郡虎彦は『保元物語』を典拠として近代劇にアダプテーションした戯曲「義朝記」を英語で発表し、一九二二年に日本の作家として初めてロンドンで自作戯曲を上演した。本稿では、「義朝記」が女性参政権運動家イーディス・クレイグによって演出された一方で、一九二一年に設立された外務省情報部を通した「プロパガンダ」資金の援助を受けていたことを明らかにした。「義朝記」の分析を通して、どのような要因で文学作品のアダプテーションと異文化への移動が起こるのかを検討したい。
本稿では、井伏鱒二の小説「「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩をして私は用語について煩悶すること」を、音と呼称の相関から読み解き、その批評性を検証した。本作は、作者が出身地に残る呼称習慣を描いたとされるが、作中の語りや表記には、音と文字の結びつき、言葉と共同体の結びつきを相対化させる特徴が見出せる。これらの特徴は、当時盛んに議論された国語問題の一つであるルビ廃止論と、それを牽引した山本有三の論考に共通する同時代的言語観を鋭く問うものである。
一九九三年にアメリカのクノップフ社から刊行された村上春樹の短篇小説集The Elephant Vanishes(『象の消滅』)の構成は、西洋諸国で村上春樹の短篇集が刊行される際に踏襲され、二〇〇五年には新潮社から同じ構成による日本語版が刊行される。異なった言語・書物に再配置された短篇小説はいかなる意味をもつのか。アメリカで編集された際の作品選択と構成を検討するとともに、逆輸入された日本語版をもとにいくつかの作品の翻訳・改稿過程を追うことで、アメリカ―〈世界〉で読まれた村上文学の特質を明らかにした。
本稿は、リービ英雄の日本語文学について論じる。いま日本語文学は、世界文学や越境文学、エクソフォン文学など、さまざまな言葉とともに論じられる傾向にある。そこで金石範が提唱した日本語文学の概念を振り返り、それとの関連からリービ英雄による日本語文学観および小説「千々にくだけて」について考察した。なかでも「翻訳のような創作」(リービ英雄)とあるように、日本語文学と翻訳的行為との関係性に力点をおいて検討している。
多和田葉子はモノリンガリズム(単一言語主義)と闘い続けてきた作家だが、その小説実践を自ら「母語の外に出る」行為と名付け雄弁に語ってきた。しかしその空間的比喩が多和田の実践に対する批評をある形に固定化してきたこともまた事実であるように思われる。本論は、『地球にちりばめられて』の「母語の外に出る」という作家の比喩に依拠せずに、その言語実践を言葉遊びとモノリンガリズム批判を結び付けつつ辿っていく試みである。