地方の「底辺」と呼ばれる高校に勤めながら、生徒が活き活きと楽しく自主的に取り組みつつ真の力となる国語の授業とは何かを模索し続けている。二年前、日本文学協会国語部会に出会い、「正解到達主義」と「正解到達主義批判」の両者を斥け、一旦言語論的転回を受け止めた上で「第三項」に向かい、「語り」を読むことにかすかな希望を見出し、教室での文学教育のあり方を考えるようになった。
私の「山月記」の実践では、生徒同士、教員との〈読み〉のコミュニケーションを目指して努力はしていたが、その分、生徒の興味がある部分に関しては活発な意見交換がなされ、身近な問題ではない「李徴の漢詩」についての授業ではなかなか読みが広がってはいかないような感覚があった。そのことと日本文学協会国語部会が目指してきた「語り」を意識した〈読み〉を目指すこととの整理がつかないでいるのが原因である。困難の原因を探るため、田中実氏の「二つの文脈」問題を踏まえた小山千登世氏の実践を取り上げ、真の「友情」を求める生徒達との「相互承認」としての授業の限界性について考察する。またいかなる「語り」も特権化しない高木信氏による「山月記」の先行論文と田中氏との語り論との差異を検討していく。
作中での「李徴」と李徴を語る「語り手」の「語り」が共に抱える問題点を中心に「山月記」の語りを読み、「小説」と「物語」の峻別、人間の「語り」「表現行為」とは何かを考える。そして自分の授業、山月記の〈読み〉を超える可能性を考えていきたい。
現在、ポスト・ポストモダンの強い自覚と共に、「神話の再創生」を鍵語に掲げる村上春樹。製作者が、小説の「ヴァージョンアップ」によって「またひとつ違う可能性を追求してみたかった」と言うのが二一年振りに改編された『ねむり』である。読書行為においては、それは〈語り〉のヴァージョンアップであり、相関的に〈読み〉のヴァージョンアップの契機として、この小説は現前している。
村上春樹の文学が世界的に読まれるようになった今日。デビュー時の七九年はもちろん、オリジナル「眠り」が発表された八九年とて、もはや同時代とは言い難い。製作者が述べるように、ストーリーで読まれることを拒絶するのが春樹文学だとすれば、従来はストーリーでしか読まれてこなかった傾きの中にある春樹文学に纏わる言説群。その研究も、一見盛況に見えて、実は〈読み〉のヴェクトルの定まらない混迷の中にあるのではないか。
小説の分析をとおして、オリジナル「眠り」が同時代に担ったであろう文脈と、今日の新『ねむり』の可能性を見定めたい。さらに、そこに文学研究の「八〇年代問題」(田中実)を重ね合わせて見た時に、あらたに見えてくるものとは何か。ポストモダニズムの影響を被り、表層に止まった八〇年代。〈読み〉の根拠を原理的に問い直し、〈深層批評〉の実践に向けての認識を深めたい。
近代社会は、人々に所有関係における自由を解放するだけではなく、その感受性と審美性、ロマンと理想の自由を解放する。そのことで、近代の芸術や文化は、共同体的なエトスの表現であることを離れて、人間の個性と普遍性にまたがる性格をもつ。批評は、この事態を根拠として現われる。
キリスト教の巨大な権威が消えうせる。すると、一切のものが、自分の根拠を、主観と客観の間に探し求めざるをえなくなる。認識もそうだが、芸術もまた同様である。人々はそこに「批評のテーブル」を持ち込むことを余儀なくされる。カントを借りれば、どんな批評も主観的でしかないが、しかしそれは普遍性を要求しないわけにはいかない。近代批評が、つねにこの主観と客観のアポリアの歴史であった理由もここにある。
アレントによると、「公共性のテーブル」は、人間の個性と多様性の間に投げ入れられるテーブルであって、これが置かれると、テーブルは、「人びとを結びつけると同時に人びとを分離」させる。人々は、ここでは、多様な生活の場面に、したがって多様な価値に分かたれている。しかし公共性のテーブルでは、この多様性を何らかの仕方で結びつけようとする。ヘーゲルの「事そのもの」は、このような公共性のテーブルにおける、人々の表現と批評のゲームを意味している。ここには、近代の「普遍性」という概念の最も重要な核心が隠されている。
夏目漱石の『文学論』における時間的間隔論の独創的な指摘を手がかりにして、一九一一年の『手紙』という小品について考える。『手紙』は後期三部作を先駆けするパイロット作品であり、枠と本文をそれぞれ現在形と過去形で書き分ける「浮き彫り付与」の形式を備えている。そして虚構を作り出す特有の時制として幅のある現在という時制を、「まだ」と「もう」をはじめとした時の表現によって、発見している。参考にするのはハラルド・ヴァインリヒの『時制論』とポール・J・ホッパーの“Aspect and Foregrounding in Discourse”である。