地学雑誌
Online ISSN : 1884-0884
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127 巻 , 4 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
表紙
  • 2018 年 127 巻 4 号 p. Cover04_01-Cover04_02
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     長野県・諏訪湖(面積12.8 km2,平均水深4.7 m)では,冬季に全面結氷して数日後に「御神渡」現象が現れることが多い.御神渡は夜間と日中の気温変化で湖氷が収縮・膨張を繰り返すと,亀裂部分の氷がせり上がることで生じる.古来から,その道筋は諏訪大社の男神(上社)が女神(下社)に会いに行った証であるとの伝説がある.また,御神渡が出現すると,その道筋によってその年の農作物の豊凶や景気を占う拝観式が執り行われてきた.

     こうした諏訪湖の結氷日や御神渡出現日,拝観日の詳細な記録が1444年以降ほぼ連続的に残されており,過去574年間の冬の気候変動を知る貴重な史料として世界的にも注目されている.厳しい寒冬年には12月中に御神渡が出現することがあるが,暖冬年の場合,2月になって出現したり,御神渡ができずに明海(あけのうみ)となる.近年は温暖化の影響で湖が結氷しにくくなっているが,今冬(2017-2018年)は5年ぶりに御神渡が出現し,2月5日に八剣神社の宮坂清・宮司らによって拝観の儀式が執り行われた.写真では,湖の東岸から北岸(赤砂崎)にうねりながら延びる御神渡の様子がよくわかる.

    (写真:宮坂 清 2018年1月31日撮影;解説:三上岳彦)

特集号:歴史時代の気象災害と気候変動
短報
  • 財城 真寿美, 三上 岳彦, 平野 淳平, Michael GROSSMAN, 久保田 尚之, 塚原 東吾
    2018 年 127 巻 4 号 p. 447-455
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     Past meteorological records are important for improving our understanding of past, present, and future climates. Imaging and digitization of historical paper-based instrumental meteorological records must be carried out before these records are lost to decay. This kind of activity called “data rescue” is now taking place at many institutions around the world. A data rescue project is underway to preserve Japanese instrumental meteorological records from the 19th century. These data were collected by foreign residents and visitors, Japanese scientists influenced by Dutch science, and by Japanese merchants. Recently, meteorological measurements taken at Mito from 1852 to 1868, and at Yokohama in 1872 and 1873 have been found. Based on instrumental records collected through this data rescue project, a warmer climate in the 1840s and 1850s around the South-eastern Kanto Region has been identified. Large year-to-year variations of winter temperatures have also been detected.

論説
  • Michael J. GROSSMAN, 財城 真寿美, 三上 岳彦, Cary MOCK
    2018 年 127 巻 4 号 p. 457-470
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     歴史文書は,気象官署による測器を用いた公式気象観測が開始される以前の台風復元において,貴重な情報源となる。本稿では,1877年の日本(北海道,本州,四国,九州)に影響をおよぼした台風について,詳細な情報を含む5つの資料(1:日本で出版された英字新聞,2:歴史天候データベース,3:日本の灯台気象観測記録,4:イギリスおよびアメリカ合衆国の船舶の航海日誌,5:中央気象台の気象観測表)の検証を行った。そしてこれらすべての資料から,1877年において日本に上陸もしくは接近した4つの台風事例(6月11日,7月26-27日,8月25-27日,10月11日)が明らかとなり,歴史文書は,日本における暴風雨の位置,移動経路,風速,気圧,被害などに関する詳細な情報を含んでいることが裏づけられた。歴史文書に記録された台風に関する情報は,台風の襲来頻度や強度,挙動に関する理解を,気象観測や台風観測の詳細な数値データが十分に得られない過去の時代にまで,さかのぼる可能性を有しているといえる。

  • 久保田 尚之
    2018 年 127 巻 4 号 p. 471-482
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     2011年台風12号(タラス)は,紀伊半島に大雨と土砂崩れを引き起こし,2013年台風30号(ハイエン)は,フィリピンのサマールとレイテ島に高潮を引き起こした。台風ハイエンと台風タラスは,過去に類似の台風経路で類似の被害をもたらした記録が残されている。本論文では,これらフィリピンと日本の2つの台風に着目し,過去117年と過去122年間に観測された類似台風との比較を行った。台風ハイエンと同じ地域に上陸した1897年と1912年の2つの台風は,高潮をもたらしていた。台風ハイエンはフィリピンのビサイヤ地域に上陸した。ビサイヤ地域には,10年間で約15個の台風が上陸している。しかしながら,台風ハイエンを含むこれら3つの台風は,過去117年間でビサイヤ地域に上陸したもっとも強い多風だった。ビサイヤ地域に上陸する強い台風は,サマールとレイテ島に高潮のリスクがあることがわかった。1889年の台風は,台風タラスと同じ地域に大雨と土砂崩れをもたらした。高知県には,10年間で約3.7個の台風が上陸している。台風タラスと1889年の台風は,高知県に上陸した台風のなかでもっとも遅い速度の台風だった。同じ地域には,より強い台風が上陸したにもかかわらず,移動速度が速いために紀伊半島にもたらす雨量は少なかった。高知県に上陸する速度の遅い台風は,紀伊半島に大雨と土砂崩れをもたらすリスクがあることがわかった。台風経路を含む歴史的な紙資料の気象測器の観測記録の画像化やデジタル化は,「データレスキュー」と呼ばれる。長期の台風記録は,台風災害の頻度が小さい場合でも類似の台風被害を調べることを可能にしている。

  • Patrick BEILLEVAIRE
    2018 年 127 巻 4 号 p. 483-501
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     1850年代の後半,パリ外国宣教会によって派遣されたフランス人宣教師,ルイ・フュレ(1816-1900年)は,琉球王国の本島・沖縄で最初の長期にわたる科学的な気象観測の実施を請け負った。フランス海軍兵站部から借り受けた測器を使って,彼は最近標準化された方式に基づいて,1日5回の観測データを収集した。これらのデータは,すべてフランス気象学協会創始者(1852年創設)のシャルル・サント–クレア・ドヴィルに送られた。ベルギー王立気象研究所の気象史研究者Gaston Demaréeと筆者は,最近になって,フュレの気象観測記録を発見したが,それらは,フランス気象学協会の後継者となったメテオ・フランス,つまり「フランス国立気象サービス」の公文書に含まれており,観測原簿と書簡類からなっている。

     本稿は,データ分析そのものには関与しないが(本号のDemarée et al., 2018を参照),フュレによって使われた各種の表(日別,月別,年別)に記録された数値と欄外の情報については綿密に調査している。本稿はまた,フュレの生涯と受けた科学教育について述べることを目指すが,それは彼が多くの宣教師たちのなかで選りすぐられ,観測を行ったという社会的状況とも関連している。フュレの沖縄における研究の関心は,科学に対して過度に傾倒しすぎているという上司からの批判を生んだとはいえ,実際のところ,気象学に限定されていたというにはほど遠かった。それらは,自然科学から住民の生活ぶりの記載にまで及んでいた。沖縄での6年間の滞在中に,フュレは数々の重要な科学研究所や学協会と書簡の交流を行っていた。彼は,地質学や化石学(彼の業績はその分野のパイオニアとして認められていた)および沖縄の天然資源を扱い,そして同様に沖縄の文化・歴史・言語を扱う各種学術雑誌に10編ほどの論文を刊行した。

     また本稿では,台風や熱帯低気圧に関して,1844年5月(最初の宣教師上陸)から1862年10月(数十年にわたる宣教師在住に終止符を打ったフュレの離日)の期間中に宣教師らによって記載された事項についても論述した。

短報
  • Gaston R. DEMARÉE, Pascal MAILIER, Patrick BEILLEVAIRE, 三上 岳彦, 財城 真寿美, ...
    2018 年 127 巻 4 号 p. 503-511
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     ルイ・テオドール・フュレ神父(1816-1900年)は,パリ外国宣教会の宣教師として極東に派遣された。日本の琉球諸島・沖縄の那覇における彼の気象観測原簿の発見は,19世紀日本の歴史気候学に新しい進展を開くものである。フュレは,1855年2月26日に沖縄の主要な港である那覇(19世紀の文献ではNafaと綴っていた)に到着した。1856年12月から1858年9月まで,彼は1日5回(午前6,10時,午後1,4,10時)の気象観測を行った。水利技師アレクサンドル・デラマーシュ(1815-1884年)は,フランス海軍兵站部によってフュレ神父に委託された気象測器の検定を行った。気象観測は,1850年代のフランスで使われていた気象観測方式に従って実施された。気圧観測データは,気圧計の読みとり値,気圧計付随温度計の読みとり値,そして温度補正した気圧の数値で記載されている。気圧データは,必要に応じて,1850年代に使われたデルクロスとハイゲンスの公式を用いて検定・補正された。この歴史的な気圧観測データを現在の那覇における気圧平年値と比較した。観測期間中の1857年5月に台風が接近通過したことが,ルイ・フュレ神父によって目撃されている。ほかにも何度か気圧の低下が観測されているが,おそらく発達した低気圧の通過によるものであろう。そうしたなかで,オランダ船ファン・ボッセが多良間諸島の近くで難破したことがあったが,船長と彼の妻や船員達は島民に救助された。その後,彼らは沖縄の那覇に移送されたが,そこで3名のフランス人宣教師と出会い,最終的に出島のオランダ交易所からバタビア(現在のジャカルタ)へと航行した。

論説
  • 田上 善夫, ガストン・ デマレー, パスカル・ ミリエ, パトリック・ ベイヴェール, 三上 岳彦, 財城 真寿美, 塚原 東吾, 平野 ...
    2018 年 127 巻 4 号 p. 513-529
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     Climate variations in East Asia during the Little Ice Age are reconstructed using wind records together with chronicles of weather disasters in Japan and China, as well as weather observations from Okinawa in the 1850s. The results of analyses are as follows: (1) On the basis of numerous records that remain for the southern coast of Japan and the south-eastern coast of China, it appears that many rainstorm disasters occurred during the summer period in both Japan and China. They usually took place one or two months later in Japan than in China; (2) Observations in Naha show that, when air pressure drops considerably, wind speed is very high and its direction rotates. Following unusual air pressure falls in Naha, strong winds caused disasters in China or in Japan. It is thought that these events are linked to movements of typhoons; (3) Increases in windstorm damage occurred during different periods in Japan and China. This may be related to changes in atmospheric circulation. Cool summer periods are observed around 1705, 1740, 1765, 1785, 1830, and 1845. The year 1855 marks a turning point between periods with prevailing cool states and periods with prevailing warm states.

  • 平野 淳平, 三上 岳彦, 財城 真寿美, 仁科 淳司
    2018 年 127 巻 4 号 p. 531-541
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     本研究では,米国人宣教師ヘボン(J.C. Hepburn)によって1860年代に行われた気象観測資料をもとに,1863-1869年における横浜の降水量変動の特徴を明らかにした。横浜におけるヘボンの気象観測資料には,月最高気温,平均気温,最低気温,月別降水日数,および月別降水量が記録されている。これまで,日本では公式気象観測開始(1870年代)以前の降水量観測記録はほとんど知られていない。今回,新たに発見されたヘボンの降水量観測記録は,1860年代の降水量変動の特徴を解明する上で貴重な資料である。月別および季節別に降水量変動を分析した結果,1868年の夏季(6-8月)は他の年に比べて,著しく多雨であり,また1867年は降水量がきわめて少なく,乾燥傾向の強かったことが明らかとなった。これらの現象の空間特性を検証するために,日本各地に残された古日記天候記録において1867年と1868年の降水出現率を算出し,それらの空間分布との関連を比較した。その結果,1867年の夏季は全国的に降水出現率が少なく,また1868年は全国的に降水出現率が高かったことが明らかになった。さらに,気候災害記録との比較を行った結果,1867年は日本各地で干ばつや少雨が記録されているのに対して,1868年の夏は,各地で大雨や長雨に伴う水害が頻発していたことが明らかになった。これらの結果は,1867年夏の少雨と1868年夏の多雨が広域的な現象であったことを示している。

  • 市野 美夏, 三上 岳彦, 増田 耕一
    2018 年 127 巻 4 号 p. 543-552
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

     Many historical documents in Japan include daily weather records. To reconstruct historical climates from daily weather records, Ichino et al. (2001) constructed a method for estimating global solar radiation based on daily weather conditions. Presented is an attempt to reconstruct monthly mean solar radiation during the first part of the 19th century based on weather records found in 11 historical documents, with special attention to records in the year 1836, when a famine occurred. Global solar radiation is an important factor in the energy balance of the Earth, and is also fundamental to the hydrological cycle and agricultural productivity. This implies that reconstructing global solar radiation involves investigations into climatic physics and historical human societies. The estimated monthly means of global solar radiation in 1836 are compared to average estimations for 30 years (1821-1850), including the 1830s, at 11 points in Japan where data are generally available. According to our estimation, the values of solar radiation in July and August 1836 were smaller than their provisional normal values, which is the average for 30 years (1821-1850), at all points except those in Tohoku and southern Kyushu, although these differences were not extreme. On the other hand, fluctuations during the 1830s were larger than other decades before and afterwards. Moreover, the estimations in spring (February, March, and April) and autumn (September, October, and November) were no smaller than the average estimations. These results show an anomalously low solar radiation in July and August, which might have been a key climatic condition affecting society in the famine year.

短報
  • 谷岡 能史
    2018 年 127 巻 4 号 p. 553-564
    発行日: 2018/08/25
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー

    Inpu-Nenpyo is compared to weather diaries. Inpu-Nenpyo, an official historical document from Tottori, northwest coast of Japan, was compiled from 1630 to 1841, and consists of four books. The density of mentions, for example, of “heavy snow” and “drought”, in the document is higher in the second half of the period than in the first. By comparison, many mentions of “heavy snow” are made in the 1810s, and many mentions of “little snow” are made from the late 1720s to the 1750s and in the late 1830s. On the other hand, “drought” is mentioned often in July from the late 1800s to the early 1810s. Comparing the documents and the diaries, it is found that years of “heavy snow” in the Inpu-Nenpyo are consistent with years with many days of snowfall in the diaries and that “drought” correlates with many sunny days; the former are thought to be cold and the latter hot in some cases. However, it is difficult to clarify their relations and to draw conclusions. One reason may be a lack of other historical documents and diaries. Therefore, local public bodies, which often keep them in museums and archives should be encouraged to collate them and make them more accessible to the public.

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