日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
67 巻, 7 号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
特集・西行が切り開いた中世文学
  • ――『夫木和歌抄』をめぐって――
    渡邉 裕美子
    2018 年 67 巻 7 号 p. 2-12
    発行日: 2018/07/10
    公開日: 2023/07/21
    ジャーナル フリー

    中世最大の類題集『夫木和歌抄』には、『山家集』はじめとする西行の家集や他の諸歌集に見えない独自収載歌があることはよく知られている。しかし、『夫木抄』という歌集が多くの問題点を抱えるため、これまでこれらの歌が大きくクローズアップされることはなかった。本稿では、近年の『夫木抄』研究の進展を受けて、『夫木抄』所載西行歌を取り上げ、『夫木抄』成立当時の冷泉家に、現存しない西行の家集や百首歌があったことを論証する。また、その独自収載歌一首を取り上げて、室町期から近世に至る享受の跡をたどる。

  • 山口 眞琴
    2018 年 67 巻 7 号 p. 13-22
    発行日: 2018/07/10
    公開日: 2023/07/21
    ジャーナル フリー

    能〈江口〉は、いわゆる西行遊女問答説話と性空普賢感得説話を本説とするが、小考では、とくに前者のプレテクストを取り上げ、それぞれの特性などについて考察を試みた。具体的には『撰集抄』が語る西行と遊女の親和的関係、『西行物語』による遊女返歌への評価、原拠の『山家集』における自虐的な演技性などを明らかにした。その上で、改めて〈江口〉の主題的世界を西行に即して捉え直し、西行の時空を超えた結縁物語としての一面を指摘した。

  • 松本 麻子
    2018 年 67 巻 7 号 p. 23-32
    発行日: 2018/07/10
    公開日: 2023/07/21
    ジャーナル フリー

    室町時代から近世初期に成立した主な連歌関係資料を調査したところ、歌人として尊敬されていた西行の和歌は多く採られていないことが判明した。特に家集から採られた歌は少なかった。

    引用された西行歌を追った結果、『西行上人集』に近い家集を連歌壇では用いていたようだが、現存する家集には見られない異同を持つ歌も多くあった。連歌資料に西行歌が目立って採られない理由は、揺れのない本文を持つ西行の家集が、連歌好士たちの間に流布していなかったことが原因だと思われる。

  • ――『義経記』生成の背景として――
    源 健一郎
    2018 年 67 巻 7 号 p. 33-43
    発行日: 2018/07/10
    公開日: 2023/07/21
    ジャーナル フリー

    本稿ではまず、実在としての西行と寺門派修験との関わりを確認した。その上で、修験者としての像が強められ、展開していく〈西行〉について考察した。〈西行〉の影響力は和歌のみならず物語世界にも及び、修験という共通項によって結びうる人物像については、〈西行〉に擬え、再構成されることもあった。その一例として、『義経記』北国落ち記事を対象に、その生成の背景にある〈西行〉の修験者像を想定した。

  • 西澤 美仁
    2018 年 67 巻 7 号 p. 44-54
    発行日: 2018/07/10
    公開日: 2023/07/21
    ジャーナル フリー

    西行が吉野に結んだ庵の跡という「西行庵」は、吉野山の奥にある。そこには三十年ほど前に復原された方丈の庵が現存するが、江戸時代の地誌類を見ると、かつては現在「苔清水」と呼ばれる泉の辺にあった。そのことを最も明確に指摘する『吉野枝折』は、現「西行庵」を似雲の「雫の庵」と混同するなど、杜撰な記述もあって信頼されなかったようだ。現「西行庵」初見記事は本居宣長で、上田秋成が旧位置を最後に見た人となったようである。

子午線
追悼
読む
書評
feedback
Top