導電性物質に可視光よりはるかに高エネルギーの単色光を当てると,占有電子が非占有電子帯に励起され,それが真空準位より高い場合,固体外に放出される.この現象を光電子放出とよぶ.この電子のエネルギー分布を観測し,固体の電子状態を評価する手法が光電子分光である.つまり電子の束縛エネルギーEBと運動量(波数kx, ky, kz)の関係を明らかにするこの手法は2010年頃から急速な新発展を遂げつつある.注目すべきは,試料の方位の回転なしに数Å-1にわたる広い運動量空間を高信頼度で同時測定できる手法の登場である.
これを世界初で実現したのが,ドイツHalleのマックス・プランク微細構造物理研究所のキルシュナー(J. Kirschner)教授グループの光電子運動量顕微鏡(Photoelectron Momentum Microscope,PMM)である.PMMでは5-25 kVの引き出し電圧を印加するため,試料から放出された運動エネルギーが数十eVより低い場合光電子のすべてを光電子顕微鏡(PEEM)型対物レンズに取り込める.
このレンズ内部では,運動量分布(kx, ky)と実空間分布(x, y)が結像する位置が異なり,それぞれの場所で可変サイズの制限絞りで領域選択ができる.これを通過した光電子は,静電半球型電子エネルギー分析器を通過したのち2次元検出器で計測される.対物レンズPEEMモードで50 nmまでの空間分解能で試料上の微小領域選択が可能であり,エネルギー,運動量共に高分解能と高再現性で2次元バンド分散を短時間で測定できる.PEEMで微小領域を選択するため,従来問題になってきた光集光による試料表面損傷リスクは少ない.この装置は既に分子科学研究所UVSORに導入され稼働している.
ドイツの同グループでは高効率なスピン偏極光電子運動量顕微鏡(SP-PMM)の開発にも成功した.その装置では,電子エネルギー分析器でエネルギー分析されたあとの電子軌道上に90°反射型のスピンフィルターを挿入し,高い反射率と高いスピン感度を両立できる.Au単原子層で表面を被覆したIr(001)単結晶を用いることで半年以上の寿命での連続使用ができる上に,1万点に及ぶマルチチャンネルスピン敏感測定により,シングルチャンネルスピン測定に比べて約6桁高効率でのスピン角度分解光電子分光が可能となった.これは間違いなく21世紀の科学とデバイス開発の融合につながる革新的手法である.たとえば有機物半導体をも含む導電性材料や複合材料のサブµm微細領域まで,広い(kx, ky, kz)でのスピン偏極バンド分散を放射光で計測できる.
さらに近年,時間分解能を持つ飛行時間差(ToF)-SP-PMMの発展も欧州で著しい.この装置ではパルス光源を用いることで(EB, kx, ky)3次元測定が容易に行える.さらに2つのパルス光源を用いてpump-probe分光を行えば,pump光で励起された電子の振る舞いをprobe光で動的に追尾できる.電子格子相互作用や,電子がよりエネルギーの低い電子帯の底に緩和する現象や,マグノンや励起子などとの相互作用も動的に測定できる.
これらのPMMでは電場,磁場,歪といった外部環境下での極微細領域における電子状態のオペランド(動作下)測定も期待できるので,デバイス応用への貴重な情報を得られる.ToF-PMMは研究室に置けるパルスレーザー光源でも可能であるので今後の応用研究の普及が期待できる.
我々の世界はクォークやレプトンのような物質を構成する素粒子,力を伝えるゲージ粒子,質量を与えるヒッグス粒子などからできている.宇宙が高温高密度の「火の玉」として誕生した直後,クォークやレプトンは質量を持たなかったが,温度が下がる過程で真空にヒッグス粒子が凝縮し,レプトンやクォークに質量が生まれた.この質量は身近な物質である陽子や中性子を構成するアップ(u)やダウン(d)クォークでは陽子質量の1%程度である.宇宙はクォークグルーオンプラズマ(QGP)の状態にあるが,温度が200 MeV程度に下がると,強い相互作用は強結合となり,クォークはハドロンに閉じ込められ,カラーの自由度が見えなくなる.さらに真空中にクォーク・反クォーク対qq凝縮(クォーク凝縮)が生じる.qq凝縮は真空に構造をもたらし,カイラル対称性が破れる.その真空期待値〈qq〉はカイラル対称性の秩序変数であり,〈qq〉が0から有限値へ変化する遷移は,QGP相からハドロン相への相転移を意味する.この時,u,dクォークは質量の多くを獲得する.
このシナリオは,様々な方法で検証されている.高エネルギー重イオン衝突実験では,QGPの生成が確認されている.格子QCD計算では,〈qq〉が温度低下と共に有限値を持つことがわかっている.一方,〈qq〉は物質密度への依存性も持つはずである.ここで物質密度は,真空にドープされた不純物のような役割を果たし,例えば,原子核中では真空の対称性の変化が期待される.有効場の理論などを用いた研究によると密度上昇と共に〈qq〉が減少する.
さて,〈qq〉は直接には観測できないが,間接的に推定できる.例えばクォーク質量は〈qq〉と関係するから,中間子の質量も〈qq〉に依存し,これを捉える実験が行われている.一方,質量は相互作用による自己エネルギーなので,相互作用に変化が生じると言うこともできる.
π中間子と原子核の相互作用も〈qq〉に関するヒントを与える.π中間子原子は,負電荷のπ中間子が原子核にクーロン力で束縛された系である.π中間子-原子核間に働く強い相互作用が斥力的なので,比較的重い原子核に束縛されるとπの波動関数は原子核表面付近に局在し,ここから原子核密度の1/2付近での相互作用を評価できる.このように深く束縛された状態を,原子核反応で直接励起し,欠損質量測定により分光することで,相互作用の変化を調べる.
我々は,π中間子スズ原子の励起スペクトルを測定し,π中間子の束縛エネルギーを求めることで有限原子核密度でのπ中間子と原子核の相互作用を決定した.π中間子(重)水素と比較すると,原子核中で強い相互作用の斥力が増大している.この情報から〈qq〉の減少量を評価することができる.解析の結果,原子核密度の約60%の密度で〈qq〉は真空中と比べて77±2%に減少していることがわかった.この結果は多くの理論的予想と誤差の範囲で一致しており,カイラル対称性が高密度で回復していることを裏付けている.現在の真空が「からっぽ」ではなくクォーク凝縮が満ちているというシナリオをサポートする結果であると言える.
20世紀初頭の超伝導の発見以来,その発現機構の解明は物性物理学における中心的課題の一つとして多くの研究がなされてきた.最も基本的なモデルはBCS(Bardeen-Cooper-Schrieffer)理論として知られ,多くの超伝導体の特性をよく説明する.一方で,重い電子系超伝導体,銅酸化物高温超伝導体,鉄系超伝導体など,BCS理論では説明できない超伝導体が次々と発見され,「非従来型超伝導体」として注目を集めている.こうした非従来型超伝導の形成には,電子が持つスピンや軌道(電気四極子,以下単に四極子)の量子ゆらぎが重要であるという見解が近年有力視されている.しかし,既存の多くの系ではスピンと軌道が同時に存在するため,それらの役割を実験的に切り分けて検証することは極めて困難であった.
では,スピンを持たず,四極子のみが存在するような系は実現可能だろうか?3d電子系(遷移金属)の立方晶Eg状態では,結晶場効果で軌道角運動量が消失することが知られている.これと類似して,スピン軌道結合の強い4f電子系(希土類)では,(スピンと軌道が一体となった)全角運動量が消失し,高次多極子自由度のみが残ることがある.非クラマース(non-Kramers)イオンであるプラセオジム(Pr3+,4f2)が立方対称の結晶場におかれた際に実現する非磁性二重項(Γ3)は,四極子およびさらに高次の磁気八極子モーメントのみを自由度として持つため,多極子の研究に適している.さらに興味深いことに,非磁性Γ3二重項は四極子近藤効果の舞台となり,伝導電子が局在四極子を過剰遮蔽することでフェルミ液体論が破綻した異常金属状態が現れる.
PrTr2Al20(Tr = Ti,V)は非磁性Γ3二重項を結晶場基底状態に持ち,伝導電子とf電子間の混成(c-f混成)が強い「四極子近藤格子系」として知られる.中でも,PrTi2Al20はTQ~ 2.0 Kで強四極子秩序を示し,Tc~ 0.2 Kで超伝導を示す.また約8 GPaの圧力を加えると,Tcは1 K程度まで上昇する.純粋な四極子転移の中で生じるTcとしては常圧においても最も高いものであり,四極子と超伝導の関係を探るうえで最適な系となっている.
そこで本研究では,PrTi2Al20およびLa希釈系の超伝導特性を詳細に調べることで,超伝導と多極子秩序との関係を明らかにすることを試みた.極低温度での比熱や磁化測定により,純粋な四極子秩序と共存する超伝導の熱力学的性質を初めて明らかにした.比熱および臨界磁場の温度依存性は,BCS理論で期待される等方的s波の場合とは大きく異なり,単一のd波超伝導,または複数ギャップ構造でよく再現できる.また,わずかなLa置換によってギャップ構造が変化し,それと同時に四極子秩序の性質も大きく変化することが明らかになった.これらの結果は,PrTi2Al20における非従来型超伝導が,強四極子秩序と密接に関係していることを強く示唆している.
反強磁性体における拡張多極子や波数空間の多極子など,多極子の概念は近年急速な広がりを見せており,物性物理の新たなパラダイムとして注目されている.本研究は,多極子と非従来型超伝導の関係を実験的に明示した重要な一歩であるとともに,多極子自由度がもたらす新奇な量子現象への展開が期待される.
固体の性質は系がもつ対称性によって支配されるため,固体中の原子や分子がもつ電子自由度の配列を制御することは,物性や機能を制御する最も効果的な方法である.特に,特徴的な幾何学格子の上で電子同士が強く相互作用する物質を創出することが未知の物性,機能の実現への鍵である.このことは二次元ハニカム格子をもつグラフェンが次世代エレクトロニクス材料として大きな注目を集めていることや,電子スピンを三角格子上に並べた磁気フラストレーション系が,準粒子や磁気エントロピーを利用した量子機能材料として盛んに研究されていることからも知ることができる.
様々な幾何学構造の中でも,1970年に数学的に定義された三次元の周期極小曲面である「ジャイロイド」は,多くの研究者を魅了してきた.自然科学分野では1960年代から認識され,これまでに生体,ポリマー,液晶,プラスティックなどの幅広い系においてジャイロイド構造が確認されており,力学的性質,光学的性質,イオン伝導性が研究されている.これらの系では,ナノメートルからマイクロメートル程度の様々なスケールのジャイロイド構造が実現しており,最近では3Dプリンターで作ったジャイロイドが高強度材料として注目を集めている.
最小のジャイロイド構造として,電荷やスピンといった電子がもつ自由度をジャイロイド構造に並べた系を考えることができる.これらは物性物理分野で理論研究の対象となっており,量子スピン液体やフラットバンドをもつ金属といった,基礎科学から電子機能開拓まで幅広い興味を集める電子状態の実現が予測されている.また,ジャイロイド構造にはカイラリティがあるため,非相反物性や,らせん型スピン構造と関連した興味深い現象の発現が期待される.しかしながら,構成単位の大きなポリマーや液晶物質においては,ジャイロイド構造に並んだ電子自由度間の相互作用が物性に現れた例は知られておらず,新たな物質系を開拓する必要があった.
我々は,過去にプロトン伝導体として注目を集めた,シュウ酸配位子によって遷移金属イオンが架橋され三次元ネットワークを組む金属有機構造体(Metal-Organic Framework,MOF)において,スピンをもつ遷移金属イオンや電気双極子モーメントをもつ分子がジャイロイド構造を形成する点に着目した.遷移金属としてコバルトをもつ系において,物性研究が可能な高純度な結晶の作製に成功し,磁気的・電気的特性,結晶構造を低温まで精密に測定した.その結果,ジャイロイド構造に特有の幾何学とキタエフ相互作用が生み出す磁気フラストレーションにより,多彩な磁気相が競合する様子を観測した.さらに,ジャイロイド格子上に配置された電気双極子モーメントの自由度に起因し,常誘電状態から焦電性をもたずに圧電性を示す新奇な構造相転移を観測した.これらは,原子スケールのジャイロイド構造に特有な電子物性を世界に先駆けて発表した成果であるといえる.
ジャイロイド型MOFは,幾何学,材料科学,量子物性物理学を結びつける新たな結晶舞台として,その可能性を大きく広げつつある.