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長谷川 直子
セッションID: 701
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1. はじめに 姉川は特別豪雪地帯の余呉町を流域とするため、冬季の積雪涵養量が多い河川である。冬季の姉川流域の融雪洪水起源の密度流は、琵琶湖の深層に酸素を供給する可能性が従来から指摘されてきた(伏見2001、新井2000)。しかし、1,2月には河川水温が湖水温よりも低いものの、密度流の観測事例はほとんどない。 そこで本研究では姉川河口と琵琶湖姉川流入域に冬季を通して自記式の測器を設置し、河川起源の流入水が冬季の琵琶湖内でどのように挙動し、また深層密度流となっているのか否かを明らかにすることとする。
2. 方法 本研究では1冬通した姉川起源密度流の発生状況を捉えるため、姉川河口付近琵琶湖45~55m深で係留系と自記式の測器(水温、流速など)を用いた連続観測を行った。地点は図1に示す。また河川のデータ(流量、水温など)も使用した。
3. 結果・考察 河口正面(A3)地点における、水温鉛直プロファイルの時系列変動を図2に示す。ここで、湖底付近に低温の水が、数日間にわたって見られていることがわかる。また、2008年2月15日の12時、係留地点においてCTDプロファイラーを用いた表層から深層までの鉛直プロファイル計測を行った。そのうち電気伝導度、及び水温と溶存酸素濃度の結果をそれぞれ図3に示す。ここからわかるように、深層約5mの厚さで、水温が低く溶存酸素濃度が高い層が見られる。またこの層では電気伝導度がどの層よりも低くなっていた。つまりこの湖底上5mに亘る水は、表層の冷たい水や沿岸で冷やされた湖水が沈み込んだものではなく、別起源の水であることが示唆される。姉川は流域に石灰岩地域を含むが降水・融雪時には河川水の電気伝導度が下がり、値は変動する。CTD観測を行った2月15日前後の姉川河口近傍(野寺橋)における電気伝導度(日平均値)の変動結果によると、湖水の電気伝導度が83.5mS/mであるのに対して、2月12日後半から2月18日にかけては湖水より低い値で変動していることがわかる。 以上のことから、ここで見られた深層水は姉川起源の密度流である可能性が高いと考えられる。
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鳥取県大山山麓エリアにおける事例
川久保 篤志, 中川 秀一
セッションID: 410
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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今日の日本社会では、人口増加や経済規模の急速な拡大が当分の間は見込まれず、「成長」を目標とするこれまでの戦略よりも、「持続性」や「恒常性」を求めることがより重要性を増すと言われてきている。このような現状は、1990年代以降に地域間格差が一層拡大する中で、地域存続に向けた地域資源活用の取り組みが全国各地で活発化してきたことにつながっている。また、地域振興策に対する近年の関心の広がりは、地域資源の持続的活用法と結びついた地域存続のあり方に結びついているといえ、地域の生活に根ざした持続的な取り組みのあり方や方策についての理解が求められている。本報告ではそれを「
地域存続力」と呼び、今後の国土の周辺的な地域の存続のあり方を考える際の手がかりとしたい。では、山村地域において地域が存続する姿とはどのようなものなのか。それは、絶対的な人口規模や経済規模が維持されている状態というよりは、年齢構成のバランスが取れていて自立的な産業が存在していることではないだろうか。つまり、人口は第2次大戦後のピーク時より大きく減少していても、現状の地域の生活を支えるだけの産業があり、将来の人口を再生産する若年・壮年層が存在していれば、「成長」を目指さなくてもよいのである。このように考えた場合、一般の山村では持続的な活用ができる地域資源として、農林業と自然条件を活かした観光業が挙げられ、それが有機的に結合し相乗効果を上げることが期待される。そこで本発表では、大規模農地開発が行われて一定の専業(主業)農家層が存在し、山岳エリアを中心とした観光業が発展している鳥取県西部の大山山麓地区(大山町)を事例に、「地域存続力」がどのように形成・発展しつつあるかについて、地域資源の発掘・開発および域内連携の観点から検討する。
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全羅北道任實郡チーズ村の事例
金 美賢
セッションID: 513
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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韓国農村では,伝統社会において長い歴史を持ち,一つの精神と共同原理によって成立する社会的統一体,すなわち香徒(ヒャンド),結い(ドゥレ),契(ケ)と表現される共同慣行が行われてきた.「香徒(ヒャンド)」は相互扶助として,「結い(ドゥレ)」は集落の共同作業として,「契(ケ)」は農村の財政基盤や物的協同を支える利益集団として規定された.それらは農業生産活動と日常の営みのなかでの協同を目的として自発的に参加しようとする意識を共有し,参加する人と人を繋げるだけではなく,社会関係資本に関する多様な関わりを生成していくことで生活空間を構築してきた.こうした共同慣行は人々がその時その場の必要に応じて以前の仕方を改変したり,解体,再編してきた.こうした社会組織の特徴を表す概念として,ソーシャル・キャピタル(以下:社会関係資本)の役割に筆者は注目した.そこで,本研究は,韓国全羅北道任實郡金城里に立地する「チーズ村」を取り上げ,韓国の農村におけるユニークな社会関係資本であった共同慣行を考察する.そして,どのように再編することにより,地域活性化に至ったのか,という点に定量⋅定性的な調査を行い,社会関係資本が継続的な地域活性化の戦略となることを明らかにする.全羅北道任實郡の東南部に位置し,チュングム・クムダン・ファソンなど3つの自然部落が1つになって2006年「チーズ村」と改称した.集落の69.9%が山林で占められているため,畜産および稲作を主な産業とする典型的な山間地域の性格を持っている.「チーズ村」は人口183,74世帯(2012年現在)の小規模の集落であったが,近年,チーズやヨーグルトの乳製品製造,そしてピザ作りなどの体験事業をメインとする都市農村交流事業を通して年間6万人以上の観光客を呼び込んだ.そのことにより,若者の定住を誘導して過疎化を食い止めている.都市農村交流事業の運営は,ほとんどの住民が参加している「チーズ村運営委員会」によって民主的に行われている.そして収益を村の基金として積み立て,村の福祉を実現していく仕組みづくりを通して補助金に依存した村経済の脱却を目指した.今日の「チーズ村」の姿は,1968年ベルギーから来た神父と信用協同組合を立ち上げた牧師の思想的⋅実践的啓蒙のもとで住民が村づくりを志した精神的な側面も大きいが,自らの問題を自律的に解決しようとする伝統的な共同慣行が起因したと考えられる.
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町田 尚久
セッションID: P1118
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに 人為介入を受けた多くの河川では,1960年頃から河床低下が問題になってきた.その要因は,砂利採取やダムなどがあげられる.埼玉県を流れる荒川も同様に河床低下が見られる.しかし中流部の熊谷市付近では,町田ほか(2009)によると,少なくとも1974年から2002年の間に河床上昇が確認され,これには扇状地という地形の影響も考えられている.そこで,町田ほか(2009)をもとに熊谷大橋付近(河口から79km付近)の砂州を対象として堆積状況から発達過程を明らかにし,河床上昇の要因を解明することを試みた.なお対象は,熊谷扇状地の扇央部に位置する熊谷大橋付近の砂州である.現地調査は,2010年に実施したデータを利用する.
2.河床変動と河道幅 河床縦断図は,荒川上流河川事務所所有の資料から作成した.その結果,1954年までは縦断形の起伏が少なく安定していると考えられるが,1964年に急激に起伏があらわれ,河床低下が進んだことがわかる.また明戸サイフォン直下(河口から80~83km付近)では,1964~2002年まで河床低下が続いたが,熊谷大橋から新久下橋付近(71~80km付近)では,1974~2002年に河床上昇が発生している.河道幅は,明戸サイフォン(82km付近)から下流に向けて広がるが,熊谷市久下(新久下橋付近)で急速に狭くなる.久下から和田吉野川合流点付近までは,1629年に開削された人工河道区間なので河道幅が減少していると考えられる.
3.砂州の発達 1960年,74年,80年,86年,90年,98年,2002年の空中写真から1986年以降に熊谷大橋付近で砂州の発達が見られるようになり,拡大と縮小を繰り返しながら左岸に固定化した.
4.砂州の堆積物 調査場所は,熊谷大橋真下(河口から79km付近)のloc.2[a,b] (同一路頭面から2箇所)と,その上流側のloc.1で,その間は約50mである.
loc.2bの砂州を作る堆積物を層相から7つの層準(第Ⅰ~第Ⅶ層)に分けた.それを基準に対比すると,loc.1では第Ⅳ層~第Ⅶ層,loc.2aでは第Ⅱ層~第Ⅶ層が,それぞれ認められた.層相からloc.1とloc.2[a,b]の双方に,15cm内外の大礫を含む第Ⅳ層が認められ,その堆積物の中および,その堆積構造に対応するように人工物が取り込まれている.その人工物は,コンクリート片・ゴム片である.一方でloc.1付近からは,コンクリートブロックの転石がみられた.その他の層相は,ほぼ水平に堆積した礫と砂の互層となっている.また,loc.2aの第Ⅲ層の最下部の砂層から株式会社サクラクレパス製「ペンタッチサクラカラーインキ細字用(以降:ペン)」(製造1970~73年)を発見した.
5.堆積過程と堆積環境 第Ⅲ層は,発見されたペンから少なくとも1970年以降の堆積と認められ,第Ⅰ層・第Ⅱ層はそれより以前に,第Ⅲ層より上部は1970年以降に堆積したと推定でき,空中写真から土砂の移動が活発であったと判断できる.また土砂を運搬する洪水は,日本河川協会(2007)に掲載されている2000m
3/s以上の流量(1972,73,89,99,2001年)を対象にした.それにより第Ⅳ層は,1982・83年に発生した3回の洪水と対応した堆積と判断できる.第Ⅴ層より上部は,1973~97年(10回)と渇水が発生していることから,対象区間全体で堆積が進んだと推察でき,砂州の発達状況から拡大に伴う堆積と解釈できる.第Ⅵ層は,1983年以降,3回の洪水(1983,99,2001年)と大礫を含む2つの層(厚さ10~20cm)が対応している.また表層に近い第Ⅶ層は,植生の成長状況から,少なくとも1983年から現在までの洪水によって堆積したと考えられる.
今回の調査から熊谷扇状地の堆積区間では,人為介入として掃流力や掃流土砂へ直接的に影響を与える砂利採取や瀬替えによる流路の開削だけでなく,河床低下を通してもたらされた間接的に影響を与える明戸サイフォン直下の洗掘も熊谷大橋~新久下橋付近(71~80km付近)に堆積をもたらした.
多様な人為介入を受けた河川地形の形成は,Gilbert(1877)の動的平衡(Dynamic equilibrium)のシステム論的解釈が妥当であると考えられ,人為介入が「Input」として河川作用に影響与え,その応答として「Output」として新たな地形形成をもたらすと解釈できる.人為介入を受けた河川では,掃流力,掃流土砂が影響を受け,河床高や堆積・侵食区間や地形形成の規模に変化を与えた結果,新たな地形形成することが明らかとなった.
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ホック ルクサナ, 松本 淳, 高橋 日出男
セッションID: P1222
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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本研究は半旬気候値を用いてバングラデシュにおける大雨と大気循環の関係を明らかにした。
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佐藤 将
セッションID: 401
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
少子化の進行により平成17年にはじめて自然減による人口減少がおき、日本の人口減少社会に突入した。出生率低下の原因は様々あるが、従来の政策では1人の子を持つ世帯に対しての対策には良いかもしれない。しかし2人以上の子を持つ世帯に対しては十分とはいえない。少子化対策としてすでに子供を持つ世帯に向けた多産奨励政策の可能性と政策対象地域の絞り込みが必要であるといえるが、そのための現状把握が必要である。そこで本研究ではこれらを踏まえて首都圏における子供の多い世帯の分布の研究として第一に平成22年の1世帯あたりの子供の人数を市区町村ごとに分析し、子供の人数の地域的差異を検証する。第二に昭和55年から平成22年にかけての1世帯あたりの子供の人数のコーホート分析を5年ごとで行い、地域的差異の変化を明らかにする。
2.研究方法
本研究では研究対象の首都圏を伊豆・小笠原諸島を除く東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県と定義し、分析で扱う世帯・子供のデータは国勢調査を使用した。世帯の対象は子供を持つ世帯の大部分を核家族世帯が占めること、兄弟年齢差や今後も子供を産める環境にあることを考え核家族世帯の中の6歳未満の子供をもつ夫婦と子供から成る世帯(以下、夫婦世帯)とする。また子供の対象はさきほど設定した夫婦世帯のもつ子供とし、6歳以上の子供も対象とする。
3.結果と今後の課題
平成22年における1世帯あたりの子供の人数は都心部から離れた山間部の地域、平野部では鉄道路線のない地域、都心に直通する鉄道路線のない地域で多いことが明らかになった(図1)。これは立地上の関係で土地が安いからと推測される。またコーホート分析より子供の人数推移と規模の特徴から山間部、都心部、郊外部の3つのカテゴリーに分けることができた。山間部での人数は高い状態を維持しており、都心部での人数は年々下降傾向にあった。郊外部での人数は山間部と都心部の中間を維持しており、平成2年までは上昇傾向にあった。しかし平成7年以降は都心部と同様に下降傾向にあったが、一部の地域において人数の上昇が見られるところも確認できた。これらの分析結果に関して昨今の高層マンション人気に象徴されるようなニューファミリー層の居住地選択嗜好の影響を受けている可能性がある。これを踏まえた上で、実際のメカニズムがどのようになっているのか解明していく必要があるといえる。
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髙根 雄也, 日下 博幸
セッションID: 728
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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これまで十分に調査されてこなかった過去22年間に日本の首都圏の内陸域で観測された極端な高温現象発生時の環境場の気候学的特徴を,観測データを用いて統計的に調査した.その結果,首都圏の内陸域で極端な高温現象が発生するためには,同地域の日最低気温が21.4℃以上で850 hPa等圧面高度の気温が18.8℃以上となる必要があることが分かった.これらの必要条件を満たす極端な高温現象事例を,気圧配置型・首都圏の内陸域の日中の地上風の型・前日までの連続晴天日数の値の組み合わせで分類した.その結果,計27種類のパターンの中で最頻出のパターンは「鯨の尾型・南東寄りの地上風の型・4日以上の連続晴天」を兼ね備えたパターンであることが分かった.また事例数こそ少ないが「鯨の尾型・北西寄りの地上風の型・4日以上の連続晴天」パターンは,首都圏の内陸域が最も高温になりやすいパターンであることが分かった.
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藤岡 悠一郎, 飯田 義彦, 手代木 功基, 京都大学 自然地理研究会
セッションID: P1207
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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トチノキの果実(トチノミ)は、縄文時代から日本各地で主食や救荒食として用いられ、近年では餅米と混ぜて餅に加工したトチモチなどの産品が地域の特産品として利用されている。トチノミの利用は、1950年代頃からの社会変化のなかで全国的に衰退する傾向がみられるが、朝市での販売など、地域振興のなかで見直されている。その一方で、トチノキ材の価値が高まり、伐採圧が強まるという現象が生じている。滋賀県高島市朽木地域では、2009年頃から伐採問題が顕在化し、伐採業者と住民、環境NPOとの対立が強まっている。本発表では、同地域において、トチモチが特産品化され、果実の需要が高まりつつも、樹木の伐採が進行している“ねじれ現象”に着目し、朝市の展開と住民のトチノミ利用の実態を明らかにすることを通じ、この現象が生じた原因や社会背景を検討することを目的とする。現地調査の結果、以下の点が明らかになった。(1)かつてこの地域では、トチノミはトチモチの原料であり、貴重な食料源であった。住民はトチノミが熟す秋口に、集落から数km離れた谷に入り、トチノキの下で実を採集した。採集されたトチノミは乾燥させて保存し、トチモチを作る際に必要分を灰汁抜きして用いられた。しかし、このようなトチモチ利用は産業構造の変化や生活様式の変容に伴い衰退し、1960年代頃にはトチモチは滅多につくられなくなった。(2)朝市の展開とトチモチ利用の変化:1980年代に、トチモチを復興させることを目的とした栃餅保存会が雲洞谷集落で結成された。参加世帯は、一度途絶えた灰汁抜き技術を復活させ、売り物でなかったトチモチの販路や原料の安定調達を試行錯誤ののちに成功させた。その後、観光協会が中心となって企画した朝市が朽木の中心部で毎週一回開催されるようになり、トチモチや朽木の産品が販売されるようになった。(3)栃餅保存会の結成当初、参加世帯はトチノミを各自で採集していた。しかし、過疎化の進行や獣害の深刻化にともない、自力で実を調達することが困難となり、他地域から実を購入することによって利用を継続している。しかし、かつては各世帯で実の採集から利用までが連続的に行われていたが、現在ではトチノキの利用と実の利用が直接的に結びつかなくなり、トチモチの特産品化がトチノキの保全につながらないという構図になっていた。
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山田 彩未
セッションID: 802
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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水道事業は,水道法により基本的に市町村が運営するとされているが,水源・財源の確保,技術力の維持等の問題から,市町村域をこえて広域的な事業運営が行われることが多い.東京都多摩地区では当初,各市町村によって水道事業が運営されていたが,現在は多摩地区全29市町のうち,武蔵野市,昭島市,羽村市,檜原村を除く25市町で東京都水道局による水道事業運営が行われている.本研究では,東京都多摩地区の水道事業が東京都水道局へ統合されている過程を追うことで,広域化の効果,課題を考察する.
東京都多摩地区では,1960年頃から人口の急増に対応した水源の枯渇,施設整備のための財源の不足が問題となる.これに対応し,東京都水道局から多摩地区市町村への分水が行われ,水源の枯渇は解消されるが,東京都区部と比較して,多摩地区市町村の一般市民向けの水道料金が高額であったことから,都民間での格差が指摘され,多摩地区市町村の水道事業の大部分は,東京都水道局へ統合されることとなる.しかし,統合議論の過程で,職員の身分や市町村の自治権の問題から,多摩地区市町村水道の職員組合が反発し,東京都水道局が多摩地区市町村へ水道事業運営の大半を委託する事務委託方式での統合が採用されることとなった.1973年以降順次統合を進め,現在までに25市町が統合された.事務委託方式の下では,東京都水道局の役割は多摩地区市町で不足する用水の供給に関わる業務と,多摩地区水道事業の財源の保証のみであり,水道事業の広域化は部分的であった.その後,事務委託の非効率性が問題となり,2004年以降,東京都水道局に統合した多摩地区市町の水道事業運営を,東京都水道局へ完全に移行する事務委託の解消が行われ,2011年度末に完了予定である.
多摩地区では,水道事業が段階的に東京都水道局へと広域化された.多摩地区市町村の都営水道局への統合が行われた当時,多摩地区水道事業の問題点は水源・財源の不足であり,この統合はこうした問題を解決するものであった.一方,事務委託の解消が提起された1990年代半ばには,人口の減少の予測,節水機器の普及から,水需要の減少,そして水道事業の減収が見込まれ,事業運営を効率化する完全統合が行われたと考えられる.多摩地区市町に水道事業に関わる部署がなくなる今後,都と多摩地区市町の水道事業に関する新たな関係の構築が課題となっている.
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東京都杉並区済美公園の事例
太田 慧
セッションID: 310
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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本研究は,東京都杉並区の済美公園における親水施設設置のプロセスとその後の評価を明らかにしたものである.都市化の進展によって,河川と人々のつながりが希薄になった高度成長期以降,全国に多くの親水公園が設置された.さらに,河川法の改正や多自然川型づくりの通達など,河川整備をめぐる法的・制度的変化が生じている.このような法的・制度的変化の背景から,河川整備の場面においてワークショップやその他の手段によって合意形成を図る取り組みが全国で行われている.本研究では東京都杉並区において行われたワークショップによる住民参加のプロセスを検証し,その後の住民意識をアンケート調査によって明らかにする. 善福寺川は,杉並区の善福寺池を水源として杉並区内を南東に流れる一級河川である.2005年9月4日から5日にかけて発生した集中豪雨による水害によって,「妙正寺川・善福寺川河川激甚災害対策特別緊急事業」が採択された. 2005年に制度化された多自然型川づくりアドバイザーが事業主体である東京都第三建設事務所に派遣された結果,善福寺川に隣接する済美公園への親水施設建設計画が浮上した.東京都第三建設事務所は,多自然型川づくりアドバイザーの指示に従って親水施設の設計を検討し,善福寺川に隣接する済美公園の一部を改修し,ワンド状の緩傾斜護岸を建設する方針を打ち出した.さらに,河川の整備において住民からの意見聴取を義務付けた1997年の河川法改正の影響で,魅力的な善福寺川の整備案を住民とともにつくることを目的として,2008年の1月中旬から3月中旬までの期間で全4回のワークショップが企画された. 本研究では,済美公園の利用者属性とワークショップの認知度,完成した親水護岸をはじめとした公園施設の評価を調査するために,アンケート調査を実施した. アンケート調査の結果,親水護岸に期待する機能として上位を占めた回答は,「川沿いを散歩する」,「川の景色を楽しむ」といった機能であった.済美公園の親水護岸は,ワークショップ後の2008年7月28日に発生した都賀川水難事故の影響で水際に柵が設けられているため,水に触れたり川に入ったりすることができない構造になっている.しかし,一部の回答者は「川の中で遊びたい」,「川にふれたい」と回答しており,水辺の柵について管理者である行政と住民との意識統一を図ることが今後必要である.
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土'谷 敏治
セッションID: 109
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
東日本大震災によって,ひたちなか海浜鉄道は全線にわたって震災の被害を受け,全線運行再開までには約4か月半を要した.この間,鉄道代行バスの運行を行ったが,代行バスについては鉄道運行時に比べて利用者が大きく減少し,これまでの鉄道利用者,非利用者ともに大きな影響を受けるという指摘がある.今回はひたちなか海浜鉄道を対象として,代行バス運行時と鉄道運行再開後の利用状況,利用者の対応と実際の移動行動について検討することで,鉄道の不通が利用者に及ぼす影響,復旧後の利用者の回復状況と今後の課題を明らかにすることをめざした.
2.調査方法
代行バス運行時の利用者の対応と移動行動,鉄道復旧後の利用について,利用者に対するアンケート調査と旅客流動調査を実施した.アンケート調査は,ひたちなか海浜鉄道車内で利用者に調査票を配布し,利用者自身に記入を求めた.主な質問項目は,代行バスの評価,代行バスの利用状況,代行バス以外の交通手段,鉄道復旧後の鉄道の利用目的と利用頻度,居住地,性別,年齢などの個人属性である.調査は,日常的な利用者を対象とするため平日とし,2011年11月8日(火)に実施して,520人から回答をえた.なお,旅客流動調査については,アンケート調査と同じ調査日と代行バス運行時の6月22日(水)に,運賃の支払い区分別に,乗車駅,降車駅を特定した利用者数を調査した.また,震災前の状況との比較を行うため,2009年に実施した調査結果と対照した.
3.調査結果の概要
回答者の属性をみると,ひたちなか市内居住者が約85%,年齢構成は10歳代が半数近くを占め,20歳代と50歳代が10%を若干上回るが,10歳代以外は年齢による偏りが僅かであった.職業構成は,約40%が高校生で,会社員が20%あまりでつづく.2009年の調査と比較すると,10歳代の高校生の構成比はほとんど違いがないが,60歳以上の利用者比率がやや低下し,会社員の割合が高まっているようにみえる.このことは利用頻度にも反映され,週4回以上の利用者が60%を超えている.復旧後の利用者の回復が,通学者,通勤者などの利用頻度の高い日常的利用者が中心である反面,高齢者の利用がやや低下していると解釈される.
鉄道不通時の代行バスの利用については,月1回以上の鉄道利用者のうち約60%は,鉄道と同様の頻度で利用したとしているが,16%については利用しなかった回答しており,利用頻度が低かった回答も含めて,従来よりも利用を控えたとする回答が約40%に達した.これらの回答者の対応をみると,その40%以上が家族等に送迎してもらっていたとし,鉄道がない場合自分自身の移動手段をもたない人々と考えられる.他方,自転車やバイクが17%,自分の運転する自動車が11%で,自らの代替交通機関を持ち,場合によっては公共交通機関を使用しなくなる可能性の高いグループといえる.さらに,10%あまりは外出を控えたとしている.代行バスの運行についての評価は,半数以上がとても役に立った,約30%がある程度役に立ったとしており,あまり役に立たなかったという意見は5%にも満たなかったことから,ひたちなか海浜鉄道による代行バスの運行は,高く評価されているといえる.
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―愛知県豊橋市を事例として―
加藤 拓
セッションID: 321
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに 近年,地方都市において中心市街地の空洞化が進み,その問題が随所で認識されるようになった.2000年に出揃ったまちづくり三法は,大型店の郊外化と大規模化を助長する一方で,中心部の小売商業振興を期すという矛盾を抱えていた.矛盾を抱えつつも,2006年の法改正を経ていまだに続けられている中心市街地活性化政策はどのような意義を持つのかという問題意識のもと,多岐に渡る中心市街地活性化の中でも商業活性化に主眼を置く.以上を踏まえ,本研究では地方都市を対象とし,まちづくり三法以降の商業機能の動向と,商業活性化事業に着目した上で,地方都市における中心市街地活性化を実証検証するものである.調査対象地域は,地方都市であり,商業活性化事業を一貫して実施している愛知県豊橋市を選定した.調査は,統計資料及び行政資料を用いた分析と,関係者11名への聞き取り調査を実施した.2.豊橋市の商業の現状 大店法の緩和以降,豊橋市の郊外部及び周辺都市に大型店が数多く立地展開し,そこに居住空間の郊外化等が重なることで,消費の郊外シフトが発生していた.つまり,豊橋市中心部に流入していた消費が郊外部や周辺都市の大型店へシフトしたのである.消費の郊外シフトに直面することとなった豊橋市の中心市街地は,小売業商品販売額や歩行者通行量などが10年間で半減したように,その空洞化傾向は顕著である.3.商業活性化事業をめぐる諸様相 このような中心市街地の地盤沈下を補うことを期待された中心市街地活性化法は,効果を発揮できなかった.豊橋市の場合,その理由は以下の4点に集約される.①TMOが資金面に弱い弱点を克服できず,実行力を欠いたこと.②中心市街地の範囲設定を狭めきれなかったこと.③資金の重点的な投入が行えていなかったこと.④その背景に,指定地域の周辺部に市の政治的実力者を含む商業施設が立地することである.以上を総合すると,国の基本方針と市の政治的実力者との間で板挟みとなった豊橋市は,基本計画の作成において主体性を発揮できなかったと結論づけられる.つまり,中心市街地活性化法の枠組みは,当初から地方自治体が主体性を発揮しにくい構造的な問題点を含んでいたため,当初の目的を実現できなかったと判断できる.
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太鼓山風力発電所と苫前夕陽丘ウィンドファームの実測データを用いて
水戸 俊成, 稲村 友彦, 泉 岳樹, 松山 洋
セッションID: 709
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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日本において,風力発電所の建設は主にNEDO による「風力発電導入ガイドブック」に沿って行われる.その中で有望地域の抽出のためのツールとしてNEDOの局所風況MAP(以下,風況MAP とする)が全国で整備されているが,これに対する実際の運転データによる検証はなされていない.また,内田ほか(2006)では地形起伏の影響による発電量低下が指摘されているものの,平坦地と複雑地形に立地する風力発電所の比較を実際の発電所の運転データによって検証した研究は筆者たちが知る限りない.そこで,本研究では沿岸部の平坦地と山地の複雑な地形上に立地する風力発電所の運転データに基づきこれらの検証を行った.
その結果,風況MAPについて,苫前と太鼓山の実測データから風向別平均風速は概ね信頼できるものの,苫前においては出現頻度が過小評価されている風向があることが 分かった.風速階級別に出現頻度をみると,太鼓山における0~2m/sと6m/s以上の風速では風況MAPよりも高くなる傾向があり,逆に苫前では 0~2m/sと6m/s以上の風速では風況MAPよりも出現頻度が低くなる傾向がみられるということが分かった.このことから,風況MAPには不十分な点 があるといえる.太鼓山風力発電所と苫前夕陽丘ウィンドファームの電力曲線から,太鼓山風力発電所では出力が理論値にい届いていない結果が見られた.
また,苫前夕陽丘ウィンドファームでは理論値を上回る出力が得られることが分かった.理論的に定格出力が得られる風速を観測した際の実際の出力を見ると, 内田ほか(2006)による指摘の通り,平坦地に立地する苫前では理論値並の出力が得られるが,複雑地形上に立地する太鼓山では理論値より約10%尐なく なることが分かった.
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坂下 由衣
セッションID: 413
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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馬は,世界各国において,牛と共に役畜として移動・運搬・軍用などに使役されてきた.このような牛馬の役割が,日本では戦後1970-1980年代にかけて,機械やその他技術の発達によって置き換えられていった.とくに馬は,肉用としての需要が牛のように広く普及しなかったため,より急激に頭数を減少させることとなった.2008年時点,日本において約83,000頭の馬が飼育されているが,そのうち約半数は競馬用として,約1割が食肉用として飼育されている.これらの飼育目的において,従来役畜として使役されていた頃にみられたような,日常的な馬と人の関わりをみる機会は,かなり限定されている. しかし現代日本においても,沖縄県与那国島では,いまだ馬と人が共存している姿が見られる.
与那国島は,日本の最西端に位置する離島である.島の面積は28.95k㎡であり,2011年8月末日現在の人口は1,618人,798世帯である.肉用牛の生産が,島の経済を支える産業となっており,2009年時点で,68戸の牛の生産・飼育世帯で,1,884頭の牛が飼育されている.このため,大小24の牧場(約490ha)が島内に設けられている.一方,馬も,148頭がこれら24の牧場のうち3つの共同放牧場内外で飼育されており,牧場区域内では馬の群れが道路を歩いているのを目にするほか,普段から近所の道端や庭先につながれていたりする.これらの馬は,現代において農耕用,移動用として必要とされないのはもちろん,肉用としては小型すぎて採算が取れないため,市場取引されない.
本研究では,与那国島において人と馬の共存を成り立たせている条件として,与那国の在来馬を対象とする「保存活動」に着目する.本日の発表では,いままで明らかでなかったこの「保存活動」の実態を詳しく報告するとともに,そこから読み取れる結果として,もともとの島出身者に対して島外から来島・移住した人々がもたらした影響について考察する.
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近藤 玲介, 百原 新, 西内 李佳, 紺野 美樹, 佐藤 雅彦, 五十嵐 八枝子, 長井 雅史, 重野 聖之, 守田 益宗, 遠藤 邦彦
セッションID: P1122
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.研究目的
北海道利尻島の南浜湿原は,その価値と脆弱性が再認識されつつある.しかし,南浜湿原の成立要因や,湿原形成以降の植生史には不明な点が多い.そこで本研究では,北海道北部,利尻島に位置する南浜湿原内においてコア試料を採取するとともに植生,地形・地質の野外調査をおこない,湿原成立の地学的背景や周辺の噴火史,植生の変遷,ボーリング掘削地点周辺の植生景観を明らかにすることを目的とする.
2.地域概要
利尻島は,陸上の大部分が利尻火山からなる.南浜湿原は,利尻島南部の海岸付近の凹地内に位置する.その形態から,凹地は火山活動による火口であると考えられるが,詳細は不明である.また,利尻火山南部には多くの側火山が存在するがその詳細な噴火史はほとんど明らかになっていない.
3.研究方法
1)ボーリング掘削:機械式掘削による総長18 mのオールコアの採取と,総長約4 mのハンドボーリング採取をおこなった.採取されたコア試料の岩相記載をおこなうとともに,
14C年代測定,花粉分析,大型植物分析などをおこなった.
2)露頭調査:南浜湿原周辺の露頭において堆積物を記載するとともに,OSL年代測定をおこなった.
3)現植生調査:湿原内や周辺の現植生調査をおこなった.あわせて,ベルトトランセクトを設定し,樹種とその胸高直径を記載した.
4.結果とまとめ
1) 南浜湿原の形成史など:コア試料の岩相の記載の結果,深度0~約4mが泥炭層,深度約4~7 mがシルト層,深度約7~18 mがスコリア質の砂礫層であった.泥炭層の基底部は約3500年前以降,シルト層は約3800~3500年前以降に堆積したことが明らかとなった.砂礫層は近傍で生じた噴火に伴う噴出物が,噴火直後に再移動したものであると考えられる.したがって,約4000年前頃に南浜湿原に爆裂火口を形成する噴火が生じ,火口を砂礫が埋めた後にシルトが堆積する湖沼環境となり,3500年前以降から泥炭の堆積する湿原となったと考えられる.南浜湿原に東接するマール形成時の噴出物を覆うレスや,南浜湿原の西部に分布する溶岩流を覆う泥流堆積物からは,およそ1.8万~1.1万年前というOSL年代を得た.これらの年代は,これまでほとんど情報のなかった,利尻火山の南部の側火山群の火山活動史に新知見をもたらすものである
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垂澤 悠史
セッションID: P1304
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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三重県北部地域にはマンボとマンボを抱える地域文化がある。地域の知としてマンボは農業用水として、重要な水資源をもたらし、水資源の不足する扇状地・段丘地形を背景とした員弁での農業生産を支える水路であった。中京圏の工業地化・都市化の進展は、マンボをめぐる自然環境と人文環境を変化させている。流域全体を貫く土地被覆変化は人間活動の活発化によって水環境を劣化させていった。また、一方で三重用水の整備によってマンボの水に頼らなくて済む体系を作り出すことによってマンボそのものが変容している。河川流域が包括してきた地域社会の構造、地域コミュニテイーが崩壊してきている。このような変化のなかで、マンボが持つ現代的な意義を見出してみた。
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近代的港湾都市・敦賀の形成と大和田荘七
山根 拓
セッションID: 808
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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福井県敦賀は古い歴史的な港町であったが,幕末開港には乗り遅れ,近世日本においては,ドメスティックな港町に留まっていた。しかし,明治期以降は京阪神や東海道方面からの鉄道の開通をきっかけに地の利を活かし,国際的港湾都市という新たな地域性を獲得していった。本報告では,敦賀におけるこうした近代的な地域形成の過程を追究し,それがいかなるメカニズムで生じたのか,特に有力商人のような権力を手にした「特別な人間主体」がその地域形成メカニズムの中で,どのような役割を果たしたのかを明らかにする。ここで参照する学問的枠組は構造化論の考え方であり,「特別な人間主体」として地域の社会構造そして地域そのものを規定し創造する主体として,近代の敦賀随一の商人であり実力者である人物,すなわち大和田荘七(1857-1947)の長期的な活動履歴に注目する。彼に関する伝記から,その地域認識・地域構想・地域実践の過程を解明し,それらを様々な事象から成る敦賀の地域史と比較し考察した。そこから,「特別な人間主体」として長期的に地域のあり方に強い影響を及ぼし,地域性を規定する力を発揮するようになった大和田荘七という地域形成者の姿が明らかになった。
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岡田 牧, 岡田 益己, 日下 博幸
セッションID: P1213
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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温熱指標の1つであるWBGT(湿球黒球温度)の輻射熱項にあたる黒球温度は、測器が特殊なため、計測が容易な気象要素から推定することが多い。堀江・藤原(2010)は、建物屋上での観測データを用いて推定式間の精度を評価した。しかし、推定式の構造やパラメータに由来する系統的な誤差を伴うことがある。本研究では、先行研究と異なる緑地(公園)環境で、既往の推定式の誤差の挙動とその要因について調べる。加えて、パラメータを再設定した場合の既往の推定式の精度検証を試みる。
黒球温度の実測値を取得するために、2011年9月8日から10日に、つくば市内の北向児童公園・二宮公園・洞峰公園にて観測を行った。同時に気温、風速、全天日射量も計測した。
本研究で対象とした黒球温度推定式は、高市ほか(2003)の式と登内・村山(2008)の式である。高市ほかの式と登内・村山の式をそのまま使用した場合、両式ともに推定値が概ね過大評価であったが、登内・村山の式の推定値が高市ほかの式と比べて観測値に近かった。推定値と観測値の差と全天日射量の関係において、登内・村山の式は日射量400 W m
-2を境に誤差の傾向が変化することが分かった。そこで緑地での観測値に合うように、シンプレックス法を用いてパラメータを再設定したところ、パラメータ再設定後の推定結果が、再設定前の結果よりも観測値に近くなった。この時、日射量に対する推定誤差の式毎の独特の傾向は表れなかった。また、黒球温度を推定する際、日射量に対して頭打ちになる傾向が表れ、同様の傾向は観測値でも確認された。この原因を解明するために、黒球温度計に関する熱収支式を用いて検討した。熱収支式は大橋ほか(2010)を参考に、黒球温度計の単位面積当たりに変換した式を用いた。
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山下 博樹
セッションID: P1321
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
持続可能な市街地への再生に取り組む都市が増えるなか、常にそのトップランナーとして住みよい都市のあり方を模索し続ける都市としてバンクーバーを挙げられる。バンクーバー都市圏政府(Metro Vancouver, 旧GVRD)による長年の取り組みは、1996年に策定された『Livable Region Strategic Plan』(以下、LRSP)をはじめとする一連の広域戦略計画による。これまでバンクーバーでは、最大の中心地となるダウンタウンのほかに、規模の異なる2タイプの郊外核を計画的に配置し、公共交通網の拡充と一体的に整備してきた。1990年代以後の人口増加などのために、2000年代後半より都市圏の成長管理の反作用が深刻化している(山下 2010)。こうした課題を改善すべく2011年7月に策定された新しい計画『Metro Vancouver 2040』(以下、MV 2040)では、広範になった都市圏を大きく東西に2分割し、ダウンタウンと並ぶ新都心の整備を図ろうとしている。本報告では、MV 2040の概要と2009年冬季オリンピック後の郊外を中心とした地域で急速に進んでいる公共交通指向型開発の特徴について紹介したい。
2.「メトロ・バンクーバー2040」の都市圏再編プラン
MV 2040での主な変更点・特徴は、次の通りである。
①上述したように都市圏を大きく東西に2分割し、旧来のダウンタウンを西の都心に、これまで南東郊サレー市の中心として計画に位置づけられながら、十分に機能集積がされていなかったサレー・センター(MV 2040ではサレー・メトロセンター)をフレーザー川以東の新都心に位置づけている。
②この間の郊外化の進展に対応して下位の郊外核となるコミュニティ型タウンセンターが従前の12ヵ所から17ヵ所に増加した。
③これまで対象外であった空港、大学、病院などの公共的施設も、公共交通網に結節されるべき主要施設として位置づけられた。
④郊外化が顕著であった南郊には、オリンピック開催にむけてリッチモンド・シティセンター及び国際空港とダウンタウンを結ぶスカイトレイン・カナダ線が新設された。同様に東郊には財政的課題により着工が遅れていたエバーグリーン線が2016年夏の完成を目指して、2012年1月に着工した。
以上のような新たな取り組みにより、LRSP期間の末期に顕在化した成長管理対象地域の内外での公共交通や中心地整備上の地域格差が緩和され、人口増加の中心であったこれらの地域でのリバビリティ向上に大きく貢献することが予測される。
3.ポスト・オリンピックの公共交通指向型開発
2009年の冬季オリンピック開催にむけた前述のカナダ線建設とダウンタウンでの新駅建設などが2000年代後半のバンクーバー都市圏の主要プロジェクトであった。その間、凍結されていた市街地再整備がオリンピック終了に伴って近年再開された。それらの事業の共通点は、都市圏の幹線交通網であるスカイトレインの駅やその周辺で公共施設などの建設が行われていることである。現在進行中の主な事業として次のものが挙げられる。
①MV 2040で東郊の新都心として位置づけられたサレー・メトロセンターには、これまで駅前に商業施設と大学のサテライトキャンパスによる大型複合施設が立地していたが、LRSPで同じ位置づけにあった他の広域型タウンセンターと比較してもその機能集積は脆弱であった。しかし、この複合施設に隣接して2011年9月に市立図書館が完成し、現在市役所も建設中であり、当該地区への機能集積が急速に進められている。
②ダウンタウンの都市圏の地理的中心から大きくずれる問題点を補うために、1980年代に計画的に整備されたメトロタウンは都市圏最大の商業集積を形成してきたが、郊外化が東郊で顕著であることなどからMV 2040ではサレー・メトロセンターに新都心の座を譲ることになった。メトロタウンでは現在、駅前の大規模ショッピングセンターに隣接して立地していた2棟の超高層オフィスビルの隣りに3棟目のオフィスビルが建設中で、これまで弱点であったオフィス集積の強化が進められることになった。
③都市圏で最も早く市街地が形成されたニュー・ウェストミンスター市のダウンタウンは、スカイトレイン駅に隣接しているものの沿道の建物老朽化などにより商店街は寂れていた。老朽化した映画館などの再開発が計画されるとともに、スカイトレイン駅ではスーパーや各種店舗からなる駅ビルの建設が進められている。
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赤坂 郁美, 森島 済, VILLAFUERTE II Marcelino, 久保田 尚之, 松本 淳, CAYANAN O. Espera ...
セッションID: P1216
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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地球温暖化等に伴う気候変化とその地域的な差異を明らかにするためには,世界各地において出来るだけ長期の観測データを用いて,過去の気象要素の長期変化傾向を明らかにすることが必要である.しかし東南アジアでは,利用できるデータ期間の制約により20世紀後半のみを対象とした研究が多い.そこで,本研究では東南アジア地域の中でも,20世紀前半の気象観測データが使用可能であるフィリピンに着目し,農作物収量変動や自然災害の発生に大きな影響を及ぼす季節降水特性の長期変化傾向を明らかにすることを目的とする.
解析には,現在の観測地点の位置とほぼ同じ場所に位置する19地点を選択し,更に年欠測数が1割以下である1910~1940年8月までの日降水量データを使用した.また20世紀後半に関しては,フィリピン気象庁(PAGASA)によって観測された,年欠測数が1割以下である19地点の1952~2010年の日降水量データを使用した.まず,季節降水量及び日数(0.5mm以上降水のあった日)を算出した.次に季節降水特性の長期変化傾向を調査するために,1910~2010年までの降水日を対象に,四分位数と中央値,95パーセンタイル点を求めた。これを階級値として階級別降水日数と階級別降水量を算出した.これらの長期変化傾向を明らかにするためにMann-Kendall検定(両側検定,P<0.05)を行った.
19地点平均の夏季(6-9月)降水量では,1930年代後半以降に連続して負偏差がみられ,1990年以降はその特徴が顕著にみられた.降水日数は1970年代後半以降に負偏差に転じており,特に微雨日数(第1四分位以下)と強雨日数(95パーセンタイル以上)がフィリピン全体で有意な減少傾向にあることが分かった.夏季降水量に関しては有意な傾向を示す地点数は多くなかったが,どの階級の降水量も約10年程度の変動を繰り返しながら減少傾向を示しているようにみえる. 一方,19地点平均の冬季(10-1月)降水量と日数は共に20世紀前半は正偏差を示している.20世紀後半には年々変動が大きくなり,1970年代以降は100年スケールでみて,特に大きな正偏差が連続して示されている.特に,フィリピン北部で冬季強雨日数の有意な減少傾向がみられる一方,強雨の降水量は同地域で有意な増加傾向にあることが分かった.
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三上 岳彦, 大和 広明, 森島 済, 赤坂 郁美
セッションID: P1217
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(M9.0)と巨大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故がきっかけとなって、関東地方の電力供給量は大幅に低下し、東京電力では夏季の電力需要を抑制するための節電を企業や一般家庭に呼びかけた。その結果、とくに夏季日中の電力需要が大幅に減少した。人工排熱の主要な部分を占める電力需要量の減少で、都市のヒートアイランドが緩和された可能性が想定される。本研究の目的は、2011年夏季の電力需要量減少が首都圏ヒートアイランドに及ぼす緩和効果を観測データに基づいて定量的に明らかにすることである。
筆者らの研究グループでは、2006年夏季から東京首都圏の約200カ所(小学校の百葉箱)に自動記録式の小型温度計を設置し、10分間隔で連続的な気温観測を行っている(広域METROS)。そこで、この観測データを用いてヒートアイランド強度(都心と郊外の気温差)を求め、その日変化を2010年(平年)と2011年(節電年)で比較し、電力使用量の減少によるヒートアイランド緩和効果を客観的・定量的に算出する試みを行った。電力使用量は、2010年と2011年の毎日の時刻別電力需要量(東京電力提供)を用いた。
関東圏人工排熱マップをもとに、都心部(Urban)6地点と郊外(Rural)6地点を選び、2010年と2011年の7月(31日間平均)におけるヒートアイランド強度(HI強度)の差(2010-2011)を時刻別に求めた。相対的に電力削減率の低い(2010年比で10%以下)夜間から早朝の時間帯のHI強度(気温)低下は0.2℃以下であったが、節電率の高かった午後の時間帯(2010年比で17~18%)では、最大0.65℃(15時)のHI強度低下が確認された。
特に、1日の日照時間が8時間以上の晴天日(典型的な夏日)に限って同様の解析を行った結果、午後3~4時の時間帯に約1.15℃のHI強度低下が生じたことが明らかになった。
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山形県朝日連峰の山村の事例
安食 和宏
セッションID: 411
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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本発表では、東北日本の一山村を対象として、「地域存続力」について検討する。対象地域は、山形県朝日連峰麓に位置する西川町大井沢地区である。
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加藤 早百合
セッションID: P1208
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1. 背景と目的
鳥海山西麓のなだらかな斜面には、高標高地にはブナ-チシマザサ群落と中腹にはミズナラ群落がひろがり、豊かな植生が観察できる。中村ほか(1991)によれば、境界では隣接部分の差異や両者の機能関係に由来する各種の事象が指摘され、特異な生物群集が認められる場所でもあるとしている。本研究では、この同一斜面上のブナ林とミズナラ林の移行帯にて観察できる森林立地の特性を、ブナの生育に着目して考察した。調査地点は移行帯を含む標高系列で設け、植生調査及び土壌断面調査を行った。鳥海山(N 39°05'57''、E 140°02'55'')は山形県と秋田県の県境に位置し、山頂における年平均気温0.5℃、年降水量は3,285mmである。土壌の母材は中国大陸由来の風成塵および安山岩風化物から成る。鳥海山西麓斜面には、低標高地の淡色黒ボク土から高標高地のポドゾル性土まで、成帯性土壌が分布している。
2. 研究の方法
鳥海山西麓斜面で標高系列に沿って調査地点を設置し、各地点において10×10mのプロットを設置し、樹木を中心とした植生調査を行い、林分断面図と樹冠投影図を作成した。調査地点は低標高地から順に、Ch1:550m、Ch2:650m、Ch3:710m、Ch4:710m、Ch5:780m、Ch6:1,100m、Ch7:1,100mと計7地点設定した。ブナの成長率は、成長錐から得た材片より求めた。各地点でのブナのバイオマス量を胸高直径から断面積を求め、樹木の量の指標とした。土壌断面観察は上記の7地点で行い、土壌サンプルは各層位から採取した。土壌断面の各層位から採取した土壌は室温で風乾し、2mm以下に篩分けした後、分析に供した。土壌のpH(H
2O、KCl)は、土壌1に対して2.5の重量割合になるようにH
2O、1M KClを、またpH(NaF)は土壌1に対し50の重量割合になるように4%NaFを加え、それぞれ懸濁液を作った後、ガラス電極法によりpHを測定した。選択溶解法により、土壌中の可溶性の鉄、アルミニウム、ケイ素の定量を行った。ピロリン酸、酸性シュウ酸塩、ジチオナイトクエン酸塩に可溶性のAl(Alp,Alo,Ald)、Fe(Feo,Fed)、Si(Sio,Sid)を抽出し、ICP-AESにより測定した。交換性アルミニウム(Al
EX)の含量は、1M KClを用いて抽出した後、滴定した。外生菌根菌が形成した菌核について、蒸留水に浮上させて直径0.5mm以上のものを採取した。菌核の含有量は重量密度(mg g
-1)で表した。葉のサンプルの元素組成は、EDXとNCアナライザーで測定した。
3. 結果と考察
全地点の溶脱層(Ah、Ae層)において低いpH(H
2O)値(3.4~4.6)と、高い交換性アルミニウム含量(0.20~1.09g kg
-1)が示された。これらの値は樹木の栄養吸収や成長への影響、生育阻害へとつながる。各地点の森林立地から、移行帯はCh3-5を含む、水平距離で750mの範囲だと考えられる。ブナの胸高直径はCh3、4で45cm以上であり、ブナの胸高断面積はCh3で最大となり、次いでCh4、最小値は高標高地のCh7、6であった。全7地点において、ブナの成長率はCh3で最も高い値となった。Ch3は、土壌pH(H
2O)4.0以上で交換性アルミニウム含量が低かった。Ch4では全7地点のなかで最高樹齢のブナ、また樹高が高いブナが観察された。このCh4は、交換性アルミニウム含量が高かった(1.0g kg
-1)。一方で、ブナの樹齢がCh3、5、7ではほぼ同一であった。土壌中の菌核量は、矮小化したブナが広がるポドゾル性土のCh6、7よりも、移行帯のCh3、4で多かった。菌根菌の活動は、移行帯のブナの成長のために重要な役割をもつことが示唆された。
【参考文献】 中村和郎,手塚章,石井英也著(1991):地域と景観,古今書院
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観光関心点の空間的自己相関分析
杉本 興運
セッションID: 305
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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現代の観光産業において景観などの視覚的資源は非常に重要な存在であり,その美的価値を維持するための適切な管理が求められている.観光管理という側面を考慮すると,一般の人々の知覚に基づいた資源管理のための空間評価手法が必要である.地理学,観光学,景観工学を含む様々な学問領域で蓄積されてきたが,その一つとして観光者の写真撮影に着目した手法がある.近年ではSugimoto(2011)がGISを応用し,ローカルスケールの観光空間において,観光者が写真撮影をした位置情報の密度推定やラスタ集計を使った空間的可視化によって,観光者の関心集積の空間的偏差を定量的に抽出した方法がある.しかし,厳密には観光者個人の景観知覚のなかでは,感動の度合いが出会った環境刺激によって異なるため,ポイントに対する重みづけを行わなければならない.本研究では観光体験における感動の度合いを考慮した階層的空間評価の手法を提示する. 調査日は2011年10月22日で,調査対象地は都立日比谷公園である. 若者21人を対象として,調査当日に市販のGPS付きデジタルカメラを携帯してもらい,園内を自由に散策しながら写真撮影をしてもらった.また,撮影時に出会った刺激への好ましさ(likability)を5段階で評価してもらった. 観光者が写真撮影した地点をポイントデータとして抽出し,空間的自己相関分析を行った.ポイントデータの空間近隣関係には,各ポイントが近くに位置する他のポイントと最低1つ以上関係をもてるユークリッド距離を閥値として設定した.全ポイントデータに対する分析の結果,弱い正の空間的自己相関をみせた(1%有意).ローカルな空間的自己相関の結果における各クラスターの分布では,自身の評価値が高く周辺の評価値も高いの関心点が,園内北東の第一花壇の北側道路や,園内南東の第二花壇とニレの木広場に集積している.これらの場所は密度も高く,好ましさの度合いも高い.後者に関しては当日開催されていたイベントの影響が大きいため環境のもつポテンシャルとは言えないが,前者は観光者の評価構造の最上位に位置する空間とみなせる.また,同じく密度の高い雲形池と心字池は似た値をもつ関心点の集積が見られなかった.したがって,水辺空間は多くの観光者が関心を寄せるものの,空間に対する好ましさの度合いは人によってばらつきがあったと解釈できる.
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遠藤 秀一
セッションID: S1307
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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グローバルな産業立地競争がますます進む中,国内企業はイノベーションによって新たな競争力を獲得していくことが重要となってくる.このような状況の下で産学官連携は,継続的な経済発展をもたらすようなイノベーション・システムとして有効であると考えられる.これまで地理学の研究においては,イノベーションには大学や研究機関など集積内のアクター同士の地理的な近接性が重要であるとの見方が示されてきた.しかし,Boschma(2005)が,極度の近接性は学習やイノベーションの創造性に悪影響を及ぼすことを指摘することで,近接性とイノベーションについて批判的な見解を示しているように,近接性や集積はそれほど重要ではないと主張する研究もあり,イノベーションと空間との関連性については未だ十分な検証が成されているは言えない(佐藤,2006).本発表では,1980年に国家主導で形成され,数多くの国立研究機関と民間研究機関が地理的近接性を持って立地している筑波研究学園都市における国立研究機関を中心とした産学官連携の空間的な展開を,民間研究機関の動態的な動きや学園都市地域へのインパクトと課題を踏まえながら考察していく.1963年の閣議決定以降,1982年までに国立研究機関が集中移転し,研究・工業団地も1997年までに9つ整備されている.2011年時点で,国立研究機関と民間研究期機関をあわせて300近くが立地しており,中でも民間研究機関の立地の動きは非常に大きい.民間研究機関は,国立研究機関との連携や交流を期待して立地していることが既存研究では示され,1980年代後半において大幅な増加を示している.しかし,1990年代後半には,早くも減少に転じ,近年でも大手企業の研究拠点閉鎖が目立つなどその傾向は変わっていない.さらに,研究所の縮小,事業所への機能変更も見られる.これらの特徴として,外資系や医薬品関連の業種が目立つこと,立地機関の本社所在地が東京に多いことが挙げられる.撤退等の理由は,医薬品業界の競争の激化,日本での研究活動におけるメリットの少なさが挙げられる.また,それらの撤退企業のその後は,国内外の自社研究所,サイエンスパークへの移転・統合を進める動きが見られる.このように「筑波の衰退」が進んでいることがいえる一方で,筑波では,独立行政法人化以降,国立研究期機関などの研究体制が変化し,産学官連携の新たな体制が構築されつつある.
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西 暁史
セッションID: P1221
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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関東地方の冬季の強風は,「空っ風」,「筑波おろし」,「赤城おろし」などの様々な名前が付けられおり,関東各地で局地的な強風の被害をもたらしてきた.
近年の研究では,日照時間と風速の日変化との関係から,日照時間が長くなることで混合層が高く発達し,上空の運動量を地表面に多く輸送するため強風が発生すると結論づけている(蓬田、力石2004).それに対して,Kusaka et al.(2011)は,統計解析と1次元大気境界層モデルを用いた感度実験を行った.その結果から,日射よりも上空の季節風の風速のほうが,地表面での強風への影響が大きいということを示している.しかしながら,これらの研究では大気を1次元的に考えているため,地形の影響を考慮していない.そのため本研究では,地形を考慮した2次元局地気象モデルを開発することで,感度実験を行い空っ風のメカニズムを解明することを目的とする.本研究で開発する局地気象モデルの基礎方程式系は,非弾性近似方程式系を採用した.座標系は一般曲線座標系を採用し,格子系は反変速度を格子境界に定義するコロケート格子を採用した.数値計算アルゴリズムはSMAC法,時間差分スキームは移流項に省メモリー型3次精度ルンゲクッタ法,その他の項には前進差分を用いた.空間差分スキームは2次精度中央差分法を用いた.圧力に関するPoisson方程式の解法には,逐次過緩和法(SOR法)を用いた.構築した力学モデル,座標変換,境界条件の検証を行うために山岳波の再現実験を行った.山岳波の実験は,Satomura et al. (2003)の設定で行った.その結果,山岳波の位相と波長はよく再現できた.しかしながら,高さに伴う振幅の増大の程度が小さい点,地表面付近で波に乱れがある点から、境界条件の改良が必要である.
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埼玉県を事例に
小室 哲雄
セッションID: 720
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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Ⅰ はじめに<BR> モータリゼーションの進展により,乗合バス事業をめぐる環境が厳しさを増している.乗合バスの利用者数は1960年代をピークに減少を続けており,乗合バス事業者が経営を維持するために赤字路線から撤退し,路線廃止に至るケースも出てきている.<BR> このような状況の中で,自治体が公共交通に取り組む例が存在する.廃止代替バスやコミュニティバスと呼ばれるものである.廃止代替バスやコミュニティバスは,自治体が主体となって公共交通の運行に関わるため,運行方式,路線の設定等,それぞれの地域の実情や公共交通に対する問題に応じた運行形態が取られていると考えられる.<BR> そこで本研究では,自治体が供給する公共交通を運行形態について類型化し,地域の状況とどのような関係がみられるのか都道府県レベルで検討し,それぞれの類型における特徴や課題を明らかにすることを目的とする.そのことで,自治体が公共交通を運行するにあたって,同様の地域条件を持つ自治体の事例についてその特徴や注意点を参考とすることができるようになることから,意義があると思われる.<BR>
Ⅱ 研究対象と研究方法<BR> 研究対象は埼玉県内の47事例とした.埼玉県は,東京都区部に隣接するベッドタウンとしての市街地から農村地域,山間部までの多様な地理的条件を持っている.また,小鹿野町やときがわ町等では1970年代から自治体による廃止代替バスが運行されるなど公共交通対策において先進的な事例もみられるほか,さいたま市や秩父市等2000年代に入ってから運行を開始した事例もあり,運行開始時期についても約40年の幅がある.<BR> 自治体が供給する公共交通について,運行形態によってどのような特徴で分けられるのか探るために,主成分分析とクラスター分析による類型化を行った.主成分分析に用いたデータは,埼玉県「市町村バス運行状況調査集計」および各市町村ホームページ上に公開されている情報,各市町村担当課へのアンケート調査により入手した情報を使用した.<BR> その後,各類型に該当する市町村ごとの,都市,人口,交通面の属性データの平均値と照合し,各類型についての考察を行った.<BR>
Ⅲ 研究結果<BR> クラスター分析の結果,埼玉県内の自治体が供給する公共交通の事例は①施設アクセス向上,②既存事業者による運行,③大規模な運行,④既存事業者に依らない運行,⑤福祉バス,⑥廃止代替バスの6類型に分けることができた.<BR> また,類型ごとの自治体の特徴は,類型1は,東京都に隣接する自治体が多く,人口密度,DID面積比率は各類型中最も高い.需要の絶対量が多い地域のため運行目的を達成していなくても一定の実績を挙げてしまう可能性があると考えられる.<BR> 類型2は,類型1に次いで人口が集住しているが,急速に高齢化が進行している.通勤通学需要を取り込むことで,利用者の増加につなげられると考えられる.<BR> 類型3は,人口,DID面積が大きく,東京都心から30km圏外に分布することから,地方中心都市といえる.面積が広い自治体が多く,全域をカバーしようとすると冗長な運行形態となってしまう可能性がある.<BR> 類型4と類型5は,ともに人口密度,DID面積比率が低かった.そのため,多くの集落をカバーしようとすると,複雑なルート設定になりやすいと考えられる.<BR> 類型6は,山間部に位置し,人口密度は低く高齢化率は高い.廃止代替バスであっても,従前の運行形態を維持するだけでなく,利用者にとってわかりやすい運行形態を目指して修正を行っていくことが,利用促進につながると考えられる.
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山縣 耕太郎, 島村 信幸
セッションID: 620
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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新潟・長野県境付近は,国内有数の多雪地域であり,狭い範囲の中に,針葉樹林が存在する山岳と,偽高山帯がある山岳が存在している.また,針葉樹林が存在する山岳も,その多くが断片的な針葉樹林の分布を示す.すなわち,この地域の山岳には,亜高山帯針葉樹林の存否を分ける境界条件が存在しているものと考えられる.このような地域においてオオシラビソ林分布の規定要因を明らかにすることは,偽高山帯の成立条件を明らかにするうえで重要な手がかりを与えるものと考えられる.そこで,新潟・長野県境付近を対象地域として,オオシラビソ林の分布と気候,地形,土壌,地史などの環境条件との関係を明らかにし,偽高山帯の成立条件について検討を行った.その結果以下のことが明らかになった.調査地域においてオオシラビソ林は,標高1700~2100mの亜高山帯の多雪な気候条件の範囲で成立している.また,その範囲の中でもオオシラビソ林が成立しているのは,以下のような条件の地点である:1)長期間地表面が安定して厚い土壌層が生成されている地点,2)積雪による機械的な破壊の程度が低い緩傾斜地,3)尾根・稜線では,風衝の度合いが比較的低いところ,4)山腹の緩斜面では,積雪期間が相対的に短い凸状の地形上.また,山頂高度が2000m以下の山岳や,活火山上ではオオシラビソ林が認められないことから,いったん山体からオオシラビソ林が消失すると,長期間かけてもオオシラビソ林が再び成立するのは難しいものと考えられる.
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松本 真弓, 春山 成子, ケイトェ ライン
セッションID: P1115
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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イラワジ川は、ミャンマー中央部を南北に貫く総延長距離2010kmの巨大河川である。水源はヒマラヤ山脈東縁部にあり、イラワジ川の流量は氷河の雪解け水を基底水量としているが、モンスーンの降雨を合わせて乾季と雨季で大きく変化を見せている。イラワジデルタの最下流部では河口部から上流289.9km地点のミャウンを頂点として、面積31,080km
2のイラワジデルタを形成している。
デルタの氾濫平野は、おおよそ海抜5m以下であり、自然堤防、砂州などの微地形の起伏が乏しく、モノトーンな地形景観を見せている。この区間のイラワジデルタにおける河川勾配は、1/49,000と極めて小さく低平である。イラワジデルタの河川は、分流を繰り返し、小水路をデルタ全域に広げている。イラワジ川の河口部には、デルタの前進があるものの、分流路に当たるパテイン川の河口部には、エスチュアリ―を形成している。この河川は、内陸部まで潮汐の影響を受けており汽水域が広がっている。
古い研究ではあるが、Chhiber(1934)によれば、イラワジデルタは約30万年前には河口より375.2km上流にあるピイ近辺に河口を認めているが、このデルタの環境変動、また完新世のデルタ発達史は不明である。2009年以降、科学研究費を用いて現地での地形調査を行うとともに、現地ではSUNTEC(株)に依頼して、ヤンドン地点、パテイン地点、ヘンサダ地点に置いて3本のボーリング調査を行った。この報告では、この試掘のうち、イラワジデルタ西側のパテイン地点に置いて行ったボーリング調査の結果を報告する。
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八反地 剛, 秋山 沙苗, 松四 雄騎, 松倉 公憲
セッションID: P1113
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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カルスト地域に見られる凹地(ドリーネ)の形成過程を議論する上で,ドリーネ内における石灰岩の溶解速度の空間分布を明らかにすることは重要である.Mastushi
et al. (2010) は宇宙線生成核種年代測定法により秋吉台の1つのドリーネの溶解速度を明らかにするとともに,現在ドリーネの存在する場所が20万年前にはほぼ平坦な地形であったことを推定した.本研究では,先行研究と同一のドリーネにおいて,石灰岩の野外風化実験,電気比抵抗探査,土壌水分量観測などを組み合わせ,現在の環境下での石灰岩の溶解速度とその規定要因について検討する. 秋吉台中央部の長者が森付近,直径150 m,深さ20 mのドリーネを調査対象とした.ドリーネの斜面上部,中部,下部,底部の4地点の土壌中(深さ50 cm,斜面上部と下部には更に深さ15 cm)に合計6個の石灰岩タブレット(直径3.5 cm,厚さ約1 cm)を設置し,野外風化実験を実施した.設置期間は2009年4月–11月,2010年3月–2011年1月,2011年3月–11月である.同時に土壌水分と地温を連続観測し,二酸化炭素濃度を定期的に測定した.さらに,電気比抵抗探査と簡易貫入試験を行い,地盤構造を把握した. 1年間のタブレットの重量減少率(以下溶解速度とする)は,斜面上部と中部の深さ50 cmで1.6–3.3%/yrと大きく,斜面下部で0.11–0.55%/yrと小さかった.場所による溶解速度の違いは,土壌水分が飽和状態であった時間の長さに対応している.土壌空気の二酸化炭素濃度の平均値を加えた重相関分析も実施したが,相関係数の増加は若干にとどまった.一方,乾燥季に実施した電気比抵抗探査により,斜面中部から下部の土壌–基盤岩境界付近に比抵抗値が小さい層が存在することを確認した.この層が一年を通して飽和状態(土壌水分飽和時間が100%)であると仮定すると,土壌–基盤岩境界付近の石灰岩の溶解速度は3.9%/yr (356 g/m
2•yr)であると推定される.この値はMastushi
et al. (2010)の結果(63 – 256 g/m
2•yr)の最大値と比較して1.3倍大きいことから,現在の溶解速度は過去の値と比べてほぼ等しいかやや増加していることが推定される.
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カルナータカ州の事例から
木本 浩一, アルン ダス, 辰己 佳寿子
セッションID: 519
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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1.はじめに いわゆる「参加型森林経営Community Based Forest Management(CBFM)」は、1990年代以降、世界各地でそれまでの森林管理に「代わる」森林管理の「方法」として注目され、急速に広まっていった。インドにおいても、1980年代の「社会林業Social Forestry」の実績と反省を踏まえて、1990年代から「共同森林経営Joint Forest Management(JFM)」始まり、地域差はあるものの、導入から10年を経て、住民と森林局との利益配分についての議論が本格化している。 森林の側からみた場合、森林減退(Deforestation)とそれに対する林野化(Afforestation)という構図は相補っているようであるが、後者の方法もしくは担い手として登場してくる「住民」については不明なところが多い。確かに、村落森林委員会(Village Forest Committee)という「住民」組織はある。ただ、その構成や村落社会の中での位置づけは問題が山積している。同時に、村落間の、しかも特定の地域的文脈の中での村落の「多様性」に由来する問題も顕在化しつつある。 2.研究の目的と方法 以上を踏まえ、本報告では、森林減退後「新たに」入植した住民による集落によって形成された「地域」におけるJFMの可能性について、カルナータカ州マイソール県西部を対象として、検討したい。 その際、1)森林減退のプロセスを詳細に後付けすること、2)森林局による森林政策の変遷を整理すること、3)各集落の略歴を整理すること、以上三点を押さえた上で、集落「間」の共同の可能性についての検討を重視する。 3.検討結果 1) 同地域における森林減退のプロセスは、人口増や都市化といった現象によって徐々に進んだわけではなく、森林政策や社会福祉政策などによる入植活動が引き金になっている。 2) 森林政策は、プランテーションの増加やダム建設などについては黙認する一方、野生動物保護などの森林関連政策については積極的に関与していった。 3) 同地域に居住する住民は非常に多様である。特に集団間の多様性が顕著である。これは入植時に目的集団として構成されていたためであり、そのことが「地域」における共同の可能性を減じている、と言うよりも、没交渉的な課題としている。
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岩田 修二
セッションID: S1201
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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シンポジウム趣旨 2009年3月,日本地理学会ジオパーク対応委員会では,「大地の遺産100選」選定事業を行うことを決めた.大地の遺産とはジオサイト・ジオヘリテージと同義であり,ジオパーク内には,多くの大地の遺産が存在するのが通例である.従って,大地の遺産はジオパークの潜在的候補地となるものである.大地の遺産の選定をすすめることにより,各地域における地理学的,地学的資源の保全,教育,地域振興の活動のきっかけを与えることになる.今回のシンポジウムでは,その理念や,選定方法について,具体例をもとに議論を深め,選定作業を加速させるきっかけをつくる.そのための材料として,それぞれの立場で大地の遺産を選んでみる.大地の遺産の例:根釧原野の場合 大地の遺産の考え方をよりよく理解していただくために,根釧原野の大地の遺産について例示する.山岳の例を示せと言う要望であったが,根釧原野(根釧台地)は,日本でもっとも山に似た環境の低地と洪積台地なので例として選んだ.「西別川源流の湧水(サケ孵化場)」 「毛根別の沖積火山灰の砂丘」 「蛇行河川(西別川・当別川など)」 「非対称谷(当別川・ケネカ川など)」 「火山灰とソリフラクションの露頭」 これらの地形や堆積物は氷期の環境を示す重要な現象であるが,地形学・第四紀学研究者をのぞいて地元でも知られておらず,その整備や復元は研究・教育に大きく貢献する. 「野付半島とトドワラ」 野付半島ネイチャーセンターがあり,エコツーリズムが行われている.古い漁村の遺跡もある. 「北開陽の農村景観(牧場と防風林)」 「別海中央の旧パイロットファーム(酪農地帯)」 根釧原野には日本の農業政策の試行錯誤の軌跡が残されている. これらをつなぎ合わせて道東の自然と人間との関わりを見せる魅力的なジオパークができそうである.
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手代木 功基, 藤岡 悠一郎, 飯田 義彦, 京都大学 自然地理研究会
セッションID: P1206
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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トチノキは日本の冷温帯に広く分布する落葉高木であり,胸高周囲長が300cm以上の巨木になることが報告されている.滋賀県高島市朽木地域でも,山地源流域にトチノキの巨木が生育している.朽木地域では,トチノキ巨木が数個体以上まとまって分布する“巨木林”の存在が明らかになっている.しかし,内装材としてのトチノキ巨木の需要増大にともなって,巨木が軒並み伐採された谷もみられはじめている.
トチノキ巨木林は,地域住民にとってトチノミ採集の場として古くから重要であった.さらに,水源涵養や野生動物の採食資源といった生態学的な重要性も示唆されている.そのためトチノキ巨木林のとの将来的な関係性のあり方を考える上でも,現存しているトチノキ巨木林の立地環境やその生態学的機能,文化的意味合いについて早急に明らかにする必要がある.そこで本研究では,トチノキが残存している朽木地域の山地源流域を対象に,トチノキ巨木林の現状とその立地環境を明らかにすることを目的とする.
調査は,朽木地域のY谷を対象に行った.Y谷は安曇川の支流にあたる北川沿いに位置している.調査は,集水域全体のトチノキの位置をGPS受信機によって記録し,各個体の樹高と胸高周囲長を計測した.また,現地観察と空中写真判読によって谷部全体の植生図を作成した.さらにトチノキ巨木林が分布する山地源流域において谷部の地形断面図を作成し,断面に沿って幅20mのベルトトランセクトを設置して,毎木調査を行った.調査対象木は胸高直径5cm以上の木本であり,樹種・樹高・胸高直径・位置を記載した.
トチノキは対象とした集水域全体(50ha)に胸高周囲長300cm以上の個体が52本記録された.特に枝谷の一つには,谷筋に19個体が記録され,うち17個体が胸高周囲長300cm~550cm,樹高15m~25mの範囲にある巨木が密生していた.植生は,谷の下流部にはスギの人工林が広く分布している一方で,上流部の尾根筋には落葉広葉樹が分布していた.
トチノキ巨木林の地形測量と測線に沿った植生調査の結果,谷底部にはトチノキの巨木が広い樹冠を持って生育しており,他に木本種や低木層の植物があまり生育していなかった.一方で斜面上方にはアカシデやコナラ,リョウブなどの二次林構成種の中低木が多く生育していた.また,斜面上方の低木層にはシカが採食しないユズリハが優占していた.
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-杉並区を対象にして-
泉 岳樹, 熊谷 聡, 松山 洋
セッションID: P1203
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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本研究では,緑被率と高い相関関係にあるNDVI(正規化植生指標)を用いて高精度かつ簡便な緑被率の定量的推定手法を確立し,従来の緑被判読調査に代わる新たな調査手法を提案することを目的とした.緑被率を算出するためには,緑地と非緑地を分ける必要がある.そのために,NDVIを用いて緑地と非緑地を判別する閾値を設定した.可視域と近赤外域を持つ航空機リモートセンシングデータ(2003年4月撮影)から植生サンプル・非植生サンプルの被覆別NDVIデータを取り,これらデータを分割するNDVI閾値を判別分析から求めた.NDVI閾値設定の検証として,NDVI閾値の増減に伴う緑被率の変動と,サンプル数の増減に伴うNDVI閾値の変動を分析した.結果,NDVI閾値が0.001増加すると緑被率は約0.05%減少し,NDVI閾値の標準偏差はサンプル数100を超えると収束することがわかった.次に,NDVI閾値を用いた判別精度を確かめるためCross Validationを行った.得られた推定手法の精度は90%を超えており,適切な判別が行われていることがわかった.以上の検証からNDVI閾値を設定するには最低100サンプルの判読を行えば,もっともらしい緑被率の値と誤差±1%での緑被率推定が可能と言える. 以上の解析手法で確立した緑被率推定手法を用いて杉並区全域の緑被率を求めると23.49%の値を得られた.同領域内で2002年度に行われた杉並区みどりの実態調査では,緑被率が21.84%であったことから,この値と比較すると1.65%の差で推定することが出来た.これより本研究の緑被率推定手法は,判読作業が簡便であり客観性の高い緑被率の定量的推定手法であると言える.
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香川 雄一, 佐渡 稔之
セッションID: P1307
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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近年,外来魚による在来魚への影響が深刻な問題となっている.滋賀県内のため池では生態系への影響の他に,駐車車両による周辺道路の占領,「あぜ道」「池の崖」の崩落,持ちこまれたゴミの散乱など,管理者や周辺への被害が問題視されている.しかし,ため池における外来魚の分布に,どのような外的要因が影響しているのかはまだ明らかにされていない.そこで外来魚が生息していないため池の生態系を守るため,立地特徴から,どのような条件のため池に外来魚が生息しているか,あるいはしていないのかの傾向を示す.
滋賀県水産課より「河川,ため池等における外来魚の生息実態調査に関するデータ」を入手し,ため池内部の要因(水草の有無,水質,水際の状況,流入支流の有無,コイ・フナの生息)を把握する.ため池の現地調査によって,周囲の要因(釣り場の有無,道路から池が確認できるか,車で入り込めるか,立入禁止かどうか,池の種類,フェンスの有無,看板の有無)と外来魚生息の有無を把握する.次にGISを用いて,ため池を有する地域からみた要因(人口密度,学校からの距離,駅からの距離,スーパー・コンビニからの距離,土地利用)を把握する.これらのデータを基に,クロス集計を用いて分析を行う.そして,どのような立地特徴のため池に外来魚が生息しているかの傾向を明らかにする.
ため池内部の要因ではどの項目でも有意差は出なかった.ため池周囲の要因では,「車で入り込めない」「道路から池が確認できない」「釣り場の有無」の項目で有意差があり,「道路から池が確認できる」「立入禁止かどうか」「遊び・ごみに関する警告看板あり」の項目でも有意差があった.ため池を有する地域からみた要因では,周辺の土地利用が「田」のため池では,有意差があった.これらの結果より,外来魚が生息している傾向のため池は,「道路から池が確認できる」「立入が禁止されていない」「釣り場がある」「遊びに関する警告看板がある」「ごみに関する警告看板がある」ため池.生息していない傾向のため池は,「車で入り込めない」「道路から池が確認できない」「立入禁止」「釣り場がない」「周辺の土地利用が田である」ため池であった.外来魚の生息には「ため池周囲の要因」が大きく関係している.釣り人や人の利用に関する項目に有意差が出たことより,外来魚の生息には,密放流等による人為的な影響が関係していると考えられる.
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梅川 通久
セッションID: 405
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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東南アジア地域大陸部の広域を対象とした人口密度とその動向に関する分析を、GISでの利用などを念頭においた数値解析手法を用いて試みた。本研究では、物理学で力に関する分析を行う際に使われるスカラーポテンシャルの概念を人口密度に応用した「人口密度ポテンシャル」の考えを導入し、Poisson方程式を数値的に解く事で結果を導出している。数値計算はICCG法によるPoisson方程式解法ルーチンを作成して行った。本ルーチンによる計算の信頼性は、小規模例題の計算及び本研究に用いられたモデルについての逆演算の二通りの方法によって、十分であることを確認した。本研究ではインドシナ半島を十分にカバーする広域についての、SEDANCによる2.5'グリッドで構成された人口密度グリッドデータから、人口密度ポテンシャルを実際に求めた。計算の結果、広域の人口密度分布データを元にしたモデルでは、人口密度ポテンシャルがインドシナ半島南東から北西に向かって低くなる傾斜構造を持つことがわかった。それにより、人口にかかる仮想的な力の向きも同様の大局的構造を持つことがわかる。同様の計算を、インドシナ半島内の地域に限定した人口密度データについて行ったモデルでは、域内のローカルな人口密度分布のみの影響が反映された、広域の場合とは異なるポテンシャル分布が導かれた。これらの結果から、スケールに応じた地域の人口密度分布やその変動を考察する手法として、仮想的な力や人口密度ポテンシャルの考え方を導入しての分析が有効であることがわかる。
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海津 正倫, マルディアトノ ジャティ, サルトハド ジュヌン
セッションID: 115
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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インドネシア共和国のジャワ島には活発な活動を続ける火山が多数存在する.なかでもジャワ島中央部のジョグジャカルタ市の北にそびえるメラピ火山は歴史時代においても著しい爆発と火砕流の発生を繰り返し,最近では2006年,2010年に顕著な火砕流による被害を引き起こした.本報告では,メラピ火山から下流のバントル平野へ向けて流下する河川沿いで発生している土石流や土砂堆積,河岸浸食などについての現状と問題点について検討した.
標高2911 mのメラピ火山は20世紀にはいってからも活発な火山活動を繰り返し,山頂部付近には多量の火山噴出物が堆積しているために斜面を流下する河川の運搬土砂量が大きい.山腹を流れる河川のうち,西南西に向けて流れるプティ川は流路長約30 km,流域面積約40平方キロメートルの,幅の狭い流域を持つ河川で,中流域にあたる中部ジャワ州マゲラン郡ジュモヨ地区付近において国道を横切って流下しているが,その部分では土石流による著しい被害が発生している.土砂の埋積は最大5 mにも達し,建物の1階部分がほぼ埋まってしまった家屋も多い.また ,さらに下流のプロゴ川との合流点から約2km上流側のカランガセム地点では2011年2月および11月に著しい河岸浸食が発生し,20mほどの川幅が100m以上に拡大している.この付近のプティ川は20mほどの深さで火山性の砕屑物からなる地形面を刻んでいる.河岸浸食が発生する以前の河道はやや屈曲する極めて幅の狭いものであったが,河岸浸食によって河道は大きく蛇行し,攻撃斜面側を中心に河岸の後退が著しく進んだ.
本地域は粗粒・細粒の火山噴出物が繰り返し下流域に供給されている場所であり,それらが雨季の豪雨によって土石流の発生を引き起こした.上流側の河床につくられた砂防堰堤はすでにほぼ充填されてしまっていて,多量の降雨によって運ばれた土砂は容易に下流側に達する状態になっていた.また,河道の屈曲なども十分に整備されておらず,土石流による災害は起こるべくして起こった感がある.一方,下流側の河岸浸食は極めて幅の狭い谷が一気に谷底の幅を広げた形で発生し,その発生を予測することはかなり困難であったと考えられる.また,現状では更なる河岸浸食を防止する手立てがない. このような状況に対する方策としては上流側における河床堆積物の浚渫が当面の重要な課題である.
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竹内 裕希子, 須田 雄太, ショウ ラジブ
セッションID: 118
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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兵庫県宍粟市曲里地区は,2009年の台風9号により洪水被害が発生し,これを契機に住民参加型の防災マップ作成に関する社会実験を宍粟市と国土交通省近畿地方整備局と協働して取り組んだ。地域の防災情報、史跡や観光、生活情報等の多くの地域資産に関する情報は住民所有の情報であり、これらの情報を地図化し共有するためには住民参加型の作成方法が有効である。そのため、既に参加型で防災情報の地図化「マイ防災マップ」に取り組んだ曲里地区住民を対象に、本研究調査では、1. 「マイ防災マップ」の作成が防災行動に与える影響、2. 日常生活に「マイ防災マップ」が使用されるために、防災情報以外の地域資産に関する情報種を検討した上で、住民参加型の地図作成・利用の利点、教訓、課題点等を明らかにし、地域資産と防災情報を取り入れた複合型地図の作成に反映させることを目的として、アンケート調査を実施した。
兵庫県宍粟市曲里地区におけるアンケート調査は、13項目から構成され、2011年7月に実施した。アンケートは自治会長を通じて配布・回収を行い、93%にあたる106世帯から回答を得た。単純主計。クロス集計、X2検定の結果から、防災マップ作成への参加と災害時の避難行動とに関係性があることが明らかとなった (X2(1)=6.11, p<0.05)。作成した防災マップの今後の活用方法としては,43%の人が公民館などにマップを掲示し,地域住民がマップを確認できる環境を作るとよいと回答した。本発表では、曲里地区住民を対象としたアンケート調査結果を基に報告する。
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新井 悠介
セッションID: 605
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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下総台地はMIS5eの高海面期に形成された木下層から構成される下総上位面が最上位の段丘面を形成する(杉原1970).MIS5eの海進最盛期の古東京湾は太平洋側に湾口が向いており,下総台地は浅海底で堆積した木下層上部砂層が広く堆積した.MIS5eの海進最盛期以降に,房総-銚子と松戸-四街道の離水軸及びバリアー島に挟まれたMIS5eの段丘の分布高度が低い印旛沼南部地域は,海退期の泥層が堆積したとされている(岡崎ほか1992).MIS5eに形成された海成段丘の高度分布の差の成因を解明することは活構造を推定するうえで重要な役割を担うが,この海退期の泥層はテフラに乏しいため上岩橋層の泥層(小島1959,杉原1979),竜ヶ崎層の泥層(青木ほか1971),木下層上部層の一部(岡崎ほか1994)と異なった解釈がされている.そこで本研究は層序関係の再検討・テフラの追跡・堆積環境の推定を行った.その結果に基づき,本発表は印旛沼南部地域に分布する泥層を木下層最上部泥層と仮称し,この地域でMIS5eに形成された海成段丘の離水期における陸化過程を報告する.
①露頭観察及び地質断面図において,八街や富里では清川層の上位に木下層上部砂層が堆積する.印旛沼南部地域は木下層上部砂層と木下層下部泥層を欠き,木下層最上部泥層が清川層を覆う.地質断面図から,木下層最上部泥層は木下層上部砂層の上位に堆積すると考えられる.
②木下層最上部泥層は未風化のテフラが堆積し,鉱物屈折率と全岩化学組成がHk-KmP1に類似することから対比が可能である.また,富里の木下層上部砂層最上部と,木下層最上部泥層下部はKlP群に対比可能なテフラが堆積する.
③木下層最上部泥層の下部の堆積環境は,総イオウ含有量が0.3%以下と低い値を示し,汽水域に生息するヤマトシジミと淡水域に生息するマメシジミが産出することから河口域の堆積環境が推定される.一方,木下層最上部泥層の上部の堆積環境は,総イオウ含有量が0.5-1.3%と還元的な堆積環境を示すこと,含泥率が高いこと,色調が青灰色であることから内湾の堆積環境が推定される.
以上のことから,木下層上部砂層はMIS5eの海進最盛期以降に離水し,印旛沼南部地域で木下層最上部泥層の分布する地域はHk-KmP1降下以降,すなわちMIS5eからMIS5dにかけての海退期に離水したと推定される.
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ネパール山岳地域と山間地域の比較から
辰己 佳寿子, ナレンドラ マンガル・ジョシ, 木本 浩一
セッションID: 518
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
地域開発・発展において、地域ベース(Community-based)や地域主導(Community-driven)というアプローチが、2000年に入ってから特に重視されるようになった(World Bank 2002)。しかしながら、「地域」をどのように捉えるのか、「地域主導」とはどう進めていくのがよいのか、という議論が深まる前に開発援助プロジェクトに採用される傾向が強く、名目的なアプローチとなっている場合もある。本報告の目的は、地域主導のあり方と地域単位の捉え方を検討するために、ネパールの異なる特徴をもつ山村の森林管理を比較し、地域主導型運営方法を浮き彫りにすることである。森林管理に着目した理由は、森林問題が、資源の利活用と管理、生物多様性の維持、土地利用上の圧力、民族等の諸権利の保護など、さまざまな地域問題のいわば「交差点」となっており、地域レベルでの実質的なガバナンスの構築という課題が浮上しているからである。調査対象地域は、農牧林業が中心の山岳地域の山村と首都カトマンズに近い都市近郊の山村(山間地域)である。本分析は、2000年から続けている定点観測(質問票を利用した調査、聞き取り調査、参与観察等)から得られた情報をもとに行った。
2.地域単位の捉え方と地域主導のあり方
山岳地域の場合は、民族の混住化があまりみられないため、集落単位での森林管理が実施・継続されており、行政村という単位を通じて、政府の森林政策が導入されるルートができている。しかしながら、これまでトップダウンを強制してきた政府関係者と住民の間には溝があり、政府政策に一時的には対応しながらも、実際には集落もしくは複数の集落単位で個別のルールを設定した管理運営を行っている傾向がある。山間地域においては、民族・カーストが混住していること、首都近郊で商業的な農牧業が進んでいること、出稼ぎ等による雇用形態の多様化、貨幣経済や個人主義の浸透などにより、集落単位による活動よりも、一部の住民や援助関係者で構成されたNGO(機能組織)を単位とした活動が中心的と運営を行っている。政府による援助はもとより、個人ネットワークを通した海外開発援助の導入や都市システムとのリンクなど、対外的な影響を受けながら地域社会が急激に変化しているため、それに応じるように森林管理方法も変わりつつある。
3.おわりに
以上、二つの異なる地域の森林管理の実態や変遷を通して、地域単位の捉え方と地域主導のあり方は動態的で重層的な視点で捉える必要があることが明確となった。これらの多様なあり方を踏まえたうえで、どのように動態モデルを構築していくかが今後の課題となる。
[参考文献]
辰己佳寿子(2012):インフォーマル組織の定着過程を通した地域社会の多面的発展.『西日本社会学会年報第10号』(印刷中)。
World Bank(2002):Issue Paper for a World Bank Social Development Strategy.World Bank, Washington, D.C.。
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赤石 直美, 瀬戸 寿一, 矢野 桂司, 西川 祐子, 福島 幸宏
セッションID: 813
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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本発表の目的は,「京都市明細図」の記載内容を,第2次世界大戦後の占領期京都に関する行政文書から検討することである.本発表で取り上げる『京都市明細図』は1927(昭和2)年に発行された後,1951(昭和26)年まで加筆されたものである.彩色や建物を利用する企業名など,書き込みの多くは1945(昭和20)年以降のものと考えられる.すなわち,明細図は戦前と戦後という社会情勢の大きく異なる時期を含んでおり,それを踏まえた分析が求められる.特に1945~1952年は日本の占領期に相当し,占領期の京都の諸状況を知っておかねばならない.そこで,本発表では『京都市明細図』の記載内容を,占領期京都研究における成果を踏まえて検討する.京都府立総合資料館には占領期京都に関するいくつかの行政文書が保存されている.進駐軍の接収建物に関するものと,進駐軍が起こした事故に関するものはその一部である.進駐軍駐留のため,京都市内のいくつかの建物が接収された.それらの建物のうち,本研究では進駐軍の事務関係の建物を接収施設,軍人とその家族の日常的な住まいのための建物を接収住宅と称する.それらの分布について,先行研究の地図の精度を高め,また明細図との比較を容易にするため,接収施設,接収住宅の位置情報を基に建物毎にベクタデータを作成した.またGoogle Erath上でも表示・検索できるようにした.Google Erath上で,接収施設・接収住宅ならびに進駐軍関係の事故の分布と『京都市明細図』,さらに現在の京都市を比較したところ,京都市明細図に記載されたローマ字や,「進駐軍洗濯場」等の記載が何を意味するのか理解された.また元々どのような用途の建物が接収されたのかも知ることができた.そして,進駐軍の関った建物が,現在の利用についても言及することが可能となった.詳細については発表時に報告したい.『京都市明細図』は,戦前から占領期にかけての時期に関する情報を有しており,それを踏まえた検討が必要である.GISデータベースを構築することは,時代を区別しつつ円滑な分析を行うための有効な手段である.当時の状況を含むGISデータベース(『京都市火災保険特殊地図』・近代化遺産GISデータベース等)や当時の電話帳の情報を重ねることで,『京都市明細図』の記載内容はもとより,近代,そして占領期京都研究の進展につながると考える.
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尾張町を事例として
秋元 裕介
セッションID: 809
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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商店街の衰退に関する既存研究の多くは大型店の出店との関連において論じられ,その研究対象時期は昭和40年代後半以降に限られている.また,商店街に関するデータの入手困難さから商店街の長期的な変容過程を扱った研究は少ない.そこで本研究では,金沢市の尾張町商店街を事例として,商店の立地変化の視点から明治22年~平成22年までの商店街の変容過程を明らかにし,その衰退過程の解明を試みた.また,土地台帳による土地所有者の変化と商業データとを組み合わせることで商店の立地変化を推定する方法を導入し,商店街を長期的な視点から研究する手法の土台を提供しようとした. 明治22年~昭和37年では,土地台帳から得られる土地所有者氏名と「明治 28 年度県税中商業分賦等級別交名簿」,大正期尾張町の絵図,昭和11年の全国商店街調査より「金沢市に於ける商店街の調査」の3つの商業データから得られる商店経営者氏名等を照合し,昭和38年~平成22年では住宅地図を用いることで商店の立地変化を明らかにした.その結果,尾張町商店街における商店数は昭和30年代中頃以降現在まで減少傾向にあり,それは出店期間が30年以上の老舗の数が減少していることによる可能性が高いことが分かった. 昭和初期の尾張町商店街の商店構成は卸売業が中心であった.その衰退要因としては,昭和30年代末~40年代前半に流通革命の影響を受けて卸売業の近代化を目的とした卸売団地が形成され,尾張町の卸機能を相対的に衰退させたこと,また,昭和初期に都市中心部の不燃化を主な目的とした再開発を契機として武蔵ヶ辻~片町の商店街が発展し,小売業の商業核としての地位を確立したことが考えられる.そのため,卸小売の両面で衰退し始めた尾張町では,顧客との長期的な関係を確立することで経営の安定化を図ったものと考えられる. 現在の尾張町商店街では多くの商店が固定客に依存しており,商店街としての景観を喪失しつつある.一方で,近年出店した飲食店などでは,市内の飲食店網の中に尾張町を位置づけ直すことも試みられている.
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山田 晴通
セッションID: S1101
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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今日の大学教育の現場において、何らかの自習課題、宿題等を与えた場合に、学生がまずインターネット上の検索サイトを利用して情報を求めようとするのは、既にいわば常道となっている。また、Yahoo!知恵袋に課題をそのまま質問として投じるようなことさえ起こっている。そして、そうした検索の結果としてヒットする可能性が高く、レポートの作成に参考される事の多いサイトのひとつがウィキペディア、特にその日本語版である。<BR> そもそもウィキペディアは、ネットにアクセスできる者であれば、誰もが加筆編集に参加できることが最大の特徴であり、一定の権威のある専門家が項目を執筆するような在来型の百科事典とは性格が大きく異なっている。このため、ウィキペディアの個別の記事の内容について、その正確さや、イデオロギー的中立性などが厳しく批判されることも、しばしば生じている。<BR> こうした状況は、より多くの学術研究者、専門性を持ったアカデミシャンがウィキペディアに参加していくことで、改善されていく事が期待できるが、現実には、アカデミズムに身を置く研究者にとって積極的にウィキペディアに関わるメリットはほぼ皆無の状況にあり、ウィキペディアに参加する研究者を増やしていくことは容易ではない。土木学会(2010)の例のように、学会の活動の一環として、一定の品質管理がなされた記事の作成・編集を行なう取り組みが仕掛けられなければ、ある学問分野に関係するウィキペディアの記事が数多くの専門家の手で量産されるといった状況は成立し得ない。<BR> 例えば、大学レベルの地理教育において学生が学ぶべき内容が、関連するウィキペディアの記事に反映されていれば、学生の自習用の教材としてそれを用いる事が可能になり、より効率的に学生の自修を促せるようになるものと期待できる。そのためには、定評ある教科書等からキーワードを拾ったり、実際に地理学教育に携わっている大学教員からシラバスで重視している概念を集め、その記事を新たに作成したり、既存に記事に加筆して強化したりする取り組みを、学会が関わる形で展開する必要がある。また実際に、少しでも多くの大学における地理学関係の授業において、ウィキペディアの記事を教材として実際に使用し、その経験がフィードバックされるようにしていくことも重要である。
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池田 亮作, 日下 博幸, 飯塚 悟, 朴 泰祐
セッションID: 724
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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気象観測点のうち歴史的に長期間観測が行われている観測点の多くが都市部に位置している. その気温変化は都市化の影響を大きく受けていると考えられており, 建物や樹木による観測データに与える影響が、定性的な問題提起の段階ではあるが指摘されている(例えばRunnalls and Oke 2006). すなわち, 観測点周りの局所的な環境の変化(樹木の成長や, 土地利用の変化)が原因で, 気温の観測データに影響を与えていると言われている. 本研究では, 都市街区の計算が可能なLESモデルを開発し, 開発したモデルを用いて建物や公園, 樹木が局所的な気温分布にどの程度影響を与えるかを評価する. また, LESでの大規模計算, 計算の高速化を図るためにコードの並列化も進める.
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神谷 浩夫
セッションID: 713
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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1.本発表の目的
発表者はこれまで,海外で働く若い現地採用の日本人女性を中心に調査を実施してきた.1980年代初頭のバブル崩壊以降,国内労働市場は二極化が進展する一方,これまで以上に流動化が進んだ.それと同時に,海外で働くことが大きなブームとなった.こうしたブームを支えたのは,現地採用で雇用される未婚の女性であった.最近では,現地採用として海外で就職する日本人は女性だけでなく男性にも広がりつつある.そこで本研究では,シンガポール,サンフランシスコ,ホーチミンで実施したこれまでの調査をふまえながら,2011年2月にバングラデシュで行った現地で働く日本人若者の調査結果を報告する.
2.バングラデシュの特徴
バングラデシュは世界の最貧国のひとつに数えられることが多く,海外からの民間投資額も多いわけではない.むしろODAなど政府関連の援助による投資が主流である.そのため2010年の外務省海外在留邦人数調査統計によれば,バングラデシュに住む日本人は569人,そのうち長期滞在者が504人,永住者が65人である.長期滞在者の内訳は,民間企業関係者が101人,同居家族が20人,政府関係職員が131人,同居家族が66人,その他が97人,同居家族が58人となっている.つまり民間企業関係者よりも政府関係職員の方が多い.近年日系企業の進出が活発化していると言われているが,その水準は低位に留まっている.
一方,シャプラニールやマザーハウスに代表されるように日本人によるNGOや社会的企業の活動がバングラデシュで活発に繰り広げられている.さらに,グラミン銀行やBRACなどマイクロクレジットが世界的に注目されるようになり,BOPビジネスも脚光を浴びるようになっている.2010年には,ユニクロがグラミン銀行と提携してソーシャルビジネスを開始し,安い賃金を生かした縫製産業が成長を遂げつつある.
3.調査結果の概要
当該国において日本企業の進出が進むには,日本への送金が可能となる制度枠組みの整備が重要である.ダッカで実施した現地調査では,16人の男女から話を聞くことができた(表1).ヒアリング結果を要約すれば,①高学歴の人が多い,②未婚の男性が多い,NGOや社会的企業などの職に就いている人が多い,といった特徴が浮かび上がった.なお,その他の詳細な結果については,当日に報告する.
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伊東 瑠衣, 里村 雄彦
セッションID: P1219
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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都市の発展に伴う地上気温の変化は、都市規模が大きいほど気温上昇率が大きいと言われ、その上昇率は内陸都市で海岸都市より大きいことが国内外の観測データから示された。都市規模を表す指標には、これまで各都市の人口が用いられてきたが、人口の増加自体は都市の温暖化の直接的な原因ではない。本研究では、土地利用データを用いて、都市の温暖化の原因となる都市的土地利用変化と気温上昇率の関係を示し、この関係の地理的条件による違いを調べた。
気温データは気象庁の日平均気温、日最高気温、日最低気温の月平均気温(T
mean、T
max、T
min)を用いた。対象期間は1964年から2011年で、対象地点は観測地点がある都市の人口が5万人以上で、対象期間中に観測値の欠損、観測地点の移転がない地点である。朴ほか (1994) を参考に主成分分析を行い、都市化による気温変動を抽出した。Mann-Kendall検定を行い、気温上昇が有意である地点について解析を行った。土地利用データは国土数値情報で、1976年から約10年間隔で4年分を用いた。都市的土地利用変化が各観測地点の気温変化に与える影響を調べるために、人工地表面の被覆率から計算した被覆指数を用いた。被覆指数と気温上昇率で相関を求め、最も相関のよい半径をとる領域を都市的土地利用の気温への影響が最大となる領域とした。
T
mean、T
max、T
min の平均上昇率は0.030 ℃/yr、0.027 ℃/yr、0.037 ℃/yrで、最近の約50年でも一般的な都市の温暖化の傾向と同様、日最低気温の上昇が最も顕著であった。都市的土地利用変化と気温上昇率の関係は、T
meanとT
min、夏のT
maxと冬のT
minで有意水準5%で正の相関があり、最大の上昇率は冬のT
minであった。気温へ及ぼす影響の領域が小さいほど被覆指数は大きく、領域が大きいほど被覆指数は小さくなり、被覆指数に対して気温上昇率は増加傾向を示すため、都市的土地利用変化が観測地点近くで顕著であるほど気温は上昇することが今回の解析結果から示された。この傾向は海岸線から20 km以上内陸の地点で高い相関を示し、上昇率は全地点平均の5倍以上だった。盆地と海岸地形での観測地点では有意な相関が得られなかった。
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小嶋 梓
セッションID: 712
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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本稿はA府B市のインナーシティを事例として、ひったくりの被害者、犯行の特徴、犯行場所という3つの観点からひったくりの分析を行い類型化を試みた。カーネル密度推定を用いてひったくり集中地区を特定し、その結果複数得られた集中地区の特性を因子分析によって分析し、犯人の逃亡手段、発生時間帯、被害者の年齢データと上記の地区との関連性を検証した。その結果、ひったくりは“若年層が多く居住・主な世帯が単身世帯・道路距離密度が低い地区で、単車や自動車で逃走する犯人が夜間若い女性を襲う”A類型、“高齢者が多く居住・主な世帯が2人以上の世帯・道路距離密度が高い地区で、徒歩や自転車で逃走する犯人が日中高齢者を襲う”B類型に分かれることが明らかになった。
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小室 隆
セッションID: 221
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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水生植物は生活型によって抽水植物、浮葉植物、沈水植物に分類される。これら水生植物の中でも沈水植物は、日本の平野部の湖沼において、水生植物の大部分を占めていた。しかしながら、1950年代半ばから全国的に衰退し、現在では多くの湖沼で消滅してしまっている。(平塚ほか 2006)。都市化や農業の近代化、工業化につれて湖沼の沈水植物が衰退・消滅する事例は世界的に生じており、ヨーロッパでは沈水植物を再生させることが湖沼再生につながるとして、様々な手法が試みられている(Hilt et al., 2006)。 日本では自然再生推進法が2003年に制定され、湖沼における自然再生も、各地で行われるようになった。それらの中には、欧米では再生目標として合意されている沈水植物ではなく、抽水植物や浮葉植物が目標になっている例もある。 島根県の宍道湖は、1950年代半ばまでは沈水植物が繁茂しており、周辺の農家がそれを採集して肥料に用いていた。しかし、除草剤使用が開始された頃から沈水植物が衰退し、2009年にオオササエビモなどが南岸などに繁茂するようになるまでは、沈水植物は消滅していた。一方、自然再生活動として、2002年から斐伊川河口部にヨシが植栽されている。またオオササエビモ等の復活による、地元の基幹産業である二枚貝漁への悪影響が懸念されており、かつて沈水植物が漁場を覆っていたかが重要な情報となる。 以上の背景から、本研究は湖沼の自然再生において重要となる沈水植物の衰退前の分布範囲を、米軍が1947年に撮影した空中写真を用いて復元することを目的とした。また当時の抽水植物や浮葉植物の分布範囲も合わせて復元することとした。空中写真の目視判読とArcGISのジオメトリ演算の結果、当時の沈水植物分布面積は全体の5%の約4km2であることが明らかとなった。現在再生が行われている抽水植物であるヨシは湖内・現再生地では確認されなかった。また現在と1947年当時の宍道湖を比較すると、水生植物相に違いがあることが明らかとなった。1947年は背丈の低い沈水植物、現在は背丈の高い沈水植物が繁茂していることが確認できた。本研究から、米軍空中写真は高度経済成長期以前の水中を含めた水生植物相を復元可能であることが示唆された。
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菅沢 雄大, 増沢 武弘
セッションID: 618
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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日本列島の高山の山稜部,特にその風衝側斜面には,主として最終氷期に形成された周氷河性平滑斜面が広く分布し,そこにはハイマツ群落や風衝矮生低木群落,風衝草原,高山荒原植物群落などの様々な植物群落がモザイク状に分布する.本研究では,赤石岳の北方,ダマシ平の南西斜面(風衝側斜面)において,周氷河性平滑斜面の発達史と山稜部の植物群落の分布との関係を明らかにすることを目的とする.
調査地域には主稜線(標高2850m)から標高2500m付近にかけて縦断方向・横断方向ともに凹凸の少ない平滑な斜面が分布する.平滑斜面上の植生は,下部:ハイマツ帯,中部:風衝矮生低木群落,上部:無植被で,森林限界以下に連続する場所もある.これらの特徴から,中部・下部は過去の寒冷期に形成された化石周氷河性平滑斜面,上部は現在も形成が継続中の周氷河性平滑斜面であると考えられる.周氷河性平滑斜面下部の標高2550m付近(loc.1)には,森林限界に沿って水平方向に連続し,花づな状の平面形を呈する急傾斜部が存在する.このような地形や植生の特徴が見られる周氷河性平滑斜面上の急傾斜部は,清水(1983)や長谷川(1996)が報告した末端小崖に相当すると考えられ,これを境に周氷河性平滑斜面は,上部の相対的に形成期の新しい新期周氷河性平滑斜面と下部の形成期の古い旧期周氷河性平滑斜面に区分される.新期周氷河性平滑斜面では,斜面物質を層厚2~10cmの腐植質土層が覆う.この腐植質土層の最下部には鬼界アカホヤテフラ(K-Ah:約7,300年前)の濃集部が存在する.一方,旧期周氷河性平滑斜面では,斜面物質を直接覆う土層は細粒物質からなる褐色(7.5Y4/6)の土層であり,さらにその土層を覆ってK-Ahの介在する腐植質土層が見られる.以上の土層断面の結果および地形・植生の特徴から,新期周氷河性平滑斜面の形成時期は晩氷期に,旧期周氷河性平滑斜面の形成時期はLGMに対比されると考えられる.新期周氷河性平滑斜面の上端は,風衝矮生低木群落がパッチ状に分布する砂礫斜面と標高2800m付近(loc.2)で接する.両者の境界でトレンチを掘削し,断面を観察した結果,新期周氷河性平滑斜面の構成層を砂礫斜面の構成層が覆うことが確認された.また,両層の間にはK-Ahを含む埋没土層が不連続に存在する.これらのことから,新期周氷河性平滑斜面が安定化し植生が定着した後に,山稜部から斜面下方に向かって斜面物質移動が再び活発化し,loc.2付近まで砂礫斜面は拡大したと考えられる.それが生じたのはK-Ah降下以降のネオグラシエーションであると考えられる.
調査地域の周氷河性平滑斜面は下方から,①旧期周氷河性平滑斜面,②新期周氷河性平滑斜面,③完新世に拡大した周氷河性平滑斜面,④現成の周氷河性平滑斜面に区分される.旧期周氷河性平滑斜面にはシラビソ林が成立する.新期周氷河性平滑斜面にはハイマツ群落およびハイマツ・矮生低木群落が分布し,後者は主に尾根沿いに見られる.完新世に拡大した周氷河性平滑斜面には風衝矮生低木群落,現成の周氷河性平滑斜面には風衝地植物群落が分布する.このように,山稜部の植物群落の分布が周氷河性平滑斜面の形成期の違いに規定されることが明らかになった.
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福岡市における事例研究
宗 建郎, 黒田 圭介, 黒木 貴一, 後藤 健介, 磯 望
セッションID: P1107
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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福岡市史では考古特別編として環境,景観,遺跡といったキーワードで多様な側面から福岡の歴史を先史から現代まで通覧する巻が作成されている.このために作成された土地利用図を利用して水害という観点から,福岡市の近代以降における土地利用変化と災害との関係を考えていくためのステップとして,土地利用変化が河川のどの地点に影響を及ぼすかを検討した. 分析対象地域は福岡市とし,特に事例として室見川を扱うこととした.明治以降現在まで4時期の土地利用図を作成し,流出係数を対応させて一定の雨量があった場合,各地点での流量が明治から平成にかけてどのように変化したかを見る.観測点は主要な河川との合流点および河口に設定した.このとき同一の雨量で同一地点における河川流量の変化と共に,明治期を100とした場合の各地点における変化率を算出した.その結果(1)明治から平成にかけて,河川下流域における流量が増加しており,都市化による河川流量への影響が数値的に明らかに示されたこと,(2)変化率においては明治から昭和初期にかけての上流域において大きな値が示され,山林利用の変化が明治から昭和初期にかけて上流域に大きな影響を与えたことが明かとなった.この2点から土地利用の長期的変化と自然災害の関係を考えていく上では都市化だけでなく山林利用の変化や上流域における土砂災害などを考慮していく必要があると考えられる.今後の課題としたい.
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