コネクトーム
脳における情報処理は,多数の神経細胞(ニューロン)のつながりがつくる「ネットワーク」を舞台として,その上を信号が縦横に伝搬することにより演じられる.現在,この舞台の「構造」およびそこに演じられる「機能」を記述する全脳ネットワーク地図−「コネクトーム」−の解明が活発に進められている.線虫の一種であるC.elegans の神経系は302個のニューロンからなり,それらの間の接続構造は電顕写真再構成法により完全に特定された.より高等な動物の脳の領野間接続の解明には,古くから神経線維連絡解析(tract tracing )が用いられてきたが,近年,拡散テンソル画像法(diffusion tensor imaging,DTI )の発達により,領野間の結線構造を生きたままで一挙・包括的に明らかにすることが可能になった.核磁気共鳴機能画像法(functional magnetic resonance imaging,fMRI )により記録された活動信号に基づいて部位間の関係を時間相関で定めることにより,機能ネットワークが構成される.様々な種(ヒト,サル,線虫,その他),様々なレベル(ニューロン自体,あるいは,測定方法の解像度によって定められる区画をノードとする粒度)のコネクトームデータが蓄積されつつあり,その多くが公開され,利用可能となっている.
複雑ネットワーク科学
「複雑ネットワーク科学」は,現実世界の様々なネットワーク( WWW/インターネット,ソーシャルネットワーク,遺伝子制御・タンパク相互作用ネットワーク,その他)の性質を,主に物理学の方法を用いて明らかにするものであり,この十余年に急速に発展した新しい学問分野である.複雑ネットワークの性質の中で,特に重要なものが「コミュニティ構造」である.「コミュニティ」とは,ノードが密につながったかたまり部分のことである(図1).個々のコミュニティには一つひとつの意味が対応すると考えられる.したがって,ある複雑系を理解するためには,その複雑系を記述するネットワークに内在する個々のコミュニティを特定すること,さらには,これらのコミュニティがどう組織化されているかを知ることが本質的に重要である.そのため,ネットワークから効果的・効率的にコミュニティを検出するアルゴリズムの開発が,複雑ネットワーク科学の中心テーマの一つとなっている.
全脳ネットワーク分析:コネクトームと複雑ネットワーク科学の融合
「全脳ネットワークの個々のコミュニティが脳情報処理における一つひとつの機能モジュールに対応する」ならば,全脳ネットワークのコミュニティ構造を明らかにすることが,脳の情報処理アーキテクチャにせまるための本道ということになる.こうして,複雑ネットワーク科学で開発された分析手法を用いてコネクトームデータを分析する試み−「全脳ネットワーク分析」−がはじまった.すでに,全脳ネットワークにおける個々のコミュニティが実際の脳機能に対応すること,これらのコミュニティが「リッチクラブ」とよばれる背骨構造を通じて統合されること,などがわかってきた.全脳ネットワーク分析は,脳の情報処理アーキテクチャ解明のための主要なアプローチとして,また,近年の「ビッグデータ」の潮流とも相まって,今後大きく発展すると期待される.
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