大学の地理学教育は, 法制的にみると明治21 (1888) 年, 帝国大学文科大学に史学地理学講座が設けられ, 歴史地理学が講じられたのに始まるとみなすべきだろう (中川, 1975, p.513) 。しかしその内容は, 石田龍次郎によれば “最初から坪井九馬三の担当であって, 名前だけ旧のままで内容は史学概論で地理学とは無関係であった” (石田, 1971, p.533) とされている。だが, 藤井甚太郎の指摘によると “明治21年の初めに東京帝国大学に史学地理学講座開け, リース教授講義の任に当たられ…明治26年以来坪井文学博士, 栗田教授, リース教授担任せらるることとなり” (藤井, 1909, 15-16) となって, 石田の記述とは相違する。なおここでいう歴史地理学は, 歴史学の補助学と規定されるものであった。
それゆえ, 地理学プロパーの教育が始まったのは, 明治40 (1907) 年, 京都帝国大学文科大学に地理学講座が開設され, 小川琢治が教授に就任した時点 (中川, 1978, p.316) とみなすべきだろう。これとは別に, 高等師範学校に地理歴史専修の学生を収容する学科が開設された事実も指摘する必要がある。その始まりは, 明治29 (1896) 年に設置された地理歴史専修科であるが (中川, 1988, p.32), 単年度設置 (明治32年卒業) であった。その卒業生33人の中に, 人文地理学研究の草分けとみなせる小田内通敏の顔がある。毎年専修学生を入学させる組織は, 明治31年開設の地理、歴史部を嚆矢とする (中川, 1988, p.32) 。
だが本稿では, 専修学生を対象とする地理学教育についてはこれ以上の言及を行なわず, 高等教育の中で, だれもが等しく受けられる地理学教育が, どの様な経緯で始められたかについて, 具体的にたどってみたい。
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