日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の346件中51~100を表示しています
発表要旨
  • 野々村 邦夫
    セッションID: S1106
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 日本地理学会にとって、地理学のアウトリーチは、その重要な活動の一つである。また、その会員がこれにかかわる機会も多い。ここでは、それらの実態について概観し、そのあるべき方向について考えてみたい。なお、ここでは、アウトリーチの概念は、かなり広く捉えることとする。

    2. 日本地理学会によるアウトリーチ 1925(大正14)年に創立された日本地理学会は、長らく任意団体であったが、2005(平成17)年10月5日に社団法人となり、更に2012(平成24)年4月1日、新たに制定された一般社団法人及び一般財団法人に関する法律に基づく公益社団法人となった。その際に制定された定款では、第3条(目的)で「この法人は、地理学に関する学理及びその応用の研究に関する事業を行い、地理学の進歩普及を図り、もってわが国の学術の発展と科学技術の振興に寄与するとともに、地理教育の推進、社会連携の推進、国際協力の推進を図り、社会の発展に資することを目的とする。」と目的を記し、第4条(事業)で列挙する事業の中で「学会誌及びその他の刊行物の発行による地理学研究の普及事業」「関連学会等との連携及び協力並びに社会連携・社会教育の推進事業」「資格認定、地理教育の支援等による地理学的知識・技術の普及及び社会貢献事業」その他を挙げている。このような定款の規定から見れば、地理学のアウトリーチは、日本地理学会の重要な活動と位置づけられているものと理解される。  実際の活動を見ると、「地理学評論」等の機関紙は会員以外の者でも購読でき、学術大会における講演・シンポジウムの一部は一般に公開され、一般向けの講演会、研修会、講座等が開催されてきた。また、GIS学術士・地域調査士という資格制度を設けている(地域調査士については後述)。 中央教育審議会は2016(平成28)年12月21日、次期学習指導要領について答申を行い、この中で、高等学校における必履修科目として「地理総合」を設定することとした。日本地理学会は、現在は選択科目となっている「地理」の必修化が学会にとって重要な課題であるとの認識の下にさまざまな活動を展開してきたが、結果としては一応その目的を達成することができた。このような活動も、地理学のアウトリーチに関する活動の一つといってよい。

    3. 地域調査士 地域調査士(専門地域調査士を含む)は、地域調査(地域の特性の科学的な調査、分析、究明、解説、広報等およびこれらに付帯する報告書の作成等の業務)を実施するに相応しい者として、日本地理学会が認定する資格である。地域調査士の資格を取得するためには、一定の学歴(科目履修歴)、実務経験、論文公表実績、講習会修了実績等を有することが必要である。 この制度の根幹を成す地域調査士認定規程は2010(平成22)年3月26日の代議員会で議決され、4月1日に施行された。2010(平成22)年9月6日、専門地域調査士29人が認定されたことを皮切りとして、2016(平成28)年6月10日現在、233人の地域調査士、119人の専門地域調査士が認定されている。 地域調査士制度の発足に際して検討された諸問題は、地理学のアウトリーチについて考える上で大いに参考になる。

    4. 日本地理学会会員による地理学のアウトリーチ 多くの大学の地理学科・地理学教室等は、地域住民等に対し、地理学に関する講演会・講座・サイエンスカフェ等を開催している。環境地図作品展では、北海道教育大学旭川校がその開催のために重要な役割を演じている。 地理学の研究者等が書籍・雑誌にわかりやすく、面白い記事を執筆することは、重要なアウトリーチ活動である。教養的なものから娯楽的なものまで、マスコミで地理が取り上げられることも、地理学のアウトリーチとして歓迎すべきことであろう。  
    5. 地理学のアウトリーチの在り方 日本地理学会の会員等により、さまざまな地理学のアウトリーチが社会で幅広く展開されることは、好ましいことである。一方、実社会において地理学の知識や思考方法の一層の活用を図るという意味でのアウトリーチは、地理学の発展にとって本質的に重要なものである。日本地理学会は、このような考え方に立ち、積極的に地理学のアウトリーチに取組むべきであろう。  
    参考文献 公益社団法人日本地理学会定款 地域調査士認定規程 社団法人日本地理学会企画専門委員会(2011.12)実務地理関係者の活動実態とその社会貢献の在り方に関する調査研究,E-journal GEO Vol. 6(2011) No.1,pp.38-71 野々村邦夫(2014.10)私はこう見る!これからの地域調査士制度 ―地域調査の専門性を高めることが制度発展の本筋 ,地域調査士通信 No.1 
  • 宮本 大輔, 山川 修治, 井上 誠
    セッションID: P044
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    太平洋十年規模振動(PDO)と総観気候系との関係を調べるために, ワシントン大学PDO指数とNCEP/NCAR再解析データを使用して, 相関解析とコンポジット解析を行った。熱帯地域においては, SLPに関してみると, 東南アジア, 南アジア, 中東, アフリカの一部地域でPDOと正の相関関係が認められ, SLP偏差のシーソーがみられた。PDOでもENSOと同様にウォーカー循環の変動がみられ, 東南アジアでは正卓越年のとき発散場, 負卓越年のとき収束場が確認できた。北半球中高緯度帯においては, 冬季におけるシベリア高気圧(1月)とアリューシャン低気圧はPDOとの相関関係が認められた。正卓越年では500hPa高度で3波数循環がみられ, 東アジアでは暖冬傾向となる。また, 正卓越年では12月にNAOの正フェイズがみられ, 1月にはAOの正フェイズがみられるようになる。春季においては, アリューシャン低気圧が正卓越年で明瞭にみられる一方, 負卓越年では不明瞭で北太平洋高気圧の方が明瞭になる。また, 菜種梅雨がPDOと関係している可能性がある。夏季においては, 6月と8月のオホーツク海高気圧がPDOと正の相関関係にあることがわかった。秋季においては, 9月の日本で正卓越年のとき低温傾向, 負卓越年のとき高温傾向がみられた。正卓越年ではアリューシャン低気圧の出現時期が早まる傾向にあるが, 負卓越年では遅い傾向で北太平洋高気圧の勢力が残る傾向がみられる。南半球中高緯度帯においては, 負卓越年のときに南太平洋高気圧が強まる傾向にある。オーストラリア, 南米, アフリカ南部でもPDOとの関係性が認められる。SPCZはPDOと負の相関関係があると認められた。AAOは1月において正卓越年で負フェイズ, 負卓越年で正フェイズの傾向がみられる。また, 3波循環が1月の負卓越年で明瞭にみられた。
  • 濱 侃, 田中 圭, 望月 篤, 鶴岡 康夫, 平田 俊之, 新井 弘幸, 八幡 竜也, 近藤 昭彦
    セッションID: 733
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    UAVリモートセンシングによる農作物観測は,精密農業に基づく環境負荷の軽減,作物の収量と質の向上に関わる重要な課題である。リモートセンシング技術を用いた水稲の生育,収量推定に関する研究において,バイオマスやLeaf Area Index (LAI),群落クロロフィル量の推定モデルでは他年次,他地域へ同一の推定モデルが適用可能と報告されている。しかし,収量推定においては,推定精度は対象地域に依存し,モデルの適用性に課題がある。 そこで,本研究では,適用性の高い収量推定モデルの導出を目的とし,UAVリモートセンシングによる水稲モニタリングを他年次(2014~2016年),他地域(3地域)で行った。これらの観測結果に基づき,草丈推定モデル,収量推定モデルの導出,検証を行った結果を報告する。
    本研究の結論は,以下の通りである。(1)草丈推定においては,NDVIpv,GNDVIを説明変数に使用した草丈推定モデルの推定精度が高く,他年次,他地域にも適用可能であった。(2)収量推定モデルを,他年次,他地域に適用した結果,PARを用いた推定モデルのRMSEは46.5g/m²,全天日射量を用いた推定モデルのRMSEは23.1g/m²となった。全天日射量を用いたモデルの推定精度はPARを用いた推定モデルよりも高かった。
    本研究で導出された推定モデルは,水稲の生育ステージに合わせて,特定の時期の植生指数と日射量のみを使用したシンプルなモデルである。加えて,植生指数は,反射率変換を行わずに算出したものだが,他年次,他地域で適用することができた。これは,今後の実利用を考えた時,簡易な手法で運用することが可能で,迅速かつある程度の精度を確保できる点で優位性がある。
  • 石井 秀明, 田中 耕市
    セッションID: P072
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    I.研究の背景と目的 FDsは,社会・経済環境の急速な変化のなかで生じた「生鮮食料品供給体制の崩壊」と,「社会的弱者の集住」という2つの要素が重なったときに発生する社会的弱者世帯の健康悪化問題である.高齢者の健康状態に大きく影響を及ぼす食の多様性は,買い物環境や買い物行動と関連があると考えられる.本研究は,買い物行動が高齢者の食多様性に与える影響を明らかにする.Ⅱ.対象地域と研究方法 研究対象地域は,都市中心部の空洞化が顕著である人口が約26万のA市の中心市街地とする.高齢者の栄養摂取の状況と買い物行動を把握するために,A市市民センターで行われている高齢者向け講座への参加者を対象として,2015年11月にアンケート調査を行った(114部回収,有効回答60部).栄養摂取の状況については,食品摂取の多様性得点を指標とした.また,一部の者を対象に聞き取り調査も併せて行った.Ⅲ.高齢化と店舗立地の変化 2010年におけるA市中心市街地活性化基本計画都市中枢ゾーンに相当する町丁目の高齢化率は22.6%であり,A市全域の高齢化率(21.8%)をわずかに上回る程度である.これは,多くの高層マンションが立地したことにより,2005年の高齢化率(24.1%)から低下したためである.高層マンションの立地が少ない町丁目では,高い高齢化率を示している(図1).食料品スーパーは中心市街地西端と,東端に立地するのみであり,中心市街地中央部周辺において食料品スーパーへの近接性が低下している.一方でコンビニエンスストア(以下,CVS)は中心市街地に14店舗立地している.人口分布と食料品スーパーの分布から作成した需給サーフェスをみると,特に西部において値が高く,店舗へのアクセスが悪い高齢者が多いと考えられる.Ⅳ.高齢者の買い物行動と栄養摂取 回答者の食品摂取の多様性得点の平均値は6.17であり,栄養摂取の状況は良好であった.しかし,その傾向は買い物行動によって差異がみられた.複数の買い物先利用が「有」の世帯における食品摂取の多様性得点の平均値は,「無」の世帯のそれを1点あまり上回っていた.この傾向は「買い物に不便を抱えている」と回答した世帯においてさらに顕著であり,その差は2点弱に至った.このことから,多数の買い物手段および買い物先組み合わせの選択肢を増やすことが,栄養摂取を高めることに寄与するといえる.
  • 栗栖 悠貴, 小島 脩平, 稲澤 容代
    セッションID: 836
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    近年,雨の降り方が局地化・集中化・激甚化することで毎年のように全国で浸水被害が発生している.平成27年に水防法が一部改正され,想定し得る最大規模の洪水等に対する避難体制等の充実・強化のため,国土交通省および都道府県において河川ごとに想定最大規模の降雨による浸水想定区域図の作成が必要になった.浸水の危険性を国民が把握でき避難行動につなげるためには,氾濫水がどのように押し寄せてくるか理解できることが重要である. 国土地理院と国土交通省水管理・国土保全局が提供する地点別浸水シミュレーション検索システムでは,河川の堤防が決壊した時,どこが・いつまで・どのくらいの深さまで浸水するかをアニメーションやグラフで確認可能であり,想定される浸水の危険性を効果的に伝えることができる. 本報告では,平成28年度に改良した浸水ナビの機能を中心に,どのように想定し得る最大規模の浸水想定の危険性を伝えることができるか紹介する.
  • 中英街地区を事例として
    周 ブンテイ
    セッションID: 708
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. 研究背景と目的  
       我々は境界線による分断された世界に生きている.境界線に関する既存研究をみると,これまでに国境線における形態論や発生論,機能論,境界線画定の意思決定の行動論といった境界線の政治性に関わる研究が多く蓄積してきた.しかし,境界線が法的・政治的な概念であるのに対して,境界線は社会的・文化的な産物であると指摘されている(Kramsch,2007).国境線に関する政策や経済的利益などに焦点を当てた研究は十分蓄積されてきたが,ほかのスケールの境界線や境界線の周辺に生活している住民に関する研究は端緒についたばかりである.

       本研究は深センと香港の間の境界−中英街地区を事例として,中英街地区の住民が,中国本土と香港からの異なる政治的・社会的・経済的・文化的影響を受けながらも,自らの生活空間を能動的・受動的に変化させるそのプロセスを明らかにする.その上で,境界線と住民が互いに影響し合うことは,いかに境界空間の再構築につがなるかを明らかにする.  
    2.対象地域  
       中英街地区の由来は19世紀の中英のアヘン戦争に遡る.中英街は英国領であった当時の名残から「中英街」と呼ばれる通りで,現在では中国と香港の共同管轄下にあり,全長268m,幅3~6mである.香港返還後,社会主義と資本主義の二つの制度が混在する世界で唯一の通りであり,免税商業街としての性格を有している.
    3.中英街地区の歴史的変遷
       (1)境界線の画定による住民生活行動の変化(1899-1949)  当時,中国と香港間の人の移動の自由を認めており,沙頭角(中英街は沙頭角の真ん中に位置している)が二つの国に分かれても住民の生活に影響は少なかった.
       (2)境界線の閉鎖による住民生活行動の変化(1949-1978)  境界管理が厳しくなり,沙頭角での往来は通過証が必要となったことや,定期市の店舗は境界線沿いに集中するようになったことは,住民生活に多大な影響を与えた.
       (3)改革開放後の中英街地区の発展 中英街地区の空間的拡大に伴い,その人口構造も変化した.原住民に加え,香港人や中国大陸人もこの地区に居住し始めてきた.  
    4.中英街の観光地化とその影響  
       1983年,中国と香港の間で「開放中英街協議」が発効した.中英街は香港製品や外国ブランド品などを直接に購入できるため,中国本土の観光客に「買物天國」として親しまれていた.しかし,香港返還後,中英街における香港との窓口としての機能は徐々に低下するようになった.  1980s,1990sの中国本土は物資不足の時代であり,中英街は中国政府からの優遇策により物資が安く,豊かであったため,原住民にとってメリット感が大きかった.しかし,香港返還後,密輸活動の急増により,境界管理が強化され,人やモノの移動が厳しく制限されてきた.  
    5.おわりに
       深センと香港における社会的・経済的格差を背景に,境界住民の生活行動が境界線の障壁効果に制限されながらも,生活需要のもとに日常的に境界線を越えて生活している.特に彼らの生活行動における境界線の「道具化」に着目する必要がある.境界線と境界住民が互いに影響し合い,そのインタラクションは境界空間を再構築し得る鍵となる.
  • 友澤 和夫, 陳 林, 古屋 辰郎, Nury Iftakhar
    セッションID: 601
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究目的と調査の概要
    デリー首都圏に位置するハリヤーナー州では工業化が急速に進展しており、産業別には自動車工業とアパレル・繊維工業の雇用が卓越している。しかし、前者では請負比率が高い(65%以上)のに対して、後者ではそれが低い(30%未満)という大きな違いがある。本研究は、この2つの労働市場に着目し、その特性やワーカーの経済生活を提示することにより、インドの工業化が雇用面にもたらした意義を明らかにすることを目的とする。
    本発表は、2015年12月~2016年1月にハリヤーナー州最大の工業団地であるIMTマネサール内のB村で実施した調査に基づく。B村の概要やワーカー向けアパートの供給については村長等へのヒアリングにより情報を得た。ワーカーに対してはアンケート票を用いた面接調査を行い、自動車系210名と軽工業系(アパレル・繊維に皮革、家具、その他手工業を加えた)92名より回答を得た。
    2.2つの労働市場の特性
    自動車系と軽工業系のワーカーの属性を比較すると、差異と共通点が見いだせる。差異については、州の全体傾向と同様に自動車系では請負比率が高い(60%)のに対して軽工業系では低い(21%)。自動車系ではヒンドゥー教徒が軽工業系ではムスリムがそれぞれ相対的に多い。学歴は軽工業系が明らかに低い。自動車系は大卒レベル以上が23.2%を占めるが、学歴の高さが正規雇用に結びつく訳ではなく、そこでも請負労働が支配的である。そして共に平均年齢は20歳台半ばであるが自動車系では20歳台後半以降の人数は急速に減少するのに対して、軽工業系でもそうした傾向はあるもののそこまで強くはない、といった諸点が挙げられる。この点については、特に自動車系において、20歳台後半以上の者に対して、企業・コントラクター側は雇用契約を結ばない・更新しない意向が見いだされる。
    共通点は、地元ハリヤーナー州が労働力供給地としての役割を果たしておらず、両者ともにUP州とビハール州に依存していることである。軽工業はビハール州の比率がやや高いが(図)、双方とも友澤(2016)で提示した「請負ワーカーベルト」と同様の供給地域を描き得る。デリー首都圏の工業化は、空間的に離れた地域を労働力供給地として包摂することで成立している。また、当地の情報については、ともに先行して当地で働いている家族・親族、友人、村人らを経由して入手しており、同時に彼らがコントラクターとの媒介項としても機能しているので、当地への移動はチェーン・マイグレション的出稼ぎ労働性格を有している。現職場での勤務年数は1年未満が半数以上を占め、短期間でワーカーが激しく入れ替わる。これはワーカー側よりも企業・コントラクター側がつくり出している側面が強い。
    3.ワーカーの経済生活
    自動車系では非正規ワーカーの賃金は、州最低賃金(7,600ルピー)が基本給となり、正規ワーカーとの間に明瞭な差異がある。軽工業系では歩合制で賃金が支払われているケースも多く、正規・非正規という雇用形態が賃金水準に与える影響は弱い。当地のワーカーは複数でアパートの一室をシェアしたり、他の労働力再生産にかかわる支出も極力抑えて、残金を父母や家族に定期的に送金している。なお、8割以上が携帯電話を所有するが、定期的に貯金をする者は少数派となる。ワーカーの経済生活は、低賃金労働と雇用の不安定性、そして出稼ぎ労働という側面により規定された内容となっている。
    参考文献
    友澤和夫(2016):工業化と非正規化−デリー首都圏における自動車産業の請負労働市場を対象に−.経済地理学年報,62,71-8.
  • 氷見山 幸夫
    セッションID: S1102
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー


    1.はじめに

    「私たちの身のまわりの環境地図作品展」は1991年8月に旭川市で始められ、今年27回目を迎える。それは子供たちが自ら身の回りの環境を観察し、その結果や考えたこと、感じたことなどを記録し、それらを地図に表現し、読み、考えることを基本とする。その学習効果は多岐にわたり、地域的、空間的、環境的、総合的なものの見方考え方の育成やコミュニケーション手段としての地図力の強化を含む、総合的な科学力の向上が期待される。

    この地図展は運営形態や理念、教育効果など様々な面でユニークな発展を遂げてきた。その成果を「地理学のアウトリーチ・科学コミュニケーションの活性化」の観点から振り返り、将来を展望する。

     

    2.主な成果 

    この地図展の沿革と多岐にわたる成果は、月刊雑誌「地図中心」2015年10月号の特集『環境地図展の25年』にまとめられているので、是非ご覧頂きたい。執筆者には小・中・高・大の教員、大学生、地図会社社員、教科書会社社員、GIS会社社員、地図展入賞者の父親、元文科省教育課程調査官などが含まれ、この地図展を支えている人々の多彩さが垣間見える。そこから毎年新しいアイディアが生まれ、試され、活かされ、発信されている。 

    これは日本で唯一の、全国規模で毎年開催されている児童生徒対象の地図展である。国土地理院長賞をはじめとする多くの賞を設けているが、日本地理学会長賞が設けられたのは、第6回目(1996年)からである。当初からそれを学会に働きかけていたが、前例がないとの理由でそれまで退けられていた。この賞の創設がきっかけとなり、日本地理学会をはじめとする主な地理系学会がこの種のイベントに賞を出すようになった。それは日本地理学会が法人化した際に大いに役立ったであろう。

    この地図展は本来の目的である環境地図教育の深化と普及はもとより、初等・中等・高等教育の改善、更には生涯教育の深化と振興など関連する諸テーマで多くの論文や報告を生み、学術界と教育界に貢献してきた。勿論地理教育への貢献も大きい。

    小・中・高・大・官(国土地理院、自治体など)・民(教科書会社、地図会社など)の連携による組織体制は、生涯教育の実践に多くの示唆を与え、1996年の北海道教育大学における生涯教育課程の設置にも大いに貢献した。

    世界の地球環境研究は今転換期にあり、フューチャー・アース構想の下で、自然科学に人文社会科学が加わった新しい学際的な研究体制、更には学術の枠を超えた超学際的連携により、地域の状況に配慮しつつ進められると考えられる。その流れを確かなものにする上で欠かせないのが、総合的な科学力の増進と、研究-教育の連携であるが、本地図展はまさにそれらを実践している。小・中・高・大・官・民の老若男女の連携による環境地図展実施の組織体制は、上述の超学際的連携を先取りし、具体化したものと言えよう。

     

    3.将来展望

    この地図展は、大学生たちが運営に広く関わっている。その中核を担っているのは、北海道教育大学旭川校地理学ゼミ所属の学生たちである。地図展発足時はまだあまり一般的ではなかったこのような活動への学生の参加は、総合的学習やボランティア活動の重視などを反映して、全国の多くの大学で今や一般化しつつある。そのような学生の活動を支援するために同大学は10年程前から補助金を出しているが、そのきっかけをつくり、それを最初に獲得したのは、地図展の折に小中高大生合同のワークショップを自主的に企画し実施していた地理ゼミの学生たちであった。このように、地図展は若い世代が周囲の支援に支えられながら裾野を着実に広げており、今後も発展していくと思われる。

     

    参考文献

    氷見山幸夫(1995.9): 環境・地図教育の地域ネットワークと教育大学の役割.生涯学習叢書Ⅳ「国際シンポジウム-教育系大学における生涯学習と大学開放」所収, pp.229-234.

    氷見山幸夫,鈴木広基(1998):高等学校における環境地図教育の試みと生涯学習教育研究センターの役割.北海道教育大学生涯学習教育研究センター紀要,No. 1, pp.31-40.

    氷見山幸夫 (2001.3): 生涯学習の視点から見た環境地図展の意義と展望.北海道生涯学習研究,創刊号,pp.53-61.

    本松宏章・氷見山幸夫 (2002): 公民館における環境地図作り講座の意義と展望.北海道生涯学習研究No.2, pp.55-63.

    氷見山幸夫(2015.10):私たちの身のまわりの環境地図作品展25年の成果と展望.地図中心,No.517,pp.22-23.
  • 田邉 裕
    セッションID: S0306
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1 地名問題の現状

    1967年以来、国連は国連地名標準化会議(UNCSGN)を開催し、国境領土の変動、少数民族文化の尊重、旧植民地の解放に伴って内生地名の外来地名に優先する原則を主導し、各国に地名標準化の行政機関の設置を勧告し、国連地名専門家会合(UNGEGN)を設置し、研究・勧告を続けている。世界の主要国は地名標準化委員会を持っているものの、日本には地名標準化の行政機関は存在しないため、日本学術会議ではその設置の提案を検討している。

    国内の地名は国土地理院および海上保安庁が現地調査あるいは地方公共団体の申請を受けて、調整決定し、地図・海図に記載するものもあるが、事実上各地方自治体が歴史的地名として継承し、住居表示に関する法律、行政区画の変動、地域計画・開発によって、変更し決定する。各省庁は地名問題に独自に対応し、国家的な標準化を図る機関は存在しない。地名は国民全体の文化的歴史的共有財産であるにもかかわらず、地方自治体や私企業がその所有者のように振る舞い、命名権を行使する場合の地名表記に関わるガイドラインはない。

    地名表記には漢字・ひらがな・カタカナ・Romajiなど、方式は多様であり、表記の標準化を図る機関の存在が欠如して、教育現場や観光への影響も大きい。加えて確立した唯一の呼称に別称を国際的に要求されることもあり、地名呼称の総合的管理が必要である。

    外国の地名は慣例を除き現地読みが原則であるが、英語読みもあり、現語が当該国の公用語と異なる少数民族への対応は標準化されていない。漢字使用国以外はカタカナあるいはラテン文字表記であるが、中国地名は漢字・英語読みや広東語読みやピンインの仮名書きが不統一である。外国地名は、外務省の読みを多くの部局が採用しているが、標準化されているわけではなく、諸外国との交易に携わる私企業・出版界や教育界などが用いるものも統一されているとは言い難い。

    2 具体的提案

    (1)地名委員会(Japan Committee on Geographical Names)の設置

    地名委員会を行政府内に設置することを提言する。同委員会は、国内地名と日本で用いる外国地名を統合管理(命名・改名・呼名・表記を含む)し、諸省庁・地方公共団体・民間などで地名を使用するガイドラインを作成し、地名表記と呼称とを標準化する行政の責任機関とする。また外国に対して日本の地名を周知し、外国語表記の標準化を進め、外国語を用いた国内地名の評価・指導、場合によっては廃止などの許認可を行い、対外的には地名ブランドの保護、日本海呼称問題など外国との地名呼称問題などに総合的に対応する。

    (2) 地名専門家会議の設置

    地名委員会の下に地名専門家会議を設置し、地理学・地図学・言語学・歴史学などの専門家や総務省(統計局を含む)・外務省・国土交通省(国土地理院・海上保安庁を含む)・文部科学省・防衛省などの関係省庁の協力を得て、ガイドラインの作成、国内外における地名収集を進め、その呼称と表記を研究し、学術的技術的分野を支援して、地名の教育・使用・標準化に関して国家として地名の最終的承認・廃止・改正を地名委員会に勧告する。

    (3) 国際的対応の強化

    国連地名標準化会議関連の諸会議及びIGU/ICA共同地名研究委員会など地名に関わる国際的諸会議に、関係機関と協力して多くの国々と同程度の数名の地名専門家を派遣し、世界の地名問題に対応する。特にUNGEGNへの専門家の派遣は必須である。

    (4) 地名集(Gazetteer)の作成

    諸外国ですでに出版されている地名集や歴史地名を含めたデータベースを日本でも作成し、国内では教育やジャーナリズムの分野で使用する地名を標準化し、国外には日本の地名の呼称・表記のガイドラインを提示して、地名の統合管理を行う。

    (5) 地名委員会並びに地名専門家会議設置のための研究会の設置

    以上の(1)〜(4)の実現のための準備作業を行う地名問題研究会を行政府内に設置し、喫緊の課題を処理する。
  • 本田 智比古
    セッションID: S0305
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    国名や都市名,自然地域名称などの地名をどのように表記するのかは,地域を研究対象とする地理学においては大変重要な問題である.しかしながら,地名表記の標準化をつかさどる国家機関が存在しないため,地名の表記は統一が図られず,時にはその不統一性から,同一都市を別の都市と誤解するような事態も生まれている.そのようななか,教科書業界において,地名表記に対してどのような取り組みが行われているのか,帝国書院を例に取り上げ,地名表記にどのような課題があるのか考えてみたい.

    2. 教科書における外国地名の表記に関して
    戦後の教育業界において,最初に地名表記の統一が図られたのが,1950年代である.文部省に専門の委員会が設けられ,教育的見地から外国地名と国内主要自然地域名称の呼び方と書き方の基準が検討された.委員は,教育関係者だけでなく,外務省,建設省地理調査所,報道関連など各所から集められ,検討の結果は1959年刊行の『地名の呼び方と書き方』という書籍にまとめられた.以降,この基準書は1978年の『地名表記の手引き』,1994年の『新 地名表記の手引き』へと受け継がれ,教科書業界ではこれらの基準書に従い地名を表記することで,地名表記の統一を図ってきた.しかし,新聞社やテレビ局などの報道機関は会社ごとに独自の基準を作成しており,この基準書に準じなかったという点,1994年以降,続編書籍が刊行されていないという点で課題が残っている.
     このようななか,教科書業界では,特に国名と首都名に関して特段の配慮を行ってきた.1970年代から2007年までは,『世界の国一覧表』という外務省見解をコンパクトにまとめた書籍を統一原典として使用してきた.また,2007年にこの書籍が廃刊となって以降は,教科書会社で組織している教科書協会に,国名と首都名に関する表記を統一する連絡会議が設けられ,地図帳を発刊している東京書籍・二宮書店・帝国書院の三社の地図帳編集部門担当が毎年集まり,見解の統一を図っている.
     しかし,このように統一できている外国地名は主要地名だけであり,その他の詳細地名の表記は教科書会社で異なっているのが実情である.例えば帝国書院では,前述の『新地名表記の手引き』が1994年に発刊されたことを受け,本書が掲げる現地音表記の精神を地図帳に反映するため,1998年に地名表記の大幅な見直しを行っている.各言語の専門家数十人にご協力をいただきながら,「英語発音や旧宗主国言語の名残があった地名も原則として現地音表記に改める」などといった新しい原則を設け,地名表記を一新した.だが,これらの帝国書院独自の取り組みにも課題はまだ残っている.例えば,現地音をどの少数民族のものまで徹底するか,現地音を日本語の片仮名表記でどこまで正確に再現できるか,などである.地名表記の検討に対しては,情勢の変更も踏まえながら,不断の努力を行うことが必要である.

    3. 教科書における国内地名の表記に関して
     外国地名に比べると地名表記が統一されているように見える国内地名であるが,これにも課題はある.まず,世界の地名と同様に,詳細地名に関する業界での統一基準が無い点である.帝国書院では,行政地名は国土地理協会発刊の『国土行政区画総覧』,自然地域名称は国土地理院発行の『決定地名集(自然地名)』,鉄道名やスタジアム名等はそれぞれを管理する会社の資料を原典とし,地名表記を社内では統一している.
     国内地名の表記に関しては,使用漢字の字体のばらつきという課題もある.例えば飛騨市や飛騨山脈の「騨」は,パソコンの標準変換では出すことができない「」という字体を多くの教科書では採用しているが,これを通常の出版物にまで強要するのは難しいと考える.また,2004年に漢字のJISが改正され,168字の漢字の登録字形が変更されたため,該当漢字がパソコンや印刷機のフォント環境によって異なった字体で印刷されるという問題も起きている.地名として登場するものとしては,「葛・葛」や「薩・薩」,「逢・逢」などがその対象である.(「 」内の右側が2004年以前の,左側が2004年以降のJISにコード登録されている字体)

    4. まとめ
     このように外国地名,国内地名ともその表記に関しては様々な課題を抱えているのが現状である.それらの課題を個々の会社や団体だけで解決することは不可能であり,また努力を行うほど,他社や他の業界と不統一を起こす結果にもつながりうる.そのため,国家地名委員会が設置され,この委員会のもとで地名表記の標準化が図られることの意義は非常に大きいと考えている.
  • 鈴木 啓助
    セッションID: S0401
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    アメダスと呼ばれている気象庁の「地域気象観測システム」は、全国の約1,300ヶ所に設置されている。降水量の観測地点が最多で、平均すると約17 km間隔の地点で観測されている。しかしながら、現在でも通年で降水量を観測している地点の最高所は御嶽山の2,195 mで、次いで上高地の1,510 mである。積雪深を観測しているアメダス地点はさらに標高が低く、日光の1,292 mが最高所で、次いで菅平の1,253 mである。気温については、観測標高3,775 mの富士山で観測されているが、次が1,350 mの野辺山である。いずれの気象要素も高標高地点での観測が極めて少ないのである。標高1,500 m以上の面積は、日本全体の2.2 %に過ぎないとはいえ、アメダスの観測地点1,300ヶ所の2.2 %は28.6ヶ所に相当することから、気象要素の観測地点の単純な割合からみても少ないといえる。
    気象官署における観測結果からは、年平均気温が1 ℃変化するためには、南北に約118 km移動しなければならない。しかし、気温逓減率を0.65 ℃/100 mとすれば、標高差では154 mあれば気温は1 ℃異なることになる。つまり、気温の水平的な変化に対して高度方向の変化が約770倍も急激であることになる。このことから、地球規模での気候変動に対して高山帯の環境は敏感に反応するといえる。また、一般には標高が高くなれば降水量は増加することが知られており、そのため山岳地域は貴重な水資源の供給地となっている。水資源という観点では、白いダムとして山岳地域の流域内に比較的長期間にわたり堆積し続ける雪の役割は雨にもまして重要である。
    地球規模での気候変動に対して山岳地域の気候要素が如何に応答するのかは、人間のみならず、そこでの生態系にとっても重要であるにもかかわらず、気象庁による観測地点が山岳地域では極めて手薄であるため、蓄積された観測データに基づく山岳地域における気候要素の将来予測は困難であるといわざるを得ない。
    2014年12月12日に気象庁と環境省から発表された「日本国内における気候変動予測の不確実性を考慮した結果について」では、現在(1984年~2004年)と比較した将来(2080年~2100年)の気候変動の予測結果を取りまとめている。それによれば、年最大積雪深はすべてのシナリオで減少し、降雪量はほとんどのシナリオで減少する。特に減少量が大きいと予測されている東日本日本海側地域の代表としてあげられている新潟では、現在の冬季でも雪/雨の閾値付近の気温であるため、気温が上昇するシナリオでは、降雨が増え降積雪量が減少するのは当然である。現在でも、低標高地点では暖冬の年は降雨率が高い。一方、上記の予測では、北海道の寒冷地では降雪量が増加となる地域もある、と報告されている。現在でも、暖冬か寒冬かに関わらず、北海道の年累積降雪深はほとんど変わっていない。北海道の冬は、雪/雨の閾値よりも低い気温での降水なので、わずかの気温上昇では、降水粒子が固体から液体になることはないためである。では、なぜ、同じような気温条件で雪が降っている中部山岳地域でも、将来は降雪量が多くなると予測されないのだろうか。気温の上昇によって海からの蒸発量は増加するから、それに対応して降水量も増加する。中部山岳地域では、北海道と同じようにわずかの気温上昇では氷点下のため、降雪粒子が融けて雨になることもないので、降雪量は増加すると考えるのが妥当ではないだろうか。最近になって、中部山岳地域でも降雪量が増加するという予測研究が発表されるようになったが、本州の高標高地域では北海道とのアナロジーが成立することを考えてみたい。
    ここでは、既往の観測データに基づいて中部山岳地域における最近の気候変動を報告する。
  • 太田 弘
    セッションID: S1103
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    地理学は古代ギリシャ時代以来「諸科学の母」であった。近代においても地理学は諸科学中で最も先進的な「実学」として重要視された。我が国の幕末・明治における近代化でも、世界の諸事情を知ることは国民教育上、必須とされ、福澤諭吉の著した「世界國盡」(1869年発行)がベストセラーともなった。地理学はそれぞれの時代に対応した世界の最新情報を学ぶの役割を担っていたと言える。グルーバル化した現代においては、より重要視されることがあっても軽視されることはない。しかし、この20年間に及び高校では選択科目となり学習の機会が失われ、地理学軽視とも取れる「失われた20年」を迎えた。これは地理学研究、地理教育を担っていた我々の責任であるところが多い。来る2022年度から導入される高校新科目「地理総合」(仮称)では、現代世界の社会的ニーズを汲み、学習者の興味・関心を引きつける科目として再生される必要がある。小学館から出版された「名探偵コナン推理ファイル 地図の謎」は進歩の目覚ましい現代の地図の分野をよりわかりやすく解説する読本として計画された。解説部分には人類の歴史上、地理的発見を反映する世界認識や世界観の表現である地図が紹介され、地図は地理の学習上不可欠の素材となる。天文学上の地球の形や大きさの認識は現代では、最新のGPSや準天頂衛星測位によるGNSSの理解は必須である。最先端の地図作成技術やGIS、Google Earth & Mpasに代表されるWeb地図やカーナビなど、身近になった数多のデジタル地図の利用や住宅地図を盛り込まれる。さらに自然災害を想定したハザードマップ、旧版の地形図や空中写真から、居住環境を地盤条件や過去の地形環境にを知る「地理院地図」の利活用は新科目「地理総合」での「地図リテラシー」の重要な要件となる。当初、「名探偵コナン推理ファイル 地図の謎」は小学館の担当者から企画ではなく、全く別のテーマ「名探偵コナン推理ファイル 農業と漁業の謎」(2012年発行)の監修から始まった。筆者にとっては専門外のテーマであった農業と漁業を監修する中で、地図教育の追加出版を提案し、実現したテーマで結果である。この学習漫画シリーズの狙いはシンポジウムのテーマである「アウトリーチ」の定義から見ると「専門的な学術成果を専門外の人に説明する(狭義の)アウトリーチ」と「科学への親しみやすさ・楽しさを一般の人に伝える科学コミュニケーション」とを共に目指したものと言える。地図学(Cartography)は我が国では世界的な先進性を持ちながらも、欧米のそれとは異なる大学等高等教育で専門教育として少ない講座となった。筆者の恩師でもある野村正七は地図学における稀有な研究者であった。野村正七の「指導のための地図の理解」(1980年発行)は、将来、教職に就く学生に向けた地図学の最適の教科書であった。これは小学校段階から大学教育までを見据えた地図学習のテキストと言うことができるだろう。今回の漫画本は遠く野村先生の書には及ばないが、現代の最新の地図利用を誰にでも読める読本として企画できたものである。しかし、漫画を学習テキストとして利用することに一抹の躊躇がなかったわけではない。本書の出版から3年を経過した現在、地図の世界はGoogle Earthに代表される地図はインターネットの普及による「第四の波」の真っ只中にある。表面的に紙地図となって出版されている様々な地図も全てデジタル化され作製されている。「多種類少量出版」として地図が印刷・出版可能となった。GPSと連携し、精密レーザー測量技術によってより詳細に地形表現が可能となった。もはや読み手に読図を強いる地図ばかりではなく地図表現を考慮した多様な地図が登場している。その点で本書は読者(学習者)への「地図の理解」と「新たな地図利用」を学ぶ良き読本であると思う。小学生でもわかる地図教育の読本を目指した理由もここにある。現在、二刷を経て多くの読者を得ることができた。さらに出版後の地図界の進展を受けて、改訂版を計画中である。さらに広い分野の読者を「コナン」の力を借りて地図の普及を図ろうとしていると言える。福澤諭吉は「世界國儘」で、敢えて七五調の言い回しで記述し歌も作り、多くの人々に当時の世界地理事情に関心を向させ、当時のベストセラーとなった。ある意味、福澤も明治期の「地理学のアウトリーチ」の先駆者と言えるのかも知れない。
  • サイド マルジュ ベン, 成子 春山
    セッションID: 839
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    洪水は急速に都市化するダッカ市の問題解決の共通点である。本研究では、ダッカシティーコーポレーションの洪水リスクの評価は、GISの統合的なアプローチ、社会経済データとリモートセンシングを使用して開発されてきました。研究の目的は、著しい洪水イベント(1988年、1998年と2004年)とダッカ大都市圏の都市化で洪水防止堤防に関わる洪水のリスクを測定することです。統計データを用いて、人口密度、地価、所得水準を比較することによって、研究地域の社会経済的地位を探った。私たちは、研究対象地域の洪水リスクを実現するための異なる3点に洪水防止堤防の断面形状を描きました。各土地被覆部、歴史的な水位データと洪水のリスクが評価された社会経済データと比較します。さらに、洪水との関係を明らかにするため、DEMデータと各土地被覆単位を比較した。  
  • 群馬県嬬恋村を事例として
    西野 寿章
    セッションID: S1306
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    群馬県嬬恋村は,高冷地の特性を活かした夏秋キャベツの大産地である。2014年における夏秋キャベツの収穫量の全国シェアは50.7%を占め,出荷量シェアも51.8%となっており,2位の長野県を大きく引き離して,大産地を形成している。高冷地野菜の大規模産地には,嬬恋村のほか,長野県の上田市菅平や川上村などがある。菅平ではハクサイ,キャベツ,レタスなどを栽培してきたが,農地をラグビー場に転換する農家が現れ,川上村はレタスの産地として知られるが,労働力の不足を要因として,他の作物へ転換する農家が現れている。そうした中,嬬恋村はキャベツの作付面積を増やし続け,一大産地としての地位を揺るぎないものとしている。農村空間の商品化の重要な形態は農産物供給であるので、その事例として、本研究は,嬬恋村の規模拡大と一大産地としての地位の持続の要因を明らかにする。
  • 財城 真寿美, 塚原 東吾, 平野 淳平, 三上 岳彦
    セッションID: S1507
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 気候変動に及ぼす人為的要因の小さい19世紀の気候の特徴を明らかにすることは,人間活動の影響が強まる将来の気候を的確に予測するためにも重要である.また19世紀は「小氷期」終焉の時期にあたり,当時の気候を詳細に復元するには,気象観測データが不可欠である.  日本では,気象庁による1870年代以降の気象観測データが一般的なデータセットであるが,筆者らの研究グループでは,19世紀初頭から幕末・明治期にかけて日本各地で観測された気象観測記録のデータレスキューを行っている(図1).本発表では,19世紀の日本における気象観測記録を紹介し,実際にその観測値(気温と気圧)を解析可能なデータにするための補正や均質化の方法について議論する.そして,19世紀の気象データからわかる当時の日本における気候の特徴について述べる.   2. 19世紀の日本における気象観測 (1) 函館・水戸・東京・横浜・大阪・神戸・長崎での観測 長崎におけるオランダ人医師らによる気象観測は,当時の医学教育の一貫として学んだ気象学の影響があった.また,東京・大阪での日本人天文学者らによって行われた観測は蘭学の影響を受けていた.さらに,開国以降の函館・横浜・神戸でおこなわれた欧米人らの気象観測は,軍事的な要素が強い.水戸での気象観測は,穀物価格と天候の関係を見出すために,商人が自宅で気象観測を行っていた. (2) 灯台気象観測記録 1869年に日本初の洋式灯台が観音崎に建設され,その後次々と全国に灯台が建設され,同時に気象観測も行われるようになった.現在入手可能な観測記録は,日本の沿岸108ヶ所の灯台で観測された最長34年間の(1877~1910年)のデータで,気温(屋内外),気圧,風向・風力,降水量などが含まれている.   3. 補正と均質化 19世紀の気象観測記録のデータレスキューでは,気象庁データと比較するために,数値を電子ファイルに入力するだけでなく,様々な処理が必要である.例えば,現行の使用単位に換算し,単位を統一しなければならない.また,気圧の温度補正・重力補正・海面更正の必要の有無も検討する必要がある. さらに,観測地点の高度移動や,観測記録ごとに異なる観測回数・時刻などによって生じるデータ間の差を調整する均質化も重要である.均質化の方法は,手法や対象とする気象要素が様々であり,より有効な方法についての議論が続いている.   4. 19世紀の日本における気候の特徴 これまで収集した19世紀の気象観測記録は断片的ではあるが,19世紀の日本における気候の特徴が明らかになってきている.例えば,東京や水戸では1850年代~1870年代に温暖期の存在が認められた.加えて,1860年代の横浜の降水量記録からは,特に1868年の暖候期(6~9月)の降水量が顕著に多いことが報告されている.  今後は,古文書による気候復元結果との比較や,より多くの地点で観測が行われた灯台気象観測記録のデータを利用した天気図や台風経路復元などを予定している.
  • 佐久真 沙也加
    セッションID: 816
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代以降日本では自然とのふれあいや保全を商品化した観光活動が推奨されるようになった。本発表では日本でエコツーリズムが発展してきた過程を整理することを目的とし2008年に制定されたエコツーリズム推進基本法に着目する。背景となる国内の観光開発およびエコツーリズムの意義づけに関してポリティカルエコロジー(political ecology)の視点を参考に考察する。エコツーリズムが国内で紹介され始める90年以降の新聞記事や推進基本方針に関する資料を基にエコツーリズムが推進されてきた過程に関してまとめる。 

    資源管理をとりまくアクター間の衝突など、ポリティカルエコロジーの分野は幅広いテーマを含み統一した定義づけは困難であるとされる。しかしその中でも自然環境の変化を分析することで政治や権力を読み解く取り組みは多くなされている。自然という存在がいかに概念化されまた資源管理の対象として位置づけられているのかを問い、自然という従来は非政治なものとして捉えられてきた存在が大いに政治や権力によって影響されるもののひとつであると唱える研究は多々ある。特に統治性(governmentality)という概念を用いて政治と権力の仕組みについて説いたFoucaultに続き、Agrawal(2005)やLuke(1995)は環境保全と権力という点に着目した研究を行った。   

    Agrawal (2005) はインドで森林の資源保全が政治手法であると捉え異なるアクターがいかに森林に対して無関心の状態から保全対象として意識を変えたか政策や行政、NGOといった組織そして人々のアイデンティティといった点に着目することで分析した。またLuke (1995) はWorldwatchと呼ばれる国際的な環境保全に関する研究機関と環境に関する知識(eco-knowledge)が形成される過程を分析しいかに特定の情報が資源保全の規範となっていくかを議論した。さらに環境保全を開発の手法として説いたWest (2006) は環境保全の意義や動機付けはアクター間により柔軟に変わりうることを強調する。 本発表では理論的な枠組みとして政治と環境保全との関わりを議論するポリティカルエコロジーの分野における上述のエコ・ガバメンタリティ(eco governmentality)やエンバイロンメンタリティ(environmentality)の視点から、日常生活のなかで自然保全の意義付けにおいて観光政策が果たす役割について考える。

    観光を学ぶ中で、上述の自然資源保全と同様に観光を政治手法として捉える研究も多く行われている。「なぜ政府は自国の観光の在り方を気にするのか?」という問いを通しLeheny (2003)は日本国内における観光の発展を議論した。その主な目的は経済大国としての日本の位置づけを強調するため(Leheny 2003)であり、また「民主的で文化的な国家」(Carlile 1996, 2008)としての日本を国内外に広めるためであった。実際に観光政策は江戸時代の頃より外国人の行動を制限する手法や(Soshiroda 2005)他国との輸出入取引のインバランスを調整する仕組みとして用いられてきた。80年代には日本列島のリゾート化が進み、ゴルフコースの建設やリゾート用地開発などリゾート開発が地方経済の火付け役としての期待を担うことも珍しくはなかった(Rimmer 1992, Funck 1999)。しかしゴルフ場建設等に伴う農薬利用など周辺環境への影響が懸念されはじめ、また従来のマスツーリズムのようにツアーを中心とした周遊型ではなく旅先での経験などを重視する滞在型への関心の高まりから(Tada 2015)、観光開発の分野においても「持続可能性」という概念が90年代以降見られるようになってきた。             

    エコツーリズムはそのような中で台頭してきた観光のありかたといえるであろう。例えば朝日新聞の過去の記事を見ると、国内でエコツーリズムが新しい概念として紹介されている記事は90年代から2000年代にかけて著しく増加し、当時発展途上国の自然観察観光として紹介されたエコツーリズムは今日では国内の地方活性化のツールとして捉えられつつある。西洋と異なる過程の中で80‐90年代の高度経済成長とバブル経済の崩壊、加速したリゾート開発を顧みる存在としてエコツーリズムが提唱されてきたのだとすれば、自然保全を開発として捉えるエコツーリズムもエンバイロンメンタリティの構築の一例であり、環境問題のみならず経済や行政のつながりから派生する様々な要因が影響してきたものであると言える。今後の調査課題としては地域レベルでこのような政策がいかに具体化されているかを知ることが挙げられる。
  • 栗山 知士
    セッションID: P043
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    秋田県大潟地域(八郎潟干拓地)に植栽されたクロマツとセイヨウハコヤナギの偏形樹を取り上げ,それらを指標にして明らかにされた気候景観(佐々木・照井,1988)を男鹿半島・大潟地域のジオパークに活用するために考察した.大潟地域にみられる気候景観は,人の手が加わった文化景観として考えられる.
    大潟地域の気候景観を,男鹿半島の地質・地形発達に大潟地域の地下地質,八郎潟干拓という人工改変地の歴史,干拓後の自然・文化景観を絡めたジオストーリーをつくることが重要であり,大潟地域の気候景観を「大地の遺産」にさいて有効に活用することができるものと考えられる.
     
  • 市橋 新, 常松 充展, 日下 博幸
    セッションID: S1607
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    適応策の実施にあたって自治体は、不確実性への対応に苦慮している。海外先進自治体においては、後悔しない適応策として緑の多様な機能や柔軟性を活用した対策が取られている。東京都環境科学研究所では、今まで積み上げてきたヒートアイランド対策研究や緑の多様な機能の研究、気候変動適応策導入法の研究等を統合的に活用し、港区の一部地域における緑地の暑熱緩和効果を高精度にシミュレーションする共同プロジェクトを筑波大学と東京都都市整備局と実施している。今後は暑熱緩和効果に加え、生態系への効果も合わせて緑地の最適化を視野に統合的適応策を目指したい。
  • 水野 一晴
    セッションID: 411
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.ケニア山における温暖化による氷河縮小と植生遷移
    ケニア山のティンダル氷河の後退速度は、1958-1996年には約3m/年、1997-2002年は約10m/年、2002-2006年は約15m/年、2006-2011年は約8m/年、2011-2016年は約11m/年であった。その氷河の後を追うように、先駆的植物種4種は、それぞれの植物分布の最前線を氷河の後退速度と類似する速度で斜面上方に拡大させている。とくに、氷河が溶けた場所に最初に生育できる第一の先駆種Senecio keniophytumは、1996年に氷河末端に接して設置した方形区(幅80mx長さ20m)での個体数と植被率がともに、15年後の2011年には大幅に増加していた。また、1996年には方形区内の生育種は1種のみであったが、2011年には4種に増えていた。ケニア山山麓(高度1890m地点)の気温は1963年から2010年までの47年間で2℃以上上昇している。一方、過去50年間の顕著な降水量の減少はなく、ケニア山の氷河縮小はおもに温暖化が原因と考えられる。
    2006年までティンダル・ターン(池)の北端より斜面上方には生育していなかったムギワラギクの仲間Helichrysum citrispinumが、2009年にはティンダル・ターン北端より上方の、ラテラルモレーン上に32株が分布していた。これは、近年の氷河後退にともなう植物分布の前進ではなく、気温上昇による植物分布の高標高への拡大と推定される。  また、大型の半木本性ロゼット型植物であるジャイアント・セネシオ(Senecio keniodendron)は1958-1997年には分布が斜面上方に拡大するという傾向は見られなかったが、1997-2011年には拡大して、山の斜面を登っている。この種は氷河後退が直接遷移に関係しているとは考えられないが、先駆種の斜面上方への拡大による土壌条件の改善と温暖化がジャイアント・セネシオの生育環境を斜面上方に拡大させていると考えられる。
    2.ケニア山の自然保護
    ケニアには国立公園の野生動物を守るための政府の一機関であるケニア野生動物公社KWS(Kenya Wildlife Service)がある。KWSはケニア山国立公園に対し、他のサファリパークとなっている国立公園(ex. アンボセリ国立公園)や国立保護区(ex. マサイマラ国立保護区)ほど環境管理に力を入れていない。何カ所かあった無人小屋をすべて取り壊して環境対策をしている一方、キャンプサイトにトイレの設置がない場所が少なくなく、環境悪化につながっている。  ケニア山では過去何度も、登山者による失火や密猟者による放火によって、広範囲に樹木が消失した。故意による失火に対しては厳重に罰せられる。近年、放火した密猟者は発見され次第、即座にKWSによって射殺された。
    3.温暖化とキリマンジャロの氷河縮小
    キリマンジャロの氷河は急速に縮小している。氷河の縮小はキリマンジャロ山麓の水環境にも影響を及ぼし、山麓の生態系や住民生活にも影響が及ぶことが考えられる。
  • 東かがわ手袋企業のフィリピン・ベトナム進出の事例
    平 篤志
    セッションID: 304
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は,東南アジアにおける地方拠点中小企業の展開の特徴を明らかにすることを目的とする。日本においては,1980年代以降大企業の海外展開が活発化したが,その後中小企業の海外展開も増加している。四国では,香川県東部に展開し,現在なお高い国内市場占有率を有する手袋産業がその例である。当該産業のユニークな点は,人材確保難もあって,1970年代から海外展開を開始したところにある。当初,近隣諸国から進出を開始したが,その後中国が主要生産基地となった。最近では,「チャイナ・プラス・ワン戦略」として,東南アジアへの進出が加速している。事例として取り上げるA社は,付加価値の高いスポーツ系・ファッション系手袋を生産する地場の代表的な企業の1つである。A社は,1970年代に近隣諸国に進出した後,中国とともに1986年にフィリピン,1991年にベトナムに進出し,これら2国を主要生産拠点としている点に特徴がある。そして,これら2国での現地法人運営に当たって,それまでの人的資源を国境を越えて活用している点(パイプライン)が注目される。
  • 水野 一晴
    セッションID: S1201
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    滋賀県朽木(くつき)は、京都の北西に位置し、若狭へ抜ける鯖街道の途中にある。本シンポでは、朽木でトチの木利用の研究をおこなった京大大学院研究グループ(自然地理研究会)の成果をもとに、人と自然の関わりを植生から考える。
    2.滋賀県朽木谷の自然資源利用と地域社会
    朽木谷は標高 450m から 900m の山々に囲まれた渓谷をなし、総面積の 93%は山林・原野となっている。年平均気温は 12.8 度、年間降水量は 2300mm 前後で、初雪は 11 月下旬、晩雪は3 月下旬で、積雪量は 2m 以上に達することもある。 従来、朽木谷では、豊かな山林資源を背景とした植林、木材搬出、製炭などの林業が主要な生業であった。また、総面積にしめる農地の割合は、1.7%とそれほど大きくはないが、稲作や畑作なども営まれており、とくに稲作に関しては、集落周辺の山林の草木を水田の肥料として投入するユニークな施肥方法がみられた。1960 年代以降、従来からの生業は大きく変貌し、1960 年に70%を超えていた第一次産業従事者数の割合は、1995 年には 15%まで減少した。 朽木谷には、集落の周囲に広がる、水田にいれる肥料や家畜の敷草を調達するための採草山であるホトラヤマとミバエヤマホトラヤマがある。人々は毎年春先に集落総出の共同作業によって山を焼き、その後に芽生えた膝丈ほどのコナラの幼樹(これをホトラと呼ぶ)を各世帯の女性が刈り取り、まず牛舎の敷草とされ、そして牛糞と混ざった敷草は厩肥として水田に施肥された。しかし、農業の機械化がすすみ、家畜を飼養しなくなったため、昭和 30 年代にホトラヤマは利用されなくなった。そのため現在、かつてのホトラヤマは森林化が進んでいる(平井,2005)。 この地域の山林のもうひとつの特徴として、天然更新に由来する針・広混交林が成立している点があげられる。こうした山林はミバエヤマとよばれ、そこに生育する針葉樹は優良な建材として利用されてきた。 朽木は、戦前期にすでに人口の減少が始まっており、1920年以降の15年間に約5,000人から約4,000人へと減少し、戦後には1960年から2000年の間には約 4,000人から約 2,500人へと大幅な現象が見られる。とくに後者においては、跡取りとなる世代を含む「挙家(きょか)離村(りそん)」を含んでいると見られ、林地の所有者も流出したと考えられる。現在でも、木材の産出は行われているものの、木炭の生産はほぼ見られなくなった。この様に、朽木の森林資源の利用そのものが失われつつある(井出・通山,2012)。
    3.アルナーチャル・ヒマラヤの自然資源利用との比較
    アルナーチャル・ヒマラヤでは、コナラの落葉が採集され、トウモロコシとその裏作である大麦、ソバの肥料として農地に投入される。農地の周辺は人為的にコナラの純林にされ、それは「落葉を集める森林:ソエバシン」として管理され、ほとんどの農民がソエバシンを所有している。
  • 市南 文一
    セッションID: P063
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    梨の栽培面積や収穫量は,千葉,茨城,栃木,福島,長野県で多いが,西日本では鳥取県の多さが顕著である.本研究の目的は,21世紀を中心にして鳥取県における日本梨の栽培の変化を明らかにすることであり,多様化に伴う変化の実情を説明し,その課題を検討する.鳥取県における日本梨の収穫量は,1970年代前半まではほぼ順調に増加したが,1970年代後半から1980年代にかけては収穫量が多いとはいえ停滞期であった.1980年代後半以降は,栽培農家戸数の減少,老木化や黒斑病の発生などにより減少傾向が続いてきた.1990年代中頃の収穫量は最盛期の半分程度であり,2013年の収穫量は約5分の1に減少した.
    第1図は,2000年における日本梨の市町村別栽培面積を描いている。栽培面積は鳥取県中部(倉吉市,東郷町,東伯町,赤碕町,中山町等)や鳥取県東部(郡家町,青谷町,佐治村,河原町,八東町等)で多い.栽培面積はほとんどの市町村で著しく減少してきた.しかし.東郷町における栽培面積は1985年より増加し,佐治村での栽培面積の減少は少なかった.鳥取県の梨の代名詞は「二十世紀梨」であり,栽培面積,販売量,販売金額のいずれも梨全体の約9割の比率を長らく占めてきた.
    第2図は鳥取県の主要な中生青梨の栽培面積を示している.二十世紀梨の栽培面積は2005年(695.6ha)まで増加していたが,その後は2009年まで半減した.黒班病に強い「ゴールド二十世紀」の栽培面積も2003年から2013年にかけて約6割減少した.自家受粉ができる「おさ二十世紀」が開発され,自家受粉ができて黒斑病に強い「おさゴールド」の栽培面積が少しずつ増加してきた.鳥取大学農学部は「二十世紀」と「幸水」を交配させて早生赤梨の「秋栄」を育成し,その栽培面積は少しずつ増加している.また,「新甘泉」は,鳥取県園芸試験場が極早生の赤梨である「築水」と「おさ二十世紀」を交配して育成した早生赤梨品種で,8月下旬から9月上旬に収穫され,栽培面積が増加している.二十世紀梨は鳥取県で生産される主要な梨であるが,赤梨を含めて新品種の栽培面積が増加し,梨栽培の内容が徐々に変化している.
  • 益田 理広
    セッションID: 920
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究目的 Schaefer(1953)によるHartshorne(1939)への批判と、それに対する一連の応答による,所謂「シェーファー-ハーツホーン論争」(Martin 1989)は.その後の地理学の展開を大きく左右する,伝統地理学と「新しい地理学」の方法論上の分水嶺であった. この論争は,地理学の対象を「地域area」とするハーツホーンの立場を「例外主義」と名状し,「ハーツホーンの地理学方法論を完全に否定し,地域よりも空間を主導概念」とした(杉浦,1991:312)シェーファーによる論難に端を発する.シェーファーは地理学を「空間関係spatial relation」を対象とする「形態論的法則」を求める科学と定義したのである.この両者の対立は一見好対照を為すが,論争の焦点である「地理学の対象」の概念的な異同については未だ確定的な見解はなく,その現代への影響に比して,研究蓄積は不十分といえる.本研究は,ハーツホーンおよびシェーファーの論ずる「地理学の対象」となる概念の定義を哲学的に検討し,両者の異同を明示することを目的とする. 2.シェーファーの「空間関係」  シェーファーにとっての地理学は,「総合科学」たる地誌学とは相容れぬ,特定の法則を求める「科学」であった.シェーファーは「真に地理学的」な法則として,「空間関係」の探求を通じて獲得される「形態論的法則morphological law」を挙げる(Schaefer1953:248).「空間関係は地理学における問題であって他の分野のものではない」 (Schaefer1953:228)と言うように,「空間関係」を対象として「形態論的法則」を求める科学こそが,彼にとっての地理学だったのである.シェーファーはこの「空間関係」に明確な定義を与えていないが,「地理学は地域内の諸現象の空間的配置に注意せねばならない」「地理学者はその専門たる空間的配置に関わる法則を究めるべきである」(Schaefer1953:228)といった語や,異なる種類の現象間の「空間関係」を究明すべき(Schaefer1953:228)とする言明から,それが,地表面の複数の現象の関係が作り出す一種の構造・形状であることが理解できよう.このことは,「地理学の形態論的性格は…地図と地図作成の相関に見出される」(Schaefer1953:244)という具体的な表現を以て記されている. 3.ハーツホーンの「地域」 ハーツホーンは,「地域area」を「互いに関係を有する多数の物質的現象と非物質的現象,要するにその地域内の万物が存在する所の,現実の宇宙の断片」(Hartshorne 1939:162)と定義している.「地域」とは性質不問の諸現象の総合なのである.そして,その諸現象を総合するものは,「空間」である(Hartshorne 1939:283).ハーツホーンは,この「空間」を幾何学的な位置関係と述べており(Hartshorne 1939:395-396),更には「空間的結合による現象の統合」を「地理学的思想の真の本質」とまで呼んでいる(Hartshorne 1939:235).かくして総合された「地域」は客体でも現象でもなく,「知的な枠」たる抽象概念とされ(Hartshorne 1939:395;1959:160).そのために特定の属性を有さず,「unique」な存在としての規定が生じる(Hartshorne 1939:396).各々の「地域」は,内包する諸現象が不定であるがゆえに「unique」なのである.この「unique」なる「地域」を対象とする学問こそが「素朴科学」たる地理学と呼ばれる(Hartshorne 1939:373). 4.空間概念の共有  「地理学の対象」に関するシェーファーとハーツホーンの議論を参照すると,その対立関係にもかかわらず,両者の「空間」概念が,地表面上の複数の現象の幾何学的な関係というほとんど同一の定義を有しており,「空間関係」と「地域」とについても,複数の現象から生成されるという点で極めて近似していることが理解される.本報告は,この両者の共有する空間概念の哲学的な特徴について,アリストテレスの質料形相論との類似を指摘するものである.つまり,両者のいう空間概念は「質料」たる諸現象を囲繞する「形相」ということになるが,複数実体よりなる「質料」の性質が一定しないために,この空間は「偽形相」ともいうべき特殊な性格を有する.シェーファーはこの「偽形相」と「偽質料」たる諸現象の分離を図ったのであり,その空間概念の基礎は批判の対象たるハーツホーンの論にこそ見出されるのである.
  • 熊原 康博
    セッションID: S0101
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    2016年4月に発生した熊本地震に伴い,長さ30kmをこえる地表地震断層が発生した.熊本地震を受けて,変動地形学の研究者が今後取り組むべき課題をいくつか指摘したい.指摘に先立ち,熊本地震をもたらした活断層や,地震に伴って生じた地表地震断層の特徴を簡単にまとめる.
      1.起震断層,地表地震断層の特徴
    熊本地方における一連の地震活動では,4月14日にMj6.5の地震(深さ11km)が起きた28時間後に,阪神淡路大震災と同程度であるMj7.3の地震(深さ12km)が続けて起きた.
    「本震」にあたる16日の地震に伴う地表地震断層は,既存の活断層である日奈久断層北部から布田川断層や出ノ口断層に沿って,ほぼ連続的に生じ,その長さは約31kmである.
    多くの地点で右横ずれ変位が認められ,最大右ずれ変位量は益城町堂園で約2.25mである.布田川断層沿いの上下変位は,南部では南西側上がり,北部では北東側上がりとなる.上下変位量は最大1mである.
    西原村から阿蘇外輪山付近では,布田川断層から約2km南東に,布田川断層と平行に延びる出ノ口断層があり,出ノ口断層に沿って一部左横ずれ変位を伴う北西落ちの正断層性変位(最大2m)が認められた.
    北東-南西走向の右横ずれ変位をもつ地表地震断層が雁行する箇所で,北西-南東走向の短い断層が認められ,トレースに沿って左ずれ変位が認められた.主たる断層に対する共役な断層である.
    14日の地震では日奈久断層北部(白旗-高木区間)や布田川断層南部で地表地震断層が数cm程度の変位が生じた.同じトレース上で14日の地震に伴う変位より大きい変位が,16日の地震で生じている.
    今回のずれの範囲や変位量からみて,日奈久断層北部から布田川断層,出ノ口断層の断層地形を形成してきた断層運動が今回生じたと見なせる.

      2.今後取り組むべき課題
    1)今回の活動の普遍性の検証
    今回出現した地表地震断層の変位量や範囲について,過去の活動も同様であり,それが繰り返してきたのであろうか?この疑問に対し,過去の活動の累積である断層地形や断層近傍の地層の情報に基づいて今後検証を進めていく必要がある.断層系がどのように分割して活動するのかという普遍的な課題に対して変動地形学の手法から解明できうる.
      2)地形判読に基づく活断層線と地表地震断層の位置の齟齬の解明
    空中写真判読に基づいて活断層のトレースを認定した「活断層詳細デジタルマップ」,都市圏活断層図「熊本」で活断層を図示していない区間で地表地震断層が一部現れた.特に益城町北部では,変動地形学的なセンスからは想定できない位置に断層トレースが出現した.想定外の現象が地下の地質構造に規定されたものなのか,あるいは元々は推定した活断層トレースを通過していたものが現在のトレースに変化したのかなどを今後検証する必要がある.
    3)正断層の変動地形に対する認識
    正断層性の地表地震断層が,断層崖基部だけでなく,断層崖の中腹でも多数認められたことは個人的には驚きであった.日本列島のほとんどの活断層が,水平圧縮に伴う逆断層や横ずれ断層であり,一般的には,これらの断層では断層崖の基部に地震断層が生じることが多い.正断層の変動地形を見慣れていないことも一因と思われる.正断層の調査の際にはこの点にも留意することが必要と考える.
    4)デジタル標高モデル(DEM)の活用
    地表地震断層は植生に覆われた山地内を通過することも多く,森林下の微地形を捉えたDEMを用いた地形判読が有効であった.今後DEMを利用した活断層調査を積極的に進めていき,より正確な断層トレースを認定することが望まれる.
    5)干渉合成開口レーダー(SAR)の解析との比較検証
    干渉SARの解析により,これまで検出できなかった微少な地表変位も認められ,現地調査に基づく地表変形の位置や変位の向きとも調和的であることが示された.今後の調査でも,干渉SARの解析と現地調査の比較検討が重要になるといえる.ただし干渉SARに基づいた変位が地震断層と見なせるものか,あるいは誘発的な表層の破壊かは議論の余地が残る.今後,掘削調査などによる検証が必要であろう.
    九州地方中部,いわゆる別府島原地溝帯には,正断層性の活断層が数多く認められている.しかし正断層と見なされている地形にも横ずれ変位が見逃されているかもしれない.断層崖の基部だけでなく,断層崖の中腹に変位地形が存在する可能性があることを認識しつつ,詳細なDEMデータの活用することで,これまでとは異なる成果が得られる可能性がある.

      平成28年度科学研究費補助金(特別研究促進費)「2016年熊本地震と関連する活動に関する総合調査」(課題番号16H06298)を使用した.
  • ―青森市と富山市の事例に基づいて―
    秋元 菜摘
    セッションID: P069
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ 研究の背景と目的
    近年,日本では高齢化などを背景として,「コンパクト+ネットワーク」の構想(国土交通省 2014)により多極ネットワーク型コンパクトシティ政策が推進されている.本研究の目的は,同政策の代表的な自治体である青森市と富山市の事例分析に基づいて,都市構造モデルの側面からコンパクトシティ政策のデザインについて再検討し,課題を明らかにすることである.
    Ⅱ 分析
    シミュレーション分析によれば,青森市では一極集中型(同心円状)の都市構造をモデルとしているが(青森市 1999),既存の政策デザインではコンパクト化によるアクセシビリティの改善効果は小さいと予想される(秋元 2016).同様に,富山市ではクラスター型の都市構造をモデルとして都心と郊外核を結びつける公共交通の活用を図っているが(富山市 2008),平野部にスプロール化した郊外人口の効果的な集約化が課題である(秋元 2014a).現状分析によれば,青森市では郊外において高齢者のアクセシビリティが低下している一方,富山市では都心へのアクセシビリティが向上しているなど,政策の成果や課題が明らかになりつつある(秋元 2014b).これらの分析結果から,コンパクトシティ化の過程においては既存の郊外への対処が重要であるといえる(表1).
    Ⅲ 結論
    地方都市における郊外化を踏まえると,モデルとするコンパクトシティの都市構造に関わらず,現実的な課題として,短期的には既存の郊外核を適切に維持することが必要であり,中長期的には郊外の維持/撤退について政策デザインを明確化することが求められる.また,日本のコンパクトシティ政策では地形的制約や既存の都市構造の多様性など地域特性を重視した政策デザインを検討してゆく必要性が高い.
  • 八塚 春名
    セッションID: S1205
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    トチ (Aesculus turbinata) の果実はサポニンやタンニンを含むため、縄文時代から人びとは水さらしや加灰といった方法でアク抜き処理を施し、日本各地で利用してきた。滋賀県朽木の人びとも、かつてはアク抜きしたトチノミをモチ米に混ぜてトチ餅に加工し、自家消費および近所や親戚へのふるまい餅として食べてきた。その後いったんトチ餅づくりは衰退するが、1986年以降、地域振興の流れをうけてトチ餅づくりは復活し、地域の「特産品」として販売されるようになった。現在ではおもに5世帯がトチ餅を生産、販売し、他の多くの世帯は必要な時にそれを購入している。
    一方、現在の朽木では、高齢化や林業の衰退により住民の山離れが進み、トチノミ採集のために山に入る人は少ない。また、個体数が急増したシカがトチノミを食べ尽くし、たとえ住民が山に入っても、トチノミをほとんど採集できない状態にある。つまり、「特産品」であるトチ餅の材料が、地域内では供給困難な状況に陥っている。こうした状況下でトチ餅の生産を継続するためには、地域の外からトチノミを供給せざるをえない。本発表では、朽木の餅作りを担う住民が、いかにしてトチノミを入手しているのかを明らかにし、現代山村が抱える複雑な社会背景のもとで、今後の資源利用の可能性を考察することを目的とする。

    2.方法
    調査は2012年から2015年までの不定期に、トチ餅の生産と販売を担っていた6世帯(調査当時)を対象に聞き取りとトチ餅作りの観察をおこなった。さらに2012年9月の毎日曜に、朽木および大津市浜大津で開催される朝市において、トチ餅購入者を対象に聞き取りをおこなった。

    3.結果と考察
    聞き取りの結果、朽木では、約20年前からトチノミの採集が困難になってきたことがわかった。そしてその頃から、トチ餅生産者は、おもに滋賀県長浜市や福井県、岐阜県の人びとからトチノミを購入してきた。餅生産者は9,10月頃にトチノミ販売者に150kg~800kgのトチノミを注文する。各世帯、毎年ほぼ同じ販売者に注文をするが、飛び入りの販売者からトチノミを購入することもある。販売者は自ら実を採集する例もあれば、各地で採集してきた人から買い取った実を朽木まで運び販売する例もある。
    一方、朝市において朽木のトチ餅を購入する人たちには、トチ餅を朽木の名物だと捉える人が多かった。餅生産者らは、トチ餅の味を左右するのはアク抜きに利用する灰の質とその際の温度管理だという。つまり、たとえ他地域のトチノミを利用していても、朽木のトチ餅は、朽木の人びとによるアク抜き技術が継承されている限り、地域の「特産品」だといえるだろう。
    朽木のトチ餅づくりの背景には、地元のトチ餅生産者だけでなく、他地域の採集者や販売者といった多様なアクターが存在し、トチノミ利用をめぐる広域なネットワークが形成されている。過疎・高齢化に悩む現代の山村において、こうした他地域との資源利用ネットワークは、1地域では不可能になりつつある活動を、より広範囲かつ多層な資源利用によって可能にする新しい形を提供する可能性がある。
  • メディアを通じたアウトリーチの視点から
    長谷川 直子
    セッションID: 133
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに/目的 演者は総合学としての地理の視点を広く社会に広める一環として、大学で実施した1授業の成果を2016年3月に出版した(お茶の水女子大学ガイドブック編集委員会編2016).この雑誌の出版をきっかけとして様々なメディアに露出する機会があった。今後のアウトリーチ活動の参考とするために、これまでに対応したメディアとのやりとりや学生主体の社会発信について報告・総括したい。  
    2. メディアからの問い合わせと対応 学生によるTwitterの書き込みを日本地理学会がRetweetした。タモリ倶楽部のプロデューサーが日本地理学会のツイートをフォローしており、地理女子の書き込みを見つけた。地理に女子という存在がいるという発見と、そのフォロー数が少ないことからまだメジャーでないと認識され(メジャーなものは取り上げない主義)、タモリ倶楽部の出演の依頼があった。  タモリ倶楽部の担当者からお茶の水女子大学広報宛に2016年2月2日に出演の依頼があった。その時点で収録日は2月20日と予定しているのことだった。学生の希望を募り、出演希望の学生と制作会社とで打ち合わせが約2週間かけて行われた。雑誌の発売後3月20日頃に文京経済新聞から取材の依頼があった。販売後の反響や作成側の思い等について、演者と学生2名が取材対応され、記事は約1週間後に掲載された。  4月1日にタモリ倶楽部が放送された。放送は神回と評され、そのツイッターをまとめたサイトtogetterは放送直後に60万ビュー、(2017年1月現在70万ビュー)を越えた。その反響の大きさから、aol.news やlivedoor.newsの記事になった。「地理女子という新たなジャンルの誕生」というtogetterのまとめサイトも作られた。  5月12日に大学広報経由で東京新聞記者から取材の依頼があった。東京新聞の最終面TOKYO発に掲載する記事で、地理女子の実態を知りたいとのことだった。記者さんからの依頼で学生5名が記者さんをまちあるき案内しながら、地理の魅力等の質問に答えるという形で取材が行われ、6月23日に記事が掲載された。  6月25日、雑誌版元経由で東京FMの放送作家から取材の依頼があった。内容は学生に朝の番組クロノスへ生出演し、地理の魅力について語ってほしいというものだった。学生2名が7月15日に生放送に出演した。  7月21日、大学広報経由でJ-waveの放送作家から取材の依頼があった。東京の今を切り取るtokyo dictionaryというコーナーで紹介するため、演者が電話録音での取材に答え、7月28日に放送された。  9月28日、日経MJの記者から取材の依頼があった。日経MJ最終面の「トレンド」というコーナーで、最近ブームになりつつある地理女の実態やその広がりを取材したいということだった。10月22日に行われるひらめき☆ときめきサイエンスで地理女子が女子中高生をまちあるき案内するというイベントが地理女子の活動の広がりにあたるということで取材をしたいということだった。そのためこのイベントに参加する中高生と同伴者全員に許可を取り(日本学術振興会のルールによる)、取材が行われた。日経MJの記事が好評だったことを理由に、日経新聞(全国版)11月26日に縮小記事が再掲された。  なお、文京経済新聞を除くラジオと新聞の取材はすべて、タモリ倶楽部の出演がきっかけとなっていた。  
    3.まとめ 雑誌を出版してもタモリ倶楽部の出演がなければその後のマスコミ取材はなかったと思われる。がタモリ倶楽部の視点が(番組の性質上)出演学生の一部にとっては違和感を感じるものであったことも事実である(真面目な「地理学」を語りたかったのにステレオタイプな「女子」の面が強調された)。そのようなことがかえって、一部の学生内に「女子」と言われることへの違和感やアレルギーを引き起こしていることも事実である。しかしこれをきっかけに、(自分が考える、社会が考える)「地理」や「女子」とはなんなのか、といった議論が学生内で起こり、それについて真剣に考えていることは、ある意味での教育にもなっていると考える。  関わった教員としては、「発信の結果起こったことを教員のせいにするのではなく、学生自身が考えて結論を出し、その結果起こったものは自らでその責任を負う」という自立性を学んでもらうところまでもって行く必要があると考えているが、その部分がまだできていないことが課題である。   (本研究はJSPS科研費(課題番号26560154)の成果の一部である。  
    参考文献:お茶の水女子大学ガイドブック編集委員会編(2016)「地理×女子=新しいまちあるき」古今書院.128p
  • 菅野 拓
    セッションID: 306
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災をきっかけとして、被災地においては、被災者の生活再建にかかわる諸問題や、地域の産業再生や雇用づくりなど、多様な社会的課題が現出した。それらの課題に対し、主として政府や自治体などから構成される政治・行政セクターや、主として営利企業から構成される市場セクターに加え、NPOやNGOと呼ばれることが多いサードセクターが、場合によってはイノベーションを生み出しながら、相当な規模で独自に対応した(菅野 2015a)。サードセクターの組織が生み出す財は、生産と同時に消費されていく同時性や、在庫をもつことが不可能な消滅性に特徴がある、サービスを中心としたものである。本報告では、彼らが生み出す財にかかわるイノベーションを理解可能な作動原理を仮説的に提示する。
    東日本大震災における仙台市の仮設住宅入居者支援事業では、サードセクターの組織が関与し、複数のイノベーションが生み出され、それは他の被災自治体や熊本地震被災自治体においても活用されている。参与観察によれば、被災地を超えた関係者同士のネットワークからもたらされる、知識や資金といった資源の流入に促されて、イノベーションが生じていることが把握できた(菅野 2015b)。同時に、営利企業では考えづらい特性が観察された。その主たるものは、①地域が異なると同業の組織に対して、活動の価値源泉と言いうる知識やノウハウを無償で伝達すること、②金融的資本面では公費や贈与、人的資本面ではボランティアなど、多様な資源を混合して活用していること、③地域内の同種の組織とは競合関係にあることである。
    ここから、サードセクターの地域性とイノベーションの作動原理にかかわる以下のような仮説が構築できる。サードセクターの組織は、「地域の混合市場」とでも呼ぶべき、一定の具体地理的範囲に存在する、営利企業では通常は活用しづらい贈与をも資源として調達可能な市場の中で、原則、互いに競合関係を持ち存在している。生み出す財はサービスを中心としたものであるため、生産と消費の分離が不可能であり、同業種の地理的集積は起こりにくく、市場の規模にもよるが、各地域の混合市場の業種構成は比較的均質である。また、他の地域の混合市場に存在するサードセクターの組織とは競合関係になく、地域を超えて社会全体としては、協力関係を築くほうが対応する課題の解決に寄与することから、知識を中心とした、譲渡しても減少しない資源が互いに融通可能となる。そのため、それらの資源の活用からイノベーションが促されることとなる。
    個別のサードセクターの組織から見れば、自らが存在する地域以外の地域の混合市場は、低コストで新しい知識が生み出される、営利企業における研究開発部門や提携企業としてみなすことが可能となる。営利企業では、地理的な領域でイノベーションを考える場合、集積にもとづく近接性に由来する、知識のスピルオーバーが注目されているが、サードセクターではその重要性は小さいと考えられる。
  • 泉山 茂之
    セッションID: S0406
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    南アルプスの高山帯,亜高山帯では1990年代後半からニホンジカの進入が始まり,2000年頃に定着したと考えられている。そして2010年頃までの,わずか10年で希少な高山植物群落のほとんどが失われた。多雪地域や高山環境には生息が困難とされてきたニホンジカは,近年,季節的移動型の個体群が分布を拡大し,これまで生息が見られなかった北アルプスにまで進出を始めている。希少な高山植物群落の宝庫である北アルプス高山帯にニホンジカが進出することで,多数の固有種の消失を招く畏れがある。高山帯の良好な自然環境と貴重な高山植物の保全を行うことは急務である。  南アルプスでは,ニホンジカの問題が顕在してから対策を始めるまでかなり時間がかかり,すでに手遅れになった点が多々あることが悔やまれる。ニホンジカの保護管理を効果的に進めるためにも,早急に北アルプス地域のニホンジカ分布域の拡大過程と移動ルートの推定が必要である。かりに北アルプスの,かけがえのない高山植物群落を失うことになり,南アルプスと同じ轍を踏むことになれば,環境行政や鳥獣害対策に関わってきた者として,後世に顔向けすることができない。予測される危機を回避するために,最も重要なことは今できると考えられる予防の対策を,最大限の努力をもって行うことである。  北アルプスの高山帯において,各機関による調査により,センサーカメラ撮影された個体は若齢オス個体が殆どを占め,これまでほとんど生息が見られなかった地域への分布の拡大を示していると考えられる。成獣個体は移動時期や移動経路など「季節移動」のパターンに大きな年次変動がないことから,新たな分布域の拡大は若齢個体の「分散」(dispersal)により引き起こされていると考えられる。「季節移動」(Seasonal migration)は夏期の行動圏と越冬地間の春秋の移動であるが,「分散」は新たな生息地への一方的な移動である(Greenwood 1980)。シカ類の分散についての報告は,北米のオジロジカ(Nelson, 1993; Long et al.,2010)での数報に限られ,シカ類がどのように分布を拡大してゆくのか,その関連性は明らかになっていない。本報告では,北アルプスにおいて,GPS発信器を用いた行動追跡から初めて明らかになった,出生群からの分散の過程など,新たな知見をもとに報告したい。
  • シュレーガ ベンジャミン
    セッションID: 514
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1 初めに
    先進国のフードシステムの背景には、産業型食品の増加に対し、安心感と質が高いブランド食品の増加もみられる。しかし、消費者にとってはブランド食品の中に圧倒的多数の選択肢があることで、情報過剰で選択が困難という批判もある。さらに、食品の選択においては、溢れる情報に加えて消費者の時間、お金、関心などの限界もあるのであろう。
    今までの地理学の食と農の研究の中では、前述のような対極化した先進国のフードシステムに関して、新自由主義の中で台頭してきた認定プロセス(neoliberal certification)や倫理的消費(ethical consumption)といった観点からの議論が盛んに行われてきた。本発表では、消費者の食品選択過程に着目し、日常食生活の地理的アプローチ(quotidian geographies of food)で日本の鶏肉について分析してみる

    2 日常食生活の地理的アプローチ
    ここでは、日常食生活の研究結果の中から主に三点について纏めたいと思う。まずは、Everts and Miele (2012) が食肉類の動物の愛護(animal welfare)に関して「どのように動物に関する問題意識は高まるか(もしくは問題としてみられないか)?」という問いを提案した。欧州におけるフォーカスグループを用いた調査では、一般的な消費者の関心は、動物愛護の観点よりも経済的な状況やその他の社会的要因により形作られているといってよいだろう。
    Barnett et al. (2011) はフェアトレードに関して「日常的な買い物においていかに問題意識は高まるか」という問いを提案した。フェアトレードの場合では、NGO(非政府組織)の影響力を通して、一般的な消費者によるフェアトレードという選択肢が広がってくる。消費者の購入による支援でNGOへより強い影響を与え、政策を改善させる可能性が高まる点が挙げる。
    また、Jackson (2015) の研究では産業型食品と共に社会不安 (social anxiety)が拡大してきたという点が議論されている。イギリスでフォーカスグループによるデータを通して鶏肉と社会不安の関係性を分析した。この食の不安を解決するように、消費者が買い物や食事の準備といった日常生活における活動や経験に頼ることが挙げられている。

    3 日本の鶏肉
    本研究では、各グループ3~6人のフォーカスグループ聞き取りに対する、複数回行い日本国内の鶏肉を取り巻く日常食生活について調査した。本調査に参加した一般的な消費者は鶏肉のブランドの定義に詳しくはないが、インターネットで簡単に調べられると感じている。多くの消費者が値段や部位、産地が国内・外であるかによって判断していることが観察された。さらに国産鶏肉の信頼性は高いが、ブラジル産の鶏肉よりも値段が高いことが意見として挙げられた。
    鶏肉の購入に合わせて、様々な意見も見られた。例えば、食材の買い物と料理は女性の仕事という意見が一般的であるという意見や、また、都市と農村間では、都市には高級な地鶏肉の販売が割と多いという点も挙げられた。その背景として、農村において自給のために鶏を飼育する家庭が1970年代までは多く見られたが、現代ではわずかである。さらに、世代間の差異に関する議論も見られた。若年世代にとっては濃い味付けが好まれ、外食と中食を頻繁に購入するという意見がある。本発表ではこれらのフォーカスグループのデータ分析を通して明らかになった様々な消費者の食品購入における傾向に着目し、その結果について論じることで日本における鶏肉の消費について考察を行う。

    4 文献
    Barnett, C., P. Cloke, N. Clarke & A. Malpass. 2011. Globalizing Responsibility: The Political Rationalities of Ethical Consumption. Wiley-Blackwell.
    Evans, A. & M. Miele (2012) Between food and flesh: how animals are made to matter (and not matter) within food consumption practices. Environment and planning D: society and space, 30, 298-314.
    Jackson, P. 2015. Anxious Appetites: Food and Consumer Culture. Bloomsbury Publishing.  
  • 泉 貴久, 金田 啓珠, 山本 隆太
    セッションID: 803
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    I. 地理教育におけるシステムアプローチ
    システムとは,何かを達成するように一貫性をもって組織されている、相互につながっている一連の構成要素(メドウズ2016)であり,本発表で述べるシステムアプローチとは,システムの見方・考え方に基づき、ダイナミクス、複雑系、創発などのシステムの概念から地理的事象・課題の構造(システマティック)および挙動(システミック)を理解し、世界を観察・考察する教育/学習方法である.

    地理学習におけるシステム概念は,1992年の地理教育国際憲章を契機として,世界各国に共通する地理教育的考え方の一つとして認識され,海外では地理学習に位置付けられつつある.日本では,ESD (Education for Sustainable Development)の文脈においてシステムの概念・思考が取り上げられてきた(国立教育政策研究所2012, 佐藤2016).

    最近では,次期学習指導要領改訂による地理総合の設定に伴い,「持続可能な社会づくりを目指し,環境条件と人間の営みとの関わりに注目して現代の地理的な諸課題を考察する科目」として,「自然と社会・経済システムの調和を図った,世界の多様性のある生活・文化について理解させるとともに,地球規模の諸課題とその解決に向けた国際協力の在り方について考察させること」(下線部筆者)などが明記された(中央教育審議会答申2016年12月21日).

    システムという考え方を用いて持続可能な社会を考える地理学習を具体化するために,システムアプローチが非常に有効である.そこで本発表では,システムアプローチを用いた授業実践を取り上げ,その成果と課題について報告する.

    II. システムアプローチを用いた実践事例とその成果
    (1)「スマートフォンから世界が見える」
    今や私たちの生活になくてはならない携帯電話やスマートフォンであるが,その原材料が採掘される過程や,部品加工、価格決定、市場供給,さらには製品化、販売、消費、廃棄,といったプロセスは多くの人が無関心のままでいる.このプロセスは、紛争や人権侵害、貧困、環境破壊といった地球規模で解決が急がれる諸課題へと結びついている. 本単元では、システムアプローチの手法を用いながら、スマートフォンを媒介に原料である鉱物資源の生産国であるコンゴ民主共和国と日本などの消費国とを結びつけ、そこで生じる諸問題を認識し、解決策を考えた上で、持続可能な社会を構築していくための足掛かりをつくっていきたい。
    本実践は,生徒たちに鉱物資源開発によって生じる諸課題の複雑なシステムの構造を関係構造図によって気づかせるとともに、システム思考を用いて課題解決の手立てを考える学習プロセスを追認させていく点に,システムアプローチとしての特徴があるといえる.

    (2)「上山の地理的特性を生かして,上山の将来を考えよう!」
    地方都市が疲弊する中,地方における持続可能な地域社会の構築は重要課題である.本単元では,今回,授業実践を行った学校が位置する,山形県上山市を取り上げ,景観や地形図の判読による自然環境の学習と,人口や観光動態に関する統計資料の読み取りによる社会環境の学習を踏まえて,自然環境と社会環境によって地域がどのように構造化されているのかを理解し,地域の持続可能な将来像を考える地理学習を実践した.
    その際,関係構造図を用いて,地域の自然環境と自然環境の各事象の結びつきを考え,その関係性を可視化するとともに,ディスカッションを通じてその全体像について考えを深めた点にシステムアプローチの特徴があるといえる.

    III. 実践を通した考察と課題
    システムアプローチを用いた地理学習の実践により,現代的諸課題の複雑なシステムの構造に気付かせ,課題解決を進めることができた.中教審答申では学びの過程として,課題解決の在り方を,課題把握,課題追及,課題解決の3段階を想定しており,課題解決の学習プロセスとしても適正があるといえる.また,関係構造図を用いた地域学習では,地域を地理的に捉えるのに有効な図であるといえる一方,事象の結びつきを考えることや課題発見のための探究活動の時間を確保する必要を今後の課題として挙げることができる.
    また,システムは自然と社会・経済とを分けて扱うのではなく,総合的に扱う点に意味を持つといえる.
     
  • 大谷 侑也
    セッションID: 413
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    地球温暖化は近年の人類が直面している喫緊の問題である。そのような状況下、近年最も影響を受けているのが氷河である。アフリカにはキリマンジャロ、ケニア山、ルウェンゾリ山の3つの氷河があるが、いずれも10-20年後には消失するとの予測がなされている。中でも、世界遺産に指定されているケニア山の氷河は年約7~10mの非常に速いスピードで縮小している。このままのスピードで減少を続けると、十数年後には完全に消滅することが予想されている。もし山麓域の河川水、地下水がその消えゆく氷河を主な水源としているならば、将来的にその量は減少することが予想され、それが現実となった場合、地域住民生活および生態系に及ぼされる影響は大きいと考えられる。しかし本地域において、その氷河縮小がもたらす水環境の変化や地域住民への影響を調べた研究は未だ無い。当該地域の水資源を維持、保全する上でそのような情報を得ることは非常に重要である。  
    ケニア山の氷河縮小と山麓水環境の関係性を把握するため、2015年8月~10月、2016年7月~9月に現地調査を行った。ケニア山西麓および東麓の標高2000~5000mの間で河川水、湧水、氷河融解水、降水、湖水を採水し、現地観測を行った。その結果、ケニア山および山麓域で標高毎に採水された降水サンプルのδ18Oから、明瞭な高度効果(標高が高くなるにつれ酸素・水素同位体比の値が低くなる効果)が見られた。この高度効果直線の算出により、湧水および山麓域で利用される河川水の涵養標高を推定することができた。  
    西麓の標高1997m付近に流れ、住民に広く利用されるティゲディ川の酸素同位体比は−3.089‰であった。この値を今回得られた高度効果の直線(y = -469.35x + 3630.4)に代入すると5080.2(m)となる。その標高帯は氷河と積雪が多く存在することから、ケニア山西麓の河川水は氷河と降雪の影響を強く受けている可能性が高い。それを裏付けるように、今回の調査では山麓の河川水位が1985~2016年にかけて減少傾向にあることを示したデータが得られている。
    一方で、標高1972mの山麓湧水の酸素同位体比(−3.32‰)から、その涵養標高を推定すると5191.8(m)と算出されることから、山麓湧水においても山頂部の氷河と降雪が大きく寄与していることが示唆される。今回の結果から、地域住民に広く利用される水の涵養源に対して、氷河と降雪が少なからず寄与していることが判明した。したがって将来的な氷河の消滅は山麓住民の水資源の減少をもたらすことが予想される。 
  • 森脇 広, 永迫 俊郎
    セッションID: P016
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    鹿児島湾奥を占める姶良カルデラの南西縁は,更新世・完新世の旧海水準と噴火の資料が共在し,しかも歴史時代以降において桜島火山を中心とした姶良カルデラ火山地区の火山活動と地盤変動の関係が明らかにされているため,後期更新世・完新世の大規模カルデラの地殻変動と火山活動を検討する上で重要な資料を提供する.ここにおいて海成段丘とその堆積物の海抜高度,およびテフラと考古資料を使ったそれらの編年を基に,後期更新世・完新世における姶良カルデラの地殻変動を検討した.姶良カルデラは,後期更新世以降,大局的にはおよそ1mm/年の速さで隆起していることを示す. 細かくみると,10万年前~7000年前に0.7mm/年,7,000年前~550年前に1mm/年を示し,新しくなるにつれ,隆起が速くなっているようにみえる.歴史時代の火山活動と地盤変動の関係からみると,さらに長期間の後期更新世・完新世の隆起も姶良カルデラの火山活動に由来するものであると考えられる.今回の結果は,姶良カルデラの火山噴火を評価する上で一つの意味ある資料を提供すると考える.
  • 工藤 岳
    セッションID: S0405
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    高山生態系は最も気候変動に脆弱な生態系と考えられる。その理由として、寒冷環境に適応した生物群集から構成されていること、生態系の規模が小さく、隔離分布していること、多くの希少種・固有種から群集が構成されていること、生物の年生育期間が短いこと、微細なモザイク環境から生態系が構成されていることなどが挙げられる。日本の高山生態系は世界有数の豪雪地域に成立しており、高山生態系の生物多様性は、多様な積雪環境と雪解け時期の違いにより維持されている。したがって、気温変化のみならず、積雪環境の変動は、高山生態系に大きな影響をもたらすと予測される。気候変動に対する生物の応答は、(1) 生理的影響、(2) 分布変化、(3) 季節性の変化(フェノロジー)として現れ、その結果、生態系構造の変化や生物群集の多様性の変化が生じる。気候変動が高山生態系の構造と機能に及ぼす影響を検出・予測するには、長期モニタリングによるデータ集積が不可欠である。北海道大雪山系は日本最大の高山生態系であり、多くの高山植物が生育している。高山帯の年平均気温は近年、0.3 ºC / 10年のペースで上昇しており、雪解け時期は4日/ 10年のペースで早まっている。この変化と連動して、様々な生態系の変化が生じている。例えば、湿生植物群落(湿生お花畑)の急速な消失が報告されており、これは雪解けの早期化と夏季の気温上昇による土壌乾燥化の結果、湿生植物の種子生産が減少したためと考えられる(生理的乾燥ストレス)。また、森林帯に分布中心を持つチシマザサの分布域が急速に拡大し、高山植物群落への侵入が加速していることが示された。ササのような競合種の分布拡大は、高山植物群落の種多様性を低下させると危惧される。高山植物の種数はササの密度増大に伴い急速に減少し、ササの除去によって回復することが実験的にも示された。さらに、高山植物群落の開花フェノロジーは、気温や雪解け時期の変化に対して大きく変動することがモニタリング調査により明らかになった。シミュレーションの結果、夏の気温が1ºC上昇すると高山植物群落の開花ピーク期間(平年48.9日間)は5.7日短縮し、雪解けが10日早まることにより開花ピーク期間は7.8日短縮されると予想された。開花期間の短縮により、花資源を利用するマルハナバチなどの訪花昆虫も影響を受けることが予測される。以上の研究成果から、気候変動に伴う生物の個体群変動、分布域の変化、季節性の変化などがすでに高山生態系に現れていることが明らかとなった。気候変動を踏まえた高山生態系における生物多様性の減少、機能的影響評価、ならびに保全管理計画への取り組みが急務である。
  • 黒潮と捕鯨船が結んだ世界
    西岡 尚也
    セッションID: S1404
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
     JAMSTEC(海洋研究開発機構)では「黒潮親潮ウオッチ」において毎週水曜日に黒潮流路予測を更新しネットに公開していて大変興味深い.過去の最大蛇行には、紀伊半島沖から鳥島までの蛇行みられる.ここでは沿岸地域との交流以外に、鳥島との交流(漂流)に視点を当てて考察したい.
      髙橋(2016)によれば江戸時代を通して数十年おきに、鳥島に漂流民が漂着した.日本列島沿岸部の交流に黒潮が果たした役割だけでなく、鳥島のような「孤島」との関係でも黒潮の役割を忘れてはいけない.
     本発表では「①黒潮の蛇行」と「②鳥島漂流」さらに「③捕鯨船」に助けられたという偶然に注目し、黒潮と捕鯨文化そしてジョン万次郎の世界地図の意義まで拡大して考察を進めたい。これらは全て沿岸流「黒潮の存在」が結びつけた結果である.

  • ―石川県能美市舘集落を事例に―
    庄子 元, 吉田 国光
    セッションID: 517
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    農業従事者の高齢化と減少は,日本農業をめぐる今日的課題の一つに挙げられる。農業従事者が減少するなかで,離農した農家の跡地を継続的に利用し,耕作放棄を抑制することが求められている。離農者が増加する一方で,「定年帰農」による新たな担い手が生まれている。農業従事者が減少するなかで世帯内および世帯間でどのように労働力を調整し,いかに農地利用が継続されてきたのかを解明することは耕作放棄地の問題を考えるための基礎的理解につながると考えられる。 そこで本報告では,都市近郊中山間地域に位置する能美市舘集落を事例に,農業従事者が減少するなかでいかに農地利用が維持されてきたのかを,世帯員レベルの就業動向を,とくに年代や性別に注目して分析し,対象地域の就業動向が農地利用にどのように作用してきたのかを考察することから明らかにすることを目的とする。  研究対象地域である舘集落は,能美丘陵に位置する中山間地域であるものの,金沢市や小松市に通勤可能な地域である。舘集落の農業は水稲作が中心であるが,農地の排水状況は悪く,生産性は低い。そのため専業農家は少なく,第2種兼業農家が農地利用を担ってきた。  しかし,就業形態が変化してくなかで,農地利用形態も変容してきた。1934年以前に生まれた「昭和1ケタ世代以前」の就業先は,舘集落周辺か小松市であり,比較的近距離であった。また,1970年に農地の基盤整備が行われ,その際に各農家は水稲作の機械化を進めた。就業先の近接性と農業機械の導入による水稲作の省力化によって,昭和1ケタ世代以前では各農家が農外就業に従事しつつ,水稲作を自家で完結させながら農地利用を継続していた。一方,昭和1ケタ世代以前の子どもにあたる「子ども世代」では,就業地が舘集落周辺となる者は減少し,小松市と金沢市に通勤する者が増加した。さらに,就業形態が恒常的雇用労働へと移行したことで,子ども世代が水管理などの日常的な農作業を担うことは困難となった。子ども世代が担う農作業は,農業機械の操作や操作補助といった季節作業に限定された。また,昭和1ケタ世代以前の孫にあたる「孫世代」の就業地は,石川県南部で広く展開し,石川県外への転出も増加した。そのため孫世代に基幹的農業従事者はおらず,農業機械の操作を担う者は2人のみである。日常的な農作業を担っていた昭和1ケタ世代以前が農業からリタイアすると,離農する世帯が増加していった。  こうしたなかで舘集落では,集落外の農事組合法人への農地貸付によって農地が利用されるようになり,農地利用の主体が個別世帯から広域化していった。この要因として,集落内の農家や地縁集団が農地を請け負える余力を有していなかったことが挙げられる。舘集落における農地利用は他集落の法人によって継続されてきたが,他出していた子ども世代が2010年に定年帰農し,これ以降に離農した世帯の農地は,定年帰農した世帯に貸し付けられるようになった。新たな農地利用の主体は再び狭域化していった。さらに農業インフラの管理作業には,集落の環境や景観を維持するという目的から移住してきた非農家も参加している。  以上のことから,農業機械の普及以降,農地利用は世帯内で世代を通じて継続される事例は少なかった。農地の農業的な利用は,その利用主体を個別世帯から集落外の法人,集落内の定年帰農者と移行し,継続されてきた。さらに,農地を保有していない移住世帯も,農業インフラの整備に携わることで農地利用の維持を支える主体となっていた。集落内外の農家・法人が農地の農業的利用,集落内の農家・非農家が農業インフラの整備と,それぞれの役割を果たすなかで農地利用が維持されてきたといえる。他方,農業機械を操作できる住民や他出子は着実に減少しており,将来的には担い手が不足する。そのため,現在の農地利用の維持基盤に継続性はなく,今後の対策を考えていく必要はあろう。
  • ―ナミビア北中部Afoti村を事例に―
    庄子 元, 藤岡 悠一郎, ハンゴ ヴィストリーナ
    セッションID: P058
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに  ナミビア共和国(以下,ナミビア)はアフリカ南西部に位置する乾燥帯の国である.ナミビア中・南部は白人が大規模な私有農地において商業牧畜を経営している一方で,北部ではオヴァンボなどの民族が,主食であるトウジンビエを中心とする農業と牧畜業を組み合わせて暮らしており,自給的な農牧業地域となっている.ナミビアは農耕の乾燥限界であるが,2013年から連続して干ばつが発生し,農牧業に甚大な被害をもたらしている.本研究は,ナミビア北部において,干ばつの連続的発生という危機的な気象災害に対し,農牧民がどのようにして食糧を確保し,また,どのようにして資産を保有しているのかについて明らかにする. 2.方法  調査対象であるAfoti村(以下,A村)は,ナミビア北部に位置し,北部の中心都市であるOshakati市からは直線距離にして約45㎞離れている.  本研究の調査は,A村の38世帯を対象に実施し,2014年10月~11月に世帯構成や収入に関する聞き取り調査を,2016年12月~2017年1月に干ばつの被害状況と対応についての聞き取り調査を行った. 3.結果と考察 1)トウジンビエの収穫量と貯蔵量  干ばつによる被害はA村でも確認され,世帯の多くが2015年,2016年ともに十分な収量のトウジンビエを確保できていなかった.一方,トウジンビエの貯蔵量については,2013年から貯蔵していないという世帯もあるものの,多くの世帯では消費量ほど貯蔵量が減少しておらず,年間の世帯消費量以上を蓄えている世帯も多くみられた。 2)干ばつ下における食糧確保  A村において,食糧を確保する最も重要な手段として認識されているものは,「政府による干ばつ支援」であり,年間100㎏前後のトウモロコシ粉が供給されていた.これに次いで重要と認識されている手段は「購入」であり,トウモロコシ粉や米などが購入された.また,購入資金において最も大きい割合を占めているのが年金であった.したがって,A村では,政府からの物的および金銭的な支援によって食糧を確保している. 3)物々交換(oshasha)による資産保有  A村では干ばつによって死ぬ家畜が増加していた。このうち大部分の牛は小分され,村内に居住する世帯と,トウジンビエに物々交換された.こうして得られたトウジンビエは,食糧として消費されるだけではなく,その一部は貯蔵されている.したがって,物々交換は食糧確保とともに,干ばつによって死んだ牛という資産を,トウジンビエという形態に変えて保有するという役割も果たしている.   付記 本研究は,地球規模課題対応国際科学技術協力(JST/JICA)「半乾燥地の水環境保全を目指した洪水-干ばつ対応農法の提案(代表 飯嶋盛雄)の一環として行った。
  • 駒木 伸比古
    セッションID: P070
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究背景と目的
    990年代に進められた大型店出店の規制緩和は店舗の大型化と複合化をもたらした。その結果,郊外へのショッピングセンターの立地が多くみられるようになった。そのなかでも,複数の核店舗と専門店街,映画館などのアミューズメント施設を併設した「巨艦店」は,地域経済および生活行動に対し,広範囲にわたって大きな影響を与えてきた。ところで,こうした巨艦店は郊外における農地や工場跡地,高速道路インターチェンジ付近のような場所に多く出店するとされてきた。しかしながら出店場所における過去の土地利用状況を対象とした研究は管見の限りみられない。こうした出店場所の過去の土地利用状況の傾向を具体的に示すことは,巨艦店の出店行動や土地利用政策との関連について考察する際の指標になると考えられる。そこで本発表では,2000年年代以降に出店した巨艦店の出店場所における過去の土地利用状況の特徴を明らかにすることを目的とする。

    2.分析手法
    まず,大規模小売店舗立地法に基づき出店届出のあった店舗のうち,合計店舗面積が10,000m2以上のものを「巨艦店」としてリストアップし,アドレスマッチングにより緯度経度を取得した。次に,国土地理院「地理院地図」の空中写真・衛星写真データを利用して,出店場所の土地利用状況を判読した。その際の対象年次は,データが全国的に提供されている1974~1978年(一部1979~1983年)とした。

    3.分析結果―九州地方の事例
    図は,九州地方における2000~2015年度にかけて出店届出のあった全88件の巨艦店を対象とし,出店場所における1970年代の土地利用状況を示したものである。最も多かったのが農地であり37件(42.0%),次に工場が多く18件(20.5%),続いて海域12件(13.6%)となり,上位3種で約8割を占める結果となった。農地については圃場整備などによって区画整理された農地がバイパス道路などの開通によって転用されたケース,工場については移転や閉鎖によって未利用地となった区画を利用したケース,そして海域については埋め立てなどの港湾整備に基づいて生成された区画を利用したケースであると考えられる。また県による土地利用傾向の違いも見られ,たとえば佐賀県のようにすべてが農地であったケースや,沖縄県のように半数が海域であったケースが認められた。このように,出店場所における過去の土地利用状況を分析することで,巨艦店の出店動向を都市化・市街化や地域の開発状況,経済状況,都市政策動向などと関連付けて把握することが可能である。発表当日は,九州地方以外の他地域における状況や現在の都市計画区域・用途地域の指定状況,人口動態などとの関係もふまえながら,分析結果について報告する。

  • 藤岡 悠一郎, 高倉 浩樹, 後藤 正憲, 中田 篤, ボヤコワ サルダナ, イグナチェワ ヴァンダ, グリゴレフ ステパン
    セッションID: P040
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    気候変動や地球温暖化の影響により、シベリアなどの高緯度地方では永久凍土の融解が急速に進行している。そのプロセスやメカニズムは、地域ごとに固有の自然環境や社会環境要因によって異なり、各地域における現状や環境変化のメカニズムを把握する必要性が指摘されている。また、そのような環境変化に適応した生業・生活様式を検討し、社会的なレジリエンスを高めていくために、地域住民や行政関係者、研究者などの多様なステークホルダーが現状や地域の課題を認識する必要がある。本研究チームでは、現地調査によって気候変動の影響を明らかにすることと、その過程によって明らかになった諸科学知見を、教育教材の作成を通じて地域住民に還元することを目的として共同研究を進めている。そして、2016年から自然系科学者と人文系科学者との共同調査を東シベリア・チュラプチャ地域において開始した。本発表では、現地の住民が地域で生じている環境変化をどのように認識しているのかという点に焦点を絞り、結果を報告する。

    2.方法
    2016年9月にロシア連邦サハ共和国チュラプチャ郡チュラプチャ村(郡中心地)において現地調査を実施した。衛星画像を基に現地踏査を実施し、永久凍土融解の実態を把握した。また、チュラプチャに暮らす住民5名を対象にトピック別のグループ・インタビューを実施し、彼らの認識について把握した。さらに、チュラプチャ村近郊のカヤクスィト村において、現地観察および住民に対する聞き取り調査を実施した。

    3.結果と考察
    1)チュラプチャ村と周辺地域では、永久凍土が融解することによって形成されるサーモカルストが顕著に発達していた。現地踏査の結果、耕作放棄地において融解の進行が顕著であった。また、耕作放棄地に住宅が建築された場所では、住居近くにサーモカルストが形成され、盛り土などの対応を迫られていた。

    2)住民は永久凍土の融解がこの地域で広域的に進行していること、特に耕作放棄地で融解が深刻であり、タイガのなかでも部分的に認められること、融解が2000年頃から急速になったことなどを認識していた。本地域における環境変化の問題としては、永久凍土の融解に伴う住宅地の盛り土の必要性や農業・牧畜に対する問題が語られたが、同時に、降水量の減少による干ばつの発生や雪解け時期の早まりなどの問題も重要視されていた。

    3)融解の速度が場所によって異なる点について、住民はそのメカニズムを認識していた。例えば、耕作地では、畑を耕起することで土壌表層に空気が入り、断熱材代わりとなって熱が永久凍土に伝わりにくく、耕作放棄地では土壌が圧縮されることで熱が地中まで伝わり、サーモカルストが発達することなどが指摘され、ソ連崩壊やソフホーズの解体が遠因であるとの認識が示された。今後、自然系の研究成果との関係などを考察し、教材としてどのような知見を共有していくのか、検討していく予定である。

    付記 本研究は、北極域研究推進プロジェクト(ArCS)東北大学グループ「環境変化の諸科学知見を地域住民に還元する教育教材制作の取組」(代表 高倉浩樹)の一環として行なわれている。
  • 京都府和束茶を事例に
    高柳 長直, ドウ エミ, 木村 健斗, 竹内 重吉
    セッションID: S1308
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    農村空間の商品化を促す一つの原動力は,生産主義のパラドックスである。これは,農業の生産性を高めれば高めるほど,農業労働力は減少することになるので,農村における農業の地位が低下することを意味する(Woods,2011)。その結果,農村が農産物を単に供給するだけではなく,ツーリズムや地域ブランドといった形で農村空間の商品化が図られる。日本の農村地域もこれをある程度経験したが,欧米先進国の状況とは異なり,農業の規模拡大は進展は遅く,効率性の向上も不十分である。したがって,農業の生産者が農業部門だけで所得増加を図ることに限界があるので,他の部門を組み込む必要があるのである。すなわち,地域資源を活用しながら農林漁業者(第1次産業)が,加工部門(第2次産業)や流通・サービス部門(第3次産業)を地域内で取り込むことによって,経営の向上を図ったり,地域経済を振興したりする六次産業化である。そこで本報告では,六次産業化の視点から,農村空間がどのように商品化されてきたのかというプロセスを明らかにするとともに,その特徴について議論したい。

    Ⅱ 和束町における六次産業化の経過
    和束町は京都府南部に中山間地域に位置している。2010年現在,販売農家数301戸のうち9割近い266戸で茶を生産している。和束町の茶の生産金額は京都府全体の4割を占め,宇治茶の茶葉生産の中枢である。農家が生産したほとんどの荒茶は,JAもしくは仲買商を通じて京都の茶問屋に流通していく。和束町の生産者は,基本的に茶葉の生産に特化していればよく,典型的な生産主義に基づく農産物産地であった。
    生産主義農業は拡大基調が続く限り安泰であったが,2000年代半ばになると産地内で将来への不安を抱く人が現れた。茶業界をみると,ペットボトルの茶飲料は好調な販売を続けているが,急須で淹れる単価の高いリーフ茶については2004年をピークに需要が減少傾向にあるからである。宇治茶は日本茶のトップブランドであり,日本国内のみならず世界でも著名であるが,和束の名は近畿地方以外ではほとんど知られていなかった。
    そこで,町内産の茶を「和束茶」として地域ブランド化する取り組みが行われている。茶を使った加工品を開発し,農家が独自の流通ルートで販売,観光客を呼び込んで,「茶源郷」として地域全体として六次産業化を図っている。六次産業化の取り組みとしては,和束茶ブランドでの販売,茶加工品の開発,ホテルでのフェア開催,ガイドツアーの実施,茶料理の提供,直売所の運営,茶源郷まつりといったイベントの開催などである。

    Ⅲ 六次産業化による農村空間の商品化の特徴
    和束町の六次産業化は,農村空間をブランド化して観光客を呼び込んだり,あるいは都市部の消費者に対して,茶を使った様々な食品や料理を販売したりする取り組みである。その特徴として三つの点があげられる。
    第1に,農村空間の景観はオーソライズ化されることで,ブランド化が図られるということである。このオーソライズ化とは,特定の空間を公的機関や第三者機関が優れた景観だということを認め,権威付けをすることである。和束町の茶畑は,2008年に和束町の茶畑が京都府景観資産に登録,2013年には「日本で最も美しい村」連合に加盟,さらに2015年には日本遺産にも登録され,世界文化遺産への登録も目指している。このオーソライズ化は,地理的スケールがローカルからナショナル,さらにはグローバルになるに従って,権威が高まる。
    第2に,和束町の六次産業化の取り組みは,茶葉を生産している農家だけではなく,多様なアクターが関与していることである。実は,和束町の六次産業化において農家自体は欠かすことのできない存在であるが,むしろ町内の非農家や地域外の人々の役割が重要である。和束茶プロジェクトで重要な役割を果たしている雇用促進協議会の職員6人のうち,4人は町外の出身である。ガイドの会の構成メンバー12人のうち4人は町外からの移住者である。和束茶カフェに出品している農家の経営者にも,大阪の非農家出身の人や中国・大連出身で茶農家に嫁いだ人がみられる。
    第3に,農村空間の商品化は場所の魅力を高め,移住を促進していることである。農繁期の労働力確保が課題であったが,2014年から外部から援農者を導入する取り組みを行っている。これは単なるアルバイトではなく,地域農村の魅力をとくに都市の若者に対して肌で実感させている。この結果,2年間で6名が定住することになった。
    以上のように,農村空間の商品化は,農産物の商品化よりもダイナミックに農村と外部の世界とつなげている。農村空間で六次産業化することは,農家や加工・流通業者だけではなく,非農家や都市住民を巻き込んだ取り組みだと言えよう。
  • 田村 賢哉
    セッションID: S1105
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    2016年12月に中央教育審議会より新設される地理歴史科目の具体的な内容が提示された。これまでの「地理A・地理B」という構成を抜本的に変え、「主体的・対話的で深い学び」を意図した授業の実施を強化することで、「暗記科目」という印象からの脱却が期待できる。  新しい教育は理念として優れている一方、先進的であるために教員のスキル修得が追いつかず、導入の軋轢が存在しているのも事実である。新設の地理総合」も例外でなく、地理教員不足や教員のスキル不足が懸念されている。 こういった課題に対し、「地理総合」導入に向けた各方面からの取り組みが求められる。学術機関としては日本学術会議地理教育分科会を中心に地理教育の学術支援を検討しており、多くの地理学研究者の参加が望まれる。また国土地理院でも2015年にから国土地理院のコンテンツを利用した教材開発などの地理教育支援の取り組みを実施している。民間非営利組織では、NPO法人 伊能社中が2011年からGISを中心に地理教育支援を展開してきた。 本発表では、民間非営利組織として伊能社中における地理教育支援の取り組みを紹介し、ボランティアとしての地理教育支援の可能性について整理する。
  • 千葉県,高知県他を事例として
    中村 周作
    セッションID: S1405
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では,黒潮文化圏における伝統的魚介類食について,主要ないくつかの県,たとえば千葉県,高知県他の具体的な事例をもとに,この圏域の飲食文化にみられる地域的共通性と特異性について考察を試みる。研究方法として,文献等より抽出した各地の伝統的魚介類食に関して,食材他諸要素の分析を通じて地域的共通性と特異性を見出す。さらに,各地の主要な伝統食および,それらに関するイベントなどの実地観察調査の成果を紹介する。

    2015(平成27)年の都道府県別魚種別漁獲量(属人)統計より,主な県になじみ深い魚種をあげる。千葉県では,生産量の多い順にサバ類(県全量比の32.4%),イワシ類(同31.8%),ブリ類(9.7%)の他,スズキ類が全国1位,コノシロ全国2位,貝類が全国3位の生産をあげている。一方,高知県では,カツオ類(28.4%),マグロ類(24.4%),イワシ類(21.4%)の他,カジキ類が全国2位となっている。この他の主要な漁業県をみると,静岡県では,カツオ類(39.5%),サバ類(27.8%),マグロ類(14.8%),イワシ類(18.5%)の他,貝類が全国4位である。三重県では,イワシ類(42.6%),サバ類(17.4%),カツオ類(17.1%),マグロ類(9.7%)の他,イサキが全国4位,イカナゴが5位である。和歌山県では,イワシ類(26.5%),サバ類(23.6%),アジ類(16.1%)の他,タチウオが全国3位である。宮崎県では,イワシ類(49.9%),マグロ類(15.1%),サバ類(12.0%),カツオ類(11.2%)となっている。これらは,属人統計ゆえに厳密に言えば地産魚介ではないし,今日の全国流通の中にあっては,これらが地元で食べられているとは言いがたいが,少なくとも各地において,馴染みの深い料理(食材)であるということができる。

    農文協『日本の食生活全集』(全50巻)は,昭和初期に各地で食べられていた食に関する聞き書きをまとめたものである。本シリーズ中に魚介類料理が,のべ2,888品目あげられている。主な県についてみると,千葉県では,計101品目記載された中,食材としてはイワシ(掲載数15),アサリ9など,静岡県では,64品目中ボラ10,カツオ6など,三重県では,57品目中イワシ7,サンマ6など,和歌山県では95品目中カツオ10,クジラ9など,高知県では57品目中サバ5,カツオ,ソウダガツオ,マグロ,アユ(各4)など,宮崎県では44品目中イワシ5,アジ5などが出てくる。こうしてみると,イワシ,カツオ,サバ,アジが濃淡はあるもののほぼ全域,サンマが和歌山以東など広域で食されるのに対し,局所的に出てくるのが静岡のイルカ3,和歌山のクジラ,高知のマンボウ,ウミガメ,宮崎の棒ダラ,ムカデノリなどであった。次に,複数県にまたがって出てくる料理数を各県別にあげると,和歌山県18,高知県16,静岡県13,千葉県12,三重県11,宮崎県10となる。黒潮にのって西へ東へと移動しつつ,各地に定着した紀州漁民が伝えた料理の多いことが推測される。主な料理としては,「ドジョウ汁」(5県),「イワシなどのつみれ」,「カツオの塩辛」,「アサリ飯・味噌汁」(各4県),「サバずし」,「サンマずし」,「アユのせごし」,「カニ巻き汁」(各3県)などが出てくる。

    最後に,発表者が,今まで取り組んできた宮崎県の「こなます」,「ムカデノリ」,「棒ダラの煮付け」,「塩クジラの麦がゆ」他,高知県の「やえこ」他,千葉県のカツオ料理他の伝統的魚介料理の実地・実食調査の成果を紹介する。





  • 松宮 邑子
    セッションID: 706
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在―ゲル地区の捉え方 モンゴル国の首都ウランバートルには、近年の顕著な人口増加とともに拡大を続けてきた「ゲル地区」とよばれる居住地がある。現在は都心部のアパート・高層ビルを囲み郊外へと広がるゲル地区だが、そもそも都市形成初期段階にはウランバートル一帯がゲル地区であった。「近代的」都市建設は第二次世界大戦以降、ソビエト社会主義共和国連邦の指導下において進められ、ゲル地区は都心部から徐々にアパート化された。しかしアパート建設は都市人口の増加には追い付かずゲル地区は残り、民主化以降も続く住宅不足に加え土地法による敷地の私有地化が拍車をかけ、ゲル地区は拡大の一途をたどった。 本発表では、既往研究において、都市にゲルの広がる光景は「特異」であり、インフラの無い生活環境をはじめ存在自体を都市問題と位置づけられてきたゲル地区について、そもそも「特異」な光景を形成するに至った背景、つまりは都市にゲルが広がる所以について検討したい。報告者はウランバートルの都市化について、移動を常とする遊牧社会から都市定住社会への移行過程、言い換えれば文明史的な転換が同時代史として進行する姿だと考える。その過程において、都市形成初期から今日まで続くゲル地区の存在はまさに都市化の最前線といえよう。ゲル地区が都市への移住やゲルの設置、固定家屋の建設といった居住者の行動を通してつくられた居住地であることをふまえれば、その形成過程に着目するのは必然である。そもそもなぜ、冬場には-30℃にまで気温が下がるウランバートルにおいてゲル地区という半ば自然発生的な居住地が形成・存続可能なのだろうか。 2.ウランバートルの都市化を考える3つの重要点 そもそもウランバートルが「特異」と形容されるのは見た目によっての判断であり、都市の形成過程や構造をふまえて他都市と比較考察された結果にはよらない。そこで、ウランバートルの都市化および人口集中を検討するにあたり重要と考える要素を3点あげた。 ①遊牧生活という伝統的生活様式  遊牧生活に起因する移動や住環境に対する概念、ゲルという住居の利便性は重要な特徴である。季節毎の居住地移動を常としてきた人は一所に定住する人に比べ移動への抵抗が少なく、都市への移住が物理的・概念的に容易なのではないか。また元来、上下水道や冷暖房の無い生活が当前であり、その生活環境は移住後のゲル地区と大差ない。 ②寒冷・乾燥な気候 寒冷な気候下において住居の有無は生死に係わるが、元来のゲルを伴う移動により移動先でも住居が保障され、どこでもすぐに生活を開始できる。また、集住において問題とされてきた伝染病が発生しにくいという利点もある。 ③社会主義体制における「近代化」 社会主義時代の都市建設において、ゲル地区が一掃されず一種の「合法的」居住地として扱われたこと、郊外に広大な土地を残したことは、民主化後に人々が「とりあえずゲルを持参して移住しウランバートルで生活をはじめる」ことを可能にした。 3.ウランバートルにおけるゲル地区の位置づけ 社会主義時代、「近代化」の一端としてアパート建設が進められるも、住宅不足の中でゲル地区は居住地として機能し続けた。民主化後、国内移動の自由化や経済停滞、土地私有の開始により都市人口が増加する一方で住宅不足が続く中、「ゲル持参での移住」は当然となり、ゲル地区はさらに拡大した。2015年現在、ウランバートルでは約33万世帯のうち60%がゲル地区で生活する。再開発や住環境をめぐり折につけ問題化されるも、ゲル地区の開発は環境・資金・土地私有などの点から極めて困難であり、すでに過渡的でなく恒久的な居住地として位置づけられつつある。ゲル地区は文化的、社会的、環境的条件が複雑に絡み合って形成された「特異な」居住地であるといえよう。
  • 福井 幸太郎, 飯田 肇
    セッションID: 416
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    2016年冬の記録的な少雪の影響で、同年9~10月にかけて飛騨山脈北部の雪渓や氷河は20年ぶりといわれるほど大幅に融解した。本発表では、博物館が2009年から観測を行っている飛騨山脈北部の氷河・雪渓の融解状況についてUAVやヘリコプターを用いて撮影した空中写真や地中レーダーによる雪渓断面の観測結果、雪尺を用いた質量収支観測結果について報告する。
    剱沢雪渓
    越年する面積が約0.26 km2に達する日本最大の多年性雪渓である。2016年秋に中央部2カ所で雪渓が消失し河原が露出、雪渓は大きく3つに分割された。 2013年8月17日の地中レーダー観測の結果から、武蔵谷、平蔵谷、長次郎谷など支流の合流点(出合)では、厚さ18 m前後の氷体が存在するが、それ以外では存在しないことが判明していた。氷体が無い場所で2016年秋に雪渓が消失した。
    白馬大雪渓
    越年する面積が0.17 km2に達する多年性雪渓で、白馬岳山頂に通じる日本屈指の人気登山ルートが雪渓上に設置されている。2016年秋、支流の三号雪渓から下流側でスノーブリッジの崩落やクレバスの発達が激しく、同年9月1日に登山ルートが通行止めになった。2015年10月21日の地中レーダー観測の結果から、二号雪渓の合流点から下流側200 mでは、雪渓の厚さが20 mと厚いものの、それ以外の部分は厚さ5~10 mと薄いことが分かっていた。この雪渓は面積の割に全体的に薄く、融解が進んだ年にはかなりの部分が消失してしまう可能性があったといえる。
    御前沢氷河
    立山の主峰雄山の東側に位置する面積0.12 km2の氷河である。2016年は9月に入ると氷体が表面に露出し、中央部や末端のモレーンが大きく露出したものの、剱沢や白馬大雪渓のようにスノーブリッジの発達はみられない。氷河上4カ所で実施している雪尺を用いた質量収支観測によると2011/2012年は平衡線高度が2660 m付近であったが、2012/2016年は質量収支(4年間の平均)が氷河全域でマイナスであった。
    内蔵助雪渓
    立山の真砂岳の東側に位置する面積が0.04 km2の多年性雪渓である。厚さ30 mに達する氷体をもつ。2016年は表層にムーランが20近く表面に出現した。 出現したムーランの深さの測定や地中レーダーによる雪渓断面観測から内蔵助雪渓の氷体の厚さは25~30 mで30年前の1988年とほとんど変わっていないことが分かった。
  • 南房総と土佐の岡(郷)・浜(浦)集落に注目して
    中西 僚太郎
    セッションID: S1403
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在
    房総半島の特徴ある沿岸集落として、地理学では九十九里平野の事例がよく知られている。地名の語尾に「納屋」ないしは「浜」という名称をもつ集落が沿岸部に分布し、その親村である集落が内陸部に分布する。内陸部の集落は「岡集落」、沿岸部の集落は「納屋集落」と命名され、「納屋集落」は漁業集落であり、近世期に、イワシ地曳網漁の発達によって、「岡集落」から派生したものとされる。
    ところで、房総半島南部(南房総)には、九十九里平野と類似しながらも、異なったタイプの地名をもつ集落が分布する。浜勝浦、浜行川、浜波太など、地名の語頭に「浜」地名をもつ集落である。これらの集落は如何なる性格を有する集落であるのか、また、南房総は黒潮流域の東端に位置するが、類似のタイプの地名と性格を有する集落は、他の黒潮沿岸にも分布するのであろうか、という点が本研究の基本的な問題意識である。そこで本研究では、南房総の沿岸集落の特性を、語頭に「浜」地名をもつ集落の事例を手掛かりに考察し、黒潮沿岸の比較研究の対象として、高知県(土佐)の西南部に位置する幡多郡の沿岸集落をとりあげて検討を行った。
    2.南房総における「岡」集落と「浜」集落
    房総半島全体に共通することであるが、南房総では近世期に、紀州などからの関西漁民の出漁により漁業が盛んになった。その結果、単純化してとらえるならば、農業主業・漁業副業的であった沿岸集落(藩政村レベルの村)の中に、漁業に特化した地域集団が生成したと想定される。そして、農業を主とする地域集団(岡)と漁業を主とする地域集団(浜)との間で利害関係の対立が生じる(いわゆる「岡・浜争論」)とともに、「浜」の「岡」からの分村運動が発生する場合があった。このような経緯で、分村が実現した(あるいは「浜」が主たる集落となった)事例が、地名の語頭に「浜」の名称をもつ集落であったと考えることができる。また、分村は実現しなくとも、近世期に集落内が「岡」と「浜」に分かれていた事例は、南房総では内房地域に比較的多くみられる。
    3.土佐における「郷」集落と「浦」集落
    高知県(土佐)の幡多郡では、一つの大字(藩政村)の中に、農業集落である「郷」と、商業機能や港の機能も兼ね備えた漁業集落である「浦」の両方の集落を内包する事例がいくつか認められる。貝ノ川(貝ノ川郷、貝ノ川浦)、下川口(下川口郷、下川口浦)などがその好例である。土佐の幡多郡では、南房総と同様に、近世期に紀州からの漁民の出漁によって漁業(主にカツオ漁)が盛んになっていった。これらのことから、同一大字内の「浦」集落は、近世期に漁業が発展していった結果、「郷」集落から分離したものと想定することができる。
    4.紀州における沿岸集落の特性
    以上のような、南房総と土佐の事例をふまえて、紀州の沿岸集落を検討すると、近世期に全国各地へ漁民の出漁がみられた海草郡、有田郡、日高郡では、南房総や土佐の幡多郡における、「岡」と「浜」、「郷」と「浦」のような関係性をもった沿岸集落は、初島町(椒村)の「里」と「浜」などの事例がみられるものの、その例は比較的少ない。このことは、紀州のこれらの地域は漁業の先進地域であり、近世以前から漁業が盛んな集落が多く、近世期に新たに漁業集落が生成・発展するケースが少なかったためと考えられる。
    参考文献
    後藤雅知 2001.『近世漁業社会構造の研究』山川出版社.
    荻 慎一郎 2003. 近世後期における小浦の生業・生活と浦庄屋―土佐国幡多郡尾浦を中心に―.人文科学研究(高知大学)10: 1-30.
    荻 慎一郎 2006. 近世後期における土佐藩領の浦―東灘と西灘の比較を中心に―.人文科学研究(高知大学)13: 1-25.
  • 池 俊介
    セッションID: 804
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
       近年、ドイツを中心とするヨーロッパ諸国においては、断片的な知識や技能を重視するのではなく、人間の全体的な能力である「コンピテンシー」として教育目標を定義し、それに基づいてナショナル・カリキュラム(日本では学習指導要領に相当する)を開発する動きが広がっている。その背景には、従来からの「教育内容」中心のカリキュラムから「資質・能力」育成を重視するカリキュラムへの転換、すなわち「何を知っているか」だけでなく、「それを使って何かができる」ことを重視しようとする国際的な教育界の潮流が存在している。 課題の解決に必要な資質・能力であるコンピテンシーを重視する動きは、当然ながら日本の教育界にも大きな影響を与えており、とくに2014年3月に文部科学省の有識者会議「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容のあり方に関する検討会」が「論点整理」として報告書を公表して以降、コンピテンシーを重視したカリキュラムの構造的な見直しに向けた活発な議論が展開されている。 今後、地理教育が現代的な諸課題の解決に積極的に貢献して行くためには、当然ながら地理的な知識の習得を図るだけでは不十分である。とくに、学校教育においてESDの普及が進むなか、地球環境問題や経済的な地域格差等の問題を解決するためのコンピテンシーの育成が急務とされており、ESDを担う中核的分野である地理教育に対してコンピテンシー育成への貢献が強く求められている。地理教育の意義や価値が社会的に広く認知され、学校教育における地理教育の存在意義を明確に示すためにも、コンピテンシーの育成に地理教育が積極的に関わる必要がある。 そこで、本発表では、コンピテンシーの育成を重視したナショナル・カリキュラムに基づく教育が進められているポルトガルを事例として取り上げ、地理教育で育成が目指されているコンピテンシーの内容を検討するとともに、その課題を明らかにすることを目的とする。
      ポルトガルでは、1986年に教育制度基本法が制定されて以降、抜本的な教育改革が進められてきた。とくに、2001年には『基礎教育ナショナル・カリキュラム-必要とされるコンピテンシー-』が公表されたが、その中で教科横断的な一般的コンピテンシーとは別に、「地理」を始めとする主要教科で育成すべきコンピテンシーの内容が示された。ポルトガルにおける地理教育は、基礎教育第1期(第1~4学年)では「環境学習」、第2期(第5~6学年)では「ポルトガル歴史・地理」、第3期(第7~9学年)では「人文・社会科学」の中で行われているが、『ナショナル・カリキュラム』では、この9年間を通じて「地理」で育成すべきコンピテンシーが体系的に示されている点に大きな特徴がある。
       『ナショナル・カリキュラム』の「地理」では、第1期が「地理的環境の発見」、第2期が「ポルトガルの地理的空間の発見」、第3期が「ポルトガル・ヨーロッパ・世界の発見」の段階として位置づけられ、それぞれの時期ごとに「専門的コンピテンシー」と、具体的な活動内容を示した「学習経験」が記述されている。このうち「専門的コンピテンシー」は、「位置」「場所・地域に関する知識」「空間の相互関係のダイナミズム」の3領域から構成され、発達段階に応じたコンピテンシーの育成が企図されている。 コンピテンシーへの関心が高まる中で、教科学習の現代的課題に正面から取り組むことなく、思考プロセスにおけるスキル指導だけが導入される危険性が指摘されているが(石井2015)、ポルトガルの場合、少なくともナショナル・カリキュラムのレベルでは地理学習固有の概念や方法を踏まえたコンピテンシーの育成が目指されている。
  • 小林 岳人
    セッションID: 802
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    地図の学習は地理学習のほか、日常生活、見知らぬ土地、レクリエーション、変災時などで利用できる実用的な側面も要求される。自然災害に頻繁に見舞われる日本では防災の視点から、海外での利用のようなグローバルな視点から、空間的な情報の伝達やコミュニケーションのツールとして地図の学習に対しての社会的な期待は大きい。地図の学習は学校教育はもちろん、社会教育などあらゆる教育の場面を含めた生涯学習において必要である。 このような地図の学習の基本は、地図で示されたところが現地のどこであるか、現地がどのように地図で表現されているか、という「地図と現地との照合」の技能にある。これは「地図読図技能」と「現地観察技能」に基づくものであり、さらに「ナヴィゲーションの技能」につながるものである。学校教育においては地理教育が担うものであり、これらは、地理教育における地図学習と野外学習の接点に位置付けられる。そしてこの技能はオリエンテーリングによって学習、習得することができる。地図学習では実用的な地図利用方法の習得が課題とされ、野外学習ではどこでもできる共通の学習内容が課題とされている。オリエンテーリングを授業で実施することはそれぞれの課題の解決ともなり、学習した技能は地理の学習を深めるだけではなく日常生活においても役立つ。教員1名生徒40名といった学校での標準的な授業において野外での地図を扱う効果的な学習形態として他に見当たらない。 オリエンテーリングにおける学習体系・指導体系についてはオリエンテーリング競技の視点において研究が進められているほか、教育の視点においては野外活動の領域で行われている。期待される効果のためにはオリエンテーリングを地理学習の視点から体系的系統的にとらえる必要がある。授業での実践や分析と諸外国におけるオリエンテーリング指導に関する文献や実例からオリエンテーリングの学習体系を考えると、距離やコントロールの位置などのコース設定とともに実践の場所とその地図に大きく関係しており、地理・地図学習の視点と一致する。学校敷地のオリエンテーリング地図(1:2000)、近隣公園(1:3000)、大規模公園(1:5000)、森林(1:7500)と順に場所と地図の縮尺を変えたオリエンテーリングの実践となり、それに伴い地図と現地との照合技能はスパイラル的に深化していくと考えられる。 オリエンテーリングは学校教育において地理教育以外でも教科・科目の枠組みを越え教育の多方面にわたってそれぞれの場面に見合った効果をもたらすことができる。クロスカリキュラム、コラボレーションなどの視点を包括している。地理以外の授業、部活動、学校行事など、学校教育でのいろいろな場面で、それぞれに見合ったテーマを伴うことができる学習である。興味を持った生徒を競技会へ誘い、将来的に社会教育のなかでの活動につながる。土地への興味という観点からは地図や地理に関しての生涯学習となろう。多方面でのオリエンテーリングの活用に際しても学習体系の考え方は必要である。 従来は「何を学ぶか」を中心にしていたが、次期学習指導要領では「何ができるようになるか」が軸となっている。そのため、これを実現するために「どのように学ぶのか」が強調されており「学び」の本質として重要になる主体的で深い学びの実現を目指す授業改善の視点がアクティブラーニングの視点であるとして生徒が主体的に参加する授業づくりを強く求めている。また、地理は「地理総合」として必修科目となる。その一つの柱はGISである。GISを活用して精細なオリエンテーリング地図を作ることでその土地に価値(読図学習、楽しみ)を与えることができる。オリエンテーリングを地理学習で扱うことは相応しい。
  • 世界最初の産業革命地・マンチェスターと日本の比較より
    岩間 英夫
    セッションID: 302
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    発表者は、日本における産業地域社会の形成と内部構造をまとめ、2009年に公刊した。企業城下町に特色を持つといわれる日本において明らかとなったことは、世界の一般性に通じるのであろうか。この解明には、最小限、世界の産業革命発祥地で近代工業の原点である、イギリスのマンチェスターとの比較研究が重要となる。マンチェスターの事例研究については、2016年日本地理学会春季学術大会(早稲田大学)において発表した。本研究の目的は、マンチェスターと、同じ綿工業からスタートした尼崎、ならびに日本の主要な産業地域社会との比較研究より、工業の発展に伴う産業地域社会の形成と内部構造、内的要因、内部構造の発達モデルと発達メカニズムを明らかにする。 1極型とは事業所の事務所を中心に生産、商業・サ-ビス、居住の3機能が1事業所1工場で構成されるものをさす。1核心型とは、日本においては1事業所当たり従業員が1900年代は2000名以上、1920年代からは4000名以上とした。マンチェスターは1760年代からと日本より120年早いため、一応、1000名以上とする。
    2.産業地域社会の形成と内部構造
    マンチェスターと尼崎の工業地域の発達段階は、両地域とも、近代工業創設期から形成期、確立期、成熟期、後退期、再生・変革期の過程を歩んだ。工業地域社会の内部構造は、一極型から多極型の単一工業地域、一核心・多極型から二核心・多極型の複合工業地域、多核心・多極型の総合工業地域の発達段階を経た(表1)。これらは、日本で捉えた場合も同じ展開である(表2)。 産業地域社会の形成は、3段階を経る。第1に、産業革命時の未熟な段階にあっては、商業・金融資本などの支援を必要とするため、工業地域社会は既存産業地域社会に付随して成長した。工業地域社会は、各企業の1極型が単位となって事務所を中心に工場の生産機能、商業・サービス機能は金融・商業のある市街地に依存し、居住機能は旧市街地・工場周辺・郊外に展開した。日本の事例では、既存集落からでは岡谷、相生など、都市部では芝浦、尼崎、宇部、四日市、浜松などがこれに該当する 第2に、産業資本が確立すると、マンチェスターのトラフォード地区の工業団地に象徴されるように、新開地に独自の工業地域社会を形成した。そこには、一極型を基本とする単一、複合、総合工業地域を形成し、事務所を中心とする工場(群)の生産地域、その周辺に商業地域、外方に住宅地域からなる、同心円状の工業地域社会を展開した。この独自に工業地域社会が展開した形態は、日本では企業城下町、臨海コンビナートにおいて典型的である。即ち、新開地に工業が立地した八幡、室蘭、日立、豊田などの企業城下町、川崎、水島、君津などの臨海コンビナートが該当する。 第3に、工業地域社会の発展に伴って、商業・サービス機能地域に行政、商店街、関連産業などの関連地域社会が付帯し、工業を中心とした産業地域社会、工業都市の性格を強めた。 以上のように、発展した時代と3機能の混在状況は異なるが、マンチェスター、尼崎・日本の工業は、基本的に、同様な産業地域社会の形成メカニズムとその内部構造を展開して共通し、世界の一般性を有する。日本において企業城下町として特異に映ったのは、日本が導入した1880年代当時、マンチェスターは成熟期の段階に達していた。この120年のギャップに追い着くため、日本は官営、財閥、大企業の形態を優先させ、軽・重化学工業、3機能からなる工業地域社会の形態、工業地帯の造成にいたるまで精選して一気に導入を図ったことに起因する。これは、後発型の工業国に共通する傾向といえる。  
    3.工業地域社会形成の内的要因

    工業地域社会形成の内的要因は経営者および管理・技術集団である。特に、工業においては機械を発明し、機械化を成功させ、管理・技術面を推進させた管理・技術集団の存在と役割が重要である。 以下、後発型で短期間に工業国となったが故に解明が容易であった日本の分析をもって、工業地域社会の発達モデル、発達メカニズムを示す。  
    4.工業地域社会の内部構造発達モデル
    工業地域社会の中心に位置したのが事業所の事務所であった(図1)。表2に基づいて、日本における工業地域社会形成の内部構造発達モデルを作製した(図2)。  
    5.工業地域社会における内部構造の発達メカニズム
    工業地域社会における内部構造の発達メカニズム(工業都市化)は、企業の生産機能拡大に伴う3機能の作用によって生じる「重層・分化のメカニズム」である。その結果、企業の事務所を中心に生産地域、商業地域、住宅地域の圏構造に分化した。  

    参考文献 岩間英夫2009.『日本の産業地域社会形成』古今書院. 
  • 必修となる地理総合を視野に
    山内 洋美
    セッションID: P087
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.新科目「地理総合」(仮称)実施にかかる課題
    昨年12月4日に開かれた日本学術会議公開シンポジウム「高等学校地理総合(仮称)必履修化による地理教育への社会的期待と課題-現場の地理歴史科教員を支援するために日本学術会議は何ができるか-」のテーマ1「地理総合に関する教育現場からの期待と課題」の,特に課題の部分において,現場の中高教員から出された,「基本的知識や技能の欠如」とそれをどう育てたらよいのかという疑問は,筆者にとっても日常的に感じている課題である。
    地理総合を学習することで,地理空間情報を使って判断・意思決定ができるような人材を育てようとするには,読図と作図が欠かせないと考えている。しかし,その土台となる系統地理分野の自然地理分野の理解が中学校までにどの程度なされているかということに関しては,地域差も大きく,また入試を経ていることで現場での違いが非常に大きいといわざるを得ない。ただ,おそらく共通して言えることとして,近年の高校生は,スマートフォンが普及したことで,現在地をGPSなしで確認したり,紙地図を読むといった需要を感じていないためか,読図能力に欠け,スマートフォンのナビがなければ目的地に到着できないような状況である。それを前提として考えうる共通の課題を挙げてみたい。
    中学校地理的分野での地域調査にかかるフィールドワークについては,宮本(2009)に述べられて以降もあまり行われていないという声をあちこちで聞く。高校地理A・Bにおいても,その状況はおそらくあまり変わらない。毎年,勤務校周辺でのフィールドワークを夏季休業中の課題としているが,地図にルートを示しても,チェックポイントを通り過ぎてしまうグループが毎年複数見られるし,また周辺を観察して地図に書き込むことが難しいのが現状である。さらに,数学の平面図形・空間図形分野が苦手な生徒も多いと聞いており,そのためか目視による教室の天井の高さの推測や,教室のおおよその面積の積算が難しい生徒も見られる。また,白地図で作業を行う際,地図帳や教科書などと図法が異なると,地図の形を同定することが難しい生徒もみられる。つまり,地理的技能として欠かせない,身体感覚として空間をとらえることが苦手な生徒が増えていると感じている。そのような地理的技能を育てるのは高校段階からでは非常に難しいが,それも含めて育てなければ,地理総合の3つの大単元のうち ⑴ 地図と地理情報システムの活用 を学習することそのものが困難になると考えられる。残り2つの大単元 ⑵ 国際理解と国際協力 ⑶ 防災と持続可能な社会の構築 を学習するにも,身体感覚として空間をとらえることが苦手なために,背景となる環境条件の違いと人間生活への影響や,地域性の違いについて考えることが難しい生徒もみられる。特に⑵ 国際理解と国際協力 において,科目の特色として挙げられている3点のうち,①持続可能な社会づくりを目指し,環境条件と人間の営みとの関わりに着目して現代の地理的な諸課題を考察する科目 にしたがって,ある地域を,地理総合設置の意図に従って動態地誌的に扱おうとするには,まず環境条件の違いをどのようにとらえさせるか,ということが重要になると考えられる。さらにその前提としての読図・作図能力が非常に重要となるのではないか。  
    2.ジグソー法の手法による中国地誌授業の試み
    地理総合で意図される,地理空間情報を活用し判断できる力は,現在の教育課程の生徒ではどのように発揮されるのかをみるために,地理Bの世界地誌の単元において,ジグソー法の手法を取り入れながら,生徒たち自身に中国地誌をまとめさせようとした。これまで前節でも述べた理由から、地理的技能の中でも特に読図と作図に力を入れてきたこともあり,その技能を用いて,地域性の把握の一つとしての中国の人口境界線(いわゆる黒河・騰冲線)がなぜそこに引かれているのかを考えさせようとしたものである。白地図等を用いたエキスパートA(自然環境と農業)・B(鉱工業と経済)・C(民族・宗教と人口推移)各班用のプリントを作成し,それぞれ教科書・資料集から元となる図やデータ・グラフを指定して,読図・作図の上、読み取らせた。その後、A・B・C班からそれぞれ1人ずつ集めたジグソー班を作って、各班で資料から読み取ったことを共有し、人口境界線の位置について考えさせた。その結果と新たにみえた課題については、当日述べる。  
    3 参考文献
    中教審 初等中等教育分科会 教育課程部会 教育課程企画特別部会(第26回)配付資料 2016.12.6
    宮本 静子 中学校社会科地理的分野の「身近な地域」に関する教員の意識 新地理 57(3), 1-13, 2009-12
  • -土壌水分に応答するカーチンガ構成樹木の葉フェノロジー-
    吉田 圭一郎, 宮岡 邦任, 山下 亜紀郎, 羽田 司, オリンダ マルセロ, 篠原 アルマンド秀樹, ヌーネス フレデリコ, 大野 文子
    セッションID: 403
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
    ブラジル北東部では乾燥気候が卓越し,熱帯季節乾燥林(seasonally dry tropical forest)であるカーチンガ(Caatinga)が分布する.カーチンガ分布域の中央に位置するサンフランシスコ川の中流域では,1980年代以降に灌漑農地の大規模造成が行われ,自然状態のカーチンガのほとんどが失われた.加えて,灌漑が農場周辺の水文環境を変化させ,カーチンガを構成する植物の生活史や植生構造に影響する可能性が指摘されている.
    カーチンガを構成する樹木は水文環境の季節変化と対応した葉フェノロジー(leaf phenology)を持ち,短い雨季に一斉に展葉することが知られる.しかし,近年の少雨傾向もあり,降水の不確実性が高いため,カーチンガにおける葉フェノロジーの研究事例は少ない.厳しい乾燥環境下で独自の生態系を形成してきたカーチンガに対する灌漑の影響を考える上で,葉フェノロジーを含めたカーチンガにおける植物活動と水文環境との関連性を検討することは必要不可欠である.
    そこで,本研究ではカーチンガ構成樹木の葉フェノロジーと土壌水分条件の季節変化を観測し,それらの関連性について考察することを目的とした.
    II 調査地と方法
    本研究の調査地は,ブラジル北東部に位置するペルナンブコ州のペトロリーナ周辺域で,ペトロリーナ中心部から約20km離れた郊外のアセロラ栽培が行われている農場(NIAGRO農場)において観測を実施した(2015年9月~2016年8月).農場内のカーチンガに気象観測点を設け,地上1.5mの気温と湿度,降水量,および20cm深の土壌水分量(体積含水率%)の連続観測を行った.また,農場内の2箇所に自動撮影デジタルカメラ(200万画素)を設置して,毎日正午にカーチンガの相関を撮影した画像を取得した.取得した画像中からカーチンガが写る範囲を対象に,各画素のRGB値から植生の緑色の濃さを示す指標であるGreen Ration(GR;Ahrends et al. 2008)を算出した.
    III 結果と考察 
    降水の無い乾季には土壌水分量は3~4%で一定であり,厳しい乾燥環境が持続していた.2016年1月初旬にまとまった降水があり,土壌水分量は8~10%に上昇した.その後,数日から1週間程度でGRも急激に上昇しており,雨季の開始とともにカーチンガの構成樹木が一斉に展葉したと考えられる(図1).無降水期間が継続すると,土壌水分量は急速に低下し,GRも漸移的に減少した.これは乾季への季節進行と共に,カーチンガの構成樹木が種毎の乾燥耐性に応じて落葉したものと推察される.
    観測結果から,植物活動の指標となるGRは土壌水分量によく対応しており,カーチンガにおける植物活動が水文環境に強く依存していることが明らかとなった.また,カーチンガの構成樹木の葉フェノロジーは,土壌水分量の変化に対する感受性が極めて高いことが分かった.したがって,灌漑農地周辺のカーチンガでは,灌漑により生じた土壌水分条件の僅かな差異でも,植物活動や植生構造の変化を引き起こす可能性があることが推察された.
    本研究は,科学研究費補助金基盤研究(B)海外学術「ブラジル・セルトンの急激なバイオ燃料原料の生産増加と水文環境からみた旱魃耐性評価」(研究代表者:宮岡邦任,課題番号:26300006)による研究成果の一部である.
    <引用文献> 
    Ahrends, H.E., Brügger, R., Stöckli, R., Schenk, J., Michna, P., Jeanneret, F., Wanner, H., Eugster, W., 2008. Quantitative phenological observations of mixed beech forest in northern Switzerland with digital photography. Journal of Geophysical Research 113. http://dx.doi.org/10.1029/2007JG000650 (G04004).
feedback
Top