日本物理学会誌
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76 巻, 8 号
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巻頭言
目次
交流
  • 毛内 拡
    原稿種別: 交流
    2021 年 76 巻 8 号 p. 492-497
    発行日: 2021/08/05
    公開日: 2021/08/05
    ジャーナル フリー

    脳が生きているとはどういうことか? 脳細胞を漫然と集めても脳にはならない.一方,最近,試験管の中で幹細胞から作られたミニ脳が,統合的な脳活動を意味する脳波を発生したそうだ.その脳は果たして,ものを考えたり,喜怒哀楽を感じたりするようになるだろうか.

    神経細胞(ニューロン)は,神経インパルスとよばれる電気的活動を行い,ニューロン同士の接合部であるシナプスを介して神経回路を形成している.シナプスを介した一対一の精緻で迅速な信号伝達は,ニューロンが神経インパルスを発生した/発生しないのように二値のデジタル信号として解析される.例えば,ラスタープロットとよばれる作図法は,個々のニューロンの神経インパルスの発生を,短い時間窓で判定し,バーコードのように並べることで,ニューロン同士の活動の同期・非同期を可視化する方法であり,神経科学の論文では多用されている.

    さらに,現在,注目を集めている人工知能や深層学習を支えるニューラルネットワークも,神経回路をデジタル的にモデル化することで,パターン認識や機械学習などの分野において大きな成果を上げている.

    これまで,ニューロンのシナプス伝達を介した“デジタル的”な相互作用によって,感覚情報や意識や知覚などの高次機能を説明しようとする試みがなされてきた.一方で,ニューロンのデジタル回路の理解だけでは説明のつかない現象も数多く報告されている.脳を理解するためには,ニューロンの電気的活動の二値的な理解だけでは不十分である.

    ニューロンの局所的で速い信号伝達が,感覚や運動などの一次的な情報処理を担うことは間違いない.一方で,脳の中には,広範囲でゆっくりとした調節的な伝達様式も存在していることがわかってきている.筆者は,従来の二値的な解釈だけでは理解できない脳の多様な伝達様式を「アナログ的な伝達」とよんでいる.この点で脳とコンピュータは本質的に異なるのである.

    例えば,脳には神経回路ネットワークのほかにも血管網やグリア細胞が存在しており,栄養や脳内物質の補給や物流の支援と管理(ロジスティクス)を担っている.

    また,脳細胞の隙間である細胞外空間は,単なる隙間ではなく,細胞外環境を一定に保ち,老廃物の排泄のための通り道となっている.さらに液性因子の拡散や,細胞外電場を介した近接作用の「場」として重要な役割を果たしている.

    意識や知覚,知性などの脳の高次機能を理解するためには,これらのシナプスを介さないアナログ的な伝達を理解する必要があると私は考えている.筆者の考える知性は,「答えがないことに答えを出そうとする営み」で,例えば,創造やいわゆる“人間らしさ”などが挙げられる.一方,知能は,「答えがあることに答えを出す能力」で,例えば,将棋の局面において最適な一手を導き出す高度な計算能力などが挙げられる.これらは,区別して考える必要があるのではないか.人工知能は,計算が速く,人間の知能を凌駕しているが,残念ながら知性とは程遠い.

    知性の謎を解き明かす鍵は,ニューロン以外の脳の要素にあるのではないだろうか.

解説
  • 長田 有登
    原稿種別: 解説
    2021 年 76 巻 8 号 p. 498-506
    発行日: 2021/08/05
    公開日: 2021/08/05
    ジャーナル フリー

    合わせ鏡の中では多重反射した像が鏡の奥の方にずらりと並んで見え,その空間がまるで広がったように見えるものだ.合わせ鏡に「閉じ込められた」光と,同じくその中に捕らわれた物体は普段よりも多い回数出会うことになり,より強く相互作用するようになるとも考えられる.実はこれを半導体素子の端面と半導体中の電子で実装すると,こんにちよく使われる半導体レーザーの実現に繋がる.

    光共振器によってその中の物質と光の相互作用を増強するというアイデアは非常に有用だ.これにより単一の原子と単一の光子がそれぞれ緩和するよりも速く量子的な情報をやり取りすることも可能になり,共振器量子電気力学という分野が花開いた.また,共振器オプトメカニクスでは,ほぼ透明な薄膜に対する光の輻射圧が,光共振器によって薄膜の振動状態を制御することができるほどに増強される.

    本稿の主題となる光と磁気の相互作用についてはどうだろうか.光と磁気に関する研究はFaradayによる磁気光学効果の発見(Pockels効果の発見よりも50年早い)に端を発し,近年ではスピントロニクスの技術としての光によるマグノン(スピン波)の生成と検出,そして量子技術でのマイクロ波–光量子変換といった応用に向けてマグノンの光制御が精力的に研究されてきた.しかし,光と磁気の相互作用は非常に弱いことが知られている.これもまた光共振器で増強しよう,というモチベーションで共振器オプトマグノニクスが勃興した.

    共振器オプトマグノニクス,つまり光共振モードとマグノンの相互作用の研究には,マグノンの寿命が長く波長1.5 μmの光に対して透明でもあるイットリウム鉄ガーネット(YIG,Y3Fe5O12)の利用が適している.ただし,レーザーの研究でよくやられるようにYIG結晶に反射防止コートを施してFabry–Perot共振器内に配置する,あるいはYIG結晶に高反射コートを施してFabry–Perot共振器とするのではなく,YIGの球がもつウィスパリングギャラリーモード(WGM)が利用された.WGMとは,誘電体球の内部を光が全反射しながら周回するような共振モードであり,偏光(スピン)だけでなく軌道角運動量の自由度ももつような興味深いモードである.

    はじめは共振器オプトメカニクスと同様,共振器内の光子のマグノンによる非弾性散乱(Brillouin散乱)が単に増強されるものと思われていた.しかし上記のWGMを用いることによりマグノンによるBrillouin散乱の非相反性,Stokes/anti–Stokes散乱の非対称性といった興味深い性質の発現が実験により明らかになった.そのうえ,光とマグノンのスピンおよび軌道角運動量の授受やWGM光のスピン軌道結合の顕わな影響といった豊かな物理を内包することが明らかになったのである.

    こういった実験結果に触発されるように共振器光による高速磁化反転や波数選択性・光による効率のよいスピン波生成の理論提案,そして微細加工技術を駆使した共振器オプトマグノニクスの実験研究などの新たな展開をみせている.このように,共振器オプトマグノニクスは光と磁気の研究に新たな舞台を提供し,いまなおスピントロニクスと量子エレクトロニクスの両面から,実験的にも理論的にもその応用が精力的に研究されている.

  • 北沢 正清, 野中 俊宏, 江角 晋一
    原稿種別: 解説
    2021 年 76 巻 8 号 p. 507-516
    発行日: 2021/08/05
    公開日: 2021/08/05
    ジャーナル フリー

    現在,およそ1015 g /cm3という超高密度で実現するとされる相転移の実験的探索が世界各地の実験施設で行われているのをご存じだろうか.この相転移とは,強い相互作用の基礎理論である量子色力学(QCD)が低温かつ超高密度の物質中で引き起こす一次相転移と,その一次相転移線の端点であるQCD臨界点のことである.1015 g /cm3という密度は,原子核の飽和密度ρ0≃2.5×1014 g /cm3を大きく上回り,現在の宇宙における最高密度状態の中性子星中心部に匹敵する.この相転移を,加速した重い原子核を衝突させる実験である高エネルギー重イオン衝突によって地上で実現し,その性質を調べるための実験が進められているのである.

    高エネルギー重イオン衝突実験では,原子核の圧縮によって衝突時に高温高密度の物質が作られるが,衝突エネルギーを変化させることによって生成物質の温度と密度を変化させることができるという特徴がある.この性質を使い,生成物質の温度・密度依存性を調べる一連の実験をビームエネルギー走査とよび,現在世界各地の加速器でこのような実験が進行している.特に米国の加速器RHICでは幅広いエネルギー領域を調べる実験プログラムRHIC-BESが進行中であり,ドイツGSIのHADES実験などでも低エネルギー領域が調べられている.さらに,GSIのFAIRやロシアJINRのNICAなどの次世代実験施設の建設も進む.これら一連の実験が目指す最重要課題が,ビームエネルギー走査による高密度領域の相構造探索である.

    これら一連の研究の中でも近年特に精力的に調べられてきたのが,非ガウスゆらぎを使ったQCD臨界点の実験的探索である.ゆらぎはキュムラントとよばれる量で特徴づけられるが,QCD臨界点でゆらぎが発散するのに伴い,QCD臨界点周辺では各次数のキュムラントに特徴的な発散や符号変化などの異常が現れることが理論的に指摘されている.一方,重イオン衝突実験では,衝突事象毎解析とよばれる手法で保存電荷数などの観測量のゆらぎが測定でき,109をも凌ぐ膨大な衝突事象の解析によって現在最高で6次までキュムラントが解析されている.

    こうして得られた最新の実験結果では,4次キュムラントの衝突エネルギー依存性に非単調な振る舞いが現れており,QCD臨界点の兆候が見えたのではないかと注目されている.水の液気相転移の臨界点から15桁隔てた密度に存在する臨界点の発見に至れば極めて興味深く重大な発見である.現状では実験データの誤差が大きく,また理論的検討も未成熟であるためQCD臨界点の存在同定にはさらなる検討が必要だが,現在RHICではRHIC-BESの第二期実験が進行中であり,この実験が間もなく提供する高統計データによって,近い将来この議論に決着がつくことが期待されている.

最近の研究から
  • 藤本 和也, 濱崎 立資, 川口 由紀
    原稿種別: 最近の研究から
    2021 年 76 巻 8 号 p. 517-522
    発行日: 2021/08/05
    公開日: 2021/08/05
    ジャーナル フリー

    私たちをとりまく自然に目を向けると,その多くが時間とともに変化していることに気づくであろう.このような非平衡現象をどのように理解すればよいのか,その探求が長年行われてきた.さまざまな試みがあるなかで,これまで物理量の揺らぎに注目した研究が活発に行われ,いくつかの現象において系の詳細に依存しない普遍的な振る舞いが現れることが明らかにされている.そのイメージしやすい例が乱流かと思う.乱れた流れの中では速度場が時間・空間的に大きく揺らいでいる.この揺らぎの相関関数にスケール不変なべき則が現れることが知られており,さまざまな流体系で同一のべき指数が観測されている.

    このような非平衡揺らぎの普遍性を探求する場として,界面成長ダイナミクスがこれまで重要な役割を果たしてきた.界面成長は平均界面からのずれを定量化した界面粗さで特徴づけられ,いくつかの理論モデルにおいて界面粗さが動的スケーリング則を示すことが知られている.このスケーリング則はFamily–Vicsekスケーリングとよばれており,3つのべき指数が界面成長ダイナミクスの普遍性クラスを規定する.有名なクラスがKardar–Parisi–Zhang(KPZ)クラスであり,KPZ方程式の厳密解からべき指数のみならず界面揺らぎの分布の性質までも明らかにされている.さらに液晶を用いた実験において,これら理論結果が見事に観測されており,界面成長を舞台にして,非平衡現象の背後に存在する普遍性の数理が実験・理論の両側面から現在進行形で明らかにされている.

    それでは,界面成長の普遍的な物理は量子系のダイナミクスにおいても存在するのだろうか.最近,この問いと関係する話題として,いくつかの量子系においてKPZクラスに対応するスケーリング則が現れることが理論的にわかってきた.具体的には,Bose粒子系の粒子数や量子スピン系のスピンの相関関数に,KPZクラスに対応した(Family–Vicsekスケーリングとは異なる)スケーリング則が現れることが報告された.また,励起子ポラリトンBose凝縮体では,巨視的波動関数の位相揺らぎにFamily–Vicsekスケーリングが現れることが明らかにされた.しかし,これらの先行研究においてBose系は平均場近似に基づいており,また量子スピン系では無限温度状態を考えているため,量子揺らぎがダイナミクスにどの程度影響しているかはよく理解されていない.さらに,これらの量子系における“界面高さ”に相当する物理量(すなわちエルミート演算子)は自明ではなく,量子系と界面成長の対応関係は不明瞭な状況にあった.

    このような背景のもと,著者たちは1次元Bose–Hubbard模型で記述される孤立量子系において,各サイトで定義された粒子数揺らぎの部分和として界面高さ演算子を新たに定義し,その2次キュムラントである界面粗さがFamily–Vicsekスケーリングに従うことを理論的に発見した.この研究では従来の平均場近似が適用できない相互作用領域を考えており,また初期状態は純粋状態を用いているため,初期の量子揺らぎのみに駆動されて界面粗さが成長する.本研究は,界面高さ演算子を通じて量子系と界面成長の関係をより明確にし,量子ダイナミクスの普遍性に関する新しい視点を与えると著者たちは考えている.

  • 大池 広志, 賀川 史敬
    原稿種別: 最近の研究から
    2021 年 76 巻 8 号 p. 523-528
    発行日: 2021/08/05
    公開日: 2021/08/05
    ジャーナル フリー

    物質の状態制御は物性物理学の重要な課題である.熱力学は状態制御の基盤となる考え方であり,その原則に従うと,物質は最も低い自由エネルギーの状態をとることが予測される.したがって,自由エネルギー最小の状態(最安定状態)が,圧力・温度・化学組成などの熱力学パラメータとともに変化することを利用すると,物質の状態を制御することができる.実際に,気液相転移,結晶構造の相転移,固体中の電子状態の相転移など様々な相転移現象が,熱力学パラメータの制御によって実現されている.

    しかし,平衡熱力学の原則から予測される最安定状態以外においても,実質上安定な状態は現れうる.それは,熱力学パラメータを操作した後に物質が最安定状態へと向かうタイムスケールが,観測者のタイムスケールよりも十分に遅い場合である.このような状態は準安定状態とよばれており,ガラスや硬い鉄鋼がその代表例である.準安定状態の存在は,物質の安定な状態が,自由エネルギー最小の状態だけではないことを意味している.

    準安定状態を生成するために特に冶金の分野において経験的に用いられてきた手法として,急冷による1次相転移の動的回避がある.冷却過程で熱力学的な相転移温度を通過すると,最安定状態が高温相から低温相に変化し,高温相の母体の中に低温相が現れ始める.相転移が進行するタイムスケールは非単調に温度依存しており,急冷によって相転移の進行が速い温度域を十分に短い時間で通過すると,相転移の進行が観測できないほど遅い温度域に到達できることがある.この場合,冷却速度のしきい値(臨界冷却速度)を超えた急冷によって相転移は動的回避されており,低温においても高温相が準安定状態として維持される.

    固体中の電子物性の研究分野では,電子系は最安定状態になることが前提とされていることが多いように思われる.その背景には,熱力学パラメータを変化させて物性測定を行うようなタイムスケールでは,電子系は熱平衡化されるだろうという考えがあると推測する.実際に,金属–絶縁体転移・超伝導転移・強磁性転移など,様々な電子系の相転移現象が最安定状態の変化として記述されている.しかし,ガラスの生成においては最大で1013 K/secにも及ぶ冷却速度が適用されているのに対し,電子系においては10-1 K/sec以下の実験がほとんどであった.したがって,多くの物質において準安定電子状態の存在が見過ごされている可能性がある.我々は急冷法を開発し,複数の物質系における電子系の相転移において最大で108 K/secに及ぶ冷却速度で実験を行い,準安定電子状態の生成に成功した.これらの研究は,従来の電子状態制御の前提となっていた熱力学の枠組みを超えた,新たな電子状態の制御法につながるものと考えている.

    近年,急冷下における準安定電子状態の発見例が蓄積されつつある一方で,急冷実験が行われた電子系は依然としてごく一部の物質に留まる.また,その実験条件においても10 K/secを超える冷却速度が適用されることは稀である.このように,物質の自由度と冷却速度の範囲の両方の点において,電子系の準安定状態には未踏の領域が広がっており,今後の研究の展開が期待される.

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