本研究では,韓国京畿道・金浦半島地域を事例として,専売下における薬用人参生産の特色と,そこで展開される出耕作の実態を農家の経営的側面から検討した.
金浦半島は,韓国動乱の1950年以前から,薬用人参の大産地である開城の影響を受けてきた.産地としてのより本格的な発展は1960年以降で,その後1970年代末までの約20年間は全国有数の産地であった.しかし,多くの農家は薬用人参の栽培を短い間隔で繰り返し行ない,結果的に連作障害を引き起こす原因となった.このため,金浦半島地域は産地の老朽化が進むと同時に,紅参用原料の産地から白参用原料の産地へと転じた.紅参生産が不可能となった農家は,1980年を境として地元集落から離れたところに土地を求め,出耕作に乗り出した.出耕作先は,いくつかの地区に集中する傾向を示しているが,その理由は,先行農家による出耕作が成功したこと,ならびに初作可能な土地が多く分布する地区であることによる.また,生産農家の借地規模は,出耕作先の遠近によって差が生じている.
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