日本物理学会誌
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78 巻, 10 号
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巻頭言
目次
解説
  • 川崎 瑛生
    原稿種別: 解説
    2023 年 78 巻 10 号 p. 574-582
    発行日: 2023/10/05
    公開日: 2023/10/05
    ジャーナル 認証あり

    この百数十年で微視的世界の理解は飛躍的に進んだ.物質の根源を探る研究は当初放射性壊変や宇宙線のような高エネルギーの自然現象を用いて行われ,最終的に素粒子物理という一大分野を形成するに至った.発展の契機の一つは加速器の発明である.重くて寿命の短いチャームクォークやτ粒子は加速器を用いて発見された.このような高エネルギー加速器を用いた衝突実験による新粒子の探索並びに性質の決定は現在に至るまで一つの大きな流れとなっている.

    一方,ニュートリノや暗黒物質と通常の物質との反応のようなまれにしか起こらない反応に注目が集まると,いわゆる非加速器実験も広く行われるようになった.非加速器実験においては期待される反応が起こる物質を清浄な環境において長時間観測することによってまれな反応を検出しそこから素粒子の性質を探る.必ずしも最高エネルギーの物理現象を取り扱うわけではないが,計測技術に関しては元々は高エネルギーの実験で使われていたものを基盤としていることが多い.

    このように素粒子物理は高エネルギーの物理としての側面が強かった.エネルギースケールとしては1 MeV程度かそれ以上である.しかし,ここ10年ほどで,単一の原子やイオンの量子状態をコントロールする技術が成熟するとともに,1 eV程度の低エネルギーの物理現象を使った素粒子物理実験が急速に発展している.しばしば精密測定と呼ばれる分野である.とりわけ周波数は現在もっとも正確に計測することが可能な物理量であり,精密分光の世界では原子時計の周波数比は18桁の精度で測定可能である.1 eVとは可視光や原子の電子軌道間のエネルギー差に相当するエネルギースケールである.

    なぜ低エネルギーの現象を用いて素粒子物理的な知見を得ることができるのか? 超軽量暗黒物質のように素粒子物理の対象がきわめて軽い粒子に広がっている例もあるが,基本的には最先端の素粒子物理は高エネルギーの現象を扱う.カギとなるのは精密測定の精度の高さである.時間とエネルギーの不確定性によって低エネルギーの系においてもごく短時間であれば高次の摂動項に高エネルギーの現象が入り込むことが可能であり,わずかな高エネルギーの現象が18桁の精度で測定したエネルギーの最後の1,2桁を変更しうる.例えば分子分光を用いる電子の電気双極子モーメントの測定の実験においては1 TeVを超える物理現象の影響も受けるため,特定の超対称性理論に大きな制限を課すような結果も得られている.

    このような精密分光は原子を一つ選び,それを詳しく調べることによって行われる.精密分光に適した原子種はいくつか存在するが,レーザー冷却によって1 μKを下回る低温に冷却し,熱運動に伴う種々の系統的な不確かさを低減できることが大前提となる.

    その中でも最近特に精力的に調べられているのはイッテルビウム(Yb)である.Ybは中性原子,Ybイオンともにレーザー冷却が可能でありかつ複数の狭線幅遷移を持ち,原子時計をはじめとする精密分光の対象として多様な応用が期待されるためである.その応用としては超軽量暗黒物質,電子と中性子の間に働く未知の力,基礎物理定数の時間変化などの種々の探索がある.

  • 福間 将文
    原稿種別: 解説
    2023 年 78 巻 10 号 p. 583-592
    発行日: 2023/10/05
    公開日: 2023/10/05
    ジャーナル 認証あり

    ほとんどすべての物理系は解析的に解くことができない.そうした場合,マルコフ連鎖モンテカルロ法を用いた第一原理計算は極めて強力な手法である.この手法は,ユークリッド作用Sx)をもつ系において,配位xのボルツマン重率ρ( x)≡eSx/∫d x eSxが配位空間上の確率分布関数とみなせることに基礎をおいている.

    しかしながら,作用Sx)が複素数値を取るときには,ρ(x)は複素数となり,もはや確率分布関数とみなすことができない.そうした場合の最も素朴なモンテカルロ法は,e-Re Sx/∫dx e-Re Sxを新しい確率分布とする再重み付け法で,そこでは位相因子e-i Im Sxを物理量の一部として扱う.

    ところが,自由度が大きくなると,位相因子e-i Im Sxを含む経路積分は激しい振動積分となる.一般に,符号(より一般には位相因子)が激しく振動する量の期待値をモンテカルロ計算で評価する場合,統計誤差を相対的に小さくするには「自由度の指数関数」という膨大な計算時間がかかってしまう.こうした数値計算上の困難を符号問題と呼ぶ.符号問題をもつ重要な物理系としては,(1)有限密度量子色力学(QCD),(2)強相関電子系やフラストレートスピン系,(3)量子多体系の実時間ダイナミクスなどがある.

    符号問題の歴史は長く,これまで特定の問題ごとに個別の手法が進展してきたが,ここ10年ほどの間に符号問題の汎用的な解決法を探る動きが本格化した.その中で出てきたのがレフシェッツ・シンブル法である.この方法では,元の積分面を実空間から複素空間内に連続変形し,Im S=constとなるような新しい積分面(レフシェッツ・シンブル)上でモンテカルロ計算を行う.ところが,変形に伴って確かに積分の振動は緩和していくものの,今度はエルゴード性の問題が生じてしまう.実際,新しい積分面は通常複数のシンブルからなるが,異なるシンブル間には高さ無限大のポテンシャル障壁があるため,配位は新しい積分面上を自由に動くことができない.

    レフシェッツ・シンブル法に内在するこの「符号問題の解消とエルゴード性の問題の発生のジレンマ」を初めて同時解決したのが焼き戻しレフシェッツ・シンブル法である.そこでは,変形パラメーター自身も確率変数とみなす焼き戻し法が実装され,ポテンシャル障壁を回避する迂回路を用意することで,符号問題が解消している領域でのエルゴード性を保証する.

    焼き戻しレフシェッツ・シンブル法の計算コストをさらに引き下げたのが世界体積ハイブリッドモンテカルロ法である.そこでは,変形途中の積分面を連続的に重ね合わせた領域(世界体積)上でハイブリッドモンテカルロ法を用いた計算を行う.

    この世界体積ハイブリッドモンテカルロ法は,解析結果と比較できる場合に常に正しい結果を与えているアルゴリズムである.こうした汎用性と結果の信頼性および計算コストの点で,符号問題に対する現時点で最も強力な手法の一つである.しかしながら,まだ自由度の小さな系への適用が始まったばかりであり,今後は,富岳などで実際に大規模計算を行い,大自由度系に対してどこまでこのアルゴリズムで行けるか,そして大自由度系に向けて改良する点があるとすればどういう部分かを徹底的に突き詰めることが重要である.

最近の研究から
  • 鹿野 豊, 藤原 正澄
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 10 号 p. 593-598
    発行日: 2023/10/05
    公開日: 2023/10/05
    ジャーナル 認証あり

    計算・通信・暗号といった現代の情報社会の礎として情報理論がある.一方,情報社会を担うハードウェアは物理法則に従うデバイスによって構成されているため,物理法則によって制限された情報理論が必要である.

    中でも,量子力学の法則によって制限された情報理論は量子情報科学と呼ばれ,量子エレクトロニクス技術と融合しながら40~50年かけて発展してきた.

    デジタル社会の情報処理の最小単位を「ビット」と呼ぶが,同様に量子情報処理の最小単位を「量子ビット」と呼ぶ.一般に,量子ビットは外界環境に対して脆弱であり容易にその状態を変化させてしまう.この性質は量子ビットの品質向上にとっては負の側面であるが,見方を変えれば,環境因子を精密に測定できる能力を保持していることを意味している.そのため,このような物理系の応用は量子センサーと呼ばれている.

    量子センサーは単一原子レベルでの量子状態操作が可能であることから,従来のセンサーより高感度でかつ高い空間分解能であると期待されている.これらの情報技術や計測技術をまとめて,量子情報技術または量子技術と呼ぶようになった.そして近年,量子計算機の実装を中心に量子情報技術の研究開発が盛んに続けられている.

    量子情報技術の中でも,室温動作が可能な物理系として注目されているダイヤモンド中の窒素・格子欠陥(NV中心)にある電子スピンは,光検出磁気共鳴法を用いることで,量子状態を可視光で読みだすことができる.また,その量子状態はマイクロ波を印加することで容易に制御できる.ダイヤモンドNV中心の基底状態は電子3重項状態であり,超微細構造を持つ.この超微細構造が磁場,圧力,温度に対して変化するため,ダイヤモンドNV中心は室温で動作する量子センサーとして開発が進められ,理想的な環境において従来技術のセンサーより感度が向上しているということが示されてきた.一方で,生体試料などの実際に調べたい環境において,ダイヤモンド量子生体センサーがどのような性能を示し,これまでに得ることができなかった知見をもたらすことができるかは分かっていなかった.

    そこで,人工的に作製された蛍光ナノダイヤモンドを量子センサーとして生体試料に微小ガラス管を用いて投入し,生体試料内部の温度を局所的に計測した.具体的には,「生物学研究の未来」として称されることもある線虫(C. elegans)というモデル生物を生体試料として,薬剤投下時の発熱現象を計測した.まだ,薬剤投下時の発熱は分子科学的なメカニズムが解明されていない生理現象ではあるが,局所的な量子生体センサーを用いることで発熱現象自体が線虫内で起こることの証拠を得た.

    量子生体センサーの研究開発は,純粋なる物理学の基礎研究として捉えるのが非常に難しくなる一方で,他分野への応用を推進していく上で,他分野の未知なる現象を解明するために使われなければならない段階にある.そして,誰かが近い将来『量子情報技術の常識』という教科書を執筆した時,

     

    量子情報技術分野の存在価値の大半が,その分野が他分野に対して果たす役割の大きさに依存することを忘れてはならない.

     

    と書き記されているであろう.

  • 花手 洋樹, 松平 和之
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 10 号 p. 599-604
    発行日: 2023/10/05
    公開日: 2023/10/05
    ジャーナル 認証あり

    物質が示す相転移で何が秩序化しているのかを表す秩序変数を明らかにすることは固体物理学における主要な研究テーマの1つであり,新しいタイプの秩序相の発見は新しい物理や新機能の発見へとつながる.磁性や誘電性に代表される物質の機能性は,その系の対称性の破れと関係している.例えば,時間反転対称性が破れると磁性を生じ,空間反転対称性が破れると誘電性を生じる.近年,空間反転対称性と時間反転対称性に関するパリティが異なる2つのトロイダル多極子(磁気トロイダルと電気トロイダル)が,新しい機能性を伴う秩序相の微視的起源となることから精力的に研究が行われている.

    電気双極子モーメントPは原子スケールでみると電子分布の偏りから生じ,Pが同じ向きに揃うと空間反転対称性が破れ,強誘電性となる.一方,Pがドーナツ状に並んだ電気トロイダル双極子モーメントGは,個々のPの位置ベクトルrPのベクトル積r×Pで表される.このPが渦状に秩序化している場合,Gは空間反転対称性を破らない.このようなGがある軸方向に同じ向き(強的)に整列している場合はフェロアクシャル秩序(electric ferro-axial ordering)とも呼ばれ,最近,活発な研究が行われている.電気双極子の秩序は空間反転対称性を破るが鏡映対称は保たれるのに対して,電気トロイダル双極子秩序の場合は空間反転対称性が保たれており,その回転軸を含む鏡映面の鏡映対称性の破れが生じている.その実証例が未だ少ない稀有な秩序状態である.その理由の一つとして,この時間反転対称性や空間反転対称性に不変な秩序状態の検出のために,それに直接作用する同じ対称性の電場や磁場を作ることが難しいことが挙げられる.

    我々のグループでは2015年から5d遷移金属イリジウム酸化物Ca5Ir3O12が105 Kで示す非磁性の二次相転移の秩序変数の解明に取り組んできた.2003年に発見されたこの相転移は,比熱や電気抵抗には異常が明確に見られるが,粉末のX線回折および中性子回折からは,構造相転移の兆候が見られず,「隠れた秩序」と言える状況であった.その秩序変数の解明は単独の実験結果からではなく,複数の実験結果を積み重ねることにより徐々に明らかになり,最近,その秩序変数が上述の電気トロイダル双極子であることがわかってきた.

    この非磁性の二次相転移の解明には,純良単結晶が必須であり,その育成から始まった.次に結晶構造の対称性の変化に敏感なラマン散乱測定から,(i)結晶構造の二次相転移であること,(ii)酸素が結晶のc軸に垂直な面内で変位することで鏡映対称性が破れるような構造変化が起きていることがわかった.その結果を受けて行われた非弾性X線散乱測定から,(iii)単位格子がabc全方向で3倍に拡大された超格子構造に対応したq=(1/ 3, 1/ 3, 1/ 3)の超格子回折ピークを発見し,(iv)フォノンのソフトモードが存在しないこと(秩序–無秩序型相転移である),(v)超格子回折ピークの強度にある特徴が鏡映対称性を破る原子変位で説明可能なことがわかった.さらに放射光X線回折測定から,(vi)転移後の結晶構造の空間群がR3(No. 146)であること,(vii)超格子回折ピークの積分強度の温度依存性における特徴は鏡映対称性を破る原子変位で説明可能なこと,を明らかにした.

    これらの実験結果の積み重ねにより,Ca5Ir3O12が105 Kで示す非磁性の二次相転移が電気トロイダル双極子秩序であることが明らかになった.この秩序はIrO6八面体の原子スケールでの,1次元鎖のc軸方向の渦(電気分極の配向または回転自由度)の秩序と理解される.

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