日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
61 巻, 7 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
特集・序・跋を問いなおす――中世文学史への回路――
  • 山崎 誠
    2012 年 61 巻 7 号 p. 2-10
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    「序」が長い歴史を持つのに対して、「跋」は新興の文体である。定義上の区別の曖昧な奥書・識語との混用の歴史を振り返りつつ、宋代に混用から脱して独立した文体の地位を得る題跋の姿を概括し、我が国中世文学へ移入されるさまを観察した。

    古代から中世にかけての書物の末尾に付けられる奥書・識語が、依然「跋」との区別の曖昧な形を持つことを指摘して、文学史の問題点とした。

  • 平田 英夫
    2012 年 61 巻 7 号 p. 11-21
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    勅撰和歌集の「序文」は「和歌」をどのように記述したのであろか。本論では、序にて示される和歌にまつわる情報のなかでも、その始まりや起源をどのように記述しているのかについて注目し、検討していく。特に古今集仮名序における「この歌、天地の開けはじまりける時よりいできにけり」という天地開闢時に和歌が出現したとする啓示のような文言に、中世勅撰集の序文がどのように向き合っていくのかについて考察した。

  • ――『千載集』から『新続古今集』へ――
    岡﨑 真紀子
    2012 年 61 巻 7 号 p. 22-32
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    『新続古今和歌集』(略称『新続古今集』)の序の冒頭は、『千載和歌集』(略称『千載集』)の序を踏まえて書かれている。ただ、語句を踏まえていても、『新続古今集』には宋学の思想が認められ、叙述の根底に現れる考え方には違いがある。『千載集』序に現れる、三国伝来の仏教を意識することで和歌を我が国のものと認識するという考え方は、後代の勅撰和歌集序には受け継がれていない。和歌によって政が理想的に治まるという政教的な思想を基本とする勅撰和歌集序においては、そのような考え方が積極的に受容されなかったからであろう。ここに、勅撰和歌集序という文章の制度の根幹にある論理の規範が浮かび上がるのである。

  • 塩谷 菊美
    2012 年 61 巻 7 号 p. 33-43
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    「『歎異抄』は唯円が親鸞の言葉を記したもの」というのが通説だが、親鸞曾孫で本願寺創立者の覚如の著した『執持鈔』『口伝鈔』『改邪鈔』『親鸞伝絵』をもとにして、「親鸞の口伝を唯円が語り、覚如が筆記した」という体裁で作られた、一種の親鸞伝ではないだろうか。『歎異抄』に記されているのは「親鸞が語ったこと」ではなく、後世の本願寺関係者が考えた「親鸞が語ったはずのこと」と見るべきである。

  • 内田 澪子
    2012 年 61 巻 7 号 p. 44-54
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    『十訓抄』冒頭の序文(総序)を分析的に読み直し、その論理の展開の様子を検討する。総序は読まれることを意識して、極めて簡明で論理的に表現され、構成された文章である。その文脈には、編者の編著にあたっての意識や志向の方向なども読み取ることができる。編者の合理的な思考に裏打されたと思しい総序の叙述の様を念頭に置くことは、今後『十訓抄』の作品再評価にも有効な視座を与えると思われる。

  • 和田 琢磨
    2012 年 61 巻 7 号 p. 55-65
    発行日: 2012/07/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    『太平記』の「序」は物語のなかでどのような働きをしているのか。この問題について考えた。『太平記』には儒教思想や仏教思想など複数の思想が存在している。そのなかにあって、なぜ儒教思想が「序」として置かれているのか。研究史を整理しつつ考察を加えた。その結論、「序」は現世の政道を見つめる『太平記』の性格を象徴するもので、作品構造の枠組みを明示するとともに、現世を映し出す機能をも果たしているのではないかという結論に至った。

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