球技指導に関しては, 多くの問題があって, 常に論議の対象になっている. それは, 学的な研究の分野だけにとどまらず, 現場においてもそうである. 理由としては, 球技が複雑な構造を持つものであって, 他の運動の場合にみられるように, 安易に要素に分析できないこと, また, 指導の見通しが立てにくいことなど, 多くの点を指摘できるが, 最も重要な点は過去の指導が, 長期間体操の指導方式を準用してきたという, 歴史的な理由によるとみなければならない. そのために, いつになってもそこから脱皮できず, 抜木的に検討しようとの発想を策定することがなく, また, それに要する確かな資料もない状態である. 最近,いわゆる「運動特性」が語られ, 球技指導の吟味が求められるようになって, 多少の試みがなされるようになった. 本稿は, この面に焦点を合わせ, 球技に対する考え方や指導論についての私見を述べ, 球技指導展望への一助としようとしたものである. まだ模索の域を出ないが, 少なくとも, 長期にわたる球技の実践と指導の経験から理論を構想しようと意図しただけに, 無意味なものでないとは思っている.
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