLOIの増加は,農地耕作や排水路建設にともなうものであると解釈される.
    洪水規模変化の指標としての粒度 札幌と旭川における1883~2010年の各年の日降水量の最大値(mm/day)については3年移動平均値,粒度についてはHS,TKコアともに3点移動平均値を用いて,両者を比較した.過去約100年間において,札幌における降水量と粒度の変化はおおむね対応し,降水量が多い時期には粒度が粗粒化する傾向がみられる.また,WX42Bのδ18Oの過去数百年の変化とHSコアやTKコアの粒度変化も比較的良く対比できる.したがって,HS,TKコアの粒度は古洪水の強度を大局的に反映する可能性がある.しかし,詳細な対応関係については不明瞭である.一方で,古洪水の強度をある程度反映していると考えられ,大局的にはWX42Bのδ18Oの変化とも一致する.したがって,洪水規模変化,降水量変化,EASMとの関係について議論できる可能性がある.
  • 朝日 克彦
    セッションID: 529
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに 気候変動下におけるわが国の山岳域の環境動態はいまだよくわかっていない.世界的には山岳氷河の変動が気候変動の指標として広く用いられている.典型的な氷河が存在しない日本アルプスにおいて,代替指標として越年性雪渓の動態を明らかにしたい.その端緒として,2013年秋の越年性雪渓の分布を明らかにし,過去の分布と比較した.   2.研究方法 2013年の分布:2013年10月7日および14日に航空機から北アルプス全域および南アルプス北部山域について,手持ちカメラで斜め撮り写真を撮影し,この写真判読を行った. 過去の分布:同じ山域が撮影されている空中写真は国土地理院,1976/77年,1:15000カラー空中写真である.この写真の実体視判読を行った.このほか,撮影範囲は限定されるが,林野庁1969年(白黒)および2009年(カラー)空中写真も併用した.   3.結果 分布の概要:総数の約7割は東斜面に分布し,冬季の卓越風向に対して風下にあたる.雪渓の末端高度に着目すると顕著な北下がりになる.これらのことから,秋季の越年性雪渓の分布においても,その規定要因は積雪量にあると推定できる. 2013年の分布 分布は北アルプスでは犬ヶ岳から乗鞍岳,南アルプスでは北岳に,合計576ヶ所,総面積3.66 km2.通例では秋季まで雪渓が残らない山域においても多数の雪渓が越年した.末端標高が最も低い雪渓は犬ヶ岳雪渓,1070m.最大の雪渓は不帰沢雪渓(唐松岳),0.184 km2. 1976/77年の分布 北緯36度40分以北は1976年,以南は1977年に撮影された空中写真によると,北アルプス全域では264ヶ所,総面積2.54 km2.南アルプスには越年性雪渓は存在しない. 剱岳周辺の経年比較 剱岳周辺において越年性雪渓の面積は,1969年は0.78 km2,1977年は0.80 km2,2009年は57.7 km2,2013年は84.1 km2であった.規模の大きな雪渓,例えば小窓雪渓,三ノ窓雪渓などでは,規模や形態の年々変化は必ずしも大きくなく,小規模な雪渓の残存・消失が総面積変化に効いている.
  • 東京都世田谷区を対象に
    山本 遼介, 泉 岳樹, 松山 洋
    セッションID: 707
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1 はじめに
    リモートセンシングによる土地被覆の解析に用いられる衛星画像や航空写真は,近年高解像度化が進んでいる.これにより従来のピクセルベースの解析では,対象物の各部分が断片的に判別され,微小な領域が大量発生することが問題となってきた. 
    そこで近年注目されているのが,オブジェクトベース画像解析という手法である.この手法では,あらかじめ性質の近い近隣のピクセルを1つのオブジェクトとして結合(セグメンテーション)し,これを単位として解析を行う.これにより微小な領域の発生を回避し,より目視判読に近い分類が可能になるとされる. 
    オブジェクトベース画像解析については,国内の都市域を対象とした解析事例は少ない.また空間解像度数m程度の衛星画像を用いたものは多いが,より高解像度の航空写真を用いた事例は少なく,その特徴は明らかでない.本研究は,高解像度の航空写真を用いて土地被覆分類を行い,ピクセルベースとオブジェクトベースの違いを明らかにすることを目的とする.

    対象地域と使用データ
    対象地域は,多様な土地被覆が存在する東京都世田谷区を選んだ.使用データは,空間解像度25cmのデジタル航空写真(2003年撮影)である.この画像は,赤,緑,青,近赤外の4レイヤーを持ち,ここから正規化植生指標(NDVI)を算出して5レイヤーとして解析を行った.

    研究手法
    まず検証のため,1:烏山地区,2:三軒茶屋地区,3:喜多見・成城地区,4:二子玉川地区の4地区を選び, 500m×500mの検証領域を設定した.この領域でピクセルベースとオブジェクトベースのそれぞれで土地被覆分類を行った.分類は教師付き分類とし,検証領域を除く各地区の図郭内で70個ずつのサンプルを取得して行った.最後に4地区のサンプルを合計し,これを用いて世田谷区全域で分類を行った.

    結果
    分類結果からは,ピクセルベースでは建物と樹林の混同が少なく,オブジェクトベースでは裸地および水域の誤分類が少ないという傾向の違いが見られた.
    次に,検証領域で目視判読によりトゥルースデータを作成し,これと比較して分類精度の算出を行った.分類精度は,全体精度が60~70%程度となり,いずれの地区でもオブジェクトベースの方がピクセルベースより有意に精度が高かった.
    また,空間的自己相関指標の1つであるJoin統計量を求めた結果,オブジェクトベースの方がより強い集積傾向を示した.よって,微小領域の大量発生という問題がオブジェクトベースでは改善することが定量的に示された.

     5 考察
    世田谷区全域での分類結果から,緑地の指標である緑被率およびみどり率を算出し,2001年と2006年の世田谷区による調査結果と比較した.本研究で算出した指標は妥当な値であり,緑被率はオブジェクトベースの方が区の調査に近い値となった.
    またオブジェクトベースは,1つ1つのオブジェクトを形を持ったポリゴンとして出力できる点も特長である.これを活かし,GISを用いた緑地解析を試みた.その結果,緑地を量だけでなく規模の面からも把握することができた.
  • 甲州市勝沼地域を事例として
    小池 拓矢
    セッションID: 313
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに<BR> 従来の観光農園に関する研究は、全国のいくつかの地域を事例として観光農園の経営形態や地域周辺の交通環境の変化がどのような影響を与えたかなどについて論じてきた。その中で個々の観光農園がどのように観光客を引きつけ、集客を行っているかについては、定性的な調査がなされており、ダイレクトメールの送付やリピーターを獲得することの重要性が言及されてきた。本研究では、定量的なデータをもとに多変量解析を行うことで、先行研究の検証をするとともに、情報技術の発展や経営の多角化が起きている現在の状況下における観光農園の集客要因を明らかにすることを目的とした。<BR><BR>2.調査地の概要および研究方法<BR> 調査対象である山梨県甲州市勝沼地域は甲府盆地の東部に位置し、東京都心から中央自動車道を利用して約1時間半、新宿駅から勝沼地域内にある勝沼ぶどう郷駅まではJR中央本線の特急を利用して約1時間半の距離にある。ぶどうの栽培が盛んな地域であり、地域内に100か所以上分布する観光農園が毎年多くの観光客を集めている。<BR> 集客要因を明らかにするために、勝沼地域内の観光ぶどう園の従業員に対面式アンケート調査を行った。アンケートの項目は観光客数のほか、農園の経営や観光客に対して行っているサービスなどについてであり、67か所の農園からデータを得られた。このデータをもとに、2012年に観光農園を訪れた観光客の数を目的変数、経営状況や提供サービス、インターチェンジからの距離など、13項目を説明変数として重回帰分析を行った。<BR><BR>3.結果<BR> 個々の農園の観光客数をみると、最も多い農園は一万人規模、小さい農園は数百人規模であり、集客力には大きな差があった(図1)。<BR> また、重回帰分析を行った結果、「食べ放題の有無」、「個人ウェブサイトの有無」、「駐車可能台数」、「農協などへの出荷の有無」、「ワインなどの販売の有無」が回帰モデルの観光客数を説明する変数として選択された。農園のサービスに関わる食べ放題やワインなどの販売、規模を示す駐車可能台数などが回帰モデルには含まれていたが、インターチェンジからの距離などの空間的指標は選択されなかった。ウェブサイトの有無が回帰モデルの変数として選択されたことから、観光客は特定の観光農園の位置やサービス内容などの情報をもって目的地へと向かうことが多いと考えられるため、従来の集客に関する立地上のアドバンテージが相対的に低下している可能性がある。
  • 水野 一晴, 小坂 康之
    セッションID: 604
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.チャルキニ峰周辺における放牧活動 
    ボリビアアンデスのチャルキニ峰(5740m)の南氷河周辺地において、高山植生と放牧活動について調査した。南氷河周辺には2世帯が立地し、1世帯(A世帯)が周辺地の土地や家畜の所有者であり、もう1世帯(B世帯)はその家畜を借りて放牧を行っている。B世帯が放牧を行っている家畜はリャマ209頭、アルパカ54頭、羊56匹である。リャマは乾燥した草原を好み、アルパカは湿った草原を好むため、両者は別々の場所で放牧されている。リャマやアルパカは荷役や食肉として重要であるが、乳は利用されない。アルパカの毛はセーターなどに加工され利用価値が高い。家畜のオーナーのA世帯は、世話人のB世帯に放牧の労賃を支払うが、継続して労賃を支払うか、生まれたリャマやアルパカの子供を折半するかをB世帯に選択させている。B世帯は土地を別に所有しているため、新たに得る家畜を連れて将来自分の土地に移動することが予想される。
    2.氷河周辺の植生分布と放牧活動
    リャマやアルパカの採食植物は表1のようである。氷河末端付近における出現種はPerezia sp.(Perezia multiflora ?)、Deyeuxia nitidula、Deyeuxia ovate、Senecio rufescensの4種のみであるが、そのイネ科のDeyeuxia属(=Calamagrostis属,ノガリヤス属)の草本であるDeyeuxia nitidulaとDeyeuxia ovateは、リャマやアルパカの主要な採食植物である。リャマやアルパカは氷河近くまで放牧されてそれらの植物を採食しているため、リャマ、アルパカの採食行動が氷河周辺の植生に影響を及ぼしていると考えられる。
  • 柳場 さつき, 田中 靖, 江口 卓
    セッションID: 202
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     モンスーン地域における気候の特徴として,雨期と乾期が明瞭なことや,対流活動・降雨の日周変動の振幅が大きいことが挙げられる。しかしインドシナ半島北部は気候区の遷移帯に位置し,山岳地域で気象観測密度も低いため,この地域の気候の詳細については不明な点も多い。 
     そこで本研究では,熱帯モンスーン気候下の山岳地域に位置するタイ北部ファーン川流域において気象観測を行った。まず,そのデータを再解析データや他の観測データと比較検討し,広域的な条件から研究対象地域の季節区分を行った。さらに降雨時刻が季節ごと,または各季節内でどのように変化するかについて検討した。
     本研究ではHuaFai (19°36′28.35″N,99°10′03.23″E, 標高: 600m)で気温・湿度・降水量を観測した。観測期間は2011年から2013年8月3日である。季節区分にはNCEP/ NCAR再解析値のうち2.5°グリッド日平均東西風向(850hPa面・700hPa面・300hPa面)のデータと,NOAA/ OLR再解析値2.5°グリッド日平均のデータを用いた。
     HuaFaiにおける年降水量は,2011年で1888.5mm,2012年で1448.8mmであり,2011年は2012年と比較して約400mm多かった。これについてThai Meteorological Department (2011)も,タイ北部の2011年5月~10月の降水量が平年と比較して,約20~60%多かったことを指摘している。しかし降雨日数の差は2012年の方が多く,両年の降水量の差は降雨日数ではなく,日降水量の差によって生じている。時間降水量データを用いて両年の日降水量の差を比較すると,単位時間当たりの降雨強度の差ではなく,降雨継続時間の差が2011年の多雨に影響していることが明らかとなった。さらに降雨時刻を見てみると,2012年の降水は午後に最大,昼前に最少となり,日周変動が明瞭である。しかし2011年の降雨は全時間帯で多く,日周変動が不明瞭であることも明らかとなった。 
     この特徴の詳細を検討するため,まず両年の季節区分を行う。研究対象地域上空は年間を通じて西風が卓越しているため,対流圏下層(850hPa面・700hPa面)の東西風による季節区分は不可能であった。そこで観測降水量に加え,対流圏上層にあたる300hPa面の東西風とOLRの変化をもとに,2011年,2012年をそれぞれプレモンスーン期,モンスーン期,ポストモンスーン期,乾期の4つの季節に区分した。さらにモンスーン期を前・中・後の期に区分し,全体で6期に区分した。次にこれらの期間ごとの3時間平均降水量を集計した(図)。この図から,2011年と2012年ではモンスーン期中の降水量の多い時間帯が異なることが読み取れる。タイ北部Mae Chaem流域における降雨の日周変動を明らかにした蔵治・北山(2002)との比較から,HuaFaiにおける2012年の日周変動は,タイ北部地域の一般的な日周変動と一致し,2011年の午前中の降雨は平年と異なっていたと考えられる。
     2012年の降雨の日周変動の季節変化のうち,モンスーン期の特徴は,モンスーン前期:12時から21時に降水が集中,モンスーン中期:12時から21時についで0時から6時の降水量が多い,モンスーン後期:21時から24時以外の全時間帯,特に午前中の降水量増加が著しい,とまとめられる。この変化と研究対象地域上空の東西風変化をみると,午後の降雨が卓越するモンスーン前期・中期と,300hPa面の東風強化期・安定期は一致している。一方で午前中に降水量が多くなったモンスーン後期では,300hPa面の東風だけでなく850hPa面・700hPa面の西風も弱まっている。つまり降雨の日周変動の変化はモンスーン循環の強弱と関連していて,モンスーン前・中期にはより大規模な降雨要因が,後期にはよりローカルな要因が降雨の日周変動を支配していると推測される。
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