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水野 一晴
セッションID: 616
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.ケニア山の氷河縮小と植生遷移 ケニア山のティンダル氷河の後退速度は、1958-1996年には約3m/年、1997-2002年は約10m/年、2002-2006年は約15m/年、2006-2011年は約8m/年であった。その氷河の後を追うように、先駆的植物種4種は、それぞれの植物分布の最前線を氷河の後退速度と類似する速度で斜面上方に拡大させている。特に、氷河が溶けた場所に最初に生育できる第一の先駆種
Senecio keniophytumは、1996年に氷河末端に接して設置した方形区(幅80mx長さ20m)での個体数と植被率がともに、15年後の2011年には大幅に増加していた。また、1996年には方形区内の生育種は1種のみであったが、2011年には4種に増えていた。ケニア山山麓(高度1890m地点)の気温は1963年から2010年までの47年間で2℃以上上昇しているが、50年間の顕著な降水量の減少はなく、ケニア山の氷河縮小は主に温暖化が原因と考えられる。
2.温暖化と植生遷移
2006年までティンダル・ターン(池)の北端より斜面上方には生育していなかったムギワラギクの仲間
Helichrysum citrispinumが、2009年にはティンダル・ターン北端より上方の、ラテラルモレーン上に32株が分布していた。これは、近年の氷河後退にともなう植物分布の前進ではなく、気温上昇による植物分布の高標高への拡大と推定される。
Helichrysum citrispinumは、通常暖かくなる12-2月に開花する植物であるが、2009年には8月に開花していた。これは2009年の3-9月の気温が平年より1℃以上高かったため、一気に生育範囲が斜面上方に広がり、2009年の4-8月の気温が、平年の12月並の暖かい気温に達したため、8月に開花したものと推定される。 また、大型の半木本性ロゼット型植物であるジャイアント・セネシオ(
Senecio keniodendron)は1958-1997年には分布が斜面上方に拡大するという傾向は見られなかったが、1997-2011年には斜面上方に拡大している。この種は氷河後退が直接遷移に関係しているとは考えられないが、先駆種の斜面上方への拡大による土壌条件の改善と温暖化がジャイアント・セネシオの生育環境を斜面上方に拡大させていると考えられる。
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自動車産業開発地区の居住者を事例に
厳 婷婷
セッションID: 510
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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中国では男女平等思想が背景にあるため,女性は基本的に男性と同じように活躍し,高成長の中国経済を支えている.中国女性の就労率は74%に達する.この高い就労率からもわかるように中国女性は男性に劣らない所得を得ている.消費活動においても,多く買物するのは女性である.4.8億人が女性消費者であり,消費の主力である20歳代~50歳代の女性は総人口の21%を占めている(中国網2005).中国において,女性消費者に関する研究は重要な意味を持つと言える.
本研究は長春市の自動車産業開発地区を研究対象地域とし,この地区に居住する女性消費者の購買行動に焦点をあて,消費者の属性・消費財ごとに購買行動の空間的特徴を明らかにすることを目的とする.
分析には,デジタル地図,道路ネットワークデータを用いた.アンケート調査の結果に基づき,消費者属性と購買行動に強い関係性があることを示し,居住地と購買先の距離に着目して,空間的に女性消費者の購買行動を明らかにした.
結果として,以下の2点を得られた.
(1)生鮮食料品は居住地から約2kmと8kmの距離帯で購入が多かった.2つのピークがあるのは長春市の駅は居住地から約8kmの距離に立地しており,乗り換えのついでに,ここで買物を試みるからと考えられる.一方,婦人服は7kmの距離帯に集中している.
(2)年齢別にみると,婦人服は20歳代の若者の購買距離が一番長く,逆に50歳代以上の女性は一番短い.若者と年寄りはおしゃれに対する関心度が異なるため,距離の差が拡大すると考えられる.職業別では,生鮮食料品,婦人服とも同様な結果がみられた.会社員,公務員の購買距離は比較的長い.会社員,公務員の職場の多くは対象地域外にあり,通勤後の帰り道で購入するからであろう.一方,パートの消費者の購買距離は最も短い.パートの職場は居住地の近くに立地しているため,この職の女性は地域内の購買先をよく利用すると考えられる.
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水野 一晴
セッションID: P1318
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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インドのアルナチャル・プラデシュ州は、マクマホンラインによる中国とインドの係争地帯であり、ブータンとチベットとの国境に近く、22-24のチベット系民族(細分化すれば51民族)の住む地域である。アルナチャル・プラデシュ州の西部でチベットやブータンとの国境付近にはチベット仏教徒のモンパ民族が住んでいる。
モンパ地方には各地にゾンDzong(城塞)が残っている。これらのゾンは王族の居城としての城塞とチベット法王政府が住民からクレイ(税)を徴収するための役所として作られた城塞とがある。 王族の居城として作られたのはディラン地方のテンバンゾンとディルキゾンであり、税徴収の役所として作られたのはディラン地方のディランゾン、カラクタン地方のタクルンゾン、タワン地方のギャンカールゾンであり、タワン仏僧院も税を住民から徴収していた。
モンパ民族が住んでいる地域はモンユル(モンパの国)と呼ばれ、833年(836年)にチベットからチベット(吐蕃王国)第41代王ティ・レルパチェン(ティツク・デツェン)の兄弟のラセ・ツァンマがモンユルにやって来て、その王族の子孫が14-17世紀にディルキゾン、17世紀以降にテンバンゾンを居城としていた。ディルキゾンの建設年代はこれまで不明であったが、今回遺跡から採取した炭化物質を放射性炭素年代測定(ASM)により測定し、550±40年BPという値が得られた。
一方、ディランゾンはディランモンパの人たちから、タクルンゾンはカラクタンモンパの人たちからクレイ(税)を徴収するために作られ、ゾンペン(チベット法王政府の地方役人でゾンポンともいう)によって税はタワン仏僧院に運ばれた。ギャンカールゾンはタワンモンパの人たちから税を徴収するための役所で、その税はチベットのツォナゾンを経由して遠く、チベット法王政府のラサまで運ばれていた。タワン地方に住むタワンモンパの人たちはギャンカールゾンとタワン仏僧院の両者から税を徴収されたため、その負担は大きかった。 税はゾンペンの指示のもと、穀物や特産品(紙や染料など)で集められる。特産品はチベットまで送られる。ゾンペンによる税の徴収はディラン地方とカラクタン地方では、インドがイギリスから独立する1947年ごろまで、タワン地方では1951年まで続いた。現在は、タワン地方の人たちがタワン仏僧院に税を納めているのみである。
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遠藤 幸子
セッションID: 503
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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ドイツ初の埋立てによるコンテナ港湾Jade Weser Portの建設決定から現在までに至る経緯について整理し、これに関わった3つの連邦州の思惑について、それぞれの立場から考察した。
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長谷川 裕彦, 高橋 伸幸, 佐々木 明彦, 澤口 晋一, 小久保 裕介, 小疇 尚
セッションID: 610
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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白雲岳(2229 m)南東面,ヤンベタップ沢源頭には,南に開く圏谷状の地形(以下,白雲圏谷)が分布する。この地形は,国府谷ほか(1968)により圏谷として記載されているが,その後詳細な研究は実施されていない。空中写真の判読と現地調査の結果から,白雲圏谷における氷河地形の分布と氷河前進期の年代を示す資料が得られたので報告する。
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神谷 隆太
セッションID: 721
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.研究背景
わが国では1960年以降のモータリゼーションの進展に伴い,ガソリンスタンド(以下,SSとする)の数が,1960年以降に急増した.増加は1994年まで続き,その数は約6万軒にのぼった.しかし1994年以降には減少の一途をたどっており,2010年には約4万軒にまで減少している.さらにモータリゼーションが進展したことによる公共交通機関の減便や路線廃止が加速しており,自動車の非所有者にとって更なる打撃となっている.このことからも,山村地域において自動車の有無が生活行動を左右するが,とくに遠隔地域では消防法の改正にともない,SSが更に減少し,日常生活における自動車利用は危機に瀕している.
2.研究目的
以上の状況を踏まえ,本研究ではガソリンスタンド過疎地域(以下,SS過疎地とする)を研究対象とし,その分布や特徴を明らかにするとともに,その形成要因について解明することを目的とする.
3.研究方法
分布の特定,分析には国土数値情報(2010)の燃料給油所データ,国勢調査(2007)を利用し,さらに全国各地のガソリン価格の聞き取り調査を行った.本研究におけるSS過疎地は,75㎢当たりのSS数が1軒以下,かつ道路延長距離240㎞当たりのSS数が1軒以下の市町村とした.そして分析の指標として,人口密度,人口増減,65歳以上の人口の割合,単身世帯率,1世帯の人数,1事業所当たりの従業員数,1㎢当たりの事業所数,就業者割合,第一次産業就業者割合,第三次産業就業者割合,道路延長距離/面積,1人当たりの自動車保有台数,レギュラーガソリン価格,傾斜が8°以下の面積割合の14の変数を用いた因子分析を施し,得られた因子得点行列をもとにクラスター分析をかけた.さらにSS過疎地でのフィールドワークによって,SSの過疎化が進行するプロセスについて調査した.
4.結果
SS過疎地は全国で124存在し,その多くを北海道が占めるが,越後山脈周辺,紀伊山地周辺,九州山地周辺にも多く分布していた.またクラスター分析の結果,SS過疎地は,1)過疎化が深刻でない農山漁村,2)アクセシビリティが高い農村,3)離島,4)過疎化が進行している山村,5)奈良県三宅町,の5つの類型に区分することができた.
SSの過疎化は人口減少や競合による需要減少によってもたらされた.SS過疎他では,他と比べてガソリン価格はかなり高い.
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山本 敏貴, 杉野 弘明, 橋本 操, ルウィン コ コ, 村山 祐司
セッションID: 213
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
本研究は,地理情報システム(GIS),全地球測位システム(GPS),リモートセンシング(RS)の技術を統合し,筑波大学を事例にキャンパスGISを構築することで,大学が抱える生活環境の問題点を把握するとともに改善策を立案,提示し,より快適なキャンパスライフの実現に資することを目的としている.筑波大学筑波キャンパスは日本で第2位の面積(約258ha)を有するので,一つの地域としてとらえることができる.様々なキャンパス情報を可視化し,学生のみならず地域住民もWebで容易に閲覧できる形で公開することの意義は大きい.
キャンパス内では違反駐輪,歩行危険場所の存在,避難所の設置計画など,様々な地理的諸問題・課題が生じている.本研究では,地理学的観点から空間分析を行い,これら諸問題を空間可視化によりあぶり出し,その解決を試みる.
2.データベースの構築
本システムは基図データ(3種),大学の設備データ(16種),学生が自ら調査し取得した人文データ(4種),RSにより得られた緑地環境(画像)で構成されている.紙媒体やCADなどで大学が管理している設備データは, ArcGISを援用してGISデータに変換した.また,大学が保有していない設備情報や人文データはフィールドワークを行い紙地図に記録,あるいはGPSやPDAでデータを取得した.
3.可視化と分析
「筑波大学キャンパスGIS」では,属性表示,距離測定,地物検索などにとどまらず,次のような空間分析も可能である.
・時空間分析(違反駐輪を例に)
・バッファ生成(歩行危険区域を例に)
・GISとRSの融合(緑度を例に)
・ストリート方式による建物の住所作成
4.意義と有用性
本研究で構築したWebGISは現在,筑波大学のサイトで公開中である(http://giswin.geo.tsukuba.ac.jp/sis/jp/webgis.html).現在,集合知の概念を取り入れ,学生が旬な地理空間データを自主的に取得,提供し,それを直ちにWebに反映可能なシステムの構築を進めている.このWebGISを通して,キャンパスの美化運動が展開され,生活環境の向上にむけて大学・教員・学生が連携する体制が醸成されることを期待している.
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蔡 尚鎬
セッションID: 810
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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日本最初の植民地である台湾の主な役割は甘蔗を栽培して砂糖を製造する産地であったが,1924(大正13)年以降栽培面積が拡大する蓬莱種米(内地種米とも呼ばれた)の生産は砂糖を生産することに対するライバルの脅威となり,互いに生産競合関係を生じていた.しかしながら,有限の土地で米と砂糖を大量生産する手段は集約的農業しか他にはなかった.そして,地力を維持するために肥料を投入することは有効な手段であった.当時の台湾は日本植民地の経済分業という形の産業方針によって農業の生産部門を担当し,台湾島内(以下島内)で化学肥料を含めて工業的な商品を大量生産する条件を整えていなかった.ゆえに台湾島外(以下島外)から肥料を輸移入することに頼らざるを得なかった.そして,輸移入された肥料はどこで使われたこととその原因を議論すべきであると考える.
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根元 裕樹, 中山 大地, 松山 洋
セッションID: 814
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1582(天正10)年旧暦5月、岡山県の備中高松にて備中高松城水攻めが行われた。このとき、羽柴(豊臣)秀吉は、基底幅21m、上幅10m、高さ7mの水攻め堤を3kmに渡って築き、備中高松城側の足守川を堰き止め、その水を引き入れることによって備中高松城を水攻めした。この水攻め堤は12日間で完成したと伝わるが、12日間で築くには大規模すぎると指摘されていた。近年の研究では、備中高松城の西側には自然堤防があり、それを活用したからこそ、12日間で水攻め堤を完成できたとされている。しかし、備中高松城水攻めを水文学に基づいて研究した事例はない。そこで本研究では、水攻めを洪水と考え、洪水氾濫シミュレーションをメインモデルとした水攻めモデルを開発し、備中高松城水攻めをシミュレーションした。その結果から水攻めの条件を考察した。 備中高松は、微地形の多い海抜10m以下の平野の側に海抜約300mの山地があるところに立地する。この土地条件を考慮し、山地の流出解析にkinematic wave modelを用い、洪水氾濫解析にdynamic wave modelを用いた水攻めモデルを開発した。さらに備中高松の微地形を反映させるために基盤地図情報の縮尺レベル2500標高点から高空間分解能のDEMを作成した。このDEMに現地の発掘調査の報告書や現地踏査で調べた盛り土の状況を参考に、過去を想定したDEMを作成した。DEMの種類、水攻め堤の有無と高さによって複数のシナリオを作成し、水攻めの状況をシミュレーションした。 その結果、備中高松城の西側にある自然堤防を利用した上で、水攻め堤の遺跡である蛙ヶ鼻周辺の水攻め堤と足守川の流入が水攻めにとって必要であることが示された。この結果と史料を考慮しながら蛙ヶ鼻周辺の水攻め堤の高さについて考察したところ、その高さは約3.0mが合理的であるという結論が得られた。
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栗山 悦宏, 鈴木 毅彦
セッションID: 602
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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福島県会津盆地西縁部において,盆地内のボーリングコアおよび盆地に隣接する西縁丘陵の露頭からテフラを検出し,第四紀地殻変動を考察した.ボーリングコアは会津坂下町中岩田に位置しており,町営中岩田住宅建設時の地質調査で掘削されたボーリングコア「No.15B-10」である.本コアは,深度約30mから62-65kaに噴出した沼沢金山テフラ(Nm-KN),深度約45mからは129kaに噴出した田頭テフラ(TG)を検出した.また,テフラの他責深度と噴出年代から,Nm-KN堆積時から現在までの平均堆積速度は約0.5m/kyであり,TG堆積時からNm-KN堆積時までの平均堆積速度は約0.2m/kyであることが明らかとなった.また,西縁丘陵における露頭からはシルト層に挟在するTGを検出し,ボーリングコアのTGとの比高から両地点の平均垂直変位速度が過去13万年間で約0.5m/kyであり,盆地と丘陵の境にある会津盆地西縁断層の活動を表している可能性を示唆した.
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犯罪発生マップを活用した防犯ESD授業の実践を通して
中村 光則
セッションID: 205
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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高等学校地理AにおけるESDの視点を取り入れた単元の開発・実践に向け,仮説を設定した。すなわち,「ESDの目標実現に必要な内容群と方法群をマトリックス図としたチェックシートを使用し,授業目標や評価を明確化・可視化して授業を開発すれば,ESDの最終目標である持続可能な社会づくりに参画する能力・態度を育成する授業が容易に実践できる。」という仮説を立て,具体的な地理Aの授業開発に取り組んだ。
前記の仮説をもとに,「犯罪が発生しにくいまちをつくれるか?」を主題とする防犯ESD単元を開発した。本単元は,新学習指導要領の高等学校地理歴史科地理Aの2内容「(2)生活圏の諸課題の地理的考察 ア日常生活と結び付いた地図,ウ生活圏の地理的な諸課題と地域調査」に位置づき,生活圏の諸課題の1つである地域の防犯を考慮したまちづくりを主題として設定し,探究していく小単元である。犯罪種別の犯罪発生分布の現状を犯罪発生マップから読み取り,地形図や土地利用図の読図や主題図作成を通して現状を分析し,地域の防犯について考えさせ,よりよいまちづくりを探求させる主題学習である。ESDの視点である持続可能な社会の実現の最も基本となる生命の安全,危険回避といった内容である防犯を扱い,将来に向け犯罪が発生しにくいまちづくりの視点から,安全安心な社会を実現していく行動を考えさせる。持続可能な社会づくりに参画する能力・態度を育成できる単元として開発し,広島大学附属高等学校の地理A選択者3クラスにおいて実践した。
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文化景観としての農地林
藤岡 悠一郎
セッションID: 217
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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アフリカの乾燥地域では、樹木が畑地内に作物とともに生育する特異な植生が成立する地域がみられることが知られ、farmed parkland(以下、農地林)とよばれてきた。先行研究においては、残された樹種の有用性、有用樹種を保全的に利用する住民の管理様式、樹木に付与された権利などの観点から、特に農地林の機能的な側面が注目され、成立要因が検討されてきた。他方、こうした樹木は、人々との強い関わりのなかで、住民が各個体を区別し、その歴史性や個性を認識しているものと考えられ、そうした認識が農地林景観の成立要因の一因として重要なものとなっている可能性がある。本研究では、ナミビア北部に成立する農地林を事例に、樹木の個体性という観点に注目し、住民がいかに樹木を個体として認識しているかを明らかにし、農地林が住民の食料源となるような機能的な意味として存在するだけでなく、歴史的・文化的意味合いをもつ文化景観であることを描き出すことを目的とする。
調査の結果、以下の点が明らかになった。(1)調査村の植生は、低木層にアカシア(
Acacia arenaria)が優占し、中・高木層はマルーラ(
Sclerocarya birrea)とドゥームヤシ(
Hyphaene petersiana)が構成樹種の9割以上を占めることが明らかになった。(2)聞き取り調査の結果、本地域の100本以上の樹木には、固有の名前がつけられていることが明らかになった。名前が付与されていた木は、ヤシ、マルーラ、バードプラム(
Berchemia discolor)、イチジクの一種(
Ficus sycomorus)であり、全て人が果実を利用する樹種であった。(3)樹木名の多くは、世帯の成員内で共有されていたが、若い世帯構成員は知らないものが多く、また必ずしも全ての名称が世帯内で共有されているわけではなかった。他世帯の樹木の名称に関しては、数本の樹木の名称が共有されているに過ぎず、多くの名称は世帯内で共有されるに留まることが明らかとなった。このように多数の固有名があることは、住民が樹木の一本一本の個性を認識し、そうした認識のもとで景観が歴史的に形成されてきたことの証左である。こうした慣習が村のなかで広がりをもって存在し、なおかつ歴史的にも受け継がれてきたことを考えると、本地域の農地林は文化景観とよべるものであろう。
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大雪山における高山の環境と植生のモニタリングから
助野 実樹郎, 岩花 剛
セッションID: P1211
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1. はじめに
高山植生は気候変化に対する脆弱性が高いと予測されており、気候変化による高山植生の変化を議論するためにバックグラウンドデータが必要不可欠である。一方、温帯高山では山岳永久凍土が高山植物の分布に関与しており、凍土層の動態をまじえて高山の環境や植生の変化をモニタリングすることが重要である。演者らは、大雪山北部の小泉岳とその周辺において2001年から高山植生のモニタリング、2005年から高山環境の観測を始めた。
2. 調査・研究方法
相観的な植生の差異を考慮して、小泉岳山頂部の高山風衝地に2m×2m、高山雪田に1mby4mおよび1m×2m、ハイマツ分布地に3m×3mの永久方形区を複数設置し、方形区調査を開始した。各方形区は1m×1mの小方形区に区分し、1%きざみで全植被率、植生高、出現種の被度および高さ、生育状況などを記録した。調査は隔年または4年ごとに、8月下旬から9月初旬に実施した。また高山環境の観測は小泉岳周辺の五色岳でおこなった。
3. 結果と考察
モニタリングの開始以降、高山風衝地やハイマツ分布地の方形区では全植被率が増加し、出現した植物の被度合計値も上昇した。高山雪田では被度合計値のみが上昇した。これらの結果は小泉岳の高山植物が近年繁茂していることを示唆する。高山風衝地では2007~11年に植被率や被度合計値が著しく増大し、多くの植物の相対優占度も同調していた。当該期間における高山環境の変化を把握したところ2010~11年は高温・多雨の年であり、夏季の降水量が例外的に多く、活動層の土壌水分も上昇していたことがわかった。2007~11年、高山風衝地で著しく増加した種はヒメイワタデ、エゾタカネツメクサ、クロマメノキ、タカネクロスゲ、ミヤマクロスゲ、蘚苔類であった。本来タカネクロスゲは湿原の植物であり、小泉岳では湧水地に局所的に分布する。そのため2010~11年の高温・多雨な気象条件を反映して増加した可能性もある。一方でミヤマクロスゲはモニタリング開始当初から著しく増加し、必ずしもこのような気象条件を反映していないと考えられた。
以上のことから例外的な高温・多雨の気象条件は高山植物の繁茂に関与したと考えられる。しかし環境変化への応答は植物種間で一様ではなく、今後は方形区設置地点の地形的差異の他、種間競争にも配慮して植生変化の要因を検討する必要がある。
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松本 淳
セッションID: S1204
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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日本列島は中緯度に位置していることもあって、気候の世界的極値を示すような極端な気候環境にはない。しかしながら、世界最大のユーラシア大陸、世界最高のチベット高原の風下に位置することから、中緯度にありながら顕著に季節風が発達し、日本海側の山岳地域では世界有数の多雪地域となっている。また、最終氷期には小規模な山岳氷河が発達するなど、過去には顕著な気候変化も経験している。このような日本の気候が作り出している、地形・植生・人間活動など様々な諸相における大地の遺産について述べる。
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人文地理学の立場から
谷 謙二
セッションID: S0106
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
東日本大震災のような大規模な災害では,被害の把握だけでも時間がかかるため,災害発生後の地図化もハザードマップの一種としての役割も果たすであろう.
こうした地図類に関しては,数値の階級区分や使用する統計,また提供形式など利用者のニーズが多様であることから,単一の組織による統一した主題図に集約されるよりも,様々な主体から提供されることが望ましい.筆者は,昨年3月11日以降,有用と思われる地図情報・資料を継続的に作成し,ホームページ,ブログ等を通じて発信してきた.本報告では,それらの作成と活用,課題を述べたい.
2.作成・公開した地図・資料類
筆者が作成し,公開した地図類としては以下のようなものがある.まず震災直後では,津波被害を考慮して等高線や人口分布のような基本的な情報をKMZおよびGoogleマップ上で提供した.3月下旬では,原発事故周辺および津波被災地に関する人口の集計を行った.4月以降では,人口移動に関係して住民基本台帳人口移動報告月報を集計・グラフ化,また被害の統計が安定してきたことから人的被害/住戸被害を市町村ごとに地図化して公開し,定期的に更新している.また,8月以降には筆者開発のソフト「時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』」に東北地方太平洋岸の過去4時点の1/5万地形図を収録したデータを追加した.
3.その活用
これらがどのように,またどの程度活用されたのかは,閲覧数・ダウンロード数である程度把握できる.ウェッブサイト(http://ktgis.net/tohoku_data/)のトップページは2011年中で18,000アクセス,原発周辺人口集計のトップページは1,900アクセス,KMZファイル類は1ファイルあたりおよそ500~1200ダウンロードだった.また,ブログ記事のページビューでは,「福島の原発避難地域内の人口」のページが5,800アクセスで最も多かった.これらのアクセスは,検索サイト経由のものが多く,特定のキーワードでの検索で筆者のサイトが上位に表示されるためである.
4.課題
人文地理学で頻繁に使用される統計でも,人口,農林漁業,工業,商業など多岐に渡り,普段からそれらのデータに精通していなければ,正しく解釈することができない.したがって,人文地理学の分野においても幅広い領域の研究者が分担・協力して作成することが望まれる.
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沖縄島南部「玉泉洞」での観測事例
尾方 隆幸
セッションID: P1215
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1. 研究目的
鍾乳洞の大気環境は,過剰な観光利用によって変化することがある.観光客の入洞によって気温とCO
2濃度が大幅に上昇すれば,鍾乳石の再溶解や人体への悪影響が発生する可能性もある.観光鍾乳洞を持続的に利用するためには,微気象のモニタリングとオーバーユースの評価が求められる.本発表では,沖縄島南部の「玉泉洞」における,定点での気温・CO
2濃度のモニタリング結果を報告する.
玉泉洞は,沖縄島南部の雄樋川流域に発達した全長5,000 mを超えるケイブシステムで,第三紀泥岩と第四紀石灰岩の不整合面,もしくは第四紀石灰岩の内部に密な地下水系が形成されている.ケイブシステムの一部は「おきなわワールド」の一部として観光客に公開され,年間約120万人の来訪がある(このうち,鍾乳洞に入るのは約8割).観光洞の区間は約800 mで,その最下流部では洞窟が開口し,外気との交換がある.
2. 観測方法
観光洞の上流部の1地点(外気の影響を受けにくい地点)で,2010年7月からモニタリングを開始している.本発表では,夏休みのピークシーズンにあたる7月1日~8月19日までの50日間のデータ解析結果を示す.
測定には,クリマテック社の温湿度センサー(CVS-HMP-155D),CO
2センサー(C-GMM222),ベーシックロガー(C-CR800-4M)を使用し,60分ごとの気温とCO
2濃度を自記させた.
なお,2010年の多客期(4月29日,5月2・4日,7月17・18日)には,入洞者数のカウントと,観光洞の20地点での移動観測を実施し,30分ごとの観光客数と気温・CO
2濃度の関係も分析した.その結果については池田・尾方(2011)を参照されたい.
3. 観測結果と考察
気温もCO
2濃度も,はっきりした日変化が観測された.気温は,変動幅は外気ほど大きくないものの,観測期間を通じて,午前中に上昇して昼にピークとなり,夜には低下するという日変化を示した.気温の日変化を詳細に検討すると,昼に複数回のピークが発生し,最大のピークは午後(昼過ぎから夕方)に現れることが多かった.CO
2濃度のピークは,気温のピークと一致する場合もあれば,そうでない日もあった.
一般に,鍾乳洞内部の大気環境は,年変化と日変化がほとんどないことに特徴づけられる.気温に日変化が観測されたことは,外気温の変動と観光客の入洞のどちらか,または両者の影響を受けていると考えられる.気温のピークが複数回発生する日は,午前と午後それぞれにピークがあり,正午頃にいったん低下する傾向があった.これは昼食のために観光客数が落ち込む時間帯に一致している.
CO
2濃度の日変化にはあまり規則性が認められなかった.これは観光客によって形成された高濃度CO
2の大気塊が,外気圧の変化と大気の流れの発生により,時間的にも空間的にも変動しているためと考えられる.
池田未来・尾方隆幸 2011. 観光利用による鍾乳洞の大気環境変化―沖縄島玉泉洞における移動観測. 沖縄地理 11: 33-41.
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苅谷 愛彦, 矢部 直人, 杉浦 芳夫
セッションID: S1106
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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E-journal GEOは,地理学評論およびGeographical Review of Japan English editionに続く日本地理学会の第二機関誌として,2006年から発行されている.EGは,地理評やGRにはない特質をもつ.本発表では,EGの目的やねらい,編集体制,展望等を述べる.
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谷 謙二
セッションID: S1102
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
筆者は90年代から地理学関連のソフトウェア等の開発を継続している。当初はソフトを開発してもその配布が困難だったが,90年代末からのインターネットの普及により,公開・配布が飛躍的に容易となり,現在では様々な領域で利用されている.ここでは,ソフトウェア等の開発から公開,ユーザー対応まで,筆者の経験を述べる.
2.ソフトウェアの開発 筆者の開発しているソフトウェア類をその利用の専門性と機能を軸として示したものが図1である.一般に,多機能なソフトほど開発に時間がかかり,そのプログラム・コードも大きくなる.ソフトを開発する際には、既存のソフトでは実現できない機能を実現することが重要で,そうでなければ単なる模倣に終わってしまう.ただし、時間をかけてソフトウェアの開発を行い,継続的にメンテナンスを行っても,論文にはなりにくいという問題がある.
3.ソフトウェアの利用状況と利用促進
筆者Webサイト(http://ktgis.net)からの2011年3月~12月末までのダウンロード状況を見ると,MANDARAは約2万2千回,今昔マップ2は1万回で,VECTOR,窓の杜等の外部サイトからのダウンロードを含めるとさらに多くなる.一方で,専門性の高い「OD行列集計プログラム」は60回に過ぎない. 多くの人が利用できる多機能なソフトを開発しても,存在が知られていなければ利用されない.認知度を高めるには,VECTOR,窓の杜といったライブラリに登録することが重要である.一方,Webサービスではこのようなライブラリが存在しないので,検索エンジンにおいてより上位に表示されるための,SEO対策が重要となる.一方,専門家に活用されるようになるには,専門家間の対面接触による口コミも役立っていると推測している.
4.ユーザー対応
ある程度の専門性があり,かつ多機能なソフトの場合は,操作方法に関するユーザーからの質問が発生する.MANDARAの場合は基本的にWeb上の掲示板で質問に対応しており,最近3年間では約260の質問に対応した.基本的に質問の出された翌日までには返信を行っており,これは確実に対応する姿勢を示すためである.掲示板での質問の中には,時々バグ情報も含まれており,ソフトへのフィードバックとして重要な役割を果たしている.
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-岩殿丘陵の事例を中心に-
佐藤 佑輔
セッションID: 623
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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谷頭部は降雨を地中水として集め,表流水に転化させる“水流発生装置”として機能している地形である.水流発生地点である水路頭の上流側には明瞭な水路が形成されていない谷型斜面を呈する微地形として谷頭凹地が存在する.また谷頭凹地の下部には,かつて水路として機能していたが現在は埋没したと考えられる,浅く長い凹地(Subhollow;田村ほか 2007)がみられ,谷頭凹地の多重構造を示唆している.
本発表では関東平野西縁丘陵のうち岩殿丘陵,高麗丘陵,加治丘陵の谷頭部のそれぞれの微地形構成の特徴を比較し,岩殿丘陵の谷頭部においてSubhollow の復元からその形成過程の検討を行い,水路頭の位置の時空間的変化を明らかにして,それらが集水に関わる環境変化の指標となることを推察する.
岩殿丘陵の一谷頭部の谷頭凹地末端からは高さ約1mの水路頭を境界として下流へ水路が伸びている.この水路頭は,シルト岩基盤の溝状部を厚さ1m,幅2m弱の亜円~円礫層(斜面上部のみ存在する鮮新統~下部更新統と思われる河成礫層から斜面上を移動してきたもの)が埋めている.そこから上流に向かって谷頭凹地内に長さ10~20m,幅1~3m程のSubhollowが伸びている.
位置・形態・各傾斜変換線・土層構成の特徴からSubhollowの形成過程を復元した結果,少なくとも3回の掘削と埋積が繰り返し行われていることが判明した.その形成プロセスには,パイプ出口での小崩壊,水流発生に伴ったガリー壁の表層崩壊などの掘削および土壌匍行や表層崩壊による埋積がある.またSubhollowの掘削と埋積以外に,斜面上部からの急激な埋積と比較的緩慢な細粒物質の埋積がそれぞれある時期に起こっていることも合わせて考えられる.
各Subhollowの上端は,過去の水路頭なので,その位置は各時期の集水条件に対応していると考えられる.そのそれぞれの水路頭の位置での集水面積は約4400㎡,約8000㎡,約11000㎡等,そして現在の12,750㎡と異なっていたと考えられる.この差異は,明らかにStream flowの発生に関わる浸透水の集水条件が変化していることを示す.この変化は,埋積プロセスの発現を含め,同一の谷頭部での降雨条件の変化に対応するとみてよい.
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福島県昭和村の「体験織姫制度事業」に着目して
久島 桃代
セッションID: 412
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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日本では、経済のグローバル化は若年労働者の雇用の非正規化を推し進め、女性たちの雇用の非正規化もさらに進んでいる。こうした現状のなかで、本研究では都市から農村に移動する若い女性たちに着目し、個々の女性たちの自己実現の様子と、その際における場所の関わりについて考える。福島県昭和村では、村独自の物産である「からむし織」の後継者(織姫)育成と交流人口の増加を目的に、1994年から「体験織姫制度事業」(以下「織姫制度」)が実施されている。現在までに88名の女性が織姫に採用され、うち27名が今も昭和村で生活する(2011年3月現在)。そのなかには地元の男性と結婚し子育てをする女性も多数含まれ、都会からやって来た女性も少なくない。本研究では、この(元)織姫たちに焦点をあて、都市から農村へ若い女性が移動するという現象が起きた要因を明らかにする。方法としては第一に、彼女たちを押し出す都市社会と、これを迎え入れる農村社会の両方に着目し、そこにどのような構造的要因があったのかを検討する。第二に、個々の女性たちに着目し、彼女たちが都市から農村へ移動し、さらにそこに定着した、という現象を、それを「農村で生きる私」という主体を構築する過程として、彼女たちへのインタビューの結果を踏まえて明らかにしたい。都市における女性たちの立場については前述のとおりだが、一方の昭和村はといえば高度経済成長期においてに急激な人口流出を経験し、現在は農業の後継者不足・結婚相手の不足等が深刻な問題となっている。このため織姫制度を始めた際には、若い女性を多数迎えれば村の活性化に役立つのではないかという期待もあった(当時の事業担当者の話)。昭和村にとって、織姫たちが有するような、からむしに対し深い関心を持ちこれに積極的に関わっていこうとする姿勢や、研修修了後の村への定着率の高さは、過疎化・高齢化が進むこの地域に大きな活力を与えるものだといえる。都市から移住した織姫たちの昭和村へのまなざしを、彼女たちに対するインタビューからみてみると、現在村の博物館で働くある女性は、「人々の日常生活に根ざした形で織りの技術が残されていることは貴重」と語り、村の人々との人間関係に関しても、「村中の人たちに注目されるのも、みんなに面倒を見てもらっていると考えている」と肯定的に捉える。こうした姿勢は、他の女性たちの間でもある程度共有される。
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池田 和子
セッションID: 414
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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本研究は,「食文化」の商品化のための事例研究である.食文化が経済活動と文化事象の間を循環する過程を想定し,そのうえで文化事象から経済活動への切り替え点を「食文化」の商品化,と規定した.さらに事例を通じ,「食文化」の商品化の諸相を考察する.
事例研究として,福井県坂井市三国町の三國バーガーをとりあげる.これは創出された地域ブランド商品である.「食文化」をゼロから創出する場合に,商品が地名を冠することの意味,その際地名の示す領域の扱われ方を明らかにする.
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吉原 遼
セッションID: 506
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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日本を巡る国際旅行者の状況をみると、これまで訪日外国人旅行者数よりも海外旅行を行う日本人旅行者の方が多いまま推移している。しかし、従来の研究では海外旅行をする日本人の観光行動についてはあまり研究が行われてこなかった。日本における観光行動についての研究は都市内や観光地内で行われており、これらのスケールでの観光行動は明らかになりつつある。しかし、このスケールよりも広域な範囲の観光行動についてはほとんど解明されていない。ところで、ガイドブックは旅行者に必要な情報を提供するものである。つまり、ガイドブックを分析することで旅行者の嗜好が分かり、旅行者の特徴をより明確にすることができると考えられる。本研究の目的は、スペインを訪れる日本人旅行者の観光行動空間を明らかにし、その特徴に影響を与える要素を考察することである。ここでは、旅行者が訪問する都市を分析することによって観光行動空間の特徴を明確にする。具体的には、日本人旅行者への聞き取り調査によって、彼らが訪問する都市の特徴を明らかにする。また、日本語と英語、スペイン語で書かれたガイドブックの分析結果や聞き取り調査の結果から、観光行動空間の特徴について考察を行う。日本人旅行者の特徴として、初めてスペインを訪れる旅行者が多く、7日程度の日程で周遊旅行を行うことが挙げられる。そのため、移動に関わる時間を最低限に抑え複数の都市を訪問する傾向が明らかになった。目的地となるのはマドリッドやバルセロナといった大都市とアンダルシア州である。ガイドブックにもそれら都市や地域について多くの記載がみられる。一方で、北スペインを訪れる旅行者は非常に少なく、ガイドブックでも扱いは小さい。都市ごとの訪問者数とガイドブックの記載量の関係をみるために回帰分析を行った。その結果、両者の間には強い正の相関がみられた。アトラクションについて日本語とその他言語のガイドブックの記載を比較すると、日本語ガイドブックでは美術館や遺跡・史跡の記述が多く、自然資源やナイトライフについての記載が少ない。実際の観光行動もガイドブックと同様の傾向を示した。 これらの結果から、日本人旅行者がスペインに対して有している知識やイメージは限られており、ガイドブックからの情報も一部の地域に偏っており、観光行動が限定的な傾向を示すと考えられる。
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宇宙化時代の地理教育の教材開発研究
山口 幸男
セッションID: 208
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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宇宙化時代の地理教育論に関わる教材開発研究の一つとして「月の地理学習」を提起し、その教材内容、指導計画について考察する。
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鈴木 富之
セッションID: 301
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1970年代以降,スキー観光地の拡大により,ペンションの集積がみられた.ペンションの多くは,都市からの移住者(脱サラ組)が新たに開業したものであり,経営者の趣味を活かした家族経営がなされてきた.バブル期には,スキー人口が増加したため,ペンションは首都圏からの多くのスキーヤーを受け入れてきた.しかしながら,バブル崩壊以降,スキー人口の減少により,ペンションでは宿泊客の減少が顕著になり,新たな経営戦略を試みる例もみられる.本研究では,長野県峰の原高原におけるペンションの変容に関する諸特徴を明らかにし,その要因について考察を加える.1960年代以前,峰の原高原は入会林野であった.しかしながら,その後,入会林野はほとんど利用されなくなった.そこで,長野県企業局は1971年から「菅平方式」による観光開発を開始した.具体的には,ペンションの分譲,スキー場やゴルフ場,テニスコートなどの開発が行われた.その結果,峰の原高原におけるペンションの宿泊客数は,スキー人口の増加がみられたバブル期まで増加し続けた.ところが,バブル崩壊以降,峰の原高原のペンションでは,宿泊客の減少が顕著になった.このような状況下,峰の原高原のペンションでは,集客の安定化を図るために,2000年代から陸上競技団体の受け入れが行われるようになった. 現在,峰の原高原ではペンション経営の分化がみられている.まず,高齢者が経営するペンションは,インターネットを用いた新規顧客の獲得に積極的ではなく,リピーターの受け入れを中心とした経営を行っている.高齢者が経営するペンションでは,これらの借入金を完済しているケースが多い.また,子供世代が独立し,かつ年金を受給している.そのため,比較的経済的な余裕があると考えられる.一方,非高齢者が経営するペンションでは,陸上競技団体の受け入れや,インターネットを利用した新規顧客の獲得に積極的である.これらのペンションのなかには,開業時に借用した借入金を完済していないものも多い.また,子ども世代が就学しているケースも多くみられる.さらに,安定した収入が見込める副業が少ない.このように,不安定な経済状況により,新たな経営戦略の導入にも積極的である.峰の原高原におけるペンション経営の分化は,スキー人口の減少,中古物件の存在による新たな経営者の流入,各ペンションにおける経済状況や労働力構成などと密接に関連している.
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-旧版地形図を手がかりに-
乾 睦子, 青山 智哉
セッションID: 818
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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国内の石材産業は,西洋建築が導入されるとともに技術導入が始まり,数十年の間に隆盛して多くの歴史的建築物に国産石材が利用されることになった(乾・北原,2009).たとえば埼玉県秩父郡皆野町では,戦前より蛇紋岩石材が採掘され,国会議事堂をはじめ多くの歴史的建築物に利用されてきた(乾・岡島,2011).蛇紋岩石材は,大理石(石材業界では蛇紋岩も大理石に含められる)には珍しい濃緑の色彩や脈のパターンの美しさが特徴で,海外に輸出されていた時期もある優れた資源であった.しかし,そのような石材産業が国内にあったことは今ではあまり知られていないばかりか,もはや歴史を追うことすら難しいという状況である.たとえば,最高級品としてもっともよく知られた「貴蛇紋」という銘柄の採掘場は早くに閉山したため,その正確な場所も今では地域住民の記憶にしかなく客観的な証拠が得られない(乾・岡島,2011).最後まで稼行を続けていた採掘場も閉山し,今後も手がかりが増えることは考え難い.歴史的建築物の価値を適切に評価し,適正な保全を施すためにも,国産石材産業の歴史・変遷について知っておくことが必要である. そこで本研究は,石材採掘場の歴史を客観的に調査する方法として,旧版の地形図からの採石場データ抽出を試みたものである.国土地理院発行1/25000地形図の「安戸」は皆野町を含む地域で,昭和45年を最初に数年おきに更新され最新版を含めて7版が入手可能である.現地調査および航空写真から判定できる範囲で「採石場」の記号が記載されている.この記号を各版から抽出して重ねたものが図1である.採掘している岩石の種類は,採石場の位置と地質図とを重ね合わせることで推定した(図2).乾・岡島(2011)で現地ヒアリング調査によって探索したいくつかの蛇紋岩採石場について,この方法でも発見できるかどうかを検証した結果,ごく小規模な旧採石場については発見できないものもあったが,現地ヒアリング調査によって解明していた採石場の一部は本研究の手法にて発見することができた.本手法は産業史の観点から長期間にわたる変化を抽出するには最適であった.ただしすべての旧採石場を発見することは難しく,地域住民の記憶証言を補完・裏付ける手段として用いることが適切であることが分かった.
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-Gegen Gentrification,つくられた抵抗・反体制の場所-
池田 真利子
セッションID: 504
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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本発表では,ベルリンが現代において都市として「体験」した特殊な歴史的背景に注目をしつつ,占拠運動(Hausbesetzung, Squatting)の一例である文化施設タヘレス(Kunsthaus Tacheles)という特定の場所における芸術家・運営側の意図に着目し,その場所ないしは空間が,現在のベルリン市内で「対ジェントリフィケーション」という文脈においてどのような意味,役割を担っているのかを明らかにした.ベルリンにおける占拠は,第三波に分けられる.タヘレスは,その中で第二波,つまりベルリンの壁崩壊直後に,国家,権力からの「自由空間(Freiraum)」の創出の中で,東ドイツ人により開拓された芸術の為の空間である.現在,タヘレスは,運動の主体を変化させながらも,存続している.その背景には,タヘレス自体の「観光地」化と,一方で市内において加速する再開発・ジェントリフィケーション等の資本主導の都市構造変化に対する市民の抵抗である.
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遠藤 匡俊
セッションID: P1320
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1800年代初期のアイヌ社会を対象として、家ごとの居住者数の違いが集落の戸数や人口とどのような関係にあるかを分析した。1800年の択捉場所、1803年の厚岸場所、1812年の静内場所、1828年の北蝦夷地東浦の4地域における一家あたりの構成員数の平均は5.01人であった。136集落のうち、5人以下の家のみで構成される集落は21、6人以上の家のみで構成される集落は26、5人以下の家と6人以上の家から構成される集落は89であった。集落を構成する家数の平均は、5人以下の家のみの集落は4.0戸、6人以上の家のみの集落は2.3戸、両者の家の集落は8.6戸であった。集落の人口の平均は、5人以下の家のみの集落は14.3人、6人以上の家のみの集落は19.5人、両者の家の集落は42.1人であった。
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比企 祐介, 松田 辰, 羽田 麻美, 藁谷 哲也
セッションID: P1109
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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アンコール・ワットは,おもに砂岩やラテライトブロックの組積みにより12世紀に建造された宗教遺跡であり,世界遺産に登録されている.ここでは,熱帯特有の環境による風化や内戦等の人為的影響により,砂岩やラテライトブロックの劣化を認めることができる.しかし,アンコール・ワットのような広い面積(東西1025m,南北820m)を有する遺跡では,構造物の位置や向きにより石材の風化環境や風化状況は異なっているようである.とくに,中央祠堂を囲む最も外側の第一回廊は,砂岩ブロックからなる内壁や柱(外柱,内柱)で支えられているが,内柱の下部は乾湿風化により凹み(深さ5~50mm)がみられる.この凹みは柱の外側で深く,内側で浅い傾向が顕著である.そこで,本研究では,第一回廊内柱の強度測定をもとに,回廊の風化環境や凹みの形成条件について考察した.
第一回廊は,東西約220m,南北約200mの長さをもつ方形の回廊で,全205本の内柱がある.内柱の強度測定は任意に選定した55本の柱を対象に,エコーチップ硬さ試験機を用いて実施した.すなわち,測定した柱は北側回廊で15本,西側回廊で12本,東側回廊で11本,南側回廊で17本である.測定箇所は,柱の外側と内側の2面を対象に,1) 柱下部に形成された凹みの最奥部,2) 回廊の床面から高さ80cmおよび高さ125cmである(計330箇所).エコーチップによる測定は,連打法および単打法でそれぞれ柱表面を5回ずつ打撃して行った.そして,連打法の測定値は上位3点の平均値を
Lmax,単打法の測定値は5回の平均値を
Lsとした.
強度測定の結果,
Lmaxは東西南北の各方位の回廊および柱の両面で500HLD前後を示し,柱の設置位置や向きによる違いは認められなかった.これに対して,
Lsの平均値は,柱の内側,外側ともに凹みの最奥部が高さ80cm,125cmより低いということがわかった.これは,柱の風化が凹みの最奥部で進行していることを裏付けていると考えられる.凹み最奥部の
Lsは,内側の平均値が外側の平均値より低いことが示された.柱の内側は空気が滞留しやすく,湿気が逃れにくい建築構造となっている.このため,柱の含水比が高く保持され,
Lsは低く示されたと推測される.一方,柱の外側は日射を受けやすく,柱の内側よりも乾湿の繰り返しが頻繁に起きると予想される.柱下部の凹みの深さが外側で深く,内側で浅い傾向が認められるのは,このような乾湿変動の大きさや頻度の差異に関わっているものと考察される.ところで,最奥部の
Lsを回廊の向きごとに比較すると,柱の外側の
Lsは南側で最も低く(平均355HLD),北側で最も高い(平均440HLD).一方,柱の内側の
Lsは,回廊の位置に関わらず南側回廊の柱外側の
Lsよりもおよそ低い.これは,柱の内側や南側回廊でとくに風化が進行していることを反映していると推察される.
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-2010年インド・ラダークでの集中豪雨被害をめぐる考察-
山口 哲由
セッションID: 114
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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ラダーク管区は,インドの北西部のジャンムー・カシミール州に属する。集中豪雨被害は2010年の8月にラダーク管区の中心地であるレー県で発生した。政府発表では死者265人,うち132人が現地住人であったとされる。最も大きな被害を受けたのが県中心部に近いチョクラムサル新興区であり,43人の死者数を数えた。チョクラムサル新興区は,ラダック中心部を流れるインダス川に注ぐサブー川の扇状地に位置しており,上流には伝統的な村落であるサブー村,インダス川との合流点付近にはチョクラムサル村が位置している。 集中豪雨が発生した8月5日,チョクラムサル新興区では,午後7時過ぎから小雨と雷が続き,11時過ぎから突如として猛烈な豪雨となり,15分ほどで土石流がチョクラムサル新興区を襲った。扇状地より上流に位置するサブー村でも河川沿いの家屋などが崩壊し,7人の死者があった。土石流はチョクラムサル新興区を直撃し,サブー川両側に密集していた家屋が押し流された。土石流の岩石は扇状地中心部に堆積したため,扇端部に位置するチョクラムサル村まで到達したのは砂礫や小石のみであり,人命や家屋への被害は比較的少なかった。 ラダーク管区は極度の乾燥地であり,それ故に伝統的な村落は扇状地より上部に位置して支流からの灌漑をおこなうか,あるいは扇状地の末端に位置してインダス川の水を利用して灌漑農業を実践してきた。扇状地中心部は灌漑用水が得られないためほとんど利用されない空白地であった。一般的に扇状地は浸食による土砂が堆積する地形であり,土石流発生時の危険性はこれまでも指摘されてきた。サブー村やチョクラムサル村の立地は,災害対策としても合理的であったといえる。 しかしながら1950年代以降は,地域の中心部に近いサブー川扇状地は便利で平坦な空白地として,カシミール紛争に伴う国境軍の駐屯地や,チベット動乱で流入した難民キャンプなどの大型施設がされた。また,都市化の進展に伴って学校や公共施設,これらの施設関係者の住居が建設されることで,サブー川扇状地は発展してきたのである。このように地域の環境と切り離され,近年のラダック地域の社会状況の変化とともに開発されてきた扇状地で暮らす人びとが大きな被害を受けたのが今回の集中豪雨であり,山地社会における社会変化と密接に関わっていた災害であったと考えられる。
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- 特に民族間の差異に着目して
浅田 晴久
セッションID: P1315
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1. はじめに <BR>
インド北東地方に位置するアッサム州ではチベット高原からヒマラヤ山脈を越えて流下してくるブラマプトラ川の広大な氾濫原で伝統的に稲作が営まれてきた。現在でも人口の大多数が稲作に従事しており、州経済も稲作をはじめとする農業にたよる割合が大きい。しかし伝統技術を多数用いるアッサム州の稲作は他州と比べても生産性が低く、洪水や少雨など自然災害の影響も深刻であることから、近代化の必要性が主張されている。 <BR>
これまでの既存研究の多くは県単位の統計資料を用いて稲作の問題点を指摘するという傾向が見られた。つまり生産量や単位面積当たりの収益というアウトプットに着目したマクロレベルの研究ばかりで、村落レベルの稲作体系、栽培技術についてはほとんど考慮していないのである。また、アッサム州にはアーリア系民族のみならず、チベット=ビルマ系、タイ系など諸民族が混住しているが、民族毎の技術の差異も十分に明らかにされているとは言えない。著者はこれまでタイ系民族アホムの稲作体系について調べ、民族的な特徴よりは生態環境の特徴が濃く表れていることを報告したが(浅田2011)、州内の他民族についても同様のことが言えるであろうか。<BR>
本研究ではブラマプトラ川氾濫原に住む諸民族の稲作体系を村落調査によって明らかにし、その民族間・地域間の差異を考察する。 <BR>
2.調査村落および調査手法 <BR>
2011年9月から12月までフィールドワークを行い、アッサム州のブラマプトラ川氾濫原に位置する12県から32村落を選定した。各調査村落の主要民族の内訳はオホミヤ(12村)、アホム(5村)、ボド、カチャリ、ミシン、ラバ、モトク(各2村)、ムスリム、デウリ、茶園トライブ、カルビ、コーチ(各1村)である。各村落は最寄り街から平均10 kmの距離にあり、氾濫域、平野域、丘陵域といった異なる生態環境にそれぞれ分布している。 <BR>
実際の調査は各村落を訪問し、稲作を営んでいる男性村人をインフォーマントとし、アッサム語による聞き取り調査および観察を行った。調査項目は村落概要(世帯数、民族構成、設立年など)、作付体系(過去および現在)、栽培方法(移植、除草、収穫、脱穀方法など)、品種(在来品種と改良品種、モチ性品種など)、農具(伝統農具と農業機械など)、水田特性(立地、土質など)に及ぶ。<BR>
3.結果と考察 <BR>
調査村で栽培されている稲の種類を調べてみたところ、すべての村落でハリ稲(移植稲、7月から11月まで栽培)が栽培されていることが分かった。ハリ稲に加えて、水田の比高に応じてアフ稲(直播稲、3月~7月)、バオ稲(直播稲、3月~11月)を栽培する村も多いが、地域差・民族差は見られない。一方で乾季作のボロ稲は州西部から中部に位置する村落で栽培されているという傾向がある。 <BR>
栽培方法に関しても村落間で大きな差異は見られないものの、苗床立地、脱穀方法、伝統農具などの一部に民族による違いが見られる。また、犂先の形状については一定の地域性が認められる。 外部技術の普及については、耕作機はほぼすべての村落で利用されているが、灌漑設備と化学肥料、高収量品種については、ボロ稲と同じく州西部の村落でより普及しているという傾向がある。これら外部技術は最寄りの農業局によってもたらされる場合と、住民同士の交流によって普及する場合の2種類ある。後者は特にバングラデシュからのムスリム系移民が重要な役割を果たしていることが村人からの聞き取りによって明らかになった。 <BR>
現在ブラマプトラ川氾濫原では民族間の稲作体系の差異はほとんど見られず、その背景として異なる民族間の歴史的な交流によって技術が普及した可能性が考えられる。<BR><BR>
浅田晴久2011.タイ系民族アホムの稲作体系-インド、アッサム州の村落における事例研究.人文地理63: 42-59.
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全 志英
セッションID: 512
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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密陽市山内面では標高1000mが超える山々が存在する盆地地域であることから,これらの自然環境を利用して,1970年代からリンゴ栽培が始められた.また,著名な観光資源としてのオルムゴルが存在しており,この観光地に訪れる観光客によって,リンゴ農家が旧国道24号線沿いに直売所を出した.さらにリンゴ栽培が盛になった1990年代からリンゴ農家を中心にオルムゴルリンゴ発展協議会が作られ,オルムゴルリンゴ祭りや果樹生産を生かしたリンゴオーナー制度が行われている. 山内面のリンゴ農園の中でも積極的に観光客を取り組む農園はふじ以外にも,夏に訪れる観光客の集客を見込んでつがるやシナノスイートなどを栽培している.
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表面温度と地形・植生の関係について
紺野 祥平, 泉 岳樹, 高橋 日出男
セッションID: P1220
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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関東地方は日本最大の関東平野を有し,平野の西と北側は2000m級の山地に囲まれている.冬季晴天静穏な夜間,山地中腹斜面からの冷気流出と平地での気温逆転層の発達に伴い,平野を取り囲む関東山地の中腹に斜面温暖帯が形成される.
斜面温暖帯にあたる地域は,夜間の気温低下が平野部よりも小さいため,古くから果樹栽培地として利用され,斜面温暖帯研究は農業気象の分野において重要なテーマとされてきた.近年リモートセンシング技術の進歩により,衛星画像による広域かつ詳細な地表面温度情報の取得が可能となり,その技術は斜面温暖帯の把握にも活用されている.
本研究では,複数の地理情報データの総合的な解析に力を発揮するArcGISを用いることにより,これまでの研究で着目されてきた,熱赤外画像の標高,土地利用との関係に加え,新たに植生図と植生指数(NDVI),尾根線・谷線の分布図を重ね合わせることにより,斜面温暖帯への地形的な影響と樹種の違いあるいは植生の多少の影響を把握した.
その結果,晴天静穏夜間,山地中腹の標高200m~400m付近の広い範囲にわたって明瞭な斜面温暖帯が形成され,尾根にあたる部分は谷よりも表面温度が2℃~4℃程度高く,平地よりも8℃~10℃程度高いことが明らかとなった.一方,樹種(主に常緑針葉樹と落葉広葉樹)およびNDVIによる違いは不明瞭で,熱赤外画像の表面温度は地上気温観測値と相関がみられたことから,表面温度分布はその場所の気温の影響を大きく受けているものと考えられた.
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阿部 洋祐, 山口 悟, 澤柿 教伸
セッションID: 614
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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過去の氷河の平衡線高度(Equilibrium Line Altitude:ELA)は,古気候・古環境を知る上で重要な指標となる.ELAの復元について,既存研究の多くは,氷河地形から復元される平面的な氷河の輪郭を涵養域比(Accumulation Area Ratio: AAR)法に当てはめて検討してきた.しかし,この手法では,AAR値の設定次第でELAが様々に変化するという問題があった.そこで本研究では,AAR法とは異なる新たな氷河復元手法(Glacier Snapshot model: GS model)の開発を試みた.さらに,このGS modelの妥当性ならびに,このモデルを用いてELAを復元する際に重要視すべき要素:氷河の流動特性(側岸の影響や流動形態)・氷河表面形状の再現度合い,についても検討した.
GS modelは次の手順からなる.まず,氷河地形の分布から氷河の幅や氷厚など,氷河形態に関わる基礎データを算出する.そして,これらのデータを氷河流動モデルに組み込み,氷河の流量(フラックス)を検討する.なお,GS modelの前提として,氷河の形態が全く変化しない状態(氷河のスナップショット)を仮定している.
GS modelを現成氷河に適用した結果から,このモデルを用いてELAを復元することの妥当性が証明された.さらには流動特性の選択による影響は,ELAの復元に直接関与しないことが示された.また過去の氷河に適用した結果から,氷河表面形状や基盤地形の再現度合いが,ELAの復元において重要なパラメータとなること示された.
本研究の展望として,次の2点があげられる.(1)過去の氷河の正確な3次元的復元:GS modelの計算結果に従って,氷河表面を調整していくことで,過去の氷河を3次元的に正確に復元できる.(2)過去の氷河の流動特性の推定:古気候データに基づき,氷河発達時の質量収支を推測できれば,GS modelから算出できる質量収支分布との比較から,当時の氷河の流動特性を特定できる.
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丹羽 雄一, 須貝 俊彦, 大上 隆史
セッションID: P1120
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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1. はじめに
濃尾平野(図1)では,完新世のデルタフロント~氾濫原堆積物の解析に基づいて,過去6000年間に5回地震沈降が発生したこと,および,それらが平野西縁を画する養老断層系の活動に起因する可能性が高いことが報告されている(丹羽ほか,2010;Niwa et al., 2012).本研究では,濃尾平野で掘削された6本のボーリングコア(図1)について,内湾堆積物堆積時の相対的海面変化をコア地点ごとに独立に復元し,相対的海面変化の地点間の差異から地震性地殻変動の広域的分布について検討した.
2. 研究対象試料
本研究で用いるコアは,下位から網状河川堆積物(ユニットA),河口低地堆積物(ユニットB),内湾堆積物(ユニットC),デルタフロント堆積物(ユニットD),デルタプレーン堆積物(ユニットE)と堆積相区分されている(大上ほか,2009).また,合計115試料の
14C年代測定値に基づいた堆積曲線が大上ほか(2009)によって報告されている.さらに,KMコアとNKコアに対し,コア深度5 – 200 cm間隔でEC測定を行った.測定方法は横山・佐藤(1987)に従った.YMコア,KZNコアMCコアに対しては同様の方法で測定されたNiwa et al. (2011)のECデータを,KZコアに対しても同様に山口ほか(2001)のECデータをそれぞれ用いた.
3. 相対的海面高度の推定方法
相対的海面高度は,古水深を堆積曲線で示される海底面の標高に足し合わせることで推定した.まず,内湾堆積物のECが塩分指標となり得ること(Niwa et al., 2011),および,現在の伊勢湾では水深が大きいほど塩分が高いこと(藤原,2007)から,内湾堆積物のECは水深指標になると推定される.また,内湾環境終了時の水深を近似するとされるユニットDの層厚とユニットC最上位のECには直線的な関係[
y = 5.2
x (
x: EC(mS/cm),
y: 水深 (m)]が認められることから,この式を用いて7000年前以降内湾堆積物終了時までのECを水深に変換した.古水深と海底面標高の和で推定される相対的海面高度には圧密沈下の影響も含まれるため,内湾堆積物が砂質なMCコアを除く5地点における圧密沈下速度も見積もった.まず,海面高度を近似するユニットD/E境界の標高に人為起源の地盤沈下量(東海三県地盤沈下調査会,2009)や地震沈降量(丹羽ほか,2009)を差し引いて自然圧密による沈下量を推定した.次に推定された自然圧密による沈下量と堆積年代から圧密沈下速度を見積もった.圧密沈下速度は,YMコアで約1.86 mm/yr,KZNコアで約0.72 mm/yr,KZコアで0.43 mm/yr,KMコアで0.29 mm/yr,NKコアで0.31 mm/yrと見積もられた.
4. 結果・考察
古水深と海底面標高の和から圧密沈下による相対的海面上昇量を差し引いた相対的海面変化曲線を図2に示す.7000年前の相対的海面高度は,養老断層系から最も離れたNK地点で最も高く,NK地点の次に養老断層系から離れたMC地点で二番目に高い.平野西部の4地点(YM,KZN,KZ,KM地点)では7000年前以降,相対的海面高度は概ね上昇傾向を示す.また,7000年前の相対的海水準は,ユースタシーとハイドロアイソスタシーのみで仮定した同時期の相対的海面高度(Nakada et al., 1991;図2 – (a))と概ね一致することから,NK地点は養老断層系の活動に対し安定傾向を示す可能性が推定される.7000~6500年前のMC地点の相対的海面高度は1000年ごとに1回,0.5 mの地震沈降を仮定した同時期の相対的海面高度(図2 – (b))と概ね一致する.このことから,MC地点は養老断層系の活動に対し沈降傾向(沈降速度0.5 mm/yr程度)にあると推定される.1000年ごとに1回,1 m以上の地震沈降を仮定すると,相対的海面高度は過去7000年間概ね上昇傾向を示し(図2 – (c), (d)),平野西部の4地点で復元された相対的海面高度の傾向と大局的には一致する.このことから,濃尾平野西部では養老断層系の活動に対し,沈降傾向(沈降速度 1mm/yrのオーダー)を有すると推定される.以上を踏まえると,養老断層系から離れた地点ほど沈降速度が小さく,養老断層系から近いほど沈降速度が大きいと考えら,このことは,濃尾傾動運動(桑原,1968;須貝・杉山,1999)が完新世にも繰り返されてきたことを強く示唆する.
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石原 武志, 須貝 俊彦, 八戸 昭一
セッションID: P1116
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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関東平野中央部の荒川・妻沼低地と中川・渡良瀬低地は大宮台地を挟んで隣接し,下流の東京低地で合流する(図1).グローバルな海面変動の影響を等しく受けていたと考えられる両低地は,海面変動に対する河川の土砂供給などのローカルな影響が沖積層の形成や海進の規模にそれぞれどのように寄与したのかを検討する上で適したフィールドである.本発表では,既往研究の成果を参考にしつつ両低地の沖積層の層序・形成過程を対比し,議論する.
荒川・妻沼低地:沖積層基底礫層(BG)を覆って細粒な河成層,海成層,細粒な河成層と累重する(Matsuda, 1974; 安藤・方違,1997;Ishihara
et al., 2011).海成層は荒川低地中流域(河口から約60km上流)まで分布する(安藤・方違,1997;Ishihara
et al., 2011).荒川低地の最大海進は8ka頃である(小松原ほか,2011;Ishihara
et al., 2011).河口から60km地点より上流側では,BGを覆って河成層のみ累重する.河成層の下部は砂礫層主体であるが,8.6ka頃から泥層が卓越し,6.7ka頃には妻沼低地南西部の熊谷扇状地(河口から約80km上流)の現扇端部まで泥層が分布した(Ishihara
et al., 2011; Ogami
et al.,2011).
中川・渡良瀬低地:沖積層の大局的な層序は荒川・妻沼低地と同様であるが,海成層は河口から約70km上流まで分布する(安藤・方違,1997).最大海進は6.5~7ka頃である(田辺ほか,2010).河口から約80km上流では,BGを覆って砂・泥からなる氾濫原堆積物や泥炭が堆積している(澤口,2008). 荒川低地・妻沼低地では河口から60kmより上流側に海成層が分布せず,海進の直接的な影響を受けていない.しかし,同地域の河成堆積物は6.7~8.6ka頃に細粒化し,海進に伴い氾濫原・扇状地が内陸へ後退したことを示す.これは,海成層の分布しない内陸域でも,河川の堆積システムが海面上昇の影響を受けていたことを示唆する(Ishihara
et al., 2011).中川・渡良瀬低地でも,河口から70kmより内陸側でBGを覆うのは細粒な氾濫原堆積物であり,この堆積相の変化には海進の影響が及んでいた可能性が指摘されている(澤口,2008). 一方,荒川・妻沼低地の沖積層は中川・渡良瀬低地に比べ全体的に砂質であるのに対し,中川・渡良瀬低地では軟弱泥層や有機質土・腐植土層がよく発達する.また,荒川・妻沼低地では8ka頃に海退に転じ,中川・渡良瀬低地(6.5~7ka)よりも約1ka早い.完新世中期まで荒川・妻沼低地を流れていた利根川が多量の土砂を供給したため,粗粒物質が卓越し湾が急速に埋積されたとされる (安藤・方違,1997; 小松原ほか,2011).しかし,妻沼低地で扇状地が前進し始めるのは6.7ka以降であり,下流側の海退開始時期よりも遅い(Ishihara
et al.,2011).荒川低地中流域には,関東山地からの支流が複数合流し (図1),利根川・荒川本流に加えこれら支流からの土砂供給が早期の海退の原因と考えられる(Ishihara
et al.,2011).一方,大きな支流の存在しない中川・渡良瀬低地は,内湾の埋積が遅れたと解釈できる. 荒川・妻沼低地と中川・渡良瀬低地における沖積層の形成過程は大局的には類似し,海成層の分布しない内陸域でも河成堆積物の層相変化に海進の影響が及んでいる可能性がある.一方,堆積物の粒度の傾向や海進の範囲・時期が異なることについては,河川による土砂供給が影響していると考えられる.特に,両低地では大きな支流の有無が寄与している可能性が示唆される.
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「産物調査」を手掛かりとして
清水 克志, 山下 須美礼
セッションID: 815
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
元文3年(1738)に盛岡藩で作成された「諸士知行所出物諸品并境書上」(以下「書上」と表記)は,盛岡藩が地方知行を行っている全給人に,知行地ごとの知行内容や自然環境,生産物とその用途を書き上げさせた「産物調査」である.本研究では,給人ごとの属人データである「書上」の情報を,村落ごとの属地データに変換してデータベース化する作業により,816名の給人が提出した1,935件分の給地情報を抽出した.本発表では,「書上」の分析により,近世中期の盛岡藩における知行の形態と地域資源の分布を提示し,近世における自然環境と人間の生産と生活の具体像,それを取り巻く社会環境のありようを考察する.
2.知行の形態
盛岡藩の知行取り給人は,藩庁の職務に従事している「諸士」と,各地の代官所に所属し,そこでの職務を補佐する「在々御給人」に大別できる.「書上」で確認できる人数は,「諸士」が455名,「在々御給人」が361名である.「諸士」は100~200石前後の石高を拝領している層が多く,「在々御給人」では,そのほとんどが50石未満である.給人は1名で複数の給地を得ており,しかも,多くの村が「相給」の状態にあった.「諸士」に含まれる上級・譜代中級家臣に対する給地は,南部氏の伝統的な本貫の地である藩領北部で旧領安堵の形をとり,加増分は天正18年(1590)以降に確定した藩領南部から給与されるのに対し,新参系統の家臣の給地は,藩領南部に限られるのが一般的であった.「在々御給人」の多くは,盛岡以北に所在する12の代官所に所属しており,その給地も所属代官所内の村にある場合がほとんどであった.
3.地域資源の分布
各給地に課せられる所務の分布をみると,北上低地では多くの村落が米で賄うのに対し,山間部や丘陵地では大豆(一部は稗)で賄う村落が集中しており,盛岡藩では畑作地帯が広く分布していたことがわかる.工芸作物では,葉煙草や楮は藩領北部の山間部や丘陵地,藺草や萱類は低湿地にそれぞれ集中しており,適地適作ともいえる地域的偏在が顕著といえる.農業生産以外にも,山林原野や河海川湖沼における採集・漁撈など、多様な地域資源の利用のあり方も確認された.
いずれの村落においても,多かれ少なかれ複数の生産部門や品目の組み合わせの上に成り立っている状況が明らかとなった.藩領北部の山間部などにみられる大豆生産と堅果・山菜類の採取,漆器製造の複合は,その好例といえる.
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奥野 充, 和田 恵治, GUALTIERI Lyn, Sarata Brenn, 鳥井 真之, 中村 俊夫
セッションID: P1110
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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アダック島は,アラスカ州のアリューシャン列島中央部に位置し,完新世のテフラ・土壌層に覆われている(図1).テフラ層は,アリュート遺跡の考古編年など,年代学的枠組みを構築するうえで役に立つ.同島北部のモフェット山とアダグダック山は,完新世に噴火した証拠がこれまでなかった.Black (1976) は,アダック島のテフラ層序と
14C年代を報告し,顕著な3枚のテフラ(下位より,メイン,インターメディエイト,サンドイッチ)が西隣のカナガ島から噴出したと考えた.一方,Waythomas
et al. (2001) は,カナガ島でのテフラ層序と
14C年代から,これらがカナガ島から噴出した可能性を否定し,モフェット山が給源である可能性を指摘した.しかし,これらの研究は,テフラ層の厚さや粒径分布を検討していなかった.演者らは,テフラの給源決定と年代学的枠組みを再検討するため,現地調査,火山ガラスの主成分化学組成および
14C年代測定を行った.上記の3枚のテフラ層は,北部に行くにしたがい厚さや粒径が増す傾向が認められる.特にインターメディエイトとサンドイッチは,新鮮な岩片を含み,アダグダック山北部の溶岩ドームないし火口縁の一部か,近接した海底の未知の火口である可能性が高い.インターメディエイトとサンドイッチの噴火年代は,7.2 cal kBPと4.7 cal kBPと考えられた.さらにその上位の YBO と40年テフラは,3.6 cal kBPと0.4 cal kBPと考えられる.
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阿子島 功, 門叶 冬樹, 加藤 和浩
セッションID: P1108
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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[ 問題点の所在 ] 極乾燥の海岸沙漠地域のナスカ文化(BC200—AD700年)の衰退の原因として古気候の変化が予想されているが直接的な証拠はない。ナスカ文化は、ナスカ台地を刻む谷底面のリバー・オアシスと呼ばれる耕地によって支えられ、それは高度4000mのアンデス山脈西斜面からもたらされる河川水によって涵養されていた。高度4000mの山稜から高度500mの台地の間で乾燥帯の上限の歴史的移動や耕地
3)を検討する必要がある。
Mächtle et al.(2006)
1)は、ナスカ台地の北約20km北のパルパ台地の周辺山地に分布しているレスとそれに含まれる陸成巻貝に注目し、かつての相対的湿潤期に植物が繁茂してレスの固定をもたらしたと考えた。Eitel and Mächtle(2008)
2)は遺跡の分布、段丘堆積層中の洪水堆積期などの材料を加えて古環境変化を論じた。ナスカ文化は乾燥化がすすんで衰え, 1100年から1400年は相対的湿潤期,17-19世紀は乾燥化したとされる。
[ 調査方法と結果 ] ナスカ台地の周辺山地の陸生巻貝の高度分布と地表環境を検討するとともに、陸生巻貝の
14C年代4件を得た。前報(阿子島,2011)の2件
4)と先行研究
1)2)によって約11000年BP以降27点の年代―高度関係グラフに表した(図1)。
岩陰の風成砂の流れ込み堆積層の表面下数cmにある陸生巻貝の年代が数100YBPであり、岩屑斜面で表面採集できる陸生巻貝の殻が現生のものとはかぎらない。
陸生巻貝の殻の分布は、岩屑の多い斜面で雲霧によって岩石表面に貧弱な地衣類が付着しているような場所や谷底の扇状地面であることがわかった。このような場所ではサボテンやパテと呼ばれる低木が点在している。一方、熔結凝灰岩が風化した微細砂の2次堆積層に覆われている所にはこれらの植生は分布せず、陸生巻貝の殻もない。
陸生巻貝の存在で示唆される環境は、密な植被のある状態ではなくサボテンが点在する岩屑斜面でよいから、風成層の堆積は、植被による固定でなく乾燥化によって風成層の供給が増えた可能性も検討される必要がある。
文 献 1) Mächtle,B. et al.(2006)Z.geomorph.142,pp.47-62 2) Eitel,B. and Mächtle,B. (2008) New Technologies for Archeology, Springer,pp.17-38 3)阿子島(2010)季刊地理学,62,222-244 4)阿子島(2011)日本地理学会2011年春季大会予稿集
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東ネパール・オカルドゥンガ郡ルムジャタール村の事例から
渡辺 和之, 上羽 陽子
セッションID: 517
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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東ネパール・オカルドゥンガ郡ルムジャタール村では、ラリと呼ばれる織物がある。この織物は、ヒマラヤ南面山地産の羊毛を糸に紡いで織り、洗って縮めることで、フェルトの布にしたものである(渡辺2009)。その用途は、同村の羊飼いが放牧中の防寒着や寝具として一部自家消費するほか、もっぱら敷物として売り、現金収入源となる。このため、羊飼い以外の世帯でも、羊飼いや仲買人から羊毛を仕入れ、ラリを織る。
ラリを織るのは女性の仕事である。同村では、おもにグルンという民族に属する女性が、農作業や家畜の世話、家事や育児のかたわらでラリを織る。村人によれば、かつてグルンのほとんどの世帯でラリ作っていたというが、この10年間でその従事者は減少した。
発表では、ラリを織る人がどれだけ減ったのか、ラリを現在でも織り続ける人々はどのような人々なのかを分析する。特に世帯の経済状況、家族構成、世帯内分業に留意することで、辞めてゆく人が増加するなかで、どんな人がどのように織り続けているのか、その特徴を明らかにする。結果として、次の点が明らかになった。
まず、首都カトマンズや海外に移住したり、嫁に行った人はラリを継続していない。特にグルカ兵の妻の多くがカトマンズやイギリスに転出しており、ラリを辞めている。夫や息子が海外に出稼ぎに行ったり、村内で公務員などの職業についた世帯ではまちまちである。ラリを続ける人もいれば、辞めた例もある。
次に農地の経営規模をみると、ラリを継続するのは、中小規模の農家に多い。小作に出す余裕のない小規模農家 がもっとも多いが、小作に出す余裕のある中規模農家以上の農家も含まれる。ただし、近年では、出稼ぎの普及により男性労働力が不足する世帯が多くなり、農地を小作に出し、農作業を辞めても、ラリは続ける世帯もある。
羊飼いを継続する世帯、羊毛や敷物の仲買人の世帯では、ほとんどの世帯でラリを継続しており、これらの世帯が中核となる点では10年前と変わりない。また、村内の立地でみると、羊飼いや仲買人の多い地区ではラリを継続する世帯も多く、仕入れや販売網に近接することが重要となる。
ラリを継続する世帯でも、年間に織る枚数もまちまちである。この点で、ラリを織る作業にどれだけ集中できるかが重要である。ラリ作りの過程で最も時間がかかるのが糸を作る工程である。娘が糸紡ぎを手伝う人は織る作業に集中できる。また、糸紡ぎの労働交換ができなくなった世帯では、労働者を雇い、糸紡ぎをする例もみるようになった。さらに、羊毛の買い付けやラリの販売、糸玉作りなど、織り以外の工程を手伝う男性がいる世帯では、ラリを続けることが多く、家族のサポートもラリを継続する上で大きな力となる。
以上の点から、ラリを継続する上で、経済的な貧富の差よりも、ラリの生産ネットワークに近接することが、今日では重要であるといえる。出稼ぎの普及により、現金収入源が多様化した一方で、労働力不足から、生業間のバランスをどう調停するかが問題となった。そんななか、近くに原料の仕入れや販売網がある人や家族のサポートのある人が、他の仕事の比重を落としてでも、ラリを織り続けている。
文献
渡辺和之2009『羊飼いの民族誌』明石書店
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紀伊半島四河川の比較
山田 誠, 高田 将志, 相馬 秀廣, 浜崎 健児, 和田 恵次
セッションID: P1302
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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奈良女子大学共生科学研究センターでは、センターの機関プロジェクトとして「源流から河口域までの河川生態系と流域環境との連環構造-紀伊半島の河川群の比較より-」を行っている。本プロジェクトは、河川流域の自然環境と人為環境が、河川の水生生物の生息とどのように連環しているかを紀伊半島の複数河川間で比較し、流域環境特性が河川の水質と水生生物生息量に与える影響を明らかにすることを目的としている。本研究では、このプロジェクトの一環として、河川本流の形状や流域環境が、流下に伴ってどのように変化していくかを詳細に把握することを目標とし、河川の形状と河川長1kmあたりの集水域の地形的特徴の変化について考察を行っている。対象とした河川は、有田川・古座川・新宮川・宮川の4河川である。解析には、国土地理院の数値標高モデル10mメッシュ(標高)データを用いた。流域界や各種指標の算出はESRI社のArcGIS10を用いて行った。それぞれの河川本流沿いの河床縦断面図を作成し、指数関数とベキ関数でフィッティングしたところ、古座川では指数関数の決定係数が、有田川と新宮川ではベキ関数の決定係数の値が大きくなった。宮川は、指数関数フィッティングがより近いが、古座川にくらべると決定係数の値がかなり小さく、適合度が悪い。宮川の河床縦断面図を他の河川のそれと比べると、全河川長に対する緩勾配区間と急勾配区間の割合が明らかに異なり、他の3河川とはかなり異なる河床縦断面形をしていることがわかる。これらの河川形状の違いと流下に伴う集水域環境の変遷とがどのように関連しているのかについてさらに考察を行っていき、紀伊半島の地形的な流域環境の特徴を把握していく。
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沖津 進
セッションID: 619
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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東北日本亜高山域の植生を整理したうえで,極東ロシアの対応植生との植生地理的関係を展望した.最終氷期の亜高山植生には,湿潤気候要素がレフュージアとして分布し続け,それが今日広がったものと想定される.
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目代 邦康
セッションID: S1105
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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近年,インターネットの普及したことにより,研究者の情報発信の方法に新たな経路が加わった.紙の制約が無くなり,比較的安価で簡単に大量のデータを加工することが可能となった.これは,従来とは異なった形での情報発信方法を生み出す.さらに,研究者と社会との関係性をも変えるきっかけになると思われる.インターネットというツールは,研究者による学術情報の一方向的な発信という形を大きく変え,双方向のコミュニケーションの場を提供することになるだろう.伝統的に学術情報の発信を支えてきた学会における,インターネットを用いた学術情報発信の現状について,概観する.
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阿部 朋弥, 後藤 和久, 菅原 大助
セッションID: 103
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
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●研究の背景と目的 津波堆積物の空間分布は,津波の最小の遡上範囲を推定する重要な証拠である(Jaffe and Gefenbaum 2002).近年発生した規模の大きい津波において,遡上距離が2 kmを超えることは非常に稀であり,これを超える場合の遡上距離と津波堆積物の分布限界の関係は明らかでない. 東北地方太平洋沖地震に伴う津波の内陸への遡上距離は,仙台平野において,河川遡上を除くと最大で約5 kmと報告されている.遡上距離と堆積物分布限界の関係を明らかにすることで,津波堆積物の分布範囲に基づいて行われている古津波の波源や古地震の断層モデルの推定精度を向上させることができる. 本研究の目的は,東北地方太平洋沖地震津波による津波堆積物の堆積プロセスや堆積学的な特徴を仙台平野周辺で調べ,遡上距離と津波堆積物の分布限界の関係を議論し,さらには869年貞観津波による堆積物の分布との比較を行うことである.
●研究手法 本研究では,仙台平野周辺において,測線距離が0.6-4.0 kmの8測線を設定し,2011年4月,6月および8月に調査を行った.各測線の海側端点は汀線とし,陸側端点は現地で決定した.各測線上で,約10-340 m間隔に合計183地点でピット掘削を行った.各ピットでは,津波堆積物の層厚,粒度,堆積構造の記載を行った.
●津波遡上距離と砂層分布限界の関係 貞観津波に伴う砂層について,地層中で認識可能な層厚を菅原ほか(2010)は0.5 cm以上としているため,各測線において,層厚0.5 cm以上の砂層の分布限界に着目した.各測線の層厚0.5 cm以上の砂層の分布限界は,海岸線から0.59-2.99 kmであった.菅原ほか(2010)は,仙台平野での貞観津波による層厚0.5 cm以上の砂層の分布限界を,推定した当時の海岸線から,3.0 kmとしている.貞観津波当時と東北地方太平洋沖地震津波時は土地条件などが異なるため,両津波による砂層の分布を単純に比較することは難しいが,層厚0.5 cm以上の砂層の分布限界が類似した値を示すことは大変興味深い.遡上距離が3 km以上の3測線における遡上限界は,層厚0.5 cm以上の砂層の分布限界と比べて1.02-1.73 km陸側であることから,貞観津波の遡上限界も従来の推定よりさらに内陸だった可能性がある.
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森本 健弘, 杉野 弘明, 劉 珂, 花島 裕樹, 山本 敏貴, 艾 博翰, 蘇 磊, 孫 鳴沢
セッションID: 214
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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本発表では,スマートフォンやタブレットPCを端末とするクラウドGIS によって複数人によるフィールドでの空間データ収集を行えるシステムを構築し,実際に利用した例を報告する.
今回用いたクラウドGIS のサービス提供部分はESRI 社のArcGISOnlineおよび発表者らが設置したGIS サーバからなる.後者はサーバOS で稼働するPC にSQLによるデータベース管理システムを構築したうえでESRI 社のArcSDE およびArcGISServer を導入したもので,調査用のGISデータを管理・蓄積し,ArcGISOnline から閲覧・更新させる機能を提供する.端末部分は調査者各自のスマートフォンやタブレットPC にArcGIS をインストールしたものである.
このシステムを博士前期課程1 年生の履修するフィールドワーク実習授業での土地利用調査およびテナント業種調査に用いた.11 人の院生が各自の端末のArcGIS を起動し3G 回線経由でArcGISOnline にログインし,共有する背景地図レイヤと編集対象レイヤを端末のArcGIS 画面に呼び出して,各自の分担範囲で同時に調査を進めた.端末画面にタッチして編集対象レイヤに図形を描き,続いて記号表現を選択し,用意されたフィールドへ属性データを入力する,という単純な手順で空間データを作成できた.1 つのフィーチャが入力されるとその情報はArcGISOnline を経由してGIS サーバに伝えられ,サーバ内のデータが更新されて,その結果は全員の端末画面にすぐに反映された.つまり調査経過の全体を常に全員の端末で確認できた.このため状況に応じて教員が院生に指導助言したり,院生どうしで相談・協力しあったりという柔軟な対応が可能であった.作成されたデータはArcGISDesktop 等で利用できた.
このシステムでは複数の調査者が,容易に操作できる自前の端末を用いて,共通の空間データベースを同時に編集し,調査経過を同時に共有できた.こうしたクラウドGIS の利用法は,共同的な調査プロジェクトをすすめる基盤として,参加者が調査経過を共有しつつ柔軟に利用できるという大きな有用性をもつ.
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淡野 寧彦
セッションID: 417
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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1.はじめに
1世帯あたりの穀類購入金額は1993年の119,810円からおおむね減少傾向にあり,なかでも米の減少が著しい。一方,麺類の割合は増加傾向にあり,2009年では穀類全体の約22%を占める。また近年では,ラーメンや焼きそば,うどんといった麺類がとくに好まれ,地域活性化などの手段としても注目されている。国内農産物の活用や食料生産に関わる技術・雇用を維持・向上させるためには,こうした消費の動向に適応した取り組みが重要であり,第1次産業のみの動きでなく,異業種間の関係性を強化した活動が不可欠である。本報告では,秋田県湯沢市における麺類産業を取り上げ,なかでも地域の伝統技術や文化と密接な関わりをもつ稲庭うどんと,地域の主要農産物である米を活用したこまち麺の2つに注目する。これらの食料産業が,麺類消費の相対的拡大を背景として,どのような異業種間の関係性を築きながら展開しているのかを明らかにする。
2.稲庭うどん
稲庭うどんは,1980年代から主に贈答品としての需要が拡大し,2000年頃には業界全体の年間売上額が約60億円に達したが,その後は横ばいないし微減傾向にある。近年では,飲食業との結びつきを強め,業務用商品の売上増加や,稲庭うどんの技術を生かした新製品開発などが展開されている。また,県内屈指の観光地である仙北市角館町中心部では,稲庭うどんが地域の名産品として大々的に取り扱われるなど,観光業との結びつきも強まっている。
3.こまち麺
こまち麺は,湯沢市や羽後町で生産されたあきたこまちを用いて製造されるもので,2006年に湯沢市のM社が販売を開始した。M社は製麺技術の開発を横手市や埼玉県の企業とともに進め,2009年にこまち麺の完全自社製造を実現した。また,こまち麺の販路拡大を図るため,大手卸売企業との関係性強化を進めた。2010年の実績では,提携する農家85戸,売上量42万袋にまで事業が拡大した。
4.おわりに
本報告で取り上げたそれぞれの事例では,異業種間関係の強化によって,商品売上の維持・向上や,商品品質の改良などが実現され,これらがいずれの麺産業の存続や拡大にとって重要な意味を持っていた。ただし,こうした動きでは,特定地域内のみでの関係が主眼とされるのではなく,技術や流通面を考慮したうえで,様々な空間的広がりを持った関係が形成されている。
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丹羽 孝仁
セッションID: P1317
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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タイは東南アジアの中でも高等教育の普及に大きく力を注いできた国の1つである.国家予算の2割以上を占める教育政策によって,2000年から2010年までに高学歴就業者数は339万人から621万人に増加し,2010年では全就業者数の16%を占めるに至っている.
労働力の高学歴化は,中間層の拡大に関する議論や教育政策に関する議論を通じて指摘されてきた.しかし,高学歴労働力の労働市場参入に着目した既存研究は少なく,水上(2005)やOnishi(2004)などが散見される程度である.特に,高学歴労働力の空間的移動パターンを明らかにした研究はなく,労働力移動と労働市場の分析視座が求められる.
そこで本研究では,タイの経済発展に伴う高学歴化が国内労働力移動と地方圏の労働市場に与える影響を明らかにすることを目的とする.
研究課題は次の2点を掲げる.①大学進学時と卒業時の地域間移動の空間パターンを分析すること,②東北タイのコーンケン県とウドーンターニー県で就業する大卒労働者の就業歴を分析することである.
分析に用いたデータは,教育省高等教育委員会が有する大学卒業生の出身地,就学地,就業地に関するデータおよび上記2県で実施した現地調査によって得た大卒労働者393人の就業歴に関するデータである.
地域間移動の分析結果から,大卒労働力の地域間移動に3点の特徴を見いだした.第1に,バンコク都への大卒労働力の集中は,大学進学時に地方圏からバンコク都に流入した進学者がバンコク都に就業することを通じてもたらされる.第2に,地方圏においては大卒者の進学先および就業先がともに自県を志向する傾向が強く,地方圏において自県進学の要因の1つとしてタイの入試制度が考えられる.第3に,一部の理工系の卒業生が拡大バンコク首都圏に流入するが,それは同地域の工業部門の豊富な労働力需要に対応する.
地方圏の大卒労働者の就業歴を分析した結果,次の3点が明らかになった.第1に,大卒労働者を彼らの過去の移動パターンから,就学・就業とも自県とする者,就学・就業のいずれかを他県で経験して現在自県に帰還している者,他県からの流入者の3タイプによって,職種,給与水準に明瞭な差異が存在し,大卒労働者間にも階層構造が確認できる.第2に,大卒労働者の移動パターンに関係なく,転職によって職種と給与水準の変化が起きる傾向にある.これは大卒労働者が転職を通じたキャリア形成を志向する一因として捉えられる.第3に,労働者の就業意識と移動パターンの関連から,県外での就学,就業経験を有する労働者ほど,若年時における転職を通じたキャリア形成を志向する傾向が強く,就業意識の違いも労働市場内の階層分化をもたらす一因になっている.
以上の結果より,労働市場参入以前の就学が大学の社会的評価と結びついて,地域ごとの大卒労働者のキャリア形成に寄与していると捉えられる.その結果,地方圏の大卒労働者の就業内容においても階層的構造が作られていると結論づけられる.
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林崎 涼, 白井 正明
セッションID: P1101
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は日本観測史上最大のM9.0を記録し,地震による大規模な津波により甚大な被害をもたらした.本研究では津波の被害があった地域の中で,貞観地震の津波堆積物が確認されている,福島県相馬市松川浦周辺における津波堆積物の分布と特徴について報告する.
調査地域での東北地方太平洋沖地震による津波高は相馬港で9.3m以上,津波の遡上高は相馬港周辺で最大21mである.震災後に津波の遡上範囲が複数描かれているが,本研究では日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チームが作成した“2011年3月11日東北地方太平洋沖地震に伴う津波被災マップ”を使用した.
2011年7月17日に福島県相馬市の松川浦周辺において,6カ所で津波堆積物の調査を行った.
Loc.1からLoc.3の小泉川・宇田川沿いの水田や畑の上に堆積している津波堆積物は,海岸から離れるに従って薄層化・細粒化する傾向を示している.一方,宇田川河口付近のLoc.4では,上流のLoc.2やLoc.3よりも津波堆積物が薄い.Loc.4は微高地で,アスファルトに覆われていたため,侵食により周辺の堆積物を取り込んでいないことが影響している可能性がある.
Loc.5の水田上では津波堆積物は6cmの厚さだが,水田脇の用水路では26cmの厚さであった.Loc.6は水田と微高地である農道との境であり,水田上よりも厚い17cmの津波堆積物を確認することが出来た.これらは津波堆積物の厚さが微地形により容易に変化する特徴を示している.
Loc.3では3層の級化する津波堆積物の砂層の間に2枚の薄いシルト層が挟まっている.このシルト層は押し波後の水の停滞時に,浮遊していた粒子が堆積したものと考えられる.従って,3層の砂層のうちシルト層に覆われている下部の2層は押し波によって形成された可能性が高い.Loc.5では2層の級化する津波堆積物の砂層の間に1層のシルト層が挟まっている.このシルト層も押し波後の水の停滞時に堆積したと考えられ,これに覆われている下部の砂層は押し波によって形成されたと考えられる.上部の砂層は陸側に傾斜するラミナが確認できることから,この砂層も押し波で形成された可能性が高い.
以上のことから,松川浦周辺には少なくとも2回の大きな津波の襲来があったと考えられる.
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村井 謙太, 高橋 日出男
セッションID: P1218
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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本研究では、山岳の占める割合が多い中央日本地域において、1kmメッシュの解析雨量のデータを用いて寒冷前線通過に伴う降水分布を統計的に調べ、その要因となる周囲の環境場の特徴を客観解析データから解明することを目的とした。先行研究では、寒冷前線通過時に中央日本では地形の影響を受けて降水の領域、強度などの分布が複雑になることが明らかにされている。しかしそれらの研究は事例解析を中心としたものが多く、気象官署やアメダスの地点データを解析に使用した研究がほとんどであった。従って雨量計の設置が困難な山岳地域や海上における寒冷前線性降水についての面的な理解は十分ではなく、より詳細な解析が望まれていた。
解析ではまず始めに、地上天気図を用いて2006年から2010年の5年間に寒冷前線が中央日本を通過した事例を抽出する。次に全事例についてひと雨の積算降水量の分布図を作成し、その特徴をもとに寒冷前線性降水をタイプ別に分類した。すなわち、主な降水域がほぼ日本海側のみに見られるタイプ(タイプA)、主な降水域が日本海側と太平洋上に見られるタイプ(タイプB)、中央日本で広く降水域が見られるタイプ(タイプC)、各地に熱界雷を引き起こすような夏季の特殊タイプ(タイプD)の4つである。さらにタイプCは、対象領域ほぼ全域で降水のあるタイプC-1と、関東地方で無降水の領域が目立つタイプC-2の2つに分けることができた。タイプAやタイプBでは本州内陸部の降水はわずかだが、タイプCやタイプDでは関東以西の中央高地において総降水量や降水強度、降水頻度が大きくなる傾向が見られた。そしてタイプAやタイプBからは、解析雨量の格子における1時間最大雨量は海上や沿岸部で大きくなるのに対し、1mm/h以上の降水の出現頻度や降水継続時間は、海岸から少し内陸に入った地域で大きくなることが分かった。各タイプごとに寒冷前線通過前後の周囲の850hPa面の環境場をコンポジット解析した結果、タイプAでは通過前後とも対象領域では北西風が卓越し、前線に伴う循環は日本海側の一部にしか見られないが、タイプBでは前線が日本の南海上に出た後に風のシアラインが形成されている。また、タイプCでは全般に相当温位の値が高く、陸地に暖湿な気流が流れ込んでいた。特にタイプC-1では前線付近の相当温位の集中帯と風のシアが明瞭で、前線活動が活発であった。
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奥野 充, MIRABUENO Hannah, LAGUERTA Edgardo, DELOS REYES Perla, BORNAS Ma ...
セッションID: 601
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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イロシンカルデラは,フィリピン・ルソン島南東端に位置しており,カルデラの周囲には,イロシン火砕流堆積物(60 km
3 DRE)が分布している(図1),炭化木片の
14C年代から,約41 cal kBPの噴火年代が得られ,この火砕流のco-ignimbrite ashが,マヨン火山西麓のイナスカンスコリア丘で発見された.また,イロシンカルデラの後カルデラ火山であるブルサン火山は,現在でも噴火活動を続けている.演者らは,福岡大,鹿児島大,Philippine Institute of Volcanology and Seismology(PHIVOLCS)の3者間で共同研究に関するMOUを締結し,科研費基盤研究 (B)(課題番号:21401005)を受けて現地調査およびボーリング掘削を行った.その結果,イロシンカルデラを形成した火砕流噴火およびブルサン火山の噴火史について多くの知見を得た.本講演では,これらの結果の概要を報告する.イロシン火砕流堆積物は,2つのユニットに区分される.火砕流に先行する準プリニー式降下軽石も認められ,その下位には先駆的な噴火によるガラス質火山灰がある(Kobayashi
et al., 投稿中,地学雑).この火砕流や関連する降下火山灰について,32~47kaの熱ルミネッセンス(TL)年代も得られている.これらの一連の火砕物は,カミングトン閃石を含む.火山ガラスのSiO
2は約77%である.これらの特徴は今後の広域対比に有効であり,時間指標層として役に立つであろう.ブルサン火山は,カルデラ形成後に誕生したと考えられる.カルデラ底(BH-2)でコア深度約50mまでのコア試料を得た.これらは,ほとんどがラハール堆積物からなるが,流紋岩質火山灰が8枚,安山岩質火山灰が1枚,認められた.これらの給源火口は不明である.今後は,イロシンの火山灰を鍵として,タールやピナツボ火山などのテフラも検討し,ルソン島での広域テフラのネットワークを確立したい.
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田瀬 則雄, 山中 勤, 林 久喜, 田村 憲司, 仁平 尊明, 小野寺 真一, ヒラタ リカルド, サライバ フェルナンド, テラダ ラフ ...
セッションID: 525
発行日: 2012年
公開日: 2013/03/08
会議録・要旨集
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成長速度が著しく速いユーカリの植林が世界の多くの地域で行われ、ブラジルは世界最大のユーカリ植林国である。ユーカリの木材資源としての有用性は高いが、環境への悪影響-水・栄養塩消費、多様性破壊、発生有害物質などが懸念され、オーストラリアなどでは弊害が出ているが、ブラジルではこれらの問題がほとんど顕在化していない。一方、ブラジル南東部はトウモロコシやサトウキビの主要産地で、農地での施肥による地下水の硝酸性窒素汚染が顕在化ししつあるとともに、近年強度の激しい降雨頻度が増加する傾向にともない畑地からの土壌侵食・流亡も深刻である。本研究は,ユーカリ林の環境・生態学的悪影響などが顕在化していない科学的根拠と影響発現の閾値(条件)を現地調査と文献で行いながら、ユーカリの特性を利用し、農地からの栄養塩溶脱による地下水汚染とサトウキビやトウモロコシの大規模耕作による土壌侵食の防止などを、ユーカリ林の植林地の配置-土地利用連鎖系-、営農方法の最適化により構築することを目的としている。 研究対象地域として,サトウキビ畑とユーカリ林が隣接し,地下水面が浅いサンパウロ州の2ヶ所を選定した。調査地一帯は風成のシルト質砂層からなる標高500~600 mの波状の準平原で,Piracicabaでの年平均気温は21.4℃,年降水量は1279mmである。2011年については,気温は平年並みであったが,降水量は平年より300mmも多かった。両サイトとも上流側にサトウキビ畑が存在し,下流側にユーカリが植林され,その樹齢はおよそ4年(通常7年で伐採)、樹高は15m程度である。 両地点に100m x 200mの範囲で,3~8mほどの地下水観測井網を掘削し,地下水位,水質を分析し,表層土壌の理化学特性を分析した。また,周辺地域で,湧水,井戸水,河川水なども採水・分析した。サトウキビ畑では施肥による地下水中の硝酸性窒素濃度の上昇,耕作による表土の流亡などが認められたが,ユーカリ林では硝酸性窒素濃度は低く,土壌は保全されていた。ユーカリ林による吸収の効果については今後評価する予定である。また,農耕地が広がる周辺地域の湧水や井戸水の水質は概して良好であった。今後,より詳細な調査解析や聞き取りを行い,実態の解明と共に,持続可能な営農方法を検討したい。なお,本調査は科研費基盤研究B(海外調査)により実施している。
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