日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の335件中201~250を表示しています
要旨
  • 虫明 英太郎
    セッションID: 611
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    文化産業は特定の大都市に集積する傾向が強いが,映画の撮影工程では,製作拠点の外部でロケーション撮影(ロケ)が行われることが多い.日本では2000年以降,各地の自治体などがフィルム・コミッション(FC)を設立し,ロケ支援事業を開始したことから,ロケがロケ地にもたらす効果が注目されるようになった.しかしながら多くのFCが観光振興・地域振興の目的で設立されたこともあり,ロケ地に対する製作者側の需要や,ロケ地の地理的条件を踏まえた研究は不足している.本研究では,製作者とFCへの聞き取り調査をもとに,製作者がロケ地を選定する基準,FCに求めるサービスを把握した上で,FCの取り組みが製作工程にどのような影響を及ぼすのかについて分析する.また各地のFCが,製作拠点からの距離・地域内の景観など地理的な条件を踏まえつつ,どのようにロケを誘致し,ロケ作品を地域振興に活用しているのかについて考察する.<br>日本の映画産業では1960年代以降製作部門の合理化が行われ,固定式のオープンセットを備えた撮影所の閉鎖が相次いだことから,ロケによる撮影が増加している.ロケ地の選定は撮影前のプリプロダクションの段階で行われ,「画」「予算」「許可」の3点が選定条件となる.画に関しては他地域の景観を代替として利用することも多く,予算は撮影隊の滞在費・撮影準備期間の長さを規定する. 撮影許可については施設管理者や行政・警察だけでなく,周辺住民の理解を得ることも重要となる.映画の製作機能は東京への集積が著しいことから,ロケ地も関東地方に集中しているが,東京の都心部は撮影許可を得るのが難しく,日帰り圏内の市街地などを代替として利用することも多い.<br>FCはロケ地探索やロケハン・ロケの際に利用される.製作者はFCが地域への「根回し」を行い撮影交渉が円滑になることを期待するが,初期のFCは作品を利用した観光振興を目指し,製作者のニーズに応えられないことも多かった.しかし近年では,ロケ支援の経験を多く蓄積したFCは行政各部署・警察などへの交渉力を高めており,製作者とFCの職員との間でも人脈が形成されている.<br>現在国内には,全国組織のJFCに加盟する113のFCと,加盟していない241のFCが存在する. 東京から日帰り圏内の地域では映画やドラマに限らずテレビ番組などのロケの依頼も多く,著名な観光地に加えて学校や公共施設など「どこにでもありそうな景観」も求められる.また1回の遠征で複数のシーンを撮影しようとする製作者も多いことから,地域内の多様なロケ地の情報を提示できるFCに多くのロケが集まっている. 遠隔地では,「その地域でなければ撮影できないもの」が無い限り,ロケ地としての需要は少ない.自治体の出資によって観光地が登場する作品を製作する地域も存在するが,他の地域では許可を得にくい特殊な撮影を実現すること,ロケに対する地域全体の協力体制を整えることなどによって製作者の信頼を得て,「地域性が前面に出ない作品」も含めてロケを継続的に呼び込むFCもみられる.<br>FCはロケ支援経験を蓄積する中で「地域との結びつき」を強め,地域がロケ地に選定される可能性を高めている.すなわちロケ地情報の収集により多様な画を提案でき,FCの取り組みを通してロケに対する地域の理解が深まれば撮影交渉は円滑になる.また短期間でのロケ地探索・撮影交渉を可能にすることで,予算面でも製作者に貢献している. 継続的なロケ誘致を実現したFCでは,製作工程だけでなく映画産業全体に貢献する取り組みも行われている.すなわちロケ作品の公開時に関連イベントを開催することで,ロケ支援活動に対する地域のコンセンサスを形成しつつ,宣伝の機能を担うFCが増加している.また自主製作映画のロケ支援や上映機会の提供により,地域に根付いた製作者の育成を図るFCも存在する.
  • 山梨県甲州市勝沼地域を事例に
    藤井 毅彦
    セッションID: 618
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.背景と目的
      日本のワイン産業は,2012年以降,消費量で過去最大を記録する第7次ワインブームとなっている.うち,国産ブドウのみから醸造した日本ワインは全体消費量の2~4%に過ぎないが,成長が続いており,注目を集めている.日本ワインは,安価で高品質な輸入ワインの攻勢により,21世紀に入って長らく低迷していたが,その間,比較的安価な量産品レベルでの品質向上に成功,輸入ワインとある程度,戦える品質水準となった.また,高品質のワインを生産できるワイナリー(ワイン製造工場兼貯蔵場)の数も増加し,品質に関する高い評価は,特定のワイナリーに対してから,特定の産地や日本ワイン全体に対して,付与されるようになった.
      本研究では,この品質向上をもたらしたものを技術と総称し,品質向上技術がどのように産地内で伝播していったかを分析・考察することで,産地全体における品質向上の諸相を明らかにする.

    2.対象地域と調査方法
      主要産地は山梨県,長野県,山形県,北海道だが,うち,山梨県甲州市勝沼地域を調査地域とした.大手から中小企業まで幅広く存在する点,域外からの参入資本から,民間と非民間からなる地場資本まで幅広く分布している点が理由である.また,同地域は,明治期以来,ワイン産業の中心地であり,現代に至る品質向上の先進地域でもある.
      同地域では,ワイナリー18社と,周辺主体群16ヶ所にインタビュー調査を行い,経営概況,および,品質向上技術の採用・定着・伝播状況を把握した.技術伝播の事例としては,ワイン醸造技術であるシュール・リー法,醸造・ブドウ栽培技術であるきいろ香,栽培技術であるレインカットの3つを取り上げた.

    3.調査結果
      シュール・リーは,同地の主力製品である甲州ワインが風味に乏しい点を解決するために,1980年代前半に大手の1社が採用したフランスの伝統的醸造技術である.通常は発酵が終わった後,除去する酵母を,引き続きワインと接触させておくことで風味増進を図る.難易度は伝統的技術であることもあり高くないが,ブドウ果汁の清澄化等,細かい前提条件が求められる.本技術は,甲州ワインの品質を,輸入ワインとある程度,競争できる水準まで引き上げるもので,10~20年をかけて,当該大手から地場の中堅へ,最終的にはほぼ全てのワイナリーに伝播・普及した.伝播にあたっては,地場企業間を中心とした活発なネットワークが有効活用された.
      きいろ香は,同企業が,2000年代に,フランスの大学の協力を得て投入した独自開発技術である.甲州ブドウを完熟前に早摘みし,一定の醸造法を適用することで,柑橘系の風味増大を実現する.早摘みに加え,特定農薬使用の制限等,ブドウ生産者の協力が必須である.本技術では,シュール・リーのような階層性に従った伝播パターンは明確でなかった.過去と比べ,中小企業の経験値や技術力対応力が向上していた点が背景にある.また,本技術に対応すると,ブドウ収量が低減し,樹勢も弱るなど農家経営上の問題があったため,農家間での採用は拡大しなかった.
      レインカットは,ヨーロッパ原産のワイン用ブドウを垣根栽培する際に,日本の高温多湿で雨が多い気候に対応できるよう,垣根上部をU字型にビニールで覆う技術である.上述の二技術とは別の大手が1980年代に開発した,同社は,競合他社にも普及するよう,資材メーカーに販売権を譲渡,技術指導のみを同社が行う体制を採用した.資材メーカーを媒介にして,大手から中小まで,日本の各地で採用された.

    4.考察
      調査対象地域の事例分析により得られた知見は以下の3点である.第1には,海外技術の導入等は研究機関ではなく大手企業により行われていること,つまり,産地の研究・開発機能は大手企業が負っていることである.2点目は,技術伝播は,地元と関係性が強く交流が頻繁なネットワークを介して広がる場合が多いことである.第3には,伝播には階層性があること,しかし,その階層性は,中小ワイナリーの技術力向上により簡略化されつつあることである.
  • ペトロリーナにおける果樹農業の発展と節水灌漑の普及
    山下 亜紀郎, 羽田 司, 吉田 圭一郎, 宮岡 邦任, オーリンダ マルセーロ・エドゥアルド・アウベス, シノハラ アルマンド・ヒデキ, ...
    セッションID: P057
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    <B>1.はじめに</B><BR>
    ブラジル北東部(ノルデステ)の内陸には、セルトンとよばれる熱帯乾燥・半乾燥地帯がひろがり、厳しい自然条件などから、かつてはブラジルでもっとも開発の遅れた地域であった。この地域を流れる大河であるサンフランシスコ川の流域では、20世紀後半以降とくに1970年代以降、国家的な大規模灌漑プロジェクトが実施され、農業開発が進められてきた。この当時の詳細についてはすでに先行研究にまとめられているが(斎藤ほか1999;丸山2000など)、本研究の目的は、その後のセルトン、とくに2000年以降のサンフランシスコ川中流域における灌漑果樹農業の現状と変遷を詳らかにし、今後の展開について考察することである。<BR>
    <B>2.ペトロリーナの気候</B><BR>
    研究対象としたペルナンブコ州ペトロリーナは、サンフランシスコ川中流の沿岸に位置する。気候区分としてはステップ気候に属する。月別平年値(1985~2014年)によると、5~10月は降水がほとんどないが、11~4月にはある程度の降水がある。気温にも若干の年変動がみられ、7月がもっとも低く(24.2℃)、11月がもっとも高い(27.5℃)。ここ40年ほどの年降水量の変遷をみると、比較的多雨の年と少雨の年が周期的に交互に現れる傾向にあり、最多雨年は1985年(1023.5mm)、最少雨年は1993年(187.8mm)である。しかしながら2011年以降、年降水量500mm未満の少雨年が続いており、このことがペトロリーナにおける農業経営や住民の日常生活に大きな影響を与えつつある。<BR>
    <B>3.果樹農業の発展</B><BR>
    1980年代までのペトロリーナではマメやトウモロコシ、トウゴマ、スイカ、トマト、メロンといった単年性の作物が多く生産されていた。しかし、土地集約的な農業を続けたことで、連作障害が問題となった。1990年代になると、灌漑技術の発達もあって、果樹とくにマンゴーとブドウの生産が増加した。2000年以降も果樹生産は増加を続け、2014年におけるペトロリーナの農産物収穫面積は、マンゴーがもっとも多く(7,880ha)、続いてブドウが多い(4,642ha)。ほかにもグァバやバナナ、ココヤシ、アセロラといった果樹の生産も顕著であり、ペトロリーナは果樹複合産地となっている。<BR>
    <B>4.さまざまな灌漑方式</B><BR>
    ペトロリーナでもっとも初期の灌漑方式は、BaciaやSulcoとよばれる農地へ直接水を流すものであった。1980年代前半までは大型スプリンクラー(Canhão、Aspersão)が主流であり、センターピボット(Pivô)もみられた。これらはいずれも水浪費型の灌漑方式である。1980年代後半以降、小型スプリンクラー(Microaspersão)や点滴(Gotejo)といった節水灌漑が普及し、現在ではこれらが約8割のシェアを占める。最近ではDifusorとよばれる小型霧吹きのような新しい節水器具も導入されている。<BR>
    <B>5.おわりに</B><BR>
    2011年から続く少雨によって、サンフランシスコ川の水資源量も現在劇的に減少している。ペトロリーナでは節水灌漑が普及しているとはいえ、現状の果樹農業が将来的に維持できるかどうかについては、今後も注視していく必要がある。<BR>
  • 小岩 直人, 髙橋 未央, 小野 映介, 片岡 香子
    セッションID: 827
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    青森県鶴田町の岩木川下流部において,従来のものと異なる年代を示す埋没林を見いだした.本発表では,埋没林の14C年代測定,樹種同定を行った結果を報告し,これらを基に津軽平野下流部における地形発達に関する若干の考察を行う.
  • ヒートアイランド現象と都心周辺の低圧の関係
    大和 広明, 森島 済, 赤坂 郁美, 三上 岳彦
    セッションID: P006
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    ヒートアイランド現象と気圧の関係を明らかにするために、首都圏に気圧計を多数設置し、都市内外での気圧観測を実施した。前報(大和ほか、2015;森島ほか、2015)では、得られた気圧データの補正および気温と気圧のそれぞれに対して主成分分析を実施し、卓越する時空間パターンについて報告した。その結果、①観測された気圧は器差補正、高度補正を経て海面更正気圧(SLP)に補正された気圧は、気象庁のSLPに対して±0.2hPaの精度を持つこと、②気圧の第一主成分(P-PC1)は、北西側内陸部と南部沿岸部との気圧変動、第二主成分(P-PC2)は、都心周辺と領域周囲の気圧変動、第三主成分(P-PC3)は、鹿島灘から西方へ伸びるくさび状の気圧変動を示す成分が抽出されること、③気温の第一主成分(T-PC1)から、第三主成分(T-PC3)まで、気圧の主成分と類似の空間パターンが抽出されること、④気圧と気温のPC1同士は日周期が卓越し位相もほぼ同じである、PC2同士の日周期成分は、位相が一致しているわけではないが、都心を中心にヒートアイランド現象が顕著なときに気圧低下が顕著にみられる事例が存在する、PC3同士の日周期成分も位相が一致しているが、日周期というよりはむしろ北東気流に対応して顕著になること、⑤気圧と気温のPC1~3同士の主成分得点には有意な相関関係があること、が明らかとなった。 本報では、ヒートアイランド現象による高温および都心周辺の低圧を表していると考えられる、気圧と気温の第二主成分に着目して解析を行った結果について報告する。  
    ヒートアイランド現象と都心周辺の低圧の関係
    P-PC2の主成分得点が負であると、都心周辺で周囲よりも低い気圧が観測されている。極端に負の絶対値が大きい場合には、寒冷前線が接近している事例が見られたため、主成分得点の標準偏差σを基準に、都心周辺で周囲よりも低い気圧が観測されている事例を以下の条件で抽出した。条件は、①P-PC2の主成分得点が-2σ以上-σ以下、②P-PC1およびP-PC3の主成分得点がそれぞれ±σ以内の2点である。この条件で、13,248ケース中1,094ケース抽出された。抽出された気温および気圧の領域偏差のコンポジットが図1である。気圧の分布には、低圧部が神奈川県県央から都区部を経由して埼玉県南東部にかけての地域で見られる一方で、気圧が高い地域が周辺部に見られる。対応する気温の分布には、都心を中心とした明瞭なヒートアイランドが見られる。低圧部の中心は高温の中心よりやや内陸へずれてはいるが、都心周辺の高温により、都心周辺の低圧部が形成されていると考えられる。 気温の主成分得点(T-PC2)を用いて、気圧と同様の条件で抽出したコンポジットを図2に示す。この条件で、13,248ケース中980ケース抽出された。図1とほぼ同様の気圧、気温の分布を示すが、気圧の図1と比べて、高温の領域がやや北部まで広がっており、それに対応して低圧の領域も北方へ広がっている。 図1と図2のコンポジットと同じケースにおける中部日本のSLPのコンポジットを図3に示す。両者とも愛知県から長野県南部のリッジおよび関東平野にトラフが存在し、関東平野、特に都市部では気圧傾度が緩やかである。このことから、関東平野が気圧の谷になり、風が収束しやすい気象条件の時に、ヒートアイランド現象が顕著となり、それに伴い都心周辺で周囲より低い気圧が生じることが示唆される。
  • ナミビア北中部におけるウシ放牧のGPS解析
    手代木 功基, 内田 諭, 真常 仁志, 田中 樹
    セッションID: 620
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    2014/15年の南部アフリカにおける少雨は,同地域に深刻な干ばつをもたらした.この干ばつにより多くの地域で農業被害が報告されている.干ばつが生業牧畜における放牧の動態にいかなる影響を与えるかに関しては,断片的な記述は蓄積されているものの,定量的な解析が十分に行われてきたとは言いがたい. 本発表は,ナミビア北中部におけるウシ放牧の長期間の位置情報をもとに,今年度発生した干ばつによって,放牧場所がどのように変化したかを検討することを目的とする.

    方法
    調査地はナミビア共和国北中部のオシコト県,オムシヤ地域にあるオナカシノ村である.降水量は年変動が大きく,近郊に設置した雨量計によると2012/13年の雨季は年降水量が390mm,2013/14年の雨季は449mmであったのに対して,今年度は169mmであった.対象地域には農耕をしながら家畜を飼養する農牧民オヴァンボが居住しており,多くの世帯がウシを飼養している. GPS首輪(VECTRONIC Aerospace社製)を対象世帯のウシ一頭に取り付け,休息する夜間を除いた時間に10分間隔で位置情報を取得した.そしてエラー値を除去したデータを,GISおよび統計解析ソフトを用いて解析した.利用したデータは13年5月1日から15年10月31日までのものであり,5月から10月を乾季,11月から翌年4月までを雨季と便宜的に区分した.また,期間中に土地利用や家畜管理等に関する現地調査を複数回実施した.

    結果と考察
    ウシの日別移動距離の平均は8.2kmで,季節によって距離の長短が異なっていた.すなわち,耕作地に作物が植えられている雨季は一日の移動距離が増大する一方で,耕作地で放牧することが多い乾季は移動距離が短いという傾向がみられた.土地利用との関係も上記と対応しており,雨季には共有放牧地を利用する傾向が高かった.一方で乾季には世帯敷地内,もしくは他世帯の私有地において刈り跡放牧を行う割合が高かった. 乾季の平常年と干ばつ年の差を検討すると,放牧距離は干ばつ年に増大する傾向がみられた.土地利用との関係をみると,13年と14年の乾季(平常年)は,私有地の利用割合が放牧場所の80-90%を占めていた.一方で,15年の干ばつ年には私有地の利用は45%程度と少なかった.そして共有放牧地の利用が40%以上と高くなっていた. これらの結果から,干ばつ年には村内の私有地における農作物の残渣や雑草といった採食資源が早期に枯渇し,それにともなって放牧場所が共有放牧地に移ると考えられる.放牧場所が早期に私有地から共有地に移動することは,その後の共有放牧地における採食資源量の減少につながるばかりでなく,耕作地への糞尿の投入量の大幅な減少につながり,耕作地の栄養状態を悪化させる.したがって,干ばつは,家畜の頭数や糞尿の散布場所の変化を通じて,農業生産へ長期的な悪影響も有することが示唆された.
  • 芝田 篤紀
    セッションID: 621
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    アフリカにおける自然保護政策は,1980年代に入り大きな変革期を迎えた.それは,手付かずの自然を護る「原生自然保護」から,地域住民主体で自然を護ろうとする「住民参加型保全」への転換である.この時代の流れの中で,「住民参加型保全」の評価や地域住民への影響の解明が活発に試みられてきた.しかし,“「住民参加型保全」により保護された自然環境の実態”を議論するためには,保護される自然と地域住民の生活との有機的な関係を解明する必要がある.本発表では,ナミビア共和国北東部のブワブワタ(Bwabwata)国立公園で暮らすクエ(Khwe)の生業活動が,周辺自然環境,特に地形と植生においてどのような影響と役割があるのかを検討する.
    現地調査により,国立公園のなかで行われる生業活動と周辺自然環境の関係が明らかになった.それは,採集・伐採活動が周辺植生に与える影響,周辺環境における野焼きの意味,農地の開墾位置と地形の関係である.また,公園内の自然環境について,空間や景観に着目した調査からその状態が明らかになった.それは,対象地域に特有の旧流路地帯の地形と植生の関係,国立公園内に設置された多角的利用区域と管理区域における植生構造の差異,人口規模と開村年が大きく違う村落における有用樹種の分布の偏りである.そして,生活空間が国立公園になったことによる住民生活の変化や,地域住民による立ち入りが禁止された区域(管理区域)の設定によって生じた生業活動の葛藤事例も確認された.
    調査結果から,国立公園制定にともなう区域の設定と,地域住民の生業である採集・伐採活動は,植生の空間的な差異を生んでいることが推察された.また,有用樹種の分布の偏りは,採集・伐採活動や栽植の影響を受けていることが考察された.農業における農地の開墾位置からは,旧流路地帯の自然条件に基づく開墾や耕作になっていることが考えられ,野焼きは,健全な植生を維持するといった自然管理につながっていることが検討された.
    以上から,1)国立公園に暮らすクエの採集・伐採活動や農業,野焼きなどの生業活動は,周辺植生に大きな影響を及ぼし国立公園の景観を形成していること,2)しかしながら,自然環境についての深い知識と認識に基づく生業活動は,国立公園の自然保護や管理の役割を担う一面もあることが示唆された. 
  • 2001年国勢調査の就業者データからの把握
    鍬塚 賢太郎, 陳 林
    セッションID: P065
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究の目的は,インドの2001年国勢調査の就業者(B Series, General Economic Tables)に関するディストリクト・レベル(593県)の集計データを用いて,産業集積地の全国的な分布状況を把握する。これを通じて,2000年代初頭のインドの空間構造の一断面を明らかにする。分析にあたっては,インド標準産業分類(NIC)の2桁(60業種)および3桁(158業種)のデータを用いる。
  • 大内 俊二
    セッションID: 809
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    これまでに行ってきた地形発達実験の中から、実験地形のサイズ、隆起速度、堆積域の幅、透水性、などがほぼ同一で降雨量の異なる2つのrun (runs 26 and 27)をとりあげ、降水量の違いが実験地形の発達に与える影響について考察する。

    1.実験設定
    可動式の底板をもつステンレス製のコンテナ(大きさ約60×60×40cm)に細砂とカオリナイトの混合物(重量比10:1)を詰めて突き固め、底板の下に設置した隆起装置によってゆっくり隆起させると同時に霧状の人工降雨によって侵食を起こす。

    2.実験経過
    run26、27ともに実験開始後しばらくは始原面が隆起によって上昇し、流水による侵食が60×60cmの隆起域の周りに細かい溝を発達させていく。この間、隆起域の平均高度はほぼ隆起分だけ上昇する。run27では40時間ころから、run26では80時間ころから表面流による谷の発達(ごく小規模な斜面崩壊を伴う)が明瞭になり、平均高度の上昇が隆起より小さくなっていく。この時間差は表面流による侵食がrun27の方が侵食が大きいことを示している。これ以降、run26では峡谷状の谷の発達が顕著であるのに対し、run27では比較的浅く幅の広い谷が発達する。これも、明らかに雨量の違いに起因する表面流侵食量の違いであろう。run26、27とも隆起域の最低点と最高点の比高が約60mmを越えるようになる160時間以降には、斜面崩壊が多く発生するようになり、斜面崩壊によって生産された物質を水流が域外に搬出するプロセスで侵食が進む。侵食速度はしだいに大きくなり、侵食による低下が隆起による上昇をかなり減少させるようになる。この間、谷(水系)の発達は継続し、run26では400時間、run27では130時間、には始原面の痕跡もなくなる。このころになると水路はほぼ安定し、斜面崩壊によって生産された物質を隆起域外に搬出する働きが中心となる。また、これ以降は比較的大規模な斜面崩壊が頻発するようになり、地形変化の多くはこのような大規模斜面崩壊が中心となる。大規模斜面崩壊は周期的に集中して起こる傾向見せ、隆起域全体の地形は大規模崩壊による低下と隆起による上昇を繰り返すようになる。平均高度はほぼ一定の値の周りをある範囲で上下する。平均高度は崩壊による物質が域外に搬出されない限り低下しないので、平均高度の上下は見た目より小さい。この状態を隆起と侵食の“平衡状態”と考えることも可能であろう。ただし、この“平衡状態”においては大規模崩壊による地形変化が顕著で、地形的“平衡状態”と言えるかどうかについては疑問が残る。この時の平均高度は降雨量の少ないrun26では約80mm、降雨量の多いrun27では約46mmであった。

    3.考察と今後の課題
    2つのrunを比較すると、降雨量の少ないrun26の方が”平衡状態”に至るまでの侵食量が少なく、結果として“平衡状態”における山体高度も大きく(つまり流路勾配も大きく)なった。流水による侵食・運搬作用が山地の高度や険しさを基本的に決定していると考えられそうである。また、run26では明らかな峡谷の発達が見られたが、これはrun26で主要な谷に集中する水流の侵食のみが隆起による上昇を上回っていたことを意味する。降水量(あるいは表面流)の比較的少ない地域で峡谷が発達しやすいことを物語っているのではないだろうか。また、大規模な斜面崩壊が周期的に集中して起こる傾向を見せたが、この集中がどのようなメカニズムで起こるかを解明することは今後の重要な課題の一つである。
  • 甲斐 智大
    セッションID: 516
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに 2000年に認可保育所の設置主体制限が撤廃されて以降、これまで地域内に認可保育所を展開してきた社会福祉法人に加えて、新たに株式会社法人の認可保育所の経営が可能となった。とくに2000年代後半以降、社会福祉法人に加えて、株式会社の経営する認可保育所の数は急増している。ところが、認可保育所の整備が進む現在においても、首都圏では多数の待機児童が発生しており、保育施設の拡充が重要な政策課題となっている。そうしたなか、久木元他(2013)では、認可外保育所の供給の格差に地域差が見られることが明らかにされている。しかし、保育サービスの質を維持する点から、最も認可基準が厳しい認可保育所によって、地域内の保育ニーズが満たされることが理想的とされており、認可保育所の立地展開に関する研究が求められている。そこで、本報告では認可保育所のさらなる整備が求められている東京都を事例に、各経営体の新規園の開設プロセスと、それに規定される認可保育所の立地展開を明らかにする。 2.保育施設の新規園開設理由 社会福祉法人に対する聞き取り調査の結果、社会福祉法人は五つの理由から、新規園を開設していることがわかった。一つ目に、新規参入が可能となった株式会社法人の参入への対抗を理由としている法人が見られた。二つ目に、年功序列型賃金制を維持している社会福祉法人においては、運営費に占める人件費比率が高騰する傾向があり、それに対する対応策として、若手職員を採用することで人件費を抑制するために新規園を開設している法人が見られた。三つめに、地域内で住民や自治体と信頼関係を築いてきた社会福祉法人は地域内からの要望によって新規園を開設している法人もみられた。四つめに、認可の獲得や、入所対象年齢を拡大させることを目的に新規園を開設している事例も見られた。また、5つ目に、他県から参入した法人や規模の大きな法人においては、自法人の保育を広めることを目的に新規園を開設していた。 他方、株式会社法人では、1施設から得られる収益は限られているため、新規園を開設することによって法人の経営基盤の安定化をはかる事例が見られた。また、保育施設から得られる収益は限られているため、教材開発や人材派遣、セントラルキッチンの運営企業など、保育に関する関連企業を立ち上げている事例もみられ、そうした関連企業の収益の拡大のために新規園を開設している事例もみられた。 3.認可保育所の立地展開 上記のような理由で、各経営体は新規園の開設を行っている。そこで、各園の新規園の開設場所の特徴をみると、社会福祉法人では保育士を転勤させることを前提に施設を開設している。また地域内の要望の影響も大きいため、元々立地していた施設の周辺地域に新規園を開設させている。他方、株式会社法人は、全国から人材を集めており、不動産業や鉄道事業から保育業界に新規参入した法人が多い。そのため、保育士の配置に制約が少なく、本業との兼ね合いの中で利便性の高い地域での立地を目的として自治体間での補助金の違いを考慮しながら、保育ニーズが拡大している、都心中心地域で多くの新規園を開設している。  ところが、株式会社では保育士の確保が社会福祉法人と比較して困難な状況となっており、現在の保育サービス供給体制では、将来的に保育ニーズに合わせた認可保育所の整備が行われなくなるリスクを抱えていると考えられた。
  • ミャンガン オルギルボルド, 川東 正幸
    セッションID: 1003
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    セレンゲ河はバイカル湖への最大の流入河川であり、60%以上の流入水を供給している。源流はモンゴル北部のハンガイ山脈にあり、同国北部地域を北上し、モンゴル・ロシア国境を越えて、ロシア連邦ブリヤート共和国の首都ウランウデを経てバイカル湖に流入する。河口には広大なセレンゲデルタが形成されており、デルタ内の無数の小河川を通じて上流からの懸濁粒子が堆積している。セレンゲデルタの河口付近は湿地になっており、人為的な土地利用は無く、上流に向かって粗放的な放牧と耕作地としての利用がある。さらに上流域には大規模に機械化された農地利用があり、ウランウデより上流では農地利用のほか、露天掘りの炭鉱や発電所が集水域における大規模な土地利用となっている。モンゴル領内では農地での機械化や鉱工業の影響によるセレンゲ河水系への負荷が報告されており、下流に位置するロシア側の土地利用と合わせてバイカル湖水質への影響が懸念されている。しかしながら、バイカル湖水質では顕著な汚染は報告されておらず、セレンゲ河水系での汚染物質の除去や遅延機構の存在が考えられた。すなわち、汚染物質のキャリアとなる粒子がpH、塩濃度、温度、流速などの河川環境の変化に伴って沈降や分散の過程を経て水系からの除去または希釈される過程の存在を仮定できる。それらの河川環境の変化に伴う汚染物質動態の把握は将来さらに進行する土地開発に対する許容量の推定に有効である。そこで、本研究では、バイカル湖に至るセレンゲ河流域内で河川中の元素濃度の分布を把握し、土地利用や河川ネットワークに応じた元素の動態・消長を検討することを目的とした。
  • 上杉 昌也, 矢野 桂司
    セッションID: P059
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    I 研究の目的  個人の交通行動と個人・地域特性との関連についてはこれまで多くの研究がおこなわれてきたが,地区の社会的環境の影響に関する知見は混在しており(Kim & Wang 2015; McNeill et al. 2006),とりわけ日本においては十分な分析はなされていない.ここで居住者の社会経済的特性に基づく地区レベルの社会的環境を把握するためにジオデモグラフィクス(Harris et al. 2005)が有効であると考えられるが,その適用可能性についても検討の余地がある.本研究では日常的な移動機会である通勤および私事活動(買物・通院)に着目し,これらに影響を与えるとされる個人属性,建造環境を含む地域特性,社会的環境の役割について明らかにする. II データと方法  京都府全域を対象地域とし,個人レベルの交通行動を把握する資料として第5回近畿圏パーソントリップ調査(2010年)データを用いた.本データにより,京都府居住者の平日トリップに関する情報(代表交通手段,移動目的,発着地,トリップ長等)や個人属性(性別,年齢,職業等)が得られる.  社会的環境に関しては,ジオデモグラフィクスとしてエクスペリアンジャパン社のExperian Mosaic Japan 2010を利用した.本データは2010年国勢調査や購買行動データ,年収階級別世帯数等の情報を地区単位でクラスタリングしたものであり,居住者は居住地の郵便番号ゾーンに基づいて大分類のMosaic group (A~N: 14分類) の居住地特性が付与される.  さらに建造環境を含むその他の地域特性をコントロールするため,個人の行動に影響を与えると考えられる以下の変数を用意した.すなわち,人口密度,公共交通サービス水準(最寄駅までの距離,最寄バス停までの距離),地形(平均傾斜),土地利用(建物用地割合),施設立地(商業施設や医療施設までの距離・密度)である.これらの変数は国土数値情報(国土交通省)やテレポイントデータ(㈱ゼンリン)を用いて整備された.  これらを説明変数とし,移動目的別に交通手段選択や移動距離を目的関数としたロジスティック回帰分析および重回帰分析を行った.個人や施設立地等の地域特性を統制したうえで,社会的環境を表す社会地区変数が交通行動に有意な影響を及ぼすかどうか,また交通行動と建造環境との関係が社会地区類型によって変化するかどうかを確認した. IV 分析結果  多変量解析の結果,本研究で検証したいずれの移動目的(通勤,買物,通院)においても,従来の研究と同様に個人や地域の特性は交通行動に影響を与えていることが確認されたが,これらとは独立にジオデモグラフィクスで類型化される居住者特性による効果も明らかになった.例えば特徴的な点として,買物や通院目的では,地区類型N (大都市に住む低所得層)の居住者はそれ以外に比べて徒歩を選択する傾向が強く,自動車を選択する傾向が弱い.これは特に買物目的で顕著である.また地区類型J (農林漁業を営む家族),K (地方都市の共働き世帯),L (過疎地の高齢者)では,その他の様々な個人・地域要因を考慮しても,私事目的に自動車を選択する傾向が強い.一方,地区類型B (高級住宅地のエグゼクティブ),C (都市周辺部の豊かな中高年),D (郊外住まいの若い家族)など相対的に社会階層の高い地区では,公共交通を選択する傾向が強い.これらの結果の背景には,公共交通の近接性だけでは把握できない運行状況等のサービスレベルや,自家用車の所有しやすさなど居住地区間の差異を反映していると考えられる. 通勤行動に関しても,個人属性や地域特性に有意な違いがみられる一方で,地区類型N (大都市に住む低所得層)の居住者は自動車よりも公共交通を選択しやすいなど,特徴的な社会地区類型の影響も確認された.さらに職業階層別の分析では,ホワイトカラー従業者の方がブルーカラー従業者よりも社会的環境の影響を受けやすいなど,個人属性と社会的環境の相互作用的な効果についても示された.本研究では,同様に移動距離についても分析し,社会地区類型の効果について考察する.
  • 雇用加重平均距離を用いた東京大都市圏の分析
    磯田 弦
    セッションID: 201
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    多核心都市をさながら単核心都市のように分析できるように、雇用加重平均距離という指標を考案した。本研究は、この指標を用いて東京大都市圏を分析し、この指標の有用性を検討する。
  • 董 喆, 高柳 長直
    セッションID: 619
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ.研究背景と目的

    日本では,「攻めの農林水産業」政策の一つとして,農産物や食品の積極的な輸出振興を図っている。輸出を拡大していくためには,食べ方としての日本食を外国に提案していくことが,重要な戦略として考えられる。日本食に欠かせないアイテムの一つが醤油である。しかしながら,近年,少子・高齢化、食の洋風化などの影響によって国内の醤油消費量は減少傾向をみせている。日本の醤油メーカーには海外市場の開拓が求められている。

    海外市場として最も有望なのが中国である。日本の食品メーカーや小売業などは,こぞって中国に進出してきた。しかしながら,多くの課題もみられ,中国をターゲットとする,日本の農産物・食品の流通や販売に関する研究で明らかにされてきた。2000年代では,日本企業が中国進出する際の物流面や販売面での課題が指摘されてきた(依田,2004)。(下渡,2004)(成田,2010)は日本食品の中国市場での販売について,マーケティングの重要性が明らかにされてきた。一方,経済はグローバル化しているが,市場は必ずしも世界で一つではない。ローカルな市場にはそれぞれコンテキストが存在し,それを踏まえたマーケティングを行う必要がある(川端,2006)。日本国内での成功経験が必ずしも外国で生かされるとは限らず,むしろそれにとらわれて,外国の市場から撤退を余儀なくされる企業は少なくない。

    そこで,本報告では販売される商品に着目し,実際にどのような商品が中国市場で受容され、流通しているのかということについて,日本醤油を事例に明らかにすることを目的とする。

    Ⅱ.調査対象と調査方法

    調査対象のAスーパーは2010年に北京にオープンした日本の最大手小売業の食品スーパーである。Aスーパーは北京市内日系小売店の中で日本からの輸入食品の販売量が最も多いところである。

    調査方法は2013年3月、2014年5月と2015年2月にヒアリング調査とデータの収集を実施した。そこにおいて,2010年から2015年にかけての日本醤油の売り上げデータの個票と卸売業者のリストを入手した。日本醤油の販売品目、販売額と販売量を集計して分析を行った。中国の消費者の嗜好を明らかにすることは,日本の食品企業が中国市場に進出する上で重要な足がかりとなる。

    なお,本報告で用いる日本醤油とは,日本企業のブランドを冠した日本風味の醤油で,製造場所は日本国内および外国の両者を含むものとする。

    Ⅲ.結果と考察

    中国市場における日本醤油の販売状況について以下の点を解明した。

    まず,小瓶商品の販売量と品目数は大瓶より多い,刺身用が最も好調とみられる。次に,大瓶商品はPB商品の売上が多いという特徴がみられた。また,売れている商品はナショナルブランドというよりは「丸天」と「盛田」といったローカルメーカーのブランドである。「盛田」の中国工場で生産した商品も同じく中国の消費者に「日本商品」として認められる。

    前述の様な実態であるからこそ,日本の商品は中国の商品と差別化を強調し,「日本商品」であることはアピールしながら,価格の値頃感を出したことが,ヒット商品につながったと考えられる。
  • 阿部 日向子, 池上 文香, 小寺 浩二, 濱 侃
    セッションID: P007
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    日本には数多くの島嶼が存在し、各々特有の環境や文化を有している。しかし離島においては水資源が限られているため水環境に関する研究は重要であり、現在離島における水文研究が各地で行われている。例えば東シナ海の離島西表島では大陸由来の酸性降下物の影響を受けており、河川水の酸衝能が低いことが報告されている。(高島ほか2007)また太平洋の伊豆・小笠原諸島については、沿岸域の富栄養化の進行及び富栄養地下水の流出低下が観測されている。(野原ほか2009)しかしその一方で玄界灘の島嶼に関する水環境や水質に関する文献は未だ少ない。そこで本研究では、玄界灘に位置する壱岐島の水環境を明らかにした上でそこに存在する課題を探ることを目的とする。
  • 小寺 浩二, 浅見 和希, 斉藤 圭, 濱 侃
    セッションID: 1006
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ はじめに 長野県と岐阜県の境に位置する御嶽山が、2014年9月27日午前11時53分頃、35年ぶりに水蒸気爆発噴火した。戦後最悪の被害を出した今回の噴火では、発生した火山噴出物が山頂付近の湖沼や周辺河川に入り込み、周辺水環境への影響が考えられる。そこで、噴火による水環境の変化を確かめるために、当研究室では御嶽山周辺の河川水質調査を月に1度の間隔で継続して行っている。  秋季大会においては2015年8月までの結果を報告したが、今回は、2014年10月~2015年11月のデータを中心に、2016年2月までの結果について報告する。 Ⅱ 研究方法 調査は月1回の間隔で、現地調査項目はAT, WT, pH, RpH, EC等である。また、王滝川にはデータロガーを設置し1時間おきに水位・水温・ECを記録中で、御岳湖への河川水流入地点では、ALECを用い多点で鉛直方向の水質測定を行い横断面図を作成している。2015年5月からは、山体を取り囲む12箇所で雨水を採取中で、採水したサンプルは、研究室にてTOC, 主要溶存成分の分析を行っている。 Ⅲ 結果と考察 1.  1979年噴火との比較 1979年噴火1月後の調査結果と今回の噴火1月後の結果を比較すると、降灰地域がほとんど同じであることも影響して、非常に似通った分布を示した。  2.  噴火直後~冬期積雪期 火山噴出物の影響を強く受けた濁川と濁川合流後の王滝川では、電気伝導度の値は次第に下がり、pHは上がって、1月末には安定した値を示した。しかし、御岳湖では、全循環期の影響をうけて湖水全体に濁水が広がり、放水の影響で下流でECが上がりpHが下がる現象が観測された。 3.  融雪期 融雪の影響は2月から現れ始め、4月末にピークに達した。基本的には、ECの値が下がり融雪による希釈傾向を示したが、pHでも同様の傾向を示したのは、火山噴出物というよりも融雪水の低pHが影響したものと考えられる。 4.  融雪期後~梅雨期 5月末には融雪の影響がほとんどなくなり、6月は梅雨の影響で、改めて火山噴出物の影響でECが上がり、pHが下がる地点が多かった。 5.  夏期~秋期 台風の影響で、堆積した火山灰が流出し周辺河川の水質に大きな影響を与えたが、10月末には安定した。11月には、地下水の性質が河川水の水質に大きな影響を与えている様子が観測された。   図1 EC変動(201410月~201511) 図2 pHの分布(2015年11月)と変動 Ⅳ おわりに 噴火後1年間の影響については、ほぼ把握できた。山頂域には、まだ火山灰の堆積があるため、2度目の雪解けの影響についても、精査していきたい。 参 考 文 献 小寺浩二・浅見和希・齋藤圭・濱侃(2015)・御嶽山噴火(140927)後の周辺水環境に関する研究(2), 日本地理学会2015年度秋季学術大会講演要旨集,   
  • 崎田 誠志郎
    セッションID: 726
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.目的 
    ギリシャは操業漁船数においてEU最多を誇る一方で,一隻当たり漁獲量はキプロスやマルタに次いで少なく,国内では小規模漁業を中心とした漁業構造が形成されている.しかし,直近の約20年で国内漁獲量は6割近く減少しており,近年の経済危機も相まって,小規模漁業の漁家経営は困難な状況に立たされている.こうした状況を反映してか,EU諸国の中でもギリシャは特にIUU(Illegal, Unreported, Unregulated)操業の横行が深刻とされている.
    ミクロかつローカルに営まれる小規模漁業に対する適切な漁業管理のあり方を考えていくためには,まず小規模漁業の実態を実証的に明らかにしたうえで,管理体制や規制内容との整合性を検討しなければならない.しかし,ギリシャの漁業統計は著しく断片的かつ信頼性が低いため,漁業実態は研究者自身による操業の直接観察から導く必要がある.そこで本調査では,ギリシャでも特に小規模漁業の盛んな一地域を事例として,直接観察を中心に小規模漁業の基本的な特徴と傾向の把握を試みた.発表では,漁業実態と規制内容との関係についても予察的に検討する.
    2.対象地域と手法
    カロニ湾は,エーゲ海北東部に位置するレスヴォス島の南部に形成された面積約112 km2の半閉鎖性内湾である.沿岸には8か所に漁港があり,いずれも湾内を主漁場として,網漁業を中心とした小規模漁業が盛んに営まれている.その中から本調査では,島内で登録漁船数が最も多いスカラカロニスを事例漁港に選定した.現地調査は2015年11月3日から11月21日にかけて,計19日間実施した.
    漁場利用の調査では,バルブニMullus surmuletusと呼ばれるヒメジ科の魚を主な漁獲対象とする冬季の刺網漁(以下,バルブニ漁)に着目した.現地調査では,協力の得られた漁船の操業に計12回同行し,ハンディGPSを用いて操業の航跡および活動内容・時間を記録した.また,12回中10回の操業について,揚網時および漁獲物の選別時に,漁獲物の魚種,尾数,サンプルの体長・重量,漁獲物の用途,販売高を集計した.
    漁家経営を把握するにあたっては,質問票調査を実施した.対象は集落としてのスカラカロニスに住居を有する漁家とし,全世帯(56世帯)から回答を得た.
    3.結果と考察
    バルブニ漁の操業において,潮流や潮汐といった漁場の物理的環境は基本的に考慮されておらず,操業を空間的に制約するような規制も一部を除き存在しない.日々の操業漁場は,主に1) 前日までの漁獲実績,2) 他の漁業者からの情報,3) 漁場における他の漁船との操業調整にもとづいて決定されており,そのうえで,漁船はカロニ湾内を縦横に利用していた.ただし,日の出とともに活動を開始するバルブニの生態や仲買人の来港時間などが時間的制約として存在しており,この制約によって,操業可能な空間的範囲や網の数・長さの限界などもある程度規定されていた.結果的に,操業で用いられる網の長さは,EUの共通漁業政策(Common Fishery Policy, CFP)で定められた上限よりも2 km前後短いものが主流となっていた.
    バルブニ漁の総漁獲尾数に占めるバルブニの割合は約33 %で,バルブニの次に販売尾数の多いマリザSpicara smarisと合わせると全体の6割以上を占めていた.一方,総漁獲尾数に対する放棄尾数の割合は約12 %であったが,放棄の大半はスペインダイPagellus bogaraveoで占められており,非販売漁獲物はもっぱら自家消費や知人への分配に回されていた.こうしたことから,バルブニ漁において漁業資源は比較的無駄なく利用されているといえる.他方で,漁業者の間でバルブニ漁の漁獲・操業効率はさほど追求されていない様子もうかがわれた.設備投資に必要な資金の不足に加えて,選別にかかる時間と労力の増加を避けていることが理由として考えられる.
    カロニ湾で営まれる漁業はむろんバルブニ漁に限らないが,上述したバルブニ漁の小規模性は,漁家経営の零細性とも無関係ではないと考えられる.質問票の集計結果では,漁業収入が3万ユーロを上回る世帯は存在しないばかりか,6割以上の漁家は漁業収入が1万ユーロに満たなかった.
    個々の漁船におけるバルブニ漁の操業実態はCFPや国内法の規制を下回っていたことから,漁業規模の拡大や漁獲効率の向上を図る法的余地は存在する.しかし,バルブニ漁の小規模性は地域の生態・社会・経済的要因に規定されている側面が強く,漁家経営の改善には漁業者間の温度差もある.加えて,漁協役員や行政関係者からは,現状において,すでにカロニ湾ではバルブニなどの漁業資源が乱獲状態にあるという懸念がしばしば示された.
  • 北アルプス,六甲山地,阿武隈高地の比較
    八反地 剛, 松四 雄騎, 佐藤 昌人, 小口 千明, 松崎 浩之
    セッションID: P029
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    近年,宇宙線生成核種法の普及に伴い,多様な環境条件において花崗岩山地の削剥速度や岩盤の露出年代が明らかになってきた.Riebe et al., (2004)は宇宙線生成核種法を地球化学的物質収支法と組み合わせ,世界各地の花崗岩山地の化学的風化速度を推定した.地球化学的物質収支法では,平衡状態を仮定し,風化物と新鮮な岩石中の難溶性元素(ZrやTi)の濃度の割合から削剥速度に対する化学的風化速度の割合(CDF)を推定することができる.本研究では,この手法により,テクトニクス・気候条件の異なる3地域(北アルプス,六甲山地,阿武隈高地)における化学的風化速度を推定し,その支配要因について検討する. 調査対象地域は北アルプス芦間川流域(8小流域)・高瀬川流域(1小流域),六甲山地(4小流域),阿武隈高地(2小流域)である.いずれの小流域も黒雲母花崗岩を基盤岩としている.これらの小流域では宇宙線生成核種10Beによる削剥速度が測定されている(松四ほか,2014).各小流域において河川堆積物と新鮮な岩石を採取した.河川堆積物は0.063 mm,0.25 mm,2 mm,9.5 mmの篩を用いて細レキ,粗砂,細砂の3区分に分離した.分離された堆積物,新鮮な岩石をそれぞれ粉砕し,自動めのう乳鉢によって粉体にして,最後にそれらを加圧してペレットを作成した.各サンプルの主な化学組成および微量元素のZr,Tiの濃度を埼玉大学科学分析支援センターの波長分散型蛍光X線分析装置(Phillips PW2400)により測定した.なお,本研究ではTi濃度を物質収支法の計算に用いた. Riebe et al. (2004)らの結果とほぼ同様に,化学的風化速度は概ね削剥速度に比例して増加するが,削剥速度が1000 mm/kyr以上の領域で発散する傾向がある(図1).難溶性元素の濃縮率から求めたCDF(=風化速度/削剥速度)の値は,北アルプスでは0.02~0.40(平均0.19),六甲山地では0.12~0.33(平均0.22),阿武隈高地では0.43~0.67(平均0.55)であった.削剥速度の小さい阿武隈高地では,化学的風化の削剥に対する寄与が大きい.北アルプスの値のばらつきの要因には,次の2つの考え方がある. (1)標高の高い小流域では,物理風化の寄与が増大し,化学的風化速度が低下する. (2)削剥速度が大きな小流域では,物理的な侵食作用の寄与が増大する.
  • 高橋 健太郎, 大槻 涼, 小室 哲雄
    セッションID: P084
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1. 外邦図の整理
    明治期頃から第二次世界大戦終結までに日本が作製したアジア太平洋地域の地図は「外邦図」と呼ばれている。戦争や植民地経営のために作製された「帝国主義時代の産物」であるが,学界では,環境や景観の変動などを把握するための資料として価値が認められ,研究が進められている(小林編 2009)。
    駒澤大学には,多田文男教授(1966-1977年度:専任として在職)より寄贈されたものを中心として,多くの外邦図が所蔵されているが,長らく未整理のままであった。学界や他大学で外邦図の整理や研究が活性化したことに刺激を受け,2004年に大槻を発起人として有志の学部学生が「駒澤マップアーカイブズ」というグループ(いわゆる課外ゼミ)を組織し,駒澤大学地理学科・応用地理研究所などの支援を得て,外邦図の整理をはじめた。学生は,授業の合間や課外の時間を使ったり,大学休業期間中に合宿をして,所蔵外邦図を集計し目録を作成した。このように学生が中心となって作業を進めてきたことが,駒澤大学の取り組みの特徴である。この方法は,業者やアルバイトに依頼するのにくらべて作業速度は遅いが,学生が自主性を発揮でき,教育効果は高いと考えられる。現に,学生が自主的に企画して,駒澤大学禅文化歴史博物館にて2回(2008~2009年),オータムフェスティバル(学園祭)にて4回(2012~2015年),外邦図整理の活動成果を発表する展示会を開くことができた。

    2. 目録の作成
    約6年間の作業を経て,2011年3月に『駒澤大学所蔵外邦図目録』(以下,第1版目録)を発行した。この目録では,冊子版のみならず,CD-Rに収録したPDF版も発行したことが特徴である。これにより,目録の検索性を高めるとともに,より多くの研究者に配布できるようになった。
    第1版目録作成の作業を通して,駒澤大学が所蔵する外邦図(陸図のみ)は,図幅数・約8,000で,複数枚所蔵している地図があることから,総数は約9,500ということが確認できた。また,中国大陸や朝鮮半島の地図では,等高線などが着色されていたり書き込みがあるものが多数見つかった。これらは,多田文男が調査・研究に使用したものと考えられる。
    第1版目録発行後は,これまで同様に学生有志を中心として海図の整理を進めており,2015年度中に第2版目録を発行する予定である。この作業を通して,駒澤大学が所蔵する外邦図の海図は,図幅数,総数ともに約1,000ということが確認できた。海図では,入り江の拡大図など,一枚の紙に縮尺の異なる複数の地図が印刷されていることがある。第2版目録の特徴として,そのような拡大部分の図幅名や縮尺も網羅し掲載したことがあげられる。また,陸図も含めて,駒澤大学所蔵外邦図のうち他大学の所蔵が確認できないものを目録中に示した。これにより,今後,外邦図のデジタル化や補修,研究利用などを進める際に,どの地図を優先して作業すればよいかが確認できる。

    3. 今後の計画と課題
    今後の活動として,次の諸点を計画している。(1)さらに相当数の外邦図が本学図書館に確認され,それらの整理を進め,目録を補完する。(2)他大学の所蔵が確認できない地図から優先的にデジタル化を進める。(3)破損や劣化の著しい地図の補修や保管方法の検討。(4)外邦図の研究や教育での利用。特に多田文男の作業跡がある地図は,駒澤大学所蔵外邦図の大きな特徴なので,その利活用が課題である。

    本研究は,駒澤大学応用地理研究所の研究プロジェクトの成果の一部である。また,資料収集に際して,駒澤マップアーカイブズ参加学生から多大な協力を得た。

    参考文献:
    小林茂編 2009.『近代日本の地図作製とアジア太平洋地域─「外邦図」へのアプローチ─』大阪大学出版会.
    駒澤マップアーカイブズ編 2011.『駒澤大学所蔵外邦図目録』駒澤大学文学部地理学科・駒澤大学応用地理研究所.
  • 杉本 興運, 菊地 俊夫
    セッションID: 406
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    研究の背景と目的  世界の都市間競争が激化する中、MICEの誘致が都市の国際競争力を強化するための重要な施策としてみなされるようになった。MICEとは、Meeting(企業系会議)、Incentive(企業の報奨・研修旅行)、Convention/Congress(国際会議)、Exhibition /Event(展示会・イベントなど)といったビジネスイベントの総称である。MICEは人の集積や交流から派生する様々な価値を生み出すが、その主要な効果として、1)ビジネス・イノベーションの機会の創造、2)地域への大きな経済効果、3)国・都市の競争力向上が指摘されている(MICE国際競争力強化委員会2013)。なかでも、大規模かつ話題性の高い国際会議や展示会・イベントの誘致が、シティセールスという観点で都市政策やまちづくり事業で注目されている。 Convention分野に着目すると、東京の国際会議の開催件数は年々増加しており(図1)、UIA(Union of International Association)の2014年の国際会議統計によると、東京は228件の開催によって世界第6位となったが、シンガポール(850件、第1位)やブリュッセル(787件、第2位)といったさらに上位の競合都市との差は歴然としている。今後の東京のMICEのさらなる誘致力強化のためには、組織や人材面での対策に加え、MICEに適した空間基盤の構築やアフターコンベンションにおける観光ツアーのための地域連携強化といった空間面での対策が必要である。本研究では特に後者に着目し、東京におけるMICE空間基盤の特徴や都内の各地域のMICE施策としての環境整備の取り組みを調べ、その現状や課題を明らかにすることを目的とする。 MICE受入拠点の整備事業  MICEを受け入れるための空間基盤の条件として,会議・宿泊・商業・娯楽等に関する機能を有した施設が一定のエリア内へ集積していることが重要となる。海外の競合都市では、そうした機能を一体化させた大型複合施設を整備している(シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズなど)。東京にはそのような複合施設は存在しないため、代わりにMICE関連施設の集積している地域をビジネスイベント先進エリアとして指定し、MICE受入拠点の育成を支援している。具体的には、主体的にMICE受入体制の強化を図ろうとする地域に対して、提案事業への補助金交付や東京観光財団によるハンズオン支援を実施している。現在、大丸有地区、港区(六本木・赤坂・麻布エリア)、臨海副都心の3つの地域がビジネスイベント先進エリアとして指定され、地域独自の資源や空間を活かしたMICE関連事業を展開している。 研究方法 本研究では、上述した目的を達成するために、東京都へのMICE受入拠点育成事業や事例地域の各種取り組みに関するヒアリング調査を行った。また、補足調査として地理情報システムを使用したMICE関連施設の規模や立地の分析を行い、各地域のMICE空間基盤の特徴を比較した。
  • 若林 芳樹
    セッションID: S1101
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    日本地理学会「GISと社会研究グループ」では,参加型GIS(PGIS)を中心とした,GISと社会との接点で浮上した話題を検討してきた.このシンポジウムでは,PGISにとってのボランタリー地理情報(VGI)やオープンデータの役割,問題解決のためのジオデザインの方法論を中心にとりあげる.まず本発表では,主旨説明を兼ねて,Web2.0登場後のPGISの動きを振り返りながら,PGISをめぐる最近の議論を整理しておきたい.
    10年前にO’Reilly (2005)が提唱したWeb2.0という言葉は,もはや陳腐な表現になりつつあるが,その進化形に相当する動きはまだ現実化しておらず,むしろ最近のPGISをめぐる動きはWeb2.0の範疇にあるといってよい.様々な市民参加活動を地理空間技術によって支援する分野として1990年代から始まったPGISは,多様な主体による地理空間情報の共有や意思決定のツールとなってきた.もともとWeb2.0の特色の一つには,ユーザの参加による新たな価値の創造が位置づけられており,PGISとも親和性が高かったといえる.その結果,Google Maps/Earthなどを用いてユーザが作成した情報をWeb上で共有するGeoWebの利用が活発化した.さらに,利用・公開にあたって制約の多い既存の地図に代わって,ユーザが自由に作成・編集・利用できるwebマップとして,オープンストリートマップ(OSM)が登場した.現在では,これらをローカルな問題解決や情報共有に応用する取り組みが各地で取り組まれている.
    GISにとってWeb2.0による影響を強く受けたのは,おもにデータ収集・作成における不特定多数のユーザの参加であろう.こうした動きはクラウドソーシングという業務形態の一種であり,収集されたデータはVGIと呼ばれるようになった.この言葉が広まるきっかけとなったGoodchild(2007)論文では,WikimapiaやFlickrを用いた活動や市民科学への応用などが事例として挙げられていた.これに対してHarvey(2013)は,OSMのようなopt-inの情報と,ICタグやスマホの位置情報のようなopt-outの情報をCGI (Contributed
    geographic information)と呼んで区別し,倫理的・法的扱いがこれらの間で異なることを指摘している.また,VGIの実践がつねにPGISにつながるわけではない.
    OSMに参加するマッパーたちをTurner(2006)はネオジオグラファー(Neogeographer)と呼び,専門の地理学者とは異なる市民科学の担い手として位置づけた.ただし,VGIがデータの生産を目的とする活動であるのに対し,ネオジオグラファーは,その利活用にも関わるプロシューマという性格がある.またHaklay (2013)は,ネオジオグラファーが技術の道具主義的理解・応用をめざす点でPGISとは異なることを指摘している.
    ところで,地図はPGISにとって地理空間情報の視覚的表現手段の一つであり,必ずしも地図作成を目的とした活動ではないがVGIが地図の捉え方を大きく変えたことは間違いない.そうした変化の認識論的側面として,Dodge & Kitchin (2013)は次の4点を指摘している.(1)地図のオーサーシップ:不特定多数のユーザが参加したり,異なる地図をマッシュアップするといったWebマップの性格は,著作権の考え方にも見直しを迫るものである.(2)オントロジー(存在論):地図に示すべき地物の選択は,参加するマッパーの力関係にも影響を受ける.(3)局部性:地図作成の対象はユーザの必要に応じて選択され,地表全体をカバーすることはなく,永遠に未完成状態にとどまる.(4)制作の一過性:伝統的地図が想定するような静止した姿を描かない.ただし,これらを否定的に捉える必要はなく,むしろOSMは”自然の鏡”としての地図の虚構を明るみに出すきっかけをもたらしたといえる.
    2013年G8サミットの「オープンデータ憲章」以降,先進国ではオープンデータ化が進展しているが,これとVGIがあいまって,GIS普及のボトルネックとなっていたデータの利用環境が大幅に改善されてきた.しかしながら,PGISからみた場合,VGIには依然として,データの制作やアクセスの面で不平等な状況が残されているという.こうしたVGIをめぐる課題の背景には,専門家とアマチュア,トップダウンとボトムアップといった二項対立的見方があり,それを克服するための多元的で折衷的な解決を指向する立場も現れている.いずれにせよ,VGIをPGISがめざす現実の問題解決につなげるには,ジオデザインのような多様な主体を巻き込んだ意思決定のための方法論が必要になるであろう.
  • G-COEプログラムを事例として
    生方 史数, 渡辺 一生, 佐藤 孝宏, 木村 周平
    セッションID: 105
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    環境問題のような自然と社会の接合領域を扱う際に、自然科学者と人文社会系学者の協働が必要とされることがある。文理融合型の学際共同研究はその典型であり、これまで日本でも様々な研究が行われてきた。 にもかかわらず、このような学際共同研究において行われた交流を具体的に検証した研究は少ない。よって本研究では、あるG-COEプログラムを事例に、文理の枠を超えた様々な専門分野からなる研究者の交流を、その阻害要因に着目して検証した。
    研究対象としては、京都大学東南アジア研究所を主幹として2007-12年度に実施されたG-COEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」の研究班である「研究イニシアティブ3」をとりあげる。この班では、インドネシアにおける森林プランテーションと地域社会との関わりについて、遺伝子工学から文化人類学にいたる多様な専門分野からなる研究者が共同研究を行っていた。この班に直接・間接的に参加した研究者16名への聞き取りや私信と、プログラムの内部資料や研究成果物をもとに、研究者の交流の実態とその障壁に関する分析を行った。
    その結果、研究の進展に影響を与えたいくつかの交流の障壁が明らかになった。最も重要なものは、研究の「現場」における自然の社会政治的な構築や科学の政治性に関する見識である。工学系研究者が、協力者であるプランテーション企業との産学連携が現地に及ぼす潜在的な影響に概して無関心であったのに対して、人文社会系研究者はこの点に非常に敏感であった。この相違は、研究テーマの設定と調査地選定の過程でしばしば顕在化し、工学系、人文社会系双方の研究者の離脱と初期における研究の停滞を招いたのである。
    そのような中で、上記の見識をある程度共有した生態学者や、自らの研究姿勢に折り合いをつけた一部の人文社会系研究者が研究を継続した。調査地を決定し、両者の交流のもとに現地調査を行い、最終的に書籍の共同執筆にこぎつけた。ただし、この段階においても、交流が必ずしも円滑に進んだわけではないことが聞き取りから明らかになった。研究手法やデータの解釈、課題の優先順位や概念化の方法等に関して生態学者と人文社会系研究者の溝は埋まらず、結果として協働を部分的なものにしてしまっていた。
    以上の結果は、研究者が交流する上での第一歩として、研究の「現場」をイメージするための背景知識や感覚の共有が決定的に重要だったことを示している。なお、このことは、必ずしも上記の背景知識が共有できない研究者にとって交流が徒労におわったことを意味するわけではない。離脱した研究者の中には、交流によって上記の背景知識や「現場」感覚を深め、それが離脱後の研究姿勢に大きく影響を与えた例もみられた。このような交流の長期的な「教育効果」も、文理融合型の学際共同研究を評価する際の重要な要素として、今後検討していく必要がある。
  • 小荒井 衛
    セッションID: S0304
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ハザードマップについて、地理学(特に地形学)の立場からの理学的な視点と、地盤工学もしくは河川工学などの工学の立場からの視点があるが、大学において工学部の研究者と連携して仕事を行う機会が多い立場から、感じたことを自由に述べる。対象は、洪水ハザードマップ、地震ハザードマップ、土砂ハザードマップ、火山ハザードマップである。
  • 浅見 和希, 小寺 浩二, 齋藤 圭
    セッションID: 1002
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    日本には数多くの湖沼が存在しているが、その中には標高2,500m以上の森林限界を越えた場所に存在する、いわゆる高山湖沼がある。この高山湖沼は地球環境変化の影響をより受けやすいとされ、川上(1993)は乗鞍岳山頂湖沼群が酸性雨に対する緩衝能をほとんど持っていないことを明らかにしている。また、近年の登山客増加に伴う人為的な汚染も指摘されており、渡辺ほか(1980)は長野県内の高山湖沼の汚染の状況を調査している。高山湖沼が高山における生態系を形成する場であるとともに、貴重な研究フィールドでもあり、さらに地球環境の変化や人為的な影響を捉える指標となることから、高山湖沼の研究を行うことは重要である。 
    そこで、法政大学では、改めて、2013年から高山湖沼の水環境の研究に取り組み始めている。ここでは2013年から2015年に実施した高山湖沼、特に御嶽山頂の湖沼群の調査結果を中心に報告する。
  • 原田 一平, 堀内 雄太, 宮原 喜彦, 浅沼 市男, 原 慶太郎
    セッションID: P018
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    2011年3月11日の東日本大震災の地震や津波による農地への被害だけでなく、福島第一原子力発電所事故による風評被害や作付け制限により、非耕作地が拡大することが予想される。本研究は、福島県第一原発から半径40km圏内の警戒区域外(南相馬市)における非耕作地の実態を把握して、被災者の営農再開を支援することを目的とする。2014年8月24日から8月26日、2015年9月9日から9月11日の期間に、福島県南相馬市の非耕作農地で現地調査を行い、農地土壌のサンプル48地点を採取した。採取した農地土壌(48地点)の放射性物質濃度をLB-200(ベルトールド社)の放射線測定器で測定し、非耕作地における土壌の放射性物質濃度分布を作成した。稲の作付け制限に関する指標は、水田の土壌中放射性セシウム濃度の上限値が5000 Bq/kgとなっており、2014年時には福島第一原発から20 km圏内の東向き丘陵地急斜面で14038 Bq/kg,8188 Bq/kg,6849 Bq/kgと高濃度の農地土壌放射性物質が検出された。2012年と2013年の調査で5000 Bq/kgを超える農地土壌の放射性物質濃度が検出された地域の多くは、2014年8月から除染活動が活発化したため、2014 年の調査時には多くの農地土壌の放射性物質濃度は減少し、1000 Bq/kg以下の農地土壌の放射性物質濃度が検出されていることを把握した。また、2014年8月から農地の除染事業が活発化したが、2015年時には福島第一原発から20 km圏内の東向き丘陵地急斜面で10173 Bq/kg、8179 Bq/kg、5840 Bq/kgと現在も高濃度の農地土壌放射性物質が検出された。南相馬市では、2014年より本格的なコメの作付けが再開されたが、営農再開した作付面積は震災前のわずか2 %にとどまり、2015年度の作付面積は震災前の約10 %である。その原因は、2013年に終了予定だった除染作業計画期間が延長されたことや福島第一原発事故の休作賠償によるもので、今後も現地での状況把握が必要である。
  • 防災科研クライシスレスポンスWebサイトの取り組み
    内山 庄一郎, 堀田 弥生, 折中 新, 半田 信之, 田口 仁, 鈴木 比奈子, 臼田 裕一郎
    セッションID: P017
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    クライシスレスポンスWebサイトの目指すところは、自然災害発生時における、あらゆる災害情報の自動アーカイブと、これらのオンデマンドな災害情報・災害資料の提供である。しかしながら、技術的にも著作権的にも多数の課題があることは自明である。そこで、現在は多様で広範、かつ動きの早い災害情報のアーカイブに関する実証実験として実施している。具体的には、1)迅速対応の実践として、災害発生後ゼロ日以内に第一報を提供すること。また発災からしばらくの期間、継続的に更新を行うこと、2)情報の整理として、災害発生直後から泡のように現れては消えてゆく災害情報の検索と整理を行い、3)情報の提供として、それら災害情報への簡便な一元的アクセスの提供を目指している。並行して4)これらをドライブするシステム開発を推進している。
  • -岩種組成と粒子形状の変化に注目して-
    宇津川 喬子, 白井 正明
    セッションID: 811
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    I はじめに
    河川の砂礫は運搬される過程で破砕・摩耗し,粒径を減ずるとともに新たな粒子を生産している.この「生産作用」は「分級作用」と共に,上流から下流にかけて細粒化傾向を示す砂礫の分布に寄与すると考えられているが,両作用の卓越条件等はまだ明らかとなっていない.本研究では生産作用のはたらきに焦点をあて,『礫』および礫から生産されているであろう『砂』両者を分析対象として幅広い粒度でその特徴を調べた.具体的には,岩質(硬度差)と粒径を揃え,岩種組成(量比)および粒子の形状(円磨度)の下流方向への変化に注目した.  

    II 研究手法
    足尾山地を水源とし,河川・地質条件の似た渡良瀬川の2支流(桐生川・秋山川)において,それぞれ上流側・下流側の2地点を設定し,中礫~粗粒砂(64~0.5 mm)の岩種組成および円磨度を粒度ごとに調べた.野外調査は増水の影響をより受けやすい礫洲の水際で実施した.調査I(岩種組成)では,1 m×1 m の区画内で無作為に抽出した70~100個の中礫(4~64 mm)を,調査II(円磨度)では,2 m×5 m の区画内で無作為に抽出したチャートおよび頁岩各100個の中礫を調べた.また,両調査で表面礫下から採取した細粒分を洗浄・有機物処理した後,細礫(2~4 mm)・極粗粒砂(1~2 mm)・粗粒砂(0.5~1 mm)に篩い分け,首都大学東京地理学教室が所有するデジタルマイクロスコープを用いて各粒度で岩種組成(200粒)と円磨度(チャート・頁岩各100粒)を調べた.円磨度の測定はどの粒度でもKrumbein(1941)の印象図を用い,岩種別・粒度ごとに平均値を算出した.また,上・下流地点間での平均値差についてt検定を行ない,有意差の有無から,粒子が「下流方向に角張る/丸くなる」または「変化しない」のかを判断した.  

    III 結果・考察
    比較的硬いチャートと軟らかい頁岩の量比(ch/sh)および円磨度の変化から,「礫の破砕→新しい粒子の生産」を捉えた. 中礫;チャート礫の供給がないにもかかわらず,ch/shが下流方向に増えていることから,頁岩礫は運搬過程で壊れていると考えられる.チャート礫も摩耗作用によって粒子が生産されている.細礫;ch/shが増加し,かつ角張ったチャート・頁岩粒子が増えていることから,中礫同様に生産作用が活発にはたらく粒径と考えられる.極粗粒砂;ch/shは増加するが細礫ほどの変化量はない.頁岩は下流方向に丸くなり,チャートも角張った粒子が多い一方で,破砕作用を受けたであろう粒子が少ないなど,摩耗作用が卓越し始める傾向が見られた.粗粒砂;ch/shが変化せず,チャート・頁岩どちらも下流へ丸くなることから,破砕作用よりも摩耗作用が卓越する粒度と考えられる. 加えて0.5~2 mmの粒子は破砕作用のはたらきが弱くなることから,分級作用が卓越し始める粒径である可能性がある.  

    文献 Krumbein, K. C. 1941. Jour. Sed. Pet. 11 : 64–72.
  • 大畑 雅彦
    セッションID: 823
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1. はじめに
    能登半島は周囲を複数段の海成段丘に縁取られ,更新世中期以降隆起の卓越する地域として知られている(太田・平川,1979).近年の沿岸海域の調査では,半島北西岸の海底に南東傾斜の活断層が推定され(井上・岡村,2010),富山湾側の海底にも北傾斜の活断層が推定されているが(東京大学地震研究所,2014),完新世の隆起については十分に解明されていない.本研究では,これら海底活断層に面する能登半島北部を対象地域として,完新世海成段丘の旧汀線高度分布を明らかにし,完新世の地殻変動の様式を考察する.
    2. 研究手法
    空中写真判読と露頭観察・簡易掘削調査により完新世海成段丘面の発達を調べた.斜面測量器およびレーザー距離計を用いて旧汀線アングルの高度を測量した.また段丘構成層中の炭化物の14C年代測定を行い,隆起の時期を推定した.
    3.
    結果
    [旧汀線高度分布]
    被覆層が発達する海成段丘面を上位よりL1面(平均海面高約6~10 m),L2面(約4~6 m),L3面(約2~4 m)に分類した.L2・L3面は発達が断片的ながら連続性が確認でき,両面が発達する地点も多い.L2面の旧汀線高度分布は,日本海側では半島北西部で最も高度が高く,富山湾側では南東岸の中央部で最も高度が高い傾向がある.L3面は日本海側・富山湾側とも北東部で最も高度が高く,南西方に向かって高度を下げる傾向がある.
    14C年代測定結果]
    遠嶋山に発達するL2面と新崎のL面の露頭では,いずれも波食された基盤岩上に層厚1 m以下の扁平な円礫からなる段丘構成層が分布する.構成層下部中の炭化物の14C年代測定を行った結果,遠嶋山では4821-4957 cal BP,新崎では471-536 cal BPの年代値が得られた.また上野のL3面でハンドオーガーによる掘削を行い,貝殻小片混じりの粗粒砂からなる段丘構成層が認められた.この構成層最上部10 cm中に含まれる複数個の微小な炭化物を一括で14C年代測定した結果,798-964 cal BPの年代値が得られた.
    4.
    考察
    L2・L3面の旧汀線高度の分布から,日本海側の地域は北西上がりの傾動を示し,富山湾側は南東上がりの傾動を示す.よって半島沿岸の両海域に隆起の軸があり,陸域にNE-SW方向の向斜側のヒンジが存在すると考えられる.また,L3面は北東部に旧汀線高度のピークを持つ一方,L2面は広範囲に分布することから,L2面には北東部と南西部にそれぞれピークを持つ隆起が累積すると考えられる.ただし,太田・平川(1979)が示した更新世海成段丘と本研究で明らかとなった完新世海成段丘の旧汀線高度分布を比較すると,両時間スケールにおいて一様な様式で隆起が累積してきたとは考えづらい.14C年代測定結果から,新崎のL面は距離の離れた遠嶋山のL2面および上野のL3面と異なる時期に隆起した可能性があることを踏まえると,今後はより小地域ごとの固有の隆起を検討する必要がある.
  • 北村 繁
    セッションID: P055
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    中米・エルサルバドル南部海岸平野にみられるラグーン(ヒキリスコ潟)内のマングローブ林の変遷とヒキリスコ潟を閉塞する現在の沿岸砂州(サン・フアン・デル・ゴソ半島)の形成年代を、ハンドオーガーで採取したマングローブ林下の有機質泥質堆積物の放射性炭素年代から考察する。既存の研究より、現在の砂州は3~6世紀に生じたイロパンゴカルデラの巨大噴火以降に形成され、それ以前は現在ラグーン内にある小島列の付近に砂州があったことが明らかになっているが、こうした地形変化やそれをもたらした環境の変化が、マングローブとこの地域の社会にどのような影響を与えたかを示唆するデータを提示する。
  • 小山 真人, 鈴木 雄介
    セッションID: S0403
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.ジオパークと防災
    ジオパークの運営組織である推進協議会の構成メンバーには防災関連セクションを備えた自治体や公共機関が入り、協議会に常駐する研究員やジオパークをサポートする外部専門家も防災関連分野の知識・経験をもつことが多い。つまり、ジオパーク推進協議会は、地域防災に対するアドバイザー的な役割を担い得る存在である。
    一方、ジオパークで養成されるジオガイドは、自然現象(自然災害を含む)に関する専門知識が豊富な上に、屋外での不測の事態への対処スキルや、科学的知識を人に伝える技術にたけた人々であり、地域の防災リーダーとしても活躍できる素養を備えた人材と言える。
    さらに、地元のジオパークと連携した学校教育は、地域特有の自然現象や災害についても扱うことから、防災教育としての一面を備えている。こうした教育を地域で展開することによって、災害に強い人材が数多く社会に輩出され、地域の防災力を高める効果が期待できる。

      2.地域防災計画と伊豆半島ジオパーク
    こうしたジオパークのもつ地域防災への多面的な効能に関する認識が広まった結果、静岡県地域防災計画(火山災害対策の巻)には、2012年度の改訂で「伊豆半島ジオパーク推進協議会と連携し、観光客等に対して火山に関する防災思想と防災対応を広く普及・啓発する」の記述が追加され、伊東市と伊豆市の地域防災計画にも同様の修正が施された。また、伊豆東部火山群防災協議会の構成機関のコアメンバーとして当初から伊豆半島ジオパーク推進協議会が参加している。
    さらに、2015年6月に改定された静岡県地域防災計画(共通対策の巻)では、「県が伊豆半島ジオパーク推進協議会と連携した取組により、地質災害についての啓発に努める」との記述が追加され、火山災害に限らず広く自然災害に関する啓発をジオパークが担うことが明記された。
    一方で、当然のことながら、ジオパークは防災だけでなく観光などの地域振興も担う。災害に関する情報発信は、観光などのツーリズムと相反するように見られがちなため、ジオパークと防災の関係に関する理解が浅いジオパークにおいては、防災に関する取り組みに対して消極的となる場合もあろう。よって、公的な防災計画の中にジオパークの役割を明確に位置づけておくことは重要である。

    3.災害時におけるジオパーク
    しかしながら、地域防災計画に示された内容は、原則として平常時における住民や観光客に対する普及・啓発活動である。平時の啓発による住民の理解度向上は発災時の防災行動の質を高めるから、伊豆半島ジオパークにおいては学校・生涯教育の現場での出前授業・講演、ジオサイトの解説看板、観光客向けイベント等の中で、火山が起こす現象やその恵みに関する内容を数多く取り入れてきた。
    一方、災害危機が生じた場合にジオパークが何をすべきかについては地域防災計画に記述はなく、ジオパーク推進協議会の発足以降、実際の災害に直面した経験もない。とは言え、平常時に防災に関連した普及・啓発に携わるジオパークが現実の災害に対して沈黙してしまえば、その存在意義が問われかねない。

       4.近隣ジオパークに対する伊豆半島ジオパークの支援活動
    そこで、伊豆半島ジオパークでは、近隣のジオパークで生じた災害危機に際して、そのジオパークに対する支援活動を積極的に行って自らの経験やデータを蓄積し、災害時のジオパークがあるべき姿の模索を続けている。平常時の防災知と防災情報発信の拠点とも言えるジオパークが災害危機・復旧時にもっとも力を発揮するのは、やはり目前の災害情報を収集・集約し、住民や観光客に対して平易な形で発信することであろう。また、地域の自然史や災害史における当該災害の位置づけや教訓を明確にすることによって、より災害に強い地域社会へと復興していく手助けをすることが重要と考える。
    以上の理解にもとづき、伊豆半島ジオパークは、まず2013年伊豆大島土石流災害の現地調査(月刊地理2014年5号)ならびに調査結果の現地説明会を伊豆大島ジオパークと協力して実施するとともに、伊東市における講演会と両ジオパークのジオガイドや住民が参加したジオツアーも実施した。
    また、2015年箱根山群発地震に際しては、JGN関係者と共に現地を下見した上で、UAVを使用した定期的な現地調査、箱根ジオパークの情報発信活動への技術支援や職員派遣、発信した情報の受け取られ方や必要とされる情報等の調査をおこなった。また、箱根ジオパークが開催したシンポジウムへの伊豆半島の住民参加と併せてジオツアーも実施した。さらに、箱根火山の今後の火山活動理解のための確率つきシナリオの作成と、その情報が住民にどう受け取られるかの質問紙調査もおこなった(第131回火山噴火予知連絡会)。
  • 山下 博樹
    セッションID: 1026
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    報告者らは,21世紀に懸念されている途上国での人口増加にともなう乾燥地での急速な都市開発の進展によって,発生が予測される諸問題とその解決策を探るため,アメリカ合衆国南西部を対象とした研究を行ってきた。そこでは,水資源ほか各種インフラ整備が充実した都市の大都市化と,鉱産資源の枯渇などにともなう小中心地のゴースト化の対照的な状況が確認された(山下・伊藤2012,山下・北川2014)。
    それに対して,本研究で対象とするオーストラリアは,“少数の主要都市は近年世界有数のリバブル・シティとして高く評価されている。そうした大都市化を果たした主要都市以外にも,砂漠特有の存立基盤によって形成された小中心地が,当初の役割を終えた後も都市機能を維持し続けている例もある。そこで本研究では,変化する砂漠都市の存立基盤と,大都市化にともないリバビリティを向上させつつある主要都市とを対比しながら,それぞれの特性を明らかにすることを目的とする。

    2.オーストラリアの都市開発の動向
    オーストラリア大陸は,自然環境や歴史的経緯から居住可能な地域には制約があり,その結果水資源の確保が可能な都市地域への人口集中が進む傾向が早くからみられた。シドニーなど主要5大都市への人口集中度は1911年の40.3%から2006年には60.6%へとさらに上昇し,集落の分布は1911年には乾燥度の高い内陸部には確認されていなかったが,2006年には内陸部にも集落の分布域は拡大している。その代表的な砂漠都市アリス・スプリングス(以下,A. S.)には2012年現在約2.8万人が居住している。
    特定の都市に人口が集中化したオーストラリアでは,水資源問題が深刻化しており,市民生活レベルでの節水(シャワーの使用時間の制限,庭木への散水の制約など)では十分ではなく,淡水化プラントの建設や他地域からの水の輸送なども行われている。

    3.オーストラリア都市のリバビリティ
    近年,オーストラリアの主要都市が世界のリバブル・シティのランキングで上位を占め,国際的に高い評価を受けている(EIU,Mercerなど)。オーストラリアの主要5都市はいずれも人口100万を超えているが,戦後のモータリゼーションの進展により,市街地の拡散的な拡大が進み課題となっていた。政府はこうした状況を改善すべく,21世紀型の持続可能で住みよい都市構造への転換を進めるため,公共交通網の再整備とそれを基盤とした土地利用開発の実施に取り組んだ。オーストラリア主要都市への高い評価は,そうした生活利便性の向上などが評価した結果と推察される。これらの主要都市と,そうした公共交通網の拡充などが困難な比較的人口規模の小さい都市との間には,生活利便性などの点での格差の拡大が生じることが考えられ,一部の大都市への人口集中と小都市の維持・発展が今後の課題となると考えられる。

    4. 砂漠都市アリス・スプリングスの形成と存立基盤
    A. S.は,1871年の電信線設置を契機に集落の形成が始まり,1929年の大陸縦断鉄道の駅設置により現在の位置に市街地が形成された。このようにA. S.の中心地形成当初の存立基盤は,通信・交通の要衝としての機能であった。現在は内陸部に広がる広大なアウトバックに居住する住民の生活支援のための重要な拠点である。例えば,1928年より病院から遠隔地に居住する患者を治療・移送するRoyal Flying Doctor Serviceや,1951年からは50km以上の通学を必要とする生徒にラジオ放送による授業を行うSchool of the Airなどのサービスの拠点ともなっている。またA. S.の南西郊には1988年に設置された“Pine Gap”と呼ばれる軍事衛星の管理施設もある。
    以上のように,A. S.はアウトバックの中央に位置する地理的優位性を活かし,広範な地域の住民生活を支える重要な機能を保持している。A. S.の周辺に競合する主要都市が存在しないことは,こうした固有の機能を保持する上では有利な条件となっている。他方でA. S.は水資源の不足や他の主要都市から隔絶された地理的条件が他の産業発展の阻害要因にもなっている。

    本研究は,平成26~27年度鳥取大学乾燥地研究センター共同研究「オーストラリアにおける乾燥地都市開発の特性とその持続性に関する研究」の成果の一部である。

    参考文献
    山下博樹・伊藤悟(2012):アメリカ合衆国南西部における砂漠都市の盛衰とゴーストタウンの再生,日本地理学会発表要旨集No.81.p.191.
    山下博樹・北川博史(2014):米国アリゾナ州における小規模中心地の盛衰とフェニックス都市圏の経済開発の特性,日本地理学会発表要旨集No.85.p.250.
  • 木村 圭司
    セッションID: 901
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ユーラシア大陸中央部を低気圧が移動する際の低気圧の性質を移動とともに追い,降水量について明らかにすることが,本研究の目的である。ECMWF-Interimの0.5度グリッドデータを用いて,SLPでみられる低気圧の移動と降水量分布に関する解析を行った。そして,低気圧の東進による降水量の変化の傾向について事例解析を重ねることにより統計的に求めている。また,200~1000hPa面の温位・相当温位・風向風速の変化を解析することにより,低気圧がユーラシア大陸中央部を東進するときの,低気圧の立体構造変化を明らかにした。
  • 矢野 桂司
    セッションID: S1104
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Iはじめに
    2010年頃から欧米のGIS分野において注目を集めているジオデザインGeodesignは、地理学(Geography)+計画学(Design)の造語であるが、その起源は、GISを用いたランドスケーププランニング(Landscape Planning)にある。そして、近年のGISと地理情報科学(GISc)の発展が、以下の点で、これまでの地図の重ね合わせに基づくジオデザインを大きく変えた(Batty 2013)。それらは、1)デザインを支援できる科学的な地理空間情報の膨大な蓄積、2)WebやクラウドのGIS技術による様々な関係者の参加のあり方の変化、3)情報技術のデザインへの浸透、4)ボトムアップ型の仕組の導入、である。 現在、ジオデザインは、「地理学的内容、システム思考、情報技術に基づき行われる影響シミュレーションと提案デザインの創出を強く結びつけたデザインとプランニングの方法論である」(Flaxman 2010; Ervin 2012)と定義され、さらに「新たな解が地理空間技術で引き出された(科学的な)地理空間知識によって影響を受けることによるインタラクティブなデザイン・計画手法」と定義されている(Lee et al. 2014)。
    II ジオデザインによる地理学とデザインの連携  
    ジオデザインを生み出したCarl Steinitzの近著『ジオデザインのフレームワーク』(スタイニッツ、2014)の第1章「協働の必要性」では、あらゆる、ジオデザインは、以下の6つの問いかけから始まる、とされる。 (1) どのように対象地域は説明されるべきか? (2) どのように対象地域は機能するのか? (3) 現状の対象地域はよく機能しているのか? (4) どのように対象地域は変化するだろうか? (5) 変化によって、どのような違いがもたらされるのか? (6) どのように対象地域は変えられるべきか?  地域は、デザインの専門家、地理学者、情報技術者、地域住民の4者の協働からなるジオデザインによって、変えていく必要がある。Steinitzのジオデザインの最大の特徴は、先の6つの問いかけを地図で表現し、重ね合わせや再分類を含むカルトグラフィック・モデリングというGIS技術を用いる点と、一人がすべてを行うのではなく、地域住民を含めた協働、そしてそれらをコーディネートする能力の重要を説いている点にある。そして、近年のGISとGIScの技術の発展がこの協働を可能にしたというのである。
    III 人口減少時代のジオデザイン
    国の推計によると、2010年現在、12,806万人の人口は、2040年には10,728万人まで減少するが、その変化は大都市圏と地方で大きく異なることが指摘されている(まち・ひと・しごと創生本部事務局、2015)。 中山間地域などでは、「小さな拠点」の形成(集落生活圏の維持)が推奨され、地域住民による集落生活圏の将来ビジョン(地域デザイン)の策定、ワークショップを通じて住民が主体的に参画・合意形成に関わることがうたわれている(まち・ひと・しごと創生本部事務局、2015)。また、地方都市では、都市のコンパクト化と交通ネットワークの形成が推奨され、いわゆる「コンパクト・シティ」の計画をジオデザインによって策定していく必要がある。その具体的な計画の策定には、前述のジオデザインの6つの問いを、GISを最大限に活用しながら、地理学者、デザイナ、住民に問いかけることになる。  本発表では、人口減少時代の地方のまちづくりを住民参加型ジオデザインの手法でどのように達成可能かを検討する。
  • 小野寺 淳
    セッションID: 909
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.グローバル化する都市空間と城中村
     中国南部を代表する大都市である広州は、香港や深圳といった珠江デルタ地域の諸都市と競合しながら、グローバル化の文脈の中でその空間構造を大きく変えつつある。他方、すぐれて中国的な文脈から説明される集団所有組織としての「城中村」(Urban village)が、広州の空間構造の変化の中で自らの機能を柔軟に変化させながら、重要な役割を果たしている。本研究では、中国の都市化の特徴を検討する一環として、その実態を明らかにしたい。

    2.珠江新城の開発
    広州市の共産党委員会と市政府は1992年に広州新都心―珠江新城―の建設を決定した(図)。中山記念堂・省政府・市政府・北京路の繁華街などからなる従来の都心からは東へ約4kmの位置になる。西地区は北部の天河中心地区とともに広州市の新しいCBDを構成し、東地区は居住地区とされ、17~18万の居住人口と、30~40万の雇用が想定された。

    しかし1990年代は都市化を推進する資金源としての国有地利用権の譲渡が進まず、開発は停滞した。珠江新城の開発が軌道に乗ったのは2000年以降であり、香港資本など内外のデベロッパーが参入して、高層オフィスビルが林立する現在の景観が急速に形成された。

    3.変わる城中村――猟徳村の事例

    新都心と相関する城中村の例として、ここでは猟徳村のケースを見ていくことにする。1970~80年代は珠江沿岸の水郷で、果樹が多く栽培されていた。そこに1990年代以降は大量の出稼ぎ労働者が流入し、近郊農村としての居住環境が破壊されて、典型的な城中村の一つになった。

    その後、猟徳村は珠江新城の計画に組み込まれ、新都心の開発にともなって農地などの集団所有地を次々に収用されたが、村民たちは自らの居住地区は手放さなかった。そして2007年に再開発事業が始まってスラムのような城中村は取り壊され、2010年に37棟の高層の再開発住宅に生まれ変わって、そこに村民たちは帰還した。

    一方、従来の城中村に大量に住み着いていた出稼ぎ労働者はいなくなり、その代わりに新都心で勤務するホワイトカラー層が再開発住宅を賃貸して多く居住するようになった。ITや創造産業に従事するような専門職や、駐在する外国人も含まれている。年齢は若く、単身者が多く、学歴が高い。

    4.変わらない城中村

    集団所有組織としての猟徳村は猟徳経済発展公司になり、村民はその株主である。土地が収用された際の補償金で住宅を建設し、複数の住戸を手に入れた村民たちは、相当の賃貸収入を得ている。巨額の補償金や資産に基づく株の配当金も毎年得ている。

    再開発住宅はその土地も建物も集団所有のままなので、住宅を売買することが認められず、住宅は必ず村民が所有している。そのため資産を有効に活用するには住宅を賃貸するしかない。周辺の商業的な高級住宅に比較すれば、新都心のすぐ隣に格安の賃貸物件があることになり、ホワイトカラー層にとっては人気の住宅地区である。経済発展総公司の株も売買が認められず、家族で継承することができるのみであり、「村」の枠組みは変わらず維持されている。

    5.城中村をどう解釈するか

    グローバル化が進む中国の都市は、労働市場における下層の労働力も上層の人材も取り込む必要がある。多くの城中村は、下層の労働力を供給する基地として機能を果たしてきたが、猟徳村のような新しい城中村は、上層の人材を供給する基地になっている。都心の近隣に非市場原理の空間が存在することによって、それが可能になっている。変化する都市の労働力需給の調節弁になっているとも言えよう。また、この異質の空間が都市の創造性の源泉たる多様性を担保していることも注目される。このような城中村は、北京や上海には少ない。
  • 高橋 尚志, 須貝 俊彦
    セッションID: P035
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    多摩川上流域に分布する河成段丘面は高木(1990)により形成過程が検討されているが,背後の緩斜面も含めて河成段丘と認定していることなどから,正確な本流位置を推定するためには,段丘構成堆積物のより詳細な検討が必要である.本報告では,多摩川上流域に分布する青柳面の露頭観察・地形測量,テフラの火山ガラスの主成分化学組成分析を行い,最終氷期以降の多摩川本流の河床高度変化について再検討を行う.

    研究対象地域
    多摩川は関東山地に端を発し,東京湾に注ぐ河川である.青梅より上流域には最終氷期以降に形成された河成段丘面群が峡谷に沿って分布する.本報告では,多摩川本流の小河内ダム~青梅市街地の区間に発達する河成段丘面群を対象とする.対象地域の基盤の岩質は,四万十帯および秩父帯小仏層群に属する付加体堆積岩類である.
    高木(1990)は本地域の河成段丘面を上位から,青柳面,拝島面,天ヶ瀬面,千ヶ瀬面,低位段丘面に区分した.また,青柳面が厚い礫層を伴う堆積段丘面であり,その本流性礫層上部に箱根東京軽石(Hk-TP;65 ka;青木ほか, 2008)が挟在することから,海洋酸素同位体ステージ(以下,MIS)5.5に形成された河谷がMIS4頃までの期間に埋積されたと考えられている(高木, 1990).

    青柳面構成層の記載
    青柳面構成層は,多摩川河谷の幾つかの地点で観察され,軍畑よりも上流では厚い支流性角礫層に覆われている.①奥多摩町白丸では,標高326m付近を境に最大礫径約40cmの亜円~円礫層が堆積し,その直上を20m以上の厚さを持つ淘汰の悪い角~亜角礫層に覆う.この角礫層中には標高341mに黄褐色軽石が認められ,この火山ガラスの主成分化学組成はHk-TPとほぼ一致する.②奥多摩町川井では,標高271mに最大礫径約40cmの亜円~円礫層が認められ,20m以上の厚さの亜角礫層に覆われる.③青梅市沢井では円礫層は未確認で,複数の逆級化ユニットで構成される厚さ4m以上の角礫層が観察された.これを覆う角礫混じりローム層の下部には赤褐色軽石が散在している.この赤褐色軽石の火山ガラスの主成分化学組成は,八ヶ岳新期第4テフラ(Yt-Pm4;32ka;大石,2015)に対比される可能性が高い北本軽石(KMP;須貝ほか,2007)と一致する.

    最終氷期中の河床高度と支流からの土砂供給
    青柳面構成層中の円礫層は多摩川本流の堆積物と考えられるので,その上限高度は堆積段丘面形成当時の本流の河床高度を示す可能性が高い.この河床高度は,高木(1990)の示したそれよりも,①白丸で約35m,②川井で約20m低い.それぞれの青柳面構成層の露頭で得られた本流性の円礫層の高度をもとに河床縦断面形を描くと,高木(1990)の青柳面の縦断面形と異なり,現河床面と概ね平行な縦断面形を成す.  今回得られた青柳面の縦断面形から求められる,多摩川の最終氷期以降の平均下刻速度は2.8~4m/kyrである.この値は,他の関東山地の河川の上流域における平均下刻速度,すなわち,相模川(3.5~5m/kyr;相模原市地形地質調査会,1986),鏑川(3~5m/kyr;須貝,1996)と概ね一致する.  また,高木(1990)はHk-TPが青柳面構成層の本流性礫層上部から見出されることから,本流河谷の埋積はHk-TP降下時頃まで継続していたと考えた.しかし,①白丸においてHk-TPが本流性円礫層を覆う支流性角礫層中から見出されたことから,本流の河床上昇はMIS4以前に概ね終了し,Hk-TP降下時の多摩川上流域は,支流および谷壁からの堆積物が累積する環境であった可能性がある.また,③沢井ではKMPが支流性角礫層を覆う角礫混じりローム層中から見出されたことから,最終氷期中の支流および谷壁からの土砂の供給は,MIS3頃まで継続していたと推測される.

    参考文献
    青木ほか(2008)第四紀研究,47(6),391-407;大石(2015)火山,60(4),477-481;相模原市地形・地質調査会(1986)相模原の地形・地質調査報告書(第3報),96p;須貝(1996)日本第四紀学会講演要旨集,26,102-103;須貝ほか(2007)地学雑,116,3/4,394-409;高木(1990)第四紀研究,28(5),399-411.
  • 「自然の地理学」の視点から
    中島 弘二
    セッションID: S1301
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    英語圏の地理学においては1980年代後半より「自然の地理学geographies of nature」と呼ばれる一連の研究がおこなわれてきた(中島 2005,浅野・中島 2013)。それらに共通するのは、自然とは決して所与の本質ではなく社会的に生産されるものであると同時に、人間や他の人間以外のもの(non-humans)と同様にこの世界を構成するダイナミックで能動的な存在だという考え方である(e.g. Whatmore 2002, Castree 2005, Hinchliffe 2007)。例えば温暖化防止をめぐる温室効果ガスの排出量取引市場の形成や地域資源の発掘を通じたエコツーリズムの展開、環境運動における「守るべき自然」イメージの構築などに示されるように、現代における自然は社会的・文化的に生産され、そしてそれらの消費を通じて新たな経済活動や政策、社会運動が生み出されるような役割を果たしていると考えられる。このような問題を考えるうえで「自然の地理学」の議論は大変有効である。それは単に自然に対する構築主義的アプローチにとどまらず、社会そのものが自然の生産と消費を通じて構築/再構築される諸過程を明らかにしようとする社会批判の理論なのである。 本シンポジウムでは、「自然の審美学」、「自然の政治学」、「グローバル化と自然」という三つの視点から、このような自然と社会との再帰的な諸関係を明らかにする。そうした作業を通じて、「空間」や「場所」と同様に現代社会を批判的に読み解くための地理学的な知として「自然」を位置づけ直すことを試みる。
  • -歴史GISによる可視化を通じて-
    洪 明真, 杉本 興運, 菊地 俊夫
    セッションID: 405
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.従来の研究および研究目的

    従来,江戸の下谷地域に関しては,江戸城下町の成立に基づいた町割と地割,あるいは,都市空間の構造による研究が多くなされてきた。そのなかで,田中(2010)は,明暦大火の前後に作成された「寛永江戸全図」と「明暦江戸大絵図」を歴史地理学手法で比較検討した。寺社地・武家地・町人地の立地移動を示し,江戸の土地利用の変化を明らかにしている。また,陣内
    他(1980)の研究では,江戸時代の都市構造をとどめており,下町の典型的な地域として下谷地域を挙げ,その社会組織を建物の利用を類型化して分析を行った。近年までも下谷地域の空間的利用と変化,その関連で下谷地域の居住者や所有権に関して主に研究されていきた。一方,江戸期に刊行された2つの買物案内書に記載されている飲食店を比較し,江戸期の食生活を検討した蟻川(2006)の研究がある。しかし,江戸における一部の業種を取り上げているため,江戸全地域と下谷地域の商業活動と,その比較による地域的特徴は検討していない。従って,従来の研究を踏まえながら,本研究では江戸期の下谷地域の都市空間,その空間で生活する人々の行動の観点から,下谷地域の内部に関する研究を深化させることを目的とする。生活空間としては,商業活動とその立地を示したうえ,商業内容による空間的な特徴を明らかにするともに,当時の人々の消費行動を類推する。さらに,上野山内,上野の北方,下谷池の端と東南部の下谷地域内における空間構造の地域差を比較・検討する。

    2.史料の吟味

    本研究では,江戸期の下谷地域における商業活動と当時の人々の消費および行楽行動を把握する史料として,蟻川(2006)の同様に,江戸全域にわたる商業活動がわかる『江戸買物独案内』(図1)と,この形式を模倣し,江戸の飲食店の内容がわかる『江戸名物酒飯手引草』(図2)を使用する。また,江戸期の古地図・絵図を補足史料とする。

    3.研究方法

    『江戸買物独案内』と『江戸名物酒飯手引草』により,江戸期の下谷地域の商店および飲食店のデータ化する。さらに地理情報システム(GIS)を用いて可視化することで,江戸期の下谷地区における商業活動と観光空間の復原をすることを試みる。

    参考文献

    蟻川トモ子 2006 .『江戸名物酒飯手引草』に見る江戸の食文化圏を『江戸買物独案内』と比較して. 生活文化史(50):88~102.

    小谷俊哉・窪田陽一1993.
    旧江戸武家地の空間構造の変遷に関する研究. 土木史研究(13):405~411.

    加藤由利子1990.
    戦前における借地上賃家経営について-東京下谷区のM家の事例-. 青山学院女子短期大学紀要(44):79~93.

    田中麻衣・古田悦造2010.明暦大火前後における江戸の土地利用変化.東京学芸大学紀要 人文社会科学系Ⅱ(61):61~77.

    陣内秀信・板倉文雄・二瓶正史・森 誠二・局 淳資 1980. ケーススタディ東京-下谷・根岸. 法政大学工学部研究集報(16):127~140.
  • 泉田 温人, 内山 庄一郎, 須貝 俊彦
    セッションID: 801
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.初めに 平成27年9月関東・東北豪雨は鬼怒川流域に記録的な大雨をもたらし1),10日12時50分に常総市三坂町地先(左岸21k付近;図1中の×)で鬼怒川の堤防が決壊した2).鬼怒川水海道観測所においては同日13時に計画高水位(17.24m, Y.P.)を超過した3).破堤箇所付近の鬼怒川は,風成層を載せる更新世段丘に挟まれた沖積低地の西端を流れ,河床勾配1/2500程度の砂床河川である.堤防の決壊区間から後背湿地に南流した洪水流による自然堤防上の地形及び洪水堆積物の特徴を報告する.
    2.調査手法 トータルステーション測量とVRS方式のGNSS観測機による測量を実施し,洪水後の地形断面図を作成するとともに洪水前の5mメッシュDEM(国土地理院提供)と比較して洪水イベントによる地形変化を検討した.堆積物調査では現地での記載とレーザー回折式粒度分析装置による粒度分析を行った.
    3.破堤地形の記載
    地形の特徴洪水流の中心では破堤堤防の付近に深さ2 m以上の落掘が形成され,その下流も150 m以上の距離の間,浸食作用が卓越し標高が30-40 cm低下したが,中心以外では侵食域は洪水流の根元に限られ標高変化の小さい領域が大きかった.この領域の途中には地形的な段差の下に比高30-40 cmの急崖を持つローブ状堆積地形が一部で形成された.また侵食を免れた道路などの洪水流下流側に砂が堆積する例が多く認められた.
    堆積物の特徴調査地のほぼ全域で地表から5-30 cmの深度まで洪水堆積物が分布し,その下部は上方粗粒化を示す泥質細砂-極細砂,上部は淘汰の良い細砂-中砂で主に構成されていた.前述のローブ状地形では層厚50-60 cmの泥を欠く中砂が地表まで堆積した.また,一部地点は泥が地表を被覆した.
    4.まとめと今後の展望 今回の破堤地形は過去に報告されたクレバス・スプレー4)と類似する特徴が多いが,地形の分布は人工物の影響を多少受けている.今後,UAVを用いた新たな地形調査法を含む地形と堆積物の詳細かつ広範な調査により,破堤箇所から遠方に至るまでの破堤地形の縦断的な地形変化のシーケンスが明らかにされ,過去の埋没破堤地形の同定に適用できる可能性がある.このことは,自然堤防の分布と共に勘案することで,クレバス・チャネルの出現に発する新河道の形成と本流路の争奪,そしてまた別の流路への河道変遷の過程を追跡し,氾濫原の地形発達の理解に繋がり得る.

    参考文献  1) 気象庁 (2015):平成27年報道発表資料,http://www.jma.go.jp/ jma/press/1509/18f/20150918_gouumeimei.html(2015年12月28日閲覧) 2) 国土交通省関東地方整備局 (2015):平成27年記者発表試料, http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/index00000080.html(2015年12月28日閲覧)3) 国土交通省:水文水質データベース, http://www1.river.go.jp/(2016年1月23日閲覧) 4) Bristow et. al. (1993) : Sedimentology, 46, 1029-1047
  • 松多 信尚, 杉戸 信彦, 廣内 大助, 池田 一貴, 澤 洋, 渡辺 満久, 鈴木 康弘
    セッションID: 806
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    2014年11月22日長野県北部の深さ5kmを震源とするM6.7の地震が発生し,糸静線活断層系の北部を構成する神城断層に沿い最大上下変位約90cmの地表地震断層が約9kmにわたり出現した.この地震の発震機構は西北西-東南東方向に圧力軸を持ち,これと余震分布から東傾斜の逆断層であるとされた.また余震分布と合成開口レーダーの解析から地震断層の長さは約20kmとされた.この地震で犠牲者は出なかったものの,神城堀之内地区を中心に建物に大きな被害がでた. この地震は過去のトレンチ調査などから神城断層で発生すると推定されていた地震よりは一回り小さい地震であった.地震断層は既知の活断層とよく一致したものの,活動的と思われる活断層トレースには今回変位が認められないものがあることなどから今回のような地震とは別のより大きな地震が存在する可能性がある一方で,今回大きな被害が出た堀之内地区が1714年信濃小谷地震でも同様な被害が出ていることから,比較的小さな地震が短い活動間隔で発生する可能性もあるなど多くの課題が突きつけられており,白馬・神城地域で発生した古地震と今回の地震の関係を明らかにすることは重要である.鈴木ほか(2015)は地震前後の高密度LiDAR計測のデータを比較することで,地震断層を発見できることを指摘し,大出地区南の姫川右岸(蕨平地区)で新たに地震断層を見出し,段丘が累積変位していることを指摘した.本発表はこの地区で2015年10~11月に実施した現地調査の速報である. 調査地点付近は米軍写真で確認すると水田または河床であり,調査時には管理があまりされていない下草が生い茂る杉林となっていた.米軍写真では完新世に形成されたと考えられる多段化した地形を確認することが出来るが,これらの段丘は面積が小さく,付近において姫川が屈曲しているため,それぞれの平坦地を区切る崖が侵食崖か変動崖かの判断を慎重に行った.その結果我々は,これらを大きく5段に分類し,上位から順にLa面・Lb1面・Lb2面・Lc1面・Lc2面と命名した.Lc2面は米軍写真撮影時には河床であった場所であり,他は水田として利用されていた場所である. 今回,下草および低木をすべて刈り取り伐採し,鈴木ほか(2015)で地震断層の可能性を指摘された北北東―南南西走向の低崖の確認を行った.その結果,Lc2面に東側隆起で比高0.3-0.4mの低崖を見出したほか,この低崖の延長部でLc1面・Lb2面・Lb1面・La面上にそれぞれ比高約0.5m,1.1m,1.6m,1.5mの低崖を確認した.これらの低崖直上の杉の木は軒並み西側に傾いており,2014年の活動による低断層崖の成長によって倒れたものと推察できる.変位の累積性も確認され,地下の断層が繰り返し活動してきたことを示唆している.加えて,それぞれの段丘面を区切る段丘崖は左横ずれ変位を受けていると考えられ,Lc1面/Lc2面段丘崖やLb2面/Lc1面段丘崖などで約1.0m,Lb1面/Lb2面段丘崖で約5.0m,La面/Lb1面段丘崖で約7.5mの左横ずれの変位が認められ,この地域では左横ずれ成分が卓越することがわかった. Lc1面でトレンチ調査を行った.この目的は①断層の有無を確認すること,②最新イベントが2014年であること,③離水時期がひとつ前の地震より古ければ段丘礫層に2回分の変位が期待されることからひとつ前の活動時期を明らかにすることであった.トレンチ掘削の結果,東傾斜を有する明瞭な断層と関連する変形構造が確認され,最上部の水田土壌とその下位の砂層,および段丘構成礫層にほぼ同じ量の変位が認められた.この砂層には炭化物が少なからず含まれており,そのうちの1試料のC14年代はAD1660年以降-現世と測定されたため,2014年に先立つ地震はこのC14年代以前であることがわかった. 段丘の形成年代からイベントを推定するためにLa面で2カ所(隆起側および低下側),Lb1面で1カ所(隆起側),Lb2面で2カ所(隆起側および低下側)のピットを掘削し,これらの段丘の離水年代を明らかにするためのC14試料を採取した.その結果,La面の年代は2055―1900Cal.BP以前,Lb1面の年代は1695―1535Cal.BP,Lb2面の年代は1530―1355Cal.BPであった.その結果,この断層は,AD420年以降少なくとも2回以上の活動があり,AD255年以降AD595 年以前までにも少なくとも1回の活動があることが認められる.この平均活動間隔は586-880年であり,比較的短い間隔で地表地震断層が出現する地震があることが明らかになった.また,この間の平均変位速度を求めると,上下成分が0.8m/千年,左横ずれ成分が3.5m/千年程度と見積もられた.
  • 松尾 敏孝
    セッションID: 303
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究は,積雪寒冷地における津波災害時の老人福祉施設からの集団避難の現状と課題を明らかにする.そのために,橋本(2015)より,津波浸水想定人口をもとに,北海道内で最も津波災害時に人的被害が大きい釧路市を対象とする.次に,北海道総務部危機対策課が作成した津波浸水シミュレーション結果をもとに,老人福祉施設の浸水地域内の立地状況を明らかにする.その中で,建物の全壊率が8割を超える津波浸水深が6.0m以上の地域に立地する18施設のうち13施設に聞き取り調査とアンケート調査を行う.なお,調査は2015年10月から2016年1月にかけ行い,東日本大震災における対応や震災後の変化や,施設外への避難を遅延要因に注目して,避難時の課題を明らかにする.さらに,積雪寒冷期のみの課題についても検討を行う.浸水地域内の立地状況に関しては,全69施設中,建物の流出の可能性が高い浸水深4.0m以上の地域には,35施設が立地しており,建物の全壊率が8割を超える津波浸水が6.0m以上の地域には18施設が立地していた.東日本大震災の際には,13施設中2施設のみが施設外に避難し,残りは施設内待機をしていた.この震災以降の施設の防災に関する変更点として,津波避難マニュアルの作成や備蓄の増加があげられる.集団避難時の課題としては,徒歩移動の困難さ,待機先での体制不備が心配されている.また,標高が低く,河川に囲まれる鉄北・愛国地区では地形的制約による介助者不足や避難場所までの距離が問題となっている.防災面では,地域や行政との協力体制が整っていない事と夜間の職員数の少なさが共通の課題として挙げられた.積雪期間における課題として,待機面では,避難場所での高齢者の体調悪化が心配される.また移動面では,路面凍結により歩行や車椅子での移動が不可能になることが課題となっている.最後に,本研究の結果を最上・橋本(2015)と比較すると,非積雪期には,移動面に関して,徒歩での集団避難が困難であり,避難の際には自動車を使用しなければいけない点で保育施設とは異なる.また,積雪期には,介助者をつけても徒歩の移動が不可能になる.さらに,待機先の体制不備が,待機先での長期滞在を困難にすることに加え,安全な場所への避難を行わない可能性を高めてしまう要因になりえる.これらの違いにより,積雪期間の集団避難に関しては,特に移動面で,保育施設以上に深刻な課題を抱えていることが明らかになった.
  • 森 泰規
    セッションID: 207
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    実在の場所に対してその表象としての「場所性」という概念は、地理学において豊かな広がりを見せている。同じように実在の承認に対してその表象としての「ブランド」を捉えていくにあたり、広告宣伝の実務に携わる筆者にとっては地理学が大変参考になる。どのようにそうと考えるのか、という解釈を初回口演では紹介する。
  • ―視覚史料に描写された川船と観光行動の関係から―
    洪 明真
    セッションID: P078
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.河岸としての日本橋地区の景観

    本研究では日本橋地区の視覚史料として,江戸後期に刊行された広重の錦絵〔14点〕と『江戸名所図会』の挿絵〔10点〕に描写された対象の内容をリスト化し,分析・考察を行った。日本橋地区の視覚史料から描写対象を分析すると,日本橋,河川,川船,白漆喰の蔵,町屋敷であり,これらは,河岸を特徴づける要素であった。河岸は江戸初期に幕府の為政者により都市計画の過程で建設された人工事象であり,すなわち都市景観である。そして,多様な商業活動が行われた日本橋地区の河岸は,商業地としての典型的な景観であった。

    江戸初期の幕府の都市計画により構築された河岸は,江戸に70か所立地し,そのうち,日本橋・京橋・銀座地区に40か所立地していたと『御府内備考』に記録されている。特に,日本橋地区に河岸は,17か所と江戸初期の埋め立て工事後に新しく建設された4か所に立地していた(図1)。


    2.描写対象の川船と観光行動

    日本橋地区には多くの河岸が設けられ,物的・人的要素が集積するようになった。視覚史料でみられた多様な人物は日本橋地区の人的要素として重要であり,商業地や観光地の識別材料となる。したがって,日本橋地区の人的な要素の関わりで,視覚史料に登場した高瀬舟,茶船,猪牙船,屋形船,屋根船などさまざまな川船に注目した。人の移動と娯楽手段として考えられる屋型船,根型船,猪牙船などの川船は,江戸後期の人々の観光行動を示すものとして重要であると考えられる。また,人を輸送していた川船を観光行動の指標として,物資を輸送していた川船を商業活動として類推することができる。安永4(1775)年から慶応3(1867)年にかけて下総国の境河岸から,1日1便1隻約25人乗船する川船が,江戸の小網町と新川に向けて出航したという記録がある。このことは,川船の利用が江戸後期の遠距離の移動に適していたことを示しており,乗客運送の機能をもつ川船は,江戸後期の行楽行動の足として意味づけることができる。視覚史料を補足する客観的な根拠になるため,文献資料による詳細な検討が必要である。

     

    参考文献

    石井謙治1995.『ものと人間の文化史 76-Ⅱ・和船Ⅱ』.財団法人法政大学出版局.

    川名 登2007.『ものと人間の文化史139・河岸(かし)』:財団法人法政大学出版局.

    小嶋良一2012.近世期における日本の船の地域的特徴.関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS):103~121.

    鈴木理生2003.『図説 江戸・東京の川と水辺の事典』:柏書房.
  • 羽佐田 紘大
    セッションID: 815
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    沖積低地は、最終氷期最盛期に形成された谷地形が、現在にかけての海水準変動や地殻変動の影響を受けながら、主に河川からの土砂供給により埋積されてできた堆積地形である。完新世後期には、人間活動の影響による土砂供給量の増加がデルタの活発な前進に寄与してきたと指摘されている。一方、陸域の拡大においては、近代以降の人間による直接的な土砂の堆積の影響も大きい。そこで、本研究は、多摩川下流低地を対象に、既存ボーリング柱状図を空間解析することにより、沖積層の体積を定量化し、低地における人為的な土砂移動量を評価した。
    多摩川下流低地の沖積層を、既存柱状図の土質区分とN値に基づいて、下位から、基底礫層(BG)、下部砂層(LS)、中部泥層(MM)、上部砂層(US)、沖積陸成層(TSM)、人工改変層(ADと定義)の6層に区分し、地層境界面の標高データベースを作成した。これらのデータをArcGISにポイントデータとして取り込んだ後、クリギングを用いて補間し、地層境界面サーフェスモデルを構築した。また、各種データを用いて、前述と同様の処理を行い、地表面サーフェスモデルも作成した。最終的に、各サーフェスモデル間で切り盛りをし、各層の体積を算出した。
    AD下限の標高は、0 m以上の地域と0 m以下の地域が確認でき、それぞれ現在の氾濫原・三角州、干拓地・埋立地が分布する地域にほぼ一致する。また、標高-5 m以下では、標高-5 m以上の地域に比べて等高線の間隔が狭く、標高-5 m付近がもともとの三角州の頂置面と前置斜面との境界にあたると考えられる。低地(232 km2)の沖積層のうちBGを除く体積は5,262 Mm3(M=×106)で、各層が占める割合は、LS約25%(1,337 Mm3)、MM37%(1,965 Mm3)、US18%(943 Mm3)、TSM7%(341 Mm3)、AD13%(676 Mm3)となった。放射性炭素年代値に基づけば、MM以浅の堆積年代はおおよそ8,000 cal BP以降と推定される。沖積層に占めるADの割合は、濃尾平野(約4 %)に比べて大きい。ADを陸域(干拓地・埋立地を除く)(99 km2)と海域(干拓地・埋立地を含む)(133 km2)に分けると、それぞれの堆積量は197 Mm3、479 Mm3となる。まず、陸域のADについて考える。首都圏の低地の平均表層撹乱深(開発地において平均何m表層が撹乱されているか)は1 m程度と推定されている。この撹乱された表層が盛土であるとすれば、これは本研究のADに相当すると考えられる。陸域の面積99 km2に平均表層撹乱深1 mを乗ずると、堆積量99 Mm3と算出される。この値は、前述の陸域におけるADの堆積量の半分である。しかし、本研究で使用した柱状図(2,615本)から読み取ったADの平均層厚(±1σ)は1.5±1.2 mであり、この値を用いると、99 Mm3よりも大きくなる。したがって、本研究の値と既存研究の結果から求めた値との差は、精度の違いによる可能性が高い。干拓地は浅瀬を干上がらせて陸地にするため、海域のADの多くは埋立てに使用された土砂であると考えられる。既存研究により、大田区、横浜市、川崎市において1955年以降に造成された埋立地の面積は約59 km2、東京港付近の埋立地の土砂は厚さ5~15 mと報告されている。多摩川下流域における埋立地の土砂の厚さもこれと同様であるとすれば、大田区、横浜市、川崎市の埋立地の体積は295~885 Mm3と算出される。東京湾岸の埋立ては、主に明治時代以降から行われており、実際の埋立地の体積はこの値よりも大きくなると考えられるが、本研究の計算範囲は、横浜市の鶴見区以外の地域は入っていない。これを踏まえると、本研究で算出した埋立地の体積は妥当な値だといえる。海域のADのほとんどが明治時代以降のものであるならば、これは少なくとも最近100~150年間に人為的な影響で堆積したものと考えられる。陸域のADの厳密な形成年代はわからないものの、1950年代の大規模住宅用地開発はほとんど低地や台地で行われていたことを踏まえれば、ADには戦後の都市開発にかかわる土砂が多く含まれると推定できる。したがって、ADは、ほぼ最近100~150年間に人間の作用によって堆積した堆積物といえる。ADの堆積量(676 Mm3)と過去8,000年間の堆積土砂量(TSM、US、MM:3,249 Mm3)とを比較すると、ADの堆積量は過去8,000年間の堆積土砂量の21%に相当する。これは、近代以降の人間による直接的な土砂の堆積が、103年スケールの河川による土砂の堆積に匹敵することを示している。したがって、沖積低地の形成という観点において、人為的な影響を無視することはできない。
  • 東京日本橋本町における医薬品産業同業者町を事例に
    網島 聖
    セッションID: 701
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.研究の背景と目的 近年の英語圏における産業地域の経営史、歴史地理学研究では、産業地域の維持・存立に関わる議論の焦点が、同業者の協同的経営文化の存在から、対立を調整する制度・組織的メカニズムの存在へと移動しつつある(Carnevali 2003)。こうした議論は、業者の近接性から協同が自生的に発生するという説明を批判し、同業組合や商工会議所、地方自治体などの組織や制度の運営による経済主体の意識的努力を重視する。 以上の動向を念頭に、発表者はこれまで産業化期日本の大阪における同業者町を分析してきた。そこでは同業者町を維持・発展させた要素としてローカルな制度・慣習に立脚した調整機能が重要であり、これを有効に作用させるためにローカルな制度・慣習とフォーマルな制度・組織が緊張関係をもって相互作用することが重要であると明らかになった。 本発表は大阪の事例から得られた知見を一般化し、産業化期日本の経験として位置づけるために、東京(江戸)日本橋本町の医薬品産業同業者町を事例に取り上げる。そこでは、株仲間や同業組合といった制度・組織がいかに同業者町の維持・発展と関わっていたか、また、こうした制度・組織の転換期にどのような対応が取られたのかを検討していく。 2.東京(江戸)の薬種流通の構造と制度・組織の変遷 1713年、本町組薬種問屋25人に組合組織が幕府により公認された。その後、将軍吉宗の国産薬種奨励策の下で、道修町同様に和薬改会所が隣接して設置され、本町組薬種問屋は江戸の薬品市場を独占する形となった。以降、江戸期を通じて、独占の弊害を慮った幕府による改会所の廃止と、流通秩序の維持を求めて改会所再興を求める本町薬種問屋の間で交渉が続けられた。また、1841年、いわゆる天保の改革において一端は問屋株の廃止が行われたが、やはり商秩序回復のため、1851年には旧に復している。一方、19世紀に入ると、業務内容と組合の規制の間にある齟齬を解消するため、絵具・染草、砂糖の問屋組合が本町組薬種問屋から分かれて結成された。 明治維新は医薬品市場にも混乱をもたらした。株仲間も解放される中、商秩序の維持を目的に本町の薬種問屋40数名が結集して東京薬種問屋睦商が組織され、薬品量目の統一や取引慣行の維持などが行われた。なお、1884年には洋薬の取引に対応するため、睦商は発展的に解消して、同業組合準則に基づいた規約を備える東京薬種問屋組合が結成された。また、日清戦争を契機に製薬事業が発達すると、1898年には問屋組合の強い影響下に製薬同業組合が結成された。1900年、重要物産同業組合法が施行されると、いち早くこれに対応して対外貿易を目的に取り込み、東京薬種貿易商同業組合に装いを改めた。 3. 同業者町における商秩序の維持と独占の弊害 以上のように本町の仲間・組合の組織は、政府の施策、法令などの制度の変化に対応して臨機応変に装いを変え、またその都度実態に合わなくなった業態については分離や包含を行うことで存続し、発展してきた。しかし、本町の中で行われる取引業務の内容は、江戸期から大正期までほとんど変化しておらず、本町での取引決済には必ず「附け込通帳」を必要とし、独特の符丁を用いるなど排他的なものであった。すなわち、医薬品市場としての東京本町は、ローカルな仲間・組合の結成によって商秩序の維持を求める動きと、市場における独占の弊害を慮り営業の自由を求める公的な制度の影響とがせめぎ合う場であったと言える。 【引用文献】 Carnevali, F. 2003. Maledactors and honourable men: the making of commercial industry in nineteenth-century industrial Birmingham. in Popp, A. and Wilson, J. F. eds. Industrial Clusters and Regional Business Networks in England, 1750-1970, Aldershot, Hampshire: Ashgate. pp. 192-207.
  • フンク カロリン
    セッションID: 402
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    国土交通省の発表によると、2015年にクルーズ船が日本に寄港した回数は外国船965回、日本船487回、その合計は2010年の1.56倍で過去最高の1452回に上った。また、クルーズ船による外国人旅行者数は1.116.000人で昨年の2.68倍になり、外国人旅行者全体の増加率(1.56)を大きく上回っている。日本における寄港地を見ると、特に博多、長崎、那覇、鹿児島、つまり新しいクルーズ市場として注目を浴びている中国に近い九州沖縄地方の成長が目立つ。しかし、博多港は2012年の89回から2013年19回に落ち、その後2015年245回に増え、急な増減も珍しくないクルーズ船は一度に多くの観光者を運び、ショッピングなど地域での消費者需要が喚起され、地方創生に資することが期待されている一方、大型船が起こす環境汚染やクルーズ市場における大手会社の影響力、観光者の集中による地域への負担など、問題点も多く指摘されている。本発表では、グローバル・スケールで取り上げられている問題を整理した上で日本における近年の状況を把握し、また、広島の事例から個別観光地における課題を調べ、日本における外国船クルーズの影響を分析するための枠組みを地理学の視点から検討する。
  • 矢ケ崎 典隆
    セッションID: 624
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    19世紀後半から20世紀初めの近代化の時代に、世界各地では著しい地域変化が生じた。そうした変化にはそれぞれの地域の条件を反映して地域差がみられると同時に、世界で共通する特徴もみられた。世界全体でみると、近代化の時代には、鉄道交通の発達、冷蔵技術やオートメーションなどの技術革新、生産活動を伴わない保養都市、労働力の国境を越えた移動、プランテーションシステム、新たな商品流通や金融のしくみなどが展開し、それらはそれぞれの地域の地誌にとって重要な存在である。
    従来、近代化にともなう地域変化は、日本の場合にみられるように、それぞれの国や地域の枠組みで個別に学術的関心を集めた。しかし、近代化の時代には人・物・資本・技術・情報が国境を越えて交流し、グローバル化も同時に進行した。したがって、ローカルな地域の枠組みとグローバルな枠組みを連動させて、地誌学の視点により地域変化を考察するという研究法の重要性が認識される。これを近代化のグローバル地誌学と呼ぶことにする。
    砂糖産業は、近代化にともなう地域変化と国境を越えた人・物・資本・技術・情報の移動を論じるための格好の事例である。熱帯ではサトウキビが、温帯ではテンサイが砂糖の原料となった。サトウキビが導入された熱帯アメリカとハワイでは、プランテーションシステムによって砂糖生産が展開した。一方、ヨーロッパでは、テンサイを原料とした砂糖産業が発展した。そうした甜菜栽培と製糖の技術はアメリカに導入され、新しいテンサイ糖生産地域が形成された。いずれの地域においても、砂糖産業は著しい地域変化を促した。
    ブラジル北東部の糖業地帯では、近代化の時代に、16世紀から継続した小規模な製糖場(エンジェーニョ)から中央工場(ウジーナ)へと砂糖生産の単位が変化した。この近代化は砂糖生産組織の大規模化を意味したが、サトウキビ地帯における社会の変革を伴うものではなかった。プランテーション所有者を頂点とする明瞭な階層社会は変化することなく、中産階層は形成されなかった。ハワイでは、アメリカ資本が導入されて、サトウキビ栽培と製糖がさかんになった。ポルトガル人、中国人、日本人、フィリピン人などが移民労働者として流入し、多民族社会が形成された。
    19世紀後半にアメリカ西部の開発が進行し、開発のためのあらゆる要素は地域外から持ち込まれた。砂糖産業の場合、テンサイとともに資本、技術、労働力は外来のものであり、発展の基盤となったのは鉄道と灌漑事業であった。
    テンサイ栽培地域は、大きく分けてコロラド州とカンザス州西部、ユタ州からアイダホ州の地域、そしてカリフォルニア州に存在した。この地域にはテンサイ糖工場が分布し、1910年代後半にはアメリカ西部全体で65のテンサイ糖工場が立地した。テンサイ栽培とテンサイ糖工場での労働に従事したのは移民労働者であった。なかでもロシア系ドイツ人(ヴォルガジャーマン)、日系移民、モルモン教徒、メキシコ人が重要な役割を演じた。日系移民は農業労働者および農業生産者としてアメリカ西部の開発に従事したが、テンサイの栽培と収穫も重要な活動であった。アメリカ西部における砂糖産業の発展と地域変化をローカルな地域の枠組みで検討するとともに、グローバルな枠組みにおいて読み解くことにより、アメリカ西部の地誌を再構築することができる。
  • 高木 秀和
    セッションID: 720
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の目的と方法
    本稿は,ラオス南部の中心都市であるパクセ近郊に開業した日本・ラオス合弁企業(以下V社)における外注作業者の社会調査から,彼女らがどのような動機により家庭内で行う内職を請け負うようになったのかを明らかにする。
    V社は,2013年12月に開業した繊維メーカーであり,工場周辺の農村部から多くの女性従業員を雇用し,日本の技術を伝授しながら多様な製品を製造し,日本に向けて輸出している。同社は,2015年に一部製品の製造を工場周辺農村の女性に委託し,完成品を同社に納めさせている。
    筆者ら愛知大学の研究グループでは,2014年からV社とその周辺の農村部で調査を実施し,筆者は村落の社会構造や親族関係を中心に調査を行っている。一連の農家調査の過程で,筆者はV社の外注作業者の社会関係も調査した。
    本稿では,村落内部の社会関係が,農村女性が外注作業を請け負う際の動因のひとつとなったことを明らかにする。調査対象は,以下の4ヵ村に居住する,自宅で外注作業を請け負う23戸26人の女性である。年齢構成は,10歳代18,20歳代5,30歳代2,40歳代1人である。
    本稿が対象とする4ヵ村は,いずれもパクセ近郊のメコン川左岸に位置する。村長らからの聞き取りと高木(2015)により,各村の面積,人口,戸数と,主要産業(上位3位)を以下のようにまとめた。主要な民族はいずれもラオ族である。

    A村:面積927ha,人口998人,戸数200戸,主要産業は稲作,漁業,畑作
    B村:面積518ha,人口2,268人,戸数379戸,主要産業は稲作,商人,畑作
    C村:面積366ha,人口417人,戸数65戸,主要産業は畑作,商人,賃労働
    D村:面積59ha,人口2,364人,戸数491戸,主要産業は賃労働,公務・会社員,商店経営   

    2.結果
     
    A村は,メコン川に面した半農半漁村である。この村にはV社の女性従業員が居住しており,彼女と同世代の友人・知人と親族関係のネットワークが動因のひとつとなり,女性たちが内職を始めた。
    B村は,メコン川支流に面した農村である。この村にはV社の女性従業員が居住しており,同一グループ(隣組)または隣接グループに居住する女性たちが内職を始めた。
    C村は,メコン川からやや離れた農村であり,同一グループに居住する同じ祖父母をもつ女性たちと,そのうちの1人と友人,地縁関係にある女性が内職を始めた。
    D村は,メコン川から離れた元農村であり,現在では多くの場合,農業以外の仕事が住民の主たる収入源となっている。この村では,同一の中学・高校に通学する同世代の友人関係が,内職を始める動因のひとつとなった。
    本事例の分析によると,就学中の10歳代の女性が多く,彼女たちの①友人・知人関係,②親族関係,③地縁関係が,外注作業を請け負い,自宅で内職を始める動因のひとつとなった。なお,V社では外注作業が彼女たちの学業に支障をきたすと考え,授業期間中は外注を控えている。

    【付記】
    本稿は,愛知大学中部地方産業研究所共同プロジェクト研究「ガラ紡技術移転に伴う地域社会の変化」(代表:樋口義治)による研究成果の一部である。

    【文献】
    樋口義治(2015)「ガラ紡技術移転に伴うラオス地域社会-趣旨と構成-」『年報・中部の経済と社会』2014年版。
    高木秀和(2015)「ラオス南部パクセ周辺の村落における村落構造と生活実態」『年報・中部の経済と社会』2014年版。

  • 高田 裕哉
    セッションID: 820
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    出羽山地に位置する肘折火山では,カルデラ内に湖盆底が離水した地形面が残されており,カルデラ湖の形成が指摘されてきた.一方で,上流に十分な集水域を持つ銅山川がカルデラ内に南東から流入して,北東へ流出している.よって,肘折火山では単なるカルデラ湖の形成ではなく,銅山川等の河川の流入が重合した天然ダム形成の可能性がある.天然ダムやカルデラ湖の形成および決壊は,地形発達史を編む上で重要なイベントである.肘折火山周辺の地形発達史を解明するためには,この天然ダムの古地理変化を明らかにする必要があると考え,肘折火山における天然ダム形成とその決壊に関して検討した.
    調査地および手法の概要
    肘折火山の最新の噴火年代は約12,000 年前であり,既存の火山体が無い場所で新期に噴火し,火砕流の噴出,カルデラの形成などの噴火様式を伴い,短期間で活動の終息を迎えている.すなわち,銅山川の流域中で初生的に火山活動が行われたといえる.地形面の成因や天然ダムの湖水位を検討するために,地形判読や露頭記載を行った.
    結果と考察
    カルデラおよびその上流 離水した湖盆底であり,カルデラ内を広く占めている地形面をM面とした.さらに,M面の上位に1段(H面),下位に1段(L面)の地形面を認定した.H面は,背後に火山体を開析する沢を有し,標高450~410 mの地形面である.M面と比較すると,H面の分布は離散的である.L面はM面の縁辺かつ銅山川の左岸にのみ分布し,大礫や中礫を主体とした礫層で構成されている.カルデラの上流には,高度的にH面に対比でき,背後に沢を有する標高450~410 mの地形面が発達する.この面は,斜交葉理が発達する砂層や礫層で構成されている. これらの点から,H面は背後の沢から供給された土砂が湖水面付近に堆積した後,離水した地形面であり,カルデラ内およびその上流にも同高度の湖水面が形成されていた.よって,カルデラおよびその上流では,湖水位が最高で標高450 m付近まで上昇し,H面の構成層堆積後,水位が低下しH面,旧湖底面がM面として離水段丘化して,その後M面を侵食したことでL面が形成されたと考えられる.
    カルデラ下流 カルデラの下流では,地すべり地形を伴う火砕流台地面が,両岸で対になって広く発達している.銅山川との比高は100 m以上であり,火山活動直後は火砕流堆積物が銅山川の谷を埋め湖水のはけ口となる河川の流路が閉塞され,天然ダムを形成する素因となっていた. さらに下流では火山噴出物が堆積段丘の構成層中に含まれており,決壊に伴って二次移動が生じて地形形成に寄与した可能性がある.
    天然ダムの形成とその決壊 肘折火山では火山活動の後にカルデラとその上流に天然ダムを形成し,その天然ダムの水位は最高で標高450 mであったとすると,最大湛水量は約7.5×108 m3と見積もられる.一方で,カルデラ内に流入する銅山川の流量は,年間で約3.9×108 m3であることから,天然ダムは極めて短期間で湛水,越流,さらに決壊に至ったと考えられる.
  • 降水と地下水位の関係に着目して
    久富 悠生
    セッションID: 1008
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究の目的は,降雨と地下水との関係に着目して武蔵野台地における詳細な地下水位の変動特性や地下水涵養プロセスの地域的な違いを明らかにすることである。近年,気候変動による水循環の詳細な解明や,将来的な水資源量の定量的把握のために,地域的な地下水涵養量の差異や一回の降水量の違いなどを考慮した非定常的な解析が重要であるとされている。またそのような解析において,気候・地形・地質・地表面状態などの条件を考慮した地域的な地下水涵養プロセスの差異を考える必要があるとされている。地下水流動や地下水位の変動傾向を考察した研究の多くは,毎日の地下水位のデータを利用した解析であることが多く,1時間スケールで地下水位の変動傾向を考察した研究は少ない。したがって,武蔵野台地上の3ヶ所の浅井戸において1時間毎の地下水位を観測し,解析を行った。<BR>
    台地上の3地点の浅井戸(谷保,国分寺,青梅)において独自に水位計を設置し,1時間毎の地下水位の変動を観測した。観測には,応用地質社製の圧力式水位計「S&DL mini MODEL4800」を用いた。1時間毎の降水量データにフィルター分離法を施し,地下水位の急激な変化成分を抽出した。抽出したデータから,降水が始まってから地下水位の急激な変化が起こるまでの時間,つまり急速な地下水涵養にかかる時間を計算し,地域毎,降雨イベント毎に比較した。また,重回帰分析から急速な地下水涵養にかかる時間に影響を与える要素について検討した。<BR>
    圧力式水位計を用いて観測した1時間ごとの地下水位から,降水が始まってから急速な地下水涵養にかかる時間を捉えることができ,地域毎,降雨イベント毎に比較することができた。また,降水があっても地下水位の急速な変化がみられないイベントもあった。降水が始まってから急速な水位の変化が始まるまでの時間は,観測地点,降水イベント毎に大きく異なり,5~44時間の幅があった。重回帰分析の結果から,降水開始から急激な地下水涵養にかかる時間は,影響力が大きいとされたものから順に,一雨の雨量,ローム層の厚さ,地下水面深度であることが推測された。
  • 楮原 京子, 滝野 義幸
    セッションID: 808
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    I.はじめに
    伊万里湾の鷹島沖合で,海底下に没していた元寇沈船が発見に至った経緯には,様々な模索があった.海底下に没している元寇関連遺物をどのように抽出するのかということに関して,本研究プロジェクトでは,物理学的手法と考古学的手法の融合を図ってきた.その過程で高分解能音波探査断面には,局所的な強反射体が捉えられるようになった.筆者らは,これらを「異常反射体」と称して,考古学的手法による発掘調査地点の選定に利用してきた.そして,こうした異常反射体がどのような堆積物に反応しているのかを明らかにするため,異常反射体付近や海底遺物付近の堆積物を採取し,観察と分析に基づいて堆積層の形成過程を考察した.
      堆積物の採取には直径8~10 cm,長さ1 mのアクリルパイプを用い,採取したコアは肉眼による観察の後,放射性炭素(14C)年代測定・粒度分析・花粉分析を行った.
     II.堆積層の特徴と堆積過程
    調査海域の底質は,水深15 m前後と浅い地点では極細粒砂~細粒砂が多いのに対して,水深20 mを超える地点では粘土・シルト含有率が80 %近くに達する.また,海底地形は,水深15~20 mまで急勾配となっている状況から,本地域の晴天波浪限界も同深度にあると推定される.鷹島1号沈没船は水深23 mの海底下から発見されている.
      海底堆積物は海底下1 m付近までは,平均粒径や淘汰度が大きく変化しないものの,遺物近傍の堆積物は粗粒で淘汰の悪い堆積物となっていた.また,貝殻や植物片など,現地性・異地性の有機物が混合した状態で濃集する傾向があり,14C年代値についても,文永の役は1274年,弘安の役は1281年であるのに対して,遺物下位(深度90 cm)で採取された試料はAD. 550-646,上位(深度71 cm)で採取された試料もAD. 608-684と,年代値の逆転が生じていた.これらのことから元寇船沈没時には,海底付近に通常よりも大きな営力が働き,海底付近の堆積物が擾乱を受けて再移動・再堆積したとみられる.また,高分解能音波探査の異常反射体は,磚と呼ばれる煉瓦や貝殻が濃集する層の深度に一致しているようにみえる.
      調査海域における堆積速度を擾乱した地層の年代値を除外して見積もると,現在から6世紀頃までは概ね0.95 mm/yr,それ以前は概ね0.25 mm/yrとなる.堆積速度に変化がみられた6世紀頃は,日本各地で寺社仏閣の建造が始まり,建築用木材の需要が高まった時期である.鷹島の位置する伊万里湾沿岸地域や有田川流域なども例外ではなかったであろうと考えると,森林伐採による山地荒廃がもたらした土砂の流出増大が,堆積速度を増加させる要因の一つと考えられる.
      花粉分析の結果は,どの深度の試料も似た組成を示し,マツ属が高く,木本花粉全体の約80~90%を占めていた.マツ属の占める割合が高くなるのは,人間による植生干渉の影響の一つでもあり,九州北部においては約1500年前以後の堆積物にみられる特徴である(Hatanaka,1985).このことから,今回採取したコアは,概ね1500年前以後の堆積物であり,その間に大きな植物相の変化はみられなかったと言える.  以上のように,元寇船の沈没時とそれ以後では,沈船をとりまく堆積環境は大きく変化していないと判断されるが,粒度分析結果には,厚さ20~30cmで上方細粒化を示す部分も認められており,この堆積構造が暴浪の痕跡であるように思われる。
     III. まとめ
    海底堆積層の調査から,元寇襲来の前後において極端な環境の変化が起きたことを示す証拠は得られなかった.元寇関連の遺物周辺の堆積層には,粒径や淘汰度の変化や貝殻濃集層の形成が認められ,元寇船沈没時の擾乱を記録していると考えられる.その後においては暴浪に伴う侵食・流動・運搬・浮遊・堆積によって,海底面付近の数10cmの堆積物は更新を繰り返しながら,全体としては,ゆっくりと堆積層厚を増大してきたとみられる.また,音波探査断面の異常反射体は磚の他にも,一部では貝殻濃集層に対応しているようであるが,まだ確証には至っていない.今後,音波探査と堆積物との対応を明確にするために,貝殻濃集層に注目してみたい.
      本研究はJSPS科研費23222002の助成を受けたものである.
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