わが国では, 明治33年以来, 清掃行政が地方自治体の責務とされてきたことから, ごみ処理技術は, 主として市町村を通して実現されている。そのため自治体のごみ処理行政の施策のあり方が処理技術の内容を, また処理技術が行政内容を左右している。
東京都では, 昭和初期において焼却炉の煙公害から厨芥と雑芥の分別収集を徹底したが, 戦後は混合収集によって, 少なくない清掃工場が6~9年の寿命で終わった。昭和30年代末には, 審議会が作られ, 連続式機械炉の知見が標準化されたことによって現在まで続く焼却技術の基礎が築かれた。また住宅密集地に立地する清掃工場の課題, 公害行政と密接に関連したプラスチック等の分別収集開始, 伝統的な官庁工事契約とは異なる清掃工場建設工事の契約方法など, 東京都が主として戦前から昭和50年代までに経験した行政と処理技術の関わりについて述べる。
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