平安後期の歌人藤原実定の家集『林下集』の題号について考察した。「林下」は白居易の詩を典拠としており、「退隠・閑居」の意である。家集成立時に公卿であった実定が「林下」の語を用いたのは、過去の沈淪を強く意識していたからである。一方、「林下」には「風流人の閑雅な隠棲」の意も重ねており、沈淪時代を文学的に形象化する方法でもあった。また「林下」には実定の官・近衛(羽林)大将の意も掛けられていた可能性がある。
「熊野へ参らむと思へども、徒歩より参れば道遠し、すぐれて山峻し、馬にて参れば苦行ならず、空より参らむ羽賜べ若王子」(梁塵秘抄・二五八番歌)の末句「空より参らむ羽賜べ若王子」は、従来では八咫烏或いは飛行夜叉が着想源とされていた。だが、それらからは羽が生えて飛んでいく人間の姿が想起されない。翼が生え浄土に飛んでいく話型の院政期の往生譚が着想源だと考えられる。院政期の往生譚から人間が羽で飛翔する意味を読み解くことによって、当該歌の重層性も浮かび上がってくる。
小川未明「兄の声」は、「大東亜戦争」敗戦直後の昭和二一年四月、雑誌「子供の広場」へ掲載された短編童話である。初出後は、昭和二〇年代・五〇年代に刊行された、講談社版の二度の全集にも採録されており、戦後の未明童話の代表作のひとつと言って、差支えなかろう。
本稿は、童話「兄の声」と、昭和一九年に書かれた四篇の国策協力童話の航空兵表象の比較検討を通して、「兄の声」が、戦中の未明の国家主義的言説とは明確に位相を異にする、戦後の再転向文学であることを立証している。
本稿では『ジニのパズル』を朝鮮学校という視座から読む。まず作品の構成がパズルのようになっていることを確認し、次に金城一紀『GO』と比較して朝鮮学校についての語り方の特徴を論じた。そして「革命」と癒しという二つの本筋が、どちらも強い意味を持たないよう構成されていることを指摘し、さらにそれらにゲームの比喩が用いられていることによって、朝鮮学校をめぐる現状に対する多角的な変革を促す作品となっていることを明らかにした。