例えば対流や液晶,化学反応では,系がもつ非線形や非平衡性の結果として振動や自発的なパターンが自己組織化的に現れる.構成要素が全く異なるものの,その背後には共通したメカニズムが働いていることも多い.例えば,ベルーゾフ・ジャボティンスキー反応(BZ反応)では,マロン酸などの反応基質が臭素酸イオンによって一過的に酸化される反応が拡散によって空間的に伝播し,同心円状やらせん状の進行波パターンが現れる.同様なパターンはPt表面上のCOの酸化反応でも現れ,こうした系の振る舞いは,「興奮系」という共通の枠組みから理解できる.非線形・非平衡系に固有でかつ動的なマクロ構造形成の理解は,実験・理論ともに,これまでよく進んできた.生きた細胞は非平衡系の最たるものであるが,系の複雑さゆえにその動態の特徴付けが難しい.それでも近年,細胞内の化学反応や輸送が直接観測できるようになったことで,マクロ非平衡系の秩序形成と共通する振る舞いが見えてきた.自然現象としての面白さもさることながら,様々な生命機能における役割の理解からも重要な視点を供する.本稿では,その具体例として,アメーバ状の細胞が示す複雑な変形ダイナミクスが,細胞内の化学反応と拡散によって出現する動的なマクロ構造として理解できることを紹介する.細胞性粘菌Dictyostelium discoideumや,好中球などの免疫系細胞でみられるアメーバ様の運動に伴う細胞膜の変形は,アクチンの重合と枝分かれによるフィラメント形成によって発生する力によって,膜が押し広げられることによると考えられている.アクチンのフィラメント形成は,いくつものシグナル伝達分子によって,その構築と解体が調節されているが,その主たるものの一つにホスファチヂルイノシトール3リン酸PI(3,4,5)P3(以後PIP3と呼ぶ)がある.これは細胞膜を構成する脂質の中では割合としては希少なものであり,これに特異的に結合するタンパク質の膜上の結合サイトを提供している.細胞性粘菌では,このPIP3やフィラメント状のアクチン(以後F-アクチンと呼ぶ)の濃度分布が,ガラスなどの基質に接着した細胞膜の内側にそって,らせんや進行波となって時間発展し,細胞端に到達した際に膜が伸張する現象が知られている(以後これをPIP3/F-アクチン波と呼ぶ).この波の運動を特徴付ければ,アメーバ状の膜の変形,その複雑さやランダムさがいかに生まれているかの手がかりが得られると期待できる.波の挙動はなかなか複雑である.新しく現れては伝播し,波面同士が正面から互いにぶつかると消滅する.そこで,波の位相マップを作成し,位相特異点に着目した解析を行ったところ,細胞の中では,特異点の対生成と,膜境界での消滅が繰り返されており,これが波のパターンの遷移,ひいては膜変形を特徴付けることがわかった.一連の解析結果から,PIP3/F-アクチン波がBZ反応に見られるような「興奮系の波」であることが示唆され,また,パターンの遷移は,特異点の生成消滅に関してはトポロジカルな生成消滅のルールを破らず,決定論的に振る舞っていることがわかった.一般に,PIP3はイノシトール環3位のOH基のリン酸化/脱リン酸化反応によって,その濃度が調節されており,先行研究から,リン酸化反応がF-アクチンを介した強い非線形性をもった反応動力学によっていると考えられる.これらの生化学反応と,膜上の拡散を連結した数理モデルから,PIP3の濃度波が興奮系の波であることが理論的にも数値的にも予測される.さらには膜変形をフェーズフィールド法によって表現することで,実際の細胞でみられる特徴的な形態の多くが再現されることが確かめられた.本稿で注目している細胞変形は非常に複雑に見えるが,そのランダム性はPIP3/F-アクチン波が新しくできる発火の場所やタイミングにその起源をもっている.波の生物学的な意義やその発生の大元の仕組みはまだわかっていないが,将来的に,波のコントロール,ひいては細胞の振る舞いも操れるようになるだろう.分子生物学的アプローチと非線形物理学の手法を組み合わせることによって,「分子レベルの相互作用」から「細胞膜の変形」という階層をまたいだ描象を与え,生命が示す自発性や巧みさの仕組みに迫りつつある研究分野の動向を感じていただければ幸いである.
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