本研究では,左半球の広範な脳梗塞によって嚥下失行が疑われた一症例の改善経過から,嚥下失行の概念の検討と左半球症状との関連について検討した.
症例は72歳の右利き女性で,1998年3月3日に意識障害と右片麻痺にて発症し,脳梗塞と診断された.頭部MRIにて左中大脳動脈領域の広範な梗塞巣を認め,神経心理学的所見は,Broca失語,発語失行,口腔顔面失行,観念運動失行を認めた.嚥下機能所見は顕著な下顎,口唇,舌,咽頭の知覚障害および運動障害を認めず,非意図的な唾液嚥下が可能であったのにも関わらず,意図的な嚥下場面において嚥下躊躇による口腔から咽頭への送り込み障害を認めた.
改善経過として,Broca失語と発語失行の改善は軽度に留まったが,観念運動失行,口腔顔面失行は著明に改善し,その改善に伴い嚥下障害は発症当初の経口での嚥下困難または不能な状態から,発症95日後には経口による介護食 (軟飯,軟菜) の三食全量自己摂取まで改善した.
本症例は顕著な下顎,口唇,舌,咽頭の運動麻痺や知覚障害を認めず,口腔期の非意図的場面で唾液嚥下が可能であるものの,意図的な嚥下場面では躊躇し,舌の非協調運動に起因する送り込み障害を認めた.本症例の嚥下障害は,多彩な左半球症状を合併し,これらが同時期に改善したことから,左半球の広範な損傷に起因した嚥下失行であると考えられた.
抄録全体を表示