日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の335件中151~200を表示しています
要旨
  • 日野 正輝
    セッションID: 712
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    仙台市の総合計画にみる自己認識の変遷

    1.はじめに

    わが国の地方自治体では、1969年の地方自治法の改正以降,長期的見通しに立って,行政の計画性および効率性等を図る目的で10年から20年の期間を見据えた総合計画を策定してきた(佐藤,2013)。総合計画は、一般に基本構想、基本計画、実施計画から構成される。

    総合計画の基本構想および基本計画には、自地域のイメージおよび目指す地域像と取り巻く社会経済的状況とその将来予測が述べられている。この記載の部分が、地方自治体が自地域をどのように認識しているかを知る上で有効な資料と言える。

    本報告は、仙台市の総合計画に示された基本構想および基本計画にある仙台市の①特性認識,②時代状況の認識,③将来像などから、仙台市の自己認識の変遷を検討したものである(表1)。

    2. 高度経済成長期の都市像:第1次年総合計画(1967年)

    仙台市の第1次総合計画は、全国総合開発計画によって開発拠点に位置づけられるとともに、東北の拠点として急成長を遂げるなかで策定された.そのなかで,開発に伴う自然環境の悪化が危惧された.その結果,目指す都市像として「健康都市」と「東北地方の拠点都市」が描かれた。「健康都市像」には,市民参加とともに,「杜の都」のアイデンティティーによる環境問題に対する市民意識の高さが反映されていた。

    3. 時代の転換期の都市像:第2次(1987年)、第3次(1997年)総合計画

    「学都」および「杜の都」のイメージが戦前から仙台市民の間で共有,継承されてきたアイデンティティーであった。そして,戦後の都市政策においても参照される指針として機能してきた.第2次総合計画では,「学都」は国際化・情報化を担う都市として,「杜の都」は「自然との調和・共生」として描かれた.さらに,東北の中枢都市としての仙台は、第4次全国総合開発が掲げた多極分散型国土形成に対応して,日本の国際化の一翼を担うものとして描かれた。

    第3次総合計画は,国の第5次全国総合開発計画で示された「時代の転換」に従った時代認識に立って,市民と行政の協働,および都市の空間構造としてコンパクトシティをイメージした「機能集約的土地利用」などが提示された。また,東北の中枢都市のイメージとしては,世界と東北を結ぶ都市の姿が描かれた

    4. 成熟社会を見据えた都市像:第4次総合計画(2011年)

    第4次総合計画では、成熟社会への移行を前提にして、都市政策の転換を掲げ、「市民力」が活力のある成熟した都市の実現にもっとも重要であるとした。市民力とは、「個人や地域団体、NPO,企業などの多様な主体が、都市や地域における課題の解決や魅力の創出に自発的に取り組む力」と説明された。また、仙台の潜在力を「知的資源が新たな息吹を生む学都の力、地域に根ざした支え合う健康都市の風土、自然を生かし優れた環境を育む杜の都、活力を創り交流を広げる東北の中枢都市の力」と表現した。

    5. おわりに

    仙台の総合計画は、仙台市民が共有するアイデンティティーを指針にして、時代状況の変化に対応した都市の将来像を描いてきた.そして,現在,「市民力」と言う先進的な概念を提示するに至った.

    文献

    佐藤 徹(2013):行政経営システムにおける総合計画の構造と機能.地域政策研究,16,15-32.
  • 石山 徳子
    セッションID: S1306
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.   はじめに
    アメリカ合衆国(以下、アメリカ)は、第二次世界大戦中のマンハッタン計画のもと、ワシントン州東部を縦断するコロンビア川沿いにプルトニウム生産を目的としたハンフォード・サイトを設置した。ハンフォード・サイトは、安全保障のための「犠牲区域」の構築を前提に、コストとリスクを想定外の域に不可視化したうえで肥大化し、国家事業として進められてきた核開発の原点ともいえる場所だ。その地理空間を織りなすのは、砂漠地帯を流れる豊かなコロンビア川とその流域の生態系、西部フロンティアの歴史空間で育まれた、もしくは周縁化されてきた多様な生活文化、世界最大規模の放射能汚染と除染のプロセス、一枚岩ではない「地元」が抱える葛藤や土地利用をめぐる政治対立、先住民族と環境正義の問題など、さまざまである。
    ハンフォード・サイトは、環境汚染が深刻な現場だ。現在、周辺の自治体や、コロンビア川流域を生活圏とする複数の先住民族の共同体が、連邦諸機関と連携、もしくは対立しながら、今後に向けた除染や土地利用に、誰がどのように取り組んでいくべきなのかを議論し、政治的な駆け引きを行っている。
      2. ハンフォード・サイトの「自然」
    ここで重要なキーワードになるのが「自然」だ。1943年に同サイトのバッファー・ゾーンとして旧陸軍省が設置した一帯は2000年、ハンフォード・リーチ国定公園として、内務省魚類野生生物局の管理下に置かれた。これまで厳しくアクセスが規制されてきたため、この場所は野生生物の宝庫となっており、「自然」を売りにした観光地化が進められている。さらに、2015年11月、ハンフォード・サイトは国立歴史公園と制定され、国定公園の「自然」を体験するためのハイキング・コースに、長崎原爆の原料となるプルトニウムの生産が行われたB原子炉をはじめとする、核関連施設も組み込もうという動きが活発化している。
    また、この地域一帯では2000年代、ワイン産業が急激に成長している。地元の自治体が観光客のために用意した地図では、ハンフォード・サイトは完全に不可視化されている。アウト・ドアで「自然」を体験し、歴史を学びながら、美しいぶどう畑に隣接するおしゃれなワイナリーで美酒を楽しめる場所というイメージの構築が進行中だ。いっぽうで、先住民族のあいだには、徹底的な除染作業を進め、もとの「自然」を返してほしいと要求する声や、観光地化ではなく、土地の返還をすべきだという声もある。
    3.まとめ
    ハンフォード・サイトに展開する「自然」のポリティックスを分析する作業を通じて、アメリカ地理景観にみられる植民地主義的な思想と自然観、自然資源と文化資源、自然保護や環境運動のあり方と社会変革の動き、除染作業と観光地化される地理空間の切り離しと「自然」の言説の関係について問題提起を行いたい。
  • 石川 和樹, 中山 大地
    セッションID: 606
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    近年,GIS(地理情報システム)を用いた歴史地理学研究が活発化しており,歴史データベースの構築や旧町村界の復元など様々な研究が行われている.しかし,歴史データの整備には多大な時間と労力が必要であり,歴史地理学研究の大きな障害となっている.アドレスマッチングは住所を位置座標に変換する手法であり,この手法を用いた,東京大学空間情報科学研究センターが提供している「CSVアドレスマッチングサービス」(相良ほか 2001)は,日本国内におけるアドレスマッチングシステムを代表するものである.しかしこのシステムは,現在の住所を対象とするものであり,明治・大正期といった過去の住所に対する位置座標は取得することができない.そこで本研究では,明治期東京の住所を位置座標へと変換するアドレスマッチングシステムを構築した.
    2.住所データベースの作成
    住所データベースは,「東京郵便局 東京市十五區番地界入地圖 明治40年調査」(人文社編集部 1986)を用いて作成した.この地図には,明治40(1907)年時点の東京市15区内の地番や町名が記載されているほか,主要な建造物についてはその名称が記載されている.この地図をデジタルデータ化しアフィン変換による幾何補正を行った後, ArcGISを用いて住所のポリゴンデータを作成し,地図に従って町名や番地のデータを入力した.入力の際,異字体等を考慮せず可能な限り地図に用いられている文字通りに入力した.同様の作業を東京市15区すべてについて行い,東京市全域の号レベルの住所のポリゴンデータが完成した.このポリゴンデータを番地・丁目・町名・区・市の単位ごとに集約し,より階層レベルの高い住所のポリゴンデータを作成した.住所のデータは合計58,758件であった.これらの各住所データについて,市・区・町名を連結した文字列を表示する列をデータベースに新たに追加した.この列は,住所の検索の際に用いる.さらに,ArcGISのジオメトリ変換ツールを用いて,作成した各階層レベルのポリゴンデータからラベルポイント(ポリゴン内にあることを保証する点)を作成し,住所代表点としてその座標値をデータベースに追加した.東京市や各区の代表点については国立国会図書館近代デジタルコレクション(国立国会図書館 2015)より,東京交通便覧(山口 1911.請求記号:特71-782)を参照し,当時の市区役所の位置に代表点を作成した.
    3.住所検索アルゴリズムの概要
    本アルゴリズムでは,「東京市麹町區富士見町一丁目一番地一号」のように入力された住所の文字列を,「東京市/麹町區/富士見町/1丁目/1番地/1号」のように変換・分割したうえでデータベースから検索する. まず,入力された住所について,データベースで用いられている旧字に揃えるために,神田区の「神」を「神」に,本郷区の「郷」を「鄕」に,浅草区の「浅」を「淺」に変換するほか,各区で用いられている「区」についても旧字の「區」に変換を行う.また,本システム上の住所データは「東京市」から始まっているため,入力された住所が「東京市」から始まっていない場合は先頭に「東京市」を付加する.このように変換した入力住所について,先頭から1文字ずつ延ばしながらデータベース上の市・区・町名部分を連結した文字列に対して前方一致で検索を行う.その際に,旧字や誤字などのデータベースと異なる文字が使われている場合がある.このような場合に対応するため,本アルゴリズムではデータベースと異なる文字については一度任意の1文字に置換し,その後ろの文字から再び検索を継続する.そして,検索住所について最後まで検索するか,再び検索結果がなくなるまで検索を続ける.この流れの中で検索の結果が見つからない住所については,出力の際にその旨を示すメッセージが表示される.最終的に検索された町名までの住所文字列を検索文字列全体から除くことで,丁目以降の部分が導かれる.丁目以降の部分は「一ノ一」や「1-1」など様々な表記方法が存在する.そのため後半部分は数字をすべて半角算用数字,それ以外の数字に挟まれた文字列を「#」に置き換え,統一した表示形式に変換する.ここで導いた半角の算用数字を「#」で分割し,丁目・番地・号それぞれの列で検索を行い,該当する住所データ及び座標を取得する.
    参考
    国立国会図書館 2015.国立国会図書館近代デジタルコレクション.http://dl.ndl.go.jp/(最終閲覧日:2016年1月14日)
    相良 毅・有川正俊・坂内正夫 2001.分散位置参照サービス.情報処理学会論文誌 42:2928-2940.
    人文社編集部 1986.『東京郵便局 東京市十五區番地界入地圖 明治40年調査』人文社.
    山口弥一 1911.『東京交通便覧』公友社.
  • 手代木 功基, 藤岡 悠一郎, 飯田 義彦
    セッションID: P015
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    滋賀県高島市朽木の一部の山林には,数個体以上のトチノキ巨木がまとまって生育する「巨木林」が形成されている.手代木ほか(2015)は,朽木地域の一集水域を対象として自然・人文環境の双方から調査を行い,トチノキ巨木林が撹乱を受けにくい谷の最上流部に立地していること,さらにトチノキの実であるトチノミが過去から地域住民に食料として利用され,そのため選択的に保存されてきたことを明らかにした.
    朽木地域には,この集水域以外にも数多くのトチノキの巨木・巨木林が存在している(青木 2012).しかし,これらの分布状況についての検討は十分とはいえない.一方で,朽木地域のトチノキ巨木の保全活動を展開する「巨木と水源の郷を守る会」(以下守る会)は,2011年以降,朽木地域のトチノキを含む巨木の生育状況を把握するために現地調査を実施してきた.本研究では,守る会によって収集された巨木データを活用して,朽木地域におけるトチノキ巨木の分布状況とその傾向を明らかにすることを目的とする.
    現地調査は,著者らも参加する守る会のメンバーを中心に2011年から2014年にかけて実施された.2015年末現在,朽木地域のすべての谷は踏査していないため,調査を終えた約60ヶ所の集水域データを用いている.これらの谷に出現した,胸高周囲長300cm以上の木本の位置情報,胸高周囲長等を記録した.この情報をもとに,トチノキを含めた巨木の分布をGIS上で表示した. 次に,国土地理院提供の基盤地図情報・10mメッシュDEMを用いて,標高・傾斜角・斜面方位・谷の次数などと巨木の対応関係を明らかにした.また,環境省自然環境保全基礎調査・植生調査情報提供の1/25,000植生図「古屋」「饗庭野」「北小松」「久多」GISデータ(環境省生物多様性センター)を巨木の位置情報と結びつけ,トチノキ巨木が生育する場所の植生の特徴を把握した.
    朽木地域における約60の集水域には,トチノキの巨木は399個体出現した.また,トチノキ以外のカツラやブナ等の巨木も66個体が確認された.最大のトチノキ巨木は,単木では胸高周囲長が807cmの個体が存在した(複幹の個体では3本の周囲長合計が1053cmの個体が最大).トチノキの巨木は,斜面傾斜が平均32°の斜面に分布しており,40°以上の急斜面に分布する個体も多く存在した.また,トチノキ巨木と近接する谷の次数を算出すると,69%が一次谷,21%が二次谷であり,90%の個体が谷の上流部に分布していた. 次に,GIS上で植生との関係を検討すると,トチノキ巨木が生育している場所は,34%が落葉広葉樹林二次林,33%が渓畔林,25%が植林地,8%が自然林(日本海型落葉広葉樹林)だった.すなわち,二次林や植林地といった人為の影響を受けた環境には約60%のトチノキ巨木が生育しており,これらの植生に囲まれる渓畔林も含めるとほとんどの個体が人為の影響を受けた地域に生育していると考えられる. 以上の結果より,朽木地域全域においても,トチノキ巨木林は人の手が入らない奥山ではなく,歴史的に利用されてきた里山地域に存在していると考えられる.
  • 井田 仁康
    セッションID: S0202
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    高校地理の動向
      高校では、地理が選択科目となっており、地理を履修しない、あるいは履修できない高校生が多いことは周知のことである。このようなことも関係し、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会では、次期学習指導要領の改訂において、地理歴史科改編について議論されている。
      2011年に学術会議から地理歴史科について提言がだされ、高校地理歴史科において「地理基礎」「歴史基礎」それぞれ2単位を必履修化することが提案された。高校において地理が必履修化されたことは、過去にもあったが、最低履修単位数4単位の地理歴史科において、地理が必履修化されるということは画期的なことである。これを受けて文部科学省は研究開発校を指定するなど実証研究を重ね、2016年1月現在で教育課程部会のもとで、特別チームやワーキンググループが組織され、「地理総合」(仮称)の必履修化について審議されている。高校の次期学習指導要領の完全実施が2022年度からと予定されていることから、次期学習指導要領は2017年度もしくは2018年度には公示され、その際に高校での地理の必履修化が実現される可能性は低くないと思われる。
      地理の必履修化は喜ばしい反面、カリキュラム、授業が生徒の関心を喚起できなければ、生徒の地理離れ、地理嫌いを増大させ、かえって好ましくない結果となる。そのため、魅力ある高校地理を考えていかなければならない。
     
    「地理総合」(仮称)とGIS
      2016年1月現在で、文部科学省で審議されている「地理総合」(仮称)の内容は、3つの大項目からなる。すなわち、地図と地理情報システムの活用(GIS),国際理解と国際協力(グローバル化)、防災と持続可能な社会の構築(防災、ESD)である。地図とGISは、大項目となってはいるが、その項目だけで扱うわけではなく、定義や活用の仕方の基礎を学んで、他の大項目での学習で、考察の際に活用したり、議論する際に資料として、あるいは説明や自分の主張を述べる際に活用したりすることが肝要である。したがって、「地理総合」(仮称)では、より一層地図および地理情報の活用スキルが重視され、スキルの習得だけでなく、思考力・判断力・表現力の能力育成のためにも積極的に活用することが求められる。さらには、学校教育全体の観点からも、「地理総合」(仮称)における地図や地理情報システムの活用能力が、情報に関わる資質・能力の改善・充実のポイントのひとつとして位置づいている。

     「地理総合」(仮称)におけるGISの課題
      高校で「地理総合」(仮称)が必履修化となれば、高校で地理を専門とする教員は少ないので、日本史や世界史、公民を専門とする教員が「地理総合」(仮称)を担当することになる。それらの教員が「地理総合」(仮称)を教える際に最も困難なことはGISの扱いである。したがって、先進的なGIS、高度なGIS、操作が複雑なGISの活用を義務付けるのは、避けるべきであろう。新旧の地図の比較がGISの基礎である、資料の保存、提示などがコンピュータで一元管理されるとよりGISに近づくことが理解されれば、地理を専門としない教員もGISに抵抗なくはいることができよう。高校のすべての教室で、毎時間コンピュータを使えることができないことを考えれば、GISの考え方、簡便な活用の仕方を普及させることが重要である。それとともに、先進技術を活用した効果的な活用の方法を探究し、より扱いやすいGISの教育的な活用を公開していくことも必要である。GISに関心のある教員および関心のある生徒のもとで、機器の工夫がなされ、より効果的で扱いやすいGISの活用方法が開発されていけば、地理におけるGIS活用能力の底辺は、明らかに上昇することになる。

    なお、本報告は、科学研究費補助金『ユビキタスGISとAR技術に基づく地理・環境・防災教育の深化』(基盤研究B)の一部を活用した成果である。
  • マイヤーホーフェンの事例
    伊藤 徹哉
    セッションID: 528
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    I.はじめに
      人口流入に伴う農村の質的変化であるルーラル・ジェントリフィケーションのみられる地域では,建物の更新と機能改善が進むが,そうした中で建物の形状的な側面としての集落景観が徐々に変化する。建物の形状的な側面に関しては,伝統的建築物の残存と保存へ向けた諸条件に関する研究(河本,2003)などがみられるが,山間地における集落景観の変化に関する検討は充分とは言い難い。
      本研究は,オーストリア・チロル地方の山間地に位置し,小規模な基礎自治体の中心集落であるマイヤーホーフェンを事例に,集落景観の地域特性を,建物の外観に基づいて識別した類型(以下,建物タイプ)から明らかにし,地域特性の形成の背景を議論することを目的とする。
      分析では,現地での建物利用調査に基づいて,建物の外観に共通する特徴に着目して建物タイプを設定し,その空間的配置から集落景観の特徴を明らかにする。2015年8月の現地調査では,2011年時点での同一行政域内で確認された全建物1,016件(役場資料に基づく)の63.4%にあたる,全644件の建物に関する情報を収集した。また,建築統計に基づいて地域特性の形成の背景を議論する。

    II.建物形状に基づく建物タイプ
      事例地区では多くの建物の外観に共通する特徴として「切妻」「ベランダ」「木製壁」が確認され,その有無に基づいて,典型的な組み合わせから建物タイプを設定した。建物タイプは,伝統的な外観を有する代表的類型の「タイプ1」,派生型である「タイプ2」,一定の伝統性を保持しつつ,特定の利用形態に特化する「タイプ3」,建築コスト低減や特定用途が指向される「タイプ4」,多様な建築類型を含む「タイプ5」に分類できる。「タイプ1」が最大グループであり,次いで「タイプ5」が全体の5分の1を占め,さらに代表類型と類似する「タイプ2」と続くが,「タイプ3」「タイプ4」は少数にとどまる。建物の階数では,4階までの建物が全体の9割を占めており,集落全体として統一のとれたスカイラインとなっている。

    III.建物タイプの空間的な分布からみた集落景観
      建物タイプの地域的な特徴を検討するため,集落の社会的中心地である役場の建物,および経済的基盤となる観光業の中心地の一つであるロープウェイの駅をそれぞれ起点とした半径500メートルのバッファ(同心円の範囲)を設定した。これらを用いて中心集落を,行政施設の集まる北部中心の「A域」,商業・金融機関の集まる南部中心の「B域」,レジャー施設の立地する「C域」,さらに周辺部となる「他区域」に区分した。
      これらから空間的な分布をみると,代表的類型である「タイプ1」は集落内全体に分散的に分布するが,ツーリズム活動の中心の「C域」や周辺部「他区域」において割合が高い。「タイプ1」に該当する宿泊施設は多く,当地において「タイプ1」は宿泊施設として積極的に採用されている。一方,北部中心である「A域」や南部中心の「B域」では他の類型の割合が若干高くなっている。とくに多様な建物形状を含む「タイプ5」は,商業やレジャーの集まる「A域」から「C域」までのメインストリート沿いに集中しており,建物の有効活用が求められる狭小な敷地や,周辺部での宿泊施設などにおいて選択される傾向にある。

    IV.地域特性の形成の背景
      建築統計に基づくと,宿泊施設が増加している。既述の通り宿泊施設では伝統的な建物類型が選択される傾向にあり,これらが増加することで,当地において「チロルらしさ」のイメージが維持・強化されている。建物統計によると,ホテルの件数は2001年に178件であったが,2011年には206件と10年間で15.7%増加している。現地調査を通じて,これらの新しい建物では施設などの機能の近代化や大規模化を確認でき,建物の外観は伝統的な様式であるものの大規模かつ近代的な宿泊施設が当地で増加している。
      一方,住宅においても新築や改築を通して建物の近代化と改善が進展しており,既存建築物でも屋根,窓,集中暖房,外壁の改修が行われ,外見上や機能的な改善が図られている。また,住宅の大規模化と建物の集合住宅(多世帯)化が進展し,集合住宅を含めた大規模な建物が増加傾向にある。こうした建物の近代化は,伝統的な建物類型以外の建築様式の増加の背景となっている。

    文献
    河本大地 2003.岩手県遠野市における南部曲家の現状 : その残存と継承に着目して.地理科学 58(1): 46-59.
  • 石川 和樹, 中山 大地
    セッションID: P077
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.背景
    近年,地理情報システムを用いた歴史地理学研究が活発化しているが,多量の歴史地名や住所に対して位置座標を一括付与する作業には多くの時間と労力が必要である.そこで著者らは,明治時代の東京市15区を対象として,住所を位置座標へ変換するアドレスマッチングシステムを構築した.本研究では,このシステムを利用して明治・大正期の史資料から社会地図の作成を行った.
    2.地図作成の流れ
    史資料から住所の部分を抽出し,CSV形式のファイルを作成する.このファイルをシステムに送信すると,住所が位置座標に変換され,CSV形式のファイルとして出力される.その位置座標に従いArcGIS上でポイントデータを作成し,「東京郵便局 東京市十五區番地界入地圖 明治40年調査」(人文社編集部 1986)を用いて作成したポリゴンデータを用いて地図化を行った.
    3.書店分布の地図化
    国立国会図書館近代デジタルコレクション(国立国会図書館2015)より,全国書籍商名簿(小林 1907.請求記号:94-525)を用いて地図化を行った.この書籍は明治40(1907)年の全国の書店情報を網羅したもので,店名や住所が記載されている.東京市15区全域における書店の分布をみると,日本橋・京橋といった東京市中心部や,現在でも古書店街を形成している神田神保町周辺で分布の集中がみられる.
    4.人口密度の地図化
    国立国会図書館近代デジタルコレクション(国立国会図書館 2015)より,東京市市勢調査原表 第1巻(東京市役所 1909.請求記号:400-101)を用いて地図化を行った.この書籍は明治42(1909)年時点の東京市における人口について,町丁目ごとの詳細なデータが記載されている.東京市15区全域における人口密度の分布をみると,東京市中心部から浅草方面にかけて人口密度の高い地域が分布している.一方,皇居周辺や地割りの大きな旧大名屋敷などでは周囲に比べて人口密度が低くなっている.
    参考
    国立国会図書館 2015.国立国会図書館近代デジタルコレクション.http://dl.ndl.go.jp/(最終閲覧日:2016年1月14日)
    小林豊次郎 1907.『全国書籍商名簿』東京書籍商組合事務所.
    人文社編集部 1986.『東京郵便局 東京市十五區番地界入地圖 明治40年調査』人文社.
    東京市役所 1909.『東京市市勢調査原表 第1巻』大橋新太郎.
  • 伊藤 千尋
    セッションID: P091
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに:南部アフリカのザンビア-ジンバブウェ国境に位置するカリバ湖は、1950年代後半にカリバダムの建設にともない誕生した人造湖である。カリバ湖の主要な商業漁業資源のひとつに、カペンタ(Limnothrissa miodon)と呼ばれるニシン科の小魚がある。塩干加工された魚は、両国に広く流通し、人々の重要なタンパク源となっている。カペンタは、ザンビア-タンザニア国境に位置するタンガニイカ湖の在来種であり、1960年代にカリバ湖に導入された。現在、カリバ湖沿岸では、ディーゼルエンジンを搭載した鉄製の双胴船により、敷き網漁が行われている。これは、起源地であるタンガニイカ湖の漁法(船外機つきボートと木造カヌーを組み合わせた巻き網漁)とは異なるものである。また、アフリカ他地域と比較しても、カリバ湖の商業漁業は人数や方法、漁具等の面で近代化している。そのため、その成立の背景を明らかにすることはアフリカ漁業文化の多様性を検討する上で重要である。 本研究では、カリバ湖におけるカペンタ漁の漁法が成立した過程を明らかにし、その背景を環境・人為両面から考察することを目的とする。
    2 方法:現地調査は、ザンビア南部州シアボンガおよびジンバブウェマショナランドウェスト州カリバを対象に2012年から2015年まで断続的に行った。両調査地はカペンタ漁の拠点として発達した地方都市である。現地調査では、カペンタ漁に携わる漁業者、造船業者と船大工への聞き取り・参与観察を行った。また、両国における漁業の発達や制度に関する歴史資料の収集を行った。
    3 結果と考察:調査の結果、カリバ湖にカペンタが導入されてから現在の漁法が確立されるまで、ザンビア・ジンバブウェ両国において実験や試行錯誤が繰り返されてきたことが明らかになった。ザンビア側では1969年にタンガニイカ湖の漁法を模倣した実験が行われたが、十分な漁獲量を得ることができなかった。一方、ジンバブウェ側では植民地政府主導により1971年に漁法の実験が行われ、集魚灯を用いた夜間の巾着網漁と敷き網漁の有効性が示唆された。1973年、ジンバブウェ側で南アフリカ企業に試験的な商業漁業のパーミットが与えられ、大規模な巾着網漁が行われた。しかしその後参入した他の白人個人事業者らは規模が小さくても十分な漁獲量が得られる夜間の敷き網漁を選択した。ザンビア側で本格的にカペンタ漁が開始されたのは1980年以降であった。既にジンバブウェの白人事業者らの間で敷き網漁が定着していたことから、ザンビア側の白人事業者らはそれを模倣して漁に参入した。その後、両国では1980年代半ばごろから黒人層の参入が増加した。白人事業者のもとでの労働経験や、情報交換により、黒人事業者も同様の漁船・漁法により漁を行ってきた。また、漁船の形状についてみると、人造湖であるカリバ湖には水中に枯死木が残存することや、強風や嵐が頻発するという環境要因により、強度の高い形状が好まれてきたことが明らかになった。カリバ湖の造成以前も、ザンベジ河沿いでは地元住民による小規模な漁撈が行われていた。しかし、商業目的で導入されたカペンタ漁に関しては、両国の入植者支配の歴史のなかで、関連省庁と研究者、そして初期の担い手であった白人企業家らが主体となって効率的な漁法を考案してきた。以上の結果から、カリバ湖の商業漁業に用いられている漁法は、カリバ湖の人造湖としての特性や植民地化の経験、黒人層による受容によって成立してきたと考えられる。
  • 駒木 伸比古, 箸本 健二, 武者 忠彦, 菊池 慶之, 久木元 美琴, 佐藤 正志
    セッションID: P058
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1. はじめに
    1998年に施行された中心市街地活性化法は,2006年と2014年の改正を経て,現在に至っている。この法律に対する地理学的な関心の一つとして,「中心市街地」の地理的範囲とその特徴が挙げられる。自治体は認定を受けるにあたり,事業などを行う「中心市街地(以下,中心市街地活性化区域/活性化区域)」の位置および区域を設定する必要がある。しかしながら,区域の規模や設定に関する方法についての定量的な指針などは公表されていない。さらに近年,「コンパクトシティ」や「まちなか居住」などが標題として挙げられるなかで,その区域を拡大するか縮小するかについてはそれぞれの自治体に委ねられている。
    そこで本発表では,中心市街地活性化区域の設定変更,特にダウンサイジングに焦点をあて,その人口・経済状況を地理学的視点から検討することにした。

    2. 中心市街地活性化区域のダウンサイジング状況
    発表者らは,地方都市を対象として未利用不動産の状況に関するアンケートを行った(箸本ほか2014)。回答のあった553自治体のうち,中心市街地のダウンサイジング状況について回答がなされた538自治体についてみると,①「実施」が20(3.7%),②「現在,都市計画など具体的な計画を策定中」が14(2.6%),③「検討しているが,計画の具体化に至っていない」が40(7.4%),④「検討したが取りやめた」が2(0.4%),⑤「検討したことはない」が438(81.4%),⑥「その他」が24(4.5%)であった。このことから,現時点では中心市街地活性化区域のダウンサイジングについてはさほど進んでいないことが把握できる。

    3. ダウンサイジングによる人口・経済状況の変化
    ダウンサイジングによる中心市街地活性化区域内における人口・経済状況の変化を把握するにあたり,ここでは新潟市(2010年人口:81.2万),岐阜市(41.3万),山形市(17.8万)をとりあげる。いずれも旧中心市街地活性化法に基づく活性化区域のダウンサイジングを行った県庁所在都市である。GISを用いて新旧活性化区域内の人口を算出し,2000年と2010年の比較を行った(表1)。いずれの都市においてもダウンサイジングの結果,活性化区域内人口の規模縮小が行われていた。しかしながらダウンサイジングしなかった場合の活性化区域内の人口密度をみると,新潟市と岐阜市はさほど変わらないが,山形市では新法活性化区域と比べて半分程度となっている。したがって,山形市では中心市街地活性区域のダウンサイジングが有効に機能していると判断できる。
    このように,新旧中心市街地活性化区域における人口・経済状況を比較することで,ダウンサイジングの効果を定量的に把握可能である。発表当日は,他の人口・経済に関する指標に基づく空間分析の結果について報告する。

    本研究は,JSPS科学研究費(課題番号:25284170,代表者:箸本健二)による成果の一部である。

    参考文献
    箸本健二・武者忠彦・菊池慶之・久木元美琴・駒木伸比古・佐藤正志2014.地方都市の中心市街地における未利用不動産の地理学的分析―全国533自治体に対する調査から.日本地理学会発表要旨集254:87.
  • 髙井 寿文
    セッションID: 605
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本発表では,法務省の『在留外国人統計』(2014年12月末)での外国籍住民登録者総数の上位100位までの市区町村を対象に,外国籍住民向けのハザードマップと防災マップの作成の有無を確認し,マップが扱うハザードの種類と作成言語および地図面における多言語表記のされ方を調査した.
    その結果,外国人向けのハザードマップや防災マップを作成しているのは40自治体である.マップが扱うハザードの種類は洪水が多い.39自治体が英語版を作成している.その他の言語は中国語版を作成する自治体が最も多く,次いで韓国語版,中国語版,ポルトガル語版,スペイン語版の順である.
    各言語版のハザードマップは,ほとんどが日本語版マップの地図面の地名をそのまま翻訳したものである.日本語版のハザードマップの凡例や避難所名などの日本語の記載事項のみを多言語で併記したマップや,多言語表記の別紙を添付しただけのマップも多い.町丁目や番地を表記したマップは少なく,このような地図表現では,たとえ家形枠が表記されていても,彼らがマップの中から自宅を定位することは難しいだろう.
    髙井(2015)では,表現の異なる3種類の地図を用いた読図実験を日系ブラジル人に行い,彼らにとって自宅を定位しやすいハザードマップの地図表現を明らかにした.コンビニエンスストアや信号機などの絵記号を表記した地図表現が効果的であることが分かった.40自治体が作成する外国籍住民向けハザードマップや防災マップのうち,たとえば信号機を記載したマップは1自治体であった.外国籍住民向けハザードマップや防災マップの地図表現が,彼らにとって分かりやすいものであるとは言い難い.
    今回の調査の対象外である,在留外国人登録者総数が少ない自治体では,外国籍住民にとって分かりやすい地図表現を持つマップの事例はいくつかみられる.今後,多くの自治体において,外国籍住民に分かりやい地図表現の工夫を施したハザードマップや防災マップの作成が望まれる.
  • 田上 善夫, 森脇 広, 稲田 道彦
    セッションID: P092
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ 近年の環境と生産の変化
    日本国内でも水稲をはじめとした農産物の生産が減少しているが,ニュージーランドでも羊頭数は,1982年の7,030万頭から2004年には3,902万頭まで減少している(Statistics New Zealand)。そうした主要な作物・家畜の減少は,景観,人口,社会,文化の変化につながり,地域における適切な対応を必要としている。地域の環境を保全しながらの持続的な発展は,現在の地球規模での環境の変化の中で,とくに多方面からの多面的な分析を必要とする。環境保全,持続可能を重視した多くの取組が進められているニュージーランドにおいて,その実態や成果を明らかにする。

    Ⅱ ブドウ栽培の拡大
    20世紀末以降に,ニュージーランドで急速に生産が拡大しているものの一つがブドウ栽培である。そこではサステイナビリティ,エコ,オーガニック等々が強調されている。ニュージーランドの農地は草地・放牧地を主とし,穀物,野菜,果樹栽培地が続くが,ブドウ栽培面積は2006年の22,616haから,2015年には35,859haまで急増した。降水量の少ない東側を主に,北島の中部以北での減少を除いて南島南部のオタゴ地方まで増加が著しく,とくに南島マールボロー地方では,2015年に23,203haに達した。
    栽培種は全国では,ソーヴィニヨンブランが2006年以降の増加が著しく20,266haと圧倒的で,ピノノワールが続き,3位のシャルドネは減少の一方で,4位のピノグリの増加が著しい。栽培種は,北部から南部へとより低温に適応する品種が選ばれており,近年の輸出はとくにドイツ,オランダに向けて増加しているが,ニュージーランドはワイン生産地としてとくに高緯度に位置していることがかかわると考えられる。

    Ⅲ ワイナリーと観光
    ブドウ栽培と並行してワイナリーの数も2006年以降に急増している。ワイナリーは西部地域を除いて全国にあり,北島のオークランド,ホークスベイ,南島のマールボロー,オタゴ周辺にはとくに多い(図)。ワイナリーの数は,北島では2010年以降に減少するが,南島では増加を続けている。
    ワイナリーではブドウ栽培,ワイン醸造に加え,テイスティング,レストラン,ツアー,ステイ,ウェディング,ガーデン,ギャラリーなどが用意される。栽培・醸造の高度な技術の上に立ち,さらに周辺の施設を組み合わせることにより,観光の多様な需要に対応する。観光パンフレットやネットでの案内は,遠近からの集客につながり,ワイン生産に観光を介して高度に価値が付加されていると考えられる。

    Ⅳ 環境保全と持続可能性
    広域を占める牧草地には大型散水装置も備えられるが,乾燥が適するブドウには不要であり,環境負荷が軽減される。また水はけのよい傾斜地にも育ち,農地の大規模改変も不要で,低い垣根栽培のため,大型機械も適さない。またブドウの収穫や発酵は短期間に労働が集中するため,大規模経営は困難な面がある。
    ワインでは地域性や個性が重視され,併設のレストランで地元食材も加えた独自色のあるところに,多くの人が集まるようすがみられる。郊外のブドウ園に都市部からまた国外からの客が訪れるが,生産者と消費者,さらに外国人との結びつきは,近年の観光の流れに沿う。作物の収穫に続き新酒の祭は,観光のピークであり,生産は観光の大きな要素である。
    ブドウ栽培の近年の変化は,大型化・機械化の単一栽培から,高度の技術・管理,多様で複合的な生産へのシフトとみられる。そこでは景観や健康もかかわって,環境保全は大きな要素である。観光客の来訪は,栽培・醸造の季節以外にもわたるため,地域の持続可能の大きな要因となり得る。すなわち近年の変化には,開発途上国との競争や地球環境の変化などが背景にあるが,環境保全と持続可能性への地域的対応に基づいている。ただし新たなワイナリーの展開には,ニュージーランドの随所にみられる英国風の文化とはやや異なるところもある。
    本研究の調査は,科研費基盤研究(B)『ニュージーランドにおける環境保全とそれに配慮したサステイナブルな観光に関する研究』により行った。
  • 広田 麻未
    セッションID: 523
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ はじめに
    現代の国際的労働力移動は,かつてない規模で,かつ質的な変化をともないながら展開している.大規模な人の国際的移動は,複雑な経済的,社会的,そしてエスニックなネットワークのなかに埋め込まれており,移民は,野放しに自由なのではなく,大きな制約を受け,構造化されている. 熟練性や言語などが問われない単純労働は,世界中誰でも従事することが可能であるといえ,低賃金で社会的地位の低い労働として捉えられている.先進国においてはこういった仕事の多くを途上国からの移民が担っており,国際的労働力移動における先進国と途上国の間の問題としてしばしば議論されている.  英語教師としての出稼ぎは,労働力の送出国と受入国の間の英語力の差を背景として移動が発生しており,経済格差を背景とした,先進国への安い労働力としての出稼ぎとは異なる出稼ぎと捉えることができる.そこで本稿では,フィリピンからカンボジアへの英語教師としての労働力移動に着目し,先進国への非熟練労働者の出稼ぎとのキャリア形成における共通点及び相違点を明らかにする.

    Ⅱ カンボジアにおける英語教育サービスの成長
    カンボジアの英語教育サービスは,公教育の不備を補うように発展しており,就学前児童および義務教育段階の子どもを対象とした英語学校が主体となっている.カンボジア教育省が,初等教育における遅延入学,留年,中退といった課題の解決のため,就学前教育を推進していること,また,教育省の認可によって,民間の英語学校が,義務教育にあたる「クメール語教育」を提供できることが背景にある.  また,調査を行った41校の英語学校のうち36校は外国人の教師を,23校はフィリピン人教師を雇用しており,そのうち11校では外国人のうち3分の2以上がフィリピン人であった.

    Ⅲ 出稼ぎ英語教師のキャリア形成

    フィリピン人の英語教師としての出稼ぎは,性別,結婚歴で異なるキャリアがあることがわかった.男性は,世帯内での経済貢献意識が強くなく,稼業目的以上に「英語力をいかしたい」,「海外で挑戦してみたい」といった個人的な動機付けが強く,カンボジアを移住先に選んでいた.女性にとっては,これまで指摘されてきた「矛盾した階級移動」を経験することなく,学歴や前職との関連のある仕事によって経済的地位を向上させることができる出稼ぎとなっていた.また,ASEAN域内での移動であり,地理的な近さとビザ取得の容易さから,定期的にフィリピンに帰国することができ,既婚者(特に母親)がその出稼ぎを正当化することができていた. 彼らは移住先社会で,経済的・社会的地位が比較的高い仕事に従事しているといえ,先進国での自己犠牲的な出稼ぎのイメージとは異なる出稼ぎである.しかし,カンボジアの英語教育においては,ネイティブ・スピーカーであることや,白人であること,欧米諸国出身であることがよしとされる価値観があり,フィリピン人教師は,彼らの補佐的・代理的な役割を担っていることが明らかになった.英語力や教師としての能力・経験ではなく,国籍や見た目によって「人材の価値」が決められており,途上国間の移動であっても,労働市場においては先進国(欧米諸国)と途上国間の「人材の階層化」がなされていることが見て取れた.
  • 青山 雅史
    セッションID: P044
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    平成27年9月関東・東北豪雨により、茨城県常総市では鬼怒川堤防の決壊・越水が発生し、鬼怒川と小貝川に挟まれた低地のうち約40 km2が浸水したと推定されている(国土地理院 2015)。本研究では、本豪雨災害の実態解明や今後の防災・減災などに資するデータを提供することを目的として、鬼怒川の氾濫による常総市内の浸水深に関する現地調査をおこなった。現地調査では、測定地点における浸水深を示す地表面から浸水痕跡までの高さを測定した。本発表では、その測定結果とともに氾濫による道路周辺の構造物被害の概況についても示す。
     
    2.調査方法
    地表面から浸水痕跡までの高さをその地点における浸水深と考え、その高さを現地にて標尺を用いて測定した。測定の対象とした浸水痕跡は建物壁面に残されたものが多く、その他にも看板、飲料自動販売機や植生などに残されたものもある。測定は、常総市内の浸水域の100地点において、2015年9月16日以降計5日間実施した。本測定と合わせて、氾濫によるガードレールの倒壊や道路盛り土の損傷など、道路周辺構造物被害の記載、マッピングもおこなった。

    3.調査結果
    浸水深の全体的な傾向としては、破堤や越水が生じた地点から比較的近い市内北部の石下地区よりも、下流側(市内南部)の水海道地区周辺の方が大きい値を示した地点が多くみられた。石下地区における浸水深は、ほとんどの地点では0.5~1.5 mを示したが、2 mをやや上回った地点も一部にみられた。市内南部では、八間堀川および新八間堀川に近い地点、北水海道駅周辺や常総市役所周辺において、1.5 mを上回る地点が多数みられた。国道354号線沿いの平町では、本測定での最大値である3.0 mを示した地点があった。水海道駅以南では浸水深の値は小さくなり、ほとんどの地点で1 m未満を示した。
    本調査で得られた浸水深と常総市が公開している「洪水ハザードマップ」に図示されている想定浸水深との関係をみると、石下地区北部では今回の浸水深がハザードマップの想定値を上回った地点がみられ、水海道駅以南では想定値を下回った地点がみられたが、全体的には想定値を上回る浸水深を示した地点は少なかった。
  • 鹿嶋 洋
    セッションID: 615
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    日本の電気機械工業は,第二次世界大戦後の日本経済発展に大きく寄与した産業の一つであった。しかし1990年代初頭のバブル崩壊後,電気機械工業は急速な円高や海外展開とともに国内雇用を大きく減じ,当工業を軸として成長してきた地域に多大な影響を与えてきた。そこで本報告は,1990年代以降のポストバブル期における電気機械工業の雇用変動の地域的差異を明らかにすることを目的とする。
    上記の目的は単純なものであるが,統計データの制約がその検討を困難にしている。具体的には,工業統計データが産業中分類別で得られるのは都道府県,工業地区,市区においてであり,町村部のデータは公表されていないこと,より詳細な産業分類では集計される単位地区が広すぎるか秘匿値が多すぎること,日本標準産業分類の大幅な改訂と平成の大合併による単位地区の改変により業種別・地域別の時系列的な比較が困難になったこと,である。
    このような制約にもかかわらず,雇用変動の地域的差異の分析に際し,地域と業種の両面で分析の精度を高めるため,本報告では,①経済センサス活動調査(旧事業所統計)データに基づいて1991年と2012年の市町村別電気機械工業従業者数の分布を検討し,②1991年と2013年の産業細分類データを比較可能な形に再編・集計したうえで,産業細分類別・都道府県別のデータに基づいて,電気機械工業内部の業種による分布の差異を分析した。
    なお本報告でいう電気機械工業は,日本標準産業分類の「電子部品・デバイス・電子回路製造業」,「電気機械器具製造業」,および「情報通信機械器具製造業」の3業種(2002年3月改訂以前の産業中分類「電気機械器具製造業」)に相当するものとした。
    結果の概要は以下のようである。まずポストバブル期の分布変化の特徴として,第1に,三大都市圏の中で,京浜,阪神の両大都市工業地域では雇用の減少が著しく,中京では相対的に緩やかであった。第2に,関東から東北に至る東日本において大きく減少した一方,西日本では減少度が相対的に弱かった。第3に,地方圏の中では,農村地域で労働集約的部門を中心に従業者数を大きく減じる一方で,比較的外部経済条件の良好な地域では維持される傾向が認められた。小田(2005)の言う「空間的収斂」が電気機械工業においても確認された。
    次に,産業細分類別にみると,主に産業用の高付加価値型,多品種少量生産型の業種は,大都市圏に集中する傾向にあったが,大都市部での減少が目立ち,結果として相対的には分散した。対照的に,電子部品の組立など,労働集約的な部門を多く含む業種では1990年代以降に急速に雇用を減じ,それらの業種の比重が高かった東北や甲信などの地域でその影響が強く表れた。地方の農村部における工業衰退を引き起こしたのはこれらの業種とみることができる。集積回路や液晶関連のような資本集約的な業種では,かつては低賃金労働力に依存していたこともあって地方分散傾向が強かったが,近年では相対的に集中傾向にあった。2000年代の「国内回帰」の流れの中でこれらの工場の新規立地が目立ったが,その立地場所は大都市周辺部か,地方圏の中で外部経済条件の良好な地域に限られていた。またこれらの業種では国土縁辺地域の低賃金労働力を削減しつつ,新工場をより大都市に近接した地域に立地させることで高付加価値化も推進したと理解することができる。
  • 内藤 健裕, 牛垣 雄矢
    セッションID: P061
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    都市の内部構造を明らかにすることは,都市地理学の伝統的なテーマの1つである一方で,多くの研究は3大都市圏,特に東京大都市圏を対象にしており,地方都市の研究はそれほど多くない.本研究では,静岡市を研究対象地域に設定し,現代における地方都市の都市内部構造を明らかにする.また,菅野(1983)が作成した,1970年の静岡市の都市内部構造モデル図と比較することで,40年間の間に起こった静岡市の変化を明らかにした.その結果は以下の通りである.

    まず,CBDの外側に住宅地と商業地の混在地区が存在する.これは東海道や浅間通りといった江戸時代からの街道に沿っており,城下町の都市構造が維持されている. 主要な交通路に沿って都市的土地利用が分布するのは,安倍川以東の東海道や県道84号線(インター通り)沿いも同様である.これらの通りに関しては,幹線道路へのアクセス性において工業立地と利点が重なる.物流をはじめ様々な面において自動車への依存が高い今日では,ロードサイドにおいて商業施設と工場が混在するようになっている.
    また,安倍川の東西で土地利用が明確に異なる.東側は静岡都心であるため,様々な都市機能が集積しながらも,業務機能をはじめとして機能分化がみられるが,西側は一部工業地区も存在するものの,基本的には住宅地区である.
    菅野(1983)との比較により把握できる変化は2点ある. 1つは県道407号線(南幹線)の土地利用が変化したことである.1970年時点では沿線は工業地区と表現されていたが,今回の結果では商業地区と住宅地区の混在地区となっている.1970年代以降,日本の工業が成熟段階を迎えるにあたって脱工業化が進んだとされており,その時代背景が地方都市の内部構造にも影響したと考えられる.一方,ロードサイドで,かつ静岡都心へのアクセス性が良いため,商業施設や住宅が代わって立地していったものと考えられる.  もう1つは,東静岡副都心の変化である.1970年時点ではDIDの東端部だったこの地域は,1999年に東静岡駅が開業して以来,静岡の副都心として開発が進み,1970年時点では工業用途が主であったこの地域は,2010年では業務機能が台頭した.2015年現在でもさまざまな開発が進行中であるが,行政の計画が都市の内部構造に反映されている.  
     以上のような土地利用の分布パターンを整理し,簡略化することで2010年時点での静岡市の内部構造モデルを作成した(図).
  • 漁業管理の全国動向の解明に向けて
    橋爪 孝介
    セッションID: 501
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    日本における漁業管理は漁業者集団による共同管理を基盤とし、その成功事例として国際的な関心を集めている。漁業生産量が下降を続ける一方で、家族経営を基本とする沿岸漁業は、漁業者数を減少させながらも、安定的な生産量を維持していると言える。日本の漁業地理学においては、1970年代のあま漁業に関する研究を嚆矢として、漁業管理を扱った研究成果が蓄積されてきた。また漁業経済学や水産学など隣接分野においても先進的な取り組みを行っている地域を中心として漁業管理の様相が明らかにされつつある。しかしながら、魚種・漁法の多様性から、あま漁業について整理したものを除けば全国的な漁業管理の動向を解明したものはなく、また経年変化も想定しうることから、改めて漁業管理の全国動向を解明する必要があると筆者は考える。
    そこで本研究ではイセエビ漁に着目して漁業管理の全国動向を解明するための前段階として、三重県志摩市におけるイセエビ漁の漁業管理の地域的差異を解明することを目的とする。イセエビは千葉県以西の太平洋沿岸地域において重要な漁獲対象であるとともに、漁業管理に取り組む地域が多く、漁業生産量を維持してきた魚種であることから、漁業管理研究に適した魚種であると言える。イセエビ漁に関しては、いくつかの先行研究がみられ、地域的な漁業管理の実態が明らかにされている。
  • 鮫島 悠甫
    セッションID: P037
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    長尺の深海底コアと陸上堆積物の分析を行い、従来知見の乏しかった日本海東北沖における最終間氷期以前のテフラ層序の確立と堆積環境変遷の解明を試みた。

    2.調査地域および試料、方法
    分析対象試料は日本海最上トラフ秋田沖海底 834mから採取されたRC1408コアのテフラ、堆積物および秋田陸上のテフラである。テフラ試料は実体顕微鏡観察による岩石記載ののち、走向型電子顕微鏡・エネルギー分散型 X 線分析装置(SEM-EDS)による火山ガラスの化学分析を行った。テフラを同定し、RC1408コアの年代モデルを決定した。またレーザー回折式による1408コア堆積物の粒度分析を行った。

    3.結果と考察
    RC1408 コアからは、As-K、Aso-4、On-Pm1、Toya、 Aso-3、Ata-Th、Aso-1 に対比されるテフラが確認された(図 1)。4 回の間氷期(1回は後氷期)を含む過去30万年まで年代を示す一連のテフラ層序を記録する堆積物が得られた。 As-K、Om-Pm1、Aso-3 については従来の研究では降下範囲外とされてきた位置にあるRC1408コアから確認されたことで、降下範囲の分布が拡大した。RC1408コアの粒度分析の結果、間氷期のピークと砂サイズ粒子(主に砕屑物、1~4 割ほどが微化石)のピークが一致し(図 2)、降水量が増加し、洪水時の掃流力も増加した結果、海域のより遠方まで粗粒堆積物が運搬されたためと考えられる。

    謝辞
    本研究は経済産業省メタンハイドレート開発促進事業の一環として実施されたものである。
  • 渡辺 満久, 中田  高, 水本 匡起, 後藤 秀昭, 田力 正好, 松田 時彦, 松浦 律子
    セッションID: 805
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    身延断層の周辺において、複数の断層変位地形が確認できた。身延駅南方の荒屋敷では、数10万年前以降、最大で120~130 mの左横ずれ変位が累積していると考えられる。富士川河口断層帯の西方において、複数の活断層が確認され、その多くが左横ずれを主体とする活断層であることが判明してきた意義は大きい。駿河トラフの海底活断層は、身延断層方向へ連続する可能性がある。 荒屋敷で確認される左横ずれ活断層は、より北方および南方にも連続すると考えられる。しかし、現富士川の氾濫原の中を通過する可能性が高く詳細は不明であるので、高精度の地下探査を実施する必要がある。また、活断層の活動性を検討するために、富士川流域の河成段丘面の編年を進めることが重要である。
  • 島本 多敬
    セッションID: 704
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    近世の地図出版と記載された地理情報については,これまで地図の記載内容を中心に分析がなされてきた.しかし,近年,出版大坂図を対象に,地図規格と記載情報の関係(島本2013),板元の板株保有動向(小野田2015)などが検討され,板元の販売戦略とそれに基づく記載情報の編成のされ方が明らかになってきた.地図を通じた地理情報や知の流通において重要な役割を果たす板元の役割については,同時代的な背景を十分に踏まえつつ,さらに考究されるべき課題であろう.
    そこで本報告では,同様の検討を大坂図以外にも広げ,享和2年(1802)7月の淀川水害後に出版された水害絵図を素材に,地図の書誌情報,板元の動向を分析し,同図の出版過程と社会的背景を考察することにしたい.

    享和2年に刊行された水害絵図のうち,板元が明記されているものは2種類(A・B)が存在する. 両者は若干タイトルが異なるが,識語・図像表現はほぼ同様で,同一の板木を使用しているとみられる.両者を総称して「摂河水損図」としておきたい. Bには,一部地名と破堤距離の記載に埋木による訂正が見出せる.このことからAの後にBが出版されたとわかる.

    大坂本屋仲間記録「出勤帳十九番」(大阪府立中之島図書館編1976)によれば,享和2年7月24日,書肆の播磨屋九兵衛(Bの板元の一人)が,自身の出版する河川図(二水合流図)・大坂図(大坂指掌図)と「差構」のため,他の板元の「摂河洪水図」の出版差し止めを本屋仲間に申し立て,これが認められた.また,同年8月24日には,塩屋平助(Bの板元の一人)が「素人板にて出来」の「摂河水損村々改正図」を譲り受け,自身での売り弘めを願い出た.この「素人板」は塩屋の元にわたり,「摂河洪水図」として9月13日に出版が許可されており.Bの図を指すものと考えられる.塩屋と,同じくBの板元の一人であった河内屋喜兵衛は,当時,河内国絵図などの刊行国絵図の板元でもあった.
    Bの板元は,自身が保有する板株・出版物との関連から,他の水害絵図の出版を抑止し,あるいは自身の名前で「摂河水損図」の出版を行っていた.また,記載内容などから,19世紀初頭の当時,災害情報の速報性よりも正確性を求める需要を踏まえて,本屋仲間外の者による出版を差し止めさせつつ,同図が出版された可能性が考えられる.

    このような板元の動向に注目して,地図出版のもつ同時代的な意義,近世における地理情報の出版・流通に関する問題を議論することとしたい.

    文献
    大阪府立中之島図書館編 1976. 大阪本屋仲間記録 第二巻.大阪府立中之島図書館

    小野田一幸 2015. 近世大坂における地図刊行と大坂図の類板出入りをめぐって.小野田一幸・上杉和央編『近世刊行大坂図集成』創元社.26-37.

    島本多敬 2013. 近世刊行大坂図の展開と小型図の位置付け.人文地理65(5): 1-20.
  • 高岡 貞夫, 苅谷 愛彦
    セッションID: P026
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに<BR> 地すべり(広義)の地生態学観点による従来の研究では、地すべり地に形成される特有の土地的条件と対応した植生の分布構造が明らかにされてきた。このようなとらえ方に、地形および植生の形成年代に関する情報を合わせれば、地形と植生の動的な関係に関する理解が進むものと期待される。本研究では梓川上流域の玄文沢および善六沢流域を対象とし、植生調査とともに年輪試料の採取や堆積物中の放射性炭素の年代測定を行うことによって、地すべりに伴う地表変動が山地の植生動態にどのようにかかわっているのかを検討した。<BR>   2.対象地域の地形と植生<BR> 玄文沢および善六沢流域では滝谷花崗閃緑岩がほぼ全域を占めているが、稜線上などの一部に割谷山溶岩がみられる。標高約2100m以上は化石周氷河性斜面と考えられる平滑斜面や開析を受けていない緩斜面からなり、これらの斜面には岩盤の重力変形によると考えられる線状凹地や尾根向き低崖が多数存在する。標高約2100m以下は地すべりによって開析された斜面が卓越し、玄文沢・善六沢が梓川の氾濫原に達する場所には沖積錐が発達する。森林限界は標高約2400mにあり、その上方にはハイマツ低木林、下方にはシラビソ、オオシラビソ、コメツガの優占する常緑針葉樹林が成立している。常緑針葉樹林帯の上部では線状凹地に低木林、高茎草原、湿原および池沼が出現するところがある。また、大規模な地すべり地形が明瞭に残る場所ではカラマツの優占する林分がみられる。不明瞭ながら地すべり地形が認められる場所にはサワグルミ、カツラなどの広葉樹が林冠層を構成する林分が認められることがある。沖積錐にはタニガワハンノキ林がみられるほか、ウラジロモミやハルニレの優占する森林が発達する。<BR>   3.地すべり地における植生遷移<BR> 玄文沢上部左岸の地すべり地(面積約1.2×10<SUP>5</SUP>m<SUP>2</SUP>)では、林冠層にカラマツが優占する林分が滑落崖に形成されており、年輪試料によると林齢はおよそ200年程度と推定される。下層にはシラビソが優占するので、いずれはカラマツが林冠層の優占種になっていくと考えられる。地すべり移動体には林冠層にシラビソ、オオシラビソが優占する林分がみられるが、地表を巨礫が覆う場所ではトウヒの優占度が高い。このトウヒ優占林の下層にはシラビソ、オオシラビソの稚樹が多く、トウヒの後継樹は極めて少ない。トウヒ優占林は過去の攪乱によって成立したものと考えられ、地すべり等の攪乱がなければ、シラビソ、オオシラビソ優占林に遷移していくと考えられる。<BR>   4.沖積錐における植生遷移<BR> 沖積錐では新しい土石流跡地にタニガワハンノキ林が成立し、時間の経過した土石流跡地ではウラジロモミやハルニレの優占林となっている。ウラジロモミやハルニレと一緒にカラマツが林冠を構成する林分もあるが、そのような林分のカラマツの樹齢は200年以上であると推定された。カラマツはタニガワハンノキと同様に土石流による攪乱を受けた場所に侵入したが、長寿であるために、林冠層の優占種がタニガワハンノキからウラジロモミに変化してもなお林冠層にとどまっているものと考えられる。玄文沢の沖積錐において、このような土石流による攪乱が起きているのは、現在は沖積錐の南西部に限られている。玄文沢右岸を給源とする岩屑が沖積錐中央部にローブ状の微高地を形成しており、これが現在の土石流の流下範囲を制限している。この地形を構成する堆積物およびその下方の堆積物の中から得た腐植の放射性炭素年代を測定したところ、それぞれの暦年較正年代(1σ)は304-157 cal BPと4569-4445 cal BPであった。またこのローブ状地形の上で2014年に伐採されたトウヒの年輪は約270年であった。このローブ状地形は、完新世中期までに形成された沖積錐の上に、370-220年前に発生した規模の大きな土石流の堆積物によって形成されたものと考えられる。類似する規模のローブ状地形は善六沢にもみられ、両沖積錐では大小様々な規模の土石流が攪乱体制を特徴づけていると考えられる。<BR>   5.地すべりに伴う地表変動のフロラ形成に果たす役割<BR>  本州中部におけるカラマツ属とトウヒ属は、後氷期に分布を縮小させてきた。現在カラマツやトウヒは亜高山帯で優占林を形成することはほとんどないが、地すべり地はこれらの種が優占する場所を提供しているといえる。両種とも耐陰性が低く、大規模な攪乱を必要とすると考えられる。両種はシラビソ、オオシラビソやウラジロモミに比べて長寿であるために、再来間隔の長い大規模攪乱が発生する時まで、種子供給源となる個体群を維持できる。<BR>
  • ヒマラヤ・ヨーロッパ・日本
    渡辺 和之
    セッションID: S1201
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    山岳地域の資源利用に似たような慣行があることは古くから知られてきた。アルプスやヒマラヤのような山岳地域では、厳しい自然環境のなかでは農業だけで食糧を生産するには限界がある。このため農業・牧畜・森林利用が一体となった資源管理の方法が維持されてきた。 
    発表者は、エベレスト山麓における資源利用を中心とした山岳地域の文化をみることを通して世界の山岳文化が見えてくると考えている。「山高きゆえに尊からず」とはいうが、やはり山が高いと裾野も広くなる。このため、エベレストを見ることで日本の山々も見えてくると考えている。
    以下では、発表者が「エベレストモデル」と呼ぶ視点について、①自然環境の利用、②生業と観光化、③共有資源の管理の3点から説明したい。
    ①自然環境の利用。
    高いい山には氷河がある。アルプスやヒマラヤでは氷河の融解水を利用した灌漑農業があること、近年地球温暖化で氷河が縮小する傾向にあることが報告されてきた。だが、温暖化で縮小した氷河はヒマラヤでは大氷河に限られることはよく知られている。また氷河の融解水に依存する地域はカラコルムのような極度の乾燥地帯に限られる。水系全体で考えると、河川の最上流地域だけであり、湿潤なエベレスト山麓では、農業用水のほとんどがモンスーンによる天水に依存しているといっても過言ではない。
    ②生業と観光化。
    アルプスやヒマラヤでは、移牧や有畜農業など、農業・牧畜・森林利用は一体となってつながっている。また、草地は家畜の放牧だけではなく、野焼きで草地を育成し、家畜の飼料や屋根を葺く茅の生産地として利用されてきた。現在では、農業や牧畜以外の選択肢も多くなり、観光客向けの山小屋を経営する人も多くなったが、この山小屋は放牧小屋から発展した側面がある。
    ③共有資源の管理と地域社会。
    住民が家畜の放牧や森林利用の場とする草地や森林は共有地となっていることが多い。各村々では、集落の背後に広がる谷を共有地として管理し、家畜の放牧や森林利用のために利用できる場所が決まっていた。農地を購入すると、森林利用の権利や維持管理のための義務が付いてくる。逆に信頼できない外部者に畑や森林を売らなかった。
    共有資源の管理は祭事や儀礼とも連動している。エベレスト山麓では、解禁日まで家畜を連れて高山草地に入ることができず、違反者には罰金が科せられた。また、夏の高山草地では氷河湖で沐浴する祭りがあり、この祭りの時には仏教徒もヒンドゥー教徒を問わず大勢の巡礼がやってくる。
    このような自然環境の利用・生業と観光化・共有資源の管理が密接に関わる文化はアルプスやヒマラヤのような高地に限定されるものではない。富士山麓のすそ野のような低地でも似たような文化が存在する。本シンポジウムでは、本報告が世界の山岳地域にどこまで適用できるのか議論してみたいと思う。
  • アシム アヨブ
    セッションID: P042
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    アフガニスタン東北部の灌漑水利を考察したところ、既往の灌漑様式であるミラーブシステムでは国営の灌漑様式と比較したところ、灌漑施設の老朽化他の要因で水争いが発生していることが分かった。本研究ではこれらを明らかにした。
  • 丸本 美紀, 山川 修治
    セッションID: P003
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.  はじめに
    地理学は「地域性(場所性)」や「ある地域間の比較」を行い、さらに複合的に地域の構造を理解する学問(西川1985;ショレー1967など)である。地理学における気候学は、地理学の一分野を担っている以上、気候の地域特性を明らかにする目的がある一方で、この気候特性がその地域の構造にどのような影響を及ぼしているのかについても考究する必要がある。
    奈良盆地と京都盆地は隣接した盆地であり、両盆地とも同じ瀬戸内気候の東端に位置する。しかし、奈良盆地では古代より旱魃が多発し(奈良地方気象台、1997)、いわゆる溜池文化圏となっている。一方、京都盆地では古代より頻繁に洪水に見舞われ(片平2010)、かつ水が豊富なことにより水に関する多くの文化も残されている。
    気候特性は従来、熱(気温)と水(降水量)の複合的な観点からケッペンやマルトンヌ、ラングらによって表現されてきた。本研究では、気候の根本ともいえる熱収支と水収支に着目し、上記に挙げた気候風土の違いがみられる奈良盆地と京都盆地について両者の比較を試みた。
    2.  研究方法
    はじめに、両地域における可能蒸発散量(P.E.)をThornthwaite(1948)により算出し、水収支計算を行った。そのうえで、流出量(水過剰)が最も多かった年(1921年)と少なかった年(1947年)を抽出し、以上の2ヵ年と平均値について、新井(2004)、Budyko(2010)を基に、短波放射、長波放射、正味放射量,顕熱、潜熱を月別に算出し、両地域の比較を行った。解析期間は地表面温度の観測が行われていた1987~1952年とし、奈良については八木(橿原)測候所、京都は京都測候所のデータを用いた。
    3.  結果と考察
    水収支における平年値の比較では、P.E.については奈良と京都で大きな違いが見られなかったが、Run offは、10、12月を除いて京都が奈良を上回り、特に4~6月にかけて30㎜/月以上の差が見られた。熱収支における平年値の比較では、正味放射量は夏季において奈良がわずかに京都を上回るだけで、両地域に大きな違いは見られなかった。潜熱については、梅雨期を除き京都が奈良を上回り最大で13W/m2・月の差が見られた。一方、顕熱については年間を通して奈良が京都を約10W/m2・月上回る傾向が見られた。以上のことから京都よりも流出量が少ない奈良では、潜熱が京都を下回り、顕熱が大きくなることが分かった。
  • 池谷  和信, 渡辺  和之
    セッションID: S1204
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
       富士山のすそ野は農業にあまり適した土地ではない。農地は土壌の厚く積もった場所に限られ、土壌の少ない溶岩台地は家畜飼養や茅場として住民に利用されてきた。江戸時代には共有地の境界を幕府が裁許する文書が残っており、マッキーンによる山梨県の平野、長池、山中村の研究はコモンズ研究の草分け的事例として国際的によく知られる(Ostrom1990)。報告者らは2013年に富士山を一周し、明治以降、富士山麓の共有地利用が国家政策との関わりのなかでどのように変化したのか調査をおこなってきた。本報告では、静岡県側の御殿場市印野と富士宮市根原の事例を紹介する。
    2.結果
    1).御殿場市印野:明治10年代の地租改正以降、住民の共有地の所有権が国有林(御料地)へ移管された。しかし、住民は宮内庁に嘆願し、交渉の結果、御料地内での耕作や草刈りを認める入会権を得ている。また、大正から昭和のはじめにかけて、江戸時代の村単位の入会権を整理し、行政町村に移管することになった。このため、昭和28年に旧印野村が御殿場市に合併した後も、入会権は旧町村単位で持つ財産区にある(御殿場市史編纂室1984)。
       一方、住民が利用する共有林は、明治45年に陸軍演習場として接収され、終戦後は米軍基地を経て現在も自衛隊の東富士演習場となっている。しかし、住民の嘆願と交渉の結果、旧陸軍時代から演習場内での草刈りや耕作が許可され、現在に至る。
       現在、印野で入会権を持つのは、国有林組合、民有林組合、茅組合の3団体がある。その区割りの大元締めが印野村財産区組合である。財産区組合の構成員は約4000人おり、演習林のうち、国有林を利用する場合は国有林組合、民有林を利用する場合は民有林組合のもとで利用する。印野村で生まれた住民は基本的に財産区組合に属する。
       例えば、茅組合は近年に成立した。印野では実際に茅の生産に従事する人は年々減少し、茅の技術を継承するため、結成された。2013年では組合員21人。うち、入会権の無い人が10数人いる。後継者育成のため、村外の住民に入会権を認めるのかが問題となっている。茅組合では、演習林内で茅を育成する。防衛省との協議で演習のない日に刈り取り作業をし、収穫した茅のほとんどは文化財(白川郷など)の茅葺き屋根の葺き替えに利用する。
    2).富士宮市根原:山梨県との県境に位置する。ここでも、昭和3年に猪之頭村に陸軍戦車学校ができた。この時に、演習林として共有林が接収されたが、その後も住民が利用した点では印野と同様である。ところが、戦後、陸軍戦車学校は閉鎖された。かわってその土地は終戦に伴い、開拓地として外地から引き上げ者に分配された。このため、現在、住民が利用できる土地は集落付近に縮小した。
       印野と違い、根原では農業ができた。山梨県側の溶岩台地で土壌の少ない場所は樹海となっている。また、昭和30年代まで野焼きをして小豆、ヒエ、大豆を作っていたが、現在ではダイコンとシイタケを作っている。
       財産区の構成員は16世帯あり、その数は戦後変わっていない。根原の財産区には100%主権がある。外部の人が山菜取りに来たら取り締まることができる。また、根原では「財産区のよい所は村が残ること」という。他所へ移った人は財産区の権利を失う。また、他所からの転入者は、土地を借りられても、住民の総意が無いと買うことはできない。財産区は村人の信頼関係のもとで、村を維持してきた。
    文献 
    Ostrom, E. 1990 Governing the Commons. Cambridge University Press.
    御殿場市史編纂室1984『御殿場市史通史編(下)』
  • 1960~2015年の大阪府の事例
    桐村 喬
    セッションID: 521
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    I 長期的かつ広域的な小地域統計
    市区町村よりも詳細な空間単位で集計された小地域統計は,都市内部の状況を定量的に把握できる資料である.日本全国を対象に小地域統計が作成され始めたのは1960年代であり,同時期に進んだ計量的手法の導入によって,小地域統計を利用した因子生態研究などが盛んになった.近年はGISの登場により,大都市圏のような広域を対象としながら,市区町村の空間単位に縛られることなく分析することが容易になっており,小地域統計は多くの都市地理学研究で利用されるようになってきた.
    一方,国勢調査をはじめとする1960年代までの小地域統計の大部分は,各自治体が独自に作成してきたため(桐村, 2011),大都市圏のように広域的に資料を入手し,GISなどを使って分析することは困難である.例えば高度成長期およびそれ以降の大都市圏における人口変動を,小地域単位で分析することは資料上の問題から困難であり,分析対象は必然的に1970年以降になってしまう.
    そこで,この問題を解決するために,本研究では,1970年代よりも前から現代までの長期的な人口変動を分析できうる資料として『全国学校総覧』に記載された公立小学校の児童数に注目し,大阪府を事例としてその利用可能性を検討する.『全国学校総覧』は,文部科学省(旧文部省)の監修によって作成されているものであり,1955年以降,ほぼ毎年刊行され続けている.公立小学校の大部分には通学区域が設定されており,その児童数は,通学区域内のおおむね7~12歳人口に相当すると考えられる.また,多くの場合,児童は親と同居していることから,30~40歳代を中心とする親世代の人口も間接的に把握できる.
    II 公立小学校児童数GISデータの作成
    分析の対象とする期間は,1960年から2015年であり,5年おき12時点の『全国学校総覧』をもとに,公立小学校児童数に関するGISデータを作成する.
    GISデータの作成にあたって,主として作業上の都合から,小学校の所在地は原則として不変であるものと考え,国土交通省国土政策局が提供する「国土数値情報 学校データ」(2013年度)をもとに,2013年時点に現存するものに位置情報を付与する.そして,すでに廃校になった小学校や2015年までの新設校については,個別に位置情報を付与する.一方,所在地の変化などから明らかに移転が認められる場合は,その状況を反映して位置情報を付与する.なお,院内学級や児童福祉施設等に併設された小学校・分校についてはデータ作成の対象外とし,分析対象期間中に廃校になった分校については,本校に児童数を合算する.
    対象期間中の大阪府における公立小学校数は,最少が1960年の589校,最多が1990年の1,035校であり,各小学校の児童数は単純には比較できない.そこで,各小学校のボロノイ領域をその小学校の通学区域と仮定し,比較するもう一方の時点のボロノイ領域とオーバーレイし,面積按分することでよって児童数の増減を算出する.
    III 児童数分布の変化と長期的な人口変動の関係
    分析対象期間のうちで公立小学校数が最多となる1990年のボロノイ領域を基準として,1960年から2015年までの児童数を算出し,その増加率を求めた.児童数は,郊外化が顕著に進んだ1960年代に,それまでの既成市街地(1960年のDID)で大きく減少している.また,郊外での児童数増加は1970年代まで続いたものの,大阪府全体の児童数がピークとなった1980年以降は,減少傾向に転じている.2000年代以降は,都心部の児童数は郊外よりも相対的に増加傾向にあり,一部では絶対的な増加も認められる.
    児童数の増減から読み取ることができるこのような変化は,市区町村単位でみた大阪府内の長期的な人口変動ともおおむね対応しており,『全国学校総覧』の資料を用いることで,郊外化から再都市化に至る過程の一端を,従来よりも詳細な空間単位で捉えることができているといえる.小地域単位で分析することで,DIDやニュータウン開発などとの対応関係も把握でき,毎年分の資料をGISデータとして作成すれば,時間的にもより詳細に分析できる.しかし,公立小学校児童数を,児童数についての小地域統計としてより厳密に扱うのであれば,近年導入が進む学校選択制や,国立・私立小学校への進学率の変化の影響も考慮する必要がある.また,面積按分によって見かけ上の児童数の増減が生じてしまうなど,分析手法上の問題も改善する必要がある.
    参考文献
    桐村 喬2011.日本の六大都市における小地域人口統計資料の収集とデータベース化―近現代都市の歴史GISの構築に向けて.人文科学とコンピュータシンポジウム論文集2011-8: 169-176.
    付記
    本研究はJSPS科研費15K16886の助成を受けたものである. 
  • 愛知県岡崎市まちゼミ事業を中心に
    内藤 亮, 牛垣 雄矢
    セッションID: 209
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.研究目的
    日本各地で中心商店街活性化に向けたイベントは数多く実施されてきたが,いずれも一過性のものが多く継続されていない場合が多い.今回取り上げる「まちゼミ」は,商店主が講師となって商品に関する知識や情報を客に教えるイベントである.愛知県岡崎市を発祥とし,今では各地で実施され継続されているイベントである.まちゼミは,まちづくりのための企画として広く知られているが(松井2012),それに着目した研究は少ない.

    2.研究方法
    本研究では,愛知県岡崎市の中心商店街について,各種統計,現地調査による店舗構成・アンケート調査を行い,その実態を明らかにした.また,まちゼミについては,店主や商工会議所,まちゼミの会代表へのヒアリングおよび各回のパンフレットなど各種資料より,その実態を把握し,課題と今後の展望について考察した.

    3.結果
    中心商店街の各店舗では,店主の高齢化や後継者不足などで経営が厳しく,少人数経営のために人員を割くイベントも実施できない.また,地域とのつながりや個人経営の店舗のもつ人間的な触れ合いの魅力が感じられていないことや,まちゼミなどのイベントの認知度が低いという問題がある.そのためイオンモール岡崎など大型商業施設での購買率が高まり、中心商店街での購買率は低下した.中心商店街では飲食店化・サービス化が進み,結果的にはイオンモール岡崎と業種の棲み分けが生じている.
    2003年から開始されたまちゼミは,当初は10店舗で21種類の企画が実施され,199人が受講した.現在では,78店舗で110種類の企画が実施され,1400人が受講し,活発化している.中心商店街での買回りの促進を目的として始められたが,回数を重ねるにつれ,中心商店街外の店舗の割合が高まった.また理容・美容・エステ店の割合が高まった.一方,長期にわたって参加している店舗は,中心商店街内に立地する,文房具や化粧品・薬などの日常雑貨店である.

    4.考察
    まちゼミは回数を重ねるごとにサービス化が生じたが,これは中心商店街で生じている店舗構成の変化に対応していると考えられる.しかし,この企画の本来の目的である中心商店街での買回りの促進という要素は薄まっている.
    この企画に長期で参加している店舗は中心商店街内に立地するため,このような店舗が今後も参加し,大型商業施設ではできないプロの店主ならではの情報を提供し,客に店主との関わりを魅力に感じてもらうことが,今後のまちゼミの維持・拡大には必要であろう.一方で,サービス化など時代の変化に対応することも重要である.まちゼミは岡崎市民への認知度が低いため,これについての広報をますます行っていく必要もある.
  • 福島県における原発事故の畜産被害
    渡辺  和之
    セッションID: 308
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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      阿武隈山地では、牧草を自前で栽培し、糞尿を肥料として牧草地に還元する循環的な畜産がおこなわれていた。原発発事故後、酪農家は東電の補償を受け、購入した牧草を牛に与えていた。それゆえ、牧草地を除染し、自前の牧草の給餌を再開することは、事故以前の段階に戻るための1つの目標であった。
      発表では、2015年8月の調査をもとに、いち早く除染が終わり、牧草の作付けや給餌も再開した相馬市玉野の事例を取り上げ、除染終了後、どんな問題が残るのかを報告する。
      福島県内では、学校、住宅、道路、農地や牧草地の順に除染がはじまった。除染の方法には「天地返し」と「はぎ取り」がある。福島市や川俣市のような線量が低い所では「天地返し」だが、伊達市や相馬市玉野や南相馬市の山沿いの地区では線量が多いので「はぎ取り」である。後者の場合、セシウムの付着した表土を削ることになる。「表土の最も栄養がある部分を削られるのだぞ。それがどんな痛手だかわかるか」。自然農法でやってきた酪農家は語っていた。作業員は牧草地を耕す専門の重機を持っていない。このため、畜産家が除染に雇われ、作業を手伝っていた。
      仮置場も問題が絶えない。地域で決めた仮置場は基本的に住宅の除染の仮置場である。牧草地の除染で出た土は量が多いので、別の場所を探さねばならない。除染の作業は場所を決めながら並行しておこなう必要がある。
      表土をはぎ取った牧草地には、カリウムやゼオライトを散布し、施肥をして牧草の種を播く。牧草は秋まきの永年牧草を使う。牧草は翌年春に収穫する。
      玉野では、2014年より自前で牧草の給餌を試験的に再開した。国の基準では100ベクレル以下の牧草は牛に与えてよい。福島県の農協や酪農協では、独自に基準を作り、30ベクレル以上の牧草を与えないこととした。ミルクは赤ちゃんも飲むので、検出限界値以下(ND)にするためである。これを受けて、福島県の普及センターは、独自の給餌制限を設けた。県は、牧草畑を一筆ごとに区分し、畑ごとに採取した牧草のサンプルからこの畑で採取した牧草を1日何グラムまでなら牛に給餌してよいのかを算出した。
      「どの畑が高いかはだいたいはわかる」と酪農家はいう。しかし、同じ畑でも1番草と2番草で線量が違う。2番草の線量の方が1番草よりも高いこともある。「どちらの数値で牧草をかしたらよいのか」と戸惑いがある。結局、給餌制限の量では足らない。このため、牧草の給餌再開後も、購入した牧草を与えることは欠かせないのが現状である。
      東電の補償もいつまで続くのか。「形だけ除染したことにして、補償を打ち切りにするのでは」との不安が酪農家の間では絶えない。実際にJAには東電から補償打ち切りの打診があったという。玉野では(肉牛を育てる)繁殖農家の補償はすでに打ちきりとなった。「これで線量超えが出たらどうするのか」。酪農家は口々に語っていた。
      ちなみに検査態勢は万全である。集乳の際に毎日サンプルをとって検査するからである。「乳からセシウムが出たら、誰の責任になるのでしょうね」と発表者が聞くと、「抗生物質の時とは訳が違う。県の言う通りにやって乳から線量超えが出たのに何で酪農家の責任になるのだ」。酪農家の方は憤っていた。
    とにかく事故以降、忙しくなった。「以前はやらないで済む仕事やしなくてもよい心配が増えた。そのことを国や東電はちゃんとわかっているのか」。酪農家の方はこぼしていた。
  • 髙橋 未央, 小野 映介, 小岩 直人
    セッションID: 826
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本発表では,野口貝塚の周辺の古環境を明らかにするため,遺跡南部の開析谷において機械ボーリングを実施し,コア試料の各種分析(粒度分析,珪藻分析,年代測定)を行った結果を報告する.
  • 伊豆大島のジオツアーを事例として
    小池 拓矢, 菊地 俊夫
    セッションID: 407
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    <B>1. はじめに</B><BR> ジオパークを訪れた人びとは火山や海洋、河川などの営力によって形成されたダイナミックな景観を目にすることになる。これらの景観はジオパークの来訪者に大きなインパクトを与えるコンテンツである。よって、どこでどのような景観が来訪者に評価されたのかを検討することは、ジオパークの管理や運営をする上で重要である。そこで、本研究は伊豆大島で行われたジオツアーを事例として、ジオツアーの参加者がどこでどのような景観を評価しているのかを明らかにする。<BR> 伊豆大島は東京の都心の南方に位置しており、2010年10月に「伊豆大島ジオパーク」として認定された。伊豆大島には玄武岩質の成層火山である三原山をはじめとしたジオサイトが存在する。<BR><B>2. 研究方法</B><BR> 本研究は、首都大学東京の都市環境学部自然・文化ツーリズムコースで開講された野外実習における伊豆大島でのジオツアーに対して調査を行った。ジオツアーは2015年6月30日に行われ、これに参加した学生13名に調査に協力してもらった。<BR> ジオツアー参加者の景観評価を明らかにするために、本研究は参加者がツアー中に撮影した写真を分析するVEP(Visitor Employed Photography)という手法を用いた。参加者にGPS機能付きのデジタルカメラを貸与し、ツアー中に自由に写真を撮影してもらった。ジオツアーは2つのグループに分かれて行われ、それぞれのグループにガイドが1人ずつ付いて学生を案内した。2名のガイドが行ったインタープリテーションの内容をICレコーダーで記録し、インタープリテーションと景観評価の関係性について考察した。ジオツアー終了後には、参加者に撮影した1枚1枚の写真の撮影対象などを問うアンケートを行った。このアンケートでは、撮影対象のほかに、それぞれの参加者が気に入った写真5枚を選んでもらい、これらについても分析の対象とした。<BR><B>3. ジオツアー参加者の景観評価</B><BR> VEPを用いた調査を行った結果、一方のグループ(参加者7名)からは694枚の写真が、もう一方のグループ(参加者6名)からは581枚の写真が得られた。両グループともに地形景観や地質資源の写真がよく撮影されており、これらの写真の撮影地点に対してカーネル密度推定を行った結果、写真撮影が集中して行われた場所はすべてガイドによるインタープリテーションが行われた場所であった。ただし、その集中がみられた位置はグループごとに多少の違いがみられた。<BR> 次に、ツアー参加者が選好した写真についての分析を行った。参加者によって撮影されたすべての写真の撮影対象と比較して、参加者が選好した写真は人間を撮影したものの割合が大きかった。以上の結果から、ツアー参加者はあくまで記録として地形や地質に関する写真を撮影するが、記憶に残りやすいのは友人との楽しい時間の思い出であると考えられる。ツアー参加者に楽しかった記憶や満足した記憶が残れば、その地を再度来訪したり、他人に来訪を薦めたりする可能性は高くなる。<BR> 起伏に富んだ地形や非日常的な自然景観を利用して、人物のユニークな写真を撮影できるのがジオパークの特徴であり、ジオパークのガイドはツアー参加者にこれらの地質的・地形的資源を「観察」させるだけでなく、「体感」させるようなインタープリテーションを行うことが重要であるといえる。菊地・有馬(2011)はジオツーリズムの役割として、「広く一般に地形・地質や地球科学の知見が楽しく有意なものだと認識してもらうことがより重要である」と述べている。本研究の結果も、ジオパークにおけるインタープリテーションはただジオサイトに関する情報を提供するだけではなく、楽しさを同時に伝えることが必要なことを示唆していた。
  • 私的な支援活動の試みとその反省点
    渡辺  和之
    セッションID: P048
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
       2015年4月25日と5月12日に起きたネパール地震を受け、これまで調査で世話になった村に義援金を届けた。その際、日本地理学会の会員各位にも貴重な寄付を頂いた。改めてお礼を申し上げ、活動の反省点を述べたい。
       支援活動は私的でごく小規模なものとした。 (1)支援の対象はオカルドゥンガ郡ルムジャタール村のみとする。(2)1ヶ月後にせまった雨季を乗り切るための最低限の支援とする。同村だけでも約700世帯あり、うち約50世帯は全壊ないし半壊している。しかも、5月12日の余震以降、全住民が屋外で避難生活をしている。可能な範囲で最低限の支援を迅速におこなう必要があった。
       以上の経緯から、予算の上限を10万円とし、被災世帯のうち50世帯分のブルーシートを送ることとした。現地の友人に現地でシートを購入してもらい、後日現金で受け渡した。結果的に、合計190枚のシートを配り、出費は26万円程度となった。友人が被災世帯を確認した所、全壊半壊世帯が90あった。また、知りあいのネパール研究者があまったシート100枚をまわしてくれた。支援活動は財布の紐を心配しつつ、迅速な判断を求められることがわかった。
       幸いなことに、義援金は合計約68万円集った。ただし、50万円寄付して下さった人が1人、5万円の方が2人いた。残りの約8万円が11人の方の総計である。他に使用してないキャンプ用のテントを2張寄付してくれた方がいた。残金は村の学校に寄付した。
       6月中旬に現地に確認に行った所、村の全世帯にシートが行き渡っていた。われわれの支援のすぐあとに宗教や政党の支援物資が届いたとのことである。全壊・半壊など、著しい被害を受けた人には、政府からの救援物資が届いていた。ただし、その数は32世帯中4世帯だけだった。また、住民は竹細工を利用し、自力で仮設住宅を作りあげており、シートやトタンの屋根を付けていた。しかし、あくまで仮設に過ぎず、雨季明けと同時に家の再建問題が今後大きな問題となる。また、ルムジャタール村の周辺ではわれわれのシートしかもらってない世帯もいた。このシートは追加の100枚で配布したものである。シートの分配に関する問題や義援金を家の再建に欲しいと懇願する人もいた。支援物資や義援金の分配は他人に任せてはならないことを実感した。
       今後、ネパール政府は被災者に仮払金15000ルピー、家の再建費用20万ルピーを支給するという。しかし後者については、まだ受け取った人はいない。「被災者」の審査も厳格化することが予想される。また、実際に住宅を再建すれば、最低でも1軒100万ルピーかかるため、これだけでは足らないことは明らかである(1ルピーは約1.2円)。いわゆる二重ローン問題もある。家を建てたあとすぐに被災し、その借金が残る人もいる。
       結論として、政府の対応には限界があるが、発表者もこの点では同じだった。つまり、被災者が全壊・半壊世帯では足りないことを知りつつ、その数にこだわり、出し惜しみした。公助が行き届かない国では、親族や知りあいなどのコネを利用した共助が大きな力を持つ。このため、被災物資を公平に分配することは困難であり、自分で責任持って現地へ届けることが求められる。さらに今後、各世帯では住宅の再建に最低120万円の費用が必要であり、これを義援金だけでまかなうことは困難である。
       このため、草の根支援は終了とした。残りの費用の多くは住民が自助努力するしかない。今後、ネパールでは海外への出稼ぎや都市への移住がさらにいっそう多くなるものと思われる。また、今後金銭以外の支援も重要となるのだろう。
  • 岡村 星児
    セッションID: P089
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では,他地域の追随を許さず成立している独占的野菜産地であり,全国出荷量のうち約30%のそらまめ出荷を誇る鹿児島県を取り上げ,その中でも特に生産が盛んである指宿市を事例に,そらまめの生産・出荷体制を土地や気候の関係から総合的に捉えることで,独占的野菜産地の変容を明らかにすることを目的とした.
    高度経済成長期以降,圃場整備,機械化農業の確立,交通インフラの整備によって,遠隔地に新たな野菜農産物産地が形成され,全国規模での産地間競合が発生した.野菜産地では,岡田(2012)は,複数の農協が連携し,品種と規格を統一し,共同販売することで生産が拡大するような対応をとったこと,荒木(2006)は,農産物産地の偏在傾向が進み,日本の野菜産地の中にはある一定の作物を独占的に生産する産地が出現したことが指摘されている.しかしこれらは独占的産地として市場との関係から捉えたものが多く,土地や気候の関係も含めた総合的な関係から捉えた研究は乏しい.そこで,本研究は,近年の農業経営を取り巻く問題にどう対応して,産地を変容させているのかに着目する.
    全国のそらまめ産地の収穫量を都道府県単位でみると,大規模産地がかぎられ,鹿児島県が全国第一位である.鹿児島県産は他産地と出荷が競合しない12月から5月に東京中央卸売市場を中心に出荷し,全国的に大きなシェアを獲得している.鹿児島県内の二大産地には,12月から4月に出荷する指宿市と4月末から5月上旬に出荷する出水地区があるが,前者が県全体の62%を生産し,出荷時期も長い.
    指宿市におけるそらまめ生産は,魚見地区で1950年代に始まったが,病気等が発生により中断となった.その後,再び生産量を伸ばすのは1980年代を通してであり,1988年に県の産地指定を受けた.この時期は,南薩畑地かんがい事業の時期に対応する.特殊な火山性土壌に覆われ,保水力が乏しく,大規模な河川が存在しないため,さつまいも,麦,ナタネなどの干ばつに強い作物しか育たず,
    生産性が非常に低く,収入が不安定な農業であった.しかし,指宿市では南薩畑地かんがい事業によって生産性の高い作物の栽培が可能になったことで,温暖な気候かつ無霜地帯という気候条件を生かすことが可能となった.
    そらまめの栽培が成立することとなった気候条件は競合産地のない早期出荷を可能にし,県内の他産地と「かごしまブランド」という共通のブランドで結びつくこと,また農協によって作型を6型に分けたり,関東以西の地域へ限定すると共に関東へその多くを出荷したりといった生産・出荷管理を行うことによって,長期間にわたって早期大量出荷が可能になった.また交通,保冷技術の発達によって市場から距離のある遠隔地であっても全国への出荷が可能になったことも重なって,指宿市は独占的なそらまめ産地を確立した.
    しかし近年,単価下落,労働効率の悪さ,作柄の変動が大きいといったそらまめ生産をめぐる状況が不利になってくると,そらまめが市場を独占する産地になった要因を生かしつつ,不利な状況を打破する作物としてスナップえんどうやオクラの栽培を増やして対応していることが明らかになった.この傾向は収入をいち早く安定させたい若い農業経営体や,より高い労働効率が求められる,点在した農地で生産する経営体,大規模な農地で生産する経営体ほど強い.このことから,指宿市はそらまめに加えスナップえんどう,オクラといった複数作物で市場を独占する産地へ変容していることが明らかになった.
  • ―香川県丸亀市本島の児童・生徒を事例として―
    冨家 遼子
    セッションID: 918
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では、地理的な見方・考え方を論じる上で、今まで「教育を受ける立場」であった子どもの存在を、「生活者」としての立場からとらえている。日常生活を通じて形成される地理的な見方・考え方を見出し、地域に応じた地域学習を提案することを、研究の目的とする。香川県丸亀市本島において、小学生及び中学生の合計15名の子どもに対して、生活行動及び島内外への説明を想定した島の位置・場所に関するアンケート調査を用いて、調査を行った。
    地理的な見方・考え方の指導では、見方と考え方を区別した上で、まず、その出発点として、地理的な見方の形成に焦点が当たる。地理的な見方は、特に「位置」と「場所」という概念から形成される。 位置は、座標系と距離尺度をもとに形成される方位感と、事物の相対的な位置関係によって把握される概念である。また、場所は、地形的・線的目印、その他事物の特徴をとらえることで把握される。
    調査地における小学生は、交通機関や景観的な見方など、(A)子どもの日常(遊び空間やコミュニケーション行動といった、子どもたちが自ら生活者として行動する経験にもとづくもの)の経験による、具体的で生活的な見方が形成されていた。身近な地域である本島に対しては、「遊び」の経験から地理的事象をとらえている一方、香川県に対しては「買い物」の経験が大きいものの、位置や場所による地理的な見方は形成されていない。中学生は、(A)に加え、(B)家族や友人(家族や友人に関係する産業や観光業、または、大人の会話から知り得たと推測できるもの)や(C)学校教育(図書館や市民センターといった学校教育や地域学習の教材となったことで、子どもたちが経験し、日常生活の一部として機能するようになったもの)による影響も大きく、個人的・具体的な日常生活の事象よりも、全体的・客観的な地理的事象をとらえる傾向が強い。本島に対しては、(B)によって、香川県に対しては、(A)、特に週末の「買い物」の影響が大きく、小学生よりも知覚環境の拡大がみられる点が、地理的な見方の形成に寄与している。一方で、経験を伴わず、マスメディアや大人の会話等から知り得たと推測される産業・商業の場所の特徴が、「地理的」ではない場所の理解へと作用している。
    「生活者」としての立場から形成された地理的な見方は、交通機関、他の地理的事象と位置関係、景観的・方位的な見方の傾向が大きい。その一方で、分布的な見方が弱く、これを地域学習で補完する必要がある。分布とは、「地理的事象が、どのように広がっているか」という面的な見方である。分布は、地理的な見方・考え方の中でも、「関係」「地域性」に並んで重要とされ、その中でも特に基本となる概念である。教員は、子どもの知覚環境を、物理的距離の近さや学区・行政区からではなく、子どもの行動様式に基づいて把握する必要がある。その上で、授業で扱う地理的事象の精選が求められる。地域に多く見られる事象や、生活者としての子どもに近い事象ではなく、知覚環境を広げるような地理的事象を選び、また、分布図の作成とその先の「考える」作業を見据えて、地域学習を開発する必要がある。
  • 山形大学地域教育文化学部における成果と課題
    村山 良之, 八木 浩司
    セッションID: 925
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    山形大学地域教育文化学部では,2015年度前期「教員になるための学校防災の基礎」(2単位)が新設され,児童教育コース(小学校教員養成)の入学生に必修科目として設定された。2015-16年度は移行期間で選択科目として開講されている。本報告は,授業実施による成果と課題を明らかにして改善を目指すものである。
    防災の科目新設  教職大学院での実績と学部学生の実態調査結果を踏まえて,授業時数の約半分を地球科学的内容として前半に置き(8コマ),後半に防災教育と防災管理を置く(6コマ)授業計画とした。担当者として現職教員,山形地方気象台からも支援していただいている。
    初年度実施の成果と課題  2015年7月末,授業の最後にあたり,設問項目を設けずに受講生の感想と来年度に向けて改善すべき点を求めた。10分程度で書かれた文章において,以下のような反応が得られた。感想の総数は39で,以下の感想の例は簡略化等の改変が加えてある。  まず,授業全体に対しては,ほとんどから肯定的な評価を得ることができた。自らの意識の変化に言及したものや,開講されたことへの感謝を書き込んだものが複数ある。一例を挙げる。「思っていたものと全然違う物だった。自分が知らないことだらけだった。自分が何をすればいいかが分かった。防災は身近なものであった。」  前半に配置した地球科学的な内容に言及した者が多くあり,肯定的な感想が16あるのに対して,否定的な感想も16あった。  否定的とは,「難しかった」というものがほとんどである。なかには,「最初に難しい話が入ったことで,大切な話になるまえにこの講義をやめてしまった人がいたためもったいなく思った。」というものもある。反対に,肯定的な感想の例を1つあげる。「授業の序盤で地形や地質の講義があったことで,後半の防災の授業がよりわかりやすくなりました。地形や地質が異なるために,同じ災害が発生しても受ける被害やその規模がちがうということを理解することができました。この理解があったからこそ,学校ごとの危機管理マニュアルを作成することの大切さにも気がつくことができました。」発表者らの意図がうまく伝わったことになる。  じつは同じ受講生の感想のなかに,肯定的と否定的の両方が書き込まれた感想が9ある。すなわち否定的な感想16,肯定的な感想16のうち,いずれもそれぞれ6割弱がこれにあたる。たとえば,「地形を理解する大切さ,災害が起こるメカニズム等,防災をする意味や方法を具体的に理解することができたと思います。少し不満を言うとすれば,内容が難しすぎ(以下略)」,「地学の知識も,難しい点はあったが,地盤の固さや水の流れなどを考えて自分の住んでいる場所について考えられるようになって良かった。」といった内容である。  前半の地球科学的内容が難しいという反応は計画段階で予想されたことであり,授業内容について気象台の方々を含む担当者間で確認していた。すなわち,2014年度児童教育コース学生の実態調査結果(高校で文系84%,地理選択23%,地学選択17%)から,中学校レベルの知識を前提に授業することとしていたが,授業においてさらにかみ砕くなどの工夫が必要であることがわかった。  一方で,肯定的な感想をともなうものも多くあることは,このような授業の構成で成果があったと解釈できる。そして,一部の感想にもあるとおり,前半を学ぶ意義,前半と後半の繋がりについて,提示すべきである。前半の知識が自校化(ローカライズ)の土台でありひいては学校防災の鍵であることを,オリエンテーション段階で,ていねいに説明する必要がある。  授業の内容については,後半の充実を求めるものが複数あり,また,一方的な講義ではなく受講生の活動を組み込むことや各授業のまとめやふりかえりの時間を十分取ることなどの授業方法の改善を求めるものが6人あった。受講生が活動する場面を授業に組み込むことは,本授業計画段階で考慮していたが,初年度はほとんど実現できなかった。改善に努めたい。  最後に,外部講師(気象台予報官や小学校長)による授業に対して,肯定的に言及したものが9ある一方で,否定的なものはなかった。一例を挙げると,「気象台の方,現場の方のお話を聞けたのは非常によかったです!この外部の方のお話は絶対に続けてほしいです!!」とある。上記のとおり,外部講師ついてとくに回答を求めたものではなく,全体の感想のなかであえて述べられたことを勘案すると,専門家や現場の方々による授業がいかに受講生に強く響いたかがわかる。外部講師による授業担当は,来年度以降も継続すべく,関係者から内諾を得て手続きを進めている。
  • 太田 慧, 杉本 興運, 菊地 俊夫
    セッションID: 404
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1研究背景と目的 東京都心周辺地域は江戸時代から武家地,寺社地,あるいは町人地として栄え,それらの地域は現在でも東京を代表する主要な商業集積地として発展している地域も少なくない.たとえば,新宿,渋谷,浅草,および神楽坂などは海外の観光ガイドブックであるLonely Planetに紹介されるなど,東京都心周辺地域の観光資源としての潜在的価値は大きい.これらの東京都心周辺地域に位置する東京都台東区上野地域は,博物館や美術館,動物園などの観光施設とともに,アメヤ横丁に代表されるような東京の下町の風情を感じられる商業集積地が隣接している.上野地域ではこれらの要素が混然一体の景観を形成している一方で,商業集積地への観光客の誘致が課題となっている.  そこで本研究では台東区の上野地域を研究対象地域として,東京都心周辺地域における商業集積地の土地利用とその構造的特徴をとらえることを研究の目的とする.これにより,多様な観光資源が隣接する上野地域の特徴をとらえ,2020年の東京オリンピックに向けて観光客のさらなる増加が期待される上野地域の空間特性を明らかにしていく.本研究では,上野地域における商業集積の現状をとらえるために,台東区の資料をもとに街区構成,町会,および商店街の分布図を作成した.さらに,商店街を中心とした商業集積地の空間構成をGISに取り込み,それらの関連について検討した.
    2
    上野地域における街区構成と商店会の分布特性 上野地域は江戸時代から続く市街地であるが,1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲で被災し,その街並みは大きく変貌してきた.上野地域における街区構成は第2次世界大戦以前の骨格を基盤としており,現在でも一部の町名にその面影が残っている.現在の上野地域の町名は,他の東京都内の町名と同様に1964年の東京オリンピックの前後に大規模に改変されている.その一方で,上野地域における町会組織や商店街の範囲は従来の地域区分を踏襲しているものが多い.つまり,上野地域の商店街は,現在の行政区分よりも従来からの地域的なつながりを継承している.
    3.上野地域における商業集積地の空間構成 2015年現在,上野地域の商業集積地は19の商店街と745の店舗から構成されている.これらの商店街組織は,JR上野駅と御徒町駅の間に位置するもっとも店舗が集積している地域で細分化されている.また,JR山手線の東側では飲食店が多く立地する一方で,西側では様々な業種が混在する傾向にある.さらに,観光施設が集中する上野公園に隣接する大通り沿いでは大型店が立地しており,小地域内において店舗構成に差異がみられた.
  • 米家 泰作
    セッションID: 706
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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  • 貯水池(アスーデ)・河川水の水質分布
    宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, 山下 亜紀郎, 羽田 司, オリンダ マルセーロ, 篠原 アルマンド, ニューンズ  フレデリコ, 大野 文子
    セッションID: P056
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ はじめに
    ブラジル北東部(ノルデステ)の熱帯半乾燥地域(セルトン)では,1970年代後半の大規模ダムの建設による灌漑農業の発展の結果,飛躍的に環境負荷の低減,貧困農民の定住化等への効果が期待される一方で,地表面環境(土地利用形態)の劇的な変化による水文環境にも大きな影響が及んでいることが考えられる。本発表では,セルトンにおいて灌漑による土地利用変化が顕著にみられるペトロリーナを対象地域とし,現在の灌漑の状況と,貯水池(アスーデ),河川水の水質分布と灌漑による影響について報告する。
    Ⅱ 灌漑の状況と土地利用
    本研究対象地域であるペルナンブコ州西部に位置するペトロリーナおよびその周辺地域は,1978年のソブラディーニョダム建設以降に活発化したCODEVASFによる灌漑と農業団地の整備により,地域特有の植生であるカーチンガから畑地へと土地利用形態が大きく変化した。栽培作物については,1980年代にはトマトやメロン,トウモロコシなどが多かったが,近年では,マンゴーやブドウなど果樹の栽培が盛んに行われている。灌漑の発達に伴い,畑地の近傍では古くから利用されてきた貯水池(アスーデ)にも灌漑用水路を介してサンフランシスコ川の河川水が導水されるところが認められる。灌漑方法もセンターピボット方式から点滴灌漑などへと変化してきており,より効率的な灌漑方法が採用されてきている。
    一方,カーチンガに分布するアスーデは,周辺の地表水や地下水を集めており,乾季には干上がるものもある。灌漑水路や農地は,現在も北方に向けて拡大している。
    Ⅲ 水質分布からみた灌漑の影響
    サンフランシスコ川から灌漑用水を介して導水されたアスーデと旧来の周辺から地表水や地下水を集水しているアスーデでは,水質濃度に大きな差が認められ,電気伝導度でみるとサンフランシスコ川から導水されたアスーデは100μS/cm以下であるのに対し,灌漑の旧来のアスーデは10mS/cm前後の値を呈しており,特にNa+とCl-濃度に大きな違いがみられた。対象地域内を流れる小河川の電気伝導度の値は,10mS/cm前後の値を示しており,この値が灌漑の影響を受けていないアスーデとほぼ同じであった。この値が,この地域における地質の影響を受けた地表付近を流れる水の水質濃度であると考えられた。
    一方,農場付近の河川やアスーデでは,電気伝導度が1mS/cm前後を示すものが多数認められた。このような値を示した地点ではCa2+,K+,SO42-の濃度が高く,上流側に位置する農場が使用している灌漑水はサンフランシスコ川から導水されたものであることから,元々水質濃度の低い灌漑水に,農場において施肥や投薬による影響が現れていることが考えられた。
    以上のように,灌漑によって,サンフランシスコ川から離れた地域への従来になかった水質を持つ水や,施肥,投薬の影響を受けた水が広域に供給される現状が確認された。今後,農場周辺に残るカーチンガや水域における生態系に及ぼす影響について検証する必要がある。
  • ミャンガン オルギルボルド, 川東 正幸
    セッションID: P046
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    セレンガ河はモンゴル北部の山岳域に源流をもち、バイカル湖まで流れる国際河川であり、バイカル湖に流入する河川の中では最長であり、最大の水量を供給している。その流域には様々な土地利用を有しており、土地利用を介した人間活動はバイカル湖に影響を及ぼすと考えられる。近年、モンゴル国側の流域では急激な工業化、都市化と農業の機械化が進行しており、土地劣化が引き起こす水質への影響が懸念されている。特に、鉱工業のための採鉱活動による重金属汚染について報告されてきた。本研究では北部モンゴルのセレンガ河集水域を流れる河川より採取した水試料についてフィルターを用いて得た画分と底泥中の元素分布を分析し、土地利用との関係を考察した。0.7μmのガラス繊維ろ紙と0.025μmのメンブランフィルターを用いた分画を行い、補足された粒子をそれぞれ、懸濁粒子(Suspended Solids (SS))、コロイド粒子と称し、最小孔径を通過した画分を溶存態として分析試料とした。SS試料は硝酸による酸分解を行って、分析に供した。分析は金属を主体とした元素と各種陰イオンの定量を行った。有機成分も炭素・窒素量として定量した。SSは河川の流量と正の相関関係を示しており、流量が多いほど懸濁粒子が多く、濁ることがわかった。ただし、二本の支流は流量に対して高い懸濁粒子濃度を示しており、農地利用とそこでの機械化が影響していることが考えられた。全体的には、溶存画分では塩基類が主体であり、重金属類はSS中に多く含まれており、鉄およびアルミニウム酸化(水酸化)物に吸着されていると考えられた。露天掘りの金鉱山近くではSS濃度は高くなく、比較的高いコロイド態の鉄濃度によって特徴づけられた。このことはこれまでに報告されている同地域の地下水脈を通じた拡散によるコロイド態鉄の溶出として説明できる。集水域に湿地がある小河川では溶存態の元素濃度が高く、溶存有機物による溶解・輸送過程が考えられた。重金属に着目すると、SS画分の動態が重要であると考えられ、その動態には吸着や沈降の過程が関与していることが予測された。本研究の研究対象領域では、流量に対してSS含量が高かった河川では銅と亜鉛のSSによる吸着保持率の高いことが確認された。このことは土地利用がSSの吸着を通じた重金属の輸送を促進することを示唆しており、同地域では主に農業での機械化によってより多くのSSが供給されたためであることが推察された。また、SS表面の荷電分布の共存イオンによる変化は凝集・沈降を生じると考えられた。すなわち、湿地より溶出する高い塩基濃度は酸化鉄コロイドの凝集を可能にし、下流域で沈降集積される過程が認められた。これらは河川水の特性もさることながら、その上流における土地利用または土地被覆が影響しているものと考えられ、土地利用・被覆の変化は河川中の汚染物質を含めた物質の動態に多大な影響を与えることが推測された。
  •  -灌漑によるカーチンガ植生への影響-
    吉田 圭一郎, 宮岡 邦任, 山下 亜紀郎, 羽田 司, オリンダ マルセイロ, 篠原 アルマンド秀樹, ヌーネス フレデリコ, 大野 文子
    セッションID: 1010
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    I はじめに
    ブラジル北東部の乾燥が厳しい地域には,熱帯季節乾燥林(seasonally dry tropical forest)であるカーチンガ(Caatinga)が分布する.生物群系としてのカーチンガが占める面積はブラジル国土の約10%にもおよぶが(吉田 2014),入植以来の人間活動の結果,現在のカーチンガが占める面積はその50~70%程度とされ,保全が必要とされている(Leal et al. 2005).
    サンフランシスコ川の中流域では,1980年代以降に灌漑農地の大規模造成が行われ,農地へ転換されることで自然状態のカーチンガのほとんどが失われた.カーチンガは農場内の一部に残されているものの,乾季でも落葉していない樹木が散見され,構成種の生活史や植生構造が変化している可能性がある.これは灌漑により周辺の土壌水分条件が変化するためで,厳しい乾燥環境下で独自の生態系を形成してきたカーチンガの保全を考える上では,こうした灌漑が起因となった水文環境の変化による影響についても把握する必要があろう.
    そこで,本研究では灌漑を行う農場の周辺での土壌水分条件の変化を明らかにし,農場の周辺に残されているカーチンガへの影響を検討した.

    II 調査地と方法
    本研究の調査地域は,ブラジル北東部に位置するペルナンブコ州のペトロリーナ周辺域である.この地域では,ソブラディーニョダム竣工後の1980年代より大規模な開発が行われ,現在では灌漑によるマンゴやブドウなどの果樹栽培が盛んである.その中で,点滴灌漑によるマンゴ栽培が行なわれている農場(DAN農場)と農場に隣接するカーチンガを調査対象とした.
    マンゴ農場との境界から500mの測線をカーチンガ内に設定し,農場とカーチンガとの境界部(0mと20m),および50m地点以降は50m毎に,レーザー樹高計を用いてカーチンガの植生高を測定した.また,植生高の測定と同じ地点,および農場内(境界から20m内側)おいて試坑を設け,20cm深の土壌水分量を測定した.土壌水分量の測定は,直近に降水がみられた雨季(2014年12月2日)と直近3ヶ月間に降水がみられなかった乾季(2015年9月8日)に行った.

    III 結果と考察
    設置した測線に沿って植生高は変化した.農場との境界から20m地点までは植生高が6~8mと高く,50m地点以降は植生高が4~5m程度とやや低くなった.
    雨季の土壌水分量は,農場内から20m地点までが3~4%で,50m地点以降の2~3%に比べやや高い値を示したが,測線に沿った土壌水分量の明瞭な傾度はみられなかった.一方で,厳しい乾燥環境下にある乾季には,農場内から20m地点までは3%程度であったが,境界からの距離が離れるに従って土壌水分量が低下し,400m地点以降では土壌水分量が1%程度となった.
    灌漑により農場周辺域の土壌水分量が増加することは容易に予想できることから,乾季にみられた土壌水分量の明瞭な傾度は農場での灌漑の影響である可能性が高い.実際,2014年9月から実施している連続測定の結果をみると,20m地点では無降水期間においても土壌水分量は3.5%程度を維持しているのに対し,200m地点および500m地点では2.5%を下回っていた.
    これらの結果は,農場での灌漑は農場内だけでなく,農場周辺の土壌水分量も恒常的に増加させていることを示している.また,測線上における植生高は農場との境界に近いほど高くなっており,土壌水分量と良い対応関係を示すことから,灌漑による土壌水分条件の変化が農場に隣接するカーチンガにおける植生構造の変化を引き起こしていることが推察される.今後は,測定された僅かな土壌水分量の差異と植生との関係を明らかにするため,さらなるデータの蓄積を行う予定である.

    本研究は,平成26年度科学研究費補助金基盤研究(B)海外学術「ブラジル・セルトンの急激なバイオ燃料原料の生産増加と水文環境からみた旱魃耐性評価」(研究代表者:宮岡邦任)による研究成果の一部である.
  • 高場 智博, 吉田 英嗣, 須貝 俊彦
    セッションID: P033
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    伊吹山系・池田山麓には27の土石流扇状地が形成されている.これらの多くは複数の段丘面からなり,地形学的観点から段丘面の形成年代が検討されてきた.東郷(1980)は,山地崖麓を通る池田山断層の断層変位を見出し,その最新活動を明らかにする目的で,地形分類と現地観察によって段丘の形成年代を推定した.その結果,本研究地域の段丘面は3つに大別され,高位から10-20ka,4-10ka,2-4kaに形成された,とした.石村(2010)は,関ヶ原周辺の段丘面の形成年代と断層変位から活断層の平均変位速度を算出する過程で,本研究地域の段丘形成年代にふれた.関ヶ原周辺地域では火山灰の純層を用いた段丘面の対比や編年が難しいことから,被覆層中のクリプトテフラを対比し,火山ガラスの含有率から「テフラ降下層準」を認定して,段丘面を編年した.その結果,池田山麓地域に分布する段丘は5つに大別され,高位から90-130ka,50-70ka,20-30ka,15-20ka,10ka以降に形成された,とした.石村(2010)によるクリプトテフラを用いた段丘面の編年は,年代試料に乏しい本研究地域の地形発達を検討するうえで有意義である.しかし,その地形分類や段丘形成年代は東郷(1980)によるものと大きく離れている.また最近は,クリプトテフラには同一層準に複数の給源火山に由来するものが混在する場合や,風化によって火山ガラスが消失する場合があるため,テフラ降下層準を認定することは困難とみるべきである,との指摘もある(長橋・片岡,2015).
    そこで,本研究ではテフラ以外の年代試料として腐植物を用い,本研究地域に発達する段丘形成年代を検討した.現地調査において,3地点で段丘礫層直上の腐植土層をそのほぼ最下部から厚さ10cm分採取し,さらに1地点(池田町藤代)では段丘礫層直上を覆う層厚20cmの一連の腐植土層のうち,上端5cm分と下端5cm分を採取した.計5点の腐植土層サンプルのAMS14C年代測定は,株式会社パレオ・ラボに依頼した.その結果,段丘礫層直上の暦年補正年代(2σ)は,池田町段における扇状地の高位面で17,592-17,246 cal BC,池田町藤代における扇状地の高位面で上端5cmが10,766-10,630 cal BC,下端5cmが14,403-14,049 cal BC,池田町宮地における扇状地の中位面で6,060-5,987 cal BC,揖斐川町白樫における扇状地の低位面で5,491-5,373 cal BCであった.これらにより本研究地域の段丘面は,やや幅をもたせて,高位面が約20,000年前から約17,000年前までに,中位面が約9,000年前までに,低位面が約8,000年前までにそれぞれ形成されたと推定された.すなわち,本研究地域の扇状地群を構成する段丘面は,最終氷期極相期以降完新世前半までの間に形成されたことがわかった.これらの段丘形成年代は,東郷(1980)による推定と近く,石村(2010)による推定とは一部異なる.本研究におけるAMS14C年代測定の結果は,腐植物の形成・堆積環境の違いによって誤差を含む可能性がある.しかし,池田町藤代における年代測定結果が上下で逆転していないことから,誤差は大きくとも数千年程度と考えられ,池田山麓の段丘面が最終氷期極相期以降に形成されたとの推定は妥当であろう.
  • 宮島 聖也, 渡邊 眞紀子, 村田 智吉
    セッションID: 1012
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    都市域の拡大に伴い都市緑地の面積も拡大している.都市域に存在する緑には都市域の環境保全,レクリエーション,防災,景観構成,生態系の保全など多様な役割が求められている.中でも地球温暖化への関心が高まるに伴い,都市緑地の都市域への炭素循環に対する貢献が注目されている.都市緑地を支える基盤となる土壌は陸域で最も多くの炭素を貯留する一方で土壌呼吸によって放出される二酸化炭素は,炭素循環における2番目に大きな放出源となっている.都市の土壌は人間活動による攪乱や改変を受けることで独特の土壌生態系をもたらしている.土壌に対する人間活動は,土壌呼吸量に大きな影響を及ぼす地温変化をはじめとする熱的特性に対しても自然土壌とは異なる影響を及ぼしている可能性が考えられる.そこで,本研究では東京都内の大規模緑地を対象に土壌への人為影響に着目し,地温変化をはじめとする熱的特性を明らかにし,地温変化に大きな影響を受ける土壌呼吸量の観測を通じ生物性の面からも都市土壌の持つ特性を考察することを目的とした.都市土壌における地温変化の特性を把握するために,地温及び土壌水分量の観測を東京都新宿区の国民公園新宿御苑内の林地2か所で2015年2月から12月にかけて継続して行った.両地点ともに植生は落葉樹と常緑樹の雑木林であるが,土壌の特性が異なっており,圧密による硬度の増加,高pH,低い有機物量といった都市土壌の特徴を持つ地点,もう一方は土壌硬度が低く人為影響が少ないと推測される地点である.また,地温観測を行った2地点で2015年8月から12月にかけて計7回ずつ土壌からのCO2フラックスの測定を行い,土壌呼吸量の大きさを評価した. 両地点の日平均地温を比較した結果,10cm深よりも浅部では地温の季節変化は類似した傾向を示しており,大きな差は生じていなかった.しかし,30cm深よりも深部では圧密による硬度の増加が確認された地点では冬季はより低温に,夏季にはより高温になる傾向があり,季節変化に伴う地温変化の影響を強く受けていることが示唆された.地温の日変化の観測結果から土壌中の熱の伝わりやすさを表す熱特性値である熱伝導率を計算した結果,圧密を受けた土壌硬度の高い地点では0.24-1.14Wm-1K-1,土壌硬度の低い地点では0.02-0.44 Wm-1K-1と土壌硬度の高い地点では大きな値を示し,この熱特性の違いが深部における地温差に影響を及ぼしていることが示唆された.熱伝導率は固相>液相>気層の順に小さくなる.高い土壌硬度を持つ地点では観測期間の気層が0.3-0.5m3m-3,土壌硬度が低い地点では0.6-0.7 m3m-3であり,圧密によって土壌中の孔隙が破壊され,気層の割合が減少することで,地温変化の影響がより深部まで及ぶことが都市土壌の地温変化の特徴として示された. 土壌呼吸量は人為影響を受けていた地点の平均が404.2 mgCO2m-2h-1,人為影響が弱いと推測された地点で189.8 mgCO2m-2h-1であり,人為影響の強い地点で土壌呼吸量は大きくなっていた.人為影響を強く受けた地点では有機物量が少なく,圧密により堅密な土壌が形成されていたことから生物性が乏しくなり土壌呼吸量は減少することが推測されたが,そういった傾向は示されなかった.その理由として観測を行った8月以降は高い土壌硬度を持つ人為影響の強い地点で30cm深よりも深部で地温が高い時期であり,ヒステリシス効果によって土壌深部の生物活動が活発化することに起因していると推測された.   都市緑地の土壌では造成の影響により,地温変化の影響をより深部まで受けることが推測される.その結果,夏以降の土壌深部の地温が高くなることによる影響で土壌中の微生物活動が活発化し土壌呼吸量が大きくなる特徴を有することが考えられた.本研究では土壌呼吸に関しては瞬間的な値の評価しか行っていないため,継続的な観測を行う必要があるが,微生物活動が活発化することによって,土壌中の分解も促進されることが示唆された.
  • 渡来 靖, 岡本 惇, 中村 祐輔
    セッションID: 904
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    駿河湾域ではしばしば駿河湾収束線と呼ばれる収束線が形成され,駿河湾周辺の静岡県東部地域に局所的な荒天をもたらすこともある.駿河湾収束線の研究は古くからなされているが,近年の気候学的特徴は十分に調査されていない.本研究では,最近20年間の地上観測データから駿河湾収束線の気候学的特徴を明らかにするとともに,その形成条件について検討する.
    駿河湾収束線の典型事例を抽出するために,相模湾を囲むAMeDAS観測点8地点(御前崎,菊川牧之原,静岡,清水,富士,三島,松崎,石廊崎)の地上風時別値を用い,平面近似法により一時間ごとの発散量を求めた.求まった発散量が負値であれば駿河湾域で地上風が収束していることになるが,その中で発散量が −1.0×104 s-1以下となった場合を強い収束と定義した.これは,発散量が負値となった全時間のうちの上位約5%に相当する.さらに,強い収束が少なくとも3時間以上連続した場合を収束事例とした.
    1995~2014年の20年間について,駿河湾域での強い収束の出現頻度を調べたところ,強い収束は寒候期の1~3月に最もよく出現し,平均約3~4%の出現頻度である一方,夏季の6~8月にはほとんど出現しなかった.1~3月の3か月間の収束事例をカウントすると20年間で162事例(平均8.1回/3か月)であったが,2013,2014年の12回/3か月から1999,2002年の1回/3か月まで,出現頻度の年々変動は大きい.
    抽出された収束事例について,ひまわり赤外画像を元に駿河湾域の雲の形状から分類を行った.全事例のうちの49%は上層の雲等の影響で相模湾域の局所的な雲の形状を判別するのが困難であった.30%は駿河湾付近を始点として南東方向に延びる雲列が見られ,駿河湾域やその南東側での地上風の収束により形成されたものと推測される.線状雲列が見られた事例はさらに,雲列の東側にも雲域が広がる場合(以降T型と呼ぶ)と,そうでない場合(S型)に分けられる。S型,T型の割合はそれぞれ19%,11%である.残りの21%は,相模湾域に雲が見られなかったり,明瞭な雲列が形成されていない事例である.
    輪島,浜松,館野のゾンデデータより求めた上空850hPa面の地衡風を調べたところ,強い収束の出現時は北~北北東の風であることが多く,その傾向はS型でもT型でも違いはなかった.
    S型の典型事例である2012年1月2日と,T型の典型事例である2012年3月21日について,領域気象モデルWRF Version 3.2.1を用いて再現計算を行い,相模湾域における収束線の形成要因を調べた.S型事例における駿河湾域の地上付近を始点とする後方流跡線解析の結果によると,相模湾では主に富士川の谷からの北風と,伊那谷を通って赤石山脈を迂回するように吹き込む西風が収束していることがわかる.T型事例ではさらに,関東山地を迂回して伊豆半島を越えて吹き込む東風も見られる.駿河湾域での収束線形成には,駿河湾周辺の地形の影響を受けて山地を迂回する流れが卓越することが重要であることを示唆する.
    駿河湾収束線は主に1~3月に出現し,出現時の上空の風は北~北北東風である.S型やT型で見られる列状雲は伊豆諸島付近まで延びており,中部山岳域を大きく迂回するような地上風系に影響されていると思われるが,駿河湾域での強い収束の形成には駿河湾周辺の谷筋を抜ける流れが重要であることが示唆された.
  • 町田 怜子
    セッションID: S0404
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    阿蘇は巨大カルデラと多様な火山地形による雄大な景観、そして、火山地形の中で営む人々の暮らしや文化が評価され、世界ジオパークに認定された。
    南阿蘇地域には南郷谷西部白川沿岸の河岸段丘が阿蘇ジオサイトとなっている。しかし、効率化を図る農村整備が着手され、景観や生物多様性への影響が指摘されている。そこで、本研究では、南阿蘇村のジオパークとしての地域資源である白川とその周辺の水田や草原等を保全し、地域住民が地域資源の保全に対する合意形成を図るため、2つの研究目的を設けた。
    一つ目は南阿蘇村を構成する景観構造を明らかにし、自然環境や景観に関する既存の法律や政策を整理することにより、景観面からみた南阿蘇村の地区レベルから地域資源の保全方策及び活用のあり方を考察した。
    2つ目の研究目的として、地域住民の間で、南阿蘇の農村景観における地域資源の保全に対する合意形成を図るため、子ども達に、地域の暮らしや生物多様性を学習テーマとした「環境学習」を実施し今後の課題を考察した。
  • 坪井 塑太郎
    セッションID: 302
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    2015年4月25日に発生したネパールの首都・カトマンズの北西部を震源とするゴルカ地震は,同年3月開催の第3回国連防災世界会議(宮城県仙台市)で採択されたBBB(Build Back Better)を含む仙台防災枠組(Sendai Framework)の発動以後,大規模な国際支援が行われた初の事例である.同災害では,死者8,960名,負傷者22,322名の人的被害のほか,建物においても全壊605,279棟,一部損壊288,258棟におよぶ大規模な被害が発生した.また,特にカトマンズ盆地内では同国の観光資源でもある世界遺産を含む57の史跡も被災し,深刻な経済被害が生じている.本研究では,ネパール政府機関及び避難生活者を含む被災者への現地ヒアリング調査を踏まえ,同国の地域統計の最小単位に当たるVDC(Village Development Committee/Municipality)レベルで被災と社会・地域構造の関連についての検討を行い,あわせて復興支援における課題を明らかにすることを目的とする.
    本地震による被害の要因をハード,ソフトの両面からみると,前者では,被災地の建物の多くがMud Mortarによる無鉄筋のレンガ・石造であることが被害の拡大につながっている.後者では,建築基準法が正しく施行されておらず,これを遵守させるための体制が自治体に整っていないことや,建設過程での監理体制が不充分であること,また,住民に耐震技術を取り入れるための認識や経済力が低いこと,建築資材の品質が低く職人の技量が不足していること等が課題になっている(MOUD・都市開発省でのヒアリング・2015/9実施).一方,復旧・復興への取組みにおいては,発災直後より,ネパール政府から,全壊家屋1世帯当たり20万Rps(日本円=約35万円)の支給が行われているほか,国際NGO等により,応急仮設住宅用建材の提供が行われている.しかし,DTM(Displacement Tracking Matrix・避難状況分析)において,発災から二か月後の2015年6月に実施された被災状況調査では,ネパール国内の146箇所の避難キャンプ地で66,756名の避難者が確認されているが,同年11月の段階でも依然として,100箇所(40,700人)が避難生活を余儀なくされている.
    ネパールは,首都カトマンズへの人口・経済の一極集中がみられるが,本地震に対する復興施策では,都市部よりも郊外・地方部の復興が優先して行われている.その中では,学校教育機関を通じた児童・生徒への心のケア(Psychological Counseling)や防災教育,工事関係者向けの職業訓練プログラムも積極的に展開されている.しかし,地域によっては,法令遵守は高コストであるといった通説や,伝統的な「自主建築」の多さ,識字率の性差や地域間格差の存在などが復興事業の障壁となっている.
  • 渡邊 達也, 猿谷 友孝, 松岡 憲知
    セッションID: P023
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1. はじめに

    永久凍土浅部は,析出氷,間隙氷,貫入氷など様々な形態の地中氷が形成され,含氷率が非常に高いことが知られている.永久凍土浅部の凍結構造を明らかにすることは,周氷河プロセスの解明や古環境の復元,永久凍土融解による地形や物質循環の変化を予測していく上で重要である.近年における技術の進歩により,永久凍土構造を高解像度で可視化することが可能となってきている.本発表では,北極圏スピッツベルゲン島中央部の連続永久凍土帯観測サイトにて実施した三次元地中レーダー探査,二次元比抵抗モニタリング,および採取した永久凍土コアのX線CTスキャンの結果を紹介する.

    2.調査地の概要

    調査地に選定した沖積扇状地末端部の平坦面には,約700 m四方の範囲内にマッドボイル(MB:
    Mudboil),中型多角形土の中心部にマッドボイルを伴う複合型構造土(CP:
    Composite pattern),アイスウェッジポリゴン(IW: Ice-wedge polygon)といった不淘汰構造土が分布しており,それぞれに観測サイトを設けた.多様な構造土の分布は,表層土の粒径分布や土壌水分,冬季地温条件の違いによって制約されている.

    3. 結果

    (1)     三次元地中レーダー探査

    2010年5月初旬の全層凍結期に探査を実施した.MBサイトでは,季節融解層に斑点状の振幅異常が多数みられた.これらはマッドボイル部分に成長した析出氷を反映したものと解釈できる.一方,IWサイトでは,永久凍土層中にアイスウェッジの分布を示す線状の振幅異常が多角形模様で認められ,幅20 cm程度の細いアイスウェッジも明瞭に捉えることができた.

    (2)     電気比抵抗トモグラフィ

    2009年および2010年の融解期に,10日前後の間隔で測定を繰り返し行った.融解層の比抵抗値は,融解期を通してIW,MB,CPサイトの順に高くなる結果となり,比抵抗値が低いほど土壌水分が多いことを反映している.一方,凍結層の比抵抗値と地温の関係を求めてみると,−1~0℃ではCP,MB,IWサイトの順に比抵抗値が高くなり,融解層とは逆の傾向となった.粘土分の多いCPサイトでは,融点付近で不凍水量が多くなるため比抵抗値が低くなるものと考えられる.だが,−1℃以下ではCPサイトの比抵抗値が急激に上昇する傾向があり,他サイトよりも氷に富んだ凍結構造であることが推察される.

    (3)     X線CTスキャン

    2015年8月にCP,IWサイトで永久凍土コアを採取し,X線CTスキャンを行った.CPサイトのコアでは析出氷の存在が高い割合を占めた一方,IWサイトのコアは氷の割合が少なく,析出氷も微細なものに限られた.凍結構造の違いは,比抵抗値の違いから推察されるものと整合的な結果となった.
  • 伊東 勇貴, 熊木 洋太
    セッションID: 825
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    房総半島の千倉付近には,元禄関東地震(1703年)と同様の地殻変動(数mの隆起)を伴う地震(以後,元禄型地震)によって離水したと考えられている4段の明瞭な海成段丘面がある。これらは上位から沼Ⅰ~Ⅳ面と呼ばれ,それぞれ沼Ⅰ面:7200年前頃,沼Ⅱ面:5000年前頃,沼Ⅲ面:3000年前頃,沼Ⅳ面:AD1703年の元禄関東地震時に離水したことが明らかにされている(中田ほか,1980;藤原ほか,1999など)。この地域に河口を持つ河川沿いでは,これらの海成段丘面に連続する河岸段丘面が存在し,地震時の相対的な海面低下による河床低下が上流に波及して河岸段丘が形成されたと考えられる。これらの河川は丘陵域に発する小規模なもので,この期間の上流側の環境変化は小さいと考えられ,相対的海面低下による河岸段丘形成過程を検討するのに適しているが,これまでほとんど研究されてこなかった。本研究では,千倉平野とその北側の古川平野を流下する河川沿いの段丘面を区分し,各面の分布や形状,縦断形の特徴を把握した。また各段丘面構成層の観察を行った。特に後述する古川Ⅳ面および千倉Ⅳ面の段丘構成層については,堆積物中に材化石,貝化石を発見したので,加速器質量分析法による14C年代測定を行った。これらの結果に基づいて,河岸段丘の発達過程について考察した結果,以下の結論が得られた。
    1)千倉平野を流下する瀬戸川と川尻川の両河川沿いには4段の段丘面(千倉Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。古川平野を流下する三原川,温石川,丸山川沿いにも4段の段丘面(古川Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。これらはいずれも両地域にまたがって発達する沼Ⅰ~Ⅳ面に連続するか,最下流部での面高度がほぼ一致することから,沼Ⅰ~Ⅳ面を離水させた地震性隆起が原因となって形成されたと考えられる。
    2)千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面の形成は7200年前以降5000年前までのおよそ2200年間(期間1)に,千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面の形成は5000年前以降3000年前までのおよそ2000年間(期間2)に,千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は3000年前からAD1703年までのおよそ2700年間(期間3)に形成されたと考えられる。
    3)瀬戸川下流での露頭観察と年代測定結果から,千倉Ⅳ面の構成層(層厚約6m)の堆積開始は906~743 cal BP頃の少し前だと考えられる。したがって,瀬戸川下流での千倉Ⅳ面堆積物は,500~700年あまりの短期間で堆積し,これ以前の2000年間程度はもっぱら侵食傾向にあったと考えられる。
    4)各期間には,谷が下刻による峡谷の状態から,側刻・堆積による幅広い地形面を形成する状態へ変化すると考えられる。また上述の瀬戸川下流のデータからは,その変化が生じるには,相対的海面低下後2000年近い時間が必要であると考えられる。
    5)千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は,千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面や千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面より上流側にまで分布している。期間3がそれ以前の期間1,2より相当長いことから,遷急点がより上流側まで後退し,側刻・堆積作用によって段丘面が形成された範囲がより上流側にまで達したからと考えられる。
    6)温石川,丸山川,瀬戸川,川尻川の現河床に見られる遷急点から求められる遷急点の平均後退速度は,それぞれ3m/y,6m/y,3m/y,2m/y程度である。また,各期間の終了時の遷急点の位置が幅広い段丘面分布範囲のやや上流にあり,当時の河口の位置が段丘面分布域の最下流部にあったと仮定すると,丸山川における期間1・2での遷急点の平均後退速度は,それぞれ1.7m/y,1.4m/y程度,瀬戸川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.8m/y,川尻川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.6m/y程度となり,期間が長くなると平均後退速度は小さくなる傾向が認められる。これらの値は,柳田(1991)が日高山脈の西側で段丘が発達するが最終氷期に堆積段丘は発達しない河川で得た値(1~3m/y)とほぼ同等である。
  • -ニューヨーク・フラッシング・コリアタウンを事例に-
    申 知燕, 李 永閔
    セッションID: 1023
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに  資本主義経済のグローバル化は,世界各国において商品やサービスはもちろん,労働力の国際移住までをも活発にさせた.労働のグローバル化とも言われる国際移住の増加は,特にグローバルシティにおいて顕著に現れており,生産者サービスに従事する熟練労働力,ならびに彼らにサービスを提供するための非熟練労働力の急増が起きている.特に,グローバルシティに流入する近年の移住者の中には,トランスナショナルな移住者という,国境を越えて様々な地域で家族・知り合い・民族集団との人的ネットワークを活用し生活情報を共有・利用しているような移住者が増加しており,既存の移民者が形成したローカルを変化させている.エスニック・エンクレイブ(ethnic enclave)のように,旧来の移住者が形成した集住地は,移住者がホスト社会に同化するまで一時的に留まるためのものであったが,近年はトランスナショナルな移住者の登場によって複数の文化や人的ネットワークが交差する中でアイデンティティの競合が起こり,多様な特性を持つ空間へと変化している.  従って,本研究では,トランスナショナルな移住者によってグローバルシティにおける移住者の集住地がとめどなく混成的に変化していることを確認することを目標にした.具体的には,コリアタウンの景観および韓人と朝鮮族の民族間関係を分析し,朝鮮族移住者の柔軟なアイデンティティがいかに集住地とその内部の移住者間の関係を変化させるのかを把握することを試みた.本研究の分析にあたり,2012年5月および2013年6月に現地調査を行い,韓人,朝鮮族,中国人など合計42人から得たヒアリング資料を収集・分析した.   2.事例地域の概要  本研究の事例地域としてニューヨーク州ニューヨーク市クィーンズ区のフラッシングに位置するコリアタウンを選定した.フラッシングでは1970年代から韓人移住者向けの商業施設が立地し,現在はニューヨークにあるコリアタウンの中でも最も歴史が長く,人口も多い,典型的なエスニック・エンクレイブとなっている.フラッシング地区における2010年の韓人人口は約3万人に上るが,近年は居住者の高齢化や新規移住者層の属性の変化によって人口の流出・現象が起きており,老朽化しつつある.   3.知見  本研究から得た結論は以下の2点となる.1点目は,フラッシングのコリアタウンが大型化・老朽化し,近隣地区にチャイナタウンが形成されたことが朝鮮族の流入のきっかけとなったことである.韓人移住者の郊外化や,自営業者の引退などによってフラッシングのコリアタウンは縮小傾向に陥った.韓国・中国のアイデンティティ両方を持つ朝鮮族は,韓人の経営する店で従業員として勤務するか,コリアタウンとチャイナタウンの境目で自営業を行い,韓国人・中国人・朝鮮族全部を顧客として誘致する.このような朝鮮族の活動によって,コリアタウンは多様な民族景観が結合された liminal spaceとなる.  2点目は,フラッシングの朝鮮族は,自らの必要に沿って,戦略的かつ選択的にアイデンティティを発揮し,コリアタウン内外で生活を営む点である.韓国語・中国語を駆使する能力や,中国国籍を活用して韓人教会のコミュニティで活動することで,彼らは生活基盤やアメリカの永住権を獲得する.彼らの柔軟なアイデンティティは,コリアタウン内の韓人にとっては同胞意識や異質感,敵対心などを同時に感じさせる要因となり,朝鮮族と韓人の間の葛藤や差別の原因にもなる.
  • 山口 珠美
    セッションID: S0402
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    2015年6月、箱根町大涌谷でごく小規模な噴火が発生した。これに伴い大涌谷への立ち入りが規制され、箱根の観光に大きな影響を及ぼした。箱根ジオパークとしては、この一連の火山活動をプラスの資源と捉え、生きた教材として自然科学、特に火山学や地質学的なものの見方を広く普及する好機と考え、活動を展開した。その具体例を紹介する。
  • 小林 基
    セッションID: 503
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1. 問題の所在
    生産技術の革新や流通の発達、農産物輸入の拡大などにより、年間を通じて様々な食品が消費者のもとに供給される広域的な食料供給システムが発達している現代の日本において、消費者は高品質な食品への指向性を強めており、諸々の農業地域においては6次産業化や農産物ブランドの創出が活発化している。こうした状況化にあって、野菜や雑穀、豆類・イモ類などの在来品種が再注目され、一部は商品化されることで地域の農業振興に役立てられている。本発表ではこれらの作物を総称して「伝統作物」と呼ぶこととする。高度成長期以降の農産物の生産・供給システムの変容や、消費者における食生活の変化によってその生産が衰退した経緯を持つ伝統作物の商品化の過程は、その他の作物の場合と異なっていると考えられるが、農産物ブランドに関する従来の研究では十分に検討されてこなかった。そこで本発表では、兵庫県篠山市における、伝統的な黒大豆の一品種である「丹波黒」を事例に、伝統作物の商品化がいかなる過程を経て実現されかを考察することとしたい。
    2. 研究枠組
    主に自給用として栽培されてきた伝統作物を現代の食料供給システムの中で商品化するためには、生産量や品質を安定化させ、また消費を喚起することで、より広い地域へと出荷できるような体制を整えることが必要であろう。また、お節料理の材料として需要されるものなど、消費が特定の時期にのみ集中するような農産物の場合には、たとえば周年的な消費を促すことにより生産・供給の量的な安定性を保証しうる。他方、産地の供給者の立場からは、競合する他地域との差別化をはかり優位性を確保する戦略がとられることになる。本研究では、生産・供給の拡大・安定化のための取組みと、伝統作物が有する価値の維持についての取組みが、丹波黒の産地においていかに均衡を図られながら実現されてきたのかについて論じることとしたい。
    3. 丹波黒の商品化過程
    1970年代末以降、篠山盆地においては、自治体や農協によって水田転作作物に位置づけられたことや、兼業農家による集落営農組織の結成、優良系統の選抜、栽培技術の発達などにより、丹波黒の作付面積が急激に拡大し始める。しかし、1980年代に入ると、基本的にはお節料理の煮豆用としてしか需要がなかった丹波黒は供給過剰に陥った。ようやく2000年代後半には需要の急増を見るが、これはマスメディアによって丹波黒が持つ健康維持機能や、丹波黒を使った様々なレシピなどの情報が拡散されたことにより、知名度の向上や周年的な消費が喚起されたためであると考えられる。
    農協や卸売業者においては、1980年代以降、様々な加工食品の開発を通して周年的な消費を確保する努力がなされてきた。他方、正月の煮豆用に出荷される乾物の売上は依然として丹波黒の販売額の過半を占め、大粒の丹波黒を需要のピークに間に合うよう早期に集荷することが一貫して販売戦略の要に据えられてきた。農協や卸売業者は、出荷が遅れるにつれて買い取り価格が低減する制度を導入している。大粒の子実を早期出荷することは生産者にとって負担であるが、10月における枝豆としての出荷や個人消費者への直播、さらには独自の加工品を開発するなどして収穫期にかかる労力を分散している事例が見られた。
    また、1990年代後半以降は、他地域産の丹波黒や他の黒大豆品種が市場参入したことで産地間競争が激化し、産地においては県や市、農協・卸売業者、生産者によって優良系統の登録や、枝豆の販売解禁制度の導入、地域団体商標の取得などといった様々な制度の導入・活用によって利益の保護がなされている。
    このように、生産・供給に関わる様々な主体による取組みが、産地全体として丹波黒の生産の安定化と価値の維持を両立してきたと考えられる。
  • 吉田 英嗣, 高波 紳太郎, 大坂 早希, 疋津 彰, 石井 椋, 早川 裕弌
    セッションID: P028
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究では,約11万年前に形成された阿多多火砕流台地を開析する神ノ川水系に複数みられる遷急点,すなわち「滝」に着目し,その後退過程を復元することによって,大規模火砕流台地の解体過程に係る一知見を得ることとした.
    神ノ川流域において阿多火砕流は,その噴出中心である錦江湾から遠ざかるほど,層厚を減じつつも堆積面高度を増す.その結果,神ノ川は錦江湾に向かって西流する.阿多火砕流堆積物の中部は,厚さ10~30 mの強溶結凝灰岩の様相を呈す.そのため,火砕流台地面を刻む神ノ川やその支流による火砕流堆積物の下刻は,河床位置が溶結部に達すると容易ではなくなる.結果的に,河川が平衡状態に至るまでの長期間にわたり,遷急点(区間)としての滝が存在し,また,平衡化のために滝は後退していく.神ノ川流域のとくに下流部(現河口から4km以内)には,このようにして成立したと考えられる滝が少なくとも6つ存在し,それらは形態,高さなどの地形的特徴に共通点がみられる.神ノ川流域の大部分は阿多火砕流堆積物分布域であることから,河床礫は少ない.したがって,各滝の上流区間の河床には基盤岩としての阿多火砕流堆積物の溶結凝灰岩が露出し,滝は平行後退を継続してきたと考えられる.  
    房総半島での調査から構築された,滝の後退速度についての経験式(Hayakawa and Matsukura 2003;Hayakawa 2005)は,日本国内のみならず,諸外国においてもその汎用性が認められている.そこで神ノ川における6つの滝について,この経験式を用いて後退速度を算出した.これらの算出値に対しては、次にように評価できる.もとは1つだった滝が支流との分岐点まで後退すると2つの滝に分かれ,それ以降はそれぞれが本流および支流で後退し続ける,とすれば,現時点で分岐点の上流側に存在する2つの滝は,同じ時間を経て分岐点から現在位置まで後退したことになる.このとき,2つの滝についての分岐点から現在位置までの距離の比は,両者の後退速度の比をもあらわす.そこで,分岐点から現在位置までの距離の比に対する,経験式から求められた後退速度の比を,検討可能な4つの組み合わせについて評価すると,許容される3倍以内の後退速度が算出されていることが分かった.したがって,経験式に基づく後退速度は確からしい値であると判断される.  
    このことは,神ノ川の滝の起源の推定を可能とする.6つの滝のうち,神ノ川本流に懸かる大滝は,元来単一であったはずの初生的な滝に直接由来すると位置づけられ,現在の河口から3.6 kmの位置にあり,その後退速度は6-8 cm/yと推定された.神ノ川水系の成立が阿多火砕流堆積後であることは確実であり,かつ,初生的な滝は,火砕流堆積面におよぶ流水が火砕流堆積物のうち上部の非溶結部をすみやかに下刻することによって,火砕流堆積後まもなく形成されたと考えられる.また,阿多火砕流噴出時の海水準は−20 m程度であった.これに,本地域における最近約10万年間の隆起量(12~13 m)を加味すると,大まかには、現在の錦江湾における水深10 m付近の位置が火砕流噴出当時の海岸線だったことになる.一方,阿多火砕流堆積物は錦江湾に面する海食崖においては80 m程度の層厚を有しており,その噴出時に錦江湾底の阿多(北部)カルデラに向かって同じ層厚で堆積したと仮定すると,当時の水深80 m以浅の水域は火砕流堆積物に埋積されたことになる.つまり,現在の錦江湾における水深90 m付近が,火砕流噴出直後に「新しい」海岸線となったと考えられる.この付近は,推定されているカルデラ位置の南東縁におおむね一致する.神ノ川水系は,そうした火砕流堆積面がすみやかに下刻されることで発達し,阿多火砕流堆積後から顕著な時間間隙を経ずに約10万年前から現在にかけて,6−8 cm/y程度の速度で滝を後退させてきたと考えられる.したがって,初生的な滝は,現在の河口からさらに2.5−4.5km程度西方(西北西)に発生したと推定される.この位置は,現在の錦江湾における水深90 m付近,すなわち阿多(北部)カルデラ縁の位置に近い.阿多火砕流堆積後,最終氷期極相期までは,海水準は基本的に低下の一途をたどったことから,火砕流堆積後に形成された滝は5−6万年前には現在の河口位置に達し,その後は現在の神ノ川の流路を辿って,各支流に滝を分派させつつ,現在の位置にまで到達した.
    〔文献〕Hayakawa, Y. and Matsukuram Y. (2003) ESPL, 28, 675-684.; Hayakawa. Y.S. (2005) Geographical Review of Japan, 78, 265-275.
  • GISソフトウエアを使った地理の自由研究の効果
    小林 岳人
    セッションID: 924
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
      学校教育、特に地理教育におけるGISの導入については、1990年代以降議論され、日本地理学会、地理情報システム学会、日本地図学会などの関連学会におけるシンポジウムなどがたびたび開催されている。次回学習指導要領における高等学校地理必修化の見込みなかでの、地理教育の一つの柱としてその期待は大きい。ハード面ソフト面の課題も多いが、特に、GIS導入初期のころに提示された「生徒自身が資料の収集→集計・整理→計算・加工・分析→地図化表現→解釈・考察といったGISの一連の作業行うことによって地理的な見方・考え方が得られる」という教育的な意義(井田 2000)は魅力的である。この形式は、日本学術会議地理教育委員会による「高校生がGISを操作しながら学習する授業形態」では、D段階(GISスキルレベル4)に位置づけられる。ArcGISについての実践事例はESRIジャパン社の「小中高教育における GIS 利用支援プログラム」によるものには一覧が示されているが事例はクラブ活動や課外活動でのものが中心であり、それほど多くの実践はされていない。地理の授業で、生徒の個々の自由な発想のもと研究テーマを設定し、GISソフトウエアを利用することが望まれる。本研究では(1)どのようにしてこの授業を創ったか。(2)生徒がGISソフトウエアを活用する中でどのような地理的技能が見られたか。(3)生徒の考察の中で地理的な見方・考え方がどのようになされたか。の3点について述べる。
    まず、授業実践過程についてである。筆者の勤務校で学校開設科目「地理研究」は地歴科において「世界史研究」「日本史研究」と並び、3年次において各科目をより深く学びたい生徒が受講する科目として位置付けられている。「地理研究」では研究発表形式の授業を行い、外部を含めた発表を目標としている。2015年度は選択者5名で、年間を通じてコンピュータ教室で授業を行った。また、2015年度は、ESRIジャパン社による「小中高教育におけるGIS利用支援プログラム」にてArcGISを提供していただいた。授業スケジュールは、4月は世界遺産をテーマにプレゼンテーションの学習、5月は関数・数式・表作成・グラフ作成など地理的事象を例として表計算ソフトウエアの学習、6・7月はESRI社の「Mapping Our
    World Using GIS: Level 2 (Our World GIS Education) 」をテキストとした学習、9月以降は、ArcGISを利用しての地図作成などを伴った自由研究とし、11月に千葉県高等学校教育研究会地理部会生徒地理研究発表大会にて発表を行い、12月・1月は、数ページの文章を加えて地図やグラフなどとともに、レポートとしてまとめた、さらにその後に、外部での発表(千葉地理学会)も行った生徒もいた。
    次に、生徒はどのようにArcGISを利用したかである。GISによる「資料の収集→集計・整理→計算・加工・分析→地図化表現→解釈・考察」といった一連の作業は地理的技能と整合性がある。生徒は主に事象についての空間構造を表現する主題図の作成を行った。生徒が行った主題図作成については、生徒ごとでテーマが異なってはいたが、ある程度、類似のパターンに収めることが可能であった。対象範囲は日本全国か千葉県および身の回りの地域で、地図表現方法は統計単位地区ごとの図形表現図か階級区分図(コロプレスマップ)もしくは、ポイント(ドット)である。これらの地図作成には住所からアドレスマッチングサービスで得た位置情報を利用して表現するかダウンロードしたデータに属性を付加するかという方法のいずれかで行った。
    そして、この一連の作業のなかでなされた生徒の考察と地理的な見方・考え方との関係についである。生徒は主題図を作成していきながら、その地図から可能な考察を行うことで研究を進めていった。その過程は大きく二段階に分けられ、まず「全体的な分布の傾向・立地理由・地域差」などについての考察を行い、その次に「比較検討・因果探究(事象、スケール、変化)」などについての考察を行っていた。これは、地理的な見方・考え方との整合性があると考えられる。つまり、学習指導要領にて説明されている「地理的な見方・考え方」の基本にあたり、後者は「地理的な考え方」を構成する主要な柱にあたる。そして、これは繰り返され深化していく。地理的技能が地理的な見方・考え方を導き、そして次の地図作成などのアイディアに基づいて地理的技能が働き、ここから地理的な見方・考え方が導き出されていく。
    この授業形式はアクティブラーニングとしての意義も大きい。今後の課題は、このような授業実践が広く実践が行われるように、事例を積み, 効果を含めた検証をさらに進めることが必要である。
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