環境負荷による影響を定量的に表現することは,実はそれほど簡単なことではない.しかし,今後,社会をより持続可能型へと変革するためには,このような方法論が確立する必要がある.これに対し,科学的には不可能なのではないか,それを目指すζとは無駄なのではないか,と誤解されることがある.実は,このような方法論を科学的に確立することが必要であると主張している訳ではない.厳密な意味で科学的に確立するには,地球上のすべての対象物についてすべての知識を得る必要がある.すなわち,環境負荷の影響を定量的に表現することは,自然科学のすべてに近い意味合いを持ってしまい,明らかに不可能である.ここで確立する必要があると主張するのは,「その妥当性について,社会的な合意が得られること」を意味している.
歴史的に見れば,これまでの環境対策は,ヒトや生態系に対するリスクをゼロに近づけることを目標として実行されており,実際にかなりうまく機能してきた.ところが,現時点のように,かなりのリスクが回避され,リスクが突出しているというものが見当たらない状況になると,「初めから少ないリスクをさらにどこまで少なくすべきか」という観点からの議論が必要であると同時に,「そのリスクの減少の過程で,何か別のリスクの発生は心配ないのか」,といった発想,すなわち,トータルにみてリスクの総計が減少するようなポリシーを採用する必要がある.これが環境負荷の影響を総合的に評価するということの中身であるが,上述のように,厳密にこれを行うことは不可能である.もともと突出したリスクがない状況であるのならば,どのリスクを下げるかは,むしろ,社会的合意に基づいて行うことが,住民サービスとしても,また,社会的な安定性を高める意味からも妥当であるように思える.
すなわち,環境負荷の影響評価には,個人の感覚,主観を盛り込むことが可能なシステムが必要であり,筆者の提案している時間消費法は,このような考え方に基づいて開発され,今後も改良を続けていく予定である.
化学分野におけるグリーンインデックスについても同様であり,その方法論を厳密に定めることは不可能である.そこで,多くの人々によって合意されるような方法論を探し出す知恵と,一・旦決まったことを順次改善するというポジティブかつプラクティカルな態度がもっとも求められているのである.
平成15年には,GSC賞の第二回目の表彰が行われる.しかも,繰り返しになるが,GSC賞が,大臣賞に格上げになった.その期待に答えるためには,グリーン評価の尺度が,世界的なスタンダードとなることを目指すべきだろう.
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