日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の203件中101~150を表示しています
  • フンク カロリン
    セッションID: 710
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    先進国の観光地をめぐる環境は、近年、劇的な変化に直面している。その変化は高齢化・人口減少、観光のさらなるグローバル化、観光行動の多様化と特殊化、消費者タイプの解体という現象にまとめられる。このような多様化は、観光者が様々な観光形態を求めるようになり、小規模で新しい観光形態と、団体や多くの個人観光者が同じパターンで行動する従来のマス・ツーリズムが同一の観光地で並存することを意味する。また、このような観光環境の変容に調整できない観光地は、観光地ライフサイクルにおける停滞または衰退に直面危険性がある。1960年代からマス・ツーリズムの拡大に伴って成長した先進国の観光地は現在、これらの影響を受け、衰退を避けるための再構築に取り組んでいる。そこで、再構築に向けた観光戦略を分析し、観光地の安定化、再生を目指す再構築過程を検討する必要がある。  本発表は、マス・ツーリズム型観光地の再構築過程の中で観光地がどのように変化しているのか、飛騨高山の事例から検討する。
  • 遠藤 幸子
    セッションID: 711
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    地理学会における、これまでの筆者の一連の発表を総括すると、ハンブルクとブレーメンという2つの都市州の対照的ともいえる生き方が鮮明になってくる。両者は、北ドイツのハンザ都市であり、現在もなお、ドイツを代表する港湾都市であるという共通点を有している。にもかかわらず、両者はいつも政府の政策に対して、正反対ともいえる行動をとってきた。時には、ブレーメン市長がハンブルク市長の下した決断に対して愚かであるとのコメントを出したことが新聞(Die Welt )で報道されたこともあった。これは、都市ならびに港の発展に関する両者の考え方の違いに起因するものではないだろうか。2001年から継続して実施している現地調査をもとに、この問題について検証することが本研究の目的である
  • 坂戸 宏太
    セッションID: 712
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    I.研究目的・意義・圏域設定手法
     本研究は、1980年から2000年にかけて、日本における結節地域の構造がどのように変化してきたかを目的としている。結節地域の中で、都市圏の設定に関しては、金本・徳岡(2002)の方法が定着しつつある。本研究は、これを基に検討を加え、1980年、1990年、2000年の3時点の都市圏設定を行うと同時に、新たに都市圏外の地域を対象として、小規模都市圏である「就業圏」を定義し、さらに就業圏にも含まれない市町村を「独立圏」と定義して、これらに注目した。就業圏と独立圏は、これまで都市圏を形成していない地域として一様に扱われてきた地方中小都市や中山間地域における圏域であり、人口減少や高齢化が先行するこうした地域において、人々の生活行動がどのように変化しているのかを明らかにすることに研究的意義がある。また、圏域構造の変化を詳しくみるために、中心に帰属する郊外を一次郊外、そこに帰属する郊外を二次郊外というように定義し、郊外の多次元構造を前提とした分析を行った。

    II.圏域設定の結果
     圏域を設定した結果、都市圏の圏域数は横ばいで推移した(1980年:105→1990年:114→2000年:113)。都市圏を構成する市町村数は、1990年ピークとして減少に転じ(1,944→2,044→2,030)、都市圏の拡大は頭打ちの傾向にある。これに対し、就業圏は、圏域数は一貫して減少しているものの(224→209→204)、構成市町村数は増加を続けた(1,007→1,048→1,091)。何れにも属さない独立圏の市町村は、大きく減少した(255→154→109)。3時点とも独立市町村に属した市町村は94を数えたが、71市町村が島嶼部と北海道で占められる。残りは、交通網の整備から立ち遅れた本州・四国・九州の山間に位置する市町村で、その数は全市町村の1%にも及ばない。なお、構成市町村数の減少は、いずれも合併によるものではない(3,256→3,246→3,230)。

    III.圏域の特徴
     都市圏は、構成市町村数が頭打ちないし減少に転じたが、面積は拡大を維持しており、人口も1億を越えてなお増加傾向にある。面積・人口増加に寄与したのは中心以外の部分で、都市圏の成長は収束せずに外延的に拡大していることが数値から読み取ることができる。就業圏は、構成市町村数の増加とともに面積も1980年~2000年の間に15%拡大した。人口は14百万前半で微減傾向にあるが、郊外に限れば増加している。独立圏は、全国に占める市町村数や人口こそ1%を割り込んだものの、面積は依然として全国の20%以上を占める。経済発展に大きく寄与はしないかもしれないが、長期にわたる国土の管理において重要な役割を持ち続ける。

    IV.圏域構造の変動
     都市圏と就業圏の構造は、近年になるにしたがって郊外が拡大している。中でも、中心のみや一次郊外を持つ圏域の数が減少傾向にあるのに対し、二・三次郊外を持つ圏域は規模・割合ともに増加するという共通した特徴がある。とりわけ就業圏は、就業圏中心から郊外へ、あるいは一次郊外から二次郊外へといった外延的に構造が変化する動きが少なくない。このような郊外の拡大は、自動車通勤を前提とすれば、中心市街地での就業機会の増大ではなく、新中心市の周辺部ないし一次郊外における就業機会拡大に拠っている可能性が高い。こうした変動メカニズムはどのようなものであったかを明らかにすることを最終目的として、分析および調査を継続している。

    謝辞  本研究は、平成20年度国土政策関係研究支援事業の助成を受けて行った研究成果の一部である。都市圏の設定に際しては、東京大学金本良嗣教授よりデータを直接ご提供いただいたものを使用した。
    文献  金本良嗣・徳岡一幸 2002. 日本の都市圏設定基準. 応用地域学研究 7: 1-15.
  • 山下 博樹
    セッションID: 713
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.はじめに
     乾燥地は全陸地の41.3%を占めるが,その乾燥度により人間の居住環境としてはかなりの格差が存在する.極乾燥の砂漠でさえも,水資源確保のための技術的向上などにより都市的な開発が活発化し,人口100万を超える大都市地域が多数出現している.本報告では,乾燥地における都市開発の動向を先行研究などにより概観し,その特徴と課題を明らかにしたい.

    2.乾燥地の都市発達の特徴と近年の動向
     一般的に人々は,飲用や農業用などの新鮮な水を必要として,河川やオアシスへのアクセス可能な範囲に集落を形成してきた.この基本的な条件に沿わない乾燥地は,多くの人々が集まり,居住し生活するための都市を形成するには不適当といえよう.それにもかかわらず,古くより多くの集落や都市が乾燥地にも発達してきた.Cook et al. (1982) は世界の乾燥地には,人口10万以上の都市が355あり,そのなかには急速な人口増加により市街地を拡大させている都市の存在を指摘している.砂漠での集落立地は拡散的で,歴史的には商業あるいは行政の中心として機能し,鉱山,交通ルート,そのほかの地域文化施設の周囲に発生してきた .他方,乾燥地に位置する都市は,灌漑センター,駐屯地,交通・通信の結節地,政治や行政あるいは広域的な中心地として機能しており,また観光やレクリエーション,鉱産資源の開発などにともなって発達する都市もあった.
     乾燥地の都市は,かつてはこのように特定の役割に特化していたが,近年では都市化の進展によって,鉱産資源の存在など地域固有の要因がなくても多様な機能を有するようになった.そのおもな要因として次の4点が確認されている).1 多くの土地を必要とする企業や軍隊,調査設備などが,人口が過密な地域から周辺の砂漠地帯に移転している.2 伝統的な鉱業の中心地やその周辺の砂漠化していない地域では,すでに資源が枯渇しているので,新たな採掘施設や発電施設などは砂漠にも立地するようになった.3 道路などの交通手段の整備により砂漠にも郊外住宅地などの都市的開発がおよび,市街地が拡大している.4 パイプラインなど給水手段の発達で水源からかなりの遠隔地でも給水が可能になり,また淡水化技術の開発により安価な水が利用できるようになった.
     こうした砂漠の都市化を促進する要因によって,これまで限定的であった雇用機会と,さまざまなサービスを供給する大都市から遠隔にある砂漠の都市のハンデキャップが軽減可能となり,乾燥地での大都市形成が促進されている.しかしながら,観光やレクリエーションのような環境調和型の砂漠利用を除くと,都市開発は農業的利用と比較すればコンパクトで節約的な土地利用ではあるが,都市化による環境への影響は無視することができない.
     以上のように,乾燥地においても,都市化を求める社会経済的背景やそれを可能にする技術的な進歩によって急速に都市開発が進展し,人口増加地域が拡大している.もはや乾燥地の都市開発は特殊な事例ではなくなった.こうした乾燥地での都市開発は今後さらに加速することが予測されている.

    3.乾燥を克服する都市開発とその課題
     現代の人間生活において,乾燥は技術的に克服可能になりつつある.とりわけ先進国や産油国などの高所得国においてはその克服に必要な負担を上まわる利益があれば,それ以外の労働力の確保やインフラの整備などの課題はほとんど問題にならない.むしろフェニックスのように,低湿度の環境が結核やぜんそく,リューマチなどの患者にとっては健康上最適の土地であるとし,アリゾナ州のように「健康な州」を自認しているようなケースもある.UAEのドバイでは,水不足を海水の淡水化技術とミネラルウォーターの輸入で補い,また酷暑による慢性的な電力不足を原子力発電の開発によって解決しようとしている.このように今日では乾燥が都市の発展上の大きな支障とならない反面,技術的な克服には水の確保のための水路の掘削や,淡水化施設利用のためのエネルギー消費などが不可欠となる.さらに乾燥気候が卓越する亜熱帯高圧帯や内陸地帯での季節的な酷暑や寒冷が人間生活におよぼす影響も無視できない.こうした気候下では日常的に冷暖房の使用が必要であるほか,人々の外出には自家用車の利用される割合が高くなるなど,エネルギー消費が多く環境負荷の高い生活スタイルを余儀なくされるからである.このように自然の恵みを利用できないことによる自然環境への負担はきわめて大きく,持続可能な都市のライフスタイルとは言い難い.また砂漠をめぐる生活環境への問題として,中国大陸の黄砂はそのダストによる健康被害なども報告されており,その影響の範囲は砂漠だけにはとどまっていない.
     
  • 塩崎 大輔, 氷見山 幸夫
    セッションID: 714
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1. はじめに
     高度経済成長期以降わが国では,都市への人口流入と経済的発展を背景として,都市とその周辺で多くの宅地開発が行われた。その全体像を理解するには,全国的な視点とともに,都道府県レベル,更には市町村レベルに至るミクロな視点も欠かせない。このようなマルチスケール的分析を可能にする情報源として,各都道府県が毎年行っている『土地利用動向調査』の成果品のひとつである『主要施設整備開発等調書』にある市町村別宅地開発事業の統計データに注目した。本研究の目的は,のべ16,629件(1981~2006年度)にのぼるこのデータをデータベース化し分析することにより,1980年以降の日本の都市開発の動向とその背景を明らかにすることである。

    2. 研究方法
     まず土地利用動向調査によって作成された『主要施設整備開発等調書』(1981~2006年度)における「新住宅市街地開発事業」のデータ(計564件),及び「その他の住宅団地造成事業」のデータ(計16,065件)を整理する。そのデータを基に(1)全国における新住宅市街地開発事業の時系列変化を分析し,事業件数及び造成面積の推移から大規模開発の動向を把握する。(2)一般住宅団地造成事業の動向を全国,地方,都道府県,市町村別に分析する。そして事業件数及び造成面積の推移と分布から中小規模開発の動向をスケール別に把握することによって,宅地開発の空間特性を議論する。(3)先行研究で行われた「土地区画整理事業」の分析結果と,本研究の分析結果を合わせて考察することにより,1980年度以降における都市開発の動向を明らかにする。

    3. 研究結果
     各事業の動向を分析した結果,以下の点が明らかとなった。 (1)新住宅市街地開発事業の造成面積は東京都,茨城県,大阪府,兵庫県に集中しており,それに対して愛知県では比較的造成面積が小さかった。(2)一般住宅団地造成事業の件数は1980~1988年度に減少,1989~1995年度に増加,そして1996~2005年度には再び減少に転じており,これら3期の違いが明瞭であった。(3)地方別に同事業総件数の推移をみると,全国では増加傾向にあったバブル期後半からバブル崩壊後数年間にかけて,各地方の総件数が上昇から減少に転じる時期に差が見られた。(4)47都道府県の中で2005年度までに同事業が完了した件数が多いのは,北海道,大阪府,神奈川県である。また3大都市圏の中心である東京都,愛知県,大阪府を比較すると,大阪府の件数が多く,東京都や愛知県は極端に少ない。(5)同事業および土地区画整理事業の経年相関図を用いることによって,宅地開発事業にバブル経済の影響がでるのに4~5年のタイムラグがあることが明らかとなった。
  • 久保 倫子, 小野澤 泰子, 橋本 操, 菱沼 雄介, 松井 圭介
    セッションID: 715
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.研究目的
    郊外住宅地を取り巻く環境が大きく変化し,多くの郊外住宅地において高齢化にともない人口減少に転じるであろうという危惧がなされている.このような中で,郊外住宅地がいかに持続していくのかは重要な問いである.都市内部の高齢化を扱った研究においても居住者の高齢化と非高齢人口の転出によって高齢化現象がおこるという指摘がなされており,高齢化現象は住宅購入後に世帯の滞留傾向が強い日本の住宅市場の特性ということもできよう.由井(1999)は,高齢化現象のおこりやすい日本の住宅市場の特性を踏まえ,居住者のソーシャルミックスを促すミックスディベメントによる開発への期待を述べている.また,福原(2005)は,高齢化現象の回避のためには住民による街づくりが必要であると指摘した.先行研究を踏まえ,本研究は,開発時期が長く多様な居住形態の混在する成田ニュータウンを事例として,居住形態別の居住者特性や居住者の居住経験,また自治会活動を明らかにし,郊外住宅地が持続しうる条件について考察することを目的とする.
    2.調査方法
     議論を始めるにあたって,郊外住宅地の持続性という概念の整理が必要である.“Our Common Future (1987)”における持続可能な開発の概念を踏まえると,人口が維持されることに加え,現在および将来の居住者の居住ニーズを満たす住宅地であることは重要な要素であると考える.
    自治会連合会に加盟する自治会のうち,8つの自治会の役員にコミュニティ活動に関するインタビューを行った.居住者に対しては,ニュータウン内の4地区に合計440部のアンケートを配布し,96世帯(21.8%)からの回答を得た.回答者のうち20世帯に対してインタビュー調査を行い,居住経験や居住地選択に関してデータを収集した.
    3.研究対象地域
     本研究の対象地域である成田ニュータウンは千葉県成田市にあり,NT人口は約3.3万人,世帯数は約1.4万世帯である. 1968年に千葉県企業庁の新住宅市街地開発事業として全域が一体に整備された市街地で,1978年の成田国際空港開港に向けて1972年から入居が始まった.
    4.結論
     成田ニュータウンは,成田空港の発展に伴い開発が進行した.インフラ面や生活利便性は次第に改善し,空港からの税収で豊かな市の財政を背景に住環境の維持管理がなされたことで良好な住宅地が形成されてきた.空港関連産業に従事する世帯のニーズに合った,多様な住宅が継続的に供給された.社宅等に定期的に流入する世帯のニーズにあったアフォーダブルな分譲住宅から高級住宅街区まで多様な住まい方が選択できること,さらに自治会連合会の活動が居住環境を精神的,物質的に支えていることから,転入者の定住およびNT内での住み替えが容易に起こった.中古住宅への需要も高く,戸建住宅地区においても若年層の流入があった.第二世代との近居傾向のある地区もみられ,住宅タイプや供給時期による差異が顕著であった.
    <参考文献>
    由井義通 1999 『地理学におけるハウジング研究』 大明堂.
    福原正弘 2005 『甦れニュータウン 公流による再生を求めて』 古今書院.
  • 民間・公的セクター別にみた分析
    福本 拓, 熊谷 美香
    セッションID: 716
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    I はじめに
     ジェントリフィケーションと都心部への人口回帰は,現代大都市における居住地域構造の特徴的な変容として,これまでに多くの研究蓄積がある。要約すれば,民間資本主導の都心部における開発という_丸1_土地利用改変の結果,富裕層の流入と社会経済的地位の低い層の排除という,_丸2_住民構成上の変化が生じるという図式で捉えられよう。
     1990年代後半以降,日本の大都市でも都心における人口回復が顕著に見られるようになり,集合住宅を中心とする住宅供給やそれに伴う住民構成の変化が論じられてきた。日本の特徴は,都心部・インナーシティでの住宅建設が,民間のみならず公的セクターによっても担われている点にある。矢部(2003)は,流入人口の社会経済的・家族的特性が,双方のセクター間で異なることを示している。
     こうした背景を踏まえると,都市圏全体の居住地域構造の変化を捉えるにあたって,従来のジオデモグラフィクスのような手法は人口データのみを扱っている点で不十分といえよう。そこで本研究では,小地域スケールの居住地域構造の変化を,土地利用との関係から捉えることを主要な目的とする。分析の際には,上述の特徴に鑑み,民間・公的セクターそれぞれの差異に着目する。本研究で対象とする大阪市は,公営住宅に居住する世帯の比率が16.8%(2005年)と他都市に比べ高く,公営セクターが居住分布構造により大きな影響を与えていることが予見される。
    II データと分析手法
     住民構成の変化は,主に国勢調査小地域統計(2000および2005年)の職業別集計によって把握する。土地利用の変化は,大阪市より提供を受けた「建造物現況データ」(1992,2000,2005年)を用いる。このデータは,建造物のポリゴン形状の空間データと,建物の用途(50種)・面積・階数等の属性データによって構成され,Shapeファイル形式であるためArcGIS上での操作が可能である。
     分析の手順として,まず,2000~2005年の間に建設された集合住宅を,建造物データから特定する。具体的には,両年次について不一致ポリゴンを抽出し,属性データから集合住宅のみを取り出す。次に,これら集合住宅の従前(2000・1992年)の土地利用・建造物を各年次のデータから特定する。そして各集合住宅について,ゼンリンZmap等を用いて,民間/公営資本の別を明らかにする。
    III 新規集合住宅の特徴と従前の土地利用
     都心・北・東ブロックで民間セクターの集合住宅(ほとんどが15階建て以上)が多数を占める一方で,西・南ブロックでは公営セクターの割合が高い(表1)。都心への人口回帰の相当部分が,民間セクターによる開発に起因しているといえる。従前の土地利用(図1)についてみてみると,駐車場・空地が4割強を占め,住宅の比率は低い。1992年のデータでも,もともと住宅であった箇所は少ない。従って,全体としてみれば,遊休地の開発という側面が強く,既存住民の「追い出し」はあまり生じていないと推察される。ただし,南ブロックでは,従前の土地利用が住宅であったものが多い(紙幅の関係で図は割愛)。このことは,公営住宅の建て替えに起因している。
    図1 新規に建設された集合住宅の前土地利用
    IV 民間・公的セクター別にみた住民構成の変化
     職業構成に関して(表2),民間セクターの住宅建設の前後では,都心部における専門・技術職,事務職従事者比率の上昇と,技能工・労務従事者の減少が確認できた。さらに,失業率の変化幅も市全体を大きく下回る。一方,公営住宅の建設前後の変化では,全体としてホワイトカラー層の増加はさほど顕著ではない。また,失業率の変化は市平均と大きく違わず,公営セクターが社会的不利層の増減に寄与した程度は,民間セクターよりも弱い可能性がある。
     小スケールの具体的な事例については,発表の際に報告したい。
    表2 民間・公的セクター別にみた住民構成比率(%)の変化

    【文献】矢部直人. 2003. 1990年代後半の東京都心における人口回帰現象―港区における住民アンケート調査の分析を中心にして―. 人文地理 55: 276-292.
  • 香川 貴志
    セッションID: 717
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    バンクーバー市のウェストブロードウェイは、20世紀前半に形成された住宅地の中の主要街路で、商店や飲食店が連なる在来型商業地である。周辺のコミュニティはギリシア系の移民が多く、彼らを主な顧客とした店舗も多いが、その数は殆ど変わっていない。その一方で、近年は他の民族集団のエスニック系店舗も増えてきた。なかでも日系や中国系の店舗がその主役であり、ここを個性的な商店街にすることに貢献している。
     ショッピングセンターが小売業の主役である北アメリカにおいて、在来型商業地は自動車を利用する客だけを対象にしていては生き残れない。このことに関連して、ウェストブロードウェイは、1990年前後から徐々に緩和されたゾーニングによって、大半の部分で混合利用が認められた。1階部分を店舗、2階以上を住宅にした4階建てのコンドミニアムが現在も増加中で、従来の北アメリカでは珍しいヨーロッパ型あるいはアジア型の街路が形成されつつある。こうした住居機能の拡充は、徒歩圏内の消費者を増やす効果もあり、インタビュー調査でもその効果が確認できる。
     本研究では、1996年5月と2009年6月における現地調査結果を相互比較する。我われはその変化の状況から、新しいスタイルの商店街がショッピングセンターには無い個性を発露しながら、したたかに生き残っていく姿を見出すことができよう。
  • 沖縄県南部地域の調査をもとに
    山内 昌和, 江崎 雄治, 西岡 八郎, 小池 司朗, 菅 桂太
    セッションID: 718
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    課題 沖縄県の出生率は、少なくとも沖縄県が日本に復帰して以降、都道府県別にみればもっとも高い値を示す。2007年のTFRは全国の1.37に対し、沖縄県は1.78であった。
     沖縄県の高い出生率の背景に夫婦の出生力の高さがあることは知られているが(例えば西岡・山内2005)、さらに踏み込んだ検討はほとんどなされていない。こうした中で、Nishioka(1994)は、1979年に沖縄県南部地域で行われた調査データをもとに、沖縄県の夫婦の出生力が高いのは家系継承者として父系の長男に固執するという家族形成規範があることを実証した。同研究は沖縄県にみられる出生行動とその要因を指摘した重要な研究といえる。しかし、近年の沖縄県の出生率が低下傾向にあることを踏まえるならば、現代の沖縄県の出生率の高さを沖縄県特有の家族形成規範で説明できるのかどうか慎重であるべきだろう。他方、Nishioka(1994)は言及していないが、沖縄県の高出生率は人口妊娠中絶率の低さとも関わっている。このため、妊娠が結婚・出産に結びつきやすいことも沖縄県の高出生率の一因となっている可能性がある。
     以上を踏まえ、本研究ではNishioka(1994)で利用された調査データの対象地域を含む地域で改めて調査を実施し、近年の沖縄県における出生率の高さの要因について検討する。
    方法 出生行動を把握するための独自のアンケート調査を実施し、その結果を分析する。アンケート調査は調査員の配布・回収による自計式とし、20~69歳の結婚経験のある女性を対象として2008年10月下旬から11月中旬にかけて実施した。対象地域は沖縄県南部のA町の複数の字であり、全ての世帯(調査時点で1,838)を対象とした。
    結果 調査票は20~69歳の結婚経験のある女性1,127人1)に配布し、有効回収数は946(83.9%)であった。
     分析対象とした調査票は、有効票のうち、Nishioka(1994)や全国の出生行動についての調査結果(国立社会保障・人口問題研究所2007)との比較可能性を考慮し、夫婦とも初婚であり、調査時点で有配偶であること、子どもの数とその性別構成が明らかであること、さらに複産・乳児死亡を含まないという条件を満たす706である。分析の結果、以下の点が明らかになった。
    (1)45~49歳時点の平均出生児数は2.9人で全国の2.3人(国立社会保障・人口問題研究所2007)よりも多かったが、1979年の4.7人(Nishioka1994)よりも減少した。
    (2)かつてみられた強固な男児選好は弱まっていたが、夫ないし妻が位牌を継承した(或いは予定のある)ケースでは男児選好が強く、多産の傾向がみられた。このため、沖縄県特有の家族形成規範と出生行動との関連は弱まっているものの、依然として一定の影響を与えていることがわかった。
    (3)第1子のうち婚前妊娠で生まれた割合が全体で4割を超え、明瞭な世代間の差もみられなかった。このため、妊娠が結婚・出産に結びつきやすい傾向は少なくとも数十年間は継続していると考えられる。
     以上から、沖縄県の高出生率をもたらしている夫婦の出生力の高さの要因として、沖縄県特有の家族形成規範と妊娠が結婚・出産と結びついていることの2点を挙げることができる。ただし、沖縄県特有の家族形成規範と出生行動との結びつきは弱まっており、今後は沖縄県の出生率がさらに低下する可能性もあろう。
     なお、本研究の実施に当たって科学研究費補助金(基盤研究B)「地域別の将来人口推計の精度向上に関する研究(課題番号20300296)」(研究代表者 江崎雄治)を利用した。

    1) 対象地域の1,838世帯の全てに調査を依頼し、協力を得られた1,615世帯(87.9%)に対して聞き取りを行い、対象者を特定した。
  • 一次救命処置におけるレスポンスタイムと走行環境に関わる評価
    岩船 昌起
    セッションID: 719
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    【はじめに】一次救命処置(BLS)で除細動を可能とするAED(自動対外式除細動器)は,世界標準の救急蘇生法の確立・普及とともに米国を中心に多くの施設等で設置が進みつつある。しかし,2004年7月に一般市民へのAED使用が許可されて間もない日本では,高価なAEDを十二分な数だけ配備した施設等は少なく,複雑に入り組んだ建物や広大な敷地を極少数のAEDがカバーすることが多い。このような現状において,BLSに関わる通報やAEDの運搬の方法,それらの所要時間等に関わる実証的なデータを得た上で,施設敷地の環境・空間を考慮したBLSの実施方法をシミュレーションしておくことは,傷病者の救命率・社会復帰率を向上させる手段として極めて重要と思われる。
    本研究では,鹿児島県のシラス台地縁辺の段丘面上に立地する志學館大学を研究対象として,救命の連鎖での早期心肺蘇生および早期除細動に関わる「AED設置場所と,傷病者発生地点と想定する大学各所との双方向での近接性に関する走行実験」を実施した。そして,これらの実証的データに基づきBLS開始までに要する応答時間(レスポンスタイム)を場所ごとにシミュレーションし,1台のAEDがカバーできる距離・空間や危険域の区分等のBLS環境を評価した。
    【走行実験】「走行実験」は,保健室等への早期通報に関わる「往路」とBLS可能者の移動とAEDの運搬に関わる「復路」で実施した。いずれも,1分間の心拍数が基本的に100拍以下になるまで回復を待ち,各36調査地点への試走を繰り返すインターバル走形式で実施した。被験者は2名で,スポーツ心拍計(POLAR社S710i等)を用いて心拍数と所要時間を計測・記録した。AEDを運搬する復路の実験では,実物のAED(フクダ電子FR2-M3860A)の重さ約3.1kg重となるように調整したカバンを活用した。また走行コースの距離を,巻尺で計測した。
    【レスポンスタイムのシミュレーションとBLS環境での危険域】シミュレーションでは,「居合わせた教員・学生がBLSを実施できず,保健室等に救助を求めに来る」などの前提条件を設定し,連絡方法や連絡者の走力等も考慮した。男子運動部員体力者相当のほぼ全力での走行による連絡方法では片道約329m以上が,また一般的体力者の走行を想定したジョギング程度の連絡方法では片道約185m以上が,心肺蘇生法開始までの最短レスポンスタイム4分以上(AEDによる電気ショックまで5分以上に相当)の危険域になることが多い。また「携帯電話」を早期通報・連絡に活用したシミュレーションでは,男子運動部員体力者相当のほぼ全力での走行では片道約561m以上が,また一般的体力者相当のジョギングでは片道約342m以上が上記の危険域となり,相対的な遠隔地での早期通報に携帯電話の活用が有効であることが具体的に明らかとなった。さらに,安全と思われた片道距離以内の範囲でも建物の高層階ほど危険域になることが具体的に明らかとなった。これは,広大な敷地や入り組んだ建物を有する他の公共的な施設でも共通して見出せる現象であると思われる。
    【おわりに】施設管理者の危機管理が強く求められる現在において,今回の走行実験とシミュレーションから得られたBLSに関する時空間的な関係は,実験が行われた志學館大学のみならず,立地する地形等にもより,大学等の他の公共的施設にも適応できる。そして,BLS講習会やBLSマニュアルにも反映されるべき基礎知識としても極めて重要である。今後は,他施設での研究事例や被験者数を増やしながら,AED運搬等に関する時空間的な法則についての考察を深めたい。
  • 北島 晴美, 太田 節子
    セッションID: 720
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     2004年の全国の死亡月別死亡数(性別,年次別などで比較可能な1日平均死亡指数)は,死因第1位の悪性新生物では月別にほとんど変動がないが,死因第2位の心疾患,第3位の脳血管疾患は,冬季に多く夏季に少ない冬山型である(厚生労働省,2006)。
     都道府県別心疾患年齢調整死亡率は,1970年以降(2004男除く)気温と無相関であるが,脳血管疾患年齢調整死亡率は,1970年以降,気温との相関は次第に弱くなったものの,負の有意な相関関係が継続しており,現在も平均気温が低いほど脳血管疾患年齢調整死亡率が高い傾向がある(北島,太田,2009)。
     死亡数の季節変化は地域により異なっており,冬山が相対的に高い地域と低い地域がある。冬山が低い理由を解析することで,冬山が高い地域は冬の死亡数をさらに減少できる可能性がある。
     本研究では,心疾患死亡と脳血管死亡の都道府県別1日平均死亡指数から死亡数の冬夏比を算出し,夏季と冬季の死亡数の差が大きい地域と小さい地域を抽出した。

    2.研究方法
     月別1日平均死亡指数(厚生労働省,2006)を,都道府県別に算出する場合,人口規模が小さく死亡数が少ない県では算出された月別指数の値が不安定になるので,季節別に死亡数を集計した。冬季は12~3月,夏季は6~9月とした。
     2004年の心疾患・脳血管疾患死亡の死亡月別都道府県別死亡数(厚生労働省,2006)から,都道府県毎に季節別1日平均死亡指数を,年平均(100)に対する比として算出した。冬季に夏季の何倍の死亡数があるのかを,死亡数の冬夏比(夏の指数/冬の指数)として計算した。

    3.心疾患・脳血管疾患の死亡数の冬夏比
     全国の心疾患死亡数の冬夏比(男,女)は,それぞれ1.482,1.461,脳血管疾患死亡数の冬夏比(男・女)は,それぞれ1.359,1.318である。男女とも心疾患の方が脳血管疾患よりも冬季と夏季の差が大きい。
     都道府県別心疾患死亡数の冬夏比(男,女)分布図を図1に示す。男女とも北海道,東北地方の日本海側から北陸地方にかけて冬夏比が小さい傾向がみられた。
  • 浦谷 拓
    セッションID: P801
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     2005年世界農林業センサスによると、日本の耕作放棄地は約38万ha、耕作放棄率は9.7%で、特に近年その増加が顕著である。耕作放棄地の形成要因としては、農業従事者の高齢化や担い手不足などの内的要因と農産物価格の低下による離農、劣悪な農地条件、鳥獣害などの外的要因がある。耕作放棄地は両要因が複合的に重なった結果形成されるため、その解消策は幅広い。農林水産省では2008年度より耕作放棄地の実態を全国規模で調査する取り組みを行っており、耕作放棄地の発生要因だけでなく耕作放棄地の抑制と解消策を検討することも重要な課題となる。
     これまでに農林水産省が耕作放棄地の解消策として示した事例は大きく分けて以下の8つである。(1)農業委員会又は農業委員を中心とした取組(2)市民グループ、ボランティア等による取組(3)地域農産物の導入による取組(4)基盤整備を契機とした取組(5)都市農村交流、農業体験等を通じた交流(6)放牧を通じた交流(7)構造改革特区を通じた取組(8)その他、である。これらは、各地域における成功事例の取組の経緯とその成果を記載しているが、現状把握にとどまっており、詳細な活動記録や問題点については言及されていない。農村計画や建築学では、耕作放棄地を含む農地の管理作業を属人と属地の両属性による空間管理の観点から研究が行われているが、地理学では水利管理を含めた農地の管理作業の研究蓄積は非常に少ない。
     そこで本研究では、鹿児島県の屋久島の農業集落を対象に、耕作放棄地を含めた農地の管理作業を委託する農家と作業従事者および仲介する農業管理センターに注目し、これら3者による農地の管理作業が地域に与える影響と今後の課題について検討することを目的とする。
     農地の管理作業は農業経営や作物生産の向上だけでなく、農業がもつ多面的機能の発揮と地域文化の保全に貢献するため、その実態を把握することは重要であると考えられる。

    2. 対象地域の概況および研究方法
     対象地域である屋久島の南半分を占める旧屋久町の農業集落は15あり、柑橘類のタンカンを農産物ブランドにもつ集落もある比較的農業の盛んな島である。屋久島の南側は日照時間も長く、降水量も年間に約4,000mmと豊富だが、夏季には台風が直撃するなど自然条件は厳しい。このような悪条件に加え、近年農業従事者の高齢化と後継者不足など担い手不足により、農業生産地としての勢いは陰りを見せつつある。
    そこで農業管理センターに農地の管理作業を委託する農家と作業従事者の属性、管理作業の種類や時期別管理作業時間、管理作業の変化について聞き取り調査を行った。なお、本稿での管理作業は農地だけでなく、摘果などの収穫作業、樹木の剪定なども含む農作業全体を意味する。

    3. 結果と考察
     農地の管理作業は、屋久島町とJA種子屋久が支援する農業管理センターが、農家からの委託と管理作業従事者の募集および斡旋を引き受けることで行われている。農作業を委託する農家類型は茶園農家、畑作農家、果樹農家で、2008年の委託農家数はそれぞれ5、15、50戸だった。2000年の委託農家数は10戸ほどだったので、この数年で増加が顕著になった。委託理由は農業従事者の高齢化や規模拡大による労働力不足などだが、60歳代になると作業委託する傾向である。茶園農家は2ha以上と屋久島では大規模所有で、果樹農家や畑作農家はそれぞれ1ha以上の農地を所有すると作業委託する場合が多い。作業委託数は、農家類型により変動が見られ、2008年はバレイショの作付けが減少したため、畑作を持つ農家からの委託は少なかった。また、果樹に関しても、気候条件の変化による果実の出来具合により、作業委託数や時期が比較的ばらつきが出る。このため農家属性ごとの管理作業体系の検討が必要である。次に、管理作業を行う作業従事者の登録人数は40人で、その多くは非農家で島内出身者は約20%である。
    これまでのところ作業委託は少なく、委託内容も専門性を問われず、また作業の季節性が問題にはならなかった。しかしながら、屋久島では近年気候不順による柑橘類の季節作業、土壌肥沃度の低下による裏作物栽培の変化によって、作業委託にも影響が出るだろう。今後、さらに作業委託農家の労働力が不足し委託内容の多様性が増加すると、作業従事者の専門性も問われていくと考えられる。報告では、各主体の属性や管理作業体系の変化、農地の管理作業が与える地域農業への影響および今後の展望を紹介し検討する。
  • ─陝西省安塞県の事例─
    佐藤 廉也, 縄田 浩志, 賈 瑞晨, 星野 仏方, 長澤 良太, 張 文輝, 侯 慶春, 山中 典和
    セッションID: P802
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    中国の退耕還林政策は、黄河や長江の上流域における生態系回復・保全と農村開発を目指し、西部地域開発の一環として2000年前後から実施されている巨大な国家プロジェクトである。この政策の実施地域においては、原則として傾斜25度以上の農地を放棄させるとともに家畜の放牧を禁止し、放棄地に植林地とし、2010年までに総面積3200haもの新規造林を目標としている。新規造林地の管理主体は農民であり、放棄された農地面積に応じた食料補償を受け取るとともに、植林地の管理料を受け取って造林をまかされる。地域ごとに段畑の造成や現金作物栽培のための財政補助をおこなうなど、環境保全だけでなく貧困世帯が多いとされる農村経済開発を目標とするところに、この政策の特色がある。対象地域の生態系回復・保全を持続的に達成することができるか否かは、管理主体である農民の生活を改善できるかにかかっているものと考えられる。
     本報告の目的は、黄土高原の一農村(陜西省安塞県北宋塔村)を事例としてとりあげ、プロジェクト期間の半ばを過ぎた退耕還林プロジェクトについて、生態系変化(土地被覆)と農村経済変化の両側面から検証をおこなうことである。報告者らは、衛星画像の分析によって退耕還林前後の時期における土地被覆の変化を検証するとともに、退耕還林政策実施期間の半ばを過ぎた2005年から2007年にかけて、事例となる一農村において集約的な土地利用・世帯経済調査を実施した。報告においては、これらの結果を提示することによって退耕還林政策の実施経過を明らかにするとともに、政策の効果と問題点を議論する。農村経済の側面においては、世帯経済の実態とともに、大規模な段畑造成、換金作物栽培のためのビニールハウス栽培の奨励などが本報告における議論の鍵となる。また、土地利用調査の一環として、この地域の伝統的な生業であり現在でも農民の生活の基盤であるアワ・キビ栽培についても、その詳細を報告する。
  • 宮城県北部を事例にして
    小金澤 孝昭
    セッションID: P803
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    ミレニアム生態系評価で定義された生態系サービスの概念を使って、日本の環境保全型水田稲作の現状を評価する。事例としては、宮城県北部を取りあげる。内容としては(1)環境保全型稲作が広がってきたプロセス(2)環境保全型稲作が生態系にどのような影響を与えているのか(3)環境保全型稲作を拡大するための諸条件の考察を取りあげる。
  • 林 紀代美
    セッションID: P804
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は,最終的には2001~2010年期について,Hayashi(2003)で着目した項目,利用した手法に対応する形で水産物購入に関する地域性を析出し,過去の調査期の傾向との継続性や変化について明らかにすることを目的とする.本報告,2001~2008年の統計から,その予察を行ったものである.具体的には,県庁所在都市47地点の1世帯当たり年間の水産物購入における内容構成に注目し,「平均化」の進行状況と内容構成が類似する地域の分布,各品目が重用される地域について検証する.
    Hayashi(2003)では,1963~2000年における水産物購入について考察した.その結果,水産物の購入においても,全国的に似たような購入傾向に向かう「平均化」の進展が確認され,購入の構成の都市間のばらつきは年を経るにつれて縮小した.一方で,構成の類似する地域の広がりや,各地域の食卓で重要度が高い品目,各品目の購入割合が高い地域は,長期的にもその傾向を継承されていた.この点を考慮すると,地域の人々が地域の食文化や水産物に対して一定の評価や支持を継続している側面も推測される.水産物の供給者が地域の人々(最終消費者)の期待やニーズに応えた地域水産物を提供することにより,流通にともなうコストや環境負荷を抑えて地域内での堅調な水産物流通を実現することは,供給側,需要側双方にとってメリットがある.また,地域外への出荷や市場開拓に関しても,受け入れ地域の食文化や好まれる魚種の性質を踏まえた商品の開発,販売の工夫を考えることで効率のよい活動を実現できる可能性がある.
    2000年代以降の食品流通においては,「食の安心・安全」や地域ブランド化された食品,地産地消などに対して,食料の供給者や最終消費者を含む需要者,関係機関が関心を高める動きがみられた.マスコミなどによる情報提示や食に関わるイベントの開催,食育の推進,小売店などでの地場産製品の強調,環境負荷を低減させる生産・流通活動など,地域の食文化や食材が注目され,利用される機会も多く創出されてきた(例えば,林,2007).この状況下で,Hayashi(2003)で明らかにされた状況と2000年以降のそれとを比較した場合,「平均化」の進展や,購入傾向の類似地域の広がり,地域ごとの重要品目や各品目を重用する地域には,変化が生じているだろうか.資料上の制約から, “地産地消率”の解明などは困難であるが,購入内容の構成割合(購入されるアイテムの組合せ,バラエティー)とその変化に注目して,今日の水産物購入における地域特徴を検証する.それら結果は,地域水産物の流通や消費拡大,地域の資源や食文化の活用・継承を考えるための有益な示唆を含む.
    予察の結果,水産物購入における平均化は,1990年代までに一定程度進行しているため,2000年代のその程度は僅かであったものの,更なる都市間の差異の縮小が確認された.購入構成の観点からみると,地産地消や地域の食文化への注目が高まった2000年代にあっても,“地域らしさ”の回復には向かわなかったことになる.2000年代の購入構成が類似する地域のまとまりは,6区分に集約された.1990年代の区分から若干の都市で移動がみられるものの,類似地域のひろがりの傾向はほぼ継承されている.地域ごとの重要品目や各品目を重視する地域についても,傾向は継承されている.考察結果の詳細は,当日の報告に譲る.
    Hayashi,K 2003:The difference between cities and the change for the constitution proportion of fisheries commodities purchase.地域漁業研究(Journal of Regional Fisheries) 44-1,69-81.
    林紀代美2007a:水産業・水産物を活用した食に関わる学校教育活動の可能性と課題-小浜市立田烏小学校の事例から-.地域漁業研究47-2・3,265-281.
  • 川浪 朋恵
    セッションID: P805
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     1980年代以降、世界的にマスツーリズムの生み出した負のインパクトへの反省から、弊害の多いマスツーリズムに代わって、「もう一つの観光(alternative tourism)」「やさしい観光(soft tourism)」「持続可能な観光(sustainable tourism)」などが模索されるようになった。そうした中で、具体的なあり方として世界的に注目され、各地で取り組みが行なわれているものの一つが、エコツーリズムである。
     エコツーリズムはその立場によって定義が異なり、万人から同意される普遍的なものは存在しないが、保全と利用の二側面が存在する。そして本来的には、今ある環境を保全し、その価値の劣化を防ぎつつも、旅行者や観光事業者、地元住民の利用機会を保護せねばならないということができる。しかし両者のバランスをとることはさまざまな利害関係の存在から非常に困難で、利用を重視する傾向が実践の場で強い。また、エコツーリズムには多様な関係者が関わっており、それぞれのエコツーリズムの捉え方が異なっていることも両立を困難にしている。
     そこでエコツーリズムが持続可能な観光としての性質を維持するために、多様な利害関係者それぞれがエコツーリズムをいかに捉え、実践しているのかを明確にする必要がある。特に旅行者は、可視化しにくい点などから重要な関係者であるにもかかわらず、地域内で軽視されてきた傾向にあるため、そのエコツーリズムに対する捉え方、実践形態を明確にすることは、今後のエコツーリズム維持の基礎となりうると考える。
     以上のことから本報告では、小笠原諸島におけるエコツーリズムの特徴を主に旅行者の視点からフィールドワークを中心とする方法によって明らかにするとともに、その結果から将来的な小笠原諸島におけるエコツーリズムの変化とそれに対応する今後の管理計画の可能性について検討することを目的とする。

    研究方法
     そのための具体的な方法として、文献及び資料の収集、アンケート調査、聞き取り調査及び行動観察、データ分析の4点を柱として考える。まず、文献及び資料の収集に関しては、国内外の他地域におけるエコツーリズムの事例を比較検討するとともに、小笠原諸島に関する先行研究および各種調査報告書、観光に関する計画等を検討し、現在のエコツーリズムをめぐる問題の所在を明らかにする。次にアンケート調査は、小笠原諸島を訪問する旅行者を対象に実施する。また聞き取り調査及び行動観察に関しては、小笠原諸島において小笠原村役場や観光協会等の公的機関、旅行者、観光事業者、地域住民を対象に行い、一次資料を収集する。さらに以上の方法を基にしたデータ分析を行う。これは、アンケート調査・聞き取り調査・行動観察によって収集したデータを用い、旅行者の視点からの分析によって小笠原諸島のエコツーリズムの特徴を明らかにするものである。

    研究結果・考察
     以上の分析から、利用者の視点からみた小笠原諸島におけるエコツーリズムの特徴が明らかとなる。特筆すべきは、その季節性と旅行者の自然への意識への高さである。小笠原諸島におけるエコツーリズムは暦上の休みやそれに伴うおがさわら丸の運行状況、天候などの影響を受けやすいほか、小笠原諸島を訪問する旅行者はその環境に対する意識が高いことが明らかとなった。
     考察においては小笠原諸島において今後予想されるエコツーリズムが、旅行者の視点から見てどのように変化するのか、またそれに対してどのように対処するのかの予測を含めて検討する。具体的には、旅行者の視点から見たエコツーリズムの変化や環境保護対策案の導入可否、改善項目の提示等を想定しており、小笠原諸島におけるエコツーリズムの将来的な管理計画に貢献するような検討を行う。

    参考文献
      一木重夫・海津ゆりえ 2006.小笠原諸島におけるエコツアーの満足度の評価に関する研究.小笠原研究年報.29: 37-51
      小林昭裕・愛甲哲也編 2008.『利用者の行動と体験』古今書院.
  • 加藤 幸治, 鍬塚 賢太郎
    セッションID: P806
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     「サービス経済化」,「知識経済化」と呼ばれる経済環境変化とその地理的・地域的展開を捉える上で,職業の展開,つまり職業別就業者数の展開について分析し,その特徴を把握することは重要な課題である.それは次の理由による.
     「サービス経済化」や「知識経済化」は,「外部化」をともないつつ進行しており,第三次産業,サービス業の拡大を惹起してきた.近年ではこうした部門のひとつとして,コールセンターの設立とその立地が注目されており,発表者もその分析を行ってきた(鍬塚 2008他).とはいえ,競争力の要として,また情報やノウハウの流出防止の観点から,外部化されない(できない)部門・機能もある.近年の「知識経済化」論においては,そうした部門こそが競争力の源泉であるとさえ強調されている.いずれにしろ,産業の展開,つまり産業別事業所数・就業者数の展開を分析するだけでは,内部化されたままの部門・機能を看過し,「サービス経済化」,「知識経済化」の実態を過小評価してしまう恐れがある.そのため,職業別就業者数の分析が不可欠となるのである.
     こうした観点から,加藤(2008)では職業別就業者数に関する都道府県別データを用いた分析を行った.そこで得られた知見を深化させるべく,より空間解像度の高い市町村別データで職業別就業者数の分析を行うことが,本研究の中心的課題である.

    2.2005年における人口と職業分布の照応性
     市区町村別データによって,人口と職業大分類別就業者数のローレンツ曲線を描いたのが図1である.市町村人口の分布と大きく乖離しているのが,G 農林漁業作業者であり,ジニ係数も0.472にのぼる.ジニ係数の大きさでは,F 保安職業従事者(0.186),I 生産工程・労務作業者(0.118)がそれに次ぐ.主として生産の直接部門を担う職業のジニ係数が大きくなっている.それは就業の場である産業の立地に規定されており,非大都市圏でこれら産業が特化する傾向にあることによっている.
     一方,ジニ係数が低いのは,Eサービス職業従事者(0.054),C 事務従事者(0.072),D 販売従事者(0.081)であり,A 専門的・技術的職業従事者(0.083)がそれに次ぐ.いずれも「サービス経済化」の下で拡大した職業であり,生産における間接部門ないしは第三次産業の直接部門である.これら職業は,人口の大都市への集中度よりもわずかに高い集中度を示しているものの,基本的には人口分布と合致している.

     以上のことについて,またその時系列的展開について,日本における市区町村別の職業分布図・産業分布図を提示することを中心にしつつ説明を行うとともに,その解釈について議論していきたい.
  • 山神 達也
    セッションID: P807
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I.はじめに
    戦後の日本において地域人口の変動過程に影響を与えてきたのは社会増加であったが(大友1996),人口減少期に突入した近年,自然増加の影響が大きくなりつつあることが指摘されている(中川2005; 江崎2006; 小池2006; 山神2007).以上を踏まえ,本報告では,都道府県人口の変化は自然増加・社会増加のどちらと関係が強いのか,またその関係は人口変化の都道府県間格差とどう関係するのかを検証する.具体的には,各年度を対象に,都道府県の人口増加率を被説明変数とし,自然増加率と社会増加率とのそれぞれを説明変数とする回帰分析を行う.また,都道府県人口の前年度の人口に対する比率(人口成長指数)の変動係数を求める.そして,これらの比較を通して上述の検証を行う.使用する統計は『住民基本台帳人口要覧』である.

    II.人口減少都道府県数の推移
    人口減少を記録した都道府県数の推移をみると(図1),1989年をピークとする凸型を示した後,1995年以降は増加する.次に,社会減少を示す都道府県数をみると,1980年代には30前後あったが,1990年代前半に減少し,1990年代半ば以降は増加する.一方,自然減少を示す都道府県数をみると,1989年に出現してから徐々に増加し,特に2000年代の増加は著しい.これらをみると,人口減少数と関係するのは,1980年代半ばから1990年代半ばまでは社会減少数であり,1990年代半ば以降は自然減少数となる.このことは,都道府県人口の変化に対する自然減少の影響力の増大を想起させる.

    III.都道府県人口の変化と自然増加・社会増加との関係性
    まず,各都道府県の人口増加率に対する自然増加率の決定係数の推移をみると(図2),1990年代半ばまでは0.6以下と低いが,1995年以降は0.8前後の高い値をとる.一方,社会増加率の決定係数は,1990年代半ばから2000年前後にかけて0.7前後を示すものの,他の期間は0.9前後の値をとり,総じて高い.また,自然増加率・社会増加率の決定係数を比較すると,1990年代半ばまでは社会増加率のほうが高いが,1990年代半ば以降は両者に大きな差はない.ただし,1990年代後半は自然増加率のほうが若干高く,2000年半ば以降は社会増加率のほうが若干高い.このように,都道府県の人口増加率は,1990年代前半までは社会増加率の影響を強く受けたが,1990年代半ば以降は自然増加率と社会増加率との両者からほぼ同等の影響を受けていた.
    次に,都道府県人口の成長格差の推移をみると(図2),1980年前半に格差は縮小するが,1990年代後半に拡大する.その後,1990年代半ばまで縮小し続けるが,1990年代後半から再び拡大する.かかる推移は,社会増加率の決定係数の推移とほぼ同じである.一方,自然増加率の決定係数の推移と比較すると,1990年代半ばまでは逆の動向を示すが,それ以降は同様の推移をみせる.これらの関係をグラフ化した図3からわかるように,対象期間全体をみれば,都道府県の人口増加率が社会増加率で説明される年度は人口成長格差が大きいのに対し,自然増加率のほうは,その決定係数が高まる過程で人口成長格差を縮小させてきたのである.ただし,1990年代半ば以降は,自然増加率の決定係数が高い中で人口成長格差が拡大してきた(図3で楕円で示した範囲).人口成長格差を縮小させる方向に働いていた自然増加率の決定係数が,格差を拡大させる方向に働きだしたのである.多くの都道府県が人口減少を記録する中で,人口の自然減少が社会減少と一体となって人口成長格差を拡大させてきた状況がここに示されている.
    以上のように,日本社会が全体としての人口減少期に突入する以前から人口減少を記録するものが多く存在していた都道府県人口の推移において,人口の社会増加の影響が依然として大きいこと,そして自然減少の影響が徐々に強まりだし,それは人口流出と一体となって都道府県人口の成長格差を拡大させてきたことが明らかとなった.
  • 増野 高司
    セッションID: P808
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     「やんばる(山原)」と呼ばれる沖縄島北部の森林には,イタジイ(Castanopsis cuspidate)を優占種とする常緑広葉樹林が広がる.ここには,沖縄に固有な生物をはじめ,多様な生物が生息し,近年それらの生物を含めた森林保全への意識が高まっている.このように豊かで希少な生物相をはぐくむ,やんばるの森であるが,原生的な森林は残っておらず,二次林が広がっている.
     これまでに,1960年代初めの国頭村における焼畑の観察事例が報告されている(佐々木,1972).また,やんばるにおける林業的な森林利用についての報告がなされている(中須賀編,1995).しかしながら,現在同地域において焼畑はすでに衰退し,林業的な森林利用も活発とはいえない状況となっている.
     本研究の目的は,このような,やんばるにおける森林利用の変遷を歴史的に解明することである.今回の本報告では,既存の研究を整理するとともに,若干の現地調査をもとに,今後の研究の展開を示したい.

    2.調査地および調査方法
     調査対象は,沖縄島(沖縄本島)とした.特に森林が広がる北部(大宜味村,東村そして国頭村)の森林利用の変遷について調査を実施した.既存の文献を利用して森林利用について分析をおこなうとともに,西銘岳(国頭村)において,現地踏査および植生調査を実施した.また,森林利用の歴史的な側面について,聞き取り調査を実施した.

    3.結果および考察
     文献調査の結果,やんばるの森は,家庭で利用される燃料が薪炭からガスに転換するまでの長い間,地域住民のみならず那覇をはじめとする人口高密地域への薪炭材の供給を担ってきたことが把握された.しかしながら,薪炭材の需要がなくなると,森林の利用方法が模索されるようになっている.林業的な活動もおこなわれているが成功していない.
     そのいっぽうで,1980年代になると,希少な野生動物保護の観点から森林保護への意識が高まった.そして1990年代末以降にはエコツーリズムによるやんばるの森の利用が始まっている.
     現地踏査では,炭焼きの跡地やそこに通じる踏み分け道が確認された.また林分調査の結果,胸高直径が50 cm未満の比較的林齢の若い個体とともに,胸高直径が60 cm を超える個体が散在する状況が明らかになった(図1).胸高直径が60 cm以上の個体には,大きな樹洞が確認された.これは,優良木の抜き切りが行なわれた結果,林業的な観点から不良木と考えられた個体が残されたたことによる可能性が考えられた.
     やんばるの森は地域住民によって長い間利用されてきたが,建材となる良木の減少と薪炭材需要の減少により,その利用価値を見いだせない状況が続いている.現在,やんばるの森を積極的に利用した経験を持つのは,高齢の方々に限られている.彼らが持つ森林利用に関する経験を,地域別に民俗的な観点から,収集・整理することが急務と考えられた.

    参考文献
    中須賀常雄編1995. 『沖縄林業の変遷』 ひるぎ社.

    佐々木高明1972.『日本の焼畑』古今書院.

    Masuno, T., and Nakasuga, T. 2009. Biomass of Coarse Woody Debris in Subtropical Evergreen Broad-leaved Forest on Northern Okinawa Island, Japan. Kanto Journal of Forest Research 60:207-210.
  • 栗島 英明, 高橋 和也
    セッションID: P809
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
     廃棄物処理施設の立地や運営をめぐって多くの地域紛争が起こっている。その一方で、廃棄物はどこかで処理をしなければならず、施設を建設・運営をいかにして地域に受容してもらうかが重要な課題である。従来研究では、施設の受容にあたっては、情報提供が大きな役割を果たすことが示されているが、情報提供がどれほどの意識変化をもたらし、受容につながるのか、について定量的に検討したものはあまり見られない。
     そこで本研究では、廃棄物処理に関する簡易な情報提供を提供することで、施設への反対率やイメージがどれほど変化するのかを定量的に測定した。
     生存分析による距離別立地反対率の分析の結果、情報提供によって反対率が50%となる距離が約半分に短縮された一方で、提示距離5km以上の反対率は情報提供前後で大きく変化せず、遠距離でも反対意思を示す人々は意識の変化が起きづらいことが示唆された。また、情報提供前後の処理施設に対するイメージの変化については、以下に点が示唆された。(1)情報を与えた項目は悪いイメージを軽減させ、情報を与えていない項目に関しては変化が少ない。(2)情報提供前の立地への賛否の回答パターンで回答者を分類したところ、情報提供前に距離に応じて賛否が異なっていたグループのイメージ変化が大きく、情報提供後の立地への賛否の変化が大きかった。情報提供によるリスク認知・情報公開に関するイメージの変化が、反対距離を変化させた要因であることが示唆された。(3)廃棄物行政へのイメージは、賛否の変化と相関しておらず、すべてのグループで同程度イメージが変化していることから、施設受容に強く影響しないことが示唆された。
  • -世界の中心で,愛をさけび続けられるか?-
    天野 宏司
    セッションID: P810
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    問題の所在
     近年,日本各地で観光資源開発の一手法として,映画とのタイアップが取り入れられ,特に映画やテレビドラマの撮影に関するロケ隊の受入を積極的に進める事例が増えている。ロケ隊の受入により,知名度を飛躍的に向上させたのが「世界の中心で,愛をさけぶ(2004年公開)」の舞台となり,撮影地となった香川県木田郡旧庵治町(現高松市庵治町)である。映画のヒットは「セカチュー現象」と呼ばれるブームを巻き起こし,撮影の行われた庵治町を訪問する行動=ロケ地観光が見られるようになり,映画が観光資源の創出に効果的であることが知られ,各地で盛んにロケ隊の受入と,これによる町興しが進められることになった。
     映画ヒットに便乗する形で進められる知名度の向上は,簡便にして効果的ではあるが,一方その効果が一過性で持続しにくい点,および散在するロケ地を巡るツーリストを定量的に把握することが困難なことが問題として挙げられる。本報告では,庵治町を事例にロケ地観光を定量化する手法を開発し,映画による町興しの効果が持続しているのか・否かを検証することとする。
    研究手法
     香川県の観光動向統計調査では,庵治町内の旧来の観光資源を統計対象としているため,新たに創設された観光資源であるロケ地関連の入り込み客数は把握不能である。彼らの主要な訪問施設が「王の下堤防」・「皇子神社境内」・「庵治観光交流館」などであり,このうち「交流館」では,月別入館者数が把握可能である。本報告では,これに加えツーリスト達がとるある行動に注目し,定量化を試みた。
     “ある行動”とは,純愛をテーマにした映画の内容から,「恋人達が永遠の愛情を誓い,南京錠を掛ける」行為である。南京錠には,恋人達の名前の他,誓いの言葉,南京錠を掛けた日付などが書かれているため(写真1),彼らの訪問日を特定可能である。報告者は,2007年3月から3次にわたり,これら南京錠の悉皆調査を行い,日付の採録を行った。これを突合させることにより,3次の調査間における南京錠の増減・移動が把握可能となった。
    結論と展望
     結論から言えば,今なお庵治町において,南京錠を掛ける行為は続き,その量を増加させている(写真2)。観光交流館の入館者数も,コンスタントに月1,500人程度を維持し続けている。しかしながら,別の問題も一方では存在している。観光動向の分析を含め,詳細は当日報告する。
  • 〈辻町〉の再興をめぐって
    加藤 政洋
    セッションID: P811
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1. 研究目的
    本研究の目的は、米軍の占領下で進められた都市建設に固有の理念ないし空間的な論理の一端を、「場所の(文化)政治」を糸口に地理学的な観点から明らかにすることにある。対象とする場所は、都市建設(形成)期の沖縄各地に成立した歓楽街である。それらは、いずれも「自然に形成された」ように見える場所なのだが、なかにはさまざまな意図が絡み合い、政治的な力関係に左右されながら創出されたところも存在した。那覇近郊の「栄町」は、その代表例である。
    本発表では、歓楽街のなかでも戦前那覇の大遊廓として知られた〈辻町〉に焦点を絞り、その再興過程の考察から上記の課題に取り組んでみたい。いくぶん結論を先取りして述べるならば、〈辻町〉はまさに、施政者が(後に出来する)都市空間の全体を俯瞰(構想)しつつ、施設・機能・用途地域を的確に配置しようとする都市計画的な志向性のなかで創り出された場所であった。
    2. 首都計画から那覇市都市計画へ
    一般に那覇市の都市計画の端緒は、1950年8月の都市計画条例によって開かれたとされている。とはいえ、この年まで都市計画に向けた動きが必ずしも皆無だったわけではない。実際、1950年以前に「那覇市都市計画案を前後三回に亙って提出したけれども、結局軍の意図に沿わぬとの理由で三回とも却下され」ていたという。
    注意すべきは、却下された案が実際には「那覇市都市計画」ではなく、周辺の二市二村を含む「首都計画」であり、計画主体は民政府だったという点である。軍政府は「那覇市の都市計画は那覇市が主体となって計画し、実施すべきで、民政府は那覇市の都市計画に対して参考的な意見はいえるが那覇市を拘束することは出来ない」という立場から、三度にわたり計画案を却下していたのだ。
    つまり、1950年3月を境に、那覇をめぐる都市計画は、広域にわたる首都計画から那覇市域を対象とする計画へと移行したのである。その後、周辺の市・村を区域とする都市(首都)計画の策定は、1956年まで待たねばならない。
    3. 歓楽街成立の三つの背景
    しかしながら、この廃案になった首都計画の空間的文脈のなかで誕生した歓楽街がある。すなわち、それが「栄町」であった。那覇市内で辻町の復興が望めないなか、行政域としては那覇の市外でありながら、隣接して市街地としては一体化している栄町の地の利を活かし、〈辻町〉に取って代わる歓楽街が形成されたのである。
    そればかりか、後に那覇市に合併される小禄村でも、軍用地と接する土地に、その名も「新辻」と称する歓楽街が建設された。これは、島内北部や本土でも見られた基地近接型の歓楽街ということになる。いずれにしても、隣接する二つの村に歓楽街が成立するなかで、那覇市は独自の都市計画を立案したのだった。
    この計画で旧〈辻町〉は「住居地域」として区画整理されることになっていたものの、前述のように、首都計画の文脈で成立した「栄町」は市外に立地しており、また旧に倍する成長を見せた料亭・飲食店に対処すべく、当初の方針は1年もたたないうちに転換される。
    4. 〈辻町〉の再興と「場所の政治」
    1951年春、那覇市は統制なきままに展開する料亭・飲食店(風俗営業)を規制すべく、旧遊廓の辻町一帯に「この種の料理店」を囲い込むことを企図し、「特殊商業地区」を設定する。市域に限定した都市計画を立てた以上、問題視された放縦な風俗営業にも自前で対処しなければならず、定めたばかりの地域制を変更せざるを得なかったのだ。これによって、「昔なつかし辻情緒……各通りをはさんで料理屋、飲食店、各種娯楽場、ダンスホール等々…〔の〕…様々の建物が建ち並ぶ」ことが期待され、実際、那覇を代表する歓楽街へとまたたくまに発展するのだった。
    この政策は後々まで大きな影響を及ぼすことになる。というのも、本土復帰と同時に「トルコ風呂」ならびにモーテルの「規制外地域」、すなわち営業許可地域として指定されたことで、現在にまでいたる風俗営業地区となったからである。
    5. 風俗営業取り締まりと「場所の文化政治」
    興味が持たれるのは、「辻への返り咲き」ないし移転を待望する業者もいたことである。施政者側も〈辻町〉という場所の歴史性に配慮した面があるとはいえ、風俗営業取り締まり上の「囲い込み」に業者自らが応じることで、〈辻町〉は再興したのだった。栄町の業者の多くが、実際に移転したのである。
    思惑は違いこそすれ、こうして〈辻町〉再興の端緒は開かれた。二つの歓楽街の成立過程に「政治」を透かし見るとき、首都計画から那覇市単独の都市計画への変更は、看過できないものとなる。
  • 猿害対策マップを事例に
    野中 健一, 柳原 望
    セッションID: P812
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    本研究は、地図に不慣れな者にも地域の空間情報を共有し、地域の問題に関心をもたせる手法を作り上げることを目的として、地図表現にイラスト技法を取り入れ、見やすく、親しみやすい地域情報地図を作成する試みである。事例研究として、三重県亀山市の猿害対策におけるサルの位置情報を共有するためのベースマップを作成した。
    ここでは猿害対策として農地や住宅地へ出没するサルの追い払い防除活動が行なわれている。調査員がサルの居所をラジオ・テレメトリにより取得し、GPS付携帯電話で情報を発信している。また、住民からも電話により目撃情報を収集している。これらの情報は携帯電話メールとWebページにより、文字と地図で閲覧されている。効果的な防除のためには、サルの出没情報を住民が的確に把握することが望まれる。しかし、既存の地図では、読図に不慣れな者には場所の特定がしづらいため、情報の共有や普及に適した地図が望まれていた。
    そこで、地図の情報がだれにでもわかりやすく受け止められることに主眼を置き、以下のように地図作成を行った。
    ・現場のニーズや状況を正しく把握するために、サル位置情報を調査し発信している市民に、情報提供の仕方、住民への口頭での説明時の道路、ランドマーク等を聞き取り、地域の環境や情報について討論し、描き方と描画要素を検討した。
    ・ ランドマークとなる施設や場所は、情報発信者や住民によって目印とされているものを中心に描いた。一目でわかるよう、その特徴を表したアイコンを作成した。名称は地元で通用している名称を優先した。
    ・地域の特徴が表現でき、景観的特徴が想起できるよう、地図表現を工夫した。
    ・位置関係、距離、方向が正しくわかるよう、また、Web-GIS処理ができるように、道路や河川はスケール通りとした。
    ・サル群の出没範囲とその周辺地域を中心とし、市民に将来的な注意喚起もできるように地図化する範囲を広く取った。
    ・情報の更新や共有を容易にするため、市販パソコンソフトを用いて作成した。描画要素はすべてベクトルデータ形式として、画面表示サイズ、配布用、掲示用など用紙サイズに応じて任意に拡大縮小してもきれいに出力できるようにした。
    ・猿害対策情報システム「サルどこネット」(http://www.sarudoko.net)と組み合わせて出没情報をさまざまな様式で閲覧および印刷して情報配布を行えるようにした。
     このイラストマップにより生活や情報伝達でなじんだランドマークが具体的イラストで記されているため、会話や文章による位置の伝達がしやすく、直感的に位置や情報の把握が容易となると考えられる。この情報地図が多くの住民の目にふれる場に掲示されることによって、サルの出没場所・範囲、被害や対策の状況が把握されると同時に、関心を高めることによりさらに多くの情報が集まり、対策に向けた議論が活発となることが期待される。
  • 池尻 知也, 岩本 廣美
    セッションID: P813
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.はじめに
     近年の観光人気の対象には,古い街並みが景観として保存されている地区が挙げられる.そのような地区は宿場町や港町,武家町など多種多様であり,また全国各地に点在している.しかしその中でも,特に保存状態が良いものは,文化庁から重要伝統的建造物群保存地区(以下,重伝建地区)として選定されており,高い価値を保持している.2009年7月現在,重伝建地区として選定されている地区は,北は北海道函館市末広町から南は沖縄県八重山郡竹富町竹富島まで84ヶ所に上る.
     本研究では,重伝建地区内,もしくは周辺にある小学校(一部,中学校も含む)計505校に対しアンケート調査を行い,授業での重伝建地区の取り扱いについて尋ねた.
    2.研究方法
     2009年3月に全国の重伝建地区のある市町村の規模1などからアンケート配布学校を割り当て, 204校から回答を得た(回収率40.3%).内116校が小学校からの回答であった.また全84ヶ所の重伝建地区の内,75ヶ所で1校以上の回答を得た.
     本発表では,小学校における授業での重伝建地区の取り扱いと題し中学校からの回答は比較対象に留めている.
    3.結果の概要
     アンケートには小学校から重伝建地区までの距離(PCソフト・プロアトラスSV4.Version 4.0.0.4にて,測定ツールにより発表者測定)と取り扱いの有無,取り上げた教科・領域,取り扱う上でのメリットや取り扱わない理由などを問うた.1)取り扱いの有無について:有効回答の内77校(67.5%)で取り上げたことが有るとの回答である.2)取り扱いのある教科・領域について(複数回答有):社会科(57校),総合的な学習の時間(55校),図画工作科(11校)と続く.3)取り扱う上でのメリット:我が郷土への愛情が育つ(112校),ゴミ問題やマナーについて意識するようになる(97校).4)取り扱わない理由:時間の確保が難しい(63校),踏み込んだ授業展開の教材として不向き(34校).
     また,アンケートでは実際に行われた授業での方法や用いた教材・教具などの回答も求めている.a)時間数に関して:時間数は一時間以内で終わる学校もあった(20.7%)が,観察活動等で実際に見学に出向く場合もあるため,数時間という回答が最も多くを占めた(27.0%).b)内容に関して:上記の観察活動は最も多く(29.1%),各市町村発行の社会科副読本の利用が次点であった(20.5%).c)関係者の招聘について:7.9%の小学校で,重伝建地区の関係者を招いており,役職については1.地区在住の方,2.地域民間団体関係者,3.市町村役場職員の順に多かった.
    4.おわりに
     本研究は重伝建地区内にある,もしくは周囲にある小学校を対象にアンケート調査を行ったため,比較的有効な回答を多く得た.今後は,現地調査及び授業見学にて授業での取り扱いについての実践例を収集,整理する.
  • ―GPS首輪を用いた長期間の放牧データより―
    手代木 功基, 斎藤 仁
    セッションID: P814
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    はじめに
    ナミビア北西部の半乾燥地域では,年変動が大きく不確実な降水のもとで,植生に依存した牧畜が地域住民の重要な生業となっている.人々は放牧キャンプなどを設置して定期的に移動しながら家畜を飼養することで脆弱な環境に対応してきたが,歴史的な背景などから定住して同じ場所で放牧をしている人々も存在する.そのような地域で,植生と人間活動の結節点ともいえる放牧活動が年間を通してどのように営まれているのかについてはよくわかっていない.
    そこで本発表では,定住して家畜を飼養している人々が行っているヤギの日帰り放牧のルートに着目して,その季節による差異をもたらす要因について検討する.放牧ルートの把握には,近年小型化したGPSロガーをヤギに取り付けるという手法を用いることによって,長期間の正確なデータの取得を可能とした.
    方法
    調査地は,ナミビアのクネネ州南部に位置するレノストロコップ村である. 調査は2008年12月から翌1月(雨季の初め)と2009年6月から8月(乾季)に行っている.ヤギの放牧ルートは,小型GPSロガー(SONY GPS CS1)を取り付けた首輪(GPS首輪)を特定のヤギに装着して調査期間中記録した.
    また期間中のそれぞれ5日間は,採食行動の追跡調査を実施した.その際には特定のヤギが採食している植物種とその採食時間を15分間隔で記載した.植生調査は,250m間隔のグリッドをGPSを用いて作成し,その格子点上に調査区を設置して出現種の記載と出現個体数の計測を行った.
    これらの現地データとDEMデータ等をもとに,GISソフトを用いて日帰り放牧の季節による差異やその要因について解析した.
    結果と考察
    雨季初めの計31日間と乾季の計27日間の放牧ルートのGPS首輪のデータから,放牧を行う場所は雨季・乾季ともに集落よりも主に北側に偏っており, 地域全体が無秩序に放牧場所となっている訳ではないことが明らかとなった. しかし,雨季と乾季で放牧ルートが密集している場所には違いがみられることから,上記の放牧場所の中でも季節によって頻繁に利用する場所が異なっていると考えられる.
    その要因として,場所による植生の違いが影響していることが植生調査結果から示唆された.また採食行動の調査から,ヤギは季節によって採食物が異なっていることが明らかとなった.それには植物種ごとの着葉時期の違いが関わっており,それに応じてヤギの採食物には違いがみられた.したがってヤギの日帰り放牧ルートには,季節によって異なる,採食可能な植物の分布が大きく影響していると考えられる.
  • 江口 誠一, 岡田 直紀, Somkid Siripatanadilok, Teera Veenin
    セッションID: P815
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    タイの熱帯季節林は,全森林面積の3分の2を占め,国内のみならず東南アジアの植生を考える上で重要である.しかし,その過去の変遷については,ほとんど明らかにされていない.従来の研究では,考古学・人類学的視点によって,湖沼堆積物中の花粉化石を中心に扱われてきた.よって,花粉の飛散が及ぶ広い地域全域を対象とせざるを得なかった.それらは様々な場所を起源とする,花粉化石が混在したダイヤグラムをもって概観するにとどまり,植生変遷史として考察されてこなかった.
    現況より,生態学的検討を加えるには,古植生の分布まで検討する必要があり,地点あたりの復原域が小さい,植物珪酸体分析はそれに適している.また窪地に限らず,平坦地の堆積物を直接分析できることから,台地上でも現地性の高い復原が可能である.
    本研究では,熱帯季節林の中でも,火入れなど人為の影響が強い落葉フタバガキ林を中心に,隣接する林分下の,表層を含めた地層中の植物珪酸体化石群から,現生群落内の母植物を対象にその変遷を明らかにすることを試みた.
    タイ東北部サケラートの環境研究ステーションでは,落葉フタバガキ林,落葉混交林,乾燥常緑林が隣接して分布する.それぞれの区域内で,表層から深度1m程度までの地層を観察し,約10cmごとの層準で植物珪酸体分析用の試料を,また放射性炭素年代測定用の炭化材を適宜採取した.
    落葉フタバガキ林において2地点(SD1,SD2),落葉混交林で1地点(SM1)調査した.SD1・2の層序は下位より,最下部礫層を基盤に,炭化物が散在する赤褐色シルト質細砂,締まりのある赤褐色シルト質細砂,表層の暗褐色シルト質細砂であった.SM1では,最下部礫層の上位に,炭化物と礫が点在する暗黄褐色シルト質細砂,暗黄褐色シルト質細砂,表層の暗褐色シルト質細砂が堆積する.
    落葉フタバガキ林SD1の,炭化物散在層と上位層の境界部およびその上位層中部の,深度40cm,20cmより,1,157±20calBP,204±19calBPの放射性炭素年代がそれぞれ得られた.植物珪酸体化石では,現在生育するフタバガキ科が深度30cmの層準より上位で産出し,タケ類もほぼ同層位で多産した.またSD2では,炭化物散在層下部と中部の,深度50cm,40cmより,1,255±18calBP,1,447±22calBPの年代が得られた.それらの層準から上位でフタバガキ科が産出し,タケ類は表層で顕著に多かった.落葉混交林SM1では,最下部礫層中の深度67cmより,炭化材年代4,390±22calBPが得られた.フタバガキ科は表層では見られず,それより下位の深さ43cmまで産出した.
    以上より,現在分布する落葉フタバガキ林は,その地で約千数百年前に成立した.近年は乾燥常緑林が拡大しているが,落葉混交林では過去に落葉フタバガキ林が分布していた.このように,台地上の限られた区域においては,群落内の母植物で見当をつけながら,表層より地下に連続する地層中の化石を追うことで,現植生の成立過程を明らかにすることも可能である.
  • 朴 恵淑, 宮岡 邦任, 竹中 千里
    セッションID: P816
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    韓国国家産業団地であるウルサン工業団地及びヨス(ヨチョン)工業団地は、1960年代のはじめに造成がはじまり、石油化学、自動車及び造船工業を中心とする重化学工業団地である。ヨス(ヨチョン)工業団地は、非鉄金属工業、精油、石油化学、肥料、化学パルプ工業が中心となる、韓国最大工業団地である。これらの地域は、かつて四日市コンビナート地域において発生した大気汚染、水質汚濁、悪臭などによる被害が顕著であり、地域住民の集団移住が政策的に行われるほど、ヨス(ヨチョン)工業団地での喘息、皮膚病などの健康被害が発生している。しかし、大気汚染や水質汚濁の基礎的データはあるものの、国家産業団地内の大気汚染及び水質汚濁、沿岸域の水文状況を把握できる詳細なデータは不十分であるため、その実態が明確に把握されていない。本研究の目的は、まず、韓国国家産業団地における大気—水文環境の特性を把握する。次に、韓国国家産業団地周辺の沿岸域の水文環境の調査を行い、四日市コンビナート地域で行った大気—水文環境の研究成果と比較考察を行う。最後に、両国のコンビナート(国家産業団地)の大気—水文環境の特性に基づく環境復元モデルを構築する。
     本発表では、これまでに行われた地域住民や関係者へのインタービュー調査、ヨス(ヨチョン)工業団地内の降水量調査、水質分析、沿岸域の水文調査による結果の一部を報告する。
    2. 調査概要及び結果
    (1) 産業団地周辺の住民へのインタービュー調査
    ヨス(ヨチョン)工業団地周辺の住民へのインタービーを行った。工業団地の中興洞は、清浄海域に面した豊な漁場で養殖業が盛んな地域であったが、工業団地周辺造成に伴い、ベンゼン、カドミウム、鉛、亜鉛などで汚染された地下水により癌、皮膚病等に苦しんでいる。しかし、因果関係を立証することが難しいことから対策が行われていない。四日市公害で行われたように、疫学的側面での解明を行う必要がある。
    (2)工業団地内外の大気—水文環境調査
     工業団地内外の2地点に降水量計を設置し、降水量の変動(時系列)、降水の採集・分析を2009年4月から行っている。本研究によって、工業団地内での企業の施設において、大気—水文環境調査が本格的に行われるようになった。一方、工業団地から離れた全南大学ヨスキャンパスにおいて降水量計を設置し、同様な調査が行われることから、工業団地内外での大気—水文環境調査がモニタリングできるようになり、分析を行っている。
    (3)工業団地沿岸域での水文環境調査
    ヨスにおける水文環境調査については,団地内における民家井戸での水位・水質調査の他に,陸域-海域の相互作用を解明するために,海岸から沖合にかけて,電気比抵抗探査による海底地下水湧出地点を把握するとともに,湧出地点における,湧出量や栄養塩湧出量について解明する方向で調査を行っている。
    本研究は、科学研究費補助金基盤B(No.19310154、研究代表者:朴 恵淑)の補助を受けた。
  • 中井 達郎, 柴田 剛, 山野 博哉, 安村 茂樹
    セッションID: P817
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    南西諸島はWWFグローバル200エコリージョンのひとつに位置づけられ、現在WWFジャパンは、陸域、海域、淡水域を含む南西諸島全域について生物多様性優先保全地域(BPA)の評価作業が行なっている。その評価方法は、レッドデータ・ブック(鹿児島県版・沖縄県版)に記載された生物種の分布を基礎データ(生物群重要地域TPA)とし、それに自然度の高い森林やサンゴ群集といったハビタットあるいは集水域や標高といった地形・環境条件を加味して、GIS上で評価を行っている。
    そのうち海域は、特にサンゴ礁をはじめとする浅海域を主対象として実施している。まず(1)貝類、(2)甲殻類、(3)魚類、(4)爬虫類、(5)鳥類、(6)哺乳類の各分類群についてのTPAと、(1)サンゴ群集(礁斜面)、(2)サンゴ群集(礁原)、(3)藻場、(4)マングローブをハビタット・タイプとして抽出し、マッピングした。なお、サンゴ群集については、日本サンゴ礁学会保全委員会との共同で行われた重要サンゴ群集域のデータを活用した。その上である地域単位に上記のTPAあるいはハビタット・タイプの出現数で評価するが、その境界線に生態学的意味を持たせることが必要となる。単純な重ね合わせやメッシュ評価では地域生態系の反映が困難である。その際、陸上の場合は、集水域を基本単位とすることが有効で、本プロジェクトでも陸域については集水域を考慮している。そこで、海域については自然地理的ユニット(PGU)を応用することとした。中井(1998,2007a,b)は、裾礁礁原上において、その生態学的に意味を持つ空間構造としてPGUの重要性を指摘し、サンゴ礁保全への応用の有効性を示唆した。PGUは礁嶺、水路、岬などの地形によって区分される単位で、それは生物分布や行動に影響を与える海水運動パターンと整合的である。陸上の集水域に類似する半閉鎖的系と考えられる。本研究においては、空中写真・衛星画像などから南西諸島の全島についてPGUを判読し、各PGUごとにTPAとハビタット・タイプの出現数をカウントした。その結果から海域のBPAを評価した。また、湾はそれ自体がひとつのPGUと考えられることから(堀越, 1979,a,b)、複数のPGUを含む湾は、スーパーユニットとして評価した。
     一方で、陸域BPAの選定にあたっては、流域境界も使用した。海域のPGU境界と陸域の流域境界を合わせて示すことによって、陸域と海域を合わせた統合的な優先保全地域の抽出が可能となる。これは、統合的沿岸管理計画(ICZM)を検討する上でも非常に有効な資料となるものと考える。
  • 祖田 亮次, 柚洞 一央
    セッションID: P818
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
     近年の災害研究の特徴のひとつとして,人文・社会科学の参入が挙げられる。これは,災害(被災)要因が複合的で複雑なものとなってきたこと,被災者の「脆弱性」が社会的・政治的な側面を持っていること,復興・復旧プロセスにおけるコミュニティのレジリエンス(回復力・復元力)が注目されつつあることなど,災害に対する認識が変化してきたことと関係する。
     しかし,これまでの研究の対象は,大規模災害(catastrophe)が中心で,小規模ではあるが頻繁に起きる災害や「ゆっくり起きる災害slow-onset disaster」,あるいは日常化した災害リスクに関しては,人文社会科学分野はあまり注目してこなかった。
     本発表では,マレーシア・サラワク州の河川で進行している河岸侵食の実態を報告し,派生する問題とその対策の可能性について,若干の考察を加える。サラワク州の河川で起きている問題は,まさに,多様な遠因が複雑に結びついた結果として生じているもので,目に見えにくい「ゆっくり起きる災害」であり,日常化した災害リスクへの対処の仕方が問題となる。
     マレーシア・サラワク州には,32の主要水系が存在し,その総延長は50,000kmに及ぶとされる。これらの河川の中下流域において,過去30~40年のあいだに河岸侵食が進行してきた。たとえば,流域面積約5万平方キロを持つラジャン川の中下流域で行った観察および現地住民からの聞き取りによると,侵食を促す間接的背景として,河川水位の季節変動,河岸植生の変化(排除),開発に伴う上流からの大量の土砂流入,砂利採取を目的とした浚渫などが挙げられ,直接的な契機としては,乾燥が続き土壌がひび割れた後の大雨や,洪水氾濫後の過剰間隙水圧のほか,動力船による航走波や流木の衝突などが考えられる。
     こうした侵食の影響を避けるため,河岸に位置する村々(ロングハウスという居住形態を取る先住民が多い)は,これまでに幾度もの移転を余儀なくされてきたが,近年では,土地不足や資金不足,あるいは村落移転(ロングハウス新設)に関する制度改正などにより,リスク回避のための移転さえ困難になっている。また,近隣の華人による土地の買占めが移転を困難にしている場合もあり,民族間の緊張関係を生み出すなど,社会問題としても顕在化しつつある。
     一方,現地住民の自己防衛策は緩慢で,政府援助や国際協力に頼ろうとする姿勢が目立つ。このような他者依存の姿勢は「補助金症候群」と揶揄されるが,こうした傾向は,やはり過去30~40年間のあいだに,サラワク州政府の中央集権化政策の過程で形成されてきたものである。移動式焼畑を正業としてきたサラワクの先住民は,本来高い流動性を持っていたとされる。彼らにとっての「災害文化」とは「逃げること」であったといってよい。実際,疫病や飢饉などの災害に対しては,そこから別の場所に移ることで対処してきた歴史がある。ところが,近代化の流れの中で生活・居住の安定化・定着化が進み流動性が失われてきたと同時に,社会的・経済的・制度的に逃げられなくなったことが,河岸侵食を「災害化」させることになったと言える。このように,自然的要因だけでなく,社会的・政治的背景が複雑に絡み合うことで,先住民の脆弱性が増大し,レジリエンスが減退しているという現状が見られた。
     当日の発表では,こうした現状を紹介すると同時に,そこから派生する流域全体の問題や,河岸侵食に対する現実的な対策の可能性についても検討したい。
  • 行政による情報発信と地域住民による情報共有
    青木 賢人, 林 紀代美
    セッションID: P819
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    【 はじめに 】
     演者らは,2007年能登半島地震発生時の住民行動に関するアンケート調査(林・青木,2008:青木・林,2009)から,災害に関する知識・情報の事前取得状況が被災時の行動を規制しており,適切な情報を持っていた住民は適切な避難行動を取っていることを明らかにし,適切な情報提供が地域防災力の向上に有効であることを指摘した.その一方で,住民による防災情報の取得・理解は充分ではないことも明らかとなった.住民による防災情報の理解を進めるためには,行政側が地域環境に対応した防災情報を分かりやすく発信することと,住民側が自らの地域の課題として防災情報を積極的に受け取り・受容することの両面が必要となろう.
     そこで本研究では,住民の防災情報の取得・理解を支援することを目的に,津波防災を事例に,_丸1_行政による,地域環境に対応した望ましい防災情報の発信方法を収集・整理するとともに,_丸2_地域住民自身による,地域環境の理解とイラストマップなどの地図情報を活用した防災情報の受容・共有・再発信の過程と方法についての調査を進めている.本発表ではその中間報告として,特徴的な事例について紹介する.

    【 看板・掲示を用いた情報発信 】
     大規模地震による津波被害が予想されている地域の自治体(北海道道東,三陸,東海・東南海・南海などの沿岸地域)では,さまざまな防災施設の設置やハザードマップの作製が進められると共に,住民への防災情報の発信を目的に看板や掲示などが数多く設置されている.
     同じように被災危険性が高い隣接した自治体であっても,宝くじ協会の補助金により設置された画一的な掲示のみが設置されている場合と,自治体独自の工夫された情報発信が行われている場合とがある(写真1).こうした工夫された事例を共有することで,より効果的な情報発信を進めることができるだろう.

    【 住民による防災情報の取得と再発信 】
     被災の地域性が顕著である津波防災では,被災可能性がある地域が,主体的に自地域の防災情報を取得・共有し,地域防災力を高める必要がある.ハザードマップはそのツールとして注目されているが,その一方で「表示が煩雑」「わかりにくい」などの指摘もある.わかりにくい防災情報を取得し,地域の言葉・地域の空間性を基に再構築・再発信し,地域全体で共有するプロセスに着目する必要があろう.
     発表では,土佐清水市中浜地区の自主防災組織によるイラストマップを用いた情報の再構築・再発信(写真2)や,防災情報の共有を目的とした活動状況に加え,小学校の地域学習・総合的学習の時間などで作成された地域のハザードマップなどを紹介したいと考えている.
  • 香川 雄一, 片岡 祥子
    セッションID: P820
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    近年,未利用有機資源の一つである家庭系生ごみの有効利用に社会的関心が高まっている.家庭系生ごみの排出量は食品廃棄物発生量の約半分を占めているが,成分面が複雑性を有し,排出源が少量分散型であることから,家庭系生ごみの再利用は十分に進んでいない.
    そのような現状の中で,廃棄物の増加や処分場の残余年数の緊迫化,ダイオキシン問題等,廃棄物の処理問題が深刻化しており,多くの自治体で家庭系生ごみの資源化が注目されている.
    滋賀県甲賀郡水口町(平成16年10月1日より甲賀市)でも可燃ごみの増加に伴い,焼却炉の容量を廃棄物の排出量が上回るようになったため,生ごみの堆肥化事業に取り組むこととなった.しかし,実施から数年を経ても甲賀市の堆肥化事業の普及率は上がっていない.そこで,甲賀市における堆肥化事業の実施状況や普及阻害要因,小地域単位の地域社会特性を探り,その結果を踏まえた上で,どのような地域に甲賀市が行っている分散・集中処理型システムの生ごみ堆肥化事業が適しているのかを明確にする.
    甲賀市の堆肥化事業の概要把握を既存資料や市役所等へのヒアリングで行う.その後、事業実施状況の把握や地域社会特性の抽出を住民へのアンケート調査や国勢調査の結果により探る.さらに調査対象地域の住民へのアンケートから算出した堆肥化事業普及率と小地域別統計データの各項目間との相関分析を行う.また,事業の高普及率/低普及率の地域の自治会長へのアンケート調査により普及/阻害要因を探る.
    これらの結果を踏まえ,生ごみ堆肥化事業普及の阻害要因や改善点を考察し,甲賀市の生ごみ堆肥化事業が適する地域の条件を解明する.
    甲賀市の生ごみ堆肥化事業は,高度経済成長期以前の自然堆肥を有効利用していた経験のあると思われる50代以上の住民がごみを出す世帯ほど参加率が高かった.15歳未満住民の割合が低ければ低いほど,事業参加率が上がることから,新興住宅等による新たな住宅地というより,旧来からの農業集落などの古くからあった地域に適していた.あるいは子供に手がかかるなどの理由も子供の面倒をみる人間がいれば問題ないことから,大家族が多い地域に適しているのではないかと考える.
     また,居住環境に関しては植物を育てる場所の有無は堆肥化事業参加率には関係が見られなかったことから,市街地か農村部かは普及率には関係ないようである.住居と集積所の距離が近ければ近いほど,事業参加率が上がることが明らかになったため,住居に近い位置に生ごみ回収容器を設置した集積所の数を増やす努力をすれば,堆肥化事業参加率が上がると考える.集積所の設置は,地域社会特性に関係なく変更可能である.集積所の数の増加による堆肥化事業の普及が望まれる.
     以上の結果より,分散・集中処理型生ごみ堆肥化事業は,新興住宅地よりも旧集落などの古くからある地域に適しているということがわかった.住民は自治会で事業を知り,説明会をきっかけに堆肥化事業に参加することが多く,説明会の開催は生ごみ堆肥化事業普及のためには活発に行う必要がある.
    説明会も,集積所の数と同様で,地域社会特性に関係なく回数を増やすことは可能である.説明会の増加も堆肥化事業の普及につながるであろう.
  • 京都府亀岡市におけるセーフコミュニティ活動の事例分析
    村中 亮夫, 谷端 郷, 花岡 和聖, 白石 陽子, 中谷 友樹
    セッションID: P821
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     近年,自然災害や交通事故,犯罪など,地域の安全安心に対する社会的関心が高まっている.これらの問題群に対して,これまで地理学をはじめ自然災害科学や社会工学,都市計画の分野において,地図を活用した防災・安全情報の作成・提供に関する研究がなされてきた.この防災・安全情報が盛り込まれた地図は,地震発生時の推定震度や大雨時の浸水区域を表示したハザードマップ,過去の犯罪発生地点や交通事故の発生地点を地図化した犯罪・交通事故発生マップとして,全国の多くの自治体で作成されている.また,近年では,インターネット環境の向上や地理情報システム(GIS)技術の進展により,災害や犯罪情報をデジタル情報としてインターネット上で配信する取り組みもなされている.
     一方で,地域住民が一方的な情報の受け手になるのではなく,ハザードマップや犯罪・交通事故発生マップを見ながら実際に地域を歩き観察することで,地域の安全・安心に対する知識や関心を高める取り組みも行われている.これらの取り組みは地域安全マップの作成や防災ワークショップなど地域の防災・安全教育プログラムとして行われており,地域住民に対する安全安心に関する客観的な情報提供とそれに基づいた防災・安全教育の進展に寄与している.しかし,地域ぐるみで実施する防災・安全教育プログラムは,そこに参加できない者や参加しない者にとって,当然,効果は期待できない.
     そこで,本研究では,地元の自治会や地域住民が主体となって地域の安全・安心を向上させる活動(セーフコミュニティ活動)を展開している京都府亀岡市篠町における安全安心マップ作成のワークショップを事例に,ワークショップへの参加/不参加行動の背景を検討することを目的とする.

    II 研究の方法
     本研究では,(1)地域住民の参加による安全安心マップ作成のワークショップの実施,(2)篠町住民への地域の安全安心やマップ作成に関する意識調査を実施した.
     安全安心マップ作成のワークショップでは,(1)災害や事故,犯罪などに関する地域の危険箇所についてのフィールドワーク,(2)フィールドワークで得られた情報による地図作成とプレゼンテーションなどのインドアワークをグループごとに実施した.これらの作業は,2時間程度でフィールドワークできる範囲で篠町内を7つの地域に区分し実施した.また,ワークショップへの参加については,自治会を通じた各戸別の案内から自主的なワークショップへの参加を募った(参加者総数224名).さらに,ワークショップ後に実施した意識調査では,亀岡市篠町自治会に加入している5,763世帯に対して自治会を通じて配布し直接自治会へ提出する悉皆調査を実施し,3,929通の有効回答が得られた(有効回答回収率=68.2%).ここではワークショップへの参加や継続性,亀岡市が現在取り組んでいる安全安心活動,身近な危険個所,暮らし全般に関する質問を行った.
     ワークショップおよび意識調査の実施期間に関しては,安全安心マップ作成のワークショップが2009年1月17日,意識調査が2009年2月15日~3月10日である.

    III 結果・考察
     地区内で安全安心マップ作成のワークショップが実施されたことに対する知識を質問したところ,当該項目の回答が得られた3,682のうち,活動が実施されたことを知っていたとする回答は914(24.8%)であり,その中からワークショップへの参加に関する質問に回答した893のうち,回答者本人がワークショップへ参加したと表明した回答は126(14.1%),ワークショップへ参加しなかったと表明した回答は767(85.9%)であった.
     ここで,ワークショップへ参加しなかった理由を大別すると,(1)ワークショップを行う価値を認めているがやむを得ない理由で参加しなかった場合と,(2)ワークショップを行う価値自体を認めず参加しない場合が考えられる.この点に着目して不参加の理由を検討してみると,不参加理由の回答が得られた712のうち481(67.6%)がマップ作成に参加する時間的制約をあげており,身近に参加しようとする知人がいなかったことを理由にした64(9.0%)を加えると,少なくとも不参加者全体の約76.5%(545)の住民がワークショップへの価値を認めながらも参加できなかったと表明している.これら,ワークショップへの参加行動に関しては,個人の社会経済属性や居住地区属性,地域に対する意識,安全安心に対する不安などが影響を与えていると考えられ,これらの要因についても同時に検討したい.
  • 滝島 啓介, 大山 修一, 岡 秀一
    セッションID: P901
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    富士山(3776m)は十分な標高があり、ハイマツ帯が欠如し、森林構成種がそのまま移行帯を形成しているため、樹木限界の研究に適した山といえる。樹木限界における植生構造やその成因を調べ、樹木限界の動態を明らかにすることで、森林が拡大または縮小する過程を解明することにつながると期待される。富士山では森林の分布は斜面ごとに大きな相違があり、特に雪崩の規模や頻度に応じて様々な植生パターンが生じている。また、雪崩ほどではないものの、礫の小規模な移動によっても植物の定着は妨げられている。雪崩跡地の縁にはミネヤナギが定着しやすいことが知られ、先駆植物として群落を形成している。
    本研究では、ミネヤナギに注目して個体サイズや根の張り方、樹齢を調査する一方、礫の移動をはじめとする斜面形成プロセスを検討することで、樹木限界の動態について考察する。
    調査地は富士山北西斜面の御庭付近、標高2600~2700m地点である。北西斜面の樹木限界付近では、カラマツの低木林が成立している。調査地は雪崩により森林限界が引き下げられており、標高2600m付近では、カラマツやダケカンバがパッチ群落を形成している。パッチ群落の下には、コケモモやシャクナゲなどの低木が侵入し、さらにシラビソの定着もみられ、森林限界から樹木限界への移行帯となっている。標高2700m付近では、ミネヤナギが優占し、ミネヤナギの群落は階段状の微地形を形成している。
    標高2600m地点と標高2700m地点において、2008年10月より地表面温度と10cm深、30cm深の地温観測をした。また、同じく両地点において2008年10月より、幅5cm・長さ3mのペイントラインを設定し、礫の動きを観測した。標高2700m地点では、ミネヤナギのパッチ群落の上部・下部、ミネヤナギ群落の影響を受けない裸地に計3本のペイントラインを設定した。ミネヤナギの幹を一部サンプリングし樹齢を調べ、個体サイズや標高による違いを検討した。ミネヤナギの根の張り方を調べ、サイズや樹齢による個体差、斜面傾斜による違いを検討した。
    2008年10月から2009年6月までのペイントラインによる礫の移動は、標高2600m地点、2700m地点ともに顕著なパターンを示すことはなかった。しかし、標高2700m地点でミネヤナギ群落の上部・下部に設定したペイントラインより、ミネヤナギ群落の影響を受けないペイントラインの方が礫の移動量は大きかった。
    地表面温度と地温観測によると、両地点ともにどの深度でも1月中旬から5月下旬までは日較差がほとんどなくなり、特に3月下旬からは0度を維持し続ける。この期間は積雪下にあったと考えられる。地表面温度は日変化が大きく、11月と12月には1日の中で凍結と融解が起こる。地表面温度より推定される標高2600m地点、2700m地点での2009年の融雪日は、それぞれ5月22日と5月29日であった。融雪日以降、0度で変化のなかった地表面温度は再び日較差を示すが、凍結融解は起こらない。両地点とも30cm深では秋にも日較差はほとんどなく、凍結融解は起こっていない。10cm深でも日変化による凍結融解はほとんど起こらず、10cm深、30cm深での凍結融解による営力は、年周期によるものと考えられる。また、融雪水の流路と思われる溝が多数みられることから、礫の移動は凍結融解にともなう移動に加え、融雪や大雨などに起因した流水による運搬作用も大きいと考えられる。
    ミネヤナギの根の観察によると、地上部より斜面上方から根を伸ばしていた。ミネヤナギの地上部は礫の移動とともに、斜面上方から移動してきたと考えられる。ミネヤナギ群落の上部・下部に設定したペイントラインでは礫の移動があまりみられなかったことから、ミネヤナギの群落の拡大とともに礫の移動を抑制し斜面を安定させていると予想される。さらに、ミネヤナギが礫を堰止めるようになることで、階段状の微地形をつくっていることが示唆される。不安定な斜面では、実生の定着は困難であり、樹木限界の上昇を阻害する要因の一つでもある。ミネヤナギ群落の定着により、斜面の安定化が進めば、カラマツやダケカンバなどの高木種が侵入し、ミネヤナギのつくる階段状微地形が樹木限界を上昇させる足場になることも考えられる。
  • 内山 真悟, 高橋 日出男, 金森 大成
    セッションID: P902
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    熱帯降雨観測衛星TRMM(Tropical Rainfall Measuring Mission)は,雷の発生をLIS(Lightning Imaging Sensor)によって捉えることができる。 LISによる全球の雷分布によると、アフリカで特に発生が多い(図1)。LISを用いた先行研究として、Takayabu(2006)は、1998-2001年の3年平均から、アフリカで雷の発生が多いことや、熱帯全域の雷と対流性降雨の発生には相関関係のあることを示した。しかし、上記の研究は年を一括しており、アフリカにおける雷分布の季節変化を解析した研究は少ない。 本研究はアフリカを対象に、雷分布の季節変化を明らかにすることを目的とし、今回は雷と降雨の分布の季節変化の違いについて報告する。
  • 田上 善夫
    セッションID: P903
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I 北陸の気候の局地的差異
     北陸平野部では、冬季には寒冷渦・気圧の谷の通過に際し、降水域が大きく変動する。こうした局地的な気候の差異は、月平均値の年変化にも現れる。アメダス地点の月平均気温にクラスター分析を適用すると、およそ「富山型」と「石川型」に分類されるが、前者は山寄りに、後者は海寄りに現れやすい。これは日照時間、風速、降水量でも類似する。
     この両者の特色は、月平均気温の年変化に明瞭に示されている。富山型である富山県南西部の南砺高宮(福光)と、石川型である富山県東部の泊(朝日)とは対照的な年変化をし、前者は5月に最高になるのに対し、後者は5月に最低になる。これら2地点間の富山では、年間に大きな変化はないが、8月に最も高くなる。
    II 気温の差異と北陸の地形
     こうした気温の年変化の差異には、まず海陸の影響が考えられるが、上記の分類結果は海岸からの距離そのものには対応しない。むしろ両白、飛越、飛騨を含めた山地部と、能登半島を含めた周辺低地での間の差異が示される。これは海域から侵入する西寄りの風と、山地部を吹越した南寄りの風の影響の差異と考えられる。
     とくに気温の場合は降水量とやや異なり、局地差は寒候期には小さいが、暖候期には局地的な気温の変動がみられる。とくに春季にはしばしば日本海を低気圧が東進する際に、強い南風が吹走する。これには、フェーン現象を伴うことが多い。こうしたフェーン現象にしても、地域的に規模や強さなどの異なるものであり、それが気温変化の局地的な差異に現れたと考えることができる。
    III 富山平野の局地的昇温
     夏季には春季とは反対に、南砺高宮では相対的に低くなる。これは西の砺波平野と東の富山平野の差異とみることができる。都市気候の影響を避けるために 富山市街からはずれた秋ヶ島(富山空港)と比較しても、2004年8月の場合、日最高気温、日最低気温ともに、富山平野側で高くなる。とくに上旬に高いが、この時期の高温も南風にともなうものである。
    南風は、富山平野には南部の飛越山地を吹き越して達するが、山地の形状により平野部での昇温に局地的な差異が生じたと考えられる。8月にはとくに富山平野側がフェーンの影響がみられ、また日本海低気圧が西方から近づくころ、すなわち地上風向が南東から南に変化するころに、とくに影響が大きい。飛騨山脈と両白山地の間で、とくに東の飛越峡付近から西の牛岳付近にかけてが、標高の低い地域で、そうした風下側に富山平野が位置している
    IV 局地的昇温の中心地域の季節的差異
     およそ5月には砺波平野側に、8月には富山平野側に昇温の中心が現れる。両者を比較すると、5月には強風となることが多いが、8月にはむしろ弱風が多い。春型の昇温が砺波平野に、夏型の高温が富山平野に現れるのは、こうした風速の差異、および風上側の山地の形状の差異によると考えられる。また風向の影響も大きいと考えられ、個々の低気圧の東進についてみた場合、この付近の一般風向が大体南となるときに、富山付近で日中に著しい高温が現れ、夜間には高温が継続している。
    V 局地的差異の出現について
     夏季の場合、南風が弱く、また昇温の程度も春季ほど大きくなくても、年間で最も気温が高い時期であるため、昇温により著しい高温がもたらされる。2004年8月2日には、富山で最高気温37.4℃に達したが、この高温の出現はフェーン現象にともなうものであった。1日には台風10号が中国地方西部を縦断して日本海に入り、2日には勢力を弱めて日本海中部を北上し、3日には北海道西方海上に達した。この期間について、気候緩和評価モデル(井上君夫・気候緩和評価研究グループ、2007)を用いて検証すると、この間の南風は弱風であったが、昇温に地域差があり、とくに富山平野での著しい昇温が示された。春季とは異なり熱帯低気圧に伴い、かつ南方から太平洋高気圧が張り出して地上部の気温が高く、著しい高温となった一方、平野部の水田地帯が湛水状態であり、地域的には昇温を抑制した影響により、局地的な大きな地域差がもたらされたと考えられる。
  • 渡邉 穣次, 松本 淳, 高橋 洋
    セッションID: P904
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.はじめに
     中部ベトナムでは1年のうち、10月頃に降水量が多くなることが知られている(図)。その理由は、冬季モンスーンがAnnam山脈に吹き付けることにより、地形性降雨が発達するためと考えられるが、冬季モンスーンは12月も卓越しているのに対して、降水量は少なくなる。なぜ降水量が減少するのか非常に興味深い。
     また、近年は中部ベトナムで豪雨災害が頻発している。Yokoi and Matsumoto(2008)は、南シナ海上でコールドサージと熱帯低気圧が互いに影響を及ぼしあい、暖湿な空気がAnnam山脈に吹き付けることによる地形性降雨の発達が、中部ベトナムに豪雨をもたらす機構の一つであると論じた。
     以上のことから、冬季モンスーンに伴う降水の季節進行とその要因を明らかにすることは、将来的な水資源の活用や、防災システムの応用に貢献できると考える。そこで、本研究ではインドシナ半島東部における降水の季節進行とその要因を明らかにする事を目的とする。
    2.資料
     データは中部ベトナムダナンにおける1979年~1998年の日降水量を用いた半旬平均降水量と、長期再解析データJRA-25を用いて月平均した(1979年~2004年)気候値(鉛直積算水蒸気フラックスと、925hPaの風)を使用する。
    3.結果と今後の予定
     降水をもたらす原因を探るため、水蒸気フラックスの解析を行った。その結果、10月にインドシナ半島には南シナ海から多くの水蒸気が輸送されていることがわかった。この時期は中部ベトナムのダナンにて降水量が多くなる時期と対応している(図)。12月から1月にかけては水蒸気輸送が卓越する領域は徐々に南下し、中部ベトナム(北緯16°付近)においては水蒸気フラックスが減少した。それに伴って降水量も減少するものと考えられる。
     また、インドシナ半島ではモンスーンに伴う降水に加えて、熱帯擾乱によっても多くの降水がもたらされる。Takahashi and Yasunari(2008)は、 9月のタイにおける降水量の68.5%は熱帯擾乱によってもたらされると報告している。今後は、熱帯擾乱がもたらす降水量の割合を見積もり、その季節変化や地域差を把握し報告する予定である。
    文献
     Takahashi, H.G., and Yasunari, T. 2008. Decreasing Trend in Rainfall over Indochina during the Late Summer Monsoon: Impact of Tropical Cyclones. Journal of the Meteorological Society of Japan Vol.86: No.3, 429-438
     Yokoi, S., and Matsumoto, J. 2008. Collaborative effects of cold surge and tropical depression-type disturbance on heavy rainfall in central Vietnam. Monthly Weather Review 136: 3275-3287.
  • 鶴島 大樹, 境田 清隆, 高橋 幸弘, 本間 規泰
    セッションID: P905
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    近年、都市化によるヒートアイランド(UHI)や大気汚染により、大都市周辺にて落雷頻度の高い領域が出現するとの報告がある(Steiger and Orville, 2002, Naccarato et al, 2003)。この原因として、UHIによる雲内の上昇流の強化やエアロゾル粒子による雷雲の変質などを挙げているが、詳細は不明である。本研究は東北電力(株)所有の落雷位置評定システム(LLS)を用いて、夏季関東地方首都圏周辺における1994~2008年の落雷頻度分布を調査し、特に都心周辺でのUHIが落雷パターンに与える影響を明らかにすることを目的としている。当発表では、うち2000~2008年における落雷頻度データを集計した結果、および都心周辺に落雷した事例を対象にレーダー、アメダスデータを併用して事例解析を行った結果を報告する。
  • 森田 純平, 松本 淳, 高橋 洋
    セッションID: P906
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.はじめに
    バングラデシュにおける降水量は、5 月頃から多くなっ ていき、夏季モンスーン季を経て、10 月中旬まで多くなっ ている(図)。これはAhmed and Karmakar(1993)で 定義している、モンスーンの開始時期と終了時期とほぼ同 じ結果となっている。また降水量に関して、夏季モンスー ン季内における研究はあるものの、モンスーン終了時にお ける降水量に着目した研究は少ない。
    一方で、Islam and Peterson(2009)によると、バング ラデシュでは、10 月にサイクロンの上陸数が最も多いとさ れている。しかしバングラデシュにおけるサイクロンと降 水量の関係についてはあまり言及されていない。
    そこで本研究では、バングラデシュにおいて、モンスー ン終了期における、降水量変動及びそれと関係する循環場 を明らかにする事を目的とする。
    2.研究内容
    バングラデシュ気象局の1950 年-1999 年の日降水量デー タと、1979-2004 年の再解析データJRA-25 の風系の気候 値を利用する。
    モンスーン季後半の降水量を見ると、モンスーンの終了 時期に当たるP54-P57 に降水量が増えている(図)。こ の時期における降水量の一時的増大は、サイクロンの影響 とモンスーンの終了とに関係があるのではないかと考え る。
    850hPa 面における風系の気候値と比較してみる。 南北成分では、バングラデシュ上(22°N-25°N)が9 月中旬から南寄りの風が弱まっている。東西成分では、バ ングラデシュの降水に影響を与えるベンガル湾の西風が、 9 月の初めから弱まっていく。風系の気候値との比較では、 多くの降水をもたらした南西モンスーンが終了している にも関わらす降水量が増加している。それは、サイクロン やモンスーン低気圧による降水であると考えられる。今後 は、各年のサイクロンと低気圧の発生状況を調査し、モン スーン後退期における降水の詳細な原因を報告すること とする。
  • グロスマン マイケル, 財城 真寿美, 三上 岳彦
    セッションID: P907
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.はじめに
    近年,地球温暖化が台風やハリケーンなどの熱帯低気圧の性質に変化をもたらす可能性について,議論が行われている.台風の変化を詳細に理解するにはより長期的な変化傾向を検討する必要があるが,日本の気象観測データは19世紀末以降,そして高精度の台風経路データは1950年代以降に限られており,長期的な台風に関するデータが不足している. 本研究は,江戸時代を中心に継続的に記述された全国の日記の天気記述をまとめた「歴史天候データベース(Historical Weather Database; HWD)」(Yoshimura 2007),および追加史料による19世紀の天候記録をもとに,19世紀に日本に上陸・接近したと思われる台風とその経路を復元することを目的とする.19世紀には発達した低気圧をさす「台風」という表現がなかったため,「暴風」や「強雨」の一部の事例が台風にあたると考えられる.本論では,天候記録から1880年代の台風の復元を行い,同時期の気象観測にもとづく台風資料や最近57年間の台風の発生頻度の傾向と比較を行った.

    2.資料・データ
     主な天候記録はHWDに収録されているものを利用した.HWD全データのうち,比較的継続したデータが得られ,台風の影響を受けやすいと考えられる24地点(31記録)のデータを抽出した.さらに,補助資料として『日本気象史料』と関東および九州の災害史の報告(Kusakabe 1959, 1973),フィリピンの台風データベース(Garcia-Herrera et al. 2007)に含まれる情報も利用した.  復元した1880年代の台風の比較検証には,1880~1883年についてはイエズス会による上海測候所の台風報告(Dechevrens 1881, 1882, 1884)を,1883年以降は気象庁の印刷天気図を利用した.(以後,検証資料とする.)

    3.方法
    はじめに,HWDから台風と推測される事例を抽出するために,6~10月について「暴風」と「強雨」の記述がある日,およびHWD作成者らによって付された「台風」のコメントがある日を選択した.さらに,補助資料からも台風の記載がある事例を抽出した. 次に,抽出された事例を検証するために,Dechevrens(1881, 1882, 1884)によって実測報告されている台風資料と1883年以降の気象庁印刷天気図に記載されている低気圧のうち,低気圧周辺の風速が10ms-1以上の事例を抽出して,比較を行った.

    4.1880年代の台風復元結果とその精度
    1880年代については,HWDから31事例を抽出した.そのうち,26事例が補助資料から,31事例が検証資料からも確認できた.さらに検証資料から8事例の台風を追加した.その結果,1880年代には39個の台風が日本に上陸または接近したと考えられる.気象庁によると最近57年間(1951-2007年)では,年間2.9個の台風が上陸,5.9個が接近(台風の中心が本州・北海道・九州・四国のいずれかの気象官署から300km以内に入った場合)している.よって,天候記録から復元された台風の事例は,台風並みに発達した低気圧の上陸と300kmよりも近くに接近した台風については抽出できると考えられる. 今後は,この手法を19世紀初頭まで適用し,台風の長期変化を議論し,著者らが収集した19世紀の気象観測データ(気温・気圧・降水量・風速など)から,19世紀の台風の強度や規模を数値データに基づいて検証することを目指す.

    参考文献
    ・Dechevrens M. 1881. The Typhoons of the Chinese Seas in the Year 1880. Shanghai, China: Kelly and Walsh.
    ・Dechevrens M. 1882. The Typhoons of the Chinese Seas in the Year 1881. Shanghai, China: Kelly and Walsh.
    ・Dechevrens, M. 1884. Les Typhons De 1882 Première Partie: Les Typhons des Mois de Juillet et Aout (The Typhoons of 1882 Part I: Typhoons of July and August) Shanghai, China: Kelly and Walsh. (in French).
    ・García-Herrera RP, Ribera P, Hernández E, Gimeno L. 2007. Northwest Pacific typhoons documented by the Philippine Jesuits, 1566–1900, J. Geophys. Res., 112, D06108, doi:10.1029/2006JD007370.
    ・Kusakabe M. 1959. A historical aspect of natural disasters in Kyushu and Yamaguchi Prefectures. Journal of Meteorological Research 11:423-465 (in Japanese).
    ・Kusakabe M. 1973. A Chronological Aspect of the Natural Disasters in the Kanto District. Journal of Meteorological Research 5: 383-403, 429-447 (in Japanese).
    ・Yoshimura M. 2007. An introduction to historical weather database in Japan. Tenki 54:191-194 (in Japanese).
  • 平野 淳平, 松本 淳
    セッションID: P908
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1. はじめに
     冬季東アジアモンスーンは、わが国の日本海側地域に多量の降雪をもたらし、人間活動に及ぼす影響が極めて大きい。長期的な気候変動に伴って冬季モンスーンの強さや自然季節としての冬の長さがどのように変化するか解明することは、気候学の重要な課題の1つである。
     Inoue and Matsumoto(2003)では、日本海側地域と太平洋側地域での日照率の差にもとづいて自然季節区分を行った結果、近年、温暖化が進みつつあるにもかかわらず、冬の期間の長さが長期化していることを指摘している。しかし、対象期間は1950年代以降であり、20世紀前半の状況については触れられていない。本研究では、1901年以降継続的に得られる気象官署における日降水量データを用いることで、日本海側と太平洋側での日々の天候のコントラストに着目して自然季節としての冬の期間を定義して、20世紀前半以降に冬の期間の長さがどのように変化してきたのかを解明することを目的としている。
    2. データと方法
     全国48地点の気象官署における1901/1902年-2008/2009年の10月から4月の日降水量データを用いた。各気象官署において日降水量1mm以上の日を降水日とし、降水の有無にもとづいて日々の天候分布図を作成した。その上で、日本海側に位置する気象官署7地点の内の隣接4地点以上で日降水量1mm以上であり、かつ太平洋側に位置する13地点全てで日降水量1mm未満の日を「冬型天候分布」と定義した。次に、各年について、第56半旬(10月3日-10月7日)から第24半旬(4月26日-4月30日)までの各半旬毎に「冬型天候分布」の出現割合を求めた。求めた出現割合に5年×5半旬の移動平均を施した上で、各年について「冬型天候分布」出現割合が20%以上の期間を「冬季」と定義し、「冬季」の開始半旬と終了半旬、および「冬季」の長さにみられる長期変動の特徴について考察した。
    3. 結果と考察
     図1は、「冬型天候分布」の出現割合から定義した冬季の開始半旬と終了半旬の長期変動を表している。冬季開始半旬と終了半旬および、冬季の長さの長期的な変化傾向を把握するためにMann-Kendall 検定を適用した結果、冬季の長さは1903/1904年-2006/2007年の間で有意に短期化する傾向(P<0.01)があることが確認された。また、近年(1980年代以降)、冬季の開始の遅れが顕著になっていることが判明した。これらの結果は1950年代以降について冬季の長期化を指摘したInoue and Matsumoto(2003)とは異なるが、この相違は、使用しているデータの違い(日照率と日降水量)や季節区分の定義の違いなどによるのではないかと考えられる。
  • ―利根川を事例に―
    都筑 俊樹, 小寺 浩二
    セッションID: P909
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     河川の環境保全や流域管理を行う上では、その河川流域における水環境の現状を理解する必要がある。そのためには、様々な水環境情報を整理し、データベースを構築、さらには流域の「水文誌」や「水環境地図」などの水文特徴をまとめた地誌を作成し、流域の水環境全般をわかりやすく図化・視覚化して表現するが求められる。そこで当研究室の「水環境の地理学」研究グループでは、2000年以降、様々な流域において「河川流域の水環境データベース」の作成を続けており、更なる水環境データベースの充実を目指している。そして、本研究では、流域面積日本一でもある利根川について、過去の研究事例を踏まえて作成したデータベースと流域特性を紹介する。
    II 流域概要
     利根川は流域面積16,840km2(全国第1位)、幹線流路延長322km(全国第2位)の日本を代表する大河で、群馬県・新潟県県境の越後山脈を水源に関東平野を北西から南東へ流れ、千葉県銚子市において太平洋へと注ぐ。本河川は流域の1200万人に給水し25万haの水田を灌漑し、また、流域内の畑地、平地林の面積も日本最大級である。主な支流は吾妻、片品、烏・神流、渡良瀬、小貝川がある。
    III 研究方法
     水文水質データベースや国勢調査などの既存の統計データを使用し、GISを用いて各支河川の水文特性をまとめ、視覚化した。また、利根川とその支流において、流域全体を対象とした現地調査を行った。2008年11月12日から15日にかけて、本流・支流を含め合計96地点において水文観測を行った。観測項目は、水温、電気伝導度、pH、RpH、COD、アルカリ度、イオンクロマトグラフによる主要溶存成分分析である。これらの現地調査結果は図化し、流域の特徴を把握するとともに、考察を加えた。
    IV 結果と考察
     水質調査の結果から、上流部と下流部でのCODやECの違いだけでなく、各河川毎の差異も見ることができた。当然ながら、人的影響の少ない減流域ではCODやECの値は低く、下流部で高くなる傾向はみられるが、それだけでなく、特にECにおいては、吾妻川や神流川流域では上流部にも関わらず高い値を示しており、その他の項目でも各支流によって特徴が異なることが示された。
    V おわりに
     本研究では利根川における流域特性を研究し、各支流ごとの水質の差異を確認、水文特性の把握した。  今回は本流とその支流というふうに考えたが、今後は各流域ごとに区切り、その中での差異や特性についてより詳細で、また、客観性のある研究が必要である。
    参 考 文 献
    平山智之・小寺浩二・都筑俊樹(2008):河川流域の水環境データベースに関する地理学的研究―北上川を事例に―,日本地理学会発表要旨集.
  • -信濃川流域を事例に-
    森本 洋一, 小寺 浩二, 都筑 俊樹
    セッションID: P910
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    河川の水環境保全や流域管理を行うためには、流域単位で様々な情報を整理しデータベースを構築する必要があり、これは流域の特性や現状を理解するうえで重要な要素である。また、「水文誌」や「水環境地図」といった流域地誌としての役割も担わなければならず、そのためには流域の水環境をわかりやすく図化し、特徴を明確にする必要がある。当研究室ではこれまで「大河川流域の水環境データベース」にかかわる研究として、2000年以降主に天塩川(清水ほか2006)、北上川(平山ほか2009)などの一級河川や大規模支流(信濃川支流魚野川、森本ほか2008)で行われてきたが、未だ十分でない。しかも、日本で最大の流路長を誇る信濃川全域での研究は行われていない。本研究では信濃川流域の水環境や水文特性を、過去の研究事例を踏まえながら紹介し、流域特性を考察する。
  • 澤田 律子, 小寺 浩二
    セッションID: P911
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     千葉県において、利根川水系の一級河川については、水文水質の観測が定期的に行われている。一方、千葉県には2級河川以下の小規模な河川が多数存在するものの、それらの諸河川についてはそのような観測はあまり行われていない。そこで、本研究では特に房総半島の南部地域において、房総丘陵を流下する諸河川の水環境や河川特性を把握することを目的とする。
    II 調査地域概要
     千葉県は標高が低く、県全体に低平であることが特徴的である。半島の南部から北部へと標高が低下し、大部分が標高200m以下となっている。最高峰の愛宕山は408.2mで、都道府県最高峰として最も低い山である。南部の房総丘陵は谷が深く、現在も隆起を続けている。激しい隆起が急伸で複雑な谷系を作り出したのである。代表的な河川は小櫃川、養老川、小糸川、であり、河川延長は長く流域面積も大きくなっている。南部域ほど河川延長が短く、また流域面積も小さくなる。
    III 研究方法
     2009年5月23日から24日の2日間にわたり房総半島南部域の合計88地点において現地水文観測を行った。それ以外に小櫃川、養老川、小糸川、一宮川においても同様に観測を行なった。観測項目は、水温、EC、DO、TURB、TDS、pH、RpH、流量、アルカリ度である。これらの現地調査結果を図化することで、空間的分布の特徴を視覚的に表現した。ECに関しては、選定した調査地点の下流域では海水の遡上が見られ、1000μS/cm以上の地点が数多く存在したため、上流側へと地点をシフトし、再び観測を行なった。また、現地調査時にDO値が高い場合にpH値も高くなるという傾向が見られたため、pHとDOの相関について検討を加えた。諸河川全体の特徴を把握し、考察を加えた。
    IV 結果と考察
     ECに関しては上流域下流域とも、全体的に高い値を示した。房総半島では源流域と河口域までの距離が短く、上流域まで人的影響が大きいためこのような結果が得られたと思われる。pH値も高めの値を示し、全体的にアルカリ性よりであった。pH値が高めに出たのは、地質的要因がある一方で、調査中に見られた風送塩の影響も大きいものと思われる。
    pHとDOの相関は相関係数r=0.6041となり、かなりの相関があるといえる。光合成によってCO2が取り込まれ、水中の重炭酸イオンが減少することで、pH値が高くなり、光合成によるO2の排出によりDO値が高くなると考えられる。また、pH値が高めに出たのは、調査中に見られた風送塩の影響も大きいものと思われる。
    V おわりに
     本研究では房総半島の諸河川における河川特性について、現地調査のデータをもとに考察を加えた。今後は最下流域だけではなく、より詳細に調査地点を選定し、南房総全域を密にカバーする研究を進めていく必要がある。また、各河川ごとに流域特性をとらえる必要がある。
  • 寺園 淳子
    セッションID: P912
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    I.はじめに
    人間活動の質とその周囲の陸水の質との関係について,系統だって説明を行うために,多くの点で対照的な地域として,日本とオランダにある二地域を選び,両地域の浅層地下水・湧水の水質と人間活動,および,その背景について,調査を行っている。まず本発表では,水質の比較を行った結果を示す。
    II.研究対象地域
    対象とした二地域はそれぞれ,日本の千葉県北西部,および,オランダのアムステルダム・ユトレヒトの両市間に位置する。
    III.利用データと解析手法
    日本の調査地域(以下JP)では,2000年9月から2005年8月までに採水した湧水のデータを用いた。台地上面との標高差は3~21mである。オランダの調査地域(以下NL)では,TNO(オランダ応用科学研究機構)のDINO(オランダの地下のデータと情報)に2008/12/09時点で公開されていた地下水水質の分析結果を用いた。採水時期は1968年から2002年,地下水位は2~30mである。両者の補完の目的で,JP内に位置する小地域(以下Js)における台地の浅層地下水の調査結果(芳野2004,東京大学大学院新領域創成科学研究科修士論文)も解析に用いた。採水時期は2003年8~9月,地下水位は0~11mである。
    Jsを含めた上記三地域において,それぞれ105地点1サンプル,全部で315サンプルを用い,主要無機イオン(ナトリウム,カリウム,マグネシウム,カルシウム,アンモニア,塩素,硝酸,硫酸,重炭酸の各イオン。ただしアンモニアはNLのみ。)の濃度を解析に用いた。JP・Jsにおける重炭酸イオン濃度は,現場測定のアルカリ度から換算したものを用いた。
    データの解析には,アロメトリー(相対成長)の概念を導入した。具体的には,主要無機イオンの合計濃度(以下TMII)を,イオン濃度全体の大きさを示す指標として用い,JP・NL・Js内のサンプルを,TMIIの昇順に基づき,それぞれ7つの階級に分けた。階級ごとに,各無機イオン濃度とTMIIの平均値・変動係数を求め,平均イオン濃度とイオンバランス,階級内でのばらつきの大きさを観察した。また,それらの地域による違いをみた。
    IV.結果
    JP・NL・Jsの全地域において,ほとんどすべての無機イオン濃度が,TMII増加に伴っておおむね増加するが, 7つの階級の平均値間を直線で結んだ折れ線の傾きには,イオンによる違いや,階級によるばらつきがある。NLのナトリウム, カルシウム, 塩素, 重炭酸の各イオンでは,ある階級を境に系統的に傾きが異なる。同階級内での地点間のばらつきの大きさを示す変動係数は,カリウムや,アンモニウム(NLのみ),硝酸・硫酸の各イオンなどがおおむね相対的に大きいが,階級による漸増・漸減もみられ,各イオンが与えられる過程の差異を反映していると思われる。
    イオンバランスには地域による基本的な差異があり,また,階級による違いもみられる(図)。NLでは大きい階級になるにつれて,塩水などの影響とみられる形状が支配的となる。一方,JPとJsとでは,各イオンの漸増に伴う両者の形状の接近がみられる。
  • 木口 雅司, SHEN Yanjun, 鼎 信次郎, 沖 大幹
    セッションID: P913
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    バングラデシュの高水ストレス人口が,3つのSRESシナリオ下における社会経済データと6つのGCMを用いて,見積もられた.まず,各シナリオに基づく人口とGDPを抽出し,農業用水,工業用水,生活用水の各セクターに関する水利用の将来予測を行った.全体の水利用量のうち,農業用水が大半を占めている.さらに,各水セクター別にみると,各シナリオ下での違いは農業用水と生活用水ではあまり見られないが,工業用水はシナリオA2で最も多くなり,2070年代にはほかのシナリオの倍近くになる.将来予測された水利用量と人口から求められた高水ストレス人口は,シナリオA2でほかのシナリオの倍程度となり,シナリオA1とB1では,2055年をピークに低下する.一方,高水ストレス人口比は,将来もほぼ一定で変わらない.このことから,将来新たに高水ストレスに曝される地域はバングラデシュでは少なく,高水ストレス人口の原因は,既に高水ストレスに曝されている地域の人口の増加と考えられる.つまり,気候変動の高水ストレスに対する寄与は小さいと言える.適応策により社会の脆弱性を減らせば,深刻な被害の回避も見込める.今後は,季節変化を考慮した年単位から月単位での算出を行う必要がある.また,ダムなど貯水池のオペレーションを考慮したモデルを含めた,高水ストレス人口の算出も進めたい.
  • 谷口 圭輔, 遠藤 徳孝, 関口 秀雄
    セッションID: P914
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    サハラ砂漠西端部に分布する砂丘列に含まれる孤立砂丘の形態をもとに,当該地域で砂丘形態に影響を与えている季節風の角度変化量・相対強度の推定を試み,既存の評価方法では決定することのできなかった,ふたつの流れの強度の差が大きい二方向の風からなる風況の存在を確認した.
    モーリタニア西部の都市・Port-Étienne (現 Nouadhibou) での年間の風況が,Breed et al. (1979) に報告されている.Breed らは RDP/DP * という指標を用いてその風況を評価し,一方向性が強い風況であることを示した.しかし,サハラ砂漠西部では,北大西洋に中心を持つアゾレス高気圧及び夏季にサハラ砂漠上に発達するサハラ高気圧と,南方に位置する ITCZ との影響を受け,一般には北~北東の風と北東~東の風の二方向の風からなる季節風が存在するとされている.
    筆者らの水路実験により,交互二方向流下で発達する孤立砂丘地形について,その形態から砂丘形成に影響を与えた二方向流の「角度変化量」及び「相対強度」を推定する方法が示された (谷口ら, 2008).角度変化量(θ)は流向変化時に起きる地形上のクレストラインの変化過程を支配するパラメータで,二方向流を繰り返し受けることで発達する地形の種類を決定する.二つの流れの強度比(α. 二次風のDP 値を一時風のDP値で割った値として定義)は,地形の種類には基本的に影響しない.角度変化量が75~90° の場合と180° の場合には,地形の分裂を伴う特殊な地形が,流れの強度比に依存して形成される.この解析方法には,従来用いられてきたRDP/DPを用いた相図(Wasson and Hyde, 1983) と比較して,『二方向流の条件を重複なく決定できる』 『ふたつの流れの強度が著しく異なる場合にも適用できる』などの利点がある.本研究では,この利点を活かし,従来の評価方法では判別が困難であった第2の流れの影響が小さい二方向流の影響を,砂丘形態から読み取ることを試みた.
    モーリタニア西部・西サハラ南部の大西洋岸地域の衛星写真を用いた分析では,αの値は小さい(つまり,2次風の影響が相対的に小さい)が,北東~東寄りの2次風の影響が確認できる.たとえばPort-Étienne の北東120 km に位置する砂丘群では,θが60~90°,α が0.33以下の条件で見られる諸地形が観察された(右図).このことから,この地域においても二つの高気圧とITCZ の影響による二方向性の風況が示唆される.この地域の二次風のように,影響の小さい流れ成分は,通常の気象観測ではイレギュラーな風に紛れやすい.砂丘地形を用いた風況推定では,そうしたノイズの中から,実際に地形に影響を与えている(つまり,数十年というスケールで繰り返し作用し続けている)二つの風向を指摘することができる.
    * DP (Drift potential, その方角からの風により年間に移動する砂の量に比例する) をもとにした流れの一方向性の指標.全方位のDP の和の絶対値を,全方位のDPの絶対値の和で除算した値.RDP/DP値が1に近いほど流れの一方向性が強い.

    文献
    谷口圭輔・遠藤徳孝・関口秀雄, 2008. 「角度変動量によって異なる二方向流下の孤立砂丘発達」,2008. 日本地理学会発表要旨集, 74, 125.
    Breed, C. S., Fryberger, S. G., Andrews, S., McCauley, C., Lennartz, F., Gebel, D., Horstman, K., 1979. Regional studies of sand seas, using LANDSAT (ERTS) imagery. In: McKee, E. D. (Ed.), A study of Global Sand Seas. USGS Professional Paper 1052, pp. 305-397.
    Wasson, R. J. and Hyde, R. 1983. Factors determining desert dune type. Nature 304 : 337-339
  • 伊藤 有加, 増田 富士雄
    セッションID: P915
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    京都府南部,木津川下流域は古くから洪水多発地帯であったため,人間によって地形が幾度も大きく変えられてきた.この地域の地形は,木津川の流路と高い河岸堤防,それに伴う破堤地形と氾濫流路や氾濫原低地,さらに広大な干拓地と排水路,周辺丘陵からの扇状地,天井川などが特徴である.古くからの住居や集落は,水防対策として,盛土家屋や堤防集落や囲い堤集落などが施されている.また,破堤堆積物からなる微高地が河道付近に多くみられる.その微高地は,同じ場所で複数回の破堤によりつくられた砂礫質の堆積物を主体とするため,畑作地として利用されている.一方,氾濫原には破堤に伴ってできた氾濫流路跡がみられ,こうした低地は湿田に利用されている.大きな水害がしばらく無かったため,現在では,水害リスクが高いと想定される地域にまで住宅地が急激に拡大し,都市化が進んでいる. この地域の地表付近の地形と地質環境について,地下地質ボーリングデータ(関西圏地盤情報データベース2008),GIS(地理情報システム),3次元画像解析などを用いて解析した.その結果,昭和の初めまで存在した「巨椋池」の前身ともいえる,それよりもやや大きな湖沼へ向かって発達した湖沼デルタが,地下の浅い所に埋もれており,それが現在の地表環境の成立に強く関係していることがわかった.  さらに,浅い湖沼性鳥趾状デルタシステムから,洪水破堤を頻繁におこすベッドロード卓越河川への変化は,人間による地形改変と深く関連しているのである.
  • 松本 真弓
    セッションID: P916
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    1.問題の視点
    異常気象、温暖化に伴う豪雨は観測史上を上回る洪水を出現させるようになった。洪水被害軽減に向け、構造物建設のみならず、河川流域全体にわたる流域管理と低地部での氾濫原管理がもとめられるようになった。伊勢湾台風後50年が経過したが、雲出川、櫛田川などの下流地域での想定氾濫地域は既往最大氾濫を伊勢湾台風災害時と考え、河川管理の最大流量と考えている。平成16年には当該地域では洪水災害が発生している。伊勢湾南部西岸に流出する一級河川の雲出川は伊勢湾台風以降に河川整備が見直された。この中で、霞堤の存続による洪水のバッフアーゾーンをつくり、水田・耕作地などを残す後背湿地での浸水を継続させることで洪水常習地域の管理を行おうとしている。遊水地を事業化する計画では氾濫原の微地形とその組み合わせを用いた氾濫評価が必要である。
    2.研究目的と手法
    本研究では、平成16年に洪水被害を受けた雲出川下流平野を研究対象地として水害地形分類図を作成することで微地形の形態・特性を把握して過去の洪水被害事例と対応させる。また、地形から災害危険性を評価し、氾濫原内の減災を考えに入れた土地利用の指標を作成しようとした。これらから地域計画樹立にむけた洪水災害地域のゾーニングを考えたい。河川環境変化の長期変動を考えることで流域全体の河川環境サスティナビリティーを考えることができる。本研究で用いた資料は1/25000縮尺の地形図、1/20000の空中写真であり、現地では簡易測量、ボーリング作業を行い微地形と洪水との対応、聞き取り調査なども行った。
    3.結果
     完新世の河成作用を考慮して雲出川中下流域を地形分類したところ、以下のような地形構造が明らかとなった。河口の香良洲デルタ底辺には、風成作用で形成された砂丘があり、その西側に堤間低地が分布する。デルタ先端の三雲町では新田開発が進み、開発年代は各市町村が発行した文献を参考に350年・300年・200年前と分類した。沖積平野では、主に現河道と旧河道に沿って自然堤防があり、その後方には後背湿地である氾濫原が広がる。国道23号線付近では海岸線に並行して旧海岸線の変化を示す2筋の砂堆列と推定できた。本流左岸の久居、右岸の中村川との分岐地点より西側に段丘面が広がり、段丘面は更新世から完新世にかけて形成されたと考えられた。河岸段丘面であり、上位面・高位面・中位面・低位面と4段階に区分した。現在の洪水との関係が大きいものとして人口改変地を切土地・盛土地とし、他の微地形との区分を行った。作成した地形分類図を用い、河川の外水氾濫と内水氾濫を過去の洪水事例を評価した。4つの水害被害レベルで評価したころ、地形によりレベルは異なることが分かった。全ての項目において大いに被害が予想されるのは、後背湿地、旧河道、堤間低地、干拓地となる。今後、霞堤の開口部からの流出や異常気象に伴う豪雨、温暖化などにより、河川氾濫被害は増加する。また、将来の海水準面上昇を考えると、高潮の侵入限界が上がり高潮被害域が前進すると考えられる。高潮は旧海岸線を示す砂堆列まで侵入すると推定される。水害地形分類図から雲出川中下流域の地形特性と水の氾濫特性との相互関係を指摘することができた。防災のためには、危険性の高い土地への宅地化を避けるなど、分類図が示す地形の特性を考慮した開発が重要である。地域計画の際には、地形の災害危険性を考慮したゾーニングが必要である。
    参考文献
    春山成子,村井敦志(2004)「地形と氾濫原管理‐雲出川デルタの場合‐」、水利科学
  • 中村 洋介, 田村 俊和, 菊地 隆男, 古田 智弘
    セッションID: P917
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    江南面(大里面)は寄居よりも下流の荒川の右岸に細長く分布する扇状地性の河成段丘面である.従来の研究では,新井ほか(2002)が江南面はその東部の江南町・熊谷市境界付近において江南I面~江南III面の3面に細分化できることを指摘している.また中村ほか(2005)は,立正大学ユニデンス近傍の江南_I_面を覆う土壌層の中からATやK-Tzを含む複数の火山灰層を検出し,江南I面の離水時期をK-Tz降下以降Aso-4降下直前,すなわち約90,000年前であると推定している.
    ところで,立正大学エネルギーセンターの建設工事に伴って,新井ほか(2002)における江南II面構成層(ならびに被覆土壌層)に相当する露頭が現れた.当初,筆者らは江南I面と江南II面の間に存在する緩やかな崖は河川の浸食によって形成された浸食崖であり,本露頭においては江南I面構成層(ならびに被覆土壌層)よりも新しい層相(ならびに新規の被覆土壌のみ)が確認できると予想して観察に臨んだ.
    しかしながら,実際に観察して認められた地層の層相は,より上位に位置する江南I面構成層と酷似するものであった.特に,地層の中央部の灰白色のシルト層中に,肉眼で確認できる黄緑色の軽石層(著者の1人の菊地が発見)を確認した.この軽石層は層相ならび確認された層準より御岳第1火山灰層であると推定されたが,仮にこの軽石層が御岳第1火山灰層であるとすると,江南I面と江南II面の間の崖は浸食崖ではなく変動崖であると解釈される.本研究では,この崖が本当に変動崖であるかを検証するために,軽石層の鉱物分析ならびに屈折率測定,空中写真判読ならびに地形断面測量を実施した.
    今回見つかった変位地形は,深谷断層の副次的な断層である江南断層のさらに副次的な断層であると考えられる.水野ほか(2002)や文部科学省(2005)を参考にすると,江南断層の地震一回当たりの変位量は70cm,約3万年(もしくはさらに古い)に形成されたローム層の変位量が2.5mである.今回,立正大学熊谷校地内で発見された変位地形の約10万年間の変位量は約3mであり,江南断層における地震1回あたりの変位量70cmもしくはそれ以下の変位量を想定すると,立正大学熊校地内で発見された変位地形は約20,000年に1回程度の割合で断層変位を繰り返してきた計算となる(地震そのものは,深谷断層の活動に伴うもの).ただし,江南断層の最新活動時期は約6,200年前以後、約2,500年前以前である可能性が高いことから(文部科学省,2005),少なくてもこれから数100年の間は断層が動く可能性は低いと考えられる.
     最後に,今回のような変位地形を新たに認定できたことは,日本はもとより世界中においても変動崖が浸食崖と誤認されているケース,もしくはその逆(変動崖→浸食崖)の事例が少なからずあるであろうことを示唆できたのが最大の意義であるといえる.地表に現れている崖の判断を誤ると地形・地質構造発達史が大きく異なってくるので注意が必要である.
  • 曽根 敏雄, 瀬戸 真之, 須江 彬人, 田村 俊和
    セッションID: P918
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
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    これまで多くの周氷河地域でペイントラインによる斜面堆積物の移動量の観測が行われてきた。しかし凍結期の前後のペイントラインの変化から凍結融解による斜面物質の移動量を探るもので、斜面堆積物がいつどのように移動するのかは解明できない。そこで、地表面の礫の動きを観察するために、移動量測定装置(ソリフラクションメーター)が用いられる。V字状に2本の直線変位計を配置したソリフラクションメーター(例えばHarris et. al.,2008)は、凍上量と斜面方向の移動量とを分離でき、解析能力が高い。しかし、野外観測においては、設置が困難であり、限られた範囲の移動量しか捕らえられないという欠点がある。そこで凍上量と斜面方向の移動量の分離はできないが、基準点からの動きが捕らえられ、設置が容易であるソリフラクションメーターを試作した。そして試みに野外観測実験を行なった。
     今回試作したのは基準となる不動点に設置した変位計とターゲットとなる礫とをワイヤーで結び、礫の動きを変位計の動きで捕らえる装置である。1号機(ピストン型)は、ストロークが30cmの直線変位計(1KΩ)を用い、測定範囲は30cm以内である。変位計はエンビパイプ(VP25)内に固定したため、センサー部の形状は長さ約70cmの棒状となった。記録計には、白山工業データマークLS2000を使用した。2号機(プーリー型)は直径6cmのプーリーとポテンショメーター(1KΩ)を用い、測定範囲は数mである。またプーリーには外周近傍の1箇所に磁石をつけ、リードスウイッチによりプーリーの周回を検知できるように工夫した。記録計には、ポテンショメーター用に、T and D, Voltage Recorder VR-71およびVR-00P1を、リードスウィッチの感知にはOnset社HOBO Stateを用いた。センサ部と記録計部をひとつの箱(約9×16×22cm)に収納することができた。  観測地は福島県、郡山・猪苗代両盆地の分水界に位置する御霊柩峠(標高約900m)であり、尾根上に裸地が広がる。これまで地表面物質移動の特徴については、瀬戸ほか(2005)、Seto et. al.(2006)の報告があり、ペイントラインの変位量調査から冬季に1mを上回る移動量も観測されている。
     ソリフラクションメーターは、1号機(ピストン型)を傾斜約10度の斜面に設置し、2号機(プーリー型)を傾斜約20度のより急な斜面に設置した。記録間隔は1時間とした。また移動量観測のターゲットとした表面礫の裏面(礫が地面と接する側)の温度をサーミスター温度記録計(T and DおんどとりTr-52)を用いて1時間おきに測定した。観測期間は2008年11月3日から2009年5月1日である。1号機(ピストン型)に結んだ礫の地温は12月上旬にセンサーが切断され、それ以降の記録が得られなかったが、この他は順調に作動した。観測期間中、1号機(ピストン型)に結んだ礫は14cm、2号機(プーリー型)結んだ礫は42cm斜面下方へ移動した。ソリフラクションメーターによると、どちらの礫の移動も、11月中旬から4月中旬まで生じていた。凍結融解は礫の下で11月中旬以降4月中旬まで生じたが、特に3月下旬まで地温は頻繁に0℃を上下した。この地温と礫の移動時期との解析から、礫の移動は多くは凍結後の融解時に生じることが明らかになった。しかし説明困難な動きも認められ、今後のさらに詳しい解析が必要である。
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