マレーシアにおける人文地理学は,クアラルンプールにあるマラヤ大学において,1959年に始まった。教室の外国人地理学者とマレーシア人研究者からなる初期のパイオニア達は協力しあい,教室は1970年代から80年代を経て90年代にかけて,絶頂期を迎えた。その後,英語を使用しない教員の採用や年長の人文地理学者の退職と代替雇用の政策的な遅延,それから教室規模の縮小などがあったために,少数の人文地理学者の研究活動は盛んであるが,以前ほどの隆盛はない。マレーシア国民大学(UKM)とマレーシア科学大学(USM)の2つの地理学教室は,総合的で学際的なプローチを採用したので,人文地理学の役割と機能は,むしろ限られたものとなった。例えば,UKMでは人文地理学のコースが他の学問分野と再統合され,地理学科は学科の中の1つのプログラムに変更されてしまった。このような多分野の統合は,USMの人文地理学の研究と出版活動も変質させた。マレー語による論文公表の拡大は,人文地理学者が世界の人文地理学者集団に参加したり,あるいは突出することを制限するように作用した。その他のマレーシアの大学では,人文地理学は人文および社会科学の中で重要な役割は果たしていない。最後に,高等教育機関における地理学専攻の学生数の減少は大きな課題であり,中等教育機関で地理学が必修化されなければ,人文地理学が持つ本来の価値とその貢献度が,充分に実現することはないだろう。
地理学はインド世界の複雑性を理解するための適切な方法の一つで,こうした地理学の潜在的可能性は政策立案者らによって広く認識されている。インド地理学の歴史は約80年と浅く,草創期では農業と土地利用の研究,都市地理学,人口地理学,集落地理学が研究の中心であった。1970年代および1980年代には,政府系各機関の二次データを活用した計量的手法による研究が普及し,統計的手法の応用はインドの地理学における理論構築をめざした探求が着手される契機となった。そして,1990年代までには,コンピュータの応用とリモートセンシングが地理学者にとって一般的な手法となり,現在では農業,都市空間,人口,社会問題に関する研究やGIS,リモートセンシングが主要な研究分野となっている。また,1990年頃から研究テーマに対する社会的責任を主張する研究者もみられるようになり,今日では性差別の問題,社会葛藤,不平等と格差など,人間が抱える数多くの問題は優先度の高い課題となってきている。
香港の人文地理学は,植民地から脱植民地への移行における実践の生み出す制度が抱える多様な空間性の中に状況づけられた実践として存在する。またその地理学的研究をとりまく物的な環境とは,それをどう理解するかの知識人のアウトプットからなり,諸実践を支える制度との相互作用からも生み出される。知の生産関係において,地方政府が統治を目的として行き当たりばったりに概念を充ててゆく一方で,香港の地理学者も,その地域の環境と同様なものを生み出す主流となる概念をやはり行き当たりばったりに土着化していったりすることはよくありえることである。
香港における人文地理学は,ここ30年ほどで大きく発展してきた。おおまかに見ると,香港における地理学研究は,たいていは定量的な方法論を用い,中国本土に強い関心を示してきた。実際,最近10年から20年の間に,顕著な「チャイナ・ターン」があった。こうした発展にもかかわらず,社会的レレバンスに対する関心が乏しく,この分野における「パラダイム・シフト」もなかったのである。本稿では,地元の地域の研究を含めた社会的レレバンスをめざして大きな一歩を踏む出すことを提案し,オルタナティブ地理学や批判地理学に対して目を見開き関心を向けることを結論とする。
1990年代後半の香港におけるホームレス者の急増は,アジアの財政危機の経済不況や,新自由主義的再編によって引き起こされたが,既存のホームレス施策の再概念化と,ホームレス施策再編を,政府に強く突きつけることにもなった。政府は2001年にホームレス施策に対する3年行動計画を実施することになったが,それ以前より非政府系組織は社会福祉的な対応を手がけはじめ,今日の中間施設体系を生み出していた。とはいえ,施策に対する倫理観や関係性の違いにより,非政府系組織の性格はばらばらで相互の連関も弱かったといえる。しかし政府側も徐々にこうした組織に社会福祉業務を委託し,介入可能な程度に応じてモニタリング機能を発揮し始め,目に見えるホームレスを立ち退かせ収容する中間施設を利用することになった。加えて補助金や施設サービスを投下供給することによって,中間施設やホームレスへの社会福祉サービスの地理的配置にも影響を与えることにもなった。
本論文では,香港のホームレス者への社会福祉的な対応から生まれた中間施設のシステムの確立,その運営の専門職能化や実施される施策との関係性,こうしたサービス内容に関する内部的な動態,そして香港の都市的コンテクストに対する地理的な分布の意味について考察することを目的にしている。