日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の346件中251~300を表示しています
発表要旨
  • 東 善広, 水野 敏明
    セッションID: 439
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    河口域や河川における地形の変化がアユ等魚類に与える影響を検討するために、アユ産卵数の多い河川の一つであり、1970年代前半に上流部にダムが建設された愛知川について、アユ産卵数の変化、河口域および河川の中下流部の地形変化を把握した。汀線の位置の変化、河口域面積の変化、中下流域の砂州の植生化などから、アユの産卵環境への影響が考えられたが、上流からの土砂移動の阻害が、産卵に関係する下流域の河床地形にすぐに影響を与えたわけではなく、10~20年程度の時間が経過してから影響が現れた可能性が考えられた。また、河口の河道幅の増大による流速低下がアユの遡上行動を阻害する可能性などの複合的要因がアユの産卵環境に影響していた可能性が考えられた。
  • 目代 邦康
    セッションID: S0201
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに
    1970年代以降,地球環境問題が世界的な課題となるなかで,自然環境の保護・保全を図りつつ経済発展を目指す持続可能な開発(sustainable development)の取り組みが各地で進められるようになった.世界遺産(自然遺産),MABのBR(生物圏保存地域;ユネスコエコパーク),ユネスコ世界ジオパーク,ラムサール条約などの国際的な枠組は,特定の自然環境を保全し,その地域住民によって賢明な利用(ワイズユース)を行うものであり,様々な実践が積み上げられてきた.また,ナショナル・トラストといった制度も,寄附や会費,入場料による金銭的な収入と,土地の取得による環境の保全という枠組みのなかで運用されており,保全と活用の実践的な例といえる.これらの仕組みは,それぞれ,ストロングポイント,ウィークポイントがあり,うまく組み合わせて活用すると,地域の自然環境保全にとっては,有力なツールとなる.
    こうした仕組みは,地域の持続可能な開発のためのツールであるが,そのプログラムを実施することにより,他地域との差別化を図ることもできる.そのため,複数のタイトルを保有しようとする地域もある.また,それぞれの地域の自然環境の特色と,プログラムの特徴とを十分検討しないまま,認定や登録を目指す地域も多い.こうした状況が生まれてしまうのは,それぞれのプログラムの共通点や相違点等が,十分分析されておらず,またその情報が共有されていないためと思われる.これらのプログラムや仕組みは,その時々の社会的な情勢や研究の進展に合わせて変化している部分もあり,継続的な分析が必要である.本シンポジウムでは,上述の制度や仕組みの他,MPAなども含めて,それぞれの長所,短所,また実践の実際について検討し,自然環境の保全の方法や,ワイズユースのあり方についての整理を行いたい.
     2. 複数プログラム実施の実例とメリット,デメリット
    日本ジオパークにおいては,以下の地域で複数プログラムが実施されている.a) 佐渡ジオパーク:世界農業遺産.b) 阿蘇ユネスコ世界ジオパーク:世界農業遺産.c)南アルプスジオパーク(中央構造線エリア):南アルプスユネスコエコパーク.d) 白山・手取川ジオパーク:白山ユネスコエコパーク.「祖母・傾・大崩」は,ユネスコエコパークの国内推薦が決定しており,ここには,豊後大野ジオパークの範囲が含まれている.
    地域の自然資源を評価し,認定を受けるという動きは,日本ジオパークやユネスコエコパークを目指すことを表明している地域が多く存在することから,今後ますます加速していくことが考えられる.各地の自然が評価され,その保全とワイズユースが図られることは良いことであるが,これらのプログラムの実施には一定の規模での予算,人材等が必要であり,それを各地域で長期的に負担していかなければならない.認定や加盟,登録といった非常に地域が「盛り上がる」ので,その時は,負担は是とされるが,「盛り上がり」のない時期には,負担を大きく感じてしまうことはありうる.その活動を持続性に行っていくには,地域のなかでの本質的な理解が必要である.各地域で,本当に理解が進んでいるかは,不明である.
     3. 国際的なプログラムにおける日本の立場
    国際的なプログラムにおいて,日本という経済力を持つ国は,発展途上国の実施地域を支援する立場にある.そうした国際協力の動きは,地域興しのセンスの中からは,なかなか生まれてこない.国際的に求められている日本の立場と,実施主体者の意識のずれは,問題であろう.
    日本は国立公園,天然記念物制度にはじまり,明治以降,自然環境保全,ワイズユースについての様々な制度を取り入れてきた.そうした経験は豊富なので,他地域(特に欧米)で考え出された保全やワイズユースの制度を日本の風土に適応させることはうまいといえる.しかし,そうした他地域発祥の仕組みでは,例えば自然災害と環境の保全という,日本列島のような自然災害多発地域における自然環境保全のあり方については,十分対応できない.諸制度の比較とともに,日本列島におけるよりよい保全の方法を考える必要があるだろう.
  • モゴド郡における馬乳酒品評会とアンケート調査の結果
    森永 由紀, 土屋 竜太, 河合 隆行, ツエレンプレブ バトユン, 高槻 成紀, 田村 憲司, 浅野 眞希, 竹内 菜穂子, 遠藤 一樹, ...
    セッションID: 705
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに 馬乳酒はモンゴル民族の伝統的健康飲料で、効能は古くから知られる。20世紀にモンゴル民族の定住化が進み伝統的製造法が急速にすたれたが、モンゴル国中央部には今も馬乳酒を自家生産するゲルが多く残る。保存がきく上に栄養価が高まる発酵食品の継承は、伝統文化のみならず微生物の多様性を守るためにも意義がある。また、良質な馬乳酒の生産はカシミアと肉の売却に依存する地方の牧民に収入の機会をもたらし経済振興にもつながる為、その製造法の検証には牧民も高い関心を抱く。本研究では、試料収集を主目的にボルガン県の名産地で馬乳酒品評会を開いた。同時に実施したアンケート調査の結果とあわせて報告する。

    2.調査地域、品評会とアンケートの概要  調査地域は、馬乳酒の全国的名産地の一つであるモンゴル国北部ボルガン県モゴド郡(人口2655名、面積282.0km2、2013年)で、植生帯は森林草原と草原の境に属する。筆者らは馬乳酒試料の収集を主目的に2016年8月5日に現地で馬乳酒品評会を開催し、5名の審査員により評価を行った。併せて、参加した51戸の牧民を対象にアンケートを行った。牧民が馬乳酒製造の際に重視している項目は上位から人手、酵母、技術、草の量、容器の種類、天候、草の種類、水、ミネラル、雌馬等なので(Batoyun et al.,2015)、これらについて質問した。

    3. 結果  図1に参加者のゲルの位置を示す。記号は馬乳酒の評価点の中央値で、モゴド郡の中央の南北の谷沿いに高い評価を得たゲルがみられる。アンケートへの回答者の平均年齢は45.7歳で、家族の平均人数は4.6人、作業に従事する平均人数は2.5人で、搾乳する牝ウマの数は平均23.8頭である。
    馬乳酒は多くの家庭で6-9月にかけて盛んに作られる。日中数時間おきに搾乳を繰り返し、イーストを入れた容器に馬乳を冷ましてから投入し、数時間にわたって棒で撹拌し、一晩静置すると翌朝には出来上がる。一日の平均搾乳回数は7回、一回の平均搾乳量は26.8ℓ、平均撹拌時間は夏に4.3時間、秋に3.5時間であり、牧民は馬乳酒製造に多大なエネルギーを注いでいることがわかる。
  • 赤坂 郁美, 財城 真寿美, 久保田 尚之, 松本 淳
    セッションID: P031
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    近年、将来の気候変化やこれに伴う異常気象及び自然災害の発生に備えるために、各地における過去の気候変化とその要因を明らかにすることが必要とされている。そのためには出来るだけ長期の気象観測データが必要となるが、東南アジア地域では1950年以前の気象観測は旧宗主国によって行われていた場合が多く、この時代のデータは整備されていないことが多い。本研究で対象とするフィリピンにおいても1865年にスペインから渡来したイエズス会士がマニラで観測を開始し、20世紀初めにそれが米国に引き継がれた。これらのデータ(紙資料)はフィリピン以外の国に散逸していたが、近年のデータレスキュープロジェクトにより徐々に収集が進んでいる(赤坂,2014)。そこで本研究では、これらのデータの中からとくに長期の気象データが得られるマニラを対象とし、20世紀前半以前の降水の季節変化特性を明らかにする。   2. 使用データ及び解析方法 使用データは、日本の気象庁図書室やイギリス気象局等で著者らが紙媒体で収集した日降水量データを電子化したものである。本研究ではデータを得ることができた1868年1月~1940年12月までを対象期間とした(数年の欠測年を含む)。ただし1883年7月~1888年12月はチャート式の気象観測資料しか収集できなかったため、これを使用した。チャートには日単位より細かい時間分解能で降水量が示されているため、ここから値を読み取り、日降水量単位に編集した。次に、Algue (1903)に示されている1865-1902年の月降水量及び月降水日数の一覧(以下、月降水表)との差を算出して整合性を検証した。結果として、チャートに基づき編集した日降水量データから算出した月降水量・降水日数と月降水表との値の相関係数はそれぞれ0.985と0.996であった。そのため、この期間のデータは他の月よりもデータの読み取り誤差を含む可能性はあるものの、解析に使用できる精度を有していると判断した。 次に、マニラの季節変化特性とその変化傾向を考察するために、雨季入り・雨季明け時期を定義した。マニラでは雨季・乾季のはっきりした降水の季節変化がみられるため、予備解析的に、4月以降(19半旬以降)の半旬降水量が25mm以上(以下)となった最初(最後)の半旬を雨季入り(雨季明け)とした。半旬降水量25mmはおよそ対象年全ての平均半旬降水量に対応する。   3. 結果と考察 1868~1940年のマニラにおける降水の季節進行パターンを図1に示す。この期間の雨季入りの平均は約26.8半旬(5月上旬頃)、雨季明けの平均は約64半旬(11月中旬頃)であった。雨季入りと雨季明けが定義できた年については雨季の持続期間も算出した。雨期の持続期間の平均は約40.4半旬(約200日)であった。図1から1914~1940年はそれ以前と比較して平均的な雨季入りが約2半旬ほど早い傾向にあることがわかった。またこの期間には60半旬(10月下旬)よりも早く雨季が明ける年がみられず、1914年以前よりも雨季明けが20日間前後遅くなっていた。20世紀後半以降(1950-2012年)と比較しても15日間ほど雨季の期間が長い傾向にあることもわかった(図略)。これらのマニラにおける降水の季節変化特性は、南西モンスーンの開始・終了、北東モンスーンの開始と関連しているため、今後は19世紀後半以降のアジア夏季モンスーン変動との関係を明らかにしたい。
  • 三浦 英樹, 前杢 英明, 奥野 淳一
    セッションID: 420
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    グリーンランド氷床は、世界の全氷河体積の9.8%を占めることから、その変動が生じた場合、海面変化や海洋熱塩循環の変化に重大な影響を与えることが予想される。将来のグリーンランド氷床の融解条件とその影響を評価するうえで、最終氷期最盛期以降のグリーンランド氷床の復元はひとつの重要な基礎的情報を与える。この検討の出発点として、最終氷期最盛期におけるグリーンランド氷床の氷床縁の分布と氷床高度の復元図が必要になる。過去の氷床の復元には、① 氷河学的手法と② 完新世の旧汀線高度分布図と地球の粘弾性モデルを組み合わせたGIA(Glacial Isostatic Adjustment )モデルによる方法、の2つの方法がある。後者の方法を用いた最終氷期最盛期のグリーンランド氷床の復元図では、いずれも、東部と西部と北東部の3箇所で特異的に融解量の大きな地域が存在している。本研究では、この原因を完新世の最高位旧汀線高度の誤認にあると考え、西部と東部地域で、離水地形、地層、化石の産状などを再検討するための予察的な調査を行ったので報告する。
  • 生井澤 幸子
    セッションID: 332
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    ドイツ唯一の大水深港湾ヤーデヴェーザーポートの建設に際しては、ハンブルク港とブレーマーハーフェン港を補完するためであると連邦は公言していた。補完のためであるならば、ヤーデヴェーザーポートは単なる積み換え地点に過ぎない。コンテナ船の大型化にドイツ国内で対処するためには、マースク・トリプルE級の入港可能な港を建設する必要があるからである。
    しかし、港湾の施設能力が明らかになると、これは単に補完のためだけの港ではないという憶測が流れた。そこで、ヤーデヴェーザーポートの経営者サイドから、港湾機能・後背地・ポートセールスについての見解をまとめ、最新の統計データと合わせて 、現状分析を行った。 
     
  • 渡邊 三津子, 古澤 文, 遠藤 仁, 村上 由佳
    セッションID: P006
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    全国の水害常襲地域には、出水から命や大事な家財を守るための水防施設―たとえば、水屋(木曽三川)、段倉(淀川)、水倉(荒川、利根川)など―が存在する。これらの水防施設は、水害常襲地域に生きる人々が、水害と共存するために生み出した知恵というべきものであるが、その数は減少傾向にあると言われている。国内有数の水害常襲地域である紀伊半島熊野川流域にも、同様の水防施設として、かつて下流部の新宮市街地の熊野速玉大社周辺に見られた「川原家(かわらや)」、川丈集落(※奈良県十津川村、和歌山県新宮市熊野川町、同田辺市本宮町周辺を指す地元での呼び名)に見られる「上がり家(あがりや)」などが知られている。本研究では、熊野川流域の「上がり家」の立地と、2011(平成23)年台風12号水害をはじめとする過去の出水時の住民の避難場所・避難行動を地図化する作業を通して、社会変容にともなって失われつつある「上がり家」が、現在の水防対策に対してもつ意味を再考することを目的としている。
    2. 対象地域と方法
    和歌山県新宮市熊野川西敷屋地区を対象とした。同地区は、熊野川本流と、支流の篠尾川の合流点に位置する。2011(平成23)年台風12号水害時に浸水被害を受けているほか、1953(昭和28)年台風13号時にも浸水経験があり、当時のことを記憶している古老も多い。本研究では、地域住民へのインタビューを中心として、2011年水害時の避難場所を地図上にプロットした。また、地域住民のインタビューや建物に残された痕跡などをもとに、当時の最大浸水範囲を復元し、実際の避難場所と「上がり家」の立地条件との比較を行った。 3.結果
    (1) 対象地域の「上がり家」

    発表者らの聞き取りにより同地区にも「上がり家」があったことが確認された。落合(2014)らの報告と同様に、西敷屋地区の「上がり家」も、賃貸しや売却、空き家化などによって、本来の「母屋-上がり家」の関係性はみられなくなっているケースが多い。
    (2) 2011年台風12号水害時の避難場所と「上がり家」
    西敷屋の指定避難所である「山手集会所」は、集落の中心から1kmほど山の手に入ったところにあるが、雨の中を高齢者が歩いて避難するのが困難だったこと、途中の道路でがけ崩れが発生するなどして避難に危険を感じたこと、また夜半に水位が急上昇したため避難する間がなかったことなどから、地域住民たちは、自宅の2階や、地形的に一段高いところに立地する隣家に身を寄せたりして難を逃れたという。  この「地形的に一段高いところに立地する隣家」はかつて「上がり家」として機能していた家や、「上がり家」と同様の立地条件をもつ住宅であった。  似たような事例は、熊野川町内の日足地区などでも聞き取ることができており、実際には、避難した先は「かつての上がり家」という事例が多数あるものと推測される。
    4. まとめ
    本研究では、2011年台風12号水害時に、地域住民が実際に利用した避難場所が、かつての「上がり家」または、「上がり家」と同様の立地条件の場所であることが確認された。高齢化が進んだ本地域では、現実問題として、指定避難場所に避難しない高齢者も多い。このような中で、高齢者が実際の避難場所として利用した「上がり家」が、当該地域の現在の水防対策に対して持つ意味は大きいといえる。
  • 東京都豊島区「マスジド大塚」を事例として
    川添 航
    セッションID: 536
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本研究の目的は,日本のムスリム社会に注目し,ムスリムの居住地や日常生活とマスジドの活動との相互作用,およびムスリム社会の拡大に伴うマスジドの変容を明らかにすることである.東京都にあるマスジド大塚を研究対象として参与観察を行い,その過程においてムスリム29人に日常生活についての対面聞き取り調査を行った.また,マスジドの活動や沿革については,運営団体である日本イスラーム文化センター(Japan Islamic Trust : JIT)理事会役員に聞き取り調査を行った.欧米と同様,日本に流入した外国人ムスリムもホスト側国家の入国管理に影響を受ける不安定な存在である.異文化環境において,ムスリムは社会関係の維持やアイデンティティ保障等の社会的・精神的な存在意義を持つ施設としてマスジドを整備してきた.マスジド大塚は都心部に位置するためアクセシビリティは高い一方で,郊外に居住するムスリムは平日通勤等のため頻回にマスジドを訪れることが困難であるなど,ムスリムの日常生活においては労働の比重が大きい.また,本来宗教的に望ましいと考えられる礼拝方式と比べて,就業環境から制約を受けることもある.日常生活におけるこれらの制約との対比が,マスジドでの活動や礼拝の重要性を高めていると考えられる.マスジド大塚の活動はムスリムの社会経済的発展を反映し,最近20年程で整備・拡充されてきた.単身者や子供を持つ家庭など,様々な背景を持つムスリムが一箇所に集まる施設であるというマスジドの特性を反映している.ムスリムの居住地は,近隣地域に居住する「近隣地域居住型」,北部郊外に居住する「単純労働・単身居住型」,南部郊外に居住する「専門職・親族居住型」,遠隔地に居住する「行事参加型」に区分される.マスジド大塚は異なる社会経済的状況により生じるムスリムの要求に応じて多様な活動を展開しているため,広範な地域からムスリムが訪れている.マスジドはムスリムが信仰と主体的に関わるための施設である一方,ムスリムと個々のマスジドとは機能的な関係で結びついているといえる.
  • 小荒井 衛
    セッションID: 136
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    筆者が茨城大学で教えている防災・応用地学に関連した科目について、今後の防災教育のあり方や地形学の知識を防災に役立てることを念頭において、受講直後と受講終了直前にアンケート調査を行っている。そのアンケート結果の紹介と、そこから読み取れる状況について報告する。対象講義は、理学部地球環境科学コースの3年生を対象にした「防災地質学」と、人文学部と教育学部の1年生を対象にした教養科目(自然)の「身近な地球科学(地球科学と防災・環境)」である。科目のレベルの違いはあるものの、地形学をベースにした防災地学を教えているという視点では、似たような科目である。教養科目の方のシラバスでは、到達目標としては、高校地学の基礎知識を身に付ける、地形形成過程から地域の防災リスクを読み解く能力を身に付ける、地球科学の知識をベースにした防災リテラシーを身に付ける、などとしている。一方、防災地質学のシラバスでは、教養科目の後半2つの到達目標はほぼ同様であるが、実際には反射実体鏡を用いて空中写真の実体視を行い、特定の地域の地形分類図を作って、そこからその地域の災害リスクを読みとるような実習を行っている。また、迅速測図や旧版地形図、米軍写真などをインターネットで検索して、学生の好きな地域について(大体は自分の故郷を選ぶ学生が多い)、土地履歴変遷を読み解いて、その地域の災害リスクを解説するレポートも課している。
  • 熊野・紀伊・志摩・伊勢国
    水田 義一
    セッションID: S1401
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    明治初期の三重県と和歌山県の境界画定の結果、北山村は村全体が飛び地となった。なぜ熊野地方の中心都市である新宮市の都市圏を無視した県境が施行されたのであろうか。この地域は古代の国の境界が不安定で、帰属する領域は志摩国、伊勢国、紀伊国と変遷してきている。発表では国境の画定の経過と境界が移動した要因を探るのを目的とする。

    1 熊野国

    熊野国という地名は、平安時代の『先代旧事本紀』10巻「国造本紀」に「熊野国 志賀高穴穂朝御世、嶢速日命五世孫、大阿斗足尼定賜国造」と出てくる。また『続日本紀』に「従四位下牟漏采女熊野直広浜卒す」とあり、熊野国造の系譜をひいた有力者が牟婁郡にいたことを示している。ところが、『日本書記』は「紀伊国熊野之有馬村」「熊野神邑」「熊野荒坂津」「熊野岬」と記し、熊野国と記すことはない。木簡史料も牟婁郡と記して熊野とは記さない。近世の地誌書『紀伊続風土記』は、大化の改新によって熊野国は紀伊国の牟婁郡に改称されたという説を記し、この説が今も継承されているが、記紀はがなく、行政的な熊野国は存在しなかった。

    2 古墳の欠如と郷の分布

    紀伊半島の先端部では、考古学的な調査事例は少ないが、分布調査から、縄文土器が出土し、弥生土器はほとんどの浦や河口の低地で発見されている。次に古墳の分布をみると、枯木灘から熊野灘にかけて、150kmの海岸には古墳の見られない地区が続く。僅かに周参見と那智勝浦町の下里(前方後円墳)に2基みられるに過ぎない。9世紀の『和名抄』に記された郷の分布をみると、紀伊国の三前郷(潮岬)と、志摩国英虞郡二色郷(錦)まで、100kmの海岸部は、2つの神戸郷と餘部郷記されるが、その所在地も曖昧で、紀伊・志摩国の国境の画定は難しい。実態は未開地が広がり、それが自然の国境をなしていたのではあるまいか。

    3 伊勢国の拡大

    南北朝期に北畠氏は南朝の主力として戦い、南北朝合体後も伊勢国司として代々国司職を継承した。その勢力範囲は伊勢南部、志摩国全土および牟婁郡(熊野地方)に及んでいた。各地に親族を配し、在地の武士を被官化して戦国大名化していった。熊野灘沿岸の旧志摩国英虞郡をその領域に組み込んでいるが、いつ伊勢国度会郡となっていったか、その時期は確定できていない。

    4 紀伊国と伊勢国の国境

    至徳元年(1384)に、北畠氏の家臣加藤氏が、志摩国に進出して長島城を築いて伊勢北畠領の拠点とした。その後2世紀にわたり、尾鷲、木本一帯で紀伊国の有馬氏・堀内氏と合戦を繰り返した。最後に新宮に本拠を置く堀内氏善が天正10年(1581)、尾鷲において北村氏を討ち、荷坂峠までを領国とした。堀内氏は天正13年の秀吉による紀州統一に際して、大名として領域を認められた。その結果、紀伊と伊勢は荷坂峠が国境と定まった。

    まとめ

    古代の国境:尾根(山岳)による境界と河川を使った境界があるが、尾根を使った大和・紀伊と大和・伊勢さらに伊勢・志摩の国境は、現在まで安定した境界であったと推測される。河川や浦が卓越する紀伊・志摩間の国境は無住の空間が広がり、自然の境界となっていたと考えられる。古墳は那智勝浦町の前方後円墳1基をのぞくと、すさみ町から紀伊長島町の間120kmは古墳が存在しない。10世紀の「和名抄」の郷名を見ると英虞郡二色郷(錦)と牟婁郡三前郷(潮岬)の間には、2つの神戸郷と余部郷が見られるに過ぎず、50戸に編成できない分散的な集落が見られるに過ぎない。半島の先端部は、居住者の少ない辺境であったことを示している。中世の南北朝期の合戦や戦国期の戦乱によって、戦国大名の領域が定まり、それが近世初頭に国境となった。紀伊国牟婁郡が大きく東北へ広がり、伊勢国が志摩国英虞郡を取り込んだ。大和の南端部と紀伊国が河川を境界としているのをのぞくと、いずれも山の峰を利用した安定した境界線である。明治初期に県域の設定が行われたが、近世には紀伊半島を取り巻く紀伊・伊勢国は紀州藩(徳川藩)であった。紀州藩を分割して和歌山県と三重県に分割するとき、安定した自然境界、県庁所在地からの距離を考慮して、熊野川が県境に選ばれたと推測している。
  • 関根 良平, 庄子 元, 小田 隆史, 松井 知也
    セッションID: 105
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    2011年3月11日に発生した東日本大震災は沿岸都市の水産業に甚大な被害をもたらした.水産業の復旧・復興に関する研究は多くなされてきたが,発表者らは一都市内で産業集積を形成し,全国的な漁船受け入れのために整備された特定第三種漁港が所在し,被災した漁港の中でも水揚げ量が多い宮城県石巻市,および宮城県気仙沼市を対象として,漁業から水産物加工業およびその関連産業の域内での連関構造について検討してきた.本発表は上記2地域で得られた知見をさらに深化させるために,前述した2つの漁港とともに宮城県内で特定第三種漁港をもつ塩竈市を対象として検討するものである.その塩竃港は,東日本大震災による津波被害が上記2港よりも相対的には軽微であったとされている.しかし,それは地域の水産関連業者に何ら影響を及ぼさなかったことを意味するものではなく,かつ震災以前からの労働力の高齢化や産地間・企業間競争の激化といった問題は,被災地のみならず三陸の水産業が抱える共通の問題である.また,超広域的に被害がもたらされた東日本大震災を理解するうえで,その域内で被害が相対的には少なかったとされる塩竃港が震災以降どのような特徴を持つプロセスをたどってきたのか,あるいは近隣地域が甚大な被害を受ける中でどのような機能を担ってきたのかを同時に解明し,総合的かつ一体的に把握しておくことが必要であると考える.
    前述したように,塩竈市においては津波被害が相対的には少なかった.2012年に塩竈市が実施した水産業を含む商工業者の罹災状況調査によれば,1,016業者のうちそれでも被害のなかった業者は23.8%にすぎず,89業者は調査時点で事業を再開することなく廃業や解散に至っている.甚大な津波被害がなかったことの裏返しとして,塩竈市の場合は地震と地盤沈下による被害がより主要なものとして位置づけられる.  2011年度において,塩釜市の水産加工品総数の生産量,生産金額の前年比を求めると,それぞれ91.8%,75.9%となる.また,塩釜の水産加工品総数の内訳にあたる主要2大品目,すなわち練り製品と冷凍加工品についてそれぞれ生産量,生産金額の2011年度における前年比をみると,生産量については練り製品が75.9%であるのに対して,冷凍加工品は104.3%となった.生産額についても練り製品については70%であるのに対し,冷凍加工品は103.3%となった.つまり主要2品目について見ると,練り製品は生産量・生産額ともに大きく落ち込んだのに対して,冷凍加工品は2011年度に生産量・生産額とも増加しており,他の漁港・地域にはみられない特徴的な動向である.2014年度までの推移でみても,冷凍加工品は被災地においては堅調といってよい伸びを示している.
    また,漁港が2011年4月の時点で復旧したことで,塩竃港は水揚数量においても他の被災地ではみられない特徴的な推移を示した.塩竃港は,震災以前より主に首都圏市場で「ひがしもの」として流通する生鮮マグロの拠点漁港であるが,漁港および市場機能の早期復旧により被災した近隣の他の漁港に水揚げしていた漁船が震災以降も引き続き塩竃港に入港したこと,かつ移送による入荷も減少することがなかったことが要因として指摘できる.生鮮マグロはトラックによる輸送が確保できることが何より重要であり,水産加工業ほど設備復旧の影響が大きくなかったことが要因の一つである.かつ,震災以前まで塩竈市街地に立地しており,「地産地消」機能の一翼を担っていた寿司屋など飲食店が震災被害を契機に閉店してしまったため,業態を仲卸から一般小売に変容させた事例もみられる. このように塩竈市・塩竃港における震災以降の水産業の動向をみると,津波被害が軽微であった,そのため早期に復旧したという単純な理解ではおおよそ不十分であり,他地域や他部門・産業との連関とのなかで理解する必要があることが明白である.発表では,水産加工業でみられたプロセスを同時に解明し,より多面的に塩竈市における水産業の「復旧」「復興」について考察する。
  • ハリウッド映画産業へのVRの影響を事例に
    原 真志
    セッションID: 303
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.研究目的
       2016年はVR(Virtual Reality)/AR(Augmented Reality)/360度映像といったVR関連技術(以下VR)が大いに注目され,「VR元年」と呼ばれるほど商業化の動きが加速しており,コンテンツ産業だけでなく観光,医療,製造業など多産業に及ぶ大きな影響が予測されている(原,2016; 岩田, 2016; Goldman Sachs, 2016). 日本ではHMD(ヘッドマウントディスプレイ)やゲーム・スマホ関係の話題が中心であるのに対し,米国ではハリウッドメジャーやシリコンバレーのIT企業を巻き込み,特にストーリーテリングに関する実験的取組みが盛んに行われている点が注目される.本研究は, CGの学会兼展示会であるSIGGRAPH(2016年8月アナハイム),SIGGRAPH ASIA(12月マカオ))等で情報収集し,LAや東京で実施したVR等関連企業の現地調査を基に,「破壊的」技術と考えられるVRが(原,2016),ストーリーテリングに関するイノベーションとどのように結びついてハリウッド映画とその関連産業に変化をもたらそうとしているのか,その地理的な含意はいかなるものかを考察することを目的とする. 

    2.ストーリーテリングと「古典的ハリウッド映画」
      近年,ストーリー性やストーリーテリングが組織論において企業戦略に重要と認識されるとともに(Brown et al., 2005; Denning, 2007; 楠木, 2010),地理学においても関心が高まって来ている(Cameron, 2012;  Kerski, 2015).映画産業の黎明期に先進地だったヨーロッパや米国東海岸の「動く絵」に対し,後発のハリウッドが優位に立てたのは,ストーリーテリングの導入・確立というイノベーションによるものであり(Thompson and Bordwell, 2003; Cousins, 2004; Maltby, 2003; Bordwell and Thompson, 2008), Bordwell et al.(1985)は, コンティニュイティ編集,目標志向の主人公,原因と影響,クライマックス,強力な結末等から特徴づけられる観客に分かりやすい「古典的ハリウッド映画」を支配的なモードとして提示している. 

    3.VRとハリウッド映画産業
      HMDでのVR鑑賞では360度の視線の自由が与えられ,またカメラワークや編集の技法が使えないため,演出意図を一義的に視聴者に伝えるのに困難が生じる.伝統的な映画の方法論の不十分さを克服し,「VR酔い」を防ぎ,VRの没入感を活かす新たなVRストーリーテリングの開発が市場での成功に不可欠なものと認識されている(Pausch et al.,1996; Curtis et al.,2016).ハリウッド映画産業にとってVRは機会と脅威の両側面で捉えられ,Digital Domain, Technicolor, 20th Century Fox’s Innovation Lab等従来のハリウッド映画関連企業がエンターテインメント系VRプロジェクトに参入している.他方シリコンバレー周辺においても,FacebookやGoogle等IT企業やVCが関与する形で,様々な実験的コンテンツ制作が行われている.そのような例として,ハリウッドのアニメ映画監督を招聘して優れた短編360度VRアニメ「Pearl」を制作したGoogle Spotlight Stories社 ,360度VR映像コンテンツの制作支援を様々な形で行っているOculus Story Studio社,Oculus Story Studio社 のCo-founderのEugine Chung氏が創業した Penrose Studios社,短編360度VRアニメ「Invasion!」を制作し、長編アニメ映画製作の資金調達に成功しているBaobab社等があげられる. 

    4.VRストーリーテリングとネットワーク社会
      約1世紀前に撮影・上映という技術革新を基にした映画産業の確立にストーリーテリングという感性価値に関するイノベーションが大きな役割を果たしたことが,21世紀のVRの時代に再来している.ただし排他的特許戦略をとったエジソンの例を他山の石としてか(Thompson and Bordwell, 2003),SNSとオープンイノベーションが普及している現在では,買収したOcculusを通してFacebookがVRコンテンツ制作のノウハウの開発と普及を図り,また開発した4Kの360度カメラをすぐにオープンソースにするなど,長期的戦略の投資で産業確立のための公共財提供を行って参入を促し市場成長を牽引している点は興味深い.
  • 舒 梦雨
    セッションID: 404
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
        ジャイアントパンダは世界で最も絶滅に瀕している動物で、中国の西南地区に広く分布している。最近の200年以来、気候の変化と人為的な原因でジャイアントパンダの生息地域どんどん破壊されている。ジャイアントパンダの生息地域面積も減少し続いている。この研究は中国四川省の臥龍自然保護区内のジャイアントパンダの生息地の状況を分析します。  

    2.目的
        この研究はパンダ生存に関するいくつの影響因子を選んで、パンダの生息地を評価する。実際の野生パンダの分布に比べて、パンダにとってどんなかん環境はいいのか、パンダ生存にとって有益なのか、その 生息地の状況を簡単的に分析する。その分析の結果に基づいて、生息地に適当な保護手段を探し出す。  

    3.方法
        まずはパンダ生存に関する比較的に重要な影響因子を七つ選択します。その七つの因子は竹の種類、水源からの距離、道路からの距離、人間聚落からの距離、標高そして地形の傾斜です。各因子を3つあるいは4つのレベルを分けて、従来の研究結果に基づいて各レベルに値Rを設定する。 Rはパンダ生存の抵抗力、Rの値は大きくなるほどパンダの生存にとって不利になります。  

    4.結果
        実際のパンダ分布地域の50%はRが2から31の範囲内にいます。45%のR値が31から53の範囲内にいます。Rが53以上の分布地域は僅か5%。評価の結果と実際のパンダ分布が基本的に一致しています。
  • 小山 拓志, 青山 雅史
    セッションID: S0102
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    2016年4月14日に熊本県熊本地方において,M6.5の地震が発生し,熊本県益城町で最大震度7を観測した。そして,2日後の4月16日01時25分頃には,同地域を震央とするM 7.3の地震が発生し,熊本県上益城郡益城町と西原村において最大震度7を再度観測した。この一連の地震によって,熊本市内を西流する白川や緑川,加瀬川周辺を中心に液状化現象(以下,液状化)が発生した。本発表では,地理学の立場から,本地震における液状化被害の分布を示すと共に,液状化発生地点の土地条件について報告する。
  • 杵淵 千香子, 奈良間 千之, 山之口 勤, 田殿 武雄
    セッションID: P027
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    ヒマラヤ東部地域(ネパール東部・ブータン)に現存する巨大な氷河湖は,1950~1960年頃に出現した氷河上湖が連結して拡大したものである(Ageta et al., 2000).一方,2009年のチョゾ氷河では巨大な氷河湖を持たないにもかかわらず,氷河上湖を供給源とする大規模出水が生じ,プナカの住人の混乱を招いた(Komori et al., 2012).氷河上湖は,連結して巨大な氷河湖に発達するものや,季節変動して(Watson et al.,2015),チョゾ氷河のように大規模出水を引き起こすものもある.ヒマラヤ地域の将来的な氷河湖拡大や大規模出水は氷河上湖の振る舞いがカギを握っているのだが,その発達プロセスや季節サイクルはまだよくわかっていない.その理由の1つとして,夏季のインドモンスーンの発達で覆われた雲により,夏季の氷河上湖の変動が衛星画像で捉えられないという問題が挙げられる.そこで,本研究では,雲を透過して地上の湖面データを取得できるマイクロ波のALOS-2/PALSAR-2のオルソ画像とLandsat8/OLIのパンシャープン画像を組み合せ,2015年の1年間のヒマラヤ東部地域のデブリ氷河の氷河上湖の季節変動を明らかにした.
  • 中田 高, 後藤 秀昭, 堤 浩之, 宮内 崇裕, 活断層マッピング チーム
    セッションID: 436
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    5mグリッドの数値地形モデル(DTM: Digital Terrain Model)をもとに立体視可能な地形画像を作成し,フィリピン全土の活断層判読を行っている.フィリピン断層系以外の活断層は,地質構造や小縮尺の衛星画像の解析をもとに認定されたものが多く,変動地形学的手法によるものとは必ずしも言えない.これまで,地域ごとに判読結果を報告してきたが,今回は,全域の活断層分布をもとに地震発生ポテンシャルについて予察する.
  • 森永 由紀, 土屋 竜太, 河合 隆行, ツエレンプレブ バトユン, 高槻 成紀, 田村 憲司, 浅野 眞希, 竹内 菜穂子, 遠藤 一樹, ...
    セッションID: P061
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに

    馬乳酒は馬乳を乳酸発酵させてつくる、モンゴル民族の伝統食である。かつてはユーラシアの広い地域で自家生産されてきたが、現在ではモンゴルの地方部でしか自家生産されていない。ボルガン県のモゴド郡は馬乳酒生産の盛んな地域の1つとして知られている。我々は2016年8月に同市で馬乳酒の品評会を開き、51家族から51サンプルを提供して頂いた。本報告では、それらの物性値や無機成分と品評会での評価点との関連について検討した。

     2. 調査地と方法

    試料は、馬乳(47サンプル)と馬乳酒(51サンプル)である。2015年8月5日、馬乳酒の名産地として知られるボルガン県のモゴド郡において馬乳酒の品評会を開催し、出品者から試料を集めた。

    品評会の審査は5人の審査員による配点0~5での選抜方式で行われた。本研究では一次審査での配点中央値を評価点とした。分析項目は、1)電気伝導度(EC),2)pH, 3)密度,4)糖度(Brix), 5)Ca, 6)P, 7)Mg, 8)Na, 9)Kである。評価点を応答変数、測定値を説明変数としてCART法によって分類樹木を作成した。統計解析にはRを用いた。

    3.結果

    評価点は0点(n=7)、2点(n=2)、3点(n=14)、4点(n=10)、5点(n=18)であり、1点はなかった。以下、3点以下を低評価、4点以上を高評価、と表現する。

    馬乳酒の評価点分類樹木を図1に示した。EC(電気伝導度)が高い馬乳酒は低評価、ECが低くCaが低濃度の馬乳酒は高評価、Caが高濃度だと低評価、の傾向がみられた。ECは酸味、Caは硬度と関わる要素であり、酸味や硬度が高い馬乳酒が低評価であることが示唆された。
  • 田中 圭, 濱 侃, 近藤 昭彦
    セッションID: 734
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ.はじめに
    稲の高温登熟障害の発生例は西日本を中心に多く報告されている.高温登熟障害は,登熟期初期に平均気温27℃以上の高温な環境を受けると,収量(玄米1粒重の低下)および玄米外観品質(乳白米など白未熟粒の発生による玄米の白濁化)が低下することが知られている.近年は,田植期の前倒しや早稲品種の普及,都市化による高温,地球温暖化の進行等によって,高温登熟障害の発生地域の拡大が懸念されている.筆者らは埼玉県で水稲栽培を実施しているが,登熟期初期が盛夏と重なるため,玄米の品質低下が問題となっている. そこで,非熟練者でも近接リモートセンシングの実施が可能となってきたUAVを用いた.UAVは空撮以外にも各種センサ機器を搭載し,上空から計測を行うことができるため,さまざまな分野から期待されているツールである.既に水稲モニタリングに利活用されている(濱ほか,2015;田中・近藤,2016).本発表では,水稲の群落表面温度を面的に観測するため,UAVに赤外線サーモグラフィカメラ(以後,熱赤外カメラ)を搭載し,連続観測を行った.その結果,いくつかの知見が得られたので報告する.

    Ⅱ.対象地域
    埼玉県坂戸市北部の水田を試験サイトとし、水稲の群落表面温度の観測を行った.観測日時は2016年8月6日10時~7日12時にかけて実施した.試験サイトの水稲栽培品種は「コシヒカリ」で8月4日に出穂期を迎え,観測期間中は穂揃期にあたる.

    Ⅲ.観測方法
    観測に使用したUAVはDJI社のF550とPhantom2の2機と2種類の撮影カメラを用意した.群落表面温度は熱赤外カメラ「Thermo Shot F30(日本アビオニクス社)」を用いて観測した.熱赤外カメラのシャッター機構やペイロードの関係から自律飛行が可能なF550で2時間おき撮影を行った.また,このカメラは160×120ピクセルと画素数が小さいため,UAVとカメラのスペックを考慮した上で,対地高度を100m(空間解像度:約30㎝)に設定した. 一方、NDVIはPhatom2にYubaflex(BIZWORKS社)を搭載して対地高度約50mのマニュアル飛行で撮影を2時間おきに実施した. なお,玄米については,収穫直前の9月11日に圃場内から18地点のサンプルを採取し,玄米重量(g / ㎡)および整粒歩合を求めた.

    Ⅳ.結果・考察

    水稲の群落表面温度は一様ではなく,ばらつきをもって分布していることがわかった.また,このばらつきはNDVIと対応しており,相対的に群落表面温度の低温域でNDVIが高くなり,反対に高温域ではNDVIが低い値を示した.また,群落表面温度とNDVIの時間変化について検討した(Fig.1)。その結果,朝方より日中の時間帯で明瞭な相関を示すことが確かめられた.これらの結果から,NDVIが高いほど群落表面温度が低かったのは,蒸散発が盛んであったため,潜熱が奪われるクーラ効果が関係していると考えられる.  穂揃期の群落表面温度と玄米重量には,群落表面温度が高温になると,玄米重量が低下する明瞭な相関を示すことがわかった.
  • 第8・10州の事例
    横山 貴史
    セッションID: P059
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに  チリ共和国における先住民族マプチェは、主としてチリ中・南部に居住しており、現在チリ国内には約60万人がいるとされる(北野2010)。そのマプチェに関しては、歴史や政治状況などについての研究は蓄積されているが、現在の彼らの生業に関する研究はほとんどなされていない。また、マプチェは農業に従事しているという説明はよくされるが、彼らが漁業に従事しているという点はほとんど知られていない。多くの沿岸国における先住民漁業と同様に、マプチェの漁業活動はチリの漁業統計に反映されておらず、チリの漁業資源管理を考えていくうえでは、現地での観察や調査に基づく把握が不可欠である。  本発表では、チリ共和国における先住民漁業をめぐる状況を踏まえ、第8州と第10州の漁業者の事例から、チリの先住民漁業の一端を明らかにしたい。   2.チリにおける地域拠点型漁業管理と先住民漁業  チリでは、1997年に小規模漁業者(Artesanal Fishermen)の強化と沿岸漁業資源管理を目的として導入された「Management and Exploitation Areas for Benthic Resources(スペイン語ではArea de Manejo)(以下、AMEBR)」と呼ばれる制度が導入され、小規模漁業者の保護がなされている。AMEBRは底棲資源の持続的な利用のために、小規模漁業者の組織が排他的に利用することができる漁場を意味する。免許にあたっては、漁業者組織を単位としており、特定の魚種ごとに設定される。さらに、科学的知見をもとに漁獲可能量を定めるほか、漁業者は登録され厳密に管理される(Oliva et al 2006)。  しかし、チリにおけるマプチェの漁業者が漁業を行う際には、組織化してAMEBRを受けるということはほとんどみられない。一方で、近年では先住民の権利が認められつつあり、それぞれの地域で先住民コミュニテイに優先的に利用することのできる漁場が設定されている。例えば、2008年にはConvenio Numero 169(Sobre Pueblos Indigenas y Tribales en Pais Independientes)、2009年にはLey Numero 20.249(Crea el Espacio Costero Marino de los Pueblos Originarios)が制定され、先住民の漁場利用の権利が認められつつある。  2015年9月に行った現地調査では、第10州(ロスラゴス州)calbuco、第8州(ビオビオ州)Huentelorenにおいてマプチェの漁業者に対し聞き取り調査を行った。いずれも、漁業は仲買人や市場出荷などを目的としたものではなく、自家消費を主としたものであった。また、漁業に加えて、自家消費を目的とした農業と牧畜業を組み合わせた半農半漁形態であった。第8州では、馬を使った地引網というユニークな形態の漁が行われており、マプチェの漁業文化としても象徴的であった。  当日は、実際の現地の写真などを交え、チリの先住民漁業の一端を報告したい。
  • 田林 雄, 小室 隆
    セッションID: 737
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに   計測技術や解析技術の発達した今日においても、湖沼や河川、浅海域等の水の中の地図化は陸面に比べて遅れている。その理由として、測量をする際に、水の中の作業に際して移動の自由が制限されるため陸面に比べて非常に手間がかかること、機器の高い防水性能が求められることが挙げられる。こうした場の地図化は物質循環の重要な場であり精細な地図の作成は正確な物質の移動量・蓄積量の見積もりに繋がる。  
    地図を作成する手法として写真測量があるが、従来は写真から地図を起こすのには専門的な知識や経験が必要であった。しかし、最近では対象を異なる視点から連続的に撮影したデジタル写真を用いて、3Dモデルや3D地図を作成するソフトウェア技術が発達し、特段の専門性がなくともこうしたもののデータ化が可能になった。
    また、水中で連続写真を撮影する際には対象物を適切な視点から撮影する必要があるが、従来の遠隔操作型無人潜水機(ROV; Remotely Operated Vehicle)は100kgを超えるような大きいものが多く、外洋以外での取り回しが困難であった。また、浅瀬での航行・潜行は不可能であった。しかし、最近バッテリーや電子パーツの性能向上によって小型のROVが開発された。価格も個人の研究者が購入・運用できる程度である。
    本研究では、このソフトウェアと小型ROVを用いて現地で撮影したデジタル写真を用いて、既述したソフトウェアで解析することで湖沼や浅海底の水中3D地図の作成を試みた。

    2. 調査・解析  調査は2016年5月に神奈川県の三浦半島の海岸部で、同年の10月に群馬県の菅沼で行った。いずれの地点も波浪の影響が小さく、透明度が高い。小型ROVに搭載したカメラで対象範囲の連続写真を撮影し、取得した写真を計算機で解析した。

    3. 結果・課題  今回調査を行なった地域では撮影条件がよく明瞭な3D地図の作成ができた(図)。特に、礫の形状や色を含めて精細に再現できている。また、音波探査等では得られないテクスチャを取得できるのが特長である。しかし、一方で以下の課題が明らかになってきている。今後は今回の手法が適用できる地域を明らかにしたり、課題を克服する手法を考えたい。

    課題
    ・水面近くでは機体が波浪の影響を受ける
    ・水中を潜行させた場合に機体の位置確認が難しい
    ・水草などで動きのある対象物のモデル化は困難
    ・対象範囲を抜けがないように連続撮影することが困難で、しばしば「す」ができてしまう
    ・モデル化が透明度に大きく依存する
    ・モデル化が光環境に依存する
    ・詳細なモデル計算には時間がかかる
  • Mountain Research and Development誌の分析を事例に
    横山 智
    セッションID: S0408
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    ■研究目的 平成29年度より筑波大、信州大、静岡大、山梨大の4大学連携「山岳科学学位プログラム」(修士課程)が開始される。教育プログラムとして学位を出すには、学問の体系化が求められよう。しかし、現在の日本において、山岳研究は決して体系化されているとは言えない。学際的な研究分野と考えられるが、これまでどのような学問分野が、山岳研究に関わってきたのか。また、現時点では、山岳(山地)科学と呼ぶのが適切か、また山岳(山地)学が適切なのかという問題も残されている。 そこで本発表は、山岳研究の過去35年間の研究動向を整理し、山岳研究の体系化のための情報を提供することを目的とする。 なお発表では、自然地理学分野に限らず、発表者の専門分野である、人文地理学や人類生態学などの人文社会科学系分野の山岳研究についても考察したい。
    ■対象学術誌 山岳研究の研究動向を把握するために、英文学術誌の論文データを用いた。分析対象とした学術誌は、1981年刊の“Mountain Research and Development (MRD)”誌である。MRD誌刊行以前には、1913年から刊行されている“Revue de géographie alpine (Journal of Alpine Research)”があるが、論文のほとんどが仏語である。そして、MRD誌以降には、2004年に中国科学院・成都山地災害環境研究所からピアレビューの国際誌として“Journal of Mountain Science (JMS)”が刊行されている。しかしJMS誌は、刊行後12年しか経過していないことから論文の蓄積が少ない。その点、MRD誌は2016年末時点で、36巻(合計141号)が出されており、論文が多く蓄積されている。加えて、人文社会科学と自然科学の両分野が掲載され、内容も理論、現地調査報告、そして開発の実践まで幅広くカバーしており、学際的な学問分野である山岳研究の分析対象誌として相応しいと判断した。
    ■分析方法 電子図書館JSTOR(https://www.jstor.org/)からMRD誌に掲載された全論文のメタデータファイルを文献管理アプリケーション(EndNote X7)に読み込んだ。その後、ピアレビューかつ英文アブストラクトが掲載されている論文だけを絞り込み、最終的に1230本を分析対象とした。それらの論文をエクセルで読み込むことができる形式で出力し、研究対象地域と研究分野の情報を追加した。なお、研究分野は単にタイトルやキーワードだけでなく、アブストラクトと本文を読んで分類した。
    ■結果 MRD誌に掲載された論文の研究対象地域と研究分野について、クロス表で集計した結果を表1に示す。研究対象地域の数としては、南アジア(ヒマラヤ)が最も多く、次いで南米(アンデス)とヨーロッパ(アルプス)がほぼ同数で2番目の論文数となっている。また研究分野としては、development studiesが最も多い。development studiesには、コミュニティ開発や自然資源利用政策、ジェンダー研究などのトピックが多く見られた。 最終的に、時系列にどの地域でどの学問分野の研究が盛んに行われたのか、またそれぞれの研究対象地域および研究分野において、どのようなトピックが議論されたのかについて明らかにしたい。したがって発表では、数量的な統計分析に加えて、対象とした全ての論文のアブストラクトをJMP Proを使用して、テキストマイニング(語句の抽出)を実施し、地域および研究分野ごとの主要なキーワードを抽出した結果を示す。それによって、過去35年間の山岳研究の動向を総合的に解明し、今後の研究の方向性を示したい。
  • 廣内 大助, 松多 信尚, 安江 健一, 竹下 欣宏, 道家 涼介, 佐藤 善輝, 石村 大輔, 石山 達也, 杉戸 信彦, 塩野 敏昭
    セッションID: P021
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    2014年長野県北部の地震で活動しなかった神城断層の北部区間が過去にいつ活動したのかを明らかにするために、トレンチ掘削調査,ボーリング調査,ピット調査を実施した.
  • 今野 明咲香
    セッションID: 401
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに 八幡平地域には亜高山帯性針葉樹であるオオシラビソ(Abies mariesii)が亜高山帯に広く分布している。亜高山帯と山地帯の境界は,吉良 (1948)の温量指数45で示され,この地域では標高1,100 mの高さに相当する。しかし,八幡平地域では亜高山帯域下限の標高1,100 mよりも低標高域にも,オオシラビソ林が分布する。特に,八幡平地域に多数存在する大規模地すべり地内でその傾向が顕著に認められる。また地すべり地内では,一般に高標高域で認められるオオシラビソ純林が低標高域にも分布する。このことは,地すべり地がオオシラビソ林の分布に影響を与えていることを示唆する。したがって,八幡平地域の植生の垂直分布を理解するためには,地すべり地内におけるオオシラビソ林の立地環境を検討することが重要であると考える。 そこで本研究は,地すべり地におけるオオシラビソ林の立地環境を明らかにし,オオシラビソ林の垂直分布の低下をもたらした要因について考察することを目的とする。 2.地域概要と調査方法 菰ノ森地すべりは八幡平山頂に対して北西に位置し,標高1,350mから発生して北西方向に流下する。規模は幅約4.0 km,移動体の全長は約5.1 kmの大規模な地すべり地形である。この地域の地質は,下位より新第三紀の堆積岩(熊沢川層,小志戸前層,北又川層),玉川溶結凝灰岩,第四紀の安山岩溶岩である(河野・上村, 1964)。本研究ではこのうち,亜高山帯域に相当する菰ノ森地すべりの移動体頭部を中心とする地域を調査対象とした。まず,空中写真判読から地すべり地内の微地形分類を行い,樹種の混交比に基づき植生区分を行った。その上でオオシラビソ林を横断する測線で,1 mDEMを使用した地形断面の作成および,現地での植生調査および土壌断面調査を行った。各微地形区分に設置した調査区においては,出現する胸高以上のすべての樹種の定着マイクロサイトを調査し,岩塊か地表に分類した。 3.結果 ・対象地域における地すべり地内の植生は,主としてオオシラビソと他樹種との混交林である。オオシラビソが80%以上を占めるオオシラビソ純林は,オオシラビソ混交林内にパッチ状に認められる。混交林を構成するのはオオシラビソの他にブナ(Fagus crenata)とダケカンバ(Betula ermanii)で,ブナは低標高域,ダケカンバは高標高域で混交比が上昇する。 ・地すべり地内の微地形と,オオシラビソ林の分布には,明瞭な対応関係は認められない。オオシラビソ混交林は地すべり地形内のほぼ一面に分布し,標高1,050 m付近まで分布する。オオシラビソ純林は,標高1,300 m以高の溶岩流の堆積緩斜面上に多い。 ・標高1,080 m付近でパッチ状に分布するオオシラビソ純林について,その立地環境を調査した。オオシラビソ純林は,地すべり凹地内の湿原に隣接する平坦地に分布し,土層断面では腐植に富むローム層が厚く堆積する。一方,この地すべり凹地に隣接する副次的滑落崖部分では,傾斜がやや急になりオオシラビソはほとんど分布せずブナ林に置き換わる。副次的滑落崖での土層断面は,角礫層が表層近くに認められ腐植層は薄く,腐植含有量も相対的に低い。 ・オオシラビソはいずれの調査区においても,他の樹種に比べて岩塊上に成立している個体が多く,その個体のサイズも小~大径木まで様々であった。一方,オオシラビソ以外の樹種で岩塊上に成立している個体は少なく,また成立していたとしても小径木のものが多い。オオシラビソ以外の樹種で岩塊上によく成立していたのは,亜高山帯性針葉樹のコメツガ(Tuga diversifolia)だけである。 4.考察 地すべり地内の主たる植生は,オオシラビソ混交林であり,オオシラビソは岩塊上に成立する個体が多い。一方,オオシラビソ純林は地すべり地形内の湿地に隣接する湿性な環境に成立する。この相反する結果は,ブナなどの他樹種が成立できない環境にオオシラビソが成立したことを反映していると考えらえる。亜高山帯と山地帯との境界は,両者の生理的な限界によるものではなく,勢力のつり合いによる社会的な境界と言われている(今西, 1937)。すなわち,地すべり地内における岩塊地や湿性環境は,オオシラビソ以外の樹種にとっては不適な環境となり,低標高域へのオオシラビソの侵入を許したことによって,オオシラビソの分布標高の低下がもたらされたと考える。 文献 今西錦司 1937. 垂直分布の別ち方について. 山岳, 31, 269–364. 河野義礼・上村不二雄 1964. 5万分の1地質図幅「八幡平」及び同説明書. 地質調査所. 吉良竜夫 1948. 温量指数による垂直的な気候帯のわかちかたについて. 寒地農学, 2, 143–173.
  • 秋山 祐樹, 仙石 裕明
    セッションID: 905
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    日本では人口の分布と動態の把握のために国勢調査が広く利用されている.しかし現在広く利用可能な国勢調査は,自治体単位や地域メッシュ単位に集計されており,空間的により高詳細な人口分布状況の把握は困難である.
    そこで著者ほかは,これまでに建物1棟1棟の位置と形状(面積)の情報を持つ住宅地図から世帯の分布を推定し,同時に国勢調査および住宅土地統計から得られる複数の統計表から得られる世帯・居住者に関する情報を,モンテカルロシ法などを用いて確率的に配分することで,日本全国約5,000万棟の建物ごとの世帯とそこに居住する居住者の属性(年齢・性別)を推定出来るジオビッグデータである「マイクロ人口統計」を開発してきた.
    既に同データは様々な研究において利用されており,著者ほかは同データを更に幅広い研究領域での利活用に拡張していくために,データの改良や最新データの整備を進めている.その一環として同データの信頼性の検証も重要である.同データは既に町丁目や地域メッシュ単位で集計した際の信頼性の検証は実施されており,高い信頼性を持つことが明らかになっている.そこで本稿では更に国勢調査の調査票情報を用いることで,複数の属性を組み合わせたクロス集計表をマイクロ人口統計と国勢調査からそれぞれ作成し,それらを比較することで,よりきめ細やかな信頼性の検証を実施した.
    国勢調査の調査票情報は町字ごとに居住者1人1人の家族類型,年齢,性別が登録されている.これらをクロス集計し,家族類型(16類型)×年齢(23類型)×性別(2類型)=736種類の組み合わせの居住者数を町字ごとに集計した.同様にマイクロ人口統計もクロス集計し,国勢調査の居住者数を比較することで信頼性の検証を実施した.本稿では都市地域,近郊住宅地,農村地域を含む2010年の千葉県柏市全域(125町字)を対象とした.
    居住者の年代と世帯類型をクロスして比較した結果,それぞれの類型を構成する居住者数と比較してもRMSEが十分に小さく,マイクロ人口統計から得られる居住者の情報が国勢調査と類似した結果となることが明らかになった.また年代,世帯類型に加えて性別もクロスした場合でも,多くの組み合わせにおいて類似する結果が得られることが明らかになった.更に居住者単位で見ていくと若干の不一致がランダムに発生するため,マイクロ人口統計は個人情報の該当性についても上手く回避出来ていると言える.今後は他の市区町村でも同様の検証を進めていく予定である.
  • 貿易量の推移を中心として
    石坂 澄子
    セッションID: S1402
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    はじめに
    日本で発明された寒天は,取り扱いの簡易さと汎用性の高さで早くから海外輸出品となったが,現在は輸入品が高いシェアを占めている.本発表は寒天の貿易について,歴史的な流れと貿易統計のデータを元にした検討を行うことを目的とする.
    1.中国への輸出
      17世紀中頃に誕生した寒天は,貞享年間(1684~87)には早くも輸出品の一つとなった.江戸時代の対清貿易において,銅の流出を懸念した幕府は,代わりに海産物を支払いの対価に用いた.これを俵物諸色といい,諸色の中に寒天が含まれている.寒天の原料となるテングサの産地は伊予のほかは,相模,豊後,伊豆,紀伊など黒潮の流れる太平洋岸沿岸である。その一方,製造は大坂の摂津地域の冬季寒冷な山間部で行われた.出来上がった寒天は長崎へ運ばれて,中国へ輸出されていた.寒天は生産量の大部分が輸出品となっており,例えば1821(文政4)年の史料によると,元艸惣買入高のうち8割5分が長崎貿易用の細寒天に,残りの1割5分が国内消費用の角寒天に仕立てられていた.  明治に入ると寒天の積出港は神戸・大阪・横浜に変わった.三港が輸出港となった理由は,神戸は後背地である摂津地域が古来からの伝統的・歴史的な寒天の大産地であったためであり,大阪は昔からの大寒天問屋が多数存在しており,阪神居住の中華商人が輸出業者として活躍したため,横浜は,関西より遅れて製造が開始された信州寒天が,1885(明治18)年の信越線(上野-横川間)開通によって輸送の便が良くなり後背地に成長したからである.
    2.欧米への輸出
      近代以降,寒天は中国以外のアジアや欧米にも販路を広げた.欧米では,ゼラチンの代用として食用に使われていた.更にロベルト・コッホが1882(明治15)年に発表した結核菌の論文の中で寒天培地について述べたことにより,需要は一気に急増した. 細菌の培養は,寒天の前にはゼラチンが利用されていたが,寒天よりも低い温度で溶けるという欠点があった(ゼラチンの融解温度〔一度固まってから溶け始める温度〕は25~35℃,寒天は70~90℃).ゼラチンの代わりに寒天を利用するアイデアは,コッホの元で細菌学を学んでいた医者の夫人によるもので,彼女がフルーツゼリーを作る時にゼラチンではなく寒天を使っていたことが元である.彼女はそのレシピを母親から教わっており,母親はジャワに住んだことのあるオランダ人の友達から教えてもらっていた.
    3.輸出品から輸入品への転化
      原藻の輸入は1952(昭和27)年から始まっており,寒天の輸入もこの頃からと考えられる.寒天の輸出入量は1977(昭和52)年にほぼ同量となり,その後拮抗していたが,1987(昭和62)年を境に輸出と輸入が逆転した.現在は輸入量が圧倒的に多い.原藻も,現在国内で使用されているテングサの8割弱は輸入品である.
    おわりに
      寒天の製造と流通には海運が大きな役割を担っている.今回は貿易に焦点を当てた.採藻・製造から流通への一連の流れを体系化することを今後の課題としたい.

    文 献
    野村豊 1951.『寒天の歴史地理学研究』大阪府経済部水産課
    林金雄・岡崎彰夫 1970.『寒天ハンドブック』光琳書店
    山内一也 2007.細菌培養のための寒天培地開発に秘められた物語.日生研たより 53:26.
  • 名倉 一希
    セッションID: 817
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    日本のスキー観光は高度経済成長に伴って成長し,1993年に最盛期を迎えた.しかし,その後は急激に衰退し2010年のスキー場索道輸送人員は最盛期の半分以下にまで落ち込んだ.その結果,スキー場とその周辺観光施設を含めたスキーリゾートはスキー観光の衰退によって経済的に厳しい状況に置かれている.  呉羽(2014)では,小規模スキー場ほど経営の存続において不利であると指摘しており,中・小規模スキー場における存続事例とその詳細な研究の蓄積が期待されている.小規模なツーリズムの持続性においては大橋(2009)によってリピーターの重要性が示されており,スキー観光におけるリピーターはファミリー層や定年退職後のシニア層などについて注目されてきた.しかし,それらは一般的なレジャースキーを楽しむ客層であり,競技・技術指向のスキーヤーに着目する必要がある.  そこで本研究は群馬県鹿沢地域を対象に,競技・技術指向のスキーヤーが参加する公式行事の役割を明らかにすることで,スキー観光衰退期における存続要因の一例を考察することを目的とする.
    スキー観光衰退下では自然災害や経済状況,気候変動により入込客数が変化しやすいが,群馬県鹿沢地域では公式行事の開催は集客の強制性から安定した入込客数を確保できることが明らかになった.また,それによりリピーターを創出する役割も認められ,これらがスキーリゾートの存続に寄与している.

    文献
    大橋めぐみ 2002.日本の条件不利地域におけるルーラルツーリズムの可能性と限界-長野県栄村秋山郷を事例として-.地理学評論75(3)A:139-153.  
    呉羽正昭 2014.日本におけるスキー場閉鎖・休業にみられる地域的傾向.スキー研究11(1):27-42. 
  • 高玉 秀之, 奈良間 千之, 田殿 武雄, 山之口 勤
    セッションID: P028
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    半乾燥地域に位置する天山山脈北部地域において,山岳氷河と山岳永久凍土は,山麓に分布する都市や灌漑農地へ真水を供給する重要な役割を担っている.天山山脈北部地域では,氷河や永久凍土の現状把握は重要な課題であるが,山岳氷河の変動に関する研究が多くある一方,山岳永久凍土の研究報告はイリ山脈に限定されている.山岳永久凍土は地表面下に存在するため,地形的存在指標となる,岩石氷河を用いて空間分布を把握する手法は試みられてきたが,岩石氷河内部に永久凍土ないし氷河氷等の存在を従来の手法である表面形態の地形的特徴や植生の被覆状況から判断するのは困難である.そこで本研究では,半乾燥地域に位置し,山岳域からの水供給の貢献が大きい天山山脈北部地域を対象に,ALOS-2/PALSAR-2を用いた差分干渉SAR解析により,正確な山岳永久凍土の空間分布の把握を試みた.
  • 高田 将志
    セッションID: P022
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに:隆起サンゴ礁のU-Th年代は、海水準変動や地殻 変動の解明に多大な貢献をもたらしてきた.しかしながら、U-Th法が適用できない変質したサンゴ化石も少なくない.そのような試料しか得られない地域の隆起サンゴ礁の年代は、14C年代測定が適用可能な完新世~後期更新世の隆起サンゴ礁段丘の年代から隆起速度を仮定して推測したり、テフロクロノロジーなど他の第四紀学的情報から推測することになる。しかしながら、テクトニックにアクティブな沖縄トラフの陸側に連なる日本の南西諸島のような場合、島々に分布するサンゴ礁段丘は、陸域の活断層によって分断・ブロック化され、相対高度など地形学的な推定がむずかしい場合や、他の直接的な第四紀学的情報に乏しい場合も少なくない。<BR>
      一方、南西諸島には中国大陸からのレスが飛来しているという報告がある(たとえば、矢崎・大山、1979)。筆者は、レスがサンゴ化石中に取り込まれていれば、この粒子の光ルミネッセンス年代を測定することで、前述したような変質した隆起サンゴ礁の形成年代を間接的に推定できるのではないかと考えている。そこでまず、南西諸島の中でも変質していない隆起サンゴ礁の分布する島を対象に、U-Th年代既知の試料について、サンゴ化石中に取り込まれている無機鉱物粒子を抽出し、pIRIR法による年代推定が可能かどうか、また、可能であればU-Th年代や第四紀地史と整合的な年代値を示すのかどうかの検証を行いたいと考えている。今回は、与那国島から得られた試料を対象に、上記について検討した結果について報告する。<BR>
    2.研究対象試料と研究手法:今回報告する年代測定試料は、南西諸島与那国島の隆起サンゴ礁から採取した。与那国島は、喜界島と並び、隆起サンゴ礁の年代がある程度系統的に明らかにされている島で、U-Th法によって最終間氷期(MIS5)に形成されたと考えられるサンゴ化石とMIS7に形成されたと考えられるサンゴ化石が識別されている。本報告では、既存研究によりこれらの年代が特定されている層準から試料を採取した。<BR>
      採取したサンゴ化石は、暗室の赤色光下で、まず、岩石カッターと6N塩酸10分間以上のエッチングにより、表面5mm以上を取り除いた。その後、試料を蒸留水で洗浄後、再度、過酸化水素を加えた6N塩酸で炭酸カルシウムを完全に溶解させた。この試料処理によって生じた少量の残渣を集め、沈降法と蒸留水による洗浄を繰り返し、粒径2~10ミクロンの無機微粒子を抽出した(図1)。そして、この粒子を用いて、pIR-IRSL年代測定(Buylaert et al., 2012)を試みた。当日のポスターでは、化学分析やガンマ線計測などから求めた年間線量評価と合わせて、暫定的におこなった年代測定結果について報告する。<BR>
    References<BR>
     [1] 矢崎清貫・大山 桂(1979):宮古島北部地域の地質,地域地質研究報告5万分の1図幅,地質調査所、46p.<BR>
     [2]  Buylaert, J. P., Jain, M., Murray, A. S., Thomsen, K. J., Thiel, C. and Sohbati, R., 2012. A robust feldspar luminescence dating method for Middle and Late Pleistocene sediments. Boreas 41, 435-451.
  • 高等学校地理の身近な地域調査を事例として
    森 康平
    セッションID: P007
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    今日の防災教育の題材では、地震や気象災害などが多く取り扱われている。しかし、火災に関しては避難訓練を除くと教科における取り組みは少ないと思われる。火災は、地震災害の二次災害として発生する火災を除いては、大規模な被害が出る大火は近年少なくなっている。だが、昨年末には新潟県糸魚川市において大火が発生し大きな被害を及ぼした。この様に、防火教育も土砂災害や津波災害などの地震に付随しておこる災害と同様に防災教育で取り扱う必要があると考える。そこで、本発表では、高等学校地理の身近な地域調査の学習を対象として、近代に函館市で発生した大火後の復興計画と、現在の都市計画及び景観を関連付けた防災学習教材を提案する。大火と都市計画を関連させることにより、災害に強い町づくりの形成について学習することができる。

    学習指導案の特徴は3つある。一つ目は、導入の場面において、生徒にとって大火災害を想像しやすくするために、都市計画と景観を結び付けた。二つ目は、函館大火と被災後の都市計画を結び付けることである。三つ目は、1934年(昭和9年)に発生した函館大火の史料を活用して、当時の都市計画の失敗例を学習した上で、今後大火災害が発生した場合にどのような対応をとるべきかを考えさせる。
     
    資料に関する工夫では、大火以前の都市計画を取り上げ、現在の避難行動を考えることは、災害から身を守る方法以外にも、地域の課題を解決する方法や災害の地域特性を把握することに有効であると考える。

    今後の課題は、函館大火と他地域で発生した大火の被害を比較させる教材を作成することにより、生徒が災害の地域性を確認することができるようになると考える。
  • 森 義孝, 奈良間 千之
    セッションID: P024
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    天山山脈北部地域では,「短命氷河湖」と呼ばれるわずか1年から数ヶ月で出現・出水する氷河湖からの洪水被害が報告されている(Narama et al, 2010).氷河湖からの出水は,氷河前面の氷を含むデブリ帯に発達したアイストンネルを通って生じるが,アイストンネルの発達過程,位置,規模,開放・閉鎖などの実態はほとんど明らかでない.そこで本研究では,短命氷河湖を出現・出水させるアイストンネルの位置や大きさを把握するため,天山山脈北部地域において,アイストンネルが確認できる場所でGPR (Ground Penetrating Radar)の測量を実施した.また,雪渓の内部構造の反射特性も把握するため,白馬大雪渓でも調査を実施した.
  • 川田 力
    セッションID: 238
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    ヨーロッパにおいては、1993年のEU発足以降、EUとしての様々な地域政策が立案・実施されたことにより、国家の領域を超えた地域再編が進展している。一方、1980年代以降の資本と労働のグローバルな再配置にともなう都市空間の変容は、単線的でなく都市の自立性に応じ複線的な過程をたどることが明らかになってきている(似田貝ほか, 2006)。こうしたなかで、EUによる経済統合・政治統合が進むヨーロッパにおいては国家の領域内外における地域再編・地域統合が推進されることにより、国際的な都市間競争が激化している。 このような都市間競争は一般に、都市間格差の拡大と都市内部地域格差の拡大をもたらすとされるが、オーストリアにおいてはWeichhart(2001)やPromberger et.al.(2007)が指摘するように、2000年代以降も中小都市の都市機能の維持や成長が確認されている。しかしながら、オーストリアの中小都市に関する人文地理学的研究は、ドイツ語圏の研究者によるものも経済地理学的研究が中心となっており、その多くは個々の都市を取り巻く社会空間構造の特性および都市間競争の空間的側面が十分には考慮されていない。 以上のことから、本研究の目的は、近年のグローバルな都市間競争を念頭にしたオーストリアの地域計画において、広域連携に基づく地域再編プログラムが実施される中で、中小都市がいかになる対応をしているのかをグラーツ市の都市開発戦略を事例に検討することにある。
    グラーツ市は、オーストリアのシュタイアーマルク州の州都で、人口約28万2千人(2015年12月末現在)でウィーン市に次ぐオーストリア第2の人口規模を持つ都市である。グラーツ市の人口は2000~2015年に約5万6千人増加した。このうち、かなりの割合が外国人人口によって占められており、近年はルーマニアおよびクロアチア国籍の人口増加が顕著である。主要産業としては自動車工業、電気機械工業、製紙業などの集積が見られる。また、1999年に旧市街地区の街並みがユネスコ世界遺産に登録されて以降、2000~2014年に宿泊者数が1.65倍に増加するなど観光産業の成長がみられる。 現在のグラーツ市の都市計画は2013年に策定された都市開発構想に基づくものであるが、これはそれ以前に策定された1990年の開発構想および、2001年の開発構想との関連で理解する必要がある。また、より広域の計画である州空間整備法および州開発計画との整合性も求められる。さらにEUの地域政策も念頭に置く必要がある。 グラーツ市では、1995年のオーストリアのEU加盟直後の1996年からEU基金に基づく都市再生プログラムURBUN Iを獲得し、2001年からはその後継プログラムURBUN Ⅱを、2007年からは、さらにその後継プログラムURBUN Plusを実獲得している。このほか、URBACT Ⅱと呼ばれるEU内の都市ネットワークのうち、統合的地域開発および歴史的都市景観に関するネットワークで主導的な役割を果たしている。また、以上の統合的都市開発プロジェクトのほか、2002年以降、持続可能な都市交通に関するEUの開発プロジェクトも獲得している。 これらのプロジェクトを獲得する際に、グラーツ市はEUの地域政策の中心的理念である持続可能な開発、すなわち、環境、経済、社会の持続可能性を十分に配慮した計画の策定とその実施を明確に打ち出した。併せて、2003年の欧州文化首都プロジェクトの対象都市に選定されたこと契機に建設された現代美術館およびムーア川の人工島を象徴的に利用するなどして文化都市イメージの定着を図っている。 グラーツ市では、今後も人口増加と経済成長が継続すると予測しており、遊休地の開発および土地利用の高度化により、産業系および住居系の土地利用需要に対応することを計画しているが、持続可能な開発と文化都市イメージから構成される生活の質をより高める都市を計画目標に掲げることで、住民や多くのステークホルダーの合意を形成し、都市間競争に臨んでいると見ることができる。 
  • 高橋 尚志, 須貝 俊彦
    セッションID: 437
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    Dury(1959)や貝塚(1969)は,氷期に急勾配化,間氷期に緩勾配化する河床縦断面モデルを提案し,河成段丘形成において①海水準変動および②気候変動に伴う流量-土砂量比の変化が重要な要因であることを示し,これを支持する結果が日本列島の多くの河川において報告されている(例えば柳田,1981;吉永・宮寺,1986).ただし,間氷期から氷期への移行過程の詳細はモデル化されていない.中・下流域では,海水準の低下に応答して形成された侵食段丘面を基に,最終氷期中の河床縦断面形を比較的容易に復元できる.一方,上流域の最終氷期における河床高度の変化に関しては中・下流域よりも時間分解能が低いことが多く,河川流域全体における最終氷期中の河床縦断面形変化に関しては不明な点が多い. 多摩川中・下流域では,Kaizuka et al.(1977)が後期更新世の海水準変動と河成段丘発達過程の関係を解明し,それに続いて,立川(Tc)の細分(山崎, 1978;久保・小山, 2010など)や,沖積層に埋没する段丘面への連続性が検討されている(松田,1973;Kubo, 2002など).一方,上流域では,高木(1990)が河成段丘発達史を復元したが,河床変動史に関しては不明な点が残されている.Takahashi and Sugai(投稿中)は,多摩川上流域の堆積段丘構成層を支流性と本流性に識別し,高木(1990)と異なる最終氷期以降の河床変動史を解釈した.この新しい解釈を踏まえて,本報告では多摩川流域全体の最終間氷期以降の河床縦断面形変化史について再検討する. 高木(1990)は,多摩川上流域では(1)MIS 5.3から箱根東京軽石(Hk-TP;65 ka)降下期まで本流河谷が最大で約70 mの厚さで埋積されて青柳(Ao)面が形成され,(2)Ao面は現河床に対して上流に向かって発散し,Tc面や拝島(Hi)面は上流に向かってAo面に収斂すると解釈した. これに対して,Takahashi and Sugai(投稿中)は,Ao面を構成する本流性堆積物の上限高度を基に河床高度を復元し,青梅市中心部よりも上流に分布するAo面およびTc2面は,最終氷期の支流性扇状地がLGM後の本流の側方侵食により段丘化した地形(Toe-cut terrace; Larson et al., 2015)であり,本流の河床高度を示さないことを示し,(1)本流の河床上昇はHk-TP降下期以前に概ね終了し,河床上昇量は40 m程度以下であること,(2)最終氷期中の河床縦断面形は現河床に対して上流に向かって発散せず,MIS 4~2の河床高度は安定していたことを指摘した. 多摩川上流域のAo面を構成する本流性堆積物の上限高度を連ねた縦断面(PTMD;Profile of top of mainstream deposits)は,MIS 4~2の本流の河床縦断面を示すと考えられる.青梅より下流に分布するTc2およびTc3面は,PTMDに収斂する(図1).Hi面以下の晩氷期以降に形成された侵食段丘面群の各縦断面形はPTMDと概ね平行に下流へ連続する. 中・下流域では,上流河谷の埋積の開始以前(~MIS 5.3)には武蔵野(M)1面が,上流河谷の埋積期(MIS 5.3~4)にはM2およびM3面がそれぞれ形成された.上流域で河床高度が安定していたMIS 4~2には,中・下流域では側方侵食が活発化しTc1~3面が形成された.  このように,最終間氷期以降,上流の河床安定期に対応して,中・下流域において比較的幅の広い段丘面が形成されたと考えられる.また,PTMDにTc1~3面が収斂することは,LGMに向かう海水準の低下に縦断面が応答し,河口付近から下刻が上流へと波及し,Tc1~3面が形成されたこと(野上, 1981; 柳田, 2009)と調和的である.最終氷期に本流の河床高度が安定していた間,支流性堆積物が河谷内に支流性小扇状地が発達した原因として,小岩(2005)が指摘するように短周期の気候変動(D-O振動)に支流や斜面が応答して地形を形成した可能性が推測されるが,この点に関しては,今後の検討課題である.
  • 作野 広和
    セッションID: 616
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    政府は,2015年に「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を改定し,地域住民のくらしを守っていくための具体的施策を明確化させた。そこには,政策の基本目標の一つとして,「時代に合った地域をつくり,安心なくらしを守るとともに,地域と地域を連携する」と明記されている。そのための施策として,「小さな拠点」の形成(集落生活圏の維持)が掲げられている。具体的には,①複数集落の連携による集落生活圏を確立し,②地域課題解決のための地域運営組織を形成し,③生活サービスの維持・確保のために「小さな拠点」を整備していくことが掲げられた。 一連の政策は,「まち・ひと・しごと創生本部」が国の重要政策として牽引しているものの,実質的な議論は総務省主導で行われてきた。前述した3つの具体的施策は,人口減少や高齢化が著しい中山間地域を維持するために重要な政策である。これまでの政策は,中山間地域を構成する集落の維持に力点が置かれてきたが,今後は集落のまとまりである集落生活圏が重視されることとなった。この点は,政策的に大きな転換であり,末端の集落が切り捨てられることを懸念する意見もある。また,「小さな拠点」という表現から,集落機能を中心集落に集約するイメージが強いとの指摘もある。  また,これまでの中山間地域政策は,機能の維持・強化に特化してきたといえる。しかし,そのための組織化や合意形成については,ブラックボックスとして扱われ,政策の対象として中心に据えられてこなかった。数年前から議論されている地域運営組織の形成のためには,地域住民の話し合いによる合意形成が不可欠である。そして,既存の住民自治組織である集落や自治会といった地縁的組織との関係や,集落生活圏と重なることが多い公民館や校区を単位として活動してきた既存組織との関係も考慮する必要がある。さらに,任意の地域づくり組織やNPOなど,地域運営組織をとりまく組織は非常に多い。  言うまでもなく,地域課題は地域によって異なるため,地域運営組織のあり方は,地域特性を強く反映している。本報告では,これまで十分に研究されてこなかった地域運営組織の設置状況に関する地域的特色を明らかにする。具体的には,総務省が行った調査結果を分析するとともに,いくつかの事例を用いながら,設置のプロセスや既存組織との関係から,地域特性が組織化にいかなる影響を与えているかについて明らかにする。  総務省の調査によると,1,590市町村のうち,494市町村(約31%)で地域運営組織が設置されている(2015年度調査)。また,地域運営組織が活動している494市町村のうち,市町村の全域に設置されている市町村は153市町村(約31%)であり,他の市町村は一部に設置されているに過ぎない(同)。国のKPI(重要業績評価指標)においては,地域運営組織の形成数を3,000としているが,平成の合併以前の1999年に3,232の市町村があったことと比較すれば,地域運営組織の設置数は決して多くない。  しかし,設置地域を見る限り市町村によってその設置状況に偏りが見られる。すなわち,特定の市町村には多くの組織が設置されているが,全く設置されていなかったり,1組織のみ存在していたりする市町村も多く見られる。  一連の結果から,地域運営組織の設置状況に関する地域的特性を,以下の2点に整理することができる。第1は,地域運営組織の設置は,市町村が政策的に誘導しており,そこでは全市的に展開している。これらの市町村では,地域運営組織の広まりという観点においては有効であるが,住民感情として「行政から押しつけられた」という思いの蔓延や,組織の形骸化・形式化が懸念される。中国地方では岡山県岡山市において,各学校区単位で「安全・安心ネットワーク」が設置されているが,その活動実態は相当ばらつきが生じている。  第2の特徴として,地域運営組織が存在していないとされる市町村では,地域運営組織とは異なるカテゴリーに分類されている組織がその役割を担っている市町村も存在している点である。具体的には,自治会・町内会,公民館,社会福祉協議会などが考えられる。島根県松江市の地域運営組織は1団体のみが挙げられているが,実際には学校区を単位とした公民館が地域自治,地域福祉,地域防災,地域教育など,地域課題解決のために重要な役割を果たしている。  調査の結果,設置数は少なく,地域課題を解決する組織として全国的に定着しているとは言い切れない。ただし,このことは既存の組織がその役割を担っている地域や,逼迫した地域課題が少ない地域も存在していることを裏付けている。今後は,個別事例を積み上げることで,地域特性を明らかにする必要がある。
  • 小林 勇介, 渡辺 悌二
    セッションID: 419
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに  大雪山国立公園では、主な登山道の表層は火山性の脆い物質に覆われ、さらに融雪期と登山シーズンが重なるという地域性から、登山道上の侵食や登山道周辺の植生上への土砂の堆積が深刻な問題のひとつとなっている。登山道侵食を理解する上で侵食断面を計測する2次元的な手法が従来から取られてきた。しかしながらこの手法では全体的な計測や経年変化の把握は難しい。そこで本研究ではUAV(ドローン)による撮影および3次元解析を行い、2014年から2016年の3年間の侵食量および堆積量の変化を明らかにした。また、登山道表面から基盤までの厚さを計測し、将来、侵食しうる規模について評価した。 2. 調査対象登山道  本研究では、大雪山北海岳から白雲岳方面にかけて広がる緩斜面上を南北に走る登山道を対象とした。登山者は例年9月が最も多い。大雪山国立公園の中でも、深さ1 m規模の大きな下方侵食が多発している区間である。 3. 計測方法  今回、7箇所の登山道上の侵食を計測した。ひとつの侵食の全体を計測できるよう、侵食の始点から終点の間に複数個のGCP(地上基準点)を設置し、GPSを用い地上座標を得た。UAVにはDJI Phantom2+Visionを、空撮用カメラにはRICOH GRを用いた。写真測量解析にはAgisoft Photoscanを、土量計測にはArc GISおよびEasy MeshMapを用いた。登山道表面から基盤までの厚さの計測にはPANDA2を合計14地点で用いた。   4. 結果と考察  計測対象とした7箇所の中で、最も侵食規模の大きな箇所の侵食量は274.67 m3であった。各計測箇所においては、全体の侵食量と登山道の傾斜度に明瞭な関係は見られない。また、2014年から2015年にかけて登山道に変化はほとんど見られない。しかし、2016年台風10号による大雨の影響で、下方侵食が1 cmから30 cmの範囲で進行した。今回、周氷河地形が発達する緩斜面上で下方侵食のほか側壁の崩壊が見られた。今後の下方侵食が発生しうる規模については、30 cmから100 cm以上と想定され、2016年台風10号のような大雨が今後も発生すると更に下方侵食が進行することが予想される。また、今回の大雨による活動層の融解の促進が見られた。このため登山道が泥濘化し、登山者が歩行場所を大きく変え、登山道が拡幅した場所も見られた。現在、大雪山国立公園では近自然工法に基づく登山道補修が積極的に行われている。実際の施工に際し、水道となる微地形の見極めが必要となることから、UAVおよびSfMを用いた計測は登山道管理において有効であると考えられる。しかし予算や人員が限られており、今後荒廃しやすい場所を優先的に補修するなど対策が必要である。   本研究の実施には科学研究費補助金「持続的観光への展開を目指した協働型登山道維持管理プラットフォームの構築」(課題番号15K12451,研究代表者:渡辺悌二)を使用した。
  • 北島 晴美
    セッションID: 907
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    2011年3月の東日本大震災とその後の原発事故は,特に東北地方の福島県,宮城県,岩手県に甚大な被害をもたらした。これらの被災県における死亡率の動向について報告する。
    高齢化に伴い死亡数は増加し,死亡率も上昇するため,人口構成の影響を低減して死亡率の地域差を把握するために,年齢階級別死亡率を算出し,各都道府県の状況を比較した。
    都道府県別・性別・年齢別日本人人口データが公表される国勢調査年(2010年,2015年)における死亡率を算出し,2時点間の変化を分析した。主要死因(悪性新生物,心疾患,肺炎,脳血管疾患,老衰)の死亡率についても調査した。

    2.研究方法
    使用した死亡数データは,人口動態統計(確定数)(厚生労働省)である。全死亡のほか,死亡数が多い75~84歳85~94歳,さらに,95歳以上の3年齢階級毎の2010年,2015年死亡率,月別死亡率も算出した。北島・太田(2011)と同様に,各月死亡率は,1日当り,人口10万人対として算出した。人口は国勢調査(総務省)の日本人人口を使用した。

    3.都道府県別死亡率の変化
    (1) 死亡率(全死亡)
    被災3県の都道府県別死亡率(全死亡)の順位(死亡率高値が1位)は, 2010年から2015年にかけて,岩手県7位→10位,宮城県35位→37位,福島県14位→13位であり,大きな変動はないが,岩手県,宮城県は,死亡率が低い方向へ順位を移動した。

    (2) 75~84歳年齢階級死亡率
    2010年から2015年にかけて,75~84歳死亡率は全都道府県で低下した(図1)。被災3県の内,福島県は他の2県とはやや異なり,全国平均よりも低下率が小さい。

    (3) 85~94歳年齢階級死亡率
    2010年から2015年にかけて,85~94歳死亡率が低下した県が多いが,上昇した県もある(図2)。宮城県の死亡率は低下し,福島県の死亡率は上昇した。

     (4) 95歳以上年齢階級死亡率
    2010年から2015年にかけて,95歳以上死亡率は上昇する県と低下する県が併存する。人口,死亡数とも上記の2年齢階級よりも減少するため死亡率の変動が大きくなる。3県の動向は85~94歳年齢階級と類似しており,福島県の死亡率は上昇した。

     主要死因別死亡率の変化傾向,月別死亡率の変化傾向については,発表時に報告する。
  • 渡辺 浩平
    セッションID: S0303
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
     報告者は第10回国連地名標準化会議(UNCSGN, 2012年)と第29回国連地名専門家グループ会合(UNGEGN,
    2016)、ならびにUNGEGNエキゾニムWG会合に参加する機会を得たので、それについて報告する。

    1.1  UNCSGN/UNGEGNとは
     UNCSGNとUNGEGNは1967年に発足し、国連経済社会委員会統計部の下におかれている。国連発足当初から、各国の国内地名の標準化と非アルファベット表記のローマ字転記法の標準化の必要性がとりざたされていたようである。地名に関する混乱や理解のずれがあれば、災害支援など国連の様々な活動に支障をきたす懸念が理由として上げられる。
     地名に関する決議は5年毎に開催されるCSGNで行われ、CSGNと同時開催および間の5年間に2度開催されるGEGNでは取組報告、事例報告、課題への勧告などを行う、という役割分担になっている。

    1.2  UNCSGN決議
     10回のCSGNにおいて207の決議がなされている。次回会議の開催、WGやDivisionの創設など運営関連も多いが、特筆すべきものとして、国家地名当局の設立および地名集(gazetteer)の管理と公開の勧告、先住民族・少数民族の地名の尊重、商業的な地名の改変の不推奨、エキゾニム使用の削減などがあげられる。

    1.3  会議参加者
     各々の会議には各国の地理学/言語学等の研究者、地図当局、外交当局等が参加している(CSGNでは後2者が多い)。2016年GEGNでは180人の専門家の参加があった(49カ国8オブザーバ団体)。CSGNでは参加者は国を代表することになるが、GEGNではDivisionの代表という扱いである(言語や地域による区分。24あり、複数のDivisionに所属する国もある。日本はAsia East Division (other than China)に属する(韓国、北朝鮮、日本がメンバー))。それとは別にトピックごとに10のワーキンググループ(WG)があり、WGはGEGNの本セッションに加えて適宜会合を開いている。WGの参加者はほとんどが研究者であり、学会/研究会と同じ雰囲気である。議論の流れとしては、WGでの議論がGEGNで報告され、CSGNで決議になる、と言った感じである。
     CSGNやGEGNに提出され報告されたペーパーや決議はすべてウェブサイトhttp://unstats.un.org/unsd/geoinfo/ UNGEGN/ にて公開されている。また、直近のGEGN会議はyoutube上で生中継された(現在も録画を視聴可能)。

    2.動向
    2.1  第10回UNCSGN(ニューヨーク2012)
     基本的には各国の取り組みの進捗報告や、WGの活動報告が淡々と進められた。キリル文字のローマ字化の原則についてなど、若干論争になったものもあったが、そのなかで日本と韓国、北朝鮮との間で繰り広げられた日本海呼称に関連した複数の議題にわたる論戦は、異色の要素であった。

    2.2  第29回UNGEGN(バンコク2016)
     会議開催サイクルの改変とUNGGIM(グローバル地理空間情報管理委員会)との連携強化が提案された。これは技術・行政主導化につながるとの懸念が示された。北アフリカ・サヘルDivisionの新設提案に対し、アラブDivisionが強く反対を表明した。日本が提出した「外国人に分かりやすい地図表現」の取組報告は、有用であると同時にエキゾニム使用を公認することでもあり、反響を呼んだ。

    2.3  エキゾニムWG (コルフ2013, ザグレブ2015)
     最も活発に活動しているWGである。植民地地名の削減が意図でエキゾニム削減の決議がなされたと考えられるが、本WGにおいてはエキゾニムもそれを使用する言語圏の文化の一部として存在意義が強調されつつある。エンドニム/エキゾニム2元論についても疑問が呈されている。

    3. 考察
     各言語におけるエキゾニムの存在意義や実用性が示される中、標準化とは何なのかという問いが生ずる。英語での呼称を標準とする議論は趣旨に反すると考える。その上、漢字文化圏においては表記を標準化するのか読みを標準化するのかという、表音文字圏では看過されがちな課題もある。
  • 谷端 郷, 矢野 桂司, 中谷 友樹, 花岡 和聖
    セッションID: P066
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    I はじめに  
    人口減少時代を迎えた日本における持続可能で体系的な地方創生のための計画手法の1つとして、GISを活用したジオデザイン(スタイニッツ、2014)を提案する。ジオデザインとは、地域の記述や説明に重点をおく地理学と地域の将来計画を得意とする計画学とを融合し、GISとICTを最大限に活用して、地域住民と専門家の協働によって将来計画を立案するために提案されたフレームワークである。 本研究は、人口減少・高齢化が進行する典型的な地方自治体の1つである京都府与謝野町を対象に、ジオデザインの方法論と先端的な情報プラットフォームの適用を試みた2日間のワークショップ(2016年11月23・24日、立命館大学朱雀キャンパス)の成果内容を報告するものである。
    II ジオデザインのフレームワークと対象地域  
    ジオデザインは、基本的に図1に示す6つの問いかけの繰り返しに基づいて構成される。
    与謝野町は、平成の大合併の2006年に、旧岩滝町、旧野田川町、旧加悦町の3町が合併してできた町である(図2)。大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域には肥沃な平野が広がり、天橋立を望む阿蘇海へと続く総面積108平方キロメートルの範囲に約2万4千人が暮らしており、南北約20キロメートルの間に集落が連なっている(与謝野町HPより)。与謝野町は丹後ちりめんで知られる絹織物の生産地としても知られるが、高度成長期以降、繊維産業は衰退し、人口流出による人口減少が続いている。
    Ⅲ ワークショップの内容
    ワークショップは、参加者がWebを介してジオデザインに参加できる情報プラットフォームGeodesign Hub(https://www.geodesignhub.com/)を用いて進行した。本ワークショップの目的は、2010年(人口2万3千人、世帯数9千人、高齢者比率30%)の与謝野町をベースとして、30年後にあたる2040年の将来計画(推計人口1万5千人、世帯数6千人、高齢者比率42%)を策定することにある。まず、将来計画のベースとして、住宅、商業地、工場、農地、公共施設、グリーン・インフラ、ツーリズム、ランドスケープといった9つの視点を設け、対象地域を(Feasible、Suitable、Capable、Not Appropriate、Existing)の5段階にランクづけする評価マップをGISの空間分析機能を利用し作成した(10mメッシュの空間的解像度を採用)。将来計画では、新たな住宅、商業地、工場、農地、公共施設、グリーン・インフラ、ツーリズム、ランドスケープに関係する土地利用・施設の配置・規制を計画した。その際、合併前の3つの旧町のコミュニティを代表する3つの計画チームと、環境保全、経済、社会の視点から合併後の与謝野町全体の将来を考える3つの計画チームのそれぞれが将来計画案を提示した。最後の意思決定モデルの段階では、それら6つの将来計画案を与謝野町の利害関係者を含めた討論を経て比較し、最終的に1つの将来計画へと統合した。
    参考文献
    カール・スタイニッツ著、石川幹子・矢野桂司編訳(2014):『ジオデザインのフレームワーク:デザインで環境を変革する』古今書院、226頁。
    付記 本研究は、立命館大学の2016年度国際化情報発信および歴史都市防災研究所の研究高度化予算の助成を受けた。
  • 山田 淳一
    セッションID: 333
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.問題の所在
    1990年代を中心に推進されてきた日本の地方港における外貿コンテナ港化については、既に多くの先行研究による成果がある。このうち、コンテナ港と後背地との関わりについて論じた従来の研究には、貨物流動や荷主企業を指標とするアプローチが多いように思われる。
    しかしながら、地方港の港湾管理者がコンテナ港化を推進した背景にある地域経済・社会の要求や諸条件には地域差があると考えられることから、地方港を取り巻く地域経済・社会が、さまざまな条件や制約下でコンテナ港化に向けて如何に対応したのか明らかにする必要があろう。
    そこで、本研究では、岩手県の港湾におけるコンテナ航路の開設過程を事例として、コンテナ荷役機械の整備やそれに関わる団体の設立の経緯を指標として、コンテナ港化と後背地との関わりの分析方法を検討する。

    2.岩手県の港湾へのコンテナ航路の開設過程
    2016年12月現在、岩手県においてコンテナ定期航路の開設されている港湾は、宮古港、釜石港、大船渡港の3港である。いずれも重要港湾に指定されており、岩手県が港湾管理者となっている。
    岩手県の港湾へのコンテナ航路の開設過程をみると、まず、1998年に宮古港において、県内初となるコンテナ定期航路が横浜コンテナラインによって開設された。この航路は横浜港でコスコ、IALと接続する国際フィーダー定期航路であった。しかしながら、日本全国で外貿コンテナ港の整備が進められる中で、岩手県は国内で唯一、外貿コンテナ航路が就航していない状況であった。その後、2007年になって大船渡港に県内初の外貿コンテナ航路が就航した。この航路は興亜海運による中国・韓国航路であったが、2011年の東日本大震災の影響で休止となった。
    東日本大震災後は、2011年7月に釜石港において井本商運の国際フィーダー定期航路が、2013年には大船渡港において鈴与海運の国際フィーダー定期航路が開設され、それぞれ京浜港との間に就航した。さらに釜石港には、2016年12月からSITCの国際フィーダー定期航路も参入し、1港2社体制となる。コンテナ取扱量も増加していることから、岩手県は釜石港に県内で初めてガントリークレーンを整備することを決定した。

    3.コンテナ荷役機械の整備と関連団体の差異
    宮古市においては、宮古港への多目的クレーン設置を岩手県に要望していたが、見込まれるコンテナ取扱量が少ないことから認められなかった。そこで、地元港湾・運輸関係企業4社によって宮古ターミナルサービス事業協同組合が設立され、宮古市から費用の半額の補助を得て、コンテナ荷役機械が購入された。
    釜石港においては、2008年に釜石港物流振興株式会社が、釜石港における物流振興を図るため、コンテナ荷役機械の整備、賃貸・維持管理に関わる事業を営むことを目的に設立された。同社は、設立当初の資本金100万円のうち90万円を釜石市が出資する第3セクターであった。
    大船渡港においても、大船渡商工会議所が1990年代から岩手県にコンテナ荷役用クレーン設置を要請していたが、採算の問題から地元の負担が求められた。大船渡市が実施した貨物需要調査などを踏まえ、2005年に大船渡商工会議所は独自にコンテナ荷役機械を調達することを決定し、翌年、荷役機械の設置運営を目的とする大船渡国際港湾ターミナル協同組合が設立された。同組合は大船渡市や周辺市町に立地する食肉加工業、建材卸業、菓子製造業、小売業、酒造業など民間16社が出資し、直接的には輸出入に関わらない企業も含まれていることが特徴である。

    4.まとめ
    3港におけるコンテナ荷役機械の整備やそれに関わる団体の設立の経緯には地域差があった。このことから、コンテナ港化における後背地との関わりの分析にあたっては、後背地を広義に捉え、貨物流動や荷主企業などの従来の分析に加えて、地域経済・社会の対応も考慮する必要があるといえよう。
  • 山縣 耕太郎
    セッションID: 412
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    氷河から解放された地点では,土壌の生成が開始する.異なる時代に解放された地点の土壌を比較することによって,土壌の発達過程を検討することができる.土壌は,その生成過程において,気候ばかりではなく,地形や地質,植生,水分条件など,様々な環境因子の影響を受ける.特に,植生とは相互に影響を及ぼしながら変化していく.土壌は,地域の生態系において重要な役割を果たし,植生変化の過程を考えるうえでも重要な要素となる. 本研究では,ケニア山Tyndall氷河において,完新世以降の温暖化に伴い縮小した氷河前面における土壌の生成過程を検討する.今回は,その準備段階として,氷河前面の地形区分と各地形単位上に見られる土壌の特徴把握を行った結果を報告する.  ケニア山は,ナイロビの北北東約150km,ほぼ赤道直下に位置する標高5,199mの山岳で,アフリカ第二の高峰であり、東アフリカ大地溝帯の形成が始まった約300万年前から形成された成層火山である. 山頂周辺は,氷期に強い氷食を受け,山腹には標高3000m付近までU字谷が放射状に刻まれている.山頂付近には,現在11の氷河が存在する.その中でTyndall氷河は,Lewis氷河についで2番目に大きな氷河であり,19世紀の終わり以降の変動がよく記録されている(水野,1994).  ケニア山における過去の氷河作用について,Baker(1967)は,ネオグラシエーションの氷河前進期を認め,ステージⅣとした.さらに,Mahaney(1984)は,このステージⅣを堆積物の地形的位置,風化の状態,土壌断面の特徴等から判断して,古い方からTyndall前進期とLewis前進期に区分した.Tyndall前進期のモレーンは,Tyndall氷河前面のみで認められる.さらに下方のTyndall氷河の谷とLewis氷河の谷が合流する付近には, LikiⅢ前進期のモレーンが認められる. それぞれの氷河前進期の年代については,堆積物中に含まれる有機物の14C年代からLikiⅢ前進期については晩氷期の約12,500年前,Tyndall前進期については約1,000年前と推定されている(Mahaney et al., 1989).しかし,今回の調査でTyndall期のモレーンはさらに5つの時期に区分されることが確かめられたので,1,000年前をさらに遡るものも含まれると考えられる.Lewis期のモレーンは,植生の被覆度や,岩礫を覆う地衣類の被覆度から,Tyndall期より明らかに新しいモレーンとして区別され,小氷期に形成されたものと考えられる(Mahaney et al., 1989).Lewis期のモレーンについても,さらに2時期に区分可能である.Tyndall氷河前面において,Lweis期のモレーンより上流側には,明瞭なモレーン地形は認められない.しかし,先行研究によって1919年から2011年までのいくつかの時期の氷河末端の位置が確認されている(Mizuno・Fujita,2013).  Tyndall氷河前面において,地形単位ごとにピットを作成して,土壌断面の観察を行った.それぞれモレーン上とモレーン間凹地にわけて観察を行った.  2015年調査時には,氷河末端から約17mの位置まで植物の侵入が確認された.しかし,その地点では,土壌層を認定することはできなかった.氷河から開放されて4年が経過した2011年の氷河末端位置では,植物はごくまばらに存在する程度で,その周辺に細粒物質がトラップされて堆積している層が厚さ2cm程度で確認された.しかし,この層に有機物はほとんど含まれていない.さらに18年経過した1997年の氷河末端付近では,表層に6~8cmの暗褐色で有機物に富むA層が確認された.さらにこれより古いLewis期のモレーン上では10~11cm,Tyndall期のモレーン上では10~33cm,LikiⅢ期のモレーンの上では33cmのA層の発達が確認された.Tyndall期の中では系統的な土壌層厚の変化は認められなかった.  これらの土壌層は,シルト粒子を主体として,下位の氷河成堆積物とは粒度組成が明瞭に異なることから,土壌層の生成には,風成粒子の堆積が寄与していると考えられる.各時期の土壌層厚から求められる土壌成長速度は,0.03mm/yrから4.4 mm/yrまでとかなり幅がある.また,同じ地形単位の上でも土壌層厚がばらつくことから,風成粒子の堆積,土壌層の成長には,植生の有無などの微細スケールの条件が影響しているものと考えられる.  
  • 後藤 健介, 黒田 圭介, 宗 建郎, 出口 将夫, 黒木 貴一, 磯 望
    セッションID: P017
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    ハワイのキラウエア火山は、世界で最も活発な火山で、1983年以降継続的に噴火を繰り返している。2014年6月27日に始まったキラウエア火山のプウ・オオ火口から大規模に噴出された溶岩流は東の方角に流れ始め、かつて溶岩が到達したことのなかった林にまで流れ込みながら、牧草地、道路、墓地などを焼き払った後、2014年11月上旬Pahoa近くで停止した(図1参照)。 本研究では、この溶岩流によってどのように環境が変化したのかを把握するため、溶岩流噴出前後に観測された衛星データを用いて土地被覆の変化を詳細に調べた。
    2. 研究手法
    解析に用いた衛星データは、DigitalGlobe社の高解像度衛星WorldView-2で、2014年6月27日の溶岩流の噴出前のデータとして2014年3月5日観測のものを、噴出後のデータとして2016年3月8日観測のものを使用した。 なお、今回は分解能1.84mのマルチスペクトルバンド4バンド(青、緑、赤、近赤外)を用いた。対象地はPahoa周辺とし、衛星データから土地被覆分類図や植物活性(NDVI)、水分指標(NDWI)などの環境指標分布図などを作成し、標高データ等を用ながら、溶岩流噴出前後の環境変化を調べた。
    3. おわりに
    高解像度衛星データを用いることで、Pahoa周辺まで迫った溶岩流の分布を詳細に把握でき、この溶岩流による土地被覆変化への影響を知ることができた。植物活性に関しては、対象地全域の植物活性が噴出前と比べて低下傾向にあることが分かった。
  • 寺尾 徹, 村田 文絵, 山根 悠介, 木口 雅司, 福島 あずさ, 田上 雅浩, 林 泰一, 松本 淳
    セッションID: S1503
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに
    インド亜大陸北東部は,陸上における世界的な豪雨域である。とりわけメガラヤ山脈南斜面には年降水量10000mmを大きく超える地域が広がり,世界の年間雨量極値(Cherrapunjee, 26,461mm, 1860年8月~1861年7月)を持つ(木口と沖, 2010)。この領域の降水は、アジアモンスーン循環を駆動する熱源であり、当該地域に住む人々の生活に本質的な影響を与えている。
    われわれの研究グループは、現地の観測網の充実による降水過程の解明、過去のデータを取得、活用することによる経験的な知見の集積を進めてきた。災害や農業、公衆衛生をはじめとしたさまざまな人間活動との関係を研究してきた。
    2. 観測ネットワーク
    われわれの研究グループは、2004年以降,当該地域に雨量計ネットワークの展開を開始しており、2007年頃までに雨量計は40台に達し、現在まで維持管理している(図1)。自動気象観測装置も活用してきた。現地気象局等との協力関係を発展させ、過去の各気象局の持つデータの収集を進めてきた。
    3. データレスキュー
    インド亜大陸北東部のうち、英領インド東ベンガルおよびアッサムの一部は、1947年にパキスタン領となり、その後バングラデシュとして独立した。そのため、現インド気象局では降水量データのデジタル化がなされていない。バングラデシュ気象局もパキスタン独立以前のデータの管理をしていない。そのため、デジタルデータは1940年代以前が空白となっている。
    英領インド気象局の観測は充実しており、バングラデシュでもっとも雨の多いSylhet域の降水観測点は、現バングラデシュ気象局の観測点の数倍ある。バングラデシュ最多雨地点とされるLalakhalには現気象局の観測地点がなく、旧いデータも保管されていない。
    われわれの、データレスキューで得られた1891-1942年のSylhetとLalakhalの雨量データから、この二地点の当時の降水量の差を解析した結果、Lalakhalの方が30%近く月降水量が多いことが確かめられている。
    当日は、われわれの研究成果を概観し、データレスキューの現状と、われわれの雨量計の観測データやリモートセンシングデータなどを活用した、初期的な解析結果をお示しする。
    図1
    インド亜大陸北東部に設置した雨量計観測網。雨量計は○印で表されている。
    参考文献
    木口雅司・沖大幹 2010. 世界・日本における雨量極地記録. 水文・水資源学会誌 23: 231-247.
  • ロンドン・ブリクストン地区を事例として
    松尾 卓磨
    セッションID: 534
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    仮に、人・もの・カネの集中化の程度と空間的・社会的な変化の度合いとが著しく大きく、そうした集中化や変化によって生み出された活気ゆえに広く地域外から話題性を獲得している地域を「沸騰地域」と定義するならば、本発表でとり上げるブリクストン(Brixton)地区はまさにこの「沸騰地域」に相当しうる存在であろう。本発表ではかつてエスニックインナーシティであった同地区が「沸騰地域」へと遷移してゆく空間的・社会的過程を辿り、そうした過程と同地区において近年急速に進行しつつあるジェントリフィケーションの関連性について検討する。

    2 .「沸騰地域」としてのブリクストン地区

    イギリス・ロンドンのブリクストン地区は、第二次大戦以降に西インド諸島出身者を中心とする移民が数多く流入したことで知られており、現在も「White British」以外の様々なエスニック集団が全人口(約79,000人)の約65%を占めている(2011年現在)。また同地区は近年人口流入が著しい地域でもあり、2004年からの10年間で総人口は約8,200人増加し、特に20代を中心とする若い世代の流入が多く20代の人口が全体の約4分の1を占めるようになった。こうした人口流入を促す要因として考えられるのはアクセス性の良い地下鉄駅の存在と同地区の多様な空間的構成である。同地区の中心部にある地下鉄ブリクストン駅は、ロンドン都心部のターミナル駅までの所要時間が15分程度ということもあり、平日1日あたりの乗降客数は2010年以降年次平均5,400人ずつ増加している。ブリクストン地区の空間的構成は中心地域の鉄道駅と幹線道路、その周囲300mの範囲に広がる商業空間、更にその外側に広がる住宅地により成立している。中心地域の商業空間には多種多様な小売店・露店、国際飲食チェーンの店舗、映画館、コンサート会場が集積しており、近年ではブリクストン以外から訪れる若い世代向けのカフェやバー、レストランなども相次いで開業されている。そうした所謂“おしゃれ”な店舗が集約化された「ブリクストン・ヴィレッジ」や「ポップ・ブリクストン」はロンドンの若者を惹きつけるスポットとなっており、こうした多様な空間的構成が人口流入と話題性の獲得に寄与していると言える。

    3.インナーシティからジェントリフィケーションの典型地へ
    同地区のこうした現状の歴史的背景となっているのは、1948年に始まるカリブ海系を中心とする移民の流入、1970年代頃から深刻化するインナーシティ問題、そして1980年代に発生する大規模な暴動である。第二次大戦以前より同地区には一般事務員や熟練労働者向けの住宅や低廉な下宿屋、公営住宅の建設が進められてきたが、そうした住宅環境が1948年に流入し始めたカリブ海系移民の同地区での定着を促してきた。その後1950年代前後からイギリス社会では特に就職や居住の機会における移民や有色人種に対する差別が社会問題化し、さらに1970年代の経済不況はそうした社会的・経済的地位の最底辺へと追いやられた人々へと大きな影響を及ぼした。人種差別、高い失業率、経済的衰退、そして犯罪多発化といった社会問題に苦しむ典型的なインナーシティとなったブリクストン地区であったが、1980年代には人種差別的な捜査を続けていたロンドン警視庁に対する不満が爆発し、中心地区において大規模な暴動が発生する。こうした暴動の前後期すなわち1970~80年代に発行された政策文書を分析したMavrommatis(2010)は、当時のオフィシャルな言説は人種を犯罪に結びつけ、エスニック集団とブリクストン地区をスティグマ化(社会的烙印を付与)していた、と述べている。かつて移民や低い社会階層の人々の流入を促してきた住宅環境は大きく変化し、1990年代後半頃からはジェントリフィケーションが急速に進行する地域として捉えられるようになる。2000年代に入ってからの10年間で同地区の民間借家の戸数は約2倍増加し、また1930年代に建設されたある住宅団地では建替え事業に際し住民の一部が立退きを強いられている。建替え後の団地の賃料が支払い困難な水準に引き上げられたため、他地域への転居を余儀なくされ、そこで賃料を支払うために住宅給付金を受け取らざるをえない状況に陥った例も報告されている。

    4.結果
    世界を代表するグローバル都市ロンドンにおいて、戦後以降ブリクストン地区では様々な歴史的契機を経て空間的・社会的な多様性が育まれてきた。その多様性を源泉とする魅力ある空間的構成や話題性は若者世代の流入、商業空間の改良、スティグマ化の部分的解消を促したが、一方でジェントリフィケーションの誘因ともなり、低廉な住宅や店舗を一度手放すと再入居が困難になる程度まで社会的状況は改変されつつある。
  • 能津 和雄
    セッションID: 108
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    2016年4月14日の前震、16日の本震の2度にわたって震度7を記録した熊本地震は、4200回以上にわたって発生が続いてきた。地震の被害は建物だけでなく交通網にも広がっており、その結果直接被害を受けなかった地域まで深刻な影響を及ぼしている。道路網や公共交通が受けた被害は地元住民の日常の通勤通学のみならず、物流や観光客の流れにも波及しており、地域における経済活動に支障をきたしている状況にある。
    本報告では、阿蘇地方と周辺地域を結ぶ道路網と公共交通に焦点を当て、どのように地震の影響を受けてきたかを明らかにするとともに、復旧の過程をたどることで今後の復興に向けた道筋を示すことを目的とする。
    2.道路網における影響
    阿蘇地方への道路交通は、熊本市と大分県大分市を結ぶ国道57号線が大動脈として機能してきた。この国道は「阿蘇谷」と呼ばれる阿蘇五岳北側のカルデラ内を東西に横断している。一方、阿蘇五岳南側は「南郷谷」と呼ばれ、南阿蘇村立野から分かれる国道325号線が東西方向の交通路になっており、宮崎県高千穂町へつながる路線を形成している。南郷谷へは熊本市から西原村を経て南阿蘇村につながる県道28号線俵山バイパスも通じている。阿蘇外輪山北部の小国町・南小国町へは国道442号線が横断し、西は大分県日田市中津江村から福岡県八女市へ、東は大分県竹田市と結ばれている。
    南北方向に関しては、国道212号線が大分県日田市から熊本県小国町と南小国町経由で阿蘇市へ通じており、福岡県方面からの重要なルートになっている。これを補完する形で国道387号線が熊本市から大分県日田市中津江村を経て再び熊本県に入り、小国町を横切って北東方向の大分県九重町引治を結んでいる。大分県由布市湯布院町からは九州横断道路を構成する大分・熊本県道11号線(別府阿蘇道路・通称「やまなみハイウェイ」)が九重町飯田高原・同八丁原より牧ノ戸峠を越えて熊本県南小国町瀬の本に入り、産山村をかすめながら阿蘇谷へ降りて阿蘇市一の宮町宮地へと通じている。
    以上の道路網のうち、国道57号線と国道325号線が分岐する南阿蘇村立野で大規模な土砂崩落が発生し、熊本方面から阿蘇谷へ入るメインルートが遮断されている。この場所の復旧は絶望的な状況で、既に別ルートでの建設工事が始まっている。阿蘇谷方面へは二重峠を越える県道339号線と同23号線(通称ミルクロード)しか交通路がない状況である。このため交通が集中するだけでなく、険しい山道であることから慢性的な渋滞により通勤通学から物流・観光にまで支障をきたしている。一方、南郷谷へもやはり険しい山道である広域農道「南阿蘇グリーンロード」に頼らざるを得ない状況にあったが、2016年12月24日に県道28号線俵山バイパスが一部迂回しつつも復旧したため、状況はかなり改善した。
    小国町・南小国町方面では国道212号線が大分県日田市内で土砂崩落のため2016年8月まで通行止めとなり、福岡県方面からの宿泊客が多い杖立温泉や黒川温泉は大打撃を受けた。
    3.公共交通における影響
    鉄道に関しては、阿蘇谷の東西方向に大分市と熊本市を結ぶJR豊肥本線が通じており、南阿蘇村の立野からは南阿蘇鉄道が分岐して南郷谷へ向かい、高森町と結んでいる。
    豊肥本線も国道同様に立野での土砂崩落で甚大な被害を受け、肥後大津-阿蘇間の復旧は全く見通しが立っていない。一方、阿蘇-豊後竹田間は2016年7月9日に復旧し、大分から阿蘇までは特急列車の運行も再開した。南阿蘇鉄道は高森-中松間のみが復旧したが、立野へ通じていないことから、本来の役割であるJRへの連絡路線としての機能を果たせない状況にあり、事実上遊覧列車のみの運行となっている。
    長距離バスに関しては、国道57号線を利用する特急バス「やまびこ号」がミルクロード経由で運行されているが、JRから乗客が移っていることもあって利用者が多く、6往復から7往復へ増便されている。福岡方面から南小国町黒川温泉を結ぶ高速バスは前述の国道212号線の通行止めの影響を受けて、2016年10月まで迂回運行となったものの、本来の便数である4往復は維持している。その反面、別府と熊本を結ぶ九州横断バスは、大幅なルート変更を強いられた上に、4往復から2往復へ減便している状況である。
    4.今後への展望
    現状では、地震前の交通網に完全に戻すことは不可能と言わざるを得ない。このため、可能な形で交通網を再構築することが喫緊の課題と言える。特に公共交通については、観光客の周遊ルートも含め、抜本的な見直しが必要になるといえよう。
     ※本研究はJSPS科研費26360076(研究代表者:能津和雄)の助成を受けた研究成果の一部である。
  • 池田 千恵子
    セッションID: 814
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.京都市における町家の再利用
    1990年代より京都市では町家を改修した場所で、新しい事業が行われている。町家再生店舗の数は1,500件以上に及び(2009年)、1990年代には物販系が多かったが、2002年以降では飲食系が71%になっている。こういった町家再生において、2014年より変化が生じている。町家のゲストハウスとしての利用である。京都市では宿泊施設(旅館、ホテル、簡易宿所)が2014年以降、大幅に増加している。京都市内の宿泊施設は、2016年10月31日段階で1,546施設あるが、2014年から2016年までの2年10か月で新設された宿泊施設数は773と全体の50%を占める。そのうち、ゲストハウスなどの簡易宿所は727と全体の94%を占める。東山区の観光地周辺と交通の利便性の高い下京区の京都駅の北側に多く分布している。
    2016年9月末段階での簡易宿所数997の内、町家を改修したものは261と2012年の6件から急増している。急増している背景には、京都市の空き家活用対策と宿泊施設拡充施策によるもの、不動産会社の積極的な介入、海外からの投資によるものがある。ゲストハウスの急激な増加により、近隣住民からは騒音や防災の不安などの苦情が、京都市に寄せられている。また、近隣の住民と十分な合意が得られない状態で町家のゲストハウスへの改修が行われ、住民とのトラブルにもなっている。

    2.町家再生宿泊施設
    2016年10月に京都市は「京都市宿泊施設拡充・誘致方針」を打ち出し、2020年までに6,000室の宿泊施設を新設するために京都駅周辺の規制緩和、住居専用地域、工業地域及び市街化調整区域においての特例措置を検討している。また、京都市内に114,290ある空き家対策と町家の保全の観点から町家の簡易宿泊施設への活用を推進している中、今後、住宅地域における町家を改修したゲストハウスの増加が見込まれる。町家の活用としての町家再生店舗は、個人のサービス産業分野への起業により職住共存地域の職の再生をもたらし、個性的な店舗が連なり、女性客を集客するという都心再生をもたらした。2016年現在、急激に増加している町家再生のゲストハウスが、地域に何をもたらすのか、今後どのようにあるべきなのかについて、京都市下京区における現地調査をもとに報告を行う。

    【引用文献】
    1) 宗田好史(2009)『町家再生の論理』学芸出版社
    2) 宗田好史「転換期の京町家再生」,青山吉隆編(2002)『職住共存の都心再生』,学芸出版社
  • 村田 文絵, 寺尾 徹, 藤波 初木, 林 泰一, 浅田 晴久, 松本 淳
    セッションID: P033
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    チェラプンジは多雨で知られる地点であり, 一ヶ 月以上の時間スケールにおいて降水量の世界記録 をもつ。チェラプンンジは ベンガル湾から流入する空気が最初に出会う標高 約2千メートルのメガラヤ高原の南斜面に位置している。チェラプンジに住む人々にとっては多量 の雨になっても地滑りは稀であり災害になること は少ない一方で, チェラプンジに降る雨はただち に山を下り国境を越えて隣接する平野部のバング ラデシュに流れ, そこでてっぽう水や洪水をもたら す。実際チェラプンジの大雨年とバングラデシュ の大洪水年はかなり良い一致がある。チェラプンジの降水変動は顕著な季節 内変動をもち, その降水活発期と, 隣接するバン グラデシュ北東部にある河川の水位の上昇時期は よく対応している。そこで 本研究ではチェラプンジの降水活発期に焦点を当 てて長期データ解析を行う。 
  • 松尾 忠直
    セッションID: 511
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. 背景と目的
    日本の企業による農業は、技術革新により施設栽培において進展してきた(松尾2009)。構造改革特区が制定されて以後は、土地利用型の農業においても、それは顕著に見られるようになった。近年、後藤(2015,2016)にあるように、さまざまな進出がみられるようになり、食料自給率の維持・向上という観点からみても重要な役割を担うようになっている。
    本発表では、日本の企業による農業の一例としてモヤシの生産を取り上げる。特に、モヤシの産地の分布の変化に注目し、その背景としての企業による生産を紹介する。さらに、企業による農業の一例としてキノコ類の中から生シイタケの生産を取り上げ、若干の比較をしたい。その上で、企業による農業がどのように進展してきたのか、生シイタケとモヤシを生産する企業において、どのような特性や共通性がみられるのかを明らかにする。
    そこで本発表では、モヤシを生産している企業の実態を明らかにし、企業がどのように持続的な生産を可能にしているのかを考察する。対象地域はモヤシの生産が盛んな栃木県やその周辺である。

    2. モヤシ生産の特徴
    モヤシは温度や湿度の制御された施設(工場)の中で生産されており、キノコ類の生産と似ている。収穫と包装の作業は自動化されている部分が多くなっている。キノコ類の生産では収穫と包装の自動化が難しいものがあるため、この部分ではモヤシの生産のほうがより省力化ができ、コスト削減に結びついている。
    統計によると、ここ10年くらいの日本のモヤシ生産量は40万トンから45万トンを維持しており、生産量の急激な増加は見込めない状況にある。100グラムあたりの価格は下がる傾向にあり、より一層の経費削減が必要な状況にある。
    スプラウト類はモヤシに代表されるように企業による生産が多くみられ、キノコ類よりも、より工場的な生産がみられる。調査対象の企業は、首都圏近郊に工場が複数あり、1日で数百トンのモヤシを生産できる。この企業は首都圏のスーパーマーケットなどへ出荷している。出荷先は工場から近接した地域が多く、生シイタケのように航空便を用いて北海道から首都圏へ出荷するような事例はみられなかった。

    3. 企業による農業の比較
    モヤシと生シイタケを生産する企業を比較すると、生産物の流通に関しては、差異がみられる。すなわち、モヤシは生シイタケよりも、狭い範囲での流通がみられる。生シイタケでは、菌床栽培の開発以後に進出した企業が多くみられるが、モヤシでは小規模な栽培から企業化した事例がみられる。

    参考文献
    後藤 拓也 2015. 企業による農業参入の展開とその地域的影響 : 大分県を事例に. 経済地理学年報 61(1): 51-70.
    後藤 拓也 2016. 食品企業による生鮮トマト栽培への参入とその地域的影響 : カゴメ(株)による高知県三原村への進出を事例に. 地理学評論 89(4):  145-165.
    松尾忠直 2009. 北海道における生シイタケ栽培への企業参入と生産構造の変容.季刊地理学 61(2):  89-108.
  • 吉田 正人
    セッションID: S0202
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    世界には、世界遺産と生物圏保存地域が重なっている地域が、69箇所(隣接するものを含めると74箇所)る。2016年に世界遺産に新規登録された中国湖北省の神農架(1990年に生物圏保存地域登録)など、世界遺産と生物圏保存地域が重複した地域数は毎年増えつつある。日本では1980年に屋久島、大台ケ原・大峰山、志賀高原、白山の4箇所が生物圏保存地域に指定された後、しばらく動きがなかったが、2012年に宮崎県の綾、2014年に只見、南アルプスの新規登録と志賀高原の拡張登録、2016年には屋久島・口永良部島、白山、大台ケ原・大峯山・大杉谷が拡張登録・名称変更されることによって、世界遺産と重複する地域が増えてきた。生物圏保存地域が、世界遺産と異なる点は、優れた自然や文化遺産の保護のみならず、周辺地域における人と自然との共生、すなわち持続可能な開発のモデルを示すことを目的としている点である。また、世界遺産が登録資産(Property)と緩衝地帯(Buffer Zone)からなるのに対して、生物圏保存地域はその外側に移行地域(Transition Area)を持つことも大きな違いであり、生物圏保存地域を世界遺産に重ねて登録することで、世界遺産の周辺地域を生物圏保存地域の移行地域とし、人と自然との共生を図ることができる。文化的景観(Cultural Landscape)や聖なる地(Sacred site)のような、人と自然との関係を表現した文化遺産も、周辺の自然と一体のものとして保存することが必要である。しかし、世界遺産条約の作業指針には、登録資産とその周辺の緩衝地帯までしか規定がなく、さらに広域を対象とした計画を作ろうとするならば、生物圏保存地域はその選択肢の一つとなりうる。
  • 渡辺 真人
    セッションID: S0203
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    2015年11月に、ユネスコとIUGS(International Union of Geological Sciences)の共同プログラムであるIGCP (International Geoscience Programme)を拡充し、IGGP (International Geoscience and Geopark Programme)を設立することがユネスコ総会で承認された。GGN (Global Geoparks Network)がユネスコと協力しつつ普及してきた世界ジオパークは、これによりユネスコの正式事業として推進されることとなった。  このジオパークの正式プログラム化は、ユネスコ外部の団体が理念や仕組みを作り上げて活動をある程度世界各地に広げ、その上でユネスコの正式な事業となったという特徴を持つ。ジオパーク各地域の住民・行政・研究者・各種団体のこれまでの実践の価値がユネスコに認められて制度化した、ボトムアップ的な過程を経ている事業である。  ユネスコプログラム化の議論の中で,GGNが築き上げてきた仕組みの価値が各国代表に理解された。一種のpeer reviewによる再認定審査の仕組み、活発なネットワーク活動はジオパークが持つ大きな価値として高く評価された。その結果、これまでの審査の基準や仕組みはIGGPの設立に当たって大きく変わらなかった。認定の流れには変更があり、GGNは最終決定を行わず、ユネスコ内に置かれるジオパークの専門家をメンバーとするGeopark Councilの答申を経てユネスコ執行理事会で最終決定が行われることになった。専門家による決定が最終的に政治的にし覆ることがあるのかどうか、IGGP発足後最初の認定が承認される今年4月のユネスコ執行委員会が注目される。  ユネスコのプログラムとなったことで、ユネスコの目的である教育・科学・文化の振興を通じての国際交流による世界平和の実現、への貢献がUGG(ユネスコ世界ジオパーク)にはこれまで以上に求められるようになった。特に、まだジオパークのない国、特に発展途上国への支援がUGGに求められている。  日本においても、JGN(日本ジオパークネットワーク)傘下のUGGとUGGを目指す日本ジオパークのスタッフが中心となって、東南アジアでのジオパーク設立を支援する活動が昨年からはじまっている。これまですでに個別にジオパーク同士が国際的に交流を始めていたが、ユネスコプログラム化を契機に、ジオパークを通じた国際協力が動き出した。これまでJGNは活発なネットワーク活動を行ってきたが、それをさらに国際的なネットワーク活動へ広げようとしている。  これまでGGNと連携しつつも独自に国内で進めてきた日本ジオパークについては、ユネスコの正式プログラムであるUGGと同じ「ジオパーク」を名乗る以上、ユネスコ世界ジオパークと同じ理念に基づく活動が求められることになる。ちなみに、中国ではこれまでGGNのジオパークの理念とは少なくとも部分的に整合的でなかった「地質公園」について、GGNから改善を迫られ、急激な改革が進んでいる。  日本のジオパークは、これまで地球科学の研究者、地域住民、地方自治体が協働する新たな場を作ることにはある程度成功した。今後、その協働によりユネスコの理念に基づくどのような価値が作り出せるかが重要である。
  • 北インド・ハリヤーナー州を事例に
    後藤 拓也
    セッションID: 603
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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      インドにおいては、1990年代以降の経済発展によって食肉生産量が顕著に増加し,全国的に畜産地域の形成が進んでいる。このような趨勢は,インドにおける「緑の革命」や「白い革命」になぞらえて,研究者らによって「ピンク革命」と呼ばれる。なかでもインドでは,牛肉や豚肉に比べて宗教的制約を受けにくい鶏肉の生産拡大が著しく,鶏肉部門は2005年に水牛肉部門を抜いて,インド最大の食肉部門へと成長した。このような状況にもかかわらず,インドの鶏肉産業についての研究は,インド人研究者らによる南インドを対象とした経営学的研究や,USDAによる報告などにとどまり,地理学的な視点に基づいた実証的研究は,いまだ十分に得られていないのが現状である。先行研究によれば,インドの鶏肉産業には南北で大きな地域的差異があり,養鶏業に適した諸条件を持つ南インドに比べて,養鶏業に有利でない北インドでは産地形成が遅れているという認識が一般的であった。ところが2000年代以降,北インドでも急速に産地形成が進み,ハリヤーナー州では全国的にも突出したブロイラー飼養羽数の増加率が認められる。
       本研究では,①インドの鶏肉産業がどのようなメカニズムで発展し,南北間の地域的差異が形成されたのか,②もともと養鶏業に有利でないとされる北インドのハリヤーナー州において,いかなるメカニズムで鶏肉産業が発展したのか,③北インドの鶏肉生産を支えるハリヤーナー州のブロイラー養鶏地域(および養鶏農家)は,どのような存立基盤のもとで成り立っているのか,という3点を地理学的視点から明らかにしたい。
      1990年代以降,インドの鶏肉産業を主導してきたのは,Hatcheriesと呼ばれる大手孵卵企業群である。これら大手孵卵企業は,Improvedと呼ばれるブロイラーの改良品種を1980年代に相次いで開発し,それらが1990~2000年代にインド全土に普及した。なかでも,インド最大手の孵卵企業Venkys社が開発した新品種Vencobbは,現在インドで生産されるブロイラーの約65%を占める。Venkysの支社が立地するハリヤーナー州ではこのVencobbの普及率が高く,これがブロイラー農家の生産性や収益性を向上させ,1990年代以降の急速な産地発展につながったことが窺える。
       さらに,北インドの鶏肉産業が発展した背景として重要なのは,1992年におけるデリーでの鶏肉卸売市場(ガジプール市場)の開設である。このガジプール市場では現在,87の鶏肉卸売業者がブロイラーの生鳥集荷に携わっている。2015年12月に実施した聞き取り調査によれば,それら業者の大半がハリヤーナー州からの生鳥集荷に依存しており,ハリヤーナー州はデリー首都圏への鶏肉の一大供給拠点となっている。しかし多くの業者は,ナシックやムンバイなど1,200kmも離れた産地からブロイラーを集荷するなど,市場の集荷圏がきわめて広範囲に及んでいることも判明した。
       ハリヤーナー州におけるブロイラー養鶏地域の実態を把握すべく,デリー近郊のグルガオン県に所在するブロイラー養鶏農家に対し,2016年2月に聞き取り調査を行った。その結果,殆どの農家がVenkys社の新品種Vencobbを導入しており,しかも多くの農家がこれまで複数回にわたって品種を変えるなど,生産性や収益性を求めて試行錯誤を行ってきたことが明らかになった。また対象農家の殆どが,2010年頃まではガジプール市場に生鳥を全量出荷していた。しかし近年,多くの農家がより良い販売条件を求めてローカル市場(グルガオン県マネサール)に出荷先をシフトしている。さらに,対象農家の殆どが州外からの出稼ぎ労働者にブロイラー飼養を担当させ,自らは野菜栽培に専念するなど,ブロイラー飼養が農業経営の一部に巧みに組み込まれていることが判明した。
  • 道府県別の水害に関する統計の分析
    谷端 郷
    セッションID: 915
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    被災者数や被害額など水害に関わる統計が収録された「水害統計」は,分析資料としての問題点が指摘されながらも,水害の地域的特徴を分析する際に用いられてきた(森滝1985など).この「水害統計」が刊行されたのは第二次世界大戦後であることから,先行研究で分析対象とされた時期も戦後に限られてきた.ただし,「水害統計」に収録されている,たとえば都道府県別の被害額などは,戦前においても旧内務省が作成しており,この時期の水害の地域的特徴を把握することは可能である.そこで,本研究は,都道府県別の被害額などを用いて,これまでほとんど検討されてこなかった昭和戦前期以前の水害の地域的特徴を分析するとともに,とくに被害が広域化,大規模化する昭和戦前期の水害の質的な変容を考察することを目的とする.
    Ⅱ 研究の方法
    まず,国土交通省河川局が作成している年間水害被害額と死者数の推移から,近代以降の全国的な水害発生動向を把握した.ここで,水害被害額は1875(明治8)年から直近の2010(平成22)年まで,死者数は1902(明治35)年から2010年までの期間を対象とし,1918(大正7)年,1922(大正11)年と,戦争が激しくなる1942(昭和17)年から1945(昭和20)年までのデータが欠落している. 次に,旧内務省が作成した『内務省年報・報告書』や『内務省統計報告』をもとにした『大日本帝国統計年鑑』に掲載された道府県別水害被害額を用いて,道府県別の1人あたりの年間水害被害額を算出し,被害の地域的な特徴を検討した.1人あたりの年次水害被害額は,各道府県についてその年の水害被害額の総額を道府県の人口で除すことにより求められる.この値によって当該年間の水害による打撃度(深刻度)を把握し(森滝1985),水害の質的な変容を検討する.対象とした期間は,国勢調査が実施され始め,道府県別の人口データが得られる1920(大正9)年から,道府県別の水害被害額が検討可能な1935(昭和10)年までの期間とした.道府県の人口は1920年から5年おきに実施される国勢調査の人口とその間の推計人口を用いた.
    Ⅲ 結果・考察 まず,明治中期から昭和戦前期にかけての水害被害額の推移をみると,およそ20年おきに3回の多発期が認められる.第1期が1890(明治23)年代,第2期が1910(明治43)年前後,第3期が1935年前後である.第1期は全国的に水害が発生した1896(明治29)年の水害被害額が突出している.第2期は1910年の水害被害額が高く,この年に関東地方が大水害に見舞われた.第3期は1934(昭和9),35年の水害被害額が高い.前者は室戸台風による風水害,後者は京都市大水害や群馬県,青森県など全国的に豪雨災害が発生した年である.次に,死者数の推移をみると,死者数は水害被害額が高い年で多くなる傾向が認められ,1910,34,38(昭和13)年などで死者が1,000人を超えるような大きな被害が発生した 次に,1920年以降の各年について,1人あたりの年間水害被害額を算出した.この時期は,水害多発期の第3期を含む時期にあたる.1934年までは1人あたりの年間水害被害額が高い被害の深刻な道府県が各年に1県程度しかなかった.しかし,1934,35年は被害の深刻な道府県が複数で認められた.また,1934年まで人口の多い東京府や大阪府などでは,1人あたりの年間水害被害額が低くなる傾向にあったが,1934,35年は人口規模の大きい大阪府や兵庫県,京都府などでも高い値が示された.このことから,1934,35年の水害の様相は,これまでの水害とは異なって被害が広域化,大規模化したことが窺えた. 1934,35年で大きな被害を受けた大阪府や京都府,兵庫県では,DID人口が全人口の50%以上を占め,かつ1920~40(昭和15)年の20年間にDID人口が2倍近くも伸びるなど(大友1979),府県内の都市部で急速な人口増加がみられた.これに伴い都市部には資産や公共土木施設も集積し,これらが損害を受けたことで被害が大規模化したと考えられる.昭和戦前期に水害が広域化,大規模化した背景には,大型台風の襲来や集中豪雨の多発に加え,都市部への急速な人口増加,資産の集中をもたらした戦間期の都市化の影響も考えられる.  
    参考文献
    大友篤1979.『日本都市人口分布論』大明堂.
    森滝健一郎1985.1970年代以降の水害―『水害統計』による分析―.岡山大学文学部紀要6:89-124.
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