フッ素を有する有機化合物は, 現在では医農薬を始めとする各種生理活性物質や, 強誘電性液晶材料を代表例とする光学材料など, いわゆるファインケミストリー分野では欠くことのできない物質群を構成しており, こうした事実を改めて指摘するまでもないほどに一般有機化学者の間に浸透してきているといっても過言ではない。その結果, 通常の炭化水素の場合と同様, 高度に位置や立体, 官能基選択的な反応を行うことが当然のように要求されるようになってきている。フッ素化合物を扱った経験のない読者なら, “炭化水素でわかっている方法をそのまま応用すればよいのでは” と思われるかもしれないが, なかなかそううまくいかないのがフッ素化学の常である。フッ素は, その立体的な大きさからしばしば水素と比較されるが (van der Waals 半径 (以下vdW半径と略す) で比較すると, フッ素は1.47Å, 水素は1.20Åである), 全原子中で最大の電気陰性度を示し, かっ3組のローンペアが原子核を高度に遮閉しているようなフッ素の電子的環境は, 水素のそれとは非常に異なっている。
このようなフッ素の電子的特異性からは, 当然のことながらLewis塩基としての性質が期待される。特に最近の有機化学では, 反応剤として有機金属種を使用することが非常に多いため, フッ素化合物と各種金属との相互作用といったトピックスは, 反応経路を構築していくうえで考慮に入れておかなければならない最重要事項の1つである。なぜなら, フッ素と比較的親和性の高い金属のβ位にこの原子が位置する場合には, フッ素自体が脱離基であるためにβ脱離が容易に進行してしまうからである。こうした例は, 金属として汎用されているリチウムやナトリウム, マグネシウムなどの場合によく見られるが, 金属が亜鉛である場合には安定に存在することが多いようである。
さて, これまでに “フッ素化合物をいかにして合成していくか” という観点からまとあられた総説はいくつかあるものの, “プロトンや金属存在下でのフッ素のLewis塩基としての性質” に焦点を当てて書かれたものが見当たらなかったので, 以下に筆者の解釈などを交えながら, H…F間の相互作用である水素結合とF…金属間の相互作用に分けて概観していくことにする。
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