日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の346件中201~250を表示しています
発表要旨
  • 田中 俊徳
    セッションID: S0207
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本発表では、保護地域の指定と保全管理を主軸とした国際自然保護制度として、世界遺産条約、ラムサール条約、ユネスコMAB計画、世界ジオパークネットワーク、世界重要農業遺産システム(通称、世界農業遺産)を取り上げ、①各制度の比較(国際レベルの比較)、② サイト間の情報共有や相互交流を担う国内ネットワークの比較(国内レベルの比較)を行い、各国際制度及び国内ネットワークの特徴を明らかにする。
    本発表では、国内ネットワークとして、世界自然遺産地域ネットワーク協議会(自然遺産ネットワーク)、ラムサール条約登録湿地関係市町村会議(ラムサール市町村会議)、日本ユネスコエコパークネットワーク(JBRN)、日本ジオパークネットワーク(JGN)、世界農業遺産国内認定地域連携会議(J-GIAHSネットワーク)を取り上げ、各国内ネットワークの事務局体制、入会資格、会費制度、実施事業等を比較分析する。なお、自然遺産ネットワークについては、設立が2016年6月と発足から日が短く、まだ組織体制が流動的で実施事業も少ないことから、同じく世界遺産条約に関係する「世界文化遺産」地域連携会議(地域連携会議)に関する情報も補足的なデータとして提示する。
    分析結果から、事務局体制として次の二つの形態が明らかとなった。一つは、自然遺産ネットワーク、ラムサール市町村会議、JBRN、J-GIAHSネットワークのように会長を担う自治体が事務局を兼務するものである。事務局の任期は会長任期等に付随し、ネットワークにより1-3年毎に交代することが確認された。一方、JGNでは、会員からの会費を原資として、特定非営利活動法人でスタッフを雇用し事務局業務を担っていることが明らかとなった。
    次に、入会資格は、自然遺産ネットワークやラムサール市町村会議、J-GIAHSネットワークのように、すでに登録されているサイト[1]に関係する自治体が任意で参加するものと、JBRNやJGNのように、国際制度への登録を希望する地域も含め広く加入できる二つが確認された。自然遺産ネットワークやラムサール市町村会議では、自治体単位の加入が前提であるのに対し、JBRNやJGNでは、サイト単位の加入としている。
    会費について、ラムサール市町村会議では、自治体の規模(政令指定都市、中核市、特例市、一般市、町村)に応じて会費を設定しているのに対して、JBRN、JGNではサイト単位で一律の金額を徴収している(ただし、準会員や研究会員といった種別も存在)。よって、複数自治体で構成されるサイトでは、サイト毎の協議会を設置し、そこでも別途、会費を徴収する重層性が明らかとなった。自然遺産ネットワークとJ-GIAHSネットワークでは会費の徴収が行われておらず、各自治体が無理のない範囲で緩やかにつながることが目的とされている。
    実施事業に関して、いずれのネットワークについても、総会や研修会の実施が確認された。また、会費を徴収するネットワークでは、会費を徴収しないネットワークに比して多くの事業や活動が展開されている。例えば、ラムサール市町村会議では、環境省主催のエコライフ・フェアへの参加、JGNでは、ロゴマークの作製と商標登録や機関誌の発行等が行われている。 発表では、各ネットワークへの加入によって生じる費用と便益、地域への影響についても包括的に論じる予定である。
    [1] 各制度により、登録、記載、加盟、認定など様々な呼称があるが、ここでは紙幅の関係から、登録という呼称で統一する。
  • 太田 凌嘉, 苅谷 愛彦
    セッションID: P013
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    はじめに
     巨摩山地・櫛形山東面の山梨県南アルプス市高尾から富士川町平林には,南北走向かつ幅1~1.5 km の凹地帯が発達する.この凹地帯は地すべり堆積物や湖成堆積物に埋積され,湖成堆積物には御岳第1 テフラ(On-Pm1;100 ka)と給源不明のテフラ(軽石)が介在する1).本研究では新たな地表踏査に加え,On-Pm1 の上位に介在するテフラの同定も試みることによって当地域における古湖沼の形成史と古地理を復元した.
    地域・方法
    [地形・地質]
     凹地帯を埋める地すべり堆積物は新・旧に区分される1).いずれも角礫を主とする淘汰不良の岩屑で,それらの供給源と目される滑落崖が凹地帯の西方に複数見られる.深沢川と高室川が凹地帯を東流し,それらの渓岸には段丘面が狭小に分布する.また侵食小起伏面状の地形(高位平坦面)が凹地帯の東部に断片的に認められる.基盤岩は新第三系櫛形山層群・桃の木層群(火山砕屑岩・堆積岩類)から成る.
    [方法]
     空中写真とDEM傾斜量図・陰影図を用いた地形判読,および地表踏査を主とした.テフラの同定は層相や層厚,鉱物組成に基づき,既存研究2-4)を参考にして総合的に行った.
    結果
     湖成堆積物は7 地点で確認された(地点1,2b,2c,5a,5b,6b,7).既報1)のとおり,湖成堆積物は古期地すべり堆積物を整合に覆い,新期地すべり堆積物に整合に覆われる.湖成堆積物は主に泥炭とシルト,礫質シルトから成る.湖成堆積物の上・下限が十分確認できていないため層厚は未確定であるが,16 m 以上の地点(地点7)がある.湖成堆積物の分布高度は場所により異なり,大きく3 つに分かれる.すなわち高尾では830 m 前後(地点1)と840 m前後(2b,2c),立沼では855~900 m 前後(5a,5b,6b,7)である.湖成堆積物に含まれるOn-Pm1 の上位のテフラは発泡のよい黄橙~灰白色細粒軽石を主とし,斜方輝石の斑晶に富む.層厚(9〜50 cm)や既往研究が示した分布主軸からみて,本テフラは御岳伊那(On-In;90 ka)2)と判断される.なお深沢川左岸の低位段丘面構成層上部には姶良Tn テフラ(30 ka,地点4)が挟在する1,5).また立沼東方(地点6a)の高位平坦面上には基盤岩を覆う風成火山灰土が載る.この風成火山灰土はOn-Pm1 を含む.
    考察
     当地域における古湖沼形成史・古地理は次のように復元される.(1)凹地帯は古期地すべり堆積物により埋積された.ただし古期地すべり堆積物が当初どの程度の広がりを有していたのかは不明である.(2)次に,古期地すべり堆積物の上面に湖沼(水域)が発生し,湖成堆積物が生じた.湖成堆積物の分布高度が場所ごとに異なる事実は,図の範囲内において独立した3 つの古湖沼が生じていた可能性を示唆する.特に,高尾の地点1 と同2a との間には基盤岩から成る東西性の尾根状地形があり,これにより古湖沼は隔てられていたと考えられる.ただし,後発的・局所的な二次地すべりにより湖成堆積物が変位している可能性には注意すべきである.(3)On-Pm1 降下期,立沼の東には小起伏な乾陸が存在した.高尾についても同様と考えられる.(4)湖成堆積物とOn-Pm1,On-In との関係から,古湖沼が100~90 ka を中心とする10 ky 以上存在したのは確かである.湖成堆積物を成す泥炭の花粉分析から,湖成堆積物の一部は酸素同位体ステージ5d または6 に相当する可能性がある1).(5)古湖沼は新期地すべり堆積物や周辺から流入した岩屑で埋積された.その時期は90 ka 以降であるが,さらに検討する必要がある.
  • 馬渕 泰
    セッションID: 617
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    近年、中山間地域では高齢化問題が深刻な社会問題として位置づけられている。高齢化が進行すると、商店街の撤退による食の問題にとどまらず、日常の移動が困難になるなど、地域コミュニティの崩壊につながる。こうして高齢者が社会から孤立した状況が長く続くと、生きがいを喪失し、社会的に孤立するなど早急な対策が求められている。
    本研究の目的は、典型的な中山間地域に位置する梼原町を対象として、当地に居住する地域住民の「いきがい」や「愛着」を世代別・家族構成別・地域別な特徴を抽出することである。中山間地域の高齢者の生きがい感の特徴を抽出することで、高齢者医療への応用を期待したい。
  • 静岡県下田市恵比須島の事例
    森山 裕太, 青木 久
    セッションID: P015
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに

    岩石海岸における特徴的な波食地形に波食棚がある.波食棚とは,海崖基部から海側に向かって平坦面をもち,その海側が急崖となっている地形である.波食棚の高さは,波の侵食力や岩石の抵抗力(力学的強度)などの諸要因によって規定されると報告されている.本研究では,まず静岡県須崎半島の岩石海岸に卓越する波食地形を把握する.そして恵比須島に発達する,火山角礫岩と砂岩からなる波食棚の形成高度の違いについて,岩石の抵抗力という観点から定量的に明らかにすることを目的とする.

    2.調査地域の概観

    須崎半島は,静岡県下田市東部に位置する半島であり,伊豆半島ジオパーク下田エリアの一部となっている.恵比須島は,須崎半島南部の沖にある小さな島であり,須崎ジオサイトとなっている.恵比須島を調査地域として選定した理由は,(1)島の周囲には「千畳敷」と呼ばれる火山角礫岩と砂岩で構成される波食棚が発達すること,(2)それらの波食棚は近接して存在するため,作用する波の侵食力や潮汐の場所的違いが少なく,波食棚の地形と構成岩石との関係を考察しやすいと考えたためである.

    3.調査方法

    まず地形図の読図と現地観察に基づき,須崎半島南部に発達する波食地形を分類し,地質図を用いて,構成岩石との対応関係を調べた.次に,恵比須島に発達する波食棚を構成する火山角礫岩と砂岩の分布を調べ,地質図の作成を行った.さらに火山角礫岩と砂岩からなる波食棚に測線を設け,レーザー距離計を用いた縦断面測量を行い波食棚の形成高度を把握した.またシュミットハンマーによる岩石強度の計測を行った.

    4.結果・考察

    須崎半島南部の岩石海岸は火山角礫岩,砂岩,安山岩で構成されており,波食棚の地形が卓越することがわかった.安山岩からなる海岸では,一部海食崖(プランジングクリフ)となっている海岸も存在した.

    恵比須島に発達する波食棚は,火山角礫岩の波食棚のほうが砂岩の波食棚よりも高い位置に形成されていた.構成岩石の強度は火山角礫岩のほうが砂岩よりも大きな値を示した.このように力学的強度の大きい火山角礫岩の方が,砂岩に比べて波食棚の形成高度が高いという結果は,火山角礫岩の波食棚は砂岩に比べ,波によって下方に侵食されにくく,高い位置に形成されていることを示唆している.
  • 松本 健吾, 加藤 内藏進, 大谷 和男
    セッションID: P039
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    梅雨最盛期の東日本では,50 mm/日を超えるような「大雨日」の出現頻度は西日本ほど高くはないが,梅雨降水の将来予測などの際には,東日本のように大雨の少ない地域についても知見を整理する必要がある。また,長期間の「気候システムの平均像」としての「広いパラメータレンジでの種々の現象の振れ方」の把握の足がかりともなると考え,40年間の梅雨最盛期と盛夏期の東京を例とする東日本の大雨日について,解析を行ってきた。本講演では,降水特性や大気場について,降水域の南北の広がりも参照しながら吟味した。
    ミニチュア版天気図が手元にある1971 ~2010年の6月16日~7月15日(梅雨最盛期)の東京での「大雨日」の日数は計31回であった(長崎よりかなり少ない)。これらの各事例における気圧配置の違いをパターン毎に分類した。  東日本では,梅雨最盛期の「大雨日」の約半分は台風が直接関連した事例(パターンA,B)であり,また,西日本の集中豪雨と違い,10 mm/h未満の「普通の雨」が持続することにより大雨日となる事例(パターンB,C)が少なくなかった。
      パターンAでは,暖気移流の大きい領域が北海道東方までのびていたが,まとまった降水域はその南西方の暖気移流の小さい領域(宇都宮~八丈島,約380 km)だった。さらに,そこでの10 mm/h以上の強雨の寄与率は大きかった。パターンBでは大きい暖気移流域の中で多降水域は南北に広く分布していた(宇都宮~八丈島)。その南半分(館山以南)では10 mm/h以上の寄与率も大きかったが,北半分(横浜以北)では10 mm/h未満の「普通の雨」の寄与率が大きかった。
    パターンA,Bの双方で高温多湿な空気が台風の東側の南風により北方へ侵入してくるが,下層を通過するパターンAに対し,梅雨前線の存在するパターンBでは関東付近で傾圧性が強い場に流入してくる。このような大気場の違いが降水特性の違いに影響しているのではないかと考える。
    盛夏期(8月1日~31日)でも東京について,同様に大雨日を抽出した結果,2/3以上が台風に関わる事例であった。梅雨最盛期の東京での大雨日のうち半数近くは,10 mm/h未満の「普通の雨」によるものだったが,盛夏期の東京の大雨日では全体的に,10 mm/h 以上の降水による寄与が非常に大きかった。この結果は,梅雨最盛期から盛夏期への季節経過の中,オホーツク海気団の張り出し方の変化に伴い,梅雨最盛期のパターンBのような状況の出現頻度が少なくなることを含めて影響していると考える。
  • 小寺 浩二, 浅見 和希, 阿部 日向子, 矢巻 剛, 池上 彩香
    セッションID: 739
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    長崎県の島嶼や半島の中小河川の水環境を比較検討するため、現地調査を行った中小河川をいくつか選定し、流域特性と水質の違いを考察する。
  • その分布と特徴
    皆瀨 勇太
    セッションID: 807
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    郷土の歴史や人物、自然などを題材とした「郷土かるた」は、教育現場でも活用されている(原口・山口 1995)。しかし、それらがどのよう活用されているのかを取りまとめたものは管見の限りでは存在しない。そこで本報告では、教育現場で活用される郷土かるたの活用実態を、全国の小学校への調査票調査によって明らかにすることを目的とする。
    2.調査方法
    本調査では調査票調査を採用し、小学校の抽出方法を変え、2015~2016年にかけて計3回の調査を行った。第1回は『全国学校総覧2015年版』(2015、全国学校データ研究所刊)に記載されている全国20,832校のうち、各市町村と特別区の行政区域内に存在する学校から1校ずつを抽出する方法、第2回は『全国の郷土かるた(増補版)-郷土かるた王国群馬からの発信-』(2009、日本郷土かるた研究会刊)の全国郷土かるた目録に記載されている自治体の抽出、第3回はWEBのキーワード検索を用いて活用校を抽出した。全調査合計で134の活用事例を収集した。
    3.郷土かるた活用校の密集地域
    図1は郷土かるたの活用校の分布に40kmバッファをかけ、そこに含まれる校数で等密度線を作成し、見やすいよう着色したものである。これをみると埼玉県東部を中心として、関東甲信越に密度の高い地域が現れている。さらに、これを中心としたやや密度の高い地域は、西は近畿、東は東北南部まで広がっている。また、やや密度の高い地域は山陰西部から中国北部にも現れた。
    4.郷土かるたの特徴
    郷土かるたに含まれる地域の題材は、「交通(7%)」を除く「自然」「郷土」「風習」「歴史」「人物」「産業」「観光」で14~12%だった。これは、小学校で活用される郷土かるたは、郷土の内容が偏りなく含まれていることを表している。 郷土かるたの製作団体は、「市民団体(36%)」が最も多く、次が「教育委員会(22%)」、「小学校(12%)」、「児童(9%)」となった。これから、市民団体や教育委員会が製作したものを学校側が取り入れる例が多いと考えられる。一方で、学校自体が教材作成や授業の一環としてかるた作りを行っている状況もうかがえる。また、郷土かるたが取り上げる地域の範囲は、「市町村(54%)」が最も多く、次が「小学校区(23%)」、「都道府県(16%)」となったことからも、都道府県より生活圏として身近な市町村や小学校区を中心として市民団体や学校が郷土かるたの製作を行っていると言えよう。
    5.活用の特徴
    活用教科は、「総合的な学習の時間(26%)」や「社会(21%)」が特に多く、他の教科は10%前後であった。また、活用学年では「3年生(21%)」が最も多く、次に「4年生(17%)」、「6年生(15%)」となった。これから、3年生ではじめて導入される総合的な学習の時間と社会の地域学習教材として郷土かるたが活用されていると考えられる。
    参考文献 原口 美紀子・山口 幸男 1995. 郷土かるたの全国的動向―その社会教育的考察―. 群馬大学教育学部紀要 人文・社会科学編 第44巻 224-254頁
  • 青山 一郎
    セッションID: 308
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    目的
    わが国の日刊新聞発行は明治維新直後に始まったが、新聞宅配もほぼ同時期に開始され、現在に至るまで毎朝各世帯の軒先まで配達されている。大戦後増加し続けた新聞店は1980年代頃より減少に向かい現在に至っている。本研究の目的は、新聞店の立地調整形態とその要因を明らかにすることである。

    背景  
    日本新聞協会によると2016年10月現在の新聞店数は17,145店である。新聞社と新聞店の取引形態は、再販、専売制、テリトリー制が基本となっている。但し、自社専売が設置できない地域では競合新聞社の専売店に宅配を委託する等の措置を取っている。

    方法
    戸別宅配を維持しながら店数の減少を可能にする為、実際に行われている新聞店の立地調整は、店舗の統合による大型化、他系統への配達委託による複合化、同一経営者が複数店を経営する兼営化の3通りである。本発表ではまず、それぞれの立地調整方法について松原(2007)が検討した「Y字」モデルによって、経済的な合理性を検証する。次に、東京23区及び山梨県における立地調整の実態を示し、理論と実態の差異と要因について考察を行う。

    「Y字」モデルによる議論  
    新聞は、再販事業者(新聞店)による定価販売が認められており、送料は定価に含まれている。その為、チサム(1969)の均一引き渡し価格によって検討することが可能である。本発表では、独占市場、寡占市場における「Y字」モデルの基本形について示した後、新聞店の立地調整についてモデルを用いて説明する。

    事例に基づく議論  
    東京23区では大戦直後は在東京6社が自社系統販売店だけで配達を完結できる完全専売網を目指したが、すぐに3社が脱落して、他社系統新聞店に配達の委託を始めた。完全専売網を維持した新聞社は、1985年ころまでテリトリー分割によって店数を増加させたが、その後は再びテリトリーを統合し店数は減少した。東京23区で行われている立地調整は、主には大型化と複合化であるが、それらを補完する手段として兼営化が用いられている。 山梨県では、山梨日日新聞を扱う新聞店の配布網を基盤として、全国紙各紙は自社が可能なところのみ専売店を出店し、できないところは地方紙に委託するという形態(すなわち複合化)となっている。 事例の比較から、新聞店の立地を決定する要因は非常に多様であり、新聞店が諸条件に合わせて最適な成立閾を作り出していることを指摘した。

    考察  
    部数が減少しても配達の空白域を作ることが出来ない為、大型化は規模の経済性、複合化は範囲の経済性を求めて行われる。その点は「Y字」モデルによって概ね説明することが出来る。 但し、どこまで大型化が出来るのかといった点は、データ不足によって検討できなかった。そこで、新聞店の組織や、管理能力といった点から補足したい。  

    文献
    チサム, M. 著, 1969 村田喜代治訳『地域と経済理論』大明堂. Chisholm, M. 1966 Geography and Economics: G. Bell & Sons.
    松原宏 2006. 『経済地理学』東京大学出版会
  • スバシンゲ シャヤマンダ 
    セッションID: 233
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    コロンボ大都市圏における都市プロセスと将来の発展-地理空間技術を適用して-

    本研究は,スリランカにおける首位卓越都市であるコロンボを対象に,1990年代から現在までの都市域の空間的拡大とその形成要因を明らかにするとともに,将来の都市発展を予測し,持続可能な都市計画・都市政策に資することを目的としている.この課題を達成するために,都市地理学,GIS・リモートセンシング,土地変化科学の3つの学問分野を組み合わせ,都市化解析の新たな方法論を構築した.

    まず,衛星画像を用いて1992年から2014年の12年間に土地利用がどのように変化したかを究明した.ランドサット衛星データにピクセルベースとオブジェクトベースを組み合わせたハイブリッド分類手法を適用して,市街地,非市街地,水面の3つの種目で土地利用パターンを導き出した.ここでは,ポテンシャル概念を導入し,各グリッドの土地利用を周辺環境(面積:1km2,半径:約564m)によって定義し,高密度市街地と低密度市街地に分けて空間可視化を行った.

    さらに,1992-2001年と2001-2014年の土地利用推移行列を作成し,2時期における都市化の速度を定量的に把握した.その結果,1992-2001年より2001-2014年の方が土地利用の変化度が大きく,都市化が加速していることが明らかになった. 2000年以降,内戦が終結し首都コロンボの経済成長が著しいことがこの要因として指摘できる.高賃金を求めて,全国各地からコロンボへの人口流入が勢いを増している.政府が農村の貧困対策で農民の都市への移動を推奨したこともこの流れに拍車をかけた.  

    ついで,都市成長の時空間パターンを定量的に分析した.グリッド毎の土地利用種目の分布パターンを景観メトリック指標により導出したところ,土地利用種目の分散化が進んでおり,特に郊外で土地利用種目の多様化が見られることがわかった.既存市街地にパッチ状に取り残された土地は市街化されていることも明らかになった.郊外では分散的都市化が進み,飛び地として市街化が形成されていることがわかった.また交通路に沿うリボン状発展も確認された.   

    最後に,道路網,行政中心地,教育施設,成長センターなどの変数を投入し,CA-マルコフモデルとニューラルネットワークを用いて,2030年の土地利用を推定した.その結果,2014年に35,875haであった市街地綿製は2030年には53,510haに拡大することが見いだされた.コロンボ市東京が作成したマスタープランと比較してみると,より進展することが予想され,対策が必要なことが究明された.
  • 山神 達也
    セッションID: P073
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ はじめに
    本稿の目的は,2010年の近畿地方における通勤流動の基本的な動向を把握することにある。近畿地方中部は京阪神大都市圏で占められ,都市圏多核化の進展を検証するうえで重要な地域である。また,近畿地方の北部や南部における「平成の大合併」以降の通勤流動の検討は,過疎地域における生活環境を考えていくうえで重要性が高いであろう。

    Ⅱ 近畿地方における通勤流動
    5%以上の通勤率で就業者が流出する市町村がどれほどあるかを示した図1をみると,5%以上の通勤率を示す市町村がないものとして,京都・大阪・姫路・和歌山の各市に加え,京都府と兵庫県の北部や奈良県南部の市町村などが挙げられる。また,大阪市周辺には通勤流出先の少ないリング状の地域がある(大阪圏内帯)。そして,大阪圏内帯を取り巻いて,通勤流出先の多い地域がこれもリング状に広がる(大阪圏外帯)。ただし,大阪圏外帯では,通勤流出先の少ないものが混在する。こうした二重のリング状の地域以外で通勤流出先の多い地域として,琵琶湖南岸,姫路市周辺,和歌山市南方の広川町周辺が挙げられるが,これらの地域以外では,概して通勤流出先が少ない。
    次に,どれほどの市町村から5%以上の通勤率で就業者を受け入れているのかを検討する。5%以上の通勤率で通勤流出先となった市町村数を地図化した図2をみると,京都・大阪・神戸の3市に加えて各県の県庁所在都市や姫路市,そしてこれらに隣接する市で多い。さらに,琵琶湖南岸・東岸や大阪府南部,和歌山県の中部・南部では,一部の市町村が多くの市町村からの通勤流出先となっている。一方,近畿地方の北部や兵庫県西部,奈良県南部,和歌山県南端部では,3つ以上の市町村から通勤流出先となっている市町村の存在しない地域が広がる。以上を整理すると,京都・大阪・姫路・和歌山の各市は雇用の中心として,また神戸市や奈良市は大阪市に従属するものの,いずれも多くの市町村から就業者を集めている。次に大阪圏内帯では,大阪市への通勤流出が多いものの,周辺市町村や大阪圏外帯からの通勤流出先となっている。そして大阪圏外帯では,大阪市とともに大阪圏内帯や京都市・神戸市・奈良市などへの通勤流出がみられ,流出先が多様化している。一方,近畿地方の北部や南部では市町村界をまたぐ通勤は少ないものの,雇用の中心となる都市が存在することが多い。 

    Ⅲ 考察
    近畿地方中部では市町村界をまたぐ通勤流動が活発である。そのなかで,京都市や大阪市,姫路市,和歌山市は明確な雇用の中心として,神戸市と奈良市は大阪市への通勤流出がみられながらも,多くの市町村からの通勤流入がみられた。また,琵琶湖南岸地域や関西国際空港周辺なども多くの市町村からの通勤流入がみられ,都市圏多核化の進展が垣間見られる。加えて,大阪圏内帯でも多くの市町村からの通勤流入がみられ,大阪市からの雇用の場の溢れ出しが推察される。このように,近畿地方中部では,郊外における雇用の核の存在による集中的多核化ととともに,雇用の場の溢れだしによる中心都市隣接市への通勤がみられる。
    一方,近畿地方の北部や南部では,市町村をまたぐ通勤は少ない。これらの地域では市町村の面積が大きく,市町村単位での通勤流動の分析に市町村合併の影響が現れている可能性があり,その点を検証するため,市町村合併前後で同様の分析を行う必要がある。ただし,このような地域においても,彦根市や御坊市,田辺市など,周辺市町村からの通勤流出先となっている都市が存在し,これらの都市は,過疎化が進展する地域における雇用の中心として機能している。
  • 美祢地域の近代大理石産業
    乾 睦子
    セッションID: 307
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    山口県美祢市の秋吉台地域は、近代日本において大理石の代表的な産地であった。近代以前から工芸品や建設材料として地域で大理石を利用して来た歴史を持つが、近代産業として成立したのは機械による加工が始まった明治の後半からである。国内の大理石産業はその後、昭和初期まで各地で盛んとなったが、第二次世界大戦を挟んで昭和40年代頃までには海外製品との価格競争などのために徐々に採掘が減っていった。美祢市は最後まで圧倒的な国内シェアを誇ったが、現在は石材としては採掘されていない。今ではどこにどれほど美祢産大理石が使用されたか把握できなくなっており、正確な採掘場跡が不明な銘柄も数多い。かつて日本の建築物に多く用いられた美祢大理石の多種多様な銘柄の情報がすべて失われつつあるのが現状である。建材の産地や由来は、建築物の正確な評価にもつながる重要な情報である。近代建築物の多くが老朽化し、保存・改修か解体かを判断するための歴史的価値評価にさらされている今、この情報は早急にとりまとめておかねばならないと考えている。本研究は、美祢地域を対象として地域文献調査や現地調査、聞き取り調査を行い、この地域で大理石産業が成立した経緯、産業構造の特徴、昭和中期までの主力製品の推移などを報告する。この地域の大理石資源の特徴や、使用された近代建築物の例も紹介する。  美祢地域で近代産業としての石材産業が始まったのは、明治35年の本間俊平による採掘からとされる。当初は主に配電盤に使う用途で採掘されていた(全国石材工業会、1965)。本間の成功により別の場所でも採掘が行われ、大理石の産地としての開発が進んだ。関東大震災後に耐震耐火の必要から石材の建材としての需要が増加し、「色物」(白大理石以外の、色や柄のある部分)が多く採掘されるようになった。「小桜」「霞」「黄華」「白鷹」「聖火」「オニックス」などが初期に採掘されていた銘柄である(全国石材工業会、1965)。第二次世界大戦後には、新材料の普及により大理石配電盤の需要が減り、代わって土産用の工芸品が加工されるようになった。  産地としての美祢地域の特徴は、ひとつには上述のように秋芳洞などの観光地を持っていることである(山口県商工会連合会、1984)。このため工芸品の需要が産業を支えることができた。ふたつめは、小規模な採掘場が数多く散在したことである。美祢地域には加工業者が少なく、原石を加工地に出荷する形態が主流であり(山口県美祢市ほか、1964)、業態が大規模化する必要がなかったためと考えられる。国定公園に指定されたことによっても、採掘を拡張できなかった可能性が高い。ところが、昭和30年代から建築工事の規模やスピードが大きくなり、短納期・大量納品が求められたため、組織力の弱さがマイナスに働くことになったと考えられる。  主に明治末期から昭和初期までの首都圏の歴史的建造物について石材調査を行ったところ、特に記録がなくても、マントルピースや窓台などに美祢産と推定される色・柄の大理石がいくらか見られた。銘柄は「オニックス」「鶉」「聖火」「白鷹」「薄雲」などである。今後は設計者・施工者や竣工時期のデータを蓄積することで、美祢大理石の首都圏での使われ方を明らかにできる可能性があると考えている。本研究はJSPS科研費 JP15K12438の助成を受けて行った。また首都圏における石材調査に関してはMine秋吉台ジオパーク構想研究チャレンジ助成事業補助金の助成を受けた。
  • 愛知県海上の森と静岡県遊木の森の事例
    宮崎 静里奈, 藤本 潔, 小南 陽亮
    セッションID: P008
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    中部日本太平洋側の丘陵地の自然植生は、本来、シイ・カシ類からなる常緑広葉樹林である。しかし、地域住民の日常生活等による植生利用によって、コナラなどの落葉広葉樹が優占する、いわゆる里山植生が形成された。しかし、その植生構造は必ずしも同一ではなく、地域によって異なっている。そこで本研究では、2つの地域の里山林を対象として植生構造の相違を明らかにすると共に、その相違をもたらした要因について、立地環境および伐採やナラ枯れ被害等による攪乱履歴の視点から考察する。
    研究対象地域は愛知県瀬戸市南東部に位置する海上の森と、静岡市の日本平に位置する遊木の森とする。温量指数(1987~2016年平均)は海上の森に隣接する豊田市が106、静岡市が142である。海上の森では花崗岩地域の標高約220mの北向き斜面(20m×20m:KP1)と標高約170mの南西向き谷頭部(30m×30m:KP2)に、遊木の森では更新世の高位段丘堆積物からなる標高約200mの南西斜面の2カ所に20m×20mの固定プロットYP1・YP2を設置した。各プロットで地形測量を行うと共に、20mプロットでは樹高1.3m以上、30mプロットでは樹高2m以上の全樹木を対象に、位置座標、樹種、胸高直径、樹高を記録した。本発表ではプロット間比較のため樹高2m以上の樹木を対象に分析を行う。毎木調査はKP1が2010、2011、2013、2015年、KP2が2012、2014、2016年、YP1とYP2は2013年以降2016年まで毎年行った。伐採履歴は、空中写真を用いて読み取った。なお、海上の森では2009、2010年に大規模なナラ枯れ被害が発生し、KP1では高木層をなしていたコナラの80%、KP2ではコナラとアベマキの33%が枯死している。
    KP1ではナラ枯れ被害前(枯死木を含む2010年データから推定)の28種239本(常緑樹141本、落葉樹78本:上位からヒサカキ、ソヨゴ、リョウブ、コナラの順)から、2015年には28種227本(常緑樹152本、落葉樹58本:ヒサカキ、ソヨゴ、リョウブ、ヒノキの順)へ減少した。胸高断面積合計は28.9㎡/haから22.1㎡/haに減少した(常緑樹:7.5→10.4㎡/ha、落葉樹:16.7→8.1㎡/ha、被害前:コナラ、ソヨゴ、アカマツ、2015:ソヨゴ、リョウブ、コナラの順)。KP2ではナラ枯れ被害前(2012年データから推定)の22種521本(常緑樹369本、落葉樹144本)から、2016年には22種503本(常緑樹385本、落葉樹112本)へ減少した(いずれもヤブツバキ、リョウブ、ヒサカキの順)。胸高断面積合計は40.5㎡/haから35.1㎡/haへ減少した(常緑樹:6.2→7.9㎡/ha、落葉樹:32.5→26.7㎡/ha、被害前:コナラ、アベマキ、リョウブ、2016:アベマキ、コナラ、リョウブの順)。YP1では2013年の26種175本(常緑樹118本、落葉樹42本:カクレミノ、コナラ、タブノキの順)から2016年には26種248本(常緑樹172本、落葉樹58本:カクレミノ、コバノガマズミ、タブノキの順)へ増加した。胸高断面積合計は39.0㎡/haから41.9㎡/haへ増加した(常緑樹:10.5㎡/ha →12.6㎡/ha、落葉樹:22.9㎡/ha →25.3㎡/ha、いずれもコナラ、スダジイ、アカマツの順)。YP2では2013年の9種63本(常緑樹12本、落葉樹49本:コナラ、タブノキ、サカキおよびマルバアオダモの順)から2016年には27種191本(常緑樹30本、落葉樹156本:マルバアオダモ、コナラ、コバノガマズミの順)へ増加した。胸高断面積合計は20.6㎡/haから23.5㎡/haへ増加した(常緑樹:0.8→1.8㎡/ha、落葉樹:17.8→19.7㎡/ha、いずれもコナラ、アカマツ、タブノキの順)。
    中低木層の優占種は、KP1はヒサカキ、ソヨゴ(以上常緑)、リョウブ(落葉)、KP2はヤブツバキ(常緑)、ヒサカキ、リョウブ、YP1はカクレミノ(常緑)、ヒサカキ、コバノガマズミ(落葉)、YP2はマルバアオダモ(落葉)、コナラ(落葉)、コバノガマズミであった。
    遊木の森では1966~76年の間にYP1の一部を残し皆伐されたのに対し、海上の森では1948年以降大規模伐採は行われていない。YP2の樹木サイズが相対的に小さく、落葉樹の割合が高い要因はこの伐採の影響と考えられる。海上の森のKP1がKP2より樹木サイズが小さい要因としては、集落に近接するため住民による利用強度が高かった可能性を指摘できる。海上の森と遊木の森の中~低木層の優占種の相違は、上記の攪乱履歴に加え、気候条件、地質条件等の立地環境が影響している可能性がある。
  • ~被災地の地元大学としての支援のあり方~
    髙木 亨
    セッションID: S0104
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    平成28年(2016年)熊本地震では、前震・本震で震度7を記録、震度1以上の余震も4,000回を超えるなど、これまでの地震災害とは異なる状況を示している。被害の範囲も、震源地の益城町を中心に、熊本市、西原村、南阿蘇村、阿蘇市に加え、大分県側にまで及ぶ広範囲なものとなった。そのうち益城町は9割の建物が何らかの損壊を受ける甚大な被害となった。
    報告者が勤務する熊本学園大学は熊本市中央区に位置している。4月14日・16日の地震により大学の建物も被災した。大学のグラウンドは熊本市の広域避難場所に指定されており、本震直後から学生や地域の住民が避難してきた。そのため、比較的健全であった建物(14号館)の一部を避難所として開放し、大学独自で避難所運営を開始した。また、社会福祉学部を持つ強みを活かし「福祉避難所」としての役割を担った1)。その際、避難していた学生を中心に大学避難所でのボランティア活動が動き出した。
    5月の連休明けには授業が再開となり、大学避難所の運営も収束に向かった。その一方で、被災地での学生ボランティア支援活動が立ち上がっていった。報告者がかかわる益城町での「おひさまカフェ」もその一つである2)。益城町保健福祉センター「はぴねす」避難所で5月末から活動を開始(毎週土日開設)。避難所が閉鎖された8月末からは、益城町テクノ仮設住宅団地A地区集会所(みんなの家)に場所を移し、引き続いて活動を継続している。
    2017年1月には学内組織として学生ボランティアセンターも設立され、全学的に災害学生ボランティア活動を支援する体制が整ってきた。
    本報告は「おひさまカフェ」の活動を通じて見えてきた、被災地の地元大学が果たす被災地支援のあり方、被災地域復興の役割について検討する。 
  • 小型GPS及び加速度計を用いた行動調査データの分析を中心に
    蒋 宏偉, 西本 太, 佐藤 廉也, 横山 智, ポンウンサ ティエンカム
    セッションID: P056
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    はじめに  報告者らは、ラオスの小規模農村における生業と人口の相互関係を明らかにする研究プロジェクトの一環として、ラオス中部における焼畑農村(アランノイ村)において、小型GPS及び加速度計を用いたタイム・アロケーション調査を行い、村落住民の日常活動の時空間分布、栄養収支及び健康リスクとの関係を検討した。 調査地  アランノイ村は、ラオス中部セポン地区に位置する山地少数民族の集落である。当該地域は、中国、ベトナムの企業及び個人による投資で、近代化が急速に展開しつつある。かいつまんで言えば、住民の生活に、低栄養、マラリアの感染やそれに関連する低出生率などの健康問題もあれば、焼畑休耕期間の短縮・収量の不安定化など生活・生業システムの変容からもたらされた様々な不都合も生まれつつある。これから、どのように変わっていくのか、住民はどのように変化に対応していくべきなのか、そしてどのように確実に現地の生態システムを保全しつつ、持続的に住民の生活を向上させていくのかは、地域研究のみならず、開発学、保健学の分野においても、重要な課題となる。これらの進行している問題を視野に入れつつ、本報告は、同じグループの佐藤廉也氏らの栄養に関する報告に合わせて、生活時空間配分の側面から、アランノイの生活の現状を報告する予定である。 方法  2016年6月、報告者らは、アランノイ村18~65歳までの健常者から30人の成人男女ボランティア(男女それぞれ15人)をリクルートし、連続5日間以下の調査を実施した:(1)小型GPS(HOLUX 241)及び加速度計(SUZUKEN, Lifecorder EX)を装着してもらい、生活行動の空間情報及びそれに対応するエネルギー消費の情報を収集;(2)主な生活時間のリコール調査:6時から18時まで、焼畑作業・家庭菜園作業・狩猟・漁労・採集・家事労働・娯楽などのカテゴリで、すべての調査参加者に、一時間ごとの主な活動内容を聞き取りした;(3)ArcGIS 9.3 (ESRI Inc.)、VBA(Microsoft Inc.)を用いて、集落周辺の土地利用図をベースに、上記データの時空間結合を行った。(4)上記3で作成したデータベースに基づいて、SPSS 22.0(IBM Inc.)で統計分析を行った。 結果  (1)調査期間(セミ農繁期)中における、男女活動範囲の差:軽・中・強程度の活動を行った範囲において、男性参加者の平均半径は、それぞれ345±506m、623±583mと553±506mであり、いずれも女性の259±407m, 354±420mと175±221mより広かった(t-test, p<0.001);(2)活動内容リコール:男女の畑労働時間はそれぞれ3.6±1.4と3.9±1.8時間であり、有意の差がなかったが、GPSの記録は、男性がより集落から遠い焼畑での作業(32%)、女性がより集落に近い家庭菜園作業(18%)に集中する傾向を示した;(3)加速度計によって計算した身体活動レベルの結果:セミ農繁期の男女はそれぞれ1.81±0.31と1.79±0.33という中から強程度にあった;(4)生体計測の結果:男女のBMI平均値は、それぞれ20.0±2.2と19.2±1.3で、いずれも安全レベルの18.5以上にあったが、25%の女性は安全レベル以下に下回っていた。 まとめ  (1)男性参加者の活動範囲の広さ/遠さ(焼畑作業)は男性のマラリア感染リスクに寄与していると考えられる;(2)開発による焼畑の常畑化(ゴムプランテーションへの転換)は、さらに焼畑の位置を遠い森林に移させる恐れがあり、対策を早期にとるべきであろう;(3)活動レベルの強さと食事摂取の状況(同グループ佐藤氏ら発表を参照)を考えると、アランノイ住民は、慢性的な栄養失調の状態にあると推察できる;(4)慢性的な失調に対応するために、ある程度の食物援助(特に収穫まえのセミ農繁期に)を行う必要がある;(5)慢性的な栄養失調と女性の妊孕力そして低出生率との関係性の解明は今後重要な課題になる;(6)このパイロット的な調査研究は、ある程度地域住民の生活活動を把握するのに有効性を示したが、今後住民の生活全体像を描き出すために、異なる生活シーズンの行動調査や定量あるいは半定量的な食事調査による栄養収支評価を行うべきである。
  • 西村 和洋
    セッションID: 918
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    研究の背景 
    土地家屋調査士は、不動産取引の安全の確保、国民の財産を明確にするために不動産の調査及び測量を行う国家資格者である。業務においては土地境界の調査や確認は不可欠な要素である。土地家屋調査士としては、その業務の性質から、最も原始的な土地境界を示していると考えられる近世絵図について、これまでも少なからず関心を持ってきた。しかし土地一筆毎に書き分けられた大縮尺の近世町絵図に関する研究は、城下町絵図や国絵図等に比べると数は少なく、明らかにすべき課題は多いように見受けられる。実際、今日の土地境界は、実は近世初期の地割・屋敷地割をそのまま継承したケースが多いことが各地の調査で判明してきている。そこで今回は元禄八年(1695)に大津代官に提出された大津町絵図群に着目し、特に図に描かれた地割についての特徴について明らかにしたい。

    研究目的
    大津市発行の「図説大津の歴史」において、元禄八年大津町絵図について以下のような解説がある。『この大津町で元禄八年十月、各町いっせいに絵図の提出が指示された。絵図には、町内各戸の間口と奥行、所有者、町内の各施設などが丁寧に記入されており、当時の町の景観や構造がよく分かる。(中略)同絵図は、現在所在が確認されているだけでも、大津百町の内の約80%にのぼっている。いわば300年前の大津町の景観が詳細かつ正確に復元可能で、全国的にも貴重な資料といえる』現在は滋賀県指定文化財でもあるこの絵図群について、その特徴を整理し、同時期に作成された他都市の絵図と比較した。併せて大津において明治期以降に作成された地籍図についても比較検討の対象とした。空間的要素に時間的変化を加え、絵図上に記載された地割について今日との共通性を明らかにする。

    他都市町絵図との比較
    元禄八年大津町絵図については、まずその奥書に図の提出の宛先として代官の氏名のみ記載されているが、元禄二年に町絵図が作成された堺では堺代官に加えて与力、同心に至るまで署名が見られる。また、大津町絵図の裏書には作成の際に「年寄」「屋敷主」が現地立合を行った旨、さらに一部の図には作成者が「大工」であるとの記載まで見られた。また当時、坂本町内に蔵屋敷を所有していた酒井河内守や分部隼人正等の大名家家臣が町人と同じ家持人としての立場での署名が見られるが、他都市では類例がないと思われる。図中の記載情報については、大津町絵図は幅の最小単位が「分」であるが、堺町絵図であれば最小単位は「間」(半間)である。また大津町絵図では各屋敷地割についても表口・奥行に加え裏口の幅の記載があった。さらに四辺の幅の記載がある屋敷地割さえも複数見られた。これらの幅に関する詳細な情報は、今回比較のために行った面積計算にとって非常に有用であった。 

    大津町絵図の地割の特徴
    大津町絵図に描かれた地割について、元禄期の屋敷地割の情報を使用して換算し、明治期作成の地籍図記載の数値との差を比較する。なお、地籍図(地券取調総絵図)記載の数値をそのまま換算したものが現在、法務局にて取得できる地積情報であることは他の大津の町も含め既に確認していることから、現在の登記情報と比較したともいえる。また、今回の計算に当たっては「分」以下の単位は判読が困難であったため、あらかじめ切り捨てた。例として丸屋町(現在は大津中央一丁目)について取り上げたい。同町内の元禄期に既に区画された屋敷地割39筆の内、幅情報が判読可能な33筆について、地籍図(地券取調総絵図)に記載された地積との差を比較した。計算の結果、元禄期の屋敷地を明治期(現在)屋敷地で除したところ、実に8割をこえる28筆の地積が5%以内の誤差内に収まるという結果が確認できた。なお、一筆毎の誤差を平均すると102%、総筆を合算した全体の誤差率は101%でわずかに元禄期の地積が大きいという結果となった。しかし、そもそも明治期の面積の最小単位が「歩」であり、歩以下の数値を除外している点、また今回の結果は現在の国土調査における許容誤差の範囲内の数値でもあり、総じて高い精度を持つといえる。なお、大津町絵図については一間を六尺三寸で測量したと記した資料もあるが、この数値結果から一間は六尺五寸で測量したとみるのが正しいと考える。

    まとめにかえて
    今回、大津町絵図の内、丸屋町の事例を取り上げた。結論として、元禄八年作成の大津町絵図に記された屋敷地割に関しての幅情報は非常に精度の高いものであって、以降変更されることなく明治から現在へと情報が引き継がれていることが確認できた。なお、今後はさらに調査の範囲を拡大し全市的な絵図の精度の確認を行うとともに、複数回の沽券改を経て地籍図・公図へと引き継がれていく過程での測量や製図の詳細について明らかにすることを今後の課題としたい。
  • ゴサインクンドとヘランブーの状況
    渡辺 和之
    セッションID: 701
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    2015年4月と5月のネパール地震は中部ネパールに大きな被害をもたらした。なかでもランタン国立公園のあるラスワ郡とシンドゥパルチョーク郡は被害が多く、ランタン谷では地震に伴う雪崩で200人以上が行方不明となった。
    発表者は、トレッキングルートの被災状況を把握するため、2015年9月にラスワ郡のゴサインクンドとシンドゥパルチョーク郡のヘランブーを訪れた。当時、ランタン谷は登山道が通行止めで、住民は域外に避難している状態だった。発表では、見聞した情報を報告し、課題を指摘したい。
    まず、シャブルベシにゆくバス道路は問題なく通行できた。ドゥンチェでは道路沿いの建物は大きな被害は見られないが、町外れにはテントの避難村ができていた。シャブルベシの町は道路沿いのコンクリートの建物は一部崩壊程度だが、どのホテルもひび割れで改装中であった。
    ゴサインクンドへ行く道でもっとも被害がひどかったのがトゥーロ・シャブルである。コンクリートの2-3階建ての家が密集し、将棋倒しになった。地震の前に営業していた13のホテルのうち、崩壊を免れたのは1つだけである。
    ただし、被害は村によってまちまちである。尾根の北側のティプリンガラでは半壊した石積みの家を多く見たが、尾根上のシンゴンパ、チェランパティは石垣が崩れた程度の被害で済んでいる。ただし、尾根を登ったラウレビナでは石積みのホテルや仏塔が崩壊した所もあった。ゴサインクンドの石積みのホテルは改修すれば営業できるとのことである。
    ホテルを失った住民は、もう石では作らないと言っていた。ただし、問題は資金である。ここでは建物の再建費用に加えて国立公園に支払う借地料がある。たとえば、2014年3月の段階でゴサインクンドなどのA地区は13万ルピー、チャランパティなどB地区は9万ルピーを、各ホテル経営者は国立公園局に毎年支払わねばならない(1ルピーは約1.1円)。再建してもしばらくは観光客が来ないのではないか、数年はこれを免除して欲しいとのことであった。ネパール政府は家を失った被災世帯に対し、20万ルピーを支給することになっているが、当時住民が受け取ったのは1.5万ルピーの仮払金だけである。海外からの援助では、日本やドイツなどの物資や現金が村に届いている。なかにはツイッターで自分の家の崩壊した写真をアップして義援金をもらい、カトマンズに家を建てた人もいる。また、ある人は以前来た外国人が送ったお金を、村に届けたとの美談もある。
    ヘランブー側は家屋の形状を残している家は非常に少なかった。バスの終点のティンブにはカナダの援助でできた仮設キャンプに周囲の村々から生徒が寄宿生活をしていたが、食糧代を出してくれるとことがないという。またカカニの小学校も仮設テントで授業をしていたが、黒板などの設備がないという。タルケギャンでは寺院を含めほぼすべての家が全壊し、がれきが山積していた。あるホテル経営者は、自分の家の廃材で仮設住宅を作り住んでいた。出稼ぎで貯めた700万ルピーで建てたホテルを1シーズンで失った。借金がなかったのが幸いだったという。
    以上のように、両地域は多くの被害が出ている。特にヘランブーでは多くの援助が来たにもかかわらず、足りていなかった。ただ、両地域は良くも悪くも観光地である。震災復興には公助、共助、自助が必要だが、ネパールのように公助が十分でない国でも、それを補ってあまりある外国援助が来ることが予想できる。
    また、被災状況は地域によっても世帯によっても異なる。援助の地域格差や自助と共助の負担区分や割合については、今後の課題である。自助については、今後、家の再建のために誰がどのように資金を負担するのか、どこに再建するのかなど、家族の意思決定に注目したい。今後、都市への移住がさらに加速する可能性もある。被害の思い地域ほど、誰がどこに住むのかとの意思決定が問題となろう。
  • 桐越 仁美
    セッションID: 702
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    コーラナッツは,森林地帯を原産とするアオイ科コラノキ属コラノキ (Cola nitida) の種子であり,西アフリカの内陸乾燥地域では数世紀にわたって嗜好品として消費されてきた.17世紀後半から興隆したアサンテ王国ではコーラナッツが重要な交易品とされ,ハウサ諸王国に向けて輸出されていた.ハウサ商人たちは各民族との連携を確立することで商業ネットワークを構築し,古くから西アフリカの商人間に成立していた信用取引や委託販売を採用することで,円滑な商業取引と迅速な輸送を可能にしていた.コーラナッツは現在でもガーナ南部の森林地帯からニジェールなどの内陸乾燥地域の国々に輸送されている.現地調査から,現在のコーラナッツ取引は現地買付人や商人などの多くの人びとによって成立し,販売を他者に依頼する委託販売などの歴史的な取引方法が採用されていることが明らかとなった.また買付けでは,内陸乾燥地域の商人たちが生産者から直接コーラナッツを買付けることが一般化していることが明らかとなった.
  • 静岡県熱海市を事例に
    中山 穂孝
    セッションID: 613
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本研究は、戦後期の熱海を事例に、1950年に制定された熱海法の制定と伊豆半島の広域交通ネットワークの形成を背景に、戦後期の熱海がどのように発展したのかを明らかにすることを目的とする。
  • 不動産・都市研究分野を中心に
    渋谷 鎮明
    セッションID: 922
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本報告は、現代韓国社会において、以前は「迷信」とされた風水地理思想が、どのように学術界に受け入れられ、受容されているかについて探究するものである。ここでは、その一環として、風水と現代的問題が直結する不動産・都市研究分野を中心とした研究動向を整理検討することでこの点を考察したい。
    2000年前後より現在までに行われたこの分野の研究を概観すると、おおまかに①アンケート等による風水認知度の調査やそれをもとにした不動産選択意思決定や地価との関連性を問うもの、②新都市開発や都市再生への風水的方案を提示するもの、③統計的技法を導入した風水の客観化・科学化を試みるもの、④不動産と都市の風水的評価モデルの研究などが見られる。 これらの研究は、風水地理思想をどのように扱うのかで大きな差があるように思われる。すなわち、風水「術」を認めて研究の前提とする研究と、現代社会での評価を考える研究である。
    後者の研究は、一般市民がどのように風水を認識・評価し、それがいかに不動産売買や地価に影響を与えるのかを追究するものである。これであれば学術的に必要な研究であり、かつ風水研究の新分野であると言えるだろう。
    これらの研究は、現代韓国社会における風水地理思想の受容という点では非常に重要な内容を含んでいる。また同時にこのような研究分野が活発に行われる背景には、「在野」の風水研究者からの要請や、一般社会での風水術への関心があるものと思われる。
  • 仁平 裕太, 山田 育穂, 関口 達也
    セッションID: 202
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    近年の日本では,緑被率に代わり,緑視率が人の意識に与える影響についての注目が高まってきている.特に,建物が密集する都心部において緑を確保することの重要性は高く,実際に,緑の基本計画に緑視率向上の政策が示されている自治体も存在する.また,緑視率が人に与える影響についての研究も複数存在するが,植生の配置が人々の意識に与える影響を充分に評価できているとは言いがたい.そこで本稿では,都市部における植生の量・配置を定量的に指標化し,人々の景観に対する主観的評価に与える影響を分析する.そして、得られた知見を適切な植生配置の一助とすることを目的とする.重回帰分析を用いて植生の量と配置が人々の評価に与える影響について分析した結果,目線上部にある植生は,高評価につながることが示された.つまり,植生を多く配置できない場合,中木や高木を中心に植栽を整備する方が景観上好ましいことが示唆された.
  • 鄭 容濟, 若林 芳樹
    セッションID: 504
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    人口減少と高齢化が進行した日本では,空き家の増加が深刻な社会問題となっており,地方自治体は空き家条例を制定し,政府は2015年から特措法を施行するなどして対策を急いでいる.地理学の側での取り組みとしては,由井ほか(2016)が空き家の実態や要因には地域的な差異がみられることを明らかにしている.これまでのところ,東京圏では千葉県・埼玉県の外縁部で空き家率が高いことがわかっているが,東京都の郊外でも開発から時間が経過した郊外住宅地で空き家が増加することが予想される.そこで本研究では,東京都内の郊外住宅地を対象にして,「その他の住宅」の空き家の実態と対策を検討し,地区間の比較を行った.
    空き家を網羅的に把握するデータとして,住宅・土地統計調査があるが,そこでは空き家の内訳を「賃貸・売却用」,「二次的住宅」(別荘等),「その他の住宅」(住み手のいない家)に分けている.このうち,管理されない状況で放置され,衛生・景観・治安などの住環境に悪影響をもらす可能性が高いのが「その他の住宅」であるため,本研究ではこれに焦点を当てる.
    東京圏(1都3県)の市町村を対象にして,住宅・土地統計調査結果から空き家の分布傾向を把握した上で,国勢調査のデータを用いての空き家率との関連性が高い変数を回帰分析によって求めた.その結果を郊外都市である八王子市の町丁目データに適用し,「その他の住宅」の空き家が多いと予想される地区を抽出し,4地区を調査対象地区に選定した.これらの地区について,住宅地図と現地調査に基づく空き家の全数調査を行った後,町会への聞き取り調査を実施し,空き家問題への住民の認識と取組みを調べて比較した.
    本研究の対象地域は東京都心から約40kmの郊外に位置する八王子市である.2013年の住宅・土地統計調査によると,同市の空き家率は10.3%(「その他の住宅」の空き家率は2.1%)と多摩地域の他都市と同水準にあるものの,2013年に空き家条例を施行しており,市内には1970年代以前に開発された古い住宅地と多摩ニュータウン地区内の比較的新しい住宅地が混在している.そのため,市内でも空き家の分布に違いがあるとみられる.
    市内の詳細な空き家分布は統計では把握できないため,東京圏の市区町村別データにロジスティック回帰分析を適用して空き家率を推計した.目的変数には「その他の住宅」の空き家率,説明変数には国勢調査の人口増減率,高齢化率,一戸建て住宅率を用いた.そこで得られた回帰式に八王子市内の国勢調査データをあてはめて,町丁別に空き家率の推計した.その結果,市内の空き家率は,西部の山間部と古い住宅地が含まれる町丁で高いことがわかった.そこで,山間部以外の4地区を調査対象地域に選定した.4地区のうち,A~Cの3地区は1970年代に開発された郊外住宅地で,いずれも高齢化率が40%を超えて人口も減少傾向にある.残るD地区は,民間の集合住宅や商店・工場が混在する都心周辺部の市街地で,高齢化率は30%台であるが人口は減少している. 
    調査対象地域の空き家率はいずれも2%台であるが,空き家以外の駐車場や空き地を含めると,地区の規模が比較的小さく市街地に近いC地区とD地区でそれぞれ6.7%,10.2%に達する.空き家の形態的な特徴については,いずれの地区も表札がなかったり網戸が破れた家が多かったが,C地区とD地区では倒壊の恐れがある廃家が見られ,周囲の住環境に悪影響を与えている.
    こうした空き家に対する自治会の認識とそれに対する取組みを比較すると,いずれの地区も空き家の発生を社会問題と認識はしているものの,それに対する取り組みには地区間で差がみられた.B地区とC地区では比較的積極的な対策をとっているものの,各地区別の取り組みには違いがある.B地区では,まちづくりや地域活性化に関心のある自治会長が中心になって空き家解消への取組みを開始したのに対し,C地区の場合は12年前に起きた空き巣犯罪を契機として,自治会がパトロールや空き家の草刈りなどの活動を行って空き家の発生を防いでいる.
    こうした取り組みを開始するにあたって,専門家などの様々な主体との連携を通じて得た知識やノウハウに基づいて対策をとっているのがB地区である.これに対してD地区の場合,町会長個人で空き家の実態を把握しているものの,廃家の取り壊しなど問題解決の方法について情報が不足しているため,対策にも限界があるという.
    このように,地区ごとに行われている空き家防止の取り組みが,調査対象地区の空き家率を比較的低い水準にとどめている背景にあるといえる.しかし,既存の空き家への対応については,住民だけでは解決できない問題を含んでいるため,行政機関や専門家などの多様な主体との連携が今後は必要になると考えられる.
  • 石原 武志, 吉岡 真弓, シュレスタ ガウラヴ, 内田 洋平
    セッションID: P019
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに<BR>福島県の中通りに位置する郡山盆地は,東北日本弧の外弧側に発達する内陸盆地であり,台地(郡山台地)が広く発達する.その構成層である郡山層は最大80m程度の層厚をもち,砂礫層主体の下部と礫・砂・泥・泥炭の互層からなる上部に分けられる(鈴木ほか,1967).郡山層の下位には白河火砕流堆積物を挟在する前期更新統が存在するとされる(鈴木ほか,1967,1977).笠原ほか(2012),Kasahara and Suzuki(2015)は郡山台地で掘削された約100mのオールコア(KR-11-1;37°25′43.7″N,140°22′28.6″E,標高248.6m)から郡山層上部,下部,および白河火砕流堆積物を見出し,テフラ分析に基づき郡山層下部の堆積時期を0.95Maから0.31Maの間,上部の堆積開始時期を0.31-0.33Maと推定した.一方,郡山層下位の白河火砕流堆積物の分布や地下地質構造については,郡山盆地の地下堆積物の調査に乏しいため不明な点が残されている.<BR>産業技術総合研究所は,2015年に郡山市内において深度100mのオールコア(GS-KR2015-1,37°24′4.9″N,140°20′1.6″E,標高175.99m)を掘削した.本研究では,コアの記載結果についての速報とKR-11-1コアとの地層対比について予察的報告を行う.<BR>2.GS-KR2015-1コアの記載<BR>深度0.0-1.5mは表土である.深度1.5-22.6mは,シルト層を主体とし,間に0.1~1mの層厚で複数の砂層を挟む.シルト層は所々有機質である.深度7.0-8.0mと21.7-22.6mは,中礫サイズの砂礫層である.また,厚さ1cm程度の火山灰を複数挟む.深度22.6-100.0mには,38.0-41.9mと49.0-53.2mに中礫サイズの砂礫層を挟んで火砕流堆積物が認められる.岩相はそれぞれ異なり,22.6-38.0mは,10mm程度の軽石晶を多く含む凝灰質粗砂,41.9-49.0mは,5mm以下の軽石を多く含む凝灰質シルト~砂,53.2-100.0mは10~30mmの亜角礫を主体とし上部の所々に軽石を含む基質支持の凝灰質砂礫からなる.いずれの堆積物も,上部に弱いラミナが一部認められる以外は無層理・無構造である.<BR>3.考察<BR>GS-KR2015-1コアの深度22.6mまでは,岩相の特徴から鈴木ほか(1967),笠原ほか(2012)の郡山層上部に相当すると考えられる.22.6m以深の砂礫層を挟んで分布する火砕流堆積物は白河火砕流堆積物群(吉田・高橋,1991)に当たる可能性が考えられる.22.6m以深を白河火砕流堆積物と仮定すると,本コア地点は郡山層下部を欠くことになる.他方,KR-11-1コアでは,深度46.3mまでは郡山層上部,深度69.6mまでは郡山層下部が分布する(笠原ほか,2012).鈴木ほか(1967)によれば,郡山層の基底深度は起伏に富み,丘陵状の地形が推定される.GS-KR2015-1コア地点は埋没した丘陵状地形の尾根部に当たる可能性がある.郡山層下部は,丘陵状地形の谷部を埋積する地層であるかもしれない.<BR>22.6m以深の火砕流堆積物については,白河火砕流堆積物群(吉田・高橋,1991)のどの火砕流にそれぞれ相当するかを検討する必要がある.なお,KR-11-1コアの深度69.6-80.4mに分布する火砕流堆積物は,房総半島の上総層群梅ヶ瀬層中に挟在するU8テフラ(白河火砕流堆積物群の勝方火砕流,0.85-0.95Ma;黒川ほか,2008)に対比された(Kasahara and Suzuki,2015).両コアの火砕流堆積物の対比は,郡山盆地地下の白河火砕流の分布および盆地の地下地質構造を明らかにするうえで重要な知見となる.今後,GS-KR2015-1コア堆積物の放射性炭素年代測定,花粉化石分析,およびテフラ,火砕流堆積物の同定を進めていく予定である.<BR>謝辞:本研究は,新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託事業「再生可能エネルギー熱利用技術開発」の一環で行われたものである.記して謝意を表します.<BR>文献:笠原ほか2012. 日本地理学会発表要旨集81: 149. Kasahara and Suzuki 2015. the XIX INQUA Congress 2015: S05-P01. 黒川ほか 2008. 新潟大学教育人間科学部紀要(自然科学編) 10: 63-82. 鈴木ほか 1967. 福島大学教育学部理科報告 17: 49-67. 鈴木ほか 1977. 地質学論集 14: 45-64. 吉田・高橋 1991. 地質学雑誌 97: 231-249.
  • 眞田 佳市郎, 山田 育穂, 関口 達也
    セッションID: 503
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    高齢化が進む日本においては健康寿命の延伸は重要な課題である.厚生労働省は身体活動による健康増進のための目標として歩数増加を掲げている.本研究では,都市の歩きやすさを表す「ウォーカビリティ(walkability)」に着目し,静岡県袋井市で行ったアンケート調査に基づき,住民の地域環境への満足度・客観的環境要因と歩行習慣の有無との関連性の解析を行う.
    地域環境への満足度と歩行の関連性についての分析結果から,自然発生的な地域において,目的地の多様性の満足度が高い場合に,移動歩行が多くなりやすいことが示された.客観的環境要因と歩行の分析結果からは,目的地の多様性の低い,計画的な整備が行われた地域では,移動歩行が少ないことが明らかとなった.いずれの場合も,余暇歩行と地域環境との間に有意な関係性は認められず,地域のウォーカビリティがもたらす健康効果は,主として日常の移動に歩行が取り入れやすくなることにより生じるものと考察できる.

  • 鈴木 大和, 野呂 智之
    セッションID: 107
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    平成28年熊本地震によって阿蘇地域では、多数の土砂災害が発生した。平成24年7月九州北部豪雨の際にも、阿蘇地域では大規模な土砂災害が多発している。
    このように、土砂災害の発生は豪雨や地震に起因する。地震と比較して発生頻度の高い豪雨の場合は、過去の降雨との相対的な比較評価により土砂災害発生を予測することが可能である。一方で、地震の発生は稀であり、既往の影響程度を考慮することは極めて困難である。しかしながら、迅速かつ網羅的に土砂災害の発生状況を把握するためには、外力の種類や大きさをもとに土砂災害発生の蓋然性が高い範囲を特定するための指標が必要である。
    そこで、近年同一地域において異なる外力により土砂災害が発生した平成28年熊本地震と平成24年7月九州北部豪雨を事例として、外力範囲と土砂災害発生の空間分布の関係の比較を行った。
  • 海岸段丘上の津波石を用いた検討
    青木 久, 岸野 浩大, 早川 裕弌, 前門 晃
    セッションID: P014
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー


    1.はじめに

    津波石とは,津波により陸上に打ち上げられた岩塊のことである.先行研究によると,宮古島や石垣島をはじめとする琉球列島南部の島々には,過去の複数の津波によって石灰岩からなる巨礫,すなわち津波石が打ち上げられていることが報告されている.本研究では,津波によって陸上に打ち上げられた津波石のうち,海崖を乗り越えて海岸段丘上に定置している津波石に焦点をあてて野外調査を行い,過去に琉球列島南部の島々に襲来した津波営力の大きさの違いについて考察を行うことを目的とする.

    2.調査対象地点・調査方法

    本研究では,宮古島,下地島,石垣島,黒島の4島を調査対象地域として選び,宮古島東平安名崎海岸,下地島西海岸,石垣島大浜・真栄里海岸,黒島南海岸において,津波石の調査が実施された.これらの海岸では琉球石灰岩からなる海崖をもつ海岸段丘が発達し,段丘上や崖の基部,サンゴ礁上に大小様々な津波石が分布する.各海岸の背後には,岩塊が供給されうる丘陵などの高台が存在しないため,段丘上の岩塊は津波によって崖を乗り越えた可能性が高いと判断し,本研究では3 m以上の長径をもつ巨礫を津波石とみなした.

    津波石の重量(W)と海崖の高さ(H)に関する以下のような調査・分析を行った. Wを求めるため,津波石の体積(V)と密度(ρ)の推定を行った(W=ρV). Vは津波石を直方体とみなして長径と中径と短径を計測して算出する方法と,高精細地形測量(TLSおよびSfM測量)による3D解析による方法を用いて求められた.津波石の密度はPS-1(応用地質)による弾性波速度の計測値から推定された.Hはレーザー距離計を用いて計測された.

    3.結果・考察

    津波石は,宮古島ではH=17 mの段丘上に14個,下地島ではH=10 mの段丘上に1個,石垣島ではH=3 mの段丘上に4個,黒島ではH=3~4 mの段丘上に6個,計25個が確認された.段丘上の津波石が津波によって海崖基部から運搬されたと仮定すると,Hは津波石の鉛直方向の移動距離を,そしてWHは津波石の鉛直方向の移動にかかった仕事量を示すことになる.したがって,津波石が同一のプロセスによって海崖上に運搬されたと考えると,WHは海崖基部の津波石に到達する直前の津波の運動エネルギーと比例関係をもつ値となり,津波営力の大きさの指標にできる.各島でのWHの最大値は,各島の過去最大の津波を示すと考え,それらの大小関係を求めると,下地島≧宮古島>石垣島>黒島の順になった.この結果は,宮古島・下地島地域に石垣島・黒島地域よりも大きな津波が襲来した可能性を示唆するものであり,石垣島周辺で最も大きい津波が襲来したとされる1771年の明和津波とは異なる結果となっている.
  • 土屋 純
    セッションID: 606
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    インドでは,1990年代以降における外資主導による製造業の発展や,2000年代以降におけるIT産業の成長によって,経済発展が継続している.それに伴って,インドの消費市場が順調に拡大しており,様々な消費財において外資系のメーカー,ブランドの参入が盛んである.日系企業においても,自動車や家電だけでなく,食品関係や生活消費財などのメーカーもインド市場に参入している.本研究では,インド市場に参入している日系企業を対象に,インド市場を開拓,拡大するために,どのように販路を開拓しているのか,サプライチャーンを構築しているのか,について調査した.
      1.インドの流通構造  インド流通について従来の研究を概観すると,日野(2004)による大手消費財の販売網の分析によると,全国を北部(拠点:デリー),西部(ムンバイ),東部(コルカタ),南部(チェンナイ)の4つに区分することが多く,4つの都市が広域拠点として機能していることや,州ごとに支店が設けられていて,州都の拠点性も高まっていることが指摘されている.荒木(2008)による青果物流通の分析によると,インド国内に青果物の主産地が形成されつつあり,それに伴って青果物流通が広域化していることが明らかにされている.
    このように,インドにおいて全国的,広域的な流通が構築されつつあることが指摘されているが,インドでは流通チャネルの中で中間流通部門の地位が高く,卸売段階だけでなく小売段階に対してもチャネル支配力がある.一般に,インドではディストリビューターという,メーカーの販売代理店として中間段階を管理する主体が中間流通を支配する傾向にあり,特定の卸売業者,小売業者を系列化している.ディストリビューター,卸売業者,小売業者ともに中間マージンを得ており,そのマージン配分においてもディストリビューターの意向が強く反映される傾向にある.
    インド流通を地域構造として見てみると,州毎にディストリビューターが存在していて,州をテリトリーとして排他的な営業を展開している.州間の取引についてはスーパーディストリビューターを活用することができるが,広域的な流通過程の全体を一元的に管理することは極めて難しい.さらに,州を超えた物品の販売には中央売上税が課せられる.
    加えて,インドでは全国的な交通インフラ・ネットワークの整備も不十分な状況である.ナショナルハイウエイの整備が徐々に進みつつあるが,広大な国土の中で全国スケールのサプライチェーンを機能させることは極めて難しい状況である(ジェトロ編2009).
      2.日系企業の販路開拓  上記のように,インドでは州を超えた市場開拓をするのには制約が大きい.中間流通部門をどのように活用するのかが,外資系企業の市場参入において極めて重要になっている.そのため多くの外資系メーカーがインド財閥などと提携して市場参入しているのである.
    本研究では,食料品や生活消費財という,比較的低価格商品で,物流や取引のコストがシビアに価格に反映される傾向にある商品に注目し,そうした商品で市場参入を図っている日系企業にヒアリングすることで,日系企業における販売チャネルの開拓状況を明らかにしたいと考える.
    文献
    荒木一視 2008.『アジアの青果物卸売市場—韓国・中国・インドにみる広域流通の出現』農林統計協会.
    ジェトロ編 2009.『インド・物流ネットワーク・マップ』ジェトロ.
    日野正輝 2004.インドにおける大手消費財メーカーの販売網の空間形態.地誌研年俸 13:1-25.
  • 目代 邦康
    セッションID: S1104
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. ジオパークにおける研究者のアウトリーチ活動
    2007年頃より,日本においてジオパークの活動が各地で行われるようになった.ジオパークは,地質露頭や岩石,化石,鉱物,地形,土壌,地層などの地質遺産(geological heritage)の保全を行い,地質遺産を利用した持続可能な開発のための教育を行い,地質遺産の賢明な利用の一形態であるジオツーリズムを推進するという機能を持つ.この保全,教育,ジオツーリズムという3つの機能の中で中心にあるのは,地質遺産の保全であり,その価値の評価において,地質学者,地形学者などの地球科学者の専門的な立場が必要とされている.
    地域の自然現象を調査している研究者は,研究成果を論文とすることで,社会に対して情報発信していることになる.しかし,その論文が,一般に読まれる機会はあまりなく,研究者コミュニティーの外側(アウト)には,なかなか届かない(リーチしていない).そのような状況の中で,地域社会(日本では市町村が主体になることが多い)がジオパーク活動をすすめる場合,その地域に存在する地質遺産の評価は必須であるため,地質情報に関してのニーズが生まれ,研究者の情報が届くようになる.ジオパーク活動が始まると,それまで地域の自然環境について,それほど関心を持っていなかった人が,ジオパークのガイドとなり,ビジターに対して案内をするようになる.ガイドとなった人が内発的に地学情報にアクセスしガイドになったわけではないが,結果的には地域の地質や地形といったことを学ぶことになっている.ジオパークという認定制度が構築され,それを地方自治体などが受け入れることによって,アウトリーチのチャネルができ,情報が伝播していった構造とみることができる.
    2. ジオパークにおける研究者のアウトリーチ活動の成果
    このようなニーズが生まれている中で,こうした動きに積極的に関わる研究者もいれば,関わらない研究者もいる.現在のジオパークに関わっている研究者は,地質学の他,火山学,地形学,人文地理学,考古学など多様な分野であるが,地質学や火山学の研究者が比較的多い.自然災害の問題を扱っている研究者は,地球科学的な情報は,防災・減災につながる情報であり,それをどのように伝えるべきかについて,ジオパークの活動とは関係なく以前より取り組んでいた.そうした情報発信の場を欲していた研究者は,ジオパークというプラットフォームを積極的に活用している.また,数は少ないが,地学環境の保全の必要性を感じている研究者も,このジオパークの仕組みを利用している.このように,ジオパーク活動を通して,科学的な情報発信や,科学と社会との関係性を新しく構築していこうとしている研究者が,ジオパークと関わりを持つようにしている.研究者としての「社会実験」の仕組みともいえるだろう.
    3. 地理学界がアウトリーチを活発化していくにあたってどういう視点や活動が必要か
    日本においてジオパーク活動が進んでいる原動力の一つは,科学的な情報を必要としている市民と,情報を作り出す,あるいは評価する研究者とが,どちらもジオパークという仕組みを使い,交流し,新しい価値を生み出せていることにあると思われる.これは,研究者の視点からみれば,一部はアウトリーチであるが,それよりも,情報のアウトプットとインプットの双方があるサイエンスコミュニケーションの実践ということができよう.研究者が社会運動であるジオパークに関わることによって,地質遺産の保全,教育,地域の持続可能な発展などといった,純粋な研究の問題でない,社会との関わりの中で解決してかなければいけない問題について,専門家として考える機会が生じる.そうした場は,未知の問題に取り組もうとする研究者の好奇心を刺激し,結果的に専門情報が伝わっていると思われる.
    専門家である研究者と社会との関係性は,様々な形がありうるが(小野,2016),日本の地理学界においては専門家像の多様性の認識が乏しかったのではないだろうか.多様な地理学者のあり方が,アウトリーチ活動の活性化につながると思われる.
  • 山元 貴継, 坪井 宏晃
    セッションID: P068
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    報告の背景と目的
    「字(小字)」および「字名」は,多くの地域で地区区分および小地名として用いられてきた.そして,その多くは1899(明治22)年前後の「明治の大合併」以前の村の領域や村名を引き継いでいる,といったイメージがもたれやすい.しかしながらこれまで,「字名」自体の残存状況については各地で多くの言及がみられる一方で,それらの「字」が示す領域までもがどのように継承されているのかについての検討は,管見の限り多くはない.
    そこで今回の報告では,一見すると「字」がよく残されているように映る愛知県西春日井郡を対象に,とくに同郡において比較的よく残されている「土地宝典」などに記された昭和初期の「字」の名称およびその領域が,対応する現行地区名およびその領域とどのような対応関係を見せているのかについて,例えば両者の重複面積などを算出することによる検討を紹介する.

    愛知県西春日井郡と「土地宝典」
    分析対象地域とした旧師勝町(現北名古屋市)および豊山町が属する西春日井郡は,名古屋大都市圏の中心都市である名古屋市の北側にあり,現在でこそ同市郊外のベットタウンとして大きく発展している.しかしながら一帯は,第二次世界大戦以前には,庄内川北岸に広がる低地に集落が点在し,その周囲には主に水田が展開するといった農耕地帯であった.その後1944(昭和19)年には,このうち豊山町の東部に陸軍小牧飛行場(現名古屋飛行場)が開設されている。
    そして同郡内の各町村については,昭和初期(昭和9(1934)年前後)に,地籍図の一種である「土地宝典」が多く作製された.これら「土地宝典」は,当時の地籍図に各地筆の地目や面積の情報を加筆して作製されたものである.その図面を画像ファイル化し,幾何補正して現行1:10,000地形図にレイヤーとして重ねることによって,現在では失われてしまった「字」も含めて,かつての「字」の領域が現在のどこに相当するのかが詳細に明らかになる.

    西春日井郡における旧「字名」の残存状況
    まず,「土地宝典」記載の昭和初期の各「字」名自体は現在,豊山町側では依然として一定数がそのまま地区名として用いられているのに対し,旧師勝町側では,旧「字名」に旧「大字名」を冠し,連称化した地区名と,旧「字名」の一部を改変した地区名が多く採用されている.
    こうした旧自治体による対応の違いに加えて,豊山町側では,小牧飛行場の敷地となり,現在では「字」の存在自体が不明となった範囲がみられる.

    西春日井郡における旧「字」域と現行地区域との関係
      一方で,「土地宝典」図面の幾何補正により判明した旧「字」域と,その「字名」を何らかの形で引き継いでいる形となる現行地区(「字」を含む)の領域とを,その位置に加えて面積的にも比較した結果,かつて集落であった範囲において,旧「字」域と対応する現行地区域とが面積的にも高い割合で重複することが明らかとなった(図).また意外にも,集落の中心から遠く離れ,かつて水田などが展開していた範囲においても,旧「字」域と対応する現行地区域とが面積的にも比較的一致した.
    対して注目されたのは,かつての集落のすぐ外周となる範囲であった.同範囲では,一見すると旧「字」に対応する現行地区(「字」を含む)がみられるものの,両者の領域の面積的な重複は少なく,いわば,かつての旧「字」域からいくぶん外れた範囲となった現行地区が旧「字名」を引き継ぐ地名を名乗っている形となっているところがみられやすかった.

    旧「字(小字)域」変化のプロセス
    「字名」だけでなくその領域にも着目した今回の分析からは,とくにかつての集落のすぐ外周に相当する範囲において,「字名」自体は現在まで残されていても,その領域は変化してしまっているところが少なくないことが指摘された.そうした「字」は,都市化に伴い宅地の範囲を拡大させたもともとの集落の属する「字」にその領域の一部を譲る代わりに,さらに外側の「字」域の一部を編入するといった「玉突き」状の字域整理を行った結果,旧字域とその字域を引き継いでいるはずの現行地区(「字」を含む)域とのずれが大きくなってしまったことが想定された.
    今回試みたような分析手法をもとに,今後各地で,「字(小字)」の残存状況についての再検討が進むことを期待したい.
  • 日系ブラジル人労働者の生活史から
    小谷 真千代
    セッションID: 535
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.本報告の背景
    「出稼ぎ」という現象は、これまで社会学・経済学を中心に、地理学を含む幅広い学問分野で研究の対象とされてきた。その共通理解としては、主として農村から都市への労働力移動であること、就労の一時性・農村への回帰性があげられよう。換言するならば、出稼ぎとは、都市と農村という関係性の中に捉えられてきた現象である。
    しかしながら、1980年代以降、出稼ぎの基盤である都市と農村の関係は大きく変化した。ルフェ−ヴルによれば、かつて自明であった都市と農村の境界はあいまいになり、今や田舎は「都市の<周辺>、その極限でしかない」(ルフェーヴル 1974: 21)。この都市化が惑星の隅々に至るまで進行する状況を、ルフェーヴルは「都市の惑星化 planétarisation de l’urbain」と呼んだ(Lefebvre 1989)。都市の惑星化、あるいは「惑星的都市化planetary urbanization」は、新自由主義的な労働市場の再編とともに進行する(Merrifield 2014)。仕事を求めて都市へと向かう労働者の移動は、今やグローバルな規模で生じているが、その先には、もはや彼らが求めるような安定した仕事など残されていない。
    こうした状況をふまえるのであれば、農村から都市への労働力移動を指す「出稼ぎ」という語は、消えゆくもののように思われる。しかしながら、実際のところ、この語は近年になって新たな意味を獲得し、日本とブラジルを行き来する日系ブラジル人たちによって今もなお生きられている。とすれば、日系ブラジル人労働者たちの経験に注目することで、変わりゆく現在の「出稼ぎ」という現象を捉えることができるのではないだろうか。
     
    2.出稼ぎ・decassegui・デカセギ
    日本国内において、「出稼ぎ」が広く注目されるようになったのは、高度経済成長期のことであった。とりわけ1970年代には、出稼ぎ労働者の数がピークに達し、1971年に出稼ぎ労働者の全国的な組織である「全国出稼組合連合会」が結成されている。このような状況下で、「出稼ぎ」は社会問題として盛んに論じられ、地方新聞社やジャーナリストによるルポルタージュも相次いで出版された。ところが、1980年代以降、出稼ぎ労働者の数は減少し、それに伴って「出稼ぎ」という語が用いられる機会も減少する。
    一方、日本国内の出稼ぎの減少と反比例するかのように増加したのが、ブラジルから日本への労働力移動を指す「デカセギdecassegui」という語の使用であった。1980年代後半以降、ブラジルのハイパーインフレなどを背景に、多くの日系ブラジル人が仕事を求めて来日した。その際、日本語の「出稼ぎ」が、日本での就労を意味する語として用いられはじめたのである。日本での就労が日系コミュニティ内で一般化するにつれ、この語はポルトガル語化し、彼らの語彙に定着した。そして現在でも、日系ブラジル人は自らをデカセギと名指し、日本での労働の経験を語る。

      3.本報告の目的
    本報告では、近年の都市研究における惑星的都市化の議論を参照しつつ、日系ブラジル人労働者の語りを通じて、現在の「出稼ぎ」がどのように意味づけられているのかを明らかにする。そのうえで、出稼ぎをとりまく労働市場の変容から、惑星的都市化の内実を捉えてみたい。
    なお、本報告は2016年7月から9月にかけてブラジルのサンパウロおよびポルトアレグレで実施した、日本への出稼ぎ経験者に対する聞き取り調査にもとづくものである。  

    参考文献
    ルフェーヴル, H. 著. 今井成美訳 1974. 『都市革命』晶文社. Lefebvre, H. 1970. La révolution urbaine. Paris: Gallimard.
    Lefebvre, H. 1989. Quand la ville se perd dans une métamorphose planétarie. In Le monde diplomatique May. Translated by L. Corroyer, M. Potvin and N. Brenner, 2014. Dissolving city, planetary metamorphosis. In Implosions/ explosions: Towards a study of planetary urbanization, ed. N. Brenner, 566-571. Berlin: Jovis.
    Merrifield, A. 2014. The right to the city and beyond: Notes on a Lefebvrian Reconceptualization. In Implosions / explosions: towards a study of planetary urbanization, ed. N. Brenner, 523-532. Berlin: Jovis.
  • 侯 浩
    セッションID: P077
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    東京大都市圏を対象に,パーソントリップ・データを用いて歩行行動の時間的,空間的特徴を明らかにするとともに,その時空間的パターンを生み出した要因を移動者の属性および居住地周辺の近隣環境(ウオーカビリティ)に焦点をあてながら,GIS解析により究明した. 分析に利用したデータは,東京大都市圏パーソントリップ調査(2008年)をもとに,東京大学空間情報科学研究センターが住民の一日の行動に着目し, 1分おきに移動者の位置を緯度経度でデータベース化したものである.調査対象は東京都,神奈川県,埼玉県,千葉県,そして茨城県南部を含む東京大都市圏である.57万6千人の移動者の性別・年齢・職業・交通手段・移動目的などが記録されている. 多様な移動手段が存在するなかで,徒歩による移動は全体の26.41%とかなりの割合を占め, 33.77%の電車に次ぐ割合である.歩行を誘発する要因として,居住地周辺の施設分布や交通状況が重要であり,本研究ではこれらを近隣環境として定量的に指標化して影響度を分析した.居住密度(1km以内の住宅世帯数),交差点密度,土地利用多様性,バス停密度,鉄道駅への近接性,観光施設への近接性,緑地度,公園密度の8つの指標を取り上げ,居住地から半径1km以内を対象にGIS解析により,居住地毎に近隣環境を導出した.なお本分析では,目的が明確で移動が定期的である歩行(Utilitarian Walking:UW)と余暇・娯楽・散策など移動が不定期である歩行(Recreational Walking:RW)では,歩行行動が本質的に異なるので,それらの違いに注目した. 移動者全員を対象として一人あたりの平均歩行時間を算出し,その空間分布を探ったところ,東京大都市圏全体では,都心部を中心に距離逓減の同心円パターンがみられ,平均歩行時間は10km圏では,40.31分,20km圏では38.91,30km圏では50-60km圏では35.71分,70-80km圏では34.56分であった.都心部に居住する人ほど,徒歩で移動することがみいだされた.また,横浜,千葉,大宮,立川などの郊外核では,周辺地域と比べて居住者の歩行時間が長いことがわかった.UWとRWでは明確な差違があり,UWでは都心から郊外に向かって歩行時間が減少するのに対し,RWでは歩行時間が上昇する.UWの場合には,東京都心部から郊外に延びる鉄道路線の存在が歩行時間に影響し,鉄道路線沿いの地域では歩行時間が延びる傾向がみられる.一方,RWの場合には鉄道路線の影響はほとんどみられないことが明らかになった. 実証分析を通して,歩行を誘発する因子として居住地周辺の近隣環境が重要であることが解明された.すなわち,ウオーカビリティが高い地域ほど実際の歩行時間も長くなることがGIS解析を通じて見いだされた.さらに,両者の関係は都市空間構造に規定され,大都市圏の中心部では,ウオーカビリティ,歩行時間とも相対的に高く,周辺部では,ウオーカビリティ,歩行時間とも相対的に低いことが明らかになった.  
  • 安田 正次
    セッションID: 402
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    八幡平山系(八幡沼から秋田駒ケ岳にかけて)には泥炭層を伴う湿原が多数分布している。これらの湿原は泥炭を基盤にしており、生育している植物の組成が共通していることから、ほぼ同一のものと捉えられてきた。しかし、これらの湿原の成因や形成年代は様々であることが明らかにされてきた(大丸ほか 2000; 今野 2014; 佐々木・須貝 2014など)。ところで、一般的には湿原植生は遷移が進むにつれて草本主体から木本主体へと変化することが知られている。具体的には湿原ごとの成因や維持機構によってその速度は様々で、気候の変動への応答性も異なっていると考えられるが、その詳細は明らかではない。そこで、八幡平における湿原の成因や立地環境を整理して、気候変動への応答性を検討した。

    2.調査方法
    湿原の面積の変化を検出するために、新旧の空中写真を比較した。用いたのは1959年、1965年、1976年、2004年に撮影されたものである。これらをステレオマッチングによってオルソ化してArcGISに配置し、湿原のポリゴンを作成して面積を計算した。植生の変化が認められた場所は植生調査を実施するとととに、地形と立地環境の確認を行った。また、積雪期の空中写真を参照し、雪庇の状況や樹木の露出の程度などから積雪量の推定を行った。

    3.結果
    空中写真の解析結果について、湿原の面積と年平均変化量の関係を示したのが図1である。図1から湿原の面積が大きいものは変化量も大きいことがわかる。この変化を割合で示したものが図2であるが、面積が大きい湿原は変化率が小さく、面積の小さい湿原は変化率が大きいものが多い。これらをまとめると、面積の大きい湿原は毎年消失する面積が大きいものの、その割合は小さく比較的安定である。一方、面積の小さい湿原は毎年消失する面積は小さいもののその割合は大きく、加速度的に縮小しているのである。地形別では特に傾向は見られなかった(表1)。立地別では尾根や斜面に位置しているものは消失の速度が比較的大きかった(表1)。成因別では風衝と積雪によるものの変化速度が大きかった(表1)。4.考察
    小さい湿原ほど縮小している割合が大きいという傾向は、湿原における植生変化は周辺からの植生の侵入の結果である(安田・沖津 2001)ことから説明される。むしろ、小規模な湿原でも変化率が小さいものは、涵養源があるなど森林性の植物の侵入を拒む要因があると考えられる。立地別で変化率が大きいものは風衝や積雪起因である。かつては気象環境によって木本性の植物の侵入が阻害されていたが、近年の気候の変化によってそれが緩和されている可能性が高い。近隣の角館の気象観測記録では積雪量はやや減少傾向にある。そのため湿原では雪圧の減少や積雪期の短縮が起きて、木本性の植物が生育できる環境に変化している可能性がある。
    文献
    今野 2014. 日本地理学会発表要旨集. 151
    佐々木・須貝 2014. 日本地理学会発表要旨集. 192
    大丸・梶本・小野寺 2000.  日本地理学会発表要旨集. 230-231
    安田・沖津 2001. 地理学評論. 709-719
  • 有賀 夏希, 石川 剛, 米林 秀起, 谷口 亮, 柳場 さつき
    セッションID: 714
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.背景 障害の有無に関わらず、誰もが平等に生活できる社会環境の実現を目指し、様々な取り組みが進められている。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控えた今、移動の円滑化やバリアフリー化は重要な課題であり、その整備が急務となっている。このような背景のもと、当社では、健常者のみならず視覚障害者、高齢者、車イスやベビーカー利用者などの移動支援を目的として、点字誘導ブロックや歩道情報のデータベース化を行ってきた。しかしながら、その開発・利用にはGIS製品が必要なため利用シーンが限定されることや、現地でしか確認できない情報を付与しにくいなどの問題点もあった。 そこで当社ではネットワーク化した歩道データを組み込んだタブレット端末用アプリケーションの試験開発を進めている。本発表ではその一部を紹介する。 2. 歩道ネットワークデータ 歩道ネットワークデータとは、公開情報(主に国土地理院提供)をベースに、道路の歩道部分と横断歩道および歩道橋を抽出・結合しネットワーク化したデータ(図1)のことで、バリアフリー情報として「傾斜」「幅員」「点字ブロックの有無」の3つを属性として付与してある(*)。以下、試作版として作成した東京都文京区のデータをサンプルとして用いる。 3. タブレット端末用アプリケーションの開発  こうした地理空間データを広く閲覧・利用できるようにするためには、タブレット端末(スマートフォン)用のアプリケーションソフトが相応しい。当社では、iOS用の簡易閲覧ソフトウェアを開発し、最適ルートの検索や、利用者からのフィードバックを組み込むことを視野に開発を進めている。プロトタイプ版では標準的なWebマップをベースとして、現在地の表示、歩道属性情報によるレイヤー表示の切り替え(歩道の傾斜、幅員の大小、点字ブロックの有無の視覚化)をボタンで操作できるようにしている(図2)。将来的には、歩道状況を考慮して最適な経路を検索できるナビゲーション機能や、「交通量が多い、障害物がある、路面状態がよくない」といった現地情報(写真を含む)を集約できるような情報収集機能の追加も検討している。  なお、タブレット端末が如何に使いやすくなっても、視覚障害者や高齢者にとってはまだ一定のハードルが存在する。よって、当該アプリケーションは移動困難者をサポートする支援者を主なターゲットユーザーとし、一般的な地図系のソフトウェアと同様なインターフェイスを踏襲しながら、よりシンプルな操作が可能なものを目指している。 4. 課題と展望  現行の歩道ネットワークデータはあくまで歩道のみを抽出したラインデータであり、歩道が設置されていない道路(歩車非分離道)や、庭園路(遊歩道、緑道、自然歩道等)は含まれていない。歩道は安全が担保された道路空間だが、実際、歩道でなくとも歩行者が移動可能なルートは存在し、既設道路の情報をどう結合しソフトに組み込むかといった検討も必要である。    また、よりミクロな精度の情報、たとえば細かい段差や微少な起伏、街路樹やガードレールの有無、あるいは通学路指定、自転車レーンの併設など地域性の高い情報を盛り込むことができれば、より実用性の高い情報提供が可能になると考えられる。
  • 目標管理型災害対応に向けた訓練設計の視点から
    坪井 塑太郎
    セッションID: 834
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ.問題所在と研究目的
    米国における災害対応では,ICS(Incident Command System)による一元的な危機管理システムのもと,危機対応を効果的に遂行するための指揮調整機能,事案処理機能,情報作戦機能,資源管理機能,庶務財務機能の5機能が位置付けられると同時に,対応機関・関係者が,被災地の様々な状況を迅速かつ的確に把握するためのCOP(Common Operational Picture)として,「地図」が作成・活用される体制が図られている.わが国においては,2007年の新潟県中越沖地震の際に,新潟県庁内に緊急地図作成チームEMT(Emergency Mapping Team)が初めて組織されて以降,主として,広域地方公共団体を対象とした,産官学連携によるGISでの主題図作成支援が行われてきているほか,近年では,民間やNPO等によるWeb-GISを利用した自発的な地図作成も展開されている.  一方,基礎自治体(市町村)においても,統合型GISの導入が進み,災害時の地図作成機能が実装されているものも多く,地図による情報集約や活用の重要性は高く認識されているものの,災害対策本部内での地図利用の方法については,地域防災計画の中には必ずしも明確に位置付けが行われておらず,また,具体的な方法論や訓練方法に関する知見が蓄積されていない状況にある.  本研究では,主として基礎自治体における初動期・応急期の実際の災害対応事例を基に,危機管理部局職員に対するヒアリング調査による地図利用の課題検証を踏まえ,併せて,災害対応訓練を通して,訓練設計時の要点を明らかにすることを目的とする.    

    Ⅱ.初動期・応急期における地図化項目と方法
    発災直後から概ね72時間を指す初動期においては,人命救助が第一の目標として掲げられる.自治体における既往の災害対応現場の多くでは,自治体保有の都市計画図・道路基本台帳図,管内図等の10000分の1縮尺の「紙地図」が用いられ,通報や映像等を通じた被災箇所(火災・通行止め・倒壊・孤立集落・鉄道事故状況等)が手書きにより書き込まれるなかで状況把握が行われ,同時に警察,消防,自衛隊等への応援要請が行われる.次いで,被災者の生活支援が主となる応急期においては,主として救援物資量や避難所環境等の把握の観点から,避難所別に「一覧表」で人数の集計と報告が行われる.  しかし,道路啓開や堤防復旧などの特殊技術を要する内容は,国交省TECH FORCEなどの専門組織がこれに当たるため,自治体が独自で地図を作成し対応する必要性は低いが,避難所については,場所別にシールの数で表示を行なうものや,地図への数値の直接書き込み等による工夫は見られるものの,域内の量的把握や偏在,時系列での変化等を把握するための地図作成には至っていないことが課題として挙げられる.

    Ⅲ.大阪府吹田市における災害対応訓練と避難者地図の作成  
    発災時の情報収集(避難者数)を主眼とした市および自治会連合協議会合同の防災訓練が表1に示す流れのもとに実施され,この中で,表2に集約された避難者数集計からGISを用いた地図化作業を試行し,作成された地図をもとに災害対策本部会議および報道対応訓練が実施された.地図作成に当たっては,操作の簡便性と導入コストを考慮し,MANDARAを使用した.事前に避難所別の位置情報を付した基盤地図を作成し,災害対策本部に集約された避難者数の情報を即時的に地図化した上で,本部会議資料として提示を行った.本図からの対応重点項目として,市南部における避難者の偏在解消と支援物資の集中投入方策が議論された.

    Ⅳ.課題  
    地図による情報視認性の高さは訓練参加者から高い評価が得られ,紙地図と併用しながら,迅速かつ簡便な方法によるGISを用いた地図の重要性が示唆された.今後においては,地図の作成技法にとどまらず,対応方針を明確にした全体計画策定を行い,被災者を含む社会への情報発信を行う「目標管理型災害対応」に資する訓練設計と人材育成を行っていくことが課題である.
  • ―つくば市を例に―
    馮 競舸
    セッションID: 335
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    近年、遠隔操作により無人で空中を進むことができるドローン(Drone)に注目が集まっている。従来ドローンは軍事用、農薬散布等の産業向けに使われていたが、近年の技術革新に伴い、商用物流ドローンの活躍にも関心が高まっている。 本研究では、現代都市地域の特徴と自然農村の特徴を兼ね備え、日本の先進技術を代表するつくば市を事例に、地理学の視点から、GISを援用した土地利用解析手法を用い、商用物流ドローンの配達航路と飛行リスクを解析する。
    2.方法
    本研究では、商用物流ドローンを配達する際に、飛行の安全及び離着陸に影響する因子を対象として、「飛行禁止空域」及び「離着陸禁止地域」を導出する。ユークリッド距離とラスタ演算解析により、因子の影響力を推定し、つくば市における飛行リスクコストを導く。新たな最小コストパス解析方法を導入して、配達状況と目的に応じて、多様な飛行航路モデルを構築する。
    3.分析
    「飛行禁止空域」と「離着陸禁止地域」に関する分析では、因子の影響範囲の面積が全体面積に占める割合を算出し、因子影響力を評価した。 研究対象地域の面積約293k㎡のうち「飛行禁止空域」が約79.6k㎡、「離着陸禁止地域」が約167.4k㎡を占める。特に、都市地域では、人口が集中しているため、「飛行禁止空域」と「離着陸禁止地域」が複雑に分布する。 飛行空域のリスクを求める際に、従来の一般的リスクコスト研究ではなく、本研究ではユークリッド距離を飛行リスクとして解析することで直感的に飛行リスクを地図化することが可能になる。計算も容易である。 ラスタ演算で影響因子を統合した「飛行空域のリスク分布」から、人口集中地域では飛行リスクが高いことが明らかになった。この分布をコスト評価モデルに適用し、コストパス解析手法を通して、商用物流ドローン配達航路の解析に応用した。そして、実用化に向けて実際の荷物を配達する際に発生する様々な状況を予測し、異なる目的と場面の配達航路をモデル化した。本研究では、特に緊急医療運送を対象に、コリドー解析手法による配達圏の解析を行った。 最後に、構築したモデルの有効性を実証するためにシミュレーション分析を行った。その際、最もリスクが高いと見られる都市中心部の人口集中地域において、複数の安全飛行航路をランダムに設定し、衝突が発生する状況を検証した。その結果、すべて安全航路で衝突が発生せず、本研究の有効性が実証された。
    4.結論
    本研究では、商用物流ドローンの配達において、「離陸」から「飛行」、続いて「着陸」、又は「帰着」のプロセル全体を視野に入れ、リスク分析による独自の航路解析モデルを考案した。 本研究で構築したモデルでは、他の地域においても応用が可能である。また、専用のプログラム構築により、自動的に飛行航路を計算することもできる。 商用物流ドローンの実用化に向けて、地域と配達の安全を守ることにより、商用物流ドローンに対する規制について検討することが重要である。
  • ―農耕地土壌の理化学性データベースを利用した推定―
    森下 瑞貴, 川東 正幸
    セッションID: 405
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    泥炭は湿原や湖沼で形成される有機質土壌であり、カーボンシンクとしての機能を持つ。日本では沖積または沿岸低地に広く分布し、その多くが埋没した状態で炭素を土壌中に貯蔵している。一方で、これらの埋没泥炭の分布域は農耕地として利用されている。農地排水は泥炭の酸化分解を促すことから、特に農地表層付近に存在する泥炭は炭素放出源になりやすいと考えられる。したがって、将来的な炭素循環予測において、人為因子の影響を受けやすい表層付近における泥炭の炭素賦存量の推定は重要な課題である。また、人為作用だけでなく堆積物供給が多い低地特有の土壌環境も泥炭の炭素賦存量を左右すると予測される。
    以上に関する基礎研究として、本発表では農地表層50cm以内に泥炭として存在する炭素の賦存量を土壌型および地形分類別に報告する。また、炭素賦存量と土壌環境の関係を、後述する『土壌断面データベース』の泥炭理化学性分析値を用いて考察した。

    2.使用データ
    2.1有機質土層の理化学性分析値
    (国研)農研機構が提供する土壌断面データベースは、施肥改善調査事業(1953年~1961年,農林水産省による)の結果を記録しており、7000点を超える土壌断面の理化学性分析値を含む貴重なデータセットである。この中で、泥炭土、黒泥土、グライ土下層有機質、灰色低地土下層有機質(以下では、これらを有機質土壌と総称する)のいずれかに分類される土壌断面から理化学性分析値を抽出した。なお、全炭素量(重量あたり)が10%を超える層位を調査対象とした。単位面積当たりの表層50cmにおける炭素賦存量の算出にあたっては、容積重の分析値を用いて対象層位の全炭素量を体積あたりに換算し、各層位の層厚から50cm以内に存在する炭素量を求めた。
    2.2 ポリゴンデータ
    (国研)農研機構が提供する全国農地土壌図のGISデータを用いて、有機質土壌の農耕地における面積を算出した。また、国土交通省国土情報課が提供する20 万分の1土地分類基本調査(地形分類図)のうち、扇状地性低地、三角州性低地、ローム台地、山地・丘陵地、台地段丘のポリゴンデータを抽出し、それぞれが有機質土壌の分布域と重なる面積を算出した。これらの面積と2.1で求めた炭素賦存量(t/ha)の平均値を乗ずることにより、各土壌型または各地形分類の分布域に埋没する泥炭が表層50cm以内に貯蔵する炭素量を推定した。

    3.土壌分類および地形分類ごとの炭素賦存量 
    農地に分布する有機質土壌の面積は31万haであり、その50cm以内における炭素賦存量は84.6Mtだった。この面積は、日本の泥炭土分布面積の約70%、農耕地面積の約6.5%にそれぞれ相当する。また、土壌分類ごとの炭素賦存量を比較すると、泥炭土が55.3Mt(318.6 t/ha)を占め、次いで黒泥土が20.4Mt(281.8 t/ha)だった。地形分類ごとに比較すると、低地に分布する有機質土壌の炭素賦存量が全体の80%以上を占め、三角州低地で35.8Mt、扇状地性低地で32.2Mtだった。一方で、単位面積あたりでは、扇状地における炭素賦存量(280.8 t/ha)の方が三角州性低地(269.4 t/ha)よりも高かった。これらの炭素貯留能を説明する因子の一つとして、無機画分中の砂質粒子の割合が炭素量に影響を及ぼすことが理化学性分析値から示唆された。泥炭中に含まれる無機物の粒径が粗くなると泥炭中の水分保持力が低下し、有機物の酸化分解が進行する。これと一致して、砂質粒子割合は黒泥土(32.5%)、三角州性低地(34.2%)に比べて、泥炭土(29.0%)、扇状地性低地(24.7%)で低くなっていた。また、無機物の粒径以外にも、炭素賦存量は人為的な排水または客土の程度に大きく左右される。そのため、今後は農地利用形態との関係にも着目した埋没泥炭の炭素賦存量の調査を予定している。
  • 平野 淳平, 三上 岳彦
    セッションID: 635
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代以降、北半球中・高緯度を中心として冬季の気温が低下しており、この寒冷化が全球的気温上昇の停滞と関連していることが指摘されている。寒冷化の要因として、北極振動 (AO) との関連などが指摘されている。しかし、半球規模の気温変動と循環場の変動との関連に関する統計気候学的解析はほとんど行われていない。本研究では、米国海洋大気庁(NOAA)よる20世紀再解析データと、イースト・アングリア大学のClimatic Research Unit(CRU)による地上気温データHaDCRUT4を用いて、 気温場と循環場の変動の関連性について正準相関分析による解析を行った。 分析の結果、正準相関係数が高い順に、7つの正準相関パターンが得られた。このうち、第2正準相関パターン(CCA2)は、ユーラシア大陸、および北米大陸の気温変動と関連するCold Ocean Warm Land (COWL)パターンと対応している。また、第3正準相関パターン(CCA3)は、Ural Blockingの強弱と対応している。第2正準相関パターン(CCA2)のスコアは、2000年代以降、低下している。この結果は、負のCOWLパターンの強化に伴って、ユーラシア大陸と北米大陸で寒冷化が進行したことを示している。一方、第3正準相関パターン(CCA3)のスコアは1990年代中頃以降、低下しており、Ural Blockingの強化がユーラシア大陸での寒冷化と関連していることを示している。これらの結果から、近年の北半球中・高緯度における冬季寒冷化は、負のCOWLパターンの強化と、Ural Blockingの強化に起因する現象であると考えられる。

  • 山根 悠介, Rahul Mahanta
    セッションID: P035
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    インド北東部に位置するアッサム州におけるシビアローカルストーム(竜巻、雹、落雷、突風等の発達した積乱雲に伴って発生する局所的な激しい大気現象)の経年変化を始め、空間分布や日変化なども含めた気候学的特徴を包括的に明らかにすることを目的として研究を行った。その結果、1971年から2009年の39年間において、シビアローカルストームは増減の変動を伴いながらも減少傾向にあること等がわかった。
  • 西 暁史, 日下 博幸
    セッションID: 634
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    関東地方の冬季の強風は,「空っ風」と呼ばれ,北西風時に関東で局地的な強風をもたらす.空っ風が最も強くなる前橋周辺は,北、西、南の三方に山地に囲まれており(以後,の地形を“半盆地”とよぶ).空っ風は,半盆地から吹きだし,つくばや東京などの平野部でも強風が広がるという特徴を持っている.そこで,本研究では,空っ風に対する半盆地の効果を明らかにするために大気と地形の双方を理想化した数値実験を行った.数値実験にはWRFバージョン3.2を用いた. 210×190格子(水平格子間隔:3㎞),鉛直層50層の領域に理想化した地形を設置して計算を行った.地形は領域の中央に曲部を持つ標高2000mの山脈とした.この山脈の曲部の凹側が半盆地に相当する.初期値は,空っ風時の輪島の平均的なプロファイルを理想化したものを水平一様に与え,6時から12時までの6時間の計算を行った. その結果,半盆地の風下の平野部に、空っ風と同様な強風域が広がることが分かった.さらに,この発散域の上空には強い下降流が存在していた.一方で,半盆地の内部では,いずれの斜面でもハイドロリックジャンプが発生していた. 次に,半盆地内と半盆地の出口付近にコントロールボリュームとし運動量収支解析を行い、半盆地内と半盆地の出口周辺の力学的なバランスを調べた.半盆地内では、移流による運動量の水平収束と鉛直発散が大きいことから,半盆地内の斜面でハイドロリックジャンプが力学的なバランスに対して大きな影響を持っていると考えられる.一方で、半盆地の出口では,移流による運動量の水平発散と鉛直収束が大きい.つまり,半盆地出口付近における強風域の運動量の起源は,開口部上空の運動量の鉛直移流によるものだと分かった.この鉛直移流による運動量の収束は他の項に比べて大きく,空っ風の強風域の形成に重要な役割を持っていると考えられる. 以上の結果から,空っ風の形成に対して山脈の曲部が重要な役割を持つと結論づけた. 
  • 地点観測データとグリッド日降水量データ(IMD4)の比較から
    福島 あずさ, 林 泰一, 寺尾 徹, 村田 文絵, 木口 雅司, 山根 悠介, 田上 雅浩, 松本 淳
    セッションID: P034
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    インド気象局が作成した最新の長期(1901-2010)データセットであるIMD4(0.25度格子)は,州政府管理の観測地点を含む6955地点の雨量観測点のデータが用いられている(D.S.Pai et al. 2014).このデータからアッサム州を含む北東部州は,インド南西部と並んで年平均日降雨強度が6-8 mm day-1を超す多雨地域と評価できる.一方グリッド化にあたっては,同一グリッド内の値が平滑化されるため,局地的大雨などスケールの小さな現象が適切に表現されないことが予想される。このためモンスーン季に頻発し,土砂災害や洪水などを引き起こす大雨現象の特性を捉えるには十分な解像度が得られない可能性がある.そこで,アッサム州内に2006年より設置した15地点の雨量計観測データから降水特性を明らかにし,グリッドデータとの比較を行う.
    2006年よりインド・アッサム州内に設置している15地点の転倒ます型雨量計のデータを用いた.対象期間は2007年1月〜2011年12月とした.比較のため,インド気象局が作成した1901-2010年の日降水量グリッドデータ(IMD4)(D.S.Pai et al. 2014)を利用した.
    各地点における月降水量の推移を確認すると,特に州北部のブラマプトラ川北岸(ヒマラヤ山脈南麓)の2地点(Moridhal, Sankardev College)が州内で最もモンスーン季(JJAS)降水量が多い傾向にある.6〜9月に600〜800 mm month-1の降水量が観測され,モンスーン季降水量は1500〜2500 mmほどであった.IMD4による1901-2010年の気候値と観測(2007-2011年の平均値)値についてそれぞれ観測点を含むグリッドで比較すると,Moridhalで2049.7 mm(観測値)と1695.52 mm(IMD4),Sankardev Collegeで2003.9 mm(観測値)と 1680.25 mm(IMD4)とどちらも300 mm前後IMD4のほうが少なく,グリッド化により地域性が平滑化された影響が表れていた.
    対象期間の全時間雨量を集計し,雨量階級別に降雨頻度を求めると,降雨頻度(降雨時間)は総じて州東部で多く(長く)なる傾向がみられた.一方で全降雨中に占める降雨強度の大きな降雨(20 mm/h以上)の割合は,州西部のKokrajharで最も大きく,全降雨時間の7.8 %となった.ほかに西部ブラマプトラ川沿岸のGoalparaおよび北岸の2地点で3%を超えた.この結果を踏まえ,当日はブラマプトラ川の北岸の地点を中心に,50 mm/h以上の短時間大雨のケースに着目し,プレモンスーン,モンスーン,モンスーン後期(サイクロンなど)に分けて事例解析を行い,その要因を整理した結果を発表する.
  • 森田 喬
    セッションID: S0302
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.研究の目的
     国連の指導の下に、世界各国には地名を研究対象とし地名のあり方を総合的に議論し、また地名に関して紛争が生じた場合、それを調停する組織を設けているところが少なくない。ところが日本には、そのような組織がなく、地名の利用者である一般の市民が、違和感のある地名や機能上不便な地名の利用を強いられている場合が生じている。そこで、そのような課題に対処する組織を国として設けることの必要性が議論されるようになってきている。ここでは、UNCSGN(国連地名標準化会議)およびそれを支援するUNGEGN(国連地名専門家グループ)の活動と密接な関係にあるIGU(国際地理学連合)・ICA(国際地図学協会)合同地名委員会についてその成立の背景を含み動向を概観することを目的とする.

    2.研究の方法
     国際地図学協会(ICA)には日本地図学会が1961年の第1回総会より参加しており、その活動に関する記録が学会誌「地図」に掲載されている。また、国連の地名標準化会議および地名専門家グループ会議には、国土地理院から代表者を派遣してきているが、その報告が「地図」に投稿されることが多く、これまでに10回程度掲載されている。更に、ICAはWebサイト(icaci.org)を通じて協会の活動について情報を公開している。これらの文献資料を中心にICAにおける地名に関する動向をまとめる。

    3.研究結果
     IGUもICAもICSU(国際学術連合会議)の31を数える国際学術団体の正式メンバーであるが、地名に関する研究とは縁が深い。1948年に創設間もない国連において地図作成に関係する地名の問題が提起され、それをきっかけに国連事務局に地図室が設置された(なお、昨年よりこれまで20年にわたって構築されてきた地球地図のデータベースが移管されている)。1955年には国連の第1回アジア太平洋地域地図会議が開催され、そこにおいても地名表記の標準化方法が議論されている。このように、初期の段階で地図作成が切っかけとなって地名について議論が始まっていることは興味深い。そして、1967年に第1回目のUNCSGNが開かれ、その後概ね5年に1度開催して今日に至っている。また、地名標準化を理論面で支えるUNGEGNには、IGUおよびICAから有力なメンバーを輩出してきている。
    例えば、オランダのオルメリンク( Ferjan Ormeling , 1942-)は、現在UNGEGN の事務局次長であり、1970年代より地名のトレーニングコースを組織化してきた。そして、それをサポートしてきたイスラエルのカドモン(Naftali Kadomon , 1925-)は、2000年に地名についての教科書とも言える「地名学」を出版している(和訳は2004年に日本地図センターより刊行)。
    2011年から2015年には、ICAとIGUの「地名に関する合同ワーキング」が設定され、ICAからブラジルのメネゼス(Paulo Menezes)、 IGUからイタリアのパラジアノ(Cosimo Palagiano)を座長として活動してきた。ICAにおいては、2015年からコミッションとして独立し、委員長は同じくメネゼスが務めており、副委員長はオーストリアのジョルダン(Peter Jordan)である。扱うテーマは、UNCSGNやUNGEGNで行われる議論と多くの点で同期しているが研究者を拡げる目的もあるので多様な話題を許容している。その活動目的は、地名に関する科学的知識の普及、人類学や言語学などにおける地名概念の検討、地名集作成支援、ウェブサイトを通じた一般市民との交流、UNGEGNとの連携、書籍やジャーナルを通じた広報、となっている。

    4.考察
     地名の標準化が地図づくりと関連して扱われてきたことは,地図作成においては地名の階層化、表記の整理が必要という課題を常に抱えていることと、地名を議論するに当たっては、記録性に優れている、安定した記録媒体を提供する、均質な情報記述を行う、空間コンテクストが記述できるという「地図」の特徴が有効活用されてきたからであろう。地図は地名の共通言語なのかもしれない。
  • 上田・坂城地域を事例として
    古川 智史, 瀬川 直樹
    セッションID: 301
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.研究の背景と目的
    1990年代以降,日本の産業集積の中には停滞や衰退が顕在化し,またグローバル競争の圧力下にあり,大きな変化が生じていると指摘される(伊東ほか 2014).そうした中で,経済産業省の政策では地域経済の活性化に向けて地域中核企業の創出・支援が始まっている.中核企業と産業集積との関係については,企業内分業における域内拠点の位置づけや,域内における企業間分業の実態を把握することが必要である.
    そこで本研究は,1990年代以降,地方圏の産業集積における地域中核企業を中心とした企業内・企業間分業がどのように変化したのかを明らかにすることを目的とする.事例地域として,長野県上田市および坂城町(以下,上田・坂城地域)を取り上げ,2015年9月~10月および2016年4月初旬に20の事業所・企業に対して聞き取り調査を実施した.

    2.上田・坂城地域の概要と製造業の動向
    上田・坂城地域では,戦時中の疎開企業を基礎として,高度経済成長期に工業が発展した.坂城町に関しては,中核企業からのスピンアウトにより事業所数が増加し,高い技術水準を誇ったことから,「山間部の農村地域に自生的に形成された唯一の技術核心地域」と位置付けられた(竹内・森 1988).
    1990年代以降の上田・坂城地域の製造業の動向を『工業統計表(市区町村編)』から把握すると,旧上田市では従業者数,製造品出荷額等ともに縮小傾向にあった.一方,旧丸子町では従業者数に大きな変化はないものの,製造品出荷額等は増加し,合併前の2005年では1990年に比べ約1.6倍となった.坂城町では,バブル経済崩壊後に,従業者数と製造品出荷額等は減少したが,2000年代に入ると製造品出荷額等は増加に転じ,2007年には約1,896億円とピークに達した.リーマンショックの影響は上田・坂城地域にもみられ,2008年を境に製造品出荷額等は著しく減少した.その後,回復基調にあるものの,2014年時点で上田市は約4,656億円と2008年の85.0の水準にとどまる.一方,坂城町は2009年の約866億円から2014年には約1,832億円にまで急回復している.
    したがって,上田・坂城地域は形成過程を含め異なる性格を持つ地区から構成されているといえる.

    3.上田・坂城地域における生産連関の変化
    1990年代以降,海外への生産拠点の展開が中核企業を中心にみられ,国内拠点と海外拠点との間で棲み分けを進めていることが明らかとなった.2000年代以降,中国や東南アジアに生産拠点が設けられ,安価な部品を国内に供給したり,進出先地域をはじめとした海外市場に向けた輸出拠点として位置づけたりしていた.その中で,生産内容が多様化し,従業員規模が拡大する事例もみられた.一方で,国内拠点をみると,開発機能を有し,多品種少量生産や試作,生産ラインの立ち上げなどを担うなど,マザー工場として位置づけられていた.
    中核企業の生産拠点がグローバルに構築される中で,上田・坂城地域における企業間分業は希薄化する傾向が明らかになった.業種などにより違いはみられるものの,中核企業の中には,海外工場への生産移管により従来外注していた工程の内製化を進めたり,海外調達を増加させたりする事例がみられた.また,外注先の廃業ために,外注工程の中には域内の事業所を利用できないケースもみられた.一方で,品質やコストの面から域外の外注先を利用するケースも増え,中核企業の外注連関は広域化する傾向が確認された.
    一方,中小企業をみると,受注先の海外展開に伴う受注減に直面し,新規取引先を開拓した結果,受注先の構成が変化し,またその地理的範囲は広域化する方向がみられた.これに伴い中小企業の外注連関も大きく変化し,受注減に伴い内製化を進めたり,外注先の廃業等に伴い取引数の減少もみられた.また受注内容の高精度化に対応するために域外に外注先を求めた結果,外注連関も広域化する事例もみられた.
    以上を踏まえると,1990年代に既に指摘されていた機械メーカーと加工業群の有機的な連関が希薄という構造(通商産業省関東通商産業局 1996)は,より強まったと考えられる.加えて,外注先の廃業にみられるように,基盤技術の地域的厚みが失われつつある可能性が示唆された.

    参考文献
    伊東維年・山本健兒・柳井雅也編著 2014.『グローバルプレッシャー下の日本の産業集積』日本経済評論社.
    竹内淳彦・森 秀雄 1988. 農村地域における自前の機械工業技術集団―長野県坂城町の事例を中心として.経済地理学年報 34: 29-41.
    通商産業省関東通商産業局 1996.『広域関東圏における産業立地の展開に関する調査報告書<産業集積風土記>』.
  • 山本 遼平, 奈良間 千之, 福井 幸太郎
    セッションID: 414
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    北アルプスには,冬季の季節風によりもたらせる大量の降雪によって形成される多くの越年性雪渓が存在する(樋口ほか,1971;朝日,2013).福井・飯田(2012)は,立山連峰の東斜面に分布する3つの越年性雪渓に厚さ30m以上の氷体を確認し,高精度GPSによりこれら氷体が流動していることを示した.この調査から立山連峰に存在する3つの越年性雪渓は国内初の氷河と認定され,極東アジアの氷河の最南端が日本の立山連峰となった.しかしながら,氷河の年間質量収支や氷河が形成・維持される環境条件は明らかでなく,北アルプスの立山連峰のみに氷河が局所的に存在する要因も不明である.そこで本研究では,空撮したデジタル画像とSfM(Structure from Motion)を用いて,現存する3つの氷河と3つの越年性雪渓の年間質量収支を求めた.また,衛星画像と国土地理院提供10mDEMから作成した地形データを用いて決定木法による統計解析で,氷河と越年性雪渓が発達する北アルプスの地形の環境条件について調べた.
  • 井上 学, 田中 健作
    セッションID: 331
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに

    乗合バス事業は、明治期の末頃から大正期にかけて始まった。1923(大正12)年の関東大震災の復興に際し、東京市で大規模な路線網によって運行されたことが契機となり、全国的に乗合バス事業が拡大したといわれている。ただし、それら路線網の展開や事業者の参入などの状況については、事業者が発行した社史や事業沿革などの資料に限られ、全国的な事業の開始と展開は明らかにされているとは言い難い。これは、事業開始当初から現在に至るまで、日本全国の事業者や路線網がほぼ明らかにされている鉄道事業と大きく異なる。そこで、乗合バス事業の初期段階における路線網の復原とその特性を明らかにすることを本発表では試みる。くわえて、当時の資料の有用性についても言及したい。

    2.使用した資料の特徴

    乗合バス事業の許可については、実質的に各府県が扱っていたが、事業者間競争が激しくなったため、1931年の自動車交通事業法の制定によって鉄道大臣が管理することになった。そのような背景を持って発行されたのが鉄道省編による『全国乗合自動車総覧』(1933)である。本資料は全国のバス事業者と路線、事業規模等などが収められている。路線の空間情報として、起終点については地番までの住所が記載されているものの、経由地は数カ所の地名のみである。路線図についても簡略化された図が添付されているがすべての事業者が記載されているわけではない。

    一方、大阪毎日新聞社発行の『日本交通分県地図』は東宮御成婚記念として1923年の大阪府から1930年の新潟県まで北海道を除く府県版が発行された。バス路線も記載されているが、事業者名は記載されていない。また、各府県版が同時期に発行されたのではないし、発行順序も地域ごとにまとまって発行されていない。そのため、資料の統一性には欠けるものの、当時の道路網や鉄道路線などバス路線網と比較検討しやすい特徴を持つ。

    そこで、本発表では両資料を用いて当時の路線網の復原を試みた。今回は中部地方の4県(長野県、岐阜県、静岡県、愛知県)を対象とした。

    3.バス路線網の特性と資料の有用性

    『日本交通分県地図』の発行時期は長野県・岐阜県(1926年)、愛知県(1924年)、静岡県(1923年)と近接しているが、路線網は各県によって大きく異なった。岐阜県や愛知県では路線網が全県的に広がっているが、長野県や静岡県は局所的にとどまる。『全国乗合自動車総覧』で路線の開設時期を検討すると、静岡県では昭和に入ってから路線の新設が相次いでいる。つまり、乗合バス事業の普及と展開は全国均一に広まったのではなく、地域や時期によって大きく異なる点が想定される。

    路線網については都市や集落間、街道で運行される路線、鉄道駅から周辺集落への路線、鉄道駅同士を短絡する路線や鉄道と競合する路線も見られた。鉄道にくらべてバスは細かい地域を回ることができるという特性が、すでにこの時点で活かされていたといえよう。

    このように、発行時期の不一致と事業者名がない『日本交通分県地図』と空間情報の解釈が難しい『全国乗合自動車総覧』の2つの資料を用いることで、当時のバス路線網の復原には一定程度有用である点が認められた。ただし、『全国乗合自動車総覧』には消滅した事業者がないため、記載されている事業者が必ずしも運行開始時点からその事業者名であったかについては明らかにできないという限界も見られた。この手法を用いて今後は全国的な路線網の復原を目指す。
  • -19世紀・函館(ロシア領事館)気象観測データの事例-
    三上 岳彦, 財城 真寿美
    セッションID: S1508
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    デジタル化された気温や気圧の観測記録を現在の近接気象庁観測データと接続する場合には、観測単位、観測時刻・回数、観測場所(海抜高度)などによる誤差を補正する必要がある。レスキューされた19世紀の気象観測データの「均質化」と「補正」には様々な方法が試みられているが、今回は観測所の沿岸部から内陸部への移転に伴う気温日変化パターンの変化とその補正について、函館の19世紀・ロシア人による観測記録の補正と気象庁函館気象台移転の補正を事例に分析・考察を試みた。
    函館市内2カ所に設置した温度ロガーの観測データと函館気象台およびAMeDAS観測所の2016年7月・時別平均気温から、日変化パターンの内陸部と沿岸部での差異を明らかにした。それらを、1859年~1862年のロシア領事館での気象観測データと比較した結果、現在に比べて1860年前後の7月平均気温は3.8℃低いことが明らかになった。筆者らによる研究では、1860年代の夏季の気温は高めであったと推定されており、日本国内での気温差の存在が示唆されるが、さらに検討する必要がある。
  • 米原 和哉
    セッションID: 433
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに:新潟県西部の西頸城丘陵の沿岸には,数段の海成・河成段丘面が分布するが(高浜,1980),それらの広域示標テフラに基づく対比・編年や離水年代に関してはほとんど研究が無く確定していない現状である.また西頸城丘陵は,高田平野西縁断層帯の隆起側に位置するばかりではなく,丘陵内には日本海から続く海岸に直交する褶曲構造が分布し(赤羽,1988),丘陵全体が短縮変形を受けながら隆起していると考えられる.本研究では後期更新世から完新世における西頸城丘陵沿岸に分布する海成段丘面の対比・編年を行い,その旧汀線高度分布の傾向から後期更新世以降における西頸城丘陵の地殻変動を明らかにすることを目的とする. 2.研究方法:西頸城丘陵が分布する上越市から糸魚川までの東西約40kmにわたる空中写真判読から段丘面を区分対比し,現地調査にて,段丘構成層,被覆層の観察,クリプトテフラ分析を行うとともにRTK-GNSSを用いて段丘面の旧汀線高度を計測した. 3.段丘面の対比と編年:本地域に分布する段丘面をH面,M(1~3)面,L(1~2)面に区分した.H面は,形成年代に関する資料は得られていないが海進性の厚い堆積物が見られたことや,構成層の風化の度合いからMIS7またはMIS9の段丘面である可能性がある.M1面の海成段丘は厚い海成堆積物がみられ,段丘構成層上部約30cmにK-Tz(9.5ka)が産出することからMIS5eに対比した.M3面は段丘構成層上部約40cmにDKP(5.5ka)が産出することからMIS5aまたは5cに対比した.L1面ではテフラによる年代試料は得られていないが,ボーリングデータで厚い   海進性堆積物が見られたことからMIS1の高海面期に対比 した. 4.旧汀線高度分布:M1面は名立鳥ヶ首周辺で最も高度が 高くなり約90mである.東方の有間川右岸にかけて高度を 減じ,高田平野付近の汀線高度は約25mであった.平野部に向けて西から東へ高度を減ずる傾向がある.M3面も同様の傾向が見て取れ,名立鳥ヶ首付近で最も高く約45m,平野北方で約10mである.L1面,L2面はそれぞれ約5~10m,1~2mに分布し地域に高度の明瞭な違いは見られないが名立鳥ヶ首周辺では平均高度が若干高く上位の段丘面の高度の傾向と調和的である. 5.西頸城丘陵の隆起速度:段丘形成年代と段丘面の旧汀線高度の分布から,平均隆起速度はM1面,M3面それぞれ0.72~0.2m/ka,0.8~0.4m/kaの値が得られた.隆起速度は鳥ヶ首周辺で最も大きくなっており,それらは西頸城丘陵の隆起運動が名立鳥ヶ首周辺で相対的に大きくなることを示している. 6.西頸城丘陵の地殻変動:本地域に分布する海成段丘の旧汀線高度は新第三系の背斜軸周辺で高く,向斜軸周辺で低くなっており,褶曲構造との対応がみられる.今後,このような隆起運動の特徴を解明していくとともに,テフラ資料,段丘の区分などに関してより詳細な調査が必要である. 引用文献 赤羽貞幸・加藤碩一,1988,高田西部地域の地質,地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 新潟(7)第60号. 高浜信行,1980,北部フォッサ・マグナ能生海岸の段丘形成史と鬼舞地すべりの発達史,新潟大災害研究報,第2号.
  • 佐々木 夏来, 須貝 俊彦
    セッションID: 418
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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     山岳湿地は,希少種の生育場所として生態学的に重要な場所であるとされている.日本のような中緯度湿潤変動帯においては,山岳湿地の重要な成因の一つとして,地すべりが挙げられる.特に奥羽山脈の第四紀火山は,大規模地すべりによる山地の解体が進み,地すべり地には多数の湿地が形成されている.地すべり地形は,初生的な地すべり活動後も,断続的な滑動,副次的な地すべり,河川侵食などによって変化しており,地形変化は湿地発達にも大きく影響していると考えられる.しかし,発達史地形学的な視点に立った湿地研究はほとんど進んでいないのが現状である.
    本研究では,船形山のすげ沼地すべり地を対象として,地すべり地形の発達が湿地に及ぼす影響について検討する.地すべりの微地形と湿地分布のを判読には,1976年に国土地理院が撮影したカラー空中写真および,落葉期の衛星画像を用いた.また,地すべり土塊の移動方向に列状に分布する小規模湿地の掘削調査を実施し,地すべり土塊の地形発達と湿地の特徴について検討した.
    すげ沼地すべり地は船形山の北麓に位置し,西部は船形山溶岩流を,東部は段丘面を侵食している.初期の地すべり活動は34,500 yBP以前であり,1万年前以降にも地すべり活動があったことが報告されている.特に土塊の東部では滑落崖が南西-北東方向に直線的に延び,滑落崖に平行で比高の大きい分離崖や線状凹地が多数見られることから,地すべり形態は並進すべりであると判断できる.湿地は,地すべり土塊全体に広く分布し,規模の大きい湿地は滑落崖付近のブロック間の低地に形成されている.
    すげ沼地すべり地東部の田谷地沼周辺では,土塊を開析する小河川の谷底に向けて,副次的な小規模地すべりが複数認められる.田谷地沼上流部の田谷地湿原は,小規模地すべりによる堰き止めで1600 yBP頃に形成されたことが報告されている.今回掘削した4湿地のうち,Fu-Dはこの小規模地すべり地の滑落崖下に形成されたものである.一方,Fu-A, B, Cは主滑落崖に平行する凹地内にあり,すげ沼地すべり地東部の地すべり土塊本体の運動に伴って形成された微地形が影響していると考えられる.堆積物の特徴もFu-Dと他の3つでは違いが見られた.Fu-Dは崩壊堆積部上に泥炭が堆積し,泥炭は植物遺骸の形態が残り多量の水分を含んでいた.一方で,他の湿地の泥炭層は分解がよく,硬く締まっていた.  安定した地形場・気候下に形成された湿地は,排水および埋積によって森林への遷移が予想される.しかし,大規模地すべり地においては,初生すべり後の副次的なすべりや、土塊の解体に伴って新たに湿地が形成されることによって,多様な生態系が長期にわたって維持されると考えられる. 
  • 鈴木 理恵
    セッションID: P020
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    はじめに 伊勢平野は,鈴鹿・布引山地の東麓から伊勢湾まで,南北およそ70kmにわたり,同平野南部を流れる櫛田川下流部には,旧河道や自然堤防が発達する一方,櫛田川と祓川(はらいがわ)間の沿岸域には浜堤列が発達する.また,伊勢平野最大の河川である宮川の河口部には沿岸流の影響が小さく,河川による土砂供給量が多い場所に形成される(小野,2012)円弧状デルタが発達する.その南の臨海部の二見浦には浜堤列が発達する.櫛田川~宮川間の沖積低地には,多くの先史・古代遺跡が発掘され,立地する地形環境から,当時の人々の居住域は,その自然環境変化に大きく左右されたと考えられる.本研究では,伊勢平野南部のボーリング試料の解析や,掘削調査の結果に基づいて,地形環境の変化と遺跡立地の変遷についての関係を考察した.   2. 研究方法 本研究では,米軍及び国土地理院撮影の縮尺1万分の1空中写真の判読を行い,地形分類図を作成した.次に関係機関からボーリングデータやコアサンプルを収集し,堆積物の層序・層相を把握した.さらに,ハンドオーガーを用いた掘削調査を行い,層序の確認とサンプリング,河成堆積物と海成堆積物の判別について電気伝導度分析を行い,各層の堆積環境を確認した上で,海成層上限高度を認定した.海成層高度と関わる試料についてAMS法による14C年代測定を行なった.また,既存の発掘調査報告書の土層図および本文の記載,試錐データや分析結果と合わせて平野の地形環境変化と遺跡の立地関係の変化について考察した.   3. 地形・堆積環境と遺跡立地 縄文早期以降の伊勢平野南部の沖積低地における地形・堆積環境と遺跡立地は,宮川と櫛田川流域では異なる様相が認められた. 宮川下流域:宮川下流には,左岸の低位段丘上に縄文時代早期から遺跡立地が見られるが,右岸および二見浦浜堤上には縄文時代の遺跡がなく二見浦では弥生以降の遺跡のみ立地する.また,地下層序から,宮川右岸の約1.2kmまでは中部泥層の堆積が認められず,砂礫層が卓越する.このことは,縄文海進時には,宮川の扇状地が平野内のこの範囲に分布していた可能性を示唆する.一方,二見浦の背後は,宮川の土砂供給が及ばず中部泥層が堆積し,内湾環境にあったと推定される.二見浦の3列の浜堤列は,遺跡立地の年代から,縄文時代晩期から弥生時代初頭には形成されたと推測される.   櫛田川下流域:現在の櫛田川下流には縄文時代の遺跡立地はなく,弥生時代を中心に旧河道や自然堤防上に遺跡立地が見られる.また,過去に櫛田川が流れていた祓川流域には,縄文時代や弥生時代の遺跡立地は見られない.現櫛田川流域の旧河道上に弥生時代の遺跡立地が見られることは,おそらく縄文時代の海退後,櫛田川の本流は現在の櫛田川付近であり,自然堤防や旧河道などを形成したが,祓川に本流が移った時期は弥生時代以降と推定される.また,祓川から櫛田川現河道への移動は,永保2年(1082年)7月の地震と暴風雨によるものとされ(西山,1955),現在見られる河道は平安時代以降に形成されたと伝えられる.祓川左岸の沿岸の浜堤間湿地下の海成層から約1230cal.BP の年代が得られており,これらの浜堤列は,櫛田川の本流が祓川側へ流れた弥生以降の比較的新しい時代に形成されたと考えられることとも整合的である.   引用文献 西山傅左衛門(1955):『黒部史』,松阪市立図書館 岡田登(1989)皇學館大学史料編纂所報,第109号,p68−69 小野映介(2012)海津正倫編,『沖積低地の地形環境学』,古今書院,p34太田陽子ほか(1990)第四紀研究,29(1),p.31−48 川瀬久美子(2003)地理学評論,76−4,211−230 川瀬久美子(2012)愛媛大学教育学部紀要,第59卷,179−186 福沢仁之(2000):小野ほか編『環境と人類』,p.12-30,朝倉書店
  • 冨田 厚志
    セッションID: 203
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    戦後の都市近郊地域の開発によって,多くの樹林地や農地などが住宅地などの都市的土地利用へと変化していった.その中で,都市によっては住民運動などの影響で樹林地が保護され,愛護会などの団体が清掃や維持管理などを行っている場所もみられる.こうした樹林地を主とした緑地の保全や活用について言及した研究は多数あるが,都市地域での活動,とりわけ活動の内容と活動参加者の属性から分析したものは少ない. 本研究では,二次林として管理されていた樹林地が都市公園となった「樹林地型都市公園」において,緑地景観が成立して維持されていく仕組みを明らかにしていくことを目的とする.

    2.研究対象地域とボランティア団体

    川崎市の多摩丘陵部では,都市公園として,あるいは都市緑地法による特別緑地保全地区などの制度で保全されている樹林地が多く存在する.その多くで,緑地保全ないしは緑化に関わる団体がそれぞれの場所で活動を行っている.その中で多様な活動を行っている団体が麻生区の公園で活動するボランティア団体である.この団体は,1999年に行政が主導する形で設立され,現在まで月2回の定例活動や別日程での交流活動を行っている.定例活動が始まった当初は冬季に行う炭焼きや荒れ果てていた樹林地での下草刈りが中心であったが,下草刈りが一段落すると竹林や農体験用の圃場整備,苗木の育成や植樹,希少植物の保護やキノコ栽培も行うようになった.活動当初は地元住民による組織と協力して活動していたが,現在は都市部居住者がほとんどを占めるこの団体が活動の主体である.

    3.ボランティア活動参加者の意識

    ボランティア活動参加者に活動参加,定例活動での作業内容,そして緑地維持に関する意識を調査する質問紙調査を行った.活動参加の理由については,メディアや知人を介して知るなどして,活動に興味を持ったから,自然を楽しみたいからとする意見が多かった.作業内容に関する意識については,定例活動で行われる内容を「維持整備活動」と「体験・創出活動」に分けて分析した.すると楽しみにしている活動については「体験・創出活動」を選択した参加者が多く,特に炭焼きの回答が多かった.その一方で環境維持に寄与していると考える活動については「維持整備活動」の回答が多かった.そして,環境維持に対する意識については,樹林地や竹林の環境が改善したと評価する回答が多かった.活動に対する懸念については,炭焼きをめぐる地元住民との関係や墓地増設による自然の減少,そして会員の高齢化などがあげられた.

    4.緑地景観の形成・維持システムと活動への課題
    ボランティア団体が活動する区域においては,活動する主体が地元住民から都市部に居住するボランティア参加者に移り変わってきた.多くは維持整備活動と体験・創出活動の役割の違いを理解しながら,自由な雰囲気のなかで活動を楽しんでいる.活動内容の多様化や,様々な興味関心を持った人が集まっていることも緑地景観が形成・維持されていく大きな要因となっているといえる.また,団体内外での交流の場としての位置づけも高まっている. 活動における課題としては,ボランティア団体と地元住民の関係改善,さらには若い世代への活動継承などがあげられる.
  • システム思考に基づいた授業実践
    河合 豊明
    セッションID: 801
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    高等学校の次期学習指導要領改訂において,必修科目の「地理総合」,選択科目の「地理探求」の導入が検討されていることを踏まえ,近年,学習内容・学習方法の検討が活発に行なわれている。学習指導要領改訂に向けた文部科学省の審議資料によれば,「地理総合」では「地理的な見方・考え方」の習得が求められており,「地理探求」では「地理的な見方・考え方」を基に,世界の諸事情の規則性や傾向性などを系統的に考察することが求められている。その際,「地理的な見方・考え方」という指標となる言葉が示す意味は,普遍なものではなく,年代によって変化してきたことが既に先行研究によって明らかとなっている。 しかし,「地理的な見方・考え方」の前提となる地域や空間に対する認識が,生徒の居住環境や居住地域によって大きく異なる場合,「地理的な見方・考え方」という指標に齟齬が生じる原因になるのではないかと考察した。そこで発表者は,高等学校地理Bにおいて,広島市の高校生と,東京都の高校生を対象に,システム思考に基づき,都市と農村の関わり,とりわけ地方創生に関する地域学習の一環として,複雑に絡み合った地域の諸問題に対し,いかに対峙するかという授業を実践した。本発表では,実践例に基づいて4つの観点で比較し,生徒の居住環境や居住地域が「地理的な見方・考え方」にどのような影響を与えるかを検討する。 本報告において実践した授業は,都市の居住環境に関する問題と,地方における人口減少に関する問題を,課題解決型学習として取り上げた。その際,授業展開の過程ごとに,以下の4つの観点で比較した。1つ目は,都市の居住環境に関して,都市の定義や,問題として取り上げるべき内容の定義づけを行った。2つ目は,一般的に都市問題と定義されている事例に対して,どのような対策を実施するかを考察させた。3つ目は,地方における人口減少に関して,対策が求められている地域の定義づけを行った。4つ目は,地方創生というテーマで対策が求められている地域に対し,どのような対策を講じるかを考察させた。授業実践における4つの観点において,生徒自身のイメージを分析し,メディアによる情報など,生徒のイメージに影響を与える原因が,居住環境と居住地域においてどの程度の因子がどのような影響を与えているかを考察した。さらに,WebGISの一つであるRESAS(総務省地域経済分析システム)を用いて統計データを分析することによって,GISの活用が,地域に対する生徒のイメージにどのような影響を与え,広島の高校生と東京の高校生のイメージの格差をどの程度変えるのかを検討した。本発表では,システム思考に基づき,地方創生に関する地域学習の一環として,複雑に絡み合った地域の諸問題に対し,いかに対峙するかをタイトルとした授業を,広島市の高校生と,東京都の高校生を対象にそれぞれ実践した。本発表では,授業実践における4つの観点について比較し,生徒の居住環境や居住地域が「地理的な見方・考え方」にどのような影響を与えるかを検討した。その過程でRESASを活用することによって,居住環境や居住地域による影響がどのように左右されるかを取り上げ,課題解決型学習におけるGISの活用にはどのようなメリットやデメリットがあるかを整理し,一般化できるかを考察した。その上で,システム思考に基づいた授業が,地域の同一性と多様性をどのように捉え,「地理的な見方・考え方」の画一性がどの程度担保されるのかを考察した。
  • 森本 拓
    セッションID: 438
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに 
    山地上流域では急勾配区間,緩勾配区間が不規則に存在する.河床勾配に与える要因の一つに基盤岩の侵食抵抗性が挙げられる.新第三紀の砂岩泥岩互層からなる小櫃川上流域の河床では,残留礫があまりみられず,基盤岩が露出している.さらに,平滑岩盤からなる特徴的な河床をもち,その勾配についての議論はほとんどされていない.本研究では,基盤岩の侵食抵抗性として岩石強度に着目し,地層の層厚と合わせて河床勾配を検討した.   
    Ⅱ.小櫃川上流域の地形・地質の調査方法 
    研究対象地域は,流域面積の異なる七里川(7.74km2),猪ノ川(3.51km2),鳥居沢(0.26km2)を選定した.さらに,各河川に調査区間を設定して,河床勾配(H/L)と地層の層厚を計測した.岩石強度はシュミットロックハンマーの値を換算した.  
    Ⅲ.河床勾配に与える諸要因と考察 
    急勾配区間,緩勾配区間の成因を,砂岩泥岩互層の各層厚の計測結果から以下のように考えた.
    RTs/Tm
    R:砂岩泥岩比,Ts:砂岩層の平均層厚, Tm:泥岩層の平均層厚とする.Rの値が低いと急勾配,高いと緩勾配になった.相関係数はいずれの流域でも0.80以上であった.
    調査河川の河床は,砂岩が凹部,泥岩が凸部になる様子が観察される.砂岩と泥岩の強度はそれぞれ20.1N/mm2,26.6N/mm2であり,侵食抵抗性は砂岩の方が弱い.しかし,単に差別侵食によって勾配が決まるのではない.砂岩層の層厚が厚い区間ほど,各泥岩層の間隔は広くなり,基盤岩に与える水流の抵抗が弱くなる.その結果,相対的に緩勾配を維持していると推察される.したがって,平滑岩盤河床の勾配は,強度の異なる地層の層厚と組合せが影響を与えていると示唆された.  
    本研究の調査河川の勾配は,流域面積の程度によらず,河床は同様の侵食作用を受ける環境にあると論じた.ただし,より大流域の河川では侵食力が強まると判断されるため,こうした場合は別に考える必要がある.
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