日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
61 巻, 1 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
特集・文学にとって虚構とは何か
  • 高木 和子
    2012 年 61 巻 1 号 p. 2-11
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    この論文は、平安時代の仮名日記文学、『土佐日記』『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『更級日記』を取り上げ、虚構化の方法について論じたものである。これらは、時系列的に叙述する点では日記の形式を備えながらも、時には歌集、歌物語、あるいは長編物語の叙述方法を範とする。当時の日記は、単なる個人の記録ではなく、周囲に読まれることを意識したものだったために、自然と既存の発想に似た叙述方法が選び取られたのである。

  • ―〈中将御息所〉という準拠の方法―
    本橋 裕美
    2012 年 61 巻 1 号 p. 12-22
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    『源氏物語』の六条御息所には、娘・斎宮の伊勢下りに随行した徽子女王との重なりが認められる。一方で、古注以来、〈中将御息所〉という人物も準拠として指摘されてきた。六条御息所の再嫁の可能性を響かせる〈中将御息所〉は史実には存在せず、『大鏡』と『源氏物語』古注によって作り出された人物である。準拠をめぐる言説が「虚構作品」の登場人物だけでなく、史実の存在を認識する姿勢においても影響を与える点を読み解いていく。

  • 大津 雄一
    2012 年 61 巻 1 号 p. 23-33
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    『平家物語』は、「愛の文学」として語られることがあるが、その実態について分析検討した。『平家物語』は、同じような構造、設定、表現を繰り返し用いて、愛について執拗に語る。しかし、必要に応じて語られる、愛を肯定する物語と妄念として愛を否定する物語とが交錯して、私たちを混乱させる。その結果、このテクストは、私たちに愛についての思考を促し、さらには、物語という虚構装置の外へと私たちを誘う力を持つことになったと論じた。

  • 小二田 誠二
    2012 年 61 巻 1 号 p. 34-43
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    近世の実録は、実在の事件に取材しながら、書写、伝承していく過程で、場合によっては荒唐無稽と思われるような変容を遂げる。それは、現代の科学的思考から見れば「非・事実」、「虚構」である。しかし、そうした虚構によってこそ「事実」は言語化できるとも考えられる。具体的な資料を検証できる実録を材料とすることで、我々にとっての事実とは何か、記録する営みとは何か、と言う文学の根源的な課題に近づくことができるだろう。

  • ―近代における変身をめぐって―
    永井 聖剛
    2012 年 61 巻 1 号 p. 44-55
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    近代文学は、非合理的なものを作中から排除することで、現実らしさを構築しようとした。小稿で扱う〈変身〉が、排除されたものの好例である。しかし、〈変身〉はほんとうに姿を消してしまったのか。そうではあるまい。「変身したくない=真の自分のままでありたい」という内なる声となって、多くの主人公たちを規制し続けたのではなかったか。小稿は、写実主義から自然主義への推移の過程で、〈変身〉が排除されようとする現場を辿り直すことで、それによって囲い込まれた「現実」や「真実」がいかなる性格のものだったのかを考察しようとする試みである。

  • 佐野 正俊
    2012 年 61 巻 1 号 p. 56-65
    発行日: 2012/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー

    太宰治「猿ヶ島」の教材としての価値を、「物語」としての「おもしろさ」にあるとまずは押さえる。その上で、教室の初読の段階において「物語」のレベルで読み、その「おもしろさ」を十分に味わう。次に再読の段階で、一人称の「私」という語り手が気づいていないことを批評的に読んでいく。このような指導過程によって、本作品はこれまでとは大きく違った相貌を見せてくるはずである。

子午線
読む
書評
feedback
Top