本稿は、伊勢が中宮温子の死に関して詠歌した長歌(温子哀傷長歌)について、なぜ長歌体なのかという問題提起のもと、どのような場で詠歌され、どのような働きをしていたのかについて考察する。 まず歌の表現から、集団の代弁という機能と、追善法会を場として導き出す。また上代に見られる、人の死の際の儀礼に関わる長歌の系譜上に温子哀傷長歌も位置付けられるが、以後哀傷歌は個々の心情を詠うのが主流となることを述べる。
これまで、陰陽道研究の進展によって、古記録・都状のなかの泰山府君の神格について明らかにされてきた。しかし、泰山府君は「説話」と「物語」にも登場するのである。
本稿は、『今昔物語集』に収録される「晴明説話」と『今鏡』に収録される「有国説話」における泰山府君祭を見ることによって、これまでの研究で指摘されてきた泰山府君とは異なる「泰山府君」に接近し、説話としての固有な「泰山府君」を読み解く試みである。
谷崎潤一郎の東京批判に内在する〈復興〉批判と「オツ」精神の批判から欠落の否認/肯定の精神性批判を見出し、一九三〇年代後半のナショナリズム高揚を批判しうることを示した。さらに、その精神性に抗うための方策が「陰翳礼讃」において、「陰翳」を徹底的に凝視する姿勢に看取できることを確認した。同時代の政治的動向に〈盲目〉であったとされる谷崎だが、その思考の様態はむしろ徹底的凝視の称揚であったことを提示した。
「波千鳥」の研究は近年ようやく盛んになり、特に作中女性の手紙が重要性を説かれてきた。本稿は手紙の〈引用〉を、作中人物の応答的な関係性の直中に読み手を引き込む戦略と考え、その効果を再検討する。手紙を作中人物がどう読み解いたか明かされない読み手は、それを自らの読解をもとに想像しなければならない。そうして手紙が読み手に促す小説の言葉の再解釈は、前編「千羽鶴」のみならず川端文学全体の再評価へも繋がってゆく。