日本物理学会誌
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79 巻, 3 号
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巻頭言
目次
解説
  • 長谷川 禎彦
    原稿種別: 解説
    2024 年 79 巻 3 号 p. 108-116
    発行日: 2024/03/05
    公開日: 2024/03/05
    ジャーナル 認証あり

    量子力学におけるハイゼンベルクの不確定性関係は座標と運動量の非可換性に由来するが,この非可換性は量子性として顔を出す.このように,不確定性関係は系における重要な性質を反映する関係式である.

    近年大きな注目を集める熱力学不確定性関係は確率熱力学における精度と熱力学的コストの間の不確定性を表す関係式である.2015年に発見された熱力学不確定性関係は,高いクオリティには高いコストがかかるという,我々が日々常識として捉えているトレード・オフ関係を熱力学的に定量化したものである(図).つまり,熱力学における「no free lunch」(無料で何かを得ることはない)を表すものであり,物理学,化学,生物学的に重要な意味を持つ.

    熱力学不確定性関係は,観測量の分散を平均の二乗で割った量にはエントロピー生成の逆数の二倍の下限が存在するというものである.熱力学不確定性関係が多くの研究者の関心を引き寄せたのはその一般性にある.熱力学不確定性関係は定常状態にある一般的な確率過程を対象とする上,観測量に関しても移動距離や散逸熱など多くの物理量に対して普遍的に成立する.2015年の段階では,熱力学不確定性関係の証明は線形応答の成立する領域で与えられた.線形応答を超える領域における証明は2016年に大偏差原理と呼ばれる数学的な手法によってなされたが,その後数多くの証明方法が発見され,非定常状態など,多くの場合に成立するよう一般化が行われている.熱力学不確定性関係はもともと古典確率過程において定式化されたが,近年,その研究対象は量子系へと広がっている.古典や量子系における熱力学不確定性関係の発展の過程で,熱力学不確定性関係と統計的推定問題や速度限界との関連も明らかになってきており,熱力学不確定性関係が関連する分野はますます広がりつつある.また,熱力学不確定性関係の発見が発端となり,精度と熱力学的コストの関係に留まらず,様々な物理量の間の不確定性関係が確率熱力学において研究されている.

    熱力学不確定性関係は純粋な科学的な興味の対象のみならず,多くの応用可能性を持つ点で重要である.熱力学不確定性関係は観測量の下限をエントロピー生成で与えるという関係式であるが,見方を変えるとエントロピー生成の下限を観測量の平均と分散によって与えるという解釈も可能である.このような捉え方を応用することで,熱力学不確定性関係に基づくエントロピー生成の推定が可能となる.エントロピー生成推定が可能になると,例えば生体分子の動きからどれだけエネルギーを消費したかが分かるようになるため,生化学的に重要な意味を持つ.エントロピー生成推定は,従来手法では観測が難しい点や,侵襲的であるなどの問題点があったが,熱力学不確定性関係を用いた推定手法はそのような問題点を解決した新たな手法として期待されている.

最近の研究から
  • 川田 七海
    原稿種別: 最近の研究から
    2024 年 79 巻 3 号 p. 117-122
    発行日: 2024/03/05
    公開日: 2024/03/05
    ジャーナル 認証あり

    地球が地殻–マントル–コアの三層構造を持つことは19世紀に始まった地震波観測で明らかになった.地球化学は地球の材料と考えられるコンドライト隕石や地表での岩石サンプルの組成から地殻とマントルの平均組成を推定している.しかし,地球深部物質と同等の岩石サンプルを得るのは特に困難で,どのような種類の隕石が地球を作ったかも未確定なため,地球化学による組成推定には本質的な不定性がある.

    また,地球はただの岩の塊ではなく生きており,地球進化の歴史を考える上では,プレート移動,火山,地震,地磁気といったダイナミクスを駆動する熱源を理解することも欠かせない.地表での熱流は47±2 TWと見積もられており,その熱源としては地球誕生時から残る原始熱のほかコア成長による潜熱や放射性物質に由来する放射化熱が考えられる.

    地球内部の放射化熱量については,地震波観測結果とマントル対流モデルに基づく予測(High-Qモデル),揮発性物質に富み太陽系の始原物質を含むとされる炭素質コンドライト隕石の組成に基づく予測(Middle-Qモデル),いくつかの元素の同位体比が地球とよく合うエンスタタイトコンドライト隕石の組成に基づく予測(Low-Qモデル)などが存在するが,それぞれ異なる量を予測している.

    ここで鍵となるのが地球ニュートリノである.地球ニュートリノは地球内部でウラン,トリウム,カリウムといった放射性元素の崩壊系列から発生し,その高い透過性により地球内部をほとんど素通りして地表に到達する.地表での地球ニュートリノ量を測定すれば,地球内部の放射性物質量を直接決定でき,放射化熱量も計算できる.また,放射性元素毎に異なるエネルギーの地球ニュートリノを発生するから,そのスペクトルから元素毎の存在量,つまり地球内部の化学組成を直接検証できる.さらに,地球ニュートリノ観測結果で地球モデルを検証することで,地球進化の歴史や地球内部のダイナミクスに迫ることができる.

    これまでに日本のカムランド実験とイタリアのBorexino実験が地球ニュートリノ観測結果を報告しており,SNO+(カナダ),JUNO(中国)などが観測の準備を進めている.その中でもカムランドでは,1キロトンの超高純度液体シンチレータを用いてウラン,トリウムからの地球ニュートリノを2002年から20年以上にわたって観測しており,現状最高の統計量を有する.さらに,2011年の東日本大震災により国内の原子炉が停止したことで最大の背景事象である原子炉ニュートリノが大幅に減少し,カムランドによる地球ニュートリノ観測精度は飛躍的に向上した.

    その結果,ウラン,トリウムからの地球ニュートリノフラックスは14.7+5.2-4.8, 23.9+10.2-10.0[105/cm2/s]と得られた.この結果を放射化熱に換算し種々の地球モデルと比較したところ,地震波観測に基づきマントル一層対流を主張するHigh-Qモデルは地球ニュートリノ測定結果と矛盾することが判明した.これは,マントルが複数層の対流構造を持つことを示唆している.観測精度をさらに向上し地球モデルを決定することで,地球を形成した隕石の種類を解明するのが地球ニュートリノ観測の次の目標である.

  • 佐藤 琢哉, 戸川 欣彦, 楠瀬 博明, 岸根 順一郎
    原稿種別: 最近の研究から
    2024 年 79 巻 3 号 p. 123-128
    発行日: 2024/03/05
    公開日: 2024/03/05
    ジャーナル 認証あり

    最近,結晶における鏡映対称性の破れ(カイラリティ)と,結晶中のフォノンが運ぶ角運動量との関係が重要な研究対象になっている.その背景には,物質に潜む様々な情報(量子数)をフォノンに乗せて運ぶことで新たな物質機能を開拓したいという機運の高まりがある.量子論では,物質の量子状態は対称性により分類される.例えば,固体結晶中の電子が持つ結晶運動量(波数)は,結晶の離散的な並進対称性に対応する量子数(空間群の既約表現)である.

    では,結晶中の格子振動(フォノン)は,結晶のカイラリティをどのように見るのだろうか? 分子や結晶のカイラリティが,磁性や伝導に本質的な影響を及ぼすことは広く知られているが,フォノンの場合はどうであろうか.この問題は,意外にも最近まで深く吟味されておらず,物質がカイラルであることに起因する物性の探求が活発になるとともに,にわかに脚光を浴び始めた.

    この問いに答えるには「結晶のカイラリティ」と「フォノンの角運動量」の結びつきを深く知る必要がある.らせん階段はカイラリティを持つ形態の典型であるが,回転に昇降運動が伴う.このように,回転と並進の結合がカイラリティの本質である.フォノンの場合も,原子核の回転運動がその回転軸の方向に伝播してはじめてカイラリティを持つ.これが真の意味でのカイラルフォノンである.

    この回転運動は通常の意味での力学的な角運動量を持つが,カイラルな結晶中ではこれとは異なる保存量としての擬角運動量が現れる.回転と並進の対称性を合わせ持つ「カイラル結晶」,例えば120°回転(3回回転)を伴うらせん対称性がある場合,その回転演算子の固有値は3つの離散値であり,その値はフォノン波動関数の位相に現れる.これが擬(結晶)角運動量であり,らせん軸方向に伝播するフォノンの縦と右回転・左回転モードを指定する量子数(既約表現)になる.

    ラマン散乱におけるフォノンと光の間の選択則にはこの保存角運動量が現れ,これを用いてカイラルフォノンモードを特定することができる.我々は,カイラル結晶HgS(辰砂)やTe(テルル)において,小さいが有限の波数を持つ円偏光レーザー光を用いたラマン散乱実験により,カイラルフォノンモードを同定し,擬角運動量で表されるフォノン・光選択則や,左右回転に応じたフォノンエネルギーの分裂を確認した.また,第一原理計算に基づいて,擬角運動量と通常の力学的角運動量の対応関係も明らかにした.フォノンのカイラリティは電気トロイダル単極子により定量化でき,フォノンの力学的角運動量を用いてTeの場合にその評価を行った.

    以上の研究により,フォノンと光の相互作用の過程で擬角運動量が保存することが確かめられ,フォノンの持つカイラリティが定量化された.これらの研究は,カイラルフォノンを介した光子スピンと電子スピンの相互変換や長距離輸送といった新たな潮流を生み,情報伝達の物質機能開拓に貢献すると期待される.

  • 宮地 真路
    原稿種別: 最近の研究から
    2024 年 79 巻 3 号 p. 129-134
    発行日: 2024/03/05
    公開日: 2024/03/05
    ジャーナル 認証あり

    アインシュタインの一般相対性理論によれば,質量を持った物質の周りでは,時間の流れも空間的距離も歪められており,その効果が重力として現れる.この一般相対性理論は,これまで重力の関わる現象の記述に極めて大きな成功を収め,現在も数多くの検証に耐え続けている基礎理論である.一方で全ての物質は,量子力学によって記述されると信じられている.それでは一般相対性理論はどう量子力学によって記述されるのであろうか? 残念ながら,この問題に対する答えは現在に至るまで確立していない.というのも重力の量子論である量子重力理論の定式化には,様々な未解決問題が存在しているためである.

    四半世紀前,この困難な量子重力理論の定式化に光明を与える重要な関係が予想された.この予想とはゲージ・重力対応,あるいはAdS/CFT対応と呼ばれる予想である.ゲージ・重力対応とは,境界を持つ時空における重力の量子論と,時空境界で定義される,空間次元が低い重力を含まない量子論とが等価であるという対応関係である.もしこの予想が正しいとすれば,境界を持つ時空の量子重力理論を,重力を含まない量子論から定量的に調べられる.

    それでは空間次元が低い重力を含まない量子論から,どのようにして,重力理論や新しい空間次元が現れるのだろうか? この疑問はゲージ・重力対応の原理にも関わる重要な疑問である.近年の重要な進展の一つは,笠–高柳公式に代表される,境界上の量子論の量子エンタングルメントと重力理論の時空の幾何との間に存在する,密接な関係の発見である.笠–高柳公式を用いれば,時空の計量やアインシュタイン方程式を探ることが可能である.

    それではさらに一歩進んで,時空の幾何そのものを境界の量子論から導出することは可能だろうか? そのような導出の方法として有力とされる候補が,Multiscale Entanglement Renormalization Anzatz(MERA)と呼ばれるテンソルネットワークの一種による方法である.テンソルネットワークとは,量子状態の量子エンタングルメントの構造をテンソルのネットワークにより幾何学的に表現したものであり,量子状態を効率的にシミュレート可能にする.特にMERAのテンソルネットワークの場合には,量子状態の量子エンタングルメントの構造が,笠–高柳公式と同様な関係式によって記述される.この事実から,ゲージ・重力対応における時空の幾何と,境界の量子論のMERAのテンソルネットワークとが等価であると予想されるに至った.この予想から,テンソルネットワークはゲージ・重力対応の時空の模型として幅広く重要な役割を果たしてきた.

    筆者らはこの対応関係が定量的に成立するかどうかを調べるため,MERAのテンソルネットワークを,2次元のスケールの無い量子論において一般的に構築する方法を開発した.そして量子状態のテンソルネットワークの幾何は,テンソルネットワークが最も効率的に量子状態をシミュレートしている時に,ゲージ・重力対応の時空の幾何と一致することを複数の場合に見出した.標語的には,ゲージ・重力対応の時空の幾何は,「最適化」されたテンソルネットワークの幾何から構成されていることになる.

    時空の幾何をテンソルネットワークと読み替えることで,ゲージ・重力対応に関する,様々な有益な知見を得られる.まず時空の部分領域をテンソルネットワークに読み替えれば,ゲージ・重力対応の境界のない時空への一般化である,曲面/状態対応を得ることができる.そして曲面/状態対応を用いることで,新しいクラスの幾何学量と,量子情報理論的量との間の対応関係が発見されるに至っている.

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