日本文学
Online ISSN : 2424-1202
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65 巻, 7 号
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特集・危機と対峙する中世文学
  • ――藤末鎌初における往生と汎宗派的志向をめぐって――
    近本 謙介
    2016 年 65 巻 7 号 p. 2-13
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    平安時代から鎌倉時代への時代の画期について、それと対峙する文芸のあり方の視点から分析する。画期に向けての院政期の施策と宗教文芸の動向を、画期到来以降の展開との相関から見直すことで、その軌跡をたどることを意図している。その際に、往生に関する文芸の担った役割と、それを支える汎宗派的志向の意義を取り上げ、聖徳太子信仰と関わることがらを取り上げつつ定位する。その作業のなかで、諸領域の文芸の展開を、思想史的・文化史的展開との関わりから照射する。

  • ――女三宮の和歌などをめぐって――
    田渕 句美子
    2016 年 65 巻 7 号 p. 14-23
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    『とはずがたり』は次々に深刻な危機に直面する自分を描くが、表現上拠り所とするのは『源氏物語』である。女三宮と柏木の物語は、『とはずがたり』の二条と有明の月の恋の表現に多大な影響を与えた。そもそも『源氏物語』中の女三宮の歌は相愛の男女の恋歌であり、散文では書かれていない女三宮の造型に関わる。『とはずがたり』はその女三宮の歌にあらわれた心情を増幅する等、危機的状況の女君達に自分を重ね、自らを題材に、種々の虚構の操作を加えて演出し、『源氏物語』の女君達の内面を一人称で語り変えた。

  • ――長禄・寛正期における学問の一様相――
    田中 尚子
    2016 年 65 巻 7 号 p. 24-33
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    五山僧太極の日記である『碧山日録』は応仁の乱前後の社会と寺院の様子をうかがう貴重な史料として評価が高いものの、その考察は十分ではない。本稿は当該日記の解明を目的として、同書内での中国史書への言及に着目し、太極の漢籍への取り組み姿勢を検討するものである。合戦・飢饉といった同時代の世の動向や、『漢書抄』との関わりといった観点による考察から、当該日記、ひいてはこの時代の漢籍享受の様相の一端を垣間見た。

  • ――室町幕府行事との関連から――
    川嶋 將生
    2016 年 65 巻 7 号 p. 34-42
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    室町幕府の行事・儀礼に関する故実書は、一五世紀後半から一六世紀にかけて、先例が書写されたり著されたものが多い。本稿ではそのことの意味を、当時の政治状況などとからめて考察した。また応仁の乱以前と以後との幕府行事の変化を、『長禄二年以来申次記』『慈照院殿年中行事』『大舘記』などから検討するとともに、幕府が催す三毬杖や重陽の節句に散所が関与していく意味について、それは東寺領散所であると推考し分析した。

  • ――中世の危機意識と文学――
    佐藤 弘夫
    2016 年 65 巻 7 号 p. 43-53
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    中世的な危機意識形成の背景には、理想の浄土と私たちが住む現世が鋭く対峙する、中世固有の二元的世界観が存在した。往生浄土による〈救済〉への渇望がその対極に、現世に対する否定的認識と堕悪道の恐怖感を増幅させ、この世での生活そのものが根源的な不安定性の上に成り立っているという強い危機意識を生み出すことになった。それは文学テクストにも影響を及ぼし、他界からの声を反映する神秘主義的な色彩と、熱烈な〈救済〉志向がその思想的基調をなすことになった。

 
  • ――『阿娑縛抄』所収「感応寺縁起」を読む――
    鈴木 耕太郎
    2016 年 65 巻 7 号 p. 55-65
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    本稿では、『阿娑縛抄』所収の「感応寺縁起」を読み、そこに顕れる牛頭天王とその信仰を検討した。この縁起の牛頭天王は、「祇園縁起」型(行疫・防疫神)と異なり、万能神的な神格と利益を持っている。その背景には牛頭天王と観音とを同体視する台密の思想があったことを明らかにした。また、感応寺伽藍神である牛頭天王が「川前天神」と称され、その川前天神堂における儀礼が示されていること、またそれら儀礼も、縁起のなかで牛頭天王と感応寺建立者である壱演が「感応」した成果だと論じた。

  • ――「人生の幸福」をめぐって――
    吉田 竜也
    2016 年 65 巻 7 号 p. 66-76
    発行日: 2016/07/10
    公開日: 2021/07/31
    ジャーナル フリー

    「人生の幸福」(大13)をはじめとする正宗白鳥の同時期の作品では、自意識に苛まれ、それの消滅を希求するが、人間である限り自意識からは逃れられないというさまが描かれており、知性や人間存在への疑念という問題にまで迫っている。こうした作品は、いわゆる新感覚派をはじめとする若手の文学者にも共感をもって迎えられた。以上をふまえると、保守的な文学者と目されてきた白鳥だが、その評価も再考を迫られる。

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