現在, 脳に良い栄養素や食品に注目が集まっているが, 脳機能に対する栄養素と食品の役割とその作用メカニズムが神経科学的に解明された例は少ない。一方, イメージング, 電気生理学, 分子生物学, 行動学などの脳機能制御のメカニズムを解析する技術の確立が進んでいる。我々はこれら技術を用いて, 記憶能力を中心に脳機能に対する必須栄養素の役割の解明を進めてきた。本総説では, 我々が明らかにしてきた記憶能力に対するマグネシウムとビタミンB1欠乏の影響を紹介する。マグネシウムやビタミンB1の欠乏により, 行動レベルでは海馬依存性記憶に障害が観察されること, また, 分子レベルでは脳内炎症が誘導されることが明らかとなった。特にビタミンB1欠乏では強い脳内炎症のみならず, 海馬の神経変性が誘導されることも示された。以上の結果や他の知見と考え合わせると, 栄養摂取異常により脳内炎症が誘導され, 脳の最も高次な機能である記憶機能がダメージを受ける共通メカニズムの存在が示唆された。
空腹感によって食事を開始し, 飽満感を得て食事を終える。この生きるために必要不可欠な摂食行動は, 主に視床下部・延髄における恒常的摂食調節によって制御されている。そして時に, 美味しいものが食べたいといった, 生体のエネルギーバランスとは無関係に快楽的な摂食行動が駆動するが, これは脳内の報酬系によって制御される。そして, 長期的にみてエネルギー収支が一定に保たれることによって体重は維持され, 異常となると肥満や痩せが生じる。この複雑な摂食調節機構に安全にアプローチして摂食行動異常を改善する治療薬は未だ開発に至っていない。そして, 有効な食事指導法を継続させることは容易でなく, より良い方法の確立が待たれている。本稿では, 摂食調節機構を概説し, 末梢のエネルギー情報 (栄養素・食事成分, 食関連ホルモン) を脳に伝達する求心性迷走神経の機能について解説する。
ヒトを含め動物が生きていくうえで, 食欲は最も重要な本能の1つである。脳は食欲調節の中心的な役割を担い, その破綻は過食や食欲不振を引き起こす。これは最終的に肥満やサルコペニアにつながるため, 食欲をコントロールしつつ適切な食物 (栄養素) を摂ることが, 健康維持および未病状態の改善に非常に重要となる。食欲の特徴は全身のエネルギーを一定に保つ摂食 (恒常性の摂食) と食の美味しさを追求する摂食 (嗜好性の摂食) に分類できる点である。また, これらの性質は食物の機能という点から見ると, 脳が栄養, 感覚, 機能性成分を感知し, 評価・選択して摂取する仕組みと言える。近年, 脳内の摂食調節の複雑なネットワークが次々に明らかになってきたが, 本項では代表的な仕組みと今後の課題を紹介する。
脳神経系は, 感覚, 思考, 学習, 感情, 行動などの私たちの日々の生活に重要な生命現象を制御している。脳の仕組みを解明するため, 多種多様な研究が世界中で行われているが, 近年, 腸など他の組織が脳機能に影響しているという新たな知見が得られはじめている。線虫Caenorhabditis elegansは, マウスやサルなどの哺乳動物の複雑な脳とは異なり, 際立って少数の神経細胞からなる脳を持ち, この線虫を用いることで, シングルセルレベルの解像度で脳の情報処理の全体像を研究することが可能である。これまでに, 線虫は化学物質や温度などのさまざまな刺激に走性を示すことがわかっているが, その走性行動は摂食状態, すなわち広い意味での栄養状態に依存して変化することも知られている。つまり, 線虫は, エサの有無といった栄養状態と刺激を連合学習し行動に反映することができる。学習により生成された行動にはRAS/MAPK経路やTOR, インスリン, モノアミンシグナル伝達など, ヒトまで進化的に保存された重要な分子が働いている。本稿では, 線虫の脳神経系が栄養状態に依存して行動可塑性を制御するメカニズムに関する遺伝学的知見を概説し, 記憶学習に関与する分子機構と, 感覚応答及び内部状態による行動制御機構について紹介する。
日本栄養・食糧学会誌第76巻第1号5‒14ページ(2023)「日本食品標準成分表2020 年版(八訂)のエネルギー値について」(渡邊智子)の論文において,表3の脚注1行目について,下記のとおり訂正する。
訂正前:*一致率=成分表2020 の2015E÷2020E×100
訂正後:*一致率=2020E÷成分表2020 の2015E×100