地理学評論 Ser. A
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71 巻, 11 号
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  • 赤城山の活動とその影響について
    竹本 弘幸
    1998 年 71 巻 11 号 p. 783-804
    発行日: 1998/11/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    片品川流域に発達する河岸段丘についてテフラ層序に基づき調査し,堆積物の分析を通じて火山活動の影響を明らかにした.片品川流域に発達する河岸段丘は,更新世中期の砥山面(To), 15~10万年前の沼田面(Nu),11~10万年前の追貝原面(Ok),6万年前の伊閑面(Ik),5万年前の平出面(Hi),3~1.5万年前の貝野瀬1~皿面(Ka-1~皿);1.3~1万年前の低位面(L)に分類される.砥山面(To),追貝原面(Ok)は,更新世中期に赤城山の火山活動によって多量の砂礫が供給された結果,形成された堆積段丘面群である沼田画(Nu)は,赤城山の活動によって形成された堆積段丘面で,約20万年前から最終間氷期を経て約10万年前まで存続した水域(古沼田湖)に形成されたと考えられる.古沼田湖の堆積物である沼田湖成層の層厚は最大約60mに及び,上流側では沼田礫層に層相変化する.沼田礫層は礫径が大きく,礫種構成において赤城山起源の礫が卓越する.これに対して,伊閑礫層以降には赤城山起源の礫の混入率が徐々に減少し,貝野瀬I礫層以降には30%以下となる.この傾向は赤城山の火山活動と調和的である.伊閑面は,最大層厚35mの砂礫からなる堆積段丘面である.本面の形成には,断ある程度火山活動の影響も認められるが,中部日本などに広く認められる気候性の堆積段丘面と同様の成因が想定される.粒径や礫種構成から判断して,現河床への赤城山の影響はほとんど認められない.
  • 川崎重工岐阜工場を事例として
    合田 昭二, 浅井 悦子
    1998 年 71 巻 11 号 p. 805-823
    発行日: 1998/11/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    航空機生産の中核となる機体メーカーの企業間連関は,多様な空間的スケールの連関がいずれも鮮明に展開している点に特色がある.日本の代表的な航空機工業地域である中京圏に立地する機体メーカーを事例に,アメリカ航空機工業の支配力の反映という視点から国際的連関を,また,中京圏航空機工業の生産構造の反
    映という視点から国内での連関をそれぞれ分析した.川崎重工岐阜工場が有する主な企業間連関は空間的にみて3種類からなる.第1はアメリカの機体メーカーとの連関,第2は中京圏以外の国内大都市圏に立地す
    る装備品メーカーとの連関,第3は中京圏内部での他の機体メーカーおよび下請企業との連関である.第1の連関の内容にはR&Dの対米依存という日本航空機工業の弱体性が示され,第2・第3の連関の内容には,機器類生産の蓄積の不十分さ,および自動車生産からの分化の不十分さという,中京圏の航空機工業が持つ弱体性が示されている.
  • 葛西 大和
    1998 年 71 巻 11 号 p. 824-844
    発行日: 1998/11/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    最上川流域住民の生活は,鉄道開通の影響を受けるまでは舟運に大きく依存していた.1870年代の自由航行の容認と地租の金納化とともに,最上川の運船は小型化し,他方では,船番所が存在し,内陸地方の物資の集散地として知られた大石田河岸の大船団の解体が進行した.生活必需諸品の移入と米穀類の移出を中心とする最上川流域の舟運に関しては,1902年を境に衰微したとする見解が通説であるが,実際には,最上川本流の内陸水運は,第1段階として,米沢まで鉄道が開通した1899年を境に衰微に転じ,そして1901
    年以降その支流を含め庄内地方の米穀類の輸送によって存続した舟運は,第2段階として,1910年代の庄内地方への鉄道敷設のあおりを受けて衰退していったと考えられる.また,最上川中流部の左沢河岸を拠点とした高橋寅治商店の営業活動に関する資料により,鉄道開通が舟の運航形態や輸送形態ばかりか,同商店の商圏に甚大な影響を及ぼしたことを示した.
  • 1998 年 71 巻 11 号 p. 845-850,853
    発行日: 1998/11/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
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