史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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128 巻, 2 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2019 年 128 巻 2 号 p. Cover1-
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/08/25
    ジャーナル フリー
  • 2019 年 128 巻 2 号 p. Cover2-
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/08/26
    ジャーナル フリー
  • 初期類書の系譜と南朝士人
    付 晨晨
    2019 年 128 巻 2 号 p. 1-35
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/08/26
    ジャーナル フリー
    類書は、魏晋南朝時代に新たに出現した書籍であり、経史子集の各文献から網羅的に集めて抄撮配列し、テーマごとに纏めた、百科全書のような資料集である。本稿では、知識の資料庫という役割を担った類書の発展経緯を考察することで、初期類書がもつ意味、編纂される契機と背景を検討し、漢唐間の知識の整理と受容のあり方を考察する。
    目録に収録された類書を見ると、唐代までの類書の範囲は限られており、『皇覧』を強く意識した一連の書籍を指している。この理解から類書の発展を見ると、曹魏の初期に編纂された『皇覧』は、後代類書の規範ともなった南北朝末期の梁・北斉編纂の『華林遍略』『修文殿御覧』との間に、二五〇年ほどの開きがある。この空白期間は『皇覧』と斉梁類書の内容と歴史背景の差異を示す。
    唐代では、内容を選別せずに政治に無益な見聞を幅広く収録する初期類書の性格が批判された。初期類書と直接に書承関係を持つ『藝文類聚』の引用書の分析から、かかる類書には魏晋以後の雑伝·地理書を大量に収録する特徴があることがわかる。これは唐代が批判した「政治に無益な見聞」にあたる内容である。曹魏初期に編纂された『皇覧』がこれらの書籍を収録することは不可能なため、『皇覧』と梁代類書との間に大きな差が認められる。帝王に必要な知識を纏める類書の発展には、斉梁代を境に、経書を中心とする『皇覧』の通行する時期と、魏晋以降の史書を多く収録する新型類書の通行する時期という、二つの段階が認められる。
     類書が、漢代以前の知識を主とする『皇覧』から、魏晋知識を「典故化」した斉梁類書へと変化した背景には、知識の整理と体系化における当時の王朝の需要と、文化を経由して政治的地位の上昇を求める下級士族の動きがあった。
  • 莊 卓燐
    2019 年 128 巻 2 号 p. 36-59
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/08/26
    ジャーナル フリー
    漢初において、高祖皇帝劉邦は近臣との関係を保つために、「符を剖かち、世々絶ゆる勿し」の約束を交わしたが、伝世史料には符の正体について明記されていない上、諸家の注にも検証されることがない故、約束の内容は不明確である。従来では、この符を功臣の特権的な地位の永続(封爵之誓)と関連させて考えるが、本稿では西北簡の研究成果を踏まえ、通行証としての符を伝世史料の条文に当てはめて考える。
     第一章では、戦国から漢初までの中華世界の地域観念の変遷を考察し、秦の「統一」、楚(項羽)の封建制の復活、漢の郡国制、一連の流れを整理し、戦国~漢初における地域観念の連続性を指摘し、符の通行証としての理解の適用範囲を確認する。
     第二章では、漢初における諸侯王との剖符を考察する。楚漢戦争の中で、漢は同盟する諸王国を警戒すべく、符を用いて東西を繋ぐ関所の弛緩を掌握した。その体制は、漢帝国が都を檪陽から長安へ遷しても継承され、関中地域の地理的優勢を活かし続けたと考えられる。
     第三章では、漢初における列侯との剖符を考察する。漢初の支配領域の拡大および支配体制の維持に対応すべく、漢は列侯を対象に剖符する措置を施す。その中には、「符を剖かち、世々絶ゆる勿し」の条文が示すように、自由に関中地域を出入りする特権を永続的に所持する特殊な剖符事例が見られる。
     第四章では、『里耶秦簡』と『張家山漢簡』を手掛かりに、列侯と徹侯との改称事情を整理し、中国古代社会における流動性の変化を指摘する。
     中国古代帝国は、地域と地域との移動が厳しく規制される環境であった。人間の移動を規制する国家意志は、専制権力の形成に影響する。その下で、移動規制を解除する符は、単純に通行証としての機能を果たしたのみではない。信頼関係に基づく通行許可は、人と人の絆を深め、漢皇帝による符の下賜は功臣たちとの人的結合関係を維持する役割を持つと論じる。
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