日本地理学会発表要旨集
2012年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の290件中51~100を表示しています
発表要旨
  • ー東京・日本橋三丁目を事例にー
    山下 宗利
    セッションID: 320
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    本研究では、1980年代後半と現在の空間利用を比較するとともに、空間利用の変容の大きな要因となる不動産の変化、とくに土地所有の変化を検討し、両者の関連を見出したい。
    主たる研究対象地域は東京都中央区日本橋三丁目6番地である。この小さなブロックの西端は中央通りに面し、3ブロック北には日本橋高島屋が店舗を構えている。東京駅八重洲口にも近接し、金融・保険機関とともに多数の商業施設が立地している。発表者の山下は1987年当時に当該地域を対象として階数別の空間利用調査を実施しており、これらの既存データを比較検討に用いた。また不動産の所有とその変化に関しては登記簿データを用いた。
    1987年と現在の日本橋三丁目6番地の空間利用を比較したところ、以下の変化を特記することができる。それは、空間利用の純化である。当時は中央通り沿いとその東側では空間利用に大きな違いを看取できた。表通りの金融機関に対して、ブロックの中央部には木造2階建ての小規模な建物が塊状に集中し、これらは主に飲食店として利用されていた。また倉庫や青空駐車場といった低未利用地も多く、1階の利用はきわめて混在していた。しかし階数の増加とともに空間利用はオフィスへと純化する傾向にあった。現在では多くの木造建物は再開発事業(日本橋フロント、2008年5月竣工)によって大規模な建物に置き換えられ、大企業のオフィスが入居している。ブロックの東側においても同様に高層化が生じ、低層階の商業的利用と上層階での居住利用の組合わせがある。またワンルームマンションの立地もみられ、新たな空間利用も出現している。低未利用地の減少とともに表通りと裏通りの差異がより鮮明になっている。
    1986年頃までは土地所有に大きな変化は認められなかったが、その後は個人から法人への変化が生じている。現在ではブロックの西半分の土地は複数の企業が所有している。この土地での再開発事業には土地信託制度が活用され、共同化手法を用いて敷地を整形し、建物を大型化することにより、土地の有効活用を図っている。このように対象地域の表通りでは、大規模なオフィス空間が出現し、一方の裏通りでは当該地で店舗を営む個人所有地が依然として卓越し、小規模な商業的な利用と居住利用が卓越している。
  • 藤本 展子, 松本 秀明
    セッションID: P1121
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     これまで仙台平野に分布する浜堤列の形成時期に関して,松本(1984),伊藤(2006)が研究を進めてきた。松本(1984)は仙台平野の浜堤列を陸側から第Ⅰ浜堤列,第Ⅰ'浜堤列,第Ⅱ浜堤列,第Ⅲ浜堤列に大別し,第Ⅰ浜堤列は5,000~4500年前,第Ⅰ'浜堤列は3,100~3,000年前・前後,第Ⅱ浜堤列は2,800~1,600年前,そして第Ⅲ浜堤列は1,000~700年前から現在にかけて形成されたとした。その後,伊藤(2006)は第Ⅲ浜堤列を内陸側から第Ⅲa,第Ⅲb,そして第Ⅲc浜堤列に細分し,それぞれの形成時期を約1,300~1,100 cal.BP,約1,100 cal.BP以降,そして約350 cal.BP以降とした。
     しかしながら,近年の筆者らの仙台平野南部,すなわちわたり平野における自然堤防形成時期等に関する調査で,従来第Ⅱ浜堤列として位置づけられてきた現海岸線から3.3km内陸に位置する柴~曽根付近の浜堤列の形成時期に矛盾が生じるなど,いくつかの問題点が見いだされた。本研究では,従来の結果を踏まえながらも,新たな地形断面の計測ならびに放射性炭素年代測定を行い,当平野における浜堤列の形成時期,すなわち各時代の海岸線の位置を再検討した。
  • 小林 岳人
    セッションID: 209
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     本研究は教育困難校の一つの目安となる退学者の分布の分析を行うことによって教育困難校の改善のための方策を探るものである。筆者の前任校である千葉県立沼南高柳高等学校も教育困難校の一つである。1)入学者の居住地住所を10進緯度経度に変換しArcGISにて居住地と沼南高柳高等学校までの距離を求め距離帯ごとの退学者率を算出、2)卒業者の平均距離と退学者の平均距離を算出しこれらの間の有意差を検定(t検定)、という分析を行った。その結果、1)通学者は沼南高柳高等学校を中心に、東武鉄道野田線や新京成電鉄線の沿線に分布、2)沼南高柳高等学校からの距離が4kmまでは退学者の比率は漸増し、その後ほぼ一定、10kmを越えると再上昇、3)卒業者と退学者のそれぞれの平均通学距離の差に関するt値は0.0337で5%の水準で平均距離のその差は有意、という3点が明らかになった。教育困難校形成要因は多様である。その一つに学力による序列化がある。公立高等学校は学区によって通学範囲が制約されるが、千葉県では隣接学区への通学も認められている。この規定により学区境界の制約をそれほどうけることなく生徒の通学が可能となっている。しかし、普通科高等学校には学力による細かな序列化が形成された。志望生徒が学力に見合って高等学校を志願するため、少数の学力上位校と少数の学力下位校が生じた。これらの高等学校の通学区は広域なものとなる。そこで、この広域な通学部分を崩すことに注目する。それには、高等学校自身による「学区づくり」というアクションが効果的である。居住地までの距離2km以下の退学者率が15%と最も低いことから、この部分は沼南高柳高等学校が「おらが町の学校」というような地域的な意識がある範囲と考えられる。地域からより多くの生徒が通学してくるような学校にすることが学校改善のための重要な方策となる。これは、沼南高柳高等学校の学校改善のビジョンである「地域に密着した学校づくり」の意思決定への重要な背景となった。生徒募集のため教員の中学校訪問は10km以内の中学校を目安とした。近接中学校には管理職が訪問し連携を模索した。地域から「開かれた学校委員会」「ミニ集会」「沼南高柳高等学校応援団」、本校から「芸術演奏会・展覧会」「通学路清掃」「近隣中学校との部活動交流」など相互関係の構築をはかり、地域との密着感をより一層強めていった。
  • 越山 大貴
    セッションID: 726
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.はじめに
     ドイツの「風の道」計画は,冷気流を市内に誘導し,都市にたまった大気汚染物質を吹き飛ばすための政策として実施されてきた(一ノ瀬,1933).この風は同時に熱も拡散させるほか,冷気として,都市内に移流してくるため,ヒートアイランドを緩和する効果としても期待されている(Weber and Kuttler,2004).しかし,国内での山風の事例は数少なく,まだ十分に研究されていない.そこで,本研究では,浜田・一ノ瀬(2011)の長野県長野市における裾花川の山風とその北東方向に約4 kmに位置する浅川の山風を比較することでの山風の実態把握および気温への影響の比較をするための基礎研究と位置づけるため,浅川地域を対象地域とした研究を行っている.その結果の概要を報告する.

    2. 調査方法
     山風の到達距離および幅を明らかにするために浅川沿いおよび谷の直交方向約2 kmに等間隔に設置してある総合気象観測装置(計2台)および気温計(計6台)で定点観測を行っている.また,超音波風向風速計と気圧計を用いた風,気温と気圧の自動車による移動観測を11月から12月まで計14回行った.

    3. 結果と考察
     平均的な山風日においては,長野市浅川地域における山風は谷口で風が増し,市街地に吹き下ろすことがわかった.また浅川谷口付近(北西側)では低温域と高圧場が発生しており,そこで風が発散して市街地を冷却しているのではないかと考えられる.山風の影響範囲は風,気温分布図から判断し,直線方向にして約1.2 km ,幅約1.9 kmの影響をもっている. 一方,非山風日においては平均的な市街地の風分布には山風日と差がないものの,低温域と高圧域が,浅川谷口方向ではなく駒沢側の谷口(北側)に位置するようになる.これは,両谷口に近い定点の風向風速計のデータから,持続の短い浅川からの山風と一般風もしくは駒沢川からの山風による北風が共存していると考えられる.つまり,浅川からの山風とこの北風の強弱比で気温および圧力分布に差が出ていることが考察される.
  • 大和 広明, 高橋 日出男, 三上 岳彦
    セッションID: S1401
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    筆者らの研究グループでは首都圏全体のヒートアイランド現象を空間的・時間的に高密度に観測するために,気温の観測網を展開している.この観測網を「広域METROS」と呼称している. この広域METROSのデータを使って,夏季日中に南寄りの風が吹いた日を対象に気温分布を解析したところ,首都圏の気温分布は海風の影響を強く受けていたことが明らかになった.典型的な海風前線が見られた日には,海風前線が関東平野の中央部を進行する13~15時には,海風が進入している沿岸域が低温となり,海風前線の前面で気温が高い傾向が見られた.このうち,東京の風下では特に他の地域に比べて海風前線の進入が遅く,風が弱く,気温が高かった.東京の風下に形成される高温域の中心は埼玉県川越市付近に位置していた.この時間帯には従来のAMeDASデータの解析から関東平野の高温の中心であるとされた埼玉県熊谷市付近でも周囲よりも気温が高く,午後の早い時間の内陸の高温域は,関東平野の中央部と北西部の2つの地域に分離されることが明らかになった.一方で、総観規模でやや強い南寄りの風が吹きやすい気圧配置の日の気温分布を解析したところ,海風前線が風の水平分布からはほとんど見られずに,午後の早い時間帯に川越市付近に顕著な高温域が見られずに,関東平野の北部に高温の中心が位置していた.このことから,川越市付近の高温域の形成には海風前線が関係していることが示唆された. 内陸の高温域(川越市付近と熊谷市付近)の気温が沿岸部と比較して相対的に一番高くなるのは,典型的な海風前線が見られる日であった.特に川越と沿岸部の気温が拡大する時には東京の風下で海風前線が停滞しているときであった. 内陸の高温域で気温が高くなりやすい原因として下降流の存在が考えられた.川越付近では海風前線の通過前に露点温度の顕著な現象が観測される.これは海風前線前面に存在する弱い下降流に対応していると考えられ,海風前線の進入が遅いことで川越付近では長く下降流域に存在することによって気温が高くなると考えられる.一方で,熊谷付近では海からの空気の進入が他の風向の日に比べて遅く,谷風循環の下降流が長く続くために,気温が高くなっていると考えられる.また,地上の観測データから移流量を計算したところ,高温域形成に移流の影響はないと結論づけられた.
  • 服部 亜由未
    セッションID: 816
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    はじめに 鰊漁業の定置網には,1統に約30人の漁夫を要する.鰊漁獲地域周辺では揃わず,多くは他地域からの出稼ぎ者であった.その出身県や雇用方法についての概況は知られている.しかし,経営者と漁夫との関係,経営規模による必要漁夫確保への対応の違い,また,それが漁獲量の衰退によっていかに変化するかといった実証研究は資料の制限もあり,明らかにされてこなかった.
     本発表では,北海道高島郡において,大規模な鰊漁家経営を行なっていた青山家を対象とし,同家がいかにして漁夫を集めて鰊漁業を実行し,鰊漁業が衰退する時(昭和初期)にどのような策を講じたのか,その経営戦略を明らかにすることを目的とする.北海道内における鰊漁家は多く,全体像を描くことは難しい.そこで,同時代に同地域における規模の異なる2つの漁家(大規模鰊漁家の青山家・中規模鰊漁家の南家)を事例として取り上げ,経営分析を行なうことで,実態に迫る方法をとる.
    漁夫雇入れ活動 雇用漁夫数が多い鰊漁家が,毎年どのように漁夫を集めたかを明らかにするために,漁夫募集地域(漁夫の出身地域)を把握する.青山家資料の「漁夫募集帳」より,青山家は広い範囲の漁夫募集地域を有したことが明らかになった.これは,秋田県山本郡のみから雇っていた南家の状況とは,大きく異なる.また,複数の募集地域を確保さえすれば,簡単に漁夫が集まったわけではなかった.毎年同じ漁夫が来るとは限らず,一定の人数を確保できる保証はどこにもない.漁夫募集活動に関わった者による書簡のやりとりからは,問題に対応する姿を描くことができる.
    鰊漁業衰退期の状況と打開策 1935・36年の高島郡鰊皆無時,南家は樺太まで生鰊を買いに行き,利益を得る方法をとった.同時期,青山家は雄冬にも鰊漁場があったため,青山家全体で見れば利益は見られた.一方で,経営者の息子は,鰊漁業以外の道も考え始める.1934年,北海道浦河町で鰯加工業を一緒にやろうという大分県の漁家による巧い話に飛び乗る.結局,騙されてしまうものの,浦河青山漁業部として加工場を開き,10年以上続けた.青山家は鰊漁業衰退期には,広域的な経営を行なっていたため,中規模鰊漁家のような被害はなかったが,漁業の範囲を拡大することで,青山家を維持する試みがなされた.
  • 山下 博樹, 伊藤 悟
    セッションID: 717
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.はじめに
     今日,先進諸国のみならず発展途上の多くの地域でも都市化の進展が顕著な時代となった。先進国の都市がいわゆる中緯度帯に位置し,比較的居住や産業発達に適した気候条件下に多いのに対し,近年の都市化は必ずしもそうでない地域でも活発化している。
     筆者らは,これまで持続可能で住みよい都市として評価の高いリバブル・シティ(Livable city)の空間構造の特徴について,バンクーバー,メルボルンなど欧米諸都市を中心に報告してきた。これらの都市の多くは自然環境にも比較的恵まれ,都市の発展や持続性の点でハンデとなる条件は少ない。他方,人間の生存環境としては必ずしも快適とはいえない乾燥地は,地球上の全陸地の約4割を占め,もはやそこでの都市開発は技術的に克服可能となった。とりわけ先進国や産油国などの富裕国では活発に都市開発が進み,人口1000万を超えるメガシティも出現した(山下 2010)。
     山下は,乾燥地における都市開発の先進事例として乾燥地が広く卓越し,かつそこでの都市開発も活発なアメリカ合衆国南西部(アリゾナ,ネバダ,ユタ,カリフォルニア,コロラド,ニューメキシコの6州)を対象に,すでに本研究の一部として当該地域における都市分布の状況とその要因を明らかにし,ラスベガス,フェニックスなどの急成長下にある大都市圏の成長要因とそれら都市圏の持続性などについて報告した(山下2011)。そこで本報告では,乾燥地における都市開発の持続性の課題と,何らかの要因によって衰退しゴーストタウンとなった事例を検証したい。

     2.乾燥地における都市開発の課題
     21世紀においてはヨーロッパ諸国や日本での急速な人口減少に対して,アフリカ大陸やインドなどでの大幅な人口増加が予測されており,その舞台として乾燥地でも都市化の拡大が懸念されている(UNEP 2006)。すでに中国での西部大開発や中東諸国での石油依存経済脱却にむけた経済発展などを契機に,砂漠都市の成長が著しい。こうした乾燥地での都市開発は,水資源確保のためのダム建設の必要性など自然環境への負荷も大きいことは明らかで,持続可能性の点で大きな課題を抱えている。例えば,アメリカ合衆国では自然環境保護などの観点から,すでに1990年代より大型ダム開発から基本的に撤退している(中澤2003)。
     他方,都市の成長を支え促進するためには住民の生活基盤となる産業の存在が必要となる。しかし,乾燥地では多くの水資源を必要とする重化学工業や農業などの発展は多くを期待できない(北川2010)。そのため乾燥地での都市開発の多くは金鉱など鉱産資源開発を契機としているものが多い。これまでこうした地域ではその資源が枯渇する前に一定の人口集積と,それに付随するノンベーシック産業の確立が出来なかった場合,鉱山の閉鎖などによりゴーストタウンとなるケースが多くみられた。そのため,アメリカ南西部においても多くのゴーストタウンの存在が知られているが,それらの多くは一定の範囲に集中的に分布している。
     このようにゴースト化する街が多くみられたなかで,ラスベガスやフェニックスなど一部の乾燥地都市は大都市へと発展している(山下2011)。ラスベガスはカジノや観光産業を中心に独自の発展の道を歩んできたことは知られている。他方,フェニックスは都市圏内の複数の郊外都市がそれぞれ成長のための基盤を確立し,それらがフェニックスを中心として一体的に発展している。いずれの場合も大都市への成長には水資源の確保が不可欠であるが,コロラド川流域のダム湖であるハヴァス湖からフェニックスを経てツーソンに至るハイデン・ローズ導水路が完成したのは1992年であり,それまでは基本的に地表水と地下水が頼りであった(中澤2003)。こうした方法での水資源確保では,水を供給できる都市の数は自ずと限られるため,結果として一部の都市に人口・産業が集中する都市システムが形成されることになる。 

    3.ゴーストタウンの再生
     鉱産資源の枯渇や治安悪化,災害などによりゴースト化した街は廃墟が残されるのみであったり,街の面影は跡形もなくなり歴史地区として指定のみされていることが多いが,他方でその古い街並みを再生し観光地化したり(ex. ツームストン, AZ州),空き家を芸術家らに提供し芸術家村として再生した例(マドリッド, NM州)などもある(Hinckley and James 2010)。こうしたゴーストタウンの再生手法は,先述した日本の地方都市や中山間地の町村などを再生する手法としても参考となるだろう。これらの事例の詳細については当日報告する。


  • 岐阜県可児市・旧東濃鉄道を例に
    林 泰正
    セッションID: 817
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    報告の背景と目的
    地理学,特に歴史地理学においては,古くから地籍図や土地台帳といった地籍資料を活用し,地域のかつての景観の復原や,現在は存在しない諸施設の位置特定およびその規模の把握などを行なってきた.本報告は,そうした地籍資料活用の可能性を探るべく,岐阜県可児市一帯における地籍資料の残存状況を明らかにするとともに,それらを活用することによって,廃線となった鉄道施設跡地の復原を試みた結果および課題とを提示するものである.対象とした鉄道施設とは,1912(大正元)年に出願され1926(大正15)年に一部国有化を経て解散した旧東濃鉄道のうち,現可児市の市街地を横断していた路線および鉄道駅部分である.
    旧土地台帳の活用
    研究対象地域の地籍資料は,岐阜地方法務局美濃加茂支局で保管されている.なお,同支局においては,その材質から,公図は「和紙」,電子化される前の実測地籍図(14条地図)は「マイラー」と呼ばれ,良好な状態で保管されていた.これをもとにPCの画像処理ソフト上で,都市計画図をベースマップとし,そこに同縮尺同方位となるように補正した各字の実測地籍図をレイヤー化して,次々と重ねていった.そして最終的には,各字の実測地籍図を結合して画像ファイル化したほか,実測地籍図の整備以前に合筆が行われて失われた地筆線については,公図を参照しながら復原した.こうしてデジタライズし,復原された地籍図データに,旧土地台帳上にて「旧東濃鉄道所有地」「鉄道施設地目」となっていた地筆の情報をおとすと,旧東濃鉄道の鉄道施設跡地の位置と規模とが詳細に浮かび上がった(図1).
    旧土地台帳の限界
    以上のように,旧東濃鉄道については,その成立が地籍資料の整備後である大正期であったことと,この地域においては実測地籍図を含めた地籍資料の保存状態が良好であったことに助けられ,地籍資料を用いた鉄道施設跡地の復原などが可能であった.しかしながら,旧土地台帳が失われている地域はもちろんのこと,公図しか存在していない地域や,実測地籍図の整備前に耕地整理などが行われていてかつての地筆線が不明となっている場合には,今回のような詳細な復原は難しいと想定された.また,今回の復原では,のちに国有化と払い下げを経験した鉄道施設の跡地については,一部,旧土地台帳での処理が混乱しているような地筆が散見された.地税管理を主たる目的としていた旧土地台帳の性格上,いったん国有地となってしまうと,その記載は厳密なものではなくなってしまうためと考えられる.よって,国有化されのちに廃線となったような鉄道施設の跡地について,地籍資料を用いて分析する際には,特別の注意が必要であることも指摘された.
  • 澤田 学
    セッションID: 718
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.研究目的 
     2010年7月、成田スカイアクセスの開業に伴う京成スカイライナーの高速化によって、東京都心と成田空港間は30分台で結ばれるようになった。その効果でスカイライナーの旅客は増加した。一方で、国内線中心の羽田空港と国際線中心の成田空港の間の距離が離れているために国内線/国際線相互の乗り継ぎが不便になっている。そのため、羽田空港/成田空港での乗り継ぎを避けて、乗り継ぎに便利な仁川国際空港(ソウル)に切り替える地方旅客の増加しており、両空港を取り巻く環境は決して安泰とはいえない。よって、成田スカイアクセスもそれに対応した路線となることが求められる。そこで、筆者は成田スカイアクセスをさらに活性化した路線とするための新たな案の検討を行い、それについて予想される効果について考察し、東京都心部のさらなる活性化のあり方について考えることが本研究の目的である。
     
    2.空港アクセス鉄道の現状
     
    東京都心と成田空港との間の空港アクセス鉄道は、JRと京成電鉄(京成本線経由、成田スカイアクセス経由)が競合している。「平成22年度成田国際空港アクセス交通実態調査(カウント調査集計表)」によると、成田スカイアクセスの開業する前後で鉄道利用比が増加している。そのうち、スカイライナーは7.7%から10.2%へと増加している。京成電鉄全体の増加数は1,886人のうちスカイライナーが1,460人の増加なので、成田スカイアクセスの開業によるスカイライナーの高速化効果が利用客の増加につながった。

    3.筆者が提唱した案と予想される効果
     
    羽田空港と成田空港はアクセス時間距離が長く、国内線と国際線の乗り継ぎが不便である。地方からの乗り継ぎが仁川国際空港に流れている状況を考えると両空港の置かれている状況は厳しいと言える。そのことを踏まえて筆者は、現状で京成上野に乗り入れているスカイライナーを都営浅草線および京急線を介して羽田空港まで乗り入れる案を提唱する。提唱した理由は2点ある、1点目は、外国人に人気の観光スポットやビジネス拠点が都営浅草線沿線に集積しており、利用客増が期待できるから。2点目は、羽田空港乗り入れにより両空港間のアクセス時間距離が短縮され、両空港の需要増に期待できるから。筆者の提唱した案によって東京都心部にヒト・モノ・カネを呼び込むことができると考える。
  • -地理学から提案するジオツーリズムの1つとして-
    菊地 俊夫
    セッションID: S1205
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    大地の遺産とは 特徴的な自然資源とそれらを利用する人との関わり合いによって地表上に刻まれた文化景観であり、それは自然と人との関わり合いの記録や記憶でもある。
    玉川上水の土木技術 羽村の取水口から四谷大木戸までの水路は総延長43kmに及び、自然流下式の水路の標高差は約100mであった。この標高差に基づく勾配は水平に100m進むと約23cm低くなるようになっており、それは武蔵野台地の微地形を読みとる能力と、正確な測量技術や開削技術があったことを示していた。
    玉川上水の恩恵 玉川上水は武蔵野台地の土地開発にも大きく貢献してきた。武蔵野台地は乏水性の土地で、近世まで未開発の土地として放置されていた。しかし、玉川上水の開削により、水の確保ができるようになり、土地開発としての新田開発が促進された。実際、玉川上水から33の分水路が建設され、分水路を利用した武蔵野台地の新田開発が行われ、82の新田集落が建設された。新田集落は計画的に建設されたため、その形態や地割りは特徴的なものになっていた。集落は幹線道路に沿って列状に立地し、路村パターンを呈している。地割は幹線道路を基線にして細長く短冊状に区画されている。1戸分の土地区画は奥行き275間(約500m)、間口33間(約60m)となっており、青梅街道沿いに家が建てられ、その背後の細長い土地が農地(畑地)として利用された。そして、家から最も離れた土地は林地となり、薪炭用の木材や堆肥用の落葉の供給源となった。
    大地の遺産として 玉川上水は多摩川の水を淀橋浄水場まで導水し、そこで沈殿・濾過のプロセスを経て、ポンプや自然流下で東京市内に配水された。玉川上水は淀橋浄水場が廃止される1963(昭和38)年まで都市に生活用水を供給する役割を担った。現在では、玉川上水は都市に生活用水を供給する役割を失ったが、上水の土手に植裁された木々が貴重な緑地空間を形成するとともに、住宅地域に近接する親水空間として良好な居住環境づくりに貢献している。また、玉川上水は2003(平成15)年に国の史跡に指定され、近世の貴重な土木遺産としての価値を高めている。そして、玉川上水は武蔵野台地の自然環境と人間との関わり合いを新田集落の地割景観や平地林の景観とともに物語る大地の遺産として重要である。
  • 辻本 侑生
    セッションID: P1306
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    近年,日本の焼畑が学術的に注目され,学際的な焼畑研究や焼畑の復興が盛んである.しかし,こうした焼畑の再評価・復興を一過性のものに終わらせないためには,焼畑の二次的植生保全機能や地域振興・環境教育への有用性に着目するのみでは不十分であり,現代日本においても焼畑が生業として存続し得るかどうかを検討する必要がある.本発表では,現在も赤カブの栽培と出荷を目的とした焼畑が存続する福井市味見河内地区を対象として,現代における焼畑存続の地域的特徴を歴史的に明らかにし,生業として焼畑を存続させるための課題を提示する.福井市味見河内地区は,福井市中心部の東南30kmの地にある山間集落である.高度経済成長期以前は,水田単作を主たる生業としつつも水田面積は少なく(1戸平均約3反),常畑での主穀と商品作物(桑・楮など)の栽培,養蚕,炭焼き,牛の飼育,出稼ぎ,焼畑による赤カブの栽培・出荷があわせて行われた.焼畑による赤カブ栽培は集落のほぼ全戸が行い,赤カブは峠を越えた大野市街の朝市へ出荷された.味見河内地区で焼畑栽培される赤カブは,「味見河内にしか育たない」というブランド性を持ち,大野市街では正月の縁起物として好んで食された.1960年代以降,スギ植林による焼畑用地の減少,縫製工場や土建業への女性の就業が増加,豪雪に伴う挙家離村の増加により,焼畑を行う農家は2011年現在で5戸に激減した.休閑期間は1980年代までは20年程であったが,林業の衰退に伴い農家が新たなスギ伐採跡地を確保できず,現在では3年程度に短縮している.近年,伝統野菜や有機農法として焼畑が一般に注目されているが,味見河内地区では赤カブの栽培・販路は拡大せず,先行研究が報告してきた焼畑存続地帯(温海・山北など)とは異なる展開をたどっている.栽培・販路が拡大しない理由として,1.「味見河内にしか育たない」という生産者の意識によって隣接地区に栽培が拡大しない,2.知名度は大野市街に限られ,大野の人々にも昔ほど縁起物として重宝されなくなった,3.県内他地域でも伝統野菜の商品化が行われ,差別化が図りにくくなった,4.漬物に特徴的な朱色が,着色料によるものであると消費者に誤解される,等が挙げられる.焼畑研究が生業としての焼畑の存続を目指すならば,本発表で示した地域固有の課題を解決し,焼畑栽培作物の商品価値を高めていく実践が求められる.
  • 内モンゴル自治区オルドス市の事例
    殷 冠文
    セッションID: 509
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
      改革開放以降,中国の都市は急成長を遂げてきた.特に,1990年代の中央政府による分権化政策によって,地方政府主導による都市形成が中国各地で見られるようになった.各地方政府は大規模な都市計画,開発区建設,新区の開発,行政区画の調整などの諸手段を通じて,都市的用地の拡大を推進した.また,企業誘致,投融資政策を通じて都市経済発展の方向性を決定づけた.本研究はオルドス市を事例として,地方政府が都市形成において果たす主導的な役割とメカニズムを検討する.
    2.オルドス市の経済発展
     オルドス市は中国内モンゴル自治区西南部に位置する.総面積は8.7万km2で,人口は149万である(2009年).石炭埋蔵量は171億tで,中国の約1/7を占めている.1994年以降,オルドスは石炭の大規模な開発を開始した.2000年以降,石炭価格高騰によって,急速な経済成長がもたらされた.
    3.新区の建設および市政府の役割
    (1)建設の決定
     2000年代に入り,急速な経済成長が始まったため,市政府は将来の経済発展の空間を早めに用意し,都市空間を拡大する計画を立てた.2003年,カンバシ新区の建設を決定し,市の文化,政治,金融,教育・研究の中心であり,技術産業拠点としての建設を開始した.<BR>
    (2)建設の過程
     新区の建設において,市政府は主導的な役割を果たした.①インフラの建設資金の大部分は市政府から出たものである.市政府の主導によって,図書館,博物館,劇場,広場などの壮大な建造物が建設された.②企業誘致のため,企業に対して税制を優遇し,補助金などを奨励するとともに,炭鉱を配分するという政策を行った.③人口移動を促進するため,市政府は市役所,公共機関,学校などを新区に移動させた.さらに,新区の住民に無料バスを提供した.④市政府は不動産業者との協力を通して,住宅開発を進めた.
    4.カンバシ新区への考察
     地方政府の主導の下で,新区の人口は3万人に増加したが,まだ計画人口には達していない.住宅は良く売れるが入居率は低い.また,新区に立地した企業の概要を見ると,コンクリートや建築材料を生産する企業が大きな割合を占める一方,不動産,建設業と金融業関係の企業も多い.したがって,現在の新区は,期待された文化,教育・研究,金融,技術産業の拠点とは大きな差があることがわかる.
    5.おわりに
     オルドスの事例によって,地方政府がインフラ建設を主導し,住民の新区への移動を促進するとともに,企業の誘致と不動産開発を促進したことが明らかとなった.このように,石炭産業の発展によって大量な資金が生じ,新区はその資金を固定化させる場所として,地方政府の主導によって建設された.
  • 藤本 潔, 小南 陽亮
    セッションID: 220
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    愛知県西部に位置する海上の森におけるナラ枯れ被害の実態とそれが炭素固定機能に及ぼす影響について考察するため、2010年10月と2011年10月に現地調査を行った。調査は、標高220~230mに位置する傾斜約30度の北向き斜面に設置した20m×20mの固定プロットで毎木調査を行うと共に、地形条件の異なる3カ所で被害状況についての補足調査を行った。2010年の調査では、固定プロット内に27種、336本の樹木が確認された(枯死木含む)。そのうち、常緑広葉樹が179本、落葉広葉樹は124本と本数では常緑樹が上回るものの、胸高断面積では落葉樹が常緑樹の約3倍を占める。最大胸高断面積を有する樹種はコナラで(平均直径17cm)、25本中24本にキクイムシの穿孔痕が確認され、被害木の62.5%が枯死に至っていた。2010年の全樹木(コナラ枯死木を含む)の合計バイオマスは149.3t/ha(地上部118.5t/ha、地下部30.8t/ha)で、うち落葉樹111.8t/ha、常緑樹27.8t/ha、針葉樹9.7t/haと算出された。コナラのバイオマスは91.1t/haで、全バイオマスの61%を占める。2010年のコナラ枯死木のバイオマスは47.9t/haで、2011年にはさらに20.8t/haが加わったことから、ナラ枯れにより全樹木バイオマスの約46%がネクロマスになった計算になる。麓部斜面では、コナラ(平均直径26cm)の90%、アベマキ(平均直径28cm)の86%に穿孔被害が確認され、被害木に対する枯死率は、それぞれ42%、39%であった。頂部平坦面ではコナラ(平均直径25cm)とアベマキ(平均直径31cm)すべてに穿孔被害が確認され、うち枯死率は33%であった。これらの値を固定プロットの値と比較すると、被害木中の枯死率は緩傾斜地で低い傾向がみられる。これは、地形条件に伴う土壌水分が枯死率に影響を与えている可能性を示唆している。頂部斜面ではコナラのみがみられ(平均直径12cm)、うち直径15cm以上の6本すべてに穿孔痕が認められたのに対し、直径10-15cmで39%、5-10cmで14%と小径木ほど穿孔被害率が低下する傾向が認められた。
  • ― 千葉県外房勝浦市と御宿町の事例 ―
    橋詰 直道
    セッションID: 716
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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      本研究は,東京大都市圏の超郊外地域の別荘型住宅地における定住化と高齢化の進展の特徴を明らかにしたものである。調査対象とした別荘地は,千葉県外房地域のミレーニア勝浦と西武グリーンタウン御宿の2つの別荘地である。両者とも富裕層を中心とするリタイヤ世代が集住するシニアタウンで,定住世帯の方が高齢化が進展しているという実態が明らかになった。こうした別荘型住宅地における定住化と高齢化の進展は,日常生活を送る上で様々な問題を惹起している。
  • 江端 信浩, 久保 純子
    セッションID: P1301
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    近代的な治水工法の限界が認識されるにつれ、氾濫を受容する伝統的治水工法が再評価されている。中でも、水害防備林(以下、水防林)は多様な機能を持つとされる。近年の研究を見ると、大熊(1997)が水防林を再評価し、治水対策に積極的に活用するよう提言している。また長尾(2004)は、茨城県久慈川流域において、水防林の地形発達機能について検討した。本研究では、水防林が今日まで維持されている木津川流域に注目し、その要因を明らかにすることを試みた。 対象地域は、淀川水系木津川流域の京都府木津川市及び三重県伊賀市である。周辺の地質は、花崗岩と堆積岩の接する地域で、盆地の周辺に大阪層群も分布する(尾崎ほか2000)。また下流域における支流は、著しく天井川化したものが多い(大矢・久保1993)。研究手法については、まず、明治時代以降現在までの新旧地形図読図を通して木津川流域の水防林の分布の変遷をたどり、次に、水防林の分布と地形・地質との関係を考察した。さらに、流域の市町史等の歴史、国土交通省等への聞き取り調査を基に、水防林がどのように維持・管理されてきたかを明らかにした。調査の結果、第一に、水防林の消長の状況は、木津川流域内でも地域により大きな差異が見られることがわかった。上流部では明治期以降水防林が激減する傾向が見られたのに対し、下流部の加茂・木津では、水防林の大半が残されてきた。 第二に、木津川流域の水防林の維持・管理には行政・地域住民の双方が寄与してきたことを明らかにした。1669年に徳川家綱が植栽させた水防林は、御藪・御立藪(木津川市)と呼ばれ、明治以降は国有林となり、現在でも林野庁が管理している。このように行政が水防林の維持・管理に寄与してきた一方、江戸時代以来流域の住民が水防林の保全を訴え、維持を行ってきた。だが、水防林の管理状態は一様ではない。林野庁の管理する国有林は状態が良好だが、その他の水防林は、状態にばらつきがある。堤防等の整備に伴い、水防林の重要性は低下したかに思われるが、近年国交省によりその治水効果が認められた水防林もある。また、水防林に隣接する茶畑等の畑地利用は継続され、国有林管理の際に伐採されたマダケが、東大寺二月堂のお水取り用の松明として利用される例もある。こうした水防林の持つ今日的意義を踏まえ、水防林をいかに維持・管理していくかが今後の課題である。 
  • 富田 啓介
    セッションID: 306
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    ジオパーク化を視野に入れた湧水湿地の有意義な公開方法を検討するための基礎資料として、愛知県内の公開形態の異なる2ヶ所の湧水湿地を事例に、利用者層と利用者満足度を検討した。常時ガイドなしで公開している例として葦毛湿原(豊橋市)を、期間を限定してガイド付きで公開している例として矢並湿地(豊田市)を取り上げ、来訪者にアンケートを実施した。葦毛湿原は332名、矢並湿地は339名から回答を得た。

    両湿地とも、来訪者の男女比に大きな偏りはなく、年齢層が50代~60代に集中する傾向も同様であった。しかし、葦毛湿原ではリピーターが多いのに対し、矢並湿地では少なかった。また、いずれの湿地も夫婦を含むグループでの訪問者が約40%と最も多かったが、葦毛湿原では矢並に比べて親子・恋人同士などグループの属性に多様性があった。相対的に、葦毛湿原では散策や散歩を目的とする来訪者が多い傾向が、矢並湿地では植物観察を目的とする利用者が多い傾向が見られた。

    満足度を5段階で評価してもらったところ、矢並の満足度が相対的に高かった。これは、ガイドの存在が関係していると考えられた。また、満足・不満足の内容としては、自然環境や自然物を観察・体験する場としての評価だけでなく、トイレや駐車場を含めた見学施設としての評価や、他の見学者との関係に関する評価も存在した。満足内容は利用目的によっても異なっていた。これらのことから、来訪者に湧水湿地という環境や特徴的な動植物について十分な解説があること、利用者それぞれの目的を満たすような施設や自然の条件を整えることが、満足度を高める要因になると考えられた。
  • マッシフ・サントラル,メザン地域を事例に
    市川 康夫
    セッションID: 508
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    条件不利地域の山地空間の中で,山地農家がいかなる経営基盤のもとに農業を継続させているのかを,農家の経営的な視点から明らかにすることを本発表の目的とする.本研究では,マッシフ・サントラルの中央に位置する山間地域であるメザン地域を調査地域とした.酪農専業農家はメザン地域の伝統的な経営タイプであり,飼育頭数や農地が小規模で経営的革新に保守的な農家が多い.出荷形態はダノンやソディアルといった大手乳製品企業との取引が大半を占めており,地域外企業への依存が高まっている.肉牛を経営収入の柱とする肉牛専業農家は,乳量割当制(1984年)の影響を受けて,割当量の少ない酪農家から分化してきた経営体群である.メザン地域でも高い標高の地域に分布する肉牛専業農家は,いずれも耕地が少なく家畜飼料に多額の費用を投じている.出荷形態は,県内のローカルな地元仲介業者との取引が中心で,相対交渉による家畜取引が行われる.同じくローカルな販路を特徴としているのが,羊飼養を経営に取り入れている羊複合農家である.彼らは生産の付加価値化に特に積極的な経営戦略に柔軟な経営体群であり,市場価格が低い羊肉収入を補うため有機農業やラベル認証,AOC原産地呼称など複数の付加価値を組み合わせた経営が特徴的である. 一方,付加価値化による生産ではなく,規模拡大による生産量の増大によって所得を確保する経営体群が,酪農と肉牛を組み合わせている牛複合経営農家である.いずれもガエク(GAEC)と呼ばれる家族法人の形態をとり,地域の退職・高齢農家の農地を集積し,規模拡大を続ける農家である.一方,その他経営は,他地域からの移住者であり,規模拡大を望んでいるが移住者であるがゆえに近隣農家からの農地貸借には障壁があり,有機農業の付加価値により生計を立てる経営体である. 以上の5タイプの経営では,類型ごとに異なる経営特性と販路,販売戦略を持つ.条件不利地域に位置するメザン地域では,農家にとって重要となるのは原産地呼称を利用した付加価値化である.メザン地域では,西側がAOC指定のレンズ豆,東側はAOC牛肉のファン・グラ牛で地域全体が地理的呼称範囲にあり,地域全体で取り組む高付加価値化が経営基盤の一つにある.また一方で,経営補助金は各農家の生産収入の約20~60%を占め,これら補助金なしでは経営が成り立たない事も事実である.
  • 上海市芦湾区田子坊の事例
    香川 貴志
    セッションID: 312
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     演者は、上海市芦湾区田子坊おいて再開発による商業化の実情を明らかにし、それに対する商業者と居住者による環境評価について追究した。
     上海の伝統的な住宅地である田子坊は、主に3階建の集合住宅が密集する住宅地であった。ここは1990年前後から商業化が進んだ。そして、現在では建物1階の多くが小売店や飲食店に利用され、2階と3階の多くは住居として残存している。
     再開発は多くの観光客や地元住民をひきつけることに成功したが、旧来の居住環境が変質したことも事実である。
     商業者と居住者の間の交流は少なく、再開発に対する両者の評価は異なっている。商業者の半数以上が再開発を肯定的にみているのに対して、半数の居住者はそれを否定的にみている。再開発は成功した部分がクローズアップされることが多いが、住み慣れたコミュニティの変質を嘆く居住者の声は、一層の環境整備を図る際の留意点となり得る。
  • 大久保 さゆり, 菅野 洋光, 小林 隆
    セッションID: 708
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、農業向けの気象データダウンスケーリング技術の開発を目的としている。本発表では、東北6県で運用している農作物警戒情報システムの概要と、過去のアメダス観測値を1kmメッシュにダウンスケールした値を用いて計算した農業モデルの長期的評価について述べる。
    1kmメッシュ気象データを用いて生育モデル、病害モデルを高い空間分解能で算出し、かつ、ユーザーが「場所/品種/移植時期」を入力することにより、各々の圃場の生長ステージに応じた適切な警戒情報を発信するシステムを東北農研と岩手県立大により構築し、東北6県を対象に2010年より運用している。2011年夏季からは、気象庁による2週間平均アンサンブル気温予測データの提供を受け、低温/高温障害の警戒情報の配信も開始した。昨年は極端な冷夏や暑夏ではなかったため、2012年度以降も継続して情報提供を行なう予定である。
    続いて、葉いもちの発生予測モデルとして警戒情報システムにも使われているBLASTAMの精度を空間的/長期的に検証するため、アメダス内挿によって求めた1kmメッシュデータをBLASTAMの入力値として感染好適条件を求め、過去33年間の葉いもちの病害実績と比較した。もともといもちの発生の少ない地域のほかは、計算されたBLASTAMといもち病の発生面積率の変動はおおむね一致していた。
  • 一ノ瀬 俊明, 大西 暁生, 石 峰
    セッションID: 703
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     大西ら(2006)は、黄河流域全体の水資源需給の時空間構造を県級行政単位別・月別に表現し、上流から下流への取水・耗水・還元といった一連の水循環を分析するための枠組みを提示した。しかしここでは、地表水と地下水の水資源量が手法上の制約から混同されており、これらの現象を個別に再現するには至らなかった。一方Ichinose et al. (2009) は、黄河流域における地下水位の挙動を数値シミュレーションで再現することを目的として、具体のデータが公開されていない地下水需要の空間分布を高解像度のグリッドベースで把握することを試みた。しかし、農業用取水量の季節依存性は非常に大きいため、地下水の挙動を理解するためにも、正確な農事暦を反映した取水シナリオの把握が課題として残っていた。
     以上により本研究では、大西らの推計した水資源利用構造と、Ichinose et al.の推計した地下水利用構造とを地域別に直接比較することにより、データが存在せず実態把握の困難であった地表水の利用構造を描き出すことを試みた。大西らの対象年次は1997年、Ichinose et al.の対象年次は1996年である。Ichinose et al.においては、グリッドで表現された工業用と生活用の地下水利用量を県級行政単位別に集計したマップも提示しており、今回比較に用いられるのはそのデータである。
     黄河流域に大部分が含まれる35の地級行政単位を抽出し、地下水利用構造(棒グラフ)の形態的類似性のみに着目してそれらを12の小流域に分類した。地表水を含んだ水資源需要量と地下水利用量とを交互にならべたグラフの事例を図に示す(単位は万t/km2)。一般に上流域では地表水に依存し、農業での利用割合が低いため、地下水利用の季節変動性は小さい。一方、中流域から下流域では地下水への依存の度合いが高くなり、農業での利用割合が高くなるため、地下水利用の季節変動性は大きくなる。とりわけ、その傾向は黄土高原において顕著である。また、最下流域では再び地表水に依存している。さらに地下水利用構造の類似性にもかかわらず、小流域の中でも地表水を含めた水資源の需給構造に多様性が見られる地域がある。とりわけ中流域では、大河川へのアクセスの状況に応じて多様性が顕著である。また、農業以外で地表水が使われるのは工業が多い。
  • 一ノ瀬 俊明
    セッションID: P1214
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     2011年8月の晴天日に茨城県つくば市の(独)国立環境研究所敷地において、日中屋外(建物等による日影のかからない場所)で色彩以外が同一規格の衣料(U社製、同一素材・デザインのポロシャツ、色違いの9色)を用い、表面温度の経時変化を観測(赤外線サーモグラフィで最高温度を読み取る)した。色には明度という概念があり、標準的な原色(教育用折り紙)で比較した場合、白(明度1.0)、黄(1.0)、赤(0.8)、紫(0.7)、青(0.7)、緑(0.6)、黒(0.0)という数値が得られるが、この明度が可視光の反射率を代表していると考えられる。ポロシャツを使った実試験に先立ち、教育用折り紙で同様の試験(2011年7月6日午後:快晴)を行ったところ、ほぼこの順番(14時に白44℃、黄49℃、赤54℃、紫57℃、青59℃、緑62℃、黒71℃)で低温から高温に並ぶ結果が得られたため、折り紙の場合は可視光の反射率が表面温度を決める支配的要因の一つであると考えられる。
     U社製品の結果でも色彩による温度差は明瞭であった。白、黄がとりわけ低く、灰、赤がほぼ同じレベルで、紫、青がさらに高めで拮抗し、緑、濃緑、黒が最も高温のグループを形成した。また、一般に日射が強まるとこの差は顕著となった。このように、明色側の結果はほぼ折り紙の場合と同じであったが、暗色側で若干順序が入れ替わっており、とりわけ濃緑や緑が黒よりも高温となるケースも多く観測された。黒など一部の色については、表面にUVカットのための特殊加工が強く施されている可能性もあり、明度の序列どおりの温度の序列にならなかったものと考えられる。
     2011年3月の震災・原発事故後、夏季の空調における節電の必要性が強調されている。演者は衣服の色彩にも注目すべきであると考え、今回の実験を行った。この分野は家政学・被服学の領域であるが、従来ほとんど関心が向けられていなかったようで、データも少ない。屋外を徒歩で通勤する場合、夏服の色彩は、熱中症の予防など、健康維持の視点からも重要であるが、職場などに到着した際の空調に対する要求に関して有意な差をもたらしうるかどうかの検討が必要であると思われる。
  • 石川 守
    セッションID: 704
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    地球温暖化により永久凍土の融解が進行していると多方面でいわれているが、地上から目視できない永久凍土が衰退しているという直接的な証拠はほとんど示されていない。ほとんどは多くの仮定を含んだ気候モデルの出力や地表面にみられる間接的事象などによって推測されているに過ぎない。この現状に対し、国際永久凍土学会は、①21世紀初頭における永久凍土温度を観測に基づいて可能な限り多地点で示すこと、②観測体制を整備し恒久化すること、③観測結果を様々な分野で共有し、次世代研究者に引き渡すことなどを目指し、全球永久凍土温度観測プロジェクトを多国間協働で推進している.演者らは、北東ユーラシア永久凍土帯の南限境界域(モンゴル)にて、10年以上過去の観測値を収集するとともに、永久凍土帯のほぼ全域を網羅するような80以上の地点で永久凍土温度を監視する体制を整えた。本発表では、これまでに得た48地点でのデータに基づき、国土規模での永久凍土温度の現状および過去2~30年規模での衰退傾向について報告する。
  • 外枦保 大介
    セッションID: S1305
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     わが国において,2011年8月に閣議決定された「第4期科学技術基本計画」では,「地域イノベーションシステムの構築」が政策指針の一つとして明記された.また,2011年度より,文部科学省・経済産業省・農林水産省が連携して,「地域イノベーション戦略推進地域」が選定され,地域イノベーションを支援する政策的枠組が構築されているところである.地域イノベーションシステムの構築には,地域が持つ強み,多様性や独自性,独創性を積極的に活用していくことが重要である.産業集積のもつ特性と,大学や公設試・地方自治体の特性とを相互補完的に,有機的にリンクさせることが求められている.本発表では,古くからの産業集積地域において特色ある産学官連携の取組が行われている新潟県燕・三条地域,山口県宇部地域,福岡県北九州地域の3つの事例研究をもとに,産学官連携の進展に当たって,産業集積や大学・公設試・地方自治体の特性がどのように活かされたのかという点に着目して,産業集積地域の地域イノベーションの実態を検討した.

    2. 新潟県燕・三条地域と長岡技術科学大学
     金属加工産地である燕・三条地域は,これまで鉄,ステンレス,アルミニウム,チタンのように時代とともに取り扱う金属を拡大し新たな加工技術を獲得してきた地域であった.燕・三条地域では,従来,地元中小企業の自助努力のほか,公設試「新潟県工業技術総合研究所」や「燕三条地場産業振興センター」が,中小企業の技術力強化に努めてきた.2000年代前半,新潟県は「地場産業振興アクションプラン」を県内の地域単位で進め,地域の実情にあわせた産学官連携を進展させてきた.燕・三条地域では,新潟県工業技術総合研究所と長岡技術科学大学が開発したマグネシウム合金の技術シーズを活かした産学官連携が進展した.長岡技術科学大学では,マグネシウム合金に関する一貫した研究開発を進めるため,2005 年に高性能マグネシウム工学研究センターが設置された.この地域の取組は,新しい金属素材に挑戦することにより,技術力を蓄積してきた産業集積の経路依存性に適合するものであった.

    3. 山口県宇部地域と山口大学
     山口県宇部地域では,化学,建設資材,機械プラントのメーカー「宇部興産」を中心とする企業城下町型の産業構造が形成されていた.2000年前後から,山口大学工学部・医学部で医工連携の機運が高まり,自治体もこの動きと連動した取り組みを進め,インキュベーション施設の建設や研究開発助成金制度を創設した.「知的クラスター第Ⅰ期」では,山口大学の技術シーズを活かしてLED を用いた医療機器開発を目指した.しかし,地元企業の多くは,化学や建設資材の運搬用品製造や機械プラントの製造下請に従事してきたため,LED に関する技術シーズのある企業は少なく,山口県内には必ずしも十分な波及効果が及ばなかった.このため,知的クラスター第Ⅰ期の後継となる「知的クラスターグローバル拠点育成型」では,対象となる地域を拡大し,県内大手化学メーカーの部材を活用できる研究開発に切り替えた.

    4. 福岡県北九州地域と九州工業大学
     福岡県北九州地域では,1970 年代以降,鉄鋼や化学産業が伸び悩むとともに,研究開発機能の域外移転・頭脳流出が進んだことにより,地域経済は停滞していた.このため,1990 年代以降,北九州市は,「北九州ルネッサンス構想」で示された学術研究都市を建設し,頭脳機能を取り戻すための取り組みを進めてきた.「環境」や「情報」をキーワードとする学研都市の整備には,知的クラスター第Ⅰ期・第Ⅱ期を契機として,環境・情報をキーワードとした人材育成・研究開発が進められた.地元企業が設立した私立学校を前身とする「九州工業大学」が,近隣の九州大学との差別化を図りながら,建学の理念である実学や地元重視を強調し,それが実際の産学連携活動に結びついている.学研都市開設にあたって新設された大学学部・研究科の教員のうち半数近くが企業で研究開発の経験がある教員であることにより,産学官連携が進みやすい状況にある.
  • 千葉県立中央博物館「山の科学画」展とその後
    八木 令子, 吉村 光敏
    セッションID: P1308
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     鳥瞰図は地形景観や都市景観を表現する方法として古くから利用されてきたが、実際には見えないものを大胆に表現したデフォルメ図が多く、鳥のように上空から見た地形景観を正確に描いたものは多くはない。しかし1970年代から山岳雑誌に長期間掲載された五百澤智也氏の日本アルプスやヒマラヤを描いた鳥瞰図は、氷河地形研究者としての地形を見る確かな眼と、飛行機から撮影した斜め空中写真を実体視する技術に基づいて描かれており、高さの誇張がないことや、実際の景観を詳細にスケッチしているという点で他の鳥瞰図とは異なる。またこれらの作品は、氷河の痕跡地形を表現するなど、地形を判読・分類しながら描いているところに特徴がある。
     千葉県立中央博物館では、このような地形景観を主題にした鳥瞰図を、従来博物館の展示になりにくかった地形分野の有効な展示資料として位置づけ、2006年3月3日から5月27日まで「山の科学画」というタイトルで展示会を行った。そこでは、槍・穂高連峰などの日本アルプスやヒマラヤの鳥瞰図の原画や拡大画を、地理的な分布に基づいて系統的かつダイナミックに展示した(写真1)。また作品の基になった航空斜め写真、同じ視点からのパソコンによる画像などを合わせて展示し、普通とは異なる“五百澤式地形鳥瞰図”の特徴を伝えた。さらに図に描かれた地形の解説も行い、これらが単に「自然景観を描いた絵画」ではなく、写真よりも多くの情報を提供し、山の成り立ちが読み取れる「自然の客観的な観察記録」すなわち「科学画」であることを示した。
     本発表では、「山の科学画」展で何を伝えたかったのかといった展示のコンセプトとともに、来館者に対してどのように見せるか、あるいは解説するかといった展示の手法、演出の方針について述べる。なお千葉県立中央博物館の「山の科学画」展が終了した後(前にも)、全国のいくつかの博物館等で五百澤智也氏の山岳鳥瞰図を基にした展示会が行われた(表1)。それらはひとつの展示をいくつかの博物館で順番に行う巡回展とは異なり、展示の素材は同じであるが、それぞれの博物館が独自の視点(切り口)で展示内容を企画したもので、博物館展示の新しい形態として注目される。今回各博物館等で行われた展示についても紹介する。
  • 三橋 浩志
    セッションID: S1302
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    我が国の地域イノベーション政策について、政府(中央政府)の政策展開の推移を整理すると共に、現在中心となっているクラスター政策について、諸外国の政策と比較した。また、地方自治体(都道府県)における地域イノベーション政策について、自治体の科学技術振興計画(ビジョン等)の目的や分野を把握し、さらに振興計画と予算執行の関係についても把握した。その結果、地域イノベーション政策における地理的境界の概念が低下していることが明らかになった、また、各国中央政府は、政策分野(科学技術政策、産業政策、地域政策)を意識して地域クラスター政策を展開しており、政策分野の融合、及び各政策目的にふさわしい地域選定のあり方等が課題となっていた。一方、地方政府(自治体)の政策は、産業振興や新産業の創出を目的としており、組織面では商工労働部が対応していた。振興計画を策定・改定するという科学技術政策の積極性を示している自治体が、必ずしも予算面でも積極的な政策展開を講じているとは限らなかった。振興計画を策定・改定するという「政策としての積極性」と、予算面の積極性(公設試験機関の予算)の間に顕著な相関関係を見ることはできなかったことから、計画策定と予算策定の関係が直接的ではなくなりつつある状況が伺えた。
  • 国土交通省国土政策局による初等中等教育におけるGISの活用
    田中 隆志
    セッションID: 202
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    群馬県高等学校教育研究会地理部会のGIS地理ワーキンググループでは,2009年度より3年間,国土交通省国土政策局の初中等教育におけるGIS活用プログラムの一環で,高校地理におけるGIS活用場面の検討を行ってきた。本発表は,その活動を通し検討してきた「Google EarthとMANDARAといったGISツールの活用事例の報告と,GIS活用推進に向けた課題の報告」である。GISツールの活用推進のためにはまず,このような活用事例を地道に重ねていく必要がある。また,それらの活用事例を集約,検証したり,有用なものを共有化する,地理教員のネットワークを構築することも重要である。
  • 宮古市役所から撮影した「2011年3月11日の津波映像」の解析
    岩船 昌起
    セッションID: 110
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    【はじめに】本研究では,2011年3月11日に撮影された「津波映像」の解析に基づき,市街地に流入した津波の動態を明らかにし,人びとの避難行動とかかわる時空間スケールでの避難環境を考察する。【対象と地域】「津波映像」は,岩手県宮古市市庁舎5階から市職員によって2011年3月11日15時17分から26分19秒間撮影された。撮影範囲である市役所東側の閉伊川河口周辺市街地では,地盤高約3.5mの堤防が閉伊川や宮古湾との境界に設置されている。なお,「津波映像」は,港湾空港技術研究所のGPS波浪計データ等も参考にすると,第一波をほぼ捉えたものであり,引き波から最大波を経て第二波前の引き波に至るまでの変化が記録されている。【方法】映像の解析には,0.50秒間隔での静止画を用いた。津波後に残った建物の窓枠の長さや高さ等を測量した値を参考に,浸水深を10㎝単位で計測し,津波の白泡や漂流物の移動距離から流速を求めた。【結果と考察】堤防を越流した津波の特性は,以下の通りである。①津波の先端が越流後約11秒で50m進んだ。これは大半の人びとの全力での走りよりも速い。②越流後約12秒で,流速毎秒約4mで20㎝深の流れが車を流し始めた。人間がこの場に居れば,車が流される前に足を払われて転倒すると考えられる。③堤防に沿う約10mの地帯では激しい跳水(約2m高)が生じた。ここでは人間は呼吸を継続できないだろう。④28秒後に全域が浸水し,車等の漂流物をともなった流れが車道や駐車場で顕著になった。歩行が不可能な環境がさらに強化された。⑤越流から約1分後に浸水深が1mに達した。浮力との関係からほとんどの人間が流される水環境に変化した。⑤越流後2分弱から流速が毎秒2m弱となる。⑥越流後約4分で流速毎秒約3mとなり浸水深が300cmを超える。この時点で家屋の多くが大破・流失した。⑦最大浸水深記録後に引き波に転じて流速毎秒-2m弱の流れが約1分続いた。⑧決壊しない堤防によって最大浸水深記録後に堤内で滞水状態が15分強続いた。この間泳いで避難した人もいた。【おわりに】本研究は,「堤防を越えた津波」の一つの解析事例であるものの,「避難行動」と直結する基本的な津波の動態を把握できた。浸水に対応した避難体制の再構築やまちづくりの貴重な基礎資料となるだけでなく,防災教育の教材とのかかわりからも極めて重要である。
  • 伊藤 千尋
    セッションID: 515
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    ザンビアの都市化は植民地期における国内銅鉱山の発見に端を発し、独立以降も都市への人口流入が進展してきた。しかしながら、1990年代の構造調整計画導入以降、大都市の失業率の増加や正規雇用部門の大幅な削減が引き起こされ、これまで優位性を保ってきた都市部門に変化が起こってきた。同時に、大都市から農村部への人口流出等が報告されはじめ、都市-農村関係は新たな展開に直面している。
    本発表では、ザンビア南部州の中小都市における地域経済の変容や、近郊農村との関わりの変化を明らかにすることで、1990年代以降の都市-農村間関係の変容の一端を提示する。
    調査地は、ザンビア南部州シアボンガ県である。本発表では、中小都市の事例として県行政の中心であるシアボンガを取り上げる。主産業である漁業と観光業について事業主への聞き取り調査を行ったほか、関係省庁での資料収集も行った。 また、中小都市の発展が近郊農村に与える影響について考察するため、シアボンガ県ルシト地域で行った出稼ぎ労働に関する調査結果を使用する。
    シアボンガにおける漁業は、1980年代に白人入植者らの参入によって盛んになり、現在でも最も多くの人口を雇用する産業である。現在でも多くの漁船を所有するのは白人経営の企業であるが、2000年以降、ザンビア人が経営する零細的な企業が増加していることが明らかになった。また観光業においても同様に、1980年代から継続してきたホテルやゲストハウスは白人によって経営される大規模なものであるが、2000年以降、ザンビア人経営の小規模なゲストハウスが増加していた。 このザンビア人起業家の増加には、フォーマルセクターでの実質賃金が低下し、副業を営む人びとが増加してきたことや、退職後に出身村に戻らず、町で生活を続けていくため、新たな収入源として事業を始める人びとの生計戦略が関連していた。また、1990年代の地方分権化の流れを受けて独立した県となったシアボンガでは、公務員や民間企業で働く人びとが増加し、ハウスワーカー等の低熟練労働に対する需要が増加していた。
    このような変化は、近郊に位置する調査村からの出稼ぎ労働者を増加させていた。特に町の労働市場の多様化が進んできた近年では、人びとは短期間の移動を頻繁に行うようになり、出稼ぎは干ばつ時の生計維持や日常の現金稼得手段として重要であることが明らかになった。
  • 北海道・知床を事例に
    平井 純子
    セッションID: 304
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     エコツーリズムは、1970年代に発展途上国の環境保全と観光振興の両立を目指して生まれた概念である。日本では90年頃から、民間業者による原生の自然が残る地域での取り組みに始まり、90年代後半には民間の推進団体が設立され、エコツーリズムの普及が進んできた。このような動きを受けて、2004年より環境省にエコツーリズム推進会議が設置され、国レベルでのエコツーリズムの推進が開始した。また、07年6月には「エコツーリズム推進法」が成立し、08年4月より施行されるに至った。近年では地域の自然環境を配慮しつつ、地域の創意工夫を活かしたエコツーリズムの推進が推奨され、地域活性化の起爆剤としても注目されている。エコツーリズムの定義について、環境省は「自然環境や歴史文化を体験しながら学ぶとともに、その保全にも責任をもつ観光のあり方」としている。このエコツーリズムの概念にもとづいて行われるのがエコツアーであるが、これにはエコツアーガイドと呼ばれる存在が重要な役割を果たすことになる。エコツーリズムに期待されている、持続的な自然観光資源管理の実現に直接的に関わるエコツアーガイドであるが、果たすべき役割は明確化されているわけではない。エコツアーガイドには顧客サービス、環境教育、資源管理、地域貢献の役割が期待され、特に自然観光資源管理においては実質的な担い手としての役割と能力をもつことが期待される。これまでエコツアーガイドに注目した研究には、屋久島や神奈川県西丹沢地域、西九十九島等を対象としてものがあるが、事例は多くはなく、地域的偏りがあるため、研究蓄積が急務である。本研究では、日本においてエコツーリズムの概念にもとづいたエコツアーが早い時期より行われている知床を事例に、エコツアーガイドの現状とその問題点について調査を行った。現在、日本のエコツアーガイドはボランティアガイドが多く、また専業ではない場合が多いが、知床ではその割合が比較的大きいこと、自然に恵まれているが故の危険をもはらんでいるため、安全管理に対する高い意識が不可欠であることから、エコツアーガイドの現状を把握する地域として適すると考えられるため、調査対象地とした。調査方法として、冬季においてエコツアーを実施する5団体を抽出し、スノーシューによるウォーキングツアーに同行し参与観察を行った。エコツアーガイドの年齢や出身地、ガイド経歴と当日のガイド内容について検討し、その現状と問題点について考察した。詳細は当日報告する。
  • 他者化を越えた地誌のための覚書
    熊谷 圭知
    セッションID: 804
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    本報告の目的は、場所をめぐる理論の再構築であると同時に、個別の場所の記述、すなわち地誌の方法論である。理論と記述、あるいは法則定立的研究と個性記述的研究は、対立するものとして捉えられがちである。しかし本論が示そうとするのは、とりわけ地理学という方法においては、基本的に両者が重なり合うものであるということだ。 私の理解する地理学とは、究極のところ場所の生成とその理解をめぐる研究である。場所とは、常に個別具体的なものでしかない。しかし、場所の生成の中には、同時に常に共通性あるいは相同性、言い換えれば普遍が存在する。クラインビット村という、一つの村の物語は、パプアニューギニア、ブラックウォーターという地域の文脈を離れては存在しえない。しかしクラインビット村という場所の生成の物語は、空間を越えた他の場所の生成の物語と共通性・相同性をもっている。 この報告で主張したいのは、クラインビットという遠く離れた世界の人々の場所と場所の生成が、わたしたちの日常の場所と場所の生成と、差異だけでなく様々な共通性・相同性を持っているということである。遠く離れた場所と人々の物語が描かれるとき、それはしばしば他所の面白おかしい――しかし自分たちとは無縁な――情景や出来事として了解され、消費されてしまいがちである。異なる場所と人々を、自らとは異なる(縁を持たない)変わらぬ他者としてまなざすこと、それが「他者化」である。他者化を促すのではなく、聞き手や読み手にその地理的想像力を喚起し、相互理解の回路を提供すること、その場所や人々とつながりたいという欲求を与えること、それが地誌の仕事であると考える。
  • 中野 智子, 篠田 雅人
    セッションID: 702
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     陸域地表付近の土壌水分量は、水循環、気候、生態系プロセスなどに影響を与える重要なパラメタである。数百kmオーダーの広域的な地表面動態を評価するためには、衛星リモートセンシングデータが有効であるが、地表の水環境については、衛星Aquaに搭載された改良型高性能マイクロ波放射計(AMSR-E)を用いた研究が近年数多く報告されている。本研究では、モンゴル国の半乾燥草原において、Aqua/AMSR-Eのデータがどの程度有効であるのか検証するために、AMSR-E土壌水分量プロダクトと実測データとの関係について検討した。 土壌水分量の実測は、モンゴル国中央県に位置する3か所の草原において、2010年8月15日から2011年9月15日の1年1カ月の期間にわたり実施した。それぞれの地点に5本の誘電率土壌水分センサー(EC-TM、Decagon Devices Inc.)を5cmの深さに設置し、出力値をデータロガー(Em50、Decagon Devices Inc.)に30分間隔で記録した。リモートセンシングデータとの比較に際しては、30分ごとの記録値から日平均値を算出し用いた。衛星データは宇宙航空研究開発機構(JAXA)によって提供されているAqua/AMSR-E土壌水分量プロダクトをダウンロードし、北緯46.5~47.5度、東経105.5~106.5度の範囲について、0.1度グリッドデータを作成した。その中から、現地観測を行った地点を含む3つのグリッドを抽出し、解析を行った。 体積含水率実測データとAMSR-Eデータの時系列を描くと、どちらも降雨時には素早く応答して値が増大することがわかる。この降雨時の土壌水分量増加は3地点ともに実測値と衛星データとの間で良い一致を示したが、降雨の後の減少過程は、地点により一致する場合としない場合とが見られた。これは表面に生育している植生量の違いや、土壌の保水性の違いなどを反映しているものと考えられる。今後、土壌の粒径組成や表面の植生バイオマスなどのデータも併せて解析し、衛星リモートセンシングデータからいかにして実際の土壌水分量を推定するか検討を重ねる予定である。
  • 堀 和明, 伊藤 彩奈, 田辺 晋, 中西 利典, 洪 完
    セッションID: P1117
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    沖積低地の自然堤防-後背湿地帯(氾濫原)では,河床勾配が緩やかなため,蛇行流路が発達しやすい.また,蛇行流路の屈曲が大きくなると,蛇行切断が生じ,放棄された旧流路は河跡湖(三日月湖)として残される.このような氾濫原は世界各地にみられるが,日本で代表的なものは石狩平野であろう.近年,石狩平野では,完新世の海進期にバリアー—ラグーンシステムが発達したと考えられる沿岸部を中心にオールコアボーリングが実施され,沖積層に関する知見が増えてきている.一方,これよりも上流側の氾濫原では,蛇行流路や泥炭地の変遷に関する研究はあるものの,現在みられる氾濫原がどのように発達してきたかについては不明な点が多く残されている.本研究では,氾濫原を構成する沖積層の累重がどのように起こってきたかを明らかにするために石狩平野内陸部で2本のボーリングコア堆積物を採取した.掘削したコア堆積物については,岩相の記載,湿潤・乾燥かさ密度,色調測定,軟エックス線写真撮影,放射性炭素年代測定をおこなった.コア堆積物には以下の特徴がみられた.1.最下部の1-2 mは亜円礫を主体とする砂礫層からなる.礫径は最大で4-5 cm程度となっている.2.最下部を除き,泥を主体とする細粒堆積物からなる.3.木片や植物片などの有機物を多く含み,乾燥かさ密度が1.0 g/cm3以下になる泥質な層準が,IK1では深度2.1-9.8 m,IK2では深度4.3-11.8 mに認められる.とくにIK1の深度2.1-6.3 mでは泥炭の堆積が顕著になる.最下部の砂礫層はIK1で10 cal kyr BP以前,IK2で22 cal kyr BP以前に堆積しており,沖積層基底礫層に相当すると考えられる.IK1では8-7 cal kyr BPにかけての堆積速度が,7 cal kyr BP以降に比べて大きい.IK2については7 cal kyr BP以前の堆積速度について不明な点があるものの,7 cal kyr BP以降についてはほぼIK1と同じような堆積速度を示している.この7 cal kyr BP頃は,前述した,木片や植物片などの有機物を多く含む泥質堆積物が堆積し始める頃にほぼ相当する.また,IK1において泥炭の堆積が顕著であった期間は年代値からみて5-1 cal kyr BP頃で,その堆積速度は1000年あたり約1 mと考えられる.
  • 熊原 康博, 小森 次郎, Jamyang Chophel , 橋爪 誠
    セッションID: P1111
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 長さ2500kmに及ぶヒマラヤ前縁には,インドプレートとユーラシアプレートのプレート境界に沿って活断層が発達する.これまで,パキスタン,インド,ネパールにおいては,多くの研究によって,その分布および変位様式の概要が明らかになっている.しかし,東西350kmのブータンとインドとの国境域は,Nakata (1972)やYagi et al. (2002)があるものの断片的な情報にとどまり,他のヒマラヤ周辺地域と比べ活断層に関する情報が乏しい地域である. 我々は,2010年8月の3週間にわたり,ブータン政府関係機関にて空中写真判読をおこない,ブータン南部の活断層の分布および変位様式について明らかにした.その結果,ブータン南部のゲレフ(Gelephu)周辺において,断層変位地形が明瞭に発達することが明らかとなった.本発表では,2011年3月に,ゲレフ周辺の現地調査を実施した結果を報告する.
    2. ブータン南部の断層分布の特徴 空中写真判読により,明らかになった点は以下の通りである.1)主に東西走向の断層が多い.2)ブータン南部全体に連続する断層はなく,長さ30kmより短い断層からなり,地域によっては東西走向の断層が4~6条にわたり平行して分布する.3)東西走向の断層のうち,平野と山地の境界では北側隆起の断層変位を示すが,山地内は南側隆起の断層が多い.4)山地内の断層には,北西-南東走向の断層は右横ずれ変位,北東-南西走向の断層は左横ずれ変位をもつ断層が認められる. 以上の特徴は,同じプレート境界にあたるネパール南部の断層発達とは異なる.
    3. ゲレフ周辺の断層変位地形の特徴(図1) ゲレフ周辺では,北方の平野と低ヒマラヤ山地との境界からゲレフの東部にかけて連続的に発達する.ただし,ゲレフ北西部では断層線は一本であるのに対し,ゲレフの北東部から東部では断層が5条以上に平行に発達するなどの違いが見られる. ゲレフの東を流れるマオ川の両岸では,山地から平野へ出る箇所で,少なくとも高さの異なる3段の段丘面が累積的に,北側隆起の変位を受けている.またDanabariから東では,5面以上の段丘面が逆に累積的に北落ちの断層変位を受けていることが明らかになった.また,山地側の断層トレースには低い段丘面上に断層変位が認められないことから,断層変位の位置がより平野側へ移動している.
  • 白岩 孝行
    セッションID: 523
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    オホーツク海と親潮の基礎生産に果たすアムール川の役割を評価するプロジェクトを実施した。その結果、世界最高位を誇るオホーツク海と親潮の基礎生産量は、アムール川流域に起源を持ち、アムール川によってオホーツク海に供給される溶存鉄によって支えられている可能性が高いことを発見した。溶存鉄は、植物プランクトンの光合成における硝酸還元に利用されており、その難水溶性のために外洋では一般に枯渇している。冬期の鉛直混合によって、海洋表層の栄養塩(N, P, Si)が豊富なオホーツク海や親潮は、アムール川起源の溶存鉄によって、春季に顕著なプランクトンブルームが発生することを確認した。これは、オホーツク海や親潮にとって、アムール川流域が”魚附林(うおつきりん)”であることを意味する。
  • 多摩丘陵を事例に
    川原 一洋, 中山 大地, 松山 洋
    セッションID: 622
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    既存研究における人工地形改変を評価する尺度は侵食・堆積といった地形変化に対する人為的な影響を測るものが多い。それに対し、地形改変地の形態が自然地形の形態に対してどの程度異なるのかを定量的に評価・分析した研究は山田(2001)の「地形自然度」による山地・丘陵地の評価を除いてほとんどない。しかし、この方法は等高線の閉曲線で区分できる山地、丘陵地でないと適用できない。そこで、本研究では著しい人工地形改変が行われた多摩丘陵北西部で、数値標高モデル(DEM)を用いた地形計測により、等高線の閉曲線で区分できない地形の形態の自然度を定量的に評価・分析する方法を考案した。
     本研究では傾向面分析の傾向面の偏差(TSD)と傾向面の勾配(I)が山地・丘陵地では負の相関を持つ点に注目し、過去の地形データを基準となるリフェレンスデータとしてTSDを説明変数、Iを被説明変数とした回帰分析を行った。そして、得られた回帰式と実測値との残差を地形形態の自然度の評価基準とし、残差が残差標準誤差の-2倍(-2RSE)以上なら自然な形態、-2RSE未満なら不自然な形態と定義した。
     この回帰式を現在の地形データに適用した結果、以下の3点が明らかになった。(1)丘陵地において、1962年DEMではほとんど無かった、残差が-2RSE未満の不自然な地形形態のグリッド点が2003年DEMでは約41.9%を占めるようになった。(2)こうしたグリッド点は主に研究地域の中心より南側では大半を占め、北側では主に南陽台1~3丁目及び越野、堀之内の2か所に集中して分布していた。(3)こうした所は全て宅地開発された所であり、研究地域の不自然な地形形態の増加は人工地形改変によるものと考えられる。
     本研究では、ある程度グリッド点がまとまった集合単位では十分な精度で地形形態の自然度を評価することができた。これは等高線が閉曲線を描いている範囲でしか適用できない山田(2001)の手法よりも汎用性が高いと考えられる。
  • GFF・九州大学・福岡市の取組みを事例に
    中村 幸広
    セッションID: 325
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    2002年に『知的財産戦略大網』が発表されて以降,我が国でも,デジタルゲームやアニメーションなどのコンテンツに学問的関心が高まる一方,制作費の高騰化に対して市場の伸びが追いつかなくなる,イノベーションのギャップに悩まされている.デジタルゲーム産業では,この問題に対する解答として,産学または産学官の連携によるシリアスゲームが注目を集めている.シリアスゲームは,ゲームで培った技術を,娯楽だけではなく教育や介護など実用的な分野に応用するゲームである. 一方我が国では,シリアスゲームがあまり定着していない.その原因は,産学官連携が確立していないからである.本調査では,この関係図がみられる福岡市の産学官連携を取り上げる. 
    本プロジェクトは,”Game Factory’s Friendship"から始まった福岡ゲーム産業振興機構を組織の基盤として活動している.GFFは当初,福岡市のデジタルゲーム産業が知名度不足による人材確保の困難等の問題を解決するために,企業団体を設立することで対外的にPRしようと,市内企業がまとまった組織である.さらにGFFに九州大学,福岡市経済振興局が結びついて,福岡ゲーム産業振興機構を組織することになった. 
    この組織を基盤として,九州大学を中心に人材育成と産業範囲の拡大を目的とした,本プロジェクトが始動した.初年度は九州大学の学生チームが中心となって作成し,技術的,知識的なものをGFFと福岡市環境局がサポートすることになった.これらのサポートにより,学生チームの作品は完成し,教育効果の測定にまでこぎつけた.この実験には,福岡市経済振興局の尽力により,市内の小学校が協力することにより,図にあるネットワーク構造を活用できるかたちになった.2年度以降は,九州大学とN病院,E社と福岡市観光局が連携して,介護と観光向けのシリアスゲームを制作することになった. これまでデジタルゲーム企業内のネットワークだったものが,福岡ゲーム産業振興機構を組織することにより,そこを新たなネットワークの中心とする,ハブ化したクラスターの形成に結びついた.それにより,これまでデジタルゲーム企業と接点のなかった組織をも取込むことが可能となった。このことから,産業集積はみられないものの,集積地域である東京と異なるメカニズムが働いたことが,福岡市でみることができた.
  • 平泉町「歴史景観地区」を事例として
    篠崎 遼太郎
    セッションID: 317
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     平泉町では,2011年6月の世界遺産登録後に観光客は増加したが,実際に生活をする住民は世界遺産登録や増える観光客についてどのように考えているかを調査した.
    世界遺産登録に対して「期待を持っている」と回答した人は全体で約84%に上った一方で,不安を持っている人も6割に上った.その中でも特にゴミ問題など,これまでの先行登録地域でも問題になっていたことが懸念として示され,両者については,世界遺産登録後に問題が起こっている.
    観光客に対する意識については, 仮に短時間であったとしても,「観光客が増えることは嬉しい」と考える人は全体の約46%,「世界遺産だけでなく,平泉町全体を観光して行ってほしい」と回答した人が全体の約38%,そして「観光客の増減については,気にしていない」という回答が全体の約11%であった.この結果より,観光客増加に対して平泉の住民は概ね好意的であると言えるが,通過型観光地の平泉において,長時間滞在し,平泉のことを知ってもらいたいと考える住民もいることが明らかとなった.
    次に,全体の傾向をもとに,属性分析を試みた「期待を持つ人」における差異では,30代から50代にかけては世界遺産登録後に地元の遺産に対する意識が向上しており,加えて短時間の滞在でも,観光客の増加を歓迎していることが判明した.一方,60代以降になると,世界遺産登録により地元の遺産への意識が変わることなく,これまで通り大切にしていきたいと考える人が多い.また,観光客に対しても,中尊寺など世界遺産だけでなく,平泉町全体を観光していって欲しいと考える人が多いことが明らかとなった.
    そして, サンプル数の多かった「第1次産業と第2次産業」,「小売業・卸売業とサービス業」,「公務業」と「無職」の4つの属性の分析を行った.そうすると,全ての属性で9割の人が期待を持っていることが明らかとなった.一方で,不安面においては,公務業において約9割の人が不安を持っていることが判明した.公務業の人々が期待と同時に不安を持つ理由は,世界遺産登録を推進してきたと同時に,観光客の受け入れや,路上駐車の問題などに対処する必要があるからである.また,「その他」の分析においては,仕事を引退した無職の人々が多く,行政の施策に批判的であり,現在の平泉の状況を危惧していることが判明した.
  • 森脇 広, 杉原 重夫, 松島 義章, 増淵 和夫, 弦巻 賢介, 大平 明夫
    セッションID: 609
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    氷床と海と陸上から得られる気候変化と関わった古環境記録の高精度対比・統合が注目されている(森脇,2011).ここでは,こうした視点を背景として,主に鹿児島湾北岸と東岸において得られたボーリング資・試料,貝化石,14C年代,さらにテフラの同定などの分析資料を加えて,確度と精度をより高めた最終融氷期以降の海面変化・海岸環境変化を求めた.この発表では,次の緒点を中心に述べる.①桜島・薩摩テフラ(Sz-S, 12,800 cal BP)の同定による最終融氷期の海面変化のイベントと海底コアの酸素同位体変化から知られる気候イベントとの対比,さらにこれに基づく海面変化と氷床コアの気候イベントとの対比.②海面変化に伴う鹿児島湾の海岸境変化.  鹿児島湾沿岸は,水深100m以上の海底が現在の海岸に迫り,急深な海底地形からなる.背後の流域は入戸火砕流堆積物を中心とする未固結の堆積物が広く分布し,多量の堆積物供給を可能にしている.このため鹿児島湾沿岸の低地は堆積速度が速く,海岸が最終氷期最大海面低下期の汀線により近い位置にまで進出しているので,陸上のボーリングから最終融氷期初期の海面をとらえることができる. 結果:国分平野で得られた海面変化は,約15,000 cal BP - 約13,000 cal BP(Sz-S降下頃)が急上昇,約13,000 cal BP - 約11,500 cal BPは緩慢な上昇,約11,500 cal BP - 約7,500 cal BP(鬼界アカホヤ火山灰,K-Ah; 7,300 cal BPの降下頃)が急上昇,約7,500年前以降は安定を示す.Sz-S(12,800 cal BP)の時の海面は現海面下約45~50mにある.鹿児島湾東岸でのボーリングコアでは,海面下24mに乾陸上に降下堆積したSz-Sが認められ(森脇ほか, 2011),これと整合する.グリーンランド氷床コアからの気候イベント(NGRIP, GICC05)に対比できる東シナ海の海底コア(MD982195)酸素同位体変化では,亜間氷期GI-1aイベントと亜氷期GS-1イベントの境界付近にSz-Sは見いだされ(Moriwaki et al., 2011),鹿児島湾沿岸での海面の急上昇と緩慢な上昇の境界付近にあるSz-Sの層位と整合する.湾奥の国分平野下で認めれれた基底礫層は,主要河川である天降川の河口が最大海面低下時に現海面下90m付近にあったことを示す.鹿児島湾口の最大水深が約95mであることからみて,最大海面低下時には鹿児島湾は湖であった可能性が高い.海成堆積物とSz-Sの層位関係から見て,鹿児島湾奥に海進が及んだ時期は,GI-1イベントの急激な海面上昇の時期‐meltwater pulse IA(Yokoyama et al., 2007)‐に対応する.
  • 志村 喬
    セッションID: P1323
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    地域分権的なイギリス(イングランド)の地理教育は,1980年頃から環境・社会問題を積極的に扱うようになった。その傾向は1991年に制定された史上初の全国共通カリキュラム『ナショナル・カリキュラム地理(初版)』施行で表面的には途切れたが,91年以降3回にわたる改訂で再び顕在化した。何よりも,教室での授業や教材といった実践レベルでは,一貫して重視されていたといえる。本発表では,そのような底流を示す一例として,現代社会における大きな環境・社会的論争問題である原子力発電所問題・事故が,イギリスの中等地理教材等でどのように描かれているのを報告する。
  • 宮崎 真, 石川 守, ナンザンド ビレグバータル, ナチン バータービレグ, ソドブ ダムディンスレン, ヤムヒン ジャンバルジャブ
    セッションID: 705
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    1.  はじめに
    モンゴルはシベリアから続くタイガ林の南限に位置している。モンゴルの森林面積は国土の約7%を占めており、その約80%はカラマツ林(Larix siberica)である。モンゴルでは森林は地下に永久凍土がある北向き斜面に主に分布し、永久凍土がない南向き斜面には草原が主に分布している。火災、伐採、虫害等の森林に対する撹乱は森林の将来変化において考慮すべき重要な要素である。モンゴルでは、気温の上昇(近年60年間で1.8℃)、降水量の変化(夏季に7.5%の減少、冬季に9%の増加)等の気候変化が顕著である。気候の変化や人為的影響などの変化がモンゴルの生態系、特に森林の分布に影響を与える可能性がある。2009年よりモンゴル北部永久凍土域のカラマツ林において水文気象・生態・年輪年代の長期モニタリングを開始した。本研究の目的は、モンゴル北部の永久凍土上のカラマツ林における熱・水・二酸化炭素の交換過程とその動態を複数のアプローチから総合的に明らかにすることである。本稿では、観測の方法と得られたデータならびに初期解析結果を示す。

    2.  観測方法とデータ 
    観測サイトはモンゴルトゥブ県バツンブル郡ウドレグ村(48°15’43.7’’N, 106°50’56.6”E, 標高1264m)のモンゴル国立大学研究林内のカラマツ林にある。観測器材は高さ25mの鉄塔およびその周辺の樹木や地面に設置した。水文気象観測は、気温・相対湿度(2高度:25m, 2m)、気圧、風向風速、降水量、積雪深、短波・長波・光合成有効放射量(上向き・下向き:2高度:25m, 5m)、地温(0, -0.2, -0.4, -0.8, -1,-2,-3,-4,-6,-8,-10m)、土壌水分量 (0.1,-0.3,-0.5,-0.7,-0.9,-1.3,-1.8.-2.) と顕熱・潜熱・運動量・二酸化炭素フラックス(超音波風速温度計と赤外線水蒸気二酸化炭素分析計のデータから渦相関法で算出)を計測している。生態観測は、樹木の胸高直径の成長量(デンドロメーター)、樹液流量(グラニエ法)を計測し、植生および地表面状態(タワー頂上から北向きに設置した定点カメラの写真から解析)を記録している。年輪年代観測は、各樹木の年齢、各年の成長量、干ばつ・火災履歴を測定している。

    3.  結果
    定点カメラの写真の解析結果から地表面状態とカラマツ林の生物季節が明らかとなった。1月~4月上旬と11月~12月は地表面に積雪があり、5月下旬にカラマツの葉が展葉したのち、葉の成長の最盛期を7月に迎え、10月上旬に落葉していた。気温の年較差は約60℃(6・7月に+25℃~27℃、12月に―30℃)であった。年降水量は約250mmで、5月から9月の降水量が年降水量の約90%を占めていた。深さ10cmの土壌水分量は、4月には約10%以下であったが、降水の季節変化と対応して5月ごろから増加し、8月までの間は約20%で、10月から減少し約10%以下となった。地温は深さ3m以下では一年中―0.2℃程度となっており、永久凍土となっていることが分かった。熱・水・二酸化炭素収支については解析中である。カラマツ林の平均高は18.3m、平均胸高直径は33.2cmであった。
  • 野澤 一博
    セッションID: S1306
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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    現在、地域経済の活性化を目的として、地域の大学にある技術を活かしたイノベーションの取り組みが日本各地で行われている。そのような状況の中で、県等の行政機関が中心となり、地域の大学にある技術シーズを活用した新産業創造の取り組みが行なわれている。
    そこで、知識のフローを分析すると、科学技術型イノベーションはプロジェクト型学習の連鎖であるといえる。この学習の連鎖を知識フローの空間として見ると、大企業を中心としてノンローカルに広がるものと、中堅・中小企業を中心にローカルに展開するものがある。 CNTと有機ELのケースでは技術シーズは当初ノンローカルな大企業との研究開発が進展して技術移転されていたが、後に公的制度によりローカル内に展開されていった。
    科学技術型イノベーションは、プロジェクト型の共同研究により展開されていることが多いが、その共同研究における関係構築は地理的近接性をもとにした自然発生的なものではなく、人為的に結びつけられて関係が構築されたものが多い。関係を構築するには大学や産業支援機関などに所属するコーディネータがイノベーションに重要な働きを果たしていると指摘されている。技術は、地理的近接性のあるローカル機関へ移転しやすいとは限らない。科学技術型イノベーションの技術シーズは流動性が高いので、ローカル内での技術移転に優位性があるわけではない。そこで、知識フローの空間を検証すると、ローカルにおける活動は、多くの要素技術を擦り合わせ的に統合する段階や、ローカルの中小企業を担い手として行われる基盤的技術の開発段階、および製造に取り込む段階で比較的多く見られる傾向がある。一方、ノンローカルの局面としては、技術認知力やリスク負担力の高い大企業との技術開発段階で多く見受けられる傾向にある。以上見てきたように、科学技術型イノベーションにおける知識フローの空間特性は、ローカル対ノンローカル(グローバル)という二項対立的なものではなく、ローカルとノンローカルな空間が多層的に構築されている。技術開発がローカルで行われるかどうかは、ローカルに技術内容やレベルが合う企業などの資源が存在するかどうかである。同時に、ローカルの企業などが新事業・新技術開発に着手するには、事業上の不確実性を軽減させることが必要である。そこで、科学技術型イノベーションにおける知識フローの空間は企業等の学習主体の存在や体力および行政のマネジメントが決定すると言える。
  • 磯野 巧
    セッションID: 303
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では伊豆大島ジオパークを事例として,ジオパーク活動を主体的に運営するガイドの役割に着目し,ガイドの活動形態,地域住民及び観光客のジオパーク活動に対する受容・評価・認識度合を分析することから,ジオパークの内部構造を明らかにすることを目的とする.研究方法として,ガイドに関する活動組織及び各会員の活動形態及びその特徴を,聞き取り調査の内容より示す.次に,地域住民及び観光客のジオパーク活動に対する受容・認識・評価度合を,聞き取り調査及びアンケート調査の結果より分析する.
    伊豆大島ジオパークにおいて,ガイドに関する活動組織の1つであるONC(大島ネイチャーガイドクラブ)が中心的な役割を担っている.ONC内には活動状況に応じた階層性が存在し,組織内連携によってジオパーク活動が展開されている.伊豆大島がジオパークに認定されて以降,ガイドは案内人としての役割だけでなく,地域振興の担い手やコミュニケーターといった多彩な役割を担うようになった.観光空間と遊離した生活空間に留まっていた地域住民は,生活圏外や観光空間に位置する地域資源,また伊豆大島全体の理解に努めるようになり.これまで限られた観光空間で行動していた観光客は,生活空間を含めた伊豆大島全体に関心を持つようになった.ガイドによるジオパーク活動によって生活空間と観光空間の垣根が大きく低下し,伊豆大島では「ジオパーク」を主軸に多様な要素が有機的に結び付いた新たな構造がみられるようになった.
  • 河合 貴之
    セッションID: 603
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    福島-栃木県境から北流する阿賀川は,その流域において段丘の発達が良い.特に下郷町南東部を西流する支流の加藤谷川沿いにおいては,最終氷期以前の地形面も残存する.本地域における従来の研究は,最終氷期以降の地形発達史を議論の中心にしており,高位の段丘群についての議論は断片的であった.今回,テフラや他の堆積物の層序に基づいて高位の段丘群を高位から,H1面,H2面,H3面に区分した.そして,そのうち最低位のものが海洋酸素同位体ステージ(以下MIS)10に離水したとする調査結果を得たので報告する.
    H1面は,鶴ヶ池北方に分布し,層厚約3m,最大粒径20cmで所属不明の亜円礫層を削り込む鶴ヶ池岩屑なだれ堆積物が認められる.
    やや南方に分布するH2・3面は,鶴ヶ池岩屑なだれ堆積物の侵食段丘群である.両者は,安山岩の亜円礫層によって構成され,付近の流れ山は分離丘陵となっている.
    鶴ヶ池付近におけるH2面の堆積物は,岩屑なだれ堆積物を削る層厚約1m,最大粒径40cmの亜円礫層である.段丘被覆層には,大町APmテフラ群(APms)のうちの3枚と,その下位の鶴ヶ池黄色軽石(TyP)が挟在される.
    H3面の堆積物については,下位にある所属不明のシルト層を削り込む,層厚2m,最大粒径10cmで淘汰のよい亜円礫層が認められた.段丘被覆層からは,TyPは確認されなかったが,今回,APmsのうちの2枚を検出し,下位のものは,A2Pmに対比される可能性をもつ.
    H3面の被覆層から検出されたA2Pm は,群馬県西部の吾妻川上流域でみられる中之条湖成層中で日影7テフラの下位にあり,日影7はMIS10.3に降下したBT72テフラ(349ka)に対比されている.また,本面は,最終氷期の堆積段丘であるM面やL1面に比べて段丘面勾配が緩やかである.したがって,本面は,MIS11からMIS10へ移行する中での亜間氷期に形成されたと推定される. また,H1・2面は,APmsのうちの3枚に被われており,MIS11以前に形成されたことが推定される.
  • バッツンバー郡を事例として
    小野 智郁, 石川 守, D. BATTOGTOKH
    セッションID: 514
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     モンゴル北部の大都市近郊では、社会主義時代には多くの大規模な酪農場が存在し、牛乳や乳製品を都市住民に供給していた。1990 年代初頭の民主化に伴い酪農場が解体された結果、個々の牧民による小規模な酪農家(定住牧畜民)が散在することになった。なお、ここで定住牧畜民とは、戸建あるいはゲルに定住し耕作をしながら共有放牧地で家畜を飼養する牧畜民を示す。ウランバートル北部のある谷では、特定の定住牧民と移動牧民が一年を通して、一つの谷を共有の放牧地としている。移動することで草原の生産性を維持してきた移動牧畜と、定住しそれを耕作地へと変え、さらには周辺の放牧地を利用し続ける定住牧畜、相反する活動がどのように共存あるいは対立しているのだろうか。本研究では、両牧民の相互交流に着目し土地利用の実態と牧民が抱える問題を明らかにする。
    2. 調査地域と調査方法 
     調査地域はモンゴル国トゥブ県北部バッツンバー郡で、ウランバートル市の中心から北北西に約50km離れた場所に位置し,森林草原に属している。主な産業として酪農と農耕が営まれており、乳牛を飼って生計を立てている牧民が多い地域である。また、植生が豊富なことから他県に住む移動牧民の越冬地としても利用されている。 バッツンバー郡の中心地から北西3-4kmの谷にて、2011年8月に現地調査を実施した。現地調査は、谷で生活する移動牧民と定住牧民から土地利用の現状、問題点について聞き取り調査を行った。
    3. 結果と考察
     調査を行った谷の大部分を耕作地、耕作放棄地や採草地が占めており、これらの土地を除く限られた場所で放牧している。バッツンバー郡では近年の乾燥化による草原生産性の低下や過放牧による草原劣化などにより、豊富な資源を求めた移住民や越冬地利用者の数が増加し、一世帯あたりの放牧エリアが減少している。移動牧民は季節移動回数を制限しているが、これは一時的な処置に過ぎず、このまま谷の利用者数が増加し過剰な利用に晒され続けるとさらなる草原劣化ひいては砂漠化へと繋がりかねない。移動牧民は現在の土地利用に不安を感じ何らかの対策が必要であると考える一方、定住牧民は特に問題を感じていなかった。今後この谷の資源が枯渇した場合、移動牧民は移動という方法で回避できるが、定住牧民にはどのような手段があるだろうか。本発表では、定住牧民の将来について議論したい。
  • - 平成23年台風12号による紀伊半島での土砂災害を事例に -
    齋藤 仁, 松山 洋
    セッションID: S1104
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    我が国では降雨に起因する斜面崩壊が毎年発生し,斜面崩壊の発生と降雨量との関係を解析する研究が多く行われてきた.Saito et al. (2010, SOLA) では,斜面崩壊が発生した降雨イベントの平均雨量強度,降雨継続時間,土壌雨量指数(SWI,岡田ほか 2001,天気)を解析し,斜面崩壊を発生させる降雨イベントが短時間集中(SH)型と長時間継続(LL)型とに定量的に分類出来ることを示した.
    そこで齋藤ほか(2011, GIS-理論と応用)ではSH型とLL型の降雨イベントの特徴に基づき,日本列島において斜面崩壊を発生させる降雨イベントのリアルタイムモニタリングシステム(プロトタイプ,SWING system)を構築した.
     本研究では本システムを運用し,平成23年台風12号による紀伊半島での土砂災害のモニタリング結果を検証した.


  • -国道114号線沿いでの測定事例-
    西城 潔, 星 孝平, 伊藤 晶文, 関根 良平
    セッションID: 104
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能汚染で、福島市の渡利地区では比較的放射線量の高い状態が続いている。渡利地区をほぼ南北に縦貫する国道114号線沿いに設けた9カ所の調査地点で、2011年6月から約2カ月間隔で、地上5cmおよび100cmの高さの放射線量率を測定した。地表被覆はいずれの地点でもアスファルトである。その結果、次のような特徴が確認できた。(1)多くの地点で5cm高の放射線量率が100cmのそれより高い。(2)トンネル内の放射線量率は、トンネル外の10分の1程度である。(3)山地斜面では、段丘面(市街地)に比べて1.5~1.7倍程度高い放射線量率を示す。以上の特徴から、少なくとも夏までには大部分の放射性物質が地表面に落下していたこと、トンネル内では事故直後に放射性物質の降下がみられなかっただけでなく、事故後に外部から放射性物質が流入することもなかったことがわかる。山地斜面と段丘面(市街地)での放射線量率の違いには、事故直後の風向・降水・地形などが関与していた可能性が考えられる。
  • 仲村 祐哉, 須貝 俊彦, 石原 武志, アントニオ フェルナンド フレイレ, 松本 良
    セッションID: 606
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    日本列島各地の地史を編む上で,火山の爆発的噴火によって瞬時かつ広域に拡散・分布するテフラは,重要な時間示標層となっている.本研究では,中国地方や中部地方の火山起源のテフラが堆積しているであろう上越沖を対象地とし,日本海における知見の少ない酸素同位体ステージ(MIS)4・5のテフラ層序を明らかにする.本研究では,新潟県上越沖で採取された9本のコアから見出した96枚のテフラについて,実体顕微鏡観察による重鉱物組成の記載,SEM-EDSによる火山ガラスの主成分化学分析を行い,同定を試みた.同定できなかったテフラに関しては,地すべりなどの擾乱が見つかっていないコアを用いて,噴出年代の推定されているテフラとの層位関係から,噴出年代を算出した.テフラの同定を行った結果,コアに介在する96枚のテフラから,9種類のテフラを同定することができた.噴出年代が新しいものから,As-K,AT,DKP,On-Ng,Aso-4,On-Kt,K-Tz,SK,Toyaである.一方で,同定できていないテフラが22種類存在する.これらの同定されたテフラは,MIS4・5における海陸の相互影響を明らかにするうえで,非常に重要なテフラである.
  • タイ東北部の山地村落を事例として
    西野 貴裕
    セッションID: P1314
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
    それまで伝統的で自給的な生活を送ってきた農民が、グローバルな市場経済に取り込まれていく中で、良くも悪くもその農業形態や生業構造、または生活スタイルそのものを変容させていくという現象は、歴史的に見ても、そして現在でも多くの途上国の農村で見られるものである。しかしながら、農村が市場経済に取り込まれていく過程は多様であり、変容のあり方もまた多様である。そこで必要となるのが、村落レベルあるいは世帯レベルで変容の過程をとらえるミクロな視点での研究である。従来の東南アジア大陸部における生業の変容に関する研究は、森林伐採の規制と商品作物の導入による焼畑の常畑への移行を軸に論じられる場合が多い。このことから、国家や国際的な状況などの大きな枠組みと地域社会の生活や文化、つまり、その地域に住む人々の生業や生態、自然利用との関係を扱う政治生態学的な研究の必要性が増していると考えられる。 そこで、本稿では、生業や土地利用の変化の大きな要因である換金作物、特にトウモロコシ栽培の導入に着目し、国際・国内市場におけるトウモロコシの需給関係とそれに関わる政策の動向などを含めた栽培導入の背景を論じる。そして、調査村における世帯ごと聞き取り調査から得たデータを用い、村人の生業活動、または2011年の作付けの状況について説明することを目的とする。 調査村の村人は村周辺の山地斜面(標高660~980m)を利用した畑において、自給用の陸稲、商品用のトウモロコシ、ショウガ、ラッカセイ、ゴムなどを作付けしている。以前は焼畑農耕を営んでいたが、大規模なトウモロコシ栽培の導入後、常畑化した。トウモロコシ栽培の導入年の平均は2006年である。作目ごとの作付面積の割合は、トウモロコシが全耕地面積の69%、陸稲が18%、パラゴムノキが10%、その他が3%である。農業以外の生業としては、村長やその補佐役の公務職(3人)、学校の教員(1人)、軍隊(1人)、商店経営(2世帯)、町の自動車整備会社(8人)、大工(1人)などがある。バンコクへの出稼ぎは6人である。主業の農業に加え、出稼ぎを含めた農業以外の生業にも従事する世帯は、全世帯の30.1%である。 以上のことから、調査村の人々はコメの自給は達成しつつ、換金用のトウモロコシ栽培による収入にその大部分を依存していることがわかる。
  • 杉野 弘明
    セッションID: 327
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     本発表の目的は,1990年代以降いくつかの契機を経てドラスティックに結合関係を強めた日本と中国の関係に焦点を当て,日本企業の中国法人設立の動向から都市間の結合過程を分析し,東アジアにおける国際的な都市システムの変容過程の一端を明らかにすることである. 分析においては,東洋経済社発行の『海外進出企業総覧』各年版の「新規進出した現地法人一覧」を統合し,ベースデータとして使用した.これに加え,各社ウェブサイトなどから日本企業の本社所在地などの情報を追加し,日本企業の本社所在地を発地,中国法人本社所在地を着地とするOD行列を作成した.なお,本分析においては,新規に設立された中国法人数を発地着地の結合を強めた度合い,すなわち結合進展度として採用した.
     1993年から2010年にかけて3,726社の中国法人が日本企業によって設立された.日本側企業の本社についてみると,295都市が発地となっている.企業数では,東京が1,769社であり,大阪が460社,京都が113社とそれに次ぐ.一方,中国法人の本社所在地をみると,278都市が着地となっている.企業数では,最多の上海が1,125社であり,香港が426社,蘇州が252社,北京が247社で次ぐ.中国のWTO加盟を区切りとして,1993年から2001年(第I期)と2002年から2010年(第II期)に区分してみると,新規設立数に関して,東京,上海が2時期ともに首位である.両時期のプライマシィ指数をみると,東京は3.26から4.51に,上海は1.55から4.04と上昇している.一方,第I期で2位都市であった大阪,香港では,新規設立法人数は減少しており,東京,上海は第II期で首位性が高まった.
     都市間関係についてみると,1,019の結合がみられる.このうち,もっとも強まった結合は東京-上海で結合進展度は564である.一方で,結合進展度2が142,結合進展度1が702あり,多様性がみられた.これらは,主として東京・大阪-中国の非上位都市,日本の非上位都市-中国の上位都市の結合である.時間的変化を明らかにするために,第I期と第II期を比較すると,東京-上海では結合進展度が192から372に増大した.一方,香港と日本の各都市との結合の進展については,新規設立数が減少していることから鈍化しているといえる.
  • 国土交通省国土政策局による初等中等教育におけるGISの活用
    内田 均, 今井 修, 轟木 重利, 井上 貴智
    セッションID: 201
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
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     平成21年度より、群馬県高等学校教育研究会地理部会では、有志による部会内の研究会(GISワーキンググループ)を結成して、群馬県総合教育センター教育情報推進係と連携を図りつつ、国土交通省国土政策局の初等中等教育におけるGIS活用プログラムに取り組んできた。具体的には、高等学校「地理A・B」におけるGIS活用場面について、GISワーキンググループメンバー内で、東京大学今井の助言を受けつつ研究・協議し、その成果として2年間にわたりGIS研究授業を実施してきた。
     平成22年度は、比較的データが集めやすいテーマと地域を取り上げた。3回にわたり、研究授業に向けての協議やGISに関する研修を実施した後に、利根商業高校轟木が、地理Aの「地域調査」の単元において、MANDARAおよびグーグルアースを利用して、生徒に地域性を読み取らせるGIS研究授業を行った。
     平成23年度は、はじめに高崎高校の内田・井上が、新学習指導要領で重要視されている「言語活動の充実」を反映させたGISを活用した授業構想を作成した。その後、この授業構想をもとにした模擬授業を群馬県総合教育センターにおいて地理部会員対象に実施し、授業内容や方法等に関する協議を重ねた後に、地理Bの「地図情報の地図化」の単元において、「南北問題」をテーマとした主題図の作成とその読み取りおよび考察を生徒に行わせるGIS研究授業を高崎高校井上が行った。
     このような生徒の主体的かつ試行錯誤的な学習活動を組み込んだ授業を通じ、GISはこれまで以上に生徒が授業に参加し、考える態度を身につけさせることが可能となるツールであることを明らかにできた。
     一方、今後のGIS活用授業の普及・展開を考える上では、教材の準備、授業内容の検討といった点において、ワーキンググループ内で組織したメーリングリストの活用が効果的であったことを指摘しておきたい。GISのような新しい技術の導入に際して、GISに関する研修会に加え、地理部会GISワーキンググループのような研究組織によるサポート、メーリングリストのような情報共有等を有機的に連携させることが、非常に重要であることが認識された。
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