日本においては高齢者の増加に伴って口腔癌の新規罹患者も経年的に増加している。現在,年間で約10,000人の新規罹患者が存在し,そのうち65歳以上が70%以上を占めていると推定される。しかし,どの領域においても高齢者の癌患者に対する治療の適応基準や予後を示したガイドラインは少なく,治療方針は医療者の経験や施設の状況により決められることが多かった。日本口腔腫瘍学会は,厚生労働省第4期がん対策推進基本計画分野別施策の「高齢者がん診療指針策定に必要な基盤整備に関する研究(代表者:田村和夫)」に参加し,2025年に『高齢者口腔がん治療ガイドライン』を発刊するに至った。高齢口腔癌患者に特有の問題は,オーラルフレイルを背景にもつ高齢者にとって病状の進行とその治療がさらに口腔機能を低下させるリスクがあることである。本稿では,口腔潜在的悪性疾患の概念とそのなかで高齢者に多い疾患の病態と対応,そして高齢者の口腔癌の治療に対する診療態度について『高齢者口腔がん治療ガイドライン』を中心に概説する。
超高齢社会を迎えた先進国では,認知症の緩和ケアのニーズが急増している。2019年のLancet委員会報告によると,2016年から2060年の間に認知症の緩和ケアニーズは世界で約4倍,先進国でも3倍以上に増加すると予測されている。認知症の緩和ケアアプローチは,単に身体的苦痛の緩和にとどまらず,行動・心理症状(BPSD),合併疾患,健康問題の適切な治療を含むすべての治療とケアを意味する。重度期以降の認知症患者の最大の苦痛は,嚥下障害による食の問題と誤嚥性肺炎による呼吸困難である。肺炎急性期のサルコペニア嚥下障害時の口腔ケア,誤嚥性肺炎の予防,重度から末期の食支援において,歯科領域の専門職の果たす役割はきわめて大きい。
背景:認知症高齢者の口腔管理は,セルフケア能力の低下による歯周病リスクの増大と,口腔機能低下という2つの課題に直面する。歯科専門職には,炎症コントロールに加え,機能低下をいかに管理するかが問われている。
症例:患者は75歳男性,アルツハイマー型認知症。重度の歯周炎に対し,キーパーソンである妻の協力の下,全顎的な歯周基本治療を実施し,SPTへ移行。プラークコントロールは良好に維持され,歯周組織は安定した。その後,口腔機能は低下し,約1年後に窒息および誤嚥性肺炎を発症した。SPT中の「むせ」の観察をしていたものの,この重篤なイベントを防ぐことはできなかった。
結論:本症例は,認知症患者においても適切なプロフェッショナルケアで歯周組織の安定は可能である一方,それだけでは口腔機能低下を防げない,という現在の歯科医療が直面する限界を明確に示した。歯科専門職には,炎症コントロールにとどまらず,機能低下に早期に気づき多職種と連携する役割を担うことを示唆している。しかし本症例は,主訴の内容にかかわらず,介入初期の段階で口腔機能のベースライン評価を行い,その後の変化を多職種と連携しながら長期的に追跡管理することの重要性を示唆している。
可撤性義歯をはじめとする補綴装置の誤飲・誤嚥は,窒息や誤嚥性肺炎など生命予後に影響を及ぼす医療安全上の重要課題である。特に高齢者や精神障害,認知機能低下を有する患者では,リスク認知や自覚的訴えが困難な場合が多く,診査・診断および補綴装置管理における慎重な対応が求められる。今回,嚥下造影検査(VF)を契機に,長期間咽頭内に残留していた不顕性の誤飲義歯が発見された精神障害患者の1例を報告する。
患者は56歳男性で,知的発達症,てんかんの既往を有した。初診時に流涎,発話不明瞭,舌の突出を認め,他院作製の上顎総義歯は不使用で保管され,下顎義歯は口腔内に認めなかった。食べこぼしやむせを認めるため摂食嚥下機能評価目的でVFを施行したところ,中咽頭部に部分床義歯の嵌頓を認めた。耳鼻咽喉科にて全身麻酔下で摘出術を施行し,術後は流涎の軽減および発話明瞭性の改善を認め,重篤な合併症は回避された。
本症例は,意思表出困難を背景に誤飲の発見が遅れ,義歯が長期間咽頭内に残留していた点に特徴がある。入院時診療情報に義歯紛失の記載があったものの,入院中の歯科診療時に誤飲を想定できなかったことは課題であり,補綴装置紛失時には誤飲の可能性を常に念頭におく必要がある。本症例の特徴的な所見である意思表出困難や嚥下機能低下は高齢者においても散見できることから,高齢者医療においても画像検査を含めた包括的評価と多職種連携による適切な対応が医療安全上重要であると考えられた。
緒言:高齢者の咀嚼障害は,義歯不適合や口腔機能低下などの身体的要因に加え,加齢に伴う「諦念」や「現状受容傾向」といった心理的要因が影響することがある。本症例では,主訴が下顎義歯の浮き上がりと食物の挟まりに限られ,食に対する意欲が乏しい高齢患者に対し,口腔内スキャナ(intraoral scanner:IOS)による初診時デジタル記録と,デンチャースペース記録(ピエゾグラフィー)を統合した義歯製作を行い,その有効性を検討した。
症例:85歳,男性。下顎右側側切歯のみが残存しており,上下義歯を装着していた。旧義歯に著明な不適合は認めなかったが,咬合力23.6 Nと低値で,咀嚼能率は測定不能であった。自覚的には「噛めない」感覚は乏しく,義歯新製により不快感の改善のみを希望した。
経過:初診時にIOSで上下顎粘膜面および残存歯を記録し,デンチャースペース採得用装置を製作した。2回目来院時に咬合採得とピエゾグラフィーを行い,CAD/CAM義歯を製作,3回目来院時に試適・装着した。
考察:新義歯装着後,咬合力は405.2 N,咀嚼能率は96 mg/dLに改善した。食事時の不快感や食物の詰まりは消失し,「この入れ歯を自慢したい」との発言がみられるなど意欲の変化を認めた。本症例は,従来法より少ない工程・来院回数で高精度な義歯製作が可能であることを示した。本法は高齢者補綴において,機能回復とQOL向上の両立に寄与する可能性がある。